旬 0
全70件 (70件中 1-50件目)
16時33分層雲峡双瀑台着・・広い駐車場があります・・駐車場から山道の遊歩道を20分ほど上がった高台にある展望台から2本の滝を同時に見られます・・右が「流星の滝」左が「銀河の滝」です・・遊歩道とはいってもきちんと整備がされていなくて足元には倒木が切って縁においてあっただけだったし・・階段の手摺も木が腐っていたり階段そのものも雨で土が流されたままの状態でした・・もう少し整備をしないと安全面でどうかなと思いました・・団体さんはそこには登らずに駐車場のしたにあるところから観光していましたそれがこれ流星の滝・・銀河の滝・・ここからだと足元の心配もなく観光できますね・・私もクマさんも2本の滝を一緒に見たかったので頑張って登りました・・双瀑台を17時10分に出発今夜のホテルにむかいますここからホテルまで6分・・とっても近いです・・朝陽リゾートホテル17時16分着・・お部屋はツインです・・温泉もとっても広くて綺麗でした・・疲れた足の疲れもすっかり取れました・・お肌もすべすべ・・夕食はバイキング・・飲み放題がついていますが私もクマさんもあまり飲めないタイプ生ビールを一杯飲んだだけ・・ちょっと勿体ない気がしなくもないですね・・北海道ラーメンが食べたかったのですがお出汁が黒い?(*゜・゜)ンッ?お味は食べたかった北海道ラーメンとは違いました・・小さなフライパンに入っているのはステーキです・・眼の前でやいてくれます・・柔らかくて美味しかったです・・正直言って去年函館に行ったときのバイキングよりイマイチでした・・が・・山の中だし・・まぁそんなもんなのかな・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆夜はつかれて爆睡・・オヤスミ (*~¬~*)/。・:*:・゜★,。・:*:・゜☆歩いた歩数 8687歩 約5.5kmFC2・・はこちらから
2024/09/24
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11時過ぎに宗谷岬を出発してしばらく車を走らせて・・そろそろお昼時になったのでどこか食べるところがないかと探していると日本最北端の村「猿払村」の道の駅発見・・大きなレストランがあったのでホッとして中に( ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄; アリャ?団体客さんの予約が入っていて利用できません・・中にあったお土産コーナーにお弁当があるかなとみたけどない!!外に出てみると小さなお店が猿払村ってホタテが有名らしい・・で買ったのかホタテの炊き込みご飯で作ったおにぎり・・仕方ないのでそれを買って・・外にあったベンチに腰掛けて食べました・・確かに美味しかった・・でもでも物足りません・・しばらく走ったら道の駅が見えてきて・・ピンネシリ・・中に入るとなんということでしょう・・食堂がない!∑(=゚ω゚=;) マジ!?Σ(='□'=)ウッソー!?唯一売っていたコロッケも売り切れ・・(_△_;ガァーーーン!!お店の方に聞くとこのあたりはお昼を閉めるのが早いからもうどこもないかもと・・このあたりはお蕎麦が有名だからあるかも知れませんの一言に期待を・・まだ13時だったんだけど・・しばらく車を走らせていたら13時30分・・お蕎麦屋さん発見・・おといねっぷ道の駅・・生蕎麦ありますの看板に飛び込むと・・もうお湯を落としてしまったから終わりました・・(_△_;ガァーーーン!!更に車を走らせること15分なんでもいいやと飛び込んだのがお食事処 咲来(さっくる)6.4割蕎麦の大盛りとマグロとホタテの丼とお蕎麦のセット・・14時前にやっとお昼にありつけました・・ここのオーナーは京都で修行した人だそうです羊羹もオーナーの手作りだそうです甘みが程よくて美味しかったです・・地元のお蕎麦を使った6・4割蕎麦はこだわりみたいでしたが美味しかったかというと微妙・・蕎麦の風味が薄かった・・丼もいまいち・・それでもお腹は満たされましたので良しとしましょう・・北海道の牧場では牧草を刈っていました・・ずっとこんな風景です・・雄大な自然を楽しみながら層雲峡へ向かって走ります・・続く・・FC2・・はこちらから
2024/09/21
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徒歩で上に登っていくと先程までいた宗谷最北端の地が見えますね・・宮沢賢治文学碑1923年(大正12年)8月宮沢賢治が稚内港から連絡船にのり大泊に至る際に作詩した詩が記されています・・宗谷要塞重砲連隊宗谷会の人達が僚友の霊に対する深い哀悼と平和の祈りを込めて建立し1986年(昭和61年)10月12日に除幕式が行われました・・宗谷海域海軍戦没者慰霊碑1980年(昭和55年)9月樺太を含む宗谷海域の防衛中に亡くなった海軍軍人の鎮魂のために建てられました・・平和の碑宗谷沖で日本海軍によって撃沈されたアメリカ海軍潜水艦「フワー号」の乗組員80名とフワー号によって沈められた日本商船5隻の犠牲者690名を慰霊するため1995年(平成7年)9月に日米合同で建立されました・・日米合同で慰霊碑を建立するのは日本では初めてのことだそうです・・旧海軍望楼ロシアとの国交が悪化し始めた1902年(明治35年)に旧帝国海軍が建設・・1904年(明治37年)日露戦争が勃発するとすぐに海軍無線電信所が設置されロシア艦隊の海峡通過を監視し1929年(昭和4年)まで機能を果たしました・・稚内では明治年代の建築物で唯一現存するもので市の有形文化財に指定されています・・あけぼの像北海道の牛乳生産量100万トン突破と飼育乳牛50万頭突破を記念し1971年(昭和46年)7月に建立されました・・“天北酪農の夜明け”を象徴しています・・ラ・ペルーズの碑1785年(天明5年)の江戸幕府による蝦夷地調査の2年後である1787年(天明7年)世界一周をしているフランス人のラ・ペルーズが宗谷海峡を発見しています・・これによりそれまで地続きとされていた蝦夷本島と樺太が海によって隔てられていることがはっきりしました・・ラ・ペルーズが初めて宗谷海峡を通過してから220年目の2007年(平成19年)10月27日海峡を見下ろす宗谷岬の高台に記念碑が建立されました・・子育て平和の鐘世界平和の鐘の隣に1988年(昭和63年)に建立されました・・稚内市は家庭・地域・国、・の平和を願うとともに未来の平和な国際社会にはばたく子供達の健やかな成長を願って1986年(昭和61年)に子育て平和都市を宣言しています・・世界平和の鐘ニューヨークの国連本部の前庭に世界の恒久平和を願うシンボル“世界平和の鐘”があります・・この鐘と同じものを世界中に設置しその思想を広めようとする運動がありこの運動により設置された第1号が宗谷岬の“世界平和の鐘”で1988年(昭和63年)6月18日に除幕されました・・祈りの塔1985年(昭和60年)9月1日大韓航空機事件での遭難者の慰霊と世界平和を願い建立されました・・塔は鶴が羽を広げ天空に首を持ち上げる姿をしていて事件の真相と真の平和を鶴の様に首を長くしてねがいを求める様子を表しており19.83mある塔の高さは事故発生の1983年を16枚の羽は遭難者の16か国の母国を269枚の総張石は遭難者269名を表しています・・またくちばしの方向は事故海域のある方角を向いていて角度は事故海域の緯度と同じ46度30分に傾けられています・・左端に赤白の宗谷岬灯台宗谷岬の高台に紅白の鮮やかな宗谷岬灯台があます・・道内では3番目に建てられ1885年(明治18年)9月25に点灯されました・・灯台の光は約32㎞先まで達するそうです・・祈りの塔の裏側にエゾシカがのんびりと座っていました・・平和で長閑な雰囲気が伝わりましたら嬉しいです・・今夜のホテルは層雲峡です・・ここから5時間ちょっとかかるので11時過ぎに出発しました・・続く・・FC2・・はこちらから
2024/09/15
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宗谷岬公園宗谷岬公園は観光資源として注目され始めた1966年(昭和41年)市によって開設されました・・開設当時は「宗谷岬灯台」「海軍望楼」「石柱に刻んだ最北端の地の碑」と数件の売店しかいない小規模な公園でしたが観光客の増加とともに様々なモニュメントの建立や駐車場の整備海岸線の整備等が施され現在の姿となっています・・日本最北端の地の碑北緯45度31分22秒・宗谷岬の突端に位置しています・・1961年(昭和36年)には石柱が立っているだけでしたが1968年(昭和43年)7月10日に現在の形に建て替えられ1988年(昭和63年)には20m沖合に移設工事が行われました・・その際に緯度が1秒高くなったことはあまり知られていません・・北国のシンボル北極星の一稜を象った三角錐のデザインで中央にあるNの文字は“北”を台座の円形は“平和と協調”を表しています・・間宮林蔵の立像1808年(文化5年)に樺太に渡り間宮海峡を発見した林蔵の生誕200年にあたる1980年(昭和55年)7月に彼の偉業を顕彰し次代を担う青少年に世界にはばたく夢と勇気を培ってもらおうと建立されました・・「宗谷岬」音楽碑様々な歌手にレコード化されNHKの「みんなの歌」でも全国に紹介された郷土の歌「宗谷岬」の音楽の碑が「日本最北端の地の碑」にほど近い場所に建てられています・・スイッチを押すとメロディーが流れますよ・・ここで日本最北端到着証明書を発行してくれます・・これがその日本最北端到着証明書です・・200円だったかな・・宗谷(稚内)の始まり江戸時代以前はアイヌの人たちが北海道(蝦夷地)に住んでいましたが本州の人達(和人)が移り住み始めたのは江戸時代(1685年、貞享2年)に松前藩が現在の宗谷に藩主の直轄領地として宗谷場所を開設したのが始まりと言われています・・また1869年(明治2年)7月8日新政府は蝦夷地に開拓使を設置し8月15日には蝦夷地を北海道と改称しました・・その後 開拓使宗谷出張所が置かれましたが余りにも広大な北海道を管理するのは難しく全道レベルの行政機関やその出先機関さらに町村レベルの行政機構の改廃もめまぐるしく続くことになります・・1878年(明治11年)9月8日宗谷郡において稚内・声問・抜海・宗谷・泊内・猿払の6か村が成立し1879年(明治12年)7月1日宗谷村に宗谷・枝幸・利尻・礼文4群を管轄する宗谷外三郡役所の設置が決まり同時に宗谷外五村戸長役場を発足させました・・これが稚内市の始まりとされています・・1897年(明治30年)11月2日には宗谷外三郡役所を廃止し北海道宗谷支庁が設置されました・・その後 もともとは宗谷村の一部だった現在の市街地地区が稚内村として分村され稚内村が発展し市となった後1955年(昭和30年)に宗谷村を合併し、今に至っています・・更に道路を渡った先の坂を登っていくと・・長くなりますので次に・・続くFC2・・はこちらから
2024/09/05
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ノシャップっ岬を8時40分に出発ここから約1時間の宗谷丘陵へ向かいます・・9時37分宗谷丘陵着なだらかな丘陵地帯が一面に広がる「宗谷丘陵」・・氷河期の地盤の凍結と融解の繰り返しによって土がゆっくりと動くことでつくられた「周氷河地形」と呼ばれる地形で稜線が丸みを帯びたその美しい景観は北海道遺産にも指定されています・・広々とした丘の斜面には日本最大級のウインドファームがあり真っ白い57基の大風車が並ぶ姿は印象的です・・稚内地方では土が凍っては融け融けては凍るという現象を繰り返しているうち傾斜地で流土(りゅうど)現象が起き斜面の上の土がえぐり取られ下の谷にそれが積み重なって尾根と斜面がなだらかになり小さい谷が作られました・・ これは今から2万~1万年前に起こった地球最後の氷河期「ウルム氷河期」に形成されました・・ このような「周氷河地形」は北海道のいたる所で形成されたといいますが開発などで景観は失われ今もなお美しい地形がしっかりと見ることができるのは「宗谷丘陵」といえます・・ 明治の中頃までは丘陵全域にわたりうっそうとした森林が生い茂っておりましたが相次ぐ山火事のため今では一面宗谷岬牧場による牧草地とササに覆われております・・ そして生まれた「まるで日本ではないかのような景観」を楽しむことができる宗谷丘陵は平成16年(2004)北海道遺産に指定されました・・宗谷丘陵の中にある「白い道」は稚内フットパスである「宗谷丘陵フットパスコース(全長約11㎞)」のゴール側(宗谷地区側)約3㎞にわたり稚内の名産である“ホタテ”の貝殻を砕いて敷き詰めてできた道となっています・・平成23年(2011)にはじめて敷き詰めて以来青い空と海・緑の草花と白い道のコントラストが素晴らしくまるで日本ではないかのような景観が話題となっています・・道がとても狭くて所々に退避できる場所があるのですが写真スポットとして駐車している車が多くなかなか車を止めることができませんでした・・ここいいなという待避所にはすでに車が止まっていてしばらく待っていたのですがなかなか移動してくれませんしかも霞んでいたのでこれという写真も撮れずで・・壁|〃´△`)-3ハゥー続くFC2・・はこちらから
2024/09/01
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稚内公園を8時20分出発・・ノシャップ岬8時31分着ノシャップ岬ノシャップ岬は稚内市にある岬です・・ノシャップとはアイヌ語で「岬が顎のように突き出たところ」「波の砕ける場所」の二つの意味があると伝えられています・・ノッシャムに由来し(諸説あるようです)「野寒布」と漢字で表記されることもあります・・根室市にある本土最東端の納沙布岬(のさっぷみさき)とは読み方が微妙に異なります・・画像をお借りしました天気が良いと利尻富士や夕日がよく見えるらしいですが・・お天気は良かったのですが霞がかかっていて利尻富士は見えませんでした・・お天気が良ければこんなふうに見えたようです・・岬の突端は広場(恵山泊漁港公園)になっていてイルカのモニュメントが設けられています・・広場の隣には「稚内灯台」があります・・全国で2番目に高い灯台で国境をなす宗谷海峡を照らし見守っています・・灯台の隣には「ノシャップ寒流水族館」と「稚内市青少年科学館」があります・・水族館では北の寒い海に棲む生き物を鑑賞することができます・・フェリーの中から赤と白の灯台が見えたのですがそれが稚内灯台だとはわかりませんでした・・ここに来てわかり・・アッ!!稚内灯台だったんだって思いました・・思わず苦笑いしちゃいました・・o(*^▽^*)oあはっ♪続く・・FC2・・はこちらから
2024/08/30
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2024年7月3日(水) 晴れ昨日は爆睡でした・・朝はいつもより少し遅く6時ごろに目が覚めました・・身支度を整えて朝食へ・・ありゃちょっとボケちゃってますが・・ご飯のお供ばかり持ってきて・・デザートにはヨーグルトにカフェラテを・・ホテルを8時に出発してホテルから目の前の稚内北防波堤ドームに・・設計者は北海道大学を卒業して3年目北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してきた当時26歳であった土谷実氏です・・北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたときここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で昭和6年(1931)から昭和11年(1936)にかけ建設された防波堤です・・樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています・・半世紀を経て老朽化が著しかったため昭和53年(1978)から3年間全面的に改修工事が行われ昭和55年(1980)にその独特の景観がよみがえり高さ13.6m・柱の内側から壁までが8m・総延長427m・・柱の総数70本・半アーチ式の構造形式です・・平成13年(2001)に北海道遺産に指定されています・・写真撮影だけだったので5分ほどで出発稚内公園へ稚内公園は稚内市街西側の丘陵地に広がり街並みを一望できる47平方mの広大な公園です・・氷雪の門日本領だった南樺太(現サハリン島)には終戦当時 約42万人の日本人が生活していましたがソ連軍の突然の進撃により人々はすべてを捨て祖国へと逃げ帰ることとなりました・・この碑は帰らぬ樺太への望郷の念と樺太でなくなった人たちの慰霊のため1963(昭和38)年に建てられたものです・・高さ8mの門・黒大理石の台座・2.4mの女性像からなり女性が手のひらを見せ天を仰ぐ姿は全てを失った悲しみを表し人々の天への祈り・哀訴・そしてたくましい再生への誓いを表現しています・・お天気がいい日には像の背景に広がる宗谷海峡の向こうにかつて人々が生活していた樺太が見えます・樺太犬供養塔白い南極の大陸で命を落とした15頭の「犬ぞり隊」の霊を慰めるための慰霊碑・・稚内公園の犬ぞり訓練所跡地に昭和36年(1961)10月に建立され毎年8月上旬にこの慰霊碑の前で「慰霊祭」を行っています・・望郷の樺太の碑望郷の樺太は樺太(現サハリン)からの引揚者等で作る全国樺太連盟により2019年7月稚内公園に建立されました・・・終戦まで日本が当地した樺太には戦後建立された日本人の慰霊碑が23基存在しています・・九人の乙女の碑この碑は終戦後樺太の真岡(現ホルムスク)郵便局で通信業務を死守しようとした9人の女性音(>_
2024/08/27
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仙法志御崎公園を15時21分出発して15時30分オタトマリ沼到着・・オタトマリ沼利尻島の中で最も大きく開放的な雰囲気の湖沼です・・周囲には日本最北限のアカエゾマツ原生林があり奥には利尻山もそびえるビュースポッㇳです・・周囲1.5㎞ほどの沼を一周する遊歩道もあるので原生林を散策したり植物や野鳥を観察したりと自然をたっぷり味わえます・・沼を囲むように広がる沼浦湿原はエゾイソツツジなどの湿性植物や高山植物の群生地として有名です・・私達は観光時間が短くて遊歩道を散策する時間はありませんでした・・お天気が良くて暑いくらい・・ソフトクリームを美味しそうに食べてる方も多かったです・・私達はお醤油バターの焼けるいい匂いに誘われておじさんがホタテを丁寧に焼いています・・私達も食べることに香ばしく焼けた醤油バターの香りがホタテを一段と引き立ててます・・アスパラも新鮮でサクサクと美味しかったぁ・・これで1皿800円でした・・白い恋人のパッケージの画像ってスイスの山みたいでしょう・・私もそう思っていまいした・・ところが石屋製菓の当時の社長が利尻島を訪れた際利尻山のシルエットがスイスの山並みのように美しくそれに感動・・こんな山が北海道にあることを多くの人に知ってほしいし「白い恋人」をヨーロッパで愛されているお菓子のようにしたいとの願いを込めてパッケージに採用したそうです・・ 画像はお借りしましたそう!!利尻富士なんです・・私達は観光バスに乗ったので自由時間が30分だけ白い恋人の丘まで行けませんでした・・その白い恋人の丘からみた利尻富士なんです!白い恋人 36枚入 缶入価格:3,456円(税込、送料別) (2024/8/20時点) 楽天で購入 勿論・・白い恋人もおみやげとして買ってきました・・お土産として外せませんね・・o(*^▽^*)o~♪FC2・・はこちらから
2024/08/20
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14時18分利尻町立博物館着・・利尻町の豊かな自然や歴史海と共に暮らしてきた人々の生活や文化を垣間見ることができる町立の博物館です・・ここでは歴史的な展示品や利尻島の形成に関するトリビアトドなどの動物の剥製なども展示されています・・川崎船・・明治から昭和まで主に冬のタラ漁などに使用された木造人力船が川崎船でした・・博物館のエントランスには実物の3分の2ほどの模型が設置されています・・厳しくも豊かな最北の海にこぎだす島の漁師の心意気がその表情から伝わってきます・・またニシン番屋を復元したコーナーではリアルな「やん衆(漁をする人)」の人形が展示されていて当時の会話を再現して聞くこともできます・・箱メガネ・・枠船(わくぶね)ニシン漁に使われていた枠船の一艘は現在・利尻町立博物館の屋外に展示されています・・展示解説には、「枠船」は鰊の建網漁で使用された船の一つであり「起こし船」と対で使われるものでした・・鰊が建網に入ると起こし船に乗った漁夫らによって網が起こされていき枠船の船底にまわされた袋状の大きな網に鰊が流し込まれていきます・・網が一杯になるとそれら大量の鰊を岸近くまで枠船ごとに運搬するために起こし船よりも大きく頑丈にできていたそうです・・*起こし船は鰊の入った定置網を起こす船で30人近い漁夫が乗り込んでいました・・枠船は船底に鰊を溜め置く網を持つ船です・・小さな博物館でしたがなかなか見ごたえのある博物館でした・・続く・・FC2・・はこちらから
2024/08/13
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礼文島の香深から利尻の沓形(くつがた)まではフェリーで40分・13時30分着予定通りです・・あっという間につきました利尻島も観光バスをネット予約しています・・すぐにバスを見つけて乗り込みます・・観光バスは予定より5分遅れの13時45出発・・神居海岸パークへむかいます・・バスガイドさんから残念なお知らせがありますと・・みなさんが一番楽しみにしていたウニの殻剥き体験がウニ漁ができないためできなくなりました・・と・・マヂデェ━(゚Д゚;)━!?バス内のあちこちからため息が聞こえてきました・一番最初に目に飛び込んだ神居海岸パークトイレ・・クマさんがウニの殻を拾って・・(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪本来ならとれたてのウニを食べてるはずだったのになぁ・・ウニ漁は少しの波があっても小さな船だから漁に出れないそうです・・利尻昆布をモリモリ食べて育つ利尻産のウニとり体験!岸に括りつけた船に乗り「箱メガネ」で海底をのぞき込み「タモ」を使い地元漁師さんと同じ方法でウニとりをします・・採ったウニはウニ割り専用の道具を使い割って剥きましょう専門スタッフが失敗しない方法を伝授綺麗に剥けたらその場で食べれます神居の美しい海岸で海を見ながら本当のウニの味を堪能してくださいこういうことだったんですよねぇ・・半月くらい漁に出れていなくて猟師さんも頭を抱えていると言ってました・・箱メガネというのは画像の黒い筒型のものをいいます・・ちょっと凹んだところがあるでしょうあの部分を口で咥えて両手を使って漁をするそうです・・だから歯の悪い方が多いそうです・・私達が帰ったあとの7月6日に北海道利尻島の海岸でウニ漁をしていた1人乗り漁船4隻が転覆し男性1人が船から落ちて死亡・・転覆事故があったのは北海道北部の利尻富士町にある沼浦展望台から沖に約20メートルの海岸付近・・稚内海上保安部によりますと7月6日午前7時40分ごろ「漁船が転覆して搬送者がいる」と漁船の関係者から警察に通報がありました・・当時、1人乗り漁船4隻がウニ漁をしていて波によって相次いで転覆し4人が海に投げ出されました・・漁船同士の衝突はありません・・この事故で4人のうち1人の男性(88)が搬送先の病院で死亡が確認されました・・ほかの男性3人は意識があり命に別条がありません・・当時・天候は曇りで北の風1.7メートル・波の高さが1.5メートルありました・・ずっと漁ができなかったとガイドさんがいってました・・漁師さんには死活問題だと・・行けると思って行ったのでしょうね・・危険と背中合わせの仕事・・亡くなられた方の御冥福をお祈りしたいと思います・・FC2・・はこちらから
2024/08/08
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北のカナリアパークを11時27分に出発・・香深フェリーターミナル11時32分着・・皆さん時間厳守だったので予定より早く戻れました・・バスを降りてすぐにお土産物屋さんを覗いて糠ボッケを買いました・・ホテルに入ると冷蔵庫に保存してそのまま持って帰ると良いと言われました・・初日だったのでまだ3日持ち歩きますと言ったのですが問題ないと・・・自宅に帰り・・翌日腹開きして骨を取って皮を向いて身にしました・・そのまま食べてみるとしょっぱくなくいい塩梅の味で美味しかったです・・すべての糠ボッケを身にして冷凍して保存しています・・利尻島に向かう船はアマポーラ・・アマポーラは普段なら有料の2等椅子席が無料開放されています・・行きはアマポーラじゃなかったので畳の部屋でした・・礼文の香深12時50分発・利尻の沓形(くつがた)13時30分着のフェリーに乗ります・・時間があったので北のカナリアパークに行かれなかった方とお話をしていました・・お昼ご飯を食べるために降りたそうです・・特上ずしが3300円・・ウニは入ってなかったそうです・・漁に出れてないのでウニがないのですね・・フェリーから見た利尻富士深田久弥の『日本百名山』に最初に登場するのが日本最北端の利尻山!別名利尻富士とも呼ばれ昭和49年(1974)に利尻礼文(れぶん)サロベツ国立公園に指定されました・・アイヌ語でリイシリは「高い島山」を意味します・・古くから高くそびえるその美しい姿は航海や漁場の目印とされました・・人々はその山に航海の安全を祈り豊漁を祈願しました・・山は海からも信仰されあがめられたのですね・・明治23年(1890)ごろ修験者・天野磯次郎が鴛泊(おしどまり)から利尻山頂上まで登山道を開削したと伝えられています・・無料の2等椅子席で朝セイコーマートで買ってきたおにぎりを頬張って・・たらこ・塩サバ・明太子マヨ・鮭の4個のおにぎり・・クマさんは塩サバとたらこ・・私は明太子マヨと鮭・・おにぎりの塩加減も最高で具材もたっぷりはいっててとっても美味しかったです・・お腹が空いていたので食べちゃって画像は取り忘れました・・人( ̄ω ̄;) スマヌ続く・・FC2・・はこちらから
2024/08/07
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桃台猫台を出発して香深フェリーターミナルへ・・フェリーターミナルで降りる方がたくさんいました・・私達はそのまま「北のカナリアパーク」へむかいます・・11時40分「北のカナリアパーク」着・・「北のカナリアパーク」とは2012年11月に公開された映画「北のカナリアたち」を記念した施設です・・北のカナリアパークには映画ロケのために建てられた校舎ロケセットがあり校舎内にはロケ時の写真や衣装などを展示しています・・眼の前に利尻富士の絶景!!出来上がった分校を見た監督が自分がイメージしている場所と違うということで10数センチ・右だったか左だったかに建て直させたそうです・・ここまでこだわるんですねぇ~~!!もともとここは墓地だったのですが監督がとても気に入って地元の協力を得てお墓の場所を移動して作られた分校です・・真ん中の左の人の姿が真っ黒でしょう・・歌が終わると吉永小百合さんの画像が浮き出てきます・・湊かなえの小説を原案に主演・吉永小百合・監督・阪本順治という豪華組み合わせで描くヒューマンドラマ・・かつての教え子が起こした事件をきっかけに20年ぶりに北海道の離島を訪れた元小学校教師の女性が生徒たちと再会し心に閉じ込めていた思いを打ち明けあう・・生徒の20年後の姿を森山未來・満島ひかりらが演じています・・北海道の離島の小学校教師となったはるは6人の生徒たちと出会う・・彼らの歌の才能に気付いた彼女は合唱を通して生徒たちと心を近付け彼らの歌声は島の人々の心も優しく包んでいく・・だがある日悲しい事件が起こりはるは追われるように島を離れる・・そして20年後かつての生徒の1人が事件を起こしはるは再び島を訪れる・・あらすじはこちらで読めます・・このあと香深フェリーターミナルへと戻ります・・続くFC2・・はこちらから
2024/08/04
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スコトン岬10時30分出発新桃岩トンネル礼文島のフェリーターミナルがある東岸の香深の集落から西岸の元地・桃岩へはかつては狭い山越えの道を通らなければならなかったのですがこのトンネルができたおかげで負担が大きく緩和されました・・長さは1489mでほぼ直線・・11時07分・・桃台・猫台着・・駐車場から階段を登っていくと眼の前に日本海が広がっています・・展望台・・「桃台猫台展望台」から見える奇岩が3つあります・・展望台から見える桃岩ユースホステルの赤い屋根がいいアクセントになっています・・海も透明度が素晴らしい・・1つ目の猫岩猫には見えないという人もいそうです・・猫がこちらに背を向けて日本海を見ている形です・・猫だけにかなり猫背になっている感じ・・2つ目の桃岩この岩が桃に見える要因は一番の上の突起部分でしょうか・・大きな岩場はたくさんありますが見え方のちょっとした角度でなじみの果物に見えるのが面白いです・・3つ目の地蔵岩3つの奇岩の中でこれが遠すぎて一番わかりにくいですね・・こちらがアップした画像です・・お地蔵さんの形ではなく手が合わさって拝んでいるから地蔵岩と呼ばれているらしいです・・続くFC2・・はこちらから
2024/08/01
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澄海岬9時52分発スコトン岬にむかいます・・スコトン岬10時04分着・・晴れた日にはサハリンの島影も遠望出来る礼文島の最北端です・・約1km先の無人島のトド島を望みアザラシの姿を見かけることもあるそうです・・かつてはトド島に人が住んでいたことも・・スコトン岬のスコトンとは大きな谷のある岬という意味のアイヌ語だそうです・・あざらし・・探してみたけどいなかった・・のか・・みつけられなかったのか・・最北限のトイレ「スコトン岬」スコトン岬は風景を楽しんでくださると有り難いです・・ガイドさんからの説明もほとんどなく・・とにかくお天気に恵まれて海・空・の美しいこと・・私の拙い画像で表現しきれないのが残念です・・続く・・FC2・・はこちらから
2024/07/30
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同じバスが4~5台止まっていました・・最初に見たのが団体様のバスだったので場所が違ったと思いウロウロして探していましたその4~5台の中にあったんです・・やっと見つけた・・ε-(´∀`*)ホッ1台目は満席で2台目に乗ることに・・2台目も満席!バスが発車したのは8時55分車窓から見えたのが金環日蝕記念碑金環日蝕記念碑は北海道の北端稚内市の西に浮かぶ島の1つである礼文島の東岸にある記念碑です・・この記念碑は1948年5月9日にこの島でたった1秒だけ金環日食が見られたことを記念して作られたものです・・この時の日食は皆既日食に極めて近いもので月の谷間からリング状に光が漏れてベイリービーズが観察された極めて美しいものであり1954年8月にこの観測の中心地であった現在の場所に日本とアメリカの政府が共同して出資した歴史を持ち当時の日米友好の様子を偲ぶことができます・・防風柵防風柵の続く風景は礼文島でもすっかりおなじみに・・島内における柵の総延長は8000mにも及ぶそうです・・カラマツやトドマツの間伐材を有効活用し新しい森を守り育てています・・駐車場から急な階段を上がると・・ぐるっと弧を描くような入り江に静かな波が打ち寄せる岬を眼下に一望できます・・澄海岬(すかいみさき)北海道の北部・日本海上に浮かぶ礼文島(れぶんとう)の礼文郡礼文町に位置する「澄海(すかい)岬」・・礼文島の西北にある澄海岬は1989年頃・香深港にフェリーターミナルが竣工した時町民により命名されたそうです・・礼文島の中でも一番海がきれいに見える場所としても有名で澄海(スカイ)岬という名前の通り海の色が空の色のようにきれいに見えます・・今回のガイドさん・・とってもユーモアのある楽しい方でした・・昨日までは真っ白で何もみえなかったそうです・・今日はすごくいいお天気で最高だそうです・・ウニ漁は午前8時までナマコ漁は1日中できるそうです・・ウニ漁は少しでも波が高いとできないそうでもう数日漁にでていないそうです・・ということでウニはないと言ってました・・ウニ大好きの私はがっかり・・展望台にて(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪展望台から・・海底の砂地がくっきりと目で確認できるほど透明な海水は光の差し込む角度によって微妙に色が変化し綺麗という表現だけでは表せません・・最初の画像と色合いが違って見えるでしょう・・なにか魚が干してあります糠ほっけだそうです新鮮なほっけに糠をこすりつけて干して作るんだそうです・・皮を向いて生で食べれるそうですとっても美味しいからフェリー乗り場の前のお土産物屋さんでぜひ買ってみてとガイドさんが・・登ってきた道を降りてバスのところに戻ります・・・続く・・FC2・・はこちらから
2024/07/28
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2024年7月2日(火)晴れ昨日の雨風が嘘のようにいいお天気になりました・・稚内の夜明けは3時49分カーテンをしっかり閉めて寝ないと眠れません・・4時半に目が覚めまずカーテンを開けると眼の前が真っ白で目クラクラ!!何もみえません・・目が慣れてくると目の前に太陽がギラギラと照りつけてました・・部屋の窓から稚内港北防波堤ドームがめの前に見えます・・今日は稚内6時30分の礼文島行きの朝一番のフェリーで移動します・・朝食は5時からご飯のお供ばかり持ってきて朝からたくさん食べました・・礼文島では観光バスを予約しています・・お昼を食べるところがないしコンビニもフェリー乗り場から遠いらしい・・稚内のセイコーマートでおにぎりを買ってくるのがいいと聞きました・・ホテルから車で1分のセイコーマート中央店では熱々の握りたてお握りが売っているそうです・・残り少なかった中から大きなおにぎりたらこ・塩サバ・明太子マヨ・・鮭の4個のおにぎりとお茶を購入して車で1分のフェリーターミナルへ・・荷物もないし徒歩で行こうと思ったのですがホテルのフロントで歩くと15分はかかるので車の移動のほうがいいですといわれたのです・フェリー乗り場は結構な人・・チケットを購入して並びました・・稚内~礼文~知床~稚内・・一人7420円二人で14840円・・2等席なので畳の部屋になります・・上に上がるとデッキの椅子が空いていたのでクマさんを呼びに行き移動・・風が気持ちいいし風景が綺麗・・利尻富士が見えました・・クマさんもいい顔しています・・本当にいいお天気になってよかったぁ・・定刻とおり8時25分・・礼文の香深(かふか)に到着・・ネット予約しておいた観光バスを探します・・すでに支払いも済んでいるのでスマホの画面をみせるだけ・・観光バスの発車時刻は8時40分・・フェリー乗り場前には同じバスが数台止まっていてどれかわからなくて探しました・・観光は8時40分~12時30分までの約3時間50分香深フェリーターミナル~スカイ岬~桃台猫台~香深フェリーターミナル(ここで降りる方もいます)~北のカナリアパーク~香深フェリーターミナル・・続く・・FC2・・はこちらからこちらは私が使っている洗顔石鹸です・・洗い上がりがしっとりしててとっても気持ちいいんです・・クレンジングのあと使っています・・anela アネラ マナソープ(泡立てネット付き) 100g価格:1,728円(税込、送料無料) (2024/7/26時点) 楽天で購入
2024/07/26
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2024年7月1日(月)曇り今年も結婚記念日の記念に北海道へ行ってきました・・今年は礼文島・利尻島を一番の目的にしました・・まだまだマイレージが残っているのでマイレージを使ってスカイマークでの飛行です・・6時前に自宅を出て神戸空港まで車で・・7時43分神戸空港着・・雲行きが怪しくなってきたのですが雨に当たらずにすみましたスカイマーク173便 神戸9時15分ー新千歳11時05分飛行機は10分遅れ飛ぶ前に雨が降ってきました・・少し揺れましたが上空に上がると安定して・・ε-(´∀`*)ホッ新千歳空港には時間通り11時05分着・・それからレンタカー会社に連絡してお迎えに来てもらいました・・今回のレンタカーは初めてのスズキのXBBE(クロスビー)まだ3ヶ月の新車でした・・思いの外加速も良くて運転し易いとクマサンが言ってました・・さてこれから稚内のホテルに向かって372キロの移動です・・ナビを入れていざo(゜▽゜ヽ)(/゜▽゜)o レッツゴー♪北海道はでっかいどう・・ついついスピードが出てしまいますお腹が空いたのでSA輪厚(ワッツ)へ寄りました・・あらま・・団体さんが入ってていっぱい・・しかもラーメンメイン・・仕方がないのでコンビニでお握りとパンを・・残っていたおにぎりは鮭と筋しかなかったので鮭にメロンパンとアンフライ・・椅子に腰掛けて食べました・・車は右下の天井が白でグレーのスズキ・クロスビー・・13時12分出発・・道央自動車道を通って風景がキレイなオロロンラインを通るコースですオロロンラインを楽しみにしていたのに14時ころにはなんと雲行きが怪しくなってきて・・本降りの雨に・・すごい量の雨と強風で車が時々強風に煽られ横揺れを起こして怖かった・・道の駅「おびら鰊番屋」には重要文化財の旧花田家番があるのに恨めしく横目で眺めながら通り過ぎました・・海沿いには「にしん街道」と書かれた道の駅ロマン街道しょさんべつ・・沿岸から利尻富士も見えるそうで楽しみにしてたのに・・☆=>=>=>(+_+。) ガーン16時25分雨が小ぶりになったので休憩することに道の駅 えんべつ富士見なんと百均の店までありました・・ここでソフトクリームを食べて一休み・・16時40分出発ガソリンの補給・・18時15分今夜のホテルサフィールホテル稚内着・・明日の朝一番のフェリーで礼文島へ渡るのでフェリー乗り場に近いホテルを選びました・・このホテルに2泊します・・夕食はバイキング・・まずはビールで(^ー^)お疲れ様でしたぁ~♪翌日は4時半起きなのでその夜は早めにベッドに・・歩いた歩数 5362歩 3.4km続く・・FC2・・はこちらから
2024/07/23
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7月1日から5日まで遊びに行ってました・・結婚記念日にあわせて新婚旅行で行った北海道・・今回は独身時代から行きたかったところです・・日本最北端の地・・先に城崎温泉の続きをアップしてから北海道をアップしたいと思います・・帰宅すると庭はボロボロで忙しい毎日でした・・まだまだ整理ができませんのでお時間をくださいね・・ぺこ FC2・・はこちらからクマさんのイビキがおさまった枕です無呼吸症候群でつけていたシーパップも外したけど普通に息をして穏やかに眠っています・・今まであんなにイビキとシーパップがはずれたときのシューシューという空気の漏れる音からも開放されました・・【向きで高さ調整可】枕 肩こり 低反発枕 まくら 安眠枕 枕カバー付き 快眠枕 ストレートネック 枕 頚椎 まくら 整体枕 健康枕 頚椎安定 呼吸が楽 熟睡 通気性抜群 カバー洗える ピロー MyeFoam 枕 1年品質保証付き価格:3,980円(税込、送料無料) (2024/6/8時点) 楽天で購入
2024/07/09
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支笏湖で遊覧船に乗ろうと思ったのですがあいにく波が荒いということで運行していませんでした・・ちょっと苔回廊を見てみたい気持ちもあったのですが苔回廊に行くには時間が足りません・・お腹もいっぱいになったしちょっと早いけど空港へ戻ることにレンタカーを返す前にガソリンを満タンにしてレシートを見せないといけないのですが千歳って何故かガソリンスタンドが少ない・・やっと見つけて満タンにし返却・・送迎バスで新千歳空港まで送ってもらいました・・空港はかなり混んでて人で溢れかえっていますコーヒーでも飲んで一休みしたいと思ったのですがお土産物屋さんばかりでレストランや喫茶がない・・壁|〃´△`)-3ハゥー仕方がないのでお土産物屋さんをうろうろ・・白い恋人じゃがポックル荷物を預けてさっさと何に入り・・椅子に腰掛けてゆっくり待つことに・・スカイマーク 176便 新千歳17時45分発 神戸19時45分着チェックインは座席も予約済みでバーコードをかざすだけ・・満席でした・・予定通り神戸着車で1時間半かけて自宅へ・・9時40分すぎに無事帰宅・・歩いた歩数 12523歩 8.4km終わり・・じゃがポックル 送料無料 【10袋入り】【楽天1位】 北海道銘菓 カルビー ポテトファーム 北海道みやげ 北海道土産 銘菓 スナック 焼き菓子 ギフト 人気 10袋 【メール便につき外箱無し 箱付きは送料別途購入】価格:1,250円(税込、送料無料) (2023/9/29時点) 楽天で購入 白い恋人 送料無料 ホワイト 9枚入 北海道 お土産 石屋製菓 Ishiya ラングドシャ クッキー ギフト 個包装 チョコ 北海道 贈り物 プレゼント お返し お祝い お年賀 ホワイトデー お彼岸 母の日 お中元 敬老の日 バレンタイン価格:2,000円(税込、送料無料) (2023/9/29時点) 楽天で購入 FC2・・はこちらから
2023/09/29
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2023年7月13日(木) 曇朝いつものように6時前起床・・最初にお天気の確認・・曇・・雨が降ってないから良かった・・7時すぎに朝食へ・・学生が多いので簡単に取ってきて済ませました・・8時20分チェックアウト・・ロビーには小学生がたくさん・・玄関前には大型バスが3~4台・・クマさんに車を取ってきてもらい支笏湖へ・・ホテルから車で約1時間の移動です・・9時40分・・支笏湖到着・・今回の旅で一番行きたいけど行くかどうか一番迷ったところがありますそこを確認するためにビジターセンターへ・・苔の洞門ここにどうしても行きたかったのですが苔の洞門は、平成13年に岩盤の一部が崩落し、内部に入ることができなくなったため、入り口付近に観覧台を設置して一般開放しました。しかし、平成26年の大雨災害によりその観覧台が崩落し、閉鎖をすることとなりました。その後、復旧に向けて調査・検討を行ってきましたが、継続的に落石等が確認されている状況などから、安全面を考慮し開放を断念、崩落した観覧台の撤去、石狩森林管理署へ借用している土地の返地を行うことが決定しました。今後、数年かけて人工物の撤去を行い、元の自然に戻す作業を行いますということで今は立ち入ることが出来ませんところが色々調べていると苔の回廊というのがあるのがわかったんです・・苔の回廊ここは誰も管理していないところでPもありません近くのキャンプ場に車を止めて20分ほど歩き川にかかった橋まできますそこから更に徒歩20分で苔の回廊に行けます・・が・・熊の生息地でもあり管理もしていないので足元には倒木があったりする場所だそうです・・当然行くことはいいのですが自己責任ということになりますだからビジターセンターで確認したかったのです・・話を聞いていると私の足元を見てそれで行くのですか?スニーカー履いていたのですが倒木もあるし足元はかなり悪いですからということでした・・熊の生息地でもあるので出会い頭に合わないとも限らないと前日にかなりの雨が降っていたので私達なら今日は絶対に入りません・・がけ崩れの心配もあります・・そう言われクマさんと相談して諦めることにしました・・記念にここでこんなの買っちゃいました熊鈴・・鈴によって音が違うそうで色々鳴らしてみて一番気に入った音のを購入しました・・苔の洞門に行けなかったときのことを考えて代替え案の樽前山へ行くことに・・その前に支笏湖を散策・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/09/12
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大湯沼から登別に戻ります・・細くて曲がりくねった山道を下っていくだけなのに~(・・?))(((;・・)?来るときにはこんなところ通ってない・・仕方がないのでそのまま下っていくと登別温泉に向かうときに通った道路に出てきました・・(/≧◇≦\)アチャー!!どこで間違ったんだろう?????同じ道を通り再び登別地獄谷まで・・P料金は大湯沼と共通になっています地獄谷についたのは17時35分・・車を止めて地獄谷一帯を20分ほどでめぐる遊歩道が整備されていて駐車場近くの登別パークサービスセンターからまわることができます・・硫黄の臭いが・・地獄谷は直径約450m・面積約11ha(甲子園球場2.8個分)の広さの爆裂火口群・・温泉や噴気の吹き出し口がたくさんありなおかつ高温で直接足を踏み入れるのが非常に困難なところです・・その様子がまるで地獄のようだということで「地獄谷」という名前がついたそうです地獄谷の入口から鉄泉池へと続く遊歩道が毎日夜間にライトでほのかに灯される「鬼火の路」・・なんか凄いよね・・遊歩道をどんどん進んでいくと鉄泉池・・遊歩道の終点は地獄谷のほぼ中・・ここには「鉄泉池(てっせんいけ)」とよばれる間欠泉があります・・煮えたぎる湯がどんどん湧いていてものすごい迫力です・・多くの人が時がたつのも忘れてじっと見入っていました・・そろそろホテルに向かいます・・18時10分・・ホテルまほろば・・その日は小学校の修学旅行生が3~4校来ていてバイキングの食事が混んでて席には案内してもらったのですが落ち着いて食べる雰囲気ではなく画像は撮っていません・・お風呂は9時すぎに行きました・・お風呂がすごくて地下一階と2階に繰り広げられる4種の温泉を31のお湯をめぐりながら楽しめます・・4種の温泉硫黄泉効能・・慢性皮膚病・慢性婦人病・切り傷・糖尿病など・・食塩泉効能・・神経症・筋肉痛・打ち身・婦人病など・・単純硫黄泉効能・・神経痛・関節痛・慢性婦人病・貧血など・・酸性鉄泉効能・・慢性皮膚病・リュウマチ・神経痛・慢性消化器病など・・登別温泉最大級の大浴場三十一の湯巡り行くときにエレベーターで一緒だった女性と何故か意気投合になってしまい・・たくさんあるお風呂を楽しむというより温めの露天風呂にゆっくりつかってお喋りを楽しみました・・部屋に戻るとクマさんはすでにベッドで爆睡・・時計を見ると12時過ぎ・・3時間近く入ってたんだって自分でもびっくり!お喋りが楽しくてあっという間に時間が経ってたのね・・o(*^▽^*)oあはっ♪歩いた歩数・・12980歩 約8.7km続く・・FC2・・はこちらから
2023/09/10
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洞爺湖サイロ展望台を15時15分出発登別まで来るまで約1時間の移動・・登別まで来ると雨はすっかり上がっていました・・登別温泉を過ぎて更に上に登りまずは大湯沼へ大湯沼地獄谷から歩いて20分・・大湯沼は日和山が噴火した時の爆裂火口跡で地獄谷の北側にあります・・周囲約1km・深さ22mのひょうたん型をしていてこのような大規模な湯の沼は世界的にも類がなく学術的にも貴重なものとされているそうです・・表面の温度は約40度から50度で灰黒色をしていますが沼の底では約130度の硫黄泉が噴出しています・・大沼池の付近には硫黄の香りが立ちこめておりぐつぐつと湯気が立ち上る様子はまるで地獄の釜・・大湯沼から徒歩約5分ほど歩くと左手に「大湯沼川の足湯」の看板が見えてきますここから下に降りていきます・・階段を下って行きます・・階段を下っていると(本当に足湯があるのか?)と思えるぐらいへんぴなところにあります・・湯気立つ川が見えてきたら川沿いにずっと歩道を進んで行きます・・川から湯気がたっていてこれが全て温泉だと思うと本当にすごい・・大湯沼川はひょうたん型の大湯沼からあふれ出た酸性度の高い湯が流れている川です・・途中で「大正地獄」から流れ出たお湯が合流しています・・足湯の温度は42度くらい川の水と混ざることでいい感じの温度になっています・・結構な観光客で座るところがなかったのでお湯の温度だけ手でさわってみました川沿には原生林が生い茂り川床には酸性湯に生える緑のこけが木もれ日に映えて趣き深い景観を形成しています・・上から見た大湯沼・・鹿が温泉のところに降りて飲んでいました・・大湯沼まで戻ってきて奥の湯へ・・トイレを借りようと思ったら鍵がかかってしまっていました・・時計を見ると5時すぎ・・Pの管理をしている従業員の方たちが5時で締めてしまったようです・・ここから地獄谷へ戻ります・・続くFC2・・はこちらから
2023/09/06
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大沼公園を1時間ほど散策して10時すぎにはつぎの目的地の洞爺湖まで車で約2時間の移動です・・高速を順調に走っているとクマ出没の立て看板が見えてきてその先にはパトカーが止まり警察官に高速を降りるよう指示されました・・下道をとおって高速の乗れる入り口まで進みました・・高速道路にクマが出てきてウロウロしているなんて北海道ってスゴィッ(*゚д゚ノノ高速を一定区間降ろされたので予定より1時間余分にかかり13時過ぎ洞爺湖ビジターセンター着・・外は本降りの雨・・もう観光どころではありません・・ビジターセンターで洞爺湖の撮影スポットを聞いて写真を撮りに向かいました・・こんな写真しか撮れませんでした・・この後有珠山ロープウエイに行ってみることに・・ここでちょっと遅い昼食・・メニューの種類がありまりありません・・食券を買って席で待ちます・・クマさんはかき揚げ丼・・私は中華丼・・シェアして食べました・・どちらもお味は普通・・昭和新山駐車場のすぐ横にドンとそびえ立つ標高398mの昭和新山・・1944年の噴火は突然のように畑の中で隆起が始まり・・1年ほどかけて地上171mまで成長し溶岩ドームを形成しました・・表面が赤く見えるのは(曇っていてはっきりしませんね)粘土質の土壌がマグマの熱で焼かれ天然レンガのようになったためだそうです・・世界的にも貴重な火山で国の特別天然記念物に指定され立入禁止なので登ることはできないそうです・・有珠山は20世紀に4回噴火をした活火山です・・大型96人乗りのゴンドラ「有珠山ロープウェイ」で約6分間の空中散歩を楽しみながら山頂駅まで気軽に登ることができるのですが・・上に上がってもほとんど何も見えない状態だったので上がりませんでした・・この後洞爺湖を見下ろせる絶景ポイントへ・・サイロ展望台雨は小降りになったものの・・お天気だったら最高の風景が広がっていたんでしょうね・・ちょっとお土産物屋さんを覗いて見ると・・わかさいも・・いもとは銘打っていますがいもは使っていないそうです・・大福豆を使った白あんだそうです・・気になったのでお買い上げ・・大福豆を使った白あんの中に海藻の繊維が入っています・・北海道ではさつまいもが収穫出来ないのでさつまいものかわりにこの大福豆を使ったそうです・・甘さ控えめで美味しかったですよ・・o(*^▽^*)o~♪わかさいも 北海道 お土産 【4個入×2袋セット】【送料無料】 メール便 北海道 和菓子 おやつ お土産 手土産 贈り物 プレゼント お茶請け バレンタイン価格:1,520円(税込、送料無料) (2023/9/1時点) 楽天で購入 FC2・・はこちらから
2023/09/01
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2023年7月12日(水) 雨いつものように6時前には目が覚めて・・すぐにカーテンを開けてお天気の確認・・雨だぁ・・・朝食もバイキング・・ご飯を少し入れて海鮮丼に・・今日も朝から沢山いただきました・・今日の予定は大沼公園・・外は雨・・一応行ってみようと言うことに・・ホテルを8時30分に出発・・車で約45分の大沼公園に・・途中雨は降ったりやんだり小ぶりになったり・・大沼公園についたのは9時10分・・雨は小降りです・・30分くらいで回れそうな森の小径コースを歩くことに・・お天気がよかったら自転車で一周したかったのですが・・大沼公園は寛永17年(1640)に駒ケ岳の噴火でできた湖に126の小島が浮かぶ国定公園です・・ラムサール湿地条約に登録されています・・もとは函館開港に伴う外国人の保養地として開発され・・今は道南最大級のリゾート地として賑わっています・・大沼と小沼に浮かぶ小島には橋が渡され島をめぐりながら散策できます・・高校生が野外活動に来ていました「虚子の径」碑俳人 高浜虚子が大沼を訪れた際に一人俳句を作りながら逍遥した径だそうです・・「駒ヶ嶽 聳えてここに 沼の春」虚子「島々の 若葉の色の 皆違ふ」慧月昭和14年5月23日・・当時・日本銀行函館支店に在勤の虚子五女晴子に前年12月長男が誕生し・・虚子はこの孫に面会の為夫人同伴で函館に来ていました・・虚子は大沼で俳句を作ろうと思い立ち糸夫人と娘達・阿部慧月らと共に大沼へ立ち寄りました・・当時この地にあった旅館「湖月」の2階にて句会が行われそのときに虚子は俳句を作りながらこの地を歩いたと・・ゆっくり写真を撮りながら歩いたので40分くらいかかりました・・この後・・ホテルでおすすめだった大沼団子を買いに・・沼の家1905年(明治38年)創業の「元祖 大沼だんご」初代堀口亀吉氏が陸蒸気(おかじょうき)に乗って大沼にやってくる観光客向けに新粉の団子を作って販売したのがはじまりだそうです・・以来変わらぬ製法と伝統の味を守り続けています・・「大沼だんご」は折で大沼湖・小沼湖を表現し・・団子を串に刺さないのは湖面の浮島に見立てているからだそうです・・胡麻折は製造数が少量のため「沼の家」でのみの販売となっています・・胡麻ダレと餡と両方買いました・・深みのある胡麻ダレ・さっぱりした餡・コクのある醤油・・柔らかくて舌触りの良い食感で美味しかったぁ・・お土産にと思ったのですが残念ながら賞味期限が当日のみだそうでお土産用は諦めました・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/08/23
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五稜郭を観光後向かったのはトラピスチヌ修道院「天使の聖母トラピスチヌ修道院(通称・天使園)」は1898年(明治31年)フランスから派遣された8人の修道女によって創立された日本最初の女子観想修道院です・・上湯の川の高台に位置し美しいレンガ造りの建物と敷地内の凛とした空気感が素晴らしかったです・・大天使聖ミカエル像門を入って最初に出迎えるのがフランスから送られた大天使聖ミカエルの像です・・日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルは1549年(天文18年)に鹿児島に上陸・・薩摩藩主である島津公に宣教の許可を得たのがちょうど9月29日聖ミカエルの祝日にあたっていたのでザビエルは聖ミカエルを日本の保護者 と定めてその助けを求めつつ宣教を始めたのです・・ 慈しみの聖母マリアレンガ造りの聖堂を正面に見ながら進むと・・純白の聖母マリアの彫像が優しく待ち受けます・・フランスにあるラ・トラップ修道院のマリー・ベルナルド神父の作品で両腕をゆったりと広げすべての人を優しく迎え入れる姿から「慈しみの聖母マリア」と呼ばれ親しまれているそうです・・ ルルド南フランスにあるルルドの洞窟を模して作られ「ルルドの聖母」として広く知られています・・これと同じものが修道院の奥深くにある林の中にもあるそうです・・1858年に聖母マリアが18回にわたってルルドの近くにあるマッサビエルの岩窟で14歳の田舎娘ベルナデッタ・スビルーに現れベルナデッタが聖母マリアのお告げに従って掘り当てた泉がさまざまな病気の治癒をもたらしたという言い伝えに基づくものです・・聖母マリアを見上げてひざまずいているのが少女ベルナデッタです・・泉の水によって心身の病を癒されるという奇跡から信心が広まり多くの教会や修道院にはこのようなルルドが造られているそうです・・司祭館 聖堂正面左手の建物は1913年(大正2年)に建てられた司祭館です・・修道女の信仰生活を指導するために男子のトラピスト修道院や司教の任命によって司祭方が派遣されています・・司祭館の右側の丸みを帯びた壁のところがこの修道院の中心であり修道女の生活にとっても中心的な場所である聖堂・・この聖堂で毎日ミサと7回の共同体の祈りが捧げられています・・屋根の上にある小さな塔は鐘楼でミサや共同体の祈りの始めにまた仕事の終わりの時刻などに大小2つの鐘が鳴らされます・・聖母マリアの右手には資料館と売店があります・・資料館には修道院の歴史や修道女の日常生活について伝える資料を展示・・売店では修道女の祈りと労働の実りを分かち合うために設置され手作りのお菓子や手工芸品などが販売されています・・「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」函館山と中心市街地を挟んで対面する高台にひっそりとたたずんでいます・・発足当時は1893(明治26)年にパリ外国宣教会のアンドレ・ベルリオーズ司教が70ヘクタールの土地を購入して建てた旧孤児院を使用していました・・ 1903(明治36)年一夜の大嵐で木造の修道院は崩壊しその2年後にレンガ造り2階建ての本館正面棟の一部が完成しました・・1913(大正2)年までに竣工した本館正面棟と聖堂は1925(大正14)年に発生した火災で焼失・・教皇ピオ11世からの義援金や各修道院からの寄付金で1927(昭和2)年に再建されたものが現存しています・・煉瓦の外壁・半円アーチの窓などゴシックとロマネスクの混在するデザインが印象的です・・修道女らは祈り・労働・聖なる読書を日課の3本柱に共同生活を送っています・・祈りは3時半の起床から19時45分の就寝までに7回・・生計を立てる収益事業として製造するマダレナケーキやクッキーは修道院を訪れた際の土産物として人気です・・1956(昭和31)年から製造販売されここの売店でしか購入できないケーキが「マダレナ」です・・原料は卵・バター・小麦粉・砂糖の4種類のみで・・口に入れた時は少しかためでサクッとした食感ですが噛むほどにバターの味がしっかり広がります・・かつては鶏を育てとれたての鶏卵を使用していたそうですが現在は安心安全で自然な状態で届けられる函館市内のかたから購入されているそうです・・ マダレナの名前の由来は裏側のシェル(貝)の模様が涙のあとに似ていることから聖マダレナ(マグダラのマリア)にちなんでつけられたそうです・・1つずつ透明なフィルムで包装されてケーキの中央部分が少し盛り上がっています・・包装の模様がその部分を優しく囲んでいるのがルルドの洞窟のマリアのようにも思えます・・本降りの雨の中の観光でしたが観光客も少なく凛とした空気感をしっかり感じることが出来ました・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/08/12
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星型城郭「五稜郭跡」は国の特別史跡に指定されています・・函館の代表的な観光スポット・特別史跡 五稜郭跡・・江戸幕府の役所として幕末に造られた星形の西洋式城郭で現在は自然豊かな憩いの場として親しまれています・・ 五稜郭が築造されたのは1864(元治元)年で2014年に築造150年となりました・・また・・ 映画「燃えよ剣」・大河ドラマ「青天を衝け」・・コミック「ゴールデンカムイ」などの舞台としても注目が高まっています・・堀に囲まれた星形が美しい函館・五稜郭・・元は江戸幕府の役所の施設として築造されましたが戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争において榎本武揚や土方歳三を含む旧幕府勢力の拠点となったことで広く知られています・・半月堡(はんげつほ)半月堡は西洋式土塁に特徴的な三角形状の出塁で馬出塁友いいます・・郭内への出入り口を防御するために設置されています・・当初の設計では各稜堡間の5箇所に配置する予定でしたが工事規模の縮小などから実際には正面の1箇所だけに造られました・・北側中央部の土坂が開口部となっているほかは刎ね出しのある石垣で囲まれています・・刎ね出し・武者返し・忍び返しともよばれ上から2段めの石が迫り出して積まれているため外部からの侵入を防ぐ構造になっています・・雨が本降りになってきました・・函館奉行所へ向かいます・・土塁・石垣・・門番所跡五稜郭を築城した武田斐三郎(あやさぶろう)の顕彰碑斐三郎の顔がてかてかと光っています・・いつしか英才・斐三郎の顔をなでると頭がよくなるとの言い伝えが修学旅行生にひろがったそうでみなさんがなでるのでピカピカに・・外国人に五里四方の遊歩を許したため函館山のふもとにある箱館奉行所が山の上から丸見え・・港にちかく外国の軍艦からの砲撃も容易なことに奉行は危機感をもち奉行所の移転を幕閣にあおいだそうです・・そこで艦砲射撃の砲弾がとどかぬ港から4キロほどのところに西洋式の土塁・濠で防禦する五稜郭の築城が認められました・・箱館奉行からその設計と工事を命じられた斐三郎は蘭訳の築城書一冊だけをたよりに箱館在留の仏人にも意見をもとめ独力で設計築城にはげんだそうです・・のちに五稜郭は英国などの列強諸国との交戦はなく内戦の戊辰戦争でその最後の舞台となった歴史の皮肉があります・・箱館奉行所江戸時代末期に現在の元町公園から五稜郭に新築移転・・箱館戦争を経て解体されました・・2010(平成22)年に部分復元が終了し内部が一般公開されている歴史的復元建造物です・・五稜郭は開港を控えた幕府が北方防備のために築造を計画・・1857(安政4)年からじつに7年がかりで完成しました・・星形の土塁と堀に守られて中央に建てられたのが箱館奉行所(箱館御役所)・・4年ほど役所として使われたのち箱館戦争で旧幕府軍の拠点となり戦争終結後1871(明治4)年に解体されました・・瓦や装飾なども古写真から忠実に再現されています・・雨が酷くなってきたので内部見学をして雨を凌ぐことに空井戸かなとおもっていたこれ・・雨水を貯めるものだそうです・・トイレ・・何故かついつい気になるんです・・4間からなる72畳の大広間・・天井の角にあいた穴・・行灯の煙を出すためのものだそうです・・玄関前のコケラ葺き屋根のスギ・玄関のケヤキ・柱の青森ヒバ・・天井板や板戸の秋田スギ・屋根裏の梁には東北地方のマツ・・さらには大広間の備後表の本畳などできるだけ江戸時代と同一の産地・材料にこだわった復元を実施・・屋根瓦は建設当時のまだらな色相を再現するために越前産の赤系4色が用いられています・・五稜郭タワーが目の前・・この橋を渡って右に半月堡(はんげつほ)左には貸しボート・・そこにはクマさん天使になっちゃったぁ・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆続く・・FC2・・はこちらから
2023/08/07
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やきとり弁当を買って五稜郭へ・・雨は本降りになってきました・・タワーの目の前のPに車を止めて・・五稜郭タワー五稜郭公園に隣接して建ち展望フロアから五稜郭跡の星形を俯瞰できるタワーです・・展望2階の高さは地上90メートル・・五稜郭や箱館戦争の歴史を語る展示物も興味深かったです・・国の特別史跡・五稜郭跡を眼下に眺められる観光施設で函館のランドマークである五稜郭タワー・・高さ107メートル(避雷針高)で90メートルの展望2階からは五稜郭の星形全体が確認できます・・お天気がよければ函館山や市街地・津軽海峡・函館湾など・・360度の眺望が見えたのですが・・五稜郭を一望できる展望2階には座像「土方歳三之像」・・おなじみの写真の姿と同じく腰に刀をさしフロックコートにブーツという洋装で椅子に座っています・・下を見ると結構な高さです・・一応記念撮影を(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪前を歩いていたおばさんが突然・・ヒャァ~~・・なんだろうと進んでみると・・ガラス張りになっています・・ガラスの上に乗ると流石に背中がゾクゾク・・その後ガラスの上でピョンピョン♪゜。°。°。°。°。飛んでみた・・さっきヒャァ~~って言ってたおばさんが飛んでる私をみて・・(>д
2023/08/02
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赤レンガ倉庫港町の岸壁に建ち並ぶ赤レンガ倉庫は横浜や神戸・長崎など各地に点在し・・どこかロマンチックな風情を感じさせてくれますね・・我が国初の国際貿易港として開港した函館も例外でなく・・市内有数の観光スポットとして四季を問わず賑わいをみせています・・函館の西部地区にある金森赤レンガ倉庫は長崎から函館に移り住み・・輸入雑貨や船具などの販売を手掛けた初代渡邉熊四郎が1887(明治20)年に既存の建物を買い取り営業倉庫業に乗り出したのが始まりです・・海運業の活況により荷物の取扱量が年々増加したことで倉庫を増築し営業規模を拡大していきました・・そんなとき1907(明治40)年に発生した大火で倉庫6棟が焼失し・・代わりとなる不燃質の倉庫として1909(明治42)年に建てられたのが現在の建物です・・その後流通の多様化や北洋漁業の衰退などに伴い1988(昭和63)年に飲食店や土産物店が入居する複合施設へと姿を変え観光スポットとなりましたが現在でも数棟が現役の営業倉庫として使用されています・・旧函館区公会堂函館山のふもとにある坂のひとつ・基坂(もといざか)を見上げると・・正面に桟瓦葺の屋根に外壁がブルーグレーとイエローの建物がみえます・・昨夜タクシーで訪問した旧函館区公会堂です・・大火によって焼失した住民の集会所であった町会所(まちかいしょ)を再建しようと豪商相馬哲平氏や住民からの寄付などを元手に1910(明治43)年に完成しました・・ 和と洋の要素が融合した建築意匠に優れ館内に置かれた家具の保存状態も良いことから1974(昭和49)年に木造2階建ての本館・・1980年(昭和55年)に管理人室にあたる附属棟が国の重要文化財に指定された函館を代表する歴史的建造物です・・耐震補強を含めた大規模な保存修理工事のために2018年10月から休館していましたが2021年4月26日にリニューアルオープン・・夜の色合いと昼間の色合いが違ってみえますよとドライバーさんに教えていただいていました・・確かに違います・・ライトの加減でしょうか・・基坂・・元町公園の手前からまっすぐ伸びる基坂を見下ろします・・明治時代に坂を下った所に里数を測る基点となる里程元標(りていげんぴょう)の木柱が立っていたため名付けられたそうです・・明治40年(1907)8月に起きた大火で基坂にあった主要施設の殆どが焼失してしまい大火後から数年に渡り基坂では旧函館区公会堂をはじめ豪華絢爛な建物が次々と建設されました・・現存する建物で旧北海道庁函館支庁/明治42年(1909)築・・旧イギリス領事館/大正2年(1913)築・・ 相馬株式会社/大正3年(1914)築などです・・坂の上からは函館港を望め坂の下からはイエローとブルーグレーの外観が鮮やかな旧函館区公会堂・・元町公園や函館山山頂を見上げることができます・・元町公園基坂近辺は政治の中心地となってきた歴史ある地区で江戸時代以降には亀田番所・函館奉行所が置かれ・・明治時代には開拓使支庁・北海道三県一局時代には函館県庁・・北海道庁函館支庁(後に渡島支庁)も置かれていました・・坂を登りきった上にお役所があったことから「お役所坂」「御殿坂」とも呼ばれるそうです・・この界隈は函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区として北海道で唯一国の選定を受けています・・街路樹のある石畳が敷かれた直線の広い坂で映画やドラマの影響もあり観光地として函館山山麓にある坂の中でも人気がたかいそうです・・この通りが古い建物を残している通りです・・昨夜ハートの形をした石のあった通りです・・新しい建物は指定される前に建て替えた建物だということです・・八幡坂函館山からの夜景と並んで函館のビュースポットとして紹介されることが多い坂・・かつてこの坂を上りきったところに函館八幡宮があったとされ名前の由来となっています・・赤レンガ倉庫が立ち並ぶウォーターフロントの先を進むと函館山へ導いてくれるのが「八幡坂」です・・突き当たりにあるのは演歌界の大御所・北島三郎が通ったことで知られる函館西高校・・その真下からの眺めが絶景でかつてCMで年配の夫婦が手をつなぎながらスキップするシーンのロケ地として評判となり「チャーミーグリーンの坂」と呼ばれることもあります・・ 坂名は河野政通の館跡地(現在の元町公園付近)から移設された函館八幡宮があったことに由来すると伝えられています・・大火の被害を受けて1880(明治13)年に現在の谷地頭町に移ったもののその後も坂の名称は残されました・・ かつては湾曲していたそうですが今は海に向かって真っすぐの美しい道・・港に係留展示されている青函連絡船記念館摩周丸を正面に望める函館で1・2を争う人気の高い坂となっています・・歌手の北島三郎さんの出身高校です・・チャチャ登り「チャチャ」とは「おじいさん」の意味で・・あまりにも急な坂で誰もが腰を曲げて登ることから名付けられたそうです・・函館山のふもとにある坂のなかでもかなり急な部類に入るチャチャ登り・・「アイヌ語でおじいさんが腰を屈めて歩く様」と案内にあるとおり勾配が急な坂を上ると前のめりで腰が曲がりそう・・函館聖ヨハネ教会1874年宣教が開始された英国聖公会(現、日本聖公会北海道教区)の教会・・現在の建物は1979年築で茶色の十字形をした屋根が印象的です・・四面の白壁に十字架をあしらい函館山山頂の夜景鑑賞の時茶色の十字形をした屋根が印象的にみえました・・ 1874(明治7)年に英国人のデニング司祭が函館に上陸し宣教活動を始め英国聖公会の教会として道内の先駆けとなりました・・歴代の牧師らは市内に学校や病院などを開設し教育・福祉の分野でも多大な功績を残したそうです・・ 最初の教会は1878(明治11)年に基坂の下に建造されました・・他の建物と同様にその後は度重なる大火による焼失で移転を余儀なくされ現在の聖堂は1979(昭和54)年11月に完成したもので中世紀におけるヨーロッパの教会にならった工法を用いた近代的なデザインとなっています・・車を止めることができるところで私だけが降りて写真を撮ってきたので全てを回ることは出来なかったのですが雰囲気は楽しんくることが出来ました・・続くFC2・・はこちらから
2023/07/28
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函館山からの夜景と元町の夜の風景をタクシーで楽しんだ後・・予約しておいた居酒屋の「大漁旗」で降ろしてもらったのが21時30分中に入ると2階に案内されました・・まずはビールと突き出しでo(*^ー^*)oお疲れ様でしたぁ~♪ホッケ刺し・・ホッケの刺し身?????初めて食べるホッケの刺し身・・甘みがあってコリコリしててヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ ジャガイモを塩辛で味付けしたものを餃子の皮で包んで揚げたもの・・甘く味付けしたジャガイモの中に塩辛が入ってて・・餃子の皮2枚で挟んで包んだものを揚げているのでパリパリした皮の食感とジャガイモのホクホクがなんとも言えず美味しい・・活けイカ刺しイカが入っているということでオーダー・・小さめのイカでしたがコリコリした食感でこれまた美味しい・・まだ足がピクピクしてましたよ・・ホッケホタテのがんがん焼き・・ホッケホタテの数が思った以上に多くて美味しかったけど二人では多すぎたぁ・・ご飯系が欲しくて鮭とおかかのおにぎり・・ガゴメ昆布ラーメン・・ガゴメってなに???ガゴメは主に函館東海岸に生育している大変珍しい昆布の一種で・・葉一面に複雑な凹凸模様を持つがごめ昆布はその籠の目のような姿から「がごめ昆布」と言われるようになったそうです・・結構粘りが強くてネバネバしてる昆布です・・そのネバネバが美味しい・・お味はさっぱりした塩味でした・・もうお腹いっぱい・・ホテルはすぐ裏とタクシーのドライバーさんから聞いていたのですが夜でもあり・・方向感覚もわからなくなってお店の暖簾をしまっていた女性に聞くと知ってる人なら10分ほどですが知らないともっとかかるでしょうねと・・タクシーを呼びましょうかと言われた時眼の前にタクシーがすぐにタクシーを止めてお礼を言ってホテルに戻りました・・ホテルに戻り大浴場へ・・出てくると待合所でクマさんが待っててくれて無料サービスのアイスキャンデーを食べてお風呂で火照った身体を冷やしてから部屋に戻りました・・お部屋の窓からさっきタクシーで登って来た函館山を見て・・ホテルの目の前の夜景を楽しんでベッドに潜り込むと速攻で爆睡・・この日歩いた歩数 9066歩 約6km続く・・FC2・・はこちらから
2023/07/22
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しばらく休憩してホッとしているとすぐにタクシーの予約時間の20時に・・ロビーに降りるとロビーでドライバーさんが待っていてくれました函館山は4月25日(火)~9月30日(土) 17~22時の間は一般車は函館山ロープウェイ山麓駅付近の駐車場に車を停めてロープウェイで上がるか規制解除の時間以降にあがるしかありません・・駐車場もすぐに満車になって止めれる保証はありません・・それで観光タクシーを予約することにしましたこれが大正解・・タクシーはロープウェイ乗り場で並んでいるたくさんの観光客を横目に山を登っていきます・・途中から道路には一切の明かりがなく真っ暗闇の中を車のライトだけで登っていきます・・細くてくねくね曲がった山道を登っていくと綺麗な夜景が見えるスポットが・・(ノ゜ω゜)ノ*.オオォォォォォォォー更に登っていくと道路のど真ん中に大木が・・画像はお借りしました登山道の真ん中に大木?!その大木を避けるかのように舗装された道・・なんで??不思議だよね・・ドライバーさんの話では木を切ろうとした方が亡くなってしまい・・切ると死ぬという話が・・そんなことないやろと切ろうとした強者がいたそうですがその方も亡くなってしまったそうです・・そんな事があり木を切ることをやめたそうです・・上まで登るとタクシーを降りて展望台の方へ・・前日は曇ってて全く見えなかったそうです・・今日は最高ですよと・・その最高の夜景が・・綺麗!!!ドライバーさんに促されて記念写真を(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪記念撮影をした場所は凄い人で・・ゆっくり夜景を楽しむことが出来ません・・ドライバーさんがここは凄い人だから穴場にご案内しますと・・さっきまで居た場所ですが人でいっぱいでしょう・・月曜日でこんなに人が多いのは初めてだとおっしゃっていました・・ロープウェイ乗り場を通り過ぎる時もまたまた凄い行列・・1時間半から2時間待ちだそうです・・その行列を素通りして行くとすごく空いててロープウェイ乗り場が目の前に・・ロープウェイも少し写っていますね・・皆さんロープウェイを降りると前の人について最初に行ったところに流れていくそうです・・ロープウェイを降りたところで逆方面に来るとこの場所に来ます・・少し低くなりますが夜景の見え方には問題がありません・・またまたドライバーさんに促されて私は普段は入らないのですが今回はなぜか素直に撮って頂いて・写真がぼけてしまったのですが・・右の方に赤い明かりがまっすぐに伸びているところがあるでしょう・・あのあたりに断崖絶壁になっている立待岬があるそうです・・あの道路の両側にはお墓が並んでいるんだそうです・・お墓の一部分が啄木一族のお墓となっていて観光地になっているそうです・・夜景を堪能したら下に降りて元町の夜景を回ってくれます・・八幡坂八幡坂の先は古い建物が並ぶ通りです・・その敷石の一部分がハート型・・旧函館区公会堂「青函連絡船」の最後の運航日まで航行していた摩周丸青森と函館をつないでいた「青函連絡船」の最後の運航日(1988年3月13日)まで航行していた摩周丸を産業遺産として保存・公開しているのが「函館市青函連絡船記念館摩周丸」です・・当時の状態のままで保存されている操舵室(船橋)や無線通信室などを見学することができるそうです・・教会も色々と回ってくださったのですが写真がうまく撮れませんでした・・若いドライバーさんでとても親切な方でした・・函館の夜景を目一杯楽しむことが出来ました・・タクシー観光は90分で6240円・・とってもお値打ちのある観光をさせていただきました・・この後ホテルではなく今夜予約を入れておいた居酒屋さんで降ろしていただきました・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/07/21
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2023年7月10日(月)~13日(木)まで北海道の函館に行ってきました・・ちょっと遅れましたが結婚記念日のお祝いに新婚旅行でいった北海道で回らなかった函館に決めました・・飛行機はマイレージを使って予約・・神戸空港から新千歳空港までです・・神戸発スカイマーク173便・・12時40分発・・14時35分着・・少し早めに神戸空港に到着・・予定より到着飛行機が15分遅れ・・搭乗してから空路混雑で更に30分遅れ・・機長さん頑張ってかなり遅れを取り戻してくれました・・新千歳空港についたのは14時56分・・空港からレンタカー会社に電話・・お迎えの車が出発したばかりということで20分待ち・・レンタカーを借りて出発したのが16時・・函館に向かって約4時間の車移動です・・お腹が空いたので道央道に乗ってから樽前SAにSAだからレストランがあると思ったら~(・・?))(((;・・)?トイレとコンビニだけ・・コンビニでおにぎりを買って食べました・・カニカマがすし飯になっていて美味しかったです・・ゴミを捨てようとゴミ箱を探したのですがありませんトイレの中に赤ちゃんのおむつ用?のゴミ箱が一つだけ・・北海道は広かった・・高速道も空いてたし・・今夜のお宿の函館国際ホテルに到着したのが19時30分・・函館夜景ツアーのタクシーの予約が20時・・お部屋に入って荷物をおいて一休み・・お部屋はデラックスコーナーツインを予約しておきました・・広い窓から見えるのは函館山ロープウェイ・・もし雨で函館山の夜景がみれなくてもお部屋からの眺めが素晴らしかったのでこの部屋にしたんです・・が・・心配していたお天気にも恵まれて最高の気分です・・ホテルには結婚記念日だと伝えておいたからかな・・お部屋にチーズケーキとジュースが用意してありました・・ホテルの喫茶店で出している美味しいチーズケーキでした・・ジュースは北海道七飯ワイナリーから届いたりんごジュース750ml瓶・・写真を撮ろうとしたらクマさんすでに食べてしまってて・・下にリンク貼っておきましたそのお品がそうです・・チーズケーキは濃厚でまったりしたお味・・ジュースはりんごそのままのお味でどちらも最高でした・・昭和製菓 函館スイーツセレクションR 2023 ギフト 贈り物 お祝い お礼 お返し プレゼント 内祝い 結婚祝い 出産祝い お見舞い 快気祝い 誕生日 記念日 スイーツ デザート 洋菓子 ケーキ タルト 詰め合わせ 人気 おすすめ 北海道 グルメ 送料無料 お取り寄せ価格:3,450円(税込、送料無料) (2023/7/18時点) 楽天で購入 北海道七飯町ワイナリーから届いたりんごジュースはこだてわいん(北海道函館ワイン)果汁100%りんごジュース 価格:1,080円(税込、送料別) (2023/7/18時点) 楽天で購入 続く・・FC2・・はこちらから
2023/07/18
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6月20日で結婚47年でしたその記念に新婚旅行で行ったここへ3泊4日で行って行ってきました・・実際に行ったのは新婚旅行では行けなかった場所ですが・・ここです・・画像を見るとわかる方にはすぐわかるかと・・今回の旅はお天気がいまいちで色々とありましたがクマさんと二人でレンタカーで回ってきました・・高速道路を走行中に熊が出没して途中で高速を降ろされたり・・車の中で熊・・でないのかなぁ・・なんて話していたときの出来事で本当にでるんだとびっくり!!昨夜は21時半すぎに帰宅・・疲れてしまってお風呂に入ったら速攻で爆睡・・ぼちぼちとアップしてまいりますので気長にお付き合い下さると有り難いです・・o(*^▽^*)o~♪FC2・・はこちらから
2023/07/14
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牧野植物園から徒歩10分くらいで竹林寺です・・下にあった駐車場の側には納経所ふだしょへ直行できる入り口があったのでそこから入りました・・竹林寺は真言宗智山派に属しています・・鐘楼堂お参り前に仏様への挨拶としてこの鐘をついていいそうです・・五台山竹林寺の正門からはいるとこの階段を登ってくることになります・・階段を降りて五台山竹林寺の正門をパチ /■\_・) カメラ 正門の石階段からまっすぐ進んでいくと大きな仁王門があります・・竹林寺は神亀元年(724)聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)を奉じた僧・行基(ぎょうき)により唐の五台山(現在の中国山西省五台山)になぞらえ開創されました・・開創の縁起には仏教の崇敬の念篤い時の帝・聖武天皇はある夜文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の霊場として名高い大唐の五台山に登りかの地で親しく文殊菩薩から仏教の奥義を授かるという霊夢をご覧になりました・・これをたいそうお喜びになった帝は行基に日本国中よりかの大唐五台山に似た霊地を探し伽藍(がらん)を建立するように命ぜられたのでした・・やがて土佐のこの地が選ばれ行基自ら謹刻した文殊菩薩像を本尊とし当山は開創されたと伝えられています・・時代は下り、大同年間(806~809)には弘法大師が四国回国の砌当山に錫(しゃく)を留めて修行されこの由縁をもって当山はのちに四国霊場第三十一番札所に定められるところとなりました・・その後時代を経て江戸時代に至っては土佐代々藩主の帰依を受け藩主祈願寺として寺運は隆盛・・堂塔は土佐随一の荘厳を誇り学侶が雲集し学山(がくざん)(学問寺)として当地における宗教・文化の中心的役割を担うに至りました・・土佐の民謡「よさこい節」で広く親しまれている純信(じゅんしん)・お馬の恋物語・・その僧・純信も江戸時代末当山の脇坊・南の坊に住む修行僧のひとりでした・・しかし明治初頭の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の難は当山といえどもこれを避け難く寺運は一時衰微しましたがその後かつての寺観を取り戻すべく伽藍の復興整備を進めようやく往古の輪奐(りんかん)に復するに至りました・・五重塔当山には古くは三重塔がありましたが明治32年(1899年)の台風により倒壊・・爾来・塔再建を悲願としてきましたが昭和55年(1980年)高さ31メートル・総檜造り・・鎌倉時代初期の様式を持つ五重塔として復興することができました・・塔内にはインド・ブッダガヤより勧請された仏舎利(ぶつしゃり)を納めまた初層内陣には大日如来(だいにちにょらい)がお祀りされています・・本堂(文殊堂)文殊菩薩を祀ることから文殊堂とも呼ばれる本堂は・・寛永21年(1644年)土佐二代藩主山内忠義(やまうちただよし)公により造営されました・・今日当山に現存する最古の建造物で国重要文化財に指定されています・・室町時代様式・一層入母屋(いりもや)・五間四方・・柿葺(こけらぶき)のこの本堂は荘重な佇まいの中にも唐様の軽快な曲線を見せる軒反りや放射状に広がった扇垂木(おおぎたるき)など密教(みっきょう)寺院建築の中でも特異な様式を随所に見ることができます・・栃木県から飛行機でやってきてレンタカーで回っているというご夫婦車で楽に回らせてもらっていますと笑っていらっしゃいました・・ここでちょっと気になるお品が・・ノブになにかお土産をと考えていたときに目に入りました高知県産の西山金時を使った芋べらケーキ・・程よい甘みとほくほくの美味しさ!お土産に購入しました14時20分竹林寺を出発・・帰路につきます・・讃岐富士に別れを告げて瀬戸大橋を渡って帰ります・・ガソリンが殆ど空になったので満タンにして帰宅したのが18時・・買ってきた芋ベラケーキ・・食後のデザートにいただきました・・西山金時の甘みとほくほくの食感がとっても美味しかったです・・洋酒が入っているのが(ノブお酒が駄目なんです)気になったのですがほんのり香る程度で芋の美味しさを引き立てていました・・とても美味しかったのでもっと買ってくればよかったなと...... ( 〃..)ノ ハンセイ歩いた歩数 12610歩 約8.5kmFC2・・はこちらから
2023/06/23
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11時40分・・お昼の時間でもあるし昨夜のホテルの鰹のタタキが残念だったのでどうしても美味しい鰹のタタキが食べたくて高知城から徒歩5分の「ひろめ市場」へ雨は小降りになっていました・・外からでも活気が感じられます中に入ると結構な人々・・目的の「明神丸」さんが左にみえます・・まずは席を確保・・空いてる席があったけど食器がそのままだったのでそこにいたおじさんに聞くとすぐに片付けるから座ってよ・・と・・とってもいい人で・・明神丸で買ってくると話しをするとそこより「やいろ亭」の塩カツオが最高に美味しいと教えてくださった・・飲み物を注文してから私が「やいろ亭」へすでに数人並んでいます・・前に並んでいた男性に地元の方ですか?違います・・「明神丸」はチェーン店で岡山にもお店があるからこちらの塩タタキを食べようと思って・・「やいろ亭」さんの塩タタキ評判が良さそうです・・皆さんも次々と塩タタキをオーダーしていますオーダーを聞くのも手早くてちゃちゃっと処理して・・前の男性・・塩タタキ定食をオーダーしていました・・私は塩タタキとウツボの唐揚げおすすめの海苔の天ぷらを・・すぐに塩タタキが出来上がって・・揚げ物は5分後に来てくださいとのことでひとまず席に・・岩塩がピカピカしてるの見えますか?塩がしてあるのでにんにくとわさびだけつけていただきます・・「やいろ亭」の大将・・とっても活気があって雰囲気のあるおじさんでした・・揚がったウツボの唐揚げとのりの天ぷらを持って・・塩カツオ::なにこれ!!カツオってこんなに美味しいの!!!!!こんな美味しいカツオ食べたことない・・しかも塩カツオ?!初めてやん!!岩塩の塩梅が最高・・にんにくとわさびの相性が抜群!!持って帰れるなら持って帰りたいぞぉ~~~~~!!美味すぎるやん!!一切れが大きいから食べごたえがあるし・・昨日のと全然違う代物・・ヤッタァー!\(`∇\)(/`∇)/ヤッタァー!ウツボの唐揚げ・・人生で初めて食べるウツボ・・白身であっさりしたお味でした・・おすすめの海苔の天ぷら・・これまた香りが良くて・・とりあえずと思って3品買ってきたけどお腹いっぱい・・大満足じゃぁ~~~~~!!市場の中をなにかお土産になるものはないかとo(- ̄*o))))...ウロウロ...((((o* ̄-)oカツオ飯・・たこ飯・・ウツボの唐揚げ・・焼きサバ寿司・・ノブの夕飯用に購入・・これどれもすっごく良い味付けで美味しかったです・・ウツボの唐揚げ・・ノブが・・あれウツボって言われんかったらわからないね・・って言ってました・・確かにそうなんです・・ウツボ・・普通に白身で美味しい魚です・・屋上に止めた駐車場から見えた高知城・・美しいお城です・・高知城とお別れをして次の観光へ・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/06/13
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桂浜・・10時出発高知城まで車で約40分・・高知城近くの駐車場に止めて徒歩で高知城へ・・追手門の裏の方から入ったら最初に出迎えてくれたのが野村茂久馬 のむら-もくま明治2年(1869)~昭和35年(1960)安芸郡奈半利村の豪農の子に生まれる・・明治30年ころ高知市に出内国通運高知取引店を預かることになる・・日露戦役に戦時輸送など陸海に事業を拡げる・・明治末には大阪商船に関連を持って浦戸港他・・高知県東西沿岸各寄航地の沖取荷役を独占する・・そのほか四国のバス事業の統合・高知鉄道・土佐商船などの設立に力をつくす・・昭和7年には貴族院議員に当選し同8年高知商工会議所会頭となり土佐の交通王とよばれた・・桂浜の坂本竜馬銅像建立にも協力した・・(・0・*)ホ,(゜0゜*)ホ--ッッ!!!実業家だそうです・・クマさんも知らなかった人物・・凄い人なんですね・・高知城は鏡川・江の口川を外堀とした約44mの大高坂山に関ヶ原の戦い後掛川から入封した土佐藩初代藩主の山内一豊が築いた城でこの地にはもともと南北朝時代に大高坂松王丸によって築かれた大高山城という居城があったそうです・・1603年(慶長8)に本丸・二の丸の石垣と本丸主要部が完成し一豊が入城・・1611年(慶長16)三の丸の完成をみてほぼ全城郭が整いましたが築城から126年後の1727年(享保12)城下町から出た大火で城郭のほとんどが消失してしまいます・・幕府の許可を得て再建に着手し1753年(宝暦3)までに創建当時の古い様式の姿に戻すことに成功・・四重六階の望楼型天守・本丸御殿(懐徳館)はじめ本丸建物群がそのまま現存する日本で唯一の城郭遺構となっています・・石樋(いしどい)高知県は全国でも有数の多雨地帯のため高知城も特に排水には注意が払われています・・石樋は排水が直接石垣に当たらないように石垣の上部から突き出して造られていて・・その下には水受けの敷石をして地面を保護しています・・このような設備は雨の多い土佐ならではの独特の設備で・・他の城郭では見ることのできない珍しいものです・・石樋は本丸や三ノ丸などを含め現在16カ所確認されていますが・・下になるほど排水量が多くなるためこの石樋が一番大きく造られています・・山内一豊の妻の銅像本丸目指して進むとまもなく山内一豊の妻千代と馬の像があります・・高価な名馬を購入するために千代が持参金を夫に差し出した内助の功の逸話がモチーフだそうです・・三の丸石垣三ノ丸は、慶長6年(1601)の築城開始から10年を要して最後に完成した。面積は4,641㎡、出隅部分の石垣の高さは約13m。石垣に使用されている石材は主にチャートであるが、砂岩、石灰岩も一部使用されており、穴太衆(あのうしゅう)が、安土城の石垣で始めたとされる自然石の形を活かした野面積みで多くの面が構築されている。また、三ノ丸には、1,815㎡の壮大な御殿が建築されていた。三ノ丸の入り口にあたる鉄門付近の石垣は、鉄門の改築に伴い積み直されたものと見られ、砂岩で構成された打ち込みハギで築かれている。今回の解体修理に伴う発掘調査でチャートの根石(基礎石)が確認され、改めてその事実が確認された。三ノ丸の石垣は、慶安3年(1650)、宝永4年(1707)に地震や豪雨により、崩壊し、修理した記録が見られる。今回の修理は、平成11年に実施した調査により、割れたり、孕んだ石が多く、崩落の危険性が確認されたことから、平成12年度から事前の発掘調査や測量などを実施した後、鉄門付近から東面の花壇前まで実施した。工事は、改修前の石垣の状態を把握した後、割れた石以外は元の石を使用し、元の場所に戻すことなど原状復旧を基本として実施した。 改修工事は、穴太衆の野面積みの技法を現代に伝える石工が携わって平成16年度から平成21年度にかけて実施、総工費約4億円を要した。現代の技術によって歴史という名の姿が保たれている・・凄いことですね・・雨の中階段をひたすら登ってきて本丸が見えました・・後少しです・・懐徳館(かいとくかん)藩政時代に築かれた本丸御殿ではこの世に 2 つしか現存していない本丸御殿の 1 つです・・ちなみに高知城の本丸御殿のことを「懐徳館」と言うのですが・・これは明治 6 年に高知城が公園として一般に公開された時に懐徳館と名付けたのだそうです・・そしてこの本丸御殿が天守への入口になっています・・ここはまだ詰門です・・詰門(つめもん)詰門は本丸と二の丸の間の堀切に設けられた櫓門です・・廊下橋としての役割も担っていて二回部分が藩主のもとに向かう家老の待合場所だったことから詰門の名が付けられたと言われています・・一階部分は籠城に備え塩を蓄えるくらになっています・・入り口は東面と西面で食い違いになっていて・・攻め寄せた敵が容易に突破できない構造となっています・・そしてこの詰門を抜けると本丸御殿と天守が見えてきます・・功名が辻で仲間由紀恵さんが実際に着た着物が展示されています・・本丸御殿欄間高知城の本丸御殿は書院造です・・書院造書院造は寝殿造を母体として発展したもので室町時代にその形式が生まれ近世に武家の住宅様式として完成しました・・それは、大・小両書院を中心に玄関や台所などを配した一連の建物群で個々の建物(書院)は畳敷きのいくつかの部屋の集合によって構成されます・・特徴として部屋の外回りの建具に舞良戸(まいらど)・明障子(あかりしょう)雨戸が立てられ内部は間仕切が増えて大小の部屋ができ間仕切には襖・明障子が用いられています・・柱は角柱で壁は張紙が貼られ障壁画などによって装飾されています・・また天井には格天井(ごうてんじょう)が用いられます・・書院造は主室の床を一段高くして上段とすることや座敷飾りの位置・装飾などにより・・身分と格式の序列を表現していて武家の権威を象徴する建築様式です・・杉円盤標本(左上画像)物見窓(右上画像) 矢狭間塀に設けられた横連子(よこれんじ)の武者窓のことで本丸東南面のも物見(監視)を担う軍学上重要な窓です・・矢狭間塀には監視や鉄砲をうつためにある狭間が設けられていますが・・確認できる範囲が狭いことから監視範囲を大きくとった物見窓が設けられています・・竹の節欄間(左下画像)竹の節欄間畑の節状のデザインが束に用いられているもので・・間仕切りの上部に使われています・・この様式は平安時代の貴族の書院造りの館の間仕切りに用いられた意匠と伝えられています・・帳台構え(右下画像)一応帳台構えでこの扉の向こうは納戸なんですが・・藩主護衛の武士が隠れたことから「武者隠(むしゃかくし)」と呼ばれたそうです・・書院造りの画像の真ん中の柱の左に少しみえていますわかりますか?高知城は外観 4 重(内部 3 層 6 階)の望楼型天守です・・つまりここから全部で 6 階まで上がっていくということになります・・2 階には高知城の精巧なジオラマが展示していました・・かっこいいよね・・坂本龍馬的紋服(複製品)山内容堂所使用的陣羽織(複製品)見ごたえのある高知城でした・・姫路には世界遺産の姫路城がありますがそれぞれに個性があって素晴らしいです・・さて・・高知城を後にして向かったのは・・どこでしょうか?もう皆さんおわかりかとおもいますが・・o(*^▽^*)o~♪続く・・FC2・・はこちらから
2023/06/10
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2023年5月19日(金)雨のち曇いつものように6時前には目が覚めてテラスにでてお天気を確認・・本降りだぁ・・お天気が良ければ最高の眺めが広がっていたはず・・残念・・身支度を整えて朝食へ・・団体さんが入っているので早朝は混み合いそうなので7時30分過ぎに行くといいと聞いていましたどこでも朝食はバイキングですね・・鰹のだし茶漬け・・これがメッチャクチャ美味しかった・・ふとお隣を見るととろろ丼を食べてる方が・・とろろ丼大好きなんですよだから少しだけと・・とろろ・おくら・しらす・おかか・・・しらすはたっぷりと・・ご飯はお茶碗のそこにほんの少し・・これまた美味しくてお腹いっぱい!!売店を少しうろうろしてお部屋に戻りチェックアウトをして9時に桂浜に向かって出発・・9時30分桂浜到着・・桂浜高知県を代表する観光名所の一つで・・浦戸湾口・龍頭[りゅうず]岬と龍王岬の間に弓状に広がる海岸・・背後に茂り合う松林と砂浜・・紺碧の海が箱庭のように調和する見事な景勝地です・・古来より月の名所として知られ“月の名所は桂浜・・・”と「よさこい節」にも唄われています・・東端の龍頭岬では幕末の志士坂本龍馬の銅像が太平洋を眺めています・・坂本龍馬の像が見えてきました・・後ろから(-p■)q☆パシャッパシャ☆ 坂本龍馬土佐が生んだ日本一有名な幕末の英雄・・像の高さは5.3mで台座を含めた総高は13.5mという立派な銅像です・・1928年(昭和3年)龍馬を慕う地元の有志たちによって建立されたものです・・銅像の龍馬は桂浜の向こうの太平洋を見つめています浜に降りる階段を振り向くと太平洋を見つめる竜馬さん・・かっこいい!!桂浜龍王岬浦戸湾口にある弓状に広がる海岸の南端にある岬・・岬の上部には海津見神社(龍王宮)・早高神社の祠が建っています・・あの先の海津見神社(龍王宮)・早高神社の祠のところまで行こうとするとクマさんがもういい・・こんな雨の中行きたくない・・ここから見るだけで十分や・・あらま・・さっさと引き返しちゃった・・クマさ~~~~んこっち向いて(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪竜馬さんとのツーショットくらい撮っておかないとねぇ・・せっかく来たのに滞在時間たったの20分だもんね・・これで我慢するか!!ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆続く・・FC2・・はこちらから
2023/06/07
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室戸岬を16時20分に出発し今夜のホテルに向かいます車で約1時間30分の距離・・今夜のお宿のロイヤルホテル土佐についたのは17時40分途中で雨が本降りになって・・画像はお借りしました高台にあるホテルなのでお天気が良ければ夕日・朝日が最高だったと思います・・かなり残念・・立派なホテルなのに到着しても誰もきません・・中に入って聞くと先にあるPに停めてくださいとのこと・・傘を貸してくれることも荷物を預かってくれることもなし・・チェックインのときも誰一人いらっしゃいませの言葉もなく順番を待っていたのにお待たせしましたの言葉もなし・・第一印象めっちゃ悪いやん!!お腹が空いていたのですぐに食事にすることにバルコニー付きの大きな窓・・雨で景色は全く見えません・・空も海も灰色でよくわからん・・荷物を置いてレストランへ案内してくれたのはおばさん・・名前を告げるとチェックしていましたが目を細めてじっと探しています・・やっと見つけて案内してくれたのは違う席・・別の女性に読んでもらってやっと席につけました・・メガネかけたほうがいいよ・・このホテル・・従業員の接客態度が・・・・田舎だからこんなもん?????飲み物を頼もうとしたけどいなくなっちゃった・・やっとやってきたのでまずは生ビールでお疲れ様・・ホタルイカ・・彩り華寿司・・花茗荷・・鮎甘露煮・・胡麻クリーム・・蓮根煎餅・・柚子味噌かけ・・葛豆腐・・柚子味噌掛け・・鰹の叩き・・近目鯛・・鮪のお造り・・鰹の叩き・・期待していたのに残念なお味・・近目鯛が一番美味しかったぁ・・四万十ポークの生姜鍋四万十ポークがめちゃくちゃ香りが良くて美味しかった・・生姜との相性も抜群でした・・バーニャカウダー・・和牛肉・・野菜各種・・牛肉が柔らかくてつけダレもいい感じ・・蟹身のあんかけ・・白ごはん・・味噌汁・・漬物・・高知のお味噌ってちょっと辛めらしいです・・味噌汁のわかめ?だと思うんだけど海藻が凄く美味しかったです・・果物ゼリーかけ・・高知だけあって柚子を使ったゼリーでした・・柚子を使い爽やかな味に仕上がっていて口がさっぱりしました・・全体的に満足なお味でお腹いっぱい・・食後お部屋でゆっくりしてから大浴場へ画像はお借りしました小雨になっていたので露天風呂へ・・あまり人がいなかったのでのんびり・・お湯は熱くなくぬるくなくのいい感じでした・・クマさんも小雨に濡れながらの露天風呂が気持ち良かったわと言ってました・・露天風呂で今日の疲れをほぐしベッドに入ると速攻で寝息をたてるクマさんお疲れ様でした・・おやすみなさい~♪(⌒∇⌒)ノ""続く・・歩いた歩数 10506歩 距離 約7kmFC2・・はこちらから
2023/06/05
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モネの庭を観光した後室戸岬にむけて約1時間の移動です・・15時20分 室戸岬着走っていてPを見つけ止めるとそこから遊歩道がありました・・お天気は曇・・どんよりした空です・・太平洋に向かってV字に突き出た岬ですジオパークのメインスポットで海岸沿いには2.6kmにわたって乱礁遊歩道が整備されています・・1964年6月に国定公園の指定・・2011年9月には世界ジオパークに認定されました・・中岡慎太郎像中岡慎太郎像から遊歩道を海へ下りていくと灌頂ヶ浜です空模様が怪しくなってきました・・灌頂ヶ浜(かんじょうがはま)灌頂ヶ浜(かんじょうがはま)は弘法大師が灌頂の会式をした浜だそうです・・大きな岩や太平洋の海など荒々しい景観が広がっています・・牛角岩・・子授けの岩・・ハマヒルガオが咲いていました・・Pに戻り少し先に進むと御厨人窟:みくろど)室戸市には弘法大師(空海)ゆかりの場所が数多く残っています・・ その一つがこの「御厨人窟」で修行時のご住居として使われていたと伝えられています・・約1200年前の平安時代青年時代の大師が悟りを開いたといわれる洞窟で内には五所神社とばれる社があります・・神明窟 “空海”と名前をつけたのもここから見える空と海に感銘を受けたからと言われています・・向かって右側には主に御修行の場として使われていたと伝えられる「神明窟」があります・・「御厨人窟の波音」は環境庁の「日本の音風景100選」に選ばれています・・五所神社向かって左側にある五社神社中に入るとかなり奥が深く真っ暗・・凡人の私は怖いと感じたのですぐに外に出ました・・御厨人窟の前にの遊歩道を下りてみます・・ビシャゴ岩約1400万年前にズドーンとマグマが地層に入り込んだあと・・マグマが地層に貫入して固まったとされる岩・・水平に貫入したものがその後の地殻変動によりほぼ垂直に回転したものです・・山側から海側に向かって順番に細かい粒~粗い粒とマグマが冷やされるのにかかった時間の長さによって模様が移り変ります・・この岩には「おさご」という絶世の美女が自分をめぐり・・若者たちが争ったのを悲しみ身投げしたという伝説があります・・弘法大師行水の池・・少し雨がパラパラと降ってきたので観光を切り上げてホテルに向かうことにします・・続くFC2・・はこちらから
2023/06/02
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龍河洞を12時15分に出発し車で約1時間ちょっとのマルモッタン(モネの庭)へ向かいます・・途中で私が気になったのは高い建物・・今まで見たことがない建物です・・あれなにかな?避難するところと思う・・確かに右側には太平洋・・高波が来たら逃げるところがない・・瀬戸内海しか知らない私には初めて見た建物・・避難タワーでした・・こうした避難タワーがたくさん設置されていました・・13時20分・・マルモッタン到着・・印象派画家の巨匠クロード・モネが愛した庭として有名なフランスはジヴェルニーにある「モネの庭」・・モネは生涯の半分をこの庭とアトリエのある邸宅で過ごし・・創作以外の時間を庭仕事に充てていたといいます・・そうしたクロード・モネの想いを高知の自然の中で再現したのが北川村モネの庭マルモッタンで・・モネの庭を名乗ることを許された世界で唯一の場所です・・約3万平方メートルの敷地に約7万本の草花が植裁され・・四季折々の美しい景観を楽しむことができます・・残念ながら人気の青い睡蓮はまだ咲いていませんでした・・クマさんおっ!これ見たことない・・見たことのないトンボ発見!そっと捕まえて葉の上にのせてあげてました・・オオシオカラトンボの♀です・・左が♂・・右が♀・・オスは全体的に青みがかっていてお腹の先と目は黒い・・メスはお腹が黄色でオスに比べて全体的に黒っぽいです・・黒い翅脈の走る透明な翅に黒い縁紋を持ち先端は暗褐色になります・・随分違いますねぇ・・ ♂は未熟なうちは♀と同じような色彩をしていますが成熟すると全身に青白い粉を吹き翅の基部(背面)にまで広がります・・♂♀とも翅の基部に黒褐色の部分が広がっています・・他のシオカラトンボ属の種よりひとまわり大きく体型もがっしりとしています・・北海道・本州・四国では本種以外のシオカラトンボ属ではシオカラトンボ とシオヤトンボ しかみられないので区別は容易だそうです・・ソフトクリームを食べながらちょっと休憩・・テラスからの風景です・・お庭のお手入れをしている方とお花やバラの話しが弾んで・・その時に教えていただいたのがモネが一番愛していたバラのこと・・すぐにそのバラを探して撮ってきましたマーメイド数少ない沖縄に自生するカカヤンバラ(ロサ ブラクテアタ)の交配種・・琥珀を帯びた独特のクリーム黄色の一重咲きで幻想的な美しさ・・甘く強い香りもあり・・花色・花容・香りと三拍子そろって素晴らしく・・夏から秋まで絶え間なく咲き続けるそうです・・モネが目覚めて窓を開け最初に見るのがこのマーメイド・・それほどまでに愛されたバラだそうです・・マーメイドを見ていて最初に思ったのが我が家のマウンテンスノーとよく似てる!!お花の大きさはマーメイドのほうが一回り大きいです・・マウンテンスノーイギリスのデビットオースチン作のバラ・・黄色い弁芯にゴールドのシベが広がる美しいハイブリッド・ウィクラナ系統のバラ・・濃緑色の光沢のある葉とシンプルな花弁とのバランスが絶妙な美しさ・・マーメイドは1917年/イギリス作出者 William Paul and Sonマウンテンスノーは1985年/イギリス作出者 David C. H. Austin似てませんか?直売所を覗いてみましたクロード・モネの接ぎ木のバラがたくさん並んでいました・・クマさんお花には目もくれずにずっとみていたものが・・大きな松ぼっくりです・・そんなクマさんを見ていたスタッフさんが直売所の責任者の方に聞いてくださっていただけることになったんです・・上のテラスに座って(≧∇ノ■ゝハイ、チーズ♪とっても無邪気でまるで子供みたいに喜んでますね・・その松ぼっくり我が家の玄関に・・素敵な思い出がいっぱいつまった松ぼっくり・・松ぼっくりを見るたびにモネの庭を思い出します・・クマさん良かったね・・o(*^▽^*)o~♪FC2・・はこちらから
2023/05/27
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2023年5月17日(木) 晴れのち曇り自宅を7時30分に出て高知に向けて出発・・山陽道を通って瀬戸大橋を渡るコースです・・最初に向かったのはクマさんが行ったことがないという龍河洞・・私は独身時代に一度行ったきりです・・自宅から約3時間ちょっと・・途中・・休憩をはさみながらの移動でしたので龍河洞に到着したのは10時45分・・龍河洞とは?高知市中心から車で約40分東に位置する香美市にある石灰岩でできた鍾乳洞のことで全長約4㎞の巨大な鍾乳洞は山頂付近の盆地にたまった雨水が1億7,500万年ものとてつもない歳月をかけてつくりだしたとされています・・龍河洞の出口あたりでは弥生時代に使われていたものと思われる居住跡も見ることができ世界的にも珍しい石灰華(炭酸カルシウムの沈殿物)に包まれた弥生式土器も確認できます・・また岩手県の龍泉洞や山口県の秋芳洞と肩を並べる「日本三大鍾乳洞」としても知られていて日本を代表する鍾乳洞の一つといえます・・洞内より数十点の弥生土器・炉跡・木炭および獣骨などを発見されており弥生時代にあって洞内に居住した痕跡がのこるとして天然記念物指定と同時に国の史跡にも指定されました・・特に洞内において弥生土器が鍾乳石と一体化したものが見られ「神の壺」と命名され龍河洞のシンボリックな存在になっています・・観光客は殆どいませんでした・・大型連休のときはいっぱいだったそうです・・坂を登った先に長い階段・・右にエスカレーターがあります・・クマさん迷わずエスカレーターを選択・・洞窟入口(東本洞)と龍王神社・・今回私達が見学したのは・・鍾乳洞の総延長約4キロメートルのうち・・約1キロメートルの通常ルートです・・中に入ると狭い通路上から水滴がかなりポタポタと落ちてきます・・足元が濡れているので気をつけて進みます・・石花殿・・洞穴サンゴ(小さい鍾乳石)が天井と壁一面に広がり光を反射してまるで石の花が咲き乱れるように見えます・・千仞の間(せんじんのま)・・千尋(一尋は約1.5m」もあろうかと感じるほど洞内で最も天井が高い場所です(実際の高さは約30m)龍河洞がただの横穴ではなく立体的に入り組んだ構造であることが垣間見えます・・雲の架け橋・・飛龍の滝・・本洞で二番目に大きい滝です・・龍河洞が雨に包まれると飛龍のような瀑布が姿を現します・・記念の滝・・高さ11mの洞内最大の滝です・・昭和6年(1931年」山内浩氏・松井正実氏の両名が前人未到であった滝の上部を探索・・その奥に広がる大規模な鍾乳洞が発見されました・・龍河洞探索の礎となった記念すべき場所です・・洞内はかなり狭くて横向きにならないと通れないところもたくさんまた頭にも気をつけないとぶつけてしまいます天降石と縛り幕・・その昔・・高僧修行の跡地になっています・・高僧修行の跡・・1892年(明治25年)徳島県地福寺の和尚様が3週間たてこもりご修行されたと言い伝えられ龍河洞全洞発見の昭和6年にはとうじの石ぐろが残っており高僧修行の跡として平成元年に建立されたものです・・クラゲ石・・音無の滝・・裏見の滝・・神の壺・・神の壺は石灰華(炭酸カルシウムの沈殿物)に包まれた壺のことで・・約2,000年前に弥生人がこの鍾乳洞で生活をしていた証なのだそうです・・またこの壺は鍾乳洞とつながって一体化しているものとして世界で唯一の資料として学術的に高い価値を持っているんだとか・・この龍河洞ではどの季節でも洞内の温度が15度程度で保たれていて一年中過ごしやすいことから弥生人の居住スペースになっていたのだろうとのことです・・また鍾乳洞では神の壺のように「洞内に壺を置いておけば鍾乳洞に包まれるのか」という実験がおこなわれています・・この実験は龍河洞が発見されて間もない1937年(昭和12年)にスタートした実験で・・2023年現在では壺の底部が鍾乳洞と一体化し始めていることも確認できます・・今までで86年!!通天門・・しんどい坂・・確かにしんどい!中は湿度が高くて汗だくだく!!かなり狭いから通り抜けるときに身体があたります・・炉跡・・弥生時代に使われていたものと思われる居住跡・・この先を進むと出口となります・・出口はビル20階くらい上になります・・かなり登って来ました・・下りのエスカレーターはなし・・この階段を下りてきました・・年齢のせいなのか階段を上がるのは身体的はきついですが下るのは身体的には楽ですが足が引っかかって転びそうで怖いです・・膝にもかなりの負担がかかってきます・・時計を見ると12時まえ・・下にあったお蕎麦屋さんに行くことに・・ユニークなおじさんがお出迎え・・ざる蕎麦とおにぎりを注文して・・おにぎり・・ご飯がゴチンで残念!!お蕎麦は腰がある10割蕎麦・・お出汁はちょっと辛め・・とっても美味しかったです・・最後の蕎麦湯が最高だった!!って蕎麦湯かい!!って話しだよねぇ・・ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆FC2・・はこちらから
2023/05/23
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熊野は古くから人々の熱い信仰に支えられた聖地であり「伊勢へ七度、熊野へ三度」とさえ言われているそうです・・本宮の地に神が祀られたのは今からおよそ2000年前の第10代崇神天皇の世といわれていますからずいぶん昔のことですね・・熊野詣が盛んだったのは平安時代の中期から鎌倉時代にかけてだと伝えられています・・延喜7(907)年・・宇多法皇以来・法皇上皇の御幸も盛んで白河上皇の9度・・鳥羽上皇の21度・後白河上皇の34度・後鳥羽上皇の28度と多くを数えましたが弘安4(1281)年3月亀山上皇の御幸をもって終結をつげています・・江戸時代に入って元和5(1619)年紀州藩主徳川頼宜が熊野三山の復興に力を入れ・・再び「蟻の熊野詣」の最盛期を迎えることができたとあります・・言うまでもなく・・身分や階級を問わない多くの人々が熊野にあこがれ救いを求め・甦りを願って異郷とも思える山深いこの地を目指したのです・・こちらは裏にあたります本来なら正面に回るところですがこちらから失礼することに・・クマさんの背中を見ながら奥に進みます・・外国からの訪問者もかなりいました・・昨夜止まったホテルに宿泊していた海外からのツアー客も見かけました・・門をくぐると・・檜皮葺の立派な社殿が姿をあらわします・・かつては熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありましたが・・明治22年の洪水で多くが流出し・・流出を免れた上四社3棟を明治24年(1891)に現在地に移築・遷座しました・・向かって左手の社殿が夫須美大神(ふすみのおおかみ)・・速玉大神(はやたまのおおかみ)の両神・・中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)・・そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られていて交通安全・大漁満足・家庭円満・夫婦和合・長寿の神として人々を迎え入れてきました・・本殿へと続く158段の石段・・石段の両脇には幟がなびき生い茂る杉木立が悠久の歴史を感じさせますね・・熊野本宮に勤めてらっしゃる方と出会いました・・コーヒーのいい香りがしてきたので飲みそこねた話しをすると・・その下にあるコーヒーショップは熊野の水を使って淹れてる美味しいコーヒーですよ・・と教えて下さいました・・クマさん・・疲れた顔してますね・・コーヒーを飲んで美味しい・・と一言・・ホットだけにほっとしたみたい・・o(*^▽^*)oあはっ♪ここが熊野本宮の正面・・道路の真向かいの駐車場に車を止めています・・看板にこの先・・大斎原まで徒歩10分と・・クマさんを誘ったのですがもういい・・ここで待ってる・・ちょっと寄り道のときといい・・クマさんがそう言う事言うの初めてのことです・・足を痛めて数ヶ月治らなかったのがよほど堪えたのかもしれません・・ちょっと待ってて・・写真だけ撮ってくるからと私一人で行きました・・大斎原 (おおゆのはら)日本最大の大鳥居です・・熊野本宮大社はもともと現在の高台ではなくそこから徒歩約10分ほどの熊野川・音無川・岩田川が合流する中洲「大斎原(おおゆのはら)」に築かれました・・社殿が建てられたのが紀元前33年・・中洲全体が熊野本宮大社の敷地でした・・現在の大斎原は二基の石祠(せきし)と日本最大の大鳥居が建っています・・コーヒーショップでおすすめのランチのお店を聞いていたので誘ったのですが・・まだ食べたくないと・・12時24分の事です・・朝をしっかり食べたから?私もお腹が空いたって感じではなかったので帰路の途中で立ち寄る予定のとれとれ市場で食べようと言うことに・・とれとれ市場は凄い人・人で駐車場もいっぱいくるくる回っているときにちょうど出る車があり無事止めて・・中に入っても人・人でいっぱい・・お昼を食べようとお店を探したのですがどの店も行列・行列・・私もクマさんもこうなるともう食べる気が失せます・・お土産に新鮮な魚でもと魚コーナーを回ってみたけど高くて・・そんなとき後ろからこんなん・・大阪でこうたほうが安い・・の声が聞こえて・・思わずうんうんと納得しちゃった私・・頂いていた残りのクーポンを使い切ろうと・・おみやげコーナーに移動して購入したのがかどやの薄皮まんじゅう・ひとくちいちご大福・熊野古道物語・・かどやのうすかわまんじゅう・・上品な甘さが美味しかったです・・ひとくちいちご大福も熊野古道物語も結構美味しかったです・・またまたお昼を食べそこねたぁ・・^^;阪和自動車道に入って最初にあった印南SAにはいったのが15時・・フードコートには食べたい物がなくクマさんがこれで良いわと選んだのがめはりずしとサンマ寿司・・めはりずしとは歌山県と三重県にまたがるエリアの紀州・熊野地方に伝わる郷土料理・・握り飯を高菜の葉で包んだだけというシンプルなものです・・お味は・・普通・・さんま寿司のほうが美味しかった・・疲れた身体に酢飯のほうが良かっただけかもですが・・何故かランチってこういうことになっちゃう私達・・今回もまたかぁ~~~~~壁|〃´△`)-3ハゥー行く前には地元の美味しいもの食べようってねって話してても何故かいつもこういうことになっちゃう・・まともなランチが食べたいぞ・・・・……(-。-) ボソッ夕食はいつも行くステーキハウスに電話してハンバーグのお持ち帰り・・帰宅したのは19時15分・・熊野は遠いね・・一泊じゃたりないから今度行くときは二泊だねと・・季節のいい時期にまた行きたいな・・o(*^▽^*)o~♪歩いた歩数 16990歩 距離 11.9km追・・帰宅してしばらくすると奈良県十津川村の熊野古道で米コネティカット州のウームラッド・パトリシア・ピーツェンさん(60)が10日に行方不明となったとの報道が・・クマさんと二人そのニュースを聞いてびっくり!!小辺路のコースを歩いたようですが・・未だに見つかっていないそうです・・結構な急斜面ですから落ちたらと思うとゾッとします・・一刻もはやく発見されることをお祈りいたします・・旬菓庵かどやのうすかわまんじゅう(10個入) 白浜銘菓価格:1,430円(税込、送料別) (2023/5/2時点)楽天で購入FC2・・はこちらから
2023/05/02
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10時35分・・伏拝王子着・・今までクマさんと二人道中でしたがここまで来るとまあまあな人たちが休憩していました・・さて・・コーヒーを注文しようと中にはいると・・?ヾ(゜ー゜ヾ)^?。。。ン?奥に声をかけても返事がないです・・休憩していた方が休みみたいですよ・・ここのお店は不定休らしくて休みにあっちゃったってことのようです・・もうね口がコーヒーの味になってから▼▼”⌒☆o(_ _o)ドテッ持ってきたお茶を飲んで我慢です・・トイレを済ませて出発・・振り返って見たところです・・舗装された道を少し進むと伏拝王子から三軒茶屋跡に向け地道の古道に入ります・・爽やかな緑に囲まれた緩やかな下りが続きます・・クマさんどんどん先を進みます・・こっち向いてぇ~~~~吊り橋を渡りきった左が三軒茶屋跡です・・この名の通りここには三軒の茶屋があり非常に賑わっていたそうです・・三軒茶屋は果無峠を経て熊野と高野山を結ぶ果無街道と中辺路街道の分岐点でした・・昔は熊野本宮大社の参拝を終えると果無街道を経て高野山に参る人も多かったそうです・・本宮に向かってたっている道標には「右かうや十九り半/左きみい寺三十一半」と刻まれていました・・九鬼が口関所跡三軒茶屋の隣に「九鬼ヶ口関所」という木で作られた門があります・・この関所は「高野山」へ向かう「果無街道」にありました・・500年ほど前の「関銭」は7文から10文でお酒1合程度の200円くらいだったそうです・・三軒茶屋跡を過ぎるとしばらく地道の美しい古道が続きます・・ 少し上りもありますが殆どは緩やかな下り坂が続きます・・何万年も前からこんな景色なのでしょう・・ね・・相変わらず道はなだらかな上りです・・ちょっと寄り道・・クマさん・・展望台があるみたいだよ・・と声をかけたのですが・・どうせ大した風景やないやろし・・もういい・・とさっさと先へ進んじゃいました・・後でわかったのですがここから大斎原(おおゆのはら)が遠望できたようです・・画像をお借りしましたクマさん疲れちゃったみたいなんですよ・・以前足を痛めて治るのに数ヶ月かかったこともあり無理はしたくなかったそうです・・ここから下りが続きます・・古い石畳や石段も残り大社が近くなってきた雰囲気が感じられます・・11時41分・・やっとしたまで下りてきました・・祓殿石塚遺跡平誠年の熊野古道沿いの発掘調査で見つかったそうです・・江戸時代後半(18~19世紀)に気づかれたとみられる石塚で参詣道中の安全などを記念するために石と積み上げたとされています・・石塚遺跡が気づかれる以前の石列や集石遺構・宝篋印塔の一部なども出土したことから鎌倉から室町時代にはすでに信仰関連の何らかの遺跡がこの地に存在したと推定されています・・熊野本宮の方へ向かいます・・祓戸王子現在の熊野本宮大社まであと50mほどのところに樹齢300年以上と伝わる立派な二本の樫の木と楠の足元に守られるように立つのが祓戸王子です・・史料によっては「祓戸」「祓所」などの別表記があります・・本宮大社の旧社地(大斎原)までも数百メートルしかなく他の王子とは異なり参拝の直前に身を清める潔斎所としての性格を持っていた王子社と見られています・・祓戸王子のすぐ裏手が熊野本宮大社です・・11時51分祓殿王子を出発・・熊野本宮へ向かいます・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/26
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水呑王子を過ぎるとこれぞまさに熊野古道!というような石畳の古道です・・クマさんなにか見つけたようですね・・クマさんは何にでも興味を持っているので歩いていてもなにかしら見つけます・・古道らしい林の道を進みます・・綺麗に整備されています・・人気コースと言うだけあってお手入れが行き届いていますね暑くなってきたので上着を脱ぎました・・木々の香りやパワーを全身に浴びながら進みます・・可愛いお地蔵様・・干し藁の帽子をかぶせていただいています冬は雪がすごいのでしょうね・・地元の住人のためのポンプでしょうか・・ここから出る水は熊野の水美味しいのでしょうねぇ・・伏拝王子に向かって進みます・・ここからまた道路沿いの道に出ます・・集落の畑に・・住人の方の手作りでしょうか・・楽しいね・・便利バス・・集落の住人の足となるバスでしょうか・・長閑な風景を楽しみながら進みます昔から使っている釣瓶の付いた井戸・・伏拝茶屋この先に熊野の水で淹れたコーヒーが飲めそうです・・そのコーヒーを目指して進みます・・向こうから元気な学生さんが走ってきます・・思わず声をかけると素敵な笑顔が帰ってきて・・今どき珍しい爽やかな女子・・あと300メートル・・あとちょっと美味しいコーヒーが飲めるぅ~~~~ヤギだ・・この集落は伏拝集落・・このあたりはお茶の畑が多く「音無茶」という名前で茶粥や茶飯にも使われているんだそうです・・無人の販売所でも「音無茶」が販売されていました・・そんな伏拝集落で出会った御婆ちゃま・・腰は曲がっていますが足腰はしっかり・・これから草引きに行くんだと・・御年92歳・・艶々のお肌がびっくりするくらい綺麗な御年92歳の元気な御婆ちゃまでした・・茶畑の草引きをしていたおじさん・・果無山脈(はてなしさんみゃく)和田ノ森(1049m)安堵山(1083m)黒尾山(1235m)冷水山(12701m)石地力山(1140m)の連山を呼び東西に18km連なり稜線は奈良県となっている・・高野山と熊野本宮大社を結ぶ参詣道が残り今なお行き交う人々もある又・山頂よりの紀伊連山の眺望はすばらしく遠くは熊野灘沖が一望できるブナの原生林・シャクナゲ・ドウダンツツジ等の高山植物や野獣の宝庫でもある昭和61年9月30日町制施工を記念して本宮町名称八景に選定本宮町と書かれていますのどかな集落の茶畑が美しいです・・茶畑の奥に果無山脈の景観が広がります・・お地蔵様にお迎えしていただいて・・伏拝集落を抜け階段を登っていくと伏拝王子・・もう少しで熊野の水で淹れた美味しいコーヒーが飲めると思うと足取りも軽く・・10時35分伏拝王子到着・・皆さんに追いつきました・・が・・ここでショックなことがぁ~~~~~~~~!ナンデヤネン!!(;==)ノ☆);><)続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/22
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案内板に沿ってしばらく歩くとどなたかが彫って置いてるのかな・・ユニークなお顔が並んでいます・・八咫烏がお出迎え・・木々の香りが爽やかです・・クマさんが・・これ何やろ?写真撮って後で調べて・・マムシグサ学名:Arisaema serratum科・属名:サトイモ科/テンナンショウ属草丈:40cm~60cm開花時期:3月~5月花言葉:「壮大」「壮大な美」北海道から九州にかけて分布・・明るい林の中や谷沿いのやや湿った場所でよく見られます・・長い茎の先にひとつの花を咲かせます・・仏炎苞は淡い緑色や淡い紫色で縦に白い筋が入ります・・黄緑色の方をカントウマムシグサ・アオマムシグサ・・紫色の方をムラサキマムシグサと呼ばれています・・(中間的な形態を示すものも多い)花は雌花と雄花に分かれた雌雄異株です・・環境によって雄株から雌株へまたは雌株から雄株へと性転換する植物だそうですよ・・マムシ注意の看板があちこちにありました・・色々と調べたのですが名前がわかりません・・グミの一種かとも思ったのですが違うみたいです・・9時53分水呑王子到着・・熊野本宮大社の奥の院とも伝わる船の神様・・熊野古道・中辺路(なかへち)発心門王子と伏拝王子の間に位置する水呑王子(みずのみおうじ)廃校跡にあります・・水呑王子は古い歴史のある王子社のひとつで平安末期の藤原宗忠参詣記(中右記)に「内水飲王子 新王子」と記載がありもとは「内水飲」といわれていたそうです・・中辺路町高原の熊野道に古くから参詣人の宿になっている場所の「水飲」という場所と区別する為にそれよりも本宮に近いこの地を「内水飲」と呼んだといわれています・・江戸時代になって「水呑王子」と表記されるようになったようです・・水呑王子」と刻まれた緑泥片岩の石碑(高さ約78cm、幅約37cm)の横には地元の人々の信仰を集める腰痛のお地蔵さん(地蔵菩薩立像と坐像)が鎮座されています・・この場所は明治9年から三里小学校三越分校だったのですが昭和48年に廃校となりそのあと観光施設として使用されていましたが現在は廃業となっています・・水呑王子の少し手前にある小さなお地蔵さんも歯痛に効くといわれています・・実際に御利益があるというよりもこんな山奥でお医者様も薬もなかった時代にはお地蔵さんにお願いするしかなかったのではないでしょうか・・水呑王子からはいよいよ古道らしい雰囲気になってきます・・続く追皆さんのコメントに舗装された道路なんですね・・もっと山道だと思っていましたと・・私も行く前はそう思っていたのですが実際に行ってみると発心門王子から水呑王子までは舗装された道を歩くことになります・・今も昔も地域の人々の生活の道でもあり・・現在も使用されている部分は車も通行できるような道となっています発心門王子の前も観光バスが入ることができます・・ここから本宮大社まで歩くツアーが一番人気だそうです・・FC2・・はこちらから
2023/04/20
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私達が歩いたのは・・発心門王子~熊野本宮大社・・このコースの歩き方本宮温泉郷に宿泊して歩かれる方は各温泉からバスにて発心門王子まで行き熊野本宮大社まで歩きます・・自家用車で来た方は発心門王子・伏拝王子付近には駐車場がありませんので熊野本宮大社前の世界遺産熊野本宮館・河川敷駐車場などに自家用車を停めてバスを利用して発心門王子に行かれるといいです・・私たちはホテルの送迎バスで熊野本宮館の駐車場まで一緒に行きそこに車を止めてホテルの送迎バスで発心門王子まで送っていただきました・・本宮町内の発心門王子から熊野本宮大社のコースは約7kmのゆるやかな下りでコースも広く歩きやすい人気コース・・休憩所なども整備され石畳の残る古道や棚田や茶畑が美しい集落の中の道など・・雰囲気も良いコースでした・・歩行距離:6.9km 歩行時間:約2.5時間 所要時間:約3.5時間ホテルの送迎バスが発心門王子についたのが9時13分・・まずはお詣りをしてクマさん・・記念スタンプを押しています・・他の皆さんはさっさと先に行ってしまって誰もいません・・私達が出発したのは9時17分・・上がってきた車道を下ります・・しばらく下ると水呑王子の案内板がありましたここを右に・・建物が見えてきました・・発心門王子のバス停でした・・ここにはトイレがあります・・紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録記念植樹・・と書かれています・・しいたけの原木と椿・・集落の中を通ります・・舗装されていて歩きやすいです・・これなら楽勝・・先に行かれた皆さんが全く見えません・・お地蔵様に手をあわせて・・きちんと案内板があるのでその通りに進みます・・鯉が優雅に泳いでいました・・まだまだ集落が続きます・・誰一人として人に出会いません・・うぐいすの声だけが響く長閑な集落です・・水呑王子の方面に向かいます・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/18
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2023年3月29日(水) 快晴いつも通り午前6時前には目が覚めて・・せっかくだからお部屋の露天風呂に・・クマさん・・とっても気持ちいいってごきげんです・・ぬるめのお湯が最高!クマさんのあとから私もはあ~~~~と声が出ちゃうくらい気持ちいい・・ゆっくり温泉に使って浴衣に着替え・・朝食へ朝食はバイキング・・昨夜入った露天風呂が窓からみえました・・お父さんと息子さんが入っていましたが周りから丸見え・・夜に入って正解でした・・今日はこれから7キロの熊野古道を歩きますしっかり朝食を食べてお腹いっぱいにして・・食後お土産売り場を覗いてお土産用のお菓子をゲット・・一人2000円のクーポンを頂いたのでそれで購入・・お部屋に戻って出発の準備です・・ホテル前に8時50分集合・出発・・ホテルの車のあとを付いて熊野大社の駐車場まで移動です・・10分ほどで熊野大社に到着・・そこに車を駐車してホテルの車に乗り込み熊野道の入り口まで送っていただきます・・送迎バスには私達を含め10人くらい・・皆さん私達と同年齢の方がほとんど・・一組だけ40代くらいのご夫婦が・・熊野古道入り口の発心門王子まで車で約13分・・どんどん山の上まで上がっていきます・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/15
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17時25分・・今夜のお宿の山水館 川湯みどり屋到着・・チェックインすると露天風呂付きのお部屋にグレードアップさせていただきましたと・・私が予約したのはツインのお風呂なしトイレ付きのお部屋でした・・全国旅行支援をつかってかなりお安くなって・・一人2000円の電子クーポンまで頂いた上に・・同じお値段で露天風呂付きにグレードアップだなんて・・ラッキー!!朝からおにぎりときつねうどんしか食べていない私達もうお腹ペコペコですぐに夕食をお願いしました・・食事は3品付きの半バイキング・・まずは生ビールで(●´▽`●)_旦"☆"旦_(○´ー`○)カンパイ何度もバイキングのおかわりをしてお腹いっぱい・・どれもとっても美味しかったけど大好きなグラタンがあったのは嬉しかった・・当然おかわりしましたよ・・お部屋に戻って少しゆっくりしてから大浴場へ・・もちろん温泉です・・温泉で身体や頭を綺麗に洗ってから外の川辺にある露天風呂へ・・大塔川の清流を望む大浴場・河原の露天風呂は男女混浴・・大浴場から湯衣を着てそのまま外の露天風呂へ行けます・・外は真っ暗見えるのはお月様とお星さまだけ・・綺麗な夜空を見上げながらの露天風呂・・最高!!川のそばにこういう露天風呂が数か所あります・・私が行ったときは女性ばかりで男性の姿はみえませんでした・・海外から来てらした女性・・夜空を見上げながらビューティフルを連発・・かなり興奮してました・・お月様とお星さまに見守られながら露天風呂を堪能できる・・なんて贅沢なのでしょう・・ぬるめの温泉をゆっくり楽しんでお部屋に戻るとクマさんは露天風呂にははいらなかったようで私の話しを聞いて面倒くさくなって入らんかった・・しまった・・そんなに良かったんなら入ればよかった・・と今から入ってきたらというともういいとさっさとベッドに・・疲れていたのかすぐに寝息が聞こえてきました・・o(*^▽^*)oあはっ♪続く・・歩いた距離・・5.4キロ 歩数・・7993歩登った階数29階 1階は約3メートル(16段)とみなして464段上ったことになります・・下りも足すと・・そら膝も足首も痛くなるはず・・FC2・・はこちらから
2023/04/12
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三重塔から那智滝に移動します・・満開の桜がとっても綺麗・・那智滝方面に移動です・・しばらくすると標識が・・とってもいいお天気で暑いくらい・・ここを左へ・・いきなりの急な石の階段・・転ばないように気をつけながらぼちぼちと・・若い頃は平気だった下りの石段が怖い・・ちょっと足が引っかかると落ちちゃいそうで・・やっと急な石段が終わると・・伏し拝み・・ここは「那智御瀧飛瀧神社」の遥拝所・・五町石後方のこの辺りには往古の礎石が残っています・・毎年7月14日熊野那智大社の例大祭(扇祭り・那智の火祭り)ではこの場所で扇建て神事が行われる聖地です・・はい・・この先もまたまた急な石段が続きます・・熊野那智大社の別宮である飛瀧神社が・・飛瀧神社(ひろうじんじゃ)は和歌山県那智勝浦町那智山にある神社です・・御祭神は大己貴神・熊野那智大社の別宮となります・・那智滝自体が大己貴神が現れた御神体となっていて本殿は存在しません・・拝殿もなく直接滝を拝むこととなります・・滝の飛沫に触れることによって延命長寿の霊験があるという伝説があります・・この坂を下りきったところに・・那智大滝が・・海外からの観光客もたくさん来ています・・那智滝(なちのたき)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川中流にかかる滝で石英斑岩からなるほとんど垂直の断崖に沿って落下し落ち口の幅13メートル・滝壺までの落差は133メートルに達しその姿は熊野灘からも望見することができます・・総合落差では日本12位ですが一段の滝としては落差日本1位・・華厳滝・袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられています・・国の名勝に指定されている(1972年7月11日指定・指定名は「那智大滝〈なちのおおたき〉)那智山中の那智原始林にはいくつかの渓流がありその渓流には60余に達する多くの滝が架かっています・・「那智滝」とは本来は那智山の多くの滝のうち瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称でした・・帰りの上りの石段を見るとため息が・・ここにあったのが光ヶ峯遥拝石・・熊野の神様が降臨したと伝えられている光ヶ峯に通じていて一回なでると縁結び・心願成就・・二回なでると金運隆昌・家内安全・・三回なでると厄除け・身体健康・・の力をいただけるそうで二回なでてみました・・ここを出ると自動車道・・ソフトクリームの幟に引かれて足がそちらへ向かいます・・クマさんは抹茶ソフト・・私は柚子ソフト・・柚子の香りが爽やかで美味しかったぁ・・・ありゃ・・食べる気持ちが勝ってて写真撮るの忘れました・・食べながら自動車道を横切って上りの石段に・・途中で休憩しながら振り返って撮った写真若い男性三人組・・さすがですねさっさと登ってきます・・ついつい声をかけちゃった私・・嫌な顔一つしないで付き合ってくださって・・お話をしながら登って行きました・・クマさんと二人の学生さんが先を上り・・遅いペースの私に合わせてくださった学生さんが一人・・色んなお話をしてて三人共・立命館の三回生だとおっしゃってました・・お一人の地元がここで一緒に来たようです・・これから就職活動だそうですよ・・三人ともとっても爽やかな学生さん達で辛い上りの急石段も楽しく上り切ることができました三重塔までご一緒してくださいました・・クマさんもとっても楽しかったようです・・ここから三人の学生さんは青岸渡寺に向かいます・・私たちは近道をしてPに・・一期一会に感謝です・・ここが熊野那智大社の入り口に当たるところです・・この階段を上りきって左に進むとPです・・この後速玉神社に行く予定をしていたのですがすでに16時過ぎ・・クマさんは足首と膝の負担が大きかったようです・・私は足首はどうもなかったのですが膝が・・明日は熊野古道を歩くので今日はこのままホテルにはいって休養することに・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/10
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熊野那智大社からすぐのところにあるのが那智山青岸渡寺(世界遺産)3年間の滝篭もりをした花山法皇が永年2年(988)に西国三十三所観音霊場の第一番札所として定めたとされるお寺です・・熊野那智大社とともに熊野信仰の中心地として厚い信仰を集めています・・仁徳天皇の時代(313~399)にインドから那智に渡来した裸形上人(らぎょうしょうにん)が那智の滝で観世音菩薩を感じ現在の場所に庵を造ったのが始まりとされています・・明治初年の神仏分離以前は「那智の如意輪堂」と呼ばれ熊野那智大社社殿と並び建ちます・・もとは那智権現の供僧寺で熊野那智大社と一体の寺院として発展しました・・熊野那智大社と併せ熊野三山の中で神仏習合時代の姿を今に伝える唯一の事例だそうです・・御本尊は如意輪観世音菩薩(にょいりんかんせおんぼさつ)で・・現在の本堂は天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので桃山時代の特徴を色濃く残しています・・また本堂内にある鰐口(わにぐち)は秀吉が寄進したもので、秀吉の願文が刻まれています・・正面上の丸いものがそうです・・私たちは熊野那智大社から出発したのでこの階段を降りると青岸渡寺の入り口となります青岸渡寺の本堂を横から見たところです・・隣接している「熊野那智大社」の鮮やかな朱色との対比が見事でした・・色落ち具合が渋くていいですね・・宝篋印塔(ほうきょういんとう)元亨二年 1322年(鎌倉時代後期)のもので流紋岩でできた高さ4.3mの宝篋印塔・・明治以前には別の場所にあったものが現在の位置に移転されたとされています・・国の重要文化財指定をうけています・・鐘楼青岸渡寺の鐘楼は元亭4年鋳造(鎌倉時代)に鋳造された鐘楼です・・鐘楼からすぐのところに茶店的なお店があっておうどんがありました時計を見ると14時・・出発するときに持ってきたおにぎりを食べたきりでお腹がぐぅぐぅ・・おすすめのきつねうどんを・・甘いお揚げさんにゆずがはいっててとっても美味しかった・・お汁も綺麗に飲み干しちゃった・・待っている間に目についたのがこれ・・なんかすごくいいことが書いてありますね・・ぼけたらあかん 長生きしなはれ本当にそのとおりだなとこれからの残りの人生の生き方を教わりました・・更に那智の滝を目指して進みます・・本堂後方に那智の滝との調和が美しい朱色の三重の塔が・・那智山青岸渡寺三重塔那智山青岸渡寺の三重塔は500年前に制作された「那智参詣曼荼羅」にも描かれています・・戦国時代(1467-1603)の内戦のさなか1581年に焼失しましたが1972年にほぼ400年ぶりに再建されました・・時間的に私たちは中の見学ができませんでしたが・・各階に異なる仏の像が安置されていて1階には那智の滝にまつわる多くの伝説に登場する不動明王・・2階には西方の極楽浄土に住まう阿弥陀如来・・3階には慈悲の菩薩である飛瀧権現本地千手観音が祀られています・・仏教壁画も塔の各階の壁を彩っているそうです・・内部見学したかったなぁ・・遠いから時間的に無理があるので仕方がありません・・ここから那智の滝に向かいます・・続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/06
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3月28日(火)~29日(水)まで熊野に出かけていました2日間ともとってもいいお天気で暑いくらいでした・・AM8時過ぎ自宅を出発・・熊野那智大社のPに到着したのが2時過ぎでした・・ナビ通り熊野那智大社のPに向かう狭い山道をどんどん進んだ一番奥にありましたPか標識に従って歩いていくと目の前に階段が・・足取りも軽くトントンを登っていくと宝物殿熊野信仰は当地の大自然と神道・仏教・修験道とが折り重なって形成された独自の信仰です・熊野は貴族・武士から庶民まで身分性別を問わず全ての人を受け入れ救い上げる聖地として「日本第一大霊験所」と称されその神威に触れようと多くの参詣者が当地を目指しました・・熊野那智大社にはそうした歴史を裏付ける貴重な文化財が多数伝来しています・・その中には時の朝廷幕府との関わりを示す奉納品や熊野の重層的な宗教観を伝える祭具全国規模の信者の広まりを確認できる記録などがあります・・宝物殿では刀剣・古鏡・古祭具・参詣曼荼羅・古文書・経塚出土品などを常設展示しています時間的に余裕がなかったので中の見学はしませんでした・・礼殿主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ・イザナミノミコト)新抄格勅符抄(大同元年806年)には古名として熊野牟須美神とあるように夫須美(ふすみ)とは「むす」という生成発展を意味する言葉であり同時に「結(むすび)」という意味を持っています・・このためかつては「結宮(むすびのみや)」という通称で呼ばれていました・・他の二山と違い御瀧の神様を併せ祀っているため一柱多く神様を奉斎しています・・元々は御瀧の近くで祀られていましたが約1,700年前に現在の場所に遷りました・・八咫烏(やたがらす)・御縣彦社(みあがたひこしゃ)八咫烏(やたがらす)は熊野の神様のお使いである三本足の烏です・・より良い方向へ導くお導きの神様とされ熊野那智大社の境内にある御縣彦社(みあがたひこしゃ)でお祀りされています・・正面には八咫烏の銅像も・・大樟(くす) 胎内くぐり樟霊社(しょうれいしゃ)樹齢850年と推定され樹高は27メートル幹回り約8.5メートルあり・・この樟を御神木としてお祀りしています・・幹が空洞化していて護摩木(300円)若しくは絵馬(500円)を持って通り抜けることが出来ます・・平重盛の御手植と伝わっています結構狭い・・頭ぶつけちゃいました・・^^;中に入るとなんか胎内にいるような感じがします階段から降る注ぐ太陽が眩しい・・急な狭い階段・・気をつけて登らないと滑り落ちそうで怖い・・なんか不思議な感覚・・なんと表現していいのか・・生まれ変わった?続く・・FC2・・はこちらから
2023/04/02
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