SF拡張の原理

SF拡張の原理

2009.08.02
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カテゴリ: SF



77年発表のノヴェラ。
初期を除くとストルガツキイ兄弟作品の大半は、あるSF的あるいは幻想的不条理設定のもとに、「行動せず堂々巡りする人間のようす」を確信犯的に垂れ流すものが多い。兄アルカージイは日本文学の研究・翻訳家で安部公房を訳したりしているぐらいだから、結構そっち系(カフカ・安部的不条理物)が好きなのかもしれない。ちなみに弟ボリスは天文学者なので、彼らの作品のSF性は弟由来なのだろう。
で、本作も後期作品の大半と同様の、SF性の薄い不条理小説だった。「僕」が別荘を借りて数年来の研究を進めていると、いきなり妻の友人の女が妻の紹介状を持って訪ねてくる。更には隣人の男が翌朝、銃殺体で発見され、「僕」は殺人容疑をかけられる。しかも、妻の友人は夜のうちにいなくなっており、アリバイ証人はいなかった。しかも、「僕」の友人の科学者2人にも各人各様の奇妙な事件が巻き起こっていた。3人は集まり、この状況が意味するものについて議論を始める。そして仲間の一人がこんな説をぶち上げる。「僕」ら3人が発見しようとしているノーベル賞ものの理論が自然の本質に迫りすぎているため、自然のもっている自衛的な作用によって、「僕」ら3人が理論を発見することを妨害するような事件が引き起こされているのではないかと。やがてやってきた妻から、友人を送ったことはないことが判明する。あの女はいったい何者だったのか・・・。
筋書きそのものはミステリっぽく見えるのに、作者特有のやたらユーモラスな冗長脱線文体と、延々と綴られる登場人物たちの議論のためか、サスペンス感はほとんどない。そして、多くの作者の作品と同様、それ以上の真相がほとんど明かされることのないまま、「僕」はあっさり研究から手を引いてしまう。英米エンタメSFでは絶対にありえない、キャラたちの後ろ向きな非行動主義者ぶりがいかにも作者らしいし、旧共産圏SFらしい。不可知論的な宇宙観に支えられた不条理劇と、その中で翻弄される無能な人間観は、レムなどとも通ずる世界観でありテーマ性であるが、比較してみるとストルガツキイの作品のほうが戯画的に描かれている(たとえば「ストーカー」などもそうだった)。
正直な感想を言うと、事件の真相に対する突込みが浅いのが物足りない。もちろん、作者は自分のテーマ性を表現するために意図的に「行動しない情けない主人公」を配して、このような「壁にぶち当たったままそれを乗り越えようという努力一つせず、立ち止まってただうだうだ話しているだけ」の話を書いているわけで、そうとなると何を言ってもお門違いと却下されるだろうわけだが。ただ、この半分の長さでも十分表現できる話だと思うわけで、むしろ半分の長さのほうがテーマの深刻さもかえってインパクトを増すのではないかと思う次第である。
この話に今ひとつのれないのは平板な訳文のせいもあるかもしれないと思い、設定や人物などを変えて同じ話を日本を舞台の短編にリライトしてみようかと読みながら思いもしたが・・・めんどくさいのでやっぱりやめておく。





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Last updated  2009.08.02 22:45:25


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