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長男の授業参観がありました。科目が「国語」だったので、特別支援クラスの方へ見に行きました。授業は音読でした。日ごろから練習していたので、とても上手に読めていました。1年ほど前の授業参観では・・・まだみんなと同じクラスで勉強していたとき、同じように音読の発表がありました。大きな声でスラスラと上手に音読する子たちの中で、長男の読み方はたどたどしくて、見ている私はドキドキしていました。先生が授業参観を意識して考慮してくださったのか、長男が読むところはほんの少しです。その考慮が有り難いのですが、やっぱり寂しい思いもしました・・・今年の長男の音読は、彼の成長を感じるものがありました。あんなに読みにくそうだったのに、スラスラと感情を込めて読めていました。みんなと同じクラスにいたころは、彼は苦手意識ばかりを味わっていたと思います。だけどクラスが変わって、彼なりに「できる」思いを味わっているのだと思います。それがとてもよく感じられて、本当によかったと思いました。授業参観のあと、今まで出ることができなかった懇談会に出ることができました。特別支援クラスのママ友さんが「新しい年になったから、同じ学年の親さんたちに息子のことを説明したい」 と言っていたことに勇気をもらいました。最初は「強いなぁ」なんて他人事みたいに感心してたのですが、自分も今一歩強くなろう、と気持ちが変わりました。新年度ということで自己紹介があり、なんとか自分の言葉で長男の説明ができました。自分の「怖い気持ち」に勝てた気がして、ちょっと気持ちが晴れました。いろんな人に支えられて、応援されて、そのおかげでずいぶん私は強いママになっていける気がします。長男のおかげで私は変わっていけるのです。本当なら本来の自分を変えることなど難しいと思います。いっぺんには変われないけど、でも変える努力ができる、変えようと思う勇気が持てる、それはやっぱり長男のおかげなのだろうと思います。それはとても有り難いことなのだと思います。
2009年04月29日
地元の同級生の子が病気で亡くなりました。同級生のお葬式はその子が初めてになると思います。お通夜に行くと、本当にものすごい数の人が弔問に来ていました。彼女の人徳なのだろうと私は思いました。斎場の入り口には“ウェルカムボード”のような… お葬式の場合はどう呼ぶものなのかわかりませんが、たくさんのスナップ写真がコルクボードに貼ってありました。どの写真も、笑顔が素敵な彼女が写っていました。もしかして・・・彼女は自分のお葬式の演出を考えていたのかもしれません。1年ほど前にはすでに余命を言い渡されていたということだったので、病気と闘いながらも万が一のことをちゃんと考えていたのかもしれません。印象に残ったのが彼女のお姉さんの笑顔でした。お焼香をするところで挨拶を受けておられましたが、違和感があるほどの笑顔で人々と接していました。私は少しそれが不思議で、時々お姉さんを見ていました。彼女と面影が似ているので、誰かに尋ねるまでもなく、彼女のお姉さんだとわかりました。お姉さんに話しかけている人がぽろぽろと涙を流して泣いていても、お姉さんはずっと笑顔のまま・・・かえってそれが私に強烈な悲しさを感じさせました。あの笑顔はお姉さんの強い強い意思なのだろうな・・・と私はそんなふうに思いました。妹のお葬式は絶対に明るいものにしよう、というような。みんなの心の中に笑顔の思い出が残るように。それとも、『お別れは笑顔で』と彼女から伝言されているのかもしれません。何か、そういうことを考えてしまうような、とても強烈に心に染みたお姉さんの笑顔でした。彼女の顔を見せてもらいました。たくさんの人が長蛇の列を作って、一人ひとり、彼女とお別れをしました。亡くなった人を見るのはいつも少し緊張します。ちょっと人間じゃないような気もするからです。呼吸も止まってて、ビクとも動かない、当たり前なのですが、それが私はとても不思議なのです。少し前まで動いてた人が、その同じ人物が動かなくなっている、それがどうしても不思議で不気味な気がします。彼女もまた不思議なくらい静かに、止まったままでした。キレイにお化粧されていて、口紅のさくら色がとてもキレイでした。その口元が私には少し微笑んでいるように見えました。口角がすこーし上がっていて、いかなる“おくりびと”でもそんなことができるのだろうか?と、少し不思議な気がしました。きっと彼女のお別れのテーマは「笑顔」だったのでしょう。私は1人、そんなふうに解釈しました。そういえば、彼女が生きている間も笑顔が似合う人だったと思います。彼女の存在のテーマがそもそも「笑顔」なのかもしれないですね。素敵なお別れ会でした。さようなら、京子ちゃん。
2009年04月27日
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