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通常保育も4日目。食事中、椅子から逃げ出したり、遊びの時間が終わりだ、と告げても「いやぁ」と動かなかったり、すでに、好き勝手、やり始めたようで、恐縮だが安心した。ただ、まだ、保育園で排泄するのが難しいようだし、お昼寝も、家では、たっぷり2時間眠るのに、保育園では1時間足らずで起きてしまうようなので、日常生活、というよりは、まだまだ旅行気分の興奮状態で過ごしているようだが。保育園の効果は目を見張るものがあって、それは、とてもこんなスペースでは書ききれないので、また、おいおい書き記していきたいのだが、中でも、私と娘の両方に効果があり、且つ、最大の懸案事項だった事について記したいと思う。それは、摂食障害、だ。もう、しつこくなるので、娘がどれだけ摂食障害なのか、を、書くのは止めたいと思う。が、そんなに、しつこく書いても尚、娘の症状として『摂食障害』と、公に書いて助けを請うことは出来ない。何度か栄養不良で入院し、栄養面やらで手厚くフォローしてもらっている主治医のいる病院でも、娘が摂食が苦手で、新陳代謝が良すぎるのか、普通に摂取した栄養では足りない身体的特徴を持つ、と知っていてくれて、何か病気をすれば、そういったことも加味して早め早めの治療をしてくれはするが、だからといって、『摂食障害』である、という診断名がついて、そのための治療やら、指導やら、をしてくれるわけではない。このことは、私を、孤独、にしていた。誰にも分かってもらえない、苦痛。誰かに相談しようものなら、母としての私が足りない、と、暗に言っている指導や助言しかしてもらえず、落ち込むだけの毎日。ようやくネットで同じような症状のお子さんを持った方に出会えて、心の負担は減ったものの、実際にお互いの子供の様子をみている訳ではない。私のやり方が悪かったのではないか。今でも、私さえ、やり方を上手にしたら、食べられるような状態なのではないのか。どうしても、自責の念を拭えずに、苦しんでいた。保育園での食事。私はもともと、食事面での入院の件や、経管栄養であった経緯を説明して、そのフォローに積極的だった園を選んだので、問題はなかった。が、娘は人前に出ると張り切るタイプであるし、娘なりに雰囲気を察して外面を出していたので、母子通園の最中は、保育士さんの手から食べさせてもらえば、口を開けていた。が、やはり量を食べることは出来ず、家に帰って、気が狂ったように彼女の好物を食べていた。私はそれでもいい、と、思った。どんなに空腹でも、彼女の好物でも、それでもテンション低くしか食べない、それが娘であったから、こうやって、肉体的精神的に疲れて、家でばかばか食べてくれたら、それも保育園効果だ、と、思い、連絡帳にも、そう書いた。ところが、母子通園を終えて初日で既に外面を止めてしまったようで、連絡帳からは苦慮がにじみ出ていた。『納豆と白飯と汁物、さえあれば、なんとか食べます。』と、事前に言っておいたので、その日は、特別にそのメニューで乗り切ったようで、私は、それでも、有難い、と思っていた。私は、その旨を書き、最後に、『食事に関して、私たち母娘の関係は壊れてしまっていて、食べさせることはテクニックで出来るのですが、食事の楽しさを教えてあげることは、もう出来ません。どうか、お友達との楽しい雰囲気の中で、それを教えてあげてください。』と、書いた。ところが、その一連のことが、障害児保育に長けている、この保育園側に火を点けてしまったようで、娘の食事のことが会議に諮られ、調理場と担任保育士たちがタッグを組み、徹底的に娘を研究してくれているようなのだ。調理場では、娘の食べ易い大きさ、調理方法など。保育士側では、娘の食べさせ方、食器の使い方、癖、性格。その研究成果が連絡帳から溢れるほどに書かれ、お迎えに行っても、まず、その話からしてくれる。私の方も、家で分かっている範囲のことを書き、ただ、家でのやり方が正しいことはないし、保育園では保育園での娘の顔があるだろうし、最低限にとどめて、保育園に一任します、と、付け加えて書いた。そんなやり取りをしながら、この4日目。担任保育士さんから今日の成果を伺っていると、思いがけない言葉をいただいた。「お母さん…今まで大変だったでしょ、一日3回、作る作業もあるのに、よく一人で頑張ってきたね。」どう工夫しても、どうも娘には1時間は食事時間がかかる、と、判断し、お昼寝の時間に食い込んで食べさせているようなのだ。よく、食事時間は30分、それ以上はダラダラ食いになるから、と、言われているが、うちでは娘の1回の食事時間が、ゆうに1時間を超える。そのことについて、もう誰にも相談していなかった。説教されるに決まっているからだ。でも、誰がなんと言っても、娘の食事時間に1時間はかかる。これは、もう説明しようのないことで、本当に、普通に1時間、娘は食べているのだ、トロトロと。椅子に座って。一口食べるごとに、警戒したり、必死で飲み込んだり、気が散ったり、しながら。彼女の周りだけ、時間の流れが違う、ように。担任の保育士の言葉を聞いて、私は思わず、人前で泣いてしまうところだった。娘を保育する同士を見つけたような安心感。今までの自分に対する自信。そして、確信した。やはり、子供の摂食障害は家庭だけでの治療ではなく、こういった良質な第三者が必要だ、と。「お母さん、昼食とおやつだけで悪いけど、この二つは保育園が全力で請け負うから、少しゆっくりしてね。△△(娘の名前)ちゃんの情報を交換して、一緒に頑張ろうね。」本当に本当に、涙があふれ出てしまうところだった。
2005.04.14
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通常保育、2日目。初日の昨日は、いきなり背中でバイバイ。涙のお別れもないまま、私は保育園を後にした。が、お迎えに行ったら、私を見つけるなり足を踏み鳴らし駆けてきて、首にかじりついた。担任の保育士さんに日中の様子を聞くと、涙も見せず楽しく過ごしていたそうだが、私を見つけたときの興奮しようからすると、「明日がどうなるか、ですね。」と、言う。初日、訳も分からず流された状態で頑張れたとしても、次の日から理解して愚図つく子供も多い、という。初日の帰り道。娘は興奮状態で、何かしきりに言っていた。分かる言葉は、手話をつけて「いーしょ(一緒)」「あまま(バナナ)」手話をつけて「あってぇ(待って)」のみ。察するに、「保育園で、お友達と一緒に遊んで、お母さんを待って出来たよ。頑張ったよ。」ということらしい。この状態は夜になっても続き、ひっきりなしに「あまま(バナナ)」と私に言い、私が、「保育園で、ばなな△△(娘の名前)ちゃんに変身できたね。」「あ、もしかして、保育園では、ばななですか?」などと聞いてあげると、なんともいいようのない誇らしげな顔をした。実は、この表情(顔)を見るの初めてでは、ない。結局、日記には書けず仕舞いでここまで来てしまったが、娘は今年の1月から3月までの3ヶ月間であるが、近所のスポーツジムの体操と水泳に通っていた。フリー出席制で、予約が空いていればいつでも行け、体操と水泳、合わせて8500円。毎日は無理でも、一日おきなら必ず予約を入れることが出来たので、体操と水泳を交互に。療育や通院がない日は、足しげく通っていた。保育園が無理だった場合の苦肉の策で、母子参加型では、母親無しで頑張る練習にならないし、かといって、完全に預ける型では断られるし、断られないとしても、補聴器の管理、食事など、心配の面が残るし、勉強系の幼児教室では、本人もやる気になるのに時間がかかるだろうし、教室を一人、走り回っている姿を見守るのも辛いし、周囲にも恐縮だし。消去法でたどりついたのが、ここだった。体操も水泳も母子分離で行われるが、ガラスのこちら側から親が見学していることが出来るので、補聴器などのチェックも出来るし、食事の心配もいらないし、運動系は娘の好きな分野。しかも、曜日関係なく割り込んでくる通院も、フリー出席制なら無駄にしなくえすむ。あるあるの状態だった。問題は『補聴器を付けての参加』を、どうやって認めてもらうのか。娘の補聴器は補助金もなく眼鏡と同じ扱い。眼鏡をかけて参加出来るのに、どうして補聴器は駄目なのか。相手は全国展開している有名なスポーツジム。いざとなったら、評判を悪くすると揺さぶろうか。理論武装バリバリで交渉に行ったところ、あっさりと快諾してくれた。それどころか、担当のコーチから電話をいただき、どんなことに気をつけたらいいですか。補聴器の付け方を勉強させてください。覚えた方が良い手話はありますか。などなど、気にかけていただき、最後に、コーチ全員に徹底させますから安心してくださいね。とまで言ってもらった。実際、3ヶ月間。娘は本当によくしてもらい、保育園の入園で、時間が合わなくなったので止めざるを得なかったのだが、心から残念に思い、娘も未だにそこを通ると、行きたそうにする。たかだか1時間。しかも、ガラス越の母子分離だったが、娘にとっては大きな壁だった。初日は、ただただ泣いているだけで1時間があっという間に過ぎた。2週間たっても、その状態はほとんど変わることはなかった。3週間たった、ある日の水泳。相変わらず大泣きで連れて行かれ、プールでも泣いていたのだが、その日はいつもと違い、スペシャルゲストがいた。娘がようやく抱えられるぐらいの大きさのプーさん、だった。水遊び用に、その日から投入されたものらしいのだが、娘はそれを見つけるなり、ぱっと泣き止み、奪いさった。そして、1時間中、何をする時でも、ずっと抱き合っていた。コーチも取り上げることはしなかった。時間を終えて、ウサギのバスローブ姿で帰ってきた娘は、これまでに見たことのないような誇らしげな表情をし興奮していた。それを見たとき、あぁ、ここに払ったお金は無駄じゃなかったな、と、心から安堵の息をもらした。その日以来、涙を見せることはなく、まもなく、ガラス越の私を振り返ることもなくなった。保育園の初日後。私は、また、この誇らしげの表情をみて安堵した。きっと大丈夫だろう、と、思った。2日目がどうなるかは分からなかったが、長い目でみれば、きっとやっていける、と、思った。そして、2日目の朝。私は娘に聞いてみた。「保育園に行く人?」笑顔で娘は手をあげた。「はぁーい!」保育園に着き、すでに遊びはじめている娘に、また、初日と同じように説明した。「ここで、お友達と一緒に遊んでお母さんを待っててね。」娘はチラリと私を見上げると、「うん」と言い、また、すぐにブロックで遊びながら、「ばいばーい」と言った。涙の別れはなかった。帰り道。私は、スポーツジムで泣いてかじりついていた娘を思い出して、初日の昨日とは違い、少しだけ、ほんのほんの少しだけ、寂しくなった。
2005.04.12
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今週から通常保育になった。朝、9時に娘を連れて保育園に。慣れない作業にとまどりながら、エプロン、着替えなどを所定の位置に置き、連絡ノートを提出し、お昼寝布団をセットし。すでに遊びはじめていた娘に、朝から説明していたことを、手話を交えて、もう1度繰り返す。お母さんが迎えにくるまで、みんなと一緒に遊んで、待って、しててね。朝と同じように、「うん」と、うなづき、「ばいば~い」と手を振った。涙の別れはなかった。保育園を出て、近くの大学へ。学外者用のIDカードを作ってもらい、かねてから見たかった研究者の論文が載っている紀要を端末で検索し、地下の書庫へ向かう。書庫に入るための受付でIDカードを預け、荷物をロッカーに入れ、ゲートをくぐると、地下とは思えない高い天井の広く暗い空間が現れた。戸棚の番号をチェックしながら、お目当ての紀要を発見すると、かじりつくように、その場で座りこんで読みふけった。はるか上方の明りとりの窓から、暖かな日差しが一本、私の足元に伸び、その光の中で、書庫独特の埃が舞う。湿っぽく、少し肌寒い。古いインクの黴たようなにおい。同じ目的でここに来て、同じ目的でここの本を手にした、そんな先人たちの息遣いが聞こえてくるかのような静けさ。私は猛烈な眠気に襲われ、思わず目を閉じた。目を閉じた暗闇の中、頭の中をグルグルと、様々な思いがめぐる。いつもの衝動。吐き気をもよおす程の胸の痞え。緊張感。泣けてくるほどの焦燥感。が、一瞬で、ここの広い空間の中に、木っ端微塵の砕けちったかのように霧散し、コンクリート剥き出しの柱にもたれて、私は本当に眠ってしまった。家に戻る時。意識したつもりは全くなかったのに、何故か通園路を通っていた。保育園を遠くから眺め、娘の姿を探してみると、皆に交じって走りまわっていた。途中、タンポポが群生している空き地で足を止めた。空き地に入らないように渡してある柵で、娘はいつも、鉄棒遊びをしている場所だった。私は携帯を取り出して、満開に咲いているタンポポの写真を一枚、撮った。学生時代の友人が、タンポポが好きだ、と、言っていたのを思いだしたからだった。綺麗に撮れていることを確認すると、私は彼女にメールを送った。
2005.04.11
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朝から頭が痛い。体が重い。これはきっと、母子通園疲れ、だ。母子通園は肉体的に疲れたが、得るものは大きかった。保育内容も分かったし、保育士さんたちと、ずっとお話が出来るので、娘についての情報交換もスムーズに出来る。食事も食べてみることが出来たし、ちょっとしたよそ行きの娘も見ることができた。何より、担任の保育士さんたちに絶対の安心感をもつことが出来たのは大きい。特に、30代のベテランの保育士さんには脱帽だった。褒めるときは、他人の子供を抱きしめているとは思えない程抱きしめ、頬を寄せる。怒るときは子供の目線で、絶妙なタイミングでカツンと声色を変える。散歩で列が乱れても、彼女が一声カツンとかけると子供たちは列を直す。が、嫌だったり、怖かったりするときも、誰よりもまず、彼女の胸に飛びついて泣く。娘に対しても、凄かった。一番、凄い、と思ったのは、娘に対する姿勢だった。あくまでも他の子供と同じことをさせるのだが、きちんと、さりげなく他の保育士に指示をして娘をフォローさせる。フォローさせながら娘を観察し、「結構、腕の力、強いね」「こんなことも出来るんだね」と、出来ることだけを幾つも幾つも幾つもピックアップして、他の保育士と相槌を打ちあう。同じ場面を同じ場所から私も見ているのだが、あれも出来ない、これも出来ない、と、目を覆いたくなるような状況なのだ。出来ない、ではなくて、出来る。『知的障害児からの脱却』で、私も心に誓ったはずなのに、全く、てんでお話にならないくらい出来ていなかった。…母子通園疲れには、この、心の疲れが大きいのだ、と思う。母子通園初日。ここまで、同世代の子供と差があるとは思っていなかった。3つの机は、発達が同じ位の子供同士を座らせてあって、娘の席は一番遅い机だった。それなのに、そこの机の子供たちのどの子供よりも遅い。6月生まれなのに、半年も年下の子供に、「赤ちゃん」と頭をなでられる。もっと、大きな子供たちに囲まれ、ヘンなもの(補聴器)をつけている、(手術跡を指差し)顔がヘン、と、言われ、震えている姿。滑り台をしようとしても、その速い回転についていけず。娘が何かしようとすると「だめよ!」と言うお節介クラスメートの顔色を伺ったり。だからといって、この保育園という選択が間違っていたのでは、尚早だったのでは、と、思っているわけではない。たった、一週間だが、同じマンションの人、何人にも、「顔が精悍になった」「発散した良い顔をしているね」と声をかけられるほど、親の目からも、娘はメキメキっと良い方向へ変わった。問題は私の方だ。障害児って、もう分かってるはずなのに。障碍を受け入れて、相対的な彼女の価値を認めて、更に、絶対的価値も高めてあげたい、と、誓いをたてたハズなのに。他の子供と比べて出来の悪い娘にイラついている。家に帰って、他の子供がやっていた遊びを強要したり、お着替えの全てをやらせようと、恫喝したり。何やってんだ私、何やってんだ私。母子通園中。娘は本当に良く頑張った。家では出来なかったことまで、周囲の雰囲気につられてか出来てしまった。この土日で、そんな娘をいっぱいいっぱい可愛がってあげようと思っていた。その気持ちに嘘はないのだ。でも、どうしてもどうしても悲しくなってイライラが止まらない。朝から、娘に優しくしてあげることが出来ない。頭は割れるように痛み、誰か背負っているかのように立ち上がるのも困難なほど、体が重い。…そんな120点、150点の娘でさえも、ここにいる誰よりも発達が遅いんだ…分かっていたはずの現実。目の辺りにしてみたら、直視していることが、やっと、だった。
2005.04.09
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娘が慣れるまで、まずは母子通園をすることにした。面白いもので、「通常のお子さんと同じスケジュールでいいですよ~」と向こうが預かる気をみせてくれると、何故だか、やる気になってくる。一緒にいれば、補聴器の説明や、食事の説明など、自然とお互いに伝えあえるし、ぶっちゃけ、保育内容に興味もあるし、娘のことも気にならないわけでもないわけでもないし、ノリノリで始めてみた。…ところが、はじめてみてスグに後悔した。母子通園。私は娘だけをみていればいいのだが、珍しい大人を他の子供が放っておくわけはない。娘をほめれば、やれ自分も自分も、と、やってくる。娘の口に食事を運べば、甘えさせてくれる大人がやってきた、とばかりに、せがまれる。保育士さんたちもフォローをしてくれるのだが、一度、ヤキモチを焼いてしまった娘の気持ちは戻らない。何かある度に、遠くに遊びに行っていても戻ってきて、周囲から私を離し、他の子に負けそうになれば、秘儀、抱っこ攻撃で甘えてくる。まぁ、そんな風に愛されているのも悪くはないけど、家に帰っても機嫌が悪くて、大変だろうなぁ~と思うと、こんなに無償で疲れた上に残業か、と、どっと疲れも増す気がする。後悔しながら考えついた。今の状況を一言で言うなら、『店で出会ったとはいえ、本命の同棲中の彼女が、お客として店に来られて、やりにくいホスト』だなぁ、と。仕事なんだから、他の女の子に優しくしないわけにもいかず、なのに、分かってくれない彼女に、本命はキミだよ、と、合図も送らなければならず、でもまぁ、そんな彼女も可愛いけど、家に帰ったら、責められるのも腹たつなぁ、みたいな。この保育園のことだから、や~めた、と言えば聞いてくれると思うんだけど、なんだか、こちらから言いだした手前、言いづらい気もするしなぁ。いつまで続くんだ、このホスト業。今週いっぱいっぽいんだけどなぁ…。
2005.04.06
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入園式に行ってきた。たまたま仕事が休みだった夫と、私、そして娘。入園式、とはいえ2歳児の新入園児は娘だけで、一番多い0歳児入園を合わせても、わずか17名の新入園児のための式である。式前の打ち合わせで、彼が娘を抱いて列席し、私がビデオカメラ担当になった。暖かな日差しの色とは異なって、桜のつぼみも、その身を固くガードしなおしてしまいそうな風の強い日。無理やり、在園児の言葉、など、芸をさせるわけでもなく、堅いご挨拶が長々と続くわけでもなく、それだからといって、在園児が走り回って秩序を乱すわけでもなく、かといって、強要されて、そこに座っているようにも見えず、保育士などスタッフが楽しそうにノビノビと挨拶をし、絶えず笑いがこぼれ、子供たちが作ってくれた、歓迎の文字や絵やプレゼントが溢れ、外の風を忘れてしまうほどの暖かな部屋、どうしても入りたかった、この保育園。カメラの中には、頬を寄せて笑い合っている可愛い我が子と、大切な夫。手の中で回しているビデオカメラの中に、このまま入りこんでしまいたかった。
2005.04.04
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