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1日のうちで有効に使えている時間はどのくらいあるのか?ということで、休日についても測定してみました。休日の過ごし方については、かなりフラストレーションが溜まる(休日も終わりが近づいてから「ああ、あれもやれてない、これもやれてない」ということが多い)ということなのですが、その理由の一端が見えた気がします。そもそも休日のうち、自由に使えている時間が5時間くらいしかない、ということに計ってみてわかりました。休日は、睡眠時間も長くなるし、溜まった家事もあるし、様々な用事が入る。もちろん「睡眠」「家事」「用事」みたいなものは、削ろうと思えば削れないことは無いかもしれませんが、実際には「無駄な時間」というよりは、「真っ当な生活を維持するために必要な時間」という認識の方が強い。で、上記にきっちり時間を確保しようと思うと、「自由になる時間」が減るのは当たり前ですね。ところが、自分の意識では「それでも自由になる時間はかなりあるだろう」という前提で、「これもあれもやりたい」と思っていて、結局思ったことの半分も出来ずに、夜になってしまう。ということで、フラストレーションの原因は「無駄な時間が多い」ということにある、というよりも、「あれもこれもやらなくては」というものが時間に比べて多すぎる、ということに気がついていなかった、ということがわかりました。フラストレーションを減らすには、いろいろなものを休日に「押し込む」ということをやめないといけないな、ということですね。実は休日の方が時間が切迫しているので、平日に「これは、出来なかったので休日に回して」というのを、むしろ逆に「休日にできなかったことを平日にやるようにする」ということが必要だなと。「出来ない部分は休日に」という思考パターンは、コンサル時代からくるものです。コンサル時代は平日は、睡眠・通勤・食事以外は、ほぼ100%仕事で、それでも終わらない仕事を土日にやる、というパターンでした。つまり、土日は「平日のバッファー」だったわけです。独身で職場に近くて、生活のほぼ100%を仕事にささげていたからこそ、出来た生活パターンでした。が、今の自分の環境では、弊害の方が多い考え方です。改めなければ、と思いました。これが今回の最大の発見。
2005/08/26
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1日のうちで有効に使えている時間はどのくらいあるのか?ということで、7月の末から3週間、自分が何にどれだけ時間を使っているのか、測ってみました。パソコン画面とメモを横に、細かく「今何をやったのか」ということを記録していく作業を3週間実施しました。3週間記録すると、自分がどんな風に時間を使っているか(つまりどんな風にムダにしているか)がかなりわかりました。時間をこまかくつけていく作業は、かなり面倒でしんどいですが。一番興味があった、「自分はいったいどのくらい仕事をしているのか?」ということについて、は「がっかりするけど、予想どおり」という結果になりました。会社にいる時間が、約11時間/日で、そのうち、「価値を出している」と自分で認識できる時間が、約3.5時間/日(約30%)でした。さすがにもう少し何とかしないといかんな。と思う数字ですね。で、残りの7.5時間はどこに消えているのか、というと、「机で作業をしていながら、明らかに集中できていなかったり、ただ悩んでいるだけの時間」(メールチェックしていたり、眠くて全く仕事が進まなかったり、ずいぶん長い休憩でネットサーフしていたりする時間)が3時間「明らかに価値を生まないミーティングに参加する。あるいは、自分が情報をもらう一方のミーティングに参加する。」といのが、約3時間。「仕事上の雑用」(机や書類を整理したり)と「休憩」(昼休みとか)が約1.5時間。事業会社に来て、「時間を奪われている感」(自分のアウトプットを出すために集中する時間が確保できないという苛立ちかもしれません)が強い時期があったのですが、実際には、「机で何もしていない時間」の方が多かった、ということもわかりました。(むしろ、自分で考えてアウトプットを出すための時間は確保できている方であろう、ともいえます)というわけで、一番「もったいない」時間の使い方が、「机の上で悩んでいる(悩んでいるふりをして、集中していない)」ということですね。煮詰まったり、体調が悪かったり、眠かったりしたときに、「がんばろう」と思って机にしがみついても、殆ど全く何も価値を産めない、ということがよくわかりました。で、コンサルタントの時にはどうしていたかな?と思い返すと、●労働時間を増やす(=睡眠時間を削ったり、食事する時間を削ったりとか)●本屋に出かけたり、コーヒーを買いに言ったり、同僚に雑談につきあってもらったり、ということで睡魔や集中できない時間をやりすごす⇒これも今の職場環境では難しそうです●とりあえず考える作業を脇に置いて、「どのみちやらなくてはならない単純作業」に着手するという感でした。結局「労働時間を増やす」ということで乗り切っていたような気がします。ただ、実感としては「深く集中できる時間」というのは一日のうちでそれほど増やせないと思っているので「集中できる3.5時間を何に使うか」ということをきちんと考えるのが、アウトプットを増やす一番の方法という風に感じます。
2005/08/22
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漢字を書いてみて、正しく書けているか自信が無くなってきたときに、漢字を「じーーっ」と眺めていると、見れば見るほど、違う漢字に見えてくる・・・。みたいなことってたまにあります。最近それの、「漢字版」でなく「言葉版」がおこって、ある言葉をじーーっと眺めてしまいました。「意思決定」という言葉です。英語の「Decision Making」を訳した言葉、ということになっていますが、「意思決定」って見れば見るほど不思議な言葉です。「意思」という言葉には、「自発的な・内面から沸き起こる・感情を伴う」ようなニュアンスがあるような気が何となくしています。ちなみに、ウィキペディアで調べると、”「~したい」「~しよう」(wollen)という形で行為を直接にうながす意欲。”とあります。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E6%80%9Dつまり、「本能か理性か」ということで言うと、限りなく「本能」に近い言葉だと思います。「意思を押し殺す」なんていう言葉もありますね。(意思を押し殺す場合、「意思」は「押し殺される側」なわけです)一方「決定」って、「何かを決める」ということですから、「本能」というよりは「理性」に近い言葉のように思えます。もちろん、「本能の赴くままに決める」というケースもありますが、多くの場合「合理的かどうか」ということが決定という言葉につきまとう気がします。「意思を押し殺して、彼に従うことを決めた」という場合、「決める」というのは、「意思を押し殺し」て決めているわけですから、「決定」は「意思を殺している側」なわけです。したがって、「意思決定」となると、「~したいという意欲を、決定する」というなんともちぐはぐな不思議な言葉になりますね。感情・本能の話をしているのか、理性・ロジックの話をしているのかがよくわからない。ところが、英語のDecision Makingという言葉は、わかりやすい。Decision(決断)をMake(作る)わけですから、要するに「決断する」というわけです。上記言葉で言うと「決定」に近いニュアンスですよね。つまり、AかBかのうち、どちらかを選択するという意味ですから、極端な話、「意思」が全く無くてもDecision Makeできるわけです。『殿、ご決断を!』というのが、Decision Makingという言葉から連想するニュアンス・イメージ。『今日の自分は、チャーハンが食べたいと思っているのかな?ラーメンが食べたいと思っているのかな?』というのが意思決定という言葉から連想するニュアンス・イメージです。何となく。で、本来の「意思決定」って英語のDecision Makingのニュアンスであるべきだと思っています。まさに「断を下す」わけです。ところが日本語の「意思決定」という言葉には、そういった切実なニュアンスが無い。というわけで、「意思決定」という言葉は、「私の嫌いな言葉」になりました。これからは必要な場面では極力「決断する」という言葉を使っていこうと思います。なかなか「意思決定」がなされない、さまざまな場面を思い浮かべ(現職でも前職でもね)、「決定がなされないのは、言葉そのもののせいか?」と何となく八つ当たりしてみました。
2005/08/13
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昨日の日記を受けて、今年の誕生日に印象に残った言葉ですね。今年の誕生日は、かつての仕事仲間(コンサルタント時代のお客さんだった人)と飲みました。で、ある大成功を収めた経営者の話になったのですが、その人の言葉で「優しさと弱さは違う」という言葉が非常に印象に残っています。例えば、あるサービスを受けたときに、サービスのレベルが自分が「こうあるべき」と思う最低限の水準を満たさないときに、きちんとその旨を言葉で言えるのか、黙っておくのか。あるいは、自分と対等な人・上の人に対して「ここは譲れない」と思ったところをきちんと主張できるか、「まぁいいか」と受けてしまったり流してしまったりするか。このようなときに、相手の心象を害してしまうのではないか?と遠慮して、言うべきことを言わないのは、「優しさ」ではなく「弱さ」である、というのが言葉の趣旨でした。その経営者は30前半で、父親から継いだ会社を年商ベースで数十倍に拡大した人なのですが、自分より年上の部下がいたり、社外でも年配の人と対等にわたりあったりする場面がたくさんあったのだと推察します。そういう部下や、社外の人に「ダメなものはダメ」「良いものは良い」ときちんと言えるだけの基準が自分の中にあり、その基準を守りぬけるか、というのが非常に重要だそうです。その基準がないと、他の人からナメられるし、自分の基準に相手を「引き上げる」「気づかせる」ということは、優しさがないとできないことですね。その経営者は、店員等が要領を得ない対応をしたり、不誠実な対応をしたり、声が小さかったりすると、「ちゃんとしゃべってくれないかな。聞こえないんだけど。」と、はっきりと抗議するそうです。一方、すばらしい応対をした店員等にたいしては、「いや、すばらしい。ありがとう。おかげで楽しかった」などと、はっきりほめる。彼の言動の根底には、「お金をもらってサービスする人みんなが素晴らしいサービスを提供して、サービスを受ける側によい思いを提供してもらいたい」という、自らが事業を行って培った経験からくる信念があります。だから、彼の基準から見て「お金をもらう基準に達していない」サービスに対しては、きちんとその旨フィードバックする、ということを実践しているわけです。この言葉を聞いて別の言葉を思い出しました。ある人(以下、Aさん)「ぼくの夢は、夢を追いかける人を助けることだ。その人のためにお金集めに奔走したり、手伝ったりしてあげたい。そういう人のために身をささげたい」ある金持ち(以下、金持ち)「で、例えばいくらお金を集めたいのだ」Aさん「300万円ほど・・」金持ち「つまり、あなたが助けたい人というのは、自分の夢のために300万円すら自分で工面できない人、ということだね」Aさん「・・・・」この場合、Aさんの気持ちは「優しさ」が発端となっていることは間違えないでしょう。しかし、Aさん自身が「弱い」ため、そんなAさんが自分の夢を果たせる領域は、Aさん以上に「弱い」人のいる領域、ということになってしまうわけです。「優しさ」と「弱さ」。何らかの「結果」を残したい場合には、この2つを混同してはいけない。ということを再認識しました。(そして、いつもの通り、自分の日々の仕事ぶりを反省・・・)
2005/08/12
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先週誕生日をむかえました。それで、「何か誕生日らしいことをブログに書こう」と思いつつ朝からずっと考えていたのだが、ハタと考えがとまってしまいました。昨年の誕生日にどこで何をやっていたのか、よく思い出せなかったからです。よくよく考えたら、昨年に限らずこの何年間か誕生日に「誕生日らしい」ことを全然していないなぁ、と思い至りました。(あ、もちろん毎年いろいろな人にいろいろな形でお祝いしていただいてます。皆さんどうもありがとう。)それでも自分自身は、別に「来年こそは」と思わないところを見ると、「誕生日だから」ということで何かをしてもらうのが、照れくさいだけでなく、たぶん「しっくり」行かないのでしょう。(あ、もちろんありがたいんです。すごくありがたいのですが。)ただ、毎年誕生日になるとやることがあります。祖母から電話がかかってきます。(祖母と電話で長く話をするのはこの日だけかもしれない。)親と妹からメールなりカードなりをもらいます。(だいたい「三十路」ということでからかわれる)で、「今年も健康ですごせるといいな」と思います。そして、日常に戻って、普通の一日を普通に過ごす。。という感じです。というわけで、誰が言った言葉か忘れてしまったが(多分ラジオで聞きました)誕生日というのは、「自分が生まれた日を祝ってもらう」ということもあるけど、「自分が生まれてきたことを感謝する日」であってもよいのではないか、と、何となくそう思います。その人(誰だか忘れました)は、誕生日は必ず母親と食事をするそうです。そうして、「ぼくを産んでくれてありがとう」と感謝の気持ちを表すのだそうです。こうやって健康に、幸せに一年を過ごせたことを感謝するという誕生日も悪くないなぁ、と思い、32歳になりました。で、今年の誕生日に印象に残った言葉、これはまた明日(これまた見事に誕生日に関係のない言葉なのですが)
2005/08/11
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本日も印象に残った、発言の引用です。アップルの創業者である、スティーブ=ジョブス氏がスタンフォードの学位授与式で行ったスピーチだそうです。以下で見る事もできますし、http://hhashiguchi.jugem.jp/?eid=262カリスマコンサルタントのTomPetersのページでも引用がされていますので、http://www.tompeters.com/slides/uploaded/Jobs-Stanford062005.pptかなり反響の大きかったスピーチなんだろうな、と想像できます。と、期待しながら原文を読んだのですが、期待にたがわぬ内容でした。いや、よかったです。一番印象に残ったのは、「点と点をつなぐ」のくだりです。「未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。」というわけで、「後から振り返ってみて、つなぐ価値のある『点』をどれだけ作れるか」「自分にとって大事な『点』を過去の自分からどれだけ見出せるか」ということを大事にする必要があるんだな、と思いました。
2005/08/10
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