のんびり・ゆっくりダイエット

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2017/12/25
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カテゴリ: 世界遺産





荷物を預け・・

猿沢の池を散策










猿沢の池は・・

興福寺が行う「放生会」の放生池として

天平21年(749年)に造られた人工池です


放生会とは

万物の生命をいつくしみ

捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式のこと












猿沢の池の七不思議


澄まず
濁らず
出ず
入らず
蛙はわかず
藻は生えず
魚が七分に水三分



猿沢池の水は

決して澄むことなくまたひどく濁ることもない

水が流入する川はなくまた流出する川もないのに

常に一定の水量を保っている

亀はたくさんいるが・なぜか蛙はいない・藻も生えない

毎年多くの魚が放たれているので増える一方であるにもかかわらず

魚であふれる様子がない

水より魚の方が多くてもおかしくないような池













猿沢の池の九重石塔と絹掛の柳碑(采女が衣を掛けた)


猿沢池の西北の隅に鳥居を背にした珍しい後ろ向きの神社があります

これが采女神社で

奈良時代に帝に仕えていた采女(後宮で帝の給仕をする女官の職名)が

帝のご寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池の池畔の柳に衣を掛け

入水したので・その霊を慰めるために社を建てた

しかし

采女は我が身を投じた池を見るにしのびないと

一夜のうちに社を後ろ向きにした

と伝えられています











お天気が気になります・・

ちょっと・・

パラパラとふってきた・・











興福寺へ向かいます

右がよしだやさん・・

この階段を上がるとすぐです










五重塔

高さは50メートル

県内一の高さを誇る塔です

藤原不比等の娘であった光明皇后が

天平2(730)年に創建したあと

焼失などで5度にわたって再建され

現在の姿は室町時代・応永(33)年の建築

軒下は太い木が複雑に組み合わされていて

技術の高さがう伺われます

全国の古塔のうち

京都にある東寺の五重の塔に次いで2番めに高い塔です


豆知識

明治時代初期・・

廃仏毀釈の影響で僧侶は

春日神社の神職にさせられ興福寺は廃寺同然に・・

その時期

五重塔はわずか25円で売りに出され買主があらわれたそうです

購入理由は薪にして転売し

利益をあげるのが目的だったと

しかし

解体費などから採算が取れないことがわかり

この買主は撤退

売却することができなかったと・・

当時この寺が存続の危機に立たされたことは確かなようですが

寺のウェブサイトによると

塔の売却については「あくまでも伝承の域を出ない」とあります

実際のところはどうだったのか分かりませんが

今日のように文化財保護という観点が未だ確立していなかった頃

貴重な建築物や彫刻工芸品の数々を守った人々の努力には

本当に頭の下がる思いです












東金堂(とうこんどう)

神亀3(726)年創建

現在の建物は応永22(1415)年に再建されたものですが

正面に丸柱が並び

奈良時代の様式をよく伝えています

堂内には国宝の仏像を多く安置しています

往時は

中金堂・西金堂・東金堂とあり

中金堂は現在修復中・・











南円堂

弘仁4(813)年の創建で

現在の建物は寛政元(1789)年に創建されたものです

西国三十三箇所観音霊場の第9番札所でもあります

中には国宝の不空羂索観音菩薩坐像と四天王立像が

安置されています











国宝館

2017年は耐震工事のため休館

通常非公開の仮講堂にて阿修羅像〈国宝〉をはじめ八部衆立像〈国宝〉など

国宝館の主要な国宝が公開されていましたが

秋:2017年9月15日(金)~11月19日(日)まで・・

それも承知で観光・・











阿修羅様を拝観することはできませんでしたが

仏頭を拝観することができました・・

685年に蘇我倉山田石川麻呂37回忌供養のために造立された本尊の頭部です

1187年に東金堂本尊薬師如来像として迎えられましたが

1411年に堂とともに被災

幸い残った頭部が1415年に再興された現東金堂本尊台座の中に納められ

1937年(昭和12)の東金堂解体修理時に発見されました













発見後

仏頭は帝国奈良博物館(現奈良国立博物館)にしばらく寄託されていましたが

国宝館が1959年に竣工したのを機に収蔵安置されました

国宝館の耐震にかかわる建物の大規模改修工事のため

一年間休館することになり

その間・東金堂へ還座・・

その後・・

車で向かったのは











新薬師寺

南門から入ると

入母屋造の本堂(奈良時代、国宝)

なだらかな曲線のお屋根と大きな白壁が

堂々とした天平建築を表しています

当初は本堂ではなく修行を行うためのお堂だったようです

本堂の西側から入ります







画像はパンフレットから




国宝に指定されている本堂の中には

同じく国宝に指定されている薬師如来像・十二神将が安置されています



ここでお勉強


仏の世界は大きく4つのグループに分かれています

「如来」「菩薩」「明王」「天」

「如来」は修行を終えて悟りを開いた仏さま

修行中の仏さまは「菩薩」

如来の分身として悪を砕く「明王」

仏の教えの守護神が「天」

薬師如来は文字通り「如来」に属し

十二神将は「天」に属します・四天王たちと同じ

四天王は東西南北の四隅に位置して如来や菩薩をまもっていますが

十二神将は干支と結びついて

もっと細やかな配置で薬師如来をまもる役割を担いました

苦行中の薬師如来を妨害する悪魔との闘いに挑んだ十二神将は

12の方角に分かれ・それぞれが7千の兵を率いて

総勢8万4千の大軍団を組織したのです

そして悪魔を追い払った後も

薬師如来に二度と悪魔を近づけないために

絶えず防衛に務め

12年周期の1年交代で総大将を決め

万全の体制で護衛を続けているのです












まだ紅葉がのこっていて綺麗でした・・

観光客も少なくて

凛とした空気感が

とても清々しい気持にさせてくれました・・


続く

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Last updated  2017/12/25 11:19:07 AM
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