戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年10月27日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
●延暦15年(796)

1月10日、伊予親王に帯剣を許す。
2月13日、伊勢で斎王を務めていた朝原内親王が帰京することになり、
大和国へ頓宮を造営する。
2月25日、南海道が遠回りのため、新道を通すことにする。
3月19日、武芸に優れている者を諸国に推挙させる。
北辰を祀ることを禁じる勅を出す。
4月9日、大学寮の上を飛び去っていった5~6羽のうち1羽が寮の南門の前に落ちた。
鵜(う)のようだが、誰もその鳥の名前を知らなかった。
4月15日、ヒョウが降った。
4月27日、渤海国から使者が来る。

5月4日、吉備魚主を山陽道諸国へ派遣して賊の捜索を行わせる。
5月12日、大雨で洪水。
7月、尾張で飢饉。
7月16日、 藤原継縄が死去。
7月22日、阿蘇の山上にある神霊池の水はどんな天候でも増減することがなかったが、
原因不明で涸れて水位が大きく下がってしまったと大宰府から報告があった。
亀卜と筮竹で原因を占わせたところ、旱魃と疫病の予兆であるとのことだったので、
高齢のやもめなど自活できない者に物を施し、寺ごとに3日間斎戒・読経・悔過を
行うようにとの勅を出す。
また、 京内の市でみだりに人の運命を説いて人心を惑わせる女がいたので郷里へ送り返した。

8月1日、日食。
8月6日、大和国で山崩れがあり、洪水が起こる。東大寺の瑞垣が倒壊。
8月7日、長雨が続くので、畿内の諸社に幣帛を捧げる。
筑後で洪水が発生。
8月8日、長雨により穀価が高騰したため、京内の百姓に物を施す。
8月21日、諸国の地図は古くなったのであらたな詳しい地図を作製するよう勅を出す。

9月1日、男山ののろしがうまくいかないので、適地を選んで設置させる。
10月、志摩で飢饉。
10月15日、桓武の寵愛を受けていた采女・浄成女が死去。
40人の僧侶を宮中に招いて7日間の薬師悔過を行う。

11月2日、陸奥・伊治(これはり)城と玉造塞(せき)の間が遠いので、中間に駅家を置く。
11月8日、あらたな通貨(隆平永宝)を制定する。
11月14日、新貨の流通開始。
11月21日、相模・武蔵・上総・常陸・上野・下野・出羽・越後などから9千人を
陸奥へ移住させ、伊治城の所属とする。
11月22日、安芸国沼田郡の采女・佐伯直那賀女に外従五位下を授ける。

12月4日、貨幣鋳造の原料を確保するため、朝服用の銅装の革帯の使用を禁じる。
12月29日、伊豆国へ配流されていた氷上川継の課役を免除。



え~っへっへ・・・
3月19日の記事で「アレ?」って思った方も多いでしょうが、
すみません、北辰の祭の禁止令、1年読み間違えてました

7月には前回の「諸天の女」と同じように処罰された女性がいますが、
この人は「越の優婆夷」と呼ばれていたそうなので、在家の仏教信者のようです。

北辰の祭の件は1年間違えちゃったけど、「諸天の女」も「越の優婆夷」のように
在家の信者だったろうと佐伯有清氏は語り、いずれの不穏な集まりにも仏教関係者が
絡んでいることから、前回紹介したような政治的措置だったのだろうと


前年もいくつかの自然災害などがありましたが、この年も東大寺が被害を受けたり
阿蘇山上の池の水位が大幅に下がるなど、再び不穏な空気がよどんでます。

また、桓武の身近な人間の訃報も続きました。
藤原継縄(つぐただ)は南家の人で、是公とともに南家を支えた人。
延暦4年の 藤原種継暗殺 以降、式家出身の皇后や妃が相次いで死んだため
式家の勢力がダウンし、代わって南家が勢力を盛り返したようです。

再遷都前頃の 桓武の狩猟ラッシュ の際、時々藤原継縄の別荘などにも
桓武が立ち寄ったりしているので桓武の信頼は篤かったらしく、
そうしたことから佐伯氏は継縄が再遷都に重要な役割を果たしていただろうと


気になるのは、流罪となった 氷上川継 が早くも罪を赦され始めていること。
前回は触れませんでしたが、前年延暦14年の末には川継に連座して
淡路へ流されていた母の不破内親王が和泉へ移されてます。
入京こそ許されてないものの、この時点で不破内親王の「おつとめ」は

これははたして偶然なのでしょうか・・・

不破内親王は娘とともに流されたハズなのに、この年の記述には
不破内親王が移されたとしかありません。
まだ川継の「おつとめ」は続きますが、彼はのち帰京し復位までしてます。
ので、川継は実は「シロ」だったんじゃないかという気もします。

あるいは母と共に流された川継の姉妹はこの少し前に配流先で死んだのかもしれない・・・
前年あたりから漂い始めたミョ~な空気もあって、
急きょ刑の終了や減免を始めたのかもしれないな~ってちょっと想像しました。

ああ、ちなみに11月22日の記事は本筋とは全く関係ないです
ただ、沼田(ぬた)からも女を集めてたのか~ってちょっと笑えたし、
「佐伯」の名前から仁徳天皇に無慈悲な裁定を言い渡されてしまった
佐伯部さんの話を思い出したからさ。( 「三原編(6)」 参照)

佐伯部さんの左遷先が安芸の淳田(ぬた)で淳田佐伯部の祖となったって話だったから、
那賀女(なかめ)も鹿の佐伯部さんの子孫かな~とか妄想してみたり(笑)。



●延暦16年(797)

1月、壱岐で飢饉。
1月1日、大極殿で朝賀。
1月14日、 善珠を僧正に、等定を大僧都に、施暁を少僧都に任じる。
1月22日、 善珠の弟子・慈厚に大和国の稲300束を与える。
1月25日、 山城国愛宕・葛野の両郡では死者が出ると住宅地のそばに埋葬することを
慣習としてきたが、今では両郡とも平安京に近接しているため、汚穢を避ける
必要があるとし、これを固く禁じる勅を出す。
違反者は畿外諸国へ追放とした。


2月、この頃行表が死去。
2月13日、『続日本紀』完成の上表文が提出される。
2月21日、神祇伯・大中臣諸魚(もろうお)が死去。

3月、下総・甲斐・武蔵・土佐で飢饉。
3月2日、相模・甲斐両国の境を定める。
4月4日、大納言・紀古佐美が死去。
4月7日、 山林での苦行で道を修めた4人の僧侶に対し、大和国の稲400束を下賜する。
4月21日、僧正・善珠が死去。

5月8日、宇治橋を造らせる。
5月11日、大和・山城・摂津・河内等の貧しい農民に官田の稲を売り与える。
5月13日、キジが前殿に集まる。
5月16日、武蔵・下総の稲を貧民に売り与える。
5月19日、キジが前殿に集まるという怪異があったので、宮中と東宮で「金剛般若経」を
転読させる。
この日から4日間、東西の京内で洪水が発生し百姓の家が水没した。
5月20日、 早良親王の霊に謝罪するため僧侶2人を淡路へ遣わし、転経・悔過をさせる。
5月22日、この日まで京内での洪水が続く。このため、宮中で仏の名を唱えて薬師如来の
礼拝・供養を行う潅頂経法を行う。

6月16日、近親の死去により解任されたものは復任が認められるまで出仕してはならぬのに、
それを犯した者は身柄を拘束して奏上するよう言い渡す。
6月18日、畿内七道国諸国の名神社へ使者を遣わし、全国の安寧祈願のために幣帛を捧げる。
天皇は朝堂院の前庭まで出て使者を見送った。
6月25日、参議・藤原真友が死去。
6月28日、平安遷都にあたって人民に多大な負担を強いたので、畿外諸国の田租は免除、
畿内は田租の半分を免除とする。ただし、造宮に徴発されていない国は免除なし。

7月2日、晴雨の占いが的中したので、陰陽允・大津海成に布などを下賜する。
7月3日、前年の長雨で山崩れが起こった大和の平群山と河内の高安山に陰陽博士などを
遣わし、神霊を鎮め祀らせる。
7月11日、男女の別を立てることは礼儀の重んずるところであるのに、近頃の愚かな者たちの
会集では男女、上下が混ざりあって区別がない。今後はこれを取り締まるようにせよとの
勅を出す。

8月3日、郷里を離れて浮浪する者や庄を管理する者の悪事が目立つので、
厳しく取り締まることとする。
8月11日、造寺以外の寺院に関わる庶務や僧尼の不正を正すことはすべて講師に委任する。
8月14日、地震・暴風により京内の区画の門や民家の多くが倒壊する。
8月16日、後宮の溝でサンショウウオが捕らえられる。
8月25日、これまで山城国の国府は葛野にあったが、葛野郡の一部が京内に入り
狭くなったので、国府を長岡京の南へ移す。

10月8日、キツツキが前殿へ入るという不審事があり、このため天皇は交野への行幸を
取りやめる。
10月14日、神職である祝部(ほふりべ)が規則通りに物忌みしない時は解任とする
勅を出す。
10月28日、キジが兵衛府に入って止まり、ついで親王の部屋に入って捕らえられる。

12月6日、最澄、内供奉十禅師に選ばれる。
12月14日、大雪。諸司で雪掃(ゆきはらい)を行う。


ふっふっふ、怨霊の活発化とともに元気の出るわたくし・・・
文字数が残り少ないのでページがまたがりますが、ご容赦ください。

え~、この年は奇異が多く、キジが止まったのキツツキが入り込んだので
いちいち大騒ぎです。
まっ、それも心当たりがあるから必要以上に怖れるワケで・・・

この年は都の近くに死人を葬るなとか、近親者の死で解任されて喪に服してた者は
勝手に出てくるなとか、物忌みはちゃんとしろとか、
とにかく「ケガレ」を避ける通達をやたら出してますね。

5月には「キジに念仏」みたいなことまでしたのに、
その日のうちに洪水が起こり京内は水びたし・・・
この恐怖に耐えきれず、翌日には使者を早良親王の墓へ再び謝罪に向かわせてます。

それでも懲りずに狩猟に出かけたりするから、
夏には地震と暴風のダブルで民家が多く倒壊するなどの大惨事まで引き起こしてます

昔の狩猟は薬の原料となる鹿の角の採集の目的もあったといわれるけど、
桓武の場合は明らかに「シュミ」だよな。

だいたい、貧民が稲を買う金なんかあるのか?
ケチケチしないでどーんとタダで恵んでやれば少しは徳も積めたかも
しれないものを・・・(笑)。


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最終更新日  2014年10月28日 08時54分30秒


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