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一年間お世話になりました、「世界遺産とケンチク探訪の旅」いまだ、卒業旅行まで辿り着いていない、遙か昔の旅行記ですが2008年。インド世界遺産の旅を期に引っ越します (・・・もう、メモリー一杯なのです)以下のアドレスで、本年も宜しくお願いします http://plaza.rakuten.co.jp/mfdesign/お友達申請していただいた方々、これからもヨロシクお願いします
2008.01.09

エジプト生活ももうおしまい。激走する車を縫って道路を横断し、いつもの朝ご飯を買いに行くのもすっかり手慣れたかんじで、エジプト人化しておりました だいたい行きたいところは行ってしまったのでちょっち穴場に行ってみようということで、「ナイルダム」に行ってみよう。とナイル下流にあるナイルダムへは、水上バスでシレっと行きます 水面近くの高さから新市街の町並みを眺め、ちょっちはずれでは畑が広がっております「ナイルダム」はちょっとした河川公園になっているが近くに軍事施設があるそうで、銃を構えた軍人さんが警備しております で、どういうわけか、わたしのトコロに寄ってきて、カメラをよこせと言いますお互い拙い英語ですが、要は「施設らしきものを写したかもしれないから没収だ。」とか言いがかりをつけてきます。 ただ、こんなことで一眼レフを持ってかれては堪りませんのでいいかげんブチ切れて、フィルムを抜き出し、軍人さんに叩きつけてバイバイしてきた・・・おかげで写真は残ってません。 まったくもって、イイ感じに和めるところだったのに軍人の言いがかりのおかげで、すっかりケチがついてしまった 腹をたてながら、水上バスでカイロ市内に帰る 市内をブラつき、日本人旅行者の方に会ったら「スーフィー」を見に行くというなんでも民族衣装を着て民族舞踊を無料で見せてくれるという 会場に行ってみると、たくさんの観客で埋まっている日本人も多いが、欧米人もずいぶんいたで、音楽演奏から順次はじまっていくまず、最初は白装束のヒゲのオジサンが出てきて、タンバリンのような太鼓をもって出てきた楽隊のBGMにのって、くるくるまわりながら演奏してくれる宴もノッてきたら、今度はスカートというか色鮮やかな丸い織物を腰につけて登場5~6人の踊り子、とはいえ皆オジサン達ですが、延々とまわるまわるマジで目まわらない?と心配する中、ドンドンのってきた踊り子さんはスカートをはずして、持ち上げてグルグルまわすもう1~2時間ずっと回り続けて、踊り子さんはすっかりトリップしてるんじゃないですか?・・・オジサンですけどでも、これはこれでエジプトの伝統芸能。感服いたしましたすっかりエジプト慣れしていたので、乗り合いバスをつかまえて宿に帰る行き先を連呼する車掌さんを見極めて飛び乗る 居心地よくて、すっかり居座ってしまったエザットさんのペンションメル友になって、記念撮影。 最後に空港に行くときも、taxiといろいろあったが、1ヶ月の放浪の旅終了帰国早々、ハローワークへ出頭。失業者生活のはじまりでした
2008.01.06

エジプト生活も終盤。紅海のダイビングから、夜行バスsuperjetで早朝カイロに戻るふたたびエザットさんのペンション「さくら」に帰った カイロの暮らしもあと2日しかないので、この日はtaxiをつかまえて、サッカラ・ダハシュールに遠征する 通りに出て、つかまえたtaxiドライバーは「adel」というオッさんだった値段交渉もそこそこに「まかしとけっ」つうんで、乗ってしまった サッカラはカイロの南。ナイル川沿いの凸凹道をtaxiは爆走するなぜ、サッカラなのかというと、「そこにピラミッドがあるからだ」なのですサッカラの階段ピラミッドは世界最古のピラミッド。 第3王朝のジェセル王によってサッカラに建設された「はじめてのピラミッド」なのです 建設を担当したジェセル王の重臣イムホテプらによって東側に向けて何度も拡張が繰り返され、最終的には階段上の概観を持つピラミッドとして完成したのである。ピラミッドの地下には深さ28メートルの地下室が設けられており、王の遺体を納める玄室や、玄室を取り巻く多数の部屋、回廊が張り巡らされております 階段ピラミッドは単体ではなく、周辺の付属建造物とあわせてピラミッド複合体(ピラミッド・コンプレックス)を形成していた。 全体を石造で建設する建造物としてはエジプト史上初ともいえるものであり、このピラミッドの建造によってイムホテプは建築家としても名声を博した。 ん~~~。「ピラミッドの秘密」で読んだ、そのまんまだひきつづき、ダハシュールへ突っ走るダハシュールの目的は、スネフェル王のピラミッドを探訪すること。 スネフェルの子供には、エジプトで最大のピラミッドを作ったクフがいる。スネフェルは、実はクフよりも沢山ピラミッドを作っている。彼が最初に手がけたのはメイドゥームにある父フニのもので、階段ピラミッドから初めて真正ピラミッドに作り直させた。 その後、すぐそばに自分のピラミッドも作りさらにダハシュールに屈折ピラミッドと赤いピラミッドを作った。 ダハシュールのピラミッドは、通称「赤のピラミッド」 使われている石が、ギザのピラミッドよりも赤いのだがちょうどよい大きさ。というより、プロポーションのいいピラミッドですね なかに潜入すると、なぜかドライバーのadelもいっしょに付いてくるガイド気取りで、なんだか誘導してくれるが、「ピラミッドのひみつ」で研究つくしているので、ガイドは不要重量軽減の大回廊もしっかり残っている どっちかというと、クフ王のピラミッドより、コッチの方が好きすぐそばに、途中で石積みの角度を変更した「屈折ピラミッド」がみえるなんでも、軍の施設があるので、これ以上近寄れないらしいほかにも、途中から崩壊してしまっている「崩れピラミッド」などここら近辺は、ピラミッド地帯なのである そんなこんなで、ピラミッドを制覇して大満足したワタシはカイロ市内に戻るしかし、タハリール広場に着いて、相場の額で払おうとすると、4倍の値段をドライバーがふっかけてきやがった。 広場でドライバーと大喧嘩、結局、100ポンド投げつけてバイバイしてやった。まぁ、相場的には十分なので、それ以上文句行ってこなかったが最後の最後に腹が立った 気をとりなおして、夕陽スポットに行ってみたカイロ市内のカイロタワー。地元の人のデートスポットのような感じ どうにか夕陽で口直しして、ドライバーとの大喧嘩はリセットしたが まったく、すり寄ってくるエジプト人は、どいつもこいつもウソつきばかり詐欺の心配なくココロ休まるのは、エザットさんのペンションだけかも・・・ エジプト生活もあと一日
2008.01.05

7/12の夕食は、ダイビングショップで手配してもらいベドウィンの村で食べることになりましたてことで、ベドウィンの村に向かいます砂漠はラクダに乗り換えて、笑顔でGo!こいつが私の相棒ですが、なんだか移り気なヤツでふらふらと、木に寄っていっては、葉っぱを囓り始めますなんにせよ、ギザのピラミッドで乗らなかったラクダに、ここで乗れましたてくてくと・・・ラクダは進みます乗り心地も、まぁ悪くないでしょうでもなぁ、歩いた方が早いかも・・・そんなこんなで、ベドウィンの村に到着チビッコ達がお出迎え、おとなたちは土産物の店を開きますわたくしは、めずらしそうな砂漠の水晶石を買っちゃいました端からみてると、まぁるい石っころなんですが割ってみると・・・、なんとゆうことでしょう。水晶がキラキラ。いまや、うちの床の間に鎮座しております。ちっちゃいけどね日も暮れてくると、村人達が周りの岩場にキャンドルを灯してくれましたあたりは真っ暗で、満天の星空の下、精霊流しのように神秘的です そんなこんなで、夕食の用意をしてくれたので広げられた絨毯の上でくつろぎつつ、ベドウィン料理を出してくれましたいつもの中近東系の料理で、豆を煮て、チキンか何か入ってたかな デザートには、スイカも出してくれました食事が一段落すると、こんどは皆、楽器を持ち出してかき鳴らし、唄い、踊り出します。われわれにも誘ってくるんですが、日本人部隊は不慣れなのよ「Disco」なんて歳じゃないしね。それでは、ってことで、チャイとか、アラビックコーヒーを出してくれて水たばこもどうだ。と勧めてきます基本、嫌煙家なので、タバコは当然吸えませんがこれも、なかなかできない体験だしぃ。宿でも、オーナーのエザックが毎日吸ってるのを見てたので おれも吸ってみた。リンゴ味もイチゴ味もあるけど、どうする?と聞かれたのでリンゴ味でお願いした・・・ いやぁ、意外とエグくない。咳き込むこともなかったし、ホントにリンゴ味。たぶん、水の中を煙が通るときに、エグ味が溶け込むのかもしれないがほんとに意外な結果だった。 すっかり夜の闇に包まれた中、迎えの車がやってきたなんだ。クルマで来れるんじゃん。って、ラクダの意味ないじゃん。でも、いい経験でしたShalm el Shakeに戻ると、ほかの日本人部隊の方々と分かれてわたしは長距離バスのターミナルへ。22:00発の夜行バスに乗って、カイロに戻ります乗車後、さくっと寝てしまったので、記憶にございません途中の検問も覚えてない。
2008.01.04

7/12 紅海ダイビング生活、4日目にして最終日。Shalm el Shakeの町は砂漠と蒼い海をバックに白い建物が連なっている朝、YHをチェックアウトして前日と同様、日本人部隊で潜る日本人部隊は、信州からきていた夫婦、大阪のジムのインストそして、ナ~ス3人組で結成された・・・そういえば、福岡の整備士の人もいたはずですが、前日帰国? 日本人ガイドのおねぇさんは、なんつったっけ?・・・わすれちったこの日は、日本人部隊の最終日ということで近場で潜るポイントは「near」(そのままやんかぁ)連日、船の上で世話してくれたエジプト人のスタッフの名前もなんだったか・・・思い出せません。まぁいいか。陽気な人でしたさて、この日もランチ後のインターバルは、素潜りでGo!午後は移動して、ポイント「Garden」で潜る紅海でのダイビングは、これで終了し、ダイブ本数56本日本人部隊は、このあとベドウィンの村へ行くことになり らくだでGo! つづく
2008.01.04

魅惑の紅海ダイビング、3日目。日本人ツアー旅行者が、カイロから空路、Shalm el Shake入りエアコン完備で、1~2時間で到着するらしい。・・・はぁ~、やっぱり日本人はそうあるべきなのか。ま、8時間かけて砂漠をバスで越えてきてエジプト人と同じ体験をするのは、自分的に貴重な体験ですが ほかの日本人のみなさんは、びっくりしてましたで、この日から外人部隊から日本人チームに移籍。やっと、日本語で気兼ねなく会話できる~~~。7/11は、Shalm el Shakeいちおしポイント「RasMuhammad」Tiranとは逆方向に南下する日本人チームのガイドさんは、ダイブサファリから帰還した日本人女性でしたが・・・名前忘れてもうた。話では、オーストラリアでインストしてたけど、RedSeaにきたらしいで、エントリー前日のTiranより透明度は落ちるようですがシナイ半島側のドロップオフのポイントにはいると群れがムレムレ~。すごい迫力ですなかなかない機会でしょうから、群れの中に混じって泳いでみます通常見かけるイワシやタカサゴなんかより、サカナそのものが大きな種類でこちらに気づいたヤツも、一瞥するだけで、気にせず泳いでいますほかは、紅海固有のサカナがでてきますがやっぱり小笠原でみた種とソックリに見えて気になってしょうがない ランチの後、当然インターバルも素潜りでGo!なんと!スキンダイブでナポレオンに出会えてしまった。 マニア垂涎のレア?なヤツが、すぐそこに。こちらが併走して泳いでいても、やっぱ大物です動じず、平然としていました。 そのうちウザくなったのか、追いつけないところまで行ってしまいましたが。午後もじゃんじゃん潜ります詳細はともかく、至福の時でしたね極めつけは、ダイビング中にもナポレオンが出現したのでじっくり併走してきましたこの日は、日本人部隊結成ということでホテルで食事が用意されている方は別としてナァマベイというリゾートが集まっているところでディナー いやはや、朝の送迎に来ていたんですが、リッチなホテルが。・・・・その後、爆弾テロとか起きてましたけど・・・とりあへず、タクシーでYHまで戻りましたが部屋にもどると同室のエジプト人の若者達が誘ってきます「Discoに行こうぜ!」って・・・あなた、わたしの年齢、分かる?きみたち二十歳の若者とは違うのよ。何度も何度も、三顧の礼で誘われましたが、固辞して寝ました Shalm el Shakeのダイビングも最終日。
2008.01.03

紅海ダイビング2日目。このときは、となりのホテルに宿泊している人と合わせて送迎してもらえたこの日は、ガイドのケリーいちおしのTiran島に遠征。Shalm el Shakeでも、RasMuhammadとならぶ有名スポットであるTiran島は珊瑚に囲まれ、一気にドロップオフ。あまりの透明度のために、70m下の海底が見えてますなので・・・気がついたら水深30mまで沈んでた。なんてことが、ちょくちょく2チームに分かれて、ブリーフィング。この日のガイドはキャサリン。金髪の美人ですきのう、バディシステムは崩壊していたので、そのまんまそんなこんなで、笑顔でGo!紅海っぽいサカナたちに逢えますカメもきましたが、撮影失敗キャサリンに遅れないように、ついていきますTiranでは、3本潜りましたがそのインターバル中も、スキンダイブでGo! Tiranは珊瑚で覆われ、座礁した貨物船が錆び朽ちており、さかなたちの住処になっております 光も十二分に差し込んでいるので、撮影日和ですっごい楽しい。時間を忘れて、ひとりの世界に浸りこんでいますいやはや、ブッたまげましたすぐそこに海底がみえているのに、どこまでも落ちていく。透明な空間あとにもさきにも、これっきり?名残惜しみつつも、港にもどるのですが道中、結構時間があったので、イルカも出没したり、楽しゅうございましたこの日の晩飯は、shopでBBQを開催してくれたので、ひとり御飯は免れましたケリーとかキャサリンとかもいたんだけど、写真のデータがない・・・ なぜ、どうして・・・日本人スタッフの話では、この日、日本人チームが、カイロから空路やってきたらしいので3日目からは、日本人ガイドの日本人チームに移籍となる外人部隊も卒業です
2008.01.03

北から南まで、エジプトの古代遺跡をめぐり、ケニヤに飛びましたケニア・タンザニアのサファリで野生動物にふれ、キリマンジャロに登頂した後ふたたびエジプトに戻ったところであります メモリの都合上、ケニア・タンザニアの旅の模様は「世界遺産と建築探訪の旅Part2」で公開していこうと思いますので以前からこちらにアップしていたエジプトの写真を先に公開していきますで、世界的に有名なダイビングスポットである紅海Shalm el Shakeでダイビングをしてきた。 あまりにキレイなので、世界遺産とばかり思っていたが、じつはまだ登録されていなかった。・・・まぁ、いいか まず、7/8カイロの長距離バスターミナルから昼、「Shalm el Shake」行きのバスに乗り込む カイロから、ひたすら東へシナイ半島を南下。「Shalm el Shake」はその先端にあたる砂漠の中でも軍事拠点が多いらしく、幾度となく停車し兵士にパスポートチェックを受ける 以前から、イスラエルと緊張状態ですけどねもともとシナイ半島はイスラエルからぶんどったモンだし そんなこんなで「Shalm el Shake」のターミナルに到着したのは夜9時どいつもこいつも怪しそうなヤツばかりなので宿泊先のユースホステルまで歩いた。 チェックインし、4人相部屋をあたえられたのでシャワーを浴びたら、とっとと寝てしまった 翌日早々、ダイビングサービスに電話したらその日から潜れるので、ともかくshopに来い。というひとりぼっちなので送迎バスは来ないので、また歩いたshopには日本人スタッフがいたのでレンタルの機材を頼んで、外人部隊に混ざって潜ることとなった '01年7/9 ポイント「Temple」外人部隊のガイドはケリー(?だったっけ?)わたしは同行メンバーのアラブ人とバディを組むことになったが・・・わたしがリーフまわりのマクロな写真を撮っているとみんな好き勝手に四方八方へ わたしは師匠の影響かマクロもOKなのですが外人さん達は、大物にしか興味ないみたい紅海は、おそろしく透明度の高い海で底まで丸見え 海底あたりに蠢いていたサメを見つけて大騒ぎしていたが足下にいる小さな魚には目もくれない。・・・・大味である。しかし、砂漠を越えてきた甲斐あって、むちゃくちゃキレイだ川もないので、土砂が流れ込むこともないし、雨も降らない ハレオトコ天国である英語のブリーフィングは半分ぐらいしか分からないが 未だかつてない透明度の海で、感動の嵐。ランチ休憩の間も、ジッとしていられず素潜りしまくりである まだまだ始まったばかり、つづく
2008.01.03

エジプト生活、10日目。じつは、この日の深夜発のケニヤエアでナイロビに飛ぶ予定で日中は、世界遺産でもあるイスラミックカイロの方へ行ってみる「スルタン・ハッサンのモスク」マムルーク朝の芸術が炸裂している。モスクに学校が併設されているがそこらへんは特別なことなのだろうか、通常あるような気もするが・・・55mのドームの下にはスルタン・ハッサンの霊廟があった「ハッサン」という名前。イスラム社会ではよく聞く名前。偉人の名をつけることが多いのか、日本でいうところの「太郎」「次郎」程度なのだろうか「ムハンマド・アリ・モスク」19世紀の建物であるが、ムハンマド・アリはエジプト・トルコ戦争で外圧に抵抗しエジプトの近代化をすすめたそうだが、あまり馴染みがないただ、このモスクは巨大なドームが素晴らしく。天高く聳えるミナレットが美しい イスラム地区は、ファーティマ朝のカリフが住む宮殿と、イスマーイール派の学術センターとして建設されたアズハル・モスクを中心に1km四方の方形の城壁を備えた新都として建設された。 以来、カイロはファーティマ朝200年の首都となるが、紅海と地中海をつなぐ中継貿易の拠点としての経済機能を担っていた そんな旧市街をブラブラ。暑いけど、路地の陰に入り込めば、意外と心地よい旧市街のモスクも、宗派ごとに様式が異なるのか、バリエーションが感じられた表面に施された文様や彫刻は、さすがにイスラム社会のモノは精緻で驚愕に値する 迷路のように伸びるスークでは、スパイシーな香りが漂う中屋根の隙間から降り注ぐエジプトの日差しがくっきりと浮かび上がりその中にひしめくお店をブラブラ見て回り、地元の人とのやりとりも面白い そんなこんなで、夕方ペンションに戻り、エザットさんに別れを告げて空港へ油断ならない深夜の空港、諸手続を済ませ搭乗口へまさかこんな深夜0時に飛行機で飛び立つとは想像していなかったが、無事離陸 早朝、ナイロビに到着予定なので、ともかく寝たが2~3時間後、なんだか騒々しい。目ボケ眼で聞いていると・・・「Cartoon。Cartoon。」と通路を叫びながら、オッさんのCAが行き交う ???カートゥーン???ってどうゆうこった?とは思いつつも、そのまま寝ちゃうんですがどうやら途中でスーダンに降りて、客の入れ替わりがあったようだった・・・なんだ。「ハルツーム」って叫んでいたのね。まぁいいけど そんなこんなで、ふたたび飛び立った飛行機は無事、ナイロビに到着して一安心 ナイロビ空港で飛行機を降りたとき、清々しい日の出を眺めながらケニヤの土を踏みしめた。意外と涼しく過ごしやすそうだ ここからケニヤ・タンザニアのサファリ生活がはじまりますがこちらの写真は「世界遺産とケンチク探訪の旅。Part2」で順次公開予定http://plaza.rakuten.co.jp/mfdesign/ こちらにアップしてあるエジプト生活の写真はまだ若干あるのでこちらのブログで公開していこうと思います。「世界遺産とケンチク探訪の旅。Part2」の方も、よろしくお願いします。
2008.01.02

エジプト生活、9日目。あさ御飯は、また近所のホムス屋さんのサンドイッチで済ましてまずは、ケニアエアの代理店に行って、ナイロビ行きのticketを購入日本で買う航空券と比べると、べらぼうに安い そんでもって、地下鉄に乗ってOldCairoに行った郊外にあるOldCairo地区は、イスラム地区と比較されるがたしか原始キリスト教のコプト教が栄えていた地区である コプト教の教会はバシリカでもなく、ビザンチン様式でもなく素朴で落ち着いた雰囲気。マッタリするにはいいですね 石を積んだ組石造の壁に屋根は木造で軽やかにキリスト教らしく、説教台に向かって長椅子が並んでいる町自体がノンビリとしてて、平和だなぁ・・・と実感 その後、昼には暑くてたまらんので、プールに行くことにした地下鉄に乗って、さらに郊外へ郊外ではメトロは、地下鉄じゃなく地上を走る。その終点で降りた 意外ときれいなプールじゃないですかホントに真上から容赦なく照りつけるエジプトの太陽もプールの中なら心地よい結構、若者が多く集まっているが、やはりムスリム。男だらけだ プールにたどり着くまでに、水中眼鏡をさがして放浪したりそもそも昼すぎから思い立って動いたので、ちょっち泳いだ程度で閉店時間となった ヘルワーンの町をぶらつき、市場を徘徊してペンションに戻ったケニヤに飛ぶ日が決まったので、それまでカイロ市内を順次ブラつく予定時間はたっぷりあった
2008.01.01
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