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娘のよだれについて、思いっきり悩んでいる。口のしまりが悪く半開き、舌も飛び出し、でも、唇から出ない程度にその空間をふさぎ、そこからよだれがダラーリだらり…。発達遅滞の子供にはよく見かける口元だし、そもそも口に(も)障害があるんだし、更に、経管栄養だったこともあって口は未発達なのだから、仕方がないのは分かる。でも、「よだれはない方が困るし、多すぎて悩むものではないのよ。」といわれても、それはおそらく、1歳程度の子供の段階の話。どんな可愛い服を着せても、なんだかカッコ悪く見えるし、保育園の準備も一手間増えるし、そもそも、大きい子供用のよだれかけなんて、見つからない。事実、先日。安いのに撥水加工をほどこされていたために、ついつい、(勝手に)中国製品不買運動の禁を破って買ってしまった、大量のよだれかけ群は、娘が一瞬、「ぐえ…」と声をあげたほどパッツンパッツンで、思わずこちらも、「ぐえ…」と声をあげてしまう始末だった…。作る…と言ったって腕がないし、ネットで作ってもらえるところもあり、洒落ているが、お高めだし、よだれ吸収率は実用性に乏しい。義母なら電話すれば、無料で好みの物を作ってくれるだろうが……まずは、普段から忙しい身の上であることを聞き、具体的にどれだけ忙しくて、誰々に着物を作ることを頼まれている旨を聞き、近所の人に頼まれている内容を聞き、市の活動、ボランティアの日程を伺い、「あそこの誰々さんみたいに、孫一辺倒の生活はみっともないから嫌や~実際、そんなんする暇がないくらい、忙しぃて忙しぃて」そんな義母に、皆に放っておかれない、人徳の持ち主である旨を褒めた上で、「隣のなんやらさんは、娘が子供連れて来てな、全然帰らへんねん、離婚するのんと違うか~あんたんとこは大丈夫やなぁ~□□(夫の名前)はそんな無責任なことするタイプじゃあないわ~浮気とかするなら、あんたの方やろ?」と、息子の自慢話を聞き、「あそこんとこの角の何何さん、娘が出産やら、孫の世話やらで、まーったく集まりに来なくなって、感じ悪いわぁ」「最近、集まるのは、男の子の親ばぁっかり。」「産むなら女の子やわぁ…姑に自分の子供触られるのーって、普通、お嫁さんは嫌がるやん?」「ほら、義理の家やと帰りにくいーって、言うやん??」…やっぱ、止めておこう…通っている言語聴覚士などは、「少し、口もとを意識させてあげたら」というが、結構、とんでもなく、時には泣かせてまで、意識させようと詰めよっているのだが、その場限り。もう、性格なんだか、発達遅滞なんだか、あんまり、気にさせると神経を病んでチックになる、とかいうが、彼女はお構いなし。もう、こっちがチックになりそうだ。ようは、まだ、よだれ終結の時期になく、彼女のペースを待ってあげればいい、それだけのことなのだ。分かってはいるのだが、保育園での手つなぎ。よだれのついた手の娘と手をつないだ子供が、ぱっと手を離して地面で拭いていたり、娘にぶつかった子供が、「びちゃびちゃ…」と嫌な顔をしたり、そんな場面を見ると切なくなるし、そのことに気付かない娘を見ると、切なさを通り過ぎて怒りさえ覚える。…まぁ、他の子供にきたながられても気付かなかったり、恥ずかしがったりしないこと自体が、まさに、よだれ終結の時期ではない、何よりの証明であるし、だからこそ、嫌がられるわけで、切なくても、待つしかないわけで…。ほんと、切ないなぁ。。
2005.09.30
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7月30日、31日、8月1日の3日間。広島で行われた『第37回全国保育団体合同研究集会』に出席した内容を書きたい、書きたい、と思って、今になってしまった。保育園の方には既に、無駄なほど分厚い、まさに冗長といった報告書を作成し、私見と共に提出済で、それをそのまま、こちらにも掲載しようと思ったら、それはダメらしい。合研の内容を許可なくホームページに掲載してはいけないそうで、自分としては、ここで知り合った友達にも情報をお分けしたい、程度の心意気でしかないのだが、仕方が無い。3日間で得たことの一部を抜粋して、私見も加えてみたいと思う。3日の間に、様々な人、園、研究者の発表を耳にしたが、やはり、人は、今、自分が置かれている状況テリトリーを越えることまでは耳に入ってこないらしい。日本国憲法。世界の保育事情。就学問題。など、必要で、興味深いものは多く存在したのだが、今、ここで資料無しに思い出せるほど心に残っているもの、といえば、障害児保育のことについてばかりだった。そういう立場で見てみると、中東諸国で、政権交代の選挙の投票に命がけで行く人の魂を尊く感じられる。今、食べる物も不足し、行けば命さえも失ってしまうかもしれない状況で、確かに、国が変わらなければ生活も変わらない、という理屈は正論だが、それでも、行けるか、と言われたら私は自信がない。それよりも、子供のミルク代を稼ぎに戦車の部品をくすねに行ったりと、自分の生活に手一杯で大局を見ることは出来ないだろう、と思う。…と、閑話休題。以下に、合研で考えたことを、ほんの少しだが、ここにも残して置きたいと思う。【気管切開の子供の就学問題】『医療的ケアを必要とする子供は集団保育に適さない』と、嘆願むなしく市から保育園入園を拒否された気管切開の子供を、看護士の常駐する保育園が園長判断で入園させて、問題なくやってきた。が、就学の時、通常学級に進学したいと市に申し出ると、「親も一緒に登園するなら可、それ以外なら、障害児学級の訪問形態での就学が妥当」と言われ、そこから当該園児のための運動が保育園を中心にはじまる。当該園児が、家を進学予定の小学校の隣に引越しても許可はおりず。市長にメールを送ったり、保育所を中心に地道な活動を重ねていった過程で、次第に、知人から話が届いた市議会議員が市長に訴えてくれたり、時間に余裕のある老人会などが自主的に市に電話をして抗議をしてくれたり、市長を訪問してくれたりして、いつからか、市全体に運動が広まっていった。その結果、3週間で13万人規模の都市で2万人もの署名が集まった。しかし、それでも行政は動かず落胆していた頃、栃木県に自治体判断で学校に看護士を常駐させて医療的ケアが必要な子供を受け入れている事実を知り、運動が再燃。ようやく、『個人で看護士を雇って学校に常駐させる、という形態ならば可能。但し、看護師雇用のための費用の半額を市が補助する』『責任はあくまでも保護者』という、最悪な条件ではあるが、認めてもらうことが出来た。現在は、『誰にでも平等に就学の権利があるのだから、この条件は撤廃せよ』と形を変えて運動を続けている。この運動を通して、保育園は活性化し、他の子供の保護者からも良い反応が多々みられている。≪私見≫どうしても、この園児の母親の気持ちになってしまった。この園を探し当てるまでだって、孤軍奮闘、戦ってきたに違いない。でも、今は、こんなに多くの人が、自分のことを知っていてくれて、一緒に戦ってくれている。これは、常に、『特別』『少数派』を強いられる自分にとって、ヘンな表現だが、自信を持たせてくれるような、安心した気持ちになれると思う。が、一方で、この報告の最後に、「他の子供の保護者からも良い反応が多くて、『この運動を通して、生甲斐を見つけました』と張り切っている若い母親もいます」というような発言を受けて、少しブルーになった。娘も1歳半まで経管栄養だった。確かに、特別なことではあるが、あえて言えば、ただの『食事』だ。気管切開だって、導尿だって、ただの日常生活だ。『就学』だって、憲法に定められている権利で、誰もが当たり前に受けられるものだ。それが、誰かの生甲斐になって、目を輝かせて「頑張りましょう」「頑張ってます」と、その方に出会う度に語られるのは難儀だなぁ、と自分なら思う。「ありがとうございます」という笑顔のストックが切れてしまうのではないかな、って思う。そんなに頑張らなくても、当たり前のように生活できる、そんな社会にならないものかな、と、思った。【障害児のためだけの時間】人が二人行き交えないような狭い廊下、園庭は屋上、という、小さな敷地の小さな保育園で、工夫しながらの障害児保育実戦。障害児2名、発達が気になる子供(母親と相談済)の計3名を含む、年長18名クラスに担任2名(うち1名は障害児2名分の加配)。その3名のために加配の保育士が設けた、『たんぽぽタイム(障害児のためだけの時間)』についての実態、効果について。給食後から昼寝までの30分ほどを『たんぽぽタイム』とし、3人を他の部屋や空間など刺激がなく落ち着ける場所へ移動。彼らが今、興味を持っていそうな内容で、他の子供たちとは出来ないようなことを行う。例えば、手遊びや、優しい絵本、歌と遊戯など。『たんぽぽタイム』は刺激に弱い彼らを落ち着かせる効果が生まれ、彼らが今、興味のあることを行うことで発達支援にもなり、自分が興味のあることを行ってくれる保育園との信頼関係も生まれたように思える。また、食事に人一倍時間と手間がかかり、少食であったり、落ち着きがなかった子供たちが、『たんぽぽタイム』に行きたいがために、手早く、いっぱい食事を摂れるようになった。クラスの他の園児との関係であるが、当初、『たんぽぽタイム』に行くことを隠していたときには、こっそり跡をつけたり、うらやんだりなじったりする子供もいたが、オープンにして、逆に、どんなことを『たんぽぽタイム』でやったのか、披露の場を設けたことで、子供たちの心が落ち着いたばかりではなく、『たんぽぽタイム』が障害児と他園児との架け橋になり、また、その披露内容を褒められることで、彼らの自信にもつながった。≪私見≫これはいい、という意見が、場の大半だったように思える。また、狭い園で実践されていることも、評価が高い原因の一つだったと思う。こういったことは、いかに、その保育園が子供のことを考えているか、といったことに直結すると思うので、(いかに、良い保育士の良い意見だったとしても、許可が出なければ実践できないので)良い保育園を見分ける、一つの指標ではないかな、と思う。【発達の気になる園児と保護者の関係】これについては、どの園も悩んでいるようで、それでいて、これといった解決策もないので、皆が、現状を話し合うにとどまっていた。父母の立場として参加している私は、ある保育園と懇意にさせていただいて、昼食時間などにも色々な話をさせていただくことが出来た。関東にある、その保育園からは、広島で開催されているにも関わらず、園長先生をはじめ4人も参加していた。皆さん、真剣に保育に携わっておいでで、熱さを笑うような人は誰もいなくて、こんな園に通っている子供たちは幸せだろうな、と素直に思える園であったにも関わらず、障害児の保護者との関係が上手く行っていないようであった。多動の激しいコミュニケーション障碍を持つ子供のために園をあげて取り組み、卒園旅行も参加できるように、と、別働隊を組んで、当該園児も無理をせず、でも、皆と行動を同じにできるように取り組み、やれる限りのことをしてきた、と思っていた。が、卒園式の日。「もっと、園には(子供のために)やってほしかった」と、言われ、担任がしばらく立ち直れなかったり。何かがあると、「うちの子(障害児)の補助金が保育園に入ってるんでしょ!」と、過剰に子供を特別扱いすることを要求されたり。上の子が重度の自閉症で施設に通っていて、下の子は保育園に通っているが、多動をはじめ、発達の面で気になることが多いのだが、少しでもそのような話になりそうだと、(全く、保育園側はそういったつもりではなく、一日にあったことを報告しようとしただけなのだが)、「うちの子わがままで」と話を切り、最初から心を閉ざしてしまっているらしい。私は、その母親たちの気持ちも分からなくはなかった。娘の保育園は素敵な園で、娘のことに真剣に対応してくれていて、可愛がって、というよりは、愛してくださっているのは分かるのに、それでも、どこか。少しづつ。「もう少し…」「…あれ…」と思うことがある。それは、取り立てて、『何』というものではなく、日々、少しづつ生まれる、ほころび、みたいなもので、「どうして、そのとき、言ってくれなかったの」と言われても、自分さえもその場では気付かないような、些細なこと、なのだ。それが講じれば、「補助金が出ているのに…」と思うこともあるだろうし、卒園式の日に、次の障害児のために、一言だけでも言っておきたい、という気分にもなるのだろう。また、娘の難聴が後から判明する前。自分では思いっきり「難聴っぽいな」と疑っていて、検査も自ら申し出たというにも関わらず、他人から言われると、傷ついたり、否定したくなったり、そんな時期があった。そんなことを、出会った保育園の方々に話しながらも、保育園側からの意見を客観的に聞くことができたたことで、娘の保育園側ともっと理解しあえる関係になれる気がして、合研に参加してよかったな、と考えていた。また、何も、保育園と障害児の関係は、保育園側が劣悪である、という場面だけではなく、お互い子供を愛しているのに、上手く理解しあえない、こんな例も少なくないんだな、と、思った。我々、障害児の親側は、ついつい、病院や行政とやりあうことが多くて、過剰に反応しやすかったり、逆に、少数派ということもあって、過剰に遠慮しすぎたりするきらいがあるので、そこを改善する必要もあるのかな、と思ったりもした。結局、自分が何かを考えるきっかけになっただけで、その出会った保育園の方々の、なんの役にもたてなかったのだけれど、最後に、その保育園から「うちも保護者と一緒に参加すれば、関係が変わるかしら」と言っていただけたとき、自分が障害児の父母の立場で、こうやってここに、役にもたたずにいることも、少しは誰かのきっかけになるのかな、と思って、嬉しくなった。以上。そんな、3日間を過ごしてきた。これは、ほんのほんの一部で、障害児以外の部分もたくさんあって、もっともっと、密度の濃い、素晴らしい経験であった。ここに参加している保育士さんたちは、保育に真剣で、親がリストラされて、車中で生活している子供の保育についての報告では、あちらこちらからすすり泣きが聞こえてきた。保育園の問題は色々あるけど、少なくても、ここに参加している保育園の一覧名は、どんな豪華な保育園紹介パンフレットやHPよりも真実が見えるんじゃないかな、って思った。
2005.09.29
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障害児を授かってから、こっち。今までの人生と変わったことはありすぎて、語りきれないほどではあるのだが、一つ。『障害児耳』になってしまった、ことも、その大きな一つだ。意識しているわけでもないのに、耳に入ってくる言葉の羅列の中から、勝手に障害児関係の話を聞きとってしまう。ただ、ぼやーっとニュースを聞いているだけなのに、虐待された子供の様子を聞いて、「障害児だったのでは…」と、勝手に思ってしまう。先日など、こうだ。24時間テレビを見ていたときのこと。某人気アニメのキャラクターの声優だった人が、自分の昔話をしはじめた。彼女は、その特徴ある声で、「この声のせいで人前でしゃべることが出来なくて内向的でした。ほんと、自閉症気味だったと思う」と言った。自閉症気味って、なんだ??ただ、単に、つけっぱなしだっただけのテレビから、この台詞だけが浮かびあがって聞こえてきた。今日なども、こうだ。通っている手話教室で、講師をしている、ろうあ者がこう言った。「最近では、自閉症、という、自らの殻に閉じこもった精神的に弱い人もいる、皆さんも病気にならないように気をつけましょう」正確に言うと、ろうあ者、が言ったのではなくて、それを翻訳している通訳者が声にして言ったので、本当に、その、ろうあ者がどう表現したのかは分からない。が、何もないところから、そんな言葉が生まれるわけはなくて、そのように表現した、ろうあ者の心の中に、または、そのように通訳した通訳者の心の中に、こういった考えがあったからではないか、と、そんな風に思いながら聞いていた。学生時代、とある地方で行われた政治学会に出席した際、ジェンダー研究者が、ことごとく、どんな研究、発言にも、「この資料に男女比がないが、どういったわけか」「この本自体、ジェンダーの視点が全く入っていないが、世の中の半分が女性であるのに、これで正確な統計といえるのか」など、とにかく、なんにでも挙手する女性軍団がいて、同じ女性の自分から見ても閉口してしまうようなものだった。そうやって、ジェンダーの視点を持つことが恥ずかしい、と思うことこそに、ジェンダー問題の根底がある、という、ジェンダー論はここでは置いておいて、私が言いたいのは、それほど、彼女たちは『ジェンダー耳』になっていたのだな、ということである。もちろん、そこで、ことごとくジェンダー論を絡めていって、市民権を得させたい、という野望もあるのだとは思うが、それにしても、気付かなければ発言できないのであるから、やはり、『ジェンダー耳』を、持っていたのだろう。自分の子供が障害児だった、という重さと同じ位の熱さでもってして、ジェンダーという研究に打ち込んでいる。それだけで、賞賛に値するし、そういったことに気付かなかった私は、あの場にいる資格さえないような未熟な人間だったのだな、と、思う。そう思うとき。少しだけれど、娘を授かって良かったな、と思ったりもする。ほんの少しなのだけれど。
2005.09.27
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保育園の運動会の全体リハーサルがあり、仕事をしていない私は、こっそり覗きに行った。近くの公園に併設された、フェンスに囲まれただけの小さな小さな運動場。マイクを通した司会進行役の主事の声が、我が家まで聞こえてきそうなほど辺りに響きわたっている。『かけっこ』と『出し物』。この二つが娘のクラスの出場種目である。娘に見つからないようにするのは簡単だ。そんなに、いや、全く目ざといタイプではない。が、クラスの一人にでも見つかれば、「△△(娘の名前)ちゃんのママがいるよ」と言われ、娘にバレてしまう。いや、小さな保育園。クラスが違う、年少、年中、年長クラスでも、私を見かけて話しかけてくれる子供が何人もいる。彼らに見つからないように、でも、よく見えるように。そんな場所を探して、あやしいほどウロウロと、人の敷地にまで入って、ようやくベターなポジションを探し当てたときには、娘の出場する『かけっこ』が、今まさに、はじまろうとしている時だった。運動会の練習を、少しづつ、日々の活動に取り入れはじめた頃。その様子を連絡ノートなどで確認しながらも、どうしても聞けずにきた。『娘はどれぐらい練習についてこれていますか』でも、この全体リハーサルを目前にした、ある日。胸の中の風船がはじけたかのように、自分でも驚くほど唐突に担任の保育士に聞いていた。答はある程度、想像した通りだった。『出し物も、かけっこも、上手にみんなと出来ていますよ~』娘のクラスの『かけっこ』は、魔女に扮装した担任の周りを、二人で走って回ってくる。手をつないで、ではなく、2人同時に走りだすが、別々に走って回ってくる。月齢の高い子供と低い子供と組ませ、低い子供が高い子供を追いかけて回ってこれるようになっているようだ。娘のパートナーは、女の子では2番目に生まれが早い女の子だった。心の準備が出来ないまま、娘と彼女の名前が呼ばれ、前へ。司会進行役のマイクの合図で、走りはじめた。あっという間に私の前を走り去り、見えない位置にある折り返し地点を回って、再び私の前へ彼女が現れた頃。ようやく娘の姿が私の目に入ってきた。両手をあげて、体のバランスを取り、一足一足、転びそうになりながら、走る。まるで1歳の、歩きはじめの子供がやる、それのように、危なっかしい足取りで、靴をすりながら、それでも走る。とっくにパートナーがいなくなった『かけっこ』に、「△△(娘の名前)ちゃん、はじめての運動会です」「△△(娘の名前)ちゃん、頑張れ、はやい、はやい」と、司会進行役のマイクを通した高い声が実況をつける。折り返して、再び私の前に娘があらわれる。ゆっくり、でも、スピードを落とさず、ご機嫌のときに見せる満面の笑顔で走り、ゴールで待っていた担任の胸に倒れるように、クラスの女の子で1番早く生まれた娘は飛び込んでいった。私は何故だか涙が止まらなくて、突然、降ってきた雨を厭うフリをして、走って、その場を去った。夕方、迎えに行くと、いつもと変わらない娘がそこにいた。連絡ノートを開いてみると、『今日、最後まで走れました。感動しましたよ~』という一文が目に飛びこんできて、また、涙があふれてきた。
2005.09.22
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