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SEPC弁当(スクランブルエッグ・ピーマンキャロット)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区の貴公子ガキ大将Aくんは、モテるがゆえに嫉妬も買うんですが・・・・中学2年時に久しぶりにクラスメイトとなった貴公子Aくん。体育の授業での剣道の竹刀をパワーに任せて振り回しておりました。対戦する相手に竹刀を使わせないほど、バンバンと打ちまくるのです。その速さは「剣士」そのもの。どんなものか、私も御手合わせをしたんですが、「ハジメっ!」の合図とともにバシバシバシッと面の頂点に竹刀が降ってきたのです。敵いませんでした。というか、本気度が違うだけで、こっちがムキになれば喧嘩になるような状態と言って良いでしょう。正月には体操部同輩のわがままKくんを伴って、貴公子Aくんと熱田神宮へ初詣にも出掛けました。参拝客の多さに賽銭箱の前までは行けず、柏手を打っての参拝は無理でしたが、大晦日の深夜に熱田神宮まで往復約14kmの道のりを3時間以上かけて歩き、足に豆を作ったのは良い思い出であります。
2019年07月31日
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やきそば弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区のガキ大将だった貴公子Aくんでしたが・・・・小学5年時の体力測定で、私は50m走7秒6の記録を出したんですが、他のクラスであるM谷くん、T木くん、そして貴公子Aくんは記録としてはそれ以下だったので、早速Aくんが「お前が学年で一番早いんだぞ」と言いに来てくれた事があります。そうです。記録的にはナンバー1になったのです。ところが、その年の秋の体力測定では他のクラス担任が我がクラスに来て、担任に「うちのクラスで7秒2を出しました。」とか言って自慢しているのです。きっとM谷くんか誰かが実力を発揮したのでしょう。私の天下は短いものでした。中学入学時にも貴公子Aくんは他の生徒に「あいつは背は小さいがメチャクチャ速いんだぞ」と私の居ない場で私の評判が上がるように、色々と持ち上げてくれた人物でした。ただ、モテすぎる風貌ゆえか、血の気の多い輩からは不評だったAくん。その自信に溢れた言動が嫉妬を買ったのでしょう。中学2年時の町内会ソフトボール大会の練習試合で、貴公子Aくんの試合に挑む姿を観た私の兄は「なんだ?あいつは。格好つけやがって・・・・」と終始ぶつくさと文句を私に言うのでした。
2019年07月30日
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焼きそば弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区のガキ大将と言えば、貴公子Aくんなのですが・・・・H学区の面々と比較すれば、流石のAくんも風貌以外は目立たなくなってしまうんですがそれでも小学生時代は俗に言う「やんちゃ坊主」そのもので、扱いにくそうには見えました。小学4年の時に初めてクラスメイトとなったんですが、貴公子Aくんは様々な面を認められて学級委員になったと記憶しております。記憶違いであっても他の学年で数回は選出されていたでしょう。やんちゃであっても弱い者イジメをした場面は観た事がありませんし、私が机の中で嫌いな給食を隠して腐らせた事件の時も、学級委員として注意を促されたAくんでしたが、落ち込む私にはキツイ言葉はかけませんでした。むしろ遠慮がちに「だめだぞ・・・・」と言っただけでした。
2019年07月29日
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焼油揚げ弁当(鰻のタレ)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区の御三家の中で割と縁のあった貴公子ガキ大将Aくんでしたが・・・・Aくんとは小学4年と中学2年でクラスメイトでした。また、体操部の同輩でもありました。初めて貴公子Aくんの存在を知ったのは小学3年の時に行われた学芸会の時です。他のクラスだったAくんでしたが、当時人気のあった藤子不二雄氏原作の「怪物くん」がアニメ放映されており、それを模した寸劇をクラスの出し物としてAくんらが舞台で演ずるのを観た時でした。Aくんが主役だったかどうかは記憶にありませんが、それぞれが自前の衣装を用意して楽しそうに演じていたのが印象的で、特にAくんは劇の最後に出演者全員で歌う「怪物くん」の主題歌を一番元気良く歌っていたので「誰だろう・・・・あれ」などと思ったものでした。
2019年07月28日
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うどんツナクリームソース弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区の御三家の一人T木くん。抜きんでるのは背丈だけではないのですが・・・・中学ではT木くんが部活で活躍したという記憶がありません。おそらく勉学に集中していたのかも知れません。ただ、やはり中学の体育祭でも一際背丈のあるT木くんが走ると、その速さとデカさにどよめきが起きたのは覚えております。まるで体育教師が力を抜いて軽く走っているような感じでしたね。それでも速いんですから。で、もうひとりの御三家は言うまでもない貴公子ガキ大将Aくんでありますが、やはり勉学・運動・ハンサムの三拍子に加えてミラクルパワーの持ち主なのです。この貴公子Aくん。当時28歳ぐらいの体操部の顧問G先生と腕相撲をしても良い勝負だったと噂で聞いた事があるくらいのパワーだったのです。
2019年07月27日
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ひやむぎ味噌汁&牡丹餅さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区御三家の一人、T木くんは足も速ければ九九計算も速いのですが・・・・たしか小学3年生の時だったと思います。私は卓球部に入り、日々練習を積み重ねておりましたが、単純なラリーぐらいしか上達せず先輩方が放つような幾種類もの変化球サーブが身に付きませんでした。やがてその卓球部にT木くんも入部し、みるみる上達して短期間のうちに技術を習得したのです。T木くんに対し、顧問が特別に練習を付きっきりで指導し始めたので、私らは放ったらかし状態。不満が募って練習をサボるようになったので、担任が怒って体育の評価を5から3に落としたのです。クラブの事で体育の成績を落とされる不条理に、さほど腹は立たなかったんですが、顧問にはもう少し平等に接してほしかったと思ったものです。結局、変化球サーブを覚えられないまま、私は卓球部を退部したのです。
2019年07月26日
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さば蒲焼き弁当(缶詰)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区の御三家の一人、T木くんに小学生の頃、運動会で抜かれまして・・・・小学2年の頃でしたが、算数では九九を習う時期があり、それが苦手だった私は父親に激怒され姉と兄から九九の暗記特訓を受けたのです。それでも宿題で出された九九の計算は答えを出すのに時間がかかっていました。それをT木くんは宿題として出された20問くらいの計算を、その場でスラスラと次から次へと答えを書き出すので、あっという間にその場で宿題が終わってしまいました。ふたケタとひとケタの掛け算もサッと答えを出してしまうのです。今でこそそれくらいの事は私でもできますが、8歳の私にはT木くんが超能力者に見えたものです。あと、T木くんには3つ年上のお姉さんが居たのですが、その美しさには参りました。殆ど見かける事は無かったんですが、我が家の姉たちと比べ物にならないくらい、少女漫画から出てきたような、異国の雰囲気を漂わせたその美貌に、あんなお姉さんが欲しいと本気で思いましたね。
2019年07月25日
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餃子弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区のスプリンター御三家、M谷くんの次はT木くんですが・・・・そのT木くんは背が高く、中学1年入学時に172cmありました。私とは小学2、3年がクラスメイトで、後は縁がありませんでしたが、運動会ではちょっと悔しい思いをさせられた事があります。6年生の時だったか、秋の大運動会で紅白リレーか、もしくは町内対抗リレーだったと記憶しておりますアンカーだった私は3位ぐらいでゴール10m手前まで来た頃、歓声が大きくなってきたので「これは僕の速さにみんなが喜んでいるな」と、内心得意になっていると、ゴール寸前でT木くんが私を抜き去ったのです。そのT木くんの速さに「追い抜け、追い抜け」と観衆が騒いでいただけなのです。大会後にみんなの期待に応えられず、最後に抜かれるという屈辱に打ちひしがれました。その数日後の体育の日にも町内会の運動会があって、同じ目に遭いました。ただ、その時は前走者が差を広げて居てくれたおかげで、抜かれはしませんでしたが、屈辱の大歓声は同じように起きてきて、T木くんがすぐ横まで迫って来たのでした。
2019年07月24日
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たらこ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区のスプリンターM谷くんは、中学でも走力はトップでしたが・・・・たしか市民スポーツ大会か何かで好成績を出し、朝礼でM谷くんは表彰されていました。その時の記録が100m走で11秒台だったと記憶してます。決して陸上ではなく、軟式テニス部所属だったと思いますが、走力を見込まれての臨時出場だったのではないでしょうか。その脚力を証明するかのようなM谷くんの太腿は異常に太くゴツゴツしており、運動会の時に活躍するM谷くんを観て理科担当の女教師M先生が「M谷くんの太腿はサッカー選手並。だから速いのよ」と自慢げに言ったのを、私は嫉妬しつつ聞いたのを覚えています。
2019年07月23日
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パスタサンド弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区のスプリンターとは幼稚園時代からの同胞でしたが・・・・スプリンターM谷くんとは殆ど会話した事がありません。幼稚園と小学1年から3年まで同じクラスだったと記憶してますが、小学2年の時に双子の女子児童からハンサムだと褒められて照れていたM谷くん。それを見て居た私はちょっと嫉妬していましたが、逆に双子と同じようにM谷くんを「ホントに凄い。走っても速いし」と褒めてやると、「うるせぇ」と照れながらM谷くんは私の腹部にパンチを見舞ったのです。まぁ物凄く利いたパンチでして、冷や汗が出ましたが平静を装いました。その頃でしたか、一度だけ他の同級生とともにM谷君の家へ遊びに行った事があるのですが、我が家と同じくらいの小さな家でした。しかし、M谷くんは当時児童らの垂涎の的だったレーシングカーセットを持っていたのです。私としてはプラモデルみたいなレーシングカーが部屋一面に設えられたサーキットコースを走るだけのものには興味は無かったんですが、こんな高価な物を買ってもらえて、両親から大事にされていた事が良く分かったものです。
2019年07月22日
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たこ焼きサンド弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区出身のスプリンターは、おそらく中学でもトップだったと思いますが・・・・そのスプリンターM谷くんは、幼稚園も同じ組だったとはいえ、あまり親しかった訳ではありません。幼稚園時代、担任の先生が勝ち抜き形式の駆けっこを提案し、所属した「さくら組」の園児らを次々と破った私に敵うものは居なくなったのです。しかし、先生が「もう他に走っていない人は?」との問いかけに、そのM谷君が手を挙げたのです。最後の一人かと思い、軽く勝ってやるかと走ってみると、なんと私の1メートル前を走っていくではありませんか。私は途中で走るのを止めてしまうぐらい悔しかった覚えがあります。なんという屈辱でしょう。よりによって走り忘れていた園児が私よりも速かったなんて。最後に落とし込めるという神様の悪戯は、6歳の園児にはキツイ仕打ちではありませんか。
2019年07月21日
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カツサンド弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代スーパースターが揃って居たH学区でしたが・・・・
2019年07月20日
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ドライカレーうどん弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代環境のせいなのか、それとも小学校時代の教師陣の違いなのか、あまりにも差があったのです。
2019年07月19日
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たらこ中華弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性の際立つH学区の中学二年生時代二年生になってからではなく、入学してすぐにH学区出身者が個性豊かなのに気が付いたんです。番長O君は入学時こそおかっぱ頭で如何にもやんちゃお坊ちゃんに見えたものの、すぐに暴れん坊と判り二年生時には怖い者なしの風格が漂ってました。陰の番長O君はと言えば、元は我がC学区に小学二年の時越してきた人物で、すでに大柄で威圧感がありましたが、すぐにH学区へと越していったのです。喧嘩っ早いM君は中学1年生時に同じクラスで体操部同輩ですが、小学時代の武勇伝を気持ちよく話すので、凄い凄いと聞いていたらすっかり打ち解けてくれたおかげで、1年生時のクラスで物凄く暮らしやすくなったのです。そのM君が「不良」だと影の番長の友人T君に言われて激怒し、教室の前で掴みかかっていた所を影の番長O君が近寄り一言「やめろ」。「うわっ」とそれまで威勢の良かったM君が引き下がったのです。それを見て居たH学区出身の人が、「Oはいつも喧嘩を止める」と、陰の番長O君の日頃の勇ましさを教えてくれたものです。あと、体操部同輩で1、2年でクラスメイトの我が儘K君も、新友人M君やI 君、スケバン気質充分のK子さんもH学区出身。そして、初対面時こそお転婆でおしゃべりなだけの女の子と思って居た不思議貴婦人少女SさんもH学区出身で、私は徐々にその品格の良さに吸いこまれていったのです。このように、H学区出身者は我がC学区には居なかった存在ばかりで、一枚も二枚も上の人達に翻弄されて行く日々だったのです。
2019年07月18日
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五目御飯&ウインナーと野菜炒め弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代陰の子供会会長O君に番長O君、そしてもうひとりのO君が居たんです。番長O君は私が思うに生まれながらの強気な人間で、家庭や世間に対しての反抗ではなくそもそも喧嘩好きな人間だったのではないかと思います。同じクラスになった事は無いんですが、時折なにやら人と問題を起こして因縁を付けて居る場面を見かけた事がありました。何かの提出の為に職員室の前で順番待ちをしていた時でした。私の前に並んでいた真面目そうな生徒の横に番長O君がやってきて、「何をしている?」と聞くのですがその真面目な生徒は我関せずで適当に返答するので、番長O君があれこれと難癖を付けて今にも殴りかかる勢いで言葉で攻めていたのです。それでも真面目な生徒は毅然と対応したので、意外にアッサリとO君は「あ、そうですか。どうもすいませんでした」と、”覚えとけよ” といったような含みを持たせた言い方をして去っていったのです。こっちとしてはヒヤヒヤしましたが、それとは関係なくもうひとりのO君と言うのは1年生時は同じクラスで、番長O君や喧嘩っ早いM君と同じ小学校のH学区出身。これまた厳つい風体で高校生に見えるくらいの人物でして、M君も認める猛者。番長O君たちとは違って徒党は組まなかったもうひとりのO君。ややこやしいので影の番長O君としましょうか。
2019年07月17日
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五目餃子弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代陰の子供会会長O君とは似ても似つかぬ番長O君ですが・・・・入学したての校内説明会の時に、初めて番長O君を目にしました。入学時の私の身長は140cmで、それよりも少し大きめの150㎝ぐらいだったO君、おかっぱ頭の坊ちゃんのように見えましたが、その説明会の教室の後ろでふざけながら誰かの首を絞めて遊んでいたので当時はまだまだ根拠の無い自信があった私は、それを止めようかどうか迷っておりまして、もうちょっとで「やめたれよ」と偉そうに言う寸前でO君は首絞めの手を離したのです。後にO君が暴れん坊な事を知り、「何もしなくてよかった~・・・・」と胸を撫で下ろしたものです。体育館にあった平均台の上を軽々とピョンピョンと跳ねたりして遊ぶO君は、運動神経も良かったのです走れば1500m走でいきなりトップを突っ走ります。最後は実力者に抜かれるのですが、持久力の無い私には脅威の存在である事が段々と分かってきたのです。
2019年07月16日
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梅シソおにぎり弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代貴公子A君と喧嘩っ早いM君は衝突後・・・・M君の仲間である番長O君は、我々の体操部先輩で主将でもあるS本さんに因縁を付けたのかそれとも先輩S本さんがO君に何か注意したのか定かではありませんが、M君はA君を助っ人にその現場へと向かったのです。そこでどのような解決がなされたのかは、A君もM君も教えてくれませんし、こっちも聞きもしませんでしたが、次の日に先輩S本さんとO君がちょっとした会話をしている所を見かけ、その様子からすると和解したのだなと理解できました。喧嘩っ早いM君がいち早く貴公子A君を頼った所をみると、それなりにA君を認めている部分もあったのだなと思いましたが、先輩と言えば中学生の後輩と言う立場からすれば神とは言わないまでも絶対に逆らえない存在ですので、体操部以外の者とはいえ流石のM君もO君の大胆不敵さには敵わなかったようです。
2019年07月15日
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ハム&塩揉み茄子弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代貴公子A君と喧嘩っ早いM君は衝突はしましたが・・・・喧嘩っ早いM君には小学時代からの仲間である番長O君がいました。その番長O君をはじめM君もその他の仲間も、決してグレているという感じではなく、持ち前の強気、負けん気が人一倍どころか人十倍もありそうで、そのパワーの置きどころが無くて衆から抜きん出ているという感じでしたので、髪の毛を染めるだとか、学生服を奇抜なものにしていたわけではなく、基本にバンカラ精神があって、そこから風体が固まってきていた気がします。ですから「陰」ではなく「陽」の不良とでも言えましょうか。しかし、いくら「陽」でも私には近付き難い存在ではありました。貴公子A君と喧嘩っ早いM君が衝突して数週間後か数か月後かは定かではありませんが、体操部練習中にM君が血相を変えてA君を呼びに来ました。「おい、A。ちょっと来てくれ。OがS先輩と揉めてるから・・・・」と、貴公子A君にM君が仲間の揉め事の仲裁としての援護を求めに来たのです。
2019年07月14日
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うどんカレー弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代貴公子ガキ大将A君と喧嘩っ早いM君との取っ組合いが始まったんですが・・・・誰が止めに入ったのか覚えがないんですが、おそらく先輩の誰かが来て止めたのだろうと思います。M君は立ちあがって再び練習を再開しようという感じの中で、喧嘩の経緯を説明していました。「喧嘩は両成敗だろう? だったらどっちも悪いんだからさ」と、謝罪とかではなく、同罪としてサバサバとM君は述べて居ましたが、それとは対照的に体育座りをして放心状態のA君は、よほど悔しかったのか、うっすらと涙目ではありました。その辺りは多分喧嘩慣れしたM君の面目躍如かといった雰囲気ではありましたが、貴公子A君の純粋な部分も垣間見えました。その日はどのようにして収まって練習を終えたのか記憶にありませんが、二人の間では不完全燃焼として問題を燻らせていたかも知れません。
2019年07月13日
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ツナマヨ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代貴公子ガキ大将A君と喧嘩っ早いM君。ともに良くモテる体操部の同輩でしたが・・・・やはり貴公子A君の方が美男子の部類だったので、何かと嫉妬を買いやすい存在ではあったでしょう喧嘩っ早いM君もモテるとはいえ、A君の事はどこか気に入らない存在だったと思います。そんなふたりがハッキリとぶつかる日がやってきました。体育館が使用者満員の時などは校内中庭でも練習ができるスペースがあって、鉄棒を設えて練習している時でした。鉄棒練習の時には滑り止めとしての白い粉末、炭酸マグネシウムを手の平などに付けるのですが、それをA君の顔にかかるようにM君が粉の付いた両手をポンポンと叩いたらしいのです。それ以前から気に障るようなM君の行為をA君としては感じて居たのかもしれません。私は鉄棒から少し離れていた所でマット運動をしていたんですが、穏やかならぬ気配があったのでその方向を見ると、A君がM君を仰向けにサバ折りで押し倒して馬乗りになっていました。近くに居た同輩K君が「やめろよ・・・」と止めているのですが、下になったM君がA君に右フック一閃微動だにしないA君。私はA君のパワーを知っているので、このままM君はボコボコにされるんでは?と思って観ていたんですが、喧嘩というものは感情の絡み合い、思うようなパワーとか技を両者とも発揮できないまま、しばらくは髪の毛を掴み合っての団子状態で膠着していたのです。
2019年07月12日
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赤ウインナー&野菜炒め弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代喧嘩っ早いM君と貴公子ガキ大将A君はあらゆる面でライバルと言えます。当時の市の中学体操競技は床・鉄棒・跳馬の三種目で、規定演技をどんなに完璧に演じても10点満点は出ません。それなりの難度ですのでせいぜい9,0どまりだと考えてもいいと思います。貴公子A君と喧嘩っ早いM君は鉄棒と床が得意で、試合の翌日には朝礼で何時も二人が表彰されておりました。団体としても3位か2位で、私も表彰の為に全校生徒の前に立った経験がありますが、やはり個人的な表彰には憧れたもんです。A君とM君は種目別でも個人総合でも表彰されており、技の難度ではM君が、美しさではA君が優っていたように思います。ふたりとも体操競技選手としては170cm越えの大柄でありますが、腕力はダントツでA君でしょう。子供会ソフトボールにもA君は参加し、私の子供会とも戦いましたが、その打力には舌を巻いたものです打撃練習の時に見たA君の弾道は、低いライナーで100mは飛んでいたでしょう。そんな腕力は喧嘩っ早いM君には無かったと思います。
2019年07月11日
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2019年07月10日
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うどんボロネーゼ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代体操部同輩の貴公子ガキ大将A君にはライバルがいました。「ライバル」が適切な言葉かといえば、難しいところですが、その相手とは1年生時に私と同じクラスだったM君です。Mというと新友人もMであり、紛らわしいので喧嘩っ早いM君とします。その喧嘩っ早いM君はH学区出身で、これまた喧嘩っ早いO君や洋楽に興味のあるY君などと徒党を組む要するに後に番長グループと呼ぶにふさわしい彼ら。O君と言っても影の子供会会長O君とは別人でありこれも紛らわしいので番長O君としましょう。で、喧嘩っ早いM君と貴公子A君はともに女子から良くモテた存在であり、体操部の試合をよその中学体育館で開催すれば、よその中学の女子生徒が何かしらのアプローチをA君やM君にしてくるのです。もちろん、我が中学の女子生徒の中にも、A君やM君を目当てに試合を見に来ていた者もいました。
2019年07月10日
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塩もみ茄子弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代同じ小学校、C学区出身の貴公子ガキ大将A君が起こした先輩胸ぐら掴み事件のせいでそのとばっちりを受けたわけですが、A君のおかげでの恩恵も受けた事があります。A君は俗に言う「良い男」なので、女子生徒が放っておく訳がありません。バレンタインデーともなれば複数の女子からのチョコレートを貰っていたようです。クラスで大人しめの子からも貰ったんですが、「あいつは俺の事が好きだったのかぁ・・・」とA君は自慢げに言ったものの、相手に対する恋心は全くありません。「これ食べる?」と言ってもらったチョコレートを私にくれるのです。結構良い思いをしました。美味かったです。しかし、A君に思いを寄せて渡した女子の気持ちを思うと、A君も罪な男です。そして私自身、本命チョコをもらえない立場としても複雑な気持ちもありましたね。いまだに本命チョコは貰う事が出来ておりませんが・・・・
2019年07月09日
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みそかつ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代体操部同輩の貴公子ガキ大将A君は、決して不良ではなく、どちらかと言えば崩れ気味の優等生とでも言えましょうか。勉強をしている風には見えなくとも成績は良いし、スポーツは上級。それなりの施設で鍛え上げればオリンピックも夢ではなく、球技でも極めればプロ野球でも活躍できた逸材であろうと思いますが、それを目標とできる先人の不在や環境が整っていなかった地域では、才能あるA君を非凡の中の凡人として埋もらせるしかなかったのでしょう。そんなA君が体操部先輩の一人Eさんに凄んで胸ぐらを掴んだその因果が、後に私に降りかかってきたのです。先輩Eさんの名前は定かではないのですが、通称として「エロ」が付いていたのでEとしますがそのEさんと校内のトイレでバッタリと出くわし、いつものように愛想よく挨拶しますと、「ちょっと顔を貸せ」と普段とは違って雲行きが怪しいのです。「お前は俺以外の先輩に対してなら、○○先輩とか、ちゃんと言うだろ?」「はい。」「なら、なんで俺の時には苗字ではなく下の名前で呼ぶんだ?」「それはみんながそう呼ぶので・・・・」「歯ぁ、食いしばれ。いっぱつ殴る」「え?なんでです?」「お前以外の後輩も俺の事を馬鹿にしてるだろ? お前を代表して殴る。歯ぁ、食いしばれ」と、こんな感じで凄まれ、ニヤニヤとはぐらかしていて余裕もあったんですが、段々と深刻な精神状態となってきたところで、Eさんも察したのでしょう。「うそ、ごめんね。冗談だよ」と、いつものように愛嬌よく笑顔で去っていきました。やれやれ・・・・なんで私がこんな目に遭うのかなと、少々悔しかったな。
2019年07月08日
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玉子丼弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代体操競技をする人は大凡小柄な体躯の人が多いのですが、体操をすると背が伸びないわけではないと思います。小柄さを利用しての選択に過ぎないと思います。身長を伸ばすのならバスケットとかバレーボール、水泳などをやれば良かったんですけどどうしてもバク転に憧れていたので、体操部に所属したんですけども・・・・同輩のC学区出身のA君は、体操部の中では身長が高い方で、170cmは少し超えていたと思います外見は優等生タイプなんですけど、おとなしめのC学区出身の中では貴重なガキ大将だったとも言えますガキ大将と言うとドラえもんに登場するジャイアンを思い起こすんですが、全然違ってA君には気品があり、どことなく「貴公子」を思わせる風貌でして、それに反して多少やんちゃな面があったのです。二年生ではA君と同じクラスとなり、早朝練習がある時などは自宅まで呼びに来てくれて、一緒に通学したもんです。クラス内でちょっと品行の悪い者が居ると、その子の天敵となるA君。口論に発展するまでもなく、A君が凄めば大人しくなる、といった展開を良く見かけましたし体操部の先輩にあまり練習に出てこない小柄な人が居たんですが、A君は後輩であるにも関わらずその先輩と運動場で出くわした時に、何か身体が触れたとかで「この野郎」と言って先輩の胸ぐらを掴みあげていた現場にも遭遇しました。先輩とは言えA君に怖気づいて大人しくなっていましたが、それにしても大胆な事をするなぁと思って感心はしませんでした。
2019年07月07日
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焼きそば弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、伸び悩みの中学二年生時代子供の頃は学業よりもスポーツの素質があるだけで尊敬の的だったんですが・・・・
2019年07月06日
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うどんミートソース弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、子供会会長だった中学二年生時代子供会ではソフトボールに染まる夏休みでしたが、中学生活でも球技大会などでソフトボールは欠かせない競技でした。球技大会に向けて放課後だったか夏休み期間だったか定かではないのですが、クラス内のソフト参加者で練習をした記憶があります。全員が集まったわけではない中での実戦形式の練習試合で、7人対7人というような変則的なものでしたその練習中に新友人M君がフライを取り損ねて眼鏡を壊してしまった事がありました。近くで守備をしていたスケバン気質充分のK子さんが心配そうにM君に声をかけたのですが、その以前にK子さんから小学生時代にはM君が嫌いだったという話を聞いていたので、「なんなんだよ・・・」と優越感を崩された気分になりましたそりゃそうですよ。私も何となく新友人M君やI君を気に入っていなかったので、K子さんもそう思うのも当然だろうと勘ぐっていたんです。何だ、結構やさしいじゃないか、とは思いましたが、ちょっと嫉妬しましたね。
2019年07月05日
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鰯の蒲焼き弁当(缶詰使用)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、子供会会長だった中学二年生時代子供会主催ソフトボール大会で優勝した経験のある我が子供会でしたが・・・・
2019年07月04日
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マッシュルーム&鮭のパスタソースうどん弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、子供会会長だった中学二年生時代その6年前の夏休みに、我が子供会はソフトボールで優勝しましたが・・・・
2019年07月03日
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3種のきのこパスタソース冷やし中華弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、子供会会長だった中学二年生時代その6年前に子供会ソフトボール大会で優勝した我がH子供会でしたが・・・・
2019年07月02日
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ドライカレー弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、子供会会長だった中学二年生時代子供会と言えば夏休み、夏休みと言えば子供会でしたが・・・・中学二年時の六年前の夏休み、見事に我がH子供会は1967年度学区内子供会主催ソフトボール大会において、深紅の大優勝旗を獲得したのです。チームの力量として、練習では覚束なかった守備は本番ではファインプレーの連続、打っては主将のスーちゃん(中学二年)の猛打爆発、懸念された女子の打撃もチャンスに好プレー。なんとセーフティーバントを決めてしまうという破竹の勢いで決勝へ。決勝ではいつも練習試合をしていた隣町のM子供会。毎度大差で負けていたのに、本番では逆にダブルスコアで勝利してしまうというオマケ付きの優勝は、補欠の私にも商品が与えられ(スケッチブックと五色のサインペン)優勝記念の撮影に挑んだのが上の写真です。暑さに疲れて萎れそうな顔をして拡大されているのが私です(当時小学二年)
2019年07月01日
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