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北朝鮮は、朝鮮戦争以降から武器の自給自足のために沢山の軍需工場を建設して来たが、特に1960年代に中国-ソ連関係が悪化したことを受けて、一層軍需産業に力を注いだ。軍需産業は労働党傘下の第2経済委員会が専担しているが、第2経済委員会は傘下の多くの軍需工場を通じて、銃砲、艦艇、航空機などの各種軍事装備の生産はもちろんのこと、軍事装備の開発と輸出入業務まで管掌している。また専門の軍需工場以外に、内閣所属の民需工場にも「軍需職場」を設置して、第2経済委員会の指導下で軍服、軍靴などの補給品や、小銃、消火器、軍需部品も生産している。北朝鮮は軍需産業を段階的に発展させて来たが、1960年代は4大軍事路線を推進しながら、軍需工場を一層拡張させる一方で、主要金属工場、工作機械工場、精密機械工場、自動車工場、トラクター工場、通信機械工場及び造船所などを、直接或いは間接的に軍需品を生産できる体制に改編した。1970年代からそれまでの模倣生産の段階から脱して、新しい武器の開発に力を注ぐ一方で、戦車を含めた装甲車・火砲・共用火器及び各種弾薬を量産して、自給自足が可能になった。艦艇は潜水艦をはじめとした各種戦艦を建造できるようになったし、主要精密電子機器と部品以外の武器の大部分の自給体制を維持することができるようになった。1980年代以降、北朝鮮は武器の自主開発段階に突入して、量的拡張だけではなく質的改善にも力を注ぎ、一部の電子及び精密誘導武器、最新型の戦車及び高度の航空装備以外、大部分の自主生産が可能になった。1990年代に入って、ロシアの技術支援によりMiG-29機の組み立て生産を推進した。前方地域へ配置したら、韓国のソウルまで攻撃が可能な長射程砲を生産するなど、在来式武器の生産能力を蓄積して来た。しかし、1990年以降の持続的な経済難により、在来式戦力の量的増強が全般的に鈍化し、小型潜水艦、AN-2機など奇襲戦闘装備の生産とミサイル、生化学武器など、戦略武器の開発に重点を置く傾向を見せている。1993年5月、ノドン1号ミサイルを試験発射し、1998年8月にはテポドン1号ミサイルを試験発射することにより、中長距離ミサイルの開発能力を保有するようになった。また、北朝鮮は約2,500~5,000トンの化学作用制を分散して施設に貯蔵しており、炭疽炭、天然痘、コレラなどの生物武器を自主的に培養して生産することができる能力があると推定される。慈江道を中心に分布している軍需工場は、現在、約200カ所で、大部分が地下に建造されている。これ以外にも約110カ所の一般工場を戦時転換工場として指定して、戦時には直ちに軍需物資を生産できる体制を整えている。1978年からソ連の技術支援により、T-62戦車を生産して、アラブなどの紛争地域に輸出し、1980年代後半からはスカット・ミサイルなどを中東地域などに輸出している。北朝鮮の軍需分野で最も立ち後れていた部門は電子と通信分野だったので、1980年代から中国、ソ連製の有無線通信装備の模倣生産を試みて、連隊級以下の小部隊用の交換台及び電話機、低出力無線機など、在来式装備の量産体制が確立されたようである。
2011年05月20日
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-自由北朝鮮放送(http://www.fnkradio.com/北朝鮮で農村や山里で暮して、生まれて初めて平壌を訪問した人々は、平壌に行って来たこと自体を「最高の栄光」と考え、平壌に行って来た住民がいたら、村人たちは平壌のニュースを聞くために集まって来るという。 今年4月28日、北朝鮮内部の消息通は、山里で一生伐木ばかりした労働者が、約50年ぶりに平壌見学に行って来た話を伝えた。 平壌に行って来た労働者は、「わ~我々が村で農業をして飢え死にしないのを幸せと思っていたのに、平壌は別世界だった」としながら、「まるで外国に行って来たようだ」と自慢をしたとのことである。 消息通は、「この労働者は、生まれて初めて汽車に乗って、自分が住んでいた山里の村を脱出して、平壌市見学に行って来た」としながら、彼は「文化と環境などは別世界のようだった」と語ったと言う。特にこの労働者は、平壌市内のある宿所に泊まったところ、座便器を見て驚いたとのことである。彼はどこにトイレがあるのか分からなくて、ずいぶん長い時間捜し回った挙句、この座便器を見付けたと言う。 消息通は、「初めて座便器を見たこの労働者は、一日中トイレに行き続けた。そして故郷に帰ってからも、子供たちの前で平壌で見たことを自慢した」としながら、「平壌に行って来たことを『家門の栄光』と思い、子供たちに『これからも党と首領のために熱心に働けば、平壌に行ける機会が与えられる』という可笑しな教育をしている」と話したという。 消息通はまた、「今、労働者の家には、平壌に行った事が無いお年寄りと村の住民たちが、平壌のニュースを聞くために集まっている。北朝鮮では死ぬまでに、自分が住む山里の村を出られない人々が多いので、平壌に行って来たこと自体を大きな栄光と思う」と付け加えた。
2011年05月17日
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アメリカの観光客が去年9月、北朝鮮を訪問中に撮影した「天井から水が落ちる高麗航空の飛行機」という動画が、インターネットのウェッブ・サイトに掲載されました。 アメリカの金融会社に勤める30代のロバート・デ-ケムプ(Robert DeCamp)さんは、去年9月の初めに、初めて「隠遁の国」北朝鮮に行く途中、思いがけない経験をしたと、22日、自由アジア放送に明らかにしました。(Flickr動画)中国の北京、つまり北京から平壌に行くために高麗航空の飛行機に乗りましたが、激しく機体が搖れて、飛行機の天井から水が落ちて来たのです。 デ-ケムプさん:北朝鮮へ行こうとしたら、多くの人が私の安全を心配してくれました。しかし、私はそれほど恐ろしくはなかったです。ところで本当に虫唾が走るほど恐ろしい体験をしました。一緒に行った観光客の頭の上に、水が大量に落ちて来たのです。旅行の出発から緊張しました。それに荷物を入れる棚に、蓋がなかったのです。古いソ連製の飛行機でした。 デ-ケムプさんはモンゴルとバングラデシュを除く全てのアジア国家と、コスタリカなどの南アメリカなど全世界35カ国を旅行しましたが、このような経験は初めてだったと言いました。北朝鮮が今年に入って、アメリカ人の旅行規制を緩和したことを受けて、デ-ケムプさんは中国北京にある旅行社を通じて、去年9月7日から11日まで北朝鮮を訪問しました。 彼は自分が韓国人の血統ではないが、普段、韓国に対する関心が高かったので、北朝鮮を訪問したと語りました。宣教師だった曽祖父が韓国に定着して、それ以降宣教師になった祖父と在韓米軍だった父親、そして自分まで3代がソウルで生まれたからです。また、金融界で働くデ-ケムプさんは、自分が旅行した共産主義国家のミャンマー、ベトナム、中国などが資本主義経済体制を受け入れて、観光客たちが行きたい所に自由に行けるようになったのに比べて、北朝鮮旅行は組まれた日程通りに動く非常に珍しい旅行だったと言いました。 デ-ケムプさん:北朝鮮は中国、ベトナム、ラオスなどと違いました。北朝鮮では自由主義市場経済の姿は見られませんでした。分断の歴史を感じることができる非武装地帯が、一番印象深かったです。私が短期間訪問したソウルと地理的に近いのに、政治的に別の所だということに驚きました。 デ-ケムプさんは、西洋からの観光客で北朝鮮の政治、経済、社会を直接経験した人が多くないという点に魅力を感じて北朝鮮を訪問し、平壌外国語大学を卒業した観光ガイドと多くの会話を交わした伝えました。英語が非常に上手で、賢いこの20代のガイドは、直説的には言いませんでしたが、外部世界に対する好奇心を密かに現わしたと彼は明かしました。デ-ケムプさんはガイドが韓国-北朝鮮の間で所得格差が激しく、政治的に緊張状況にあるということと、中国が資本主義を受け入れて発展したという事実に言及して驚いたと明かしました。 デ-ケムプさん:日本の植民主義時代に、私の祖父が韓国で宣教師として活動しましたが、日本流の信仰を信じないという理由から10年の労働刑を受けたと語りました。ガイドはこの話を聞いて、北朝鮮が敵対的感情を持つ2つの国のアメリカと日本が、過去は友邦関係になかったという事実に対して驚いたようでした。 デ-ケムプさんは平壌から開城(ケソン)に移動するバスの中からは写真は撮らないで欲しいと要求されたと明かしました。平凡な田畑に見える地域でしたが、多分、軍の武器貯蔵庫や軍の施設を隠すためだったようだと彼は想像しました。
2011年05月12日
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北朝鮮の高麗航空が、ヨーロッパ連合(EU)の国際安全基準による評価により、2機を除く全ての航空機が6年連続で就航禁止の処置を受けた。 ヨーロッパ連合が今月21日に発表した「就航制裁航空会社名簿」(operational restriction)に、北朝鮮の高麗航空が6年連続で含まれた。従って高麗航空は、去年、制限的就航許可を受けたロシア製の新しい2機の航空機Tupolev-204以外の全所属航空機が、全面就航禁止の処置を受けた。 この件と関連してヨーロッパ連合は、自由アジア放送(RFA)とした電話会見を行い、「今年、高麗航空側はヨーロッパ航空安全委員会にこれまで執ってきた安全度改善措置を説明して、過去5年間続けられた就航制裁措置を緩和して欲しいと要求した。しかし、まだ国際安全基準に満たないと判断されて、就航制裁は解除されなかった」と説明した。 今回、ヨーロッパ連合が発表した「就航禁止名簿」により就航が禁止された国家は、北朝鮮、コンゴ、ベニン、アンゴラなどの21カ国。ヨーロッパ連合は、しかしこれからも高麗航空がヨーロッパ連合の基本的な安全基準を満たせば、追加の解除措置が何時でも可能だと付け加えた。 高麗航空は総計約20機の航空機を保有しているが、運航中の航空機約10機は全て1960年代と70年代に運航していた旧ソ連制の航空機で、かなり老朽化した状態であると伝えられている。この件に先立ってヨーロッパ連合は、2010年に北朝鮮が新たに購入したロシア製の航空機2機(Tupolev-204)に対してだけは、就航禁止を解除した。
2011年05月10日
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愛する兄弟姉妹の皆さん、4月24日から30日まで、ソウルで2回目に開催される第8回北朝鮮自由週刊に、皆さんが参加して下さるように、この招請状を送ります。北朝鮮自由週刊は、皆さんと北朝鮮にいる私たちの兄弟姉妹のための行事です。この1週間、今や自由を享受する私たちが1つになって、金正日政権下で、まだ奴隷のように苦しんでいる私たちの兄弟姉妹の自由と人権と人間的尊厳を要求します。北朝鮮住民が解放される日が、今や目の前に迫りました。去年の今頃、ここで北朝鮮自由週刊を開催した後、北朝鮮では以前にはなかった事が起こりました。皆さんは良くご存知でしょうが、北朝鮮の住民たちはもうこれ以上、孤立断絶されてはいません。更に多くの北朝鮮住民たちが、今や自分たちの苦しみがアメリカや韓国のためではなく、金正日と彼の側近たちのためだという事実を知っています。皆さんもご存知のように、北朝鮮住民たちはもうこれ以上、自分たちが生きる為に金正日政権に頼っていません。北朝鮮にも200カ所以上の私設市場が誕生し、脱北者の皆さんが北朝鮮に残して来た兄弟姉妹を直接支援しています。最も注目に値する変化は、韓国国民たちの中に見られました。金正日のチョナン号攻撃と延坪島の虐殺が、韓国国民たちの目を開かせました。金正日政権から核を放棄するというに偽の約束を貰うために、北朝鮮にいる兄弟姉妹たちの人権を無視してはならないという真実、皆さんが今まで必死に主張して来た真実です。しかしこのような注目に値する変化にも関わらず、北朝鮮住民たちはこの地球上で最も残酷な苦しみを味わっています。この地球上に、長距離電話をかけたとか、隣国を訪問したという理由で、銃殺される国がありますか?この地球上に、政治犯収容所で生まれたら、一生収容所の中で生きなければならない国がありますか?この地球上に、いわゆる「産業化された国」の平和な時代に、数百万人が飢え死にした国がありますか?他国の国民を拉致して、戦争捕虜をいまだに抑留し、偽札を政権が印刷し、麻薬を密売する国は、この地球上に北朝鮮しかありません。愛する同志の皆さん、北朝鮮住民の解放は近付いています。金正日政権が終わったら、私たちは今まで私たちが聞いてきた北朝鮮住民の惨状が、ずっと残酷だったという真実を知るでしょう。 同志の皆さん、私たちの自由を最大限に利用して、北朝鮮住民の解放を1日でも早めましょう。1人でも多くの命を助けましょう。最も重要な時が来ました。北朝鮮自由週刊の徹夜祈祷会があります。そこに集まって、皆で祈りましょう。北朝鮮自由の日決起大会と、その他の行事があります。この行事に脱北者の兄弟姉妹の皆さんが積極的に参加してくださるように、心からお願い申し上げます。 愛する同志の皆さんと私たちの北朝鮮自由週刊に、神様の恩寵が共にあるようお祈り申し上げます。Suzanne Scholteスーザン・ショルティー
2011年04月29日
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北朝鮮最大の節日である金日成の誕生日、99回目の「太陽節」が、今年も盛大に開催された。多くの軍人と住民たちは金日成の銅像に花を捧げ、街のあちこちでは所謂「忠誠大会」が開かれ、間近に迫った2012年の強勢大国実現のビジョンを、精一杯盛り上げようという雰囲気だった。何よりも今回の太陽節で注目された部分は、金正日の3男である後継者の金正恩(28)に関する北朝鮮政府の行動だった。13日の官営放送朝鮮中央テレビでは、朝鮮国立教養楽団が彼を賞賛する第1号の歌『足取り』を演奏する場面が放映された。2009年から政府によって住民たちに広められ、金正日の前での公演も1回放映されたこの歌は、「コツ、コツ、コツ、我々の金大将の足音…2月の気候を後に…全国民が従ってコツ、コツ、コツ」という歌詞から分かるように、金正恩を人民の指導者として露骨に賞賛する内容である。金正恩権力を正当化するための「革命2世代体制」の完成しかし、何よりも後継体制を堅固にする野心は、比較的静かな所に見られた。軍部の人事異動である。政府の公式発表によると、太陽節の数日前に、オ・イルジョン(57)党軍事部長とファン・ビョンソ(62)党組職指導部副部長を中将から大将に昇進させ、総計で大将2人、中将5人、少将38人が進級した。今回の昇進命令で、金正日は彼らに「党の領導に忠直に奉じて、白頭で開拓された主体革命偉業を完成して行くための闘争で、本分を発揮するように」と語ったとされ、彼らが次世代の金正恩体制の核心メンバーとして活躍するだろうと示唆した。その内でも特に目を引く人物は、人民武力部長だったオ・ジヌ(1995年死亡)の息子のオ・イルジョンである。金正恩が軍事部委員長になった去年9月の党代表者会の当時、チェ・ヒョンの息子のチェ・リョンヘ(61)、オ・ベクリョンの息子のオ・クムチョル(64)と共に、革命第1世代の後孫として中将に昇進した彼は、以降7カ月で大将になった。これは全面的に金正恩ゆえに可能だったことであり、まさに超高速昇進である。いわゆる「革命第1世代」の息子たちである彼らが、後継権力構築と重なって要職に配置された理由は、金正恩の「正当性」を保証するためである。既に去年から祖父の金日成と似た外貌に飾り立てられ、「正当な指導者」イメージを作るのに成功した金正恩にとって、現時点で安定した権力承継のために必要なのは、周囲の人間である。特にオ・イルジョンの場合、父親のオ・ジヌが金正日と非常に親しい関係にあったものとされている。すなわち、金正日が70年代の後継競争当時、オ・ジヌのような革命第1世代たちの助けを借りたので権力を掌握することができたように、彼の後継者である金正恩も徹底的に世代継承の概念を生かして、意識的に集結を図っているように見られる。この過程で、当然3代世襲の不当性といった人道的問題など目に入るわけがない。初めから金日成血統中心の世界観に自ら騙されている状態なので、このような権力承継は大変合理的なことである。誰のための3大世襲?一方、14日に北朝鮮政府がキム・ヨンナム最高人民会議常任委員長の主催で開催した太陽節記念報告大会で、金日成、金正日に対する賞賛文句は多かったが、金正恩は言及さえされず、外部から疑惑が集まった。もしこれが、今月8日に開催された最高人民会議の結果に関して提起された解釈と共に「速度調節」のためなら、金正恩が「強勢大国プロジェクト」に全面的に参加するのは難しいようである。世代継承の形が確立されたら、その後に金正日の領導力の誇示が従うだろうと言うのである。3大世襲過程は金正恩の全盛期導入と言うよりは、金正日の全盛期絶頂と評価することもできるかもしれない。革命第1世代と第2世代を繋ぐ架け橋的な役目として、彼が崇め奉られる時期だからである。北朝鮮が主張する2012年強勢大国の年を前に、一連の後継構築作業が性急に進められるのは、「金正日の歴史的意義」を完成するためではないだろうか。
2011年04月28日
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イタリア・シチリア島の都市国家シラクサのディオニシウス1世に、ダモクレスという廷臣がいた。彼は太鼓もちだった。ダモクレスが王の座を羨んでいるのに気付いたディオニシウス1世はある日、「あなたは私の座がそれほど羨ましいのなら、1日だけ座って見なさい」と言った。ダモクレスは王の配慮に感激した。 王座に座ったダモクレスは、何気なく天井を見上げて驚いた。鋭い1本の剣が1本の細い糸にぶら下げられて、自分の頭の上にぶら下っていたからである。いつ剣が落ちて、自分の首に刺さるか分からないという極度の緊張感で、ダモクレスの感激は一瞬の内に恐怖に変わった。王座に座っている間、彼は生きた心地がしなかった。 ケネディ大統領が1961年に旧ソ連とキューバ問題で紛争が起きると、UN総会の演説を通じて初めて核兵器を「人類にとってのダモクレスの剣(Sword of Damokles)」と比喩した。全人類の運命がボタン1つに掛かっていることを警告した言葉だった。今、ダモクレスの剣が私たちの頭上にある。北朝鮮の核である。 日本の東北部に大地震と津波が起きてから、1カ月が経過した。大震災と、それに伴う津波の被害と福島原発の爆発による放射線問題に、全世界が注目している。チェルノブイリ事態を凌ぐほど危険だと警告する人もいる。しかし、これからの核災害は原発ではなく、安全性が全く保障されていない北朝鮮の核施設から来るという事実を知らなければならない。そして私たちがすべきことは原発反対運動ではなく、北朝鮮の核施設撤廃要求と不完全な北朝鮮の核施設に対する安全性を促す世論を活性化させることである。 今月6日、オーリ・ハイノネン国際原子力機関(IAEA)元事務次長は、独力で建設中の北朝鮮軽水炉の安全性の問題が深刻だと警告した。孤立した北朝鮮が軽水炉を自国の力で製作する技術を得るのは非常に難しいので、既存の核施設より一層憂慮されると主張した。彼はこの日のアメリカ自由アジア放送(RFA)とのインタビューで、北朝鮮が自国の設計で寧辺に建設中の軽水炉からの放射線漏出などの安全の問題が深刻だと言った。ハイノネン元事務次長は1994年と2007年、IAEAの北朝鮮核査察を主導したし、関連業務で20回以上北朝鮮を訪問した北核専門家である。 ジョン・ウルプスタル米戦略国際問題研究所国際安保担当専任研究員は、北朝鮮の寧辺核施設を放射能に汚染された崩れた古セメントの溜まり場だと言った。部品はさびて、ガラス窓は割れて、水と電気も数時間だけ提供されているとしながら、「アメリカなら強制的に施設を閉鎖するほど、汚染度が深刻だ」と言った。去年、北朝鮮はアメリカの核専門家のジークフリード・ハッカー博士の一行に、ウラン濃縮施設を公開した。当時、ハッカー博士は北朝鮮の核施設に対して、安全性が緊急な問題だと警告した。北朝鮮が孤立した状態で、十分な経験もなく核を開発するのが、非常に心配だとのことだった。 防衛産業体と各国の政府機関を対象に情報を提供するイギリスの「ジェインス・インフォメーション・グループ(JIG)」は、もっと直説的である。JIGは2005年に、「寧辺で核事故が発生したら、放射能で12万人が直接被害を受けて、1200万人が直・間接的な被害を受けるだろう。韓国と日本、中国にも直接的な被害が予想される」と推定した。既に北朝鮮では、以前から核物質による大被害が見られている。北朝鮮の核施設が位置する寧辺地域では、結婚した女性たちが不妊に苦しんでおり、肛門または生殖器、そして耳や指がない奇形児を生むケースが多いというニュースが伝えられている。放射線や放射性物質に露出しているからだということである。北朝鮮には安全性が保障されていない核施設が数多くある。公表されたものだけでも、86年に建設された5MWe実験用原子炉と、65年に旧ソ連が平安北道寧辺郡に建設したIRT-2000原子炉、プルトニウム再処理施設の放射化学実験室、核燃料加工工場などがある。知られているものだけでもこれ位あるのだから、隠された施設がどれほどあるか分からない。そのためか、これまで北朝鮮の核問題に大きな関心を示さなかった中国が、日本の放射能災害により敏感になり、北朝鮮の核施設を調査すると発表した。今後1年間、自国の原発施設の安全性を調査しながら、北朝鮮の核施設も点検するというのである。遅れはしたが、それでも幸いである。
2011年04月21日
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アフリカのジンバブエを32年間統治しているロバート・ムガベ大統領は、1994年に金日成が死んだ時、「金日成追慕事業会」を作った。副大統領が委員長になって、毎年セミナーと追悼式を行なう。ジンバブエの役人たちは、ムガベの指示に従って、『主体!金日成の演説と著作』という本を読む。ムガベが金日成に真似るのは、80年代初めに北朝鮮を訪問した時からだった。彼は、北朝鮮が指導者の誕生日を節日に決めて、彼のために数万人がマスゲームをする姿が羨ましかった。ムガベは自分の誕生日である2月21日になると、金日成の誕生日の祝宴を真似て、マスゲームと軍隊の行進をさせたり、祝宴の料理を配給した。2009年の85回目の誕生日の時は、年齢に合わせて85Kgの大型ケーキも作った。パーティーの費用は25万ドルで、ジンバブエ国民1人が830年間貯金しなければならない金額だった。疾病と貧乏のために国民の平均寿命は42歳だが、ムガベは87年間生きている。ムガベの側近は、「北朝鮮訪問以降、彼は金日成をモデルにしている」と言った。北朝鮮は1974年から、金日成の誕生日である4月15日を「民族最大の節日」と定めて、祝って来た。82年に金日成の70回目の誕生日の時に作った平壌の主体塔は、金日成が70年間生きて来た日を象徴する2万5550個(70×365)の花崗岩で作られている。金日成の誕生日が「太陽節」になったのは、金日成が死んでから3年目の97年からである。太陽節という名前は、金正日が「首領様は太陽のようにいつも我々の側にいらっしゃる」とした教示によるとのことである。金正日は死んだ父親を太陽のような神の境地に引き上げた。そして自らに「神の息子」の権威を付与した。正に、偽宗教集団の個人崇拝方式である。北朝鮮は去年5月、水素爆弾の製造に必要な核融合に成功したと主張しながら、「太陽節を迎え、人工太陽を作った」とまで宣伝した。北朝鮮は毎年、太陽節になると、外国から公演団を招いて祝賀行事を行い、金日成の花展示会を開いている。今年は太陽節の祝典に外国から約200人の招待客を招くためにチャーター機まで準備し、祝典の費用として500万~600万ドルを使うとのことである。金正日は自分のペットを検診するフランス人獣医師を1回招待するために、1万ドルを使う。一方で、国際社会に向かって食料がないと訴える。「太陽」を祭る行事の陰で、「コメ飯と肉汁を食べるのが願い」という北朝鮮住民の夢は、ますます遠のいて行くように見られる。
2011年04月20日
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多くの北朝鮮関連のNGO団体は、北朝鮮を援助しなければ多くの北朝鮮住民たちが餓死するとして、北朝鮮に対する人道的支援を主張している。果して、こういった団体の主張通りに、無条件に北朝鮮に食糧を与えるのは、正しいのだろうか?北朝鮮で、毎年、コメ代が一番高騰する時期は、5、6月である。この2カ月間さえ耐えたら、トウモロコシの収獲が始まる7月になり、再び1年を何とか無事に過ごすことができるからである。それで、北朝鮮では5月と6月に大きな利益を上げるために、コメを貯蔵して、売らないで待つ商人たちが多い。このような理由から、秋が過ぎて翌年の1月くらいなると、既に市場ではコメ価格の上昇現象が起こる。しかし、市場には1年中、コメが溢れ返っている。その理由は、住民たちもこの時期に備えて、予め購買能力と準備をするからである。北朝鮮の市場は、このような生存の循環構造により、今まで拡大して来た。このような市場構造により、5月と6月に一番苦しむ人々は、外でもない市場を利用することができず、党と軍からの限定された供給だけに頼る配給階層である。北朝鮮政権の配給能力が5月と6月に限界を達すると、配給量が減少したり配給出来なくなるので、配給秩序だけに頼って来た人たちは、直接的な被害を被る。一方、彼らと違い、ほぼ2000万人に達する北朝鮮の市場勢力は、配給制を拒否する体制離脱勢力である。生存論理を完璧に悟った彼らは、絶対に餓死しないし、却って対北朝鮮支援に反対している。対北朝鮮支援が拡がるほど、政権は統制可能な配給階層として自分たちを吸収しようと、市場を抑制するからである。このような意味から、5月と6月は北朝鮮の変化の季節になることがあり得る。この2カ月間がコメの値段が最も上がる時期であり、民心もそれに連れて悪化する。また配給制に頼って来た勢力たちの体制離脱心理も、正にこの時期に極限に達する。コメ代の統制と内部の取り締まりを強化する過程で、政権と住民たちの間の葛藤と摩擦も激化する。従って、北朝鮮が国際社会に食糧援助を要請しても、これに対する観点が変わらなければならない。北朝鮮政府の立場からすると、コメというのは住民たちの食糧ではなくて、市場を弱化させて、統治を強化する手段に過ぎない。従って、国際社会が北朝鮮に食糧を与えるほど、北朝鮮の市場は縮小され、金正日の統治権だけが強化するのである。5、6月を前に、北朝鮮が国際社会に食糧援助を要請することが多くなったのは、正にこのためである。今、北朝鮮にコメが足りないのではない。北朝鮮政府の統制を逸脱した市場には、相変らずコメが溢れている。但し、北朝鮮政府が住民を統治するのに必要なコメだけが、不足しているのである。
2011年04月19日
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◎開発の背景及び特徴 北朝鮮のミサイル開発の歴史は、1965年に金日成の指示で設立された「国防大学」が、ミサイル開発の専門人材を養成し始めた頃に起源を発する。1969~1970年、北朝鮮はソ連が1965年に開発した射程距離68kmの短距離戦術ミサイル(tactical missiles)の「フロッグ-7(Frog-7)」を導入して、本格的なミサイル研究開発を始めた。当時、北朝鮮は「スカット(SCUD)ミサイル」が欲しかったが、旧ソ連が供給しなかったとされる。1970年代に北朝鮮は、旧ソ連から導入した「フロッグ-7(Frog-7)」を逆設計(Reverse enginering)して、初歩的なロケット製造技術を習得したと把握される.。1976年頃には関連技術者を中国に送って、中国が1975年から液体燃料推進の核投発手段として開発した「ドンプン-61(東風DF-61)」弾道ミサイル(最大射距離600Km, 弾頭重量500Kg)の開発計画に共同参加した。「ドンプン-61」の開発計画は1980年に取り消しされるが、この事業を推進した責任者が文化革命の時の失脚させられて、中国政府が事業を取り消したのである。北朝鮮はこの事業を通じて、ミサイル製造の貴重な経験を積むことができた。 北朝鮮が熱望した「スカット(SCUD)ミサイル」の技術の確保には、エジプトが決定的な役割を果たした。1963年にエジプトと国交を結んだ北朝鮮は、1973年10月に第4次中東戦争(「Yom Kippur戦争」)が勃発したのを受けて、「ミグ-21」操縦士1個中隊を派遣してエジプトを援助した。第4次中東戦争(「Yom Kippur戦争」)でイスラエル空軍に苦戦を強いられたエジプトは、旧ソ連から「第3国に提供しない」という条件で、「スカット-B」(射距離280~300km、弾頭重量985kg)ミサイルを導入したが、その後、旧ソ連と関係が悪化して、導入した「スカット-B」の修理及び維持用部品の供給を受けることができない状況になる。難関に陥ったエジプトは、独自にミサイルを開発した北朝鮮に支援を要請した。北朝鮮とエジプトは1979~1980年に戦術弾道ミサイルに関する情報と技術陣を交換する関係にまで発展する。1980年1月、エジプトのホスニー・ムバラク副統領が平壌を訪問して、金日成と面談した。1984年にエジプトはソ連と交わした約束を破って、「スカット-B」ミサイル2基を北朝鮮に提供する。この時、エジプトから引き渡された2基のミサイルが、北朝鮮の弾道ミサイル開発に決定的な技術を提供する契機になった。1981年、「イラン・イラク」戦争が勃発すると、全アラブ国家はイラクを支援した。同じアラブ圏から孤立したイランは、「弾道ミサイル」の必要性を切実に感じて北朝鮮に接近する。1983年、イランは北朝鮮と弾道ミサイル開発相互支援に関する協定を締結して、北朝鮮に弾道ミサイル開発に必要な資金と装備を供給し始める。金正日は1981年1月、当時、中央党機械事業部(現軍需工業部)の秘書だったヨン・ヒョンムクに旧ソ連製「Scud-B」ミサイルの「Copy設計」をして量産するようにという指示を下した。この指示は、「党中央軍事委員会」の命令となり、北朝鮮の「第2自然科学院(国防科学院)」に下達される。「第2自然科学院」は傘下の「工学研究所」を中心に「Scud-BミサイルCopy設計のための科学者突撃隊」を組織して、金正日に1981年4月15日までに試験発射を保障するという「忠誠の宣誓文」を捧げてから、突撃戦を始めた。 党軍需工業部が全て動員されて、設計と試作品の製作に必要な資金と設備、技術が最優先に支援された。このようにして開発された「スカット-B」ミサイルの試験発射は、総計3回に渡って行われた。第1回目の試験発射は1981年4月末頃、第2回目の試験発射は1981年7月初め頃、第3回目の試験発射は1982年4月に行われた。第1回目の試験発射の時には、製作したミサイルが震動さえしなくて失敗した。第2回目の試験発射の時には、ミサイルが30m程度動いたがそれ以上動かなかったとのことである。ミサイルは第3回目の試験発射で成功して、「第2自然科学院」は金日成と金正日から前例のない表彰と贈り物をもらった。この時に開発された「スカット-B」ミサイルを北朝鮮は『ファソン』と名付けて、その試験発射に沿って、「ファソン-1」、「ファソン-2」、「ファソン-3」と名付けられ、「ファソン・シリーズ」と呼ばれている。しかし、この時成功したミサイルは試作品の試験発射だったので、量産のためには性能を補強しなければならなかったし、試作品の性能の修正作業のために、北朝鮮は西欧世界の部品確保が必要になる。 1984年10月、アメリカ・ニューヨークでイランのある事業家が、ミサイルの誘導装置と夜視装備に使われる電子部品を北朝鮮に送ろうとして発覚した。1987年12月、日本の大阪では朝鮮総連関係の企業人である「東明商社」所属の北朝鮮工作員と日本人たちが、COCOM(対共産圏戦略物資・技術統制委員会)の規制品目である集積回路(IC)とマイクロ波周波数カウンタなど263点を北朝鮮に不法輸出しようとして摘発された。当時、アメリカと日本の情報政府は、このような輸出が全て北朝鮮の弾道ミサイル開発と関連があると推定した。「スカット-B」の試験発射の成功後、数回の修正作業を繰り返した北朝鮮は、1987年4月、平壌に半導体工場を建設して、北朝鮮産の「スカット-B」 『ファソン』の量産を開始する。北朝鮮は量産されたミサイルの輸出を試み、まず最初に顧客開発費用を支援したイランに、1988年に90~100基(5億ドル相当)の「ファソン」を輸出した。「イラン・イラク」戦争期間である1988年2月29日から52日間、イランとイラクは人口が密集した相対国の都市にミサイルを発射する「ミサイル戦争」を行ったが、双方は総計878発という膨大な数のミサイルを消耗する。この時イランは、北朝鮮から導入した「ファソン」ミサイル77基を使ったと言う。 当時、イラクも旧ソ連の「スカット-B」ミサイルをCopyした「アル・フセイン」(最大射距離600km)と、「アル・アブバス」(900km)を独自に開発して、生産していた。イラクの「アル・フセイン」がイランの領土に落ちると、イランはその残骸を拾って北朝鮮に送ったと言う。イラクの「アル・フセイン」ミサイルは84発が使われたとのことである。イランのこのような積極的な協力により、北朝鮮は1990年6月に「スカット-B」(射距離280~300Km、弾頭重量985Kg)の弾頭重量を減らして、推進機関を確張して(推進燃料の量を25%増加)、最大射程距離を確張した「スカット-PIP」(Product Improvement Program)を開発するのに成功する。「スカット-PIP」は「スカット-C」(最大射距離500Km、弾頭重量770Kg)とも呼ばれる。 北朝鮮が「スカット-C」の量産を開始すると、イランはこのミサイルを導入して、1991年5月にイラン北部の試験場で試験発射した。シリアも1994年に北朝鮮の「スカット-C」を輸入して試験発射したが、この事実が西側の情報機関に捕捉された。これを受けて、イスラエル情報機関である「モサド」が中東国家に対する北朝鮮のミサイル輸出を阻止し始めた。◎化学戦北朝鮮は「フロッグ-5」と「フロッグ-7A」に使える化学弾頭を開発し、「スカット-B」に化学及び細菌弾頭を開発して、ミサイルに装着する計画を推進しているが、正確度が大きく落ち、軍事施設を正確に攻撃するには限界がある。北朝鮮の「ファソン」シリーズのミサイルが危険視されているのは、化学武器のためである。アメリカの情報機関の分析によれば、「ファソン」ミサイルの場合、50~60%が化学弾とのことである。 ◎配置北朝鮮は黄海北道シンゲ郡に移動式「スカット-B」の発射台を隠しているとのことである。北朝鮮がシンゲ郡から「スカット-B」を発射した場合、500Km程度の距離は6分55秒で到達することができると分析される。現在、北朝鮮はシンゲ郡以外に、北朝鮮全域に「スカット-B/C」 約500基を作戦配置したとされている。北朝鮮は現在、「スカット-B/C」を運用する「ミサイル旅団」を人民武力省の直属に運営して、総計27個のスカット発射台を配置している。北朝鮮の「フォソン・シリーズ」はCEPが大きく精密度は非常に落ちるが、移動式車体による発射機によって運用されるので、簡単には探知されないという面がある。北朝鮮のミサイル基地の位置は、資料によって全て違う。限定された情報から把握しなければならないという、現実の難しさがあるからである。 ◎生産施設北朝鮮には最低で4カ所以上のミサイル製造工場があると確認されている。 ▲関連部品を作る26号工場(慈江道カンゲ市) ▲発射体のエンジンを生産する118号工場(平南道ケチョン郡カガム里) ▲ミサイルを組立てる125号工場(平壌市ヒョンジェ山区域チュンゲ洞) ▲爆薬を作る弱電機械工場(平壌市マンギョンデ里)などにある。 これ以外にも、南浦市カンソ区域にもミサイル工場があるという脱北者の証言がある。北朝鮮の特急、1級企業所が殆ど同様な規模の軍需施設を運営しているが、ミサイル工場はこれよりずっと多い可能性が高い。実際、ミサイル工場が8カ所以上あるという推測も提起されている。北朝鮮の「スカット-B」生産能力は、1カ月に8~12基(年間100基)で、保有量は約500基と推定される。「スカット-C」の月間生産能力は4~8基程度で、60基をイランとシリアに販売した。北朝鮮がこれまで中東地域に販売したミサイルは、イラン202基、シリア150基、イラク100基など、総計490基とされている。
2011年04月15日
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北朝鮮が4月7日に平壌の万寿台(マンスデ)議事堂で開催した第12期4次最高人民会議が、3代世襲の進展なしに静かに終了した。北朝鮮の官営メディアである朝鮮中央通信は、この会議でリ・テナム内閣副総理の解任とリ・ミョンス行政局長の人民保安部長任命が決まったと報道したが、金正恩については言及しなかった。このように北朝鮮政権は、後継作業の「速度調節」を試みているという見方が提起されている。後継の公式化まで16年の練習期間が必要だった金正日に比べて、2年も経過していないのに去年9月28日の党代表者会を通じて党中央委員会副委員長に超高速昇格した金正恩は、軍部権力の掌握を基盤に、今回の会議で本格的に国防委員会副委員長に任命されるはずだと予想されている。「来年の太陽節まで」業績を強いられる青年大将の未来「人民軍大将」の称号付与と共に、金日成と似た外貌に変身して現地指導に数10回同行するなど急速に後継者活動を続けている金正恩は、事実上、少なくとも来年或いは今後、本格的に金正日の衰退期が始まった時には、実勢を享受するようになるだろうと見られる。間もなく迎える北朝鮮最高の節日である太陽節(金日成の誕生日、4月15日)に彼を大騒ぎしながら担ぎ上げるにはまだ役不足という政府の計算が、今回の決定に反影されていると見られるからである。金正恩に一番要求されることは「名分」、即ち指導者的な業績である。もちろん、この種の業績の中で住民たちに最も容易くアピール出来る分野は、断然、食糧難の解決であるが、そのために彼は必ず中国からの経済支援で大成功を収めなければならない。しかし今年2月の孟建柱中国公安部長との接見後、未だに彼は単独で訪中も出来ていない状況である。一部では、先月(3月)チェ・テボク最高人民会議議長が北京に臨時滞在して中国側と関連問題を協議したので、今月末か5月初めに訪中計画が実現するはずだという主張も提起されている。しかしそれでは、太陽節に続き人民軍創建日(25日)といった北朝鮮の4月の祭り時期が殆ど終わる時点である。「強勢大国達成」大計の金正恩の役目は?金日成生誕100周年を迎える来年2012年は「強勢大国元年の年」、即ち北朝鮮政権が自らの暴力的アイデンティティを更に堅固に公にすると意気込んでいる時期である。従って、今まで無理に合意して来た「韓国との関係」の枠組みではない、「攻撃的赤化統一」の観点から、北朝鮮が韓国に対する外交に冒険的に着手するかもしれないという憶測が一層強調され、金正恩という変数は韓半島の安保分野の最大の関心事項として浮上している。特に今回の決定が、金正日の既存の1人独裁制度維持に関する不安感から始まったという見解も考慮しなければならない。体制の構造変化による金正恩と金正日間の今後の関係の様相も、興味深いテーマになるだろう。現在、空席の状態である国防委員会第1副委員長の席は、その性格上、適当な人物がいない。常務委員の中にはリ・ヨンホがいるが、他の人々を追い抜いて出世するには負担がある。チャン・ソンテクとオ・クックヨルも難しいとなると、結局、第2副委員長は金正恩が引き受けることになるだろうというのが、専門家たちの一般的な見方である。
2011年04月14日
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北朝鮮は1970年代後半からソ連のミサイル技術を学んで、エジプトから輸入したスカット・ミサイルを分解する過程を通じて自国産のミサイル開発に着手し、スカットBとスカットCを開発生産した。1990年代はノドン1号とデポドン1号を開発し、現在、デポドン2号を開発中である。○スカットBとスカットC北朝鮮は76年からエジプトからソ連制スカットBミサイル2基を導入し、中国の助けを借りてミサイル開発に着手した。北朝鮮のミサイル開発は、81年にエジプトとミサイル開発協定を結び、本格化された。北朝鮮は84年にエジプトから導入したソ連制スカット・ミサイルを土台に、射程距離が340kmのスカットBを85年に開発した。このスカットBは、開発費を支援してくれたイランに88年100発(5億ドル相当)が提供されて、イランとイラクとの戦争で使われた。北朝鮮はスカットBの射程距離を500kmに延ばしたスカットCを、91年から本格的に生産した。北朝鮮はスカットCをイランとシリアに60基売った。北朝鮮軍はスカットBとCで構成されたスカット旅団を、人民武力部直属で運営している。○ノドン1号1993年にノドン1号を咸鏡北道花台(ファデ)郡から試験発射した。ノドン1号はスカット・ミサイルの設計を受け持ったロシアのミサイル・デザイナーを採用して開発したものである。約770kgの弾頭に約1300kmの射距離を目標にした、多段階多発式ロケットを使う方式の準中距離ミサイルである。北朝鮮はノドン1号9基を実戦配置した。リビアとパキスタンは北朝鮮のノドン1号に関する技術支援を受けるために、北朝鮮と接触を試みた。○デポドン1号とデポドン2号1990年の初め、北朝鮮は今までのスカットを変形させて、蓄積した技術と経験を土台に、新しい模型の中距離弾道ミサイルであるデポドン1号と2号の開発を開始した。デポドン1号はノドン1号とは違い、液体燃料と固体燃料を使う3段階ロケットを使っており、北朝鮮ミサイル技術の画期的進歩を全世界に誇示した。射程距離はデポドン1号は2000km、デポドン2号は4000~6000kmと推定される。そしてデポドン・システムは中距離弾道ミサイルではあるが、長期的には人工衛星の発射体を開発するのに基盤を提供することができると予想される。○備考北朝鮮の弾道ミサイルの性能は、正確な図面から判断すると先進国に比べて大きく劣る。スカットBの誤差は450~1千m、スカットCは2~4kmにもなり、軍事施設のような点標的より、人口が密集した大都市に対する無差別攻撃により相応しい。北朝鮮は1999年9月にアメリカのクリントン行政府が対北朝鮮経済制裁の緩和措置を発表したことを受けて、アメリカ-北朝鮮対話が続く限りミサイル発射を猶予すると宣言し、これ以降は試験発射を中止して来た。しかし、2006年7月に北朝鮮はデポドン2号をはじめとするノドン、スカットなどの中、短距離ミサイル7基を同時多発的に試験発射して、全世界を驚かした。
2011年04月13日
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○蛇数千匹が大脱出、不吉な自然の徴兆2010年10月、白頭山近隣の中国地域で、数千匹の蛇が一度に道路に這い出すという奇怪な現象が起った。吉林省白山(バイサン)市と営城子の間の道路で目撃されたこの蛇の群れを、大震災や火山爆発の徴兆だと住民たちは信じていると言う。蛇の群れ出現の1日後に、近隣地域で規模3.0水準の地震が2度発生した。○増える地震2002年、中国吉林省汪清(ワンチン)県の地下566km地点で、リヒター規模7.2の強震が発生してから、白頭山一帯に火山性の地震が急増している。2010年にもロシア地域の豆満江下流地点で、規模6.9の強震が地下574km地点で発生した。この強震が白頭山の地下にあるマグマを刺激して、動きを活性化させた可能性があるというのが、専門家たちの予測である。2009年にも白頭山近郊で規模4.7の中型地震が発生した。2003年から2005年の間も、毎月最高で270回に達する多様な地震が発生したが、震源が白頭山を中心に密集していることが分かった。○火山ガスの噴出去年11月7日~8日に白頭山の近隣地域で、火山ガスである二酸化黄が噴出する様子が、ヨーロッパの気象衛星METOPが撮影した写真で確認された。白頭山の地下にあるマグマ層の圧力変化で、マグマに溶けた二酸化黄成分が噴出された可能性が高いというのが専門家たちの分析である。○「天池(チョンジ)」周辺の隆起2002年~2005年に白頭山頂上のカルデラ湖である「天池」周辺の岩盤などの地形が、7cm程度隆起した。中国の衛星航法装置(GPS)のデータによれば、2002年8月から1年間で「天池」周辺の北側地域が水平と垂直で45~50mm移動したと言う。これは地下のマグマ活動が活性化したことにより、マグマが白頭山を押し上げる圧力が高くなったという推論を可能にさせる根拠である。○「天池」の水温上昇2004年に「天池」の水温が上昇して、白頭山一帯の温泉から出る火山ガスの中に、マグマから検出されるヘリウムや水素の含有量が、普段より10倍位増加した。○白頭山の山林考査2004年に白頭山一帯の森林地域の木々が、一斉に枯れる状況が発生した。北朝鮮や中国政府は、害虫や樹木病などの特別な理由を発見することができなかった。946年、1688年、1702年など、文献に記録されている前例だけでも数回ある。946年に発生した火山爆発の時、白頭山から排出された火山灰は、100~150Km3と推定される。去年、ヨーロッパと北極海の近郊を火山灰で覆ったアイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル火山の爆発の時の噴出量は0.1km3だった。白頭山が以前の規模で爆発した時に出る火山灰は、エイヤフィヤトラヨークトル火山の1000倍以上になる。過去のレベルで火山が噴火したら、摂氏500~700度の火砕流(火山灰と岩石等が混じった物質)が白頭山を中心に半径60kmまで広がって、この一帯の動植物が全滅して、火山灰で両江道や咸鏡道など、北朝鮮の北部地域全体の自然環境と建物、道路などが焦土化される可能性が高い。専門家たちは白頭山の火山が爆発した場合、直径12km、平均深度213mである白頭山頂上のカルデラ湖にある水20億tが一度に流れ出て、1時間後には周辺地域に大規模な洪水が発生するはずだと予想した。そして火山から噴出された硫黄酸化物、すなわち熔岩ガスと火山灰の中にある硫酸粒子の混合した物質が日光を反射して、韓半島一帯の気温が2カ月間は2度程度落ちると予測する。気温がこのように落ちたら、農作物の冷害による食料事情の悪化と伝染病の流行など、北朝鮮住民たちの北朝鮮脱出事態が発生すると考えられる。飢饉や経済難で難局に陥っている金正日北朝鮮体制が、白頭山の火山爆発で完全に崩壊することもあり得る。
2011年04月11日
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最近、チュニジアを皮切りに、エジプト、リビアなどのアフリカ及び中東国家の民主化要求デモが激化している。平和的な方法で独裁者を追放して、民主政府を樹立する過渡期的な段階に入った国家もあるが、リビアのように独裁者の抵抗により、流血事態と混乱に陷る場合もある。独裁というのは、個人や集団が非民主的な方法で長期に渡って国家の統治権力を掌握することを意味する。独裁者たちは、大概、統治者になる過程の政治的・政策的過失に対して責任を負わないし、国家の発展や国民の安否を無視して、ひたすら自らの安全と政権延長だけに尽力するという共通点がある。また、こういった過程で独裁に抗議する国民に鉄砲と刀を向けて武力で押えて、不正選挙や任期に関連した改憲といった脱・不法、法律的要式行為を好んで行う。国家も会社と同じく、統治者という経営者が経営上手でないと発展するのは難しい。幾多の困難な内外の環境の中でも、国家を上手に経営して発展させる指導者がいる反面、全世界的な好景気の中でも国民を飢えさせる指導者もいる。無力な指導者は当然、統治者の場から下りなければならないし、政治、政策的な過失に対する責任も統治者が負わなければ、正しい統治制度を定着させるのは難しい。こういった過程が問題もなく進められなければならないが、独裁はこういった一連の過程や国民の選択権を無視して、犠牲だけを強要する。独裁が悪い理由は、こういった点にある。北朝鮮の金正日政権は、内外の景気とは全く関係なく国民を苦しませただけではなく、飢え死にさせた代表的な悪質中の悪質指導者である。国力を国家発展のために使うのではなく、自分と戦争準備にだけ使う。サウジアラビアも王族による世襲政治体制ではあるが、溢れ返るオイル・マネーを土台に、豊かな福祉政策を十分に進めているので、国民は何の不満もなく暮らしている。中国も北朝鮮と同じように共産党が主導する社会主義国家だが、自由市場経済を採択して、誰でも努力したら豊かに暮らせるという信頼が中国住民の中にはある。自由は補償なしに、誰かが無料でくれるものではない。独裁者の鉄砲と刀を先頭に立てた弾圧が恐ろしくても、恐れずに全面に出る団合した勇気と力があれば、屈服させることができる。民主化はこのようにして始まるのである。今、北朝鮮が恐れていることは、このような国際社会の民主化に対する国民の要求が、北朝鮮の住民に伝わることである。金日成から始まった北朝鮮の独裁は、金正日を経て、金正恩という3代世襲体制に移行している。60年以上に渡った期間、北朝鮮住民たちは統治者によって外部世界から断絶され、彼らだけの歴史を書き続けて来た。全世界的に類を見ないほど、北朝鮮政府は住民たちのインターネット、携帯電話、ラジオ、ビデオ、DVD、自由往来などを完璧に統制、封鎖している。この期間に北朝鮮の地で生まれ育った北朝鮮住民は、どんな生き方が良いとか、悪いという比較の対象がない。真実が分からなければ、決して決断を下すことができない。独断は誤った判断でもあり得るが、多数の判断は思考の結集をもたらす。誰かがさせたのではなく、自発的な参同だけが数十万、数百万の人的パワーをもたらすからである。国際社会は、北朝鮮政権の変化だけが「生きる道」という圧迫を与えなければならないし、NGOは北朝鮮に食糧だけを提供するのではなく、持続的に北朝鮮住民たちの意識改善のための努力を続ける必要がある。
2011年04月09日
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-2月末から3月初め、UN食糧調査団が北朝鮮を訪問-北朝鮮政府、食糧援助を受けようとして演劇を-虚弱で病弱な人々を視察場に集合させて、全員がそうであるかのように偽装3月16日、北朝鮮の高位級消息筋は、「UN食糧調査団が2月21から3月12日まで、北朝鮮の沢山の地域を訪問して実態調査を行ったが、いつもの様に北朝鮮政府が準備した演劇に騙されて帰って行った」と言った。彼らは約3週間という短い期間に、約10人が4組に別れて北朝鮮の9つの道と40の市郡を調査したとのことである。しかし3週間という日程に比べると沢山の都市を訪問したので、彼らが果して詳しく実態調査が出来たかどうかは未知数である。 消息筋によれば、調査団は北朝鮮の北部地域の都市の中から両江道恵山(ヘサン)、三池淵(サムジヨン)、大紅湍郡(テフンダン)をはじめとして、咸鏡北道鏡城(キョンソン)、茂山(ムサン)、 延社(ヨンサ)、そして咸鏡南道咸興(ハムン)、長津(チャンジン)などを訪問したとのことである。また、平安北道新義州(シンウィジュ)も訪問先のリストに含まれていた。消息筋は、「いつものように外国の調査団が来ると、北朝鮮政府は何としても食糧援助を受けようとして、あらゆる手段を使う」と言った。例えば、場所が決まったら、最も虚弱で病弱な人々を視察場に集合させて、UN調査団に見せるという方式である。.これは病院や託児幼稚園や小学校、住民が居住するアパートなどでも同じである。 3月23日、咸鏡道茂山の消息筋もやはり、「2月末にUN食糧調査団が来て、咸鏡道茂山郡で子供の実態調査を行った」と言った。彼らの調査目的は、託児所や幼稚園の園児たちに対する栄養実態調査だったとのことである。消息筋は「最も虚弱な子供たちを1カ所に集めてUN調査団に見せながら、茂山市全体の実態がこのようであるかのように見せた」と伝えた。また消息筋は、「北朝鮮政府がUN調査団を茂山郡チォルソン区に新たに建設した豆乳工場を見学させたが、工場に原料がなくて生産ができないと訴えた」と伝えた。しかし消息筋によれば、この工場は去年完成して、金正日の現地指導も去年12月にあったとのことである。金正日の現地指導以降、この工場は北朝鮮の他の工場とは違い、食品生産がスムーズに行われていた方だと言う。 北朝鮮人権団体である「PSCORE」もやはり、3月10日に北朝鮮内部の消息筋を通じて、2月26日にUN調査員が茂山を訪問した時、食糧がないかのように演出した話を伝えた。PSCOREによれば、2月26日午前11時にUN調査員(イタリア人男性)1人が咸鏡茂山郡茂山邑88組にある住民家を訪問したと言う。当日の調査は、最近の北朝鮮の食料事情と住民たちの生活実態を調査するためだった。北朝鮮政府はこの調査員が訪問する予定だった地域に予め通知して、家の主人と器、食糧などを入れ替えて演出したと言う。北朝鮮政府は「食糧支援を貰わないと困るから…痩せた人々を準備して、コメがないので小麦粉のお粥を食べているかのように見せなければならない」と指示をしたと言う。そして調査員が訪問する事になっていた茂山郡茂山邑88組のアパートにいる人々の中から、比較的元気な人々は皆他の家に行かせて、病弱で痩せた人々を選んで、主人のように家に居させたとのことである。当日、調査員は88組の1階にある家に入ったが、その家には予め入れ替えられた妊婦がいて、トウモロコシでやっと延命していて、死にそうな様子を演出した。甚だしくは、家にあるコメも皆他に移したと言う。元々、この家の主人は茂山で砂糖の商売をする商人で、比較的暮らし向きが良くて、食料事情も良かったと言う。ところが、当日調査員に生活が苦しくて死にそうな様子を演出するために、わざと入れ替えられたのである。UNが北朝鮮政府の手口に騙されて食糧や医療物品を支援しても、問題は残る。消息筋は「UN調査団の視察以降、北朝鮮が食糧や医療支援をもらうとしても、結局、この中の大部分は幹部たちによって横領される」と言った。例えば、小児病院にUNから多くの医薬品と栄養剤、手術装備などを支援したとしても、こういったものが子供たちのために使われるのではなく、幹部の家庭の大人が病気になると、小児病院の栄養剤や薬品が使われるのである。 実際、消息筋は「UNの恵沢を受けなければならない子供や病弱階級に届くのは、20%に満たない」としながら、「貧しい人々はUNの支援も十分に受けられない」と強調した。UN調査団に見せる時は、一番病弱で貧しい人々を動員するのに、実際にその恵沢を受ける人々は、権力があってお金もある人々だとのことである。
2011年03月31日
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北朝鮮社会は現在、初婚の年齢が高く、出産率が低くなり、都会化が進んでいることが分かった。また、小、中、高校の就学率は100%に近く、暖房と炊事の燃料は90%以上が石炭と木であると調査された。 韓国の統計専門機関が、1993年以降15年ぶりに北朝鮮が実施した2008年人口センサスなどの資料を土台に総合分析した『北朝鮮人口と人口センサス分析』を3月22日い発表した。これによると、2008年現在、北朝鮮男性の平均初婚年齢は29.0歳、女性は25.5歳と報告された。70年代後半から北朝鮮政府が晩婚勧奨をしたこと、男性の長期(18~27歳)の軍服務、20歳前後の女性の高い経済活動参加率が、結婚年齢を上げているという分析である。合計出産率(女性1人が一生に生める子供の数)も、93年の2.13人から2008年の2.0人と低くなった。都市地域であればあるほど出産率は低く、農場勤務女性より事務職に従事する女性の出産率が低かった。 また北朝鮮の都会化率(総人口に対する都市人口比重)は60.6%で、53年(17.7%)、60年(40.6%)に比べて、大幅に高くなった。しかし、最近5年間の人口移動率(居住地を移転した人口比率)は3.5%に過ぎなかった。 社会主義国家らしく義務教育が行われる小、中等学校の就学率は100%に近かった。北朝鮮の義務教育期間は11年(幼稚園1年、小学校4年、中学校6年)で、アメリカや日本(9~10年)より長いが、大学に相当する高等教育機関(職業技術学校、専門学校、一般大学など)への就学率は19%に過ぎず、過去の社会主義国家(キューバ100%、ロシア75%、ポーランド67%)に比べて大幅に低かった。人文学の専攻者の割合(4%)が理工系(58%)に比べて非常に低いことも特徴として挙げられた。北朝鮮でも農村より都市、女性より男性の進学率が高かった。 暖房燃料としては、石炭(47.1%)と木(45.1%)が圧倒的な割合を占めており、炊事燃料も木(46.9%)と石炭(46.1%)が大部分だった。
2011年03月28日
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北朝鮮が韓国政府に白頭山の火山問題について、韓国政府と協議することを提案した。今回のように、北朝鮮が韓国に自然災害に対して先に協議を提案したのは、極めて異例の事である。しかし、最近、日本などをはじめとする周辺国に地震などの自然災害が相次いで発生しているし、実際、多くの専門家たちが白頭山爆発の可能性を言及して来た点を考慮して見た時、今回の提案には北朝鮮政府の深刻な憂慮が背景にある可能性が高い。実際、北朝鮮の白頭山火山は、946年の大規模噴火を皮切りに、1688年と1702年、1903年に再噴火した。 北朝鮮の白頭山が再度噴火する可能性に火山学界の視線が集まる最大の理由は、白頭山が人類歴史上、最大規模と推定される火山爆発を起こした前歴があるからである。関連学界によれば、白頭山は西紀946年と947年に大規模な噴火を起こしたが、当時の火山爆発指数(VEI)は7.4で、人類が歴史に記録を残した過去数千年間で最も激しかったと推定される。火山爆発指数は火山爆発の持続時間、噴出物の高さ、及び量などを総合して火山爆発の強度を現わす数値で、指数1なら小規模、2~3なら中規模、4以上ならば大規模爆発と分類される。当時の白頭山噴火は、日本の歴史書物にも「白い灰がまるで雪のように降った」、「空から音がしたが、まるで雷鳴のようだった」という記録で登場する。この時の噴出物の量は最近の日本人学者の推定によれば、83~117Km3に達するとのことである。ヨーロッパに「航空大乱」を起こしたアイスランド火山の場合、火山爆発指数が4だったし、火山灰の噴出量は0.11Km3で、白頭山の1000分の1の水準に過ぎなかった。白頭山の現在の地形は、当時の噴火だけで形成されたのではなく、数億年の地質活動と数回の大規模な火山活動を通じて作られたものである。白頭山一帯は少なくとも約2千840万年前から火山噴火があったし、今から1百万年前までは大地の割れ目に沿って玄武岩が噴出した。遠くまで流出することができる熔岩が数回噴出され、この一帯にゲマ溶岩地帯が形成された。また、傾斜が緩いドーム模様の楯状火山灰(shield volcano)も作られた。この熔岩大地と楯状火山灰が現在の白頭山の下部を形成している。その上、60万年前から1万年前まで粗面岩及びアルカリ流紋岩の火山活動で粘性が高い熔岩と、火性瑣屑物(火山爆発により放出された多様な大きさの岩石の切れ)が相互に堆積して、傾斜が急な成層火山体(strato volcano)が形成された。続けて4千年前と約1千年前の爆発的な大分化が起きて、成層火山体の頂上部分が破壊・陷沒し、巨大湖である天池が作られた。天地内には大きく分けると3つの噴火口があるが、この中の2つは946年と947年の大爆発当時に作られたものである。すなわち今の白頭山の姿が完成したのは、わずか1千年前なのである。地質学界と歴史学界の一刻では、946年~947年の白頭山火山爆発時期が、渤海滅亡(926年)と同時期である点をあげながら、「白頭山の噴火が渤海滅亡の原因でなのかもしれない」という主張も提起され、一時議論されたこともある。白頭山は大爆発を起こす数十年前から噴火し始めたので、農作物の被害が極甚で、民心が乱れ。荒廃した状態で契丹族が侵入して、渤海が次第に崩壊した可能性を提起する仮説である。但し、渤海滅亡を記録した遼国の公式史書や他の同時代の記録にはこのような内容はないので、学界で深刻に受け入れられてはいない。これ以降も白頭山は1014~1019年、1122年、1176年、1199~1201年、1217年、1373年、1401年、1403年、1405~1406年、1597年、1668年、1702年、1903年にも噴火したと推定できる歴史記録が残っている.もし、白頭山がまた爆発したら、半径数~数十km以内の地域が焦土化されるのは確かだというのが専門家たちの見解である。莫大な量の岩石の破片、火山灰、ガス、水が入り混じって、谷や山の斜面に沿って落ちながら、周辺地域の動植物を破壊するというのである。 天地に貯水された約20億tの水が一度に流れ出たら、鴨緑江(アムロックガン)、松花江(スンファガン)、豆満江(テゥマンガン)などに大洪水が起きる確率も高い。また火山灰が偏西風に乗って日本に影響を及ぼし、東アジア一帯の航空機運航が全面的に中断されることもあり得るし、冷害が発生することもあり得る。
2011年03月24日
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「友邦国は大きく、敵国は小さく報道」二重的態度全世界が連日、日本の地震をトップ・ニュースで伝えている一方で、特に北朝鮮だけが他の報道を続けている。北朝鮮の朝鮮中央通信は、地震発生から1日経った12日午後に初めて事態を伝えながら、「リヒター規模8.8の強い地震が東北地方を中心に広い地域を襲い、津波が起こって、この一帯が混乱している」と短く報道した。13日には午後8時の「報道」時間に、津波が村を襲う場面を放映しながら、日本の震害状況を約20秒間短く報道した。14日には地震の話はせず、警視庁の調査資料を引用しながら、去年日本の家庭暴力の犯罪が、前年より20.2%増えたというニュースだけを伝えた。一方、中国雲南省で11日に発生した地震は、速報に続き、被害のニュースを詳細に伝えるなど対照的な姿を見せた。日本とは反対に、中国の災難に対しては異例にも、連日のように人命及び産業施設の被害のニュースを詳細に報道した。元々、北朝鮮はアメリカ、日本などの敵国に対するニュースは事例別に報道し、比重を厳格に統制している。特に北朝鮮は日本に対する敵対意識が非常に強い。北朝鮮で民族の英雄とされる金日成が、抗日闘士というイメージで住民感情を先導しているように、北朝鮮の立場としては、日本は最も嫌な国なのである。この上、最近は日本との関係が悪化しつつあったので、北朝鮮が日本の災難を大きく報道する必要性を感じないようである。
2011年03月22日
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-チョ・ヒョンチォル:北朝鮮咸鏡道第1師範大学革命歴史学部卒業対談/ハン・ソクヒョン:平和問題研究所研究員Q)なぜ師範大学に進学しましたか?A)北朝鮮では、教員大学の卒業生は幼稚園と小学校を教え、師範大学を卒業すると中学校と大学教育を引き受けることができます。学生を教えるのが好きだったので、師範大学に進学しました。師範大学は他の大学より入学が大変です。師範大学進学のためには、何よりも出身成分が良くなければなりません。親と兄弟、結婚をしたら妻、親戚も成分に問題があってはならず、甚だしくは朝鮮戦争の時、何をしたかまで調査されます。唯一思想体制と相反する部分がないかをよく調べられて、これに指摘事項があったら、師範大学進学は不可能です。各市、道毎に2校ずつ師範大学があって、大学を卒業したらすぐに幹部の配置を受けます。Q)師範大学生と他大学生と違う点は何ですか?A)師範大学生は教育学、教育関係学、心理学などの授業を必須として履修しなければなりません。しかし、個人に受講時間表を作る選択権はありません。教務課の指導員たちが4年間受講しなければならない科目の総時間を計算して、それを1年、1学期毎に分けて、時間表を作ります。例えば社会大学の場合、革命歴史授業を受講しなければなりませんが、4年間で履修しなければならない総時間が220時間とすると、教務課ではそれを4年に分けて、再び学期で分けで、そして1週間に分けて、時間表を作ります。中学校の時に比べると、多少選択の幅が広くなりますが、大きな違いはありません。大学では中学校の担任の先生のような役目をする生活指導員がいます。生活指導員は学生たちの生活に関わる問題を担当し、1学科の学生たちは4年間同じ講義室、同じ交友たちと一緒に授業を受けます。学生たちが移動するのではなく、各科目を担当する先生たちが、時間表に合わせて授業がある教室に行って講義をします。Q)卒業後の学校配置はどのようにして行われますか?A)医大や師範大学、教員大学、農業大学は、大学卒業と同時に各市、道に配置されます。各道毎に医大1校、師範大学2校(1師範大学、2師範大学に区分)、教員大学1校、農業大学1校となっています。これは全国どこでも全く同じです。師範大学の4年生になると、約3カ月間、現場実習をします。各市の教育科が実習に行く学校を指定し、実習に行った学校では既存の担任の先生と一緒に臨時担任を引き受けます。このようにして実習を終えると、市や道の党幹部科で卒業生たちの性別と出身成分(親戚を含む)、労働党入党の有無、軍の除隊問題などを考慮して、選別的に各学校に配置します。キム・ヒョンジク師範大学は師範大学の中でも最高峰に位置しますが、このような名門師範大学を卒業したら良い学校に配置されます。Q)学校配置後の教員昇給体系はどうなっていますか?A)教員の序列は助教員、教員、上級教員、2級教員、1級教員、準博士、博士に分けられ、一つの大学に博士は普通4~5人だけいます。卒業したら2年間は助教員生活をします。一般会社の新入社員と同じです。2年間の助教員生活は必須で、2年が経過したら教員試験を受けることが出来る資格が付与されます。教員試験を受けて合格したら、初めて正式教員として認められます。このようにして教員になって2年経つと、また上級教員試験を受けることができます。上級教員からは待遇が変わります。教員試験の場合、2年という年次が応試条件でもありますが、博士たちで構成された教育委員会が出題するペーパー試験と口述試験は非常に難しいので、昇進をするのに長い時間と努力が必要です。従って、上級教員に昇給するためには、大学卒業後も勉強と研究を続けなければなりません。Q)上級教員から待遇の変わる理由は何ですか?A)上級教員から「65号供給対象」になって、国家供給対象者としての待遇が受けられるようになります。「65号供給対象」になると特別な商店に行けるようになりますが、商店の全商品は国家価格で販売されており、その価格が一般市場と大きな違いがあります。しかしこの供給所で販売される品物を買うためには、特別な資格が必要です。「65号供給対象」を利用できる人は、4号対象、3号対象、2号対象、1号対象に分けられます。上級教員は4号対象に所属します。4号対象になったら65号対象所で煙草や服、豚肉、卵といった副食物などを購入することができます。3号対象は市党教育部長といった幹部級と、教員の場合は準博士がこれに相当します。2号対象は市党責任秘書と博士級などがこれに属し、1号対象は金正日です。各対象毎に購入することができる商品の質に違いがあり、購入することができる商品も制限されています。Q)一般教員の月給はどの程度ですか?A)1990年代末まで、大学講座長の場合は160~170ウォン位でした。一般教員は120ウォン、助教院は90ウォン位でした。一般労働者は60~70ウォン貰っていましたから、彼らに比べたら教員の月給はとても高い方でした。市幹部に例えたら、課長級位でしょう。教員の一日は、普通、朝7時に出勤して、6時に帰宅します。一般教員たちは7時30分までに出勤します。午前8時から最初の講義を始めて、午後1時までに3講義が行われます。午後は2時から4時まで1講義程度をします。1日に普通4講義をこなしますが、講義が終わったからといって、すぐ退勤ができるのではありません。大部分の学生たちは講義が終わると、発表の集まり、サークル競演、体育大会の準備、金日成思想宣伝といった組職別課外授業をするからです。Q)教育界の不正のような問題はありませんでしたか?A)学校の財政も苦しく、教員たちの生活も豊かではないので、様々な品物を父兄に要求する場合が多くあります。特に担任を引き受けると、学期末試験が終わってから、父兄に何度も会います。この時、実験や実習機の資材、またはクラスの暖房に必要な物品が不足していることを訴えて、父兄の援助を要請します。父兄が幹部クラスの場合、一般住民たちより生活に余裕があるので、このような要請を快く受諾してくれます。しかし、父兄が不足な物品を援助して、自分の子供が良い大学に進学できるように助けて欲しいと要求するので、幹部クラスの子供たちの大学入学試験は不正行為がよく行われます。Q)教育の質的水準はどの程度ですか?A)北朝鮮では4年間の大学教育が一生を左右します。中学校までは教育の質が非常に低いからです。幼稚園、小学校、中学校と11年間の義務教育を受けますが、学生たちは勉強に対して大きな意欲を感じることは出来ません。また学生たちは「大学に行けなければ、軍隊に行ってから労働党に入党した後、大学へ行けば良い」と考えています。除隊した軍人の場合、大学進学の時に入学試験は受けますが、労働党入党後は殆ど合格が保障されます。Q)北朝鮮の歴史教育はどのように行われますか?A)幼稚園と小学校4年の間の北朝鮮の歴史教育は、金日成、金正日の歴史です。自分たちと同年代の頃、金日成と金正日はどのように暮らしていたかというのが、北朝鮮の歴史教育の全てです。義務教育期間は朝鮮史や世界史は歴史教育の過程で扱わないし、このような一般的な歴史は大学で社会科目を専攻したら、師範大学や政治大学だけで細部的に勉強します。中学校の歴史過程でも、全体過程の33.3%が金日成、金正日の偶像化教育です。革命歴史の授業を220時間受けなければならないとしたら、朝鮮史は70時間に過ぎません。中学校から朝鮮史と世界史を学ぶことになっていますが、形式的なものにすぎません。そして、このような歴史教育でも、敵視される国家の歴史は簡単に、友好国家の歴史は比重を置いて扱われます。国家試験でも金日成、金正日父子の革命史は必須科目になっていますが、残りの部分は無視されます。従って、一般的な北朝鮮の学生たちは朝鮮の歴史をよく知りません。
2011年03月21日
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カール・マルクスの社会主義ユートピアを夢見た北朝鮮は、自らを完全無欠の天国と宣伝した時代があった。当然、売春は資本主義の間違った文化としてタブーの対象だったし、存在すら認めなかった。実際、2001年7月のUN人権社会審議で北朝鮮代表団は、「私たちの社会は売春を徹底的に撤廃したし、過去50年間に渡って売春は存在しなかった」と報告した。それでは実際に北朝鮮社会には、売春は存在しないのだろうか?北朝鮮内部と関係がある対北朝鮮メディアと北朝鮮を脱出した多くの人々は、北朝鮮政府の説明とは異なり、北朝鮮内部で売春が盛んに行われていると口をそろえて言う。特に1990年代半ばの食糧難に喘いだ「苦難の行軍」時期を経験してから、沢山の北朝鮮女性たちが飢えに打ち勝つために、売春を始めたと確認されている。もちろん北朝鮮当局は売春を徹底的に弾圧しているが、慢性化した経済難は飢えた多くの女性たちを売春市場へと送り出している。今年2月25日、韓国の対北朝鮮メディアは、北朝鮮女性の売春に関する特別企画を報道した。同放送によると、既に売春文化が北朝鮮住民の日常に深く浸透しているとのことだった。内部と接触をしている他の対北朝鮮メディアと北朝鮮を脱出した人々も、北朝鮮に売春文化が広く蔓延していると説明する。このようになった理由として、北朝鮮の慢性的な経済難が主要原因として挙げられる。1990年代半ば以降、殺人的な食糧難を経験した北朝鮮女性たちは、生きる為に市場に出た。社会主義国家の最大恵沢と言える無償配給が完全にストップした為だった。しかし売る物さえない多くの北朝鮮女性たちは、仕方なく自分の体を売り始めた。そして、このような現象が北朝鮮内部の一つの文化として定着するようになった。2000年代半ば、政府の大々的な取り締まりで一時は影を潜めた売春は、2009年の貨幤改革の失敗以降、経済が急速に悪化したことを受けて、再び急増している。それでは、北朝鮮の売春はどのように成り立っているのだろうか?.幾つかの形態があるが、最も一般的な形態は、「待機旅館」の営業である。北朝鮮の市場と鉄道の駅の周辺は、いつも人々で賑わっている。そしてその周辺には、遠方から来た商人や旅行客を相手にする安い宿泊施設が存在する。現地ではこれを普通「待機旅館」、あるいは「待機の家」と呼ぶ。のリュ・ヒョンス通信部長は、「北朝鮮政府が認めない無許可の宿泊施設と考えたら良い。ここでは売春が暗黙のうちに行われている」と説明した。北朝鮮の「待機旅館」の周辺では、40~50代の女性の客引きたちが客を集める。ここでは、女性を買おうとする男性たちと宿引きの間で、売春価格で言い争う姿を簡単に見付けることが出来る。価格は地域と女性の年齢によって違いがあるとのことである。しかし、ドルに換算すると約10ドル水準とのことである。これは、北朝鮮の少領級の将校の月給をドルに換算すると2ドル未満に過ぎないという事実に照らし合わせて見ると、かなりの高額である。普通、売春する女性、客引き、家主などの間で各々5:3:2の割合で分配されると言う。もっと驚くべきなことは、このような「待機旅館」の売春営業に、10代の女子大生たちが加担しているという事実である。北朝鮮の無償供給教育体系が完全に崩壊したので、大学生たちは教材の購入と寮費を解決するためにお金が必要になった。大多数はこれに耐えられなくて落伍してしまうが、家計は苦しいが学業を続けたい10代の女子大生たちの中には、このような「待機旅館」の売春に跳びこむ場合が多いという。また、別の対北朝鮮メディアの去年7月の報道によると、北朝鮮の大都市である咸鏡北道清津市にある鉄道駅の周辺にも、売春をするために上京して来た近隣都市の女子大生たちが多数存在するという。同メディアにニュースを伝えた内部通信員は、「他地域から上京して来た女子大生たちの中には、大学で賦課した各種資金と寮生活費を準備するために、売春行為をする場合が多い。これは清津市だけではなく、他の地域も同じ」と証言したとのことである。「待機旅館」の営業が、宿引きと売春女性、部屋を提供する家主などで組織的に行われるのとは違い、初めから女性一人で売春をするケースもかなり多いとのことである。代表的な例として、北朝鮮の出張員を相手に宿所の前で行う売春を挙げる事が出来る。出張員とは、北朝鮮企業所の労働者の中で、遠方に出張する人を指す。このような出張員を狙って、多くの女性たちが宿所の前を行き来しながら客引きをする。適当な金額で妥協したら、女性たちは自分の家に彼らを連れて行って、売春を行う。この場合、組織的に「待機旅館」を営業するより、売春女性が得られる金が相対的に多くなるとのことである。もちろん、北朝鮮政府は強力に売春を禁止している。北朝鮮憲法第293条と第294条は売春と性犯罪と不法行為と規定している。もし売春行為が政府に発覚したら、長期間の労働教化型に処されたり、運が悪ければ見せしめとして公開処刑にされたりするとのことである。しかし、既に北朝鮮の売春文化は根深く、到底根絶することができないレベルまで達しているとのことである。の去年7月報道によると、新義州では毎週1回、売春根絶の為の公開裁判をしているが、一部の大型店の場合、政府保安員たちと共生関係が形成されているので、取り締まりが非常に難しいとのことである。
2011年03月18日
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中東の民主化デモに、全世界の関心が集中している。チュニジアの市民革命を皮切りに始まった中東地域の民主化デモは、これからどのように展開するか、予測するのが難しい。エジプトのムバラク大統領は1月29日、「私は(チュニジアのベン・アリ元大統領のように)放浪しない」としながら内閣を解散して、最側近のオマール・スレイマンを副統領に、軍部出身のアフメド・シャピクを総理に任命した。しかしムバラクのこのような措置は、何の効果もなかった。31日、エジプトのデモは更に激化した。アメリカは「民主化と政治改革のための具体的な措置が必要」という立場である。アメリカをはじめとして、カナダ、イギリス、フランス、スイスに至るまで連帯デモが起った。結局、ムバラク大統領は降伏した。エジプトのムバラクをはじめとして、ルーマニアのチャウシェスク、イラクのフセインなどの例を見てみると、長期独裁者たちは、自分に迫った変化した状況を客観的に把握することが出来ないという特徴がある。意識を覚醒したモードに転換することが出来ず、過去の思考法の延長線上に現在の状況をとらえるので、何がどのようになるか理解できず、呆然としたまま一定期間が過ぎてしまうのである。これは北朝鮮の金正日も同様だろう。エジプトの場合、ムバラク政権は没落したとしても、問題は「ムバラク以降」の民主化過程である。エジプトのデモは、単に民主主義を追求しようということが要旨ではなく、青年失業や生きる問題と結び付いている。エジプトの人口8,000万人の中で、半分ほどが1日2ドル以下の生活に苦しんでいる。失業率は公式の発表数値は9%程度だが、事実は20%台とのことである。従って、エジプトのデモは、政治的民主化の要求だけではなく、「今、経済的に苦しい」という抗議が連動されているのである。しかし、このような国民の要求を受け入れる勢力が、エジブトにはない。ムバラク大統領は執権30年間に後任者を育てなかったし、今でも民主化陣営と見られる代案勢力が不在の状況である。従って、今後のエジプトの民主化過程は平坦ではないように見られる。しかし明確な事実は、軍部は政治的な中立を守り、国民は与えられた現実の条件下で、最も合理的な民主化の政治日程に合意して、総選挙を実施し、民主政府を樹立しなければならないということである。例え新政府の民主化水準に満足出来ないとしても、エジプト国民は「民主主義的合意」という道を選択するのが合理的である。特にUNとアメリカ、ヨーロッパなどの国際社会は、エジプトの民主化の課程が順調に進むように、援助しなければならない。今のエジプトの状況は、今後の北朝鮮問題に関しても示唆する点が少なくない。現在の北朝鮮の内部事情は、チュニジアやエジプトの場合のように、ソーシャル・ネットワークを通じた民主化デモがまだ可能な状況ではない。.しかし第1に、北朝鮮の民主化を可能にしようとしたら、何よりも情報の自由化が先行されなければならない。情報流通の活性化は、民主化のための最も重要なインフラであるということが、チュニジアやエジプトを通じて再び証明された。特に携帯電話を通じたソーシャル・ネットワークは、これからの中東の民主化やミャンマーなどのアジアの民主化にも、変わらず影響を及ぼし続けるだろう。第2に、エジプトの「ムバラク以降」と北朝鮮の「金正日以降」は、共通性と相違性があるという点である。共通性は、ムバラクと金正日が退陣しなければ、双方共に根本的な改革が難しいということである。また、エジプトの民主化勢力が、ムバラクが任命した最側近のオマール・スレイマン副統領とアフメド・シャピク新任総理を認めないように、今後の北朝鮮の民主化勢力も、「金正日以降」の金正恩をはじめとする金一族を認めないという点である。ただし、エジプトは今後、民主化過程を国民自ら解決しなければならないが、北朝鮮で金正日を押し退けて民主化を願う動きが始まったら、国際社会から強力な後援を沢山受けられるという事実は幸いである。まずは韓国が手伝うだろうし、これまで北朝鮮の金正日を深刻な危険要素を思って来た日本とアメリカも、北朝鮮が民主国家になるための援助を惜しまないだろう。北朝鮮が正常な国家になってはじめて、核やミサイル、拉致者問題などで合理的な対話、措置が可能だからである。このためには、まず北朝鮮内の反金正日民主運動団体が微弱な水準でも誕生しなければならないし、これを国際社会が積極的に支援しなければならない。従って、今は北朝鮮内の民主化のための動きが始まる段階へと進入するのが重要である。それは、ラジオやテレビ、携帯電話、 DVD、新聞、書籍など、海外の各種情報メディアが、北朝鮮内部で流通、活性化することが基本である。
2011年03月14日
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最近北朝鮮を脱出する人の中で、4人に3人は女性だと言う。2000年までは50%にも満たなかった女性の割合は、2007年~2009年には平均77%を越えた。男女の割合に多少の差があるのは当然だろうが、このように圧倒的に女性の割合の高い理由は何なのだろうか?[経済難以降の北朝鮮女性の地位変化]1987年から社会主義国家が崩壊し始めたことを受けて、北朝鮮経済も一気に深刻な危機に陥った。経済成長率は1990年に-3.7%、1992年は-6.0%を記録し、マイナス傾向が続いた。これによって北朝鮮は、1993年頃に食糧の配給体系が崩壊した。北朝鮮の住民たちは飢饉と栄養失調、疾病に苦しみ、甚だしくは餓死者まで発生した。このような環境に最もひどく露出された対象は誰だったのだろうか?それは子供と年寄り、女性だった。特に女性が経験する生存の脅威は、深刻なレベルだった。主婦に対する配給割当量は1日300gで、その量を簡単に表現すると、さつまいも1個程度の量だったという。このように主婦に対する配給割当量は目立って少なく、正規労働者の半分に過ぎず、幼稚園の児童と同等の量だった。従って主婦たちの栄養失調は深刻なレベルに達した。それだけではなく、他の家族たちのために食事を食べなかったり減らしたりするので、栄養失調をはじめ、健康が犯されるケースが多かった。女性が自分の食べ物を夫や子供たちに譲ることは、北朝鮮社会内に残っている伝統的性差別に起因する。これは男性中心の家父長的家庭文化により、家庭の中心である夫と子供たちを優先する考え方が、食生活にそのまま反影されたのである。北朝鮮は女性に伝統的な家父長制に相当する役目と共に、社会主義国家建設に積極的に参加する革命家的な役目を同時に要求した。このために女性は家事の負担と共に、国家建設に積極的に参加して労働力を提供するという二重苦を経験しなければならなかった。これに加えて経済が悪化して閉鎖される企業所や工場が発生したので、経済力を喪失した男性が増加した。このような男性たちは働かないで家にいるので、「ワンワン」、「錠前」、「昼電気」などの俗語ができた。働き口を失ったり出勤しても給料がもらえない男性たちが増えたのに、「家事は女性の分担」という家父長的な考え方によって、女性は重労動に喘ぎ続けた。この上、家計を賄うために市場に出て商売をしたり、食糧を調達するために野山に行くなど、女性たちに要求される労動量は、ますます増加する一方だった。また、北朝鮮女性の家事への負担は、電力難によって更に加重された。水道水の供給が円滑でなく、水を遠くから運ばなくてはならないかったからである。アパートの場合、エレベーターが動かなかったので、階段を上り下りしながら水を運ばなければならなかった。「苦難の行軍時代」は女性の経済的役目をもっと大きくした。北朝鮮女性たちの辛い人生は、「走る女性同盟、座っている党、立っている社労青」という言葉に現われる。「座っている党」というのは、「ああしろ、こうしろ」と怒鳴り散らす党を当て付けた言葉である。また、「女性同盟」に代表される女性たちは、朝早く起きて、床磨き、道路掃除、水害復旧などまで動員され、昼は市場に出て商売をしながら家族を食べさなければならなったので、働きすぎる女性を当て付けて「走る女性同盟」と表現したのである。このような理由から、二重、三重の苦労をするので、その苦痛に耐えかねて女性たちは、北朝鮮脱出を決心するのである。家父長的社会で幼稚園児よりも少ない食糧配給を受けながら、実際に家庭では家長よりもっと家長らしい役目を肩に担ぎながら、家事の分担さえ全面的に負わされた彼女たちは、病気と飢えに苦しみながら暮して来たからである。
2011年03月09日
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[1]北朝鮮最高の名門大学-金日成総合大学北朝鮮には大学が約280校ある。また、専門的な人材を養成する大学も、約600校存在する。種類別に見てみると、総合大学、単科大学、教員大学(師範大学)に分類することができる。その中でも金日成総合大学は、綜合大学郡と見なすことができる。総合大学は社会科学及び自然科学分野の専門家を養成するために設立されたもので、北朝鮮には総合大学はたった3校しかない。従って金日成総合大学が、北朝鮮の大学の最高峰だと考えても間違いはないだろう。北朝鮮で大学に行こうとしたら、優秀な成績も必要だが、出身成分と学校別に組職された青年同盟活動で優秀な評価を受けることも重要である。このような全ての条件を満たす学生に大学入学の機会が与えられるので、成績が非常に良いのと同じくらい、両親の出身成分が大きなパーセンテージを占める。上のような条件を満たした学生は、各道、市、郡に組職されている大学推薦委員会の思想検討を経て、推薦が受けられると、大学別に行われる入学試験を受ける資格が授与される。入学試験は一般的に面接と筆記試験が行われるが、競争が非常に熾烈だとのことである。特に金日成総合大学の卒業生は、「共産主義革命闘士」として認定され、卒業後の政治的な成功の保障を受けることができる。内外に有名な金正日は勿論のこと、張成沢国防委員会副委員長などの北朝鮮の政治的経済的指導層たちの多くが、金日成総合大学を卒業した。[2]理科大学1967年に開校した理科大学は、北朝鮮の大学の中では珍しく、思想的側面を排除して、唯一実力だけで新入生を選ぶとされている。数学部、物理学部などの自然科学関係の6学部が設置されていて、各学部毎に研究所が整えられており、学業に専念できる環境が整備されている。定員は学生と教職員を合わせて4千人位と小規模だが、強力な大学を追求している。7年の大学の過程を終えると、北朝鮮中央党幹部部が指示した職場に配置されるが、大部分が国防科学院と自然科学院に配置されて研究を続ける。[3]平壌外国語大学平壌外国語大学は1949年に金日成総合大学内のロシア語大学として発足し、1961年に平壌外国語大学として分離独立した。5年制の外国語専門大学で、金日成総合大学の向かい側に位置している。現在、21カ国語の授業が設置されており、約2,000人の学生が在学中とのことである。この学校を卒業した学生たちは、外国語専門家の資格を受けて、外国留学の優先権を得ることが出来る。また党国際部や内閣外交部、対外文化連絡委員会など国際社会と疏通できる職場に配置されて働くことができる。1990年代以降、国際社会との関係が一層緊密になったことを受けて、北朝鮮にも外国との交流が増加した。北朝鮮の多くの学生が、外貨稼ぎや一般人は想像することすら難しい外国での比較的安易な職業や、外国人とよく接触する職種に就職しようと平壌外国語大学に入学したがるので、この大学の人気は上がり続けている。[4]平壌舞踊大学平壌舞踊大学は専用劇場と教育施設が完備されていて、学生たちに水準の高い教育環境を提供している。大同江沿いに位置するこの大学は、朝鮮舞踊学部、バレー舞踊学部、,創作学部の総3つの学部で構成されている。入学資格として中学校で6年間舞踊の基礎教育を受けなければならない。このような学生たちが平壌舞踊大学に入学して、舞踊と演技の教育受けて、卒業後は万寿台芸術団や血の海歌劇団などの芸術団体の専属俳優や創作家として活動する。教授陣としては、人民俳優出身として知られているキム・ラクヨンやパク・エラなどをはじめとする多様な経歴の舞踊家たちがいて、教壇で後輩を養成している。このような大学以外にも、平壌医学大学、平壌農業大学、平壌鉄道大学'などの多様な専門大学が北朝鮮内に存在する。北朝鮮の青年たちは学業に対する関心は強く、熱意も激しいが、進学率は高くない。専門大学に進学したがる学生たちも多いとのことである。しかし、北朝鮮の男性は17歳以上になったら、軍隊の服務を義務的にしなければならないので、他国に比べて相対的に新入生たちの年齢は高い。
2011年03月08日
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-開かれた北朝鮮放送(http://www.nkradio.org/)-北朝鮮中央党幹部6科が、遠征海外売春の為に20代の女性たちを登録及び管理-特別な職業がなくても、美貌ならば抜擢されて、,必要な時に非常召集-「性接待が即ち国家に対する忠誠」という教育を受けて外貨稼ぎをする-お金になりさえしたら何でも出来るという考えが蔓延今月24日、北朝鮮内部の消息筋は、「北朝鮮が外貨稼ぎのために、遠征売春まで実施している」と伝えた。消息筋は、「既に2007年に平壌市内に住んでいる20代の美貌の女性たちを非常召集して、中国に行って来させたのを見たことがある」としながら、「彼女たちは大っぴらに口外しないが、住民たちの大部分は遠征売春に動員されたと思っている」と伝えた。消息筋によれば、北朝鮮政府は2000年代初めから遠征売春をさせるために、中央党幹部6科を中心に20代の女性たちを募集して管理して来たと知られている。中央党幹部6科では主に外見を基準に若い女性を選抜して、登録した女性たちは特別な仕事をしなくても、生活できる程度の待遇をしているという。また彼女たちは中央党管理下に常時待機しているのではなく、遠征売春が必要な時に非常召集するとのことである。召集された後は、上官たちから「あなたたちがする仕事は国家のためにすること」という洗脳教育を受けて、海外に派遣されるとのことである。普通、海外に宿泊する期間は、短い時で3日、長ければ10日位である。消息筋は、「当時、親しかった平壌市ピョンチォン区域に居住していた20代の女性が、幹部6科に非常召集されて中国に行って来た。帰国したら、デジタルカメラ、ビデオカメラ、録音機などの高価な品物を持って帰って来た」としながら、「特定の職業もないのに、単に美貌であるというだけで中央党に登録された。海外遠征以降、高価な品物を沢山持っている」と伝えた。また彼は、「その女性の具体的な仕事については家族たちも何も知らないが、周辺人々は遠征売春だと見当をつけている」としながら、「これはもう、知っている人は皆知っている事実」と説明した。消息筋によれば、幹部6科に登録されて売春に動員される女性たちは、性的侮辱感や恥辱感を感じるより、この仕事を自分の矜持と思っているという。外国に行けるチャンスだけではなく、少なくない報酬ももらえるので、自分は勿論の事、家族の生計維持にも役に立つと思うからである。最後に消息筋は、「なにしろ生計維持が難しいので、彼女たちから売春は悪いことだという考えが無くなって久しい」としながら、「北朝鮮政府はむしろこれを利用して、外貨稼ぎの手段にしている」と付け加えた。
2011年03月07日
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-開かれた北朝鮮放送(http://www.nkradio.org/)-最近、北朝鮮を訪問した中国のある出版社の編集部長が、北朝鮮保衛部による美人工作の罠にはまる-北朝鮮政府が外部の要人を招待して、隠密に性接待を実施-美人工作に利用される美貌の女性たちは、徹底的に訓練を受けた工作員たち最近、北朝鮮内部の高位級消息筋は、「北朝鮮政府が北朝鮮を訪問する外部要人を相手に、隠密に性接待を実施している」と明らかにしたことを受けて、世間に知られていない中国人の事例を挙げた。消息筋は今年初めの中国の某放送社幹部の言葉を引用しながら、「中国のある出版社の編集部長が、数日前、北朝鮮を訪問した時、保衛部の美人工作の罠にはまり、一週間調査を受けたために、一行より帰国が遅くなった」と伝えた。当時、編集部長某氏は、宿泊していたホテルで働いていた美貌の30代の北朝鮮女性ルームメイド(ホテル客室整備員)から、性関係をしようという誘いを受けたという。そして、彼が約束した時間にメイド部屋を訪問してドアを開けたところ、突然電気が灯り、部屋の中にいた保衛部員2人が近づいて来たとのことである。その保衛部員たちは、「こういった行為は不純行為である」と問題視しながら、今回の事件を暴露する代わりに、お金だけではなく自分たちの要求事項を受け入れるようにと脅迫をしたとのことである。幾ばくかのお金を渡した後、辛うじて開放されたが、その編集部長はこの事件以降、北朝鮮の人々と付き合おうとしなくなったとのことである。このように北朝鮮政府は、中央党や保衛部などの権力機関の招請で北朝鮮を訪問する人々を対象に、特別な性接待をしているとのことである。その目的は、「性接待をはじめとした各種の接待で、親北朝鮮関係者を買収しようということ」と消息筋は伝えた。続けて彼は、あるヨーロッパ地域の北朝鮮公館職員を例に挙げながら、「北朝鮮中央党は美貌の女性管理員を高麗(コリョ)ホテルの外国人専用招待所に配置している。彼女たちを特別待遇対象者たちに接近させたり、宴会に同席させたり、性関係を持つようにと指示している」と伝えた。特別接待対象者たちの中には、ホ・ジョンマン朝鮮総連議長などの朝鮮総連系の商工人、中国や香港の有名財界関係者などが含まれていたという。また消息筋は、「保衛部や統一戦線部なども美女工作員たちを養成して、中国や香港の有名財界関係者や日本やアメリカに住む海外同胞などの外部要人を相手にする為に海外に派遣して、特殊工作を実施している」と付け加えた。実際に、2009年に韓国の言論社である「ニュースメーカー」も、北朝鮮が韓国と海外の宗教指導者たちを中心に招請してから、美人工作員を利用して彼らを思い通りにしていると報道した。北朝鮮の主体思想を宣伝し、北朝鮮体制を追従する勢力に組み込むために、美人工作員戦略を使っているとのことである。北朝鮮政府はこのような美人工作員の罠にはまった人々を脅迫して、巨額のお金を要求したり、本国に帰国してから北朝鮮体制を宣伝する活動をするようにと強要しているとのことである。
2011年03月04日
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北朝鮮の住民たちと北朝鮮の軍人たちの動きに関心が集まっている。飢えに耐えられなくなって、命掛けで北朝鮮を脱出したある北朝鮮軍人は、身長が154cm、体重が47kgしかなかった。金正日は北朝鮮のデモが全域に拡散することを憂慮して、下着まで検査するようにという指示を下した。しかし、軍人たちの反乱が各地で目撃されることを受けて、既に北朝鮮もエジプトやリビアの前轍を踏むのではないだろうかという憶測が提起されている。実際、中国では北朝鮮の体制転覆に備えて、準備をしていると知られている。今月初め、咸鏡北道清津(チョンジン)市で、悪名高かった前保安署長が住民の投げた石に当たり死亡した。また、北朝鮮に外部からの情報が入って来る通路である平安北道地域を中心に、暴動が起きる兆しが見られる。今月14日頃、平安北道定州(ジョンジュ)・龍川(ヨンチョン)一帯で、住民数十人が夜陰に紛れて「火(電気)とコメをくれ」と訴える騷動を起こしたのに続き、18日には新義州(シンウィジュ)で市場の取り締まりをしていたところ、住民数百人と北朝鮮当局が衝突したと、23日に報じられた。◆新義州は北朝鮮と中国を繋ぐ第1次関門新義州は、外部からの情報と物流が北朝鮮に入って行く第1次関門である。北朝鮮の消息筋は、「新義州では中国のテレビを視聴することができるし、脱北者たちが北に残して来た家族と携帯電話で通話することができる」としながら、「中東デモのニュースを新義州の住民たちは大部分知っているだろう」と言った。北朝鮮政府が新義州市場に対する統制を強化したのも、中東の独裁政権を崩壊させたデモのニュースが、市場を通じて全国に急速に拡散することを阻止するための措置という憶測もある。北朝鮮政府は最近、毎日のように新義州と中国の丹東を往来する住民たちの検閲を強化していると知られた。中東デモの動画が記録されたUSB(小型移動式保存装置)やDVDが流入したり、北朝鮮で発生したデモの写真や住民生活を撮影した動画が流出するのを遮断するために、下着まで徹底的に検閲すると言う。新義州の消息筋は、「住民の不満だけが相変わらず高い状況」と伝えた。◆咸鏡道清津では保安署長が殺害されるアメリカ自由アジア放送(RFA)はこの日、「今月初め、咸鏡北道清津(チョンジン)市で前職保安署長(韓国の警察署長に相当)の殺害事件が発生するなど、公権力に抵抗する事件が各地で発生している」と報道した。RFAは清津市の住民の言葉を引用しながら、「日が沈んでから、自転車に乗って帰宅しようとしていた清津市スナム区域の前保安署長が、沢山の住民が投げた石に当たって死亡した。これは復讐と推定される」と伝えた。被害者は14年間、清津市の保安署(警察署)に勤務しながら、住民の事情を考慮しないで、摘発されたら無条件に教化所に送るなど、悪名が高かったとのことである。
2011年02月28日
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北朝鮮の咸鏡(ハムギョン)北道キルジュ郡プンゲリ里にある幾つかの核実験場に、地下坑道を追加掘削していることが確認…核、長距離ミサイルの同時多発的実験の可能性も北朝鮮が咸鏡(ハムギョン)道キルジュ郡プンゲ里の核実験場で、幾つかの地下坑道を追加掘削していると、20日に報じられた。韓国政府のある消息通はこの日、「北朝鮮が2回の核実験を実施したプンゲ里で、幾つかの地下坑道を追加掘削していた事実を、韓米情報当局が確認した」としながら、「3回目の核実験を準備する明白な証拠と分析される」と明らかにした。この情報からは、具体的に幾つの坑道を掘削しているかどうかについては確認できなかったが、対北朝鮮専門家たちは少なくとも2~3個だろうと推正している。また、「特に、掘削した坑道で核実験を1回実施したら、再度使うのは難しい」としながら、「追加坑道を幾つか掘削するのは、核実験の可能性を高めようとする意図と分析される」としながら、3回目の核実験の可能性について言及した。 今回確認された核実験用の坑道は、核実験に必要な最適の坑道を選択するために幾つかの坑道を掘削しているものだと、消息通は説明した。但し、北朝鮮がプルトニウムとウラニウムのどちらかを実験するのかについては、把握するのが難しい状況である。しかし一部では、中国の反発を意識して、北朝鮮がプルトニウムで核実験をする可能性が高いと見ている。 このように、韓国軍政府は北朝鮮が今年、3回目の核実験と長距離ミサイル発射などで、同時に脅威する可能性を注視していると報じられた。韓国軍の消息通は、「合同参謀は、第3回核実験や長距離ミサイル発射、エア・クッション型揚陸艇などの北朝鮮の多発的な威嚇状況に対備して計画している」としながら、「平安北道ドンチャン里にあるミサイル基地とプッゲ里にある核実験場の動向を詳しく見張っている」と伝えた。これ以外にも韓国軍は、北朝鮮が冬季にアメリカの偵察衛星に露出するほど、核実験場で活発に人材と装備を移動させた点に関して、意図的に韓半島の安保危機を高めようとする戦略を駆使しているのではないかとの分析もしている。 同時に、北朝鮮の平安北道チョルサン郡ドンチャン里のミサイル基地の動きも注目されている。咸鏡北道ファデ郡ムスタン里のミサイル基地に比べて3倍程度の規模があるドンチャン里基地では、建物10階建ての高さ(30~34m)相当する発射塔が登場した。同基地では人工衛星だけではなく、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射も可能だとされている。
2011年02月23日
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1月半ば、北朝鮮軍部の消息通は北朝鮮に偽りの報告が蔓延していて、金正日が正確な判断を出来ないでいると伝えた。今、北朝鮮軍隊内には幹部たちによる食糧横領が深刻で、兵士らに支給する食糧が不足しているのに、幹部たちは食糧が充分にあると報告しているとのことである。 しかし、韓国の延坪島攻撃直後、北朝鮮が強行した訓練で脱営者が続出する現象を報告したことを受けた金正日が、その原因を調査するようにという指示を12月初めに下した。そして、この件で保衛司令部が全国の軍糧米の倉庫を調査したところ、深刻な食糧横領が発見されたとのことである。これを聞いて怒った金正日は、銃殺刑も躊躇しないという指示を下したという。一方、2月初めに北朝鮮外務省の消息通も、北朝鮮外務省にも偽りの報告が蔓延していると伝えた。最近、ロシア-北朝鮮間に起きた真相攻防戦が、その端的な証拠と言った。 北朝鮮のパク・ウィチュン外務相は、延坪島攻撃直後の去年12月12日から15日までロシアを訪問し、ラブロフ・ロシア外相と会談を行った。この会談で両国は、政治、経済の協力、及び韓半島情勢、北朝鮮の核問題などの国際的イシューについて意見交換をした。しかし、会談結果について双方が異なる発表をしたので、どちらかが嘘をついているのかどうかという「真相ゲーム」の様相を見せた。このような中で、最近、北朝鮮のウラン濃縮プログラム(UEP)に対するUN安保理の議論に関して、ロシア外交政府の発表と官営メディアである中央通信の報道が全く異なっており、論争の的になっている。 1)お互いに違う発表、誰の言葉が真実なのか? ロシア外務省は12月13日、閣僚級会談直後の言論発表文を通じて、会談の結果を公開した。北朝鮮も次の日の12月14日に外務省報道官が中央通信の記者の質問に答える形で会談の結果を発表した。しかし発表を比較して見ると、大きく2つの部分で明らかな違いが見られた。 a.延坪島砲撃に対する立場の違いロシアは延坪島砲撃の当日である11月23日、異例にもラブロフ外相の記者会見を通じて、北朝鮮の延坪島攻撃を公式的に非難した。これを反映したかのように、ロシア側は「人命被害を招いた南韓領土に対する砲撃は、非難を浴びて当然」と北朝鮮の延坪島武力攻撃に対する非難の立場を明確にした。しかし北朝鮮は、「ロシアが最近、朝鮮半島に造成された厳重な情勢に対して、我々(北朝鮮)の立場に十分な理解と共に、南韓の挑発で発生した延坪島砲撃に大きな憂慮を表明した」と、ロシア側とは正反対の発表をした。特に北朝鮮は、あまりも明白な延坪島攻撃に対する自らの責任を韓国に押し付けただけではなく、ロシア側もまるで韓国に責任があると発言したかのように報道した。 *ロシア外務省-「人命の被害をもたらした韓国領土に対する砲撃は、非難を浴びて当然だ」 *北朝鮮外務省報道官-「ロシアが最近、朝鮮半島に造成された厳重な情勢に対して、我々(北朝鮮)の立場に十分な理解と共に、韓国の挑発で発生した延坪島砲撃に大きな憂慮を表明した」 b.濃縮ウランなど北朝鮮の核開発問題に対する違い第2番目は、濃縮ウランなど北朝鮮の核開発問題に対する部分である。ロシア外務省発表によると、ラブロフ長官は、「寧辺ウラン濃縮施設に対して深い憂慮を表明し、北朝鮮に対してUN安保理決議履行を促求」した。一方、北朝鮮の外務省報道官は、「我々(北朝鮮)の軽水炉建設とその燃料保障のための濃縮ウランの生産に関して、ロシア側は平和的核活動が媒介国の自主的権利という我々の立場に同意した」と発表した。北朝鮮の発表をそのまま受け入れたら、ロシアは北朝鮮の核開発を認めたことになる。また、プーチン総理も12月14日に、「北朝鮮がUN安保理決議1718号と1874号を無条件に履行することを要求する」と北朝鮮の濃縮ウラン施設公開など極端な行動に対して憂慮を表示した。これはロシア外務省の言論発表文を通じて、再確認されている。 *ロシア外務省-「寧辺ウラン濃縮施設に対して深い憂慮を表明しながら、北朝鮮に対してUN安保理決議の履行を促求」*北朝鮮の外務省報道官-「我々(北朝鮮)の軽水炉建設とその燃料保障のための濃縮ウラン生産に関して、ロシア側は平和的核活動が媒介国の自主的権利という我々の立場に同意した」 2)最近の北朝鮮UEPと関連して、ロシアが安保理議論に賛成したのかという部分また、最近の北朝鮮UEPの安保理議論に関した論争の焦点は、ロシアが果して安保理議論に賛成したかどうかである。今年1月28日、韓国を訪問したロシアのバラダブキン外務次官はウィ・ソンラク韓半島平和交渉本部長との6カ国協議首席代表会談を通じて、「ロシアが北朝鮮UEPを安保理で議論するのに反対しない」とする立場を明らかにしたと伝えられた。 しかし、北朝鮮の中央通信はロシア外務次官の発言から5日後の2月2日、駐ロシア北朝鮮公館職員とロシア外務省政府者間の面談内容としながら、「ロシア側は朝鮮の平和的核活動権利を認めた。従って、朝鮮の濃縮ウラン生産問題をUN安保理で審議することに反対しないという一部報道は、ロシアの公式立場ではないと確認した」とロシア外務次官の発言と全面的に対峙する内容を報道した。 このように論難が大きくなったので、ロシアは2月4日に外務省論評を通じて、「北朝鮮のUEPに対する情報が事実と確認された場合、これは安保理決議1718号と1874号に対する違反なので、従ってこの試案を安保理で議論するのに反対する根拠はない」と公式的な立場を明らかにした。またイワノフ副総理は2月5日、ミュンヘン国際安保会議で「北朝鮮はNPTに復帰して、IAEAの査察を受けなければならない」と強調した。 -最近の北朝鮮UEPと関連して、ロシアが安保理議論に賛成したのかという部分に対する発言日誌。*ロシア・バラダブキン外務次官(2011.1.28) - 「ロシアは北朝鮮UEPを安保理で議論することについて反対しない」 *北朝鮮中央通信(2011.2.2) ?「ロシア側は朝鮮の平和的核活動権利を認めて、朝鮮の濃縮ウラン生産問題をUN安保理で審議することに反対しないという一部報道は、ロシアの公式の立場ではないと確認した」 *ロシア外務省論評(2011.2.4) -「北朝鮮のUEPに対する情報が事実と確認された場合、これは安保理決議1718号と1874号への違反なので、従ってこの試案を安保理で議論することに反対する根拠がない」 *ロシア・イワノフ副総理(2011.2.5) -「北朝鮮はNPTに復帰してIAEAの査察を受けなければならない」 このような前後の事情を総合して見ると、北朝鮮が会談結果で自らに不利な内容を徹底的に排除して歪曲したという結論に達することができる。 3)会談成果に対する責任追及が恐ろしくて、歪曲の可能性が濃厚しかし、なぜ北朝鮮が歪曲された内容を発表したのかに対する疑惑を解決することができない。北朝鮮外交問題に精通したある脱北者は、その原因が北朝鮮社会内にはびこった「偽りの報告」に起因した可能性を提起した。去年の下半期、北朝鮮の韓国海軍チョナン号攻撃に対するUN安保理議論が提起されたのは、ロシアによる「北朝鮮の肩を持ち」により、北朝鮮が非常に元気付けられた時期である。 彼は、北朝鮮が都合よく計画されたパク・ウィチュン外務相のロシア訪問を契機に、ロシアを明確な北朝鮮の後援勢力として確保して置こうと思ったはずだと推定した。また、UEP問題の安保理議論に関しても、バラダフキン次官の発言に驚いた北朝鮮外務省がモスクワ大使館に緊急訓令を下して、事実の確認をしたはずだと推測した。ところで、ロシア側の支持を得るどころか、却って非難と憂慮に直面したのである。 状況がこのようになったので、パク・ウィチュン外務相や駐ロシア北朝鮮大使館としては、会談結果に非常に期待を掛けていた金正日に、ありのままの報告をするのが非常に難しかったはずである。従って、北朝鮮には金正日の好みに合わせて偽りの報告して、この内容が外務省を通じて発表されたのである。 4)偽り、誇張報告が日常化された北朝鮮の社会実際、北朝鮮社会では上部からの問責を避けようとして、「偽り、誇張報告」が日常化しているという例を捜すのは難しくない。実例として、2009年2月に金正日が咸興市にある興南(フンナム)肥料工場を視察した時のエピソードは有名である。幹部たちが6月までに60万トンの肥料を生産できると報告したが、金正日が直接工場労働者に会って確認する過程で、幹部たちの報告が嘘りだという事が分かってしまった。この件で金正日が大変怒り、「偽りの報告は国を滅ぼす売国行為」と批判したというのである。 このような形態は、国際関係でも例外ではない。北朝鮮が外国との会談結果を必要に応じて恣意的に歪曲して来たことは、広く知られた事実である。2002年10月にアメリカ・ケリー国務次官が北朝鮮を訪問した時、北朝鮮はウラン濃縮を是認した。この問題によって、いわゆる第2次北朝鮮核危機が起こり、以降、北朝鮮はこれを否認するなど、何回も変更をした。結局、去年ハッカー博士が北朝鮮を訪問した時、濃縮ウラン施設を公開して、事実と確認された。 理由がどうであれ、北朝鮮が国家間の公式的な会談結果を全て歪曲するのは、自らの国際的な信頼を失墜させる行為に違いない。このような現実を「人の幕」に囲まれた金正日だけが、知らないのではないだろうか。
2011年02月22日
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北朝鮮金正日は今度2月16日、公式的に69歳誕生日を迎える。しかし彼の実際年は41年生に今年70歳である。元元41年生なのに自分のお父さん金日成の誕生日である1912年と終り席を合わせるために42生で操作したからである。生物学的年で70を控えた金正日の健康状態は北朝鮮内外を問わず焦眉の関心事である。金正日の生物学的寿命によってこれから義北朝鮮の統治方向と金丁銀での後継ぎ区も安着、対内の外の政治勢力変化が予想されるだからである。 その間ニュースを通じて報道された金正日の健康状態を綜合して見れば現在状態何種類を予想して見られる。 一番目、糖尿病による晩成腎不全である。専門医たちは最近金正日の手が真黒く日焼けさしたのが金委員長の新臓機能に深刻な問題があるという所見を提示した。糖尿病による万星辰不戦は血液投石と腹膜投石で分けられるのに情報を綜合して見れば金委員長は現在ボックマックト石していることが有力である。 金正日の年を考慮した時晩成腎不全で判明されて投石を始めるようになれば完治は不可上手い。消息筋によれば金正日が投石を始めたことは2009年5月である。最近金正日は食あたりお坊さんが減少して顔と損徒特に真黒いそうなのにこれはこれは腎不全症で血液循環がよくできないから現われる現象である。 70歳の年寄り、その中でも金正日のように身の機能この弱化された年寄りが身の丈投石をするようになれば5年以上暮しやすくないそうである。しかしギムゾング仕事は脳卒中まで重なっているからあれほど暮しにくいだろう。 二番目は脳卒中再発と痴ほう可能性である。金正日は2008年脳卒中を病んである。消息筋によればこの脳卒中が最小限二番目だと言う。それはこれからも脳卒中が充分に再発することがあることを示唆する。 もちろん最近にはヌェズルズング増税はかなり好きになったと言う。しかし歯科専門医によれば写真で報道された最近金正日の打って状態を見た時痴ほう悪化可能性が充分にあると言う。寸科専門医によれば脳卒中にかかった人の中に歯牙が元気ではなければ痴ほう症状を悪化の時つけると言う。元気ではない歯牙は脳をずっと刺激する效果があるかむ機能がずっと震える御旨期のため歯牙が元気な時より痴ほうのかかる確率が三倍位高いそうである。 金正日は2010年に入って精神がよくおかしくなるという消息も聞こえて来る。また脳卒中後遺症の右鬱症で感情の起伏もひどくなってよく泣くという話もある。一種の初期痴ほう症状なのである。金正日の最近歯牙状態を見ればこんな痴ほう症状がもっと悪くなることができるというのである。 もう2008年度に脳卒中を経験した金正日はもしこれから死亡したら脳卒中再発でよる死亡可能性が一番高く見える。その理由は二つの種類である。第一、晩成腎不全のためである。万星辰不戦証は血液内に老廃物除去をまともにできなくて血管の中の血戦を積もるようにする。これだから晩成腎不全症は脳卒中可能性を高める。第二、知られたところどおり金正日の統治スター仕事は全ての権力を握って行史するからそのストレスが甘くない。また気持ちによって易しく興奮して憂鬱になったりする。このために感情の起伏が甚だしい。このような業務ストレスが金正日の脳卒中可能性を高めるもう一つの理由である。 次は歴代過多な業務、それによるストレスで脳卒中がかかって急死するとか植物人間になった世界トップたちの事例である。金正日も彼らの電車に付いて急に死亡する可能性が高くて見える。 [アメリカルージュベルト大統領] ルージュベルトが血圧が急激の上昇するなど健康が悪くなり始めたことは1943年からだったし、主治医だった耳鼻咽喉科専門医メキタで博士と海軍病院心臓専門のブルン博士から心臓薬と食餌療法を処方受けて絶対安定を長続き勧告受けた。 ルージュベルトは1945年2月ロシア皇帝の夏別荘で開かれたヤルタ会談の時疲れ感と会談の後の科屠漢飲酒などで健康状態が急激に悪くなったし、結局1945年4月執務室机で書類を見ている中急な脳卒中を起こして後頭部に激甚な痛症を感じながら倒れて死亡した。世界最強国の正常として最高の医療恵沢を受けたルージュベルトだったが血圧と過労による突然死を避けることができなかったこと[旧ソ連レーニン] 1917年11月ロシア革命で政権を取ったレーニンは1922年5月25日脳卒中に倒れてからすなわち回復した。しかしその年秋二番目脳卒中が起きたし翌年である1923年3月三度目脳卒中に倒れた後半身不寧になって車寄子に寄り掛かったままモスクワ南側約30km震えてジン村であるゴリキで療養をする脳卒中発病満2年も越すことができなかった1924年1月21日54世医年で死亡したら[旧ソ連スターリン] 1953年2月28日スターリンは側近たちと一緒にクレムリングングで映画を見た後自分の別荘で定木里を移して翌日夜明け4時までパーティーを開催した以後寝床に入ったが当日18時30分頃脳卒中が発病して意識不明状態に陷った。用心棒たちが彼を見付けたことは夕方10時がすごくオソだったし、ちょうど彼の主治医たちが国家安全部で要因暗殺疑いで調査を受けた出なさい適切一治療を受けることもできなかったまま12時間が経過された後には応急措置を受けた。結局スターリンは1953年3月5日発病一週間ぶりに“顔模様が変わって顔色と唇色が黒くなった後甲子期目をぴかっと開いた後死亡した”と伝わっている。当時彼の死亡は脳卒中と一緒に主治医野の応急境遇を邪魔した秘密警察総帥ベリアの陰謀だったということが現在定説。 [イスラエルアリエルシャでは総理] シャロンチォングリは2005年12月18日夜脳慶色増税で一度倒れて病院に二日の間入院した後退院したし2005年7月にも心臓発作が発生したといううわさがあるなど心血関係疾患をアルそのある状態だったこと。シャでは総理は退院の後半月余後である2006年1月4日夜イスラエルネゲブ死幕の個人農場で多量の脳出血が発生して、エルサレム下賜だ病院に急に移送されたし、 1月5日夜明け脳の血液を抜き取るために6時間にわたった手術を受けたが続く追加出血路当日昼と翌日まで皆3回の大手術を受けるようになった。 彼は脳出血当時77歳の高令に普段油っこい食べ物が好きだったし170cmがならない背に体重は120~30kgに肉薄するなど高度費だけ状態で心血官疾患故危険君に当たって医療陣から体重減量を長続き勧告受けたことと知られた。彼はたとえ手術の後死亡したのではないが回復することができなかったまま現在まで植物人間で病院で病と闘っている
2011年02月21日
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2月16日は北朝鮮の金正日の69回目の誕生日である。70歳の金正日の健康問題は、後継問題と絡まって、関心の的になっている。金正日は2008年8月に脳卒中で倒れたが、現在、金正日は業務の遂行に問題がないレベルまで回復したと報道されている。しかし、後遺症で判断力が鈍っているという主張が、提起され続けている。 この件と関連して北朝鮮に精通した中国の対北朝鮮消息通は、「金正日が2008年8月に脳卒中で倒れてから、肉体的な健康はある程度回復したが、時々精神的に異常をきたしたり、判断力に問題が生じると聞く」としながら、北朝鮮の内部で集めた幾つかの情報を紹介した。そして、金正日が2009年10月に慈江道にある「ヒチョン逓信大学」を訪問した時のエピソードを伝えた。北朝鮮では2003年にヒチョン工業大学を逓信大学と改名し、2009年には工業大学に再び名前を変えた。 この件に関して同消息通は、「金正日が2003年にヒチョン工業大学をヒチョン逓信大学と名称を変えるようにと指示したのに、2009年に訪問した時、この事実を憶えていなかった」としながら、「誰が首領様が命名した工業大学という名前を、時代遅れの逓信大学に直したのか」と怒り、「今すぐに工業大学と、また名前を変えるように指示を下した」と伝えた。また、2009年12月に咸鏡道金策市にあるソンジン製鋼連合企業所を訪問した時、所謂、主体鉄による製鋼法公正施設の完成報告を受けた席で、「首領様に早くこの事実を伝えるように」と言って、周囲の人々を荒てさせたと伝えた。 引き続き同消息通は、金正日の喫煙事実が報道されたのも、金正日の認知能力不足のためだと解釈した。金正日は2001年の中国訪問当時、禁煙の事実を公開した。北朝鮮のマスコミはそれ以降、「喫煙は心臓を狙った鉄砲のようだ」という表現を使って、禁煙キャンペーンを続けた。しかし金正日は2009年2月に会寧煙草工場を8年ぶりに訪問した時、工場でタバコの煙を吹きながら笑う姿を労働新聞に公開した。当時、この喫煙する場面は、金正日の健康を誇示するために公開されたものだと解釈されたが、これに対して同消息通は事実は違うと反論した。そして、「それまで自分が禁煙しているという事実を自慢したくて、マスコミを通じて禁煙を強調して来たという事実を忘れたから」と説明した。当時、金正日の側近たちは煙草工場を視察しに行くという金正日の言葉を聞いて、煙草工場を掃除したり、隣の煙草工場に保管されていたタバコを運んで来るなど大騒ぎをしたと、付け加えた。 同消息通は、去年8月に自由アジア放送(RFA)が報道したチャ・スンス北朝鮮中央放送委員長の解任事件についても説明した。チャ委員長はテレビで平壌大同江ビールを広告するなど、資本主義方式の商品広告をしたという理由で、2009年8月に解任された。同消息通は「金正日が2010年5月半ばに中国を訪問した直後、直接に電話を掛けてチャ・スンスを捜したが、既に解任されていたと聞いて非常に怒った後、復職命令を下した」としながら、「金正日の予測できない行動に、平壌の幹部たちは不安に思っている」と言った。 続けて、「金正日の精神疾患悪化の情報が北朝鮮内部でも広がっているということは、北朝鮮政府の徹底的な情報遮断にも関わらず、金正日を直接目撃した幹部たちが周辺の人たちにだけ伝えるという形で秘密を漏らすので、拡散し続けるから」と説明した。
2011年02月21日
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1カ月にコメ代2倍に上がる…「90年代の状況を連想」北朝鮮が、政権存続の脅威になるほどの深刻なインフレーションに苦しんでいると、ファイナンシャル・タイムス(FT)ドイツ語版が2月11日に報道した。FTは日本の大阪にある北朝鮮内部の情報誌の「イムジンガン」と、対北朝鮮短波ラジオの「開かれた北朝鮮放送」を引用しながら、コメ1Kgの価格が1カ月に1千200ウォンから2千500ウォンに高騰したと伝えた。「イムジンガン」は同時に、北朝鮮は兵士の食糧調達も難しい状況と伝えながら、現在、兵士1人当りの配給量は300gに減り、それさえも大部分がトウモロコシだと明らかにした。FTは「北朝鮮は金正日政権の最も重要な大黒柱である軍を、いつも優先視してきた」としながら、「今回の報道は、約200万人が餓死して体制が崩壊直前まで陥った1990年代の食糧不足を連想させる」と評価した。FTは「閉鎖された北朝鮮から出た情報なので、真偽を確認することはできないが、2つのメディアの報道は信頼できるだろう」としながら、「アメリカのワシントンにあるピーターソン国際経済研究所(PIIE)の対北朝鮮専門家であるマーカス・ノーランド専任研究員とスチーブン・ハガード教授は、イムジンガンの報道は信頼できる情報ソースとしている」と説明した。 同新聞はまた、「北朝鮮政権の宣伝にも関わらず、北朝鮮経済はかなり以前から社会主義的原則に基盤を置いていない」としながら、「ノーランド研究員によると、現在の食糧供給と単純なサービスは、殆ど市場経済によって動いている」と付け加えた。
2011年02月16日
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2月1日の「自由北朝鮮放送」の『北朝鮮の女性が自転車に乗れない理由』というタイトルの報道は、「現在、北朝鮮の国防委員会副委員長を務めるオ・クックリョルの一人娘のオ・ヘヨンが、1990年代末に自転車に乗って平壌市内を走っていたところ、朝鮮人民軍7総局の10t級車に惹かれて死んでしまった事件があった。当時、金正日が、女が自転車に乗るとは何事か?女は自転車に乗れないようにしろと指示し、その指示が法になった」と伝えた。 別のニュースによれば、金正日が乗用車に乗っていた時、スカートを履いて自転車に乗っている女性を見かけて、「良くない」と言った言葉が法になったという話もある。 これ以外にも多数の北朝鮮関連ニュースが、北朝鮮は女性が自転車に乗れないように法で規定していると明らかにしている。しかし、今までに公開された何枚かの北朝鮮の写真の中で、北朝鮮の女性が自転車に乗っている場面を確認することができる。矛盾しているではないか。ここで私たちが注目すべき点は、「自転車に乗る」という規定が、「どの程度の実効性と拘束力を北朝鮮内部で持つか?」である。 実際、北朝鮮では女性が自転車に乗ることを取り締まっているという報告がある。ある脱北者は、それは「美風良俗」のためだからと言う。しかし、脱北者のキム・チュンエさんはマスコミのインタビューで、「実際、そういう規定があったので、北朝鮮の女性の不満は非常に高かった」と証言する。また、キム・チュンエさんは「北朝鮮の生存問題が深刻になるにつれて、交通手段であると同時に物流手段である自転車を、女性たちも乗るしかなくなった。また、政府もこの規制を暗黙の内に守らせなくなった」と言った。結論から言うと、現在の北朝鮮では禁止規定であるにもにも関わらず、多くの女性が自転車に乗っているのである。すなわち、この規定は法と言うよりも、勧誘事項程度のルールに相当するのである。 それでは、北朝鮮の住民たちにとって最高の財産に相当するという自転車は、彼らにどのような意味があるのだろうか? まず、北朝鮮で自転車は、一般労働者たちの10年分の月給を貯めないと買えない位高価な品だという点である。1995年当時の労働者の月給は100ウォンほどだったが、当時、「ジャビ」という商標の北朝鮮産の自転車が平均3,000~5,000ウォンだったし、「カルメギ」は10,000ウォンだった。平壌の市民たちは、これよりも性能が良くて小奇麗な日本製の自転車を好む。2003年頃、日本製の自転車は中古品でも3万ウォンから5万ウォンくらいした。 このように高価なので、北朝鮮では自転車泥棒が多い。夜は自転車を部屋の中に入れる人が多い程である。北朝鮮で自転車は、まだ非常に貴重な品物である。新品の自転車1台の価格が、北朝鮮お金で約40万ウォン(約300ドル)程度である。労働者(月給3000ウォン)が自転車1台を買おうとしたら、殆ど11年間お金を使わないで、貯め続けなければならない。 北朝鮮の自転車は私たちの乗用車のような格で、兔許証がないと乗ることができない交通手段である。自転車の兔許証は、1996年から平壌だけで適用され始め、98年から全地域に拡大した。これは人民保安部が施行する自転車運転及び交通安全試験に合格しなければ、取得することが出来ない。無兔許運転者や兔許証未所持者は、大部分が取り締まり現場で罰金を払わなければならない。北朝鮮では自転車の運行規則が非常に厳しい。都市では道路表示に従って決められた道(専用道路)だけを走らなければならないし、5歳以上の子供は後に乗せることができない。またブレーキやライト、ベルがない自転車は乗ることができないし、酔っ払って自転車に乗ってはならない。 このように厳しい規則が適用される高価な品なので、自転車を一台買ったと言ったら、保安所や人民組が資金の出処を調査しに来ると言われるほど重要な財産に値する。従って、全ての自転車には登録証があるが、電算システムが不備なので、本人の物かどうかを直ちに確認するのは難しい。従って、自転車泥棒の取り締まりも難しい。 この様な状況ではあるが、長所もある。自転車は北朝鮮では貴重品に属するので、自転車製作に対する熱意が強く、品質が良いという点である。特に北朝鮮産の自転車はとても頑丈だとの定評がある。また、2005年10月には自転車王国である中国のテンジン・デジタル自転車工場が65万ドルを投資して、北朝鮮に「ピョンジン自転車合作工場」を設立した。ところが、まだ品質や人気の点で、日本製の自転車を追い越すことが出来ないと、脱北者たちは証言している。 北朝鮮の女性が自転車に乗ることは、北朝鮮指導部の気分に左右されるという話がある。最近、平壌市内でスカートを履いて自転車に乗る女性をよく見かけるとも聞く。女性がズボンを履けない様にする規則もあるので、それも可能だろう。北朝鮮も人が暮す社会なので、北朝鮮も以前のようではないようである。しかしあまりにも高価なために、夜道で自転車に乗ると、殺人強盗の標的になると言う。しかし、これも北朝鮮では富裕層たちが甘受しなければならない一種のペナルティだと考えなければならないだろう。
2011年02月11日
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貧困と父子世襲に反対して、国民が街へ飛び出したエジプトに、全世界の注目が集まっている。ホスニー・ムバーラク政権は、内閣を解散し改革を約束したが、国民はムバーラク大統領の無条件退陣を要求しながら、抵抗し続けてる。21世紀の初め、独立国家連合(CIS)で起きたバラ革命(グルジア)、オレンジ革命(ウクライナ)、チューリップ革命(キルギスタン)に続き、民主化の無風地帯だった中東でも、いよいよ反独栽市民革命の炎が勢いよく燃え始めたようである。しかし、この世で最もこの様な市民革命が必要な場所は、他でもない北朝鮮だろう。災難や戦争状況でもない平時に、人口の数%が飢え死にする程の酷い貧困、非王朝国家としては世界で唯一現実化した3代世襲、お金で死刑囚すら釈放できる腐敗。この様なことを考慮すると、北朝鮮にすでに革命が何回も起きても、当たり前だろう。それにも関わらず、革命の勢いが北朝鮮へ届く事を期待する人は、多くはないだろう。CISやチュニジア、エジプトにはない残酷さが、すでに北朝鮮を冷たい凍土に作り変えたからである。北朝鮮の民主化革命を塞ぐ最も大きい障害物は、連座制である。 連座制とは、「逆賊罪人」の家筋を滅亡させる中世封建の悪辣な遺物であり、今は地球上で唯一、北朝鮮だけに存在する。北朝鮮は反体制行動は勿論のこと、体制に不満を表しただけで、親戚まで政治犯収容所に連行してしまう。北朝鮮の民主化のためには、何よりもこの連座制を廃止するべきである。もし北朝鮮で、チュニジアやエジプトのように住民が街に出てデモを行ったら、どのようなことが起こるだろうか。 数分後にはデモ隊は一人残らず射殺され、一日で遠い親戚まで政治収容所へ連れ去られてしまうだろう。保安院(警察)がデモ隊に発砲しなかった場合、彼らも同じように処罰される。その上、徹底的な閉鎖政策のため、外部では北朝鮮内部の事情を全く知ることが出来ない。1998年8月の松林(ソンリム)製鉄デモが代表的な例である。当時北朝鮮では、労働者たちが飢えるのを見るに耐えられなくなって鉄を中国に売り食糧を購入しようとした製鉄所幹部を即時処刑した上、これに抗議した労働者たちに近隣のタンク部隊を派遣して、無慈悲に殺してしまった。この事件は外部へ知られず、現場の写真も残ってない。外部と繋がるインターネットも無く、言論機関も政府の徹底的な統制を受けているので、北朝鮮の住民は海外の動きを全く知ることが出来ない。北朝鮮の人々にとっては、ウィキリクスとソーシャル・ネットワークサービス(SNS)が触発させた北アフリカのデモは、他の星の一日に過ぎない。いや、デモが起こったという事実さえ知ることが出来ない。北朝鮮政府は現在まで、エジプト事態を住民たちに知らせてない。北朝鮮とエジプトは、貧困と父子世襲という状況が似ている。もし、今回のエジプト事態が北朝鮮の住民たちの間に知られたら、それに刺激を受けた住民が、エジブトのように大規模な反政府デモを起こすかもかもしれないという恐怖により、事実を隠しているのかも知れない。歴史に永遠な氷は無い。氷は溶けるのが当たり前であり、氷が溶けたら春になる。北朝鮮を覆っている巨大な氷の固まりも、いつか必ず溶けるだろう。そうなったらいくら厳しい統制でも、住民の抵抗を防ぐのは不可能である。北朝鮮に住民による反政府デモが始まったら、今のエジプトとは比較にならないほど強力で速く広まるだろう。北朝鮮の崩壊は遠くない。
2011年02月09日
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-チャン・ソンム自由朝鮮放送副代表、2003年北朝鮮脱出2010年4月、北朝鮮各地域の保安部に「打撃隊」を組織するようにという、人民保安部(警察庁)の指示が下達されたという情報があった。道保安部傘下に作られた「打撃隊」と名前付けられたこの常設組職は、以前、保安部捜査科で際立った活躍をした人々や、保安部政治大学を卒業したばかりの学生たちをはじめとして、若くて斬新で金正日に対する忠誠心が優れたた人々で組職される予定だと伝えられた。「打撃隊」が組職された目的は、緩んだ取締り綱紀を出来るだけ早く引き締めようというものであり、その規模は400人に達するとのことだった。そして6月、本当に各市・道の保安局(地方警察庁)に「打撃隊」と命名された常設組職が出来上がった。ここに集められた打撃隊員たちは、飢えた山犬が餌を探すように、手当たりしだいに住民たちを捕まえ始め、住民たちに極度の恐怖感を感じさせた。人民たちは何とかして逃げようとして、必死に機嫌を伺ったとのことである。この打撃隊の権力は、限りがないほど強力だった。国境地域で中国の携帯電話を使う人々を探し出して、韓国に情報を売る人々を捕まえたり(中国との商売を言い訳にする携帯電話使用者も含む)、麻薬密輸及び密売者、中国逃亡者(脱北者)を徹底的に捕まえるのも打撃隊の仕事だった。特に保衛部が担当する住民たちに対する政治的動向の把握までして、不純分子たちを探し出した。取り締まりをする時も「夜間組み」と「昼間組み」に分けて、24時間に渡って北朝鮮の全住民を監視網に入れ、住民たちの行動を一々監視した。このように打撃隊の目的は、新しく出発する金正恩体制の安着のために、24時間に渡って住民たちを統制することである。このような現象は、金正日政権の維持も既に限界点に達したということを意味する。即ち、住民たちに対する強力な統制なくしては、金正日、金正恩政権の維持は不可能だということなのである。そうなると、金正日に、或いは新たに出発する金正恩に、現在残っている人民たちに対する統制カードはあるのだろうか?金正日政権が今まで、政治犯収容所を利用した残忍な人権染躪で、自らの政権を維持してきたということは、よく知られている。しかし政治犯収容所は国際社会で多くの非難を浴びる実体であると同時に、北朝鮮内部でも多くの副作用を生んでいる。金正日の忠誠分子たちが多いと統制し易しいが、小さな失敗も許さなかったので、過去、あまりにも多くの反対勢力が生じた。金正日に反対したという理由で逮捕されたら、本人はもちろんのこと家族や親戚まで殺されたり、政治犯収容所に連行された。従って、反対に金正日の敵が多くなったというのである。政治犯収容所の中で繰り返される人権染躪行為が、北朝鮮に対する国際世論を悪化させるということを 金正日独裁政権も知らないわけがない。故に、最近は人々を捕まえて政治犯収容所に送る問題に対しても、それなりに慎重に処理しているようである。以前なら間違いなく政治犯収容所に送られた人々も、今は労動教化所に送られる程度で済むとのことである。また政治犯収容所に人々を捕まえて送る作業も、必ず夜中や早朝に、隣家も分からないくらい速かに行う。金正日政権が住民たちの視線を意識しているからである。人民たちを統制したいからと言って、全員を政治犯収容所に押しこめることはできない。何故ならば、金正日政権にとっても、政治犯収容所は負担になるからである。収容所に入れられている人々を解放したら、人前では忠誠する振りをしても、心の中では金正日に反対する勢力になるはずであり、そのままにして置いたら国際社会の厳しい非難を避けることはできないからである。政治犯収容所をどうするかには、新たに誕生する金正恩にとっても大きな課題である。金正恩は姿を現わす前、「非社会主義」問題の解決に焦点を合わせた。それで始めた事が、かなり以前から準備して来た貨幤改革措置だった。故に、昨年11月末に貨幤改革措置を実施してから2~3日間は、各職場と人民組で会議や講演会を開いて、「今回の貨幤改革措置は青年大将である金正恩同志が、人民生活を画期的に良くするために用意した措置」と大々的に宣伝した。しかし、極端な貨幤交換は、北朝鮮社会をもっと大きく混乱させた。「非社会主義者」たちを統制するために貨幤交換を実施したが、非社会主義者たちは全て逃げ出し、貧しい人民たちだけが被害を被った。人民たちの怨声は、不平不満を超えて、政権の危機を危ぶむほどに大きくなった。その時になって、ようやく貨幤交換措置は青年大将金正恩が推進したという講演資料を全て無くした。このようにして、貨幤改革が金正恩に係わっているという話は消えた。それから数カ月が経過して、貨幤改革の失敗に対する責任をパク・ギナム中央党計画財政部長に被せて、彼を処刑することで終わらせたのである。人心を手に入れて、業績を積もうとしていた金正恩にとって、貨幣改革は最悪の結末をもたらすハプニングになったのである。党代表社会で殆ど強制的に金正恩を公開したが、人民たちの反応は未だに冷ややかなものである。このような状態なので、金正日独裁政権が金正恩に権力を無難に移譲するためには、人民たちに何か強い衝撃を与えるのが必要と考えたようである。それが正に、韓国のチョナン号、延坪島攻撃だったようである。北朝鮮社会に広まる金正日政権に対する人民たちの怨声を、戦争の雰囲気を作って解決しようとしたのである。しかしこのような挑発をすればするほど、金正日政権の運命は結局、破滅へと突進するしかない。
2011年02月07日
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1.北朝鮮の自動車産業の概要北朝鮮の自動車産業は、1958年11月にドクチョン自動車工場(現勝利自動車工場)で旧ソ連制の「GAZ 51号」の技術を導入した2.5t級貸物自動車「スンニ58号」を試作品として生産したことを皮切りに始まったと言える。北朝鮮は「社会主義工業国家として、自動車だけは他国から買わないで、自国で生産して使う」という方針を立てて、量産体制の構築及び部品の国産化などの過程を通じて、自動車産業の発展を追及した。 1950~60年代の旧ソ連及び東欧圏製品のライセンス生産時代を経て、1970年代に入って自動車設備の系列化と拡張、部品の国産化などに重点を置いた。1980年代以降は既存の生産品である2.5t級「スンニ58号」、10t級「チャジュホ」、25t級「コンソルホ」など貸物自動車の量産体制を整える一方で、一部の自動車生産ラインを外国から導入して、初歩的に自家用乗用車もKD(Knock Down、半製品-組み立て)方式で生産して来たと知られている。 貨物車の種類としては、「スンニ58年」-カ、ナ、タ型があり、新型「ペクテゥサン」、「クムスサン」、「マンスデ」、「テベクサン」などがある。これ以外にも、農業の機械化に必要なトラクターを生産しているが、主に集団農場で使える大型トラクターが生産されてきた。一例として、「プルグンビョル」、「クムソン」などを挙げる事ができる。2. 主要な自動車生産工場及び現況北朝鮮の主要自動車工場の中で最大規模を誇るのは、平安南道ドクチョン郡に位置する勝利自動車工場である。ここでは主に「スンニホ」、「ケンセンホ」(ロシアLada NIVAモデルJeep車)、「チャジュホ」(中国チャンチュン第一自動車モデル)、「クムスホ」(ロシア製鉱山用ダンプトラック)、「チュンソンホ」(マイクロバス)、「チョンリマホ」(バス)、「コンソルホ」などをはじめとする貨物車、乗用車、衛生車、ダンプなどを生産する。これ以外にも、ピョンセンケンセン自動車工場では乗用車とジープを生産しており、6・4車両総合工場、3月30日工場、ピョンヤン無軌道電車工場が主要工場に属する。南浦(ナムポ)に位置する平和(ピョンファ)自動車工場(社長パク・サンゴン)では、「フィパラム」、「ポックギ1、2、3」などの車を生産している。2002年2月にはイタリアのフィアット(FIAT)社のSIENAモデルを部品形態(CKD:Complete Knock Down)として輸入して、「フィパラム1」を出品した。続けて、「ポックギ1」を同じフィアット社のDOBLOモデルを導入して生産した。しかし販売価格が高く、日本製の中古車より車体が小さく、人気を得ることができなかった。以降、2003年からは中国の丹東に位置するソグァン自動車からモデルを導入して、組み立て生産したスポーツユーティリティー(SUV)車「ポックギ2」を生産し始めた。「ポックギ1」は1,600cc級の小型RVだが、「ポックギ2」は2,400cc級のガソリンSUV車に属する。「ポックギ3」は同じ中国丹東にあるスグァン自動車の新型SUVモデルを導入したピックアップ(Pick Up型)の「ポックギ3」がある。車長は5mに達し、5人乗りダブルキャブ(Double Cab)形式の大型ピックアップ車である。また2006年度に登場した「サムチョンリ」は、瀋陽にある金杯自動車が生産する旧型TOYOTAを技術基盤にしたHIACE(中国名: ヘサ)モデルで、11人乗りと7人乗りのVANがある。このような多様なモデルを生産する平和自動車では、韓国とイタリアのフィアット社の核心技術陣20人、そして北朝鮮労働者320人など総勢約340人が最近勤めているとされる。しかし、最近フィアット社は既存の生産ラインを殆ど活用することができず、中国で完成車を購買して、簡単に解体してから、再び北朝鮮にコンテナで運送する方式を取っている。 その上、工場内で最小限の作業水準に再組み立てするSKD(Semi Knock Down)方式で生産する状況なので、フィアット社側の人材はおらず、テクニカル・サポート契約も中国産導入を契機に終わった。そして現在は、自社の人材だけで小規模に運営しているように見られる。特に、2007年平壌国際商品展覧会に出品した「フィパラム2」モデルは中国瀋陽の華晨自動車と合作で組み立て生産する駿捷モデルである。追加生産を計画中の車種としては、中国ハルビン所在の哈飛自動車の「賽豹III」モデルなどが知られている。このように、これまで平和自動車総会社は設立以降2006年までに、約1,000台の乗用車及び商用車を生産して北朝鮮に販売してきた。一方、平和自動車は中国産ライセンス(License)生産技術導入先の変更及び拡大、そして代金決済方式に関して、いわゆる中国の「走出去」(中国企業の国家的な海外進出戦略名称)戦略による中国政府の影響力拡大の可能性が目立っている。すなわち、後払いで部品を供給して、北朝鮮現地で組み立て生産して、販売後に部品供給代金を受け取る方式である。このようにして、中国の自動車企業が北朝鮮の自動車市場を先行獲得するために、攻撃的に市場を開拓し、これを直・間接的に中国政府が支援しているというのが、現在、有力な情況である。現在、北朝鮮は年間20,000~30,000台レベルの自動車生産能力を保有しており、6,000~7,000台水準で生産しているとされている。しかし最近の調査の結果、日本産の中古車と中国産の自動車を除けば、事実上、自動車産業が1990年代末から殆ど崩壊状態であると推定される。これは北朝鮮の自動車工場の生産設備が老朽化しただけでなく、電力難などで工場が正常に稼動できなくて、部品の輸入や調達がスムーズに進まないからである。 北朝鮮の自動車産業は、内部的には生産能力を拡大し続けて来たのかもしれないが、実際は生産ラインが正常に稼動してこなかったように見られる。例えば炭鉱及び鉱山で必要とするクムスサン自動車の生産ラインは、車が40tと大型である上に、技術導入ラインであるロシア側の部品供給の中断と車の運営に必要な燃料供給の問題及び山岳と急傾斜地域での安全運行の問題も大きいとされている。「スンリ58号」の場合は、一部、ガソリンや軽油を燃料と使わないで、褐炭から抽出した代替燃料を使ったり、はなはだしくは木炭を燃料にする車もある。したがって速度が遅く、傾斜が険しい所ではプリントアウトが弱いので、正常走行が難しく、燃料当たりの走行距離が非常に短い。北朝鮮は貨物車を中心に、中国から年間約3,000台を輸入している。過去、北朝鮮は毎年日本から中古車4,500台以上を輸入してきたが、日本の核実験規制措置以降、日本産の中古自動車の輸入が全面的に中断されたのが実情である。一方、ドイツのフォルクスワーゲン社は乗用車パサト(Passat)などを2004年から2006年にわたって500台以上販売したとされているが、UN制裁以降は供給が中断されている。
2011年01月26日
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北朝鮮の金正恩3代世襲が固まり、延坪(ヨンピョン)島砲撃事件が起こったことを受けて、日本の朝鮮総連と中国の「朝僑(中国の北朝鮮人)」までが、北朝鮮に冷たく背を向け始めている。永遠の親北朝鮮派とされた彼らの予想外の動揺に、北朝鮮と中国の2国が、今、大きく当惑している。彼らは海外で唯一の北朝鮮人であると同時に、北朝鮮政権とも緊密な関係を結んで来たという点から、北朝鮮崩壊の起爆剤として作用することもあり得るので、大きな関心が集まっている。 最近、中国に住む北朝鮮人である「朝僑」たちの中国帰化問題が、北朝鮮は勿論のこと、中国政府の敏感な外交問題として急浮上している。彼ら朝僑たちは、中国内で居留証に頼りながら、不自由と蔑視を甘受して暮して来た。しかし、祖国である北朝鮮に対する国籍だけは守ろうとして、大変な苦労をして来た北朝鮮人なので、大問題に発展するものと見られる。 1月4日付けの産経新聞は、「北朝鮮の3大世襲体制の試みに対して、日本朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)内部の組織員たちが反発している」と報道した。続けて、朝鮮総連指導部側が金正恩体制の正当性を宣伝するための資料を準備したが、組織員たちの大掛かりな反発のために、組職全体が動揺していると産経新聞は伝えた。まず、朝鮮総連が世襲政権という概念自体に強い拒否感を持っていると、朝鮮総連の幹部がこのニュースの中で伝えた。これは金正恩の母親である高英姫(コ・ヨンヒ)が朝鮮総連出身という点により、朝鮮総連が金正恩体制を歓迎するだろうという予想を、簡単に覆した結果と説明された。 特に、日本国内の朝鮮総連に対する冷たい視線が、彼らにとって大きな負担として作用している。今回の3代世襲に続く延坪島攻撃事件などが北朝鮮の外交的孤立をもたらしたように、朝鮮総連は「言葉を失う」ほどの孤立に追い込まれているようである。以前からの北朝鮮による日本人拉致事件による批判的な世論の上、最近の日本列島全体の対北朝鮮全面攻勢を主張する雰囲気により、彼らが親北朝鮮的な性向を表現するのは難しいだろうと解釈できる。 日本よりずっと親北朝鮮ムードが強い中国での「朝僑たちの反乱」は、もっと奥の深い理解が必要な問題である。朝僑たちが北朝鮮国籍を捨てて中国国籍を選ぼうとする背景には、より微妙で隠密な内幕が作用しているという推測が可能である。約7千人に達する朝僑たちは、他の朝僑と同様に北朝鮮に故郷を置いているとは言え、中国国籍を持つ一部朝鮮族と違い、中国で外国人と分類される。その立場は非常に独特で、居住関連の行政手続きも難しい。まず、朝鮮戦争以前に生まれた世代たちが多い一方で、中国で生まれてから北朝鮮を公式訪問して国籍を登録したケースまである。 朝僑は中国政府から「居留証」を、北朝鮮政府から「海外公民証」の発給を受けて生活している。結局、自分たちの心は北朝鮮に、生活空間は中国にある。彼らが開放以後、中国で体験して来た心理的な葛藤とアイデンティティーの脅威は、大変なレベルに達する。特に朝僑が主に暮す中国東北3省地域は、脱北者たちの温床でもある。脱北者たちは朝僑たちの保護下に置かれることもあったが、彼らによって北朝鮮と中国に密告されて、強制送還の悲劇に合ったこともある。朝僑たちは北朝鮮が願うなら、周辺の視線は構わずに、祖国の側に付いた人々である。はなはだしくは、北朝鮮を助けるために密告をして褒賞金をもらって、大きな非難を浴びた。 しかし、今、彼らは北朝鮮に冷たく背を向けている。朝僑たちは皆、中国駐在北朝鮮公館を訪問して、国籍放棄申請をしている。殺到する電話の問い合わせにより、中国駐在北朝鮮公館は大忙しである。彼らの離脱を阻止できる法律的、名分的根拠はない。しかし、北朝鮮と中国という2つの社会主義国家の境目で起きた事件という特殊性が作用している。 未だにこの件について口を閉ざしている中国外交部の沈黙が、更に暗く、更に重くなりつつある。立場を表明をするのが難しい中国は、マスコミを通じて、今回、朝僑たちの動揺に韓国政府が関与したのではないかという主張を提起した。しかし、これは問題の本質を誤魔化そうとしているだけである。 中国で朝僑イシューは、このように爆発した。2010年11月18日付けの楊子晩報は、中国江蘇省鎭江市で53年間居住して来た北朝鮮国籍の61歳のキム・ジョンジャさんが、最近、鎭江市の公安政府が発行する中国国籍を取得したと報道した。そして、「中国入籍証書」を持って明るく笑う姿が新聞に掲載された。キムさんは鎭江市では中国人に帰化した最初の外国人だったので、ニュースになったようだと同新聞は意味を付与した。重要なニュースでもないように見られたこの記事が、インターネットを通じて約70件以上の複製ニュースを生産した結果、事態は大きく変わった。これ以降、延辺を中心に東北3省に住む朝僑たちが、心的童謡を起こし始めたのである。 これまで北朝鮮に対する不満だけが高かった朝僑たちは、脱北者たちとも関係が薄い江蘇省に住むキム女史が口にした「これまでホテルへ行く時も、銀行へ行く時も、外国人という理由でとても不便だった」という2、3の発言により、動搖したのかもしれない。最近、北朝鮮は朝僑たちの北朝鮮入国を制限しており、祖国から捨てられたような不満だけが高まった東北地域の朝僑たちは、今がチャンスと考え始めたようである。ついには中国政府が朝僑たちの国籍申請を拒否する動きまで見せたことを受けて、朝僑たちは特有の凝集力まで発揮した。既に彼らの組職内では、中国公安に賄賂をあげて国籍を変えるノーハウが急速に共有されているという噂まで広まっている。 朝僑たちの北朝鮮離脱は、北朝鮮-中国という2国にとって、大問題になる可能性が高い。特に彼らは中国―北朝鮮間を往来しながら貿易をしたり、甚だしくは北朝鮮脱出を助けたりする勢力である。その気になれば、彼らが北朝鮮内部の反金正恩勢力層と結託して、もっと危険な事を企てることもできる。 北朝鮮の権力部と近いとはいえ、海外で自由に暮す朝僑と朝鮮総連。彼らは確かに北朝鮮の危険な「起爆剤」である。単に北朝鮮が嫌いだからではなく、押さえつけられた悲しさと孤独感が、今、彼らから噴出しているのである。そこには、正に「3代世襲」という矛盾が起爆剤として働いた形跡が捕捉される。なぜ、北朝鮮指導部は「金正恩のためなら、砲撃戦もあり得る」という70年代的な単純執権シナリオに執着して、この世の意識がリアルタイムに光の速度で伝わるという簡単な事実を、見逃しているのだろうか?
2011年01月25日
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北朝鮮には総計6カ所の政治犯収容所があり、約20万人が北朝鮮脱出などの各種政治的な理由で拘束されており、数多くの人権染躪に遭遇していることが分かっている。北朝鮮専門の消息通は1月18日、「以前、10数カ所もあった北朝鮮の政治犯収容所は、1980年代末から1990年代初めの国際人権団体による活発な問題提起と実態調査の要求により、国境隣近地域の収容所は北朝鮮が一部閉鎖したように見られる」としながら、このように言った。同消息通は北朝鮮の政治犯収容所として、平安南道价川 (14号管理所)収容所、北倉(18号管理所)収容所と、咸鏡道耀徳(15号管理所)、咸鏡北道化成(16号管理所)、清津(2号管理所)、会寧(2号管理所)などの6カ所を挙げた。一部の専門家たちは、北朝鮮が今年の金正恩後継体制構築過程で、政治犯収容所を通じた住民統制機能を一層強化する可能性を憂慮している。 北朝鮮の政治犯収容所は、終身収監される「完全統制区域」と、数少ないが釈放される可能性がある「革命化区域」に区分されるが、劣悪な与件と人権染躪状況は似ていると伝えられている。 しかし、北朝鮮は収容所の存在自体を否認している。消息通によれば、北朝鮮の政治犯手収容所と人権問題に対する国際社会の関心が拡がっている。国際恩赦委員会(AI)は今年、北朝鮮の政治犯収容所問題を重点調査する予定であると伝えられた。現在、収監者の類型と身元を把握中であり、政治犯収容所は勿論の事、教化所、労働鍛錬隊など北朝鮮内の収監施設全般の運営実態と問題点を分析した報告書を発表する計画とされている。 アメリカとカナダの下院も、北朝鮮の人権改善のための世論造成と、政策の樹立のために北朝鮮政治犯収容所出身の脱北者を招待して、今年2~3月に北朝鮮人権聴聞会を開催する予定である。イギリスとヨーロッパ連合(EU)も議会の次元で、今年の上半期に政治犯収容所を含めた北朝鮮内の人権染躪実態を暴露する聴聞会開催を検討していると伝えられている。アメリカの北朝鮮人権委員会(HRNK)とイギリスの世界基督連帯(CSW)などの国際人権団体も、上半期に北朝鮮の政治犯収容所に関連する国際コンファレンスを開催し、北朝鮮の人権改善を促す方針である。
2011年01月22日
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バラク・オバマ米大統領とフージンタオ(胡錦濤)中国国家主席の1月19日首脳会談は、アメリカと中国の関係において、1979年1月のジミー・カーター大統領とトンシヤオピン副首相の会談以降、32年ぶりの最も重要な外交イベントというのが国際社会の見方である。1979年の首脳会談を契機に、両国は公式に修交を結んだし、中国はアメリカとの敵対関係清算によって、改革・開放の道を踏み出した。フージンタオ主席の国賓訪問の形式で成立した今回の首脳会談を通じて、両国は21世紀の世界新秩序の中の主要2カ国(G2)として、協力と競争のフレームを具体化するだろうという点から世界は注目している。中国元貨の為替、イラン核、台湾問題、人権問題など多様なテーマが扱われるが、トーマス・ドニラン・ホワイトハウス国家安保補佐官の「安保と政治懸案の中、北朝鮮問題が最も重大なテーマになるだろう」という予告の通り、北朝鮮問題が最も重要なテーマの一つとして浮上するだろう。 しかし、フージンタオ主席が、最近、アメリカのマスコミとのインタビューで明らかにしように、北朝鮮問題が果して正しい方向に向かって扱われていて、正しい解法を導出することができるかどうかという憂慮が生れざるを得ない。フージンタオ主席は、「私たちは韓国-北朝鮮に、平和と安定を妨害する如何なる行動もしないように促した」としながらも、「適切な解法を探し出すために、出来る限り早く対話を再開するように要求した」と付け加えた。韓半島の緊張の高まりは、北朝鮮によるチョナン号と延坪島(ヨンピョンド)攻撃のためという事実が明確であるにも関わらず、フージンタオ主席は北朝鮮挑発の責任を無視しながら、無条件に韓国-北朝鮮の対話を要求したのである。過去数十年に渡って、韓半島の平和は勿論の事、全世界の平和を威嚇してきた勢力の主人公の一つが北朝鮮だという事実が明白であるにも関わらず、これを認めない中国のフージンタオ主席の主張は、空虚と言うしかない。フージンタオ主席は北核問題に関しても、「関連国が6カ国協議再開のために、積極的な措置を取って、条件を整えるよう期待する」と明らかにした。6カ国協議は北朝鮮の不誠実な核プログラム申告と核施設無能力化措置の中断のため、2007年末から中断されている。その後、北朝鮮は2009年に核実験を遂行し、最近はウラン濃縮施設を公開して再び国際社会を威嚇するに至った。それにも関わらず、北朝鮮制裁に反対しながら6カ国協議再開を要求するのは、一方的に北朝鮮の肩を持って核開発を進める行為に他ならない。サイ・テンガイ(崔天凱)中国外交部副部長は「(ウラン濃縮施設を)中国人はまだ見た事がない。アメリカの専門家が見たもの」と発言したのも、同様な脈絡によるものである。 中国は北朝鮮の平和脅威行為を無視しながら、東北アジア平和を成し遂げることはあり得ないということを明確に知らなければならない。それにも関わらず、中国だけではなくアメリカ政府の一部で、国際社会の議論の焦点を対北朝鮮制裁ではなく対話に移さなければならないという主張が提起されているのが現実である。アメリカ-中国首脳会談を契機に韓国と北朝鮮が対話を始めて、6カ国協議も再開されなければならないという主張であり、これは北朝鮮の「挑発-交渉-補償」戦略に再び騙されていると言うしかない。アメリカ-中国首脳会談を通じて「北朝鮮=平和破壊主犯」という事実を明確にしなければならない必要性が大きい理由も、その為である。国際社会は北朝鮮のこのような欺瞞行為を見通して、より強力な北朝鮮制裁を実施しなければならない。
2011年01月21日
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国際キリスト教団体「僑民7万人を強制収容」北朝鮮が9年連続で、世界でクリスチャンに対する迫害が一番激しい国とされた。国際キリスト教宣教団体である「オープン・ドアーズ」が17日に公開した「2011ワールド・ウォッチリスト」によると、北朝鮮はクリスチャンを迫害する50カ国の中で、迫害順位1位に上った。北朝鮮は2002年からずっと1位の座を守っている。 迫害の程度を点数に換算した時、去年、北朝鮮の迫害点数は100点満点の90.5点だった。オープン・ドアーズは北朝鮮が満点を記録できなかった唯一の理由は、公式的に宗教の自由を認めているという点だと説明した。 オープン・ドアースの調査結果によれば、去年、北朝鮮で逮捕されたクリスチャンは数百人に達し、彼らの中の一部は命を失ったとのことである。強制収容所に住むクリスチャンは、5万~7万人に達すると推算された。 北朝鮮政府は去年5月にクリスチャン23人を摘発して、彼らが持っていた聖書とキリスト教書籍も没収した。彼らの中で3人は公開処刑され、残りは耀徳収容所で失踪した。北朝鮮はクリスチャンを探し出すために、自己批判会議や無作為の家宅捜索などを活用しているが、教師が幼い学生たちに「親が黒い本(聖書)を読んでいるか調査しなさい」という指示もしていると報告された。 オープン・ドアーズは、脱北者が中国で捕まって北朝鮮に送還されて調査を受ける時に、必ず否認しなければならない質問があるが、「クリスチャンと接触したか」や「聖書を読んだか」であると、脱北者が証言していると紹介した。北朝鮮がクリスチャンを迫害する理由は、金正日国防委員長がルーマニアの独裁者のニコラエ・チャウシェスクの没落をクリスチャンのせいだと考えているからだと、オープン・ドアーズは説明した。 北朝鮮に続きクリスチャンに対する迫害の激しい国は主にイスラム国家で、イランが2位で、アプガニスタンとサウジアラビア、ソマリアが順にその後に続いている。中国は16位だった。イラクの場合、去年、クリスチャンを対象にした暴力事態が頻発し、順位が17位から8位に急上昇した。 この件と関連してAFP通信は、去年10月、イラクのバグダッドのある教会で発生した暴力事態でクリスチャン44人が死亡してから、トルコから脱出するイラクのクリスチャンの数が、3カ月で3倍で増えたと伝えた。
2011年01月19日
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北朝鮮で食糧難が長期化している最大の理由は、中央権力の階層秩序を土台にした身分制度によって作られた食糧配給順位政策のためである。現在、既得権層である所謂「特権層」は、食糧配分において処分権を独占しているので、住民たちは食糧に対する接近権が事実上遮断されている。 一般的に北朝鮮で資金が流入したり流出する流れを見ると、まず金正日の管理下にある別名「当者金」に大部分が集中し、次は「先軍政治」のための軍事装備及び軍需経済分野に流れ、その次は経済分野の順序で資金が集中している。このようにして国際社会から支援された食糧が軍と権力機関を通じて市場商人に売られて行き、その収入が他の将校や幹部たちの手に入って行くと、北朝鮮を脱出した人々が証言している。一方、北朝鮮軍出身の脱北者たちは、将校たちが食糧を横領するので、部隊の一般兵たちの間に栄養失調者が多いと一様に証言している。 北朝鮮を脱出した人の77%が、個人の経済活動(商売など)を通じて生存を維持していたと証言しているように、住民たちにとって個人の経済活動は、生存のための必須手段になってしまった。 1990年代に最悪の食糧難により配給制が崩壊したことを受けて、全ての住民たちは仕方なく生存の為に市場に依存するようになり、次から次へと商売を始めた。このようにして拡大した市場には、生存に必要な食糧や生活必需品は勿論の事、工場資材なども流通し、市場は住民たちになくてはならない生存の為の唯一の場として定着した。 北朝鮮政府は食糧配給を保障することが出来ないので、住民たちが餓死しないで生き残れるように、自発的な経済活動ができるように市場を活性化するなど、環境を整備するといった当然の責任がある。しかし北朝鮮政府は、今も市場の拡大を資本主義的だという理由から、無責任に抑制している。 北朝鮮最大規模の市場である平安南道平成(ピョンソン)市場の流動人口は、毎日10万人とされている。総合市場を取り締まるに当たり、平壌(ピョンヤン)近郊にある平成市場は最も代表的な閉鎖対象として注目された。その理由は、新義州(シンウィジュ)を経て平壌に流入する全ての物流が平成市場に集まり、全ての財貨が取り扱われる市場として成長したからである。北朝鮮政府は2008年から数回に渡って平成市場を閉鎖しようとしたが、その過程で利害関係が絡んだ機関の妨害に合って成功しなった。しかし、 2009年6月に2~3個の小規模市場に分けて閉鎖するという決断を下した。
2011年01月17日
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北朝鮮の2009年改訂憲法は、先軍政治を制度的に固めたという意味を持つ。北朝鮮は先軍政治を「我等の方法の社会主義」の生命線と見ており、金正日の指導下、強力な国防主義の国家機構体系を構築して、全面的に完成させたのである。このように、先軍政治は単純に軍事を先頭に立たせることだけに本質があるのではなく、軍隊を主力軍にした全般的社会主義建設を推進する政治方式という点に、その本質的意味がある。 これは、主体思想以外に先軍思想を含ませて、北朝鮮の指導路線を明示することで、今後発生する可能性がある戦争を合理化して、金正恩へと繋がる世襲を固めるためと見られる。 2009年改訂憲法も、基本的人権に関する条項は変更された内容がない25条項から構成されている。第5章の「公民の基本権利と義務」の中で基本的人権を明示し、第24条で個人の所有権と相続権、第158条で提訴された者の弁護権などを保障して、北朝鮮の下位法令制定の根拠になっている。しかし、人民軍隊を革命の主力軍として先軍政治の実現を目的に改訂された2009年改訂憲法は、その重点が基本的人権の保障自体にあると見るのは難しい。2009年改訂憲法は体制維持または体制整備のために、以前よりもっと強力な関連制度を規律して確立する必要があるので、そういう制度を規律して確立する過程で、人権に関する規定が軽視されたり付随的に適用される憂慮は、むしろ大きくなったと言える。 北朝鮮の憲法は、人民の基本権保障に主眼点を置いて制定されたというより、プロレタリアート独裁体制を守護して、先軍政治を実現するのに目的がある。また、金日成の教示が法より優位にあるので、憲法に人権に関する規定があったとしても、人権侵害を救う救済装置が正しく存在しない北朝鮮で、果たして人民の人権が正当に尊重されているか、実際に人権が侵害された場合の救済手続きが正しく運営されているかは疑わしい。
2011年01月14日
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-イ・グムリョン自由北朝鮮放送本部長「誕生日なのに、プレゼントも貰えないしお腹が空いて死にそうなのに、体育競技をしろとは…。」北朝鮮の金正日の後継者の座を固めつつある金正恩の誕生日である1月8日。午前10時頃、北朝鮮の北部と中国との境界地域にある会寧市から、電話が掛かって来た。キム・チョルホさん。約束した通話である。通話するために、キムさんは人目を避けて移動した。寒いからか、声が凍りついていた。 -そう、プレゼントは貰ったか?「誕生日なのに、プレゼントも何もなかった。お腹が空いて死にそうだ」-金正恩の誕生日なのに何も貰えないのか? 「金正恩の誕生日なので、忠誠の歌の集いをさせられた上、この寒いのに体育競技まで予定している。寒いしお腹が空いて、我慢できない」彼は急いで電話を切った。1分程度の短い通話だった。 北朝鮮は去年、金正恩の誕生日にも内部的に歌の集いや体育行事などをしたとされている。それならば、金正恩の権力構築状況が去年と同じレベルだということを意味しているのだろうか。今年は特に、金正恩が「労働党中央軍事委員会副委員長」という公式職責を貰ってから1年目なので、注目を集めた。 指導者の誕生日に慣例に従ってプレゼントが貰えたら、彼は「確固とした」指導者として認められたとされる。そうでなければ「後継作業中」である。ただし、彼の誕生日が公式記念日か休日だったら話は違う。実は、「金正恩の誕生日に何もない」ということが、既に先週から予想されていた。咸鏡道穏城郡に住むある住民は、5日にした通話の中で、「党から私たち住民に、テレビ1台でも贈られた事があっただろうか?私は市場で走り回るように働きながら商売したので、トウモロコシご飯をお腹一杯食べられて、合弁テレビ(中国産の黒白テレビ)を買うことが何とかできた。商売でもさせてくれた方が良い」と嘆いた。 2010年2月3日、朝鮮中央テレビは全国学生たちの「光復の千里の道踏査行軍」に贈られた金正日のプレゼントについて放映した。写真上はプレゼントを積んだヘリコプターを歓迎する人の波。真ん中はヘリコプターから下ろされたプレゼント。恵山外国語学校の学生のリュ・ヒョシムは「プレゼントは新鮮で美味しい果物と高級お菓子」だったと伝えた。6日には茂山(ムサン)市に住むある住民と通話した。彼は「何の消息もない。関心もない」と言った。彼は「食べ物も貰えないのなら、市場で商売をして儲ける方が生きるのに役立つ」と言った。7日に通話した幹部級のある住民は、「去年は将軍様の誕生日(金正日の誕生日は2月16日)に、幹部からプレゼントを貰った。ところが今年の金正恩の誕生日には、プレゼントの便りもない。住民にあげるコメはなくても、幹部たちにあげるプレゼントはあるのに…明日になったら分かるだろうが貰えない様だ」と言った。 北朝鮮で暮らし向きが良かった頃、金日成や金正日の誕生日には、数日前から市や軍などの人民委員会にプレゼントのトラックが列を成した。それでプレゼントを貰える事が予め分かった。プレゼントは当日配られた。ところが今回はプレゼントのトラックさえ来なかった。8日の午前になっても何も貰えなかった。 ところで、意外にも茂山ではプレゼントが配られたという対北朝鮮NGOのニュースが伝えられた。茂山の鉱山労働者たちに1月5~6日に金正恩の誕生日プレゼントが配られたとホームページに掲載された。労働者たちには砂糖1Kg、油1Kg、鯡1Kgが贈られ、家庭のある男性たちには器のセット(ご飯と汁のお椀各一つ)などが贈られたということである。茂山の住民は「鉱山に投資した中国会社が、労働者たちに贈ったものだということ」と言った。 北朝鮮でプレゼントは統治の道具である。普通、他国ではプレゼントが「他人にあげる品物」程度の意味がある。しかし、北朝鮮では、金日成と金正日が与えるもの以外に、この単語が使われることはない。「党の唯一思想体系の確立の10大原則」第6条4項に、「個々人の間でプレゼントを交わす現象を、徹底的に無くさなければならない」と規定したからである。 プレゼントの種類は多様である。全住民がプレゼントを貰う節日は、金日成の誕生日(4月15日)と金正日の誕生日(2月16日)、金正貞淑の誕生日(12月24日)、1月1日、人民軍創建節(4月25日)、国慶節(9月9日)、党創建節(10月10日)である。 金日成の誕生日のプレゼントは1976年に始まった。住民たちには食料品がプレゼントとして贈られた。学生たちには2年に1回ずつ、制服、半袖シャツ、帽子、少年団ネクタイ、履き物が与えられ、誕生日の当日にはキャンディー、お菓子、ガムが与えられた。プレゼントは「贈呈式」を通じて伝達される。プレゼントは平壌と地方に差があった。平壌では中学生まで、地方では人民学校の学生までに贈られた。82年の金日成の60回目の誕生日の時は、綿入れの服と毛布が提供された。金正日も同年に食料品を贈る事で誕生日プレゼントを開始したと言う。党創建50周年、55年周年には、金日成と金正日の名前が同時に刻まれたプレゼントも提供された。 普通、節日の時は豚肉、卵、お酒、豆腐、大豆もやしといった食料品がプレゼントされた。しかし、初めは無料だったが、後には少ないけれども、お金を払わされた。例えば2004年の場合、豚肉1Kgが商店では1800ウォンだったが、1Kg当たり200ウォンで安く買えるようにされた。幹部は1年に3~4回プレゼントを貰った。高位幹部は工産品と食料品を貰った。工産品は輸入品のローレックスの時計、洋服、コート、かばん、カラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機といったものだった。食料品は鹿1匹、きじ、高級酒、蜜柑、北朝鮮産の高級酒、ビール数十本といったものである。プレゼントはトランクに入れられ、表をもう1回箱で包装されていた。上部に「金日成のプレゼント」とか「金正日のプレゼント」と書かれていた。 比較的豊かだったプレゼントも、80年代半ば以降、突然減ってしまった。世帯当りのプレゼントも、1回に豚肉500g、豆腐1個、お酒1本程度になった。以前は種類も豊富で量もずっと多かったのに。しかし同時に、プレゼントに対する住民の陰口が始まった。北朝鮮国家安全保衛部に勤めていたある人は、「平壌住民が三々五々集まって、プレゼントが党と首領が無料で人民に与えたものなのか、それとも全人民が春40日と秋20日に渡り農村に無報酬で動員された代価なのか分からないと不平を言い始めた」と言った。
2011年01月12日
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中国人民解放軍の戦略核ミサイル部隊である「第2砲兵部隊」が、内部の軍事理論教育文書に、最悪の場合は核兵器を先制して使うことがあり得ると示唆する文句を含ませていたと、共同通信が5日に報道した。 同通信によると、「核脅威の障害物を低める」というタイトルのこの教育文書は、「核ミサイル保有国が絶対に優勢な一般武器で、我が国(中国)の重要戦略目標に連続して空襲をする場合」を仮定しながら、「核による脅威政策を調整(強化)する」と銘記した。核の脅威を強化する具体的な状況としては▲敵国が原子力発電所や水力発電所、首都などの重要都市を攻撃すると威嚇したり▲戦況が非常に不利になって国家の存続が危機に瀕した場合などを列挙した。 こういう時はまず、テレビやインターネットで敵国に核攻撃を警告したり、具体的な攻撃目標を通知するなどの脅威宣伝をしてから、それでも敵の攻撃を止まらせる事ができなければ、核兵器の先制使用を「慎重に検討しなければならない」と教えている。 ただし、「ミサイル部隊は、最高統帥部(中央軍事委員会)の指令を守らなければならないし、(核の脅威政策を)自分勝手に調整してはならない」とか、核兵器を使用する時は国際社会の広範囲な支持を得て、「戦略的イニシアチブ」を確保しなければならないと付け加えたと同通信は伝えた。共同通信はこのような中国軍内部の軍事理論が、「どのような状況でも核を先制して使わない」という中国政府の公言と矛盾し得ると警戒しながらも、 「軍隊は国家の意思とは無関係に、最悪の事態に備える組職」という点を挙げながら、「核の脅威政策の調整」理論が、直ちに核先制不使用原則と一致しないとは言い難いと付け加えた。 アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアなどの核保有5カ国の中で、核先制不使用を宣言した国は中国だけである。 中国の第2砲兵部隊司令部は北京市内にあり、兵力は約10万人と推定され、遼寧省瀋陽と安徽省黄山など8つの主要基地を持っている。核弾頭400~500発とこれを搭載できる大陸間弾道ミサイル(ICBM)「東風31A」、射距離1万2千Kmの「東風5A」、中距離弾道ミサイル「東風21」(射距離約1千800km)などを保有していると推定されると同通信は説明した。
2011年01月10日
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金正恩の功績としてCNCを再強調今年の北朝鮮の新年共同社説は、全部で1万3229字で構成されており、2000年代に入ってから最も長い。金正日の執権初年度だった1995年の共同社説から見たら、量は3番目に多い。今年より量が多かったのは、96年(1万3504字)と97年(1万3470字)の所謂「苦難の行軍」時期だった。困難克服のために語ることが多かった年だったようである。今年の社説が長かったのは、北朝鮮が強盛大国の大門を開くと提示した2012年を前に、すべき事が多いということを傍証しているという指摘がある。 新年共同社説は「私たちの党の思想は攻撃思想であり、党の革命方式も攻撃方式である」、「無敵必勝の軍力を世界の面前ではっきりと見せた」と、去年を自評した。これは対内事業を攻勢的に推進したという事実と共に、チョナン号と延坪島(ヨンピョンド)攻撃も暗示したものと見られる。 後継問題に対する公式言及はない。ただ、間接的な表現が登場して関心を集めている。「現時期の我々の党建設と活動は、党代表者会議の精神を出発点に展開しなければならないし、それで一貫されなければならない」と強調した。 去年9月、党代表者会議で金正恩は党中央軍事委員会副委員長に任命され、事実上、後継者として公式化された。北朝鮮が金正恩の功績として挙げているCNC(Computerized Numerical Control・コンピューター数値制御装置)を、去年に続いて強調した点も、このような雰囲気と無関係ではないようである。特に「CNC技術の覇権を手にした経験を土台に、全ての分野で世界が到達した科学技術の水準を、最短期間内に乗り越えなければならない」と明らかにした。軽工業製品は「どこに出しても遜色がなく、世界的な競争力を持った製品を生産しなければならない」ともした。「CNC技術の覇権」や「世界的技術力」といった言及は、住民たちに自信感を植えつけながら努力動員をするという意味のようである。 新年共同社説が去年、金正日の2回の訪中を言及したことも興味深い。社説は「(金正日の)2回の中国訪問は、伝統的な朝鮮・中国の親善関係を新しい段階に引き上げ、我々の革命に有利な環境を整えた歴史的な業績だった」と評価した。去年、2回の韓国攻撃による国際社会の対北朝鮮制裁の中、中国の外交的、経済的支援が重要だったという点を教えてくれているようである。
2011年01月09日
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北朝鮮新聞の1月1日付けの新年共同社説には、金正日の2011年統治構想が掲載されている。公開演説を回避して来た彼にとっては、新年の辞になる。金正日は父親である金日成の死亡(1994年7月)後に迎えた95年の新年から、中国の人民日報などの3つの機関紙に共同社説と同様な施政方針を発表して来た。今回の共同社説に見られたり、行間に隠された北朝鮮の2011年計画を観察して見る。 (1)韓半島問題-韓国に対しては和戦両面戦術を予告した。北朝鮮はA4用紙13ページの共同社説の中で、2ページ程度を韓国との関係に割愛し、「対話と協力事業の積極的推進」を主張した。チョナン号と延坪島(ヨンピョンド)への攻撃で触発された韓半島緊張の責任を、対話攻勢に変更しようとする意図が伺える。2012年の韓国の大統領選挙を狙った韓国社会内の葛藤助長など、北朝鮮の介入が露骨になるだろうという予想もある。とはいえ、軍部には「全ての軍人を勇敢な戦士として準備させるべき」と主張した。社説が「戦争の火種が炸裂したら、核の惨禍しかない」と主張しているが、核の脅威を間接的に現わしたように見られる。 2009年の新年社説には韓国に対する非難はなかったが、今回は「南朝鮮の保守政府は戦争の下手人、反統一対決の狂信者」と主張した。ただし、韓国の李明博大統領に対する直接の非難はなかった。対話・協力を公言した北朝鮮が政府と対話する為に、レベルの調節をしているという分析である。一部からは、韓国との当局対話が難しいので、極秘接触を通じた韓国との関係解法が模索されているとの憶測も注意深く提起されている。 (2)国際関係-新年共同社説の対外関係に対する言及は短かった。「東北アジアの平和と全朝鮮半島の非核化を実現しようという立場と意志に変わりがない。自主・平和・親善理念の下、我々に友好的に対応する国々と、親善協助関係を発展させる」が殆ど全てだった。対外関係の改善意志を明らかにしながらも、アメリカについては挙論さえしなかった。去年、「韓半島の平和の根本問題は、北朝鮮-アメリカの社会敵対関係を終熄させること」としながら、アメリカとの平和協定締結の立場を積極的に提起したのとは、違った雰囲気が伺える。 北朝鮮首脳部は、今月19日にワシントンで開催されるアメリカ-中国首脳会談を計算に入れているようである。外交消息通は、「北朝鮮のチョナン号、延坪島攻撃とウラン濃縮施設の公開以降、アメリカ-中国間で北核リスクを緩和しなければならないという共感帯が形成されている。従って、北朝鮮はその結果に注意深く関心を向けている」と言った。 (3)国内問題-北朝鮮の国内問題の焦点は、経済難の克服と民心に合わされた。北朝鮮が立てた「2012年強盛大国進入」の準備と、金正恩後継体制の軟着陸の為のように見られる。北朝鮮は社説の中で、「軽工業は今年の最重要分野」と強調した。また、「農業戦線は人民生活問題解決の生命線」という表現も使っている。去年に続き2年連続して経済問題を社説の題名にした点からも、切迫感が感じられる。社説が「民心は高度に安定している」と主張したが、実際は違うということである。 社説が「自力更正」と「我等の方法による社会主義経済管理原則」を強調しながら、貿易・輸出などの対外経済に言及していない点も目を引く。2009年11月の貨幤改革の失敗に続き、去年、金正日の特別指示で設立した朝鮮大豊(テプン)グループの外資誘致構想が、国際社会の対北朝鮮制裁で成功しなかった衝撃のためと見られる。社説はその代わりに、地下資源開発による「資金の確保」を強調した。
2011年01月09日
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北朝鮮の映画創作の基本となる理論は、1973年4月に金正日が北朝鮮の統治理念であると同時に、唯一の思想である主体思想に立脚して書いたという『映画芸術論』である。『映画芸術論』とは、映画創作の細部指針を提示したものであり、「映画文学」から「創作指導」まで、映画に関したほとんど全ての部分に関する指針が提示されている。『映画芸術論』は(1)生活と文学(映画文学論)、(2)映画と演出(演出論)、(3)性格と俳優(俳優論)、(4)映像と撮影(撮影論)、(5)画面と美術(映画美術論)、(6)場面と音楽(映画音楽論)、(7)芸術と創作(創作方法論)、(8)創作と指導(創作指導論)で構成されている。各章のタイトルからも分かるように、俳優の演技や仕草から映画の普及に至るまで、細部指針を提示していて、全ての映画人たちの映画創作の絶対的な教本となっている。 映画文学(シナリオ)映画創作の基本になる文学、すなわちシナリオを映画文学と言う。全ての文学芸術作品がそうであるように、映画で最も重要なことは文学(ストーリー)である。映画文学の基本は、主体事実主義に立脚して、人民生活の中で作品の核心となる思想的中身(種子)を捜し出すことである。映画は種子を土台に、人民大衆を革命的に教育して、自主性実現のための闘争へ組職動員することが映画の目的である。映画演出演出は映画の生命であり、映画の種子を深く把握して、感情の流れに合わせる。北朝鮮の映画は、事件の論理的連結よりは、感情の流れを重視する。演出家は創作の司令官と比喩されるが、演出家の独創性を強調する「演出第一主義」を排撃して、資本主義的な要素と教祖主義的残骸を完全に無くして、新しい主体的な演出体系と方法を確立することを強調する。俳優と演技北朝鮮で学ぶ人々を共産主義革命家として育て、人々を革命的に教養・改造する芸術家と評価する。俳優に強調されることは思想である。俳優は人物を表現して体験する際に、思想体験に基礎を置いて創造的に個性を表現しなければならない。また、人物を真に表現するために、生活をよく知らなければならないと強調する。生活をよく理解して、人物の性格の核を成す思想と、その変化の過程を正確に理解して、体験を通じて人物と有機的に統一しなければならない。言い換えれば、労働階級的意識を持って、その性格と生活の本質を把握し、自分自身の思想と感情として受け入れて、演技しなければならない。撮影技術撮影家は、人々が生活の中で見ているように、自然に対象を撮影しなければならないし、画面の動きは作品の思想を明確にするのに焦点を合わせなければならない。撮影家は画面の造形性を生かしながらも、人民大衆の思想感情を代弁しなければならない。映画美術映画美術とは、扮装、衣裳、大道具、小道具など、映画に関わる表現形式の一切を意味する。映画で美術は、登場人物の生活と性格、時代を描写することであり、映画の画面を構成する際に特に重要である。映画美術は民族的形式で社会主義的内容を盛り込まなければならないという原則に従って発展させることを強調する。音楽効果映画音楽は、人民が楽しんで歌うことが出来るし、映画の思想性を高めることが出来なければならないと強調する。良い歌は、映画の思想芸術性を高めるだけではなく、大衆の中に普及して教養的役割を果たす音楽であり、映画音楽は深い思想と深い感情がなくてはならず、情緒的共感を導き出すことができなければならないし、映像と調和を成しながらも独創性がなければならない。一遍の映画に必ず3~4曲の主題歌を入れることで、更に新しい雰囲気を高めるのが特徴である。映画音楽では、原曲の雰囲気を生かしながらも曲を更に豊かに効果的にするという理由から、編曲も強調する。映画編集北朝鮮映画の編集原則は、人間関係と事件が感情の流れに沿って、次第に意識が成長する過程を重視する点である。映画の技法を強調することと違い、主体思想の要求に合わせて感情が高まるようにすることで、社会主義的楽観的展望を見せなければならない。
2011年01月05日
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中国との国境を守る北朝鮮の国境警備隊の兵士たちまで、麻薬の密売と人身売買など金儲けになる事なら何でもしていると報じられた。警備隊の兵士たちの中には、初めから金儲けを目的に警備隊への入隊を志願するケースもかなり多いなど、軍人たちの逸脱行為が余りにも深刻なことが分かり、北朝鮮政府は特に問題視している。韓国内にある脱北者団体のNK知識人連帯は12月28日、北朝鮮の現地消息通の言葉を引用しながら、「多くの国境警備隊の将校と兵士たちが密輸商人と手を組んで、人身売買、麻薬密売をしている」としながら、「北朝鮮から脱出しようとする北朝鮮の住民たちからお金を受け取って目をつぶるのは、今や常識になってしまった」と明らかにした。 以下はNK知識人連帯が報道した内容である。 ------------------------------- 最近、北朝鮮の警備隊に突然、特別人員点呼をするようにという緊急命令が下達されたことを受けて、休暇中だったり外出中だった将兵たちが急遽部隊に復帰するために混乱が起ったと報じられた。NK知識人連帯の消息通によると、26日の早朝、国境警備隊(両江道恵山市、咸鏡北道会寧市地域)に、特別に人員点呼をするようにという緊急命令が下されたとのことである。 内部の消息通は、「韓国軍の海上射撃訓練当日、北朝鮮軍に2級非常警戒令が下達されて間もなく、再度、特別人員点検のための緊急命令が下達されたことは異例の出来事」としながら、「部隊を出て休暇中だったり、後方基地や軍医所で病気の治療を受けていた一部の軍の将兵たちが、急遽部隊に復帰するために大騷ぎが起こった」と伝えた。 突然、特別人員点呼命令が下された理由について消息通は、警備隊の軍人たちの綱紀の緩みが深刻なレベルに達したので、それに対する措置だったとのことである。警備隊の将校や兵士たちは、軍服務期間に密輸商人たちと結託して、人身売買、麻薬密売、北朝鮮からの脱出の手伝いなどお金儲けに夢中になっており、軍旗は眼中にないとも伝えた。非常警戒勤務令が下達された21日、会寧では数人の北朝鮮住が警備隊の保護下、豆満江を渡ったが、中国辺境隊に捕まって北送される事件が発生したとのことである。 特に監視カメラが設置されたこの地域では、賄賂を受け取った保衛部軍官が、北朝鮮から脱出する場面を記録から削除するなど、脱北を積極的に手伝ったことが調査の過程で明かされ、北朝鮮政府が衝撃を受けたとも伝えられた。 また冬の酷寒期になったので潜伏勤務に出たくなくて、仮病で軍の病院に入院する兵士が増えたことを受けて、警戒所の勤務に入隊して間もない兵士たちばかりが動員される問題も提起された。最近、国境27旅団指揮部が冬季訓練を始めたので、第一線の警備隊の実態を緊急点検したところ、兵士の半数以上が休暇中だったり軍の病院で治療を受けていることが確認されたとのことである。国境警備隊に勤める下士官たちは経済的に余裕があるので、軍官たちに賄賂を上げて数カ月ずつ休暇を取ったり、部隊の病院に入院して酷寒期の潜伏勤務を忌避する傾向があるとのことである。 消息通は、将校たちは勤務に出ても知り合いの家で眠ていたり、中国に行って酒を飲んだりしているが、兵士たちは充分に食べることも休むこともできないのに酷寒期の潜伏勤務をしなければならないので、耳、手、足などに凍傷を負ったり、栄養失調に掛かって倒れるケースが多いと伝えた。 消息通は、国境警備隊は元々金儲けを目的に入隊した軍人たちなので、警備隊の綱紀に緩みが出るのは仕方がないが、明確な解決方法がないので、北朝鮮政府のジレンマは深まるばかりと付け加えた。
2011年01月03日
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中国の北朝鮮保護政策は失敗したし、北朝鮮を保護しようとする中国の対北朝鮮政策は変わらなければならないという主張が中国内の専門家たちの間で提起されていると、香港のサウス・チャイナ・モーニングポスト(SCMP)が22日に報道した。 人民(ランミン)大学国際関係大学院の金燦栄副教授は端的に、「中国の対北朝鮮政策は失敗したので、再考しなければならない」と言った。金教授は、「北朝鮮はトラベルメイカーであるという事実を自ら立証して来たし、中国の外交政策をたびたび撹乱させる行動をした」と非難した。延坪島砲撃事件で中国が国際社会から北朝鮮に対する影響力を行使するようにという圧迫に苦しんだり、外交的に困難な立場に立たされたことに対する責任は、中国の伝統的な対北朝鮮政策にあるという批判である。 北京大学の王新生教授も、「中国の対北朝鮮政策は、隠遁的政権(北朝鮮)を最も近い友邦と考える伝統的外交概念から、大きな影響を受けている」としながら、「このために中国は、絶えず外交的ジレンマに陥った」と言った。王教授は、「中国は地域内と世界から期待されるグローバルパワーであると同時に、責任ある強大国としての外交政策を繰り広げていかなければならない」と主張した。 同新聞は、北朝鮮の度重なる挑発に対して中国が公的に非難していないが、中国政府が自国の対北朝鮮政策に大きく挫折していることを知らせるサインが感知されると伝えた。同新聞は一例として、中国人民解放軍の羅援所長は21日に人民(ランミン)日報とのインタビューの中で、北朝鮮の国防政策は韓国と日本を人質に捕まえておく「崖っぷち政策」(brinkmanship)であると非難した。 匿名を希望したある学者は、「北朝鮮は既に中国の資産ではない否定的な要因になった」としながら、「それなのに中国政府はこれ以上中国に従わないし、中国の国家的利益にむしろ害になる北朝鮮に膨大な投資をしている」と非難した。上海社会科学院韓半島研究中心の劉鳴主任は、「中国は韓半島の中立的仲裁者としての役割を続けることを願ったが、これは韓国は勿論の事、北朝鮮も満足させることができなかった」と指摘した。
2010年12月29日
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オーストラリア連邦政府がアメリカ政府に、北朝鮮に対する支援を中断して北朝鮮が崩壊するようにしなければならないと促したことが分かった。暴露専門のウェブサイトであるウィキリークスが公開したオーストラリア駐在米大使館の外交電文によると、2005年2月16日、当時の外交通商部長官であるアレクサンダー・ダウナー長官はキャンベラで開かれた会談で、当時のリオン・ロポト在韓米軍司令官に、「北朝鮮の独裁政権が終熄するように、国際社会は北朝鮮に対する支援を中断しなければならない」と促したとのことである。 22日、オーストラリアのシドニー・モーニングヘラルド(SMH)はこのような内容の電文を単独入手したとしながら詳細な内容を伝えた。会談当時、アメリカは在韓米軍の縮小を進めていたが、北朝鮮は核兵器を盾に韓半島と周辺国を刺激した。 同電文によると、ダウナー長官がロポト司令官に、北朝鮮の軍事力がソウルを攻撃できるほどなのと質問したところ、「北朝鮮は高性能爆弾と化学武器を搭載することができる250門の大砲を保有している」としながら、「同時に北朝鮮の長距離ミサイルは、韓国は勿論の事、日本も攻撃することができる」と明らかにした。彼は北朝鮮の大砲が旧式であっても最も驚異的な存在だと付け加えた。しかしロポト司令官は、「北朝鮮は120万人の兵力を保有しているが、戦争で勝利できるかは未知数」としながら、「北朝鮮の空軍力と海軍力は、制限的で軍需物資供給能力なども落ちる」と伝えたとのことである。 ロポト司令官はまた、北朝鮮がどの程度の核弾頭を持っているのかというダウナー長官の質問に対して、「2~3個の核弾頭を作る能力があるだろう」と明らかにした。一方、ダウナー長官はこの席で、ニュージーランドの北朝鮮問題に対するアプローチ方式を冷やかしながら、「アメリカの官僚たちが過度な同情心と北朝鮮に対する『平和と愛』の観点を見たければ、ニュージーランドを訪問たら良いだろう」と冗談を言ったとのことである。 それだけではなくダウナー長官は、2000年に本人が平壌を訪問した際の印象について言及しながら、「暗い町並み、割れた道路、伸び放題の雑草など、北朝鮮の首都は痛々しかった」と描写した。
2010年12月29日
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「脣亡歯寒」…一般的に中国と北朝鮮の関係を指して言う言葉である。「唇がなければ歯が冷える」という意味だが、お互いが離れられない密接な関係にあるということを表現している。このような中国と北朝鮮の関係が、チョナン号事態以降、両国の立場と対応の態度に如実に現われている。中国と北朝鮮との関係は、お互いに物足りなくて不満な点もあるが、国家の利益のためにはお互いが重要な存在である。中国の立場から言うと、北朝鮮はアメリカ、日本、ロシアなどの強大国との利害関係が交差する地域なので、政治・軍事的側面から言うと、決して疎かに出来ない存在である。アメリカや日本との関係が良くなかったり悪化した場合、北朝鮮の戦略的価値はもっと高くなる。中国としては、北朝鮮が北東アジア地域でアメリカ、日本など西欧世界と軍事的対峙を緩衝してくれる役割をしている。また一方で、北朝鮮としては、中国が彼らの生存と安全を裏付ける存在である。1990年代初めの旧ソ連の解体と東欧社会主義圏の崩壊以降、頼ることができる唯一無二の国家である。貿易依存度80%…北朝鮮の市場を完壁に支配した中国経済的側面から見る2国間の関係は、どうなのだろうか?2国間の密着度は、政治・軍事的な側面よりもっと露骨である。現在、北朝鮮の対中国貿易依存度は、韓国を除いたら殆ど80%に近い。北朝鮮市場で中国製品が占める割合は80~90%である。北朝鮮の対中国依存は、戦略物資ではもっと明確に現われる。原油と食糧は、殆ど全面的に中国に依存している。また、中国産の原資材と設備が北朝鮮市場を掌握しているし、消費財は2002年の「7.1経済管理改善措置」以降、各種形態の合法、不合法経由で輸入される中国産が、北朝鮮市場を完壁に支配している。北朝鮮の対中国経済的依存度は、韓国の対北朝鮮5.24措置以降、もっと明確になった。韓国はチョナン号事件の責任を取って、開城工団以外の全ての対北朝鮮交流協力事業を制限した。これによる対北朝鮮交易の減少を、対中国交易の増加が取って代わる様相である。このままでは2010年末の北朝鮮の対中国交易は交易総額の55%、韓国を除外したら80%を大きく上回るだろう。中国-北朝鮮間の取り引きは、既に合法的国境貿易と持ち込み貿易などの密貿易をはじめ、押し寄せる賃加工交易、鉱山及び港湾施設などのインフラ分野の投資に至るまで、その領域を広げている。問題は、それが中国の戦略と計画によって、また制度的装置によって、成り立っているという点である。2005年に中国-北朝鮮の間には、既に「投資奨励及び保護に関する協定」が締結され、2006年1月には「経済協力共同委員会」の設置に合意した。温家宝総理は金正日に「政府主導、企業参加、市場運営」という経済協力の大きな方向性を提示し、これを受けて中国の対北朝鮮投資は大きく増加した。2000年代初めの中国の対北朝鮮投資は、主に50万ドル以下の飲食糧業、建築材業、包装産業、養殖業に集中していたが、最近は何よりも規模面で圧倒的である。中国の年間対北朝鮮投資は、2003年の110万ドルから2008年の4,100万ドルへと40倍ほどに成長した。投資分野は最近、鉄鉱などの資源開発分野に集中しているのが実情である。中国の対北朝鮮投資の中で、70%が資源開発やこれに関わるインフラ建設投資である。外国資本による北朝鮮の鉱物資源の開発事業25件中、20件が中国投資である。この中で対外的に確認された12件の投資契約金だけでも、総額5,390億中国元(92兆ウォン相当)と把握されている。2003年以降、北朝鮮の鉱物性製品が対外貿易で大幅に増加している。2005年からは北朝鮮輸出の最大品目として陣取っている。そして、その大部分が中国に輸出される。2009年の北朝鮮の対中国輸出の中で、鉱物資源に関係する比重は62.4%に達した。中国の東北3省の開発が北朝鮮と連結している点を考慮したら、北朝鮮の資源分野に対する中国の投資は、これから大幅に増えるのは明らかである。中国が東北3省の開発と関連して大々的な投資を計画しているし、これが北朝鮮と連結しているからである。北朝鮮の対中国経済依存度が高まった場合、北朝鮮地域は中国の賃加工基地になる可能性が高い。まるで北朝鮮は中国の植民地のように、中国の産業発展のための背後生産地、生産された製品を消費する市場として変化する可能性が高い。中国-北朝鮮間の交易は、典型的な先・後進国間の交易形態に似て行くはずである。これは北朝鮮の住民たちの間に、中国の豊かさに憧れる雰囲気を拡散させるに違いない。中国に対する偏向的な感情を持たせて、中国以外の外部世界を拒否する姿勢を固めさせる可能性も高い。 問題は、この全てが東北アジアの安定に大きな役割を果たせないという点である。北朝鮮は金正日-金正恩へと繋がる政権を確固にするために、危険な挑発も喜んで決行する。中国が北朝鮮を保護すればするほど、挑発は強まるはずであり、その度に北朝鮮は中国を適切に利用するだろう。現在、中国という存在は北朝鮮の好戦的な行為を保護する強力な存在であり、中国と北朝鮮の協力が大きくなるほど、このような悪循環は続くだろう。
2010年12月23日
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