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近ごろのホテルは禁煙部屋と喫煙部屋が別になっている。前日までに泊まっていた客のものは、匂いたりとも残さないというわけだ。 だからもちろん、忘れ物は言うに及ばず、メモに使った紙切れなどが残っているはずがない。 ところが昨日、ただひとつ残っているものがあった。 宿泊客用の案内に MORNING CALL とあるのを消して手書きで WAKE-UP CALL と書き直している。ずいぶんと汚い字だから、ホテルの人が直したとは思えない。 なるほど、やはり気になる人は直さずにはおられないのだなと思って、よく見ると、この WAKE-UPの文字、どこか見覚えのある字ではないか。 そう言えば、1ヵ月ほど前、同じホテルに泊まっている。そのときも同じ4階だったから、部屋番号は覚えていないけれども、同じ40×号室だったような気もする。 理由はどうあれ、これは落書きである。紙切れ1枚をケースに入れてあるだけのものだから、器物損傷の罪に問われたり、損害賠償を求められたりすることはないにしても、落書きであることに変わりはない。 壁に書いたものなら、そう簡単に消せないけれども、紙切れ1枚、取り替えればすむことである。それなのに、その落書きが1ヵ月近くもそのまま放置されている。 ブログの書き込みでも、ちょっと気にいらなければ即削除される昨今、ホテルの部屋で1ヵ月も消されないで残るものがあるとはすごいことだ。 でも、ちょっと待て。本当に残ったのはその紙切れなんかではない。消されなかったのは落書きなんかではない。WAKE-UPと書き直された事実は見向きもされず、MORNING CALLという偽装英語だけがいつまでも残ることだろう。 消されずに残っていたのはむしろ、MORNING CALL という偽装英語の方である。 ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。
2008年01月20日
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いわゆる日本語関連本には、実にくだないことがえんえんと並べられている。「課長は馬齢を重ねられ」がおかしいことは字を見れば一目瞭然であって、逆にそんなことを知らずにサラリーマンになるなと言いたくなる。 そのくせ、上京がおかしいということはどこにも書いていない。 こちらが自ら上京すると言うのは、もちろん何ら問題がない。 しかし、いやしくもことばを仕事にしているはずの翻訳会社の社長が「今度はいつ上京されますか」と言うとは、まさに「馬齢を重ねられ」に劣らず無礼ではないか。 しかも、馬なら走る速さでは歯が立たないから一目置いているが、大阪が東京に負けているものと言えば物価の高さくらいのもの。 新しい知事が大阪から東京に向うときには「これから下阪します」と堂々と言ってもらいたい。 いやいや、本当はこれもダメ。下阪はあくまで相手に言わせるもの。 石原都知事に「今度、いつ下阪されますか」と言わせるような骨のある人に、次の大阪府知事になってもらいたい。 ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。
2008年01月19日
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今日ばかりは笑いが止まらない。 日本政府が長期滞在する外国人に「日本語能力」を課すことを考えていることがわかった。 そんなことをしたら、日本におれなくなるのはアンタたちだぜ。 それととんでもない翻訳者たち。 ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。
2008年01月15日
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競争社会という偽装(1) 近ごろ、何かにつけて偽装が話題になっているが、偽装なんてものは人類の歴史、いや生物の歴史が始まったときからあるもので、今さら騒いでみたところでどうなるものでもない。 枯葉と見まがう昆虫がいる。周囲の環境に合わせて七色に変化する爬虫類がいる。これが偽装でなくていったい何だと言うのか。 ところで、競争社会というけれども、あれも一種の偽装だと思う。 その昔、大学受験や通訳ガイド試験の競争率の高さにしばし呆然となったとき、勇気を与えてくれたことばがある。 どんなに競争率が高くても、合否を争う人数は定員のせいぜい2倍である。 ということは、その2倍までに入らない人たちとは競争なんかしていないということである。 中学生のとき、よく考えてみれば、成績で勝ったことも負けたこともある生徒はせいぜいクラスで3人か4人しかいない。それ以外の生徒とは競争なんかしていなかったことになる。 体育の先生が、こんなことを言った。アル中で有名だった先生だが、これだけは名言だと思った。ある程度勉強のできる生徒はもう勉強なんかしないで、体育に力をいれて、体を鍛えるべきだ。(それでこそ、バランスがとれる)なるほど、これはいいことを聞いたと思って父に言ったら、「ただな、そうすると、抜かれる可能性がある」と、父独特の理屈が返ってきた。本当に競争社会なら、抜かれることがあるのは当たり前。抜かれることがいけないのであれば、これはもう競争ではなくて、「固定」である。テストとなれば、必ず出題範囲が決まっていて、それ以上のことを勉強しても点数につながらない。入試でも「これ以上のことを出題してはならない」という約束事がある。競争というより、親や先生がお膳立てをして、「だいたい、お前はこの程度の人間だから、常にこの辺の位置におれ」と、「配置」を決めているだけのことだ。ぼくたちが中学以来続けてきた反抗が空回りに終わったのはきっとそのためだ。競争でもないものを、競争がいけないとか、受験戦争なんかなくなれとか叫んでもうまくいくはずなんかなかったのだ。今頃になって、そんなことに気づくなんて、いったい何を「勉強」してきたのだろう。その点、そろばん学校には本当の競争があった。小学生だって、高校生に負けるものかと思って本気でがんばった。そしたら勝てた。でも、そろばんでは勝っても高校生はやっぱり高校生、それだけの人生を歩んでいる分、小学生ではとうてい及ばないものをもっていることがわかった。だから、尊敬もできた。 競争のあるところにこそ、真実があるような気がする。 だから、本当は競争がいけないんではなくて、本当の競争ができないことがいけないんではないか。 ←ランキングに登録しています。何かちょっとでも得るものがあったと思われたら、ぜひクリックをお願いします。
2008年01月13日
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