聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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2011.10.25
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ブログから

 でも、旦那様はそれを望んでいなかった。それが旦那様の正義(愛)だからです。
 旦那様に従う気があるのなら、旦那様が指し示す正義の道を辿るのが奥さんの勤めです。
 自分の正義(愛)を主張して、旦那様の正義(愛)を退けるのは奥さんのエゴです。 

 もし、たとえ旦那様が無理をし過ぎて倒れたとしても、C-こは自分の愛を押し通せばよかったと後悔するかもしれませんが、旦那様は自分の思い通りに出来て何も後悔することはないはずです。C-こが後悔したくないからといって自分の正義(愛)を押し通し、旦那様の愛(正義)を退けるつもりですか?michael

このブログの内容から思いました。
私はずっと自分を責めてきました。

でも旦那様はできないから、失敗したとしても、私が自分を責めることを嫌がります。
この前、旦那様が会社での宿泊当番がありました。私は翌朝のご飯を入れるのを忘れました。
私は慌てて、旦那様に会社に持っていきたいとメールをしました。旦那様は「会社で買うから大丈夫、気にしないで」と返事をくれました。
その文章を読んで、旦那様に従う、愛を受け取ると思い、考えていました。
もちろん、旦那様のその言葉に従い、大丈夫だよ、と言ってくれている愛を受け取り、気にしない事!と思いました。
その時、ふと入れるのを忘れたことを自分を責める私がいました。でも旦那様の「気にしないで」という言葉を思い出し、考えていると、「そうだ、そうやって自分を責めることも旦那様の言っていることに従っていないことになるんだ、じゃあ、どうしたらいいんだろう?」と考えた時に、次は失敗しない事!と思いました。
旦那様には「ありがとう、次は忘れないよ!」と返事をしました。
今回の事で、きっと今までも旦那様が「次、頑張ろうね」というようなことを言ってくれていたことを受け止めず、私は自分を責め、どれだけ旦那様の愛を無視してきたんだろうと思いました。
michaelさんの言葉からの、「自分の正義(愛)を押し通し、旦那様の愛(正義)を退けてきた」
そうなんだ・・・と思いました。

母に対しても新しく連絡を取って、母の愛を受け取らなければいけないと思っていました。

お盆に母が「夜ご飯、ギョーザがいいか」と言いました。私は何日か前にギョーザを家で食べていたので、食べたいと思いませんでした。でも母に従わなければいけないのではないか、そう思いながら考えていると、父が「天ぷらがいい」と言ってくれました。それでも母は「ギョーザか、ギョーザか」と言っていました。
その時の私は分かっていませんでした。
ただ、母が父に従えていない、そう思って、母に「お父さんが言っていることを分かったと言わなければいけない」と上から目線で言いました。母は「お母さんは自分の作るギョーザには自信があって、この前会社の人が、おいしいギョーザ屋さん知りませんか?と言われて、私はギョーザには自信があるんです、と言って、作って出したら、その人が、本当においしいギョーザです、と言ってくれたので、N子達にも食べさせてやりたいと思った」と母は言いました。
私はその時には、母が父に従えていないという事と、母は自分の事を自慢したいんだとしか、思えませんでした。
ずっとそのことが引っかかっていました。

私が従えなかったから、父が「天ぷらがいい」と助け舟を出してくれた事、そして、母はただ私達に自分(母)の愛のこもったギョーザを食べさせたいと思ってくれていたんだと思いました。
その母の愛をちゃんと受け止めていれば、もちろんそのまま「うん、ギョーザを食べさせて」と素直に言えたら、でもまだまだメールで書くようには言えないのですが、「お母さんが私達のためにギョーザを食べさせたいと思ってくれる気持ちは嬉しいんだけど、何日か前にギョーザを食べたから、違うものにしてほしい」と言ってもいいのではないかと思いました。

最近、ふと思います。
前は大嫌いだった自分を好きになれてきているかもしれないと・・・
自分を責めてきたのは、自分がちゃんとやるべきことをやっていなかったから、気がついても後回しにしてきたからだと思いました。
そして自分を責めるだけで、やるべきことをやらなくて、後回しにして、自分を変えようとしなかったから、自分の事が嫌いだったんだと思いました。
そんな自分をごまかし、やったふりをして、上から目線で相手にたくさん嫌な思いをさせてきました。まだまだ今もあると思います。
でも、まだまだあるかもしれないけど、でも少しずつ嫌な自分を無くしていこうと思います。
自分が辛いと感じる時があります。それは自分を責めているときで、責めているときは、何かをしなければいけないと思いながら、何かを後回しにしている事があるんだと思い、考えています。するとやっぱり後回しにしていることがあるんです。

前に天使の会にいさせていただいていることも、いてもいいのだろうか・・・と思っていると書きました。
考えていました。
ふと、自分がダメだから天使の会にいてはいけないのではなくて、自分がダメだから、という表現ではなくて、自分がもっと向上しなければいけないから天使の会にいるんだ!と思いました。
確かにずっと天使の会にいたいと思っていました。でもいてもいいのだろうかと悩んでいました。
ずっと前に「天使の会は相手を変えるためにあるのではなく、自分を変えるためにあるんですよね」と言った事がありました。
そのことも自分が天使の会にいるのは、嫌な自分を変えるため、それは思っていました。でもこんなにダメな私がいてもいいのだろうか・・・とずっと思っていました。
では自分がなぜ天使の会にいるのか、それは自分がダメだと思うから、天使の会にいるんです。嫌な自分がいるからこそ、天使の会にいるんだと思いました。きっとダメというか、嫌な自分がいなければ天使の会にいる必要はないのだと思いました。自分が嫌だからこそ、嫌だと感じる自分がいるからこそ、天使の会にいるのです。
そして天使の会にいて、学ばせていただくことによって、自分の嫌な部分を手放し、自分がもっと向上するために、天使の会にいさせていただきたいのです。
そして自分を好きになり、相手も好きになり、人を愛せる私になりたいからこそ、天使の会にいるのです。
きっと、ずっとmichaelさんが言ってくださっていた言葉だと思うんです。
でもやっとmichaelさんが言ってくださっていた事、理解できたように思います。
と書きながら、大丈夫かな・・・

母との事も同じだと思います。michaelさんが言ってくださっていました。「自分(Cーこ)が(Cーこの)母を選んできた」と・・・
母の愛を分かりたいと、母の愛を手に取りたいと思って、生まれてきたのだと思いました。
まだまだ苦手意識が出ます。後で母の愛を感じるのではなく、その時に母の愛がちゃんと手に取れる私になりたいです。

言葉は違うかもしれませんが「相手に従えるようになると、不思議と相手から認められていると感じられるようになる」とmichaelさんが言ってくださっていました。
それは私が旦那様のメールの中で「気にしないで」という言葉から思った事です。
もし、旦那様が私に対して「もっとちゃんとやれよ!」と思っていたのならば、「気にしないで」という言葉ではなく、「なんで忘れたの!」とか「忘れたんだ」とか、うまく言葉が思いつかないのですが、きっと旦那様にはそういう気持ちが無いから、言葉が思い浮かばないのだと思うのですが、何か責められていると感じるような言葉が返ってくるような気がするんです。
でも「気にしないで」と言ってくれているということは、「いつも頑張ってくれているね、忘れる事もあるよ」という意味だと思ったのです。
それは旦那様が私を認めてくれているということだと思いました。
でもまだまだ旦那様に従えていない、「はい」と言えないときがあります。そして後で、この言葉はそういう意味だったんだと気が付かされ、気が付いていないところでもまだまだ従えていないと感じる事があります。

もっとちゃんと従えるようになります。     Cーこ









 人がして欲しいと思うことには個人差があります。
 同じことでも、もっとして欲しいと思う人もあれば、そこまでしなくてもいいと満足してしまう人もいる。

 C-この旦那様の場合は後者なのでしょう。

 だからといってC-こが楽をしてしまうと、今度はC-こを甘やかすことにもなりかねません。

 旦那様のほうがC-こより許容範囲も広ければ許容量も多く、C-この許容量、許容範囲も旦那様はすでに知り尽くしていて、それでいいと思っているのだとしたら、C-こは自分を向上(成長)させるために、旦那様には感謝しつつ、自分で自分を鍛え上げていくより他に手立てはありません。

 今回送られてきたメールはとてもよく分析できているし、これでいいと思える内容です。

 ですが、『旦那様がこれでいいと思っているのなら、これ以上努力する必要はないんだ』とは思わないようにして下さい。

 以前から言っているように、神が可能性である以上、なんでもおできになる神に認められて存在する(神から生まれた)私達人間も、本当は何でもできなければならないのです。
 現に何でもできるから、大発見や大発明、偉大なる賢者が次々と生まれ、夢を現実のものとしながらこの世に存在するわけなので、決して未熟な(何でもできるようになっていない)私達が、これ以上努力する必要がないなどと言える道理がないのです。

 努力は必ず死ぬまでし続けて下さい。

 どれほどのことが出来るようになるかによって、肉体を離れた後、見えてくる世界が自ずと決まると思ってまず間違いはないと思います。

 愛の天使になれるまで頑張りましょう。michael





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Last updated  2011.10.25 15:39:24


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