草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2025年02月25日
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手柄、手柄、のう市之進、敵討ちの門出にこれほどの吉左右(きちそう、左右は結果、状況についての

知らせ、便り、音信)があろうか。忠太兵衛の指図だ、甚平を連れて行かれよ。

 尤も、言うに及ばぬことです。助太刀して本討手の市之進の名に傷を付けないようにしなさいよ。畏ま

った、お暇申すと立ちい出んとしたところに、十ばかりである旅人が門柱の陰に隠れて奥を覗きながら姿

をちらつかせるのを、市之進が厳しく目をつけて得心がいかないと走り寄ると、中息子の虎次郎が凛々し

げな旅姿である。おのれはこの様で何処へ行こうという心入れだ。小癪者め、と小腕(こかいな)を取っ

て引き出した。いや、父様(ととさま)の供をして行きます。姉さまやお捨は女子(おなご)です、わしは

男、敵討つ親を一人で遣るのは武士でないと、先に立って走り出そうとするのを引き止め、さてはおのれ

を産んだ母を斬るつもりなのか。母様(かかさま)を何で斬ったりいたしましょう。母様を連れて行った



 やい、聞き分けがない。叔父様も父(とと)も出ていけば、祖父様(ぢいさま)祖母様(ばばさま)はお

年寄り、姉や捨は女郎(めろう)の子、そちを後に残すのはもしかして権三めが姿を現した時に切らせよ

うと思って、その用心の為に残すのだぞ。随分と休齋から茶の湯を習い、時々は此処へお見舞い致し、祖

父母のお二人に孝行をして、兄弟達に気をつけて、権三めが来たなら斬って捨てよ。それとも、一人で残

るのが怖いのなら、連れて行こうかと、宥めすかせば、虎は、如何にも一人残りましょう。跡のことは気

遣いせずに必ず手柄を遊ばせと、聞き分けの良い利発者、舅夫婦は目も昏れてしまい目先が暗くなってよ

うな思いで、女子や男がうち揃って選りすぐったように良い子に成人したのに、見たいと思う心も持たな

い母めはどのような畜生なのか。不憫とは思わない、切るなり、突くなり、結局は本望を遂げて貰いたい

ぞ。涙ながらの暇乞い。

 兄弟三人は声々に、権三めは斬り殺し、母様(かかさま)は息災でお連れしてくださいな。さらば、さ

らば、父様(ととさま)と言うのだが、父親の方はさらばと言おうとすれば目も昏れてしまい、胸には



 月に誰、寝てみよとてか臥す、それではないが、伏見とは、舟に託して里の名を挙げてみたのだが、そ

の伏見の里の夕暮に来てみれば、涼の字に似せて、その偏の三水を取った京の字を持つ、京橋に、一つ流

れの禊川(みそぎかわ)、下流のあたりを吹く風も、袂が涼しい権三とおさゐは三日とも同じ場所に足を

止めて、居るに居られない梓弓、伏見にしばらく住み、墨染の秋の桜か、入相(夕暮れ)の鐘にも、明日

を知らずとにかく今日一日も命がつなげたと、今日を限りの命と聞き捨てて、難波の方に思い立って、人



船。うろうろ船)を漕ぎ連れて饂飩(うどん)・蕎麦切り、きりきりきりと押廻し、豆腐・奈良茶と茶を

売るのも此処がほかならない宇治川であり、川水が落ち添って昔を胸に思い返して涙ぐむ女、心中が思わ

れて実に哀れである。

 市之進は御幸(ごこう)の宮(伏見の東方)で、甚平は三栖(みす)の里(伏見の西南方。三洲天王の祠が

ある)にいて、毎日そんじょうそこそこと、示し合わせて甚平一人が京橋の夕日影に船どもを見廻して、

思い切り早く出る船があれば、乗客に目をつけて見廻している。早いのが好きならば此の船、初夜(そ

や、午後の八時頃)が鳴ると出しますよ。おう、大層狭そうだな、狭いことはありませんよ。若い旦那殿

とおか様(おかみさん、の略)とが苫の陰で屈んでおられたぞ。あの傍が広いのでお乗せしましょう。

 いや、居場所は何処であっても構わないが、初夜ではもう遅いぞ、どうせ遅れるのなら明日の昼船に致

そう。そんなら御勝手になさいませ。船はこっちの物で、乗る身はそちら、強制はしません。と言ってい

る間に甚平は船中をとっくりと見廻して、顔は見えないが十のうち十までこれに決まったなと、嬉しさで

足も飛び上がる。相手の両人が自分の姿を見つけてはいけないと、急いで立ち去ると不信を招くかも知れ

ないので意図してゆっくりと橋の上を涼むような顔をして、二三遍行ったり来たりを繰り返して、心中で

密かに神占をしてほくそ笑み、市之進の宿所へ足を飛ばして走ったのだ。

 苫を押しのけて、はっあ、大事の物を忘れた、これ、船頭殿、こちの二人は上げてもらいます。人に頼

まれていた大事な買い物、銀まで受け取り、慌てて乗船したのでとんと忘れていました。上げて下さい

な。して、それは何処まで買いにいかっしゃる。おお、あれは何と言う町じゃ、おお、それそれ、橦木

(しもく)町(京橋の東北にある)のあちらで、藤の森先じゃ、はあ、こなたもとんでもないことを仰る、

此処から何れ程の距離があると思いますか、一里半はござるよ。そのうちに船は出てしまう。上げること

は出来ませんよ、情もなく取り合おうとしない。いや、遅くなったなら構わずに出してくださいな。二人

分の運賃は払ってから上がります。平に頼むと言いながらも、北や南の店先や橋の上から目を離さない。

 此処な旦那殿はそわそわとつまらない事を言う人じゃな、乗せもしない船賃を取っては一分が立たな

い。やはり乗ってくださいな。それは酷いぞ、船頭殿。今のように後から乗り手があれば狭くなります

ぞ。平に上げてくだされよ。頼みますと詫びるけれども、狭いことを気遣いしないで下さいな。明日の朝

大阪まで満足に届ければよいこと。今宵一夜はおか様も胴切りにして、旦那殿も細々(こまごま)に刻ん

で片付けて乗せまする。しかし、これは冗談で、そんな事は気にせずに思う存分に手足を伸ばして、這い

ずり廻ってお休みなさい。そういう言葉も二人には心に掛かるひとつなのだ。

 おさゐは萬に気に掛かり、のう、船頭さん、物には情けということがありまする。人を乗せずに運賃を

取れば船頭の一分が立たぬとかや。我々とても人から銀を事づかり、その買い物を渡さなければどうにも

一分が立ちません。これ、このように手を合わせます。是非とも上げてくだされい。そう言葉を尽くした

ところ聞き分けて、そんなら早く上がりなさいな、ああ、過分、過分、二人手を引き気も急く足元、此方

衆は怪我でもしそうな、雁木(がんぎ、船着場に備え構えた階段)にけつまづき、おか様の大傷にまた傷

がつかないように用心、用心と、常日頃の船頭の冗談も今日こそ胸に堪えるのだ。

 川岸にある旅人の休憩所の床の陰に身を潜めて、甚平がここにあるのだから市之進もこの近辺にいるこ

とは必定、さあさあ、二人の望は叶った。覚悟しようと言ったところ、ああ、それは前から覚悟していま

す。国を出たその夜から夫に進呈したこの命です。惜しいとは思わないのですが、もしもおとうとの甚平

の手に掛ったならば残念な犬死です。甚平を見たならば出来るだけ逃れるのが市之進殿への誠実というも

の。それは私ばかりではなくてそなたの気持でもある筈、こうしてもいられない、今夜は何処かに泊まり

ましょう。

 はて、三栖(京橋の南、中書島の対岸)の端(はな)か油掛(あぶらかけ、撞木町の入口にある町の

名)か、そろそろ京へなりと入ろうかと言う、夕べの空も早暮て、軒端、軒端に点す火は、切子灯篭(き

りことうろう、枠を切籠の形に組み、四方の角に造花をつけて、紙や布などの細く切ったのを飾りに垂れ

た灯篭)種々の花の絵や判じ物が描かれているもの、見世には涼みの芝居噺や踊り子の十二三から八つ九

つの娘、優しや黒い羽織の腰巻に、野郎帽子(やろうぼうし、歌舞伎役者が前髪を落としてから月代・さ

かやきを隠すために用いた帽子。後に一般に流行した)の濃紫(こむらさき)揃う拍子や形(なり)振り

もよく、それ、それそれ、やっとせ、はえいはえい、難波江(なにわえ)の蘆を刈るそれではないが、仮

寝の一夜さえ長い契と結びはしたのだが、許されぬ恋の関の戸を、いっそ止めようと思う山部だが、一期

(いちご)猿丸との誓詞があるので、天智天皇、罰恐ろしく、親の勘気ではないが、管家もそこはかとな

く他所の人丸は頼まれずに、直(じき)に大江の千里を越えて、凄き深養父(藪)の中を押し分けて、た

んだ、ふれふれな、此処で切れな、踊る姿の懐かしや。

 ねえ、あの踊り子を見るにつけて、国の子供もあの年配、生きているのか死んだのか。それとも病で患

ってるのか。可愛や今年は踊らないだろう、離れ離れに成り果てて何処で死んでも浅ましい。子供に死に

水はとってはもらえまい。湯灌葬礼(ゆかんそうれい)も誰がするのか、いっそのことに今死んで、この

灯篭を六道の中有の灯りと迷いを晴らして、せめて未来が助かりたいと歩き歩きの口説き言。

 男も心かきくもり空は今年の日照にも袖には誰が雨乞いをしてくれたのか、袖の上にはわが身の運命を

知る涙雨がしきりに降る。

 市之進が大事にかけて佩く備前国光、運こそ来たれ我妻にこの世の縁は薄いのだが、渋柿で染めた帷子

を高く捻りからげて、甚平とは後先になって引き別れて、夕べの雲、時は冥途の鳥ほととぎす酉の下刻

(今の午後七時過ぎ)運こそ来たれ、北の橋詰で行き合ったのだ。

 笹野言三よ、浅香市之進の妻敵、覚えたか、と言うより早く打ち掛った。おお、待ち受けていたぞ、と

差し上げた弓手の小腕を水もたまらずに切り落とせば、飛びひさって、武士の役目として形ばかりにお相

手致そう。一尺八寸を抜き合わせて刃向かったのだ。

 すは、暴れ者、切ったはったは、喧嘩よ、棒よ、踊り子共に怪我をさせるな。お吉様、おせん様、半

兵衛よ、権介よ、と人を呼ぶやら逃げるやら、隣町八町九丁町、蘇我兄弟が富士の裾野で仮屋に討ち入っ

た際にもかくやと感じさせる。十番斬りの五月闇、夜討ちが入った如くである。

 女は甚平をちらりと見て、望みは夫の切っ先、先に弟に切られては犬死、と暫く身を引いた橋の陰。

 權三が踏み込んで打つ切っ先が欄干に切り込んで、そのまま食い込んだ刀を捨てて、ええ、竹が一本欲

しいところだ。一手を使って鑓の權三と名を取っている印。諸人の形見に残したいものだが。せめて足の

運びなりとも見物せよと、刃を潜る無刀の働きはさすがな手負いぶりだ。

 市之進が一生に一度の業を振るおうと一念を込めて切り込んだ右の肩先、胸板を筋交いにはらりずんど

切り下げられて、猶も身を引かない最後の身振り、まるで紅葉を散らした如くに橋は一面に血が飛び散っ

たが千載一遇の敵同士、踏み込み、踏み込みして五刀切られて仰向け(のっけ)に返したが、武士の死骸

の見事な事よ、逃げ傷はまるでなかったのだ。

 市之進は女を見失い、南無三宝と北に走り、南に戻り、何処へ失せたと小隅を唐猫が鼠を捜す眼の光具

合い。橋の上では死骸がのたうっている。

 折しも、七月中旬で血はとうとうと流れて、月が浮かんでいる伏見川、紅葉の名所の竜田川ではないか

と見紛う程だ。

 甚平が姉を引っ立てて来たので、ええ、助太刀のそちに討たれるのは口惜しい、夫の手にかけてはくれ

まいか。や、市之進ほどの仁、誰が助太刀を討つものかと橋の中に突き出せば、のう、お懐かしやと寄る

ところを片手なぐりに腰の番(つがい、腰骨の関節)きゃらりずんと切り下げられて、あっとばかりに臥

したのだ。帯をひっつかんで頬(つら)を見れば子供が不憫であり、憎し憎しの恨みの涙、胸に浮かぶの

を打ち払ってずんど容易く切り下げて取って引き伏せ、肝先を踏んでぐっと突いた我が切っ先、右の踵を

あなうらかけてずっぱと切れども夢中で気が付かず、直ぐに男は胸板を踏んで、留めはいずれも一刀。鑓

の權三の古身の鑓、瑕も古傷、話も古い。

 歌も昔の古歌であるが、谷の笹原、一夜噺(ひとよさばなし)、その鑓の柄も長き世に御評判となって

伝えられた。





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最終更新日  2025年02月25日 21時06分31秒
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