全290件 (290件中 1-50件目)
みなさま、暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?更新がずいぶんととびましたが、これは先月の教員採用試験のお勉強と、書道の展覧会の作品作り、そして授業の準備で時間が取れなかったからです。学校司書時代は、横で授業の準備や試験の答案作り、採点に成績入力等々をしている先生を見ていましたが、実際に自分でやってみるとものすご~く大変な仕事だと骨身にしみてわかりました。そんな次第で、本や漫画を読む時間も必然的に限られていたのですが、8月に入りひと段落ついたので、今日簡単に雑誌の読み切り漫画を紹介したいと思います。この作品は、タイトルにあるように講談社の『イブニング』8月13日号に載っていた私の好きな絵描きさん、速水螺旋人さんの「聖女の砲声」という漫画です。 この「聖女の砲声」ですが、舞台はナポレオン戦争下のロシア、1812年という設定です。ナポレオンはロシアに侵攻し、モスクワめがけて突き進む際中、小さな奇跡が起こった、というお話です。ナニガシスキイ修道院(もちろん架空の設定です)は、フランス軍の包囲を受けていましたが、辺境の修道院によくあるように要塞化されていて辛うじてフランス軍の包囲に耐えていました。しかし、分厚い城壁もフランス軍の砲撃でそろそろ危なくなりかけた頃、修道院の中ではロシア正教の修道士が「ああ~、死にませんように。死んでも命がありますように。おそろしい。おそろしい。」と十字を切ってお祈りしていました。そこに、砲弾が着弾した振動でイコン(イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像(多くは平面)のこと。)が壁から落っこちてしまいます。修道士は「ひぃ、凶兆。」と怯えますが、落ちたイコンから「ぼふん」と煙が上がって出てきたのは、若い女性。で、なんとこの女性が「イリオポリの聖大致命女ワルワラ」だったのです。(大致命者(だいちめいしゃ)とは、致命者のうち、大きく長い苦しみを受けた者に付される、正教会の聖人の称号の一つだそうです。)最初、「ワルワラ」と書いてあるのをみて「?」と思ったのですが、これは正教会読みだそうで、カットリックでは「聖バルバラ」と読むので納得しました。この「ワルワラ」は、3世紀に小アジアで父親の手にかかって拷問を受け、殉教した乙女です。十四救難成人の一人で、発熱や急死から人々を護り、鉱山や火を扱うなど危険な場所で働く人々、建築家や石工、砲手、消防士、鉱夫、囚人の守護聖人だそうです。蛇足ですが、私の持っている『大砲の歴史』という本によると、イタリアおよびスペインでは船や砦の弾薬庫での暴発事故を避けるため、聖女バルバラの像をおき、弾薬庫自体を聖人にちなんで「サンタ・バルバラ」と呼んだ、とあります。フランスでは現在でも、トンネル工事の際に聖バルバラの像を置くそうです。話が横道にそれましたので、戻します。 修道士は、早速「奇跡です。奇跡ですぞ。」と守備隊のロシア兵のところに「ワルワラ」を連れて行きますが、反応は「…は?」です。まぁ当然の反応でしょう。で、大砲を見つけた「ワルワラ」は、「おおー。ええもんがあるやないの♪」と言いますが、ロシア軍の将校、グリーシャ・グリンカ大尉に「素人がいじるな」と止められてしまいます。そこで「ワルワラ」は「ひさしぶりのシャバやしなー。はらぺこや!」と言いますが、大尉は籠城中だと言って「余計な食い物はないの!」といいます。ところが、正規の砲兵が食あたりで倒れ、素人の歩兵が大砲を撃っていたので、グリンカ大尉は「本当に聖ワルワラ様ならこれを撃ってみろよ」といいます。「よっしゃ、よっしゃ!まかしとき!」と答えた「ワルワラ」ですが・・・。一方のフランス軍は、城壁に砲撃で裂け目を作ることに成功。歩兵部隊が着剣して太鼓の音も勇ましく、「前進ン」「皇帝陛下万歳」と攻撃に入ります。そこへ、火薬と砲弾を装填し終わった大砲に跨った「ワルワラ」が「われらの口、なんじが栄誉(ほまれ)をあらわさん」と叫んで「撃てえッ」とぶっぱなします。そしたら砲弾は、歩兵を指揮するフランス軍の少佐の頭を吹き飛ばして、攻撃を頓挫させます。こうなったらロシア軍の態度は180度転換。「聖ワルワラ様にごちそうをお出ししろーッ」ということになります。ところで、この場面の「撃てえッ」のルビが(アミーゴ)となっていたのですが、書店で立ち読みしたとき私「?」と思いました。古い映画になりますが東映の『二百三高地』という映画で、冒頭、日本人の工作員がロシア兵に銃殺されるシーンがあるのですが、その時将校が「アゴーイ」と叫んで銃殺隊が発砲したので、これは誤植では、と思って買って帰って迫水さんのHPをみたらやっぱり誤植で本当は「アゴーニ」というそうです。語尾が少し違いますが、私の耳に前者のように聞こえただけなのか、ロシア語の格変化などの加減なのかわかりませんがとにかく間違えだったという訳です。一方、ロシア軍に大砲の聖女さまがいることにフランス軍もすぐに気づき(伝令を凹って吐かせた)ます。そこで、フランス側のベルトラン砲兵大尉は、「ワルワラ」が美女であることも手伝って、得意の口説きとフランスのワインを使って、「ワルワラ」をフランス軍に寝返りさせることに成功します。そこから両軍の「ワルワラ」への貢物合戦が始まるのですが、そのあとのことは、書店で立ち読みでもして読んでみて下さい。一応この『イブニング』の迫水さんのマンガはシリーズ化して、不定期連載という形をとるそうなので、単行本になるには時間がかかるみたいです。軍事というかミリタリーや歴史に関心のある方は、買ってお家でゆっくりと楽しまれた方が良いと思います。
2013年08月01日
コメント(2)
みなさま、お久しぶりです。3か月も更新が空いてしましました。その理由なのですが・・・司書をクビになったからです!!はい、そういうことなのです。元々、臨時任用という契約社員みたいな形で、半年の更新で県に雇われていたのですが、県が新規採用を再開し、正規の司書が増えたことと、県立学校再編計画やらが絡んで、あえなく今年の3月29日(正確には30日)で契約が消えて、さようなら~という形になったのです。で、この来年の職が無いようだと、と校長から告げられたのは2月の終わり。正式には、3月の初めに県教委から特別支援学校の寄宿員になりませんか~、と話が来たのですが、どうも校長から話を聞くと大変そうだというので、この話は断りました。一応、大学院出の修士で高校地歴の教免を持っていたので、常勤講師かせめて非常勤に、といって校長に頼み込んだのですが、やはり不景気でお後がいっぱい詰まっているので、教職の経験のない30代の人間には常勤の話は降ってこなくて、なんとか非常勤の口を見つけてもらって、今現在、高校の非常勤の教員をやっているという状態です。ですので、3月は司書の仕事の引き継ぎにドタバタし、4月からは教科の勉強等々(なにせ、教育実習以来の教壇ですから)で脳の使ってなかった部分をフル回転して、記憶を辿りつつ毎週の授業の板書を進める日々で、ブログやネトゲをする暇がなかったのです。5月の連休を過ぎてからは多少は余裕が出てきたのですが、司書をやめてしまったのに、このブログを続けていくのも如何なものかと自問自答して、今日まで悩んでいた次第であります。でもまぁ、司書は辞めても本は好きだし、司書教諭の免許も持っているし、読む本の量が減っても、最近は(て、言っても2月以前ですが)月1回ぐらいしか更新してなかったのだから、ボチボチ続けていこうかな、とようやく決心し、今日の更新と相成ったわけです。本の専門職である司書から離れるのは辛かったのですが、昨今の司書の採用状況(年齢制限、採用数等々)を考えると、ここで辞めて非常勤をしながら教員試験を受ける方向に転換して、良かったのかもしれません。という訳で、この濫読屋雑記の方をまた細々と更新していきますので、ご興味のある方は生暖かい目で、見守っていただけると幸いです。では、今日は最近読んでいる本の表紙を数冊紹介して終わります。何校か高校を回っているのですが、そのうちの1校で朝読をしていて、ちょうど1限目の授業に当たっているので、その監督をしないといけないので、生徒が本を読んでいるか確認しつつ、私も本を読んでいる次第なのです。中々、本に関する仕事とは縁が切れないようです。嬉しい様でもあり、寂しいような、そんな10分間を週2回、感じています。 【送料無料】近代発明家列伝 [ 橋本毅彦 ]価格:756円(税込、送料込)朝読用の一冊。真面目に岩波新書を選びました。 【送料無料】ミャンマーで尼になりました [ 天野和公 ]価格:1,050円(税込、送料込)家で読んでいるうちの一冊。そのうちこの本についても、ブログで書きたいな~。 【送料無料】童子の輪舞曲 [ 仁木英之 ]価格:1,470円(税込、送料込)これも、家読み用。私の好きな僕僕シリーズの最新刊で、シリーズ既刊の幕間を埋める短編集が載っていて面白いです。
2013年05月29日
コメント(3)
本日は、七沢またり著、チョモラン画『死神を食べた少女(上)』(エンターブレイン、2012年12月)について、思いついたことを書き綴っていきたいと思います。 この本のモトは、WEB小説らしいのですが、私はWEB小説は基本、読まない人間なので、元のお話は知りません。ただ、他の方のレビューやブログでは「WEBから加筆があり、はっきりしていなかった部分が書かれていたり」と書いてあるので、書籍化に際して作者や編集がある程度手を加えて読みやすくした作品なのかな、と思います。それではこの小説の中身に入っていきますが、この小説の「発想」秀逸なのです。それは本の主題にある通り、「死神」を「食べた」という少女が主人公という点です。これまで、死神と契約するとか魂を売るとか、または死神に憑かれた人を救うとか、退治するという展開のお話はありましたが、死神を「食べる」という発想は、私の頭の中で考え付かなかった斜め上を行くものでありまして、この本の主題を見た時から、面白い物語が読めそうだと期待しました。で、この物語の主人公なのですが、主題の通り「死神を食べた少女」です。この少女は、荒廃して内乱が勃発しているとある王国の貧村に住んでいる、人より少しだけ食欲が強い子です。その少女がある日、王国兵の偽装をした反乱軍の傭兵で構成された略奪部隊に村を襲撃され、少女、名をシェラというのですが、も傭兵に捕まってしまいます。この時、シェラは自分の最後の食糧を奪った傭兵を、自らが犯され殺されそうな状況下なのに、殺意を抱きます。そしてその殺意とともに、発狂しそうな空腹感に襲われます。そして何か食べるものがないかと血走った目で探したところ、目に入ったのがパンより美味しそうな獲物・・・。大きな鎌を持って黒い装束を身に着け、骸骨の仮面をつけた死神を見つけたのです。そして、自分を犯し殺そうとした傭兵と重なった死神の「美味しそうな」首筋めがけ、死神が振り下す鎌より早く、シェラは傭兵の喉を噛み切り、噛み千切った人肉を吐き出して死神に深く喰らいついたのです。そして、暴れ狂う死神の身体を押さえつけ、何度も何度も喉へ歯を突き立てます。生贄の予期せぬ反撃に死神は大鎌を手放し体制を崩します。そして、シェラは死神に喰らいついたまま決して離さず、ついに死神は力尽きてその場に崩れ落ちます。しかし、骸骨の仮面が外れると、そこには何もなかったのです!「死に行く者の野心や欲望を刈り取る死神が、食欲に突き動かされた少女に敗北した。」のです。これがこの物語の導入部分です。という次第で、始まりはかなりシュールな展開で始まるのですが、内容はかなり戦記モノ的な雰囲気の作品です。表紙や主題からは想像できませんが。でも、その内容は戦記モノといっても戦術戦略を競い合うような話ではありません。基本的にシェラが戦場で死神の大鎌を振り回して超人的な活躍をするところが、見せ場の一つです。そのシェラは、村を反乱軍に襲われたという理由から、王国の兵士として戦うことになり、個人的な武勲を重ね、部下の狂信的信頼を得て反乱軍相手に奮戦をします。しかし、出てくる味方は極々一部の例外を除いて無能で出世欲が強い俗物ばかりで、シェラとその隷下の王国部隊は戦闘では勝っているのに、全体的、戦略・戦術ともに次々と反乱軍に負けてしまいます。この辺が、腐敗して末期的症状の王国の姿を映し出していて、物語にリアリティを添えています。この物語の世界観ですが、基本ファンタジー世界ですが派手な魔法は出てきません。せいぜい魔法で爆発する地雷とか、医療目的の程度の魔法のみです。戦闘でも、火器はでこないので、冷兵器(剣とか槍)や弓矢や弩が出てくる程度です。そして主人公のシェラは死神を食べたことで無双の力を手に入れていますので、愛用の死神の大鎌をふるって、敵味方から文字通り「死神」のあだ名をつけられ恐れられます。そのようなところでは、主人公無双なお話が好きな人にもおススメな作品だと思います。ただ無敵というか、不死身な人間にはなってないので、その方面の話を嫌いな人でも読めると思います。そして、上下巻でしっかりと完結していますので最後まで安心して読めます。では、物語の中でシェラはどのような活躍をするかというと、大鎌で首を刈り取ったり、体を真っ二つにするなど基本的に敵、反乱軍は惨殺です。そして戦闘以外の時は基本なにか食べてます。行軍中でも戦闘前なら何か食べてます。もしくは飢えてます。この物語の中で、シェラは反乱軍を殺すことと、食べること、美味しいものを一杯食べることや、隷下の部下たちと食事を共にすることを楽しみに生きています。こういう意味では主人公のシェラは、自由奔放、気ままに戦争という舞台を駆け抜けていきます。そのような状況を、上下巻を通してシェラが能力を経て戦いに加わる所から、王国と反乱軍の戦いの後日談までストレートに一気に読めるように書かれたお話です。所々、ストーリーにほつれというか、突っ込みどころがありますが、そんなことを気にしないほど、この物語を読んでいると、ハラハラ感といいますか程よい緊張感があり、登場人物も先にも書きましたが一癖も二癖もある人物ばかり。そして読了後の爽快感は、何とも言えません。勝者の歴史の中で、不合理な犠牲として切り捨てられた者たちの思いを背中に背負い最後まで戦い抜く、敵から死神と呼ばれる少女、シェラ。負けゆく中で泥臭く、豪放磊落に生き抜く英雄の姿は読んでいて清々しくワクワクさせられます。見開きのイラストも素晴らしく、作品の世界観を堪能できます。上下巻で、2,100円とは安いと思う満足感あふれる作品です。
2013年02月21日
コメント(2)
みなさま、お久しぶりです。今日は樫木祐人さんの『ハクメイとミコチ(1)』(エンターブレイン、2013年1月)を紹介したいと思います。(左奥がミコチ、右手前がハクメイです。)この漫画は、私が珍しく毎号購入している雑誌(書籍扱いですが)『fellows!(volume 26(2012) 』(エンターブレイン、2012年12月)に連載されている作品です。『fellows!』は森薫さんの『乙嫁語り』や笠井スイさんの『ジゼル・アラン』など、質の高いマンガを連載している雑誌です。これまでは隔月発行でしたが、今年から、年10回の発行となり雑誌名も『ハルタ(1)』に新しく変わって、心機一転して発売されます。このため、私は月刊アニメ雑誌の購読を1つやめることになりました(>0<)話がずれてしまったので、元に戻します。この漫画の主人公は、ハクメイとミコチという2人の女の子の小人です。彼らの身長はわずか9cm。とても小さいですね。そんな2人は、森の奥の木の洞を利用して作った家に住んでいます。そして時々、仕事や買い物のため、街に出かけたりします。で、主人公の紹介ですが、まずはハクメイから。最初見た時は、一瞬男の子?と思ったほど活動的な子です。ミコチと暮らす前は、宿無し生活をしてたと言っていて、第4話の『星空とポンカン』で収れん火災(水を入れたガラスの容器や、ビー玉などが、レンズとなっておこる火災)で家が粉みじん(ハクメイが知り合いからもらった黒色火薬に引火したため)に吹き飛んだ時、修理のために外泊することになった際、手際よくポンカンの木の下に柿の葉で作ったテントを作り、食事のためのかまどを作ったりするなど野宿の手際の良い、アウトドア派です。仕事は修理屋さんで、第5話『仕事の日』では、風車の修理をしています。その他にも、刃物研ぎなどもしているそうです。体を使う肉体派さんでもあります。次に、ミコチの紹介をしますね。これはどこにでもいる普通の女の子です。家では料理などの家事を担当しているようです。街に住んでいたことがあるようで、第6話の『舟歌の市場』では、港町アラビで手際よく買い物をしていますし、荷物を預かってくれる常連の喫茶店兼呑み屋さんを知っているなど、本当の街娘みたいです。この第6話では、ミコチが買い物の途中に財布を落として、街の中を探すことになるのですが、街の住人、小人さんだけではなくて、タヌキや猫、トカゲにスズメ、カエルに猿などから「ミコっちゃん」と呼ばれたり、財布を落としたことを知った市場の人たちから干物や佃煮、漬け物等々をプレゼントされるような人気者のようです。また昔、洋裁のアルバイトをしていたので布に詳しく、とくに貴重な「ヒロムタ綿」で作った生地には目がなく、触っただけで綿と麻の配合がわかるぐらいの目利きでもあります。また、市場の飲食店から漬け用の醤油の味や粕汁の出汁、なめろうの味見を頼まれるぐらいに味覚が鋭いようです。ちょっとミコチの紹介が長くなりそうなので、段落を変えます。そのミコチの普段の仕事は、味覚の鋭さと料理の腕などを生かして保存食や日用品を作ることです。第7話の「仕事の日2」では、そのエピソードが綴られています。第2話「ふたりの歌姫」で山間の街マキナタの収穫祭で、歌姫として一緒に歌を歌った吟遊詩人のコンジェが、新築祝いにミコチの家にやって来ます。そこで、ミコチがジャガ谷の麓にある夢品(むじな)商店に先ほど述べた保存食や日用品を卸していることをコンジェに告げます。コンジェはそのお店のリピーターであると言って、ミコチが出す黒豆クッキー(コンジェの大好物)や、自分が新築祝いに持ってきたお茶がミコチの作ったものだと知って驚きます。そして、コンジェはなぜか安心します。なぜかというと、ハクメイとミコチが大食らいのくせに、働いているように見えなかったからです。このことを言うと、ミコチはコンジェの頬を思いっきりつかんで引っ張っています。そんな小人の2人が織り成す普通の日々を、2人以外の様々な登場人物、吟遊詩人のコンジェや研究者のセン、イタチの鰯谷(いわしだに)親方、喫茶店兼呑み屋のマスター、呑み屋・吞戸屋の姉妹が出てきてにぎやかにお話が進みます。あと、この漫画で面白いのは、先に述べた鳥や動物の他に昆虫も小人や動物たちと混ざって一緒になって働いている点です。例えば、ゴライアスオオツノハナムグリ(体長100mmを超える世界一思い昆虫)は個人輸送業をやっていたり、その同業者には小型輸送ひとり旅用のカブトムシなどがいたり、バッタが新聞配達をしていたりと、中々面白い世界観で描かれています。そのような世界観と登場人物の細かな設定が魅力的なこの漫画。とくにミコチの説明が長くなった原因の、出てくる食べ物が美味しそうに描かれている点も見どころの一つ。また、先にも出てきた動物や虫が意外とリアルに描かれていることも評価が高くなるところです。まあ説明しようとすると、書いてきたようにいろいろ書けますが、読まないとこの漫画の何とも言えない良さは、分からないと思います。また、これは『fellowes!』の作家さんの一部に言えることですが、絵が程よく細かく描き込まれ、これがお話に厚みを持たせています。絵の描き方も、びっしり描き込まれた背景なのですが、適度に空間があって息苦しくないのも良いです。日常系やほのぼの系、癒し系等のマンガが好きなら、間違い無く購入して大丈夫な作品だと思います。某ネット系本屋さんのレビューを見ると森薫さんの『乙嫁語り(5)』に挟んであった試し読みチラシを読んで購入した方が多いようですが先にも色々書いた通り、購入して損をしない1冊です。ぜひ樫木さんの描く、この世界観にどっぷりはまって楽しんでみてください。
2013年02月08日
コメント(0)
はい、平成25年の1月も半分近く過ぎてしまいました。遅ればせながら、新年おめでとうございます。今年も、皆様にとって良い年でありますように。という次第で、今年初の更新は本ではなく、私の3番目の趣味である「ワイン」について少々語りたいと思います。ちなみに趣味の一番は仕事と兼ね合わせた「読書(マンガも含む)」と二番目の「書道(今現在、謙慎書道展の作品制作でてんてこ舞いですが)」であります。さて、正月は4日の金曜日に有給を取ったので(学校に生徒も先生もほとんど来ないと聞いたので)非常に長い休みとなりましたが、医者から養生しなさい、と言われたので、最後の日曜日に書道の初稽古に行った以外はほとんど寝正月で過ごしました。そんな中、初稽古の帰りに名古屋の栄にある明治屋さんに寄って、新年の挨拶もかねてワインを買いに行ったのですが、なんと、なんと掘り出し物があったのです。それ下の写真のワインです。ジェ・ジェ・モルチェのシャトー・フィロー、1995年モノです。ソーテルヌ といえば世界三大貴腐ワインの一つです 。しかも、1995年はフランスワインの当たり年。このようなお高いワインには普段手が届かないのですが、なんとお値段は2,980円!(格付けは2級ですが)普段は、甘口は飲まない私でも、この値段なら即決。即買って家に宅急便で届いたらすぐ冷蔵庫に保管して、1週間後の今日、栓を抜いたという次第です。上が写真写りが悪いのですが、抜いたコルクです。コルクを抜いた瞬間、香りがふわりと鼻に感じたのには少々驚きました。で、グラスに入れたのが下の写真です。何とも言えない、貴腐ワイン独特の琥珀色です。明治屋の人に言われた通り、良く冷やして食後にツマミなしで飲んでみました。で、飲んでみた感想なのですが、やはり「甘」かったです。普段、白の辛口や赤のミディアムを好んで飲む人間の舌にはやはり甘かったです。でも、甘さの中にほのかな酸味と渋みといいますか、樽の効いたような味わいがありました。それで、香りのほうはと言いますと、こちらは素晴らしいものでした。ものの本では、オレンジやヘーゼルナッツ、蜂蜜の香りと表現されていましたが、私の鼻には、上質のブランデーに良く似た軽やかであるけれども余韻が深く残る香りでした。今まで飲んだお酒の中で一番近い香りを記憶をたどって思い出してみると、ブランデーに漬けた梅の10年以上たった香りが一番近いと思いました。そして、某公共放送の鉄砲娘のドラマと、ダイオウイカの特集を見ながら2時間近くかけてゆっくりと飲んだのですが、開けたときと最後の1杯とで香りはあまり変わりませんでした。むしろ、少し温度が上がってきた位がちょうど良い飲みごろだと感じました。という感じで、安いワインばかり飲んでいて、満足にワインを表現できない人間のしょぼい感想を書いてみました。でもやっぱりおいしかった~♪今度機会があれば、トカイワインも飲んでみたいと思いました。
2013年01月13日
コメント(0)
みなさま、お久しぶりです。今日はCha Tea紅茶教室の『図説英国ティーカップの歴史 [ Cha Tea紅茶教室 ]』(河出書房新社、2012年5月)について、書いてみたいと思います。本題に入る前に、ここで少々言い訳を。え~読書週間中にバリバリ更新するぞ~と書いていたのですが、勤めている高校の読書週間というのが司書だったら涙が出るくらいの盛況でした。レファレンスにリクエスト、県立高校間や県・市町の図書館との相互貸借の業務等々が忙しく、おまけに県の監査が入るので図書館の備品のチェックや書類の確認等、慌ただしい日々を過ごしているうちに気が付けば11月も残りわずか・・・。という次第で今日は早く家に帰ることができたので、更新する次第であります。以上、言い訳は終わりまして、本題の『図説英国ティーカップの歴史 [ Cha Tea紅茶教室 ]』の内容に入っていきましょう。まずは、私がなぜこの本を手に取ったかと言いますと、『紅茶が大好きだからだ~!!』という理由からです。どのくらい好きかと言いますと、朝は2杯のミルクティーを飲まないと調子が出ませんし、夕方5時ぐらいにも紅茶を飲まないと胃が落ち着かないほどの状態です。ですので、珈琲はよっぽどの状況、仕事での接客や会議等の場合以外ほとんど飲みません。ただ、日本の普通の珈琲は嫌いですが、大学生のときハワイに研究旅行で行って飲んだ珈琲だけは記憶に残るぐらい美味しかったのですがね。話が横道に逸れました。では改めて本書の紹介をします。この本を書いたというかまとめたのはChaTea紅茶教室の方々です。この紅茶教室は、10年ぐらい前に始まり、毎月300名もの人が紅茶について学んでいる教室だそうです。そしてそこでは、世界にある様々な産地の紅茶の飲み比べや、紅茶の正しい淹れ方の実践、紅茶文化を育んだ英国の文化を学んだりと、紅茶に関するあらゆる知識を学ぶレッスンを行っているそうです。う~ん、私も受けてみたいです。そんな紅茶教室のレッスンで共通していること、その大元はティータイムだそうです。紅茶は人と人をつなぐコミュニケーションとして大きな役割を持っていると、この本のまえがきにあります。そんな時に登場するのが、紅茶を飲むために作られた「ティーカップ」です。そして、「ティーカップ」にはカップを使う人の様々な思いが込められているそうです。そんな「ティーカップ」の誕生した時代背景からその頃流行していたインテリアなど、カップだけでなくそれを使っていた人、場所も含めてティーカップを歴史を辿りながら見直していこうというのが、本書の趣旨です。そんなこの本は、河出書房新社の『ふくろうの本』らしく、豊富な図版や写真を駆使して、英国における紅茶の歴史や美しいティーカップのコレクションを堪能できる本です。ティーカップなどの写真はカラーとモノクロの半分半分です。本音は、すべてカラーだと文句なしなのですが、それだと本のお値段が跳ね上がって手元に置くことができなくなるので「しょうがないな」と思いました。ではいよいよ本書のページを捲ってみましょう。第1章は「西洋喫茶の始まり」です。喫茶の習慣が入ってきた17世紀末から18世紀初期の欧州で作られたティーボウルのカラー写真が、本書の17ページに掲げられています。中国や日本から入ってきたのが分かるフォルムで、ティーカップへの発達過程がわかる面白い写真です。「茶の習慣が一般市民へと広がる」という章では、東インド会社が中国との茶の直接貿易を実現したことにより、茶が王侯貴族への「献上品」からお金さえ出せば手に入る「贅沢品」に変化したことにより、茶の輸入量が増加したことが書かれています。そして、茶の輸入量が増えると、茶を専門に扱う店が登場し、1706年には英国最古の茶専門店、トワイニングが茶の小売りを開始しました。次いで、1707年にはロンドンの中心地に、高級雑貨や食材を扱うフォートナム&メイソンがオープンします。ちなみに私は、F&Mの紅茶が好きで、学校の司書室に4.4oz(125g)の缶を常備しています。10月までは「ロイヤルブレンド」という銘柄の紅茶を飲んでいましたが、今月からは本書のなかでも紹介されている「クイーンアン」を飲んでいます。名古屋のミッドランドスクエアの地下にF&Mの直売店ができて、紅茶を買うのが楽になりましたね。ちなみに、学校ではマグカップで紅茶を飲んでいます。カップは来客用があるのですが、洗うのが面倒で、そして量があまり入れられないので、ほとんど使っていません。無精者ですね。さて、あとは簡単に紹介をしていきます。第2章では「英国陶磁器産業の誕生」のボーンチャイナの誕生が興味をひきました。これの「王室御用達」の伝統は現在にも生きています。そして、「茶税問題―ボストンティーパーティー事件」や同じく「茶税問題―英国内で税率引き下げに」の双方は、歴史好きの私にとって興味深い内容でした。第3章「ブルー&ホワイトの流行」では47ページに代表的なブルーイタリアンの名器の写真が素晴らしかったです。また、茶の自由貿易が1833年に解禁され、それが引き金で起こった貿易赤字を解消するためにアヘンの密輸が始まり、そしてアヘン戦争が勃発したことや、英領インドで茶の栽培が試みられたという記述は面白かったです。第4章「上流階級のアフタヌーンティー」は紅茶文化の全盛期、ヴィクトリア朝を取り上げているので、本書の佳境はこの辺なのかな、と思って読みました。ちょっと字数が制限されてきたのであとは、章立てを参考までに列記します。英国の近代生活史を語る上で不可欠な紅茶にまつわるエピソードが満載でした。第5章は「中産階級~労働者階級のティータイム」。第6章は「生活習慣に密着した新しいティーカップ」。第7章は「ティーカップと紅茶の未来」となります。また、各章の終わりにはColummがあり、紅茶に関する様々な豆知識が載っていて、参考になります。こんな感じの、ティーカップの歴史から覗いてみた紅茶文化の変遷が楽しく学べる1冊。綺麗なティーカップの写真を見ているだけでも眼福な本。紅茶好きな方なら手に取って読んで間違いなしです。ぜひ、読んでみてください。最後に一言。私がもっているまともなティーカップは、リチャードジノリのベッキオ ローズブルーひとつだけ・・・。本来、2つセットだったものが、片方が破損したので1つだけ安く売っていたのを買ったものです。ですので、私のティータイムは、そのカップにF&Mの紅茶をミルクティーにして、本を読みながら家で一人で楽しむという優雅で至福の時ですが、どこかさみしい紅茶を楽しんでいます。それでは。
2012年11月29日
コメント(2)
今日は前回のキーワード、宮中・女性というところから佐藤賢一/原作、紅林直/作画『かの名はポンパドール(1)』(集英社、2012年4月)を紹介していきたいと思います。原作者の佐藤健一氏と言えば西洋歴史モノの第一人者で、有名なところでは『傭兵ピエール』や最近の著者だと『小説 フランス革命』などを書かれている方です。作画の方の紅林直さんは、『嬢王』の作者です。この強力な組み合わせで挑んだ題材がポンパドール侯爵夫人なのです。ここで、ポンパドール侯爵夫人について歴史的な解釈を書いておきます。生没年は1721年12月29日 - 1764年4月15日。ルイ15世の公妾で、その立場を利用してフランスの政治に強く干渉し、七年戦争ではオーストリア・ロシアの二人の女帝と組んでプロイセンと対抗した人物であると、歴史辞典を紐解けばこう載っています。私個人的な感想を交えるなら、尊敬して敬愛しているプロイセンのフリードリッヒ大王を自決寸前まで追い詰めた「3枚のペチコート作戦」の立役者として、悪役としてのイメージがありました。ちなみに「3枚のペチコート作戦」とは、フランスのポンパドール侯爵夫人、オーストリアの女帝であるマリア・テレジア、そしてロシアの女帝・エリザヴェータの3人が反プロイセン同盟を結んでプロイセンを包囲したことによるものです。とくに、長年にわたって敵対関係にあったフランスとオーストリア(神聖ローマ帝国)の歴史的な和解は、外交革命と呼ばれるほど画期的なものでした。そのポンパドール侯爵夫人の生い立ちはと言いますと、漫画でも描かれていますがあまり良くはありませんでした。彼女は父がパリの銀行家フランソワ・ポワソンと食肉卸の娘である母ルイーズの子、ジャンヌ・アントワネット・ポワソンとして生まれます。ところが父親が不正取引で国庫の金を着服してドイツへ逃亡してしまいます。母親は直ちに夫と離縁してしまが、母親に悪評が立ち王室御用の銀行家、パリス兄弟のお手付きと噂されてしまします。しかしその逆境の中、平民という身分ながらブルジョワ階級の娘として貴族の子女以上の教育を受け、優秀な成績だったポンパドール侯爵夫人は、1741年に徴税請負人のシャルル=ギヨーム・ル・ノルマン・エティオール氏と結婚します。ちなみに結婚相手の伯父のトゥールネム氏が彼女の養父でした。さて、16歳で社交界にデビューしたポンパドール侯爵夫人は(当時のフランスの上流階級では、女性は結婚して初めて地位が持てる存在でした。)タンサン夫人やジョフラン夫人の超一流サロンに出入りするようになります。そして、ポンパドール侯爵夫人は美人で博(エスプリ)がある女性として、ヴォルテールやフォントネルら一流の文化人と知り合いサロンの華となります。1744年にはその美貌がルイ15世の目に留まり、彼女はポンパドゥール侯爵夫人の称号を与えられて夫と別居し、1745年9月14日正式に公妾として認められました。(この当時のフランスでは先にも書いたような状況であり、結婚とは政略と生殖が第一目的。そのため子どもさえ産んでしまえば、あとの女性は地位を得ながらにして自由になり好きに愛人を持てるようになるのです。裏を返せば、男は女が結婚していなけらばどんなに好きでも自分の愛人にならないという、おかしな風習だったのです。)ではここで、公妾について簡単に説明を。先にも書いた通り、当時の結婚は政略結婚が主流で、国王の結婚ともなれば外交の最大の駒でした。そして、王妃の第一の役目は国王の跡取りを産むことだけでした。という次第で、当時のフランスの宮廷には「王の公認の愛人」の役職があったのです。この制度、他の欧州諸国の中でも極めて異例な制度で、国王の褥の相手としてだけでなく、宮廷の儀式でも一定の役割が与えられ、文化人たちのパトロンとなり、娯楽を演出するなど、王妃をしのぐ権力を行使していました。「国王の公認の愛人」となる資格は、既婚女性で貴族の出であることでした。そして愛人の子は国王の後継者にしないという掟が存在しました。この制度は、お隣の英国王ヘンリー8世が妻と愛人の板挟みとなり暴挙(妻を次々に処刑し、ローマ教会から破門され、英国国教会を独立させる)を見たフランソワ8世が、ルイ15世の御世から200年あまり前に作った制度です。この作品は画力に定評のある紅林直さんを絵師に起用していて、ポンパドール侯爵夫人の世界、ヴェルサイユの宮廷内の陰謀やエロスが同系等作品のようにいかんなく発揮されています。小説からのフォーマットを変えてるぎこちなさが無い点は、『傭兵ピエール』でコミカライズに失敗した集英社が挽回を狙っているのかな~、と考えたりもします。また、当時の風俗や習慣、背景をイギリス王室やヨーロッパ絵画のその筋では有名な、神奈川大学の石井美樹子教授のコラムで補足している点も、評価が上がるポイントです。この漫画は、その美貌と才覚のみでその座をつかみ、権力を行使し時代をリードした実在の人物の物語です。後宮、ハーレム、大奥と、古来権力者の周りにはたくさんの女性が奉仕していました。キリスト教国(しかもカトリック!)にも国王の愛人がいるのは当たり前ですが、一夫一妻制のキリスト教において、本来日陰者という立場になるはずです。このようにあからさまで、そして政治、芸術、文化をリードするという女性、ポンパドール侯爵夫人という人物は欧州史的にも珍しい存在です。ルイ15世は、その政治的業績よりも、愛人を揃え、風紀を乱したことで歴史に名を刻んでいます(しかし、妃に対しては良い夫であって、問題は国王が並はずれた絶倫家で、妃がもたないから愛人を囲った、というのが事実らしいです)。ポンパドール侯爵夫人はその象徴的人物として見られてきました。しかし私は、佐藤賢一がポンパドール侯爵夫人を書くならその視点だけでは無いと予想します。後の革命左翼にマリー・アントワネットと共に悪女の烙印を押され続けたポンパドール侯爵夫人ですが、一方で革命の元となったルソーの友人でもあるのですから、彼女は。佐藤賢一が書き紅林直が描くポンパドール夫人。これから要チェックの作品ですよ。近世ヨーロッパに関心のある方は、ぜひ手に取ってみてください。
2012年10月17日
コメント(11)
さて、久方ぶりの更新は日向夏さんの『薬屋のひとりごと』(主婦の友社、2012年10月)を紹介していきたいと思います。このお話の舞台は、中世のとある東洋の大国です。主人公は花街で薬師をやっている少女・猫猫(マオマオ)。妓女たちを相手に、風邪から性病まで面倒を見て、薬の知識に長けている少女です。ところがある日、薬取りに森へ入ったときに人さらいにあい、後宮に売り飛ばされて下女として働くことになってしまいます。普通なら「人さらい~!」「ここから出して~!」と悲嘆に泣くのがたいていの女の子なのでしょうが、花街で育ち元々冷めた性格の猫猫は、日々ため息をつきながら下働きを淡々とこなします。そして、身を低くして目立たないように奉公の二年の期限が切れるのを待っていたのです。なぜそんな風に教養(薬の調合ができるのですから文字の読み書きもできるのです)を隠していたかと言いますと、給料の一部が人さらいに搾取されるシステムになっていて、当然位が上がると給料も上がるわけで「自分をさらった悪党に金なんかやるものか!」という思いがあったからなのです。 このように、目立たぬように後宮の最下層の身分の下女として日々を過ごしていた猫猫でしたがある日、後宮で世継ぎの宮たちが相次いで三人も亡くなり、残る二人の宮も命が危ないという話を耳にします。持ち前の好奇心と知識欲に突き動かされ、その原因を考える猫猫。最初はお決まりの毒殺かと思いましたが、亡くなった宮のうち二人は公主(ヒメ)でしたので毒殺の線は消えます。そこで、亡くなった宮がだんだん弱っていったこと、頭痛や腹痛、吐き気などの症状があることを仲間の下女から聞き出した猫猫は、確証を得るために理由を作って後宮の妃の部屋をのぞきに来ます。そこで見たのは、東宮(皇太子)の母親である梨花(リファ)妃と公主の母親である玉葉(ギョクヨウ)妃の二人が、医官を挟んで怒鳴りあう姿でした。そして、梨花妃の白い肌とおぼつかない身体を見た猫猫は原因を確信します。それは、女性の肌に塗る白粉(おしろい)でした。この小説の舞台の時代には、上等で肌をいちばん白く見せる白粉には水銀や鉛白が含まれていたのです。そうです、宮たちの死因は鉛中毒だったわけです(物語の後半にそのことが書かれています)。このことを、布きれに草の汁を使って「おしろいはどく、赤子にふれさすな」と書き、双方の妃の部屋の窓辺の木の枝に結んでおきました。しかし、梨花妃は忠告を聞かず東宮を失い、玉葉妃は白粉を塗って公主に授乳していた乳母に暇を出すことで、公主は助かります。こうして、後宮で生まれる赤坊の連続死をこっそり解決した猫猫でしたが彼女に思いもよらない運命が待っていたのです。それは、壬氏(ジンシ)という美貌で頭が切れる宦官に、猫猫が病気の原因を突き止めたのは自分だということがばれたことでした。ちょうど、公主の命の恩人となった猫猫は玉葉妃の侍女が少ないこともあり、妃の侍女に抜擢されます。しかしその役目は、毒見役・・・。普通の少女だったら裸足で逃げ出すところでしょうが、猫猫は知的欲求が薬と毒物に傾きすぎている世が世なら「狂科学者(マッドサイエンティスト)」と呼ばれるような娘だったのです。傷薬や化膿止めの効能を調べるため自傷行為を行い、毒を少しずつ飲み耐性をつけ、時には自分から毒蛇をかませる始末・・・。こんな一風変わった少女が宮中で起こる難事件を、薬学、毒物学の知識を駆使して解決していくというのがこのも語りのあらすじです。無愛想で人にも美形の壬氏にも関心を示さず、常に冷めているのに、毒を含んだ時の舌先の痺れに恍惚の表情を浮かべる猫猫・・・。そんな少女の活躍ぶりが予想以上に痛快な冒険小説でもファンタジーでも無い小説です。ですが、ちょっと気楽ににやにやしながら読むのにはお勧めな小説だと思います。 なにしろ単行本サイズで、定価が790円(税別)なのですから。そしてこのお話は、元はWEB小説だったそうですが、そうとは思えないほどの完成度の高い作品に仕上がっています。また、WEB小説の雰囲気を壊すような萌絵のような表紙や挿絵がなく、表紙に中華風の普通の絵で主要な登場人物を配することで、上手く小説の登場人物の容姿をさらりとあらわしているのは小気味良いと思います。ただちょっと猫猫が中世という時代設定万能すぎるかな、という点と、文章の中には、「低温やけど」のような現代用語が出てくるのが少し気になりましたが、そんなもの質の悪いライトノベルや携帯小説に比べたら全く気にならない程度のものです。物語も、最初から最後まで筋が一本ピンッと張られていて、そこから色々と面白いエピソードが派生してきて、面白いやら、あきれるやら、感心するやら、少しホロリとくる場面があって、最後まで読んでいて面白い作品でした。先にも書きましたが、本当に適度な軽さで読みやすくて面白い本です。軽いミステリーや中華モノが好きな人にはお勧めしたい一冊です。 追記・・・7月から更新が全くできなくて、すみませんでした。日展の作品作りに夏休みの学校図書館の蔵書点検を含む諸々の仕事、9月に入れば文化祭の古本市の準備等々、気力を使うことが多くて家でPCに向かうのはメールの確認ぐらいで、あとはベッドに倒れこむ、という生活でした。おまけに季節の変わり目なので、病気がひどくなって・・・。ただ10月に入り幾分落ち着き、読書週間も間近なので、これから細々と更新していきたいと思います。
2012年10月09日
コメント(0)
久しぶりの更新になります今日は、最近読んでいる兎月竜之介さんの『ニーナとうさぎと魔法の戦車』(集英社:集英社スーパーダッシュ文庫、2010年9月)について、いつもの調子で語っていきたいと思います。 この本は、出版された当時は書店での立ち読みで済ませていた一冊なのですが、最近になってコミカライズ化された藪口黒子さんの『ニーナとうさぎと魔法の戦車(1)』(集英社、2012年4月)を衝動買いして、読んでみたらとてもストーリーの内容がしっかりしていたので、では小説版も読んでみようかと思って1巻目を購入した次第であります。昔と違って、本屋で長時間、立ち読みする気力も体力もありませんし、働いて自分の自由になるお金が劇的に増えたので、このような真似が出来るわけです。学生・院生時代は本を買うのに2時間も本屋で悩んでいたのが遥か過去の話に思えます(それだけ、歳を食った訳なのですが・・・)。という次第で、コミック版の感想はひとまず横に置いておいて、小説版の感想から始めますね。この物語の世界では、兵器の動力源が搭乗者の魔力という設定になっています。そして、この世界では大国同士の戦争があって、その戦争が新型魔法爆弾の投下の余波による全兵器の故障という理由で5年前に停戦しました。しかしその新型魔法爆弾の魔力によって何故か魔法兵器たちは搭乗者なしで自走し、人間を襲うようになってしまします。主人公であるニーナはそんな時代の被害者です。7歳で人買いに売られ、12歳まで戦車の動力源としてこき使われ、いまはそこから逃げ出して放浪する身となっているという境遇の女の子です。そんな彼女が空腹に負けて結婚式の会場の食べ物を盗んだところを捕まえたのが、私立戦車隊"首なし"ラビッツのメンバーたちでした。彼女たち、ラビット隊の面々はニーナを自分たちの事務所へ連れて行き、お風呂に入れて食事を与えます。最初は警戒していたニーナも温かい食事とラビット隊の面々の人柄のおかげで「生きててよかった」と安堵感を得ます。しかし、つかの間の安堵感も、ラビット隊から「ここに住んでいいよ」と言われた時、戦車の動力源として酷使された記憶がよみがえったニーナは「戦車乗りは嫌いだ」と言って感情を爆発させます。その感情を受け止めたラビット隊の隊長、ドロシーさんはこう言います。「ならば、この世界を大嫌いなものに変えてしまった原因は何かな?賢い君には見えているはずさ。だって、君が一番その原因を嫌っているはずなのだから」その原因、あまりにも強大で、暴力的で、理不尽で、圧倒的で何度もニーナを打ちのめしてきたもの・・・「それはね・・・・戦争だよ、君」と言い放つドロシーさん。そこへ、野良戦車出現のサイレンが鳴り響きます。即座に出動を決めるドロシーさん。ところがラビット隊には、先に述べた結婚式で砲手が結婚退職してしまっていたのです。砲手はどうするのか詰め寄るラビット隊の面々にドロシーさんはこうのたまいます。「その辺は問題ない。たった今、新しい砲手が見つかったから」といってニーナを砲手に指名したのです。さあこのあと、ニーナは砲手として嫌っていた魔道戦車に乗り込み、野良戦車との戦いに臨むのか、この先は本を実際に読んでみて下さい。ということで、ここで私設戦車隊通称“首なし”ラビット隊の面々の紹介を。まず戦車長は先ほど出てきたドロシーさん。そして操縦手は元貴族のお嬢様、エルザさん。魔道戦車を動かす動力手は、いつもウトウトしていて起きているのか寝ているのかわからないクーさん。最後は、魔法板を管理して戦況に合わせて適切な魔法を使えるようにする接続手のキキさん、以上4人+ニーナが魔女として魔力で戦車を動かして戦闘を行います。あと、ラビット隊の事務所にいて料理、洗濯などの雑用を担当するメードのサクラさんがいます。彼女たちは、ニーナのように様々な形で戦争被害にあった少女・女性であることが物語が展開するにつれて明らかになっていきます。しかしそんな彼女たちには一つの誇らしい信条があることも明らかになります。そしてそれが“首なしラビッツ”との名称の由来となっているのですが、これも本を読んでみて確認して下さい。そんな彼女たちは、信条を貫きいつの日か理想を実現することが出来るのか、てな感じでお話は続いていきます。では、まとめに入りますが、この本は、今まで読んだライトノベルにはない主人公のリアルな感情表現があるところ、主人公が死に恐怖し命乞いすることとか人間を憎悪する感情、そしてそれらを乗り越えて成長する過程が明朗で感情移入しやすくて良かったです。また、ちょうど子供から大人への階段をのぼりはじめた年齢の、少女の心の葛藤や気持の暴走を、丁寧ながら激しい文章で綴られていることが、教育現場にいる人間として興味深く読みました。最近よくあるダラダラ物語を引き延ばしてとか、救いのない終わり方をする本とは違って、最初と最後でのニーナの成長を見ると、「良かったね」という思いと、次作ではどのような展開が待っているのかと期待させてくれる作品に仕上がっています。小説の王道「少女の成長」というテーマを、戦争という人間社会の中で一番醜悪な世界感を掛け合わせて、さらに独自の世界観(とくに兵器など)を組み合わせた「読者に読ませる」作品だと思いました。
2012年07月29日
コメント(1)
みなさま、ご無沙汰しています。今日は、平岩弓枝さんの『聖徳太子の密使』(新潮社、2012年5月)について、雑感を綴っていきたいと思います。 さて、私は異動で学校が変わったので、書店さんとの取引の確認(学校が買うと、消費税をおまけしてもらったり、税込価格から0.××%引いてもらったりと、サービスしてくれるのですよ。)やら、備品購入書類の形式や書き方など、前の学校とは異なるところがいっぱいあって、ようやくそれらの“流儀”になれてホッと一息ついたところです。それにしても、会計に関する書類の作成は面倒でなりません。エクセルに打ち込む数字一桁間違うだけで大ごとになりますので気が抜けず、文系の思考回路でできている私の頭は処理能力の限界寸前になっています。そんな状態なので、最近はあまり小難しい本を読むのはやめて「頭にやさしい」本を読んでいます。その中の一冊が『聖徳太子の密使』なのです。この本は元々、単行本が出た時に前の学校に入れた一冊なのですが、ちょっとこれまでの平岩さんの作品と毛色が違うぞ、と思っていた本です。平岩弓枝さんと言えば、『御宿かわせみ新装版』といったように時代小説や女性を主人公にした小説を主に書いているというイメージが私にはありました。ですが、この『聖徳太子の密使』は、和製古代史ファンタジーという新しいジャンルに手を付けて、新境地を開いた作品といった位置づけができるのではないかと思います。そんな『聖徳太子の密使』のあらすじですが、まず主人公が聖徳太子(厩戸王子)と海神の娘との間に生まれた王女「綿津見珠光王女(わたつみのたまひかるのひめみこ)」です。この珠光王女が、父である厩戸王子から日本の文化を発展させるために各国の文化を見聞きするようにとの密命を受けて、三匹の猫と一頭の馬をお供に難波津から天の鳥舟(あまのとりふね)に乗って冒険に出かけるという内容です。で、ファンタジーということですのでお供の三匹の猫と一頭の馬も只者ではありません。まず、猫の方から紹介しますと、一匹目は純白の毛並みを持つ白猫で、名前は北斗。なんでも生まれた時から厩戸王子のお傍にいて、王子の読まれる万巻の書をすべて記憶してしまったという博学の知恵猫です。物語では、天帝を守る七つ星にして、古来より北天をめぐる七星の位置で季節の到来を告げる北斗星、智と勇を合わせ持つ名前にちなんで、厩戸王子の愛刀、七星剣を与えられて活躍します。次の猫は、三毛猫で紅玉、緑玉、黄玉の三つ珠をはめ込んだ首輪をしているオリオン。性格は天衣無縫な優しさで人の心を魅きつけ、当意即妙に機転がきく三匹の中で一番おしゃれな猫です。ちなみに先に述べた三つの珠は、光の当たり具合で虹色に変化するそうで、このことがのちの物語の中で役に立ちます。オリオンは厩戸王子より三つ星の首輪を持っているので、大王家に伝わる天沼矛(あめのぬぼこ)を授かります。最後の猫は、本物の虎そっくりな毛並みがふさふさとして勇ましい顔立ちをした虎猫です。名前はスバルといって、腕自慢で猫には惜しいという武勇の持ち主。性格は、一本気で少々短気ですが情にもろく、泣き虫だそうです。このスバルは、小ぶりの銀の弓を厩戸王子から授かりますが、矢がありません。王子曰く、「矢はそなた自身が持って居る。いざという時、この弓を高くかかげよ。屋はおのずから走りて敵を倒すと思え」と言われます。ですが、三匹とも猫の姿のままでしたら王女の従者として何かと不都合です。そこで、厩戸王子が蓮の一枝を使って術をかけ、十二、三歳の少年の姿にしてもらいます。それでも、顔は猫のままで発する声も猫のままだったのを住吉の大伸の力で、人の顔と言葉を授かりこれで旅の支度は整いました。 あと、書き忘れるところでしたが珠光王女の愛馬「青龍」。この馬は百済の国から献上された全身青毛の駒で、物語の過程で明らかになりますが、実は本物の龍です。この一人の王女、厩戸王子の名で王子と身と名を変えた珠光王子は、父親から母親が去る際に残していった九つの乳白色の珠が連なる「龍の珠の連」と倭国から遣わす正使である旨を記載した書状、そして白銀五百枚を持ち、三匹の猫を従者として伴い、青竜にまたがり飛鳥の地を旅立ちます。そして、住吉の大社を経て四天王寺を参り、塩椎翁(しおつきのおきな)と塩椎姥(しおつちのおうな)から天の鳥舟を受け取り、操船を習って食料・水・備品を積み込み、大海原へ漕ぎ出していくことになります。そして、舟が行き着く先々で魔物と遭遇して退治していく、という展開でお話は進みます。このような物語なのですが、読んでいて聖徳太子の姫君が男装をして、猫の家来を連れて、異国を見聞しに行くという設定は面白いのですが、ストーリーは単調なように感じました。なにしろ、各国を巡り、魔物によって苦しめられている人たちを救うという話です。ですが、魔物を倒す場面がかなり呆気無いです。緊迫した戦闘は無く、特に苦戦もせず、お供の猫が厩戸王子から授かった神力を秘めた武器をひとふりすれば魔物はあっさり消滅するのですから、戦闘シーンに緊迫感もスリルもありません。素材は良いのに味付けがイマイチという感じがして、作者の平岩さんもこの物語の舞台を上手く生かし切れていないような気がします。冒険物なのだから、もっと勢いと先に述べた緊迫感、ハラハラドキドキするシーンや智謀をめぐらす場面などがあった方が楽しめたと思います。このような小説ですが、淡白といった軽さがかえって読みやすく、ライトノベルと異なり文章がしっかりしていてきちんとした小説を読んでいる感じが残るので、今の私の状況、頭が飽和状態にある人間はかえって良いのではないかと思います。読後感があっさり過ぎる本作ですが、頭が疲れていても読書がしたい!という活字中毒者はお手頃の本だと思いました。こんな感じで今日はこの位にしておきます。それにしてもあぁ、早くガッツリとした読書ができる環境にならないかしら・・・。
2012年05月16日
コメント(0)
みなさま、新年度になって初の更新となります。3月から更新が途切れていたので「どうしたのか?」と思われた方もいたかと思います。実は・・・、今年度から新しい学校へ異動となったのです。で、当然のことながら引き継ぎの文章は作らないといけないし、3月末までに昨年度いた学校図書館に積もったいらない書類や廃棄本を処理し、図書館に関係する書類などを整理して着任する人に引き継ぎしなくてはいけなかったのです。で、年度末は着任する司書さんと引き継ぎをし、私は異動する学校の方へ引き継ぎをしに行くなど慌ただしい日々を過ごしていたのです。それにプラスして、中日書道展の作品も書き上げなくてはいけないので、疲労困憊。なにしろ3月末から新しい学校へ異動してからもずっと残業続き・・・。そのうえ二尺・八尺の紙に六朝時代の龍門の楷書を臨書(忙しくて作品を作る手間を少しでも省くために)しているのですから、気力もなくなるものです。そんなこんなで、忙しくて一日があっという間に過ぎ去る日々を送っているのですが、そろそろブログを更新しなければまずいだろ、と思って寝る前にパソコンの前に座っているというわけなのです。で、今度異動になった学校は同じ県立高校なのですが、普通科のほかに環境創造科・生産経済科・食物調理科といった専門学科が各学年一クラスずつあって普通科オンリーの周辺校だった前任校とは違った雰囲気のある学校です。ですので、この学校にあったどのような選書をしていくか、これからじっくり考えていこうと思ってます。あと、異動して今年度から勤務している学校は「とあることで全国的に有名」なのですが、公務員の痛いところで、詳しいことは書けません。ただ、ヒントはこれまで書いた文章の中にあるので、わかる人にはわかると思います。わかった人も、コメント等に「〇〇高校でしょう」なんて書かないでくださいね。職に関わることなのでお願いします。そんなこんな、慌ただしく日々を過ごしていますが、なんとか4月末には本についてアレコレ書くことができるよう頑張りますので、濫読屋雑記をよろしくお願いしますね。最後に、慌ただしい中で寝る前に日々数ページずつ読んでる本でも紹介しておきます。 【送料無料】パイレーツ価格:1,008円(税込、送料別)前回、フォントを以前のような小さなものにしていたので、大きなものに直しておきます。
2012年04月11日
コメント(1)
今日は閏年の2月の29日ですので、それに関連する漫画を紹介します。作者は最近私が好きな速水螺旋人さんで、作品は『靴ずれ戦線』(徳間書店、2011年12月)になります。さて、本題のなぜ今日2月29日に紹介するかという理由は後で書きますので、最初はいつもの通りの紹介&解説を綴っていきます。時は西暦1941年(天地開闢紀元7449年=世界創造紀元とも言うこの紀年法は、ビザンティン帝国で公式に使用されたもので、ビザンティン暦とも呼ばれます。ロシア帝国は、ビザンチン帝国の後継者を自負していたので、西暦1700年までこの紀年法を使用していました)7月、ちょうどナチス・ドイツがソビエトに電撃的奇襲攻撃を仕掛け大祖国戦争が始まってから約1か月後・・・。ロシア、というかスラブ圏で有名な魔女、バーバ・ヤガー(森に住む妖婆。骨と皮だけにまで痩せこけて、脚に至ってはむき出しの骨だけの老婆の姿をしている。人間を襲う魔女のごとき存在で、森の中の一軒家に住んでいる。その家は鶏の足の上に建った小屋で、庭にも室内にも人間の骸骨が飾られているという、と調べたら書いてありました)の家にNKVD(内務人民委員部、後のKGBの母体)の女性将校がやって来ます。彼女は泣く子も黙るNKVDの長官ラヴレンチー・ベリヤ(スターリンの大粛清の主要な執行者とされる)の命令書を持って来てこう告げました。「というわけで同志バーバ・ヤガー、祖国と人民の名において従軍を命じます!」と。しかしこれまで散々「迷信」や「まじない」といったものを排斥してきたボリシェビキに対してバーバ・ヤガーが好意的なはずもなく、女性将校に無理難題を押し付けます。できなければ喰われる、という条件付きで。その無理難題を押し付けられたNKVDの女性将校の名前は、ナディア・ノルシュテイン少尉。当然、魔女の無理難題なんてできるはずもなくベッドの上で「だからこんな変な任務は嫌だったんだ~」と泣き出します。そこに都合良く救いの手が差し伸べられて、ナディア少尉は魔女の無理難題を解決していくのですが、それがバーバ・ヤガーの弟子の娘、ワーシェンカが裏で糸を引いていたのが露見してさあ大変。ワーシェンカはカエルにさせるか、驢馬のお嫁さんになるか、悪魔に折檻されるか、はたまた喰われるか、と恐怖に怯えますが、意外や意外、バーバ・ヤガーは「当分この小屋の敷居をまたぐのは許さへん!わしがええゆうまで戻ったらアカンで。ボリシェビキの娘や。半人前の魔女やさかい、好きにシベリア送りにしたらええ!」という話になって、ワーシェンカはナディア=ナージャ(愛称です)少尉と一緒に最初の望みどおりにソビエト赤軍に従軍することになるのです。そんな見習い魔女のワーシェンカ(軍曹)と、そのお目付け役で筋金入りの共産主義者で内務人民委員部のナージャ(少尉)のデコボココンビが、大祖国戦争時代のソビエトを舞台に縦横無尽、果てはあの世とこの世の境界線まで行ってしまうという民話的魔女譚に歴史改変SF的な要素を加えた、非常にマニアックな作品に仕上がっています。この漫画は基本的に一話完結型になっています。毎回ナージャとワーシェンカのコンビが地獄の東部戦線でドタバタ騒動を巻き起こすという内容です。そして、この二人にもまして作中で大きな役割を果たすのがロシアの民話や民間伝承の魔物、精霊、妖怪といった存在たちです。スターリングラードの激戦地では、敵の拠点の学校に巣食うドモヴォーイ(家屋の精霊。ペチカ(ロシアの暖炉兼ストーブ)の周りや部屋の隅、地下室などに棲む。家を守り家族の不幸を予言することもある。概して人間には友好的な精霊)をワーシェンカが酒の飲み比べで追い出したり、ロシア版サンタクロースのジェド・マロースがSS(武装親衛隊)に拉致されて、それをワーシェンカとナージャ、それとマロースの孫娘である雪娘=スネグーラチカが協力して救出するなど、日本人がほとんど知らないユーモラスなキャラクターたちが次から次へと登場します。そんな彼らを速水流に料理して、ナチス・ドイツとソビエトがお互いの存在を認めない殲滅戦が繰り広げられる東部戦線を舞台に、魔女や精霊、妖怪などの逸話を組み込んで物語に作り上げる速水先生の力量には感服です。またとくに凄惨だった東部戦線の戦争という、人類最大級の悲劇を扱っていながらあまり湿っぽさはなく、これまた速水先生の持つ独特の空気が作品に充満しているところなどは、私は好きです。では、なぜ今日のこの日にこの漫画を取り上げたかという本題を書きましょう。実は、閏年のこの日、ロシア正教では聖カシヤーンという聖人の祝日なのだそうです。この聖カシヤーンは聖人ではあるのですが、災いをもたらす妖怪に近い存在として恐れられているそうです。この聖カシヤーン、普段は守護天使によって鎖でつながれ、額を槌で打たれ続けられているのですが、四年に一度、自分の祝日だけ世界に解き放されるのです。そして1944年2月29日は、東部戦線のウクライナ方面でドイツ軍が展開したチェルカッシー包囲戦の終結日なのです。このチェルカッシー包囲戦はソ連側ではコルスン包囲戦と呼称されていて、ドニエプル=カルパチアン攻勢の一部分でした。この戦いでソビエト第1ウクライナ方面軍(司令官ニコライ・ヴァトゥーチン)、第2ウクライナ方面軍(司令官イワン・コーネフ)はドニエプル川近辺でドイツ南方軍集団(司令官エーリッヒ・フォン・マンシュタイン)を包囲しました。何週間にも及ぶ戦いの間、ソビエト赤軍2個方面軍は包囲したドイツ軍の殲滅を試みましたが、包囲されたドイツ軍部隊は包囲外の救援のドイツ軍部隊と協調作戦を行うことにより包囲を突破し、包囲された将兵の内、約3分の2が脱出に成功、残りの3分の1は戦死するか捕虜となったという作戦です。作品の中では、聖カシヤーンが雪原の中で倒れていて、そこへドイツ兵がやって来て「じいさん」を足でつついて生きていることを確認します。聖カシヤーンはドイツ兵に酒を持っていないか尋ね、ドイツ兵が最後の時に飲もうとした酒を強引に飲み干してしまいます。4年ぶりに酒を飲んだ聖カシヤーンは、ドイツ兵に対して「望みがあったらきいたるぞ!」と尋ねます。ドイツ兵は「望みってもなあ…。イワンに包囲されてちゃ…。生きてドイツに帰りたいよ」と言っちゃったからさあ大変。一方、ワーシェンカはありったけの武器を用意して聖カシヤーンの襲撃に備えていたのですが、案の定聖カシヤーンがやって来て邪眼(本人曰く奇跡)でソビエト側の陣地を攻撃、ワーシェンカも応戦するのですが「腐っても聖人」ですので戦時下の最前線では全く準備が足りず「雷神(ベールン)のしゃっくりにかけてどんづまりや!」という状況になります。そこへ、怒ったナージャがパンツァーファウストを掴んで聖カシヤーンに立ち向かったのですが…。この先は、作品を見てください。ただ、聖カシヤーンが「異教のまじない女」と「無神論者」に大変な目にあわされたことだけ書いておきます。という感じで、宗教や迷信を認めないソビエト軍が裏では魔女を徴用して居ると言う皮肉と、後退を禁じていたソ連軍の屍累々の戦い、そして陰ではオカルトに傾倒していたナチスと言う(作中ではドイツ側の魔女も登場します)毒に満ちた話が描かれていることが面白いこの作品。Comicリュウに連載されていたメカコラム「螺子の囁き」も同時収録されていて、こちらは軍事に拘らない蒸気機関から金星探査機に及ぶこちらもソ連製を中心としたレトロな機械に対するマニアックな内容です。一粒で二度おいしいこの作品。軍事関連の中毒が進んでいる人にはお勧めな一冊です。
2012年02月29日
コメント(2)
みなさま、お久しぶりです。元旦に更新して以来になります。ちょっと、1月中は書道の関係で忙しかったのと、それが終わったら鬱がまたひどくなって学校と家との往復と仕事でいっぱいいっぱいでしたので、長らくお暇をいただいていたわけです。 ということで、今日は体調が悪かった時に読んでいた本を紹介していきます。まずはタイトルにある村山早紀さんの『海馬亭通信』(ポプラ社、2012年1月)です。 この本は、日本でも名前が知られている児童文学作家の村山早紀先生が、今から20年ほど前の新人作家であった頃に出された『やまんば娘、街へゆく~由布の海馬亭通信』(理論社、1994年4月)を文庫化し、さらに主人公のやまんば娘の由布が風早の街へ下りてきてから17年後の海馬亭の様子を描いた続編の前半を収録した作品となります。内容はといいますと、村山先生があとがきにも書かれているように「いつもどおりの風早の街の物語です。神様とお化けと魔法と、少しの切なさと祝福と奇跡の物語」だそうです。もう少し紹介を詳しくしますと、母親が7年に一度の山の神の寄り合いで4か月間、山を留守にする間に行方知れずの父親をさがして人間の街に下りてきた由布が自称ワルの小学生・千鶴を助けたことがきっかけで、彼女の祖母が営む下宿「海馬亭」にやっかいになることになります。海からの風が吹きわたる風早の街の丘にある古い洋館「海馬亭」で繰り広げられる、由布と愉快な住人たちとの心温まる交流譚を、由布が山にいる姉への手紙を綴る形で物語は進んでいきます。海馬亭の住人がどんな人がいるのか、そして由布は父親を見つけることができるのか、その辺は本書を読んでのお楽しみにしましょう。村山先生の作品には公共図書館にいた当時、児童書担当だったのでずいぶんお世話になり、また作品を色々読みました。小学生向きには『シェーラひめのぼうけん』シリーズや『魔女のルルー』シリーズなどがあるのですが、高校の図書館に勤めてからは縁の薄い作家さんになってしまいました。ところがポプラ社がピュアフル文庫で『コンビニたそがれ堂』シリーズを刊行したので読んでみると読書の入門書にちょうど良いではありませんか。ライトノベルも読書の入り口としては良いのですが、生徒によって好き嫌いが分かれるジャンルなのでお勧めするときに悩むことが多いのですが、村山先生の本だったら昔読んだり小学校の図書室に配架されていたことを覚えている生徒もいるので、紹介しやすいので助かっています。村山先生はこの他にも『竜宮ホテル迷い猫』(三笠書房、2011年11月)や『カフェかもめ亭』(ポプラ社、2011年1月)など、最近古典的な意味でいうところのジュブナイル小説、最近の言葉だとヤングアダルト作品(=ライトノベルという見方が広がっているのは少々困りものですが)を書かれるようになったので、高校の図書館でも紹介できるようになったのは嬉しいですね。 続いては、沢村凛さんの『瞳の中の大河』(角川書店、2011年10月)を紹介しましょうか。著者名の「凛」の「示」部分は正しくは「禾」ですが文字化けすると困るのでこうしました。さて、著者の沢村さんは第10回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞した作家さんです。ファンタジーノベル大賞や本屋大賞(最近、選考が怪しくなってきていますが)などの受賞作やノミネート作品の著者をチェックしていた時に検索でヒットした中で面白そうな本だっので、購入したうちの一冊です。内容はといいますと、端的に表すなら歴史大河ファンタジーです。で、いつものごとく紹介へと入りますと、この本の主人公はアマヨク・テミズという軍人です。舞台はインド・イスラム系ぽい架空の王国です。主人公は貴族の血をひくものの、出生に複雑な事情を抱えています。そのテミズ少尉は軍学校を卒業し、西の駐屯地へ向かう小隊の隊長として赴任します。そこで少尉に下った命令は、王家の宝を盗んだ者たちの捜索でした。少尉は、野賊の六頭領のひとり、オーマの仕業であることを直感するも、逆に盗賊たちの策略にはまり、捕えられてしまいます。伝説の野賊として名高いオーマとの出会いをきっかけに、アマヨク・テミズの波乱に満ちた運命が幕を開ける、という感じで物語は始まります。 この小説の面白いところは登場人物の心理が描写されず、その行動に納得がいかないように見える部分も多いところです。ですが、それがかえってリアリティを高めているように感じます。またそこに、あれこれとその登場人物たちの心中を想像する楽しみもあると思います。ですから人によって、登場人物の心中の解釈は分かれるでしょう。しかし、それを差し引いても本作は面白いです。まず、導入部での主人公と盗賊の首領オーマ、そしてその部下の女性、カミーラの登場の仕方とそのやり取りが上手で一気に物語に引き込まれます。主人公のアマヨク・テミズは、国のために平和を取り戻すためなら愛する人を傷つけることも厭わないという人物です。ですので、恋人や息子とも敵対する場面があるのですが、そこが物語を盛り上げるのですよね。そして、自分の計画が失敗し自身が反乱軍の汚名をかぶろうとも、国と民の為に理想の社会を築くために生き抜いく主人公がカッコ良いです。また、理想の為に力強く生きる主人公を魅力的に描いている本作ですが、それが出来ない弱い人間にも作者の愛は注がれているのが素晴らしいと思いました。主人公の無骨ともいえる生き様を軸に、物語には、権謀うずまく貴族達の争い、父親との相克、道ならぬ恋、ラストシーンでの謎解きなど、活劇としてのおもしろさがふんだんに盛り込まれている読んでみて損はしない作品に仕上がっています。という感じで、今日は文庫本2冊を紹介しました。それから疲れのためか、パソコンの細かい字が見にくかったのでフォントを一つ大きくしたのですが・・・見やすくなったでしょうか?では、そんなこんなで、今日はこのくらいで!
2012年02月14日
コメント(1)
みなさま、明けましておめでとうございます。本年も私の駄文にお付き合いのほど、宜しくお願いします。ということで、元旦の今日は「初笑い」というお題で、幾つか私の気に入ったみなさんもよくご存じのマンガを紹介していきたいと思います。まずは、旧年度中に発売された中でこれだけは取り上げないと、というモノから。みなさんご存知のあずまきよひこ先生の『よつばと』11巻(アスキー・メディアワークス、2011年11月)。これは、初笑いにぴったりのほのぼのマンガですね。私は前作の『あずまんが大王』(アスキー・メディアワークス、2000年2月第一巻発売)からのファンですが、天真爛漫のよつばちゃんはもちろんですが、“とーちゃん”とその友人、“ジャンボ”や“やんだ”といった大人が良い味を出しているな~、と思って読んでます。あと、お隣の三姉妹や“かーちゃん”も好きですね。それから、私が勤める高校に入れて大流行している井上純一さんの『中国嫁日記』(エンターブレイン、2011年8月)も外せませんね。これは本当に面白い!面白い要素が色々あって説明するのが難しいというか面倒なので、実際に手に取って読んでみて下さい。ちなみに冬休みに入ったので、私が借りて家で家族に読んでもらったら、工場で中国人実習生と一緒に働いている母親が大うけして、笑い転げていましたね。あとは、そうですね~私が購読している『fellows!』の中から森薫さんの『乙嫁語り』(エンターブレイン、2011年6月)の三巻と、同じく『fellows!』から薮内貴広さんの『イン・ワンダーランド』(エンターブレイン、2011年11月)の2巻目で最終巻のも紹介します。この『イン・ワンダーランド』は独特のファンタジー世界を表現豊かに描写した優れものです。登場人物も魅力的で、個人的におススメな一冊です。そうそう、それからこのブログで紹介した笠井スイさんの『ジゼル・アラン』(エンターブレイン、2011年5月)も忘れてはいけませんね。 といったところで、今日は上物のワイン、2003年のブルゴーニュの赤をあけて新年を祝ったので、頭の回転が悪くなっていますので、この位で終わりにしておきます。それではみなさま、良い夢を。
2012年01月01日
コメント(4)
大晦日ですね。そこで今日はお題のように、何冊か本を紹介していきたいと思います。まずは、海軍関係の本の中から戸高一成先生の『海戦からみた日清戦争』(2011年5月)、『海戦からみた日露戦争』(2010年12月)、『海戦からみた太平洋戦争』(角川書店、2011年11月)のシリーズが読みやすくて良かったですね。戸高先生は呉市海事歴史科学館の館長さんで、海軍史の研究家として著名な方です。 あと、作家の半藤一利さん、歴史学者の秦郁彦先生、軍事史研究家の原剛先生、作家で評論家の松本健一さん、先に紹介した戸高一成先生が参加した『文藝春秋』の『坂の上の雲』について日清・日露戦争に関する二日間にわたる長い座談会をまとめた『徹底検証 日清・日露戦争』(文藝春秋、2011年11月)が面白い内容でした。また、同じ文春新書だと別宮暖朗さんの『帝国海軍の勝利と滅亡』(文藝春秋、2011年3月)が日本海海戦の完勝へと導いた山本権兵衛と、太平洋戦争で破滅への道を開いてしまった山本五十六の二人の海軍軍人を対比して、明治期と昭和期の海軍の性質を描き出していたのが面白かったです。 柔らかい読み物の方を紹介しますと、今年はなんといっても支倉凍砂さんの『狼と香辛料』(アスキー・メディアワークス、2011年7月最終巻)シリーズが終わってしまったことが少し寂しいですね。剣も魔法もないのにちゃんとファンタジーの世界を作り上げて、中世ヨーロッパの経済の仕組みをしっかり押さえて本書は、長々と続けずにスパッと切りの良いところでハッピーエンドで終わったのが良かったです。それから単行本時代から図書館でもおすすめしていた菅野雪虫さんの『天山の巫女 ソニン 黄金の燕』(講談社、2011年9月)が新書サイズで刊行されたことも良かったですね。これは落ちこぼれの巫女、ソニンが言葉を発することができない王子イウォルとの出会いから始まる冒険を描いたファンタジー作品で、とても面白いので手に取ってみて下さい。後は、ブログでも紹介したパトレシア・C・リーデさんの『魔法の森』シリーズの最終巻『困っちゃった王子さま』(東京創元社、2011年9月)が出たことでしょうか。これまでの主人公シモーリンの礼儀正しく教育を受けた息子ディスターが、魔法の森で魔法が使えない炎使いの少女と大活躍するお話です。それから、桜庭一樹さんの『GOSICK』(角川書店、2011年4月)シリーズが角川ビーンズ文庫で再刊行されたのも書いておきます。 あとは、マーク・ポールさんという英国のフリーエコノミー(無銭経済)運動を創始した人の、一年間お金を使わずに暮らす実験を描いた『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(紀伊国屋書店、2011年11月)という本。この本は、いかに我々の生活が「便利」という名の色々なものに束縛され、自由を失い地球環境に負荷をかけているかに気づかせてくれる本です。それから、新井潤美さんの『執事とメイドの裏表』(白水社、2011年12月)も。この本は、英国社会は、執事やメイドなど伝統的な使用人に対して、歴史的にどのようなイメージを持ってきたのか? そして、その実像は? 日本や米国で流布しているイメージとのギャップからイギリス文化を考える、という本です。最後は、このブログで大々的に取り上げようと思っている家事使用人だったマーガレット・パウエルが書いた階下の真実の記録『英国メイド マーガレットの回想』(河出書房新社、2011年12月)です。詳しくは追々紹介しますが、訳者があの村上リコさんというだけでも内容に期待できる作品です。では、この位で。皆様、良いお年を。
2011年12月31日
コメント(0)
久々の更新は、速水螺旋人著『送料無料!ポイント5倍!!【漫画】大砲とスタンプ 全巻セット (1巻 最新刊) / 漫画全巻ドットコム』(講談社、2011年12月)を紹介していきたいと思います。この漫画を描いている速水螺旋人さんは、今私が最も好きな漫画家の一人です。ソ連邦時代を舞台にしたモノなどのミリタリー法螺漫画や空想的武器などイラストを得意にされている方で、今月は『【送料無料】靴ずれ戦線』(徳間書店、2011年12月)も出されています。今回は、先に「送料無料!ポイント5倍!!【漫画】大砲とスタンプ 全巻セット (1巻 最新刊) / 漫画全巻ドットコム』の方を取り上げてみたいと思います。時代設定が1940~1950年代くらいの感じを持った、架空の世界が舞台のお話になります。何人かの人が先に指摘していますが、トルコ風の共和国とロシアをモチーフにした大公国が帝国(どこがモチーフか不明)と共同戦線をはりながら戦争している世界です。場所的には、出てくる地図なんかからロシアの黒海北部をモチーフとしているようです。で、この大公国には陸軍・海軍・空軍の三軍のほかに、後方で補給を担当する兵站軍という軍種がありまして、その兵站軍に所属するカタブツで四角四面な書類仕事大好き女性将校マルチナ・M・マヤコフスカヤ少尉(表紙で書類の束を抱えている人)が主人公です。ところで「兵站」とは何か?それは、平たく言えば軍隊の後方支援全般の事です。ようするに、武器弾薬・食料・燃料・医薬品といった戦闘に必要な物資から酒やタバコやら棺桶、はては避妊具までも本国から前線へと管理・輸送するのがお仕事なわけです。というわけで、華々しい戦闘とは無縁な配置なわけなのですが、兵站が機能しないと太平洋戦争の時の日本軍みたいに、鉄砲玉に撃たれるより先に輸送船が潜水艦に撃沈されて溺死(これはちょっと違うか?)。無事に上陸できても行軍途中でのマラリアや赤痢などの罹患で病死。運良く戦場にたどり着いても、インパール作戦の時のビルマ(今のミャンマー)やパプア・ニューギニアみたいに食い物も無く小銃で一日に撃てる弾が五発、とかいう木の根を齧り石を投げて戦争するといった悲惨なものになりかねません。現在でも前線の一人の兵士を戦闘に投入するには後方勤務要員が八人以上必要である、という数字(うろ覚えですが)があるくらいなのです。そんな重要な任務を帯びた兵站軍なのですが、漫画では長引く戦争のせいなのかはたまた元からなのか、大公国軍の兵站はグダグダで予算はカツカツ、さらに汚職や横領が蔓延するという酷い有様が描かれています。そういうワヤクチャな現場で、マルチナ少尉と配属された管理部第二中隊の世慣れた面々が、書類と機転(たまに実力行使)を武器に問題を解決していきます。自分の信念を貫きながらも、良き同僚や先任に囲まれ、現状に揉まれつつ次第に慣れ、成長していく彼女の活躍というか仕事ぶりを描いたこの漫画には、普通の戦争系漫画には無い「最前線の裏の戦い」をかいま見ることができます。それでは、いつものように漫画の細かいところを取り上げていきましょう。先に書きましたが大公国・帝国連合軍と共和国の戦争は二年目に突入、当然戦争が長引きけば後方では先に書いた通り汚職が蔓延するわけで、とくに現金(金や軍票も含む)や物資の輸送や補給などの後方支援を主な任務とする、安全な(?)デスクワーク中心の軍である兵站軍は腐敗が最も進んだところになるわけです。そこへ、士官学校出のキャリア軍人(本の帯には「俗に言う「眼鏡っ娘」というジャンルに属す。と書いてあります)である堅物のマルチナ少尉が本国から前線基地の大公国兵站軍アゲゾコ要塞補給廠管理部第二中隊に赴任してくるわけです。その赴任にも特別任務、就役直後の軍艦を前線に輸送するというもの、が付いているのですが、この辺は漫画を読んでみて下さい。で、赴任地のアゲゾコ要塞に着任してみれば先述の通り、グダグダのナアナア状態。上司の中隊長のキリール・K・キリュシキン大尉はやる気なしのダメ人間。そこへ張り切った「突撃タイプライター」マルチナ少尉が来たものですから、大騒動が起きるのは必定。要塞参謀長の汚職を当人に告発して、身代わりにキリール大尉が銃殺されそうになるは、大公軍の攻勢の際に必要となる(戦死者が当然出ますからね)棺桶を発注する予算がなくて不正徴発した金の延べ棒を味方の装甲列車から強奪半分で奪ったり、戦意高揚のために偽の慰問郵便を書いてみたり、果ては管轄ではない任務、中立国の記者団を視察用のモデル陣地に案内したりと前線の後方で縦横無尽に暴れまわります。ともかく、「兵站」という戦記モノでは取り上げられることが少ない(一応、そのようなものを取り上げているところを挙げてみますと、光人社のノンフィクション文庫とか、学研M文庫の大井篤氏の『【送料無料】海上護衛戦』(絶版)は、大日本帝国海軍の海上輸送をテーマとした一級の資料で一読の価値がありますよ。)ので、ミリタリーマニア中のマニア、というかミリタリー関連の頭の先までずっぽり埋まった人しか、そのような本にたどり着けないのが現状です。しかし、このようにして漫画でわかりやすく面白く(戦争モノなので不謹慎な言葉かもしれませんが)物語にして読めることは、良いことだと思います。漫画の中でも兵站軍のことを「紙の兵隊」といって陸海空軍から馬鹿にされていますが、このような後方補給があってこそ、戦争という歯車が動くわけです。大日本帝国も輜重兵を馬鹿にして、補給を軽視して太平洋戦争に敗れました。現代社会で例えるなら会社に例えるなら兵站軍の仕事は総務と経理を兼ねた様な、地味だけど必要不可欠な仕事をこなす部署です。戦争というものが単純に鉄砲撃って・・・なんて考えている人にも読んでもらいたいし、さらにミリタリー関連がお好きな方は一読の価値のある作品ですよ。では、最後に勤めている学校図書館の近況について。年の瀬になって、ようやく廃棄図書の三分の二を処分しました。この図書の廃棄、図書の受入よりはるかに面倒なのですよ。何しろ、廃棄する図書を選び出すのに一苦労。価値のある本とか色々ありますからね。それから、県に出す廃棄手続きの面倒さ。県費で買った備品ですので、とに各書類の多いこと。それから廃棄する図書から蔵書印を消し、捨印を押し、表紙や背に「除籍図書」の印を押して、校名の入ったバーコドを図書からはぎ取って十冊ぐらいを紐で括ってまとめて業者に引き取ってもらう。あ~、面倒くさい。それなら、職員や生徒にあげれば良いと思う方、これは県の規定で禁止されているのですよ。ですから廃棄処分しかできない(泣)。もったいないし、本が好きな人間が本を捨てるという行為は苦痛なのですが、仕事ですからしょうがないですね。というわけで、最後に愚痴を少々。それでは。
2011年12月29日
コメント(1)
今日は、久々のヤングアダルトジャンルの本、ケイト・ぺニントン著、柳井薫訳『【送料無料】エリザベス女王のお針子 裏切りの麗しきマント』(徳間書店、2011年8月)を紹介してみようと思います。しかし、どーも図書館に勤めていると読みたい本が配架されたのに利用者が優先なので、一月から二月ぐらい待たないと自分が読めないというのはつらいところです。このお話の舞台は、16世紀、エリザベス一世が君臨していたイングランドが舞台です。このエリザベス女王統治初期から中期にかけてのイングランドは、政治的に不安定な状態でした。なぜならこの時代、イングランドはイギリス国教会とカトリックの間で政治的紛争が絶えなかったからです。エリザベス女王の前の女王、姉でもあるメアリ一世はガチガチのカトリック教徒でイギリス国教会を含むプロテスタントを弾圧、「血まみれメアリー」と国民からおそれられる存在でした。また、スペインのフェリペ皇子と結婚して、これがさらにイングランド国民から人気を失墜させる原因ともなりました。そのメアリーが死去したのちに王座に就いたのが姉から宗教反乱に加担したとしてロンドン塔に幽閉されたこともあるエリザベスです。王位についたのちエリザベスは姉のプロテスタント弾圧を緩め、異端排斥法を廃止、と同時に国教忌避または不参加、不使用への罰則を緩やかなものとして、両者の緊張の緩和を図ります。しかし国内には急進的なカトリック教徒が多数存在し、エリザベスは何度も暗殺などの陰謀に遭うことになります。この本は、そうしたエリザベス女王の治世下の時代背景を巧みに取り入れて物語を展開していきます。この本の主人公は、メアリー・デヴェローという十三歳の仕立て職人の娘です。メアリーは刺繍が得意なお針子さんです。花や鳥など、自然の美しさを布に刺していくメアリーの腕は、かなりのものでした。メアリーは父親と一緒にデボン州にあるシドニー卿のサルタリー・ホールという館で働いていました。そこへある日、シドニー卿の姉の息子である冒険家のウォルター・ローリーが訪れます・彼は、シドニー卿の妻子がエリザベス女王を訪問するのに同行しようとやってきたのです。ここで、ウォルター・ローリーについて簡単に解説しますと、彼はエリザベス朝において一流の詩人のひとりであり、旅行・探検・植民目的での新世界、アメリカ大陸への航海を行った冒険者・航海者でもありました。また、エリザベス女王の寵愛を受け、一時愛人との噂が立ったほどの人物でした。この本の中ではローリーはエリザベス女王の寵愛を失い、再び宮廷に返り咲こうとして叔父のシドニー卿の妻子が宮廷に参上する機会を利用しようとやってきたことになっています。そしてローリーはエリザベス女王に謁見する際にきらびやかに着飾ろうとして、メアリーとその父親に特別なマントを作るように命じます。最近の映画等でも分るように、男も女も豪華な衣装が好まれたエリザベス女王の時代、人々が目を見張るような豪華な衣装をまとうい宮廷に参上することは特別な意味がありました。つまり一度は落ちぶれたローリーが、起死回生のチャンスとして女王に謁見するためメアリー親子の手技が必要となったわけです。しかしその結果、ただの仕立て職人であるメアリーの父親やお針子のメアリーが大きな歴史のうねりの渦中に放り込まれて行ってしまうことになります。それは、ある夜にメアリーがカトリック派の数人の男が、エリザベス女王の暗殺を計画している話を偶然聞いてしまし、さらにそこに来合わせたメアリーの父親が殺されてしまうのを目撃してしまったことによります。このような物語の過程を、カトリックとイングランド国教会との対立、新世界への植民地活動に代表される大航海時代を背景に描いている事が本書の特徴の一つですね。話を本文に戻しますと、こうして天涯孤独となってしまったメアリーは、エリザベス女王の暗殺の陰謀を知る人間として、極普通のお針子にとってはあり得ない世界に放りこまれてしまって途方に暮れることになります。そこでメアリーは生き抜くための手段として、父と共に養ったお針子としての才能を発揮し、その手によって生み出されたローリーの華麗なマントはメアリーをエリザベス女王の宮廷に導くことになりますが、女王暗殺という陰謀の存在を告げようにも女王の周囲には敵か味方か分らない人物ばかりで、さらにこの小さなお針子の身にも暗殺者の影が迫りまるといったスリリングな展開となっていきます。この本では、エリザベス女王を恐ろしくも優しい孤独な人物として描いています。また、登場人物たちが最後の瞬間まで敵味方のどちらになるか分らないという様子が描かれるのは、女王と言えども死と隣り合わせだったという時代を実感させてくれてます。少々ネタバレになりますが、ただの仕立て職人やお針子かと思えば実は名の知れた家柄の末裔だったという結末はイングランド、今のグレート・ブリテン(イギリス)の歴史も感じさせてくれて楽しめます。裁縫の才を持つ普通の少女と、国の頂点に立つ女王を結びつけるお針子という存在に着目し、細々とした職人の日常と王宮でのドラマチックな出来事を上手く取り込んで描いたロマンティックでスリリングな作品言えるでしょう。さて、私がこの本の中で印象に残る場面を一つ上げるとしたら、メアリーがその刺繍の腕をかけて作り上げたローリーのエリザベス女王に謁見する際に纏うマントが、しかも寝る間も惜しんで縫ったそのマントが、ローリーの手でエリザベス女王の足元の水溜りを覆った場面ですね。私も司書という一種の専門職、まぁ職人みたいな仕事についているわけでして、それなりに自分の仕事に誇りを持っています。その仕立て職人であるメアリーの生涯最高の作品であるマントが、メアリーの夢であったものが、踏みにじられ、泥にまみれた瞬間のメアリーの胸の張り裂けそうな心情はいかばかりであったでしょうか。その先の描写とお話の展開、メアリーがエリザベス女王に直接仕えることになることは、この本を読んでみてください。このようにこの物語は、プロテスタントとカトリック派の勢力が水面下でせめぎあう時代、女王暗殺の陰謀を知り、女王を救おうと奔走するお針子の少女を描くいた、実在の人物を巧みに配したYA向け歴史小説としてもお薦めの物語です。
2011年11月23日
コメント(1)
久々の更新は、大内健二著『【送料無料】戦う日本漁船 戦時下の小型漁船の活躍』(光人社、2011年10月)について語っていきたいと思います。太平洋戦争中、日本の陸海軍は民間の客船や貨物船、タンカーなどを徴用して中国大陸や南方へと兵士や兵器などの資材を運び、逆に大陸や南方から鉄鉱石や原油などの資源を日本本土へと輸送していたのは、よく知られていることです。しかし、このような大型の徴用船舶に関する戦時中の記録は残っているのですが、これから紹介する小型の徴用船舶、漁船や機帆船については一部を除いてほとんど記録は残っていませんでした。この『【送料無料】戦う日本漁船』は、そのように人知れず戦争に駆り出され連合国の圧倒的な制海・制空権の中で活動し膨大な犠牲を払った小型徴用船舶に関する記録を紹介した本です。先に、小型徴用船の戦時中の活躍はあまり知られていないと書きましたが、例外があります。それは、1942年(昭和17年)に起こったドーリットル空襲です。この当時、日本海軍は日本本土周辺の哨戒と監視のために90~150トン程度の近海マグロ・カツオ漁船やトロール漁船、底引き網漁船を特設監視艇として徴用していました。そして運命の1942年4月18日深夜、日本本土初空襲を目的に本土に接近していた空母エンタープライズはレーダーが光点を2つ発見、ただちに米艦隊は索敵機を発進させ、同機は80km先に哨戒艇を発見します。続いて午前6時44分、米艦隊は哨戒艇を視認します。それは日本海軍特設監視艇第二十三日東丸でした。米艦隊は日本海軍が敷いた哨戒網に引っかかったのです。そして第二十三日東丸は米軽巡ナッシュビルの砲撃で午前7時53分に撃沈され、乗員14人全員は艇と運命を共にしました。しかしナッシュビルは撃沈に6インチ砲弾915発と30分を必要とし、第二十三日東丸が無線を使う時間を与えてしまいます。午前6時45分の『敵航空母艦2隻、駆逐艦3隻見ゆ』発信が第二十三日東丸の最後の無電でした。そこで米軍は付近の哨戒艇を一掃する事を決意し、エンタープライズより戦闘機などを発進させ、周辺の哨戒艇を攻撃することになります。この攻撃で、海軍の監視部隊である通称・黒潮部隊の第二哨戒艇部隊は特設監視艇3隻と22名を失い、第三哨戒部隊は監視艇2隻と15名を失うことになります。しかしその結果、米艦隊は発艦予定海域手前の予想外の遠距離で日本軍に発見されたことで当初の夜間爆撃の予定をとりやめ、予定より7時間早くドゥーリトル指揮下のB25爆撃機を空母ホーネットから発艦せざる得なくなり、燃料の不足などで中国大陸などに不時着せざる得なくなったのです。さて、このように哨戒網を形成していた特設監視艇の武装とはどのようなものだったのでしょうか。実は、このドゥーリトル空襲の際の特設監視艇の武装はお寒いものでした。なんと小銃が2、3挺と1挺の7.7mm機関銃しか積んでなかったのです。最も、特設監視艇の最大の武器と言える無線機だけは海軍型の強力なものに交換していたのですが。しかし、1943年中頃からこの日本本土近海に米潜水艦が現れ、特設監視艇と交戦する事態が発生し、さらに1944年7月にはサイパン島が陥落。ここから発信するB24などや米機動部隊の艦載機による攻撃を受けるようになりますと、特設監視艇も武装が強化されます。まず、100総トンクラスの船には船首甲板に特設の砲座を設置し、旧式の5~7cmクラスの砲が搭載されます。また、船橋上部には7.7mmや13mmの単装機関銃が2挺装備され、さらに対空兵装として25mm単装機関銃が1~2挺装備されることもあったそうです。ですが、これらの装備は恵まれた一部の船だけで、大半の船は先述の装備の一部しか備えられずに出撃していきました。ここで、本書から特設監視艇と米潜水艦との交戦の模様を抜粋したいと思います。19944年8月3日、第3監視艇隊の網地丸(107総トン)は房総半島沖の東南東約千kmの地点で浮上してきた米潜水艦に砲撃されます。この攻撃で網地丸は船橋が破壊された他、船体にも重大な損傷を受け、乗員13名が戦死あるいは重傷を負います。しかし、木造船の強みで網地丸は容易に沈没せず、反撃を行い5cm速射砲でおよそ50発、7,7mm機銃弾1500発を撃ち込み、さらに8cm擲弾筒まで発射します。この攻撃で米潜水艦の甲板上で砲や機銃を操作していた要員のほとんどが戦死または重傷を負い、船体各所に破孔が開き一部は艦内で爆発、米潜水艦は交戦を中止し浮上したまま退避し、網地丸の生存者は僚船に救助されます。このように、特設監視艇をなめてかかると米潜水艦も痛い目に合うことがありましたが、ほとんどの特設監視艇は奮闘むなしく撃沈されています。この辺の状況をよく知りたい方は、宮崎駿監督の著書『【送料無料】宮崎駿の雑想ノート増補改訂版』(大日本絵画、1997年8月)に収録されている第11話 「最貧前線」をご覧になるとよくわかると思います。本当に、日本軍は技術力を人間、要するに人の命で補おうとした情けない状況に唖然とするでしょう。 この本は他にも、特設駆潜艇や特設掃海艇に徴用された遠洋トロール漁船や遠洋底引き網漁船、捕鯨船などの活動や、日本沿岸の港間、都市間を結ぶ小型船舶である機帆船の活動、他には米英他の徴用船の説明や日本船などの船形図が記載されているのですが、本書の題名にしたがって今日は大半の漁船が徴用されて活動した特設監視艇の話で終わっておきます。詳しい話を読みたい人は、本書をご購入下さい。光人社のノンフィクション文庫はお値段が手ごろで、個人的に興味のある戦記をピンポイントで文庫にしてくれるのでお値打ちなんですよね。では最後に近況報告を。私の住んでいる地域にも寒さが忍び寄ってきて、勤めている高校を囲む森の木も紅葉が始まりました。で、学校図書館の方はと言いますと、読書週間から11月25日まで続けている本を5冊借りるごとに抽選券を配って、図書カードなどが当たる抽選会がまぁまぁ盛況な状況です。それよりも、第2期のSLBAに発注した20冊の本と読書週間に間に合わなかった残りの本10数冊が一度に届いて、その本の登録と装備が大変なことになっています。ホントに登録がシステム化されていてよかったと思いますね。昔みたいに登録みたいにカード方式だったらと考えるとゾッとします。そんなこんなで、現在のところ忙しく働いています。それでは今日はこのぐらいで。
2011年11月15日
コメント(0)
今日は、大西信之著『【送料無料】ラストフライト~星の王子の伝説~』(ホビージャパン、2011年7月)を紹介していきたいと思います。本の内容を簡単に紹介すると、第二次世界大戦中の飛行機に関する感動のエピソードを、著者の大西さんが絵画と文章で綴る短編集になります。9つのエピソードから構成され、それぞれに「星の王子の伝説」、「ロシアの短い夏」、「シカゴで一番有名な男の話」、「英国の盾」、「マリア・マグダレーナの戦い」、「神風」、「月光」、「一枚の絵の物語」、「音速雷撃隊」となっています。それでは、このエピソードの中からいくつか抜粋して紹介していきましょう。まずは「ロシアの短い夏」ですが、このエピソードの主人公は以前にこのブログでも紹介したブルース・マイルズ著、手島尚訳『【送料無料】出撃!魔女飛行隊』(学研マーケティング、2009年9月)に登場したソビエトの女性エースパイロット、リディア・リトヴァク、愛称リリィのお話です。本書の冒頭にカラーで各エピソードに関する絵が掲載されているのですが、そこには大西さんが描いたリリィの肖像画の横に「少しつり上がったエキゾチックな眼。まっすぐに通った形のよい鼻。小さいが少年のように力強く結ばれた口。夏に生まれた少女はその短い青春を駆け抜けた・・・・・・」と紹介しています。実際に男勝りの性格で、負けず嫌いだった女性だったそうで、そんな性格が彼女を公認撃墜12機の誇り高い空のエースになった要因だったのでしょう。ですが、白い百合の花にたとえられた彼女は、その野に咲く花と同じように短い生涯を終えてしまうのです。この本では、そんなリリィの生き方をイラストを交えながら表現力豊かに描いています。続いては「英国の盾」です。これは、1942年2月にナチスドイツの海軍が第二次世界大中に最も大胆に海軍を運用した作戦、チャネル・ダッシュ(フランス南部、ビスケー湾にいたシャルンホルストなどの大型艦船を英仏海峡を強行突破してドイツ本国、北海に回航させた作戦を言います)を英国側から見て描いたものです。当時英国は、2か月前にマレー沖海戦で最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパレスを失い、本国艦隊には戦艦はキング・ジョージ五世とレナウンしか残っていない心細い状態でした。本来なら、この2隻を出撃させてドイツ艦隊を迎撃するのが理想でしたが、ドイツ側はノルウェーのフィヨルドに戦艦テルピッツを秘匿させていて、この状態では虎の子の戦艦2隻を撃沈、若しくは大破させられたりして長期間行動不能にさせられたらイギリス本国を支えるシーレーンはドイツ水上艦艇の攻撃で大打撃を受けうることは必至でした(当時の英国はUボートの無差別攻撃でシーレーンがボロボロの状態でした)。そこで、英国海軍はドイツ艦隊を迎撃すべくわずか6機のソードフィッシュ艦上攻撃機を出撃させます。指揮官は、戦艦テルピッツに魚雷を命中させた英国海軍航空隊の英雄、エスモンド少佐。しかし、白昼でしかも駆逐艦などの護衛艦が輪形陣になって守っている中、複葉・羽布張りで時速210km/hの性能しかないソードフィッシュで雷撃を行うことは自殺行為に等しいものでした。しかし、英国海軍の伝統「見敵必戦」の信念のもと、エスモンド少佐と17名の部下は出撃します。この英国の海の護りが最も薄かった1942年2月、英国海軍の戦艦の代わりに6機のソードフィッシュで敢然と出撃したエスモンド少佐らのエピソードの最後にはこう書かれています。「イギリス海軍かく戦えり」と・・・。さて最後は、この本の副題となっている「星の王子の伝説」について取り上げましょう。感の良い人はお察しかと思いますが、このエピソードは『【送料無料】星の王子さま』(筑摩書房、2005年12月)の著者であり、冒険飛行家でもあったサン・テグジュペリのお話です。1940年春、航空隊の大尉であったサン・テクジュペリの部隊はナチスドイツの圧倒的な空軍力の前に壊滅してしまします。そして彼はアメリカへと亡命、大西洋の彼方からナチスドイツへの抵抗をヴィシー・フランス政府統治下のフランス人に訴え、アメリカの参戦を呼び掛けます。これに対して、祖国フランスの芸術家・文学者は戦争に反対し、ナチス監視下の平和を受け入れていました。また、アメリカもヨーロッパの戦争に介入することに対し世論は消極的でした。実際に当の祖国フランスでは、ナチス監視下であっても一応平和であり、この状態「フランス一国の平和主義」をインテリ、芸術家、ジャーナリストは受け入れていたのです。そして、好戦的なサン・テクジュペリを公然と非難しました。しかし、1941年12月8日に日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃し状況は一変、アメリカはドイツなどの枢軸国に対し宣戦を布告します。アメリカの参戦というサン・テクジュペリの願いはかない、彼はアメリカ軍に参加して偵察隊のパイロットとして戦闘に出撃します。彼が命を懸けてまで示したかったものとは何か?本書では「彼が憎んだのは芸術家やインテリに特有のずるがしこい保身。おためごかし。大義名分(反戦平和のような)にかこつけて自分たちだけが利益を得るために、最も弱い立場の人間が無残に殺されていっても(この場合はユダヤ人)まったくそれに無頓着な、あるは気がつかない人間としての救いのない愚鈍さと卑劣さ」これに対してサン・テクジュペリはたった一人で戦っていた」と書いています。「世界と。そして、人間が持つ弱さや卑しさと。」どうでしょう、日本人がイメージするサン・テクジュペリ像とはかなり異なった印象を受けたのではないでしょうか。と同時に、私たちの周辺にもこのような似非平和主義者や似非環境保護者など、高尚なお題目を唱えて社会的な地位と名誉、そして金銭にありついている人がいるのではないでしょうか?本書ではサン・テクジュペリの言葉を次のように引用しています。「宣伝とはすべて、非道徳的な怪物であり、友好であることをめざして、高貴な感情にも俗悪な感情にも何にでもかまわず呼びかける」と。このようにサン・テクジュペリについて、本書は本質的なことを抜き出して書いてあるように思います。こんなところで今回は紹介というか何というかわからない駄文を終わりにしますが、本書では他にも第二次世界大戦の日本の飛行機とパイロットのエピソードも書いてあります。しかし、それを取り上げると個人的感情が怒涛のようにあふれ出たただでさえ偏った紹介が、もっと凄まじきものとなりますので今回は止めておきます。詳しくは本書をお読みください。で、最後に蛇足ついでに今の私の状況について書いておきます。勤めている高校の方は中間試験の前で、図書室は放課後に自習する生徒で大入り満員な状態です。そして、中間試験が終われば学校図書館、というかすべての図書館共通のビッグイベント、読書週間の始まりです。これに備えて、今のうちにセッセと準備している次第です。ですので、中間試験期間中に読書週間の準備、貸出冊数に応じた素敵な景品があたる抽選会や、ポップ、図書館の飾りつけなどやることが多くて大変です。さらに、試験の科目の関係で図書館で2時間目が待機という生徒の監督もしなければいけませんし・・・。いろいろ大変です。駄文ついでにもう一言。私が大学時代から視聴しているあるTV番組ついて。この番組は月に一回・アメリカ・ワシントンのハドソン研究所の客員首席研究員で国際政治ジャーナリストの日高義樹先生がアメリカの現状を追い、共和党政権寄りの論客メンバーを招き毎月のテーマに沿って対談方式で放送されている番組、『日高義樹のワシントン・リポート』が今年の3月で終了し、30分で祝日しか放送されないの『ワシントンの日高義樹です』という番組に改変されたことです。今日、10日の正午からこの番組を放送していたのですが、これまで1時間15分だった番組が改変で30分に短縮されたことに私は強い憤りと不安を感じています。この番組は、ワシントンのアメリカの政治や軍事に影響ある各方面の議員や高官、その周辺の人物の生の声を新聞やTVなどの二次情報を通さずに直接日本の視聴者に届ける貴重な機会を与えてくれていました。この番組が短縮されたといっても、内容が貴重な一次情報であることは変わりありませんが、この短縮の内容がどのような経緯でなったのか。それに、ふと一抹の不安を感じている次第であります。といった感じで、今日はこの位にしておきます。
2011年10月10日
コメント(0)
みなさま、台風15号の影響で被害を受けた方はいらっしゃらないでしょうか?私は、間接的に被害を被りました。それは、9月21日が私が勤める高校の文化祭の校内発表の日だったのです!その日は、午前6時には暴風警報が出ていて生徒は自宅待機。当然、校内発表はお流れです。私が監督している図書委員会でも手作りのブックカバーを作って準備万端だったのに・・・。仕様がないのでこのブックカバーは後日、ほしい人を募って抽選で差し上げようということになりました。しかし、台風の被害はここだけでおさまらず、翌22日の市民会館での舞台発表にも影響したのです。本来なら21日に舞台発表の準備とリハーサルを行う予定が、22日の午前中に大慌てで準備とリハをやって、午後から本番という流れになったので、吹奏楽部や演劇部、放送部に有志の発表者の生徒と担当の先生方は大騒動となりました。まったく、よりにもよって文化祭の当日に台風直撃なんて。本当に今年の3年生は運がないな、と思った次第です。ちなみに私の家では、21日の朝に大雨のため車庫が水に浸かりそうになったので慌てて土嚢とベニヤ板で車庫の入口を塞ぎました。そのため、学校に出勤することができなくて、貴重な有給を使う羽目になりました。あ~ぁ、ついてない。そんなわけで、今週は実質2日しか出勤してないことになりました。で、その間に読んだ本や漫画から突っ込みどころ満載の1冊を選んで紹介しようと思います。それは、中島三千恒さんの『【送料無料】軍靴のバルツァー(1)』(新潮社、2011年7月)です。この漫画の舞台は、小銃がマスケットからライフル銃に更新され、電信と鉄道が前線と本国の距離を急速に縮め始めた時代のヨーロッパ風架空世界です。主人公のバルツァー少佐は軍事大国ヴァイセン王国(どっから見てもプロイセンのパチリ)に所属するエリート士官です。そのバルツァー少佐にある日、関税同盟(この辺もドイツ史のパチリ)に新しく加盟したバーゼルラントの士官学校に軍事顧問として派遣されることになってしまいます。先の戦役で順風満帆な出世コースに乗っていたのが一転、左遷とも思える命令を受けたバルツァー少佐は50年前の諸国民戦争により分邦して以来、戦火に曝されることなく発展した鉄道も通じていない田舎の小国に赴きます。そこで当然、半世紀も戦争をしてない王国の人間とでは、バルツァー少佐との戦争に対する意識のギャップが大きすぎて一波乱が起きる、というのが粗筋になります。で、表紙の青年がその主人公のバルツァー少佐なのですが、表紙からいかにも軍人気質の生真面目でキザなキャラを想像してたらこれが大間違い。表紙をめくっていくと、お調子者でお茶目で陽気、親しみやすい性格に一気に好感を持ちましたね。しかしキメるところではばしっとキメる「出来る」人間です。 軍事後進国で、しかもお固い規則に縛られた士官学校の中では異端の存在として煙たがらるのですが、そんな孤立に追い込まれがちな逆境すらも戦場の経験を生かした閃きと戦術で乗り切っていく姿は頼もしく痛快です。このようなキャラを主人公にするあたり、作者のセンスが窺えます。が、漫画の後半部分で、バーゼルラントの第二王子の不興を買ったパルツァー少佐が、恩赦目当てに参加した囚人を部下に50:5の実弾戦を強いられる手に汗を握る展開がみどころなのですが、ここでちょっと待て!と思わず言ってしまいましたね。描写は映画「【送料無料】バリーリンドン」にも描かれていた先込め式のマスケット銃を持った多数の密集陣形に対して少数のパルツァー少佐側が元込め式のライフル銃を基とした近代戦術で立ち向かうという内容なのですが・・・。いくらなんでも田舎で半世紀も戦争してないバーゼルラントでも、歩兵の主力兵器が先込め式のフリントロックマスケットというのはおかしくないでしょうか?漫画の最初のカラーページには「1863年 第一次ノルデントラーデ戦役」という題で、従軍中のバルツァー少佐の記録写真が載っています。そこから考えても、実弾戦でバルツァー少佐側が使っているのはどっからどう見てもマウザー(モーゼルと日本では発音してますが、正式にはマウザーと発音します)式の連発ボルトアクション式のライフルに見えるのですよね(錯覚か思い違いならごめんなさい)。本格的なボルトアクション式連発銃であるドイツのGew98(機関部に弾倉を設け、挿弾子(クリップ)で弾薬を装填するタイプ)で、それが出来たのが1888年です。それを差し引いても、その前の正式銃、8 発入り管状弾倉にGew71が改造されたのが1884年です(その前の単発式は1871年に仮採用)。さらにその前の世界初の実用的ボルトアクション小銃であるドライゼ銃が採用されたのが1841年です。この銃なら、ちょうど漫画の時代的に合うのですが。ちなみに、フランスのミニエー大尉がドングリ型(椎の実型)の鉛弾で周囲には溝が切られ凹凸があり、発射時の圧力で押し込まれたコルクがスカートを外側に膨張させると、弾丸周囲の溝の凸部は銃身内のライフルに食い込みながら密着し、この事で圧力の漏れを無くし、ライフルによる回転を弾頭に与える事できるミニエー弾(1849年に発明)を使用したエンフィールド銃(幕末に日本に大量に輸入されたことでも有名)が誕生したのが1853年。さらに突っ込むと、銃用雷管が発明されたのが1830年です。いくら軍事後進国でお金がないといっても、先込め式のフリントロック(火打ち式)銃をヨーロッパの国が使ってるわけがないでしょう。まぁ、著者があえて軍事的後進性を際立たせるためにこのような描写を用いたのかもしれませんが、最初の方でバルツァー少佐が着任したときに行った12ポンド砲の運用の仕方がかなり詳細に描写されていたので、この部分に違和感を覚えた次第です。その他の内容については詳しく描くと手に取ったときの楽しみが減ると思いますので割愛しますが、ひとコマごとの服や背景の描き込みようはとても漫画として読みごたえがあります。また、軍装や世俗など細かい部分も真面目に描かれており、大国ヴァイセンの思惑やバーゼルラント内部の不穏な空気、王族同士の軋轢など面白くなりそうな伏線がアチコチにあり、今後の盛り上がりに期待できそうな漫画だと思います。軍事方面がお好きな方は買っても損はしない濃い内容となっています。そんなこんなで、今日はこのくらいにしておきます。
2011年09月23日
コメント(2)
みなさま、長らくご無沙汰しておりました。その理由とは、書道のお師匠さんから、日展に出品しなさいと言われたからです。今回が初めての出品となるので、当然入選するはずがないのですが、若輩の私に「出しなさい」と言ってくれたお師匠さんの顔に泥を塗るような作品を出すわけにもいかないわけでして、そこで性根を入れて8月の半ばから9月の17日まで書きに書きまっくって何とか作品を仕上げたわけです。作品制作の途中の9月の半ばには、東京へ行って日展審査委員の雲の上の先生方の前で作品を見ていただき、ほんの二言、三言ですが批評もしていただきました。とても緊張しましたがね。そんなこんなで、暇を見つければ作品の制作をしてたので、ブログの更新もオンゲにもIN出来なかったわけです。そんなこんなで、この1か月は書道三昧の日々を過ごしていたのですが、ここでようやく一息つけます。ですが、また今度は社中展があるので、その作品の制作に取り掛からなくてはならないのですが、まぁ、この連休にはさまれた一週間ぐらいはのんびりしても罰は当たらないでしょう。で、昨日はと言いますと読売書法展 中部展の祝賀会に出席して表彰式の後、昼の1時から夜の7時過ぎまでビールとワインを飲み続けていました。最初は名古屋観光ホテルでの祝賀会、次は同じ伏見にあるキッチン松屋での2次会、そして〆は同じ伏見のお寿司屋さん(酔っていて名前が思い出せない)というコースで、アルコール:料理の比率が7:3の割合で飲みまくっておしゃべりを楽しんでいました。という次第で、当然、祝賀会に出席できるということは、私の作品が読売書法展に入選したということになるわけです。今回で6回目の入選となるのですが、読売書法展が臨書(昔の人が書いた作品や碑文に彫り込まれた作品を見て作品を作ること)を禁止した後はどうも入選率が低くなっていて、今回は2年ぶりの入選となりました。読売書法展の中部展は今日、9月19日まで名古屋の栄の愛知県美術館と愛知県産業動労センター(ウインク愛知)で開かれていたのですが、私たち平の入選者は当然、ウインク愛知の方の展示でした。私は、祝賀会の前日の17日土曜日に観覧してきたのですが、愛知県美術館の方は広々としてお師匠さんや同じ社中の先生、先輩方の写真を撮ることは簡単だったのですが、ウインク愛知の方は展示スペースが若干狭くて、写真を撮るのに通路の幅目いっぱい、後ろの作品に触れんばかりに下がらないと作品全体が写せない状態でした。そのほかは、建物も新しく綺麗で良かったのですがね。という次第ですので、ちょっと恥ずかしのですが、私の作品を貼っておきます。この書は、中国の隋の時代の正史『隋書』の中の官位が高いか、またはその時代に特に活躍した有名人の生涯を紹介した『列伝』の中より、田中芳樹さんが書いた作品、『【送料無料】風よ、万里を翔けよ』(中央公論新社、2000年12月)なかで登場する沈光という人物を選んで書きました。田中さんのこの作品の主人公は、ディズニーの映画のモデルにもなった中国を代表する男装の麗人、花木蘭を主人公にした作品なのですが、その中で登場する沈光、字は総持という人物が魅力的であったので、ちょっと古典籍を調べて(司書ですからそのくらいは朝飯前です)最初の書き出しから書いたのが上記の作品です。訳や書き下し文は面倒だし、横書きなので今回は省略させていただきます。参考にした本の表紙は下記の通りになります。この沈光という人は、『隋書 沈光伝』の中で「肉飛仙」というあだ名が紹介されているほど身体能力に優れた人で、このあだ名は少年のころにお寺が建立された時、大きな法会が催されたのですがその際、一五丈の高さを持つ旗竿が立てられいました。ところが、どういうわけか頂点で紐が切れて旗が落ちてしまいます。その時、騒ぐ群衆の中から一人の少年が新しい紐を束ねて口にくわえ、まるで猿のように旗竿の頂点まで上がって紐を結びなおしたのです。そして、そこから両手を離して跳躍して空中で数回転地上に両手をついて着地したというのが、沈光その人でこうして、前記のようなあだ名がついたそうです。本当はこの記述があるところを作品にしたかったのですが、どうにも漢字のバランスが良くなくて、断念したという経緯があります。つぶやきにしては、長くなりましたが読売書法展のような大きな書道展覧会では、何とか漢字だけは読める楷書や、書道を習ったことない人には何が書いてあるのかわからない唐代の漢詩を書いた行書・草書などが展示されています。でも、昨今は調和体といった近現代の詩、北原白秋や宮沢賢治などを書いた漢字かな交じりのわかりやすい作品もたくさん出展されています。また、私などは小説の登場人物をもとに史書調べて書くといった方法で、書を身近に感じてもらえるように努力しています。書なんて敷居が高いと思わずに、気軽に展覧会に足を運んでいただけるとありがたいです。
2011年09月19日
コメント(2)
みなさま、お久しぶりです。家のゴタゴタと私が今まで通院していた精神内科が突然、診察をやめて店じまいをしてしまって、新しい医者を探して鬱が落ち着くまで時間がかかってしまい、更新が滞ってしまいました。そんなこんなで7月は、仕事から帰ってからは鬱で身体がだるくてやる気がおきず、家のベッドの上でゴロゴロしながら大量の本やマンガを読むともなく、眺めるともなく過ごしていました。幸い、勤め先が高校の学校図書館ですので、仕事へ行けば自動的に好きな、というか気分に合わせた本を手に入れることができるので、その点は楽なのですがね。あと、通勤経路にそこそこ大きな書店があるので、運転で疲れると、なにせ片道1時間半も掛かるのですから、休憩と称して立ち読みして本やマンガを買えるという利点もあり、読書量はこれまでとあまり変わりませんでしたね。ところで、学校は夏休みです。一般人は学校に勤めているから夏休みは楽でいいでしょう、と思われるでしょうが、これが違うのですよね。まず、教員はクラブ活動の監督、夏季講習や補講の担任をしなくてはいけないので、夏休み中も普段と変わらない日常を送っているのです。いや、クラブ関係の先生方は、土日も出て夏季特休や代休も9月に取るというハードな夏休みを過ごしているので、通常より大変かもしれません。一方の私はといいますと、夏休み中は課外や補講の合間に勉強しに来る生徒や、小論文で大学を受ける生徒へのレファレンスなどがあり、忙しい日々を送っています。通常の授業であれば、授業中は生徒が来ないので図書館の中での作業もできるのですが、夏休み中は入れ替わり立ち代り生徒が開館時間から閉館時間までいるので、自分のペースで仕事ができず、苦労しているところです。それに、生徒たちは節電で28度に設定しているエアコンにたいして気温が高い日は「暑い」と文句を言ってくるので、「東北の人のことを考えて我慢しましょう」となだめることもしばしばです。では、愚痴はこのくらいにしておいて本の紹介にいきましょうか。今日は高城高さんの『【送料無料】函館水上警察』(東京創元社、2011年6月)についてツラツラと雑感を書いていきたいと思います。この本は、題名から察せられるとおり、明治時代の北海道函館の水上警察署を舞台にしています。時は、明治24年(1891年)の国際都市、函館。幕末の条約により開港場として発展してきた函館に水上警察署が誕生します(正確には明治18年に発足したものが、一旦函館警察署の分署になってこの年、再び警察署として再発足した)。管轄は沿岸を含む函館港内。水上署の定員は署長・次席のほか署員は14名、船長、水夫らが16名、庶務会計を担当する御用係が1名、使丁2名というこじんまりしたもの。その中でこの本の主人公となるのが、水上署次席の五条文也警部です。この人、水上署発足の時から署長・分署長に下で働き、港湾周辺の人脈や業務に精通していて、町の人たちから名前なしで、「次席さん」と呼ばれるような人です。この主人公、五条警部の経歴がこれまた面白いのです。父親は国際法に通じた学者肌の人で、そのお蔭で外交団の書記官になります。当の本人、五条警部は父親がつけた名前の願いに反して武道に打ち込む青春を送り、北辰一刀流は中目録免許まで進み、起倒流柔術を修めて、父親とは対照的な母親からは小太刀を習うといった調子でした。そんな五条警部が駐米日本公使館にいる父親のもとに渡ったのが明治11年のことです。ところがこの五条警部、地元の大学に馴染めずに飛び出して全米を4年間、気ままに放浪するのです。で、行き着いた先がカリフォルニアのサクラメントで、そこの酒場(サルーンと呼びます。西部劇でお馴染みの撃ち合いが始まる賭博場やらステージ、2階に宿屋などがあの酒場です)の主人、ハンガリー人の亡命貴族であるケルメン・ラズロという人が素手で大男を投げ飛ばす五条警部を目に留めて用心棒として拾ってもらったのです。そして、ケルメン氏から五条警部は2年間、フェンシングを仕込まれます。私は、鉄砲主義者なので剣や刀は門外漢なのですが、物語によりますと五条警部は、慣習剣(フレーレ)から決闘剣(エペ)、そして洋刀(サーベル)を教わったそうです。そして帰国後、相次いで両親を亡くした五条警部は、明治15年12月の太政官達によって巡査の帯刀が認められた際に、巡査に帯剣させるのに必要な日本刀が揃わなかったため、輸入物のサーベルが使用されることになり、警察力で政党運動を封じ込めようとした内務省の思惑に沿う形で再設置された東京警視庁に指導者として迎え入れられます。しかし、五条警部は警視庁での嘱託的な身分に満足できず、函館水上警察署が発足に当たって英語力を求めて招聘したに応じて、北海道へ渡ってきたのです。本書は、そんなサーベルの名手でもある五条警部に率いられた函館水上警察署の面々が、ラッコ密猟船の水夫長の変死や、英国軍艦の水兵失踪などの難事件にたいして、日夜陸と海を駆ける・・・、といったお話です。本の内容は読んでのお楽しみとしていただいて、目次を紹介してみますと『密猟船アークテック号』、『水兵の純情』、『巴港兎会始末』、『スクーネル船上の決闘』と推理物や斬り合い、決闘などの事件が描かれ、そして当時の日本が苦しんだ領事裁判権の問題等が丹念に調べ上げられた時代背景のもと、鮮やかにそして軽快に物語は進みます。読み始めると、池波正太郎などの時代小説を感じさせるところもあるのですが、内容は「海洋冒険小説」であるといって良いでしょう。その点からも、海軍大好き人間の私には新鮮さがあって良かったです。また、巡査のサーベルの使用に関しても、明治16年の巡査帯剣取扱い規則の第4条の説明、「帯剣は護身の用具なるを以てたとえ凶賊逮捕の時といえどもやむを得ぬ場合のほか、みだりに抜剣すべからず」(今の警察官職務執行法と同じですね。殺傷能力のある武器の使用方法は。サーベルと拳銃の差はあれども。)など当時の警察事情が丹念に描写されていて勉強になります。あと、事件の舞台となるスクーナー船や千石船などの図面が掲載されているところも良かったですね。そして最後に、物語の中に出てくる食べ物や料理の描写が上手いこと。当時の函館では洋食は、ロシア料理が主流だったり、出来たばかりのラムネ屋でラムネをコップに注いで飲むシーンや、開拓使の工場のビールなど。この辺の描写なども池波正太郎の小説を連想させるものかもしれません。あと、番外編的なものとして、若き日の森鴎外の函館訪問譚「坂の上の対話」を併録されていて、これも明治時代の函館の雰囲気が感じられて面白かったです。登場人物にあの有名なアーネスト・サトウが出てきたのには驚きましたが。そんなところで、五条警部をはじめとして魅力的な登場人物が活躍する、明治時代を舞台とした警察小説としても、日本版「海洋冒険小説」としても、ライトなミステリー小説としてもおススメな一作でした。あと余談ですが、ピストルで決闘する場合は、刀剣を持った相手とは至近距離でやりあわない方が良いことが確認できましたね。私が米国で射撃の練習をした時も、指導者だった海兵隊の退役軍曹さんから銃器を使用する場合は、相手から最低15mは離れること、それ以下の距離だったら刃物の場合の方が有利になる事がある、と教えてもらいました。なぜなら、銃器は、ホルスターから抜く、構える、撃鉄を起こす、狙う、引き金を引く、と5段階の作業が必要なのに対して、ナイフは抜いてそのままの勢いで急所、首筋の頸動脈を狙えますし、刀やサーベルでしたらナイフよりアウトレンジがありますから、手首や腕、足の指先・膝頭、そして首や顔など急所を突いたり切り裂いたりできます。でもまぁ、日本ではこんな知識は役に立たないでしょうし、役立つような状況になっては困りますしね。蛇足でした。
2011年08月04日
コメント(0)
みなさま、お久しぶりです。ちょっと鬱が悪化したのと、讀賣書法展の作品作りに忙しかったので、6月はブログの更新ができませんでした。でも、今週が讀賣展の締め切りで、ようやく一息つけたので、パソコンの前に座ってブログの更新と相成ったわけです。そういうことで、タイトルにも出ている村上リコ著『【送料無料】図説英国メイドの日常』(河出書房新社、2011年4月)について、語っていきましょう。この本の作者、村上リコさんは知る人ぞ知る、その筋では有名な人です。この人、森薫さんと一緒に『【送料無料】エマ ヴィクトリアンガイド』(エンターブレイン、2003年12月)を書き上げた人です。それだけで凄いのに、さらにアニメ『英國戀物語エマ』シリーズと同じくアニメ『黒執事』の時代考証を担当し、スタッフの想像力をかきたてるお仕事をなさってきた方なのです。こんな人が作った本なので、6月中の蒸し暑く(私は、暑さより湿気、ジメジメに弱い体質なのです)鬱でドヨ~ンと淀んだ気分を、押し上げてくれる、というかそのような気分を一時忘れさせてくれるような良書です。では、内容に入っていきますが、端的に掻い摘んで紹介してみると「百年前の英国における、働く女子の最大多数派「メイド」たちの素顔に迫る、絵画・挿絵・広告・絵葉書、そしてプライベート写真などの英国メイドの日常を描いた貴重な図説を300点以上収録した本」という感じになります。そんな訳で、とにかく百年前の雑誌の挿絵、広告、私的な写真やポストカードなど、さまざまなタイプのメイドの図像を大量に収録した本です。しかも中には、この本でしか見ることのできない非常にめずらしいものも数多く含まれています。それこそ、英国本国の図書館や博物館などに収蔵されているようなものや、図説だけではなく、まだ邦訳されていない百年前の英国のメイドたちの日記などの記録資料も紹介されていて、この時代の英国の文学・文化・歴史に興味を持つあらゆる人にとって、必携のヴィジュアル資料となることは請け合いです。帯の裏側にも「本書では、19世紀後半から20世紀初めまでの英国を中心に、さまざまなタイプの図像を集め、メイドたちの人生を再構築してみたい。「いちばんふつうの女の子たち」を脇役から主役に置き換えて、彼女たちの目線に寄り添いながら、その仕事、喜び、悲しみ、怒り、恋や結婚、未来について考えてみよう」と本文の中から抜粋して紹介しています。そのように、19世紀英国ヴィクトリア朝の最大多数派の女の子たちだった「メイド」たち。文学や映画の中では常に脇役、名もなき影のように扱われてきた「メイド」たち。そのように目に見えているのに姿を見せないようにふるまってきた、百年ほど前の英国のメイド自身の生活の実態と心情を見事に解き明かしたのが本書です。この本は、以下のように「序章 メイドの素顔」、「第1章 メイドの居場所」、「第2章 メイドの旅立ち」、「第3章 メイドの仕事」、「第4章 メイドと奥様」、「第5章 メイドと同僚」、「第6章 メイドの制服」、「第7章 メイドの財布」、「第8章 メイドの遊び」、「第9章 メイドの恋人」、「第10章 メイドの未来」と11のパーツから成り立っています。どれもこれも、内容が素晴らしく、先に掻い摘んで全体を紹介しましたが、中身に入っていこうとすると、ドンドン深みに嵌まって、内容の概説ではなくなってしまいそうなので、私が気に入ったエピソードを抜粋することで我慢します。一口にメイド、と言ってもその役割様々あります。台所担当のキッチンメイドやそのキッチンメイドの下につく洗い場担当のスカラリーメイド。子守をするナースメイドに付近の住民や訪問客に「見せる」ためのパーラーメイド等々。メイドはその家の資産状況や規模に応じて様々な役割を分担したり、兼業したりしていました。そして、そのようなメイドの中で最も大多数を占めていたのが下層中流階級以下の家で働く、メイド・オブ・オールワーク、もしくはジェネラルメイドと呼ばれた「すべて」の家事労働を行うメイドでした。そんなメイド・オブ・オールワークの中で1854年から1873年にかけて、膨大な量の日記を書いた稀有な女性がいます。その女性、ハンナ・カルウィックは労働者階級の、特に女性の記録文学が非常に少ない時代、彼女と階級違いの秘密の交際をしていた紳士アーサー・マンビーに宛てて日々の仕事内容を伝えるために綴ったものでした。その日記からは、ヴィクトリア朝時代のメイドの平凡な毎日を詳細に伝えてくれます。では、当時のメイド・オブ・オールワークの日常がどのようなものであったか、1860年7月18日、彼女が27歳の時の日記を引用してみます。キッチンの火を起こす。暖炉の掃除。部屋を掃き、ちりを払う。ブーツを磨く。階上の朝食を持っていく。ベッドメイクをし、汚水を片付ける。朝食の片付けと洗い物。ナイフを磨く。昼食の支度をし、テーブルクロスをかける。食器の片付けをしてパンを焼いたあと、しばらく日食を眺めた―ほんの少しの間だったけど、なんてすばらしいのだろう、こういうことがいつ起きるかみんな知っておくべきだと思った。キッチンの掃除。『御主人様』と会ったときに汚れをぬぐったタオルを洗う(マンビーの希望で、ハンナはわざと汚れた姿で会った。)旦那様の昼食を出す。自分の身をきれいにし、お茶を飲む。伝言を届ける。食器を片付ける。同僚のアンが弟と一緒にライフル兵を見に行ったので、代わりに子どもを庭につれだす。子どもたちを寝かしつけ、汚水を片付ける。階上の夕食を出す。食器を片付け、十一時に就寝。といった、重労働です。起床は六時か六時半で、就寝は十~十一時。毎日十六時間を超える重労働であり、パーティーや同僚の手伝いなどの イレギュラーな業務が入るとさらに長くなります。そして、どんなに仕事が大変でも、有利な職場を選べるだけのツテや才覚なければ、このようなメイド・オブ・オールワークからはじめるしかありませんでした。1871年の国勢調査では、国内の女性使用人のうちほぼ3分の2が「ジェネラル」でした。このように、メイド・オブ・オールワークは、最大多数のメイドたちの中でも、さらに過半数を占める存在だったのです。他にも、ナースメイドやキッチンメイド、ハウスメイドにパーラーメイドなど様々な職種のメイドが紹介されています。この本より前に久我真樹さんが『【送料無料】英国メイドの世界』(講談社、2010年11月)をちゃんとした本の形で出版されましたが、こちらは良い意味で緻密で学術書の趣さえある、優れた書籍があります。今回、村上リコさんが出された本は、久我さんの出された本とはある意味で正反対の本だと感じました。村上さんは、あくまでヴィクトリア朝時代に生きた等身大のメイドと、そのメイドにまつわる雰囲気を上手に当時の写真や図版、日記や書簡などを用いて描き出しています。何と言いますか、久我さんの本が先にも述べた分厚い学術書なら、村上さんの本はそれより敷居が低く、より噛み砕いてメイドを紹介した入門書と言えるのではないでしょうか。でも、個人的には村上さんの本の方が、ヴィジュアル資料を効果的に用い、英国の資料をふんだんに使って「目」で見せて読ませる分だけ、読んでいて楽しかったです。みなさんも、図書館へ行ってこの2冊の本を読み比べてみて、本当のメイドとはどういう存在だったのかを再確認してみて下さい。最後に、村上さんのブログのリンクを置いておきます。興味のある方は、覗いてみて下さい。村上リコの本棚 http://writingto.seesaa.net/
2011年07月02日
コメント(0)
みなさま、お久しぶりです。最近、仕事と趣味に追い回されてブログを更新する暇がなかったという状態でした。今日久々にのぞいたら、いつの間にか55,555のキリ番が通り過ぎていて「しまった~」と思った次第です。その忙しさの現況ですが、まずは仕事から。新入生のオリエンテーションも終わって、一息つけるかと思っていたのですが、甘かった。今年の新入生はよく本を読みます。嬉しいのですが、それだけ図書館に関する要求も高い・・・。レファレンスにリクエスト、相互貸借に購入手続きと追い回されています。さらに、転任されてきた先生方の要求も凄い。1年の担任の先生などは相互貸借をすでに5回していますし、総務の国語科の先生などは、大学図書館級のレファレンスをされて、私なりに努力したのですが手に負えず、県立図書館に泣き付いてようやく回答できたほどの凄まじさ。今年は、転任されてきた先生が多かったのですが、その方々が図書館の利用方法をよく心得ているので、良い意味でこき使われています。まぁ、学校図書館の司書が暇だったらそれはそれで問題なのですがね。次は趣味の方で。喜ばしいことなのですが私、今年から中部日本書道会の一科会員になりました。ですので、気合を入れて作品を作らなければと4月中は奮闘していて、そのためその間のブログの更新も滞っていました。で、その中日展の延長で、次の讀賣書法展も偉い先生から「がんばれ」とのありがたいお言葉をいただいてただ今、作品を鋭意製作中なのです。讀賣展は得意の臨書が出品出来ないので、自分から題材を探して作品を作らなければならないので大変です。それも、作品の形に目途がついたので、今日は一息がてらパソコンに向かっている次第です。でも、もう一つの方、大学院の近現代史の研究会の会報に載せる論文の方は、あんまり進んでいないのですよね。締め切りまで、あと6日・・・。土日に奮起して仕上げよう。残りは、あと2頁分だし。そんなこんなで、仕事で読んでる本や気分転換に読んでいる本など、書きたい本は10数冊ほどため込んでいるのですが、今日はリハビリを兼ねて、最近読んでいる漫画について書いていきたいと思います。まず最初は、武田日向さんの『【送料無料】狐とアトリ』(富士見書房、2007年6月)から始めましょう。この本、現在アニメ放映中の桜庭一樹さんの『【送料無料】GOSICK』(角川書店、2011年4月)の挿絵を担当されている武田日向さんの短編集になります(アニメの『GOSICK』は某血だまりスケッチでささくれ立った心を癒してくれました)。武田さんの画力は富士見ファンタジア文庫時代から承知していましたが、当時は立ち読みで済ませていて、アニメ化と角川ビーンズ文庫から再販されるのを機に原作を購入して、読んでいるのですが、どうにも挿絵が気になって、武田さんの画力は相当なものだが一体どのくらいだろう?そうだ、短編集が出ているという話を小耳にはさんだので、買ってみよう。『【送料無料】異国迷路のクロワ-ゼ(1)』(富士見書房、2007年12月)はシリーズものだし、短編集なら手軽で良いだろう。という次第で、楽天ブックスで購入した次第です。内容は、表題作「狐とアトリ」と、「ドールズ・ガール」「やえかのカルテ番外編」を収録しています。どれも素晴らしいのですが、やはり秀逸なのは「狐とアトリ」だと思います。これはホントに、すごく感動します。繊細な筆質というのも相乗効果が素晴らしく、この先どうなるんだろう、とワクワクしながら読むことが出来ます。絵については、素晴らしすぎて言う事がありません。物語の後半、狐が正体を現すシーンは、切迫したシーンがスピード感あるタッチで描かれており、迫力あります。とは言え、ストーリはハートフルなもので、最後はどうなるかと思いましたが、私好みのハッピーエンドで終わってホッとしました。それにしても、かわいい女の子を描ける人はいっぱいいます。ファンタジーな世界を書き込める人も、昔と比べてだいぶと出てきました。しかし、本作読後に「現代日本ではない実在した世界」を破綻せずに描ける人は、武田さん以外あんまりいないのではないかと思いました。あと、 色々な作家が短編集を出していますが、この本のようにどの短編もレベルが高いのは珍しいと思いましたね。次は新作もので、笠井スイさんの『【送料無料】ジゼル・アラン(vol.2)』(エンターブレイン、2011年5月)を紹介しましょうか。この本は、私が愛読している雑誌『fellows!』に連載中の作品です。しかし、この『fellows!』分厚くて、置き場所に困るのですよね。おまけに、先月号は4分冊にして毎週刊行、というとんでもないことしてくれたので、取り置きしてもらっている地元の書店さんに迷惑をかけてしましました。と、まぁ、色々ある雑誌ですが、内容は面白いので、何しろ森薫さんの『【送料無料】乙嫁語り(1)』(エンターブレイン、2009年10月)が連載されているだけでも買いなのですがね、ブツブツ文句を言いながら購入している次第です。さて、この本の内容に入っていきましょうか。さらっと解説すると、名家・アラン家を飛び出し、独りでアパートの大家兼「何でも屋」をやっているお嬢様、ジゼル・アラン。好奇心のままに暴走しながらも、なんとか依頼をこなすジゼルの前に、もうひとりの「何でも屋」ギーが現れて・・・。失敗と出会いを経て成長していくジゼルの姿を描いた第2巻、というこんな感じです。この本、実は最初の連載中、そして1巻目が出たときに感じたことは、絵は上手いけどお話はそこそこかな?という印象でした。しかし、その後の連載と2巻を読んで印象は変わりましたね。物語は更に面白く、ジゼルはより魅力的に、絵の上手さもさることながら作品としてのレベルがより高くなったように思いました。絵も話にも引き込まれるものがありますし、非常に丁寧に造り込んであるので、じっくり読むことに耐えられる漫画であると思います。ですので、作者の意図が明確に伝わる良い漫画であると思います。別に話事態が新奇で斬新な訳ではなく、むしろよくある話、つまりあらすぎを書きだしてしまえばなんてことはない話なのですけれど、しかし、しっかり魅せてしまう技倆を笠井スイ先生は持ってると思います。あと、ジゼルお嬢様中心に、エリック始め、ジゼルの元執事のモネさんやアパート住民、仕事の依頼者、同業者などが、みんな個性的で、見ているだけで楽しめたのが良かったですね。こんなところで、今日は漫画2冊を紹介してみました。それでは!
2011年05月25日
コメント(2)
みなさま、お久しぶりです。4月に入ってから忙しくて、更新が滞ってしまいました。なぜ忙しかったかと言いますと、まず、職場の問題です。私は県立高校の学校司書をしているのですが、新年度の移動で校長が定年退職、教頭が校長昇進して退出したので、学校のトップ二人が移動してしまい、ちょっとした混乱になったこと。そして、教員の方も、12人も移動があり、これまで教務で時間割を組んでいた先生がこれまた定年退職されて、時間割、とくに新入生の図書館オリエンテーションの時間がグチャクグチャになり、そのために総合学習の時間を振り替えて行う授業なのに、担任がオリエンテーションの監督に来られない事態となったことです。これによって、図書主任と係り教員が監督することになったのですが、時間割の関係上、どうしても監督できない時間ができて、私一人でオリエンテーションを実施しなければならなくなりました。45分の短縮とはいえ、一人で40人の新入生を相手にするのには苦労しました。そのような中で、図書館オリエンテーションの準備、資料を320人分印刷するなど(毎年、同じひな形を修正しながら使っているので、この点は楽なのですが)を行い、通常の業務、図書館便り、新刊案内、本の発注・受入、登録・装備、コーナーの設置をやっていたのですからもう大変!さらに、仲の良かった予算執行担当の事務員さんまでも転出されたので、これから新しい事務員さんと今年度の予算の交渉をしなければならないと考えると、溜息が出ます。そんなこんなで、本は仕事の合間に気分転換がてらに読んでいたのですが、今日はその中からとくに感銘を受けた一冊、白石仁章著『【送料無料】諜報の天才杉原千畝』(新潮社、2011年2月)を紹介したと思います。著者の白石先生は、上智大学大学院の史学専攻博士課程を修了され、在学中から外交史料館に勤務。現在は外交史料館に勤務されながら東京国際大学と慶応義塾大学大学院で教鞭をとられているそうです。ご専門は、外交史とインテリジェンス・システム論。この本で取り上げられている杉原千畝研究は、大学在学中からのテーマだそうです。さて、本書で取り上げられている杉原千畝ですが、これはみなさん、ご存知の方は多いでしょう。駐リトアニア、カウナス領事代理としてバルト三国が旧ソ連邦に併合されたとき、独断でユダヤ人に日本通過ヴィザを発給し、数千人のユダヤ人をナチス・ドイツの魔の手から救った人物です。戦後、イスラエルよりホロコーストの惨劇に抗してユダヤ人を命がけで救った人物のみに贈られる「諸国民の中の正義の人」の称号を、日本人としてただ一人だけ贈られた、国際的に評価の高い外交官です。と、紹介してみましたが、これは今日、通俗的に言われている杉原千畝の姿です。本書では、ユダヤ人を救ったヒューマニストとしての杉原千畝の姿に別方向からの視点、つまり、インテリジェンス・オフィサーとしての彼の姿を、丹念に一次史料を用いて明らかにしています。ここで、インテリジェンスについて少し解説を。インテリジェンスとは「諜報」と訳されます。インテリジェンスは、「地道に情報網を構築し、その網にかかった情報を精査して、未来を予測していくことです。そしてさらに一歩踏み込んで予想される未来において最善な道を模索する」ということにあります。「謀略」と誤解されることが多いですが、「謀略」は未来を都合の良い方向へ強引にねじ曲げるものであり、「諜報」とはむしろ正反対にあることを指摘しておきます。この点から考えると、本書で指摘されている通り、杉原千畝は第二次世界大戦前とその最中の時代における日本を代表するインテリジェンス・オフィサーの一人でした。彼は、外務省が募集した留学生に応募し、合格者の中で専攻する語学に偏りがあったため、本来の希望とは異なるロシア語を選びます。合格した当時、大正8年(1919)は、ソビエト政権が樹立して間もなく、日本他、各国がシベリア出兵をしていたので、ソビエトでロシア語を勉強することは不可能でした。そこで、日露戦争以前からロシア人が多く、当時白系ロシア人が亡命していた、満州のハルビンにて語学研修を始めます。ここで優秀な成績を収めた杉原千畝は、大正13年(1924)に外務省書記生に任命され、外交官としてのスタートを切ります。この満州の地で、杉原千畝は政治情報の収集、共産主義系の新聞記者に対する工作、日本へ渡航を希望するソ連人の身元調査などのインテリジェンス業務に携わり、またソビエトに対する調査・研究にも取り組み、功績を積み上げていきます。そして、満州国の建国とともに、満州国外交部へ移籍してソビエトとの北満鉄道譲度交渉に成功し、一躍脚光を浴びます。このように、満州国での活躍の場が約束されていたのにも関わらず、杉原千畝は昭和10年(1935)に満州国外交部を依願退職し、日本の外務省に戻ってしまいます。 この理由として著者は、橋本欣五郎大佐との確執をあげています。陸軍は、杉原千畝に多額の報奨金を用意して陸軍の謀略の要に活用することを強要しようとしました。それは、ある意味では使い捨てのスパイとして様々な謀略に加担することでです。そのような行為は、インテリジェンス・オフィサーの鉄則である、協力者の身を守ることができなくなることを意味します。これを恐れた杉原千畝は、陸軍との関係を断ち切り、そのけじめとして満州国を去らざる得なくなったのです。そして、日本の外務省に復帰後、杉原千畝に彼が最も活躍できる場、ソ連大使館への移動が決まります。ところが、彼のインテリジェンス・オフィサーとしての能力を警戒したソビエト政府により、入国ヴィザが発給されないという前代未聞の事件が発生します。ソビエト側は北満州鉄道譲渡交渉における、杉原千畝のインテリジェンス活動、譲渡価格の大幅な引き下げという結果や、ソ連側の情報をどのように入手していたのか不明な点、に脅威を抱き、このような結果になってしまったのです。こうして、ソ連大使館への赴任が不可能になった杉原千畝は家族を伴い、ソビエトの隣国、フィンランド公使館へ赴任します。そして、ノモンハン事件の外交的決着を図る一環として、対ソ情報の強化のため、対ソ問題のエキスパートたちをソ連の周辺国へ放つ事態が発生します。その一員として、杉原千畝は今度はリトアニアのカウナスへ赴任することになったのです。このあと、本書では日本とバルト三国の隣国で、独ソ不可侵条約で日本と共にもっとも不利益を被った親日国、ポーランドとの情報提供などの解説がありますが、それは端折って、カウナスでの「命のヴィザ」発給のついて簡単に書いていきます。この本で白石先生は、リトアニアのカウナスにおける「命のヴィザ」について、外交電報の分析から、杉原が、確信犯的に外務省本省と駆け引きを行い、最大限のヴィザ発行を可能にしたことを証明しています。興味深いのは杉原千畝は、家族の前で慎重な姿勢をとることで、特に、幸子夫人を万一の場合、「杉原が本省の指示を無視したわけではなく、やむを得ず人道的に処理した」証人に仕立て上げようとしたのではないかと考えていたのではないか、という指摘です。また、著者は、ポーランドからやってきたユダヤ難民たちが「必ずしもナチスの迫害だけではなく、ソビエトの脅威にもさらされていた事実」を強調しています。杉原千畝がユダヤ難民にヴィザを発行したのは、昭和15年(1940)7月末~9月初めです。この時期は、昭和14年(1939)、独ソのポーランド分割、そして昭和16年(1941)6月、独ソ戦争勃発の戦間期にあたります。昭和14年11月にはソビエトのフィンランド侵略(冬戦争)があり、昭和15年にはバルト三国併合が進められました。現実には、ユダヤ難民はソビエトの脅威に囲まれていたのではないか、と指摘しています。 実は、ロシアでは帝政時代から反ユダヤ思想がありました。革命後のソヴィエトでもその傾向は変わらず、多くのユダヤ人が差別され、迫害されていました。このように、杉原千畝は、狭義的にはナチス・ドイツの手から、広義的にはスターリンの手からもユダヤ人を救ったと解釈できるのです。それにしても、そこまでの危険を負いながらも、杉原千畝をヴィザ発給へと決断させたものは何だったのでしょうか。重要なヒントが「決断 外交官の回想」という手記に記されています。 全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、ビーザを拒否してもかまわないとでもいうのか?それが果たして国益に叶うことだというのか? この文面が示すのは、杉原千畝がユダヤ人というものの未来を的確に予測し、最善な道を模索したということに他なりません。省益より国益を考え、個人でリスクを取って決断した杉原千畝の恩恵に、百年近く立った今でも我々が預かっているのです。百年先の国益を考えた決断ができるか、個人でリスクを取った判断ができるか、今こそ、彼のインテリジェンスに日本人が学ぶところは大きいと考えます。
2011年04月29日
コメント(0)
はい、久々の更新となります。震災直後のショックから一時的に酷くなっていた欝も、最近、ようやく小康状態となりました。ヤレヤレです。しかし、被災地で避難されている方々や第一線で活動している自衛隊や警察、消防、海上保安庁をはじめとする関係諸機関の方々のご苦労を思えば大したことありませんね。あと、福島第一原発で決死の思いで活動されている方々のことを考えれば…。さて現在、私の勤めている高校の学校図書館では、春休みを利用して蔵書点検の真っ最中です。何せ、本校には3万冊の蔵書があるのですから、これを図書主任や係り教員に手伝ってもらっても、実際システムを動かせるのは私だけなのですから、実質私一人で、3万冊の本の蔵書点検を行っている状況です。なんとか、今週中に終わらせて、来週は生徒のカード情報の年次更新と、新入生の新規登録作業に入りたいものです。と言った次第で、欝から立ち直ってからの第一弾目ということで、今日は、私の大好きな鉄砲のお話を本と絡めて進めて行きたいと思います。まず、最初にですが、私は昨今の新型銃は好きではありません。どうも機能性や人間工学、機械工学を取り入れて、どれもこれも同じ形の鉄砲になっています。そういったものにも勿論、機能美やらがありますが、どうも、私にはしっくりこないのですよね。ですので、私が集めるモデルガンやらガス銃は、第2次世界大戦以前のものがほとんどです。だって、そのくらいの時代までの銃の方が、個性があって良いじゃありませんか。ピストルひとつとって見ても、シルエットを見るだけで、これはドイツのワルサーP‐38、これはイギリスのエンフィールドMk.2、イタリアのベレッタ、ソ連のトカレフ、日本の南部十四年式、アメリカのガヴァメントなどなど。個性豊かで、その国の用兵思想や設計者のアイディア、個性が浮き出ていて楽しいじゃないですか。とまぁ、書いてみましたが、今私の中での鉄砲のマイブームは黒色火薬の硝煙香る、フリントロック式やマッチロック式(火縄式)などのヨーロッパ中世の鉄砲です。この時代、ちょうど鉄砲、火縄銃が戦場での地位を確立した時代を簡単に紹介しているわかりやすい本として、滝沢聖峰さんの『【送料無料】Tale of Rose Knight(v.1)』(大日本絵画、2008年1月)のシリーズがあります。最新3巻は今月出版されました。この漫画の内容は、戦記コミックの第一人者である滝沢さんが描く歴史アクション・ファンタジーです。16世紀イタリアの戦乱を横糸に主人公のイタリア人傭兵と二人の「ばら」の名前を持つ女傑との絆を縦糸に織り成される重厚な物語が描かれたこの作品。16世紀のヨーロッパの戦場での戦術、方陣、長槍による歩兵、従兵、砲兵、騎兵が理によって整然と戦う姿が描かれています。 また肥沃なイタリア北部地方を狙うフランス王国と防戦するイタリア諸都市の連合の間の諸勢力内部のいさかいや、ランツェクネヒトと呼ばれたドイツ傭兵を扱う難しさなど、どこか牧歌的であるが非常に生臭い駆け引きが見所です。16世紀のイタリアにおける戦争とはこのようなものだったのかと読者を瞠目させる1冊です。興味のある方は是非、ご一読のほどを。というわけで、まずは1冊さらりと紹介しましたが、続いて今、というか欝でウジウジしていた時に気分転換がわりに見ていたのが、ナポレオン戦争時代を描いた戦争ドラマです。これが、黒色火薬の硝煙香る陸戦がお好きな方にお勧めの『炎の英雄 シャープ DVD-BOX 1』と、『炎の英雄 シャープ DVD BOX 2』、『炎の英雄 シャープ ?新たなる挑戦? マハラジャの城砦』です。これは、最初、楽天レンタルで見つけて、全巻借りて見た後、勤勉手当で大人買いしたシリーズです。こんなことしているから貯金が貯まらないのですがね。 内容は、ナポレオン戦争時のヨーロッパを舞台に、孤児院の出身からイギリス陸軍の英雄へと駆け上がった将校リチャード・シャープの活躍を描く歴史アクションドラマです。19世紀初頭、イギリス軍はスペインらと同盟を組み、ポルトガルを拠点としてナポレオン率いるフランス軍と交戦していました。俗に言うところの「半島戦争」です。第95ライフル連隊の軍曹リチャード・シャープは将軍ウェルズリー、後のウェリントン公爵の命をフランス兵から救ったことにより中尉に昇格、精鋭ライフル部隊"選ばれし者"の指揮を任されることになります。当時の将校は貴族出身であることが当然であり、一兵卒出身のシャープは周囲から様々な差別や妨害を受けます。しかしシャープは"選ばれし者"とともに数々の困難を克服しながら次々と任務を遂行し、その階級を着実に上げていく、といった物語です。この作品も当然、原作本があります。バーナード・コーンウェル著、 原佳代子訳『【送料無料】イーグルを奪え』(光人社、2004年6月)がシリーズ第1巻目になります。この原作本を知ったのが、最近注目している漫画家の速水螺旋人さんのポケット画集『【送料無料】螺旋人リアリズム』(イカロス出版、2010年8月)の「螺旋人リアリズムの本棚」というコラムに紹介されいていたからです。ここから私の共感する一節を取り上げてみますと「(前略)また僕は、フリントロック式の古式銃が大好きというマイナーな趣味の持ち主で、「ページの合間から硝煙がたちのぼる」と称されるバーナード・コーンウェルの小説はこの嗜好を満たしてくれる数少ない作品の一つだ。剣と銃がある程度対等だった最後の時代、殺すべき敵と顔を突き合わせていた最後の時代、戦いが冒険でもあった最後の時代。いや、当人からすると冒険どころではないだろうけれど。(後略)」といった次第です。私もこのシリーズは読んだのですが、残念なことに光人社さんは2004年から出している新装版は2巻目で途切れていて、その前の古い版は相互貸借できないといわれて全12巻を読破してないのですよね。ドラマは全部見たのに、原作は未消化というこの欲求不満な状態。何とかしてほしいです。こんな感じで、鉄砲に関する所感を書き綴ってみましたが、意外と多くの本やDVDが紹介できたのでびっくりです。また、『シャープ』シリーズで登場していた第95ライフル連隊に関しては、これに関する本を今ちょっと集めているので、これに関してもブログで書く機会があるかもしれません。この戦闘部隊、非常に興味深いのですよ。詳しくは紹介する機会に譲りますがね。最後に、最近手に入れたフリントロック式ピストルを模したエアガンを紹介して終わりにします。それでは。KTW 18才以上用 エアガン フリントロックピストル
2011年03月29日
コメント(0)
まずは、東北・関東大震災に被災された方々に衷心からのお見舞いを申し上げます。震災から一週間たちますが、被害の全体像がいまだ不明という関東大震災以来、日本を襲った未曾有の大災害です。被災地の方々には、一刻も早く救援の手が差し伸べられることを祈ります。また、福島第一原発で被害拡大を防ぐため最前線に立っている自衛隊・警察・消防・電力関係者の方々、被災地支援に取り掛かっている先ほど述べた機関のほか、海上保安庁・ガス関連会社・運送業事業者の方々に対して、心からの応援と感謝の念を捧げたいと思います。また、海外からの支援、米軍をはじめとする関係諸団体の活動にも感謝申し上げます。私は幸い東海地方在住でしたので、直接の被害はありませんでしたが、テレビやラジオ、新聞等で流される悲惨な状況に接して、鬱が悪化しました。それだけ、インパクトがあった大災害でした。元々、想像力豊かで神経過敏と診断されていた私が、津波から逃げる被災者の映像を見て、心穏やかでいられるはずがなく、地震発生後、2日ほど不眠に悩まされ、医者から薬を処方された現在でも、仕事から帰ったら気力がなくなってしまう状況です。車で通勤していますが、普段ラジオを聞いて通勤するところを、最近では、音楽を聴いて、ラジオから流れる情報を遮断して、震災の悲惨な状況を想像しないようにしている次第です。そんな次第ですので、しばらく復活するのに時間がかかりそうです。まぁ、もうすぐ春休みですし、有給も消化しなくてはいけないので、休みを取って、部屋に籠って一日中寝ていれば多少は良くなるとは思いますが。鬱というのは、本当に厄介な病で、何が拍子で調子が悪くなったり良くなったりするのか、自分ではわからないのが困ったものです。そんな、鬱を患っている人間から一言。現在、テレビで震災の惨状を垂れ流していますが、あまり小さいな子どもさんに長時間、そのような映像を見せるのは、精神上よくないのではないでしょうか?鬱で心が弱っている人間でも相当なダメージを受けたのです。感受性豊かな小さな子どもたちが、あのような悲惨な情景を繰り返し見せられては。心に何らかの傷を受けるのではないかと愚考します。子どもさんをお持ちの方々は、そのようなことにも気を配った方が良いと考えます。あと、被災地の避難所にいる小さいお子さんをお持ちの方々に図書館司書から一言。お子さんたちは、とんでもない非日常の中にいます。最初は恐怖と困惑で胸がいっぱいでしょうが、だんだんと落ち着いてくると、恐怖がフラッシュバックしたり、小さな心の中で感じたことが表現できずに、欲求不満となり心身を傷つけることになってしまします。そんな時に有効なのは、こんな非常時に不謹慎かと思われますが、絵本など、普段から親しんでいる本の読み聞かせが有効です。お子さんたちは、一時でも日常生活に触れていたのです。元の生活に戻りたいのです。そんなとき、普段から慣れ親しんでいる絵本などを読み聞かせることで、すごく心身がリラックスするのです。また、読み聞かせをする大人の方にも、リラックスする効果があると聞き及んでいます。このような状況下で、絵本一冊見つけ出すのも大変かと思いますが、小学校などの学校に避難されている方は、学校図書館を利用するなどして、少しでも、お子さんの気持ちを安らかにしてあげてください。それでは、私も私自身の心の平安のために、今日はここの辺で寝ます。被災者の方々の心の平安と健康を祈願しつつ、災害の前線で活動する諸機関の関係者の努力と勇気に感謝をこめて。
2011年03月18日
コメント(0)
風邪をひいてしまいました。そのため、今週は散々な気分で過しました。風邪に欝が加わったので、それはひどい目にあいました。それでも、今週は卒業式がありましたし、来週かには司書部の研修会があって、学校を休むことが出来ませんでした。元々、有給休暇が少ないですしね。そんなこんなで、本日は名古屋まで書道のお稽古に出かける日なのですが、先生のご都合でお休みだったので、昼間までぐっすりと睡眠をとっていたところです。そこで、寝起きですし、最近、固い新書ばかり紹介してきましたので、今回はちょっと古い本ですがシリーズがまだ刊行中の、パトレシア・C・リーデ著、田中亜希子訳『【送料無料】囚われちゃったお姫さま』(東京創元社、2008年6月)を取り出してみます。まずは、この本の作者であるパトリシア・C・リーデさんについて簡単に紹介をします。彼女は、1953年アメリカのイリノイ州シカゴ生まれです。1977年ミネソタ大学でMBAを取得後、財政アナリストや会計士の仕事をしながら執筆活動を続けます。1980年には、後にThe Scribbliesとして知られるようになる作家集団を結成します。1982年に最初の作品を出版、その後、専業作家になり、この「魔法の森シリーズ」の第1巻が全米図書館評議会(ALA)のヤングアダルト部門の最優秀図書に選ばれます。現在では「魔法の森シリーズ」全4巻を始め、いくつものファンタジーを書き好評を得ています。現在はミネソタ州ミネアポリスで3匹の猫と暮らしているそうです。このように、アメリカで新進気鋭のファンタジー作家の作品であることを頭の片隅において置いてください。さて、本書の内容ですが、主人公はリンダーウォール王国の末の姫シモリーンです。この姫さまは、お姫さまらしくするのが大嫌いで、剣術、ラテン語、経済学に魔法にお料理と、夢中になるのはお姫さまにあるまじきことばかりです。そこで困り果てた王様とお妃さまの策略により、隣国のめちゃくちゃハンサムな(だけの)王子と、無理やり婚約させられそうになります。そこで、シモーリン姫はお城の庭の池にいた蛙の助言を受けて城出を決行します。ところが、飛び込んだ先は・・・なんとドラゴンでいっぱいの洞窟だったのです。普通ならドラゴンに食べられておしまい、なのでしょうがそこは普通でないお姫さま。なんとドラゴンを説得?して押しかけ「囚われの姫」になってしまったのです。で、この「囚われの姫」になった過程が面白いのです。まず、飛び込んだ先の洞窟には5頭のドラゴンがいて後からもう1匹来るのですが、当然、自らドラゴンの「囚われの姫」志願をするお姫さまに対して胡散臭げな反応します。シモーリン姫は「ドラゴンはお姫様が好きだから」といってしばらく「囚われの姫」として働かせてくださいとお願いするのです。それからまたシモーリン姫の「囚われの姫」になりたい理由も笑えます。「そうすれば、うちに帰らなくてすむし、セランディル(例の王子)とも結婚しなくてよくなるし。それに、ドラゴンの囚われの姫になるのって、カンペキに尊敬される行為だから、お父さまやお母さまだって文句をいいません。あと、ここで働くのは、刺繍やダンスのレッスンにくらべたら、ずっとおもしろそう。」ですって。それに対してドラゴンの反応は「ばかばかしい」とか「自らすすんで囚われの姫になりたいだと?話にならん!」、「だから、食っちまおうって」と意見が出るのですが「ふつうの姫なら、ドラゴンを自ら探しにきたりしないはずだ」というと、シモーリン姫は「じゃあ、やっぱりわたしはふつうの姫じゃないってことですね。チェリージュビリーを作るし、自分からドラゴンの囚われの姫になりにくるし、ラテン語の動詞の活用をいえるし―まあ、だれかにいえっていわれればの話ですけど。ね、どうです?」と自分を売り込みます。そうしたら、カズールと言うメスのドラゴンが、チェリージュビリーが好きなことと、シモーリン姫の見た目、それから図書室のラテン語の巻物の目録を作ろうとしていたことなどからシモーリン姫を自分の囚われの姫にすると言ったのです。で、目出度くドラゴンの囚われの姫になったシモーリン姫は、さっそくカズールの洞窟に案内され、新しい生活が始まるのです。ですが、シモーリン姫がドラゴンの洞窟での生活、新しい台所で必要なもののリストを作ったり、ラテン語を勉強したり、宝物の整理をするなどして楽しんでいたら、厄介な訪問者がやってきたのです。そう、童話や寓話でお馴染みの囚われの姫を助けに来る騎士です。普通なら、ドラゴンが出て来て、口から炎を出して終わり、なのでしょうがこの本は一味違います。当の囚われの姫、シモーリン姫が出てきて騎士に論戦を挑んで追い返してしまうのです。こんな調子でこの本では、グリム童話やペロー童話の様々な作品をパロディにしてお話の端々に散りばめています。それから登場人物が個性的で、これまた読んでいて退屈しないのですよね。まずは、シモーリン姫を囚われの姫にしたメスのドラゴンのカズール。シモーリン姫に様々な知識、ラテン語や魔法、ドラゴンに関することを教えます。次が魔女のモーウェン。カズールの古くからの友人で、魔女なのに少し風変わりな格好をしています。そして、真実をずばりと言い当てる皮肉屋さんです。こんな感じで、登場人物もこれまでの童話や寓話、ファンタジーの型にはまらないユニークな人物?ばかりです。たとえば、童話や寓話をパロディにしている部分を抜粋してみると、登場人物のひとり、沼の上のトゥーレ(トゥーレ・オン・マーシュ)公国のアリアノーラ姫のエピソードが最適でしょう。まず、彼女は申し分のない姫ではありませんでした。なぜなら、彼女の命名式に意地悪な妖精が来たのですが、「妖精はお腹がはちきれるくらい、ケーキやアイスクリームを食べまくり夜中の一時までおじのアーサーとダンスをし、それはもう楽しく時をすごしました。そのため、わたしに呪いをかけずに帰ってしまったのです。」次が「わたしが十六になると、アーミントルードおばさまが、誕生日に金の糸車をくださったので、わたしはそれで糸をつむぎました。ところが、糸車の針はわたしの指も、ともかくどこも刺さなかったのです。」そのため「アーミントルードおばさまがお母さまにいって、わたしはわらでいっぱいの部屋に糸車といっしょに入れられると、わらをつむいで金にすることになってしまいました。ええ、やってみましたとも。ところが、わたしには、わらを木綿の糸につむぐことしかできなかったのです。わらを木綿の糸にするお姫さまなんて、ありえませんよね。」で、これも失敗したので「そのあと、わたしはパンを一本渡されて、『森へ行って、パンを欲しがる人に分けてあげなさい』といわれました。ええ、ちゃんといわれたとおりにしました。そして、ふたりめに出あったみすぼらしい女の人は、妖精の変装だったんです。ところが、妖精は『しゃべるたびに、あなたの口からダイヤモンドとバラがこぼれるようになあれ』というかわりに、『なんてご親切な。あなたの歯よ、一生丈夫になあれ』といったのです」それに対してシモーリン姫は何か言う度にダイヤモンドやバラが口からこぼれるより、歯が丈夫になったほうがよい。寝ている間に寝ぼけてしゃべったりしたら、棘や固いものがごろごろ転がっている中で目が覚めるから大変なことになるわよ、となぐさめ?ます。それで終わりかと思いきや止めが「アーミントルドールおばさまが、妖精のお友だちのひとりに、わたしにドレスとガラスの靴をやって隣の王国の舞踏会に行かせてほしい、と頼んでくださったのです。なのにわたし、お城を出てもいないうちから、靴を片方、割ってしまいました」と言って、これまたシモーリン姫にガラスの靴って、実は商人の娘向けに作られていて、お姫さまにむいてないのよ、と言われてしまいます。といった具合に次から次へと定番のお話が台無しになって、最後の手段としてドラゴンの囚われの姫になるように仕向けられて、それが成功した、というわけなのです。さぁ、ここに書いたパロディの原作、あなたはいくつ分かりましたか?このような型破りなお姫さま、シモーリン姫が、ドラゴンやうさんくさい魔法使いを相手に大活躍するファンタジーです。対象は小学生高学年ぐらいからですが、高校生や大人が読んでも楽しめる内容になっています。また、表紙カバーや本文の挿絵、ページ毎にもワンポイントのイラストが入っていて、装丁に凝った内容の本になっています。帯には「可愛くて元気なファンタジー「魔法の森シリーズ」第一弾。」と書いてありますが、その通りに愉快で楽しい朗らかな気分を味わせてくれる1冊です。
2011年03月06日
コメント(0)
暖かくなりましたね。その温度に比例したわけではないでしょうが、2月に入ってから図書館に受入する図書の数が急に増えました。この原因の1つは、12月に某元俳優が書いて賞を取った色々噂がある小説が発売されたことがあります。普通、12月はクリスマスがあるのでそこそこ出版される本が多いのですが、この本が発売されるためこの時期に本を出しても影に隠れて売れないと思った各出版社が新刊本の出版を差し控え、正月はお休みですので1月の中旬まで新刊本が出回らない状況になっていたのです。そこで、1月の中旬から本を買い漁っていたら、2月の図書購入費が確実に10万円を超えそうな状況と相成ったわけです。私の勤める高校は幸い、校長先生や事務の理解があるので、この不況の世の中、年間の図書購入費(備品購入費ともいいます)が100万円もあるので、赤字になることはないのですが、12月、1月の購入費が5万円以下だったのが急に跳ね上がると色々書類の上で面倒なことになるので、また事務からお小言をいただきそうです。ちなみに、学校図書館の予算というのは文科省の基準があり、私の勤める高校では、高校での1クラスあたりの年間の基準予算69,096円に3学年、24クラス分をかけた金額、1,658,304円が本来の予算なのですが、雑誌や新聞の購入費と消耗品費との兼ね合いで切りのいい100万円を毎年要望している次第です。でも、他の高校ではクラス数が私のいる高校より多いのに100万円以下で運営しているところもあり、これから先、予算は色々と厳しいものがありそうです。不況になると文教関連の予算を削るのは日本のお役所の悪い癖ですが、将来を担う生徒や地域の生涯学習の面から考えて、図書館などの予算はなるべく削らないでいただきたいものです。とくに図書館などは本が本棚にいっぱい詰まっていればもう本を購入しなくていいや、的な発想を役人も議員もするので、困りものです。本は次から次へと発行されていますし、情報もどんどん更新されていきます。ですので、ある程度予算がないと図書館の血肉である図書などの情報媒体の更新がされなくなり、図書館が流行の本とただの古い資料が置いてあるだけの無料貸本屋になってしまいます。利用者に的確な資料提供とレファレンスを行うために、学校図書館としては文科省の基準の予算の最低7割は確保してほしいものです。小難しい話をしてしまいましたが今日は昨日、書店の外商さんが持って来てくれた本の中から、武田いさみ著『【送料無料】世界史をつくった海賊』(筑摩書房、2011年2月)を紹介したいと思います。この本、毎回のことながら名古屋の三省堂高島屋店で平置きされていたのを手にとって購入を決めたのですが、最初、著者名を見て女の人が書いたのかな、と思って著者紹介を見てみたら獨協大学の教授で海賊の世界史や国際テロを研究されている男の方だったので、名前で何事も判断してはいけないな、と自戒した次第であります。さてこの本、内容はといいますと題を読んだとおり、海賊がどのようにして世界史を動かしたのかについて書かれています。海賊、といいますとパイレーツ・オブ・カリビアンのように大航海時代のアウトローな集団や、最近、新聞などニュースで取り上げられることの多いアフリカ・ソマリア沖の海賊を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、ここで取り上げられている海賊は、海賊にして海賊にあらざる奇妙な存在なのです。そもそも海賊行為とは、公海又はその上空などいずれの国の管轄権にも服さない場所にある船舶、航空機、人または財産に対して行われる、私有の船舶又は航空機の乗組員又は旅客による、私的目的のために行うすべての不法な暴力行為、抑留又は略奪行為、及びそのような行為を煽動又は故意に助長するすべての行為と国連海洋法条約で規定されています。でも、この条約ができたのは1984年でごく最近のことです。この本で取り上げられている海賊は、16世紀のヨーロッパ、とくにイギリス(本来、この時代ならばイングランドなのですが)の海賊なのです。当然、16世紀には国際法も存在せず、公海と領海の定義すらありませんでした。その時代のイギリスの海賊とはどのような存在だったのでしょうか。まず、16世紀のイギリス、と言いますかイングランドの国際状況を確認してみましょう。この時代、イングランドはヨーロッパの貧しい二流国でした。当時の一流国はスペインやポルトガルでした。また、スペインからの独立運動を行っていたオランダ(ネーデルランド)も海洋進出を開始し、17世紀には世界経済の覇者へと躍り出ます。その様な中、イギリスは羊毛や毛織物といった輸出品しかなく、人口も約400万人を超えるぐらい。スペインは人口1000万人、不倶戴天の天敵、フランスは1600万人、おまけにヘンリー8世がイギリス国教会を作ったため新教国(プロテスタント)になったイギリスは、周囲の旧教国(カトリック)のスペインやフランスと対立していて孤立無援の状況でした。さらに、旧教国のスコットランドの女王メアリーを利用してそれらの旧教国が間接的にイギリス(イングランド)を支配しようと狙っていたのです。このような国際環境化におかれたイギリスは、国家の存亡をかけて富国強兵へと突き進まざる得ませんでした。そして、富国強兵を進めるため手っ取り早く海外進出をする方法として国を挙げて海賊行為をすることにしたのです。つまり、スペインやポルトガルが植民地などから本国へ運ぶ交易品、南米の銀、カリブ海の砂糖、東インドからの香辛料を積んだ船を襲撃して、その商品をロンドンや当時のヨーロッパ経済の中心地、アントワープで売却して利益を得ようとしたのです。こうして16世紀、エリザベス女王の下で、海賊と国家事業とが密接に結びついて、具体的には、海賊シンジケートへの出資(女王本人が大口出資者だった)により、イギリスの財政状態は急改善します。ところが、たまらないのは海賊に襲われるスペインです。こうした海賊行為とスコットランド女王メアリーの処刑などが重なって、スペインとの戦争状態、無敵艦隊との戦闘が代表的ですが、に発展していくのです。ここで活躍するのが、かの有名なフランシス・ドレークです。彼は、海賊の活躍を語る上で不可欠な存在でしょう。彼ら海賊が年間を通して強風の吹き荒れるドーバー海峡やイギリス海峡の特性を捉え、巧みにゲリラ戦法を用いてスペイン無敵艦隊を打ち破ったり、スペイン本国を急襲したりしてスペインに打撃をあたえていきました。ところが海賊として有名なドレークは、西回りで世界周航を成功させるという偉業を成し遂げた冒険者でもありました。また、奴隷貿易に関わっていたり、世界周航中には海賊行為で得た資金で香辛料を買うという交易者としての側面もみせます。この辺りの事は、杉浦昭典著『【送料無料】海賊キャプテン・ドレーク』(講談社、2010年4月)に詳しいので、参考にしてください。16世紀の海賊は、冒険者でもあり交易者であり、そして状況に応じて海賊にもなるという存在でした。彼らは、海賊行為で得た資金を使ってアフリカの奴隷貿易や東インド会社の設立を行い、国家の存亡の時には海軍に協力して戦いました。こうして、大英帝国の基礎が海賊によって作られていく過程を本書は分かりやすく解説しています。また、先にも述べた香辛料やコーヒー、紅茶がイギリスにもたらされることで、貴族、そして市民社会に大きな影響が与えられた経緯も本書では詳細に描かれています。当然、それらの商品の貿易を担っていたのは海賊でした。このように、16世紀のイギリスがいかに一流国家へと発展していったのかを海賊を軸に、その謎を解き明かし世界史の中に位置づけ、歴史的意義を捉えなおすというのが本書の趣旨のようです。世界史を楽しく学びたい、復習したい、という人やイギリス史に関心を持つ人におすすめの1冊だと思います。
2011年02月25日
コメント(0)
今日は、私の学校のマラソン大会でした。生徒と引率&監督の先生方はバスに乗ってマラソンコースのある近くの、と言っても片道50分ある公園まで出かけました。私はといいますと、学校に残って留守番です。遅刻者を図書館で監督するためでしたが、誰も遅刻してこなかったので、のんびりと書架整理と蔵書点検の準備をしていました。幸い、今日は風もなく暖かい陽気だったので、マラソンの監督も楽だったようです。そんなこんなで、今日も、前回の続き、モーリーン・サワ文、ビル・スレイヴィン絵、宮木陽子訳、小谷正子訳『【送料無料】本と図書館の歴史 ラクダの移動図書館から電子書籍まで』(西村書店、2010年12月)の第2章、「破壊と崩壊の暗黒時代」の紹介と解説の後半部分を書いていきたいと思います。 前回、最初の部分でアレクサンドリアでのイスラム教徒の暴挙の言い伝えを紹介しましたが、このお話に歴史家が疑問を持ったのは、イスラム諸国では学問や書物が大切に思われていたからです。預言者ムハンマドも全ての信徒に学問に励み、コーランを覚える手段として写本を薦めたほどです。その結果、キリスト教徒よりイスラム教徒のほうが読み書きが出来るようになったと考えられています。イスラム教徒はコーランを芸術作品としても高く評価していたので、イスラム世界の中心地、バグダッドではカリグラファー(西洋における書家)やイラストレーターが多く集まる場所となり、これらの人々が作った写本は、美しさの点では西ヨーロッパの彩色写の他に並ぶものがないほど素晴らしいものでした。イスラム教徒が最盛期を迎えたときには、スペインからはるか中国国境まで及ぶ大帝国を築きます。そして、イスラム教の布教とともに各地に図書館を作りました。南スペインのコルドバには50万冊もの蔵書を備えた図書館があったといわれています。こうした図書館が移動する場合は、蔵書の輸送だけでも6ヶ月はかかったでしょう。しかし、イスラム世界で最大の図書館は「知恵の館」と呼ばれたバグダッドの図書館です。830年頃に建てられた「知恵の館」は研究センターでもあり、翻訳学校でもありました。ここにはヨーロッパやイスラム諸国、アフリカから学者や研究者が押し寄せました。蔵書の多くはコーランやイスラム教に関するものですが、数学や歴史、医学や哲学などの重要な書物もありました。また館内には、蔵書の保管や分類をする司書、新たに手に入れたギリシャ語やラテン語の書物をアラビア語に翻訳する学者、書き写す写字生、綴じて本にする製本係などがおり、購入する本を探すエージェントまで雇っていました。このような人びとを雇っていたのがカリフ(イスラム国家の指導者)です。カリフは、書き言葉を大切に思っていました。そのため、書物の取引が盛んになり、800年代の終わりには、バグダッドでは書籍商が100人はいました。ここで、話を本の売買へと移したいと思います。前回書いたとおり、当時の本は高価な羊皮紙に修道院の修道士たちが中心となって1冊ずつ書き写していました。当然、本の値段は高価なものとなり、写本は回を重ねるごとに誤字脱字、書き間違いなどがかさなり不正確なものとなっていきました。また、ギリシャ語などからラテン語への翻訳では、当然、翻訳ミスもあったでしょう。このように、同じ内容の本でも全く価値が異なった時代が中世でした。その時代の書物の取引の様子を描いたのが、私も愛読している支倉凍砂さんの『【送料無料】狼と香辛料(14)』(アスキーメディアワークス、2010年2月)です。 簡単にあらすじだけ書きますと、前巻での活躍で銀細工師フランに北の地図を作ってもらえることになったロレンス達は、これでホロとホロの故郷ヨイツまで行けると思ったのも束の間、再訪したレノスの町で禁書にまつわる思惑に翻弄されることになります。どうやらその禁書には、ヨイツを窮地に陥れる技術が記されているらしく・・・、と言った展開です。ここで出てくる禁書とは、教会が所有を禁じている異教の神の教えが記された本や、禁制の技術が記されたりした本などのことを指します。で、その本の内容をロレンスが書籍商のル・ロワから聞き出すと、それは灼熱の砂漠の国の言葉で書かれた鉱山の採掘技術に関するものでした。このような知識を記した本は、時に革命的な状況を生じさせることもあり、極めて高価な値段で取引されるのです。そんな感じで、本を巡る商売の冒険が繰り広げられるのですが、これは本文を読んでみてください。このように、書籍商は場合によっては学者たちより本に関する知識を溜め込んでいた場合があったのです。これも、「暗黒の中世」の側面ですね。一方、バグダッドの他に強力な権力を握っていたのは、東ローマ帝国、ビザンツ帝国です。その首都、コンスタンティノープルはバグダッドと同じ、文化の一大中心地でした。ローマの法規や法則を編纂したユスティニアヌス法典は、500年代に東ローマで作られたもので、ほぼ1000年にわたるローマ法規について取り上げ、説明と解釈がなされたもので、この後、多くの国々の法律の基礎となり、ローマ人が西洋文明に貢献した最高のものの1つと考えられえています。そのコンスタンティノープルは、壮大なアヤ・ソフィア大聖堂が建てられ、帝国図書館など重要な3つの図書館が建設されました。この帝国図書館は4世紀初頭に、古代ローマ帝国ではじめてのキリスト教皇帝、コンスタンティヌス大帝によって作られたものです。1453年にコンスタンティノープルがトルコ軍に占領されるまで1000年以上も存続しました。しかし、歴史の様々な場面で、ドイツ人、スラブ人、ペルシャ人、イスラム教徒、セルビア人に支配され、運命を迎えることになります。図書館が帝国と共に最期を迎えるのは、1200年代に西ヨーロッパからキリスト教の貴族や騎士が第4回十字軍としてコンスタンティノープルに到達したときです。町は侵略され、図書館の本はほとんど捨てられるか、価値のわかるイタリアの商人に売り飛ばされてしまいました。ビザンツ帝国は1435年についに一度だけトルコ人に支配されていますが、既に帝国は弱体化していたので、滅亡はそれほど一大事ではありませんでした。トルコ人たちは、数館しか残っていなかった帝国図書館の蔵書を、十字軍がしたように売り飛ばしてしまったので、その後100年間、ギリシャ語の書物の取引が盛んだったといわれています。一方、そのころイスラム教の大きな図書館も大半が火災や洪水、度重なる宗派対立の犠牲となっていました。それにとどめを刺したのが1258年のモンゴルの襲来です。バグダッドに侵攻したモンゴル軍は、1週間もたたないうちに、全ての図書館を破壊したといわれています。こうした破壊や崩壊もありましたが、東西の交流が促進されたこと、とくに十字軍の侵攻の2世紀の間には、利点がいくつか発生しました。その1つは、十字軍に加わった人びとがビザンツ帝国の領土や聖地に留まっている間に、西ヨーロッパでは失われていた手書きの写本や思想に触れる機会があったこと。そして、最初はバグダッドで、その後はコンスタンティノープルで、書物の取引が行われるようになり、多くの貴重な写本がヨーロッパに戻ってきたことです。今日知られているギリシャ語の書物の75パーセントは、ギリシャ語の原本ではなく、ビザンツ帝国の書物から書き写した、あるいは訳したものだといわれています。こうして、異なる文化圏で書物や思想が行きかうことで、ヨーロッパ人が長らく忘れていた古典の扉が開かれることになったのです。この意味で、ビザンツ帝国の崩壊は、かつての素晴らしい文明の悲しい終わりであり、文化が進展する時代の1つの幕開けでもありました。いわゆる、ルネッサンスの始まりです。こんな感じで、第2章「破壊と崩壊の暗黒時代」は終幕します。次の第3章「印刷機がもたらした黄金時代」についても、後々、長々とした紹介と解説を行いたいと思いますが、今回はこのくらいでこの本の紹介について、一旦終わりにしたいと思います。
2011年02月16日
コメント(0)
昨日は、大変な目にあいました・・・。3時ぐらいから雪が降り始め、終業の5時には車の上は雪で覆いかぶさっているという状態だったのですが、ラジオの交通情報では高速は通行止めになってないし、学校の前の道も雪が積もっていないので、大丈夫だろう、と思って車で帰ったのが運の尽き・・・。雪は途中で止んだのですが、なれない雪で車がのろのろとしか動かない!私の車はスバルのインプレッサで4輪駆動なので多少はノーマルタイヤでも雪道には強いのですが(そのため、スタッドレスを履いたスバルの車は、雪道で調子にのって事故を起こしやすいのですが・・・)、他の車はそうでもないのでおかっなびっくりの運転でスピードが出ず、片道1時間半で帰るところがなんと4時間、夜の9時にようやく我が家にたどり着くという、心身に負担が掛かる結果と相成りました。こんなことなら、宿直員さんもいるのだし、学校に車を置いて、電車で帰れば良かったです。そんな状況だったので、昨日更新する予定だった前回の続き、モーリーン・サワ文、ビル・スレイヴィン絵、宮木陽子訳、小谷正子訳『【送料無料】本と図書館の歴史 ラクダの移動図書館から電子書籍まで』(西村書店、2010年12月)の紹介と解説が書けませんでした。そこで今日、こうして更新となった次第です。前回は、古代ギリシャ・ローマ時代までの図書館の歴史について長々と書いてしまいました。そのため、大半が本文からの引用でちょっと面白くなかったかもしれません。そこで、今回は色々工夫して紹介していきたいと思います。さて、前回が第1章の「古代図書館の誕生」の紹介でした。今回は、第2章の「破壊と崩壊の暗黒時代」となります。前回の最後で「ローマ帝国は不幸にも西暦200年代に衰退し始め、476年に崩壊します。その結果、ヨーロッパでは文明が衰え、ギリシャ・ローマ時代に生まれた学問の多くは失われてしまいます。読み書きする人も少なくなり、学問が軽んじられ、ほかの多くの文化施設同様、図書館も姿を消し始めます。「暗黒時代」の到来です。」と書きました。ではその実態はどのようなものだったのでしょうか。642年、エジプトはイスラム教徒に占領されます。その時、イスラムの新しい統治者に対して、アレクサンドリアの住人が、アレクサンドリアで2番目に大きなセラピウム図書館にある何千もの巻子本についての対応を尋ねたところ、返ってきた返事は「巻子本に書いてあることが『神の経典』(=コーラン)と一致するなら、必要ない。異を唱えるなら望ましくない。よって廃棄せよ」という、とんでもないものでした。その結果、巻子本はアレクサンドリアの何千もの公共浴場の燃料とされてしまったのです。と、いう話は現在ではデマであると歴史家は考えていますが、セラピウム図書館のような図書館の多くがこの時代に破壊されたことは事実です。こうした図書館の数は数百に及んだと考えられています。このように当時、西ヨーロッパ中の図書館が破壊されたり、設備が取り除かれたりしました。なぜ、このような状況になったのでしょうか。その理由はローマ帝国が崩壊し始めたとき、もはや図書館を維持する資金もなければ、利用する人もいなかったからです。ある図書館は、侵攻軍に破壊され、ある図書館は管理を怠ったため使用できなくなりました。さらに強力な新興宗教、キリスト教が勢力を増してきて、そのキリスト教の指導者は、古代ギリシャやローマの異教の文学を保存することに関心がなかったため、図書館を崩壊から救う努力をしませんでした。その代わりに、当時、ヨーロッパ中に出現し始めた教会や修道院に、自分たちの図書館を作り始めたのです。こうした図書館に書物を備えるために、修道士たちは日々、写本づくりに励みました。学問も文化もあまり高く評価されていなかった時代に、こうした修道士たちが書物の消失を守っていたのです。多くの修道士が書き写したのは聖書やその他の宗教書でしたが、中には古代ギリシャ・ローマ時代から伝わる書物を写し取り、後世の人々のために保存した人もいました。このブログでも紹介したことのある『修道女フィデルマ』シリーズの中でもピーター・トレメインの『【送料無料】修道女フィデルマの叡智』(東京創元社、2009年6月)の中の章「ホロフェネスの幕舎」では、修道院から借り出されたオリゲネス(2~3世紀のアレキサンドリアの神学者でキリスト教神学校の校長)が書いた『ヘクサプラ』(『旧約聖書』のヘブライ語の本文と、それをギリシャ文字で音訳したもの。その他、4種類のギリシャ語の翻訳、部分によっては6・7種、を対照させて6欄に並べて記した六欄対照版の大著)が事件の展開の中で重要な役割を果たしています。この本は、フィデルマが活躍する時代の3百年前に書かれたものです。なお、この時代のアイルランドでは、書籍は本棚に並べるのではなく、1冊、あるいは数冊ずつ皮製の専用鞄に収めて壁の木釘に吊り下げるという収蔵法をとっていたそうです。興味深いですね。こうして、修道士たちが手で書き写した巻子本は、とても貴重なものでした(その後、現在私たちが使用している形態の「本」が写字生によって開発されます。これにより、木製の表紙により羊皮紙が擦り切れなくなり、羊皮紙の両面に文字が記入でき、ページをめくるだけで探したい項目を見つけることができるようになりました)。そこで、いわゆる彩色写本(どんなものかはフランソワ・イシェ著、蔵持不三也訳 『【送料無料】絵解き中世のヨーロッパ』(原書房、2003年12月)をみてください)が有名になるのは、鮮やかな絵の具や金箔を用いて、手作業で念入りに色づけされているだけではありません。1つの作品を作るのに、気が遠くなるほどの時間がかかり、さらに、材料の羊皮紙も高価で、1冊の本を作るのに何十頭もの動物、子牛や子ヤギの皮が必要だったのです。ところが、修道士たちは色付けには細心の注意を払っても、肝心の文字を書き写すことにはそれほど熱心とは限りませんでした。作業に厭きるからなのか、知識がないのからか、いずれにせよ写本がいい加減だったり、間違いだらけといった事が度々ありました。これは、修道士たちがおかれていた環境、暗く(部屋が明るいと貴重な書物が損なわれるため)寒くてじめじめした部屋で1日6時間も7時間も働かなくてはならなかったのです。このような状況下では、修道士の多少の不注意は許されることでしょう。ところで、修道院の写字室はどこも、主に自分の所で所蔵する書物を作っていました。また、他の図書館や修道院から書物を借りてきては、それを書き写し、蔵書に加えました。今日の相互貸借の初期の形です。また、必要な書物を得るために、修道士がはるか遠く、例えば、イングランドの修道院長が書物を探してローマに旅する、ということが日常的に行われていました。そして、修道士たちの多くは様々な書体で書き写すようになります。今日のほんの装丁者が何千もの異なる書体から、それぞれの本に合った書体を選ぶように、修道士も書物によって特定の書体を使うようになったのです。また、読みやすくするため、単語の最初の文字以外は小文字にしたり、スペースを入れたり、セミコロンやピリオドなどの句読点を使用するようになります。これ以前は、句読点なしで書物は大文字で書かれていたそうです。こうして西ヨーロッパでは、修道院が集めた写本のおかげで、多くの重要な作品が守られました。その一方、西ヨーロッパが原始的な社会へと逆行していた頃、ビザンツ帝国やアラブ諸国、中国では素晴らしい絵画や壮大な建造物、重要な文学作品が作られていたのです。という感じで、第2章の「破壊と崩壊の暗黒時代」の前半部分、ヨーロッパの状況を紹介してみました。それにしても、現在のわれわれの感覚からすると、写本の内容が誤字脱字だらけというのは考えられないことですよね。今の我々はコピー機やスキャナーがあって本当に良かったですね。そんなわけで、次回は後半部分の西ヨーロッパ以外の地域について紹介していきたいと思います。
2011年02月15日
コメント(0)
寒さも和らいだらと思ったら、また寒くなるようですね。やれやれです、。ところで、私の勤めている高校の学校図書館では今、3年生の担任や3年生の教科を主に持っていた先生方が、本を借りにやって来ます。その理由は、3年生が自宅学習に入り、成績入力や卒業に関する諸作業にひと段落ついて、暇ができたからです。そこで、忙しくて本が読めなかったこれまでの分を取り戻すかのように、本を借りて読んでいます。東野圭吾や宮部みゆきなどが人気作で、よく借りていかれますね。ところが、生徒の貸出は、前回書いたように伸び悩んでいるのが現状。今年度は、年度当初に些か飛ばしすぎて、この時期になって図書館の活動に少々息切れ、或いはマンネリ化が出てきたのではないかと愚考しています。と言っても、ネタは出し切ったし・・・。来年度は、もっと緩急をつけた図書館活動の計画を練らねばならないと、年間反省を書きながら思った次第です。さて、そんな反省を踏まえて来年度の新入生、図書館オリエンテーションで活用しようと購入したのが、モーリーン・サワ文、ビル・スレイヴィン絵、宮木陽子訳、小谷正子訳『【送料無料】本と図書館の歴史 ラクダの移動図書館から電子書籍まで』(西村書店、2010年12月)です。では、この『【送料無料】本と図書館の歴史 ラクダの移動図書館から電子書籍まで』の内容紹介と解説に入っていきましょう。まず、この本の作者のモーリン・サワさんなのですが、この人、図書館司書なのです。カナダ・ハミルトン公共図書館の公共サービス、および地域振興担当責任者で、カナダ児童書司書協会会長という立派な経歴をお持ちの司書さんなのです。そんな方が書いた、本と図書館の歴史とは一体どのようなものなのか、読む前から興味深々で表紙めくりました。さて、この本なのですが、大きく分けて5つのパートに分かれます。第1章が「古代図書館の誕生」、第2章が「破壊と崩壊の暗黒時代」、第3章が「印刷機がもたらした黄金時代」、第4章「新大陸へ」、そして第5章、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」となっています。そして、最後に「インターネットで調べてみよう」という、インターネットで家にいながら世界中の図書館のことを調べられることができるので、その中から優れた図書館、大英図書館やアメリカ議会図書館、日本の国立国会図書館などのサイトを紹介した部分に分かれています。それでは、第1章から紹介&解説を進めていきましょう。第1章の「古代図書館の誕生」では、かの有名な古代エジプトのアレクサンドリア図書館が取り上げられています。アレクサンドリア図書館が最も古い図書館ではないのですが、まぁ、皆さん承知の通り最も有名な古代の図書館であることは疑いないところでしょう。この図書館に、エジプトの支配者たちは、本、今の本とは違って巻子本(かんすほん、つまり巻物)をアテネ等の重要都市から借りてきては、写字生に書き写させ、図書館に所蔵しました。また、アレクサンドリアに寄港する船を拘束・臨検し、巻子本があると押収して書き写すという事までしました。そして、その書き写した間違いだらけの写本を持ち主に返却して、原本はしっかり図書館に収蔵するということまでして蔵書を増やし、その数はやがて40万冊にもなりました。こうして、当時の知られた本を収蔵することができたアレキサンドリア図書館は、様々な学者や研究者が利用することになり、その結果、優れた研究成果が生み出されていくこととなります。勿論、古代にもアレクサンドリアだけではなく、他にも図書館はありました。紀元前1700年には、ハンムラビ王がボルッシパ図書館を作っています。この図書館に所蔵されていたのは、粘土や石の書字版で、その中で、最も有名なのが「ハンムラビ法典」です。これらは、もろいパピルス紙ではなく石版に刻まれていたため何世紀も記録が残されてきました。また、古代ギリシャにはアリストテレスの図書館がありました。これは、ギリシャ世界で最も知られた初期の図書館です。この図書館では、学生が誰でも手軽に利用できるように、アリストテレス哲学学校の中にあったと考えられています。そして、アリストテレスの死後も、長期間、その規模や重要性が書き記されるほど大きな図書館でした。また、アリストテレスはエジプトの王たちに、書物を集めて分類する方法を教えました。当時の巻子本は、今日の本と違って書名や著者名を記す背表紙がありませんでした。そこで、アリストテレスはなんらかの巻子本を系統立てて分類する方法を考案したのです。その内容は、現在に伝わっていませんが。このようにして発展してきた図書館は、ローマ時代にも受け継がれます。ローマ時代初期の図書館は、アリストテレスの図書館のように個人の蔵書によるものです。作家や哲学者、知識人は大抵が多くの書物を所蔵していました。個人の蔵書はステイタス・シンボルだったので、友人や同僚には自由に利用させました。しかし、このような図書館に関しては、戦争や天災によって図書館そのものが消失したため、当時の記述などの間接的情報でしか知ることは出来ません。ところが、考古学というのは素晴らしいもので、なんと当時の図書館が発掘されたのです。これはかの有名なユリウス・カエサルの義父、ルキウス・カルプルニウス・ピソという人物が所有していたものです。ピソは、ヘルクラネウムという町に住んでいたのですが、彼の死後、西暦79年にベスビオ火山の噴火によってピソの住んでいた大邸宅もろとも図書館が深さ30mの泥や溶岩の下に埋没してしまいます。ところが、そのおかげで自然災害や風化から守られ、1700年の半ばになって発見されます。そこからは、様々な遺物ともに木製の書棚と本箱が発見され、その中に何とパピルス紙の巻子本が1800冊もあったのです。現在、これらの巻子本の多くはナポリの国立考古学研究所に展示され、とくに傷みの激しいもの、中には完全に炭化して判読不明なものもあるそうですが、について、研究者がデジタル映像技術を用いて判読しようとしているそうです。このピソの図書館は個人の所有でしたが、義理の息子のカエサルは図書館をより多くの人に利用してもらいたいと考え、暗殺される紀元前44年の少し前に、大きな図書館を2館作り、一般に公開する計画を発表します。1つはギリシャ語の、もう1つはラテン語の書物を所蔵するためでした。この計画は、カエサルの死後に一旦中断しますが、紀元前39年には、ローマで最初の公共図書館が誕生します。この図書館の驚くべきことは、今日の我々が利用する公共図書館と同様に、専門書よりも文学書が主な蔵書だったという点です。読書は、ローマ市民がゆったりとくつろいで、時間をつぶすためのものでした。ローマの公共図書館の多くが都市の公共浴場に設置されていることからもそれが窺えます。当時の公共浴場は現在のコミュニティセンターのような場所で、運動室やゲーム室、ミニコンサート室など、市民のストレスを解消するのに必要なものが何でもそろっていたのです。このように、カエサルの時代に始まった、庶民に図書館を利用させるという発想は、これまでにない新しいものでした。古代世界で、知識の探求がいかに大切に思われていたのかを示すものでしょう。しかし、ローマ帝国は不幸にも西暦200年代に衰退し始め、476年に崩壊します。その結果、ヨーロッパでは文明が衰え、ギリシャ・ローマ時代に生まれた学問の多くは失われてしまいます。読み書きする人も少なくなり、学問が軽んじられ、ほかの多くの文化施設同様、図書館も姿を消し始めます。「暗黒時代」の到来です。このような感じで、各章ごとに詳しく本と図書館の歴史がわかりやすく解説されたこの本は、「図書館は何ぞや」という質問に答えるのに最適な本だと思います。とくに挿絵がすべてカラーで見やすく、本文のほかに記憶媒体である紙や本、活版印刷などの豆知識が紹介されているところも魅力です。という感じで、今日は第1章の紹介をしてみましたが、どうにもまだ、この本を紹介したいという欲求が収まらないので、次もこの本について書いていきたいと思います。
2011年02月10日
コメント(0)
2月に入って、寒さが少し和らいだように感じます。しかし、朝の寒さは相変わらずで、露天に駐車している私の愛車のインプレッサちゃんのフロントガラスには霜がびっしりと凍り付いているので、毎朝、ぬるま湯をかけるというひと手間をしてから学校へと出勤しています。そして、学校へ着けば一桁の気温の司書室が待っているので、ガスストーブに火をいれ、ポットのお湯を交換してから湯を沸かすという作業を、外套を羽織ったまま行わなければなりません。そんな日々が続いているのですが、2月に入って3年生は自宅学習になって、図書館は少し寂しくなりました。まぁ、自宅学習と言っても進路の決まっている生徒は生徒指導部の許可を受けて来る学生生活のためにバイトに精を出している子が多いのですが。しかし、直近の問題は、1・2年生しかいなくなった学校でいかにして貸出を増やすかという事です。とりあえず、ポスターを各教室に掲示して、リクエスト本を残った予算と格闘しながら発注して、さらに図書委員を奮起させてなんとか貸出を増やそうと努力している今日この頃です。このように仕事に励んでいる合間に読んだ本が、ランドール・ササキ著『【送料無料】沈没船が教える世界史』(メディアファクトリー、2010年12月)です。この本の著者、ランドール・ササキ先生は、水中考古学者です。水中考古学、というと耳慣れない人がいるかもしれませんが、ようするに、難破船や海底に沈んだ財宝、さらに海底に沈んだまま長期間経ったと考えられる都市の遺跡などを調査する学問のことです。この学問は、本当につい最近になってから活動が開始された学術分野です。そもそも、1940年代にスキューバ(自給式水中呼吸装置)が発明されるまで、深海の難破船はほとんど手つかずの状態でした。それまで海中の遺物は、地中海のトルコやギリシャで海綿(スポンジ)を採取していたスポンジダイバーたちが、海底に沈んだゴミとして、陶器などは自分たちで使用し、青銅などの金属品は溶かして再利用するなどしてました。ところが、1900年にギリシャのアンティキティラ島の近海で、ほぼ等身大のダビデ像を思わせるような青銅製の人物像が発見されてから、水中考古学の歴史が動き始めます。この紀元前60~70年ごろに作られたと推定された青銅像の発見に興味を抱いた考古学者たちは、スポンジダイバーを雇って周辺の海域を捜索します。その結果、青銅像を乗せていた沈没船が海底に存在する可能性が高いと判断した考古学者は、初めてダイバーを使った沈没船の発掘に踏み切ったのです。そして、スポンジダイバーたちは沈没船を発見、様々な遺物を持ち帰ります。その中には古代ギリシャの重要な遺物が含まれていたのですが、その内容は本書を読んでみてください。しかし、このアンティキティラ沈没船からは多種多様な遺物が発見されましたが、沈没船の大きさや乗組員、どこから来たの船なのかといったことなどは解明されませんでした。この理由は、考古学者が船の上から指示を出して、スポンジダイバーたちに異物を回収させ、彼らの話からおおまかな回収位置を記録しただけの調査にすぎなかったのです。このため、この世界初の沈没船の発掘では、世界に例を見ない遺物の発見と、当時未知の世界であった「海底に眠る遺跡の発掘」という偉業を成し遂げたのですが、発掘を担ったダイバーたちが近海域で見つけたローマ時代の鉛の錨を溶かして、ダイビング・ウェイトに使っていた、といった考古学上の無知から来る弊害も明らかになりました。考古学とは、遺物の出土状況や出土位置を正確に記録して、そこから昔の生活や様子を再構築する学問です。発掘の対象が水中にあってもそれは同じで、遺物が船のどの位置から発見されたか、またどのような状態で発見されたかによって遺跡の解釈は異なってきます。その意味で、アンテキィティラ島の発掘は遺物にしか価値を見出さず、沈没船に残る歴史を読み解くことができなかったと言う点で、水中考古学の黎明期にあったと言えるでしょう。ところが、先に述べたスキューバ・ダイビングが1950年代に一般に広まると、世界各地で沈没船が発見されるようになります。しかしそれは、心無いダイバーたちの手によって沈没船が荒らされ、遺物がブラックマーケットに売られるという状況を引き起こします。そこで、考古学者が自ら海に潜り調査をすれば良い、という考えが生まれ、筆者の恩師でもある米国テキサスT&M大学のジョージ・バス博士が実行に移します。彼は、「水中考古学の父」と呼ばれ、沈没船の発掘と調査の学問を打ち立て、世界で初めて水中考古学専門のプログラムを前述のテキサスT&M大学に設立した人物です。スポンジ漁が低迷した1950年代後半、アメリカ人ジャーナリストのピーター・スロックモートンはスポンジダイバーたちのドキュメンタリー映画を撮影するために、トルコ南部を訪れ、ダイバーたちにインタビューを行いました。その際、彼らの貧しい家で見かけた古代ギリシャ・ローマ時代の遺物がどこで手に入れたかを、彼は調査し始めます。幸い、経験豊かなスキューバ・ダイバーであったスロックモートンは、スポンジダイバーと共に海に潜り、多くの沈没船の位置を特定、それぞれの簡単な記録を残します。そして、これらの沈没船に考古学調査が行われていないことに疑問を持った彼は、本格的な考古学調査を行おうと、考古学者のパートナーを探します。そこで紹介されたのが、アメリカでの考古学の権威であるペンシルバニア大学で青銅器時代の交易を研究していた26歳の大学院生、ジョージ・バスだったのです。彼は、なぜ考古学者たちが自ら水中に潜って調査を行わないのかを疑問に思い、水中でも陸上の遺跡と同様に同じレベルでの発掘ができると信じて、調査に赴くことを決めます。こうしてバスは「考古学者が全ての作業を水中で行うこと」に重点を置き、1960年にトルコ西南部で青銅器時代のものと推測される沈没船の調査を始めるのですが、ここから先は本書を読んでみてください。このように、本書は水中考古学の入門書ですが、本書のタイトルが表している通り、世界史の理解を深めるのにも最適の一冊だと思います。バス博士が手がけた水中考古学の出発点となるケープ・ゲラドニャの沈没船、胡椒を大量に積んだポルトガルのペッパーレック、スペインのサン・ディエゴ号、オランダのバタヴィア号、イギリスのメリー・ローズ号、海賊の町ポートロイヤル、鷹島・ベトナムのモンゴル艦隊・・・、その他多くの沈没船が本書で取り上げられてますが、沈没船が語りかける物語は歴史をありありとよみがえらせてくれます。沈没船をみていくことで、これほど時代の流れがよく分かるとは驚きでした。水中考古学の世界を一般の方にわかりやすく紹介することを目指した、と著者も書いていますがそのとおりで、本書は非常に読みやすいです。そして、内容も濃いです。沈没船の発掘成果が最新のものも含め、これでもかというほどふんだんに盛り込まれているのですから。さらに、水中考古学の「いろは」となる沈没船発掘マニュアルも簡潔にまとめられていて、近年問題となっている水中文化遺産としての側面にもきちんと触れられています。水中考古学の入門書として申し分のない1冊であり、歴史好きの方はもちろんのこと、現役の高校生にもぜひお勧めしたい1冊だと感じました。本書を読んで沈没船、水中考古学の魅力に惹かれないものはいないだろうな、と思いました。
2011年02月03日
コメント(0)
相変わらず寒い日々が続いていますが、だんだんと寒さに身体が慣れてきたように感じる今日この頃です。今日も、学校の周辺ではうっすらと積雪が・・・。先週月曜日の雪がまだ日陰では解けてないというのに。今年の冬は、去年の夏が暑かった反動で寒くなる、と言われていましたが、まさかここまで冷え込むとは。想像できませんでしたね。さて、我が学校では3年生の最終考査が行われています。私の勤める高校では、大体ですが5分の3程度の生徒は指定校推薦や、AO入試などですでに進路が決まっていて、センターや私立受験をする生徒は比較的少数です。でも、そんな生徒が夕方まで図書室で勉強しているので、図書室での作業は午前中に済ませて、午後からは勉強の邪魔をしなように司書室での業務をこなしているという日々です。そんな今日は、3年生が2月から自宅学習に入るので、最後の督促状を印刷しました。所謂、最終通告書です。これに応じて本を返さなければ、自宅へ電話をかけるぞ!という脅し文句入りの督促状です。まぁ、自宅学習になるので、生徒の自宅に電話をかけるしか、督促のしようがないのが実情なのですが。そんなこんなで、細かい仕事を片付けている中でちょっと嬉しいことがあったので、今日のブログに書いておきます。学校司書の仕事の1つに、新聞のチェックがあります。これは、読者投稿欄に生徒の投稿記事が載ってないかや、大学進学や高校生の就職に関する情報、学校に関する記事が掲載されてないかを確認して、もし記事があれば翌日それをコピーしてそれぞれのスクラップブックに保存するというのがあります。当日しないのは、著作権法の規定があるのと、新聞を切り抜かないのは、新聞は半年間、完全な形で保存するという図書館の規定があるためです。そんな記事を昨日もチェックしていたのですが、そうしたら中日新聞の文化の欄に、私が敬愛してやまない森薫さんの『【送料無料】乙嫁語り(1)』(エンターブレイン、2009年10月)の記事があるではありませんか!内容は、「週刊 読書かいわい」という書評欄で、「マンガ」という内容で「先物買いでこの2本」という題にて、作家の辻真先さんが書いていました。 内容はと言いますと、私も購入した『【送料無料】このマンガがすごい!(2011)』(宝島社、2010年12月)の紹介で、最初にオトコ編のベスト1が諫山創さんの『【送料無料】進撃の巨人(1)』(講談社、2010年3月)で第2位がヤマザキマリさんの『【送料無料】テルマエ・ロマエ(1)』(エンターブレイン、2009年11月)であること。そして、諫山さんとヤマザキさんの作品の紹介があり、この2作品が「まずまず定評のある去年からの代表作(後略)」と言っているのに対して、「ぼく個人は少々先物買いながら」と断ってから、平野耕太さんの『【送料無料】ドリフターズ(1)』(少年画報社、2010年7月)とあの『【送料無料】乙嫁語り(1)』の名前を出しているではありませんか!平野さんの作品はここでは横に置いておいて(いや、内容は面白いのですよ、これも)、今日は森さんの話に集中します。辻さんは、平野さんと森さんの作品が「二十巻、三十巻が普通になったコミック界では、まだ駆け出しのタイトルにすぎない」、「それでも安心してこれからの展開を期待できるのは、(中略)「『【送料無料】乙嫁語り(1)』が『【送料無料】エマ(1)』で英国ヴィクトリア朝の時代を豊饒に描いた森薫の作品だからだ」と賞しています。そして「『【送料無料】乙嫁語り(1)』はその点で地に足が着いた物語なのだが、舞台というのが十九世紀中央アジアのコーカサス地方。その集落のひとつに二十歳の娘が十二歳の少年のもとへ嫁いできたのだから、風景といい生活習慣といい未知の場面が続出する。」と作品の特色を端的に紹介しています。さらに「それを作者は誠実に緻密に、だが余裕をもって描写してゆく」と大きな賛辞を書いています。私も『【送料無料】乙嫁語り(1)』に関してサラリと述べるなら、力強い絵の表現と民族衣装の華麗さが緻密に表現されており、コミックというより画集のように感じるこの作品です。また、知らない人のために内容を紹介すると中央ユーラシアに暮らす、遊牧民と定住民の昼と夜の生活。美貌の娘・アミル(20歳)が嫁いだ相手は、若干12歳の少年・カルルク。遊牧民と定住民、8歳の年の差を越えて、ふたりは結ばれるのか......? 『【送料無料】エマ(1)』で19世紀末の英国を活写した森薫の最新作はシルクロードの生活文化。馬の背に乗り弓を構え、悠久の大地に生きるキャラクターたちの物語! 、という感じです。物語が導入から絵が綺麗なので民族系が好きでさくっと読みたい方にはお勧めできるかと私は思っています。『【送料無料】乙嫁語り(1)』に関しては、書き出したら止まらないのでこの辺でセーブしておきますが、ともかく、大手地方新聞(中日新聞・東京新聞)に書評が紹介されていて本当に嬉しかった!という感情を表現したくて、今日のブログを更新しました。あ~、ホント嬉しいな~。図書室にもあるからミニコーナー作って、また宣伝しましょ。
2011年01月27日
コメント(0)
寒い日々が続いていますが、皆様の体調は如何でしょうか?空気も乾燥しているので、インフルエンザも心配ですね。私の勤める高校でもインフルエンザによる出席停止者が出てまいりまして、保健部から注意するよう生徒に指示が出ています。そんな状況なのですが、実は図書館というところはウィルスにとっては住み心地が良い環境なのですよね。ご存知のように本は湿気を嫌いますし、とくに我が学校の図書館は北向きでクーラーの暖房を入れても室温が20度手前しか上がらない寒い部屋ですので、空気の入れ替えなんてできません。それでも一応、冬場は観葉植物を置くなどしていますが、気休め程度しかならないのでしょうね。3学期は授業数の関係で調べ学習が多くて、図書館に40人程度の生徒がやって来て、時間当たりの人口密度が高くなるので、風邪などの危険性がますます増すのですが・・・。仕方ないですね。そんな、冬特有の問題を考えながら今日も仕事の合間に読んでいたのは、日曜日に名古屋の三省堂高島屋店で購入した本の中の1冊、菊池良生著『【送料無料】警察の誕生』(集英社、2010年12月)です。ご存知でない方がいるかもしれないので、ちょっと書いておきますが、私は大学・大学院時代に主に旧帝国海軍を中心とした政治史と軍事史を専攻していました。その関係で、軍事・海上保安・警察関係の方面に今でも興味・関心があります。勿論メインは、海軍・海上保安ですが、その周縁部にも常に学術情報の収集を続けている次第であります。そんな理由で購入した『【送料無料】警察の誕生』ですが、中身の内容はといいますと以下のようになります。まず、序章が「江戸の「警察」組織」、次の第1章が「古代ローマ「警察」制度」、第2章が「中世の「警察」制度」、第3章が「中世の都市の発展」、第4章が「嫌われるウィーン市警備隊」、第5章が「パリ「警察」の成立」、第6章が「警察大改革前のイギリス旧警察」、第7章が意味深な章名「「ありがたき」警察」で、最終章が「近代警察の誕生」で終わっています。この本の作者の菊池先生は、明治大学の理工学部教授で、専攻はオーストリア文学だそうです。ですので、近代警察の発祥の地、イギリスや日本が近代警察の導入の見本としたフランスと並んでオーストリア・ハプスブルグ帝国の警察制度が紹介されているようです。さて、本文の紹介&解説&私見を書いていきましょう。 序章から第4章までは私の関心外なのと文章の長さの関係で省略して、第5章をちょっと紹介してみます。第5章「パリの~」では、フランスでの警察組織の成り立ちが紹介されています。16世紀半ば、パリでは「王の夜回り」と呼ばれた国王から給金を貰っていた小規模な職業的な巡回パトロールと、中世以来の市壁防衛の街区システム以来の伝統である「同業者組合の夜回り」がありました。それにプラスして臨時の制度として後に「ブルジョアの夜回り」が発動されます。この法的に市民権を持つブルジョア=市民からなる夜回りは、自警組織として街区の自治の象徴でした。それゆえに、無給で武器も自弁で「同業者の夜回り」も同様に商人や手工業者の自治活動の一環であり、手弁当の組織でした。ですので当然、都市の拡張と共に市民や商工業者の間でこうした自弁の夜回りを嫌う傾向が出てきて、それは、地位の高い連中に特に顕著になってきました。そのような連中は金で自分の代理を送り込み、これが夜回り要員の傭兵化となり、治安の悪化に繋がっていきます。そこに目を付けたのが国王です。古都パリの自治権を奪うチャンス到来とばかりに、「同業者の夜回り」を廃止して市民や商工業者の義務を金納化させて「王の夜回り」に一本化して、強化しようとしたのです。これに対して、パリ市は猛然と反対するも、市民の自衛の意識の希薄化と夜回りへの拒否感によって「同業者の夜回り」は廃止されてしまいます。これが、1559年のことです。さぁ、ココから一気に中央集権化、といきたかったのでしょうが、時代は三十年戦争、宰相リシュリューとルイ13世の死、さらに幼少のルイ14世の即位とルイ13世時代の中央集権的国家再編への反動であるフロイドの乱と激動の時代が続き、警察権の掌握どころではありませんでした。ようやく、ルイ14世が宰相マゼランの死後、親政を開始して、絶対王政確立への道を突き進むことになるのです。それが、1666年にパリで開かれた警察改革諮問会議であり、その最初の成果が同年12月に発布されたパリ市の警察条例でした。この条例は、パリ市の危機的状況、人口の異常な増加と、それによる治安の悪化、さらにペストの脅威が加わって(街の清潔さを強権で確保するには警察権力の確立が必要だったため)、作られたものです。これは、これまで高等法院のイニシアチブにより、街区から選ばれた名望家や上層階級が広く参加して治安と警察問題を議論していたことへの介入でした。そして、パリの街区にいた村の駐在さんみたいに市民に近かった治安維持官、警視を核にして街区住民の自治に近い形で維持されていた治安は、市民が参加できなくなって、国王直接の管轄事項になってしまったのです。さらに国王側は、警察条例の発布後に間髪要れずにパリ市の自治権への介入を行います。警察長官職の新設です。これは、中世以来の自治都市パリの既存の伝統や特権をいっぺんに覆すクーデターでした。国王側は、中世以来、パリの様々な身分・官職・諸団体がそれぞれ分有していた諸権利を「王権」のもとに一元化するために警察長官に強大な権限、犯罪防止・摘発のみならず言論統制、経済活動の監視・保護、さらには、都市計画、保健衛生などの都市行政全般にわたる広範囲な権限を与えたのです。こうして、警察が都市行政全般を管轄する方式は、その後のヨーロッパ大陸の警察制度の雛形になります。そして、この警察長官に稀代の財政家で政治家であるコルベールが任命した逸材が就任して、フランス絶対主義は確立していくのです。このように、「警察」について考えるということは、すなわち「自由」について考えることなのだと感じます。この本の中で他国、オーストリアやイギリスなど各国の警察の歴史を追う中で最も印象的だったのは、「民衆が勝ち取った自治は、多くの場合、民衆自身の手によって投げ出される運命にある」ということです。警察のない自由を追い求めていくと、必ず不自由に陥るという、不思議なパラドックスがそこには成立していることに本書を読んでいると気づかされます。規制とは、自由にとって必要悪な存在なのであることがよくわかった一冊でした。
2011年01月25日
コメント(0)
寒いですね~。今週の月曜日などは学校周辺で20cmもの降雪がありまして、普通のタイヤしかない私の車ではとてもじゃないですが出勤できないので、電車で学校近くまで行ったのですが、駅から学校まで行くスクールバスが出ない、というか山の上にある学校に行くまでの坂をバスが登れないとのことで、運休。仕方がないので20分かけて山道を雪を掻き分けて学校まで行ったら、職員の3分の1しか出てきていない状況。仕方ないので、1時間目は自習として、遅れてきた先生方が集まった2時間目から授業を始めたのですが、登校してきている生徒が各クラスこれまた2分の1程度。昼までこの状況だったら昼から休校だ、と言っていたら4時間目が終わって点呼したら各クラス3分の2ほどの出席状況だったので、結局そのまま短縮で6時間目まで授業を行ってクラブなしで放課となった次第です。我が高校には道が2つありまして、一つは南から、もう一つは北から来る道なのですが、北から来る道を通るバスは、山道に入る直前で生徒を降ろしたので、生徒たちは文句たらたら、これまた20分くらいかけて凍った雪道を登ってきたそうです。そんな雪で大騒動だった今週ですが、金曜日にもなると落ち着きも取り戻し、雪で生徒が来ない月曜日に仕事を粗方片付けたので、今日は比較的楽な1日でした。そんな日に、ふと書架から取り出して読んだ本が堀川アサコ著『【送料無料】たましくる イタコ千歳のあやかし事件帳』(新潮社、2009年10月です。この本の主人公は、2人の女性です。1人は本の表紙にも「イタコ」の千歳。もう1人が千歳と一緒に暮らすことになった幸代。この2人を主人公に物語りは進んでいきます。この本はミステリーな短編が4つ、時系列順にそれぞれが絡み合って最終話で一旦完結、というストリーになっています。では、この本の第1話の始まりはと言いますと、昭和6年(1931年)2月の節分、生まれて初めて東京を出た幸代は、片手に旅行鞄、片手に幼い姪の安子の手を引いて汽車で16時間かけて青森駅に降り立ちます。旅の目的地は青森県弘前。旅の目的は、幼い姪の安子を実の父親と見知らぬ親類に預けるためでした。安子の母親で幸代の双子の姉である雪子が、借家の2階で一緒に暮らしていた男を刺し殺し、その血を使って流行歌の一節「知ってしまえば/それまでよ/知らないうちが/花なのよ」と襖に遺書めいた文句を書き殴って、自ら首を吊ったためでした。警察は、女が男の不実を恨んだ無理心中であると結論、幸子はそれに疑惑を抱きながら、姉が以前に心中を図った相手である安子の父親、大柳新志の実家へと体面を重んじる新志の母親の意向で安子を預けに向かっていたのです。その青森から弘前への汽車の車中で、幸代は1人の「イタコ」に出会います。「イタコ」とは皆さんご存知の通り、東北の死者と話す盲目の巫女のことです。その「イタコ」が弘前の名門の旧家、大柳家で再び会うことになる安子の父親の妹、つまり叔母の千歳だったのです。その後、大柳家に安子を預けた幸代は千歳との間で姉、雪子について話をします。そこで千歳は幸代に「姉さんの声は、もう聞いたでしょう」と告げます。そして、幸代はその言葉について考え、ある重要なことに気がつくのです。結論を言ってしまえば、雪子は殺人を犯しておらず、事件は無理心中ではなく第三者による殺人事件だったのですが、この顛末は、本書を読んでみてください。そして、幸代は千歳の誘いを受ける形で東京から弘前へと移り住み、千歳と姪の安子の3人で暮らすことになるのです。が、そこからまた事件が色々起こって、という感じでお話は進んでいきます。この本を読んでちょっと印象に残った部分を紹介してみましょう。千歳が「イタコ」に関して語る部分です。「巫女(イタコ)になるのは、もっと現実的で切実な問題ですよ。見えなくても、働かないと食べてゆけないとでしょ。私らには百姓仕事も職業婦人(オフィスガール)するのも無理だもんね。(後略)」どうでしょうか?ちょっと現代を生きる我々にとっても耳が痛い話題ではないでしょうか。障害者の自立は不況下の現在、大変厳しいものがあります。この問題は、今も昔も変わらない、日本の障害者に対する自立の問題を考えさせられるものではないでしょうか。そんな感じで、この本の全4話の構成は、それぞれに異なるミステリーが出てきますが、設定がしっかり完成されているので、作品の世界が潰れないまま、独自の世界観で謎解きされてゆくのか、とにもかくにも面白いです。雪に閉ざされた青森弘前のイメージと、「イタコ」の千歳に幸代に、泣くとき声を出さない姪の安子の3人が物静かに暮らす舞台設定に、物騒な殺人事件が挿入される構成と、なんとも魅力的な登場人物たちがおりなす哀愁やら郷愁やらを感じる作品です。最後に個人的感想を端的に述べれば、後味の良い好感の持てる作品だった、という感じでしょうか。続巻が出ています。『【送料無料】魔所』(新潮社、2010年8月)
2011年01月21日
コメント(0)
はい、学校の方では3学期が始まって殺気立っています。なぜって?それはもちろん登校2日目の11日の月曜日には1・2年生は実力テストだし、3年生は今度の土日はセンター試験。ということで、1・2年生受け持ちの先生方は採点で、3年生の担当の先生方はセンター対策で目の色が変わっている状態です。ちなみに、司書室の図書主任は1年生と3年生の英語が担当、もう1人の係り教諭は1年生の数学担当なので、実力テストの採点と得点の入力で大わらわ。おまけに通常授業をこなしながらですからもう大変。それを横目に私はのんびり通常の業務、図書館便りを作り、新刊案内のポスターを作り、本の登録・装備を行うということをして、なるべく先生方を刺激しないようにしている日々です。そんな日々の中で今日紹介するのは、昨年の年末に三省堂名古屋高島屋店で軍事と航空機のコーナーに平置きで売っていた漫画です。作者は松田未来さんで、題名は『【送料無料】天空少女騎士団(1)』(イカロス出版、2010年12月)です。本の帯には『戦乱の欧州・・・銀翼を駆って祖国の空を護る姫君がいた」と大文字で紹介がありまして、その下に小文字で「美少女たちが駆る個性豊かな戦闘機、そして圧倒的迫力の空戦シーンで航空ファンから高い支持を受けた空戦コミック、描き下ろしを多数加えて単行本化!」とありました。その宣伝と、イカロス出版が出す本にはハズレが少ないことを考慮して購入してみた次第です。 で、その内容なのですが、これは今後にかなり期待してよいと思われる内容でした。まず出てくる戦闘機の機種が本の帯の謳い文句の通り個性豊かで国際的です。主人公の王女様の乗機が液冷エンジンで低翼単葉固定脚の川崎キ28。この戦闘機は、後の九七式戦闘機となるキ27の競争機として、川崎航空機の土井武夫技師が設計した戦闘機です。土井技師は後に三式戦飛燕を設計し、戦後はYS-11の設計にも関わった名技師です。ついで、フィンランドとソ連邦との冬戦争でフィンランド空軍の主力として活躍した低翼単葉固定脚のフォッカーD21。ファシスト・イタリア空軍の主力複葉固定脚戦闘機、フィアットCR32。低翼単葉引込脚を採用した世界初の主力戦闘機、ソ連邦のポリカルポフI-16。他の機種よりちょっとだけ採用年が新しく新基軸を多数盛り込んで故障も多かったけどフランス空軍の主力戦闘機だった低翼単葉引込脚で20mmのモーターカノンを備えたモラン・ソルニエMS406。アメリカ海軍の主力戦闘機の複葉固定脚のグラマンF3F。そして最後はRAF(王立空軍=英空軍)の主力戦闘機でこの中では比較的設計思想が古い複葉固定脚のグラジエーター戦闘機と戦間期(第一次世界大戦と第二次世界大戦の間のことを指す)の戦闘機が好きな人にはたまらない品ぞろえになっています。その戦闘機を駆る舞台となるのが時は二次大戦直前のヨーロッパのドイツ、イタリア、スイスに国境を接する回廊地帯に位置する小国マリーエンエーエ公国。その公国にナチスドイツの真の手が迫っています。そのナチスドイツの仕掛ける謀略から国を守るのが先ほど紹介した世界各国から集めた戦闘機を操るうら若き少女たちなのです。その少女たちは、16歳の女王ジークリンデ・ド・マリーエンエーエを騎士団長に、男装の麗人で日本人の狩月蒔絵さん、パン屋見習いのジネット・ファイエルジンガーさん、不良シスター、ブリューエット・デュパイエ嬢、子供役者のロミルダ・ハンマーシュミットちゃん、幼年学校教師のエーファ・メイシュナーさん、最後はキャバレー看板娘のクロエ・ル・ルー嬢といった面々が先に紹介した戦闘機を駆って大空へ出撃します。各自の乗機は、漫画で確認してみて下さいね。そんなこんなで、敵はナチスドイツのアプヴェーア(諜報機関)の女少佐。敵機はもちろんナチスドイツの誇るBf109です。この姑息な手段を使う敵に航空騎士団の面々がどのように立ち向かうかがこの漫画の面白いところです。という感じで、簡単に紹介をしてみましたが、まずは興味を持ったら買っちゃうべきですね。買って損はしません。こういう方面に関心のある人にとっては。そんな漫画です。最後に、作中にメイドさんがたくさん出てくるのと、最近個人的関心を持っているイラストレーター兼漫画家の速水螺旋人さんが、漫画に出てくるポルカリポフI-16のデザインを担当されていることを買ってから知って、ちょっと得した気分になったのが蛇足です。
2011年01月13日
コメント(4)
みなさま、新年おめでとうございます。と、書いてありますが、私は1年の中で正月という季節が一番嫌いです。これは、子どもの頃から嫌いだったので、理由なんて忘れてしまいましたが、本当に1年でこれほど馬鹿馬鹿しい季節はないと思っています。子どもの頃は、お年玉というものがあったのでよかったですが、大人となった今ではお年玉を与える方になったので、余計にイライラする始末です。ですので、この正月は酒でも飲まないとやってられないので、1年間、密かに集めていた良いワイン、1ダースを大晦日から正月3が日で飲み干してしまいました。や~97年のボルドーは干支が一回りしただけあって香りよし味よしで最高でしたね。ですが、そんな暴飲をやった報いは当然、欝を患っている身に降りかかってくるわけでして、身体はガタガタになりまして4日の仕事始めから昨日まで、家に帰って食事も取らずに寝る状態だったのですが、ようやく今日、復活いたしまして、遅らせながら新年初の更新と相成った次第であります。と、言うわけでして、大晦日からワインを毎日飲んでいたので、本を読んでいる暇はありませんでしたので、今日は楽天ブックスから届いた本を紹介してサラリと済ませておきます。まず最初は、勤めている学校図書館で購入した勝山海百合さんの『【送料無料】玉工乙女』(早川書房、2010年11月)を読んでみて面白かったので購入してみた、同じ勝山さんの著書『【送料無料】十七歳の湯夫人』(メディアファクトリー、2009年6月)と、『【送料無料】竜岩石とただならぬ娘』(メディアファクトリー、2008年8月)です。 この本を購入するきっかけとなった『【送料無料】玉工乙女』の内容は、石細工の職人になることにその身を捧げた少女と、男装をして怪異に挑む運命を受け入れた少女の2人が進む運命を淡く描いた、不思議な中華少女小説です。中々の良作なので、この本についてもいつか一筆書きたいところです。さて、その『【送料無料】玉工乙女』につられて買った2冊の文庫本ですが、『【送料無料】十七歳の湯夫人』の方は、帯に「姉上、あなたの肉を食べてみたい・・・・・・。」という不気味な言葉が書いてある怪談風のお話を集めた短編集です。本の紹介文でも、「その声は妖魔の甘いささやき。中国の神仙譚や幽霊話、六朝風志怪風の怪異譚、日本やベトナムを舞台にしたアジアン怪談など全17作。」と書いてあるように小野不由美さんの『十二国記』シリーズが好きな私としては中々興味の惹かれる本のようです。一方の『【送料無料】竜岩石とただならぬ娘』の方は、本の紹介では「大富豪・李大人の屋敷で働くことになった少年・李衛は、白家へ大事な書物を借りてくるというお遣いに出る。雨が降っているわけでもないのに、着ている物が濡れて重くなる。路地には蟹の鋏で首を挟まれた猫、人気のない白家では壁から一抱えもある魚が泳ぎ出て来て仰天。果たしてその魚は、白家のお嬢様?不思議な話の数々、中国志怪風の"怪しい話"20話。第2回『幽』怪談文学賞短編部門優秀賞作品の文庫化。」とありました。ですので、ちょっとこの本を読む前に調べてみると、なんと作者の勝山さんは、中国志怪風の新たな書き手として京極夏彦氏をはじめとする審査員の先生方が大絶賛し、文庫化デビューとなったそうではありませんか。なるほど、期待の新人というわけですね。元々、中華風ファンタジーが好きな私は、これで読むのがますます楽しみになってきました。お次は、海軍モノの植松三十里著『【送料無料】群青』(文藝春秋、2010年12月)です。本の紹介によりますと、幕府海軍の設立から、その終焉まで立ち会った男、矢田堀景蔵人物を中心に書かれた作品です。幕府学問所で秀才の名をほしいままにした景蔵は、阿片戦争の波及を恐れた幕府の命により、長崎の海軍伝習所に赴任します。そこでは勝海舟、榎本武揚等、その後の幕府の浮沈を共にする仲間と出会います。そして幕末の動乱の中、幕府海軍総裁まで昇りつめた男の生涯を描いた小説になります。海軍大好き人間にとっては、はずせない作品で、文庫化を楽しみにしていた作品でした。最後が、上白石実著『【送料無料】幕末の海防戦略』(吉川弘文館、2011年1月)です。これもまぁ、広い意味での海軍モノといえるでしょう。内容は、「突然のペリー来航は、幕府に衝撃を与えたが、外交交渉には周到な準備をして対応した。なぜそのような戦略をもちえたか。様々な異国船への対応を検証し、海禁を維持するために奔走する幕府の姿から海防政策の本質に迫る。」というものです。という感じで、今日届いた本について簡単に紹介してみました。来週からは、また独断と偏見に満ちた読書感を綴っていく予定ですのでお楽しみに。
2011年01月06日
コメント(0)
寒い日々が続いています。今日は各地から初雪の便りが多く届きました。私は相変わらず、ガスストーブ2台で温かい司書室と、業務用エアコン2台でも室温が20度以上にならない図書館で仕事をしています。寒暖の激しさに、風邪でもひかないかと心配な今日この頃です。図書館は、本の管理のため乾燥していますしね。そんな図書館も、今週の初めにクリスマスカラーに染め上げました。図書館の入口には、12月の初めからクリスマス・リースと画用紙で作ったクリスマス関連のサインを飾っていたのですが、図書館の中では『坂の上の雲』に関するコーナーを作っていたので、ちょっと遅いクリスマスのコーナー展開となりました。そんな中で今週読んでいたのが、富永浩史著、速水螺旋人イラスト『ディエンビエンフー大作戦』(イカロス出版。2010年1月)です。ちょっと先週、紹介した『出撃!魔女飛行隊』繋がりがある本です。この本は、イラストを担当されている速水螺旋人さんの『【送料無料】速水螺旋人の馬車馬大作戦』に掲載されている、「パルスジェットのフラミンゴ」の"その後"を描いた作品です。この「パルスジェットのフラミンゴ」という作品は漫画なのですが、内容と言いますと、これも相当凄いものがあります。『ディエンビエンフー大作戦』の主人公でもあるマーシャ・カルチェンコ中尉(当時)は、空軍軍事顧問団の一員としてアフリカの英領ダンバニ(当然、架空の地名)に派遣されます。独立勢力の支援のためです。ところがこの独立勢力、ダンバニ独立軍バオバブ部隊は、所詮はゲリラに毛が生えた程度のものでしたので、まともな戦闘機があるはずがありません。マーシャを待ち受けていたのはJB-2(ナチスドイツのV-1を米国がコピー生産した兵器)を改造した戦闘機「フラミンゴ」・・・。パルスジェット・エンジンの振動と騒音も激しい現地急造の飛行機ですが、ソ連軍人の悲しい宿命、同志スターリンの命令とあらば、乗らざるをえません。こうして、マーシャはカタパルトから射出されるフラミンゴに乗って、英国植民地軍の爆撃機の要撃に向かったのですが・・・。というのが、前作「パルスジェットのフラミンゴ」のお話となります。その後日譚となる『ディエンビエンフー大作戦』なのですが、1952年、大尉に昇進したマーシャにとある任務が言い渡されます。インドシナ戦争真っ最中のベトナムに、ベトミン(正式名称ベトナム独立同盟会。1941年5月19日に正式に結成され、フランス植民地からの独立を求め第一次インドシナ戦争を戦ったベトナムの独立運動組織である。ホー・チ・ミンによって率いられ、ヴォー・グエン・ザップおよびファン・バン・ドンは、ベトミンをともに指導した。)空軍を教育するための軍事顧問として赴任せよとの命令です。早速、お目付け役の政治委員イリーナ・ホディンスカヤ中尉と一緒にベトナム空軍軍事顧問団はベトミンが避難していた中国南寧に到着します(当時、米国の支援を受けていたフランスは、ベトミンを中国国境近辺まで圧迫していた)。ところが、到着した飛行機があるという寧明でマーシャたちを待ち受けていたのは、英国の旧式練習機のデハビランド・タイガーモスとナチスドイツの偵察・連絡機、フィゼラー・シュトルヒをフランスでコピー生産したモラン・ソムリエMS500のたった2機だけの空軍だったのです。 当然、その飛行機を操縦するための訓練性も雛に毛が生えた程度の超初心者ばかり。飛行機も燃料も人材もないこんな状態で空軍育成なんてなにをどうすればいいのか、といった展開でお話は始まります。このような状況なので、華々しく真っ向から空中戦などしようものなら自殺行為です。仕方ないから素人同然の訓練生相手に教官を務める傍ら、夜に紛れて敵の施設を爆撃などするのですが、爆弾も手投げで落とさなくてはならない始末ですから、恵まれてないにも程があります。そんな中でようやく戦闘機が手に入る、といった話が出てくるのですが、その戦闘機が太平洋戦争中に使用されていた旧日本軍の一式戦「隼」・・・。当然、戦争終結後からほっぽり出されていた代物なので、機体もエンジンもボロボロ。そこを飛ばそうと、戦争終結後に現地に残った残留日本兵の助けを借りようとするのですが、当然、日ソ中立条約を破って火事場泥棒したソ連に良い印象を持ってないので残留日本兵には追い返されます。そこをどうにか説得して、機体の整備をしてもらうのですが、今度は部品が足りない。そこで、マーシャと残留日本兵の二人でフランス軍の基地へ連絡機で潜入して部品を盗んでくるわけなのですが、それでも部品は足りません(このエピソードも面白いのですが詳細は割愛)。そこで、ダメもとで中国の軍事顧問団司令部に問い合わせてみれば、なんと中共軍には隼のスペアパーツがあるとのこと。これは、ソ連の支援を受ける前、中共軍の主要重装備、戦車は九七式中戦車など、が旧日本軍の捕獲兵器だったことによります。こうして、何とか戦闘機を手に入れたマーシャはフランス軍相手に航空ゲリラ戦を開始するのですが・・・、といった感じでお話が進んでいきます。というわけで、飛行機は型落ちどころか時代遅れで、部品もそこら中から引っかき回して探したりと泥臭いシーンは多いし、本国ソ連の支援もままならないのですが、キャラクターは主人公のマーシャを始め、お堅い眼鏡ッ子で百合属性な政治委員イリーナ、ベトナム美女のホン、残留日本兵、更には外人部隊所属の元ドイツ空軍兵、フランス空軍のパイロット、そして止めに歴史上の重要人物、あの知る人ぞ知る「フライング・タイガース」(アメリカ人で編成された中国義勇飛行隊)の隊長で戦後、CIAの支援を受けて国民党軍やフランス軍を支援する航空会社を立ち上げたクレア・リー・シェンノートなどバラエティーに富んでいます。共産主義ならではの融通の利かないお役所仕事、一党独裁体制による重苦しい雰囲気などをコミカルに描いて笑い飛ばす作風を得意とする速水螺旋人先生の世界をどこまで書けているかが心配でしたが、その辺は問題なく読めました。さすが、執筆は『超空自衛隊(ダンピール要塞1943)』(学習研究社/歴史群像新書)など仮想戦記やライトノベルを多く手がける富永浩史先生です。そしてイラストはもちろん速水螺旋人先生と、ソ連/ロシア通2人による夢のコラボレーションはさすがだなと感じ入りました。コンセプトは「劇場版」と富永先生の弁でありますが、まさにその通りです。先にも書きました有名ゲストや歴史イベント、あの飛行機やこの飛行機、もうホントににぎやかなお祭りです。前作の別のエピソードに登場のあの方々まで出てきたときには大笑いしてしまいましたよ。また、『ディエンビエンフー大作戦』は完全オリジナルストーリーの書き下ろし小説ですので、『【送料無料】速水螺旋人の馬車馬大作戦』をお読みの方はもちろん、未読の方もお楽しみいただける内容となっています。架空戦記物はちょっと、と思われる方もライトノベル感覚で読める楽しい作品仕上がっていると思いますので、ぜひ、ご一読を。
2010年12月16日
コメント(0)
今週は、週の前半は暖かかったのに、今日の最低気温は6度と冷え込んできました。冬本番ですね。まぁ、私の勤める高校の学校図書館と司書室は、11月の中旬から真冬の状態だったのですが。この学校図書館、北側と西側しか窓が付いていないという、図書館としては最悪の立地条件なのです。とくに西側に窓があるということは、西日が書架の本に当たって本が日焼けしますし、山からの西風が窓の隙間から吹き込んで、大変。夏は夏で、暑いしホント、この学校図書館を設計した設計士を磔にしてやりたい心境です。おまけに、学校図書館がある事務棟が生徒のいる校舎から離れているので、生徒の生活動線からも外れていて、中々昼休みなどにも生徒が来難くて困っているのに。新しく作られる高校などはその辺を考慮して、生徒の生活動線の中心に学校図書館などを配置するようしているみたいですが、昭和の半ばに作られた学校ではそんなこと、配慮してませんよね。さて、期末試験も終わって学校では1・2年生は冬休みを楽しみにしている一方、3年生で進路が決まってない生徒は、必死の形相でセンター対策などに勤しんでいます。図書館でも、黙々と勉強する3年生が散見されます。そのような状況を「監視」しつつ今日読んでいた本は、ブルース・マイルズ著、手島尚訳『出撃!魔女飛行隊 WW2ソ連女性パイロットたちの群像』(2009年9月、学習研究社)です。この本はもともと『出撃!魔女飛行隊』という題で1983年(昭和58年)に朝日ソノラマから出版されたのものを底本に、英語版原書を参照して語句を訂正、再編集を行い、ソノラマ版にはない写真などを掲載して再刊行されたものです。内容ですが、これはもう主題の通りです。第二次世界大戦時(旧ソ連諸国では「大祖国解放戦争」と呼称していますが。)旧ソ連邦では大量の女性兵士を動員しました。歩兵に、戦車兵に、そしてパイロットに。この『出撃!魔女飛行隊』はその題が示すように、パイロットして大空の戦いに参戦した女性たち、空翔る「魔女」たちの数奇な運命を描いた作品です。では、彼女たちはなぜ「魔女」になったのでしょうか。第二次世界大戦前、旧ソ連では労働者のため様々なレクリエーションクラブが工場などの労働機関単位で組織されていました。普通の運動クラブや文芸クラブのほか、射撃クラブや飛行クラブ、果てはパラシュートクラブまで。その様な状況下、旧ソ連では女流飛行家の活躍も目立ちました。その中で有名なのが、マリア・ラスコヴァでした。彼女は、1939年に友人2人と共にイリューシンDB-2という双発機に乗り込み、無着陸長距離飛行の女性世界記録に挑戦したのです。しかし挑戦の途中、吹雪に巻き込まれ翼が結氷、高度が下がった期待から無線機など全てを投下した後、航法を担当していたラスコヴァはその後の進路を航空地図に書き込んだ上でパラシュートで降下したのです。その後、友人2人を乗せた飛行機は不時着に成功、ラスコヴァも救助され彼女たちは揃ってソヴィエト連邦英雄の称号と勲章を授与されたのです。そのマリア・ラスコヴァが祖国の危機にモスクワ放送を通じて、女性による飛行連隊を編成するための志願者を募ったのです。条件は男性パイロットと同様に前線で戦闘任務に就くという条件で。この呼びかけに、先に述べた飛行クラブ、準雲軍事組織でもあるオソヴィアヒムに所属していた若い女性たちが挙って志願したのです。こうして「魔女」たちは戦乱渦巻く大空に羽ばたくことになったのす。「魔女」たちは、大きく3つの飛行隊に分かれて戦闘に参加しました。第586戦闘機連隊、第587爆撃機連隊、第588夜間爆撃機連隊です。この中でとくに有名なのがPo-2練習機に乗って戦った第588夜間爆撃機連隊です。彼女たちは敵であるドイツ軍から「夜の魔女」と呼ばれました。この「魔女」たちはドイツ軍から憎まれていました。なぜなら、夜間に「空飛ぶミシン」(Po-2のエンジン音が足踏みミシンの音に似て騒々しかったから)の音が聞こえると、安眠を妨害する爆弾が降ってくるからです。戦場で休息が取れないのは非常にストレスが堪ることです。もっとも、ドイツ軍は終戦直前まで本当に本物の「魔女」が乗っているとは知らなかったようですが。また「魔女」たちの中でとくに有名なのが「スターリングラードの白いバラ」ことリディア(リリー)・リトヴァクでした。彼女は第二次大戦中のソ連空軍の最も有名な女性パイロットです。そして、史上2人しかいない女性エース・パイロットの1人です。撃墜数について公式な記録はなく、個人スコアは12とも13とも言われます。搭乗機はYak-1でその性能は、最高速度が569km/h(地表高度では472km/h)で、武装は20mm機関砲1門と7.62mm機関銃2丁でした。リディアは1942年の夏、サラトフで彼女は初空戦を行い、9月には第437戦闘機航空連隊へ転属します。そしてスターリングラード上空の戦闘に参加、のちに第296戦闘航空連隊に移り「フリー・ハンター」と呼ばれる航空戦術に参加するメンバーにも選抜されます。これは熟練したパイロットがペアを組み、指定された空域で彼らの裁量でターゲットを探すという戦術でした。こうしてリディアは戦果を挙げていきましたが、1943年8月1日、8機のBf-109に襲われ、行方不明(生死不明)となります。それから長年、行方不明だった彼女は、1979年、遺体が発見され、1988年に戦死認定が空軍によって認められ、皮肉にもソ連消滅の直前、1990年にソ連邦英雄勲章とレーニン勲章が授与されています。リトヴァクは故人ですが、この本では第二次世界大戦を戦い抜いた女性パイロットの証言をもとに、構成されている本です。当時の女性パイロットの証言は、冷戦時代のプロパガンダが目的で許可されたインタビューである点を差し引いても(著者は英国人)、当人からしか得ることのできない貴重な証言です。彼女たちが戦場でどのように戦い、友情を育み、そして恋をしたのか、を読んでみると中々興味深いものがあります。「魔女」たちの希望、喜び、悲しみ恐れなどが素直に語られ、宣伝色の強い紋切り型のソ連の戦史や戦記と違って「魔女」たちの人間像や生活がたくみに描かれています。戦争の勝利が決まった上であったとはいえ、将校が他の部隊の女性将校と結婚して、即座に新婦を連絡機に乗せて離れた自分の地区の部隊へ連れて行ってしまう、といったおおらかなエピソードもかかれていて読み物としても、秀逸の部類に入ります。戦う女性がお好きな方は、一読してみては如何でしょうか?
2010年12月09日
コメント(3)
12月に入りました。師走ですね。私の勤める高校では、今日から2学期の期末試験が始まりました。試験中は午前で生徒は下校するので、よっぽど家で勉強するのが嫌な生徒か、友達同士でワイワイやりながら勉強する生徒以外は図書館に来ません。ですので、今日は静かなものでした。このような時に、書架の本の移動やら生徒がいるときにできない仕事をまとめて片付けるのですが、幸いというかその様な重労働は2年生が修学旅行中に1年生の図書委員を使って(3年生は受験の最中ですからね)終わらせておいたので、また~りとした1日を過ごすことができました。その様な理由で、今日はお昼、3時のお茶の時間にゆっくりと本を紐解くことができました。これまで、比較的古い本ばかり紹介してきたので、今日は装備する前の新刊本を読んでみました。その本が、畠中恵著『【送料無料】若様組まいる』(講談社、2010年11月)です。この本は畠中さんの書いた『アイスクリン強し』(講談社、2008年10月)のお話の少し前を描いた小説です。ちなみ『アイスクリン強し』の紹介を簡単にしておきますと、ビスキット、チヨコレイト、アイスクリン、シユウクリームなどのお菓子が、南蛮菓子から西洋菓子へと呼び名が変わり、新たな品々が数多登場した明治時代初期。東京で、士族出身の孤児として築地の外国人居留地で生まれ育った皆川真次郎(通称ミナ)は、念願の西洋菓子屋・風琴屋を開きます。そこにはミナの親友の、若い元幕臣の警官達が甘い菓子目当てにやってきます。そんな菓子作りの修業に精を出したいミナに、厄介事が次々と降りかかり・・・。という展開でお話が進んでいきます。本屋さんのレビューでは『著者の魅力全開!明治の築地居留地で、西洋菓子屋の若主人と元幕臣の警官達「若様組」が繰り広げる「スイーツ文明開化」騒動記。』と書いてありました。さて、紹介した文章の中に出てきた「旧幕臣」、旗本の子息で警察官になった「若様組」の警察官たちがこの『【送料無料】若様組まいる』の主人公になります。内容の方に入っていきますと、時は1887年(明治20年)、徳川の世であれば「若殿様」と呼ばれていたはずの旧幕臣の子息、長瀬健吾たちは暮らしのため、巡査になることを決意します。そして、試験を受けて芝愛宕の巡査教習所で訓練を受けることになります。ところが、ピストル強盗の噂が絶えない物騒な昨今、教習所でも銃に絡む事件が発生。若様組の他、薩摩組、直参で徳川について静岡に行った士族達の静岡組、商家の子息達の平民組といったさまざまな生徒に、何やら胡散臭い所長や幹事、教師や武道師範たちを巻き込んで、犯人捜しが始まる、といった感じでお話が進んでいきます。このお話、主人公は旧幕臣の子息で20歳の若様組の頭という長瀬健吾という人になります。彼が、士族は商売は向いてないし、賊軍出身だから官吏になっても出世は見込めない。だから巡査になってはどうか、といって巡査への道に若様組の面々を誘うわけです。そんな若様組の面々は、美男子だが血の気の多く手の早い園山さんを筆頭に個性派ぞろいで読んでいて楽しいです。また、前作『アイスクリン強し』の主人公ミナこと皆川真次郎が西洋菓子を持って文中の端々に出てきたり、これも前作のヒロイン、若様組のマドンナ、女学生の小泉沙羅さんが若様組の福田さんの恋人、百合さんを見合いから救うなど、前作の登場人物も端々で活躍しています。また私的には、鉄砲が出てくるのが良かったですね。明治といいますか戦前の警察官、町の巡査はサーベルしか携帯してなかったのですが、それでも射撃訓練は受けていました。明治初期にはこのお話の鍵になるピストル強盗などが跋扈していたからです。有名なところでは、清水定吉という日本初の拳銃強盗犯が1882年(明治15年)から、覆面をして拳銃を使用、東京市で80件以上の強盗を行い5人を殺害しました。拳銃を使用した強盗事件は日本犯罪史上初めてのことであり、当時の首都は震撼しました。しかし日本橋区馬喰町の商家に押し入った直後の1886年(明治19年)12月3日未明に同区浜町で逮捕されます。その際に、清水に不審尋問をした久松警察署小川佗吉郎巡査が清水の発砲で重傷を負い、その後回復し2階級特進で警部補に昇進しますが、4か月後に傷が悪化し翌年、死亡しています。その年の9月、清水は死刑に処されて事件は解決しました。といった様に明治初期は治安が悪かったのです。作中でも西洋菓子職人であるミナがピストルの射的の名手である理由は、外国人居留地で西洋人からピストルの射的の指南を受けていたからです。当時、外国人は居留地の外を出歩くときは必ず拳銃を男女問わず携行していたそうです。最後にこの『【送料無料】若様組まいる』は前作を知らずとも読めますが、先にも書きましたがミナが所々に登場していたりするなど随所にニヤリとする部分があるので、やはり前作も目を通した方がより楽しめると思います。また、巡査教習所の授業の内容も興味を惹きます。武道や法律関係、巡査になるにはなかなか厳しいのだな、と感じました。 日常として授業の様子や苦労っぷりは出ていて面白いです。話は紹介であったように教習所での事件が主軸として描かれていますので。そしてそれぞれに重い物を背負った登場人物、一筋縄ではいかない個性的な若様たちが出張る話のためか、賑やかにポンポンと小気味良く進んでいくので非常に楽しめました。最後も、すっきり終わる作品なので、読み物として純粋に面白く読める一冊でした。個人的には、続編が出ると良いなと思います。
2010年12月02日
コメント(2)
寒い日々が続いていますが、みなさんは如何お過ごしでしょうか?私は、相変わらず司書室と図書館で寒さのため震える日々を過ごしています。今年は夏の猛暑でエアコンをガンガンに使い込んだため、電気代が学校の運営費を圧迫し、冬の暖房も節約せよとの事務からのお達しが出ているので、省エネ省エネと厚着をして凌いでいるこの頃です。ところで、今週は本を読む時間があまり取れませんでした。なぜかと申しますと、司書部の地区研修会が来週に迫っていたからなのです。私たち学校司書は、高等学校では校長先生などと同じ1人職、学校に1人しかその職についている人がいないという立場です。一応、司書室には図書主任の先生と係り教諭の2人の先生がいるのですが、どちらも司書も司書教諭の資格をお持ちではなく、学校図書館の全ての管理と運営の大半が学校司書1人の肩にのかかってくるわけです。運営に関していえば、職員会議等である程度の方針が決まるので、それに沿ってやっているのですが、やはり細かいところは学校司書が中心でやらなければなりません。一応、図書主任や係り教諭の先生とも話し合いは持つのですが、如何せん門外漢(英語と数学の先生なので)なので、大雑把な話しかできません。あと細かいところですと、小論文対策指導などで進路や国語科の先生などとも連携を取るのですが、進路や国語科の先生方はそれぞれ授業やクラブ、進路などの仕事をお持ちなので、どうしても仕事の比重はこちらに偏ってしまいます。そんなわけで、学校司書は学校内で孤軍奮闘している、というのが実態です。さて、そんな学校司書も当然、横の連携、学校同士の連携を持っています。相互貸借やレファレンスなどでですね。でも、それはメールか良くって電話でのやり取りくらいです。そこで、年に何回か地区ごとの学校司書が集まって、相互の連携の確認や情報交換、地区の司書部の活動についてのアレコレや研修を行うようになっているのです。それが、研修会です。で、この研修会の今年度の研修がブックトークなのですよ!ここで、ブックトークを知らない人がいるかもしれないので簡単に説明しておきますと、ブックトークとは、一定のテーマを立てて一定時間内に何冊かの本を複数の聞き手に紹介する行為のことを言います。具体的にどのようなことをするかといいますと、ブックトークとは、「その本の内容を教えること」ではなく「その本の面白さを伝えること」「聞き手にその本を読んでみたいという気持ちを起させること」を目的とします。 読み聞かせや朗読とは異なり、本を最初から順に読んでいくということはしません。 紹介者(ブックトーカー)はあらかじめテーマを決め、紹介すべき本を種々取り混ぜて選択し、紹介の仕方を考えておきます。どのページをどう紹介するかについて、シナリオ(台本)を用意することも多く行われます。 本番では聞き手の反応にあわせて語ることが重要です。ブックトークのあと、聞き手が興味を持った本を実際に自分で読めるように配慮することも大切なことです。このブックトークの実演、が来週の研修会で行われるわけなのですよ。ですので、この1週間、シナリオを考え、資料の紹介の仕方を工夫し、1人練習をしていたわけなのです。テーマは前回の研修会で決まっていたので、あとは本を選んで構成を考えて、と悠長に考えていたらあっという間に3ヶ月経ってしまって、いつもの通りの付け焼刃。まぁ、公共図書館にいた時に実践しているのでコツみたいなのは掴んでいたのでシナリオを作るまでは助かりましたが。今回のブックトークはテーマが「旅」でした。ですので、高校生対象のブックトークだと何が良いかな~、考えて最初は軽めのラノベで旅が大きなテーマになっている『狼と香辛料』を導入に持ってきて、その次は馬車繋がりで『馬車の文化史』(絶版)を持ってきて、それから馬車が全盛期だったのがヴィクトリア朝時代だったから・・・。という感じでなるべく自分の関心のある分野を中心に且つ、高校生にも分かりやすく関心を得やすい読みやすい本を選んで組み立てました。でもホント、これが疲れるのですよ。自分の得意分野と高校生の関心のある本を両立させるのが。そのような訳で、今週はブックトークに追われた1週間でした。あ~ぁ、来週が気が重い。ブックトークは数をこなさないと上手くならないのですが、公共図書館でやったことがあるといっても3回しかないし、それもほとんど失敗だったし・・・。どなたか、アドバイスいただけませんか?本当に、ブックトークって難しいのですよ。
2010年11月26日
コメント(0)
寒い!今勤めている高校に来てから3年目になりますが、図書館と司書室の寒さは堪りません。ガスストーブを2台も焚いても底冷えします。もっとひどいのは、頼みのガスストーブさえ使えない図書館。ガスストーブは火を使いますから、本とその埃がいっぱいの図書館で使えるわけがなく、しょうがなくエアコンの暖房を使っているのですが、これが気休めにしかならなくて、書架整理やブックコーティングをしていると足元から底冷えしてきます。そんな日々を送っている(まだ、エアコンは使えないのですが)今日この頃ですが、この一週間、司書室で暖かいミルクティーを飲みながら読んで、今日読み終えた本を紹介しましょう。あの有名な田中芳樹著『月蝕島の魔物』(理論社、2007年7月)を紹介します。では、中身の内容と紹介、解説に入っていきましょう。この本の舞台は19世紀イギリス、ヴィクトリア朝時代です。物語は、1857年、スコットランド近くにある月蝕島(ルナ・イクリプス・アイランド)の沖で氷山に閉じ込められた謎の帆船が発見されたという事件から始まります。そんな騒動の中、主人公のエドモンド・ニーダム青年は、クリミア戦争から奇跡的な生還を果たします。ここで、なぜ「奇跡的」な生還を果たした、と書いたかといいますと、彼は軍事史・戦史を齧ったことのある人なら聞き覚えがあろう彼の有名な「バラクラヴァの戦い」に軽騎兵として参戦していたのです。先週書いた日記にも出てきましたクリミア戦争ですが、この戦争は1853年から1856年までの3年間、イギリス・フランス・サルディーニャ王国・トルコ帝国の連合軍と、ロシアが戦った戦争です。この中で、現在に至るまで語られている有名な戦いが「バラクラヴァの戦い」なのです。この「バラクラヴァの戦い」は大きく三つの戦闘行動で後世に名を残すことになります。一つが映画の題名にもなった「シン・レッド・ライン」です。これは、セヴァストポリ包囲の拠点となっていたバラクラヴァへのロシア軍の攻撃によりトルコ軍が潰走したため起こった戦闘です。バラクラヴァへ向かう道に残されたのはクライド男爵コリン・キャンベル麾下の第93スコットランド高地歩兵連隊の550人と少数のトルコ歩兵びイギリス海兵隊のみでした。しかし、第93連隊は2列横隊でロシア軍の騎兵による突撃を防ぎきり、当時のイギリス歩兵の制服の色、赤色から、これはシン・レッド・ライン(The Thin Red Line)として知られるようになります。次が、この93連隊に撃退されたロシア軍騎兵3,500人が目標を変更し、スカーレット准将率いるイギリス重騎兵旅団600人に向かって激突した戦いです。この戦いでは、6倍も優勢なロシア軍騎兵に対してイギリス重騎兵旅団は逆に突撃し、ロシア軍騎兵を崩壊させてしまいます。これが重騎兵旅団の突撃(Charge of the Heavy Brigade)と呼ばれている戦いです。最後が、ニーダム青年が参加した戦いになる、軽騎兵旅団の突撃(Charge of the Light Brigade)になります。ロシア砲兵が連合軍補給路を攻撃出来る場所へ展開することを防ぐために、総司令官ラグラン男爵フィッツロイ・サマセットは軽騎兵旅団に対してロシア砲兵の移動を阻止するよう命令を出します。しかし、連絡将校ルイス・ノーラン大尉が命令を誤って伝えたため、第7代カーディガン伯爵ジェイムズ・ブルデネル率いる軽騎兵旅団673名がロシア軍砲兵陣地に正面から突撃し、死傷者278名という大損害を被ったのがこの戦いです。この突撃は無謀ではあるが勇敢であると評価されており、数多くの絵画や文学、音楽等の創作の題材となっています。本書でも登場する当時の桂冠詩人(政府等によって公式に任命された詩人またはその称号。古代ギリシア・ローマ時代に、詩人たちが詩作の競技を行い、勝者が月桂冠を頭に乗せたという故事に基づく。イギリスでは王家が桂冠詩人の称号を与え、王家の慶弔の詩を読むことになっている)、アルフレッド・テニスンも物語詩「The Charge of the Light Brigade」でその勇敢さを讃えています。この詩は、本書の中で重要な役割を果たします。また、この戦いは1968年に同じ題名で映画化されています(邦題『遥かなる戦場』)。さて、このような地獄のような戦場から帰還したニーダム青年は、姪のメープルとともに、大手の会員制貸本屋であるミューザー良書倶楽部(セレクト・ライブラリー)で働くことになります。この会員制貸本屋は、今日の公共図書館に繋がるシステムの一つです。19世紀末にもなると識字率の向上と都市部の中流階級の勃興により、読書の需要が高まります。19世紀末にはイギリス人男性の七割、女性の六割が一応の文字の読み書きができるようになりました。初等教育の普及によるものですが、当時、本は高価でした。そこで、信用できる貸本屋できちんと管理された本を会員費を払って借りて読む、というのが一般的な読書のやり方になったのです。ちなみにこのミューザー良書倶楽部、会員数は5万人、蔵書数は150万冊もあったそうです。年会費は1ギニー(1ポンド1シリング)で、これを払えるのは中流階級以上、年収最低100ポンド以上の家庭でないと無理でした。森薫さんの『エマ(1)』の中でもエマが主人のケリーさんの代理でミューディーズという巨大貸本屋で本を借りる場面がありますが、ここの年会費は倍の2ギニーにもなるので、労働者階級のメイド・オブ・オールワークスのエマが貸本屋の会員になることは、当然のことながら不可能でした。話を物語りに戻しますと、ある日、ニーダム青年は社長から特命を言い渡されます。それは、作家アンデルセンとディケンズの世話をすることでした。頑固で活動的なディケンズと子どもっぽいアンデルセン。超マイペースな二大文豪に翻弄され、きりきり舞いのニーダム青年をさらなる試練が襲います。なんと、北極へ北西航路を発見するため探検の航海へと出て消息不明となったフランクリン大佐の探検隊の調査隊の出発を見送りに来たディケンズが、持ち前のジャーナリズム精神を発揮して、幽霊船の漂着した月蝕島へ行くと言いだしたのです。かくしてアンデルセンのお守りをまかされたメープルも一緒になった一行は不吉な噂に満ちた月蝕島へ向かうのだが・・・、という展開で物語は進んでいきます。ヴィクトリア朝時代の大文豪ディケンズとアンデルセンが中心となって物語は進みますが、探偵小説の開祖、ウィルキー・コリンズ、作家のサッカレー、アンソニー・トロロープ、クリミア戦争で従軍看護婦として活躍したナイチンゲールや後の大英帝国の首相となる保守党のディズレーリと自由党のグラッドストンなど、当時の有名人がたくさん出てきます。このような歴史上の人物を 独特の解釈で描きつつ、エンターテイメント性高く 全体としてよくまとまった良作に仕上がっています。また、本の最後には関係年表や主要参考資料が掲載されていて、年表からは登場人物たちが生きていた時代の歴史が理解できますし、参考資料が列挙されているので、関心のある分野の本を探しやすい、といった点が良いです。参考資料の中には『エマ ヴィクトリアンガイド 』も含まれていて、思わずニヤリとしました。そういうことで、歴史物語を創作させたら日本でトップクラスの実力を持つ作家、田中芳樹が放つ、極上のエンターテインメント作品である、ヴィクトリア朝怪奇冒険譚三部作の第一作目をお楽しみ下さい。
2010年11月17日
コメント(0)
最近、寒さが身にしみるようになりましたね。皆さんは、風邪などに注意してください。ちなみに私は、風邪気味で咽喉が痛いです。この原因は、全て図書館と司書室がある事務棟の建物にあります。司書室は窓は西向きだけしかなく、しかも山からの風がその西側の一面のガラス窓に当たって、外よりも寒い状況になっているのです。しょうがないので、物置からガスストーブを引っ張り出してきて、部屋を暖めているこの頃です。ただ、同じ状況の図書館の方は、県のありがたい指針のために暖房がまだいれられないので、生徒には寒い想いをさせてしまっています。もうちょっと、融通が利けばよいのですがお役所ですからね。辛いところです。そんなこんなで、今日も本の紹介に入りたいと思いますが、今回は私が注目している作家さんの作品を取り上げたいと思います。毛利志生子著『夜の虹』(集英社、2009年12月)です。この毛利さんは、『風の王国』シリーズでも有名な集英社コバルト文庫のなかでも優良な作家さんのひとりです。では早速内容紹介&感想に入っていきましょう。まず、舞台は19世紀の帝政ロシア時代です。同じ19世紀モノとしては、コバルト文庫で探しますと『伯爵と妖精(あいつは優雅な大悪党)』シリーズや『恋のドレスとつぼみの淑女』などの『ヴィクトリアン・ローズ・テーラー』シリーズがありますが、いずれも19世紀イギリス、ヴィクトリア朝時代が舞台です。この『夜の虹』はところ変わってこれまで見向きもされなかった19世紀帝政ロシア時代を始めてライトノベルで取り上げた作品ではないでしょうか。この19世紀帝政ロシア時代を簡単に紹介しますと、ようやくロシアにも産業革命の波が押し寄せてきた時代(作中の登場人物で、クリミア戦争に従軍後、実業家に転じた人がいるので、少なくとも戦争終結時の1856年以降、つまり19世紀後半であることが推測できます。)です。鉄道が開通し、蒸気機関を備えた最新の工場が乱立し、ツァーリ・アレクサンドル2世の農奴解放令(1861年)により、農村より農民が都市へと流入、新たな階級、労働者となった時代です。それと共に、ナロードキニ(人民主義者)や社会主義者がストライキや武力闘争に入っていった暗い時代、という側面もあります。つまり、帝政ロシアの転換点、となった時代が舞台なのです。ですから、新しい風と振るい澱んだ空気がぶつかる時代であったわけです。その様な雰囲気の中で物語は始まります。主人公であるオリガ・ハルコトは、幼少時に父親の死を目撃したことから、すでに死んだ人の死の瞬間を見てしまう能力を得てしまいます。しかしそんな能力のことを人に話せるわけがありません。さらに、不可解なことに死んだはずの父親の遺体が見つからず、さらに、父親が多額の財産を処分していたことから、周囲は失踪したと思い込み、ひとり父親の死についての謎を心の奥底に抱いたままモスクワで生活しています。そんな彼女の周りには、病弱の母親に代わって彼女を引き取った、大功をたてた元軍人で、現在は多くの領地と工場を有する実業家の伯父のラズモスキー公爵と、その妻で、美人で明朗な性格のオリガの伯母にあたるマリア、 家政婦頭のヴォガーノフ夫人、寡黙な(口が利けない)御者兼オリガの従者のオロークたちと生活しています。オリガは、絵を描くことが好きで、多少の才能に恵まれていたました。本では、ペテルブルグに招かれ、皇后の愛犬を描く機会を得たとありますから、貴族のお嬢様の趣味の範疇を超えていることが分かりますね。そんなある日、オリガが従者のオロークと共に伯父の所有する広大なフォンタルカ公園へ絵を描きに出かけたとき、死者の残像を見てしまいます。まだ、五,六歳と思しき少年が小屋の中へ入って出てこないという残像を。彼女は、躊躇したあとに公園を管轄するハモヴニキ区警察第七分署へと赴きます。署長さんと伯父の公爵は知り合いで、彼ならオリガの作り話を疑うことなく、公園の小屋を調べてくれるだろうという思惑です。ですが、署長は別件で出掛けていて、代わりにいたのが決闘で上官を殺めて近衛連隊から追放されこの地区の副署長に左遷されたという噂のある青年、ロジオン中尉でした。こうして物語は、ひとりの少年の事故死から大きく展開していくのですが、ここから先は本を読んでみてください。ただ、登場人物が一癖もふた癖もある者ばかりなのが面白いです。オリガの婚約者でイギリス人の弁護士、アーサーや影のある憲兵少佐のレオニードなど人物描写が素敵です。また、作中に出てくるロシアの郷土料理の描写も見事で、寒い司書室で読んでいると、熱々の揚げたてのピロシキ食べたい!なんて思わせてくれます。著者の毛利さんは、小説の設定にこだわる人で、作中のロシアの風俗や風習といったものには、確かなものがあります。そうしたしっかりとした土台の上に物語が形作られているのでしっかり読み込むことができます。それでいて、ライトノベルなので読後感もすっきりとしています。あと、私は毛利さんの作品のあとがきの最後にあるちゃんとした「主要参考文献」を調べて探して読むのも楽しみの一つにしています。 どこのぞの誰かさんみたいにあとがきで遊んでいないところがよいですね。というわけで、このお話を要約すると、秘密を抱えて奔走するオリガに、いたずらな春の風が吹き始める...、といった感じになるでしょうか。それでは。夜の虹(灰色の幽霊) シリーズ二巻目もでています。
2010年11月11日
コメント(2)
今日は、祝日前ということもあり、勤めている高校の学校図書館は盛況でした。まぁ、これには別の理由もありまして、読書週間初めの10月27日から11月27日までの1ヶ月間、図書館フェアを開催していて、その期間中に本を5冊借りると図書カード千円分が当たる抽選会の1枚の抽選券を渡すことになっているのですよ。ですので、普段図書館に来ない生徒、我が学校の図書館は生徒の移動の動線から外れた場所にあるので、中々生徒が寄りづらい位置にあるのです、たちもやって来てくれて盛況、という次第なのです。そんな忙しい中でもちょっとした時間の空きはあるものです。そうした時間に長編を読むのもありなのですが、今日はちょっと長いお話を細切れに読む気がしなかったので、短編集を書架から見繕って読んでみる事にしました。そこで、手に取ったのがピーター・トレメイン著/甲斐萬里江訳『修道女フィデルマの叡智』(東京創元社、2009年6月)です。この本は、図書館に西洋文学が少なかったことと、この程度の短編集なら高校の生徒も手に取りやすいと思って購入したのですが、生徒の反応は鈍く、英語科の先生や意外にも歴史科の先生方が食い付き、この『フィデルマ』シリーズの長編作もリクエストで購入しているという状況です。さて、本の内容と紹介に入っていきましょう。この本は、7世紀の古代アイルランド五王国時代が舞台です。この時代のアイルランドはキリスト教が広く信仰されていて、修道院を中心として新しい信仰と共に入ってきたキリスト教文化やラテン語による新しい学問もしっかり根付いていました。その一方で、アイルランド古来の文化である学問や教育も明確に残っている、という時代でした。この時代、アイルランドでは女性も多くの面で男性と同等の地位や権利を認められていて、男女共学の最高学府で学ぶこと、高位の公的地位に就くことさえできました。そんな時代背景を踏んだ上で、主人公、フィデルマの人物像をみていきますと、まず彼女はキリスト教の聖職者である修道院で修行を積んだ修道女です。さらに、古代アイルランドの法典、ブレホン法を修めたドーリィー〔弁護士〕の中でも高位のアンルーという「上位弁護士・裁判官」でもあるのです。また、彼女は五王国のひとつのモアン王国の王女さまという身分でもあるのです。そしてとどめは、本人が尼僧服を着ていてもひと目で分かる美人だということ。そんな、スーパー・ウーマンが主人公として活躍するのが『修道女フィデルマ』シリーズなのです。この『修道女フィデルマの叡智』の内容ですが、短編5編で構成されています。最初が、『聖餐式の毒杯』です。フィデルマが巡礼に訪れたローマの教会で聖餐杯のワインを飲んだ若者が急死し、彼女が事情聴取を行い動機と機会を吟味し複雑な人間関係と意外な真相を暴き出すというお話です。次が『ホロフェルネスの幕舎』。フィデルマは幼なじみのアナムハラ〔魂の友〕リアダーンの助けを乞う手紙を読んで急ぎ駆けつけ、夫と幼子を殺した罪で捕えられた友の事件に敢然と挑むという内容です。古代の伝説が暗示する手掛かりが興味深く、常に冷静で感情に流されないフィデルマの姿勢が感動的です。3番目の『旅籠の幽霊』では、故郷への旅の途中、吹雪で避難した旅籠での幽霊騒動をフィデルマが鮮やかに解き明かすという内容です。死んだはずの旅籠の前の亭主の幽霊の意外な正体とは・・・。4番目の『大王の剣』は、大王位を継ぐ為に必要な王家伝来の宝剣が盗難に遭い、フィデルマは即位式の刻限までに探すという重大で困難な依頼を受ける、というものです。複雑で巧妙なトリックに唸らされる本書一番の傑作だと思います。最後は『大王廟の悲鳴』になります。王宮の墓所が集まる一角から聞こえた悲鳴。千五百年も閉ざされていた墓所の中から見つかった殺人死体。なぜ死体はそこにあったのか、という謎をフィデルマが解くという密室トリックになります。とにかく、フィデルマの叡智と洞察のほとばしりは極めて歯切れよく小気味よいものです。7世紀のアイルランドというわれわれの馴染み極めて薄い世界でこれまで聞いたこともないような名前の人々が生き生きと動くさまは、読むものを虜にしてしまいます。シリーズの初出は『幼き子らよ、我がもとへ(上)』ですが、短編集から読んでも全く問題ありません。むしろ、短編集を読んでから長い長編=本編へ進んだほうが読み良いかもしれません。貴方もたまには気分を変えて新鮮な歴史ミステリーの魅力に触れてみては如何でしょうか。
2010年11月02日
コメント(0)
みなさま、お久しぶりです。前回の更新が2008年1月15日ですから2年半以上のご無沙汰になりますね。さて、今回久方ぶりに更新しようとしたのにはちゃんとした理由があります。まずは、今日が文字・活字文化の日であり、読書週間の初日であること。そして、この『濫読屋雑記』が開店5周年目に当たることの2点であります。多分、この機会を逃すとナァナァになってしまい、放置ブログ化してしまう可能性が限りなく高くなるので、欝で薄弱となっている精神を奮起させてパソコンの前に座っている次第であります。さて、この2年半以上の間、一応はブログの掃除はしていたのですが、なかなか更新する気力が起こりませんでした。それでも、私の駄文を読みに来てくださった皆さん、そしてお気に入りに登録してくださった方々、とくにMe169さんにはブログの更新の要望をまで出していただいて本当にありがたかったです。ありがとうございました。以前のように更新ができるとは思いませんが、ぼちぼち本と図書館に関する話題を綴っていきたいと思っております。さて、再開初日、何について語りましょうか。やはり、読書週間初日ですから本についていつものように語りましょう。では、最近読んだデイビィット・ベニオフ著/田口俊樹訳『卵をめぐる祖父の戦争』(早川書房、2010年8月)について、内容と読んだ感想をつらつら述べていきたいと思います。時は、1942年。第二次世界大戦真っ盛りのソビエト連邦の主要都市、レニングラード(現:サンクト・ペテルブルグ)が舞台です。ちなみに現在はロシアとCIS諸国となっているソビエト連邦では、第二次世界大戦のことを「大祖国解放戦争」呼称しています。脱線しましたが、そのレニングラードはこの大戦中、世界最長の900日の包囲戦、1941年9月8日~1944年1月18日間、を戦い抜くことになります。当然、市民の死者は凄まじき数に上りソ連政府の発表では67万人、一説では100万人とも言われています。当然、包囲下に置かれたレニングラードでは食料が欠乏、さらに冬の寒さが追い討ちかけてこのような膨大な死者の数になったわけです。前置きが長くなりましたが、このような状況下のレニングラードが舞台のこの『卵をめぐる祖父の戦争』とはどのようなお話なのでしょうか。時は1942年1月、当時17才だった主人公レフは、住まいである<キローフ>という名前の共同住宅の屋上で、消防団員の一員として配置についていました。そこへ一つの落下傘が落ちてきたのです。ついにドイツ軍の空挺部隊の攻撃か、と思いましたが落下傘は一つだけ。そこで、消防団員の仲間と共同住宅を駆け下り、落下傘を追いかけます。そして、見つけた落下傘には凍死したドイツ兵の死体が。みんなそれ、とばかりにドイツ兵の身ぐるみをはがしにかかったのですが、そこへ軍用トラックが急行してきます。そして哀れレフ一人だけが逃げ遅れ、兵士に逮捕されてしまいます。夜間外出禁止令違反も、消防団の職場放棄も、当然略奪罪も死刑です。この時、レニングラードでは警察組織は機能してなくて犯罪=死刑という極限状態にあったのです。そんな絶体絶命のピンチにあった彼は、獄中で一緒になった饒舌で奇妙なユーモアの持ち主の脱走兵、コーリャと知り合います。そして翌日、獄中から引き出された彼らは、NKVD(秘密警察)の大佐から、その命と引き換えに、娘の結婚式のウェディングケーキの材料として卵1ダースを5日以内に持ってこいという、人を喰ったような、笑うに笑えない極秘命令を受けるのです。こうしてふたりの、卵を求めての一大冒険が始まる、というのがこのお話の冒頭部分です。そして、その二人が卵探索の旅の途上で出会うのは、飢餓によってむしばまれた市民、コーリャの愛人、ドイツ兵の慰み者となる少女たち、そしてパルチザン(ソビエト軍(赤軍)をモデルとして作られた共産主義のゲリラ(非正規戦)部隊。ソ連政府の統制および指揮を受け、ドイツ軍の後方、特に道路や線路など輸送機関の破壊を最大の目的としていた。)の少女と敵国ナチスドイツの殺人集団、アインザッツコマンド(ナチス・ドイツの保安警察及びSD長官(のち国家保安本部(RSHA)長官)ラインハルト・ハイドリヒにより創設された部隊。武装親衛隊:SSやゲシュタポが主体となりナチスドイツ占領下のパルチザンの掃討やユダヤ人虐殺を担当した。)の残虐非道な少佐など。二人の心が壊れてしまっても仕方ないような筆舌に尽くしがたい体験、レニングラードのヘイマーケットの人食い夫婦がすりつぶした人肉でソーセージを売っていたとか、住んでいた共同住宅<キローフ>が爆撃で跡形もなく崩壊した、犬が爆弾(戦車の下に潜り込んで爆発する、対戦車犬)になっていた、凍りついた兵士の死体が立て看板になっていた、顔半分を失ったパルチザンが悲しい眼を殺人者に向けて、雪の上で体をゆらゆら揺らしていた、というような身の毛のよだつ体験が数々が続きます。 馬鹿馬鹿しさを通り越してどこか滑稽で仕方ない物語の進展と、決して避けて通れない戦争の厳しく無残な現実。そんな中にあっても下ネタと文学談義と恋愛指南といったふたりの掛け合いは限りなく明るく、これがかえって戦争への痛烈な風刺になっています。 構成は作者同名の小説家が祖父の戦争体験談を聞き書きしたという体裁をとっています。どこまでがフィクションでどこまでが事実なのか、読後に読者を煙に巻く著者、ベニオフ。さすがハリウッドでは映画『トロイ』や『X-MEN」シリーズのスピンオフ作品『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』の脚本家として活躍しているだけあり、映画にしてもさぞさまになるだろうという小説だと思います。帯にも書いてありましたが、本当に良質の「傑作歴史エンタテイメント」です。
2010年10月27日
コメント(0)
え~、今夜は諸般の事情で、明日は早番だというのに、午前3時15分までおきていなければなりません。その理由は、12月まではこの時間帯、つまり火曜日の夜は録画する番組が『もっけ』1作だったのが、ここに新たに『狼と香辛料』が1月から放送を開始したので、デスクを取り替えなければいけないためです。あ~ぁ、レコダーを買う時、奮発してHDD付きのにしておけば良かった・・・。後悔先に立たずとはまさしくこのことです。さて、話は変わりますが、今期、第4クールは中々良いアニメ作品が目白押しです。まずは人気絶好調で、そろそろ天野こずえさんの原作では終盤に差し掛かってきている『ARIA The ORIGINATION』に、先ほどの『狼と香辛料』。さらに『ウエルベールの物語 第二幕』、そして『キノの旅』の黒星紅白さんがキャラクター原案の『シゴフミ』など、見ごたえのある作品が結構あります。光に乗り換えたので、『ウエルベールの物語 第二幕』などは、ネットで配信されるのが視聴できるようになったのが良いですね。さて、ここで簡単に原作の『狼と香辛料』の解説を簡潔に(これが大変なんだな)しておきましょう。この本は、行商人の青年ロレンスと豊穣の狼神ホロの二人を主人公とした一風変わったライトノベルです。世界観は貨幣経済が定着し、様々な共同体が発展した中世ヨーロッパがベースとなっていて、王制や教会、商会などの利害関係、土着の信仰や慣習などが丹念にとり上げられています。そういったものが丁寧に積み上げられて商売に展開されていくのを、面白く読むことができます。幸運、不運に関わらず経済の動きにはなんらかの根拠があり、そこが商売の一番面白いところというのが良く書かれていると思います。また話のメインとなる商取引の顛末についても、なるほどなー、と納得できます。主人公のロレンスが常に一儲けたくらむ商人なので大筋は商売の話になりますが、ヒロインの賢狼ホロとの独特のしゃべり言葉での(「わっち]とかの)小気味良いやり取りも魅力の一つです。やり込められるロレンスや不意を突かれるホロの言葉遊びにニヤリとしてしまいます。とくに、ホロは商売の駆け引きでもなかなか尻尾をださない老練さを持っていながら、食べ物や衣装についてはその尻尾の動きで本音がばればれというところが可愛いです。ファンタジーが全く駄目でなければ、物語の筋もしっかり通っていて登場人物も魅力的な小説ですので一度読まれることをおすすめします。 簡潔ついでに『もっけ(1)』の解説もしておきましょうか。『もっけ』は主人公は姉の静流(しずる)と妹の端生(みずき)で静流は本来見えない妖怪が見える体質、端生は妖怪に憑かれやすい体質をそれぞれ持ち、彼女たちの日常生活の中での妖怪との出会いを中心に物語は構成されています。話は一話完結型でそのつど異なる妖怪が一種類紹介される形となります。作品のテイストは宮崎駿監督のトトロの世界観をイメージしていただくと近いと思います。そのため、お話は、ほのぼの、まったりと話が進んでいきます。でも、妖怪はトトロのようなよい奴ばかりではないので悪いものに憑かれて冷や冷やすることも…。このように、霊的な選良の物の怪への親近感と畏怖の両面が描かれていて、土俗的な独特の雰囲気とポピュラーな絵柄の絶妙な調和を降りなしています。何か落ち着いていて、夢のあるほのぼのとした穏やかな漫画を求めている人にお勧めの一冊です。(こちらは、最新刊です。)では、今夜はこれくらいで。それでは!
2008年01月15日
コメント(0)
みなさま、お久しぶりです。そして、新年おめでとうございます。本年も、鬱と戦いながら、また~りと自分のペースで生きて行きたいと思っております。それにしても、何ヶ月ぶりの更新となったのでしょうか?去年の8月あたりから書いてないような気がするので、半年近く放置していたのか!鬱と気に食わない同僚との闘いと、自動車での通勤による脳の磨耗で家に帰ってからはただ食事してダラリとテレビを見たり。パラリと本を捲ったり、調子の良い時は書を書いたりして、日付が変わる前には寝るという何とも健康的な(精神は荒み切っていましたが)生活を営んでおりました。で、何で今日更新しようかと思い立ったのは、一つ、正月明けたら絶対にブログを復活させるぞと、仏前と神前で誓ったこと。二つ、今日、ようやく我が家に光ケーブルが到達し、開通したという喜ばしき事があったからです。ちなみに今日は図書館は休館日。定年退職した父親と一緒になって工事とインターネットの接続作業を見守り、自分で無線LANをセッテングしてこうして気分晴れやかにブログに書き込んでいる、という状況なのであります。さて、私事はこのぐらいにしておいて、本のお話を少ししましょう。今日紹介する本は、佐野絵里子さんが描いた漫画『たまゆら童子』(2004年、リイド社)です。 佐野さんの漫画は、敬愛する森薫さんの『シャーリー』の新作が載っていた『雑誌 コミックビーム「フェローズ」Vol2』の中にあった『嵯峨野の月影~竹取物語絵伝』という短編作品で、その絵風に引かれていたのですが、去年、偶然にも新しくオープンしたあおい書店名古屋本店で、この絵風に良く似た本が面出しで売られていたので、即買いこんで読み込んだという一冊です。(ご覧のように、表紙からも綺麗で且つ繊細な絵であることがお分かりいただけるかと思います。本の中のカラーページも見事です。)さて、購入してさらに全三巻そろえて読んでみると、本当に独特な雰囲気を持った鳥獣戯画の流れを引き継いだともいえるような、「純日本」製と呼べる絵巻物的な雰囲気さえ漂う一品だと感じました。まさしく絵巻物を思わせる画面構成に、作者自身が丹念に選んだ面相筆によるシンプルな線の画線美。そしてそこから生まれる漫画の体裁を整えながら、決して漫画に収まらない佐野さんの独自の作風。三巻しか出版されていない、というか終わってしまっているのが惜しい、もっと読みたい、眺めたいと思う作品です。さて、そんな佐野さんの描く作品の主人公は、この世のものではない不思議な童子さま。その童子が、平安京の御世から鎌倉時代初期にかけての京の都を舞台に活躍(?)するお話です。登場人物も多彩で、都の一庶民から牛飼い童、侍、女人、さらには、歴史上の人物、紫式部や清少納言、藤原定家に小野道風、平清盛、変わったところでは安部清明まで登場します。さらに、菅原道真の都の館にあった梅の精や比叡の山の御神猿、さらには八百万の神様までお出ましとなるスケールの大きさ。ファンタジーの要素もたっぷりと加味されています。では、少しながら私の好きなエピソードを二つほど取り上げてみましょう。一つ目は、二巻目に収録されている「梅の淡雪」。これは、先に紹介した菅原道真の都の館にあった梅の精が、怨霊となって都人に恐れられているのを嘆き悲しんでいるところへ童子がやって来て、梅の精を道真が配流された大宰府まで一緒に連れて行くというお話です。天神様として、書の神様として崇められる道真と梅の精との関係を題材としたほんわかとなるお話です。二つ目は、同じく二巻目になるのですが「水鏡」。小野道風と藤原佐理とのおはなしです。若き頃から家柄に恵まれず書、一筋に励んで、老いてついに昇殿(宮中に正式に上がる事)栄誉をてにした道風が、同じく昇殿した藤原家の佐理の若く才能溢れる書を見て、己を何度も何度も飛び上がってやっと柳の枝にしがみ付いた蛙と嘆き、佐理を苦も無く柳の高みに燕に例えて、努力とは何ぞやと、己に問いかけている場面に、童子が現れ、佐理とて燕の雛のように最初から飛べたわけではないと、水鏡でその幼き日の姿を見せるというお話です。日本の三筆として称えられる和様の書を作り上げた小野道風(おののどうふう)と、それを受け継ぎ独自に昇華させた藤原佐理(ふじわらのさり)。書を書いている私にとって、どれも心に引っかかり、筆を持つ時にフッと思い出してしまうエピソードです。このように、この漫画の世界観は、とにかく読んでいくうちにいつのまにか引き込まれていくような感じで、多く語りすぎず、舌足らずでもないという読み手が最も心地よく思える、ちょうどよい表現だと思います。とにかく、この漫画の世界観というか、雰囲気は本当に心地よいものがあります。日本人なら、この雰囲気に馴染んで魅了されてしまう人が多いと断言できます。ですので、一度は読んでみることを是非におすすめします。
2008年01月07日
コメント(2)
はい、今日は図書館の休館日です。ですので、久々ぶりの、というか8月に入ってから管理画面すら見ていなかったのですが・・・、更新となります。今年は公共図書館に異動となったので、お盆休みも図書館へ出勤して仕事をしていました(泣)。去年までは、学校図書館だったので夏休みはノンビリと蔵書点検や、クラブ帰りの生徒たちとお喋りしていたのですが、今年の夏は凄まじく忙しかったです。学習室では騒ぎがおこるは、児童コーナーでは子どもが傍若無人な振る舞いをするはetc、と散々でした。でもまだ、夏休みが残っているのですよね~。この一週間は、駆け込みの読書感想文やら自由研究のレファレンスで、悲鳴モノでした。大体、この時期に人気の課題図書を借りようとする考えが甘すぎます!それから、自由研究は大体、万人同じような事を考えるのですから、当然、そのジャンルの本が少なくなるのは当然です。それを、本が少ない!と逆ギレされてもどうしろ?って感じです(しかも、いい大人がですよ、全く)。そんなこんなで、鬱も酷くなり夏バテも加わって健康的にも、大体夜の10時には就寝して、朝の7時に起床するという生活をおくっています。なにせ、公共図書館に移ってからは、自動車通勤となりまして、電車の中で仮眠を取れなくなっていますのでね~。ホント、自動車通勤は疲れます。あーぁ、お抱え運転手が欲しいな~、と贅沢な夢想をする今日この頃です。さて、こんな状況でも睡眠に入る少し前には、習慣的に読書は続けています。で、どんな本を今読んでいるかといいますと、高橋慶史著『ラスト・オブ・カンプフグルッペ』(大日本絵画、2001年)です。この本は、絶望的状況下で奮戦したドイツ機甲戦闘団・パンツァー・カンプフグルッペが主役です。第二次大戦末期、粘り強く戦いぬいたドイツ陸軍・武装SS、同じ枢軸国のイタリア・ハンガリー・ルーマニア陸軍、そして連合国のアメリカ陸軍の実録戦記を描いた本です。これまで光のあたらなかった小さな勝利の数々を丹念に掘り起こした、第二次世界大戦のドイツ軍戦記に関心がある人なら必ずこの本にたどり着くという、戦記ファン必読の一冊です。ここで、カンプフグルッペ(Kampfgruppe)について、簡単に説明をしておきましょう。このカンプフグルッペは直訳すると「戦闘集団」となります。では、実態はどのような部隊であったかと言いますと、戦車連隊や歩兵連隊を中心にして、各種支援部隊増強した「諸兵科連合部隊」というものです。部隊の大きさは、連隊+αといった規模です。例えば、このカンプフグルッペの中でも有名な武装SSのパイパー戦闘団(大体、指揮を取る部隊長の名前で呼ぶことが多いです。第1SS装甲師団所属)の部隊は、第1SS戦車連隊を基幹として第1SS装甲擲弾兵連隊第1大隊、第1SS装甲工兵大隊第3中隊、空軍第84突撃高射砲大隊を加えて編成されています。つまり、師団単位だと大きくて小回りが利かないので、臨機応変に戦線の状況に対応する為に作られた部隊であるといえるでしょう。それでは本の内容はといいますと、目次別に見てみると「SS長官は“冬至”がお好き―第106戦車旅団」。「バルト三国火消し稼業―SS戦車旅団“グロス”」、ドイツ側からみた「もう一つの『遙かなる橋』―第107戦車旅団」。戦闘で消耗してしまい戦車がなくなってしまった「戦車がなくても戦車師団?―SS第9戦車師団“ホーエンシュタウフェン”」。モスクワ、スターリングラード、そしてノルマンディーの戦いなどの重要な戦闘の要で必ず負けてしまったという「必敗の名指揮官―オッペロン=ブロニコフスキー」。「ドラキュラも驚く出血ぶり―ルーマニア第1戦車師団」。枢軸国軍側なのにパルチザン相手しか戦わず、その後、ソビエト側に寝返ってから初めて本格的な戦闘を経験したという「世にも不思議な枢軸軍―ブルガリア戦車旅団/師団」。魚雷艇や特殊潜航艇を運用する海軍部隊でありながら、イタリア降伏後は陸上部隊としてたたかった「戦場のメリークリスマス?―イタリアXMAS戦隊/師団」。米軍部隊としてはツキが無く大量の兵員を死傷させてしまった「“血のバケツ”―アメリカ第28歩兵師団」、戦線が自分たちの部隊を追い越してしまい、知らない間に前線後方で暴れ回ることになってしまった「虎たちに明日はない―戦闘団“シュルツェ”」。第二次世界大戦末期、乗る艦も無くなり、訓練も不十分で装備の悪い状況でも必死に連合国群と戦い、“青いSS”と畏怖された「陸に上がったカッパと象―第2海軍歩兵師団」、僅かな数の戦車で連合国部隊に立ち向かい、16両のシャーマン戦車を撃破しアメリカ軍のコンバット・コマンドを壊滅させてしまった「1945年のヴィレール・ボカージュ―SS戦車旅団ヴェストファーレン」、以上12編となっています。この中の一つ一つを取り上げて語っていきたいのですが、時間もかかるし面倒なので、大体どのようにこの本が各部隊を解説しているかを紹介しておくだけにしておきます。まずこの本の良いところは、ポートレートをはじめ珍しい写真も多く、またその出典が明らかにされていることです。著者はドイツへ留学したことがあるので、向こうの出版物も参考にして書かれているので内容には確かなものがあります。また、各部隊の編成が図表でひと目で分かりやすく表示されているのも良かったです。とくに私的にはルーマニア軍やブルガリア軍を取り上げた章が面白かったです。工業基盤が軟弱な中欧の小国が、どのようにして機械化部隊を編成してドイツ軍と協力して(というか、寄生して)東部戦線で、ソビエト軍と激闘を繰り広げたかが、書かれていた部分は非常に参考になりました。それにしても、これら中欧の国国力を考えると、太平洋戦争を独力で戦い抜いた大日本帝国はかなりの工業力を保持していて、戦車も飛行機も独力で開発・生産できたし、火器等もかなりの生産力を持っていたのだなぁ~と少々見直してしまいました。という訳で、この本は第二次世界大戦を描いた中でも手ごろに手に入る貴重な戦史録と思います。ヨーロッパ戦線での戦闘に興味のある方にはお勧めの一冊だと思います。ただ、少々値段が張りますので、懐事情が厳しい方は図書館で借りてくることを、お勧めします。かくいう、私もその1人なのですがね。続編もでています。
2007年08月27日
コメント(1)
台風4号が接近しているとの事で、久方ぶりに穴倉から出て参りました。皆様、お久しぶりです。鬱の症状は段々と良くなってはいるのですが、それに比例するかのごとく睡眠時間が増えまして、毎日健康的にも夜の23時頃には寝てしまっているという日々がここ最近続いていたのです。今日は、何故だか睡魔が襲ってこないので、というかWOWOWのCSIとコールドケースを見た後なので、気分がのっているのでしょう、ベッドに入る気分ではないので、こうしてブログを綴っている訳であります。それにしても、海外ドラマは良いですよね。どーも日本のドラマは白々しくて私は見る気がいたしません。WOWOWでは月曜の夜にもザ・ユニット米軍極秘部隊やGSG-9対テロ特殊部隊という私好みの軍事モノのドラマが始まって土曜・月曜は1週間で最も楽しみな日となっています。まあ、最前書きましたように、夜の23時位に睡魔に襲われるので、大抵は途中で寝てしまい、後で録画したのを見ている状況なのですが・・・。で、こんなもの見ているおかげで、アニメの録画の方がちっとも消化できないという悪循環に陥っているのですが・・・。まぁ、どうしようもありませんね。話が横道に逸れてしまいましたが、今日は近所の公立図書館で借りてきた戦争の神髄がわかる一冊を簡単に紹介したいと思います。その本とは、アルブレヒト・ヴァッカー著、中村康之訳『最強の狙撃手』(原書房、2007年4月)です。この本は、これまでのような全て狙撃に関する歴史だけのモノや国別での狙撃手の役割や個々の戦闘場面での狙撃話や少しだけ有名な狙撃手について個々に語られるだけの本でなく、第二次世界大戦のドイツ軍ナンバー2(公認記録257人)の第3山岳師団、第144山岳猟兵連隊所属の下士官、狙撃手ゼップ・アラーベルガーについて本人からの聞き取り等で書かれた狙撃手個人について書かれた記録である点がミソです。そのアラーベルガー本人は現在も生存しており、彼が軍隊への入隊から狙撃手になった経過、東部戦線での数々の狙撃や戦闘の残酷さや終戦で故郷に帰るまでがリアルに書かれているのが本書です。とくにこの本では、独ソ戦の暗部、イデオロギー戦と言う以前の人間性皆無の双方「捕虜を取らない」「後に残された負傷兵は虐殺」というような、血を血で洗う残酷な描写ばかりで、さらにまたリアルな写真が普通に載ってるので、迫力満点です。と、言いますか、このような戦記モノに免疫ゼロの人は読んではいけないと思います。ソビエト兵がドイツ軍や自国の兵士に行なった残酷な行為等は他の戦記物の本には描かれてないものでありますが、この本はそれらが余すところ無く記載されており戦争の残酷さがよく伝わってくる作品です。人間が此処まで残虐非道になれるのか・・・、とあらためて戦争の凄まじさを垣間見せてくれる1冊です。ですので、今回は内容をつまみ出してアレコレ書くことは出来ません。それほど強烈な本です。この本を読んで、ソビエト兵が満州侵攻の際、この本に書かれているようなモラルを持ち、実際に獣以下の行為を我々日本人、特に婦女子に行っていたと考えると・・・、寒気がします。ただ歴史を齧ったことのある人間として、この本を読んで感心すると同時に畏怖した事は、この本は残忍な程にリアリズムを追求していることです。ですので、手に取って読まれる方は、覚悟して読んでみてください。私的には、戦争の裏側を赤裸々に綴った1冊として、戦争やら軍事関連に興味のある方は一読する価値のある本だと思います。という感じで、今日は書いているうちに段々眠くなってきたので、簡単にまとめてみました。それでは、おやすみなさい。
2007年07月14日
コメント(7)
全290件 (290件中 1-50件目)