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本日の夕食は「カレーライス」私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃夏になると決まって「怪談」をテレビで放送したり、人が集まれば幽霊の話になったものです夜にテレビで怪談を観ると、夜中にトイレに行けなくなったのは私だけでは無いと思います。時が経つとその怪談に人々が飽きたり慣れたりしたんでしょうか、今度は本格的に「心霊現象」を取り扱うことが多くなり、今現在ではそうした怖い話の部類はあまり盛んに行われていない気がします。子供の頃というものは、ごく狭い範囲の認識度しかない代わりに、一つのテーマに奥深く影響されるものではないでしょうか。本当に幽霊が存在する事を深く信じ、本気で怖がっていたのですから。夏休みになると従兄弟達と親の故郷で過ごす事が多かったのですが、やはり寝る前などは怖い話で盛り上がりましたし、皆が幽霊の存在を信じていたからこそ、真剣に怖がっていたのでしょう。そして怖い話の後は、何だか「良い子」でないといけないような気がしていたもんです。
2012年07月31日
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本日のおかずは「野菜炒め(キャベツ・にんじん・玉葱・しいたけ・ピーマン)」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃夏休みと言えば、今も同じかも知れませんが「夏の生活」とかいう学習帳が配布され凡そ毎日1ページづつこなしていく宿題がありました。だいたいサボって夏休みの終わり頃に、始業式の一週間前ぐらいから必死でやり始めるのが常で、毎日の天気なども新聞などで調べたものです。それ以外の宿題も結構あったので、数日間は一日中机に噛り付く現象が、私の夏の終わりの風物詩だったのです。
2012年07月18日
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昨日の昼食&夕食は「ひやむぎ&獅子唐の甘辛煮と豆腐」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃夏休みの朝は日本全国「ラジオ体操」であります。私も朝六時半からのラジオ体操に毎日出席してハンコを押してもらうのが楽しみでした。だいたい毎日の出席者は決まっていて、多い時で20人くらいは出席していたと思いますがもう一つの楽しみとして、たまに同級生の女子が出席してくる時などは何故か気分が爽快となって、ラジオ体操も張りきってやってしまう事もありました。ラジオ体操第一が終了してちょっとの間が空く時に周囲を見渡すと、その女の子が来ているわけです。そうなるとラジオ体操第二は動きが活発になるのです。まさに「朝」が来たって感じになるのです。
2012年07月12日
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昨日の昼食は「栗おこわ」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃まだエアコンも無かった時代の夏の夜は、窓だけでなく玄関も開けて寝ていました。扇風機もかけっぱなしで寝ると死ぬと言われていたので、団扇を仰いで眠くなるのを待っていたような記憶があります。時折、窓から入ってくる微かな風と、風鈴の音が多少の気休めになったでしょうか。しかし今思うと、目覚めは意外にもサッパリしていたような気がしますし、蚊取り線香の匂いも特に気にならず、蚊の襲来で朝までボリボリと体中を掻きまくっていた事だけが辛かったものです。
2012年07月10日
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本日の釣果は「キス・15cm 1尾」愛知県渥美半島の堀切海岸一帯では、日曜で天気も良く満潮午前8時12分、中潮という事で釣り人も多く20m間隔で釣り人が配置されていて、目視でも40人くらいは確認できました。西風が強かったものの波は高くなく、まずまずの釣り日和で私は午前5時頃から釣り始めました。2時間ほどはまったく当たりもなく、餌も食わないほど。周囲に釣り人が増え始めた午前8時には両隣の人がキスを連発して釣り上げていました。そこで私もようやく1尾を釣ったものの、その後午前9時に納竿するまでは何も釣れませんでした。 渥美半島・堀切海岸 シロギス 15cm
2012年07月08日
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昨日の弁当は「焼き飯(玉葱・人参入り)」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃七月も半ばを過ぎて梅雨も終わり、夏休み間際になる頃には既に蝉も鳴き始めるものですが住んでいた長屋のすぐ近くに小学校があって、その周辺に植えられたポプラの木々で毎年ジージーと蝉が鳴き、私たち子供は必死で蝉を捕まえに走るのです。今でこそ部屋のベランダに飛び込んできて、向こうから捕まえてくれとやってくる蝉も当時は樹の高い所でしか鳴かず、思うように捕獲できませんでした。蝉の抜け殻などは良く見かけるものの、成虫を手にとって見る事はあまりできませんでした。夏休みになると母親の故郷、俗に言う「田舎」へ良く遊びに行きましたが、夕暮れ時に鳴き始めるヒグラシの声が聞けたりしました。普段はアブラゼミの煩わしいジージーという鳴き声が暑苦しさを増幅させたりしていましたがさすがにヒグラシのカナカナカナ・・・・という音色は夕暮れの涼しさと相まって格別なものでした。いかにも樹の高いところで鳴いているかのような響きで、絶対に手に取る事は無理だろうとは思いましたが、あの鳴き声を聞けただけでも満足だったのです。
2012年07月07日
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昨日の昼食は「ざるうどん」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃猫を飼う場合、今は部屋の中だけで飼う事も多くなってきているようですが大抵は外を自由に徘徊させ、猫の気の向くままに行動させるのが通常の飼い方といっても間違いではないと思います。一度、見るからに可愛いメス猫を飼った事がありましたが、道行く人が「まぁ可愛い」と言うほどの美猫の三毛猫で、「チー」と名付けました。今度こそ長く居ついてもらおうと大事に飼っておりました。美猫の為なのか厳つい風貌のどこぞの雄猫が近づき、お互いの鼻先を微妙に何度もくっ付け合っているのを目撃したことがありますが、これは猫のキスでしょうね。大きくてぶっ細工な雄猫ですが、いかにも喧嘩の強そうな猫で、我が家の「チー」もその風格にコロリと惚れ込んだのでしょう。しかし、美猫薄命でわずか2年そこそこで原因不明の死を迎えました。長屋と長屋の間の狭い所で、何かに殴られたような痕を残して横たわっていたらしいのです。
2012年07月06日
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昨日の昼食は「スパゲッティ」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃飼っていた猫がなかなか外から帰ってこないのはとても心配なものです。小学生当時、我が家に飼われた期間が最長の「ミー」という白黒の雄猫は5年目で行方不明になるまでに数回忘れた頃に戻ってきたような猫でした。その完全に行方不明になる直前も、実は1年ぐらい行方不明だったのです。突然我が家に入ってきた時は驚きました。ちょっと痩せてかなり汚れていましたが家族は皆がミーの突然の帰宅を喜んで、大盛りの鰹節ごはんをご馳走したんです。
2012年07月05日
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昨日の昼食は「味噌ラーメン」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃小学三年くらいだったでしょうか、ひよこを一羽飼っていた事がありました。鳥類というのは卵から孵化して最初に見る動くものを親だと認識するようで飼っていたヒヨコも私が学校から帰ると箱から飛び出して私の後を着いて来るのです。その可愛さ、愛おしさは半端ではありませんでしたので、数日で死んでしまったときは泣きました。そして、裏庭の片隅に手厚く葬ってあげました。
2012年07月04日
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本日の朝食は「赤飯」さて、私が少年だった1960年代から70年代初頭にかけての頃ザリガニやオタマジャクシを飼っている子供が多かった昭和の40年代初頭は長屋住まいの近所では猫や犬を飼う家も多く、鶏の雄叫びも何処からか聞こえてきた環境でした。犬などは玄関先に繋がれていたりして、良く吼えてましたが苦情が出ることも無く真夏の夜などは鍵をかけずに窓や戸を開けっ放しの家が多く、不審者を撃退するにはちょうど良かったものです。最近見かけないスピッツという品種の犬、当時はその白いスピッツが良く飼われていましてうるさいぐらいに良く吠えました。我が家では猫を飼うことが多かったのですが、何度飼っても長生きしなかったり、行方不明になったりし、元来動物が嫌いだった父親の影響で、いつしか飼うと言う事をしなくなってしまいました。
2012年07月02日
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