全31件 (31件中 1-31件目)
1

塩昆布弁当(味噌汁、冷や奴付)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代女性理科教師・M先生のような、別の意味で怖い教師はそんなに居たわけではないのですが・・・・やはり体罰重視の技術教師・I 先生は別格でしょう。我々を躾けるための平手打ちには誰も陰ですら文句は言わなかったものです。嫌な体罰と言えば小学時代に遡ってしまいますが、5・6年生の時の担任中年男性教師からは今でなら大問題になる体罰を受けたと思います。教科書を忘れただけで、または給食のパンを机の中に入れてカビが生えるまで放置した事だけで「浮浪児かお前は」とか「頭おかしいんじゃないか? 病院へ行け」などという暴言をよく吐かれたもんですけど、当時としては笑い話にしかなりません。中学では怖いという前評判こそあれ、全体的には本当に良い教師陣に恵まれていたんだなと思って居ます中2時担任の社会科教師・T先生は50歳前後のベテラン男性教師でしたが、私のボサボサの伸び放題で何の手入れもしていない頭髪を観て、「○○さん、そろそろ散髪しないといけませんね」と、今思えばなんと気を使った優しい物言いなんだろうと感心しますね。
2019年08月31日
コメント(0)

ウインナー付のり弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代出産してすぐに復帰された女性理科教師・M先生でしたが・・・・落ち着いていて大人に見えましたが、我々生徒を見下していたのか、それとも中学生に負けないように虚勢を張っていたのかも知れませんが、教師らしいと言えば教師らしい人でしたね。他の女性教師と比較した場合、特に新任の女性教師で愛くるしい先生などは、下級生の担任だったので詳しい人格などは判らなかったのですが、朝礼などで全校生徒の前に立った時などは、下級生集団の中から歓声が上がった程で、照れながら子供のように反応してました。そんな教師よりもあまり好きではないM先生の方が断然信用できます。でも、このM先生もあまり私を構ってくれなかったな。我がC学区代表のスプリンター・M君が体育祭で走る姿を観てM先生が他の女子生徒に一言。「M君は体のつくりが違います。M君の太腿はサッカー選手並の太さなのよ」と、まるで我が子のように褒めちぎっておりましたが、あの冷静沈着なM先生が特定の生徒を褒めるとはやはり贔屓する教師だったのかと、ちょっと嫉妬しましたね。
2019年08月30日
コメント(0)

納豆弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代理科教師・M先生は美しいのですがどこか冷淡さがありまして・・・・そういえばM先生、女優の市毛良枝氏に雰囲気が似て居ましたね。むしろ市毛良枝氏の方が庶民的に見えるくらいです。中1時の理科授業の時、体操部の同輩・喧嘩っ早いM君が、「先生の歯ぐきから血が出てます」というような事を心配そうに指摘したんです。「ああ、これは歯槽膿漏だからです」と、M先生がサラッと応えたのを覚えております。中2時もM先生の授業を受けましたが、その頃M先生は既に妊娠されており、臨月ぐらいのおなかの状態であっても教鞭を執っておられまして、出産後もすぐに復帰されておりました。当時の世相からすれば、女性が子育ての為に職場を去る決意をしなければならない時代であったと思うんですが、本当に仕事が好きな女性ではあったようです。
2019年08月29日
コメント(0)

中華丼弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代理科の第2分野(生物・地学)は好きだったんですが顧問が・・・・30歳前といってもすでに既婚だった理科担当の女性教師M先生。教育実習生の授業の時に、M先生は教室の後方から授業を見守っておりました。教育実習生が実験の手ほどきをするために生徒を教壇の周囲に近づくように指示したんですが私はそれほど後方ではなかったので、席から移動しないままでいると、「前に行きなさい」と冷たい口調で後ろからM先生が私の後頭部を叩いたんです。叩き方は軽いものだったんですが、なんだか凄いショックでしたね。それも後ろから叩くなんて卑怯じゃありませんか。母親が幼児を躾けるような感じ、といえば聞こえは良いんですが、ちゃんと名前を呼んで優しく「○○くん、前に行かなきゃだめでしょ」なんて言ってくれれば、「は~い」と嬉しそうに移動したんですけどねぇ。
2019年08月28日
コメント(0)

ウインナーと玉ねぎの炒め物&卵焼き弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代英語教師以外に相性の悪い教師もいたんですが・・・・理科教師もあまり好きではなかったな。中1時から3年までずっと同じ理科教師でしたが、30歳前のわりと美人系の女性教師でしたので1年の頃は憧れをもって見ていたんですが、生徒に媚びる所が無く、喉の奥から冷たい空気とともに出てくる低い地声は、外見からは想像できないものでした。それだけならいいのですが、授業中にその理科のM先生から質問された事に答えられなかった私は、暫くの間は立たされたまま、どうして答えられないのかネチネチとやられました。どんな質問だったのか定かではありませんが、おそらく苦手な理科第1分野(物理・化学)での授業だったと思います。先生の質問の意味が分からない、というような言い訳をしたような気がしますが、はっきり覚えて居るのは、M先生から「そういうあなたみたいな考え方を非論理的思考というんです」と言うような事を言われたんです。こっちは早く座りたかったんですが、先生もしぶとく、私を許そうとはしませんでした。
2019年08月27日
コメント(0)

焼いわし弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代国語教師とは相性が良かったんですが・・・・中2時の英語教師は好きではなかったなぁ。この人も50歳前後で体格が良く、漫談家のケーシー高峰氏に似ておりました。特に叱られたわけでもないし、授業中はユーモアたっぷりで生徒を笑わせる事の出来る教師でしたがみんなが笑って居ても、私にはそのユーモアが理解できませんでした。生徒には平等に接していたように思いますので、やはり授業に付いていけなかった事が最大の原因でしょう。平等ですから特定の生徒を可愛がるわけでもない所が、私には不満だった気もします。私としては構ってほしいと、名前を読んでほしいと思っていたのかな。当時あまり好きではなかった担任の社会科教師ですら、体育館で体操部の練習に励んでいる私を観て「○○も頑張ってるな」と言ってたぞと貴公子Aくんが教えてくれたんですが、それだけで担任を信用できる教師だと思えたぐらいですから。
2019年08月26日
コメント(0)

茄子の塩揉み弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代国語教師K・K先生は優しくも頼もしい先生だったんですが・・・・教科書の背表紙の角の固い部分で我々の頭を小突く体罰をする国語教師K・K先生を殴った事があるんです。殴ったと言っても反抗してのものではありません。授業中にK・K先生が何か言い間違えた事があったんでしょう。ハッキリとした事の始まりは覚えておりませんが、「いつもは君たちを小突いているワシだが、今日はワシが間違えた」と言って微笑みながら私の方へ近づいて来たんです。「ここはみんなを代表してお前に殴ってもらう」といって教科書の角で先生の頭を小突けと指示されたんです。少々禿げ上がった頭を差し出してくるK・K先生の頭頂部を、コツンとやりました。「ありがとう」と言われたような気がしますが、その衝撃的な出来事は他のクラスまで噂が広まり、教師に体罰をした唯一の生徒として、ほんの一部の生徒の間で話題になったのです。
2019年08月25日
コメント(0)

味噌ダレざるうどん弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代国語の授業が好きなのは、国語教師との相性も良かったからだと思いますが・・・・中1時と中2時の国語担当教師は50代前後の中年男性教師でした。小柄でしたが体格は中年太り、とまではいかなくとも中年ならではの体格で、少々おでこが禿げ上がりそうな感じで、厳しさを兼ね備えた優しい教師だったので、理想的な頼りがいのある先生でした。我々生徒が何かルールを破れば、教科書の角で頭をこつんと叩く体罰をする人で、それが結構痛くて効くんです。ですから授業は騒ぐことも無くみんなが従順なものなのですが、その辺は体罰重視の技術家庭教師の教えの賜物かも知れません。ところがこの国語教師のK・K先生、かなりの激情型でもあるのです。教室の廊下を走っていた生徒をとっ捕まえて、技術教師も真っ青の怒声で叱ったかと思うと、頬が吹っ飛ぶほどの平手打ちを見舞って居ました。不良になりかけの生徒のようでしたが、「鉄は熱いうちに打て」の見本のような教育の現場を見た気がしました。
2019年08月24日
コメント(0)

焼きそば弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代中統テストの結果は最低のものとなりましたが・・・・英語と数学は悲惨なものですが、国語だけは何とかなりました。読書もしないし新聞もスポーツ欄と番組欄しか見なかったのですが、漢字は結構書けたし、「文章を読んで次の問いに答えなさい」という問題も特に難しいと思った事はありませんでしたので、3教科の総点数の半分は国語で占めておりました。国語の授業も好きでして、中1時の「狂言」などは興味深かったし、中2時は「俳句」「短歌」の創作授業もあって実力発揮。全員の作品を顧問が読みあげた後に、人気投票をすれば私の作品が選ばれたりしたのです。
2019年08月23日
コメント(0)

他人丼弁当(魚肉ソーセージと鶏卵)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代勉強をしない日常に、突如「中統テスト」なる試験が行われたのですが・・・・当時の高校受験科目は「国・数・英」の3教科でして、「理・社」が含まれた5教科だった時期からすれば、勉強がしやすいものではありましたが、理数系が苦手な私にとっては何も有利ではありませんでした学区内にある大学が試験会場で、他校の生徒も同じ試験場に集合したのです。当然ながら、いつものように答案用紙は答えが分からなくても何かを書いて提出しました。空欄が多いと回収される時に恥ずかしいからです。さて、第1回目の試験結果の評価マークは・・・・「◎」でした。
2019年08月22日
コメント(0)

かつお削り節弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代高校受験の足音が段々と迫って来たのですが・・・・技術家庭教師の高校受験に対する熱弁に焦らされるわけですが、なんせ勉強の仕方も分からないし中1時からの積み重ねもなく、特に英語などは担当教師があまり好きではなかったので、余計にサッパリ訳が分かりませんでした。当時、民間の模擬試験業者による「中部統一テスト」、略して「中統」というものを中学が採用しており、2年生で一度、3年生は2度の中統テストを受けることになっておりまして、その成績によって公立高校の合格率と言いましょうか、行けそうな公立校への振り分けの目安となるテストでした。その評価基準は大凡以下の表のようなものでした。
2019年08月21日
コメント(0)

麻婆茄子弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代手紙を待っているだけでも、希望の日々ではあったのですが・・・・中2ともなればそろそろ高校受験の足音が聴こえてくる時期でもありますが、私にはまったく実感がありませんでした。ところがある日の技術家庭の授業で、体罰重視の I 先生が中学二年と言う段階が重要な時期なのだと授業そっちのけで熱弁したのです。「いいか、お前ら。高校の選択は人生を左右する。今のうちにしっかり勉強しておかないと、後悔する事になるぞっ。いいかっ?」と、いったような内容の事を延々と述べられ、1年生気分の取れない私はもっとダラダラと生活したいと思って居たのに、なんだか焦られそうなイヤーな気分になったのです。今なら充分に納得できるご鞭撻なんですがねぇ。
2019年08月20日
コメント(0)

カレー弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代春ごろまではピュアだった不思議少女Sさんでしたが・・・・夏休み中のいつ頃か、定かではありませんが、不思議少女Sさんは引っ越していったんです。夏休みはあっという間に終わってしまいますから、その期間中に話でも出来たなら、などとは思った記憶は何故だかありません。というか、そう言う事は思わなかったのかな。ただ、2学期が始まってSさんの姿を見かけられなくなると、その喪失感といいますか、寂しさはありました。その時こそ、手紙を書いて交流が出来たならと、自分を癒すためのものだったのだと思います。それが段々と欲が出たのか、返信が来なければ来ないほど、日が経つにつれて投げやり的だった気分がいつのまにか深刻な思慕へと変化していたのだと思います。他校で不思議少女Sさんが誰かに恋をし始めるとか、そんな焦燥感は全くありませんでした。彼女のガードの固さを勝手に信じ込んでいたからです。深刻ではあっても、手紙を書いて送る事が自分への癒しだったような気がします。
2019年08月19日
コメント(0)

麻婆豆腐弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代不思議少女Sさんはガードが固い女子なんですが・・・・Sさんがまだ引っ越す前の中2時の春頃、教室から直に中庭に出られる戸口から、スタスタと帰宅するところを見かけたのですが、それを見送るような形で戸口からふたりの男子生徒が、不思議少女Sさんに向かって「やーい」と、からかうような掛け声を放っていました。Sさんは愛嬌たっぷりに何やら言い返す言葉を吐いて笑顔で帰っていったので、ああ、相変わらずお転婆気質全開だなと思ったものでしたが、後日にその掛け声を発した人物に、2年生教室でのSさんのモテぶりを訊いてみたのですが、彼らはSさんに面白半分で匿名でラブレターを書いたと言うのです。「好きです。少しでも受け入れる気持ちがあったのなら、明日、髪型を少し変えて登校して下さい」というような内容の文章を書いたというのです。で、次の日、不思議少女Sさんは少し髪型を変えてきたのだそうです。結局、有耶無耶にしたそうなんですが、何者からの恋文なのか分からないのに、それに反応してしまう不思議少女Sさんも、まだまだピュアな少女でありました。
2019年08月18日
コメント(0)

クリームコロッケ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代某男子とF子さんのデートに付き添わされたのですが・・・・S学区美少女とは言え、F子さんが他の男子と一緒に居ようがなんの嫉妬心も起きませんでしたね。確かに気になる女性ではありまして、告白するとしたら不思議少女Sさんにするか、F子さんにするかなどと品定めしていた時期もありました。ただ、目で追う存在であるのなら不思議少女Sさんでした。F子さんはグラマーなので、どうしても胸元には目が行くのですが、モテぶりが目立っていたので端から恋愛の対象ではありませんでした。その点、不思議少女Sさんはガードが固く、1年生時にわがままKくんから言い寄られても速攻で振ってましたので、こっちとしては安心感があったのです。速攻で振っても、わががまKくんの人柄を嫌いではない不思議少女Sさんは、それ以降もKくんにはそれなりの親し気な接し方をするという懐の深さもありました。
2019年08月17日
コメント(0)

ウインナーとキャベツの炒め物弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、ラブレターの返信を待つ中学二年生時代不思議少女Sさんからの返事をひたすら待ちつつ、時間は過ぎて行くのですが・・・・割とオープンに返事が来ない事を周囲に話していたのですが、新友人 I くんなどは頷きつつも鼻であしらうような態度で聞いていたので、内心は「お前なんか相手にされとらんわ」と思っていたのでしょう。実際、そうなのかなぁと不安がよぎったものですが、あのSさんの事、必ず何かの返事はくれるだろうと思っておりました。中学二年ともなれば、周囲は段々と大人に成長していくのですが、恋の動きも活発になってきておりS学区代表美少女F子さんに某男子から誘いがあったらしく、1対1では恥ずかしいからグループで行動しようとワガママKくんから相談されまして、3~4人が連れだって森林公園に赴いたわけですが某男子とF子さんは公園内の池でボートに乗る事となり、ワガママKくんは私とボートに乗るという手筈だったのが急遽変更されて私一人でボートに乗れと言われ、言われるがままボートをひとりで漕いでいると、それを見つけた同じ中学の上級生数人が冷やかして私のボートに石を投げてきたのです。と、失恋しそうな上にこんな貧乏クジしか引けない有様だったのです。
2019年08月16日
コメント(0)

味噌だれざる冷麦さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代不思議少女Sさんから中々返事が来なかったんですが・・・・周囲には結構言いふらしておりました。本来は恋の問題は秘密裏に進めていきたいという願望はあるんですが、なぜか喋ってしまうのが私の癖です。きっと自慢したいんだと思います。自分はこんな素敵な女子に恋してるんだぞといった審美眼自慢です。その周囲の反応たるや、微妙なものでした。不思議少女Sさんの親友 I さんには、返事が来ない事の不満を良くぶつけており、Sさんの近況を聞き出すのですが、「返事を書くと言っている」とか「性格が変わって成績も落ちたと言っている」とか、曖昧な答えしか帰ってきませんでした。いえいえ、成績が良いとか悪いとかで決めたわけではないんだし、性格が変わったって言われても、そういった事を手紙でやり取りしたいんだがなぁ・・・・と、なんだか雲行きが怪しくなって来たのです。
2019年08月15日
コメント(0)

日の丸弁当(味噌汁付き)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代不思議少女Sさんにラブレターを書いたんですが・・・・中2の夏に不思議少女Sさんは引っ越していきました。もし彼女が引っ越さなかったなら、ラブレターなど渡せなかったでしょう。多くの恋のライバルに埋もれて嫉妬の毎日だったでしょう。実際、何を書いたのかあまり覚えておりません。照れくささから滅茶苦茶な書き方をしたのは記憶にありますが、返事を催促するための切手を同封した事もありました。1か月に2通ぐらいの間隔だったかな。もっと書いたのかな。ハッキリしませんが、とにかく書いて送りました。まるで見知らぬ業者からのダイレクトメールのようですね。あまり親しくもなく、薄っぺらい関係でラブレターをもらえば、最初は嬉しくないはずはありませんがドンドンと送られてくる手紙に、彼女も返事に困ったと思います。
2019年08月14日
コメント(0)

ざるひやむぎ&山菜五目弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代H学区代表美少女の不思議少女Sさんは可憐でシッカリ者なので・・・・中2時の秋ごろだったか不思議少女Sさんにラブレターを書きました。自信が無かったせいか、投げやりな形での投函でしたので、相手に判断を一任するという、卑怯な告白だったと思います。ラブレターというものは、夫婦間のやりとりであったり、恋人間のものだったりと、気心の知れた間柄での文通であれば微笑ましいのですが、片想いでのものならば、送る側にそれなりの確信と自信がなければ成就した時に責任が持てません。中2時の時点では最初だけ、不思議少女Sさんの親友 I さんを通じて返事のメモをもらい、今後も手紙を送ってくださいとの事だったのですが、その後は一向に返事は来なかったのです。
2019年08月13日
コメント(0)

山菜五目弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代不思議少女Sさんはシッカリ者だったんですが・・・・体操部の鉄棒練習中に落下して頸椎捻挫で入院したのは中1時の初冬。お見舞いに来てくれた不思議少女Sさんは他の女子2人と連れ添っての、おそらく誘われてのものなんでしょうけど、病室では他の二人はいつものように陽気に振る舞っていたんですが、不思議少女Sさんは殆ど喋っていなかったような気がします。他の二人のうちの一人であるH田さんは我がC学区の女子で少々肥えた子でしたが、不思議少女Sさんとはわりと仲が良くて、ある日、授業始まりのチャイムが鳴ってもしばらく教室の後ろでふたりが何やらキャーキャー騒いでいた事が中1の時にありました。そこへ体罰重視の技術教師が教室の前を通りかかって、彼女らが騒いでいるのを見つけると「何やってるんだ? 授業は始まってるんだぞ」と一喝。不思議少女SさんとH田さんを直立不動にさせてビンタ一閃。女子であろうと手加減はしない平手打ち。殴られる寸前の不思議少女Sさんの後姿には、問答無用の体罰を受け入れる覚悟オーラが漂っておりバシッと叩かれて半回転してよろめいたSさんの屈辱に耐えるムッとした表情は、叩かれて苦笑したH田さんとは対照的であり、そこにシッカリ者の所以たるものを見た気がします。
2019年08月12日
コメント(0)

ナポリタン弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代H学区代表美少女、不思議少女Sさんはツンデレなんですが・・・・ツンデレと言ってもデレデレはしていなかった不思議少女Sさん。その言動には「甘え」というものが感じられなくて、可憐な外見からは想像もつかないほどのしっかり者だったのです。そもそも勉学に優秀なものは、単に頭が良いのではなく、やるべき事をキッチリとやっていたのだろう。学生の仕事と言うのは「勉強」をする事であり、不思議少女Sさんのような優秀なる子は、がり勉というわけではないのですが、学校から帰れば自然と予習復習に勤しんでいたのでしょう。そんなシッカリ者の彼女が、あまり親しいとは思えなかったSさんがお見舞いに来てくれたのは意外でした。他の女子二人と連れ添っての来院でしたが、おそらくその二人に誘われて来たのでしょう。入院というものは面白いもので、お見舞いに来てくれるかどうかで己への親しみ度を量ってしまうんですが、不思議少女Sさんよりも親しいと思っていた人ですら来てくれなかったり、逆に二度も来てくれた人もいたりする中で、不思議少女Sさんの来院は格別なる驚きでした。
2019年08月11日
コメント(0)

もやしとピーマンの炒め物&ひやむぎ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代美少女御三家のH学区代表、不思議貴婦人少女Sさんはお転婆だったんですが・・・・子供っぽくて早口で、お喋りで、現代用語で言う所の「ツンデレ」なんです。気心の知れた相手であるのなら気さくな態度で接する不思議少女Sさん。その雰囲気を信じて近付くとスーッと期待を裏切るようなかわし方をする。かと思えば予想外な言動があったりする。中1の時は良く隣の席になったんで、少々話せる機会もあり、段々と打ち解けてきたので不思議少女Sさんから信用を得たような気分になりました。中1の初冬、体操部での練習中の鉄棒落下で入院した時にも見舞いに来てくれたんです。
2019年08月10日
コメント(0)

赤飯ミートボール弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代各学区代表美少女は「原石」ではなく「宝石」そのものなんですが・・・・C学区のA木さんとは殆ど縁が無く、実際どんな性格なのかは判りませんが、清楚そのもの。S学区のF子さんは肉感的でしたが普通の女子にありがちな喋り方。甘え上手な所がありました。中学で2度同じクラスにはなりましたが、特に中3の時のF子さんの印象は深くありません。さてさて、H学区代表の不思議少女Sさんですが、中1で初対面となり中2半ばで引っ越してしまう訳ですが、小柄で最初は非常に子供っぽかったです。ホームルームで良く意見を言っていたのですが、早口で捲し立てて良く喋る子でしたので、C学区ではあまり見かけなかった「お転婆」に見えていたのです。勉学に優秀なのはすぐに判明しましたが、周囲と陽気にハシャグわりには私には人見知りな態度で、なんか接しにくい所があったのです。
2019年08月09日
コメント(0)

赤飯弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代S学区代表美少女F子さんは見事にJ先輩に振られたんですが・・・・そもそも三つの学区による「美少女御三家」などと決めつけているのは、今現在の私の独断でしかないのですが、50年近く経とうともその考えは不動です。よく宝石の原石だ、と言う例えがありますが、A木さんにしろF子さんにしろ、不思議少女Sさんにしろ「宝石」そのものであって、決して原石ではあり得ないのです。ですから磨くと傷つくんです。化粧など不要であり、アイドル歌手やグラビアアイドルなどのようにポーズを取らなくても、日常の何気ない所作の中にさえ魅力が溢れている。それが三人に共通する「美」なのです。
2019年08月08日
コメント(0)

崩れお好み焼き弁当(豚バラ肉・タコ入り)さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代F子さんはS学区代表の美少女だったんですが・・・・そのF子さんが見事に振られてしまった場面に遭遇した事があります。中学1年時の初頭の事ですが、1学年上にMさんという体操部でも先輩の美男子がいましてMさんは愛称としてJ先輩と呼ばれておりました。J先輩は生徒会長に立候補しまして、体育館で行われた立候補者演説会に登場したJ先輩の美貌にF子さんら女子生徒はガツンとハートを揺さぶられたのです。もちろん、不思議貴婦人少女Sさんも同じ心境に陥った事と思います。垂れ目で西欧風な顔立ちは、ポール・マッカートニーにちょっと似てまして、一言で言うなら「色男」でした。ある日の放課後、教室の後ろでF子さんやその友人らがチラホラいうる中に、J先輩も交じっており聴こえないぐらいの静かな口調で、J先輩がF子さんを叱責しているように見えました。それ以前からF子さんがJ先輩にぞっこんな事は噂として知っていたので、きっと交際を申し込んだのだろうと推測しますが、現実がどうだったかは定かではないにしても、F子さんが涙ぐむのを慰めもせず色男はニヒルにもそのまま教室を出ていったのです。私は遠回しに元気づけるような形でF子さんを笑わせて慰めたのですが、それに応えるように無理に笑ってはくれましたが、F子さんの涙は乾いておりませんでした。それにしてもJ先輩、我らの美少女御三家のひとりを見事にサラリと振るなんて、凄いなぁと今更ながら思います。
2019年08月07日
コメント(0)

だいこんおろし弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代C学区、H学区の他にS学区と言うのがありまして・・・・そのS学区代表美少女と言えば、中学1,3年時にクラスメイトだった I さんですね。I さんは愛称としてF子と呼ばれていて、入学時ですでに高校生級のグラマーな曲線美を持ち色白で東欧風の美女を思わせるような風貌、身長は155㎝ぐらいだったか、当時140cmの私から見ればかなりの長身に見えました。そのグラマラスな容姿は悪い虫を寄せ付けるに充分な魅力でして、中学1年時にわがままK君らと共にF子さんとボウリングへ行ったんですが、そこで30歳過ぎぐらいのおっさんに声をかけられ、コーヒーをおごるとか言われたらしく、ゲームが済んだら場内の喫茶店で待つ約束をしたという事でした。F子さんらと喫茶店で待ち、先にジュースなどを注文して飲んでいたのですが、おっさんは何時まで経っても来ません。すると喫茶店の前でわがままK君とおっさんが言い合いをしてるのです。どうやらコーヒーをおごると言ったのは冗談だったらしく、わがままK君がおっさんを問い詰めてジュース代を払わせた事がありました。私らのような子供に混じって高校生、もしくは女子大生にみえるF子さんの魅力による、ちょっとした事件でした。
2019年08月06日
コメント(0)

ミニハンバーグおろし弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区代表美少女A木さん以外に思いだせる女子と言えば・・・・小学5,6年にクラスメイトだったMちゃんかな。色黒だったけど小学生にしてはグラマーだったし、単純に可愛かったです。ですから、5年と6年、中学1年の1学期ぐらいまではMちゃんに夢中でした。両想いになったのは5年生時の秋の1か月間だけ。私の人生において、両思いを経験できたのはこの時だけです。そんな恋も中学1年で自然消滅していくのですが、その原因は中学1年時のクラス女子の素晴らしい存在があったからです。
2019年08月05日
コメント(0)

餃子弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区代表美少女A木さんとは、会話した事もないのです。小学1年時の「何をしているの? Sくん」、中学二年生時の「えっ?」と、この二言を聞いただけでA木さんと私は校内ですれ違う事も殆どなかったのです。それでも外で1回だけ見かけた事があります。中学2年か3年時かはハッキリしませんが、当時ユニーという名称だった大手スーパーからの帰り際でした。私が駐輪場から自転車で出て少し走った所で、A木さんが自転車でユニーへやってきたのです。日曜だったのかセーラー服ではなく私服でした。その質素で落ち着いた姿はアイドル歌手に匹敵していました。目が合ったわけでもないので向こうは気付いていなかったでしょう。ちょっとトキメいた私は、また会えると良いななどと淡い期待を持ったものです。
2019年08月04日
コメント(0)

田舎うどんカルボナーラ弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区の美少女A木さんは、器用なんです。愛くるしいだけではありません。我がC学区代表の美少女A木さんとは殆ど縁はありませんでしたが、その女性ならではの器用さも間接的に知っております。小学6年の頃だったか、家庭科でアップリケ作成の授業がありまして、家庭科担当の中年女性教師が見本として他のクラスから優秀な作品を授業の前に見せたのですが、その一つにA木さんの作品があったのです。なんと、大人が作ったようなアップリケ作品。あまりにも完成度が高いために、家庭科教師が言うには「ここまでの物を作らなくても良いです」と、半ば嫉妬気味な言い草でした。C学区内にあったA木さんのご自宅は知っていましたが、私が住んでいた長屋とさほど違いの無い佇まい決して裕福なる令嬢と言う訳ではなかったんですが、ご両親の上品な教育の賜物なのか、それともご本人の持って生まれたものなのかは判りませんが、当時は「あの子なら当然かな」ぐらいにしか思えませんでした。もし、もう少し同じクラスにでもなっていたら、確実にA木さんを好きになっていたなと思います。
2019年08月03日
コメント(0)

うなぎのタレかけ弁当自家製うなぎのタレさて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区代表の美少女A木さんとは、ほとんど縁がありませんでしたが・・・・小学1年以外は同じクラスになった事がなく、小学時代は校内ですれ違った記憶が全くありません。勉学も優秀だったのでしょうけど、どれくらいの成績なのか全く知りません。それでも存在感のある女子だった記憶はあるのです。中学2年の頃、A木さんが某男子生徒と仲が良いという噂が、関係の無い私の耳にまで届いたのですがそれくらい他の生徒からしたら目立つ存在だったという事です。その噂を知った私は、偶然に校内の廊下でA木さんとすれ違った時に、「○○さん」と、噂になっていた男子生徒の名前で声をかけてみたのです。A木さんは滅多に顔を観た事がない私にさえ、照れくさそうに「えっ?」と、恥じらい顔で振り返ったのです。その愛らしい笑顔は、やはり誰でも一目惚れするに値するものでした。
2019年08月02日
コメント(0)

マックスバリューうな重弁当さて、私が少年だった昭和40年代後半の頃、個性際立つH学区の中学二年生時代我がC学区の御三家(M谷・T木・貴公子A)以外で目立つ人物といえば・・・・存在しなかったですね。私を中心に考えれば色々とあるんですが、C学区代表として中学で頭角を現した人物が居たとしても私とは縁が無かったのでしょう。無理に思い起こしてみますと、ひときわ清楚で美少女といえる女子生徒は存在しました。我がC学区を代表していると言っても良いでしょう。小学1年時だけクラスメイトだったA木さんですが、確かにその頃から気になる存在ではありまして気を引くためにわざとその子の前で手洗いの消毒液が出ないふりをして、「何やってるの?S君」とA木さんから私の名前を呼んでもらって嬉しかった覚えがあります。黒い瞳がクリクリっとしてオカッパ頭の子でしたが、そのまま中学生となって女性らしくなったようです周囲の男子生徒の憧れの的だったでしょう。密かにA木さんに対するあこがれの曲を作った人も居たようですから。
2019年08月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1