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渡辺京二「未踏の野を過ぎても」(玄書房) 2022年12月25日に渡辺京二が亡くなったというニュースをネットで知りました。「苦海浄土」以来、半世紀以上にもわたって、石牟礼道子のお仕事を支え続けてこられたことが、よく知られた方ですが、彼自身のお仕事も膨大、且つ、重厚で、「これが代表作で・・・」などと利いた風な紹介を許すようなレベルではありません。 しかし、それにしても、渡辺京二という人がどんな思想家であったかということを、何とか伝えたいと思って、思い出したのがこの文章でした。2011年に出版された評論集「未踏の野を過ぎても」(玄書房)の冒頭に収められた、東北の震災をめぐっての発言です。 無常こそわが友 このたびの東北大震災について考えを述べるように、いくつかの新聞・雑誌から注文を受けたが、全部お断りした。というのは、私の感想を公表すれば、多くの人びとが苦しんでいるのに何ということを言うかと、大方の憤激を買いそうな性質のものだったからである。私は世論という場に自分が登場するのもいやなのであった。 このほど、その書きにくいことを書いておくのは、場所が少数の読者が読んで下さるにすぎぬ私の著書だからである。この範囲なら妄言も許されるだろう。 私は大震災に対するメディアおよび人々の反応ぶりが大変意外だった。なぜこんなに大騒ぎするのか理解しかねた。これが大変な災害であり、社会の全力を挙げて対応すべき事態であるのは当然としても、幕末以来の国難であるとか、日本は立ち直れるのだろうかとか、それに類する意見がいっせいに溢れ出したのには、奇異の念を通り越してあきれた。三陸というのは明治年間にも大津波が来て、今回と同様何万という人が死んだところである。関東大震災では十万以上の死者が出た。首都中枢が壊滅したのである。それでも日本が滅びるなど言い出す者はいなかった。 第一、六十数年前には、日本の主要都市は空襲で焼け野原になり、何十万という人びとが焼き殺されたではないか。焼跡には親を失った浮浪児たちがたむろし、人びとは飢えていた。このたびの被害者が家を失って、「着のみ着のままです」と訴えているのをテレビで見た。お気の毒である。だが私は、少年の日大連から引き揚げてきたとき、まさに着のみ着のままだった。帰国してみると、あてにしていた親戚は焼け出されてお寺に仮住まいしていた。その六畳一間に私たち親子四人が転がりこんだ。合計七人が六畳一間で暮らしたのである。むろん、こんなことは私たち一家だけのことではなかった。今回のような原発事故の問題はなかっただって?日本の二ヵ所で核爆弾が炸裂したのを忘れたのか。 それでも日本はもうダメだ、立ち直るのには五十年かかるなんて言うものはいなかった。一九四七年、私が熊本に引き揚げてみたら、街の中心部は焼跡にバラックが立ち並んでいるというのに、映画館は満員で、街には「リンゴの唄」が流れていた。相変わらず車を乗り廻し、デパートの駅弁大会といえば真っ先に駆け付けるのに、放射能がこわいからといって、何の根拠もなく米のトギ汁を服用させて、子どもに下痢させるなど、現代人はどうしてこんなに危機に弱くなったのか。いや、東北三県の人びとはよく苦難に耐えて、パニックを起こしていない。パニックを起こしているにはメディアである。災害を受けなかった人びとである。 この地球上に人間が生きてきた。そして今も生きているというのはどういうことなのか、この際思い出しておこう。火山は爆発するし、地震は起こるし、台風は襲来するし、疫病ははやる。そもそも人間は地獄の釜の蓋の上で、ずっと踊って来たのだ。人類史は即災害史であって、無常は自分の隣人だと、ついこのあいだまで人びとは承知していた。だからこそ、生は生きるにあたいし、輝かしかった。人類史上、どれだけの人数が非業の死を遂げねばならなかったことか。今回の災害ごときで動顚して、ご先祖様に顔向けできると思うか。人類の記憶を失って、人工的世界の現在にのみ安住してきたからこそ、この世の終わりのように騒ぎ立てねばならぬのだ。 このたびの災害で日本人の生きかたが変わるのではないかという意見もよく耳にする。よい方へ変わってくれれば結構な話だ。だけど、大津波が気から価値観が変わったというのも変な話ではなかろうか。われわれは戦争と革命の二〇世紀を通じて、何度人工の大津波を経験してきたことか。アウシュビッツ然り、ヒロシマ、ナガサキ然り、収容所列島然り、ポルポトの文化革命然り。私は戦火と迫害に追われて、わずかにコップとスプーンを懐に流浪するのが、自分の運命であるのを忘れたことはない。実際には安穏な暮らしを続けながら、夢の底でもそれを忘れたことはない。日本人、いや人類の生きかた在りかたを変えねばならにのは昨日今日始まった話ではないのだ。原発が人間によって制御不可能な技術であることも、経済成長と過剰消費にどっぷり浸かった生活が永続きしないのも、四〇年五〇年前からわかっていた話だ。 もちろん、誤りを改むるに憚ることなかれというし、津波であろうが原発事故であろうが、何がきっかけなっても構わないけれど、歳月が経てばまた忘れるんじゃないか。何か大事件が起これば大騒動し、時がたてばけろりと忘れるというのは、どうも私たちの習性らしいのだ。何があっても騒がず、一喜一憂せず、長期的なスパンで沈着に物事を受けとめ考えてゆく、そういう民でありたいものだ、私たちは。ただ、今回の災害によって世の中が変わると感じた人びとは、案外的を射ているのかもしれない。つまり、潮時が来ていたのだ。そう受けとれば、大騒ぎした甲斐もある。しかし、万事は今後にかかっている。本当に世の中、変わりますかな。(P9~P12) いかがでしょうか。こういう方です。震災から10年の歳月が経ちました。確かに潮時だったという実感は残っていますが、「大騒ぎした甲斐もある」方向への変化は、かけらもないというのが事実でしょうね。コロナの騒ぎに関しても、おそらく、無反省となし崩しが大手を振っていくに違いないでしょう。 そういう時代の中で、私たちは、ことにあたってこういう発言が出来る思想家を、また一人失ったということです。マア、ぼくにとっては、ゴミにして捨てる前に、とりあえず手に取りなおしてみる膨大な書籍がまだあることを再確認した訃報でした。
2023.01.31
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クリント・イーストウッド「ブロンコ・ビリー」こたつシネマ 神戸に雪が降って市バスとかJRとかが止まった静かな夜、一日余裕だったチッチキ夫人がテレビの番組表で見つけていいました。「ちょっと、イーストウッドよ。西部劇かしら。」「なんか、暴れ馬に乗る話しちゃうの?知らんけど。」 というわけで見始めましたが、サーカスのお話でした。ちょうど「サーカスの夜」(小川糸・新潮文庫)という小説を読んだばかりだったので、どんな曲芸なのかに惹かれましたが、何とも地味でした。 観たのはクリント・イーストウッドが主演で監督の「ブロンコ・ビリー」、1980年ですから、40年前の映画でした。 ポスターのキャッチ・コピーをお読みください。行くぜブロンコ=ビッグな男!すてきな仲間を引き連れて、喧嘩と恋を道づれに広いアメリカ旅から旅へ! で、映画はというと、西部(?)の町から町へ、オンボロなトラックでテントを運び、給料もろくに払えない興業を続けている「ワイルド・ウェスト・ショー」というサーカスが舞台でした。 荒馬というよりも老馬というべき愛馬バスターを操り、曲乗りと早撃ち、目隠ししてのナイフ投げが十八番の、ブロンコ・ビリー(クリント・イーストウッド)。生真面目そうな青年カウ・ボーイ、レオナード・ジェームズ(サム・ボトムズ)による、縄芸、先住民のカップル、ビッグ・イーグル(ダン・バディス)とロレイン(シェラ・ペシャー)によるインディアン・ダンスと蛇使い芸。 記憶に残った曲芸はこれだけです。地味でしょ(笑)。キャッチ・コピーを読み直すと、もう一度笑えます(笑)。 時は、1970年代のアメリカです。先ほど西部と書きましたが、西部か東部かわからない田舎町の、いわゆる、ドサまわりの一座のお話でした。 そのサーカス小屋に迷い込んで、やがて、一座のみんなから「疫病神」と嫌われることになるアントワネット・リリー(ソンドラ・ロック)という、正体不明のじゃじゃ馬娘と生真面目でヘンコなブロンコ・ビリーとの恋のお話が本筋でした。ソンドラ・ロックといえば、この時期、イーストウッドとは、まあ、ご夫婦だったはずの方で、そういう意味では、この映画はイーストウッドのファミリー・ストリーみたいなものだと思いましたが、その幸せ感(まあ、勝手にそう思うだけですが)というか、のんびりしたあたたかさが、見ていてしらけない理由だと思いました。 もっとも、筋の展開では、実はベトナム脱走兵だった縄芸のレオナード・ジェームズの奪還とか、莫大な遺産をめぐるアントワネット・リリーと法律上の夫ジョン・アーリントン(スキャットマン・クローザース)や、彼女の義母とかインチキ弁護士とのやり取りは、あっさり端折られていて、ちょっとポカンとしてしまいました(笑)。「えっ?これでおわり?」「うん、そうみたい。」「フーン、そういう時代やったんやん(笑)」 と、まあ、そんな感じでした。ソンドラ・ロックという女優さん、もう、お亡くなりのようですが、おキャンな感じがなかなか良かったですね。拍手!監督 クリント・イーストウッド脚本 デニス・ハッキン撮影 デビッド・ワース音楽 スティーブ・ドーフ字幕 高瀬鎮夫キャストクリント・イーストウッド(ブロンコ・ビリー・早打ち・曲乗り・愛馬バスター)ソンドラ・ロック(アントワネット・リリー)ジェフリー・ルイス(ジョン・アーリントン・リリーの夫)スキャットマン・クローザース(ドック・リンチ・司会)シェラ・ペシャー(ロレイン・ランニングウォーター・インディアンの太鼓叩き)ダン・バディス(ビッグ・イーグル・インディアンダンス・蛇使い)サム・ボトムズ(レオナード・ジェームズ・投げ縄)ビル・マッキーニー(レフティ・リーボウ・左利き拳銃使い)1980年・アメリカ原題「Bronco Billy」2023・01・25-no010・こたつシネマ
2023.01.29
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100days100bookcovers no88 88日目 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ「半分のぼった黄色い太陽」(くぼたのぞみ訳 河出書房新社) KOBAYASIさんが、岸本佐知子の翻訳したルシア・ベルリンの作品集『掃除婦のための手引書』を紹介してくれてから一ヵ月も経ってしまいました。いつものことながら遅くなりました。今回の言い訳は、学期末の仕事と家族(同居も別居も)も自分も体調を崩したりして、なかなか、手を付けられなかったということです。すみません。ただ、この文章を書こうと心の中に留めておくことが、つい怠けがちな私を立ち直らせてくれています。みなさんお付き合いくださり、ありがとうございます。 KIOBAYASIさんは岸本佐知子のツイッターをチェックされているんですね。そういえば、ショーン・タンの絵本展の紹介もしてくれていましたね。岸本氏はたくさん仕事されていて、ルシア・ベルリンにしても、ショーン・タンにしても、英語圏の人気をよく知っておられる旬の翻訳者なんでしょうか。 私が岸本氏を知ったのは、車の運転中に偶然聞いていたラジオ番組からでした。10年くらいたちますか。NHKの「トーキング ウイズ 松尾堂」に、作家の西加奈子と翻訳家の岸本氏が登板されて、本の魅力を語っていました。道は渋滞していたのですが、おかげで本好き人の話にすっかり聞き入ってしまいました。そのときに取り上げられた中の一冊をその後すぐに読みました。印象に残っていていつか誰かと話したいなと思っていました。実はずっと岸本氏の推薦だと思っていたのですが、今回この二人の名前と本のタイトルを並べてググってみたら、ちゃんとその番組の日付から、本のタイトルも上がっていたから、びっくりしました。季節や場所は覚えていますが、何年だったかは覚えていません。10年ほど前かなと思っていたら、8年前の2014年1月12日の日曜日でした。日付までわかってしまった。PCはやっぱりすごい。紹介していたのは西加奈子氏でした。でも、岸本佐知子の対談で話題になったという縁でやっぱりこの本にします。 『半分のぼった黄色い太陽』チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ くぼたのぞみ訳 河出書房新社 著者アディーチェは、最年少のオレンジ賞(イギリスの女性文学賞。現在はスポンサーが複数となり、名称も「女性小説賞」となっています。ちなみに、このあと、最年少はさらに更新されたらしいです。)受賞者として有名になったらしくて、受賞後3年ほどで、日本語翻訳も出版されています。よくご存じかもせれませんが、一応紹介します。 1977年、ナイジェリア生まれ。大学町スッカで育つ。イボ族の出身。ナイジェリア大学で医学と薬学を学び始めるが、19歳で奨学金をえて渡米。大学で政治学とコミュニケーション学を専攻、クリエイティブ・ライティングコースでも学び、次々と作品を発表。2003年にO・ヘンリー賞受賞。その後さまざまな文学賞を受賞し、2007年に『半分のぼった黄色い太陽』でオレンジ賞受賞、ベストセラーとなる。ナイジェリアと米国を往復しながら新作を発表している。 「半分のぼった黄色い太陽」というのは、3年だけあった「ビアフラ国」の国旗です。 骨が浮かび上がるほど痩せているのにお腹だけ膨らんだ「ビアフラの子」の写真は、かつて新聞に載っていました。目を離すことができず、今も網膜に焼き付いています。あのころ、栄養失調を「ビアフラの子」みたいという常套句で言われたのをよく耳にしました。自分と同じ年ごろのはずなのに、もっとずっと小さくてやせている子の写真を見て、激しいショックを受け恐ろしく思いました。しかし、その後もビアフラで何が起きていたのか知らなかったし、知ろうともしなかったことに気がつきました。これは偶然の采配。読むべき本に出逢ったと思いました。(ただ、これはノンフィクションではないので、そのつもりを忘れないように気を付けました) それで、ナイジェリアってどんな国なのか、ビアフラ国はいつできて、なぜ3年しか持たなかったのか。まずはWikipediaをざっと見てみました。ナイジェリア連邦共和国 ・人口 2億1140万人(2022年現在) 世界第7位。・他民族国家 500を超えるエスニック・グループ。 多いのは、ハウサ人、イボ人、ヨルバ人。・宗教 キリスト教、イスラム教、伝統宗教。・名目GDP 5000ドル アフリカ最大 世界第20位 大多数の国民は貧困状態。・石油 生産量世界12位 輸出量世界8位 原油収入に依存した経済構造。・ガス 埋蔵量世界10位程度だが、インフラ未整備で利用できていない。・独立 1960年10月1日 イギリスより独ビアフラ共和国 (1967年5月30日―1970年1月15日) イボ人を主体とした政権・国家。人口1,350万人、面積は77,306km²(1967年)だった。ナイジェリアからの分離・独立のために戦争が起きる。ナイジェリア内戦とも呼ぶ。ビアフラが包囲され食料・物資の供給が遮断されたため、飢餓が国際的な問題となった。 このビアフラ戦争を背景にした小説なので、内戦の混乱、腐敗、飢餓、といった状況はもちろん大変なのですが、登場人物たちに戦争に巻き込まれてかわいそうという思いは持てない小説でした。すごい、あっぱれ、なるほど、そうなのか、などと意外な感想を持ちました。著者は、(戦争に巻き込まれて気の毒、かわいそう)といった固定観念の先立つ読み方を拒否しようとしています。語り手もひとりではなく、3人にして、多様な見方を提供しています。(著者は『シングルストーリーの危険性』という講演を行っていて、動画をネットでも見ることができます。) 最初の語り手は13歳の田舎出身の利発な少年ウグウ。大学教師オデニボのハウスボーイで、解雇されないように家事全般から語学や途中でやめた小学校レベルの勉強も頑張って身につけようとしています。オデニボは独立間もないナイジェリアの将来に自信と希望を持つ数学教師で、日々教師仲間を自宅に招いては政治の話をしたり、テニスを楽しんだりしている民主的理想的教師。主人公らしいのは、オデニボの恋人オランナ。オランナは富裕な政商の娘だが、オデニボに恋をしてロンドン留学をやめて、彼と暮らそうとしています。この3人だけでも、話す言葉が違います。ウグウはイボ語だが、英語を話すことに憧れ、一生懸命学びます。オデニボは、ウグウには「英語のスライドする音の混じったイボ語、しょっちゅう英語を話す人のイボ語、ラジオから聞こえてくるような歯切れのいい、正確な英語」を話します。オランナの英語は「もっとやわらかな英語、完璧な英語」です。 こんなふうに、ウグウは初めて出会ったオデニボの周囲の人たちの言葉や話ぶりから、語彙の意味は理解できなくても、その人の出身部族や性向や相性を感受している。ちょっとしたことですが、言葉によって、少年が世界の広さを感じているようすが想像されました。 3人目の語り手はハンサムで気弱なジャーナリスト、リチャード。彼はジャーナリストと言ってもたいした仕事はしていません。ナイジェリアのイボ=ウグウ遺跡の美しさに惹かれて、それをテーマに創作できればいいなと思ってナイジェリアにいるパトロンのような女性のもとに身を寄せています。その彼がひと目で恋に落ちたのがオランナの双子の姉、カイネネ。カイネネは美しいオランナとは見た目も性向も全く似ていません。カイネネはオランナとは違い、時には父の片腕となったり、あるいは独立してビジネスの世界に生きて忙しく飛び回っています。 この2組の恋人たちのスリリングなラブストーリーと、ウグウの成長と、戦争が前になったり、背景になったりしながら、3人の語り手が語る体裁になっています。 ストーリーは紹介しませんが、一つだけ種明かししますね。「私たちが死んだとき世界は沈黙していた」 という言葉が何度も出てきます。ビアフラ戦争を内側から見た文章です。中身はリチャードが書いていた文章ですが、最終的には別の人がこの文章を書き上げたようです。よかったら、読んでみてください。 初めて読んだ現代アフリカ文学でした。ナイジェリアはそのうち人口が世界第3位になる大国だそうですね。この本を読んでからは、サハラ地域だけではなくナイジェリアのことも気にかけています。石油の発見とビアフラの独立が同じころで、グッドニュースかと思いきや、なかなかそうはいかないものなのですね。 SIMAKUMAさん 待ちくたびれさせてすみません。あとをよろしくお願いいたします。2022・07・30・E・DEFUTI追記2024・05・16 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目) (81日目~90日目) というかたちまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.01.28
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スティーブン・フリアーズ「殺し屋たちの挽歌」元町映画館 元町映画館が2022年の11月からシリーズで上映している「12ヶ月のシネマリレー」の、第3弾はスティーブン・フリアーズ「殺し屋たちの挽歌」でした。原題が「THE HIT」だそうで、チラシの写真を拡大したポスターを上に貼りましたが、シャレてますね。 二人組の殺し屋ブラドック(ジョン・ハート)とマイロン(ティム・ロス)が裏切り者のウィリー(テレンス・スタンプ)をスペインのどこかで拉致して、依頼者のいるパリまで運ぶという仕事を請け負って実行するのですが、拉致するときに警護のK察官を殺してしまった結果、K察から追われることになって、なんやかんやあって、もう一人、女性の人質まで連れて逃げることになるという、いわゆるロード・ムービーでした。 いつ殺されても、まあ、シヨウガナイ境遇の裏切り者ウィリー(テレンス・スタンプ)なのですが、なんだか、余裕なのですよね。 この、意味ありげな顔で、ずっとニヤついていて、「死と生はおんなじだ」みたいな、量子論みたいなことを口走って、若いほうの殺し屋(ティム・ロス)を翻弄していくんですよね。そこに、やたらセクシーな人質マギー(ラウラ・デル・ソル)が乗りこんできて、なんだかわけのわからない心理戦の様相なのですが、結末は案外あっけなかったですね。 映画の面白さは心理描写というか、表情の演技だったと思うのですが、普通の人間は「殺す」という発想の手前に、まあ「壁」があると思うのですが、それがあるのはマギーだけで、残りの三人にはないらしいという、そこのところが面白かった(?)ですね。 それから、やはりロード・ムビーなわけで、フラメンコ・ギターの音楽にのって次々に現れるスペインの風景のすばらしさですね。「ああ、こんな所なんだ!」と、うすボンヤリ感動しながら見とれてました。ギターはパコ・デ・ルシアという名人だったのだそうですが、それよりも、テーマ曲をエリック・クラプトンが弾いているとか、事前に言ってもらいたかったですね(笑)。言われていれば、わかったかもしれないのにね(笑)。 それにしても、なんだか不思議な映画でした。一応、監督のスティーブン・フリアーズに拍手!ですね。監督 スティーブン・フリアーズ製作 ジェレミー・トーマス脚本 ピーター・プリンス音楽 パコ・デ・ルシアテーマ曲 エリック・クラプトンキャストジョン・ハート(ブラドック)ティム・ロス(マイロン)ラウラ・デル・ソル(マギー)テレンス・スタンプ(ウィリー・パーカー)ジム・ブロードベント(法廷弁護士)1984年・94分・PG12・イギリス原題「The Hit」2023・01・19-no008・元町映画館no159
2023.01.27
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小川糸「サーカスの夜」(新潮文庫) 「食堂かたつむり」(ポプラ文庫)が評判で、柴咲コウ主演で映画にまでなったころ、高校の図書館の仕事をしていて、棚に並べるために購入した記憶はありますが、内容は全く知りません。本なんて読まない高校生たちに、そこそこ人気があったせいもあって、ぼく自身はついに手に取って読むことはありませんでした。 小川糸という名前はその時に覚えました。で、月に一度、読んだ本の感想をしゃべっている「本読み会」という集まりの課題になったこともあって「サーカスの夜に」(新潮文庫)という作品を読みました。 僕は今、道なき道を走っている。 餞別にとおじさんがくれたオンボロ自転車は、大人用だった。自分で望んだことだけど、やっぱり僕の体には大きすぎる。爪先をまっすぐ伸ばさないと、ペダルに足が届かない、茶色く錆びたチェーンからは、ひっきりなしに耳障りな音が響いている。(P5) こんな書き出しです。全部で16章の短編連作風ですが、冒頭の「今」に始まって16章の「今」まで、「僕」の体験が、「僕」自身によって、ほぼ、時間の流れに沿って書き綴られている作品です。 「僕」は13歳、本来なら中学1年生になる、多分、春のことです。両親に捨てられて以来、世話になりながら、一緒に暮らしてきてグランマと呼んでいるオバサンの屋根裏部屋から出発して、大人用の自転車に乗って、「道なき道を走って」います。 「僕」がグランマの部屋を出発した理由の一つは、まあ、読みはじめれば、すぐにわかることですからばらしますが、10歳になった時に、ホルモンの分泌が止まり、もう、それ以上大きくならないという体になってしまったことにあります。だから「僕」にとって未来は「道なき道」の先にあって、自転車は大きすぎるのでした。 で、目的地は、街の番外地で興行しているサーカス小屋です。第2章以降「僕」が綴るのは、たどり着いたサーカス小屋での出会いと体験です。 なんだか、この国のそこらあたりの出来事の雰囲気で書き出されているのですが、小説の世界の実際は、体の成長が止まるとか、13歳になって中学校ではなくてサーカスに行くとか、要するに「ここ」ではない「どこか」のお話であって、SFとまでは言いませんが、ファンタジーなのですね。で、まあ、「僕」の成長を語るビルドゥングス・ロマンというわけでした。ここではない場所での成長譚ですから、どこか夢物語というわけでした。 というのも、「僕」という一人称で書き出されているこの小説の主人公には、実は名前がありません。マア、グランマとかはご存じなのでしょうが、読者は「僕」を知っているだけですし、サーカスの人たちは、彼のことを「少年」と呼んでいます。 名前のない少年が名前を得ることが「道なき道」の向こうに「道」を見つけるということだというわけでしょうかね?少々、ありきたりな構成が透けて見える気もしますが、この作家の人気の秘密は、実は、そのあたりかもしれませんね(笑)。 さて、作品のクライマックスです。「僕」が名前を手に入れて未来への道を歩きはじめる、その瞬間はこうでした。 今だ。 誰かがぼくの耳元でささやいた。ぼくは、綱雄上に爪先をかける。 一本の細い綱が鮮やかな虹になるのをジメージした。虹が、ふわりと柔らかく、ボクの体を受け止める。その瞬間、僕は虹の上の××××になる。 僕は、虹の上をそっと歩く。そしてこれからもずっと、未来を見つめて歩き続ける。 引用中の××××は「僕」の新しい名前です。グランマの好きなロシアかどこかのスープの名前のようです。このサーカスの登場人物たちは、皆さん、自分の好きな食べ物で名乗っていらっしゃるわけで、「僕」も食べものの名前を手に入れたわけです。 気になる方は、どうぞ作品に当たってください。この作家のいいところは料理の話が上手なところかもしれませんよ(笑)。
2023.01.26
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「初雪です!」 ベランダだより2023年1月25日(水) 1月24日(火)には10年ぶりの寒波襲来とかで、ニュースが盛り上がっていました。夕刻からJR神戸線も止まったようですが、神戸の垂水では強風が吹くばかりで、たいして雪が降るわけでもなくて、ただただ、寒い!だけでした。 そうはいってもお勤め帰りのチッチキ夫人は震え上がった帰り道だったようです。 夜になって降り始めたようです。午後10時を過ぎたころからこんな様子になっていました。 夜が明けるとこんな風景になっていました。5センチも積もったわけではないのですが、ワクワクします。市バスもJRも動いていないらしくて、急遽、おやすみになったチッチキ夫人がはしゃいでいます。 まだ誰も歩いていない裏の広場です。こんな風景は、ここに住み始めて40年近くたちますが一度か二度しか記憶にありません。 カバーをかけるのをさぼった愛車のスーパー・カブ号です。周りの自転車も雪のなかです。お仕事がお休みになって、元気づいたチッチキ夫人がシマクマ君のスマホ・カメラを持って調査に出かけました。 駐車場です。スノー・タイヤなんか履いていない都会の自動車は入庫中ですね。信州松本のカガク君に連絡すると、神戸より雪も多いし、気温も低いようなのですが、いつもの通り保育園も仕事場も営業中だそうです。 団地のお隣の小学校の校庭です。今日は小学校も中学校もお休みのようです。 小学校と団地の間の歩道です。「寒い!寒い!」と言いながら出かけましたが、結構、ウロウロ歩き回って調査したようです。 帰ってきたチッチキ夫人がベランダで叫んでいます。「凍ってるよ!凍ってるよ!」 植木の水やり用のバケツの表面に氷が張っています。一年ぶりの初氷ですね。 台所の北側のベランダには、結構、雪が吹き込んでいて雪だるまになっていたようです(ウソです)。前の広場には子供たちの声もし始めました。シマクマ君は一歩も出る気はありませんが、チッチキ夫人はなかなかお元気ですね。 それにしても、ちょっと嬉しい初雪でした(笑)。ボタン押してね!
2023.01.25
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ナショナル・シアター・ライブ(National Theatre Live)トム・ストッパード「レオポルトシュタット」シネリーブル神戸 久しぶりのナショナルシアター・ライブです。観たのはトム・ストッパードの戯曲「レオポルトシュタット」で、パトリック・マーバーという人の演出です。 トム・ストッパードという人は、ボクがナショナルシアター・ライブを初めて観た「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」という、シェークスピアのハムレットに登場する人物のお芝居の作者で名前は知っていました。 今回は、ユダヤ人であるストッパード自身のルーツに着想を得た戯曲だそうですが、85歳で、イギリス人である老脚本家が、どんなふうにルーツに迫るのか、興味津々という気分でやって来たシネリーブル・神戸でした。 題名の「レオポルトシュタット」はオーストリアのウィーンの街の名前だそうです。1899年、この街で暮らすユダヤ人の家族が、おそらく、大きなお屋敷なのでしょうね、住居の一室につどっています。キリスト教徒ならクリスマスのお祝いでしょうか、過ぎ越しの祭りの集まりのようです。舞台の上の登場人物の数の多さに、目を瞠ります。それぞれが思い思いにしゃべっていて、子供が思い思いに、そのあたりを走りまわっている印象です。上のチラシの上半分の写真のシーンです。 その場を取り仕切っているのは、おばーちゃんのようです。19世紀の最後の年のウィーンです。登場人物たちは、思い思いに近況を語りますが、ユダヤ人の神話的歴史とヨーロッパでの迫害の歴史が、この部屋の人たちの心の底に流れていることを告知するかのような一幕です。 そこから、1900 年、 1924 年、 1938 年、 1955年と5幕の構成で同じ部屋が舞台になっていましたが、うかつなことに、この部屋のある街がレオポルトシュタットだと気付いたのは5幕目の1955年のシーンでした。 1899年の第1幕からは55年、4幕の1938年からでも17年たち、第二次世界大戦後、ようやく独立が認められたオーストリアのウィーン、そのユダヤ人の街、レオポルトシュタットの屋敷に帰ってきたのは、第4幕、1938年に子供だった二人の男の子と、アメリカに渡っていて無事だった女性(名前がよくわかりませんでした)の三人だけでした。 ここまで、あんなに大勢いた登場人物が、ここでは、たった三人です。さすがのボクにも、その理由はわかりました。とんでもない時代が過ぎていったのです。 数学好きだった少年ナータン(上の写真であやとりをしている少年です)、はアウシュビッツで、家族をすべて喪いながら、奇跡の生還を果たし、今では大学で教える数学者で、この屋敷で暮らしているようですが、収容所暮らしの結果でしょうか、実年齢よりずっと老いた風情です。 もう一人の青年レオは、イギリス人のジャーナリストと再婚した母に連れられて渡英した結果、イギリス人のアイデンティティで今日まで生きてきているようです。自分の本名がレオポルドで、ユダヤ人だということさえ知らない様子です。 ドラマのクライマックスは、幼い日の記憶をすべてを忘れてしまっていたレオが1938年のあの日、一族がそろった最後の日のことを、ナータンから手の傷を指摘されることで、ありありと思いだす場面でした。 うまいものです。50年を超える家族の歴史と、1000年にわたるユダヤ人迫害の歴史を、レオとナータンの再会の、哀切な喜びのシーンによって、見ているぼくに焼き付けていくかのようでした。 一族の一人一人が、どのような最期を遂げたかが、延々と続くかに思える名前と死因の朗読で舞台は暗転しますが、こころに残る舞台でした。 20世紀の前半、第1次世界大戦、第2次世界大戦という二つの大戦の敗戦国としての歴史を潜り抜けたウィーンという街と、ヨーロッパにおけるユダヤ人の歴史と文化を、もう一度復習する必要を強く感じました。本当に、何も知らないまま馬齢を重ねていますね(笑)。 何はともあれ、原作者のトム・ストッパードと演出のパトリック・マーバーに拍手!でした。役者たちもなかなかよかったのですが、多すぎて名前がわからないので。まとめて拍手!ですね(笑)演出 パトリック・マーバー原作 トム・ストッパード装置 リチャード・ハドソン衣装 ブリジット・ライフェンシュテュール照明 ニール・オースティン音楽 アダム・コークキャストエイダン・マクアードルフェイ・キャステローセバスチャン・アルメストアーティ・フラウスハン2022年・PG12・イギリス・ウィンダムズ劇場原題National Theatre Live「Leopoldsta」2023・01・17-no006・シネリーブル神戸
2023.01.25
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レックス・レン ラム・サム「少年たちの時代革命」元町映画館 2021年の香港映画です。レックス・レン、ラム・サムという二人の若い監督の共同制作の作品ですが、表現の自由が、ほぼ完全に弾圧されている中での制作のようです。 2019年の民主化運動の中で、抗議の自殺者が急増した現実を背景に、無力と孤独に追い詰められて、自ら命を絶とうとしているらしい少女を、少年たちが捜索し、思いとどまらせようと駆けまわる映画でした。 リアルなデモのドキュメンタリーなシーンの中で、少女の捜索をする少年たちとソーシャル・ワーカーの女性の、それぞれの、そして、お互いのドラマが展開するという作り方で、登場する少年や少女たちが、それぞれ絶望の一歩手前で自らの存在の在り方と向き合いながら「連帯」の可能性に手を差し伸べようとしているピュアなありさまを活写していた佳編だと思いました。 同じ年頃、知らない街のK察署の前で機動隊の出動をレポするという体験があったこと思い出しながら、映像の中にいる少年や少女たちの「幼さ」に、思わず、共感とも自嘲とも判然としないため息をついたりしながら観ていましたが、権力による取り調べの乱暴さを嘆く少女に、「死んでも許してはならない」 と声をかけるYYという、結局、死にたがることになる少女の言葉が突き刺さりました。 興味を失えば忘れて済ましたり、政治情勢の三文評論家然として話題にしたりすることができることとして、例えば、香港やウクライナを見物している風潮がはびこる社会に生きていますが、現場では、人間として「死んでも許してはならないこと」 が、日々起こっていることを、気づかせてくれる、真っすぐな作品でした。 弾圧下でデモの実況を撮ったレックス・レン ラム・サムという二人の監督と少年・少女たちに拍手!でした。 英語の題は「 May You Stay Forever Young」らしいのですが、ぼくはこっちの方がいいと思いましたね。映画の中で、中学生の少年のこんなセリフがあるのです。「大人になるって、この前まで、間違っていると考えていたことを、なんかの理由で変えられるらしいけど、それならボクは大人にはなりたくない。」 ねっ、ありがちなセリフなのですが、今の香港でこれを言われると、ありがちとは言えませんね。ボクはこの辺りに、作っている人の気持ちを感じるのですが、思い入れ過剰でしょうかね。監督 レックス・レン ラム・サムキャストユー・ジーウィン(YY:女子高生)レイ・プイイー(ジーユー:YYの友達)スン・クワントー(ナム:男子高校生)マヤ・ツァン(ベル:ナムの恋人)トン・カーファイ(ルイス)アイビー・パン(バウ:ソーシャルワーカー)ホー・ワイワー(バーニズム)スン・ツェン(ファイ)マック・ウィンサム(ゾーイ)2021年・86分・香港原題「少年」「 May You Stay Forever Young」2023・01・23-no009・元町映画館no158
2023.01.24
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スティーブン・スピルバーグ「プライベート・ライアン」こたつシネマ 映画.com 久しぶりにスピルバーグの作品を観ました。夕食を食べようとコタツに向かってテレビのスイッチを入れるとちょうど始まるところで、見始めて、やめられなくなったのでした。 スティーブン・スピルバーグ「プライベート・ライアン」です。 1998年の映画です。映画を見に行かなくなってからの作品で、劇場では見ていませんが、テレビでは複数回見ている作品です。まあ、今更、感想を書くまでもない作品ですね。話の筋も、どなたでもご存知の作品でしょうから端折ります。ただ、今回、備忘録として書いておきたいことが一つあります。 スピルバーグという人は、残酷シーンを描く時に情け容赦がないところがあるとぼくは思っていますが、この映画の冒頭、ノルマンジー上陸作戦のシーンで次々と死んでいく連合軍の兵士の死のシーンがありますが、徹底して死んでいきます。現場にいる兵士の目に見える周りの兵士たちの死のシーンが、いかにもスピルバーグらしい臨場感で描かれているのですが、そのシーンを見ていて、不覚というか、なんというか、涙が止まらなくなってしまったのです。 どんなにリアルだといっても、映画のシーンに過ぎません。スリラーとかで怖いのならばともかくも、いわゆるリアルな戦場シーンで、なんで涙が止まらなかったのか、我ながら謎ですね。 もっとも、最後の墓地のシーンで、白い十字架がズーっと並んでいるシーンにも、危うく・・・だったことで、少し謎が解けた気はしました。 ぼくは、「お国のため」とかいう言葉を使ってものを言うたぐいの人が嫌いなのですが、あのシーンの余りにもな描き方をみていて、やっぱり、スピルバーグを信用しちゃうんですよね(笑)。 それから、もう一つ。「プライベートPrivate」って「一等兵」とか「二等兵」のことなんですね。見ていれば分かるわけで、忘れていたのか、気づかなかったのかよくわかりませんが、そこのところが、今回の「なるほどそういうことか!」でした。 久しぶりで、まあ、やっぱりテレビ鑑賞でしたが、ミラー大尉の筋の通しかたは悪くないですね。高校の作文の先生だというのも、まあ、ぼくの場合「そうか!拍手!」でしたね。(笑) もっとも、登場人物の中で一番いいと思ったのは、狙撃手のダニエル・ジャクソン二等兵(バリー・ペッパー)で、拍手!でした。ぼくは、ご存知の方にはお分かりいただけると思うのですが、スティーヴン・ハンターのスワガー・サーガかぶれなんですよね。戦争映画とかでスナイパーが出てくると、ちょっと興奮してしまうんですね(笑)。監督 スティーブン・スピルバーグ製作 スティーブン・スピルバーグ イアン・ブライス マーク・ゴードン ゲイリー・レビンソン脚本 ロバート・ロダット撮影 ヤヌス・カミンスキー美術 トーマス・E・サンダース衣装 ジョアンナ・ジョンストン編集 マイケル・カーン音楽 ジョン・ウィリアムズキャストトム・ハンクス(ジョン・H・ミラー大尉)エドワード・バーンズ(リチャード・ライベン一等兵)トム・サイズモア(マイケル・ホーヴァス一等軍曹Technical sergeant)バリー・ペッパー(ダニエル・ジャクソン二等兵・狙撃手)アダム・ゴールドバーグ(スタンリー・メリッシュ二等兵・ユダヤ人)ビン・ディーゼル(エイドリアン・カパーゾ二等兵・イタリア系)ジョヴァンニ・リビシ(アーウィン・ウェイド衛生兵)ジェレミー・デイビス(ティモシー・E・アパム五等技能兵)マット・デイモン(ジェームズ・フランシス・ライアン一等兵)1998年・170分・アメリカ原題「Saving Private Ryan」2023・01・24-no010・こたつシネマ
2023.01.23
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「南紀・串本・橋杭岩」徘徊日記 2023年1月20日(金)紀州路あたり その1 神戸を朝出発して、阪神高速湾岸線から高速道路をぶっ飛ばして、到着したのがお昼過ぎです。南紀、串本の橋杭岩です。 秘境です。奇景です。 橋杭岩というそうです。向こうに見えるのが紀伊大島です。その右あたりの潮岬にもよってほしかったのですが、時間の余裕がありません。 岩の上には鳥がたくさんいます。白い海鳥ではなくて、どうもトンビのようです。しっぽのかたちを観ていると鷹ではないことは確かのようです。 岩の向こうに見えるのは太平洋です。向こうの大島の南端まで行ってみたいのですが、残念ながら、今日は無理のようです。 もう、こうやってポカンと見ているよりほかありませんね。案内の看板もありました。近所には食堂とか土産物お店もあります。 看板のすぐ下は、もう海ですが浅瀬です。水が異様に透き通っていて、ピントを合わせるのがへたくそなシマクマ君のスマホ・カメラでも小魚の大群が写せました、 海沿いに置かれているベンチに座って奇岩の列を眺めながら、おにぎりを食べて、お茶を飲みました。40年ほど前に、一度、来たことがある場所ですが、何も覚えていませんでした。 確かなことは、同行の友人数人の中にチッチキ夫人もいたということだけです。今日はヤサイクンとチッチキ夫人の三人です。 さて、そうノンビリもしていられません。ここを越えればいよいよ那智の滝です。ボタン押してね!
2023.01.22
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「那智の滝」 徘徊日記2023年1月20日(金)紀州路あたり その2「20日の金曜日に那智の時に行くけど、行きますか?」「えっ?那智の滝?行く行く!」 マア、そういう次第でヤサイ君号に同乗して、今日は紀州路徘徊です。神戸の摩耶から阪神自動車道湾岸線、阪和自動車道、紀勢自動車道と走りに走って、和歌山の周参見、すさみと読むそうですが、そこから串本、古座、太地と太平洋に面した地道を走って、ようやく那智勝浦町です。 串本を通過したあたりの車窓から見える太平洋の風景です。右手の島は、多分、紀伊大島ですね。 おお、やっとのことで那智勝浦町です。那智の滝の標識が見えてきました。標識を左折して北に向かうと道の両サイドが山になって、山の上に滝です! 着きました!神戸を9時に出発しましたが、ただいまの時刻、13時30分です!。 世界遺産です!那智御滝です! ここは駐車場です! うっそうとした杉林です!石段です!よろけます!熊野のです! 木立の向こうは日が差していて、滝です! 全景が見えてきました。水量は少なめですが、まあ、それだからでしょうね、かえって、優雅な姿です。見物の人も、ほとんどいらっしゃいません。静かなものです。 これが、全景です。実は、40年ほど昔に、一度、来たことがあります。今回で、生涯二度目です。学生の頃でしたが、なぜか、その時もチッチキ夫人が一緒でした。 その時の那智の滝は、あおむけに寝転がった大地母神が天に向かって放尿している印象で、おおらかで、エロティックでしたが、今日の那智の滝は優雅で上品でした。 滝の前には蝋燭をともす燭台と護摩木を燃やす火鉢があつらえてあります。護摩木も蠟燭も一つ100円でした(笑)。そういうことには無関心なはずのシマクマ君も護摩木を焚きました。滝の霊力のなせる業ですね(笑) 滝見の広場の片隅にこんな石がありました。滝見物を終えた皆さんが撫でていらっしゃいました。遥拝石とか書いてあります。頭は、なでられてつるつるです。 ああ、これが由緒書きの看板ですね。滝のじゃなくて、那智飛竜神社ですね。この神社は確か火祭りとかもあって、なかなか、あだやおろそかにはできない神社なのですが、何度も来ることができる場所ではないですね。 さあ、ここから青岸渡寺、那智大社本殿まで、ちょっと大変です。でも、まあ、歩かないわけにはいきません。続きは「青岸渡寺」編でどうぞ。追記2023・02・12紀州路徘徊のその1をようやくアップしました。日付もテレコですが、よけれポチっとして覗いてみてください(笑)。ボタン押してね!
2023.01.21
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100days100bookcovers no87 87日目ルシア・ベルリン「掃除婦のための手引書 ルシア・ベルリン作品集」(岸本佐知子訳 講談社文庫) 遅くなりました。SODEOKAさんが採り上げた川端康成『雪国』からどう接続したらいいのか、なかなか思いつかなかった。 こういう「古典」は大概読んでいないのだけれど、『雪国』は何かのきっかけで読んだ記憶は一応あった。あったけれど、駒子というヒロインと名前くらいしか覚えていなかった。 SODEOKAさんの紹介文で、物語のラストあたりは思い出したが、それももしかしたら映像で観た記憶と重なっているやもしれず、読書の記憶かどうかは判然としない。 どういう接続をしようかと考えていて、コメントに中に三島の名前が出てきたのを思い出した。検索してみたら、川端がノーベル文学賞を受賞した年に三島も候補に挙がっていたという話だった。三島は、仕事絡みで一部を読んだことを除けば、未だにまともに読んだことがない。学生のときに一学年上の先輩(DEGUTIさんですけど)に「国文科に来る男で三島を読んだことないとかいうのはおまえくらいや」と言われたのを覚えている。 いや、ほんとに文学には縁が、あまりというかほとんどなかったのだ。では何で国文科を選んだのかという話はここではしないが、ああそういえば、と思い出した。 三島の小説は読んでいないけれど、「三島」の名前が出てくる小説は近頃読んだ。『雪国』とは直接はまったく接点はないのだけれど、この際、ご容赦いただくとして。『掃除婦のための手引書 ――ルシア・ベルリン作品集』ルシア・ベルリン 岸本佐知子訳 講談社文庫 この文庫を読むきっかけになったのは、twitterで訳者の岸本佐知子のアカウントをフォローしている関係で、2019年7月にこの文庫の親本が出たときから情報をずっと得ていたことである。 今年3月に文庫になって、おもしろそうだなと改めて思って、久しぶりに文庫ながら新刊を買った。原題は"A Manual for Cleaning Women : Selected Stories by Lucia Berlin"。 「訳者あとがき」によれば、作家は1936年アラスカ生まれのアメリカ人で2004年没。生涯に76の短編を書いた。1977年に世に出た初めての作品集"A Manual for Cleaning Ladies"により、一部には名を知られる存在になったが、生前も死後も「知る人ぞ知る」作家だった。しかし2015年、全作品から43編を選んだ作品集"A Manual for Cleaning Women"が出版されて事態は変わる。その年の雑誌新聞の年間ベストテンリストのほぼすべてを席巻。 この邦訳版は、その2015年の作品集から24編を選んだもの。残りの19編は、今年4月『すべての月、すべての年』として出版された。 作家は、鉱山技師だった父親の関係で、幼少期はアイダホ、ケンタッキー、モンタナなどの鉱山町を転々とする。5歳のときに父親が第二次大戦に出征、母と妹とテキサスのエルパソにある母の実家に移り住む。歯科医の祖父は酒浸り、そして母も叔父もアルコール依存症。終戦後、父が戻ると、チリのサンチャゴに移住、18歳でニューメキシコ大学に進むまでチリで過ごす。エルパソの貧民街から召使い付きのお屋敷暮らしへ。 大学在学中に最初の結婚、2人の息子をもうけるがその後、離婚、58年にジャズピアニストと2度めの結婚、ニューヨークに住む。さらにジャズミュージシャンだった3番めの夫と61年からメキシコで暮らし、2人の息子を授かるが、夫の薬物中毒等により離婚。ベルリン姓は3番めの夫の姓とのこと。 71年からカリフォルニアのオークランドとバークレイで暮らし、学校教師、掃除婦、電話交換手、ER(救急救命室)看護助手等をこなしながら、4人の息子を育てる。このころから自らアルコール依存症に苦しむ。 小説は20代から書いていて、24歳でソール・ベロー主宰の雑誌ではじめて作品が活字になった。その後、文芸誌に断続的に作品を発表。85年には今回紹介する作品集所収の「わたしの騎手(ジョッキー)」がジャック・ロンドン短編賞を受賞。 90年代以降、アルコール依存症を克服後はサンフランシスコ郡務所等で創作を教えるようになり、94年にはコロラド大客員教授に。准教授にまでなるが、子供の頃から患っていた脊椎湾曲症の後遺症等が悪化、酸素ボンベが手放せなくなる。2000年大学をリタイア、2004年癌で死去。 と、バイオグラフィーを書き連ねたのは、作品がほぼすべて作家のこうした経歴や経験を基にしているからだ。 たしかに題材を採りたくなるような波乱に満ちた家庭環境や経歴、経験に思える。 素直に考えれば、そこに作家が創作上の「リアリティ」の源泉ないし支点を求めたということだ。あるいは、経験以上に「リアル」な物語を紡ぎ出すほど「器用」ではなかった。 小説は、短いものは2ページに満たないものから、長くても23ページほど。読んでみてわかる、この作家の最大の特質は、やはりその「表現」であり言葉の選び方だ。「訳者あとがき」で訳者が使う用語を使うなら「声」ということになる。多少曖昧な表現に変えるなら「文体」ということになるのかもしれない。ただ、原文は英語なので、訳者を通した上での「声」であり「文体」ということになる。 「強い」状況を「強い」言葉で表現しながら、そこにユーモアや得も言われぬ叙情性や詩情が浮かび上がる。散文が詩に変わるときがある。 自身のことを描いても、そこには自らや状況を突き放したような「透徹」で「リアル」な距離がある。これは出来事と、執筆された時間と場所に実際に「距離」があるということだけに由来するものではない、おそらく。 いくつか紹介する。(なお、まとまった引用は、>引用部分<で示す。) まずは、「三島」が登場する「わたしの騎手(ジョッキー)」。「わたし」はER(救急救命室)看護助手。>わたしがジョッキーを受け持つのはスペイン語が話せるからで、彼らはたいていがメキシコ人だ。はじめてのジョッキーはムニョスだった。まったく。人の服なんてしょっちゅう脱がしていうるからどうってことない。ものの数秒で済んでしまう。気を失って横たわるムニョスは、ミニチュアのアステカの神様みたいに見えた。乗馬服はひどく複雑で、まるで何かの込み入った儀式をしているようだった。あんまり時間がかかるので、めげそうになった。三ページもかかって女の人の着物を脱がせるミシマの小説みたいだ。(中略)長靴は馬糞と汗の匂いがしたけれど、柔らかくてきゃしゃで、シンデレラの履きもののようだった。彼は魔法をかけられた王子様みたいにすやすや眠っていた。 眠ったまま、彼はお母さんを呼びはじめた。患者に手を握られることはたまにあるけれで、そんなもんじゃない、わたしの首っ玉にしがみついて、泣きながら「ママシータ! ママシータ!」。そのままではジョンソン先生が診察できないので、わたしはずっと赤ちゃんみたいに抱っこしてた。子供みたいに小さいのに、力が強くて筋肉質だった。膝の上の大人の男。これは夢の男、それとも夢の赤ん坊?< 比喩が少なくない。この作品集全体に言えることだが、特にこの掌編はそういう傾向がある。しかし「ジョッキー」という存在が、初めて見て触れるものみたいに描かれた作品には、新鮮な驚きと慈しみが感じられる。 そして、作品集中最も短い「マカダム」。>まだ濡れているときはキャビアそっくりで、踏むとガラスのかけらみたいな、だれかが氷をかじってるみたいな音がする。 わたしもよくレモネードを飲みおわったあとの氷をガリガリかじる。ポーチのスイングチェアで、お祖母ちゃんとふたり揺られながら。わたしたちは鎖につながれた囚人たちが、アプソン通りを舗装するのをポーチから眺めていた。親方がマカダムを地面に流すと、囚人たちはどすどすと重いリズミカルな足音をたててそれを踏みかためた。鎖が鳴る。マカダムはおおぜいの人が拍手するみたいな音をたてた。(中略) わたしもよく声に出して、マカダム、とこっそり言ってみた。なんだかお友だちの名前みたいな気がしたから。< おそらくは子供の頃に転々として住む場所を変えていたことや家庭環境に関わりがあるのだろう、孤独な子供の肖像が静かに描き出される。 ちなみにこの「マカダム」、調べてみると実際に人の名前だったことがわかった。ジョン・ライドン・マカダム。作家はそれを知っていたのだろうか。 歯科医の祖父のことを書いた「ドクターH.A.モイニハン」では、歯科医の祖父が、自身の歯を総入れ歯にするために、「新しい連中」のやり方によって、前もって型を取って作った義歯を入れるために歯を抜くという「ホラー」が描かれる。 ウイスキーを飲みながら、祖父が自分の歯をペンチで抜き始める。(おそらく)小学生の「わたし」にも手伝わせる。>祖父はわたしの頭ごしにウイスキーの瓶をつかみ、らっぱ飲みし、べつの道具をトレイから取った。そして残りの下の歯を鏡なしで抜きはじめた。木の根をめりめり裂くような音だった。冬に地面から木を力ずくでひっこぬくような。血がトレイにしたたり落ちた。わたしがしゃがんでいる金属の台にも、ぽた、ぽた、ぽた。 祖父が馬鹿みたいに笑い出し、ああついに頭が変になったと思った。< それから、祖父はわたしに「抜けえ!」と言う。祖父はやがて気を失う。>わたしはその口を開けて片方の端をペーパータオルを押し込み、残りの奥歯三本を抜きにかかった。 歯はぜんぶ抜けた。ペダルを踏んで椅子を下げようとして、まちがってレバーを押してしまい、祖父はぐるぐる回転しながら血をあたりの床にふりまいた。そのままにしておくと、椅子はきしみながらゆっくり停まった。ティーバッグが必要だった。祖父はいつも患者にティーバッグを噛ませて止血していた。(中略) 口に入れたタオルは真っ赤に濡れていた。それを床に捨て、口に中にティーバッグをひとつかみ入れて顎を閉じさせた。ひっと声が出た。歯がなくなった祖父の顔はガイコツそっくりだった。毒々しい血まみれの首の上の白い骨。おそろしい化け物、黄色と黒のリプトンのタグをパレードの飾りみたいにぶらさげた生きたティーポット。< この、「臨場感」というか、感覚的に迫ってくる感じは恐ろしいほど。にもかかわらずユーモアも漂う。 そして表題作「掃除婦のための手引書」。 路線バスの番号別に、それぞれの家に赴く一人の掃除婦の独白の形式。所々で、ターと呼ばれる死んでしまった夫ないしボーイフレンドのことが語られる。>ある夜、テレグラフ通りの家で、ターが寝ていたわたしの手にクアーズのプルタブを握らせた。目を覚ますと、ターはわたしを見下ろして笑っていた。ター、テリー、ネブラスカ生まれの若いカウボーイ。彼は外国の映画を観にいくのをいやがった。字を読むのが遅いのだと、あるとき気がついた。 ごくたまに本を読むとき、ターはページを一枚ずつ破って捨てた。わたしが外から帰ってくると、いつも開けっぱなしだったり割れていたりする窓からの風で、ページがセーフウェイの駐車場の鳩みたいに部屋中を舞っていた。<>ターは絶対にバスに乗らなかった。乗ってる連中を見ると気が滅入ると言って。でもグレイハウンドの停車場は好きだった。よく二人でサンフランシスコやオークランドの停車場に出かけて行った。いちばん通ったのはオークランドのサンパブロ通りだった。サンパブロ通りに似ているからお前が好きだよと、前にターに言われたことがある。 ターはバークレーのゴミ捨て場に似ていた。あのゴミ捨て場に行くバスがあればいいのに。ニューメキシコが恋しくなると、二人でよくあそこに行った。殺風景で吹きっさらしで、カモメが砂漠のヨタカみたいに舞っている。どっちを向いても、上を見ても、空がある。ゴミのトラックがもうもうと土埃をあげてごとごと過ぎる。灰色の恐竜だ。 ター、あんたが死んでるなんて、耐えられない。< 好きだった男を「ゴミ捨て場」に喩える例はたぶん他に知らない。しかも、その後を読むと、彼女の感じるターの魅力が伝わってくる。 さらに、いろんな意味で作家に大きな影響を与えたと思しき母親を書いた「ママ」は、メキシコシティで暮らす、末期ガンの妹サリーとの会話を中心にしている。>母は変なことを考える人だった。人間の膝が逆向きに曲がったら、椅子ってどんな形になるのかしら。もし、イエス・キリストが電気椅子にかけられたら?そしたらみんな、十字架のかわりに椅子を鎖で首から下げて歩きまわるんでしょうね。「あたしママに言われたことがある。『とにかくこれ以上人間を増やすのだけはやめてちょうだい』って。」とサリーは言った。「それに、もしあんたが、馬鹿でどうしても結婚するっていうなら、せめて金持ちであんたにぞっこんな男になさいって。『まちがっても愛情で結婚してはだめ。男を愛したりしたら、その人といつもいっしょにいたくなる。喜ばせたり、あれこれしてあげたくなる。そして「どこに行ってたの?」とか「いま何を考えてるの?」とか「あたしのこと愛してる?」とか訊くようになる。しまいに男はあんたを殴りだす。でなきゃタバコを買いに行くと言って、それきり戻ってこない』」「ママは"愛"って言葉が大嫌いだった。ふつうの人が"淫売"って言うみたいにその言葉を言ってたわ」「子供も大嫌いだった。うちの子たちがまだ小っちゃかったころ、四人とも連れてママと空港で会ったことがあるの。そしたらあの人『こっちに来させないで!』だって。ドーベルマンの群れかなんかみたいに」<>「愛は人を不幸にする」と母は言っていた。「愛のせいで人は枕を濡らして泣きながら寝たり、涙で電話ボックスのガラスを曇らせたり、泣き声につられて犬が遠吠えしたり、タバコをたてつづけに二箱吸ったりするのよ」「パパもママを不幸にしたの?」わたしは母に訊いた。「パパ?あの人は誰ひとり不幸にできなかったわ」< いや、この部分がどの程度「事実」に基づいているか、あるいは内容の「妥当性」はいかほどかを別にして、この「切れ味」は相当なものだ。 これが作家の実際の母親の発言に近いとしたら、この母にしてこの作家というところは確かにある。訳者の作家を評する言葉を借りれば「冷徹な洞察力と深い教養と、がらっぱちな、けつをまくったような太さが隣り合わせている」。 他に、アルコール依存症の自身を題材にとった「最初のデトックス」「どうにもならない」「ステップ」では、「悲惨」な状況をしかし淡々と描くことによってかえって日常の切迫感が浮き彫りになり、サンフランシスコ群刑務所で創作を教えた経験に基づいた「さあ土曜日だ」では、一人称を服役囚にして、自らが経験した「先生」も登場させるのだが、悲しいラストも含めて「小説」としてとりわけ印象に残る。 あるいは、三番めの夫との出会いと別れが回想される「ソー・ロング」も、わずか15ページほどで過去と現在が映像的なイメージで見事に交錯する。 もしかしたら、映像喚起的というのもこの作家の特質の一つかもしれない。作家には、「大丈夫」ではない自身やその周囲を観察し、想起し、認知する視線がいつもある。感情的にも不安定で愚かしい行動に走る自身をそして周囲を、肯定するのではなく「自覚」し「認知」している。 繊細で鮮やかな描写も、そこから始まる。だからどんなに苛烈な場面や物語でも、どこかに「優しさ」に似たものを感じる。 最後に翻訳について。原文の英語がわからないし、わかったとして翻訳の良し悪しを判断する力量などないので単なる印象になってしまうが、岸本佐知子の翻訳はすばらしいと思う。では、DEGUTIさん、次回、お願いいたします。T・KOBAYASI・2022・06・30追記2024・05・16 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目) (81日目~90日目) というかたちまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2023.01.20
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「春節祭の南京街」徘徊日記 2023年1月19日(木)元町あたり 神戸の元町にある南京街では、毎年「春節」を祝うお祭りがにぎやかです。「春節」というのは、旧暦のお正月ですが、今年は1月22日の日曜日だそうです。元町商店街では10日過ぎから。赤い提灯が飾られて、春節気分を盛り上げていましたが、今日は、南京街を通り抜けました。 元町映画館とかシネリーブル・神戸とか、まあ、ボクがしょっちゅう通っている映画館に行くときに、JR神戸駅から歩くことにしていますが、普段は元町商店街とか、もちろん、南京街とかは避けて歩きます。繁華街をふらふら歩くのは嫌いではありませんが、コロナ騒ぎが始まって以来「ちょっとなあ・・・」という気分だったのです。はい、理由は人通りが多いからですね。 というわけで、今日は久しぶりです。写真は上ばかり撮っていますが、街角というか通路というかには人がいっぱいです。 西安門から入って、この辺りが真ん中の四阿あたりですが修学旅行の中学生でいっぱいです。今日ここを通っているぼく自身は、なんで通っているかといえば、もちろん春節前の賑わいを見てやろうということなのですが、実は、昨日の夕刻、シネリーブルという映画館で老眼鏡を落としたのですね。親切にも連絡をただいて回収に向かっていたのです。 映画を見るのに老眼鏡はいりませんが、見る前にチラシを見たりするには必要で、灯りが消えると何とも思わずケースごとポケットに入れて落としました。映画を見る姿勢がだらしなくて、隣の座席も使ってゴロゴロした態度なので、ズボンのポケットの財布とかタバコことか、よく落とし物をします。 で、今回は老眼鏡を落しというわけです。落してみると不便です。手元の文字が全く読めません。「来週にでも伺います。」と、いただいたお電話には返事をしたものの、朝一番に元町映画館で映画を1本見て、そこから南京街を見学してシネリーブルに向かっていたというわけです。 春節祭の本場は1月22日の日曜日ですが、ボクには、この日の人込みで十分でした。名札付きの制服姿なので、いきなり名前とか呼びかけると驚くだろうとか思いましたが、考えただけですよ、もちろん。でも、うじゃうじゃいる中学生というのはめんどくさそうですね。 東の門、長安門を出ると、大丸です。1月の青空で、入り口には人がたくさん集まっています。ここに、人っ子一人いなかった日がありました。あの日もボクはシネリーブルを目指していたのですが(笑)、あれから4年目ですね。毎日の感染者は減っていませんし、死者だってかなりな人数が続いていますが、みんな、忘れたがっているようです。 まあ、何はともあれ老眼鏡です。無事回収できました。ヤレヤレでした(笑)。ボタン押してね!
2023.01.19
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トーン・テレヘン「おじいさんに聞いた話」(訳:長山さき・新潮クレストブック) 市民図書館の新刊の棚にあったのですが、新潮クレストブックのシリーズで出版されたのは2017年のようです。著者のトーン・テレヘン(Toon Tellegen)は作家で、詩人で、お医者さんのようです。で、この名前は、どこかで聞いたことがある気がしましたが、読むのは初めてです。手にとってページを開いてみると、1941年生まれで、オランダの人のようです。本業はお医者さんらしいですが、動物を主人公にしたお話や絵本を子供たちに書いている人だったと思いだしました。 もっとも、この本は字ばかりです。もともとの題は「パブロフスクとオーストフォールネ行きの列車」というらしいのですが、日本での出版にあたって「おじいさんに聞いた話」としたようです。祖父と母とぼく、三人で列車に乗っている。世界が揺れ、金と赤の線の入った黒い制服の車掌が姿を現す。「どちらまで?」と車掌が訊ねる。「パブロフスクまで」と祖父が「オーストフォールネまで」とぼくが答える。母は黙っている。「三人いっしょです。」とぼくたちは言って、切符を見せる。車掌は制帽をトントンと叩き切符を切って言う。「定刻に着くかもしれないし、少し遅れるかもしれません」 ページを開くと、最初のページに、こんなふうに始まる「パブロフスクとオーストフォールネ行きの列車」という長い詩が載っていました。 調べてみると、題名になっているハバロフスクはロシアの、オーストフォールネはオランダの、それぞれ地名のようです。祖父と母とぼくが、三人一緒に二つの目的地に向かう列車に乗っているシーンから詩は始まりますが、どこに着くのでしょうね。 詩のあとには、「おじいさんに聞いた話」が40篇ほどのっています。お家にオジーちゃんがいらっしゃって、うだうだ話 をお孫さんが聞いて書きつけていると小説集になるなんて言うのは、なんかうらやましい限りですが、よく考えてみると、ぼく自身が立派にオジーちゃんなわけで、お孫さんであるところの、チビラくんたちの誰かに話を聞かれて話すことなんてあるかなと思うと、実に心もとないわけで、ひょっとして、そんな日もあるかもと、ちょっと、夢見る心地になって、まあ、その時の参考にとかなんとか考えて読みはじめました。 で、どんな、うだうだ話かというと、要するに、なんだか行く先のあやふやな列車の中のおはなしのような、そうでないような、これがなかなか手が込んでいて、一筋縄ではとても「ご案内」出来そうもありません。そのうち、何とかしたとは思いますが(笑) 今回は追記として、最初の詩を全部載せておきます。なかなか意味深なのですが、面白ければ、本作の方へどうぞ(笑)。追記2023・01.18パブロフスクとオーストフォールネ行きの列車祖父と母とぼく、三人で列車に乗っている。世界が揺れ、金と赤の線の入った黒い制服の車掌が姿を現す。「どちらまで?」と車掌が訊ねる。「パブロフスクまで」と祖父が「オーストフォールネ迄」とぼくが答える。母は黙っている。「三人いっしょです。」とぼくたちは言って、切符を見せる。車掌は制帽をトントンと叩き切符を切って言う。「定刻に着くかもしれないし、少し遅れるかもしれません」祖父はパイをもってきていた。スイカとクワスも。ヒマワリの種が祖父のポケットから落ちる。ぼくはチーズとチョコレートチップのサンドイッチ、オレンジジュース、クッキー、グミ、をもってきていた。母はなにももってきていなかった。おなかもすかないし、のども渇かないのだそうだ。祖父はイヴァン・クルイロフの「寓話」からクマとカラスの話をしてくれる。ぼくはハン・G・フークストラのしっぽのないネコについての詩を朗読する。窓の外を見ている母が聴いているのか、ぼくにはわからなかった。地平線が夕日に染まっている。母はぼくたち―自分の父親と息子を混同しているのかもしれない。祖父は復活祭の夜と大火事の話をする。ぼくはブリーレの仮装行列と四月一日の解放記念日、塁壁の話をする。祖父はロシアの祭りマーステニツァ、ネヴァ河の氷の道、街のにぎわいについて。ぼくはトゥルフカーデ通りの移動遊園地とロッテルダムの巨人について。ぼくは座席に立って「こんなに大きいんだよ」と手で示す。祖父はそれよりもっと大きな巨人を見たことがあったしもっと小さな人も見たことがあった。祖父のカバンのなかには飲み物のビンが三、四本はいっている。飲み物は水のように見えた。グラスもいくつかもってきており、ぼくに注いでくれた。ぼくにははじめての味だ。祖父は皇帝の暗殺について聞いたことがあった。日曜日の公園で撃ち殺されたのだ。ぼくはクリストファー・コロンブスと白雪姫、皇帝ネロを観たことがあった。ロッテルダムの映画館で。祖父はラドガ湖を蒸気船で渡って修道院に行った。ぼくはカヌーで港が終わるところまで行った。祖父がホームに立つチェーホフを見つける。曲がった背、メガネ、ハンカチで口をふさぐ姿―あれはアントン・パーヴロヴィッチにちがいない!ぼくには旅行カバンを手にしたヨープ・ストッフェレンに見える。アヤックスとナショナルチームのミッドフィルダーだ。母がぼくたち二人を見つめる。まるでなにかを予感しているか、じっと考えているようなまなざしで。どう説明すればいいのだろう―「ペスブリダニスタだな」「持参金なしの花嫁」母は顔を赤らめる。ぼくもだ。愛おしくて、母の頬にキスしたくなるが、ぼくはしない。「もうとっくに着いているはずだ!」突然、祖父が大きな声で言った。乗ってから何時間も経っていた。奇妙な名前の奇妙な村をいくつも通過した。「車掌さん!この列車はどこに向かってるんですか?」いったいなにが起こっているのか?兵士たちと暴走する馬たちが見える。遠くで大砲のヒューッ、ドーンという音がする。カラスがあたり一面を埋めつくしている。何千羽ものカラスがカーカー鳴き、羽ばたき死んでいる。車掌が片目から血を流して車両の連結部で倒れている。まだ息をしていると思ったらつぎの瞬間には息絶えていた。祖父とぼくは車掌を見つけ、また座席にもどる。ため息をついて祖父は髭をかきむしる。ぼくはむせび泣き、爪をかむ。日が暮れかけていた。「大変なことになるぞ。」と祖父が言う。「わたしが言ったとおりだ!もう二度と元にはもどらん。もうどこにもたどり着かんのだ」母がかすかに首をふり、髪の毛を後ろに撫でつける。「明日着くわよ」と母は言った。「明日の朝早く」祖父とぼくはうなずく。ぼくたちは母の言うことだけを信じ、ほかの考えを押しのける。月がのぼる。大地のざわめきは静まり、霧におおわれてゆく。農民は薄暗がりのなか、シャベルにもたれるか疲れきって柵にもたれるかしている。母がとても小さな声で子守唄を歌う。「レールモントフのだね」と祖父が言う。「ぼくのだよ」ぼくは言った。「これはぼくのうたなんだ」「戦に備えるなら、母のことを思え・・・・・」母はぼくの手を撫で足に毛布をかける。そんなふうにぼくたちは夜汽車に乗っている―祖父、母、そしてぼくは、小声で話をする。ほとんど知らないことについて、恐れるべきこととけっして恐れるべきではないことについて。これからのこと、昔のことと古い本の匂い、夏のことと遠くのこと、やわらかなカバノキとゴツゴツしたカバノキのちがいについて、波の打ち寄せる音と自分たちのまわりの土地について、ぼくたちは話す。車輪の音しか聞こえなくなるまでパブロフスクトオーストフォールネ行の列車の車輪。 ねっ、長いでしょ。追記2024・05・18 詩のあとには「おじいさんに聞いた話」が続きますが、その、さわりを載せてみます。 散歩 祖父は散歩が好きだった。高齢になっても毎日曜、雪でも雨でも休むことなく散歩をした。まだ歩けるようになったばかりのころから、子守の女性に手をひかれてサンクトペテルブルクの公園や森林公園を散策したそうだ。 一八八一年のある日曜日の朝、散歩中に爆弾の音が聞え、人びとが走って逃げるのを目にした。馬車は飛ぶように祖父の目の前を駆け抜けた。祖父がいたところから百メートルと離れていない場所でアレクサンドル二世が暗殺されたのだ。 中略 一九〇五年のある日曜には皇帝が祖父のいたほうにやって来た。遠くの方からすでにその姿が見えていたそうだ。皇帝は白馬に乗り、二人の騎手が先導して道をあけた。旗手たちは長い鞭を手にしていた。 祖父は小路を離れて木の下に立っていた。 道のすぐそばに男の姿が見えた(「偶然にもロシア人だった」と祖父は言っていた)。男は本に夢中で、皇帝が近づいていることに全く気付いていなかった。「どけ!」と旗手たちが叫んだ。男は顔をあげたが、自分がどこにいるのかわからないように見えた。「もしかしたら頭の中ではヤルタの大通りにいたのかもしれない」と祖父は言った。「あるいはどこかの老婦人の家のペンキのはげた階段に立っていたのかも」先頭の騎手が男を鞭ではたいた。 男はうしろに倒れた。 皇帝は砂ぼこりの中を駆け抜けた。皇帝の名のもとになにがおこなわれたのか、気にとめることもなく。 祖父は男を助けおこし、体を支えた。「大丈夫です」と男は言い、本を拾ってほこりをはたき、つぶやいた。「どこを読んでたっけ?」 男の頬から右の首まで、太く真っ赤なミミズ腫れができ、ところどころ血がにじんでいた。 祖父になにも言わず、男はきびすを返して、ページをめくりながら立ち去った。「なにを読んでいたのか見えなかったのが残念だ」と祖父は言った。散歩を再開し、自分が遭遇したことを思い返すと、こんな言葉が浮かんできた。「またしても一歩、終わりが近づいた。」「だが、それがなんの終わりなのか、そのときおじいちゃんにはまだわからなかった」五十年近くたって。祖父はぼくにそう言った。ため息をつき、左手で髭をなでながら。まあ、こんな感じです。
2023.01.18
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ハン・ジェリム「非常宣言 EMERGENCY DECLARATION」109シネマズハット ここのところ、ちょっと常連化し始めている109シネマズハットにやってきました。観たのは韓国映画、ハン・ジェリムという監督の「非常宣言」です。原題が「EMERGENCY DECLARATION」だそうですから、そのまま邦訳すれば「緊急事態宣言」とかいう日本語になりそうですが、「非常宣言」という、日本語の語感としては、なんか変な印象の題でした。何か、意図があるのでしょうかね? 飛行機とウイルス感染を使ったパニック映画でした。言葉は変ですが、まじめに見る人がいれば、先ほどの邦題のつけ方に始まって、いろいろ、いちゃもんをつけたくなる設定も、あれこれ感じましたが、映画全体の気合というか、勢いで、結構楽しく見ました。 ソン・ガンホという俳優が気に入っていて、まあ、彼を見に来たという面もあるわけなのですが、全体として、もちろん真面目に作られているのですが、どこか「マンガ的」ともいうべき展開を底から支えるかの立ち位置の役柄で、結果的には、もっとも「マンガ的」な、だから、もっともまじめな人物を、実に彼らしく演じていて、笑いとともに拍手!でした。 もう一人、この人の顔はどこかで見たなという俳優はイ・ビョンホンでしたが、彼は、ソン・ガンホとは対照的な役柄で、まあ、隠遁から目覚めるヒーローというか、かっこいい役をかっこよく演じて拍手!でしたが、男前は得ですね(笑)。 飛行機の乗客、乗務員全員が、わけのわからないウイルスに感染し、死んでしまった機長に代わって操縦している、副操縦士が「非常宣言」を出すのですが、にもかかわらずですね、アメリカ、日本、自国の大統領府からさえも着陸を拒否されるという設定には、少々無理がありましたが、2020年、コロナウイルスの蔓延で都市封鎖した武漢の生活の記録である「武漢日記」を読んだばかりということもあってでしょうか、機内の人間、だから、感染して苦しんでいる人間の命を気遣うことなく、着陸後の感染の危険性を主張するという、地上の政治家たちの異様な論旨に、「そういう対処の仕方をしそうだな。」という妙なリアルを感じてしまいました。これって、「コロナ後の世界」の始まりなのでしょうかね。 で、もうひとつ面白かったのは、緊急着陸を要請した成田で自衛隊機が威嚇射撃までして感染機を追い払い、そのあと、日本の政治家の、口先だけの言い訳声明が続くシーンがあるのですが、なんだか、これまた、やりかねない気がしましたが、そういうことを、今、やるかやらないかはともかく、映画を離れて、韓国側から日本を見れば、そういう国だということなのかもしれませんね。 ここの所の対韓政策や、なし崩しの軍拡政策に対する、映画製作者の痛烈な揶揄を感じましたね。監督 ハン・ジェリム製作 ハン・ジェリム製作総指揮 キム・ドゥス脚本 ハン・ジェリム撮影 イ・モゲ パク・ジョンチョル編集 ハン・ジェリム音楽 イ・ビョンウ チョン・ジフンキャストソン・ガンホ(ク・イノ刑事)イ・ビョンホン(パク・ジェヒョク元パイロット)チョン・ドヨン(キム・スッキ国土交通省大臣)キム・ナムギル(ヒョンス副操縦士イム・シワン(リュ・ジンソク:テロリスト)キム・ソジン(ヒジンチーフパーサー)パク・ヘジュン(パク・テス大統領府危機管理センター)2022年・141分・G・韓国原題「Emergency Declaration」2023・01・16-no005・109シネマズハットno21
2023.01.17
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方方「武漢日記」(河出書房新社) 市民図書館の返却の棚にありました。武漢という地名が気になって手に取りました。2020年の1月、中国、湖北省の武漢という都市の封鎖、ロック・ダウンが発表されて驚いた記憶があります。ぼくの中では、もう3年、そして4年目に入ったコロナ騒ぎの始まりの町の名前です。 書き手は方方、ファンファンと読むそうですが、という、中国では知られた女性作家だそうです。 内容は、表紙に「封鎖下60日の魂の記録」と赤字で記されていますが、ロック・ダウンが始まった2020年1月23日の2日後、1月25日から書きはじめられ、4月8日に封鎖を解除するという決定が出た3月24日まで60日間、毎日ブログに掲載された60篇の日記の書籍化でした。 最初はマイケル・ベリーというカリフォルニヤ大学の教授によって英訳され、アメリカで出版されたらしいのですが、日本では2020年の9月30日に出版されたようです。 ちなみに、新刊のときからこの本を棚に並べていた本屋勤めのチッチキ夫人が食卓で読んでいるシマクマ君に言いました。「面白いの?ずっと、置いているんだけど、誰も手に取らないのよね。」「うん、面白いよ。コロナで閉じ込められた、あの時の感じ、この人はかかっていないけど、あの、何とも言えない気分とよく似てる。ネットの記事らしいけど、1回、1回、数ページで終わるから読みやすいし、記事のメインが日常生活なところがいいとおもうよ。」「ふーん。」「中国では、ネトウヨのことは極左というらしいけど、悪質さではエエ勝負やね。」 と、まあ、こんな会話でしたが、度重なるネット記事の削除や極左による誹謗中傷の中で、書き手の方方は、自らの執筆動機、意図について、こんなふうに語っています。 私は一人の物書きに過ぎず、私の見る世界は狭い。私が関心を持ち、体験できることは、身辺雑事と、一人一人の具体的な人間だけだ。だから、私は細々としたことを記録し、その時々の感想を書くことしかできない。自分のために、生きてきた過程を記録に残したいのだ。 まだある。私の主たる仕事は、小説を書くことだ。以前、小説について話したとき、次のようなことを言った。小説とは落伍者、孤独者、寂しがり屋に、いつも寄り添うものだ。ともに歩き、援助の手を差し伸べる、小説は広い視野を持って、思いやりと心配りを表現する。時には、雌鶏のように、歴史に見捨てられた事柄や、社会に冷遇された生命を庇護する。彼らに伴走し、温もりを与え、鼓舞する。あるいは、こうも言える。小説自体が、彼らと同じ運命にある世界を表現することもあり、彼らの伴走、温もり、鼓舞が必要なのだ。この世の強者や勝者は普通、文学など意に介さない。彼らの多くは、文学を単なる装飾品、首にかける花輪のようなものと見なしている。だが、弱酒たちは普通、小説を自己の命の中の灯火、溺れかかったときにすがる小枝、死にかけたときの命の恩人などと捉えている。なぜならそんな時、小説だけが教えてくれるからだ。落伍してもかまわない。多くの人があなたと同じなのだ。あなた一人だけが孤独で寂しいのではないし、あなた一人だけが苦しく困難なのではない。また、あなた一人だけが気をもみ、くじけそうになっているのではない。人が生きるのには多くの道がある。成功するのに越したことはないが、成功しなくても悪くない。 考えてみてほしい。私は小説好きなので、毎日些細なことを日記に書く時も。やはり自分の創作方法に沿って、観察し、思考し、理解してから書き始める。これは果たして間違いだろうか。 昨日の微信は、またしても削除された。残念至極としか言いようがない。封鎖の記録は何処に発す、煙波江上、人を愁えしむ。思考し、理解してから書き始める。これは果たして間違いだろうか。(P103~104)(注「微信(ウェーイシン)」:日本の「LINE」にあたるチャット・サイト」 本当は、最初の宣言のような部分だけ写し始めたのですが、日本ではあまり知られていない方方という作家について、とりあえず知っていただくにはと思い直して、彼女の文学観の吐露の部分まで引用しました。語られていることは、少し教条的かもしれませんが、彼女の人間性については、かなり正直に表現されていて、本書の記事全体が、売名や金儲けが目的ではないことがよくわかります。 都市封鎖下の日常の記録ですが、そこに生きている人の、かなり正直な肉声が聞こえてきて、リアルです。権力のご都合主義、全体主義的統治についてもリアルに実感できます。蔓延する感染症の世界について、カミュが「ペスト」で描いたのは小説的な創作ですが、この記録は事実だというところが圧倒的だと思いました。 忘れっぽい昨今ですが、コロナを忘れる前にお読みになることをお勧めします。 一つだけ、蛇足を付け加えますが、この記録に、繰り返し記述されている、ネット上での個人の意見表明に対する誹謗中傷や権力的な弾圧を読んで「やっぱり中国は…」という、流行りの中国ヘイトがらみで語る向きもあるかもしれません。しかし、ここに描かれている事象が、中国という国に特有なことだとは、ぼくは思いませんでした。むしろ国家主義化している日本にも十分当てはまる事象だという気が強くしました。マア、そのあたりは、お読みいただいたうえで、考えていただきたいことですね。追記2023・09・08方方の「武漢日記」(河出書房新社)の英訳を担当したマイケル・ベリーという人の「武漢日記が消された日」(河出消防新社)という本について読書案内しました。ネット社会の現実の、まあ、暗黒面が如実に感じられる本でした。そちらも覗いてみていただければと思います。
2023.01.16
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セルゲイ・ボンダルチュク「ワーテルロー」元町映画館 新春セルゲイ・ボンダルチュク生誕100周年記念特集の3本目は「ワーテルロー」でした。「戦争と平和第4部」との二本立てで見ました。ナポレオンの敗北を見たいと思ったのがこの日のモチーフですが、ネットの映画評とかではあまり高く評価されていないようなので、あまり期待せずに見ましたが、見て、ビックリでした。凄かったです。 「戦争と平和」を1部、4部と見て、この監督について、正直、「なんだかなあ???」と思っていた気分をきれいに払拭する迫力とドラマ展開でした。 原作に拠ることなく、自らが脚本を書いて、実にのびのびとナポレオンという人物を描き出しながら、ライバルのウェリントンの対照的な描き方も面白いのですが、二人が対峙するワーテルローの平原での戦場シーンが実に壮観で、その上、戦局が微妙に揺れ動く一瞬一瞬の息詰まる迫力は、この監督がただモノではないことを実感しました。 歴史的事実なわけですから、この戦場でのナポレオンの逆転負けはわかっているのです。わかってはいるのですが「それで?それで?」と息をつめて、「ひょっとしたら・・・」とか思いながら見せてしまう出来ばえに、いやはや、何とも疲れました。 ここにきて、ようやく、監督、セルゲイ・ボンダルチュクに拍手!です。戦場の大群衆を実写で撮っているスペクタクルの迫力もさることながら、時の流れに逆らい、ロシアからの敗走の結果の失脚から、復活して、ここワーテルローまでやって来たナポレオンの人物像の描き方に感心しました。ボンダルチュク流の人間ナポレオンに納得させられた作品でした。 まあ、そういうわけで、ナポレオンを演じたロッド・スタイガー、敵役ウェリントンを演じたクリストファー・プラマーに拍手!でした。あのオーソン・ウェルズがルイ18世だかを演っていたようなのですが、残念ながら、その時はわかりませんでしたね(笑)。 ちょっと余談ですが、ネットの映画評の得点では「戦争と平和」はとても高評価でした。一方、「ワーテルロー」は、この監督にはこういう作品もあるという程度だったのですが、見てみると、まったく逆だったわけです。マア、「こういうの好き!」という、ボクの好みということがあるのですが、見てみなければわからないものですね。 というわけで、今年も映画館徘徊の日々が始まりました。まあ、ベタな感想をこうやって載せていこうと思っております。皆様どうかよろしくお願いしますね(笑)。監督 セルゲイ・ボンダルチュク脚本 H・A・L・クレイグ セルゲイ・ボンダルチュク ビットリオ・ボニチェリ撮影 アルマンド・ナンヌッツィ音楽 ニーノ・ロータロッド・スタイガー(ナポレオン)クリストファー・プラマー(ウェリントン)オーソン・ウェルズ(ルイ18世)ジャック・ホーキンスジャック・ホーキンスバージニア・マッケンナバージニア・マッケンナダン・オハーリヒーダン・オハーリヒー1970年・133分・ソ連・イタリア合作原題「Waterloo」日本初公開1970年12月19日2023・01・13-no03元町映画館no157
2023.01.15
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セルゲイ・ボンダルチュク「戦争と平和 第4部(1967)」元町映画館 今日は2023年1月13日の金曜日です。元町映画館がお正月番組で上映していたセルゲイ・ボンダルチュク生誕100周年記念特集の最終日です。見たのは「戦争と平和 第4部(1967)ピエール」と「ワーテルロー」の二本です。 まずは第1部で期待外れだった「戦争と平和」第4部です。第2部、第3部は、第1部がちょっと期待外れだったことと、まあ、それ以外にも、あれこれの都合もあって見ませんでしたが、第4部は、ナポレオンの敗走が見たくて、やってきました。 第1部のクライマックスだった、1805年のアウステルリッツの三帝会戦に勝利したナポレオンは、その7年後、1812年、ついにロシア遠征に踏み切ります。 この戦争は、絶対的な軍事力を誇るナポレオン軍に対して、ロシアの老将クトゥーゾフ将軍が、捨て身ともいえるモスクワ明け渡し作戦で応じ、モスクワを占領したナポレオン軍は空っぽのモスクワを焼き払うという前代未聞の報復作戦で応じますが、食料補給をはじめとした兵站に苦しんだうえに、冬将軍による追い打ちが重なり、武力制圧を維持できなくなって敗走するというあの戦いです。 この第4部を「やっぱり、見よう」とやって来たのは、そのあたりがどう描かれているかという興味でした。登場人物たちによる物語の展開は、第1部と同様、アンドレイ、ピエール、ナターシャという三人の人物に焦点が当てられていますが、フランス軍の略奪や放火、燃え上がるモスクワ、占領地での、でっち上げによる放火犯の処刑といった描写が、なかなかリアルで、第1部に比べていえば、格段に面白かったですね。 で、自分なりに気づいたことですが、結局、ボクがかったるいと感じていたのは、トルストイ的なヒューマニズムとか宗教性を、映画はテーマをして描かざるを得ないわけですし、ナレーションも含めて、至極まっとうな戦争批判が語られるのは、ある意味当然なのですが、そこの所だったようです。 戦争そのものを描いた、悲惨なスペクタクルにはとても興味を惹かれたのですが、個々の登場人物たちの内面を描いた、多分、美しい描写には欠伸が出てしまう(まあ、大げさに言えばですが)わけで、自分自身の人間性に疑いを感じる鑑賞でした(笑) 整理がつかないまま、こうして書いていますが、まあ、個人的な問題に過ぎないのかもしれませんが、この映画や、おそらく、原作の小説が描いている、「堂々とした、まっとうな人間観」にたじろいだり、しらけたりしてしまうのは何故かという問題が、少なくともボクの中にはあるようです。 マア、ゆっくり考えればいいことかもしれません。老いたりと言えども、人の中で生きているわけで、生きていくうえで、ちょっと考え込んでしまいますね(笑)。監督 セルゲイ・ボンダルチュク製作 セルゲイ・ボンダルチュク原作 レオ・トルストイ脚本 セルゲイ・ボンダルチュク ワシリー・ソロビヨフ撮影 アナトリー・ペトリツキーアレクサンドル・シェレンコフイオランダ・チェン・ユーラン美術 ミハイル・ボグダノフ ゲンナジー・ミャスニコフ編集 タチアナ・リハチェワ音楽 バチェスラフ・オフチンニコフリュドミラ・サベリーエワ(ナターシャ)ビャチェスラフ・チーホノフ(アンドレイ)セルゲイ・ボンダルチュク(ピエール)1967年・97分・ソ連2023・01・13-no02・元町映画館no156
2023.01.14
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セルゲイ・ボンダルチュク「戦争と平和 第1部(1965)」元町映画館 2023年が始まりました。年明けの映画館徘徊はこれと決めていましたが、あれこれ事件が起こってしまって1月10日(火)まで動きが取れませんでした。元町映画館で元日からやっていたセルゲイ・ボンダルチュク生誕100周年記念特集ですが、1月10日からが最終回です。駆けつけて、とにかくというか、ようやくというか、見たのがセルゲイ・ボンダルチュク「戦争と平和 第1部アンドレイ」でした。1965年のソビエト映画です。 ナポレオンのヨーロッパ侵攻と、それに揺さぶられるロシアの宮廷のありさまを描いたトルストイの大傑作(たぶん)小説「戦争と平和」の映画化の一つですが、恥ずかしながら原作を読んでいません。 最近では望月哲男訳の光文社新訳文庫版全6巻が2020年に出たばかりですし、新潮文庫では工藤精一郎訳の全4巻、岩波文庫では藤沼貴の改訳版全6巻とか、読む気になれば、まあ、いまでも、書店の新刊の棚にはいろいろ並んでいます。 実はぼくの文庫棚にも米川正夫訳の岩波文庫改版全4巻がですね、はい、あるのはあるのです。もう、10数年昔のことですが、買ってきた時のことも覚えています。枕元に置いて、さあ。読み始めましょうか、というときにチッチキ夫人が一声かけてきました。「戦争と平和やん。ちょっと見せて。」 差し出すとページを開いて読みはじめました。で、ぼくは寝てしまったわけです。で、数日間、彼女の枕もとに確かにそれはあったのですが、彼女が読み終えて隣の枕もとに返された記憶はありません。 というわけで、ぼくの「戦争と平和」読書は、始まることなく頓挫し、分厚さで他を圧する4冊の岩波文庫は棚に鎮座することになったのでした。 で、映画です。残念ながら期待外れでした。アウステルリッツでの三帝会戦(1805年)という、以前のぼくなら、もうそれだけで興奮するにきまっている歴史的大事件がこの作品の「戦争」の山場なのですが、なんだか間が抜けているのですね。広大な平原に膨大な人が映っていて、それが実写だというのがこの映画が歴史に残った理由の一つだと思うのですが、CG加工の映像に慣れているからでしょうか、残念なことに、なんだか、かったるいのでした。 「平和」の物語はアンドレイとピエールという、二人の若い貴族の、まあ、生き様を中心に展開しますが、なんとなく「ああ、そうですか」という気分で見ていて乗り切れませんでした。ピエールを監督ボンダルチュク自身が演じているというトピックスもあるのですが、ソビエト映画に疎いボクには、これまた、「ああ、そうですか」でした。 なんだかな感想になってしまいましたが、10代の頃、ロシア革命に至る19世紀のヨーロッパに夢中で、一度は西洋史学科に進学した少年だったのですが、きれいにみんな忘れてしまっていることが、実は、一番ショックでした(笑)。 時間の都合もあるので、全4部を完走することはできませんが、でも、まあ、「戦争と平和(第4部)」と「ワーテルロー」は見ようかなという気分で、2023年の「映画初め」を終えました。何はともあれ、今年も、フラフラ、映画館を徘徊し、ベタな感想の日々を続けて行けそうです。この「シマクマ君の日々」にお立ち寄りいただいている皆様、今年も、かわらぬご愛顧、どうかよろしくお願いしますね。 うーん、ちょっと、空振りでしたね(笑)。監督 セルゲイ・ボンダルチュク製作 セルゲイ・ボンダルチュク原作 レオ・トルストイ脚本 セルゲイ・ボンダルチュク ワシリー・ソロビヨフ撮影 アナトリー・ペトリツキー アレクサンドル・シェレンコフ イオランダ・チェン・ユーラン美術 ミハイル・ボグダノフ ゲンナジー・ミャスニコフ編集 タチアナ・リハチェワ音楽 バチェスラフ・オフチンニコフリュドミラ・サベリーエワ(ナターシャ)ビャチェスラフ・チーホノフ(アンドレイ)セルゲイ・ボンダルチュク(ピエール)アナスタシャ・ベルティンスカヤイリーナ・スコブツェワワシリー・ラノボイ1967年・424分・ソ連原題「War and Peace」日本初公開1966年7月23日2023・01・10-no001・元町映画館no155
2023.01.13
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大江健三郎「静かな生活」(「自選短編」岩波文庫) 大江健三郎の「自選短編」という文庫本が、まだ食卓のテーブルの上にあります。市民図書館の本ですが、2022年の秋から、何度か借りだしを更新してここにあるわけです。2023年の年明けに思いがけない家族の死があって落ち着かない日々の深夜「静かな生活」という短編を読みました。 「静かな生活」と題されたが単行本が出版されたのは1990年くらいだったと思いますが、いまでは講談社文芸文庫で読むことができます。目次はこんな感じです。静かな生活この惑星の棄て子案内人(ストーカー)自動人形の悪夢小説の悲しみ家としての日記 「雨の木を聴く女たち」とか、「新しい人よ目覚めよ」、「河馬に嚙まれる」というような短編連作集が出た頃の一冊ですが、この「自選短編」という岩波文庫には、上の目次にある作品のうち「静かな生活」と「案内人(ストーカー)」の2作が所収されています。 読み終えたのは「静かな生活」という最初の作品です。文庫本で30ページ足らずの短い作品ですが、書き出しはこんな感じでした。 父がカリフォルニアの大学に居住作家(ライター・イン・レジデンス)として招かれ、事情があって母も同行するこのになった年のこと、出発が近づいて、家の食卓を囲んでではあるが、いつもよりあらたまった雰囲気の夕食をした。こういう時にも、家族に関するかぎり大切なことは冗談と綯いあわせてしか話せない父は、さきごろ成人となった私の結婚計画について、陽気な話題のようにあつかおうとした。私の方は、自分のことが話し合いの中心でも、子供の時からの性格があり、このところの習慣もあって、周りの発言に耳をかたむけているだけだ。それでもビールで一杯機嫌の父はメゲないで、 ―ともかくも、最低の条件は提示してみてくれ、といった。 もっとも、はじめから愛想のない返事を予期して、父はなかば閉口したような笑顔で見つめてくるのだ。つい私は時どき頭に浮かぶことをいってみる気になった。自分の声が妙なふうにキッパリ響くのを気にかけはしたけれど・・・・ ― 私がお嫁に行くならね、イーヨーといっしょだから、すくなくとも2DKのアパートを手に入れられる人のところね。そこで静かな生活がしたい。(P642~643) この引用中にも登場しますが、大江健三郎のこの時代の作品の中にはイーヨーと名付けられて、確固とした存在者として知能に障害のある青年が登場しますが、彼にはマーちゃんという妹と、オーちゃんという弟がいます。引用中の「私」は、その「マーちゃん」ですね。 作家、大江健三郎が家族の一人を「語り手」にした小説を書き始めたということです。書き出しを読み始めたボクを捉えたのは、共に暮らしていて、すでに作品を読んで理解できる年齢の、それも娘を「語り手」に据えた作品を書く、作家大江の意識、あるいは、覚悟ともいうべき内面の尋常ならぬ光景でした。「そんなことをして大丈夫なのだろうか?」 焦点の定まらない危惧に促されるように読み進めると、こんな記述がありました。 昨日の私の話には、自分自身失望した。なにもいわないよりもっとよくなかったと思う。神経が疲れているのでもあり、寂しくカランドウの場所に、ひとりで立っているという恐ろしい夢がはじまりそうになった。それというのも、まだ眼ざめている現実の意識が残って、そこにいりまじっている感じ。その悲しいような、はるかなような気分のなかで私は立ちすくんでいたのだ―自分の体がベッドに横たわっているのもよくわかっていたが。 そのうち、夢の方へ入り込んでいる自分の斜めうしろに、もうひとり私と同じ気分の人が立っているのがわかった。ふりかえって見ないでも、それが「未来のイーヨー」なのだと私は知っていた。すぐにも斜めうしろから踏み出してくるはずの「未来のイーヨー」は花嫁の介添え人で、それならば自分は花嫁なのだ。しっかり花嫁の衣装を着た私が、花婿の心あたりはないまま「未来のイーヨー」を介添え人に寂しくカランドウの場所に立っている。そこはもう日暮れ方の、広大な野原。そのような夢を見た…。 夜が更けてから眼をさまし思い出すうち、私はなによりも色濃く、夢の寂しい気持ちをブリかえらせてしまい、暗いなかのベッドに横になっていることができなくなった。私は階段を上がって行き、兄がトイレに通う際につまずかぬように常夜灯をつけて狭く開けてあるドアから、寝室に入っていったのだ。子供の頃いつもそうしていたように、なんとなく抱えていた使い古しの毛布で膝を覆うと、イーヨーのベッドの裾の床に座り込み、人間の肺の規模を越しているいるような音の寝息を聞いていた。小一時間もしてから兄は薄暗がりのなかでベッドから降りると、さっさとすぐ向いのトイレに出て行った。兄にまったく無視されたことで、私はあらためてもっと独りぼっちの気持ちになっていた。 ところが大きい音を立てていつまでも排尿するようだったイーヨーは、そのうち戻ってくると、大きい犬が頭や鼻さきで飼主を小突いて確かめるように、体をかがめてこちらの肩のあたりを額で押しつけ、私の脇にやはり膝を立てて座り、そのまま眠るつもりのようだった。私は一度に幸福な気持ちになっていた。しばらくたつと、兄は分別ざかりの大人がおかしさを耐えているようなしゃべり方で、しかし声だけは澄んだ柔らかさの子ども声で、― マーちゃんは、どうしたのでしょう?といった。(P645~646) 長々と引用しました。両親を困惑させてしまった「私」の発言に苦しむ私自身の心の描写、夢、そしてイーヨーとの、ほかの誰も、もちろん両親も知らないエピソードです。 この後、小説は、両親が外国に滞在していた間に起こる、イーヨーをめぐる、実に小説的なというべき事件が物語られますが、読み終えたぼくには、この深夜のエピソードが、この作品のすべてでした。 この感想のために、冒頭の引用を書き写しながらのことですが、そこで静かな生活がしたい。 この言葉を読み直しながら、不覚にも涙を流したのでした。引き金というか、同時に浮かんできたのがこ言葉です。マーちゃんは、どうしたのでしょう? 大江の作品で泣いたりしたのは初めてのような気がします。父親が娘を語り手にして、娘と息子のやり取りを小説として書くとは、一体どういうことなのだろうと読み始めたわけですが、ここまで、イーヨーを書き続けてきた大江だからできる離れ業なのでしょうね。 ボクは小説の語り手「マーちゃん」の実在を信じますが、そうはいっても、小説というたくらみの向こうの世界のことなのですね。ありきたりなことを言いますが、大江健三郎という作家の凄さを実家させられた作品でした。 冬の夜長のおともに、一度お読みになりませんか(笑)。
2023.01.10
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浦沢直樹「あさドラ 7」(小学館) 2022年12月のマンガ便に入っていました。12月5日の新刊です。浦沢直樹「あさドラ 7」(小学館)です。 愛機バイパーカブ、セスナですね、で空を飛ぶ女子高生あさチャンの活躍する「あさドラ」も第7巻です。 この巻は、ほぼ全編、1964年10月21日(水)の出来事です。この日付を聴いて「ああ、あれかも?」 とこのシーンを思い浮かべられる人は、間違いなく還暦を通過して、65歳のの交差点も通り過ぎている人だと思います。 前期、および、後期高齢者のみなさん、アベベですよ。円谷ですよ。ヒートリーですよ。そう、懐かしの東京オリンピックのマラソンの日です。 お若い方々のために、ちょっと横道にそれますが、浦沢直樹は1960年生まれですから、このマンガのこのシーンは「ツクリゴト」だとぼくは思います。 1954年生まれのぼくは、このシーンを、実際にテレビで見ました。「学校のある水曜日の午後に、どうしてテレビで見られるのか?」 と、まあ、そんなふうに疑問をお持ちになる方もいらっしゃるかもしれませんね。1964年の東京オリンピックが、豊かな家庭にはカラーテレビ、貧しい家庭には白黒テレビの普及に一役かった事件だったということは、多分、戦後復興史の常識だと思いますが、実は、テレビなどというぜいたく品とは縁遠かった田舎の小学生は学校で「オリンピックの時間」という、まあ、今では当たり前ですが、テレビ授業(?)を初体験した事件でもあったわけす。 で、靴を履いたアベベの快走と、円谷幸吉と、この大会でアベベに破られますが、当時、世界記録保持者だったベンジャミン・ヒートリーとの国立競技場での、文字通りデッド・ヒートを、この目で見た記憶があるのですが、当時、4歳だったはずの浦沢君の記憶には、あの実感があるはずがないわけで、「まあ、ツクリゴトですな(笑)。」 と口走る所以ですね(何、いばってんねん!)。 マンガに戻ります。第7巻では、第1巻の始めから正体不明の、まあ、われわれの世代なら「ゴジラか?」と想像させて、読み手を引っ張ってきた謎の怪獣が、いよいよ正体を現します。で、現したとたんに、もう一体、「なに、これ?ウルトラマン?」が登場して、怪獣対宇宙人のプロレス対決という、なんか、どこかで見たことがあるシーンに、第6巻でもありましたが、あさチャンのセスナによる空中戦が加わって、三つ巴という、ちょっとハチャメチャなは展開なのですが、それがこのシーンですね。 マア、ここ迄のいきさつと、ここからの成り行き、怪獣の全身像は本作を手に取っていただくほかありませんね。 さて、ここから、マンガ家どうするつもりなののだろうという、第8巻を期待させるだけさせて終わるという、浦沢君得意の第7巻でした。 ちょっと付け加えると、怪獣登場のクライマックスへの経緯が、かなり複雑で、正太くんという、貧しいマラソン少年がただのわき役ではない展開が始まりそうですが、さてどうなるのでしょうね。やっぱり浦沢直樹はめんどくさいですね(笑)
2023.01.09
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井上雄彦「THE FIRST SLAMDUNK re:SOURCE」(集英社) 表表紙 裏表紙 2023年が始まりました。新年、最初のマンガ便に入っていたのがこれでした。井上雄彦「THE FIRST SLAMDUNK re:SOURCE」(集英社)です。 2022年の年末に封切られたアニメ映画「THE FIRST SLAMDUNK」の制作過程を単行本にしたビジュアル・ブックで、一見、映画の宣伝のための販促本の印象ですが、中身は原画をはじめビジュアルが充実しているのが素晴らしいと思いました。 そのほかにも、作者で、今回の映画を監督した井上雄彦の、かなり長いインタビューも載っています。そこでは、「THE FIRST SLAMDUNK」を見た人はもちろんですが、おそらく、多くのスラムダンクファンが「これってどういうことだろう?」と疑問に思うに違いない「THE FIRST」の意味についても、なかなか興味深いことが語られていますし、映画でクローズアップした宮城君を主人公に描いている、映画にはない短編マンガまで載っていて、なかなか、読みでのある内容でしたよ。 ヤサイ君がマンガ便を届けてくれたところに居合わせたピーチ姫が一言きっぱり言いました。「それ、スキャンしたいページたくさんあると思うかもしれんけど、ページ割ったらあかんで!」 というわけで、写真にとってお見せしたいビジュアルページが山盛りなのですが、表表紙と裏表紙の写真を載せるだけで我慢して、あとはあきらめました(笑) それにしても、わが家の愉快な仲間たちの間では、やはり、「スラムダンク」は聖典化しているようで、遠く松山で暮らしているサカナクンからも、「映画を見に行くヒマはないけん、それで辛抱しとるよ。井上雄彦はやっぱりすごいねえ。!」 というメッセージがありました。さすがですね(笑)。スラムダンクがお好きな方一度書店で手に取られてはいかがでしょう(笑)。
2023.01.05
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レイ・ヨン「ソク・ソク」元町映画館 「香港映画祭2022」で上映された作品です。見た直後メモだけしか残せなくて、放ったらしになっていた作品ですが、備忘録として感想だけ書いておきます。 現代の香港が舞台で、登場人物はタクシーの運転手パクさん。演じていらっしゃるのはタイポーという名の俳優さんらしいのですが、実はボクのおとなりのお父さんにそっくりなことに、見始めて笑いそうでした。 お年は、たぶん、ボクと同じくらいだと思いました。ご家庭があって、奥さんも健在で、お子さんたちがいて、お孫さんもいらっしゃるようです。 で、その、タクシー運転手というお仕事からも引退間近な。このお父さんが、たぶん、同じくらいの年恰好のシングル・ファーザー暮らしをしているホイさんという男性と巡り合ったことで、自分の中にあることは気づいてはいたらしいのですが、「普通」に暮らすことで、自分自身に対しても隠してきていたらしい性的な志向性について、目覚めてしまうという映画でした。 決して、比喩的な作品ではなくて、リアリズムの作品だと思いましたが、今回の香港映画祭として上映された、他の映画が、現代香港の政治的状況を反映した作品群といってよかったわけで、その中では、際立って異色という印象を持ちました。 しかし、一方で、オールド・ボーイズ・ラブに目覚める、この老人にとって、半生を過ごし、人並みの幸せを築いてきた「香港」という街に、今、暮らしているわけですが、あるシーンで、大陸から海を渡ってきた始まりの記憶がたどられるところに、どうも、この映画の肝がありそうだと思いました。 本当は大切だったはずの真実を隠し続けてきた男の半生が、ひょっととしたら相似的な真実を、おおい隠したまま歴史に葬り去られようとしている香港に重ねられているのでは、という予感ですね。それを、フト、感じました。 いずれにせよ、同年配の老人の、自らのアイデンティティに対する新た発見に、戸惑い、さまようかに見える主人公に拍手!でした。監督 レイ・ヨンキャストタイポーベン・ユエン2019年・92分・香港原題「叔・叔」「Twilight's Kiss」2022・12・16-no138・元町映画館no154
2023.01.03
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大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ」(「自選短編」岩波文庫) 2022年の秋に読み始めた大江健三郎の「自選短編」(岩波文庫)を読み継いでいます。「雨の木を聴く女たち」の連作につづいて、「新しい人よ眼ざめよ」の連作、この文庫に収められている4篇を2022年の12月31日の深夜読み終えました。 「新しい人よ眼ざめよ」は、今では講談社文庫、講談社文芸文庫として文庫化されている連作短編集すが、単行本としてまとめられたときのライン・アップは、次の7作です。「無垢の歌、経験の歌」(『群像』1982年7月号)「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」(『新潮』1982年9月号)「落ちる、落ちる、叫びながら…」(『文藝春秋』1983年1月号)「蚤の幽霊」(『新潮』1983年1月号)「魂が星のように降って、跗骨のところへ」(『群像』1983年3月号)「鎖につながれたる魂をして」(『文學界』1983年4月号)「新しい人よ眼ざめよ」(『新潮』1983年6月号) 今回読んだのはこのうちで「自選短編」(岩波文庫)に収められている、「無垢の歌、経験の歌」・「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」・「落ちる、落ちる、叫びながら…」・「新しい人よ眼ざめよ」の4作でした。 それぞれ、なんだか大変な題名がついていますが、いずれも作品中に引用されているウィリアム・ブレイクという18世紀のイギリスの詩人の詩句によるものです。お父さん!お父さん!あなたはどこへ行くのですか?ああ、そんなに速く歩かないでください。話しかけてください。お父さん、さもないと僕は迷い子になってしまうでしょう。(P482) 「無垢の歌、経験の歌」の始まりあたりで、語り手の「僕」がヨーロッパを旅しながら、1冊の本を手に入れます。駅構内の書店で見つけてきた「オクスフォード・ユニバーシティープレス」版のウィリアム・ブレイク一冊本全集 その本を開いたシーンにこんなふうに書きつけられています。 障害のある長男と父親の自分との、危機的な転換期を乗りこえようとして書いた小説で、僕が訳してみたものである。そのような特殊な仕方でかつて影響づけられた詩人の世界に、あらためて強く牽引され、そこへ帰っていこうとしてること、それはやはり他ならぬ息子と自分の間に新しくおとずれている、危機的な転換期を感じ取っているからではないか?(P482) 作中の「僕」は、連作の始まりの作品をこんなふうに語り始めますが、ヨーロッパから帰国した「僕」を待っていたのは、「僕」を迎えに来て、成田から世田谷に至る車に同乗した妻のこんなことばでした。イーヨーが悪かった。本当に悪かった。 こうして、新たな危機が語りはじめられました。 で、2022年12月31日、いや、年も変わった2023年1月1日の夜明け前、深夜の台所のテーブルでシマクマ君が繰り返し読み返していた一節が次のような場面でした。 イーヨー、夕ご飯だよ、さあ、こちらにいらっしゃい。 ところがイーヨーはレコード・スタンドにまっすぐ顔を向け、広くたくましい背をぐっとそびやかして力をこめると、考えつづけた上での決意表明の具合に、こういったのだ。 イーヨーは、そちらにまいりません!イーヨーは、もう居ないのですから、ぜんぜん、イーヨーはみんなの所へ行くことはできません! 僕が食卓に眼を伏せるのを、妻が見まもっている。その視線の手前なお取つくろいかねるほどの、喪失感に僕はおそわれていた。いったいどういうことが起こってしまったのか?現に起こり、さらに起こりつづけてゆくものなのか?しだいに足掻きたてるほどの思いがこうじて、涙ぐみこそしなかったが、カッと頬から耳が紅潮するのを、僕はとどめることができなかったのだ。 イーヨー、そんなことないよ、いまはもう帰ってきたから、イーヨーはうちにいるよ、と妹がなだめる声をかけたがイーヨーは黙ったままだ。 性格として一拍ないし二拍置くように自分の考えを検討してから、それだけ姉に遅れてイーヨーの弟が次のようにいった。 今年の六月で二十歳になるから、イーヨーと呼ばれたくないのじゃないか?自分の本当の名前で呼ばれたいのだと思うよ。寄宿舎では、みんなそうしているのでしょう?いったん論理に立つかぎり、臆面ないほど悪びれぬ行動家である弟は、すぐさま立って行ってイーヨーの脇にしゃがみこむと、 光さん、夕ご飯を食べよう。いろいろママが作ってくれたからね。と話しかけた。 はい、そういたしましょう!ありがとうございました!(P639~P640) 「イーヨーが悪かった」という妻の言葉で始まった新しい危機は、この文庫に所収されているだけで、ほぼ200ページ、単行本で考えれば七つの作品によって「イーヨーと家族」の生活が「僕」によって書き継がれてきたわけですが、その最後に、初めての寄宿生活から帰ってきたイーヨーと家族のあいだにおこった事件です。 で、その時「僕」の胸のうちに湧きおこるのが次の詩句でした。 Rouse up, O, Young men of the New Age ! set your foreheads against the ignorant Hirelings! 眼ざめよ、おお、新時代(ニューエイジ)の若者らよ!無知なる傭兵どもらに対して、きみらの額をつきあわせよ!なぜならわれわれは兵営に、法廷に、また大学に、傭兵どもをかかえているから。かれらこそは、もしできるものならば、永久に知の戦いを抑圧して、肉の戦いを永びかしめる者なのだ。(P641) 2022年が終わり、2023年が明けていく深夜、このシーンを読んでいたシマクマ君の胸に湧きおこったのは 1964年、「個人的な体験」を書いた、大江健三郎という作家の中に流れた20年の歳月でした。そして、立て続けに湧き上がってきたのは、初めて「個人的な体験」を読んだ1973年から、シマクマ君自身の中に流れた50年の歳月でした。 あなたは何をしてきたのか? 作家自身が自らに問いかけているに違いない、そんな問いの前に立ちすくむような読後感でした。現実に、ちょうど、年がかわるという時間の中にいたせいもありますが、この年齢になって読み返してあらためて気づく、大江健三郎という作家の作品の底に流れている「悲歎」と、にもかかわらず、あくまでも「希望」を希求する力強さのせいでしょうね。静かな文章の中にある驚くべき喚起力に促されるまま新しい年を迎えました。 2022年の秋、「飼育」を読み直したときには思いもよらなかったことなのですが、当分、大江回帰は続きそうです。マア、ボツボツですがね(笑)。
2023.01.02
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100days100bookcovers no86 86日目川端康成「雪国」(新潮文庫) YAMAMOTOさんから『長崎ぶらぶら節』の紹介があったとき、ちょうど買ったばかりの本がありました。偶然ですが、「芸者」という要素で繋がっていたので、今回はこれでいくことにします。 『雪国』(川端康成著、新潮文庫) 昭和10年から書き始められたこの作品の、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という冒頭文は知っていても、読んでいる人は案外少ないのではないでしょうか。もしかしたら、若い人の中には、川端康成がノーベル文学賞を受賞したことを知らない人もいるかもしれません。教材になるような小説とも思えませんし、現代社会で頻繁に参照されるような内容でもありません。ですが、何度も映像化されていることを思うと、なにか人をそこへ回帰させるもの、惹きつけるものがあるのだと思います。 じつは、本を買う少し前、高橋一生の島村、奈緒の駒子でドラマ化されたNHKの作品を観ました。小説とドラマ(小説と映画もですが)は別のものなので、ドラマを観て原作を読みたいと思うことはあまりないのですが、このときは「久しぶりに原作を読んでみようかな」と思ったのです。このドラマでは、芸者の駒子の来し方を、彼女の口から聞いたシーンとして繋いで、主人公の島村の想念のような形でドラマの最後の方で見せたのですが、「現代ではこんな説明シーンが必要なほどわかりづらい内容なのか」という思いと、おそらく原作では、人物たちの言動と心理だけで描かれていたはずだという思いが重なって、ふと原作を読みたくなったわけです。 私は、小説読みとしてはわりに早熟だったので、この小説は中学生のときに読みました。人生の早い時期に大人の小説を読むことの弊害は、そこに描かれている心理や機微を理解できないまま、「読んだ」という事実だけを抱えて大人になり、小説のほんとうの面白さを知らないで終わってしまうことです。中年になって読んだ漱石の『三四郎』の面白さに呆然としたとき、そのことを痛感しました。 『雪国』もそうです。「日本的な抒情小説」と若い私の中で固定化していたイメージは一気に覆りました。これは、「人生のすべてを徒労だと思うように生きてしまった」島村が、駒子の命の生々しい輝きに触れ、その美しさ、哀しさに惹かれてゆく過程を島村自身が冷徹に見つめている「心理小説」です。ただ、川端の文章力、表現力が怖ろしほど鋭敏で叙情的な感覚で支えられていて、それが島村の冷徹さを和らげているだけで、島村の空虚さや周囲への距離感は終始一貫して小説の中に存在しているのです。 島村の中にある「徒労感」「周囲への距離」がどこから来たのかは、小説の中ではっきりとは描かれていません。ですが、幼くして家族を次々に失い、16歳で最後の親族になった祖父を看取って天涯孤独になった川端の体験を抜きに考えることはできないと思います。10代でひとり祖父の介護をした川端は、今で言う「ヤングケアラー」でした。処女作の『十六歳の日記』は、このときの介護の体験を書き綴ったものです(この作品も同時期に読みましたが、今のこの年齢で読み返したいところです)。生家がそれなりに裕福だったのでお金には困りませんでしたが、子どもの頃に親しい人の「死」をいくつも見てしまったことは、「死」を近くに感じること、「生」の実感や喜びをつかみにくいことと無関係ではないでしょう。もちろん個人差はあるでしょうが、川端少年にとっては大きな空洞になっていったのだと思います。 ですが、この島村の「距離感」は、私にとっては決してイヤなものではなく、むしろ好ましいものでした。こういう男性と実際に付き合いたいかどうかはまた別の問題ですが、深い関係になった駒子を引かせて自分のものにするでもなく(そんな財力もなかったのだろうけれど)、足繁く北国の温泉に通ってくるでもない、しばしば駒子から責められる島村の「フラットさ」は、旧弊な男性性からほど遠く、近代人の病のようなものでもなく、島村の頭でっかちな想念を身近なことばでひょいと「人生の真実」として呟いてしまうような駒子の人間的魅力を引き出します(川端自身はこのことを「島村は私ではありません。男としての存在ですらないようで、駒子をうつす鏡のようなもの、でしょうか」と語っているそうですが)。 なかでもことに好きだったのは、三味線の音で駒子の強い生命力を思わせる描写でした。***** 「こんな日は音が違う。」と、雪の晴天を見上げて、駒子が言っただけのことはあった。空気が違うのである。劇場の壁もなければ、聴衆もなければ、都会の塵埃もなければ、音はただ純粋な冬の朝に澄み通って、遠くの雪の山々まで真直ぐに響いて行った。 いつも山峡の大きい自然を、自らは知らぬながら相手として孤独に稽古するのが、彼女の習わしであったゆえ、撥の強くなるは自然である。その孤独は哀愁を踏み破って、野性の意力を宿していた。***** 島村の「視線」は、駒子の妹分である葉子にも向けられ、駒子よりもさらに激しい「何か」を感じ取ってたじろぎます。島村の中の空洞は、葉子の幼い直情を入れたが最後、持ちこたえられないのでしょう。ラストは、島村が駒子と天の川を見つめていると遠くで火事が起こるのですが、火事に遭った葉子が建物から落下し、葉子を胸に抱える駒子に島村が駆け寄ろうとするシーンで終わります。手が届きそうで届かない、ホッと安らぐことのないラストシーンですが、「踏みこたえて目を上げた途端、さあっと音を立てて天の河が島村の中へ流れ落ちるようであった。」 と結ばれた掉尾の一文に身を任せるしかなく、そうすることで、この作品は、永遠に解けない謎のように読者の中に残り続けます。 島村から見た駒子と葉子の関係については、もっと読み込まないと書けないのですが、長くなりそうなので、それはまた別の機会に。現代社会ではこの小説が積極的に読まれるようなモチベーションはなかなかないかもしれませんが、清澄な自然と人間の心の深淵が同時に描かれている「純粋さの物語」として、読みたいときにそこにあってほしい、私にとっては心の何処かが欲するようなものなのだと思います。それではKOBAYASIさん、お願い致します。K・SODEOKA・2022・05・30追記2024・05・16 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目) (81日目~90日目) というかたちまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2023.01.01
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