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正確には単なる契約更改交渉が成立しただけです。FA宣言をしないで残留しましたから。でも、他の球団にいけば、今の年棒よりも、2~3倍の年棒になっていったような気もします。新広島球場を建てるという話ですから、FAで入ってきたお金を使って、建て直しをやるのもいいとは思いますが。広島のエース・黒田博樹投手(31)が今季取得したフリーエージェント(FA)権を行使せず、チームに残留する可能性が強まったことが5日、明らかになった。早ければ、6日にも意思表明する。黒田獲得には阪神、巨人、西武、ソフトバンクやメジャー数球団も名乗りを上げる予定だっただけに、通算91勝右腕の決断が、各球団の補強策に大きな影響を及ぼすのは間違いない。 黒田が自らの進路に決断を下そうとしている。渦中の右腕はこの日、広島市内の自宅でスポニチの取材に「現時点でははっきりしない」と答えながら「(フロントと)話をする前と比べ、話をした後の方が誠意が伝わりました」とカープ愛をにじませた。かねて「週明けには決断する」と話していた通り、6日にも球団にFA権を行使せず、残留する意向を伝えるつもりだ。 10月27日から始まった球団側との計3度、4時間半に及ぶ話し合い。黒田に対し、フロントは「誠心誠意を込めて」(鈴木球団本部長)慰留に努めてきた。4年10億円を基本線に、出来高を加えれば最大4年12億円という球団最高額まで提示。たとえFA宣言しても金本、江藤、川口らの例と異なり、残留も初めて認める方針だった。2度目の会談ではプレーオフが導入される来季以降に話が及び、強化プランを確認した。 当初は揺れ動いていた黒田の気持ちがブラウン監督、松田オーナーらの説得に残留へ傾いていく。ファンの熱い思いも追い風になった。今季最終戦となった10月16日の中日戦。残留を願うコイ党が応援ボードを掲げ、広島市民球場の右翼席は真っ赤に染まった。「最終戦の光景は目に焼き付いている」。メッセージが書かれた背番号15のビッグフラッグ、署名、嘆願書などファンの願いが、96年逆指名で入団した当時の心境を思い出させた。 既に来年の権利行使は完全否定している。球団との第1回交渉を終え「宣言せず来年使う可能性は?」との質問に「残留して1年後に行使する考えはありません」と即答。去就に関して常に言葉を選びながら応対してきたが、この反応の早さから、宣言せず残留――の選択肢はかなりのウエートを占めていたと考えられる。 仮にFA宣言すれば阪神、巨人、西武、ソフトバンク、さらにマリナーズ、カブスなど日米で争奪戦が繰り広げられていたはず。黒田の決断により、今オフ最大の目玉が「移籍市場」から消えることで、各球団の補強策は一気に方向転換を迫られることになった。
2006.11.06
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大学生と戦って引き分けです。シーズン終了後ということを差し引いても、なんか情けないような気がします。疲れていても、試合に勝って力を見せ付けるのがプロではないですか。虎の恋人が、プロの左腕を痛打した。東京六大学リーグで歴代4位の通算121安打をマークした法大・大引啓次内野手(22)が4日、東京六大学選抜対ヤクルト(神宮)の一戦で藤井秀悟投手(29)から左翼最前列へ、圧巻の先頭打者弾。試合は2-3で惜敗したが、3打数3安打と大暴れした安打製造機を21日のドラフトで3巡目指名したい意向の阪神側は何とも複雑…。 粘りに粘った9球目を無心で振り抜いた。一回、先頭打者の大引の打球はフェンス手前でジャンプした左翼手・牧谷の頭上を越えてスタンドイン。プロの投手と初めて手合わせした六大学の安打製造機が、名刺代わりの一撃で度肝を抜いた。 「忘れられない思い出になりますね。真っ直ぐが真ん中に入ってきました。ファウルで粘って、三振しないようにと」 バットを振らず、簡単に追い込まれたが、ここからが真骨頂。低めの見極めが難しい変化球をことごとくカットした。フルカウントまで持ち込んで、最後は左翼席へ叩き込んだ。代名詞であるヒットだけでない。ヤクルトのエース格の左腕・藤井との力勝負でパンチ力も持ち合わせていることを証明した。 「(本塁打は)やられました。それで『もう一回行かせて下さい』と言って、三振を取りにいったら、返り討ちに遭いました」。2打席とも打ち込まれた藤井は脱帽するしかない。 三回の打席でも粘って、9球目を今度は右におっつけて痛烈に一、二塁間を破る右前安打。八回にも三塁内野安打を放ち、3打数3安打1四球とプロ相手に出塁率10割。独壇場の働きには、大入りの観衆もどよめいた。 スタンドで見守った阪神・菊地敏幸スカウト担当東日本総括は「バットコントロールはいいものを持っているし、何よりこんな場面でこれだけ打てるののは、岡田監督と同じで何か持っている」と唸った。一軍ですぐに使える右の野手を補強ポイントに挙げている阪神にとって、垂涎の的の逸材が、プロ相手に潜在能力の高さを見せつけた。 すでに希望枠では大阪ガスの左腕・小嶋達也投手(21)の獲得方針を固めている。従って、ウェーバー順の関係で、ロッテら他球団が阪神よりも先に指名してしまうケースも予想され、予断を許さない状況ではある。だが、将来的には“ポスト今岡”の可能性も秘めた大引。評価に間違いがなかったことを確信できた。
2006.11.05
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160メートル弾。バットに何を使っていたのかわかりませんが、たぶん金属でしょう。プロでは木のバットです。真芯に当たらないとボールは飛びません。本物ならばプロでもホームランを打てるはず。そういう意味では、清原は本物でした。高卒でもうまく打っていました。怪物が爆発-。大阪桐蔭・中田翔投手(2年)が3日、和歌山市・紀三井寺球場での準決勝・市川(兵庫)戦で二回、高校通算66号となる推定160メートルの左翼場外弾を放った。同球場では阪神・浜中治外野手(28)が南部高時代の96年夏に打った場外弾を超える最長飛距離だ。四回にも通算67号を放ち1試合2発。ケタ違いのパワーを見せつけ、新たな“伝説”を作った。 まるでピンポン球。先頭で立った二回の第1打席、高めにきたスライダーをジャストのタイミングで振り切った。白球は左翼席をはるかに越え、かすかに見える住宅地の道路で高くはずんだ。敵も味方もあ然とする中、怪物は淡々とベースを1周。次打者・堀と軽く手を合わせたときに、かすかに笑みを浮かべた。 「打った瞬間入ると思ったが、打球を追う余裕はなかった」と中田は驚弾を振り返った。関係者がボールを探すと、左翼外にある住宅2軒を飛び越し、その奥の道路横の溝で発見。球場最長は浜中が96年夏・和歌山大会準々決勝で星林・吉見祐治投手(現横浜)から放ったもの。その際は左翼場外にある家の庭で発見されたが、中田はさらにもう1軒オーバー。推定160メートル。当時の南部高監督で現和歌山県高野連常任理事・井戸大志氏は「浜中より飛んだね」と驚きながら証言した。 本人は「甲子園で打ったホームランみたいな感じ」と、冷静に今年8月の甲子園1回戦・横浜戦の140メートル弾に例えた。西谷浩一監督も「これまでも同じくらい飛んだ打球はあった。しっかりとらえて打った結果」とあっさり話した。 大阪桐蔭の4番にとって、飛距離は当然。それより秋季大阪大会途中から不調に悩んだ末に飛び出した2試合連発がうれしかった。練習では西谷監督の助言で下半身をどっしり構えるように心がけ、左足を上げるフォームもやめた。ティー打撃では顔の辺りに高い球を投げてもらい、引き付けて打つ訓練を積んだ。体が突っ込むことがなくなりボールを待てるようになったという。 三回の第2打席では強烈なピッチャー返しで中前打。四回の第3打席では、内角のストレートに差し込まれながら通算67号を左翼席へ運んだ。 見守った各球団スカウトもうなった。中日・米村スカウトは「どの球場でも3割40本塁打を残す日本の4番になれる」。日本ハム・木村スカウトも「2本目は芸術的なうまさ。スライダーを打った後で、次は直球で勝負と読んで打てるのがすごい」と脱帽だった。 3年ぶり決勝進出で次は報徳学園の無失点男・近田怜王(1年)と対戦。「いい投手だと聞いているので簡単に点は取れない」。伝説を残した怪物は前しか見ていない。
2006.11.04
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どこにいても、応援しています。巨人の18番はずっとあなたのものです。あなたが引退するその日まで空き番号であることを希望します。ものごころついたときから、あなたが好きでした。4番サード原、背番号8と同じく、ピッチャー桑田、背番号18を見続けてきました。どんなに活躍できなくても応援していました。毎年、どのくらい活躍してくれるのか考えていました。怪我をして投げられなかったとき、引退しないか不安でした。でも、手術と必死のリハビリでまた戻ってきてくれました。予定と違った野球人生になってしまったかもしれないけど、これからもずっとずっと応援しています。体がぼろぼろになっても、投げられる限りは投げ続けてほしいと思います。桑田真澄投手(38)が2日、東京・大手町の球団本部で来季のメジャー挑戦を表明した。数球団が興味を示しているとされる中、清武英利球団代表(56)は移籍先探しについて全面サポートを約束。巨人で一時代を築いた背番号18が夢を求めて海を渡る。 「今までは白紙でしたが、(清武)代表と今後のことを話しました。海外で挑戦する方向で考えていきます」 9月23日付の球団ホームページで巨人との決別を表明。原監督の起用法にまで言及し、“けんか”同然の内容に孤立状態に陥った。 だが、この日は一転。清武代表と同席して行われた会見では両者の“蜜月関係”を強調。「すれ違いはあったけど、けんかしていたわけじゃないから」と桑田が“釈明”する場面もあった。 巨人はその間、国内でのトレード先を探していたとされる。だが、年齢と高額の年俸(1億5000万円)から折り合いがつかず、最終的には桑田の希望を受け入れる姿勢に変化した。 「球団としても協力していきたい。連絡を密にして後押ししたい」 清武代表は契約期間の切れる12月以降も桑田の移籍先探しを全面支援することを約束。桑田自身、現時点では個人でトライアウト(スカウトを呼んでのテスト)を開く意思はなく、「巨人の人脈や代理人も何人か知っている」(同代表)と米国内の巨人ネットワークを最大限に生かして真正面から桑田の売り込みを手伝うという。 「希望? ないです。百聞は一見にしかず、百聞は一触にしかず-ですから。(再来年は)もう40歳ですし、脂ののっている一番いい時期じゃない。とにかく米国の野球を経験したい」 米国でもドジャースやインディアンスなど数球団が興味を持つとされる中、20歳から抱いていたというメジャーへの夢を明かしマイナーも視野にいれた『イバラの道』の覚悟も口にした。巨人との二人三脚で夢実現を目指す。
2006.11.03
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意味は違いますが、ニュアンスで考えてください。地元で活躍できれば、それまで自分を指導してくれた人への恩返しにもなるんじゃないでしょうか?巨人ファンとしては巨人に来てほしいですが。ひとつくらい、地元出身者しか取らない球団があっても面白いとおもいます。順位に責任はもてませんが。千葉市の鶴岡啓一市長(66)が1日、FA宣言が濃厚な日本ハム・小笠原道大内野手(33)の獲得を、ロッテに嘆願したことを明かした。 小笠原は千葉市出身で、幼少期を過ごしたのは千葉マリンスタジアムから徒歩圏内の場所。現在も千葉県内に居を構えている。地元出身のスター選手が地元球団に入れば、市の活性化、スポーツ振興にもつながる。同市長は「ぜひウチ(ロッテ)に来てほしい。(ロッテの)瀬戸山球団社長にも手を挙げてくれと伝えた」と語った。 獲得に必要な金額は3年15億円とも言われているが、同市長は「ロッテが(仮に)3年10億円と言っても、所得税があるから15億円と手取りは変わらない。地元ということで、男気を感じてくれないかな」と期待。獲得資金への税金投入は無理だが、「予算が通れば、室内練習場の人工芝をよりいいものに張り替えたい」と施設面での協力を約束した。 小笠原は3日に日本ハムと話し合うことが決定。日本ハム側は複数年の大型契約を提示する方針だが、小笠原自身は去就について「まだ何も決まっていない」と白紙を強調。千葉市長の思いは、届くか。
2006.11.02
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言語道断です。特にコメントする気にもなれません。強気の投球で気持ちよかったんですが。暴力団「勇心会」の覚せい剤密売事件を捜査している県警本部薬物銃器対策課は31日、覚せい剤を使用した覚せい剤取締法違反容疑で吾川郡春野町甲殿の元プロ野球投手、野村貴仁容疑者(37)=無職=を逮捕した。県警は同容疑者が勇心会の密売組織から少なくとも数十回にわたり覚せい剤を購入していたとみて追及している。 同課は同日、野村容疑者の自宅から注射器と覚せい剤が入っていたとみられる空袋5袋を押収した。調べに対し、「覚せい剤は一切使用していない」と容疑を否認しているという。 調べによると、同容疑者は今年10月下旬、春野町または高知市内で覚せい剤を使用した疑い。 勇心会の密売事件の捜査の中で今年8月下旬、野村容疑者が覚せい剤を購入していたことが分かり、内偵していた。31日朝、同課員が自宅にいた同容疑者を高知南署に任意同行し、採尿検査の結果、覚せい剤反応が出たため緊急逮捕した。 野村容疑者は高岡高校宇佐分校から社会人野球を経てオリックス、巨人、大リーグのブルワーズなどで活躍した。 【写真説明】野村貴仁容疑者 任意同行中 署から逃走 野村容疑者は31日午前、自宅から任意同行に応じたが、高知南署に入った直後、1階エレベーター付近から突然、走って逃走。同行していた県警本部薬物銃器対策課員らが追跡し、約10分後、約300メートル離れた高知市水道局の倉庫前を歩いていたところを発見、再び署に同行した。 同容疑者は肩付近まで髪を伸ばし、ひげも長く、小太りの体形で、現役時代の面影は全くなかった。課員に発見された時、抵抗することもなく倉庫の中に横たわったという。「心臓が止まりそう」などと話したため、同課員が救急車を呼ぶ騒ぎになった。 同課は「任意性を確保しながら逃走に注意すべきだった」としている。 「応援していたが…」 県内野球関係者に衝撃 左腕から繰り出す落差のあるカーブと速球を武器に、ファンを魅了した元プロ野球投手の野村貴仁容疑者。県内出身者初の大リーガーとしても活躍した剛腕ヒーロー逮捕の報に、県内野球関係者に衝撃が走った。 中学時代から投手として注目され、高岡高宇佐分校に進学。実績のない野球部をけん引した。 平成2年に社会人チームの三菱重工三原からドラフト3位でオリックスに入団。「妖刀村雨」と称されるカーブで中継ぎ・抑えの核になり、日本一になった8年の日本シリーズでは、巨人の松井秀喜選手をきりきり舞いさせてファンを沸かせた。 その後、大リーグ入りの希望を表明。10年から13年まで巨人に在籍後、渡米してブルワーズに入団。14年は21試合に登板した。同年限りで帰国し、15年は日本ハムでプレーした。 その後の詳しい消息を知る人は少なかったといわれている。吾川郡春野町の実家に戻ることもあったが、近所に姿を見せることもなかったという。同容疑者と接した県内野球関係者もほとんどいなかったようだ。 高校時代から同容疑者と親交のあった男性は「よくないうわさは聞いていたが」と絶句。「野球をやりたいのに、衰えていく体が言うことを聞かず、覚せい剤で現実から逃げていたのでは…」と言葉を詰まらせた。 県高野連の正木陽理事長は「何とも言いようがない。中学の後輩ということもあり、応援していたが。小さい体で頑張ってプロへ行き、高知から初の大リーガーにまでなった選手なのに、本当に残念の一言」とショックを隠せない様子だった。
2006.11.01
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