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夜中にNHKスペシャルの再放送をやっていた。とても見応えのあるドキュメンタリーで、74歳になる高倉健が、来年1月に公開予定の映画「単騎、千里を走る」の撮影を通して、中国の人々と心の交流をする様子が描かれていた。数十年前に公開された高倉健主演の「遙かなる山の呼び声」(山田洋次監督)は中国で大変なブームを呼び、当時の中国人に高倉健という俳優を強く印象づけた。そして、当時の高倉健の姿を見て映画の道を志した世界的な映画監督が、今度は憧れの高倉健を主演に中国映画を製作したのだ。数十年前に公開された高倉主演の映画によって、残虐な日本人という中国人が抱いていたイ、日本人に対するメージは随分と変わったという。そして、このドキュメンタリーでは高倉に触れた中国人たちが、フィクションでない生身の彼の人柄に、再び感銘を受けている様子が描かれていた。確かに見ていて高倉の中に、失われつつある日本人の美徳を感じる。その一方で過激な反日運動を連日報道していたマスコミによって、いつのまにか全ての中国人に対するイメージまで、悪く持ってしまっていたことをも反省させられる番組だった。中国の人々もまた義理と人情に厚い、日本人と何ら変わりない価値観を、共有出来る民族だ。だからこそ、彼らもまた高倉に魅了されるのだ。毎日新聞・記事
2005年11月21日
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テレビで最近大人気の細木数子氏が靖国問題に言及した。「A級戦犯のことは別として、首相が行くのは当たり前」というご意見だった。あれだけ影響力のある方だけに、首相の靖国参拝を肯定する意見は、賛成派にとっては大変な追い風だ。これで少しでも『この国を愛するために「靖国」』の売り上げにつながって欲しいものだ。
2005年11月18日
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インターネットを通じてリラクセーション講座に、有名なM出版社の編集者からの申し込みがあった。原稿を売り込む絶好のチャンスだ。あるいは『この国を愛するために「靖国」』の出版を知ってのコンタクトだろうか。あるいはジャンル的には癒しや自己啓発系の書籍が多いので、編集者の純粋にプライベートな参加だろうか。いずれにしても良い縁の結ばれることを願う。
2005年11月17日
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1ヶ月前に送った『この国を愛するために「靖国」』の案内メールに対して、衆議院議員O氏より返信をいただいた。そして、初と自民党議員だ。知名度のない私だ。焦らずに少しずつ広めていきたい。
2005年11月15日
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『この国を愛するために「靖国」』のスクリーンセーバーが完成いたしました。『靖国』のメッセージを凝縮した、スピード感溢れる仕上がりとなっております。無料配布いたしていますので、是非以下よりダウンロードして下さい!■スクリーンセーバー★『靖国』スクリーンセーバー無料ダウンロード★ Windows用 http://www.geocities.jp/tatsu_jpn2005/Screensaver.zip Mac用(MacOS9.2.2まで) http://www.geocities.jp/tatsu_jpn2005/Screensaver.sit
2005年11月08日
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元来、天皇というのは神道の神主の中にあって、最高位に位置する存在です。ちょうどローマ=カトリック教会の最高位がローマ法王であるようにです。昔から神主は「言挙せず」といいます。(<言挙>ことあげ:ことさら言葉に出して言いたてること。揚言。)つまり、神主の使命というのは「唯、天の意思を人々に指し示す」ということにあることから、そこに個人的な主観や主張が混じってはならないのです。以前に皇太子が雅子妃の弁護をした「人格否定」発言が大問題となったことがあります。それは言葉は大変悪いですが「自分の女房を何とかして欲しい」という、極めて個人的な意見が入っていたからです。一般人の私たちからみれば、あの厳しい皇室の世界にあって、我が妻を守っているという点では、大変頼もしく美談にも受け取れます。また、そうした意見も大変よく理解出来ます。しかし、天皇や皇室の宿命的な役割や使命という観点からすれば、あれは大変な問題だったわけです。それくらいに天皇という立場は、日本では一般の神主の中にあっても、さらに無私の精神で、公に生きることが求められているのです。天皇家に嫁いだものがイジメにあったり、伝統的な慣習に馴染めなくて、精神的に参ってしまうというような評され方を良くされます。しかし、本当はそのような俗なことではなく、「限りなく私心のない無私の生活」を求められることは、それまでそうした価値観とは違う生き方の中で暮らしてきた者にとっては、想像を絶することなのです。戦後の皇族から個人的な意見をめったに聞かれないのも、決して戦争の責任からそれを謹んでいるということよりも、それが神主たる天皇の本来の姿だからなのです。そして、その使命にしたがい、私心をなくして、ひたすらに天の意思を人々に示す生き方に徹しているのが天皇なのです。それでは天の意思とは何かといえば、それこそが日本人の精神性である「和」です。したがって天皇の言動のすべてが、和するための手本となるように、全てを徹しているのです。だから、そのように私心をなくし、身を捧げて人々に和するための生き方を指し示す天皇を、昔の日本人は自分たちには到底真似の出来ないことと敬い慕い、さらに天皇に剣を向ける者があったなら、それを決して許さなかったのです。靖国神社で西郷隆盛のような国民的な英雄が祀られていないのも、そうしたことに対するケジメからだといえます。つまり、先の大戦で戦争の最高責任者といわれながらも、天皇に責任なしと主張する人々がいるのも、本質的に「言挙せず」の立場にある天皇は、実質的な権力を持った責任者ではなく、民族存亡の危機にあった当時の日本人の精神的な支えとしての役割を受け持ったに過ぎないと考えているからです。
2005年11月06日
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戦争は何代にもわたり、人々に心の傷と憎しみという後遺症を与えます。戦争を肯定する人など、一部を除いてはほとんどいないでしょう。ではなぜそれでも戦争が起こるのか。その一つは為政者たちが覇権を握り、利権を得たいからでしょう。現在アメリカがイラクに行っている政策がまさにそれです。石油という利権があるから、大量破壊兵器という口実を作って、イラクに進出しました。もう一つは人種差別です。白人がかつて黒人を奴隷としたように、歴史で習った欧米による植民地時代というのは、白人が有色人を国や民族ごと奴隷にしようとしたのです。当時の日本も他のアジア諸国同様に、欧米の植民地になる危機にありました。だから、何もせずに奴隷となるのか、戦って一縷の望みを託すかの、究極の選択を迫られていたのです。今から35年前、アメリカで暮らしていた私も、人種差別を身近に知ることがありました。当時住んでいた集合住宅に、はじめて黒人の家族が引っ越してきて、それが大問題となったのです。黒人といっても弁護士一家というエリートにも関わらずです。黄色人である私たちは、名誉白人という扱いで、問題となりませんでしたたった35年前の一般的な新興住宅地でのアメリカの出来事です。戦争は許されることではありません。しかし、ひとたび戦争が起こってしまうと、平和な時代にはない人々の思いが興ります。もし身内が戦死した場合、遺族はそれが犬死、つまり、無駄な死だったということでは、心を納得させて悲しみを慰められることはありません。だから、そこに意味を求めずにはいられなのです。もしもそこに意味もなく、身内の死がただの無駄死の犠牲者だったということになれば、遺族たちは気が狂ってしまうほどに耐えられません。時の為政者たちが戦没者追悼施設を戦意高揚に利用するしないは別として、ひとたび戦争が起こってしまうと、そのように遺族たちの心を収めるものが必要になってきます。そして、その時にただの犠牲者だったでは、将来ある息子を失った親の気持ちとして、とても割り切れないでしょう。
2005年11月04日
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今年は戦後60周年ということからだろうか。終戦記念日を過ぎた後も、戦争をテーマにした番組が続く。今日の実写版「火垂るの墓」もその一つだった。主役の兄妹がとても不憫だったが、特に死んで兄によって火葬された妹セツコが、自分の娘と同じ年頃だったため、妹と娘がダブって見えて、あまりにも痛ましく涙した。「戦争は嫌だあ~!」と改めて感じた。戦後の私たちは大変有り難いことではあるが、戦争の悲惨さがあまりにも希薄になってしまった。そのため<止む終えない戦争もある>という意識が、時代と共に次第に浮上しつつあることは否めない。しかし、ひとたび戦争が起これば、一体どのようなことが起こるのか。もう私たちはそれを知らない世代だ。だから、それをしっかりと知らなければならない。そして、戦争を避けるためにも国民一人一人が時局に賢くなることが大切だ。決して他人任せ、為政者任せにするのではなく、バランス感覚を持てるように、国民一人一人が自覚し、片寄らずまたセンチメンタルにならずに、聡く学ぶことだ。そして、イエスの説く「許し」に匹敵する、日本の「和の精神」を自国の誇りとして、それをさらに多くの国々に伝えていってはどうだろうか。平和な今だからこそ、それが必要なのではないだろうか。それが戦争を回避するための平時の方策だ。そのためにもまず私たち自身が、自国の精神性である「和の精神」を学び直す必要がある。私たちは、自分たちの精神性が何んであったかを忘れてしまった。「武士道」がもっぱら日本人の精神性として、内外でもてはやされるが、昔は武士よりも、農民が圧倒的多数だった。「武士道」はカッコ良いが、所詮は理屈から出てきた理想論だ。しかし、「和の精神」は人々が自然と向きあった、生身の体験から育んできた思想だ。日本人の精神性は「武士道」ではなく、「和の精神」だ。これこそが世界に誇るべき「強い愛の力をもって大きく和する」という『大和魂』だ。『この国を愛するために「靖国」』たった2時間!これでスッキリ… 読みやすく、理解しやすく、心に響く日本の話…、神道の話…、あの戦争の話…。
2005年11月01日
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