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意見表明や社会運動において「匿名の発信や行動」は当然あり得ます。(このブログの管理人もハンドルネーム)。しかし、同時に「実名での発信や行動・実名での討論が実質的に保障されること」は必要でしょう。2015年、国会で議論された「安保法制」に反対して活動したSEALDsのメンバーが執拗な攻撃を受けたこと、あるいは米国などと比較して芸能人が政治的な意見表明をしづらい日本の現状は気になるところです。 また「匿名・実名問題」だけでなく、個人(フリージャーナリスト)の発信、『週刊金曜日』のような広告収入に頼らないメディアの発信、新聞・TVによる発信をどのように受け止め評価していくべきでしょうか。 私自身が考える大切なことは、多様な発信の「強みと弱み」を評価したうえで、かつ「自らの視点・認識が限定されていること」をよく自覚したうえで」、各種メディアの情報を可能な限り検証しつつ判断することだと考えています。 インターネットも各種報道メディアも社会的共通資本(社会全体にとっての共通の財産、魅力ある社会を維持・創造するために必要な自然環境や社会的装置)のひとつあり、それをどのように「管理、修正」すれば万人の利益(共通利益)に繋がるかを考えながら、可能な道を探り、実践していくしかないでしょう。そのことも意識しながら折りにふれて自分なりに「報道機関への意見」も出していますが、報道内容を判断し、時には意見するためにも「自らの視点・認識のまとう限定性」について自覚することが必要です。それを考えていく絶好の資料として、リップマンの『世論」がありますので、関連書籍・記述を紹介します。 『100分で名著 メディアと私たち』 リップマンの『世論』‐ 堤未果が紹介・コメントしている部分 私たちは、出来事に対して直接反応しているのではなく。目の前の現象と、自分の中にある虚構との混合物である「疑似環境」に反応している。この場合の虚構と言うのは必ずしもフィクションという意味ではない。それは、全くの幻想から科学者が終始意識的に用いる「図式モデル」に至るまでと非常に幅広くなる。 Q なぜそのようなことが起こるのか?「真の(世界の)環境があまりに大きく複雑で、移ろいやすいために直接知ることができないから。我々はそうした環境の中で、それを「より単純なモデル」に基づいて再構成してからでないと、うまく対処していくことができないのだ。 現実の世界は巨大で複雑すぎて全容を正確にとらえることはできない。⇒ 私たちは自分の思いこんでいるイメージを通して現実を見る(分かりやすいし、楽だし、心地よい)。」 今は、インターネットの時代になり、簡単にいろいろな情報にアクセスできるようになったが、リップマンのいうステレオタイプの法則から逃れられない。無意識に、自分の信じている考え方を裏付ける情報ばかりを探してしまう。フェイスブックがわかりやすい例。 物事に対して全く違う二つの解釈があった場合、相互に議論を交わし、その中から更に、第三の視点が生まれていくというプロセスが生産的だと言われる。が、もしそれぞれ自分のイメージを裏付ける情報しか追わなければ、ふたつの世界は分断され、せっかく異なる視点があっても、はじめから議論が存在しなくなってしまう。 人間は集団になると暴力的になるもの。だからネットの世界は単に技術によって、それが可視化されただけだという声もある。 だが、ネットという媒体にはあの時代なかった要素がある。顔が見えないこと、その匿名性。これによって、理性より情緒が加速し、より感情のコントロールが困難になっている。 アメリカで行われたある調査では62%がSNSを情報源にしており、うち44%は政治的社会的意見の形成に関する情報源はfacebookのみと回答。日本でも同様の調査で、十代の若者の 七割がSNSを情報源にしている(台湾など他国でも同じ傾向あり)。この現象は年々拡大している。ネット空間とは、すなわち21世紀の擬似環境。 もう一つ重要なのは、この新しい情報空間を所有する企業の存在。新聞もテレビも雑誌も、ネット情報を含むあらゆるメディアが少数の巨大私企業の影響下にある。新聞と違い、発信する情報に公益性が求められない私企業は為政者にとってどんな存在になるのか? たとえば米国では、googleが政府と協力関係にあった事実が2010年7月にCBSニュースによって明らかにされている。同社はアメリカ当局から要請された4000件以上の個人情報や。約1500件の削除要求に対し、ほぼ全面的に協力。 情報の重要性を一企業が取捨選択⇒表示される順番は変えられ、削除される⇒自分でニュースを選んでいるつもりでも、あらかじめ操作された情報から選ばされている。(選別している側の私企業は、政府から様々な業務を受注し、巨額の契約を結んでいる。) ソーシャルメディア上でつながっている友達の感情や行動が私たちの「ものの見方」を形成している。(個人と思われた発信者が実は政府の委託した企業だった例も:dappi)〔人間は、直接得た確実な知識でなく、自分で作り上げた(与えられた)イメージに基づいて物事を認識・判断を行っていると想定しなければならない。〕 その時、頭の中のイメージに過ぎない世論を出来合いの型にはめて固定してしまうのが、「ステレオタイプ」。ステレオタイプとは、もともと溶かした鉛を型に流し込んで作った版をさす印刷用語。版で印刷したように類型化されたものの見方や表現を意味する言葉としてリップマンがこの本で用いて以来、先入観や偏見を含む社会科学的概念としても使用。 「われわれは大抵の場合、見てから定義しないで定義してから見る。外界の大きくて盛んで騒がしい混沌状態の中から、(・・・)拾い上げられたものを、我々の文化によってステレオタイプ化された形のまま知覚しがちである。」 なぜ私たちはそのような、ステレオタイプに捕らわれてしまうのか?一つ目の理由は経済性、つまり時間や労力の節約。あらゆる物事を類型や図式ではなく、新鮮な目で最後まで見ようとすれば骨が折れる。現代生活は多忙を極め、時間もなければ機会もない。 もし私たちが「経済的側面・効率」だけでなく、哲学的にこの問題を考えたなら話は別だとリップマンはいう。 自分は世界の小さな一部に過ぎず、知性は様々な関連の中で「世界の一面と要素の一部」しか捉えられない。そういうものだと認識すれば、私たちはステレオタイプに対して、より注意深くなり、その先入観や偏見が何処から植え付けられたのかを知ろうとするはずだ。 〔ステレオタイプの特徴〕一、都合よく強化される。現にみているものが我々の予期していたものとうまく一致していれば、そのステレオタイプは将来にわたって一層強化される。二、見慣れないものは排除される。我々の注意は、ステレオタイプを支持するような諸事実に引かれ、それと矛盾するものからは離れる。三、理性的でなく情緒的。ステレオタイプは、愛憎、恐怖、願望、誇り、希望に結び付けられている。様々な事物は何であれ、ステレオタイプにふさわしい感情によって判断される。 さらにリップマンは、当時主要メディアであった新聞が、ステレオタイプとどのように関わっているかを考察し、メディアはステレオタイプをより強化するとして警鐘を鳴らした。 それは、新聞という媒体が発行部数を常にチェックし、読者を消費者としてみる広告主の存在に左右されるビジネスだから。読者をひきつけることができなかった場合や、ニュースの記述に不手際があったりして、読者の不興を買った場合の経済的危険。圧力は、そうした各方面から加えられる。(例:朝日新聞、『吉田調書報道は誤報ではない』)。 真実の働きは隠されている諸事実に光をあて、相互に関連付け、人々がそれを拠り所として判断・行動できるような現実の姿を描き出すこと。社会的諸条件が検証可能な形を取るような場合においてのみ、真実の本体とニュースの本体が一致する。にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)
2023.01.25
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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。ほとんど観ませんでしたが、評判がいいので最終回だけ観ることにしました。印象に残ったのは、未来への希望として北条泰時と「御成敗式目」が描かれていたことです。〔大河ドラマ(最終回)でも「御成敗式目を制定した泰時。(何度も手を汚した義時に対して)泰時が執権だった時代に、御家人の粛清は行われなかった」とのことでした。〕 御成敗式目について中学校以来学ぶ機会はなく、当然、関連する専門書籍など持っていませんが、哲学者、長谷川宏の『日本精神史』に「御成敗式目―新興武士の合理性」(21章)という記述がありました。 以下、comment抜きで抜粋・紹介します。私自身は、興味深く読みましたが、いかがでしょうか。〔『日本精神史』第21章の抜粋〕 この章では、御成敗式目のうちに鎌倉政権の自己意識ないし自己表現を探りたい。 御成敗式目は1232年、執権・北条泰時が評定衆の協力を得て作成・公表した51か条の法典である。〔泰時が弟にあてた手紙〕 「この式目を作るにあたって、一体何を典拠としてこんな条文ができたのか、と非難する人もきっといるはずだ。これこそが典拠だといえるものはなく、ただ道理だと思えることを記したまでだ。(・・・)裁判の基本を定め、身分の上下にかかわりなく、えこひいきもなく採決がなされるようにと、一条一条書きとどめておいたのだ。」 当時は「執権」が最高の権力者だが、その執権を務める泰時が、力の強弱や身分の上下に左右されない「道理」にかなう「理非」をわきまえた成敗(裁判)を願い、そのために自ら式目を制定する。武家政権の革新性と合理性を示す注目すべき事実だ。 第七条と第八条で裁判の二大原則が提示される。第七条では、源頼朝から北条政子の時代までに将軍から与えられた所領は、それ以前の所有者が現れて返還を求めても、返還することはない、と定めている。(・・・)御家人が、勲功によって将軍から与えられた所領は、充分な法的根拠を持つ所有地と見なされる。この七条を「不易の法」と言う。(・・・) 第八条では、一定の土地を二十年以上継続して支配し、年貢を取り立てているならば、書類上の権利いかんにかかわらず知行権を認めると定めている。現場にあって農地経営に実績をあげているものこそが、その土地の正当な所有者だ。これを、「知行年紀法」という。 以上の二つが裁判の二大原則である。 武力を大きな助けとして生み出された現実に根ざしながら、その現実を人々の現に生きる場として捉え直し、そこに一定の秩序と規範を見出し、その秩序と規範を守るべきものとして明文化する知の動き。泰時の道理とはそういうものだ。武力の行使を否定はしないが、武力を大きく包むものとして秩序があり、武力を限定するものとして法があるとするのが道理の立場だ。武力に対する警戒心と批判を内に含む立場で、それが武力を本意とし誇りとする武士政権の中から打ちだされているのが興味深い。武士階層の政治的成熟を示す出来事だ。〔丁寧な目配りと合理的思考〕 京都方に味方したとの情報によって所領を没収されたものについては、味方してないという明確な証拠がある場合、没収地を恩給として受け取った御家人には代替地を与え、当の所領は元の領主に返すべきだ。代替地を与えるのは、承久の乱の勲功に報いるためだ。(・・・) 条文からしても、領地をめぐる訴訟の煩雑さが想像できる。多くの煩雑な事例を裁く基準をどう設定するか。御成敗式目の作成者に課せられたのは、高度な知的作業だった。 「京都方」に味方する者も多かった西国武士、それに対する鎌倉政権の強い不信の念にもかかわらず、西国にあって(父子のいずれかが朝廷方についた場合も)父子が離れて住んでいれば同心したと断定はできないという配慮を働かせる。そうして多くの人々の納得できる裁判基準を提示することが、北条泰時の言う道理の立場に他ならなかった。 変わりつつある現実の動向に目を凝らし、そこに新しい正当制の基準を探し求め、それを軸に社会秩序の安定を図ろうとする御成敗式目が、時代と関わる武士の新しさと積極性をよく示す文書だった。 また。女性が養子を迎えることの可否を述べた23条。 「『律令』では女性が養子を迎えることは許されないが、源頼朝の治政から今日まで、子のいない女性が養子を迎え、その養子に所領を譲渡するのを認めた例は数え切れないほどある。そして一般にもそうしたことが広く行われている。女性の養子をよしとする評議の内容は充分に信用できる。 」 中世から近世にかけて、特に支配層の間では男尊女卑の風が強まっていくが、この時期には女性にも領地の相続権が認められ、養子をとってそれに領地を譲ることも認められていた。御成敗式目は、そうした慣行が現に存在することを確認した上で、その慣行をよしとし、それを裁判上の基準にすると、明記している。農村における男女の共同生活という土着の生活実感が法の制定にあたってもリアルな実感として生きていることを示す条文だと言えよう。(式目全体として「武家政権の主体性」を示す) 思えば、自己の判断に基づく行動という意味での主体性は、すでに『平家物語』において随所に発揮されていたのだった。前に進むか退くか、退路をどう確保するか、敵の動きをどう察知するか、敗北が決定的になったとき、最期をどう迎えるかといった決断をその場その場で求められ、各自がその決断に基づいて行動していた。そういう主体性に支えられていたがゆえに、武士の行動は大胆でもあり、潔くもあった。その姿は、乱世に台頭してきた武士の新しさと生命力を示す重要な一面であって、武士の行動をやや離れた位置で客観的に眺める『平家物語』の語り手にも確実に見えていたものだった。 その主体性がその場その場の主体性というより、道理を踏まえた知的持続的な主体性として現れねばならないのが判決をくだす合議の場に他ならなかった。北条泰時をはじめとする鎌倉幕府の権力者たちはそのことに自覚的であり、自らそういう主体性を作り出そうとしていた。御成敗式目には五十一か条の条文の後に「起請」なるものが付されている。そこで、北条泰時以下13人の評定衆が以下のように公平な裁判を行うことを神仏に誓っている。 「評定の場にあっては、訴訟当事者に対する好悪によって理非を判断してはならない。もっぱら道理に従い、心に思う事を同僚に遠慮せず、権門を恐れることなくしっかり発言すべきだ。」 歴史上、権力はどのような権力であれ、おのれを強化し維持し、拡大しようとする傾向を持つ。鎌倉の武家政権とて例外ではない。承久の乱で京都の朝廷の権力を打倒して間もない時期のこと。政権内部に「権力意志」が燃え上がっていたに違いない。 そうした状況下で、政権自らが道理に基づく法の制定に乗り出し、現実に生きる道理にそくして新しい社会秩序を作り出し、維持していこうとする。土着の農村社会を基盤としつつ、頽廃の色濃い既成の権力に抗って登場してきた新興の武家権力が、その支持勢力たる下層農民や有力農民と太い絆で結ばれていることを示す事実だ。(・・・)現実をリアルに見つめ、そこに生きる道理を汲み取ることによって、秩序の安定を図り、自らの権力も維持しようとする武家政権の素朴さ、みずみずしさは一段と印象的だ。 北条泰時の書簡の一節を最後に引用しておきたい。 「関東の御家人や守護や地頭に広く公開して式目の趣旨を分かってもらいたい。また、内容を書き写して、守護や地頭の一人ひとりに配布し、国中の地頭や御家人に徹底させてほしい。51か条に漏れたものがあれば、のちに追加法として書き出すことにしたい。」 御成敗式目が社会に広く行き渡ることを求める言葉だが、ねらいは権力の強制力の浸透にあるというより、道理に基づく裁判の徹底にあると考えるべきだろう。道理への信頼が御家人や守護や地頭への信頼と重なるところが、武家政権の若さであり、素直さだ。引用末尾の追加法への言及についても同じことが言える。幕府の定めた法もそれを定めた権力もおよそ絶対的なものなどではない。必要があれば、必要に応じて追加すればよい、追加するのがよい。 権力者自身がそう考えるところに新興権力と御家人および農民との近さが感じ取れる。北条泰時にとって、法はそのようにして現実に生きるのであり、そのように法を生かすのが道理を貫くことにほかならなかった。 「御成敗式目」は日本精神史上まれに見る、高度な知性と合理性を備えた法思想の表現であり、政治思想の表現であった。にほんブログ村 ← よろしければ一押しお願いします教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)
2023.01.02
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