草加の爺の親世代へ対するボヤキ

草加の爺の親世代へ対するボヤキ

PR

プロフィール

草加の爺(じじ)

草加の爺(じじ)

サイド自由欄

カレンダー

フリーページ

2021年01月12日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
今回は「大和物語」について書きます。

 この物語は、歌物語の系譜に属するものですが、「源氏物語」や「伊勢物語」程にはメジャーではあり

ません。平安時代の中期に成立したもので、「伊勢物語」が成立した後、天暦5年(951年)頃までに成立

したと推定されている。登場する人物達の名称は実名、官名、女房名であり、具体的にある固定した人物

を指していることが多い。通常では173段に区切られ、約三百首の和歌が含まれ、統一的な主人公は

おらず、オムニバスの構成になっている。

 作者は未詳である。

 百一段の和歌 ―― くやしくぞ のちにあはむと 契りける 今日(けふ)を限りと いはまし物を

(― 残念な事を言って約束してしまった、健康であってさえ何時とも知れない不定の命の中に、儚い泡



などと、気軽に約束してしまったことだ。もはやこれまでであると明瞭に死期を悟った今は、あの時に、

今日限りでもうお目にかかる事は出来ません、どうぞ、お体御大切にお暮らし下さいと、惜別の言葉を述

べておけばよかったと、悔やまれてならないのです… )

 気縄(すえなわ)の小将が親友の公忠(きんただ)に伝えた最後の便りに記した和歌である。

 三十一段には、 よそながら おもひしよりも 夏の夜の 見はてぬ夢ぞ はかなかりける (― 逢

うことが叶わずに別々に暮らしていて、一日も早くあなた様にお逢いしたいと恋焦がれていた当時の、恋心

は今にして思えば、充実したそれでありましたよ、あの懐かしい夏の一夜にあなた様との嬉しい限りの

逢瀬が叶った夢のような、めくるめく数時間。それも今となっては儚く、空虚に思われてなりません、確

かにお逢いは致したのですが、無我夢中とはこのこと、自分が自分でない一刹那の如くに時は飛び過ぎ、

無情の明け方を迎える、何て薄情で残酷な定めだったのか、それと前もって分かっていたのなら、あの期

待や、希望に満ち満ちた、孤独な自分であった方が、どれほどに幸せであったことか、それも、再び三度



い宿命(さだめ)と判った時のあの絶望と、落胆。私はいっそのこと自ら命を絶ってしまおうかとさえ、思

いつめたものです。しかし、ジタバタするだけで、遂に実行はできませんでした、それも未練ゆえでした

、一度は確かにお逢い出来たのです、どの様に絶望的な状況でも、生きてさえあれば、二人の思いが変わ

らずにあれば、今生での再会がたとえ叶わなくとも、次ぎの世での逢瀬は希望が持てるというもの、せめ

て生きてこの世にある限りは、この夢だけは諦めずに大切にこの胸にしまっておこうと思うのです )



自分で恥ずかしさに、包み隠そうと心を用いているのですが、どうしても内側から光が漏れてしまうので

すわ、今目の前で眩い光を点滅させながら空を飛んでいる、あの夏の虫・蛍ではありませんが、私の胸の

中で燃え滾っている恋の火が激しいのです、恋の火は私の胸を焦がして、それだけでは済みそうになく、

やがて私の身体全体を焼き尽くしてしまうに相違ありません。私は、それでよいのですが、貴方様は、そ

れでも宜しいのでありましょうか、とても言葉になど出して言えなかったのですが、つい燃え盛る恋の炎

に急き立てられて、こうして、三十一文字に表現して、貴方様の御意向を打診致さずにはおれませんでし

たの、お分かり頂けるでしょうかしら… )

 百四段には、  恋しさに 死ぬる命を おもひいでて とふ人あらば なしとこたへよ (― 貴

方様恋しさで、私はもう死んでしまいますわよ、それで宜しいのでしょうかしら。もし仮に、私のことを

思い出して、尋ねて下さる奇特なお方がいらっしゃったならば、貴方様、どうぞこうお伝えしてください

ませ。あの女性は死んでしまった、と。そして、そのお方の流す涙に誘われでもして、薄情な貴方様も、

もしかしたら、可哀想な女性だったと、一掬の涙を私のために流して、せもてもの私への餞別としてはく

ださらないでしょうか、如何でしょうか、これも無理なお願いでありましょうや。いや、いや、私の本音

はそうでは断じてありません、もうおわかりでしょうが、自分でも随分と嫌味な申し分と存じております

が、貴方様の随分と薄情な仕打ちに捻じ曲がってしまった私の心が、ついつい素直にはなれなくて、心に

も思っていなかった憎たれ口を利かせているのです、どうぞ許して下さいな、そして、貴方様が一番良

くご存知の筈の、あの素直で従順で、仔犬の様に愛らしい本来の私のことを、後生ですから思い出しなさ

れて、今すぐに私のところに馳せ参じては下さらないでしょうか。貴方様の本当にお懐かしいお姿を心待

ちにして、死になど致さずに一日千秋の想いでお待ち致します。どうか、お願いです、後生です、貴方

様こそは私の全てなのですし、私も貴方様にとって全てであると信じます。お互いに意地の張り合いをし

て、相互に相手を傷つけるのはもうこれくらいで、止めに致しませんか。貴方様の為にせいぜいおめかし

をして、貴方様好みの着物なども身に付け、お酒なども準備して、お待ち致しますので、どうぞ一刻も早

くお運び下さいな )


 この他、「大和物語」は上流人士を数多く扱った説話が載っておりますので、私流の深読みを施す機会

を是非ともお持ちなさることをお勧めいたします。所で、私はこの物語にインスパイアーされて、次の四

つの私にとっては忘れられない「恋懺悔」の小話をご披露致したいと思います。ご一読の上で、そのまま

お忘れ下さるようお願い申しておきます。

 第一、「秩父物語」、  初恋は 音せず消えし 花火かな 秩父の夜空に 北斗七星  私が二十代

の後半に経験したプラトニックラブの顛末です。彼女の名を実名でも一向に構わないのですが、一応 M

と呼んでおきましょう。M とは友人の紹介で、花の銀座で初めて会いました。お互いに気が合ったので

しょうか、途中にインターバルがありつつも前後で三年程の交際期間をもちました。葛飾区にある水元公

園の菖蒲田、新宿のマンモスバー、同じく新宿のフラメンコ劇場、都心のホテルのプールでの遊泳、彼女

の実家のあった秩父での多くのランデヴー、聖夜の清いロウソクに照らされた教会、秩父夜祭の感激のデ

ート、奥秩父への楽しいピクニック、などなど、幾つもの忘れがたい思い出が残っていますが、口づけは

愚か手さえろくろく握ったが覚えがない。二人共に相手を前にするとシャイな気持ちが異常に前面に出

て、そうなってしまっただけで、私にしても、彼女にしても不自然な態度を取り繕っていたわけでは、な

かったのです。結局は、彼女に私が振られる形をとって、このプラトニックなラブは破局に終わった。直

接的には彼女が乗馬の練習中に落馬して、左腕を骨折したのが原因で、私と結婚しても迷惑をかけるだけ

で、御荷物になるだけだからと、健気な心根の彼女の方が身を引いたのが、後で知った真相でしたが、私

としては「もう、秩父には来ないで下さい」と、言われた言葉がいつまでも耳に強く残って、復縁を願う

べき勇気を奮い起こすことが出来なかったのだ。ずっと後になってから M を私に紹介した友人の話です

が、M は私との事を忘れられなくて、ずっと独身を通し続けているそうです。「古屋さんは私の事を買

い被り過ぎていたのですよ」と、 M は友人に語ったと言う。「古屋、M は相変わらず綺麗だったぞ」

と、さも勿体無い事をしたと、窘(たしな)めるような口調で言ったものです。美人で気立てが良いことは

誰よりも私自身が知っている事であります。彼女が誠心誠意私に向き合ってくれた以上に、私も全身全霊

を以て彼女に対した。それだけは間違いのないこと。誰が悪いのでもなく、そうした縁だったので仕方の

ない事と諦めるのが本当だったと、ひりひりと痛む胸をさすりながらも観念する私なのでした。後から思

い起こすと、 M との交際に関しては不思議な思いが数多く付き纏っている。心の中で、ここで、周囲に

誰も見る者のない恋人同士なのだから、彼女を抱きしめて唇を押し付けてやらなければいけない。彼女も

それを望んでいるに相違ないと確信していながら、何故か行動に移れないのだった。

 悦子と結婚して思ったのは、悦子の予知能力的な強力な愛情が、当時の私とM との素敵な関係に予め

強力なバリアーを敷いて、妨害に及んだとしか考えられない現象でした。

 さて、第二番目の「四谷三丁目物語」に移ります。馴れ初めは銀座のクラブでした。H はホステスで私

は客という関係でした。このクラブを私に紹介して下さったのは TBS を定年で退職して、私の会社の

常務取締役として迎えられていたとても人の良い、上品なご老人でした。私を事のほか贔屓にして、何か

と便宜を図ってくれる私にとっては本当に有難い、恩人と呼んでも差し支えのない上役でした。 H の所

属していた銀座のクラブですが、比較的年配者が多い客層で、それ程高級という程ではありませんでした

が、T B S 時代から重役が愛用していたアジトの様な場所でした。ですから、私の会社のプロデューサー

でここに出入り出来たのは私だけでした。従って、私の H との密かな情事は紹介者の重役を含めて、誰

ひとりとして知る者はいなかった。

  一途なり 本能だけの 恋でした 愛の臥所は 清浄涅槃   きっかけはタクシーの中で突然

に唇を奪われた夜に始まります。私は重役から、このクラブを利用した際には、閉店まで居て、ホステス

さんの何人かを車で送るように言われていましたので、律儀にそれを励行していたのでした。最初は大塚

駅の近くのホテルでした。次には、四谷三丁目のホテル。三回目からは彼女の自宅としていたアパートの

部屋での逢瀬が継続することになったのですが、途中からは、クラブには行かずに、電話で「今夜、会い

たい」とだけ連絡して、彼女の部屋のある駅近くの喫茶店などで、彼女の帰りを待つのが常になりまし

た。お断りしておきますが、私は見かけも中身も謹厳実直を絵に描いたような真面目一方の青年でしたか

ら、この様な秘密の愛人を持ち、濃密な情事を重ねているなどと想像できる人間は、私自身を含めて、こ

の世には誰ひとりとして存在しなかった。 H ですが、不幸な過去を持っていました。子供が出来ない体

だったので夫から離縁されたのでした。私よりは確か五六歳年長だった。昔から、年長の女性から愛の手

解きを受けるのが、男にとっては最高の事なのだと聞いておりましたが、私は H のお蔭で最高の性教育

を受けるという果報に預かることが出来、ハッピーでした。肉欲に溺れるなどと肉体的な性愛を獣欲など

と軽蔑する向きがありますが、私の経験からはそんなことはない。プラトニックが純粋で清らかと形容出

来るのなら、肉体だけの、精神の殆ど介入する余地のない恋愛も又、清浄で、涅槃にいる如き境地だった

と実感致しました。神が作られた肉体であります。戸籍上の夫婦の夜の営みだけが清浄なのだ、などと誰

が一体決めつけてしまったのでしょうか。不倫や、姦淫と呼ばれる肉欲は決して上等だとは、私も思いま

せんが、離縁された女性と独身の男が成り行き上で、自然に結ばれたのですから、人倫上でも少しも問題

なく、全体から見れば少数の部類に分類されるでしょうが、不潔だとか、厭らしい関係だとか頭ごなしに

蔑視する偏見は如何なものでしょう。

 あれは、当事者の私達にとって祝福されて然るべき、正しい男女の在り方だったと、今でも信じていま

す。

 念の為に申し添えれば、H の存在は妻の悦子にも結婚してから後に伝えてありますし、西大久保のオン

ボロアパートの部屋に彼女から電話が入り、悦子の存在を知った H は以後ぷっつりと連絡を絶ってしま

いました。彼女にはその様な潔さがあったのでした。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年03月04日 21時08分14秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: