喜べば喜びが喜んで喜び集めて喜びに来る

Sep 16, 2005
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テーマ: 生き方上手(689)
カテゴリ: カテゴリ未分類
■未来を信じた生き方に学ぶ■

台湾の少年「周大観」くんは、小児がんのため九歳でこの世を去りました。その間に詩作四十二編を残しました。それらの詩には、病という苦難と真正面から向き合って生きつづけた大観くんの気力がにじみ出ています。

「九歳の誕生日」では、自分の成長を夢見て、
次のようにつづっています。

これまで、ぼくは誰とも争わなかった

だけど今、僕は癌の悪魔と闘っている


さらに、大観くんは手術で右足を失います。
そのとき詠んだ詩が

「ぼくには まだ一本の足がある」

でした。


ベートーベンは両耳が聞こえなかった
鄭龍水(ていりゅうすい)は両目を失明した
だけども、ぼくにはまだ一本の足がある
地球の上に立ちたいから

ヘレン・ケラーは両目を失明した
鄭豊喜(ていほうき)は両足が不自由だった
だけど、ぼくにはまだ一本の足がある
美しい世界を歩きまわりたいから


(*鄭龍水も鄭豊喜も、重度の障害を克服した台湾の人)


この詩からは、失ったことへの不満ではなく、与えられた可能性や未来を信じて生きようとする気持ちが伝わってきます。



「先生、看護婦さん、これまでぼくのお世話をしてくれてありがとう。みなさん、一生懸命にやっていただきました。だから、ぼく、みなさんにお礼が言いたいんだ」 と。

 そして両親やきょうだいに向かって、

「ぼくが死んだら、ぼくが、がんばってがんと闘ったことを、ほかのがんにかかった子どもやその両親に伝え、彼らが勇気と強い意志をもってがんに立ち向かってくれるよう伝えてください」

と書き残しています。自分の境遇を、うらむのではなく、むしろ素直に状況を受け入れています。それどころか、親や周囲に対して感謝の気持ちを表している大観くんの姿から、私たちは大切な心のあり方を学ぶことができます。

(『ぼくには まだ一本の足がある』
 宋芳綺著・千島英一編訳/麗澤大学出版会刊より)



僕たちが日常の生活の中で「あたりまえ」と思って気にも留めていないこと。それをありがたいと感謝しているのは、それを失った人達だけなんですよね。当たり前に目が見えること、当たり前に人と話ができること、当たり前に歩けること。感謝の気持ちを忘れたくないものです。





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Last updated  Sep 16, 2005 09:10:03 AM
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Comments

attsu@ Re:「誇り」とは何か ~自分自身の根っこづくり~(09/24) 20代の者です。 最近講演会で今の日本人は…
とうも@ Re:「誇り」とは何か ~自分自身の根っこづくり~(09/24) ふらふらと生きてきた自分によく聞かせた…
auly@ Re:「誇り」とは何か ~自分自身の根っこづくり~(09/24) こんにちは。 「誇り」で検索してこちらに…
ななし@ Re:「誇り」とは何か ~自分自身の根っこづくり~(09/24) この少年の誇りがどれ程 試されているか、…
通りすがりの人@ いやはや 訳あって「誇り」を検索したら、この少年…

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