SF拡張の原理

SF拡張の原理

2009.06.20
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カテゴリ: SF

ハーモニー

先ごろ亡くなった新鋭SF作家の第2長編にして最後の長編、なおかつ代表作。
ユートピア/ディストピア小説であるが、この作品で示された進化ヴィジョンに対して作者がいずれに与するかは必ずしも明確ではない。本作の結末においては、人類は個の意識を放棄し、蟻やミツバチのような集合知性(社会全体)の完全な部分となることを選択させられている。そして、すでにそのような存在となってしまった人類の視点から語られる第4章においては、「人類は、とても幸福だ」と結ばれている。もちろんそうなった人類にとってはそういう状態が幸福なのだから、この言葉は真実だ。しかし、幸か不幸かまだそのような状態でないわれわれ不完全な「ヒト」の視点から見ればそれは幸福であるとも不幸であるとも即断できかねる。従前の同種作品群の基本パターンに当てはめるなら、本作のラストは「全体主義に同化することで個の意思決定の自由を放棄するという不幸」を皮肉に表現したものであり、バッドエンドの婉曲的表現であるということになる。
が、作者の視点を最も共有すると思われる主人公トァンは、そのような単純な個人主義、自由主義の視点には(感情レベルでは与しつつも、思考のレベルにおいては)必ずしも立たない。二つの立場の間を揺れ動き、きわめてリアルで哲学的な思考を展開しながらも、最終的には「平然と状況に流される」。この主人公の揺れ動きの果ての諦観は、作者の心的状況をそのまま反映したものだろう。そしてこの点が、過去の同種のディストピア小説群と本書を明確に分けるものだろう。
おそらく作者は感情レベルにおいては、こういった共同体全体による福祉主義、共同体主義の押し付けの空気によって個人が束縛される新しい形のきわめて現代的な管理社会に対して、本能的な不快を感じている。この側面を反映するのが、「生命主義社会」に順応できず自殺を選択する人々の存在だろう(序盤の基本構造は、タニス・リーの「バイティング・ザ・サン」とよく似ている)。そして、本作前半の叙述は、まさに彼らに対する共感を主要な基盤としてなされている。
しかし、過去の同種作品と違い、本作はこの序盤で提示される基調感情がラストまで貫かれはしない。本作中で再三議論されるとおり、作者は「意識など進化上の気まぐれな一時的必要性からでっち上げられた一機能、肉体が環境に適応して自らを存続させるための一手段に過ぎない」という視点に基づく「意識消滅を甘受しての個人の脳機能の全体的合理性への完全一致」の理論を、悩みながらも完全には否定しきれずにいる。というよりも、両者は全く違った相容れない観点から導かれる異なった結論に過ぎず、前提たる立場を止揚した「神の視点」からその優劣を判別し得ないということを、作者はいやおうなく了解させられているようであり、その結果としてこのラストがあるように思われる。小松左京の作品において、不完全な人類と、より完全なる新人類という二つの存在が対置されつつも、小松が個への固執と、より完全なものに譲るべきであるという諦観とをあえて止揚しなかったのと同様の、「不完全なるものが完全なるものを語るときの限界の否応ない受容」がそこにはある。
本書で語られる脳メカニズムに対する理論ディテール(とりわけ中脳の意識のめぐる報酬理論や、現在する報酬を双曲線的に過剰に高評価する傾向の指摘)は、非常に興味深く面白いものだ。作者にはもっと長生きして、より突っ込んだ考察をしてもらいたかった気もするが、逆に余命が短いことを作者が自覚していたからこそここまでの深い考察が可能となったものかもしれない。
本作は物語としてみれば、ご都合主義的な展開や、キャラクター設定の動揺、ディテールの微妙な破綻など、欠点が少ないとはいえない。しかしながらそういった欠点を勘定に入れたとしても、上記したような極めて深刻な「究極の選択問題」に関する議論を、誰にも容易に理解できる分かりやすい言葉で展開した末に、極めて究極的でかつ両義的なエンディングに至っている稀有な作品ということで、歴史に残るだろうと思う。

私個人はといえば、「拙速な進歩は進歩ではない。万物は与えられた条件の下でそれらしく振舞っていれば、ブレイクスルーに達するべきときは勝手に達するものだ」と思っている。現状の人類社会が個と全体、cordとchaosの中間でバランスを取りながら漸進的で環境適合的な弁証法的運動を行っている以上、こういったバランスをとろうという視点から行動決定を行うべく努めるのが最も人類にあってあると考えている。環境との関係において自己の統合性を持続させるべく運動を続けるのが人類を含む生物の実態であり、そして人類が依然として個を基盤とした運動をしかなしえない(ミラーニューロンを介した間接的・擬似的な集団行動も結局は個人運動の集合にしか過ぎず、これを超えるメタな意識は少なくとも私がこれを語っている次元における意識レベルにおいては、存在を確認できない)以上、個の意識次元においては個の環境即応的な生存をできるだけ持続させるためのコードとchaosのバランシング機構のあり方しか追求する意味はないと考えている。この観点からすると、正解は、二つの極論の中間にしかない。





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Last updated  2009.06.20 16:50:31


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