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2024.11.22
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「確かに、からだは一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
たとい、足が、『私は手ではないから、からだに属さない』と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
たとい、耳が『私は目ではないから、からだに属さない』と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
しかしこのとおり、神は御こころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
そこで、目が手に向かって、『私はあなたを必要としない』と言うことはできないし、頭が足に向かって、『私はあなたを必要としない』と言うこともできません。
それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
また、私たちは、からだの中で、比較的尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」

長い聖書箇所を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

私は、家庭も学校も職場も社会も国も、聖書のいう「からだ」であってほしいと願っています。
からだに属する一つ一つの器官が、私たち個人です。

個性があり、ユニークで、1つとして同じ個体のいない人間が1つの集合体となるときに、完成した1つの組織となる。

ただの理想的な楽観論だと思われるかもしれないけれど、お互いの得意で、お互いの欠けを補う関係は、互いを受け入れ合う多様性に溢れていると思います。

健常者と障碍者、多数派と少数派、男性と女性。
違いはあるけれど、その違いは区別するものではなく、個性だと思います。
個性的で唯一の1人1人が、パズルのピースのように互いに支えられ、支え合う関係が築かれることを願っています。

身体的、経済的、心理的、霊的。
いろんな支え合い方があります。
私の今日1日の中で、支えてくださった方々に、また、私に支えさせてくださった方々に心からの感謝を贈ります。

ありがとう。






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最終更新日  2024.11.22 00:00:10
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