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右手薬指のツメが半分めくれてしまった。入院している時からツメに縦筋が入り、めくれ易くなった。ツメの付け根の皮膚がめくれることはささくれと呼ばれるが、ツメがめくれることはなんと言うのだろう? めくれると、ズボンのポケットにしまった携帯を、取り出した時にひっかかってしまったりするので、深ツメをして防いでいる。退院してから動くようになって、何度となく繰り返しているので慣れてしまった。ツメは縦筋だけでなく反り返ってもいる。 今までは薬のせいで肝臓が悪いからだと思ってきた。実は鉄分不足も影響しているらしい。最近でも赤血球とヘモグロビンの値は低く貧血状態である。以前に比べればだいぶきれいにもどってきた。 ツメのことと言えば、小腸が破れて緊急手術をする2,3日前に右人差し指がうっ血した。ドアに指を挟で内出血したように黒くなっていた。その時は挟んで痛い覚えがないので変だなと思った。手術後、ある雑誌でツメの付け根を圧迫する指のマッサージ法が紹介されていて、その部分が腸などの消化器官とつながっている書いてあった。その時はそんな事もあるだろうと認識はした。 私の連れはよく中国で鍼灸を習い、タイでマッサージを習った。発症以前はマッサージなんか飲んで寝てしまえば必要ないと思っていた。入院中は足の裏をもんでもらって気持ちよかった。しかし退院してからあちこちに問題が出てくると、足裏のツボは本当に上の臓器とつながっている事を確信した。 足裏のツボがどこの臓器をあらわすかを示す図がある。素人でも痛いところが調子の悪いところだと認識できるようになっている。尿道炎になったりするとその位置をさすられただけで痛いし、私はのどが痛かったので親指の付け根が痛い。特に放射線を受けていた時は、歩くたびに痛みを感じた。今でもふれると感じるのでまだ治ってないんだなと思う。 臓器の調子が悪いサインは必ずどこかにあらわれるようだ。それが足裏のツボであったり、ツメだったりする。疲れを感じたら無理せずに休むことが必要だ。わかっていてもなかなか出来ないけれど。
2004年09月30日
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2週間に一度の歯科受診の日。数日前から口内の調子も良くなって、噛める様になった。食事もスプーンを使わなくて良くなった。よく歯磨きをするようになって、歯が小さくなったような気がするし、歯肉が下がって根元が出てきている。したがって知覚過敏のような状態で、冷たい水で口をゆすぐとしみて痛い。「お変わりないですか」「奥のほうがたまにしみてビリッとします」 劇的に改善される訳ではないけど、しみないようにする薬を左右上下の奥歯に塗ってもらった。帰り際先週の金曜日にリンパ浮腫でセンターに来た事を先生に伝えた。しかも急激に何か起こることがないかたずねた。「急激に悪くなることはないけど、とにかく虫歯にしないように歯磨きをしっかりしてください」会計は110円でした。 築地のがんセンターは知り合いが多くて楽しい。なんて書くと変に思われるかもしれないが正直な気持ちだ。先週の金曜日に緊急で外来にきた時、知り合いに会って月曜日に来るからと約束していた。歯科は9時30分に終わったからそれから病棟に行った。10時前なんて早いお見舞いだと思う。 19階の喫茶室へ行った。入院の最初の頃、同世代の仲間が少なかったのですぐに打ち解けたが、彼女は経過観察ということですぐに退院して行った。最近、新しい治療法を試すために入院したという。顔色も悪くないし明るくて元気だった。そんな彼女も前日は40度の熱が出て点滴で解熱剤を入れたという。 私も入院している時は、知り合いが来てくれて、輸注ポンプを引っ張っても、19階に来るのが好きだった。移植後はクリーンな病棟以外は出て行く事を制限されてつまらなかったが、まあお見舞いはうれしかった。熱があってだるくても、楽しい時間のほうがよかった。 また、よくお見舞いをもらった。食べ物だと私は完全絶食だったので、雑誌とか本のほうがありがたかった。(現金が一番なんちって) 昨日本屋に行った。ふとパラリンピックのところで目が止まった。表紙が幅跳びのジャンプしている時だが、その右足は義足だった。何気なくすごい写真だと思った。骨肉種で切ったのかなと直感した。闘病記ものって暗くて嫌なんだけど、ラッキーガールというタイトルと「はじめに」を読んで、すぐ買ってしまった。 なんかの間違いであって欲しいと祈る気持ち。10ヶ月の闘病生活。退院後しばらくは顔も出せなかった気持ち。病気をして変わった事など、非常に共感できる部分が多かった。寝る前に読み始めて一気に読み終えてしまった。 今日はお見舞いというより久しぶりに近況報告をして笑っていたという感じだ。彼女は人体実験という考え方をしない。最先端の医療をしてもらっていると考えている。食欲がなくても居酒屋で美味しいものを食べていた話もする。私もお酒は飲めないし刺身も食べれないけど、そんな話が楽しい。 とにかくがんセンターに来て、治療受けている人はみんな考え方が前向きで明るい。努力している人に周りの人が協力してくれるのは、ごく自然のことだと思う。ラッキーガールを読んで、そしてラッキーガールと話が出来てすてきな一日だった。
2004年09月27日
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ここのところ寝不足が続いている。っていうか毎日4時間ぐらいしか寝ていない。だからリンパ浮腫が出てきたのか?わからないが気力は絶好調。今日は1年ぶりのビオトープ管理士試験を受けてきた。合格は無理だからよせばいいのに、申し込んでしまったものだから勿体なくてとりあえず行ってきた。 昨年は9月29日に、外出許可をもらって病院から車で送ってもらって試験場に向かった。フェンタネスト(痛み止め麻薬)の持続ポンプを肩から下げて、オプソ(液状モルヒネ)を机の上に置きながら試験を受けた。今年よりはるかに時間があったので参考書に赤線をひっぱったりノートを作ったりしていた。 効率は悪いがそれなりに勉強したはずだった。試験は記述式の配分が多く1問につき400字原稿用紙1枚以内で4問とかで時間が足りない。最後の小論文まできっちり書いて自分ではまあまあかなと内心思っていた。 もちろん結果は不合格。痛み止め打って頭が錯乱している人間がまともに出来る訳でもなく、痛みだけでなく自分の頭の程度まで忘れてしまっていた。 今年は1ヶ月前にノートを見返したのだが、それきり1回であとは何もしていなかった。前日の夜も何もしなかったので、朝起きれなかったら止めちゃおうと思っていたぐらいだ。でも朝目覚ましより先に目が覚めて、今年はどんな問題が出るのか見てこよう・・・くらいの気持ちで出かけた。さて試験が始まると、とりあえず書けたのでわけわかんないけど書いてみた。しかも9時半からはじまって、小論文が終わったのが17時15分時間いっぱい粘ってしまいました。まあ専門用語とか織り交ぜてないので点数にはならないだろうけどやり遂げたって感じがしました。 昼休みが1時間半もあって会場から外に出て、定食屋さんへ入りました。スタミナをつけようとしょうが焼き定食を頼みました。ごはんの盛りがすごくてこんなにって思いましたが、どんぶりいっぱい食べれました。味付けも濃かったんだけど平気です。お水2杯とスープで無事流し込みました。甘さが少しわかりませんが、しょう油もショウガも大丈夫でした。食べれるようになったので、これからは体重が戻っていくに違いありません。 【連絡】角煮チン最高!ハンコ、ペンケースOK? 羅漢果無いぞ。四国おいしそう見所もいっぱい楽しみ。早く帰れ!!!
2004年09月26日
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朝になったら腫れがひくかと期待したけど、昨日の朝と同じだった。違和感がなかったからそのまま出かけた。研究室で昨日からあごの下が腫れた事を伝えた。心配ないなんて話していた。 15時頃になってなんかあごの下がプルプルしているように感じた。洗面所の鏡を見ていると明らかに腫れてきた。みんなにも「短時間に目に見えて大きくなった」と言われた。これはやばいと思ったので病棟に電話を入れた。主治医の先生が見ないと分らないというので急いで病院に行った。 病院に着いたら17時を5分過ぎていて受付は終わっていて、夜間受付を訪ねた。3階の緊急処置室に通されて、脈と検温をしているとすぐに主治医がやってきた。「思ったほどひどくなくてよかったですね」「ステロイドを処方しなければと思っていたよ」と拍子ぬけしたみたいだ。頭頚科の先生も来てくれて、触りながら「放射線のものに間違いない」「もう少し大きくなる事があっても治るから」「どのくらいかかりますか」「すこしかかるけど、何もする事はないから」と心配なしの診断を受けました。土日の間に大きくなったら不安なはずだったから、早く見てもらって安心できてよかった。 「いや心配しました」ってなんか拍子抜けしたみたいで一言いわせてもらう。診てもらった移植の医長さんも頭頚科の医長さんも「私のあごよりたるんでますね」って思って心の底で苦笑いしてました。 次回の診察は予定通り10月15日だからと確認して帰りました。 うれしいことに病気仲間や、知り合いの看護婦さんに会った。なんか近所を歩いているような感覚だった。急いでいたので、二言三言しか話せず残念だった。今度はゆっくり
2004年09月24日
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毎朝、目が覚めたらトイレを済ませ、洗面台でうがいをするのが習慣である。顔を拭きながら鏡を見るとなんか顔が腫れぼったい。 じっくり見てみるとあごのあたりが丸みをおびていった。水ぶくれのような感じだ。首を左右に振るとあごの下の皮膚もプルプル振れた。 すぐにリンパ浮腫だと思った。入院中両足がおもいっきりはれあがった事があって同じようなものだろうと直感した。触ってみるとモチモチして赤ちゃんの肌みたいで、おじさんとしてはかなり気持ち悪い。 リンパ節を切除した人が足や腕に現れる事は多いが、なんであごの下なのか? 入院中は咳がひどくてトイレ以外はずっとベットで横になっていた。歩かないので足に行った血液を押し返す力が弱っていた時期だったので、むくむのも良く分かる。すぐ治ると思っていたら、3日ぐらいでスリッパが履けなくなってしまった。 普段靴のサイズ25.5センチの私は、浅草からお相撲さん用の大きいサンダルを、切ってさらに広げて紐で高さと幅を調節出来るものを手に入れて来て貰った。それは圧迫用の包帯でぐるぐる巻きになった足にやっと履けるものだった。けっこう腫れたので記念に写真にとった。でもそれ以上腫れるとパジャマのズボンが入らなくなるので、正直ちょっと心配した。 病棟の婦長さんが率先して、リンパマッサージと圧迫包帯を巻きに来てくれた。夕方自分で両足の包帯をはずしてシャワーを浴びて、トランクスと上着だけになってナースコールをする。婦長さんと2,3人がきて、マッサージと圧迫包帯をしてくれる。マッサージをするのは、講習を受けた婦長さんか副婦長さんだけ。圧迫包帯は他の看護婦さんにも教え、いろんな人の練習台になった。 はじめは『さすっているだけじゃん』とか『本当にこんなのでいいの』と疑っていた。圧迫包帯はギブスのようで気持ちよかった。どうにか歩く気にさせてくれた。しかし人によってセンスがあってずり落ちることはなかったが、一度締め付けすぎて、就寝後耐え切れず、巻きなおしてもらった事もあった。 2週間もすると目に見えて細くなった。包帯は1ヶ月弱で必要なくなった。ぶかぶかで使わなくなったサンダルは病棟に寄付した。 リンパ浮腫の原因を聞いたら、「アルブミンの数値が低いので栄養不足が原因だろう」とのことだった。確かにアルブミンの点滴をしたら目に見えて細くなった。1ヶ月に保険がきく量が決まってて簡単に使えないと言われた。栄養は小腸から吸収されてなかったので、IVHからピーエヌツイン2号を1日2個入れて十分なはずだけど、血液のデータは正直で栄養失調だった。 今回は栄養は取りすぎではないけど、バランスよく取れている。10日前の採血データは問題がなかった。おそらく放射線をのどに当てたのが原因だ。舌下,顎下,耳下の唾液腺がやられてしまったている。リンパ節も治療の範囲に入っていたはずだから、リンパ液の流れが悪く、あごの下で滞留してもおかしくない。 いま放射線治療を受ける前のガイダンスを思い出した。看護婦さんから考えられる副作用として、リンパ浮腫もありますと言っていた事を思い出した。だからどうするかまでは聞いていなかった。今後ひどくなるようだったら見てもらいに行こう。よくもまあ次から次へといろんな事がおきるよな。
2004年09月23日
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研究室での会話 教授と私 「ヒゲは伸びてこないのか」「まだ1ヶ月ですからね。触るとツルツルで気持ちいですよ」「完全な被爆だからな」「悪い細胞のDNAも破壊するけど、正常な細胞も不都合があるので、これがなくなると最高に楽なんですが」「レントゲン技師も大変だよ放射線の怖さも知ってるだろうに」「放射線科の先生は治療室に入ってきませんからね」「そうだろう。毎日なんて絶対ごめんだね」 2呼吸おいて「そういえば、電顕を扱う研究室は女の子しか生まれないぞ。男の卒業生の子供は、みんな女の子だ」「私も原子力発電所で働く人の子供は、女の子が多いと聞きました」「影響はない訳ないよ、電子顕微鏡も最小限扱いたくないね」ご存知のようにヒトをはじめとして、多くの生物では雄と雌で形の異なる染色体がある。これは性の決定に関係しているので性染色体とよばれX,Yなどの記号で表される。 人間の身体は複相なので、23対の染色体がある。その内の1組が対になってなくてXとYの染色体を持つとき、ヒトは男になる。よってすべて対のときは女である。 結局女はY染色体を持たないわけだが、神のいたずらか放射線の現場で仕事をしている人の子供はY染色体を持つ子が少ないと言える。 微量でも性染色体を壊してしまうのだろうか?しっかり管理しているから安全だ、と主張される気持ちはわかります。なので関係者の方間違っていたらごめんなさい。ちょっとした世間話ですから。
2004年09月21日
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放射線治療が終わって1ヶ月がたった。治療後の方が大変だったが、おかげさまで身体が楽になってきた。その間どのように身体に変化があり、どうなってきたのか記しておくことにした。 当たり前なのかもしれないが、先生や看護婦さんが言った通りになって驚いた。患者さんから質問もされるだろうし、患者さんからも教えてもらってるだろう。副作用について、発現時期や回復期間の予想が的確であった。予測は一つの目安になり、不安を少なくして、我慢も出来た。「2週間もすれば良くなりますから」と言われて理由ががわからずに「このことだったかでも2週間後は大丈夫だ」と自分を励ました。◎副作用の推移痛みや不快感を5段階であらわす。何もないときが0(ゼロ)1週間後(だるいし痛いし寝ているだけ栄養いらない。外出無理)皮膚:3→5 日焼けというよりやけど 咽頭:5 飲み込み時激痛 口腔:2 やわらかいものを飲み込んでたので平気 2週間後(痛いので気力ない。起き上がってれる少し動ける)皮膚:5→3 やけど治療用の包帯外れた 咽頭:5 飲み込み時激痛 口腔:3 口内炎出来る3週間後(外出する。栄養補給がうまくいかず体重減少2キロ)皮膚:3→1 皮膚が引っ張られる感覚残る 咽頭:4 塩や酸味がまだしみる 口腔:4 皮膚や咽頭が痛くて思い出したように口内炎痛4週間後(生活のリズム取り戻す。栄養補給出来るようになる)皮膚:1→0 不快感全く無し 耳の中の日焼けも綿棒で取れる 咽頭:3 炎症治まってくる。声のかすれ少しづつ回復 口腔:4 噛むようになって奥歯痛現在(普段どおりに戻る、今までの栄養不足分も取り戻す)皮膚:0 ヒゲ生えずツルツル。日焼け痕の様 咽頭:2 炎症一部残る。口腔:3 知覚過敏でハミガキ時痛み 食事は大変手をかけたものを作ってもらい栄養がとれるので感謝しています。昨日はてんぷらを食べて満足しました。水分がなければ飲み込めませんが、のどが痛くないのでたくさん食べる事が出来ます。胸がやけるほど食べたので、体重も連れより重くなるでしょう。味は今ひとつわかりません。でもエビはエビの味がわかるし、カキアゲのなかのワカメの味もわかるようになりました。 でも甘みは今ひとつわからなくて、「これはモンブランだよな」とは思っても満足しなくて、目をつぶって考え込んでしまいます。味覚は1ヶ月でここまでもどれば十分でしょう。唾液はしばらくかかりそうだけど、これだけ食べれているのだからありがたいと思います。
2004年09月19日
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血液幹細胞移植をするとGVHDとして皮膚のトラブルもある。最近も復活したとはいえ、まだまだ影響が残っている。今日は手の甲がかさついているので、皮膚の状況についてお知らせすることにした。 移植から3ヶ月ぐらいして、急性GVHD性の下痢が一息ついた頃、今度は皮膚が乾燥するようになった。世間では8月の真夏に肌が乾燥する事はないだろうが、皮膚がフケのように全身からホロホロと落ちてきた。確かに病院の中は空調があって、汗ばむことはない。湿気はある程度一定に保たれていたが、どちらかといえば乾燥している。 皮膚の色はだんだん黒ずんできていたので、内臓が悪いんだろうなと、誰が見ても思うような姿になっていた。移植前隣に急性GVHDで目と皮膚がやられている人がいて、トイレも1人で行けず、苦労されていた。サングラスをして日焼けで皮がむけたみたいに顔と手の皮膚はボロボロだった。そして一日中寝ていたようだったし、「自分もああなるのかな」と思ったりもした。 私の場合は、色が黒くて全身フケ程度で済んでいた。別にかゆかった訳じゃないけど、ひどくならないようにオリーブオイルで全身を保護していた。シャワーを浴びる30分ぐらいがIVHを外してもらって点滴ポンプと離れられる時間だった。また消毒してつけてもらうとき、看護婦さんに背中に塗ってもらっていた。今から思えば看護婦さんにオイルを塗ってもらえるなんてすごい幸せなことだと思う。自分の父親に塗ってもらった回数も同じくらいで、これもすごいありがたいことだと思う。 退院してからも2ヶ月くらい塗っていたのだが、春分の日ぐらいから必要なくなっていた。再発して放射線治療を始める頃、免疫抑制剤をやめたのだが、その影響か足の甲やもも,二の腕のあたりなどがフケのようになってきた。GVL効果が現れたのだと思った。オリーブオイルを塗る必要は全くないが、2年ほど前まで、身体に油を塗っていたようなおじさんが、乾燥肌のさらっとしたおじさんに大変身してしまった。 顔色はいいのだけれど、ほほ骨のあたりはまだ黒い。しみにならないのだろうか?それとも、もうしみか。のど周辺はヒゲが生えなくて、あごをよく触るくせのある私はツルツルの感触を楽しんでいる。色は日焼けなので来年ぐらいまで残るらしい。確かに海パンの痕は来年まで残るのと一緒だろう。
2004年09月16日
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今日は2週間ぶりの診察日でした。いつものように、まず放射線科の先生との対決「その後いかがですか」「まだ痛みがあります」「はい口をあけて下さい」「見えるところは良くなっていますけど、皮膚に日焼けのあとが残るのと同じで、粘膜の炎症はそうそう良くなりません」「まだ治療終わって1ヶ月ですから、良いほうだと思います」確かに2週間前に比べたら、グラフで痛みの強さを描けば、右下がりに落ち着いてきている。良いほうだといわれたので、それ以上は仕方なく納得した。 次に歯科。待つことなく「噛むのは問題ないけど、奥歯に食べ物が挟まるようで気分悪いです」先生早速チェックして「うーん・・仕方ないね。このままブラッシングがんばってください」きれいな衛生士さんにブラッシングしてもらう。幸せ。 いつもどおり診察の予約の時間には順番は来ないので、病棟に遊びに行く。3週間前にのどのただれを処置してくれた看護婦さまたちは、なにやら打ち合わせみたいだったが手を止めて「すごーいよくなったね」「あれから1週間で包帯が取れて、それから2週間たったからね」「もうそんなにたつんだ早いよね」「どんどん年取るはずだよね」次期副婦長クラスの3人方々納得仲間の個室へ。熱が続いてたらしい。でも元気そう「この個室設計ミスだよ」と悪態ついてた。帰り際婦長さんと世間話。でもどんな経過を辿ったかしっかり話していた。今後の参考にするのだろう。抜け目のない人だと思う。本当に気持ちの良い人たちだと改めて思う。ありがとう。 いよいよ結果発表の時間。検温36.2度平熱。オキシメーター(血液中の酸素)99%脈拍69問題なし。聴診器で胸お腹。触診リンパ節。 一通り見て「便秘は?」「相変わらず3、4日に1回です」「だるさは?」「動きすぎれば感じますけど、問題ないです」「栄養も足りてるようで数値的に問題ないですね」「PET検査の結果ですけど」評価のレポートを見せてくれて「正常の範囲で、問題ないようです」確かに少ししか書いてない。のどと肝臓の上に点が打ってあって、『治療後なので正常範囲です』と書いてあった。昨年のときはいろいろ書いてあったので、それに比べれば良くなったらしい。「胃や小腸のガンは消えたのですか?」「PETじゃわからないから、もう少しのどが落ち着いたら内視鏡をしましょう」結局骨や他臓器には転移してないようなので一安心。っていうか1年ぐらいは大丈夫みたい。とりあえず生き残れたね。 以前「これは治るものだったんですね」と喜んでいたことは忘れてあげよう。半信半疑でもなんでもいい。結果オーライ。「次回は1ヵ月後でいいですから」「10月の上旬に四国へお遍路に行く予定ですけど」「まあ無理しないように。一度崩れると大変ですから」「ははー承知しました」問題ないって、簡単には言わないだろうけど、『正常範囲内』って便利な言葉だ。
2004年09月13日
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実家の台所には、鏡があってイスに座ると自分とにらめっこが出来る。ふと自分を見たら「ゲッ 髪の毛 薄いじゃん」と目を疑いました。頭皮が真上から照りつける蛍光灯に光っている。なんか薄い。 放射線の治療が終わった頃から髪の毛が大量に抜けはじめていた。洗髪の後は髪の毛が洗面器に、目立つようにたくさん浮いていたのは知っていた。しかしこれはまずいと思った。【薄くなった原因を自分なりに考えてみると】1)ストレス退院の2ヶ月くらい前、長期だったので治りかけて元気になってくると、家に帰りたくなったり、食事が出来ないストレスがあったように思う。 薄くなったので、対処法として育毛トニックを使った。退院までには忘れるほど回復した。2)放射線放射線をあてたところの、もみ上げとかあごひげとか生えてきてないので(今日現在もツルツル) 頭皮は関係ないので因果関係は薄い。3)ヘアサイクル(毛周期)の乱れ毛根や全身の健康状態が原因でヘアサイクルが乱れて脱毛が起きると言われる。甲状腺の病気などの内分泌機能異常や鉄欠乏貧血だったり、過度のダイエットで栄養バランスが崩れたときらしい。私の場合80%はあてはまる。 4)GVHD免疫抑制剤をやめてからドナーのリンパ球が私の身体を占領しようとしている。薄毛,中年太りの形質をそのまま私の身体で再現しようとしているのか。なんでもこれにしてしまう観があるがこれが一番重要だ。以上2)の放射線以外は、ここのところ食べれてないし、全て当てはまるので結論は『抜けてしかるべき』 以前、抗がん剤を3回やったらツルツルになった。でもやめて2ヶ月したらいつの間にか生えてきて、半年したら元通り。皆さんの言う通りで安心しました。 でも今回ぬけっぱなしだったらどうしよう。まだTシャツとGパンが似合うおじさんでいたいので、お願いだからたくさん生えてきてちょーだい。
2004年09月10日
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放射線治療が終わって22日たった。生活に支障はないが、後遺症として不快感が残っている。月単位で改善されていくという事でなので、時間の経過を待つしかないのだが、口内の調子がすぐれないので今日は口腔内の状況について書き記しておく。 発病以前わたしは虫歯がまったくなかった。しかも永久歯に生え変わってからは、中学校時代に左右の下奥歯1本づつに詰てもらっただけだった。歯医者さんには1回しか行った事がなく、お金のかからない子だった。しかし食費はそれ以上かかっていたと思う。(笑) そんな自分が化学治療中に親不知が痛み出して、センター内の歯科にお世話になったのだ。その時は移植も近く、抜くことも時間的に無理で歯肉を切除して終わった。ブラッシングなどの口腔ケアを教わったのもその時が初めてだった。 移植では事前に口腔ケアの指導もある。免疫力がなくなるために、自分の口内のバイキン様々な症状を引き起こす。それが口内炎だったり粘膜炎だったりひどくなる前に、食後のブラッシングの重要性を教えてもらう。口内炎がひどくなっても使い捨てのスポンジ付歯ブラシを使えと、そんなものがあるなんて知らなかった(フリーページ2003年1月16日から4月3日までの点滴以外の薬参照)。 咽頭周辺に放射線を照射する場合、耳や口の一部にもあたってしまう。口の中には歯があり、舌がありその下に唾液腺もある。それらも放射線の影響を受けるのだが、その影響は治療のメリットが優先され、症状がひどくなった時に、改善するための対処療法でしのがれる。不快な感覚は辛抱するしかない。【2004年9月7日の状態】1)歯肉 下がる歯根が出てくる。戻る事は無い。 ※幸い歯槽膿漏はない2)歯 歯根部が茶色くなる。(虫歯の寸前) 奥歯知覚過敏。3)舌 舌の裏側一部褐色(焼けたか?) 唾液腺機能障害(唾液ほとんど出ない) 味覚障害(甘み感じない) 4)口 噛む力の低下(歯も歯肉も痛む) 口内炎右上奥内側(歯ブラシ痛い) 酸味(すっぱい)はしみる(ヨーグルトもしみる) 歯ブラシ (株)オーラルケア tuft24 Super Soft 歯肉炎及び術後用 歯科衛生士さんにブラッシングしてもらったもの(毎回もらえる)歯磨き粉 ライオン(株)Check-Up standard (フッ化物配合ハミガキ剤) 歯科用で薬局では売っていない。ムシ歯の発生・進行を予防 実はこれを書くきっかけは、朝食べたモロヘイヤが、夕方うがいをしたらそのまま出てきたことに驚いたからです。歯も磨き、昼にパンとコーヒーも食べたしうがいもして、10時間以上経つのにそのまま出たのです。唾液があるとしばらくすれば、硬いお肉が歯に挟まっていても、知らない間に取れてしまうもので。しかし唾液がないと口の中のムシ歯に、繁殖するチャンスを与えてしまうのです。 唾液は消化するし、バイキンも流してしまうありがたいものです。歯科の先生も「丁寧に磨かないと泥沼になるから、がんばってください」 と親身になってくれているのでありがたい。目標は80歳で20本自分の歯が残っているようにしたい。
2004年09月07日
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ぬるぬる食べ物を皆さんに聞いてから早1ヶ月。その間連れが楽しそうに食事を作ってくれたおかげで、激やせせずに生きています。今晩の夕食をご披露しよう。モロヘイヤと味噌味マーボー豆腐のまぜまぜご飯。オクラとなめこと引き割り納豆汁のまぜまぜご飯。そして胡麻豆腐と栄養バランスも最高。口当たりも、のど越しも、味も最高(味は想像)。自分では見た目も最高!(見慣れただけかも)作法としては最低。 連れが私にあわせて薄味にしています。私は「ダシは何?」「どんな甘みだ?」と私の舌の代わりにしつこく聞いて味を想像しています。私はしっかり食べれるので「さすがよくわかっているな」とねぎらったら 「本当は味がしないって、よくわかんないんだけどね」とさらりと返してくれました。 そして食後の果物は、リベンジの梨!! 先週は一口食べてやめてしまった。エグミと酸味があって首を押さえて悶絶したほどだった。今日は8分の1片をシャリシャリと噛んでみた。みずみずしいしエグミと酸味は味として感じた。痛みも少しだったので飲み込めました。今年はじめてだったので西を向いてハハハと笑いました。さすがに2個目は手が出ませんでした。 風呂から上がって、夜食の代わりに完熟メロンにヨーグルトとアイスを乗せて食べました。メロンもヨーグルトも酸味があってしみるのです。わかっていながらも食べるのです。かき込んでしまえばわからないだろうとダッシュで食べます。しみる!痛い!たまらない!と首を押さえまた悶絶しました。 まったく夕食をするために夕方5時に痛み止めの薬を飲んでおいたのに、さすがにダメでしたね。以前は毎日食べていたヨーグルトが、これで1ヶ月以上も食べていない。しかしそんなことにもめげずに、あくなき挑戦は日々続けていく。
2004年09月05日
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同種血液幹細胞移植から500日たちました。この病気が発症してから1年10ヶ月の間に、いろいろな検査や治療を経験しました。病院に縁のなかった私には未知の世界でした。大きく3つに分けたがんの治療法の中には、手術療法、化学療法、放射線療法があり一通り体験させてもらいました。一口に化学療法や放射線療法といっても、それぞれの症状にあわせた療法が細かくあり奥が深いと感じました。 また固形ガン患者では行われない血液幹細胞移植までしてもらえたのだから、良くなる運命だったに違いありません。みなさんにやさしくいたわってもらって、私は世界一の幸せ者でした。 今回の日記に、移植から500日目に現在のデータとGVHDの症状を箇条書きにしようかと思っていましたが、2日に一回の日記に日々の状態を書いてきたのでやめました。 日常生活には制約があっても、支障はまったくないし。ストレスも感じなければ、充実した日々をおくらせてもらっています。身体が戻ってくると、欲望はとどまるところを知らず、次々にハードルをあげていきます。もっとうまく時間を使えるようになりたい。とにかく1週間がはやく感じます。 最近の放射線治療で、のどの皮膚がただれて激痛だったのですが、痛いときに「痛い」と言わずに、「幸せだ」と思うようにしました。声が出るだけありがたく思います。唾液が出なくてうまく飲み込めなくてむせた時でもそうです。食事が出来る事がどれほどありがたいか…とにかく感謝です。 一見ハードルが低くなっているようですが意味が違うのです。今の自分を最大限に評価することにして感謝しています。あれもダメとかマイナスに考えていたらつまらないでしょう。なんか不都合があっても「幸せだ」と感じられている自分があるのは、みなさんのやさしさのおかげです。ありがとうございます。
2004年09月03日
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夕食の時に羅漢果茶を大ジョッキに冷やして飲んでいる。利尿効果がありトイレが近くなったり、甘いので以前はあまり好きではなかった。最近はとりあえず食べ物の流し込み用に、がぶ飲みしていたのだが、今晩はわずかだが甘味を感じた。 もしかしてと思って、夕食後甘い物を買いに行った。全快ではないのでとりあえずロールケーキを選んだ。 一口入れてみる。やはりおいしい。味が少しわかる。しかし喜べるほど甘味は感じなかった。 でもこのまま順調にいけば、あと1週間後はかなりわかるはずだ。そしたら爆発的に甘ものを食べるに違いない。まだ痛み止めが必要だが、いらなくなったら今度は消化剤のお世話になるほど食べ過ぎたい。
2004年09月01日
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