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元気のない日がある。そんな時はいつも、うだうだぐだぐだと、詮無いことを考えている。娘が保育園に入り、出来上がった自分の時間を有効に利用しもせず、我ながら成長しないな、と、呆れるばかりなのだが、、今日は、障碍児である娘が生きる意義(育てる意味)について知らず知らず考えていた。こういう日々が、長い目でみたら、自分の気持ちを整理する大切な時間だった、と、いうことになるのかもしれないが、短期間でみたら、自分の足元に水をどんどんぶっかけて、地盤を緩くしてしまうような作業に似ている。そうやって、緩んだ地盤に足をズブズブと入れ、腰辺りまでつかった頃、そんな泥沼の自分ならではだろうが、ふと、思いついてしまったことがあった。『一体、そんなことを考えている自分自身の絶対的価値、相対的価値はあるんだろうか』なんとも危険な思想である。絶対的価値。これを否定してしまっては過去の自分も全て崩れ落ちていってしまう。子供一人、まともに育てられない、家事一つまともに出来ない、という事実は、この際、不向きな仕事、ってことで、保身のために棚に上げさせてもらいたい。相対的価値。ここである。一体、私に相対的価値などあるのだろうか。私が、ただ私でいるだけで価値がある、と思ってくれる人が一体どれだけいるのだろう。私が、ただ私であるだけで価値を見出してくれる人など、いるのだろうか。一方、娘はどうだろう。娘が保育園に入園した4月だけの一ヶ月間。私は、3人の、ご婦人の涙を見た。一人目は、住んでいるマンションに日勤で通っている管理人のおばちゃん。4月から保育園に通う旨を立ち話で報告すると、彼女はとても喜んでくれた。辛い思いをしているのに、いつも笑顔で…と、そこまで話して、涙でむせた。思えば、娘の通院や、入院、手術、チューブをつけている顔、手術前の奇形で生まれた時の顔。彼女は全て知っている。孫がいない彼女は、ここのマンションの子供を全て孫のように可愛がってくれていた。ここまで元気になって…と、また涙していた。二人目は、療育所の途中にある、息子さんと二人でやっているパン屋さんのおばちゃんだった。今よりももっと深刻に物を食べない頃。娘は何故か、ここのマフィンだけはパクパクと食べた。道を挟んでハス向いに、地元のテレビで紹介された、スーパーに併設された大きなベーカリーがあるのだが、そこのパンは一切食べず、この店のマフィンだけを食べた。それが縁で顔見知りになったのだが、これから、あんまり通えないの、と、保育園の事情を説明したら、意外なほど喜んでくれた。少しづつ元気になって、大きくなるのが楽しみだったの、と、涙を流した。そして、パンなんか買わなくていいから、たまには顔を出してね、保育園でたくましくなった姿を見せてね、と、二度も三度も繰り返した。三人目は、娘の保育園で働く掃除のおばちゃん。おやつの後くらいに来て、掃除機をかけたり拭き掃除をしたりする方である。4月も中旬を過ぎた頃。私が娘を迎えに行くと、あちらから声をかけて下さった。聞けば、娘は、この方に抱っこをせがんで抱っこしてもらっているらしい。お忙しいのに、と、お詫びを言うと、とんでもない、と、かぶりをふった。この子が可愛くて可愛くて…抱っこすると、ぎゅーっと抱いてくるのよ…こんなに可愛いんだから、お母さん、きっと大丈夫よ…もう、本当に可愛くって可愛くって…私を見上げて、ニコーって…彼女は、何度も何度も、目元を持っていたタオルで拭いながら話してくれた。彼女たちに対して、娘は、ただ娘であっただけだ。何かを特別にした、というわけではないし、そんなことも出来ないだろう。それなのに、彼女たちは涙を流した。それが、ただ単に同情だとしても、流す涙にはストレスを解消させる、という効力もあるようだし、少なくても、何かしら彼女たちに大なり小なりの影響を与えたわけだ。それも、おそらくは、良い影響を。娘の絶対的価値は分からない。でも、少なくても相対的価値だけでみたら、私より、はるかに上ではないのか。こういった存在が世の中には必要で、故意にこの世にもたらされている…というのは、考え過ぎだろうが、何かしらのパワーをもらっている人もいるのではないか…。…これも考え過ぎだろうか。
2005.05.14
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大切なことを、すっかり忘れていた。ここをはじめる時に誓ったこと。『(実生活とは違い)せめてここだけは自分に無理をせず言いたいことを言い、やりたいようにやろう』と。保育園に入ってから、1ヶ月。私は次第に調子が悪くなっていた。娘を保育園に連れて行くときも、迎えに行くときも、花粉症を言い訳にマスクで顔を覆っていた。自分の表情を上手に作らなくても済むからだ。娘のいない時間を、ずっとベッドでまどろむだけで終わらせていた日もあった。娘を迎えに行く時間になることに恐怖を感じる日もあった。自分のウロコが一枚一枚、毎日剥がれていってしまっているような焦燥感と頼りない感覚。精神科医は「空の巣症候群ではないか」と言ったが、果たしてそうだろうか、とかえした。いや、そうではないだろう、と。孤独。私を占めているのは、孤独感、だ。保育園の中では、一人、障害児。父母会で集まることが多い中、子供の発達話で共感出来る話はなく、あっても、どこまで共感していいのか分からない。「障害児に共感されたって困る」って思われるかな、と、瞬時に判断して口をつぐみ、そうやって口をつぐんだ、ということは、自分が逆の立場ならそう思うだろう、と、思ったからだ、と思い当たり、自分の中にある差別感に苦しむ。この悪循環。そんなことしても仕方ないと分かっているのに、してしまう他の子供との比較や羨望。障害児の集まりの中では、一人、保育園。なんとなく感じる、障碍の軽重で決まる人間関係。「保育園に入って、娘がどれだけ遅れているか思い知った」と発言したときの場の空気。夫との温度差。娘が保育園に通って出来た時間を、夫は喜び、私と過ごす時間を楽しみにしている。それを嬉しいとは思いながらも、まだチャンネルが切り替えられない。次の子供の話をされると、脳裏に、次の子供が障害児なら生きていけないだろうな、と、ふっとかすめ、心が凍り付いてしまう。念願の保育園に入れて、自分の時間が出来て、娘も刺激を受けて成長していて。だから当然、自分は良い方向に向かうのだと思っていたし、そうあらねばならない、と、知らず知らず無理をしていたのだろう。その無理が精神を蝕んでいたのかもしれない。ここの更新が出来ないことが、その証拠だったのだろう。本当に言いたいことに至っていなかったのだから。こんなこと、実生活では言えない。保育園のママ友達に。保育士に。苦労している障害児のママ友達に。夫に。こんな自分の孤独感。自分自身だって共感出来ない。
2005.05.13
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ゴールデンウィーク。暦の関係ない夫は、前半出張、後半出勤だった。まぁ、これは今年に限ったことではないし、人混みの中を出かけるのは得意ではないし、一緒に連れて行くのが意思の疎通があまり出来ない割りには体力があって飛び回ってしまう障害児だし、平日のお休みってのも悪くはないし(代わりの休日はもらえないけど)。例年通り、娘と二人で過ごした。今年は、この大型連休のほとんどを、あることの予行練習で費やしたといっても過言ではない。あること、とは、そう、遠足、である。娘の保育園の遠足は、保育士と子供だけで、お弁当を持って動物園に行く。親は同伴しないのである。あの娘が、リュックを背負い、その中からお弁当を出し、お弁当のフタを開け、食べ、フタを閉め、リュックにしまい、背負い、歩く…。…出来るのか??いやいや、無理だって。そもそも、お弁当ったって、何を入れたらいいんだろう。…というか、どうやって入れたらいいんだろう。遠足用のお知らせに、こんなことが書いてある。『お弁当になると普段食べている子供でも気が散ったりして食べられなくなってしまうので、好きなものを少なめに詰めてあげてくださいね。』娘の好物。納豆。味噌汁。スープ。しらす。…いや、本気で詰めようと思ったら詰められるお弁当箱がある。うちにも、保温ジャーのような筒型のお弁当箱はある。しかし、自分では開けられないだろうし、保育士だって、そこまでして欲しいと思って、お知らせに書いたわけではないだろう。よ~し、この連休で、なんとかしてやるぞー。…と、意気込んだ。まず、義母にリュックの作成を依頼した。娘でも簡単に開け閉めできるように、中はゴムでしぼるタイプにしてもらった。お弁当箱は大好きなアンパンマンを購入。ついでに、アンパンマンのピック(楊枝)があったので、それも購入。お弁当を作ってリュックに詰める。背中に背負わせて、いざ出発。今日はこっちの公園、明日は児童館、と、ウロつき、敷物をしいてお弁当を広げさせる。おにぎりバージョン。サンドウィッチバージョン。娘の食べ方を見て、次の日にまた工夫しなおしてみる。そうやって、とうとう娘は自分でお弁当を……って、そんなにうまい話になるなら、障害児育児も楽なわけで、当然、出来るようにはならなかった。一人で食べられることはおろか、娘が食べられるような(この辺のレベルの話が障害児だなぁ)お弁当も、当然、編み出せなかった。それでも、この連休。楽しかった。こんな風に娘と過ごせた時間。そんな時間を持てるようになった自分。そんな風な時間を過ごしている自分が、心地よかった。遠足だった、この日。はじめての遠足を迎える2歳児クラスの12人の出席者に対して、いつもより多い、5人の保育士がついた。その中の一人は、娘専属の加配の保育士だった。補聴器を落とすわけにいかないし、当然と言えば当然だろう。それを分かっていなかったか、と、言えば、実は予想はしていたし、期待さえしていた。補聴器を落として保育園と揉めることは避けたかったからだ。それでも、連休中。あんな時間を自ら選んだのは何故なんだろう。娘が一人出来ないのは、可哀想だったからか。娘が一人出来ないのは、誰より自分が傷つくから嫌だったからか。加配でつくであろう保育士を驚かせたかったからか。まだ健常者に追いつくんじゃないかって諦めきれないからか。保育園に入って周囲が健常者ばかりで勘違いしてしまったか。娘と一緒に少しづつ目の前の目標をクリアしていくことが楽しくなってきたからか。私には分からない。お弁当には結局、ロール型にしたハムとトマトのサンドウィッチ(といっても、あえて汁がもれるようにしてべちゃべちゃにしたもの)を輪切りにしてアンパンマンのピックで止めたものと、タマゴのサンドウィッチ(同上)をパンを9等分にして丸型ににぎったものと、チーズ、これらを言われた通りに少しづつ入れた。帰ってきたお弁当箱を開けると、半分くらい残っていた。
2005.05.10
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