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草加の爺(じじ)

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2025年12月03日
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関所(せきところ) 停止(ていじ)の事 

それ、四境七道の関所は国の大禁を知らしめ、時の非常を知らしめんが為である。

 然るに今、壟断(ろうだん)の利に依って商売往来の弊(ついえ)、年貢運送の煩いありとて大津、

葛葉の外(ほか)は悉く所々の新関を止められたのだ。      

      元亨の飢饉に窮民を救い、記録書にて訴訟を聞き召さる 

 又、元亨(げんこう)元年の夏、大上に日の干(おおひでり)が地を枯らして田服(てんぶく、王城

の四方五百里の地、畿内)の外百里の間、むんしく赤土のみ有り、青苗(せいびょう)はなし。 餓

莩(がひょう、餓死者)が野に満ちて、飢人(きひと)が地に倒れている。

 この年に銭三百を以て、粟一斗を買う。 君は遥かに天下の飢饉を聞し召して、朕に不徳が有る



徳が天に背いていたのを歎き思召して、朝食偏に向(あさかれい)の供御(天皇の御膳)をやめられ

て、飢人(きにん)窮民の施行(施し与える事)に引かれたことは有難い事である。 これもなお万民

の飢えを助けるべきものではないとて、検非違使の別当に仰せて、当時富祐の輩(ともがら)が利倍

の為に畜積(たくわえため)る米穀を點撿して、二條町に假屋を建てられて、検使自らが断(断っ

て、判断して)値を定めて売らせたのだ。 

 そうであるから、商売(売り買い)が共に利を得て、人が皆九年の畜(貯え)あるが如し。 訴訟の

人が出で来たる時には、もしや下の情が上に達しないこともあろうかと、記録所に出御なって直に

訴えを聞し召し明らめて、理非を決断なれたので、虞芮(ぐぜい、田地)の訴えが停み、刑鞭も朽ち

果て、諌鼓も撃つひとがいない。           

         著者 の 批評

 誠に理世安民の政(まつりごと)、もし、機巧(才知)に付いてこれを見れば、命世(めいせい、世



んは、斉の桓公が覇道を行った。覇道とは権謀や武力で国を治める事。王者・聖人の道を行う者が

忌む所である)を行い、楚人は弓を忘れた故事に叡慮(御醍醐帝の御考え)が少し似ている事であ

る。 是、即ち草創は一天を合わすと言えど、守文(しゅぶん、先祖が武力で得た国を文を以て守

る。即ち。国を維持し治める事)三載(三年)を越えざる所である。 この覇道的で狭量であらせら

れたことが、せっかく天下を併せんがら、これを維持する事三年を越えなかった理由である。ここ



評価されている。        

         立后の事 付けたり 三位殿御局の事          

 藤原示す偏に喜立后 寵なし 文保(ぶんぼう)二年八月三日、後(のちの)西園寺太政大臣實兼公

の御女が后妃の位に備わって弘徽殿に入らせ給う。 この家に女御を立てられたること既に五代、

これも承久以後の相模の守代々西園寺の家を尊崇せられしかば、一家の繁昌あたかも天下の耳目を

驚かせり。 君も関東に聞こえしかるべしと思召して、取り分け立后の御沙汰もありけるにや、御

齢は既に二八にして、金鶏障(金鶏の絵を描いた障子)の下のかしずかれて、玉楼殿の内に入り給え

ば、夭桃の春を傷める装い、垂柳の風を含める御形、毛女偏の牆(もうしょう、麗姫)・西施も面を

羞じ、女偏の降樹・青琴も鏡を奄(おお)う程であるから、君の御覚えも定めし類あらじと思えたの

だが、君恩は紙より薄かったので、一生空しく玉顔に近づかせ給わず。 深宮の中に向って、春の

日の暮難いのを歎き、秋の夜の長恨みに沈ませ給う。金屋(きんおく、美麗の家)に人無くして、

皎々たる残燈(のこりのともしび)の壁に背ける影は、薫龍に香が消えて簫々たる暗雨(よるのあめ)

が窓を打つ声、物事に皆御泪を添える仲立ちとなった。 人生では婦人の身となるなかれ、百年の

苦楽は他人に依る。と、白楽天が書き残しているのも、断り也と覚えるのだ。            

         三位殿の局寵を専らにする 

 その頃、安野の中将公廉(きみかど)の女(むすめ)に、三位殿の局と申す女房が中宮の御方に候わ

れける。君が一度ご覧になられて他とは異なる御覚えありけり。 三千の寵愛を一身に受けたの

で、六宮の粉黛は顔色なきが如き成り。 すべて三夫人・九嬪・二十七世婦・八十一女御・及び後

宮の美人・楽府(がふ、漢の武帝が歌辞・楽律を制定するために設けた役所。ここは日本の雅楽寮

の歌姫を指す)の妓女と言えども、天子顧眄(恩恵)の御心を付けられず。 ただ、殊艶尤態(特別

な優艶な姿態)がひとりよくこれを致しただけではなくて、ただし善巧便佞叡旨に先だって、奇を

爭いしかば、花の下の春の遊び、月の前の秋の宴にも、駕すれば輦(てぐるま)を共にし、幸(みゆ

き)すれば席をほしいままにし給う。 是よりは君王は朝政をしたまわず。忽ちに准后の宣旨を下

されしかば、人皆が皇后・元妃(げんぴ、第一の后、皇后)の思いをしたのだ。

 驚いて見る、光彩が始めて門戸に生まれた事を。

 この時に天下の人は男を生むことを軽んじ、女を生む事を重んじたのだ。

 されば御前の評定、雑訴の御沙汰までも、準后の御口入れであるとだけ言えば、上卿も忠がない

のに賞を与え、奉行も理あるのに非とする、

 関且偏に隹(かんしろ)は楽而不淫(たのしんでいんせず)、哀而不傷(かなしんでやぶらず)、詩人

が採って后妃の徳とする。

 如何かせん、傾城傾国の乱、今に有るであろうと覚えて浅ましかりし事どもであるよ。





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最終更新日  2025年12月03日 19時40分07秒
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