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「教育ジャーナリスト渡辺敦司の一人社説」2月12日の記事ー改訂諮問の年に③「学習評価」の根源的な捉え直しを-は考えるべき重要な問題提起を含んでいると読みました。心身の余裕が乏しかったこともあり反応できていませんでしたが、このたびごく簡単にコメントし、「学習評価」・「教育評価」に関する過去の拙文を紹介します。> 1)学習評価は、何のためにするのか――。教育の専門家である教師に、そうした問いをするのは愚問だろうか。> 2)しかし定期テストの廃止すら世間を騒がせるだけでなく教育現場にも賛否両論を巻き起こす状況を見るにつけ、本当に評価の専門性が浸透しているのか疑わしく思っている。> 3)評価のための評価では、自分たちの首を絞めるだけの徒労でしかない。> 4)そのための形成的評価〔註〕と、授業評価こそ重視されなければならない。もしもその障害になるとするなら、見直されるべきは指導要録の制度や入学者選抜の方だ。> 5)世間にも、数値による評定信仰がまかり通っている。教育界自身もそうだろう。それを乗り越えなければ、本当の意味で誰一人取り残さない教育は実現しまい。〔註:教育目標に照らして、児童生徒の学習が成立しているかどうかを確認しながら学習指導を行うという意味での「教授・学習過程で行われる確認作業」を「形成的評価」と呼ぶ。〕 以上、引用した項目に番号を勝手につけました。いずれも全くもっともな指摘だと思います。私の場合(幸運にも)「内地留学」の期間(一年)を得たこともあり、教育評価を学ぶ機会に恵まれたのですが、そうでなければ「評価の根底的な問い直し」をめざした教育学の試みなど理解しないままここに至った可能性は大きいと考えます。(一般的にも「評価の専門性が浸透しているのか疑わしい」と感じられるのは当然のこと。) また、4)では「形成的評価」の重要性が指摘されていますが、全くそのとおりでしょう。さらに言うと「子どもは、学校卒業後も伸びていかなければならない存在」であるという意味においては、子ども自身に「形成的自己評価の力」(目標に照らして自らの学びと成長を確認しつつ、学びの在り方を自身で問い直していく力)をつけていくことが大切だと考えます。 以下の二つは「教育評価」「学習評価」を学び要約した内容と、それをもとにして書いた「論文」です。よろしければご一読ください。 2011.12.30 学力とは何か? ~中内敏夫『教室をひらく』~ 2012 年 4月 あるべき学校評価と教育実践評価 以下は「あるべき学校評価と教育実践評価」の抜粋・紹介です。 教育を「つくりかえる」道筋 ~教育評価~教育学者の中内敏夫は、その著『教室をひらく』のなかで、以下のように述べている。「教育の思想は(…)『評価もまた教育でなければならない』という原則をつくりだした。」「指導は大切だが評価はつけたしだという考え方がある。この場合、評価というのは、学期のしめくくりにやる子どもの成績に3、4、といった評点をつける仕事という考えが前提にある(…)。 しかし、評価はそういう場面にだけ顔をだすのではない。授業のひとこまひとこまを進めるにあたって、『わかりましたか』という質問をしない教師はいない。たとえ声を出さなくとも、有能な教師は、子どもの顔色や、ささやきなどから答えに相当するものを読み取ってゆこうとする。(…)それとともに他方では、教材の当否を検討しなおす。授業の目標を再検討する。さらにすすんで学校の在り方を考えなおす。必要ならば、教育政策の変更を要求する。(…)この働きかけている対象(生徒)に対して問いをだし、答えを回収し、その答えを計算に入れたうえで次の働きかけのプランをたてるという、教育的な授業(営み)に不可避の部分こそ、評価の過程なのである。」① そして、戦後当時の文部省も、「評価」の本質を上記で中内が主張するように考えていたことが知られている。② このような評価は何を基準に行われるのだろうか。「教育評価」-「目標準拠評価」という言葉があるように、評価の基準は教育・指導の目標である。〔例:二桁の加算ができる、中国の封建社会の特徴が説明できる、遠近法を使える等々〕 従来用いられていた相対評価が「必ずできない子どもがいるということを前提とする非教育的な評価論である」、「排他的な競争を常態化させて、『勉強とは勝ち負け』とする学習観を生み出す」、「『何を勉強したのか』という問いは希薄化していく」、「『相対評価』のもとで学業不振が起こったとして、その責任は子どもたちの努力不足、才能不足に帰せられてしまう」③として批判され、「すべての子どもたちの学力保障を目指す」目標準拠評価が公的に採用されていった、というのが近年の流れである。さて、このような目標準拠評価(「到達目標論」)の実践的・理論的成果について、中内は以下の点を挙げている(概略)。 1)到達点が明確⇒相対評価と序列主義をのりこえる条件が得られる2)不明確だった発達段階を、目標に向かう段階として具体的にあらわせる3)到達できなかった場合の教材の研究や指導過程の工夫が教師の明確な課題となる4)「教材精選」の目安が得られる など。 もちろん学力が目標に達しない場合はあるだろう。そこで大切なことは、「目標に達しない原因を、本人の資質ではなく学習の条件の方に求め、これを改造していくことである。」つまり、「『子どもの学力が目標に到達していない』という事実を、教材や指導過程の誤りをただし、教室定員や教育費に見られる弱点を正していく方向に活用する」④、というわけだ。3、評価を行う力 ~教育実践評価の視点~ 中内は、「到達度評価を教育過程改造に活用する」という発想(=教育評価)には一種のオプティミズム(楽観主義)がある、と述べる。簡単にいうとそれは、「教えられうる目標(到達点)は客観的に定めることができる」、そして「適切で妥当な評価は可能だ」、という意味での楽観主義である。⑦ 中内も言うように、「オプティミズムはリアリズムと結びつかなければ強い力にならない」。これまで長期にわたって採用されていた相対評価法は、現実の問題として、ある種の「客観性」および「実用性」を持っていたからこそ支持を得てきたのである。 確かに、標準学力テストや「模擬試験」の結果に振り回されることによって、見失われがちな大切な要素(「平和で民主的な社会の形成者」になっていく上で子どもたちが学びうる大切な力)が教育には数多くある。(例えば、クラスメートと話し合いながら「生活文脈」の中で発生するリアルな課題に取り組んでいく総合的な力。)しかし、仮に、そのような大切な力・学び体得した成果が目に見えない(客観的な評価ができない)とすれば、教育を改善していく展望も見いだせない、ということになるのではないか。 教育評価の立場からは、そのような疑問に応えるために、さまざまな評価の方法が示されてきている。〔a 客観テスト(授業単元で最も重視すべき教育目標を子どもたち全員が理解できたかどうかを把握するために作成されたもの)、b 自由記述式(「ある概念に関係のある言葉をいくつか選び出し、配置し、矢印の付いた線で結ぶ」など、知識間の関係づけをみる方式)、c パフォーマンス評価(知識を応用・活用・総合することを要求する「生活文脈から生じる課題」に挑戦させ、作品をつくったり実演させることによって評価する)、d 観察や対話による評価(そのためには子どもの姿を通じて教育実践を生き生きと把握し語る力が不可欠である)、e 日常の学習過程で生み出されるさまざまな作品や評価記録を蓄積して評価する(ポートフォリオ評価)。〔作品等を題材にした教職員と子どもたちとの「検討会」が行われ、子ども自身の「自己評価能力」を高める過程を含む〕⑧ このような様々な方法を駆使した「教育評価」は、当然、以後の教育実践の問い直しや教育条件の整備、当初設定していた「目標の見直し」にも活用されることになる。そして、「教育批評」(例えば日本における研究授業後の研究協議や「実践報告」に基づいた実践分析)を通して「(評価をするための)鑑識眼」は洗練されていく。⑨このような「力」によって、教職員は子どもたちの学習活動の中から「意味のある活動や反応」を評価し、次の教育実践に活かせるようになるのである。(「目標の問い直し」も含めて)〔以上抜粋、以下略、関連する註のみ転載〕①中内敏夫『教室をひらく』藤原書店 135頁( )内は引用者②田中耕治『教育評価』岩波書店 35頁 戦後初期の文部省による「教育評価」の説明(概略)1)評価は、児童の生活全体を問題にし、その発展をはかろうとするものである2)評価は、教育の結果ばかりでなく、その過程を重視するものである3)評価は、教師のおこなう評価ばかりでなく児童の自己評価をも大事なものとして取り上げる4)評価は、その結果をいっそう適切な教材の選択や、学習指導法の改善に利用し役立てるためにおこなわれる5)評価は、学習活動を有効ならしめるために欠くべからざるものである③田中耕治『教育評価』岩波書店 47・48頁④中内敏夫『教室をひらく』藤原書店 49頁(※)中内敏夫は『教室をひらく』のなかで、現場で作成する「指導要録」の様式を改善して、そこに記述される「教育評価」の集積を、指導要領の問い直しの根拠にすべきことを主張している。⑦中内敏夫『教室をひらく』藤原書店 52頁⑧田中耕治『教育評価』岩波書店 147~162頁⑨2024年3月付記 「洗練された鑑識眼」を身につけ、学習の成果を何らかの形で評価・表現し子どもたちに返していくことは、現状において容易ではないという実感はある。にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
2024.03.24
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前回、3.11東日本大震災(原発震災ともいわれる複合災害)=一丸となって向き合う必要があった緊急事態に直面して、野党自民党がとった対応のあまりに大きな問題点の「振り返り」をしました。当時の菅内閣への執拗な攻撃〔含む:菅首相が無理やりに原子炉への海水注入を停めさせたという「安倍晋三議員(当時)の発信したデマ」〕と「復興予算を人質にした駆け引き」(予算を通してほしければ民主党の看板政策を降ろせ)それ自体が許しがたいものだと考えています。 そのような攻撃と駆け引きは結局、永年「原発推進政策」をとってきた自民党の責任を民主党に転嫁するものでしかなかったのでは? しかも自民党は未曽有の原発事故に対して何の責任も取らなかっただけでなく、政権復帰後、脱「原発依存」の方針さえなし崩しにして(60年の稼働も可とするなど)あきれ果てた対応を積み上げています。しかし、現在も双葉町の85%が帰宅困難地域のまま(2024.3.9の報道特集)、甲状腺がんの原因を原発事故の影響として東電を相手どった裁判も行われている、にもかかわらず・・・。3.11を機に「未来」を考えていくためには、福島原発事故の徹底した検証が大切になってくると思われるのですが、そのような検証作業のすぐれた営みとして『検証・福島原発事故・官邸の100時間』(岩波書店)をあげることができます。〔読書メーターのレビュー〕この書籍に関する以前の拙ブログ記事を再掲しておきましょう。〔以下、2012.11.28の記事を再掲〕 これは、朝日新聞記者である木村英昭が、大震災と事故勃発の100時間(3月11日から15日までの5日間)首相官邸で何が起きていたかを、主要人物の証言や関係者への徹底的な取材をとおして再現したものです。 もちろん、各人の記憶には曖昧さがともなうわけですが、首相秘書官など関係する人たちがその場のやり取りについて多くのメモを残しており、それらのメモと複数の証言を照らし合わせてその内容を裏づけていくという、実に根気のいる取材と作業を積み上げています。 著者がそのような徹底した検証に取り組むことになった大きな動機は、原発事故に関するマスコミの報道が「大本営発表」と批判されたことです。そのような批判も意識しながら木村は次のように述べます。 例えば事故の検証は、政府や国会の事故調に任せるのではなく、ジャーナリズムの責任で検証していい(・・・)。何か公的なものによりかかって記事の信頼性を確保する手法こそが〈3.11〉を契機にして読者から投げかけられた批判だったはずだ。私たちが直接当事者にあたり、この事故はこうだったという結論を読者に提示すべきで、揺らいだジャーナリズムへの信頼感はそこにしか醸成されない。(300頁) 以下は、私自身の印象に強く残った部分ですが、いわゆる福島第一原発からの東電の撤退問題に関しても、実名のやりとりが以下のように記されています。 元警視総監の伊藤は応接室でのやりとりを鮮明に記憶している。 伊藤「第一原発から退避するというが、そんなことを言えば1号機から4号機はどうなるのか」 東電「放棄せざるを得ません」 伊藤「5号機と6号機は?」 東電「同じです。いずれコントロールできなくなりますから」 伊藤「第二原発はどうか」 東電「そちらもいずれ撤退ということになります」 その東電幹部は伊藤に「放棄」「撤退」と明言した。政府事故調の「中間報告書」は撤退問題を官邸の政治家側が勘違いしたかのように片づけている。国会事故調も「全員」か「一部」かという問題の立て方から出発している。この問題は全員撤退問題ではないのだ。(…) これは原発放棄事件なのだ。(233)(・・・) 菅に見せられた東電の稟議書の件名はこうだった。 《本部機能移転について(東電側の紙)》 東電は本部機能を福島第一原発に置くことを断念するつもりだった。本部機能といえば作業を指揮する最重要の部隊だ。それを福島第一原発から撤退させるというのだ。(249) 菅や枝野、海江田ら官邸中枢は「東電が撤退する」と聞き、その対応に追われた。(…) 東電は原発のコントロールを諦め、放棄しようとしていた――。これが取材を通じて浮かび上がる事実だ。重ねて言う。この原発放棄事件はこれからの原発の稼働を東電が担う資格があるかどうかを問う、極めて重要な論点だ。(254)(・・・) 原発事故対応の最高責任者は内閣総理大臣である。その首相の座にあった菅には、一切の責任を背負う義務がある。それは言を俟たない。(…) 最高責任者である菅の責任を問うてもなお、今回の事故では、その根底に対応に当たるべき、保安院、文科省、原子力安全委員会といった原子力関連の官僚組織の機能不全が横たわっていたことを見逃すわけにはいかない。そして専門家の責任だ。方針を決定すべき政治家に、適切で十分な情報を与えず、右往左往して口を噤んだのは、事故対応の中心的な役割を担うはずだった原子力に関係する官僚と専門家たちだった。(278) そして、原因企業である東電はどうだったか――。(…)東電社長の清水に会おうと広報課係長の長谷川和弘を通じて取材を申し入れたが、結局応じてもらえなかった。(…) 「俺は二度と過去のことを語ることはない」(清水発言) この事故により県内外へ避難している福島の人たちは今も16万人を超えている。 (279頁 引用は以上) 福島第一原発の事故とその後の経過を通して、電力会社、経済産業省を中心とする官僚、旧来の政治家、多くの「専門家」、そして電力会社からの広告収入をあてにしてきた報道機関が「原子力村」ともいうべき共同体を作ってきたことが明らかになりました。 『検証・福島原発事故・官邸の100時間』から浮かび上がってくるのは、原子力村の住人たちが適切な対応どころか事態の把握さえまともにできず、官邸に必要な情報を上げることも、助言をすることもできなかったという状況です。そして、事故そのものに全く責任をとらないどころか、原発の再稼動と「原発必要キャンペーン」には奔走する「原子力村」。 報道機関のなかから、上記のような「事故検証」(「原子力村」の実態を浮き彫りにする著書)が生み出されたのは注目すべきことです。報道機関や報道人について十把ひとからげに判断することはできないという例でしょう。〔再掲は以上、以下は2024.3.10に付記〕 引用した『検証・福島原発事故・官邸の100時間』によれば、菅首相は東京電力の役員に「撤退などありえない!」と通告したとのこと。また、このルポルタージュの作成者木村英昭は、詳細な検証をもとにこれは「東電による原発放棄事件だ」という結論を述べます。確かに、東京電力の撤退は首都圏に住む全員が避難するという事態=「首都圏機能の崩壊」に直結することを考えると、菅首相が「撤退などありえない」と言い切ったことも理解できるでしょう。 ただし、後で冷静に考えれば実際「撤退は一つの選択肢としてありえた」と思うのです。つまり、事故対応が収拾不可能で「まもなく致死量の放射線が出る」と判断すれば、「たとえ短時間で死ぬことがあっても第一原発に残れ」とは誰も命令できないでしょう。1号機・3号機に続いて2号機の爆発が迫る危機の中、あの吉田所長が「もうだめかもしれない」といったことを考えれば、東電が一時期本気で「撤退」を考えたこと自体を責めることはできない。 しかしながら、撤退を考えていたにもかかわらず、それを事故調査委員会の聴き取りの段階でごまかそうとしたことには大きな問題があります。私が東電を信用できないと考えている主な理由の一つです。なお、2号機の爆発が迫る緊迫した状況については『朝日新聞・吉田調書報道は誤報ではない』に詳しくまとめられています。にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
2024.03.09
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徹底抗戦の方針貫けなかった立憲民主、「腰砕け」の対応に (3.2 読売新聞) 上記リンク先にある読売新聞の記事は、民主党が「裏金問題追及のために徹底抗戦できなかった腰砕け」を揶揄(やゆ)する内容です。今朝ほど目に留まった「見出し」ですが、夕食後、ようやく確認して目を通しました。正直「この記事はいかがなものか」というのが私の感想です。結果「年度内の予算成立」が確実になり、民主党は「予算を人質にして与党と駆け引きする」道を手放したことになりますが、それはよくないことだったのでしょうか。能登半島地震による被災地の状況は今なお深刻で、迅速な対応・復興を進めていくためには、予算成立が4月にずれ込むことに害はあっても益はないでしょう。 もちろん「徹底抗戦しなかった理由」は(読売新聞が指摘するように)被災地への配慮だけではないでしょうが、東日本大震災発生から13年目の3.11が近づく中、2011年前半の「自民党による悪夢のような対応」を鮮明に覚えている私としては、あの時の「野党自民党」がやったことと比べれば立憲民主党の対応は100倍ましだ!と言いたくなります。 被災者による怒りのブログ記事もご一読ください。 「私は絶対に忘れない」ー【東日本大震災の「国難」で、野党自民党は民主党の復興政策案の全てに反対し | 「山と土と樹を好きな漁師」ー21年目のブログ (ameblo.jp) 例えば当時の民主党が「コンクリートから人へ」の方針に沿って導入した制度に「子ども手当」(現在、自民党も少子化対策ということでそれを「復活」させようとしている)がありますが、当時の野党自民党はいったい何をしたのでしょうか。「復興のための補正予算成立を人質にして」、子ども手当など民主党の看板政策の撤回をしつこくしつこく求めたのです。 石破茂幹事長(当時)のもと、そのような駆け引きを繰り返したことを鮮明に覚えています。党利党略のため(「何もできない与党」、「看板政策を次々におろす民主党」というイメージ操作のために)復興予算を利用したのです。未曽有の震災と原発事故に苦しむ被災地への迅速な対応こそ政治の役割だったにもかかわらず。 確かに当時の民主党政権が大震災・津波・原発の大事故という複合災害に直面して、十分な対応ができなかったとはいえるでしょう。しかしながら、きわめて重要な対応の迅速な遂行を徹底して妨害したのが当時の「野党自民党」であったという事実を忘れてはならないと考えます。そしてまた、一丸となって復興に力を注ぐべき時に、「混乱をさらに拡大するような報道姿勢」がなかったのかどうか。(読売新聞だけではありませんが)真摯な振り返り・検証を求めるものです。 「東日本大震災時の菅直人首相の対応がひどすぎた」、というのが読売新聞(「原子力村」の一部?)をはじめ、いくつもの報道機関がひろめた情報ですが、本当にそうでしょうか。よろしければ、以下の記事もご一読ください。菅内閣の英断と、原発事故の「主犯」 | “しょう”のブログ - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)原発と国家 頓挫した官僚の決起 | “しょう”のブログ - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)菅首相は奮闘した?(週刊朝日) | “しょう”のブログ - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)劇場型民主主義、観客型民主主義から・・・ | “しょう”のブログ - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします。一日一回が有効教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
2024.03.03
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