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はい、とうとう出ましたね。広江礼威さんの『Black lagoon(6)』(小学館、2006年11月)が。そして今回の表紙は、キリング・マシーン(殺戮機械)、南米ベネズエラの旧家、ラブレス家のメイドさんのロベルタさんが表紙を飾っております。しかしながら、メガネのメイドさんがシステマ・コルト・モデロ1927(米軍がベレッタM92Fの前に正式採用していた45口径コルト1911をアルゼンチンでライセンス生産した代物です。)を両手に持って、恐っろしい目つき(殺気のこもった)でこちらを見つめる姿は、どうもいただけませんね。純粋なメイドさん派、『エマ』大好き人間にとっては、ロベルタさんは邪道になるわけなのですが、まぁ、お話が面白いので良い事にしておきましょう。さて、今回の『Black lagoon(6)』は、前半が偽札騒動で後半がロベルタさんが暴れるお話の導入部となっています。私としては、偽札騒動の方が面白かったですね。この偽札騒動は、旧ドル札を密造しようとしていたフロリダのカルテルと期限とお金を惜しまずセッセと自分たちの勝手な世界に篭って「完璧な」偽ドルを作ろうとしていた一味が仲間割れして、偽ドル作りの主犯格の「破滅的」にさっしの悪いインド系のお嬢さん、ジェーンちゃんがロアナプラまで逃げてきて、こともあろうに暴力教会の扉を叩いて救いを求めるという、見当ハズレも甚だしい行為を行うところからお話が始まります。折りしも、熱帯雨林気候の当地でクーラーが壊れた礼拝堂の中では、主人公のレヴィと暴力教会の修道女(シスター)エダが、暑さを凌ぐための氷を積んで酒盛りの真っ最中。そこへ「助けて!」と礼拝堂の扉をドンドン叩かれもしようものなら、暑さで気が立っている2人のこと、エダは「営業時間外だ」と言うのですが、あまりのしつこさ&騒音に扉を開けてひと言「ヨハネ伝第五章でイエスが言ったのを知ってるか?厄介事を持ち込むな、この“アマ”だ」と言い放ちます(そんな事、聖書に書いてあるか!)。それに、「それでも修道女!?」と抗議するジェーンちゃんに対してエダはバッサリ「神は留守だよ、休暇を取ってベガスへ行っている。」、「そういう街で、そういう教会だ。」と切り捨てます。さらに「追われてるの」と助けを求めるジェーンちゃんに対して「審判の日に来るンだね。そうすりゃ神も―」と言っているところへ、追っ手の「よそ者」のカルテルのこれまたお馬鹿なフロリダ人(某国の大統領の弟が知事なんぞやっている州ですからね。)のミスタ・エルヴィスが銃をぶっ放してしまいます。その行為に顔が真っ青になるカルテルの一員で地元を仕切るロボスさん。さあ、ここからが大変です。暑さで気が立っている気の短いレヴィとエダのいる暴力教会に銃を撃ち込んだのですから。たちまち、レヴィのカトラス2丁(ベレッタM92Fのオーダーメイド品)とエダのグロック17からお馬鹿なカルテルの追っ手に向かって9mmパラペラム弾が乱射されます。これだけならカルテルの面々にも救いがあったのでしょうが、「姐さんッ!加勢に来ました!!」と言って新顔の見習い神父のリカルド君が、7.62mmのM-60汎用機関銃と弾薬箱に首から弾帯をさげてやって来たのですから救いようがありません。M-60は強力な機関銃ですので(え~、普通のコンクリートのブロック塀なんぞ、簡単に穴が開きます。)車なんぞ、盾にもなりません。ですので、慌ててロボスさんが「銃を収めてくれ、手違いなんだ。頼む!」と叫んだところで、撃ち合いが収まるはずもなく、修道女曰く「教会に鉛玉撃ち込んで五体満足で帰ろうなんざッ、虫がよすぎンだよッ!!」という事になり、悪党のロボスさんが「ああ神様、やっぱり駄目だ。」と耳をふさぐ有様。そこへ、火に油を注ぐように、エダが頭が上がらないシスター・ヨランダが出てきて「この不信心者どもを、ベテシメシ(旧約聖書の中にでてくる、唯一ユダヤ人に屈服しなかった町)の連中と同じ目にあわせてやらにゃアね。」と言って金ピカ象眼入りのデザート・イーグル(マグナム弾を自動式で撃つという文字通りのハンド・ガン、注:Gunには鉄砲の他に大砲という意味もあります。ちなみに、金ピカ象眼入りってなぜわかったかと言いますと、単行本が出るまえにアニメでこのエピソードを先に放映していたからなんですよね。)をぶっ放します。で、結局カルテルがトンズラこく訳ですが、その後の、ジェーン嬢ちゃんと撃ち合いをやった面々やカルテの連中の会話が面白いのです。延々と、カルテルに追われる経緯から偽札作りの詳細まで話す嬢ちゃんに対して、エダが「その話、最後の辺りはどの辺りだ。「バルジ大作戦」みたく、トイレ休憩を挟むのかい?」と半ギレしてみたり、暴力教会の銃撃戦で怪我をしたミスタ・エルヴィスが「この街に住んでいる連中ときたらとんだ野蛮人だ。洋服きて「エアロ・スミス」を聴いているだけで中身はモロ族と大差ねェ!信じられるか、教会の尼までもが銃をぶっ放してくるんだぞ!イカレポンチを煮詰めて作った神のクソ溜めだ、この街は!!」(なんて、端的な表現なのでしょうか!)と叫ぶシーンや、さらにエダが「あたしゃ希代のトリックスター、ガリヤラの湖上を歩く男に仕えてンだ。」というセリフなど、中々細かいところでアクセントが効いています。でもこのミスタ・エルヴィスを見ていると私が毎週観ているWOWOWの「CSI:マイアミ」のホレイショ・ケイン警部補率いる科学捜査班に事を起こしてあっという間に両手が後ろに廻りそうな気がするのですが・・・。という感じで、巻数を重ねるごとに面白くなっていくこの『Black lagoon』シリーズ。今回は、妙な話し方をする刃物使いの女殺し屋、「ですだよ」シェンフアが再登場したり、中々味のある掃除屋(死体の始末屋)でチェーンソー使いのゴスロリソーヤーが登場してきたり、ただの脇役のような存在かな、と思っていた修道女・エダさんの故郷がヴァージニア州ラングレイだったことが明らかになり(分からない人は、トム・クランシーの本を読んで勉強しましょう!)結構、今後のお話の展開に影響を与えてきそうな人物であることがはっきりしてきたり(だとすると、碧眼のシスター・ヨランダは、「約束の地」に住むダビデの星の関係者か?と邪推してしまうのですが・・・。だって碧眼と言えばダヤン将軍ですもの。)、ロベルタ話で出てくるかわいらしい雑役女中さん(中身は婦長・ロベルタさんとドッコイドッコイですが)など、書こうと思えばいくらでも書く話があるのですが、文字数の関係で今日はこの辺りで止めておきます。それでは。【余談がありますので、よろしければ、続きなどを】
2006年11月22日
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最近、奇妙な方向の本ばかりを重点的に紹介してきたので、今日は反省&方向転換(一時的であれ。)しまして、私の敬愛する小野不由美大先生の『くらのかみ』(講談社、2003年)を取り上げたいと思います。これまで、『十二国記』大好き~!!!と、声高らかに叫んできたのに、一度も『十二国記』で日記を書いていないじゃないか!と、指摘される方もいるでしょうが、これには、深~い理由があるのです。それは、気に入っているシリーズなので、筆が進んで止まらずエライコトになるのではないか?という不安です。現に、『ナポレオン戦争に関する諸考察』編では、調子にのって「範囲内(半角 8~10000 文字)の長さの文字列を入力して下さい(現在: 半角 15704 文字)」という警告を出してしまった位、書くことが出来るので、もうしばらく…、と思っているうちにココまで来てしまったと言うわけです。ただ、そろそろ訪問者も2千人を越えそうですし、プロフィールにも『十二国記』大好き~!!!(&『星界シリーズ』も!!!)と書いてあるので、ボチボチとこの2つのライトノベルの巨塔の世界について語らなくてはなぁ~、と思い、先ずは手始めに図書便りでも紹介を書いた『くらのかみ』を攻略して、『十二国記』へ進もうと思い、今日のテーマとなった訳です。さて、この『くらのかみ』は、このブログを書き始めた最初に紹介した、田中芳樹先生の『ラインの虜囚』(講談社、2005年)と同じ講談社の『ミステリーランド』シリーズの最初の配本のうちの一冊となります。もう一度、解説を入れておきますが、この『ミステリーランド』シリーズは『「本」の復権(ルネッサンス)を願い…』と題して講談社が小野先生、田中先生に有栖川有栖、篠田真由美、二階堂黎人の各先生等々、日本を代表する超大物作家が「かつて子供だったあなたと、少年少女のために」というテーマで書き下ろしている作品集です。この栄えある『ミステリーランド』の第1回配本に選ばれた(シツコイ!)『くらのかみ』ですが、私、まだ買っていません。正直、すごく欲しいのですが、この『ミステリーランド』の本は中身も一級品なら装丁も同様で、1冊2,100円するのです!この値段を見る度に「文庫が何冊…」と悲しい計算をしてしまうので、まだ、未購入という次第なわけです。前振りが何時もの如く長くなりましたが、ココから『くらのかみ』の紹介へと入ります。そこで、ちょっと内容紹介は楽をしまして…。小説『十二国記』シリーズで有名な小野不由美さんが書いた怪奇ミステリー。でも登場するのは、悪いことはしないという、座敷童子なんですね。事件現場は、行者に祟られ座敷童子に守られているという田舎の古い旧家、そこで起こる事件は財産相続にからんだ殺人未遂事件、のはずなのだけど大人たちはただの偶然、事故だと言います。それに納得できない子どもたちと、子どもたちの中に紛れ込んだ座敷童子は、犯人を見つけるために少年探偵団を結成するのですが、さらなる事件が発生します。子どもたちは犯人を見つけられるのでしょうか?そして座敷童子はいったい誰なのでしょうか?というわけで、この上の文章は、私が図書便りに書いた新刊紹介の文章です。これから少し文章を削って載せたと思うのですが、大体こんな感じです。私がこの『くらのかみ』が気に入った理由の第一は、小野先生の作品である事もさる事ながら、この物語の世界観が気に入ったことです。ひと昔前まで日本の何処の田舎にあった白壁と門、そして蔵があってとどめに「行者に祟られ座敷童子に守られている」という伝承がある旧家のお屋敷が舞台。そして、遺産相続のために親戚が呼び集められて、そこで殺人(未遂ですが。)が起こるとパターンは金田一耕介が「どうも。」と出てきてもおかしくない、古き良き昭和の時代を感じさせます。(小野先生の作品は『黒祠の島』もそうですが、なぜか横溝正史大先生の作品の雰囲気を感じるのですよね~。設定が似ているからかな?)また、「少年探偵団」というネタは江戸川乱歩を連想させますし、こう考えると、小野先生は「かつて子供だったあなた=大人」が必ずといってよいほど読んだことのある、日本の二大探偵小説を見事に作品の中で利用していると思います。あと、座敷童子という身近な妖怪(?)を登場させたことにより、小野先生お得意のファンタジー・ホラーを絡めて座敷童子と、食べ物に毒を混ぜた犯人探しという2つの謎解き、をするという設定は、上手い!のひと言です。この物語で重要な役割を果たす座敷童子が登場する場面も、大人たちが難しい話をしている間、退屈になった4人の子どもたちが、「おくらさま」という家の守り神が祭られている蔵の中で、「4人ゲーム」というまっくらな部屋の四隅に四人の人間が立ち、肩を順番に叩きながら部屋をぐるぐる回るゲームを始め、そこで、とうぜん四人では成立しないはずのゲームのはずなのに、5人目の子どもが出てきて、この子が座敷童子、という仕組みはもう、天晴れとしか言いようがありません。子どもたちが「あれ?」と思って顔を見合わせたけど、どうしても最初からいたとしか思えない顔ぶればかり、というのも、初めて顔を合わせた親戚の子同士、という設定に、大人が全然気づかない(or目に見えない。)という座敷童子が登場する昔話の定番(実は他に小野先生は、昔から座敷童子が行ってきた「子どもを見守る」という二重の役割を掛けて、物語を膨らませています。)をフルに生かしているもので、読んでる者まで納得して、すんなりと物語の中に入り込めてしまいます。そして、普段の生活とは逆に、子どもたちが大人を守るために一団となって知恵を絞って探偵をするという、子どもたちの夏休みの「非日常」を昔風の(江戸川乱歩の『怪人二十面相シリーズ』みたいな、子どものグループが冒険するノリの。)児童文学的な作風で、子どもたちの視点から描いているところも大好きです。という次第で、本日はリハビリを兼ねて『くらのかみ』を紹介&解説してみました。でもこの本、冬じゃなくて夏休みに紹介する本だったな~、と書いてから気が付きました…。
2006年01月16日
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今日も昨日に続いて、アルバート・A・ノフィ著、諸岡良史訳『ワーテルロー戦役』(コイノニア社、2004年)について、語りたいと思います。この『ワーテルロー戦役』は、昨日も書きましたが私のような戦争大好き人間(誤解があるといけませんから、一筆。学術的な側面からの興味・関心です。私は、学部・院と戦争に関する研究、悲しいかな、日本では軍事学をまともに学べる所が防衛大学校しかないので、かわりに歴史学の方面から軍事史をやっていました。その延長上での興味・関心&趣味の事です。)には、たまらない一冊です。当時のナポレオン戦争(フランス革命戦争とも言います。)時代の、フランス軍・プロイセン軍・イギリス軍とそのイギリス軍と連合軍を組んだオランダ・ベルギー両軍とハノファーやブランシュバイク等のドイツ諸邦軍の、歩・騎・砲兵各部隊の編成と所持する武器の詳細、戦略・戦術、ワーテルローにて部隊を指揮した将軍や高級将校、果ては輜重(補給部隊の事です。)やワーテルローの戦場の地形や当日の気象、とどめはその日兵士たちが何を食したか、という事まで事細かに調べ上げ、解説を加えて紹介している事です。ワーテルローの戦いが、ナポレオンに止めを刺した歴史に残る戦いであったため、戦場で指揮を取った両軍の将軍を始めとする高級将校から下級の中尉、さらには、多少教養のある下士官から兵士までが(読み書き出来ない者でも、後に新聞記者や親族等が当事者の記憶を元に書き残したものがあります。)日記や書簡、新聞記者のインタビュー(この当時から、従軍記者がいたのです!)等で、詳細に記録を残していたため事細かに戦場の様子が描写できたのでしょう。(また、時代的にも官僚機構がしっかりしていたため、部隊の編成、給料を支給するための部隊の人数を記録した名簿や、支給した武器などの記録、叙勲や顕彰を行うための理由や証拠が、記録されて今日まで現存している事も重要でしょう。)さて、昨日は部隊の編成について、本の内容をもとにしてクドクドと書きましたが、今日はその部隊、歩兵が所持していた私が愛する鉄砲について書いてみたいと思います。以前、『『クラウゼヴィッツ』とナポレオン戦争』にも書きましたが、この時代の鉄砲は、音と光で相手を威圧するという目的が無ければ、弓矢や石弓(弩)の方が遙かに命中率が良いという代物でした。なぜなら、この時代の鉄砲は、ヨーロッパではとくに命中率より発射速度が優先されたため、まず、発火装置に衝撃が強い火打石式(フリントロック)(火打石を鉄の打金に、強力なバネで叩きつけるため。)が採用され、また、弾が銃の口径より小さく作られ、弾道が不規則となったためです。(反対に日本の火縄銃は、銃の口径に弾がピッタリ合うように作られ、弾丸がぶれる事が無く、また火縄式の発火装置〔マッチロック〕のため衝撃が少なく、良好な命中率を保っていました。)そして、命中率を落としてまで発射速度を重視したにも関わらず、当時の鉄砲、前装式滑空銃身のマスケットは熟練した兵士で毎分6発撃てれば御の字でした。しかもこれは、平時の練兵場での話し。戦場では、せいぜい1分間に1・2発撃てれば良い方でした。これは、当時のマスケット銃が長くて(銃身の長さが1~1.5m)重たく(4.5~7kg)、弾を装填して発射するための手順(重さ、約40gの紙製の弾薬筒を歯で噛み切り、それをくわえたまま適量を火皿に注ぎ、残りの火薬を銃腔に詰めて、銃底を地面に1・2回軽く叩きつける。次に銃弾を込め、次に弾を固定するため弾薬筒の紙を詰め込め、込め矢で銃身の下部に弾丸をしっかりと突き込めます。そして、込め矢を銃身の下に収め、銃を持ち上げ肩に乗せ、フリントロックの撃鉄〔火打石〕を起こし、狙い〔気休め&大体・いい加減な。アサッテの方向へ飛んでかない程度の。〕を定めてズドン!)が面倒であったためです。また、戦場での重圧やパニックによって、これら複雑な発射手順は簡単にミスをしますし(何と、恐怖により、銃身に十発もの弾丸を装填していた兵士がいたそうです。)、火薬が湿気ていたり、火打石が磨り減っていても発火しません。(ウェリントンは、戦闘を開始する前、常に兵士に対して火打石を新品に換えよ、と命じていました。)このような、命中率どころか、発砲まで不安定なマスケットでしたので、当時の記録には「100m離れたところから敵に狙われて負傷したら、そいつは本当に運が悪かったのさ!」という将校の発言が残っています。実際、1790年にプロイセン軍が行った射撃テストでは(さすが、ドイツ人!)、目標を歩兵中隊の全面に見立てた、幅32m、高さ1.8mの木と布で出来た標的に向けて中隊前列の部隊が発射したところ、なんと200m先では25%、140mで40%、70mでようやく70%という、とんでもない数字が残っています。こんな代物ですから、近距離で且つ密集した部隊に対して発砲しない限り効果があるわけがありません。では、そんなことがあったのか?と言いますと、これがかなりあるのです。なぜなら、敵味方共に同じ事を考えて行動する訳ですから…、その結果は散々たるものであったでしょう。このように、当てにならいマスケットにたいして、正確な射撃ができる火器としてライフルがありました。当時、ライフルは銃腔内に彫られたらせん状の溝(これを、ライフルと言います。)に弾丸を密着させなければいけないので(弾丸に回転を与えて、弾道を安定させるため。)装填に手間が掛かり(油を塗った毛皮の端切れで、弾丸を巻いたり、木槌で銃腔内に無理やり押し込んだりしていました。)その結果発射速度も遅くなり、使用方法や銃の保持が難しく、厄介な火器でした。しかし、長距離から狙撃が可能な事、マスケットより軽量である事等の利点から、散兵戦術を取る軽歩兵を中心に使用され始めていました。とくに、イギリス軍ではアメリカ独立戦争の時に、アメリカ側の民兵たちのゲリラ・散兵戦術、とくにケンタッキー・ライフルの狙撃による損害の多さから戦訓を得て、大々的にライフルを採用していました。このライフルはベーカー・ライフルといって、歴史上最初に機械で大量生産された火器でした。小型軽量、メンテナンスも楽という優れもので、役立たずのブラウン・べス・マスケット(イギリス軍正式採用銃)を全て廃止して、この銃を正規軍全てに支給していれば面白い事になったでしょう。(しかし、若干の改良、騎兵の攻撃に備えるための方陣、槍衾をひくために銃の全長を長くする事が必要だったでしょう。騎兵に対抗するには、1.8m程度の長さが必要とされていました。)イギリス軍は、このベーカー・ライフルを装備した旅団を編成させ、連隊の将兵に特別あつらえの緑色の軍服を着せて(当時、イギリス兵は陸軍・海兵隊共に、ナショナルカラーである真っ赤な軍服〔バッキンガム宮殿の近衛兵の軍服です〕を着ていました。)、散兵として運用していました。このライフル旅団は、通常、大隊単位で分割されて運用されていましたが、ワーテルローの戦いでも拠点の守備に絶大な威力を発揮しました。他方、フランス軍ではナポレオンが不必要な経費が掛かるという理由で(ライフルは、銃身の製作に手間隙が掛かるため。)、ライフルは採用されていませんでした。砲兵出身のナポレオンは、小ざかしいライフルの狙撃より、6ポンド砲を引っ張って来て小癪な敵を、吹き飛ばした方が性に合ったのでしょう。という次第で、今日も熱くナポレオン戦争と鉄砲について語っていますが、まだ書き残した事がありますので、上の日記に続きます!!
2005年12月29日
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昨日で、ようやくアルバート・A・ノフィ著、諸岡良史訳『ワーテルロー戦役』(コイノニア社、2004年)の呪縛から逃れました。そこで、今日は昨日の日記で、取り付かれたように長々と書き綴り、また、人間生まれてから必ず一度は興味・関心・疑問等々、何か考えたり思う事があった道具、鉄砲について解説している本を紹介してみたいと思います。鉄砲、この言葉は日本史の教科書に「鉄砲伝来」として記述されているように、日本史を動かした武器として広く知られていると思います。しかし近年、日本史の教科書に書かれていた「鉄砲伝来」には多くの誤りがあったという事が研究により明らかになってきました。そんな鉄砲研究の第一人者が、国立歴史民族博物館(歴民博)の教授をされている宇田川武久先生です。著述の著者紹介に「中・近世水軍史、日本銃砲史専攻」と書かれる位のお方です。この宇田川先生の著書の中で何処でも簡単に手に入るものとしては『鉄炮伝来 兵器が語る近世の誕生』(中公新書、1990年)があります。この本では、鉄砲がポルトガル人ではなく倭寇(中国から朝鮮半島沿岸を襲った海賊集団。時には、100隻以上の船団を組み、内陸部まで襲撃した。初期倭寇は日本人が中心であったが、後期倭寇では中国人が中心となっていった。明国衰亡の原因の1つ(「北虜南倭(ほくりょなんわ)」、虜は北方からの騎馬民族タタール等の襲撃のこと。)ともなった。)がもたらしたものであることを、調査と新史料に基づき明かされています。(最近の教科書では、倭寇伝来説を採っているのかな?)これまでの研究では『鉄炮記』(先ほどから「鉄炮」とい言葉が出てきていますが、この当時、幕末ぐらいまで火器の「砲」は「炮」という漢字を使用していました。)という史料が使われてきたのですが、この史料、史料が伝えるところの鉄砲伝来時の天文12年(1543)より後の慶長11年(1606)に、種子島の領主、種子島久時が、鉄砲伝来時に島主であった祖父の時尭の功績を称えるために作らせたもので、史料に基づく伝来時より半世紀も後に作られています。このため、資料的価値はあまり高いものではなかったのですが、鉄砲伝来を記した唯一無二の史料であるため、重用されてきたのです。宇田川先生はあえてこの『鉄炮記』に拘らず、『朝鮮王朝実録』(NHKで放送中の『宮廷女官 チャングムの誓い』の基になった史料です。)と鉄砲の形式にから、鉄砲伝来が倭寇によるものと結論付けています。この『朝鮮王朝実録』では、『宮廷女官 チャングムの誓い』にも済州島での倭寇騒動がありましたが、倭寇の被害とその対策が細々と記載されています。例えば1544年の『中宗実録』には「漂着した唐船が火器を所持している」、「かつて日本には火砲が無かったのに今は大量に持っている」という記述があり、すでに鉄砲が日本に伝わっていた事を示唆しています。このような記録から、宇田川先生は東シナ海を中心に活動していた倭寇、とくに『鉄炮記』にも記述があるポルトガル人との通訳をした五峰(ごほう)という明人が、実は王直という倭寇の大頭目であったことを明らかにされ、倭寇が当時の戦国大名、大内氏や大友氏とも交易があった商人としての一面を持ち、そのような倭寇の手で鉄砲は火薬の原料、硝石・硫黄(当時の明国のご禁制品。)と共に商品として日本へ伝来したとされ、ポルトガル人よりむしろ倭寇が主役であったと結論付けています。また、この説は種子島に伝わったとされる初伝銃の形式がヨーロッパ式ではないことからも、明らかであるとされています。この鉄砲の形式については、佐々木稔著『火縄銃の伝来と技術』(吉川弘文館、2003年)をご覧になると良いでしょう。この本は、これまでの火縄銃に関する研究を一気にまとめ上げた代物です。この本では、種子島の初伝銃の形式は銃床(ヨーロッパ式は肩当式に対して、和銃は頬当式。)と点火装置などから東南アジア、マラッカで作られた鉄砲に類似している事を指摘されています。また、『鉄炮記』著述以後の宇田川先生の研究等に基づいて、鉄砲伝来を環シナ海交易の中に跡付けています。この、『火縄銃の伝来と技術』はこれまで、文献史学・鉄砲史の側面からしか議論されていなかった火縄銃の伝来を、材料工学研究者を交えた共同研究により「技術史」の側面から解明している点が新鮮に感じました。さらに、火縄銃がどのように作られたかが、当時の資料(江戸時代の砲術書に描かれたいたイラスト。)などを用いて解説されいることもお気に入りの理由の1つです。ただ、この本の値段が…。(7,500円〔税抜〕はちょっと!)あと、宇田川先生の著作としては、戦国時代には実戦的であった炮術が、太平世の江戸時代に入り武芸の一流となっていった様子を、当時の史料、新発見の文書や手紙・日記から読み解く『江戸の炮術 継承される武芸』(東洋書林、2000年)や、銃砲に関する基礎知識から戦国合戦に多大な影響を与えた鉄砲と鉄砲を扱う技術・武芸としての「砲術」とその専門家「砲術師」の活躍を紹介、解説し、日本人はなぜ、火縄式発火装置にこだわったかという疑問にも答えてくれる『鉄砲と戦国合戦』(吉川弘文館『歴史文化ライブラリー』、2002年)が、あります。また、ヨーロッパの戦争について火薬を使用した兵器・火器と、それを開発・生産方法、火薬の生産方法、そして火器が戦場で有効に利用される戦術の確立までの戦略・戦術、軍事組織と技術問題等々の問題点を詳細に解き明かし、火器が戦場のみならず社会全般にどのような影響を与えたのかまで、14世紀に欧州に火器が登場してから300年間の歴史を、詳細に研究された著作として私が一押しする本が、バート・S・ホール著、市場泰男訳『火器の誕生とヨーロッパの戦争』(平凡社、1999年)です。書店では手に入らないと思いますので、図書館で借りてみて下さい。高い本ですしね。(4,500円〔税抜き〕です。)あと、鉄砲に関する著述としては銃砲史家として著名な所荘吉氏のものがあるのですが…。この所氏の著書は、図書館か古書店へ行かないとまず、手に入らない代物なので、興味のある人は図書館へ行って「所荘吉」氏の書いた本を探しているのですが?と、カウンターの司書に言って、調べてもらってみて下さい。
2005年12月30日
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え~、冥王星が惑星から除外されてしまいました。昨夜、プラハで開かれている国際天文学連合の総会で、従来の太陽系惑星9個から冥王星が外されて、水星から海王星までの8個とする新しい定義が、賛成多数で可決されてしまいました。で、これがなんで図書室に関係があるか?しかも、前回書いた「海の悪魔」の続編を中断してまで書く題材となったのか?それは、去年、私が今の中学校の学校図書館に赴任した年の6月に理科関係の図書を大量に発注・購入し、当然その中には天文関係の本が入っていたわけなのですよ!昨夜のNHKのニュースで、教科書会社が教科書や資料集の印刷を中止して事態を見守っている、というのが放送されていて何かイヤァ~な予感がしたのですが、今日、学校へ出て理科の先生に会うなり「司書さん、失敗しましたね!」とのひと言で、あぁ~!と事態の重大さに気が付いたわけです。なにせ、数万円分、天文関係で図書費を使いましたからね。私のお気に入りブログのひとつ白い怪鳥さんの「怪鳥の【ちょ~『鈍速』飛行日誌】」でも太陽系の惑星騒動が取り上げられていて、記事も読んだのに、今日の今日まで事の重大さに気が付かなかったとは!不覚です。これも鬱の所為なのでしょうか?ともかく、理科の系の図書は値段が高いのですよ!その理由は、中学生向けなので、イラストや写真がたくさん掲載されていて、しかも理解しやすいようにと先生方はカラー写真やイラストが載っている本を選書されるものですから。しかも、私は完璧な文系人間。理系の事は、高校時代に無線をかじっていた事もあり多少の知識はあるのですが、生物・化学・地学・天文学・医学等々のことはサッパリわかりません。理科の先生方の「司書さん、この本を入れましょう」「この本は良い本ですよ」とのリクエストには「はい、わかりました。図書費と図書担当の先生と相談して購入するか検討します」としか答えようがありません。で、以下のような本が今、図書室の440の天文学・宇宙科学(正確には445の惑星・衛星など)に鎮座しているのですよ。例えば、税込み5,400円の林完次著『星の地図館New edit 』(小学館、2005年7月:これは夏休み明けの選書で選んだ本で、第2章は、地図という視点で迫る日本初の太陽系地図帳と銘打っていましたね。付属資料としてDVD1枚、星図1枚、ポスター1枚が入っていてこれらを職員室に別置するのに、登録作業に一手間も二手間もかかった本です。そういえばこの後購入した『またまたへんないきもの」にもポスターが入っていて取り扱いに苦労しました。こういう付録が最近増えていて取り扱いに困るのですよね・・・)や、同じく林完次さんの『星をさがす本』(角川書店、2002年10月)税込み2,415円に、『宙(ソラ)の名前』(角川書店、1999年12月)税込み2,500円(理科の先生の1人が林さんの写真が好きだったので、3冊選んでみたのですが)などの写真をメインとする本。 次いで、藤井旭さんのシリーズもの。誠文堂新光社から出版されている『最新藤井旭の天体観測教室』(2004年12月)、『最新藤井旭の星雲・星団教室』(2004年2月)、『最新藤井旭の天体望遠鏡教室』(2002年12月)ここまで税込み2,310円に『最新藤井旭の天体写真教室』(2002年4月)、『最新藤井旭の四季の星座教室』(2001年9月)ここまで税込み2,100円、計11,130円!などなど、この他数冊買っているのですが、帰り際にブログのネタで使おうと書架を覗いてみたら、貸出中なのですよ。理科で課題が出ていたらしくて、夏休みの終わり際にお知りに火のついた生徒が借りて行ったらしくてあんまり無かったので、このくらいしかメモできなかったのです(去年買った以外の古い本はあったのですがね)。 でも今回の冥王星騒動で改めて感じましたね。学校図書館が、本当に小さな図書室が世界とリアルタイムで繋がる知識の殿堂であることを。それから、9月の最初に作るミニコーナーのテーマが決まりましたね。テーマは「さよなら冥王星」というのにして、天体観察でまとめて中秋の名月へとテーマを繋いでいきますか。あ~あ、またテーマコーナー作りに図書だよりと頭脳を搾り出して行う仕事に戻るのか~。まあ、夏休み期間中の埃払いの大掃除に窓ガラス拭き、そしてようやく実行できたくん蒸といった肉体労働から解放されるのは嬉しいのですが。あと、蔵書点検とか分類ラベルの張替え、本の補修といった本をあっちこっち移動させる作業も辛かったですがね。クーラーが無かったら、絶対に熱中症で倒れていた夏休みでした。〈おわり〉
2006年08月25日
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去年の12月後半に、ナポレオン戦争に関して「ご要望にお応えして『ワーテルーロー戦役』を」と「ナポレオン戦争に関する諸考察 其之壱&弐」を書きました。その中で、ナポレオンが活躍した時代、19世紀初頭の軍用銃に関してアレコレと解説をしました。しかし、このとき紹介したアルバート・A・ノフィ著、諸岡良史訳『ワーテルロー戦役』(コイノニア社、2004年)では、軍用銃に関しては実物の写真がありませんでした。また、当時の兵士の姿や戦場の様子を描いた絵画は掲載されていたのですが、兵士個人の装備やその詳細についても、文章だけの解説でした。そこで、当時の戦争の小道具についてカラーの写真やイラストを使った解説した本は無いものか?と探してみたところ(これが司書の商売ですからね。)ありました。ちょうど良いものが。しかも、何処の公立図書館でも置いてありそうなシリーズものの中で。それが、リチャード・ホームズ著、川成洋日本語版監修『ビジュアル博物館(第63巻) 戦闘』(同朋舎出版〔アレ!?この会社、確かもう無いぞ!角川書店販売だ。〕1997年)です。この本は、長い歴史をもつ戦闘や戦争を、新しい切り口でいろいろな角度から語る、ユニークな博物図鑑です。古代ギリシアから中世ヨーロッパ、ナポレオン戦争、そして第二次世界大戦までの各国、ヨーロッパが中心ですが、軍服、兵器などの戦争の道具と、戦争を描いた絵画やイラストが美しく豊富なカラー写真で全ページに掲載され、戦争にまつわるものすべてが、いきいきと再現されています。この本を読んでみたところでは、紹介されている兵器やイラストの比重はナポレオン戦争から第一次世界大戦までの戦争に関する解説が多いです。さて、いつものように内容を詳しく見ていきますと、まずこの本は見開き2ページを用いてひとつのテーマを紹介するという方法を取っています。では、この本を探した理由の1つ、ナポレオン戦争時代の軍用銃が載っているのが「小火器を使って」というコーナーです。ここでは、18~19世紀にかけて歩兵がマスケット銃を所持し、どのように活用したかを解説しています。その中で、イギリス軍がナポレオン戦争時に使用した、ブラウン・べス・マスケットとベーカー・ライフルの綺麗で銃の全体の特徴までわかる写真が掲載されています。この本が素晴しいのは、銃だけではなく銃に付属する銃剣までセットで紹介されていることです。また、「身を救う兵器の訓練」というコーナーでは、「構え、狙え、撃て!」と題して、ナポレオン戦争当時のイギリスのライフル連隊の将校、下士官、兵士の軍服を着た3人がそれぞれ、ベーカーライフルを立射、膝撃ち、座り撃ちの3種類の射撃姿勢で構える姿が掲載されています。その軍服に関しても詳細な解説、例えば将校の十字ベルトの銀色の鎖については「十字ベルトには、命令を下達するための笛がついている」とか、帽子の羽飾りについては「将校、下士官、ラッパ手がつけた羽飾り」という具合です。また、このコーナーではナポレオン戦争時に使われていたイギリス陸軍の指導書『ライフルの操作と射撃姿勢』(1804年)のイラストもあり、当時の雰囲気が満喫できます。このコーナーを見てみて『ワーテルロー戦役』で解説されていた「ライフル連隊の濃緑色の軍服」がどのようなものか、理解できました。他に私が気に入ったコーナー、写真・イラストを並べてみますと、「最前線の歩兵部隊」のナポレオン戦争時代のフランス歩兵第21連隊伍長が着ていた軍服と銃と銃剣、その他装備一式の写真が面白いです。次は、「勇猛果敢な重騎兵」のナポレオン戦争時代のフランス胸甲騎兵の軍服一式です。ここでは、胸甲にあの派手な赤い羽根飾りがついたかぶとに、騎兵の長靴、鞍覆いカービン銃(騎兵銃、マスケット銃より短く馬上で扱いやすくした銃。)などが紹介されています。また、イギリス軍では「階級を表すもの」というコーナーでイギリス第7近衛フリントロック銃(火打ち石式発火装置付き銃)連隊の将校の真っ赤で金ぴかの帽子から長靴までの全身の軍服が紹介されています。イラストでは、先述の「訓練と規律」ではクリミア戦争「アルマの戦い」でのバッキンガム宮殿の衛兵でお馴染みの、熊の毛皮の帽子を被った真っ赤軍服のイギリス軍近衛フュージリア銃(火縄銃という意味です。勿論、クリミア戦争では火縄銃は使っていません。名誉の名称です。)部隊の攻撃を描いた「一線になって前進」が好きです。次がまた先述の「階級を表すもの」でのクリミア戦争での「細い赤い線」というイラストです。これは「シン・レッド・ライン」(映画の題名にもなりましたね。)とも呼ばれ、1854年に起きたロシア騎兵軍団のイギリス軍基地バラクラヴァ攻撃の際、わずかな兵で迎撃したスコットランド第93サザーランド高地連隊(英国では部隊に地名や名称をつけて現代でも表示しています。)の戦闘を描いたものです。このイラストでは、タータンチェックのキルトの民族衣装にガチョウの羽で出来た帽子を被ったスコットランド兵の独特の軍服がよく解かります。あと、「剣(刀)を振って」という剣と刀のコーナーの「騎兵の突撃」という題で紹介されている、1870年の普仏戦争時に発生した「フォン・ブレドーの決死の騎乗」という題の絵が素晴しいです。これは、「最後の成功した騎兵の乗馬突撃」で、プロイセン軍のブレドウ将軍指揮下の騎兵2個旅団が自軍の背後に回ろうとしたフランス軍を阻止すべく、歩兵や砲兵の援護無しで歩兵の銃剣の槍衾(そして後込式のシャウスポー銃で武装していました。)の中へ突撃して、見事にフランス軍を撃退したという戦いです。この逸話は軍歌ともなり、日本語訳もされています。(歌では「友軍の窮、救うべく、頼むは騎兵旅団のみ」とか「高名長く後の世に、聞かずや高く誉めらるる」とか歌われていたと思います。詳しくは武市銀治郎 著『富国強馬 ウマからみた近代日本』(講談社、1999年9に歌詞が載っています。)他にも、色々と面白いものが紹介されているのですが、全部は解説できないのでこのあたりで辞めて於きますが、このように、なかなか日本人にはイメージし難い戦争の道具、兵器や兵器を修理したり整備する道具や、兵士の日常を支える品々、戦闘の様子を博物館の展示を見るように紹介してくれている『ビジュアル博物館(第63巻) 戦闘』。その方面に関心が無い人でも、純粋に見て楽しめる内容になっているので、一度手にとってみては如何でしょうか。(本日、メインで紹介した本の表紙画像がアフィリエイトにありませんでしたので、久々に画像無しです。)
2006年01月27日
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最近、日記の記入時間が深夜となっていますが、これはクソ忌々しいお正月なる年中行事の御蔭の為であります。私は、昔から正月が1年で一番嫌いな時期でして。(お年玉を貰っていた頃でも、嫌な時期でした!)と、いう前置きをしてから、今日は私のブログの盟友、本が好きさん!!!のご要望通り、アルバート・A・ノフィ著、(フリーの作家で、ウォーゲームのデザイナーだそうです。また、軍事史に関する権威であり、ルイジアナ州立大学の南北戦争研究会の準特別会員にして、多数の著作を記しています。残念ながら、邦訳はこれだけみたいですが。)諸岡良史訳『ワーテルロー戦役』(コイノニア社、2004年)を取り上げたいと思います。この本の主題ですが、私は原著の主題『The Waterloo Camppaign June 1815』の方がシックリきました。まず、この本の素晴しいところは、ビジュアルです。この『ワーテルロー戦役』では当時の戦争、ワーテルローの戦い等を描いた絵画を交えて、解説がされているところです。本文中に掲載されている絵画は残念ながら(というか、当然ながら。)モノクロですが、当時の戦場や軍隊の雰囲気、将兵の軍装等が手に取るようにわかります。また、当時活躍した英仏独、各国の将軍たちの肖像画もあります。現在、名所旧跡として保存されているワーテルロー古戦場の写真も載っていて、現存する戦跡、激戦となった拠点の様子が良く分かります。さらに、この本の素晴しいところは、表紙です。残念ながら、楽天では表紙画がありませんでしたが、この本の表紙にはナポレオンご自慢のフランス胸甲騎兵がサーベル片手に、イギリス歩兵の方陣(騎兵の攻撃に歩兵が備える陣形。歩兵を四角に並べ、前列の歩兵は銃剣を騎兵に向け突き出し、槍衾を敷いて騎兵の侵入を防ぎ、後列の歩兵が断続的に発砲して攻撃します。この陣形を敷かれると、騎兵は歩兵を蹂躙することが出来なくなります。)を攻撃している迫力の絵が描かれています。私は、この表紙を見て、衝動買いをしてしまいました。この本については、時間を追って詳細に戦況を解説している(さすが、ウォーゲームのデザイナー!)メインの部分も面白いのですが、私が興味を引かれたのは、戦況を追った本文よりも、その間に挟まれている人名・事項コラムです。さてこのコラム、どのようなモノがあるか例を挙げてみますと、まず「ワーテルロー戦役における軍隊」があります。これは、1815年当時、ワーテルロー戦役に参加したナポレオン指揮下のフランス軍、ブリュッヒュー元帥のプロイセン軍、そして、連合軍の各歩兵と騎兵の編成が事細かに解説されています。ところで、ここに連合軍という単語がでてきましたが、これは、イギリス軍が主体です。これにドイツの邦国の1つ、ブラウンシュヴァイク軍やオランダ・ベルギー軍、さらに、当時の英国はドイツ、ハノーファー周辺にも領地を持っていたので(これは、当時の英王室がドイツ、ハノーファー家出身の「ハノーファー朝」だったためです。)ハノーファー軍が加わったものが連合軍となるわけです。当然、指揮を執るのがウェリントン公爵サー・アーサー・ウェルズリー元帥です。戦史・軍事好きにとっては、このようなコラムは堪りません。例えば、上記の「ワーテルロー戦役における軍隊」で説明されている歩兵では、当時一口に歩兵といっても、軽歩兵(英・独)では、遊撃歩兵(仏)、猟歩兵(仏)、ライフル歩兵(英)、側面歩兵(仏)というまた別個の名称があり、任務等で区別されていました。また、重歩兵(戦列歩兵とも言います。)では擲弾歩兵(仏)(グラナディア、擲弾兵(英)のことです。「通」は第二次世界大戦のドイツ軍を思い出すでしょうが。)、狙撃歩兵(仏)といった名称があり、とくにフランス軍ではこのような重歩兵を皇帝近衛軍に集中させていました。ワーテルローの戦いで、フランス軍がウェリントンとブリュッヒャーの攻撃で崩壊しかけた時、最後まで戦場に踏みとどまったのが、皇帝近衛軍の重歩兵たちでした。彼ら、皇帝近衛軍の兵士たちは精鋭を誇示するために、熊毛皮製の高い帽子を被り、その帽子に赤い羽根飾りを付けていました。軍装の方へ話が逸れましたが、次に軍隊の編成で重要なのが、部隊の中身です。一口に歩兵連隊といっても、英独仏、各国とも編成される内容には大きな違いがあります。例えば、イギリス正規軍(これらの部隊は、英国人、イングランド兵・ウェールズ兵・精強で名高い、ダチョウの羽の帽子とキルトをはいたスコットランド兵・アイルランド兵と、国王直属ドイツ人部隊から編成されていました。)では、歩兵は連隊は形式的なもので、通常は連隊ではなく、大隊単位で行動していました。(これは、現在のイギリス軍でも同じで、特殊部隊等を除いて陸軍部隊は大隊単位で構成されます。そして、有事の際には大隊同士が旅団として司令部と支援部隊を加えて再編されて動員されます。)イギリス軍の大隊は戦列歩兵、軽歩兵、ライフル歩兵、そして近衛歩兵で編成されていました。大隊の中隊数は、正規軍で軽装備中隊1(112名)、重装備中隊1(112名)、中央隊8(各86名)で構成され、兵数は平均で952名だったそうですが、近衛歩兵大隊は兵員は定数以上の1000人以上抱えていたそうです。一方、国王直属ドイツ人部隊では、軽歩兵と戦列歩兵が同じ大隊(中央隊)を編成し、軽装備中隊1(112名)、重装備中隊(112名)、中央隊4(112名)という編成だったようです。このように、この本では、ナポレオン戦争の時代の戦争がどのような物であったかを、痒い所まで手が届くように、懇切丁寧に解説してくれている良書です。今年出会った軍事関係の本の中でベスト2になる本です。(ちなみに1位は、ロイ・アトキンズ『トラファルガル海戦物語(上)・(下)』(原書房、2005年)です。海軍万歳! でも、なーんだ、どっちもナポレオン戦争時代のものだ!)以上、本日は長々と濃い内容を書き綴りましたが、今日は、チョッと仕事納めのゴタゴタからストレス発散も兼ねて、気合を入れて書いてしましました。(しまった~、今何時だ~!)まだ、この『ワーテルロー戦役』について、語り切れていないので、明日もこのお話は続きます。ワーテルロー戦役
2005年12月28日
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最近、ようやく手に入れたいと思っていた本を2冊手に入れました。その本とは、ダグラス・リーマン著『栄光の海兵隊』シリーズの第1巻『緋色の勇者』と第2巻『黄土の血戦』(共に表紙画像なし)です。実はこの本、『緋色の勇者』は昭和59年(1984)に出版されているの(手元の本は昭和62年(1987)3刷でしたが)、古本でしか手に入らなかったのですよね。それも、手ごろな値段で状態の良い品物を手に入れるのに時間がかかってようやく我が手元にやって来てくださったわけです。さて、この『栄光の海兵隊』シリーズの内容ですが、実は、ダグラス・リーマンとは、アレグザンダー・ケントと同一人物であると言えば、海洋小説好きの方は「ああなるほどと」、納得されると思います。その『海の勇士/ボライソー・シリーズ』の作者であるアレグザンダー・ケントが、英国海兵隊士官になることを伝統としているブラックウッド家の一族を主人公として、1850年代から、現代、フォークランド紛争までを描いたシリーズです。と言っても、今まで出ているシリーズは『緋色の勇者』、『黄土の決戦』、『紅の軍旗』の3冊までです。で、今日は第1巻『緋色の勇者』について解説&紹介を長々と書いていきましょう。この『緋色の勇者』の舞台は1850年代です。この時代は、変革の時代でした。英海軍では1821年に英国海軍が蒸気船を購入して以来、ドンドンと艦船の汽走化が始まり、蒸気船も外輪船からスクリュー艦へと変化していく過渡期です。また、英海兵隊の武器も昔ながらのブラウン・ベス(滑空式マスケット銃、ただし激発装置は雷管式)から、線条を銃身内に削り込み、丸い鉛玉ではなくドングリ型の発砲時の発射ガスで弾底が線条に食い込むようになったミニエー式銃(前装軍用ライフル銃)へと更新されていく時期です。時代的には、若い女王陛下を戴いた大英帝国は、アフリカ・アジアへとその食指を伸ばし、英国海兵隊はその尖兵として活躍していた時代です。さて、この『緋色の勇者』の主人公は英国海兵隊軽歩兵部隊(英海兵隊では、歩兵部隊は赤色の軍服を、砲兵部隊は青色の軍服を着ていました)の大尉、フィリップ・ブラックウッドです。そして、フィリップの異母弟、ハリー・ブラックウッド少尉のこの二人が物語の中心となります。物語の前半は、先に紹介したように西アフリカ沿岸、ギニア湾沿岸部、ニジェール川河口地域、通称=奴隷海岸と呼ばれた地域が舞台です。19世紀前半に条約が結ばれ、禁止されていたはずの奴隷貿易ですが、この1850年になっても未だ奴隷は中南米のプランテーションでは必要不可欠な労働力でした。これに目を付けた奴隷商人たちが条約を無視してアフリカ西海岸部を基地として奴隷貿易を継続し、それを監視していたのがフリータウンを基地としていた英国西アフリカ艦隊だったのです。この奴隷貿易問題を解決するべく、フィリップ大尉指揮下の海兵隊と搭乗する90門搭載の帆走の2等級戦列艦オーダシアス号は、フィリップと曰くのある提督ジェイムス・アシュリ・チュートの指揮下で西アフリカへ向かいます。ところが、途中で寄航したジブラルタルで緊急事態が待ち受けていました。なんと、西アフリカ沿岸にあるイギリスの交易所が襲撃されるという事件が発生していたのです。この事件によって、西アフリカ沿岸部の英国の権益に重大な影響が発生する事を恐れた西アフリカ問題担当の政府顧問官ジェフリ・スレイドは、至急、海兵隊を現地へ派遣することを旧知のチュート提督へ海兵隊の派遣を要請します。しかし、チュート指揮下の艦隊は全て旧式な帆走艦で急いでも現地まで1ヵ月はかかります。そこで、スレイド卿はジブラルタルに停泊していた蒸気フリゲート艦、サター号に海兵隊を乗せて現地へ急行するように要請します。「あれなら十四日それ以下で、目的地につけるはずだ」とジェイムズ卿は主張、蒸気軍艦を馬鹿にしていたチュート提督もシブシブこの要請を受け入れ、サター号の20人の海兵隊では不十分なのでフィリップ大尉に海兵隊を30名付けてサター号で先行させる事となります。ここで、面白いのはフィリップ大尉が蒸気フリゲートに乗った時に受けた印象です。朝起きてエンジンの耳慣れない「ガタガタゴーゴーという音」に驚き、それから、凄まじい艦の揺れに二度驚きます。「床が激しく揺れ」、「艦は身震いで、何もかもばらばらにしようとしているみたいだった」、「舷側からは波の轟きが聞こえ、波頭が苦も無く舷窓を越えるのが見える」とまるで嵐の中を航海しているような描写が書いてあります。ですが、昇降階段の下まで行って上を見上げると、びっくり、青い空が広がっているではありませんか!この揺れに対して蒸気フリゲート艦のトウビン艦長は「きみは帆がたくさんある船になれている。ああいう船はどんなに急角度になっても、船体は安定している。ここでは」、「われわれは波にうちまたがっているのだ」と語りながら、「艦が大西洋の深い波窪につっこむのにそなえた」と蒸気船の航海を描いています。この蒸気フリゲート艦、サター号はブリガンティン式の帆装(詳しくは『ボライソー・シリーズ』などの海洋冒険小説の各巻の最初のページにある船の型と名称を参考にして下さい)で、両舷にひとつずつある大きなおおいとそれらをむすぶ「橋に似た無防備な狭い通路」があると書かれています。これがブリッジ、艦橋の語源です。サター号ではまだ、後部ミズン・マストのすぐそばに二重舵輪が配置されていました。そして武装は、「前部に腔綫(コウセン)を施した十インチ追撃砲が二門あるし、外輪のうしろの両舷には四インチ砲が備えてある」、「平均的なフリゲート艦は四十門くらい大砲をつんでいるが、それにひきかえ、この艦は六門しかのせていない。だが、わたしの艦の砲はどの艦砲よりも射程距離が長いし、どんな砲にも打ち勝つことができるんだ」と誕生して間もない蒸気海軍の特色についてフィリップ大尉に解説しています。この時代の汽走蒸気船に関心のある方は『幕末の蒸気船物語』という本を読まれると良いと思います。時代は少し下りますが、クリミア戦争以降、アロー号戦争などで日本や中国近海に展開した英米仏各国の軍艦の性能や幕府や各雄藩、薩摩や長州などが購入した蒸気船が図面や写真などを交えながら解説されている本です。歴史的に見て過渡期、創成期の時代が好きな私にぴったりな1冊です。だって、日本海軍誕生を描き出している本ですからね。こうして、英国海軍内でも評価が分かれている蒸気軍艦に乗って西アフリカ沿岸に急行しているサター号は、途中、現在のシエラレオネの首都フリータウンに寄港し、蒸気軍艦の宿命である燃料補給、石炭船から水兵も海兵も士官も艦長以外が「燃えるような日ざしの中で、石炭粒やほこりの雲の中で窒息しそうになりながら、水兵たちは機関長のハミルトンがいいというまで石炭籠を持って燃料庫まで行ったり来たりをくり返した。軍服姿は見られなかった。黒くよごれた、ほとんど裸体の男たちが、階級とか権威をまったく無視して、たがいにぶつかりあいながら、作業をしていたのだ」と書いてあります。ここの記述は面白いです。英国海軍では艦上での規律は絶対で、汚れ仕事を士官や准士官が行うという事はまず、一部の例外を除いて、しなかったのです。その伝統を蒸気軍艦が打ち壊したという事実は興味深いです。こうして燃料を補給し、同行していたスレイド卿は上陸し情報を得て、いよいよ奴隷海岸へと接近し、連絡の途絶えた交易所へと上陸を開始するのですが、その話は、次回にまわします。では!
2006年08月13日
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今日も、リーオン・ガーフィールド著、斉藤健一訳『テムズ川は見ていた』(徳間書店、2002年)に登場する脇役、クリーカー警部を話の中心に据えて、ヴィクトリア朝時代の警察制度について機能に引き続き内藤弘著『スコットランド・ヤード物語』(晶文社、1996年、表紙画像無し)語っていきたいと思います。1829年、内務大臣サー・ロバート・ピールが首都圏警察を創設した時、市民はフランスの革命政府のように市民を弾圧するために警察組織を作ったのだと思い込んでいました。そんな状況のもと、市民やマスコミが鵜の目鷹の目で警察を監視していたのですから、当局が現役の警察官を使って「秘密警察」なるものを作れるわけがありません。第一、市民から目の敵にされていたピールですら諜報組織を容認する事を否定し、スコットランド・ヤード自体も制服警官による防犯活動を理想として、私服警官の刑事活動に出来るかぎりの制限をくわえていたのです。フェアプレー精神を重んじるイギリス人にとっては、人を欺く卑劣な行為と受け取られたのでしょう。そんな事を言ってもやはり警察活動には私服警官の活用は必要です。『スコットランド・ヤード物語』では、創設期の警察官は教養が低かったので上層部の期待するほどの防犯効果が得られず、結局私服を着込んで市民の中に紛れ込んで情報を仕入れることになってしまったそうです。でも、そんな刑事活動に警察に批判的なマスコミが黙っているはずも無く…。1833年、労働団体の活動を内定していたポペイ巡査部長の正体に気が付いた組合員ジョン・ファージングが、違法集会解散のために駆けつけた警官隊との衝突で警察官を刺殺したとして逮捕(後、証拠不十分で保釈)された腹いせにこのポペイ巡査部長のスパイ活動を暴露するという「ポペイ事件」が起こりました。さあ、日頃から警察に批判的な市民の怒りは大爆発!マスコミもここぞとばかりに煽り立て(この辺は、今日のマスコミと警察の活動に相通じるところがあります)、ロンドンの金融・経済の中心地、シティの大商人たちは警察維持税の支払い拒否の声明書を議会下院に提出、ロンドン市長もその中に名を連ねるという異常事態になりました。そんな訳で、政府は警察に対して刑事活動の中止を命令、哀れ、職務に忠実だった優秀な警察官(副署長だったそうです)ポペイ巡査部長は解雇されてしまいました(この件も…以下略)。でも、そんな事件にもめげずスコットランド・ヤード1842年に発生した2件のヴィクトリア女王狙撃事件などの重要事件に対応すべく、同年ヤード刑事部を設置、ついで1846年には管区随時刑事任命制を採用して、私服警官の刑事活動を本格化させていきます。これらの部署に配置されたのは「活動的で教養のある」警察官で、シャーロック・ホームズに登場するレストレイド警部たちのように大抵は単独捜査を行っていました(NHKの海外ドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』では大抵、レストレイド警部や他の私服刑事は1人、若しくは制服警官1・2名だけで登場します。では、普段普通の警察官、下っ端の巡査は何をしていたかと言いますと、テクテクと街中をパトロールしたり、街頭で立ち番をしていたのです。彼らは、「ビート」と呼ばれるパトロール担当区を勤務時間中、ひたすら巡回していました。ほか、巡査は夜盗の警戒や犯人逮捕、交通整理に売春婦の取締〈ヴィクトリア朝時代は、貞淑なイメージとは裏腹に売春婦の時代でもありました〉や下宿や木賃宿への巡回、火事への対応などを行い、挙句には街頭の掃除〈巡査の朝一番の仕事が歩道に捨てられているオレンジの皮を拾い集める事だったそうです〉までやらされていたそうです。ほかにも面白い話があるので、興味のある人は『スコットランド・ヤード物語』読んでみて下さい)。この1842年に設置されたヤード刑事部は、1877年に発覚した汚職事件をきっかけにフランス警察の刑事機構を参考に再建されて、今日でも海外ニュースで時々耳にする「犯罪捜査部」通称C・I・Dとなるのです。では、そんな刑事たちはどのような捜査手段を用いていたかと言いますと、お粗末そのものでした。本を読んで驚いたのが、スコットランド・ヤードに警察科学研究所が設置されたのが1934年!19世紀には科学的捜査を行うための機材が無かったというのです。大体、指紋確認法が試験的に採用されたのが1895年というのですから、これではホームズの持っている鋭い観察力と科学の知識、下宿にある機材を利用すれば、レストレード警部たちを出し抜けるはずです。では、刑事たちはどのような手法で犯罪情報を収集していたかというと、市民からの情報提供、別名「タレこみ」です。勿論、警察も独自に情報収集をしていましたが(日本の警察の検挙率が高かったのも実は…)。このような状況だったので、『テムズ川は見ていた』に出てくるクリーカー警部率いる秘密警察、という設定にはやはり多少無理があると思います。本文を読んでいるとこの秘密警察、国内外のテロリストの摘発と排除や防諜活動を中心に行動していたようなのですが、たしかに『スコットランド・ヤード物語』でも、1880年代にアイルランド独立を目指すシン・フェイン党が起こした爆弾テロ(ヴィクトリア朝時代から続いているのです!)に対処すべく「特別アイリッシュ捜査班」なるものを設置したとありますが、これも臨時に置かれたものでテロが沈静化すると普通の捜査班に戻っています。本文中にあるような、警察内部に極秘におかれた「秘密警察」はフィクションだったのでしょう。ただ、警察を監督する内務省やホワイトホール(海軍省)、ホース・ガーズ(近衛騎兵連隊司令部、陸軍最高司令官の司令部でもあります)そして外務省などは、別個に様々な情報活動を行っていたと思います(この辺りも、シャーロック・ホームズにチラチラと出てきますね。とくにホームズの兄、外務省の官吏であるマイクロフト・ホームズなんかはその周辺の人間ではないでしょうか?)最後に、イギリスの警察官の武器の所持について。市民の反感を浴びながらの警察設立だったので当然、一般警察官の武器の所持にも注文が付きました。首都圏警察創設時の警察官の装備は、警棒と「ラトル」と呼ばれる木製の呼子(これは棒の先に回転する板が付いていて、これを回して音を出します。後、ホームズが活躍中の1880年にホイッスルに変更されました)に手錠と夜間パトロール用のランプだけでした。ただ、騎馬警察官にはサーベルと拳銃が、治安の悪い地区を巡回する警察官にはサーベルが、警部と警視は指揮棒と拳銃を携帯していました。ちなみに刑事には制服警官より短い警棒が関与されていました。『テムズ川は見ていた』でも、酒場で主人公バーナクルの行方を問い質すただす際、クリーカー警部は上着から警棒を取り出しテーブルを引っ叩いて脅しています。ただこのような行為に関して、警察は武器の所持と使用は市民への配慮からかなり厳しく、警棒は目に付かないようにズボンの後ろのポケットに入れて上着で隠し、身の危険が迫っているとき意外は使用を禁止し、警棒を使用した場合は報告書を書かねばなりませんでした。警棒を上着の上から締めるベルトに吊るせる様になったのが1864年のことだそうです。ちなみにこの年、ドラマや映画でお馴染みの詰襟型の軍服使用の「ニュールック」と呼ばれる制服が採用・更新された年でもあります。今でもお馴染みのロンドンの警察官が被っているヘルメットも、この時採用されたものです。といことで『今年は、ヴィクトリア朝だ~!「警察」のお話』を書きましたがここで、ふと思いついたことがあります。このクリーカー警部の登場するくだりを読んでいると、何だか良く似た人間がいたな~、と頭の中に名前がモヤモヤ~と浮かんできたのです。で、それは誰かといいますと『レ・ミゼラブル(全4冊セット)』で主人公ジャン・ヴァルジャンを追い回す冷血なジャベール刑事に良く似ているな~、と『職業別パリ風俗』を読んでいて気が付きました。どちらも職務に忠実で冷酷な人間、そして真実を悟った時取った行動も良く似ています(ジャベールはセーヌ河に入水自殺しますが、クリーカーはテムズ河で…)。こんな、類似点があるなんて、なんだか面白いですね!
2006年02月22日
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最近、風邪気味です。鼻は詰まるは、関節は痛む、消化に悪いものを食すとお腹に来る…。熱が出ないのだけが幸いですが、そのため、体内で風邪の菌が熾き火の如くジクジクと蠢いている様で、厄介です。明日は、医者ですね。これというのも、乾燥して暖かく生徒が大量にやってくる図書室で作業を行っているためです。いくら、換気をしようが細菌にとって、図書室は理想的な繁殖空間。オマケに各学年・各クラスの生徒が密集した空間に詰め込まれるので、感染しやすいですしね。冬休み前に、保健の先生と相談して図書室の前と図書室内の洗面台の前に「手洗い、うがい(作った後に、コップが無いじゃん!と、気が付きました…。)をしましょう!」というポスターを貼って、注意を喚起したのですが…。その当人が風邪をひいてしまうとは…。あと、体のことで厄介なのは、手の乾燥ですね。書架整理の時など一度に本を扱う時は手袋をはめて作業をするのですが、本の装備や修理、貸出やちょっとした作業の時は、手袋などはめずに作業をしてしまうのですが…。そうしたら、本というのは、まぁ、紙なのですが、手の皮膚を保護するための油を吸い取ってしまうのですよ!そのため、良く本に触れる右手の親指、人差し指、中指の先がカサカサになってさあ大変!家に帰って皿洗いや洗濯など、水仕事をしようものならあっという間に指が割れてしまいます。で、これが痛いんですよ…。直りかけは、痒いですし…。そのため、最近ではハンドクリームを持って学校へ行っています。さて今日は、少々不愉快な事が…。余菱さんの日記にもありましたが、この時は残った予算を使い切るため、アレコレとモノを買う段取りで忙しい時期でもあります。学校図書館では当然、図書の選書と相成るわけのなのですが…。ここで、ウエの方から(学校外の方からなのですが。)「マンガやらライトノベルをあまり買うな!」というような趣旨の発言があったのです。ライトノベルは生徒からのリクエストでちょくちょく購入はしているのですが、マンガは本年度はこうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』や先生からのご要望で入れた手塚治虫の『ブッダ』全巻ぐらいなもので、10冊も入れていないのですが…。また、この発言をした人が「軽い本ばかりではなく、もっと生徒にとって読み語応えがある本を入れなさい」なんて事を言うものですから。ムカ!ってきましたね。目の前で言われるますと。これまで、購入した図書のリストを見てみろ!って言いたかったですね。これまで、言ってきている様にライトノベルは、生徒を図書室に呼び込むための「誘い水」です。本当は、マンガが一番効果的なのでしょうが、選書の基準がうるさいのと、私にもやはり「活字が…」という意識があって、取り合えず公共図書館にも配架してある電撃文庫や講談社のホワイトハート、角川のスニーカーやビーンズを購入していた訳なのですが、それを頭越しに「教養のある本を入れてなさい」みたいな事を言われるとは…。まぁ、この人はライトノベルやマンガを読まない人なのでしょう。いつも思うのですが、マンガは言うに及ばすライトノベルは変な誤解をいっぱい受けていますね。腹立たしいことですが!幸い、最近の学校には田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』(新装の徳間デュアル文庫〔最初の『銀河英雄伝説(vol.1(黎明篇 上))』を。〕で入れて、と言われたのですが、如何せん全20巻、外伝9冊、ハンドブック1冊という量なので…。)や『創竜伝』(文庫版の1巻目『創竜伝(1)』です。)、水野良さんの『ロードス島戦記』や森岡浩之さんの『星界シリーズ』(初巻の『星界の紋章(1)』を。)を読んだ世代の先生方が多くなってきたので、ライトノベルに関する壁は薄く、低くはなってきてはいるのですがね。さらに、ライトノベル自体も質が高くなってきていますしね。時雨沢恵一さんの『キノの旅』なんて、ショートショートの旗手、星新一さんと張り合うほどの質を持っているのではないかと、最近では思うほどです。でも今日は、誰が何と言おうとも、森薫さんの『エマ』だけは入れてやる!と心に固く誓った日でもありましたね。こういう様な分からず屋や、頭でっかちを撃破・粉砕する手段を手に入れましたからね。何せ今回は、お国のご公認があるのですから、『エマ』には。文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞という素晴しい栄誉が森薫さんと『エマ』に与えられたことに乾杯!!! 付足之壱:こういう人たちって、なんでこんな言葉に弱いのでしょうかね?まあ、どちらにせよ、強行突破をする予定でしたが。私は学生時代から、2度、丁寧に玄関からお願いをして、余りにも無礼&理不尽な対応を取られると3度目は、裏口を蹴破るか、玄関にトラックで突っ込むというような手段を用います。院生時代には、「お前は戦車のような奴だ。目標に向かって障害をなぎ倒しながら一直線に突き進む。性質が悪いのは、穴に落ちても引き吊り上げて、地雷を踏んだり対戦車砲で粉々にされても、戦車を一から組み立て直してまた突き進む。始末に終えん」と後期過程の先輩から言われたことがあります。付足之弐:それにしても、私は文章を創作する人たちに偉そうに、この本は程度が低いだの、アレコレ言って評価、この場合はランク付けでしょうが、連中は嫌いです。評論家など、自分の顔と名前を出して職業にしている人は兎も角、理由も無くあれダメとか、この本は面白くなかったから、表現が気にくわないとかの理由で、他人に本の評価を押し付けるな!と言いたいです。感性その他の問題で、その人にとって合わなかった本でも、他人にとってはまた別の評価があるでしょう。それよりも、薀蓄垂れるだけの事が出来る人は、大学の卒論で原稿用紙100枚以上の論文を書いているのか?と聞きたいです。どれだけの人が、人に読んでもらうために(お金を払ってまでですよ!)文章を作ることが大変か、身にしみて理解しているのでしょうかね。
2006年01月20日
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