草加の爺の親世代へ対するボヤキ

草加の爺の親世代へ対するボヤキ

PR

プロフィール

草加の爺(じじ)

草加の爺(じじ)

サイド自由欄

カレンダー

フリーページ

2024年12月31日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
今直ぐにも人が来るであろうから、その用心の為に此処に隠れていなさいな。と言いながら屏風の陰に押

し入れると、ああ、私が大事な守りを内の箪笥に置いてきてしまったわ、あれが欲しい、と言ったところ  

ろ、はて、このような悪事をしでかしておいて、どのようなお守りの力でもこの科が逃れられませんよ。

いずれにしても死ぬ身の上です、そう合点した上で我は其方の回向をしましょうよ、其方はこの忠兵衛

のを頼むと屏風の上から顔を出せば、はああ、悲しいや、忌々しいぞ、ちゃっと措いて下さいな、嫌な曝

し首によく似た様子と、屏風越しにひしと抱き付いて咽かえりながら嘆くのだった。

 越後主従が立ち帰って、さあ、どこもかも埒が明いたぞ、出かけるのに近くて勝手がよいと言うので、

西の大門の門札が降りた、と告げたのだが夫婦はわなわなと、さらばさらばも震え声である。お寒そうで

す、酒は如何ですか、酒も喉を通りませんよ、目出度いと申そうか、御名残り惜しいと申そうか、千日間



言う、そのいうではないが、木綿附け鳥・鶏が折から暁を告げる。その声を聞きながら越後屋の人々とも

別れて行く、栄耀栄華も人の金に支えられた蜃気楼の如き儚いもの、果ては砂場(諺に人の金を砂にする

・無駄にする、がある)を打ち過ぎて、後は野となれ山となれ、ではないが、大和路を指して一散に足に

任せて行くのだった。

           下 之 巻  忠兵衛 梅川 相合駕籠(あいあいかご)

 翠帳紅閨の遊女の部屋で枕を並べて寝た寝屋の中、馴れた衾で夜もすがらも、夜の四つ(午後十時)に

廓内を打って回る限りの太鼓を合図に大門を出ると、かつての歓楽は跡形も残っていない。

 そうであっても私の最愛の夫が、秋より前に必ず私の身を請け出してくれると約束した、仇な情けの世

を頼みにして、人を頼みにしていたが、その綱も切れてしまい、中戸の辺りでの逢い引きとは事情が変わ

ってしまい今は姿を見つけられたら百年目、ひたすら人目を憚って相合駕籠に姿を隠して行く、昨日のま

まの鬢附きや髪の髷目のほつれたのを直して上げようと櫛を取る。その手さえも流れ出た涙で凍え附いて



 駕籠かきが手にしている息杖ではないが、まだ息が続いている命こそ不思議と、二人は新たに涙、こぼ

れ出るそれではないが、河堀口(こぼれぐち、天王寺の東南、平野街道への出口)夜が明けない間は暫ら

くと駕籠の簾を引き上げて外を見る時でさえ二人は膝を組み交わしている。駕籠の内側は狭くて局(見世

女郎の部屋)でのかつての夜の逢瀬と似ている事は似ているが、置く霜の白さで部屋の火鉢の埋み火の灰

の白さを思い出す。今は夜半の嵐に呼ばれても、返事を返す禿もいない、返事をするのは野辺の禿松(笠



らない。

 何をくどくどと思うのだ、これこそが一蓮托生というものだぞ、そう言っては相手を慰め、自分も慰め

て比翼煙管(雁首が一つで吸い口が二つの煙管)の薄い煙、周囲の霧も絶え絶えに晴れ渡って、麦の葉生

えに風が荒れて、朝早く仕事に出る農夫や煙草の火を貰う野で仕事をする男達などが見るであろう目も恥

ずかしく駕籠を下ろさせて暇をやる。駕籠賃にやる玉銀(露)に露の命も惜しくはない身なのだが、惜し

くてならない惜しんでも惜しみ足りない大切な命。二人は徒歩裸足で、惜しむのは名残ばかりなのだ。

 ついぞ被り馴れてはいない綿帽子(老女の変装用である)、わしの顔よりもこなさんの肌にこれをと風

を防ぐびらり帽子(若い女が笠の下に被った紫縮緬の帽子。額を覆って両脇に垂れた)を男に渡す、色で

逢ったのはもう昔の事で、今日は親身の夫婦合、片方が頼めば相手が願いを叶え、庚申(かのえさる)の

庚申堂(天王寺西門の南にある)だと伏拝み、振り返っては見る勝蔓院の愛染明王(あいぜんみょうお

う、天王寺西門の西北にある)様に愛敬を祈る芝居の少年俳優やら、色を売る道頓堀の歌舞伎俳優や廓の

遊女が奉納した様々な品、紋で覚えている提灯の中には儚い槌屋(梅川の抱え主)内、この木瓜(もっこ

う、忠兵衛の紋所)に打ち添うようにして私の紋の松皮菱の松の千歳を祈ってのだが、定めぬ契提灯の火

が消える命の夕べには、この紋をつけて我々二人の経帷子(死人に着せる白麻の衣)にしようと覚悟を固

めて、冥途への道をこれこのように手を引かれよう、手を引こうぞや。また取り交わしては改めて泣く

涙、忽ちに袖の氷となって閉じてしまう。

 誰も関など据えてはいない道ではあるが、問い問い行けばはかがいかない。今朝廓を出た時の姿で、素

足で凍り付いている雪駄(裏に牛革を張った竹の皮草履)を踏みしめれば、空には霙(みぞれ)のひと曇

り、霰交じりに吹く木の葉、ひらりと宙に舞った、そのひらりではないが、大阪からは二里程のきょりに

ある平野に着いた。

 この地には知人が多いのだが、こっちへこっちへと袖で顔を覆い隠して里の裏道、あぜ道をすじりもじ

りと曲がりくねって辿って行く。前方に藤井寺が、あれあれ、あれを見てごらんよ、何処の田舎も恋の世

だよ、背戸に菜を引く十七八歳の娘がいる門口に立っているのは忍びの夫(つま)なのだろうか、寒い野

の風は身のどくですよ、此方へお入りなさい、他所での睦言が羨ましく妬ましくて、それ覚えているだろ

うか何時の事だったろうかな、あの初雪の朝込み(遊女が早朝に馴染みの客と遇う事)に寝巻のままで大

門まで送られて、その時の薄雪も今降っている雪も変わらないけれども、変わり果ててしまった我らの身

の行く方、我ゆえに染めた愛おしさ、恋を知らなかった元の白地に還れないならばなまじに浅いよりは濃

い色の恋に染まろうよ、濃いのは誉田(ごんだ)の八幡様に神かけて誓った誓詞に自然背くことがあろと

も、そなただけにはその神罰が当たらないようにと願って泣く涙、同じ罪につながるこの身の上、たとえ

人目を避けられても、いずれわが身も罰をまぬがれないでしょう。や、許しがあって申しこれ、のう、さ

りとてはわしの身でも自由にはなりまん。末は涙で果てしもなく延べ紙で鼻水と涙を絞り拭うのだが、枯

れ枯れになった小笹原、霜に枯れた枯野の薄原ぼうぼう、さらさらさっと鳴ったのは我を追う追手が迫っ

て来たのか、尋ねて来たか、覆い重なり影隠し、そっと顔を挙げて見ると、相手は人ではなくて妻恋鳥

(雉)の羽音に怖じる身になってしまった。これは如何なる罪の報いかと口説き嘆いて行く姿は、泣くか

笑うか富田林の群れ烏、せめて一夜は見逃してやろうかの心もなく、咎める声の高間山あの葛城の神(一

言主の神が容貌が醜いのを恥じて、昼は隠れ、夜に働いたという故事がある)ではないが、昼の通う路は

憚られて身を忍ぶ道、恋の道、我、から狭い浮世の道、竹の内峠(岩屋越えと共に大和に越える山路であ

る)で袖が濡れて、岩屋越えと言って石道や野を越えて山また里々越えて行くのも恋の故であるよ。

 政治が正しく行われる清んだ世に掟正しく、畿内や近国に追手がかかり、中でも大和は生国だと言う事

で十七軒の内で亀谷を除いた十六軒の飛脚問屋では、或いは巡礼、古着買い、節季ぞろ(年末に節季候

云々と言いながら歌い踊り、戸毎に米銭を乞う一種の物乞い)に化けては家々を覗き、覗きの絡繰り飴売

りと変装して子供たちに飴をしゃぶらせては口を開かせようとする、罠の鳥、網代に掛った魚の如くであ

り結局逃れがたい命なのだ。

 無残やな、忠兵衛は自分の身さえ憂き世を忍ぶ立場であるのに、梅川の身なりは人に目立つのに、包み

かねて、借り駕籠で日を送り、奈良の旅籠屋、三輪の茶屋、五日三日を夜を過ごして、二十日余りに四十

両を使い果たしてしまい、二歩(一歩は一両の四分の一の価の金貨)だけが残っている。鐘の音も霞むよ

初瀬山を他所に見捨てて親里の新口村へと到着したのだ。

 これお梅よ、此処は我の生まれ在所、二十歳まで育って覚えたのだが、師走の果てにこのように諸勧進

(出家姿の物乞い、勧進坊主)や諸商人、正月であっても無い事、あれあそこにも立っている二三人、胸

騒ぎもして来た。四五町いけば本当の親、孫右衛門の家ではあるが、大阪に養子に行ってからは交際しな

い約束である上に継母であるから敷居が高い。この藁ぶきの家は忠三郎と言って小作の土地をあてがって

ある小百姓、幼少の折から腹の中からの馴染みで頼もしい男だ。先ずは此処へ立ち寄ろうと打ち連れて、

忠三郎殿は家においでか、久しく御目にかかっていないとつっと入ればかかあと思しく、誰でござるぞ、

内の人は今朝から庄屋殿に詰めかけていて今は留守で御座いますと言う。むむ、忠三郎殿には御神さんは

なかったが、あなたは何方でございますか。ああ、わしは三年前に此処の内に嫁入りして以前の知り合い

は誰が誰かわかりません。やあ、お二人はもしかして大阪のお方では御座いませんか。うちの人の親方孫

右衛門様の継子の忠兵衛殿と申すお方が大阪に養子に行って、傾城を買って人の金を盗み、その傾城を連

れて逃走したと言って、代官殿から御詮議があり、孫右衛門様はとっくに親子の縁は切ってしまっている

ので、もうはや関係がないのだとは申せ、真実の親子であるから年を取ってからの大層な気苦労、うちの

人は馴染みであるからもしかしてうろついて来て見つけられでもしたならば御気の毒な事であると、内外

に気をつけられていらっしゃいます。庄屋殿から呼びに来る集会があるとか、印判が必要だなどと、節季

師走にこの在所では傾城ごとでごった返しておりますぞ。本当に困ってしまう傾城殿じゃと、遠慮もなく

語る。

 忠兵衛ははっとして、如何にも如何にも、大坂でもその取り沙汰で持ち切り、我等は夫婦ずれで年末か

ら正月にかけて参篭する者で、懐かしいので寄りました。ちょっと呼んできては下さらないか。立ちなが

らでも会って帰りたいので、大阪者とは言わずに頼みたいと言えば、それではひどく急いでいらっしゃ

る、行って呼んで参りましょうが、鎌田(かまだ)村のお道場に京都の本山から御下りの講師様が毎日の

御講和、御説法、庄屋での集会の席から直接にお道場に参られたかもいさ知りませぬ。汁の下に薪をくべ

て下さいなと、言い残し襷掛けして走って行く。

 後の門口を梅川がはたと閉ざして懸金をかけ、これは本当の敵の中ですが大事は無いですか言うと、忠

三郎と言う者は百姓には稀な男気を持った者だ。頼んで一夜逗留して死んだとしてもこの場所、故郷の土

に身を置いて母親の墓所に一緒に埋もれて嫁と姑との未来の対面をさせたいものと、涙ぐんで目もうるう

るとなってしまう。それは嬉しい事で御座います、そうではありますが私の母は京都の六条、定めしこの

間に詮議で人が行っているでありましょう、日頃の眩暈(めまい)持ちですから、どうしていらっしゃる

ことやら、もう一度京の母様にも一目会ってから死にたい。おお、道理だ、わしもそなたの御袋に婿だと

言って対面したかったぞと、人目が無いのでひしと抱き合い、涙の雨が時雨の様に降り注ぎ、袖にあまっ

て窓を打つ、はああ、降ってきたようだ、と西向きの竹格子の窓、反古(ほご)張りの障子を細目に開け

て見やると、野風が吹きすさぶ畑道を後ろからかかるしぶきを避ける為に笠を後ろ下がりに被って急ぐ阿

弥陀笠、道場参りに打ち連れて急ぐのは、あれは皆在所の知った衆達だ。先頭は垂井端(たるいばた)の

助三郎でこの人も在所での顔きき、あのお婆は荷持ち瘤の伝のお婆じゃ、ああ、大の茶飲みだがな、そこ

に見える剃り下げ(頂を広く剃り下げて両鬢を細く残した髪を言う)は、昔は大貧乏で年貢に詰まって娘

を京の島原に売り、大尽に請け出されて奥様に備わり、婿の御蔭で田も五町、倉も二か所の分限者、同じ

傾城を請ける身ではあるが、我はそなたの御袋に憂き目をみせる、悔しい。あの爺は弦掛け(弦掛け升の

略。対角線に棒を渡した升で、その升を内職に作っている)の藤次兵衛、八十八歳で一升の飯を残さな

い。今年で丁度九十五歳、其処へ来た坊主は鍼医の道安だ、あいつの針が母じゃ人を針を立てているうち

に殺してしまった。思えば母の敵だ。憂きにつけての怨み言。

 あれあれ、あれへ見えたのが親仁様だ、あの捩り(目を粗く織った麻布の肩衣。真宗では寺参りに肩衣

を着けた)肩衣が孫右衛門様か、ほんに目元がよく似ているわいな、それほどによく似た親と子なのに、

詞をも交わせない、これも親の御罰だぞ、お年も寄ったし足元も弱ったぞ、根性の別れであると手を合わ

せれば梅川は、見初めの見納め、私は嫁でござんす、夫婦は今をも知らぬ命、百年も長生きなされた後

で、未来で御目にかかりましょうと口の中で独り言。二人は諸共に手を合わせて咽び泣きに泣きながら嘆

くのだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024年12月31日 11時47分16秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: