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土曜日は21時過ぎに部屋に帰ってきた。研究室から片道2時間半は、自分でも「大変そう」に思うけど、本読んだり寝たりしてると時間のたつのはとても早い。 玄関を開ける連れが「おかえりー」と迎えてくれる。見慣れた風景にもかかわらず「しあわせだー」。なにかわからないが部屋の空気が違う気がする。すぐにお風呂に入る。お湯はとろみを感じるようにやさしい「気持ちいい」。 夕食に餃子をリクエストしていた。タレはナンプラーにパクチーをたっぷり入れたもの。外では味わえないほどむちゃくちゃ「おいしい」。 連れに「プロの料理よりもおいしい。何か注文をつけられる所を残しておいてくれ」と頼む。 連れは「あなたにあわせて作っているんだから当然」とさらりと言う。 「痛い、苦しい」が無いと、気分も晴れるけどそれだけではないと思う。部屋のなかいっぱいに「しあわせオーラ」が充満しているみたい。あせりも不安もない。達成感とか満腹感とはぜんぜん違う。 この季節海の潮は夜大きく引く。昨晩は雨が降って行けなかったけど、これから江の島に海藻採集に行く。帰宅予定は午前1時。
2004年10月31日
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室戸市にある室戸海洋深層水「アクアファーム」は、日曜祝日は休館だったので見学できませんでした。また室戸岬で海藻採集がしたかったのですが、台風23号のうねりがあって磯に近づけませんでした。 海岸線に高さ10m以上ある防波堤を見た時、いくらなんでもここまでは必要ないだろうと思いましたが。私たちが訪れた3日後に台風が通過した時、波が越えて死亡者も出ました。―以下は新聞記事―国土交通省は10月22日、台風23号による高波で海岸堤防が決壊、3人が死亡した高知県室戸市沖で、被災時間帯に国内の観測史上最高の波を観測していたと発表した。実測の平均値は13.55メートル。最大波は推計約24メートルと8階建てビルに相当する高さだった。国交省は被災地に近い室津港沖約1.5キロの海底に超音波などを使った波高計を設けている。20日午後2時前後の20分間に観測した波のうち、上位3分の1を平均した高さが13.55メートルだった。国交省は同じ観測機器を全国54カ所に設置。1970年の観測以来、最も高かった今年8月の台風16号襲来時の宮崎・細島港沖の記録11.05メートルを抜いた。最大波は平均値の1.8倍あるとされ、この20分間での最大は約24メートルと推定される。 中日新聞 : 2004年10月23日◎金剛頂寺のヤッコソウ ヤッコソウ(ヤッコソウ科)は室戸の代表的な植物である。スダジイの古木の根に寄生するこの植物は、室戸では26番西寺(金剛頂寺)の一隅と佐喜浜町や吉良川町にも自生する。この植物は牧野富太郎博士が新種ヤッコソウとして発表した。日本の植物学の上でも歴史的な植物である。四国、九州に産し、土佐では足摺岬と室戸岬を中心に生じる珍しいものであり、西寺のヤッコソウは高知県の天然記念物となっている。その姿が奴(やっこ)に似ているところから奴草と名づけられたという。 見ごろは11月過ぎと書いてあった。とりあえず納経所の係りの人にどこに自生しているのか聞くと、「芽が出始めたところだ」と教えられて探してみた。まだ奴の形をしてませんでしたが、5個ほどスダジイの根元に見つけました。持ち帰ろうか迷いましたが写真だけ撮りました。
2004年10月29日
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幸せだと思う事は、毎日数回はある。今日ほど幸せだと常に感じていられたのは初めてだ。さっそくお大師さまのご利益か? こんな感じだった。 昨晩の帰宅は0時を過ぎていた。6時半には目が覚めてしまう。今日はラジオ体操をさぼってしまった。7時にカーテンと窓を開いて富士山を見る。頂上から4分の1ぐらい白く雪をかぶっている。大きく背伸びをする。ひんやりとした晩秋の空気が気持ちいい。連れを呼びつけて一言「しあわせだー」。 朝ごはんを準備してもらっている間に掃除機をかける。ほこりがなくなる「気持ちいい」。手と顔を洗う「気持ちいい」。炊き立てのご飯に野菜のたくさん入った鍋をつつく「おいしい」。腹八部目にして緑茶をいただく「おいしい」。 食休みの後、洗濯が終わっているので丁寧に干す「洗濯物が喜んでないか?」。掃除機をかけた所を雑巾がけをする。和室は畳の目にそってしっかりと拭く。フローリングのクィックルワイパーじゃ取れない汚れも、雑巾ならしっかり取れる「すがすがしい」 昼前に湯の蔵ガーデンに行く。人が少なく露天風呂でゆっくりする「気持ちいい」。サウナで老廃物を汗とともに排出する。そして冷たい水風呂へ「チョー気持ちいい」 考えてみれば1ヶ月ぶりぐらいに家でゆっくり出来た。1日中家でやすめて良かった。「気持ちいい」「おいしい」「チョー気持ちいい」「おいしい」を繰り返した。そしてその後に「しあわせだー」心の底から「しあわせだー」とつづく。「しあわせだー」とうとう頭に転移したか?…なんてね。「しあわせだー」
2004年10月28日
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牧野植物園 Makino Botanical Garden牧野植物園は高知市の五台山にあり、隣に庭園が重要文化財の31番札所竹林寺がある。高知県が生んだ「植物学の父」牧野富太郎博士を顕彰するため昭和33年に開園しました。園内には博士を生む土壌となった高知県の植物を中心に、博士ゆかりの植物など、約3,000種類の植物が四季を彩っています。また特色として、博士が研究のために私財を投じて蒐集した蔵書や植物画、直筆原稿など約58,000点を収蔵した牧野文庫があります。そして、これらの貴重な資料を紹介するための展示、研究、資料収集機能を合わせ持ち、植物に関する研究と生涯学習の場を提供する綜合施設・牧野富太郎記念館が平成11年11月に新設されました。牧野富太郎 Tomitaro Makino(1862~1957)牧野富太郎博士は文久2年現在の高岡郡佐川町の造り酒屋に生まれました。私塾などで高度な教育を受けていたこともあり小学校を2年で退学、土佐の豊かな自然に育まれながら、自然を師とし独学で植物の研究を続け、22歳で上京。東京大学植物学教室で植物分類学の研究に打ち込み、日本で初めて植物(ヤマトグサ)に学名を付けるなど、日本の植物学を世界レベルにまで引き上げる業績を次々と残しました。晩年も研究への情熱は衰えず、集大成の書「牧野日本植物図鑑」は時代を超えて読みつがれています。95年の生涯において命名した新種や変種は約2,500種、全国踏査して集めた標本は約50万点にも及びます。牧野富太郎記念館 Makino Museum of Plants and People回廊で結ばれた本館と展示館、ふたつの建物からなる記念館は牧野植物園の中核施設。本館(1)アトリエ実習室や体験学習室:ハーブ教室や草木染め教室、植物画教室、植物標本つくりなど創作体験が出来る(2)図書館:植物関係の図書を開架方式で収蔵している閲覧スペース(3)映像ホール:講演会や映像作品の上映など、多目的に利用可能なホール(4)牧野文庫:博士が蒐集した書籍や博士直筆の植物画などを保管展示※ミュージアムショップ:購買意欲を煽る資料集やナチュラルな感じのギフト等展示館 (写真・E・F・G)(5)常設展示『牧野富太郎の生涯博士の生涯』少年期・青年期・壮年期・晩年の4つの時代を、写真や模型、人形などにより、分かりやすく展示『植物の世界』植物模型をとおして、植物の進化、分類、社会人との関わりなどを解説植物画ギャラリー:博士直筆をはじめとして、近代画工、江戸時代、西洋などの植物画を系統的に紹介する専門ギャラリー(6)企画展示室:地域の方々や植物愛好家の成果発表などの企画に対応展示館の入り口の壁に牧野博士の人柄がうかがえるプレートが埋めてありました。私は植物の愛人としてこの世に生まれてきたように感じます。或いは草木の精ではないかと自分で自分を疑います… 「植物と心中する男」よりI feel as if I was born a lover of the plant, or I ask myself if I am a soul of grasses and trees… 植物学がわかったらもっと楽しいのだろうけれど、直筆の研究ノートや植物画を見るだけでも博士の業績の凄さが伝わってきました。
2004年10月27日
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私の信心のなさは、今回のお遍路で明らかになった。明らかに動機が違っていた。お遍路関係の本の冒頭などに、「癒しの風を求めて」とか「自分自身との対峙」などと書かれている。民主党の管直人が「自分自身を見つめなおす」と言ったが、私は凡人なので10日では入り口にも立てずに終わってしまうはずだ。 それ以上に私の興味は、お遍路を取り巻く社会環境や大自然にむいてしまう。どんな仕組みになっているのか、なんで年間10万人も訪れるのか?ひとりよがりに納得したほうが面白い。人の報告を読んだりするよりは、まずお遍路を体験する事をおすすめしたい。 実際お遍路をやってみるといろんな事が見えてきます。私が理解した事は大きく2つある。(1)仏教は分類の出来るしっかりした系統を持つ文化だと感じました。また(2)人々の生活に浸透しているお金儲けの上手なお手本だと知りました。 お寺に参ってのお勤めは、読経により発声(呼吸機能)や滑舌(口の回転)の向上が見込まれる。そして普段の生活と仏教の関係が多少理解出来る効果がありました。 四国の自然環境と地場産業を知るため、10月12日に新居浜市にある愛媛県総合科学博物館に立ち寄りました。この博物館は世界最大の直径30mもあるドームスクリーンを持つプラネタリュウムがあります。 また郷土色豊かな自然館と科学技術館,産業館があって愛媛県指定の伝統産業の実物展示がありました。新居浜周辺は手すき和紙が有名で、工業地帯には大きな製紙工場があります。手すき和紙はコウゾとパルプを混ぜて作っています。お札の原料であるミツマタは和紙にはしないそうです。 お遍路は昔から大量の紙を必要としました。お寺に参る時、納札といって名前と願い事を書いたお札を本堂と大師堂にそいぞれ置いてきます。お参りに来ましたという名刺代わりです。また納経帳といってお寺の印を受けてお参りの証とするサイン帳のような物も必要です。そして書くための筆や墨や硯にいたるまで地場産業となっているのです。お線香もローソクなど必要なものもすべてそろっていて納得しました。 年間10万人がお遍路をし、各お寺にそれ以外の参拝客が訪れ合計30万人の人が納経帳に印を押してもらうそうです。1冊300円(お軸は500円)なので単純にそれだけで9000万円。人件費や維持費もかかるで税金は免除されています。すごい
2004年10月26日
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退院して9ヶ月が過ぎました。2004年7月24日に3~6ヶ月後をふり返っているので、それからの3ヶ月を簡単にふり返ってみます。 7ヶ月目は咽頭部に再発した腫瘍の放射線治療を受けました。後半はだるくて治療を途中で止めてしまおうか…と考えたほど大変でした。 8ヶ月目の前半は食事も出来ないし、動けない状態でした。放射線を当てた部分がやけどしたようになってひどく痛かった。後半は痛みも和らぎ、少しずつ動けるようになって生活のリズムを取り戻そうとしました。 9ヶ月目は、食事も取れるようになって急速に体力が回復しました。気力も充実し後半は2週間、四国へお遍路に行ってきました。夕方になると疲労感がありましたが、普通の人程度の体力はあるなと確信しました。 順調に回復してると思っていたのに再発して、3歩(3ヶ月)進んだのではなく、2歩下がって3歩進んだ格好になりました。結局ゆっくりでも確実に回復しているのでよしと考えています。こんな風に文章にすると病人なんだなと、少しは考えたりしますが、普段は全くノー天気に楽しく暮らしています。 大変だとか痛いとかを乗り越えてしまうと、多少の苦労も楽しく感じられるので自分自身感心しています。【7ヶ月目】 午前中は放射線治療のため病院へ。午後は研究室といたって普通に生活できていた。放射線治療は短時間だし身体にやさしい治療法だと、しばらく思っていました。「治療が終わってからが大変なんだよ」と看護婦さんから言われた事が、だんだん現実になってゆきました。放射線をあてた所は日焼けというよりやけどみたいあだし、のどの内側もやけどのようにでした。痛くて首も動かせなかったし、声を出すのもおっくうでした。食事はのど越しのやさしいものしか食べられなくて量も減りました。唾液が出なくなっていたので、水分を含まないと飲み込めなかった。またその水分も熱かったり冷たいと、頭をかかえるほどのどにしみてのたうちまわりました。 放射線のおかげで咽頭部の腫瘍はなくなりましたが、唾液腺の機能低下,声のかすれ,のど粘膜の炎症,皮膚のやけど等様々な副作用も残してくれました。その他身体が疲れていたのか一日中寝ていられました。横になって本も読む気が起きないし、とにかく1週間は何も出来ずにもがいていました。 私のわがままに身内は大変だったと思う。寝ている時、私は声が出ないので笛を吹いて呼びつけた。痛くてあたりたくなると、呼びつけて愚痴を言い、ヌルヌルの食べ物を用意しろとわがまま言い放題でした。「元気がなくておとなしくしているよりはマシ」と相手にしてくれる連れには感謝している。(その時は感謝せず) 【8ヶ月目】 副作用がなかなか良くならない。放射線科の先生は全く心配していない。「回復は月単位です」が常套句で、細かく質問しても相手にしてくれない。本当に治るのか不安になったが、ふり返ると大体そのように良くなっていたと思う。痛みがなくなってくると身体を動かしたくなってくる。唾液も出ず、味覚もなかったが食べられるようになると、とにかく胃に食べ物をつめ込んだ。飲み込みが痛かったので、時間はかかっても食事の量は半分も食べれていなかった。 後半になると研究室にも顔が出せるようになり、普段の生活に戻っていった。代謝量が増えたのに、食事量はまだ半分ぐらいだったので余分な脂肪がとれて、筋肉がついていったと思う。体重は減ったが体格は良くなったと自負していた。 歯肉が下がって歯の根元が痛むようになりました。歯科医は「現状維持しかないから歯磨きをしっかりやってください」と言うので、私は丁寧に磨くようになりました。食べれるようになるとしっかり噛むようになって、意識して触らないとわからないくらいになりました。 痛みがないので気力が充実してきて、3日間ぐらい4時間しか寝なくても平気でした。味がわかるようになったので、エサを詰め込んでいる感覚ではなく、楽しく食事が出来るようになりました。【9ヶ月目】 放射線治療が原因のリンパ浮腫が出ました。二重あごのようにあごの下がタプタプしました。ひどくならないうちに早めに見せに行きましたが、「それ以上大きくならないし、打つ手がない」と経過観察になりました。1ヶ月たってみて、ひどくなることはありませんでしたが、腫れる時の傾向がわかりました。疲れた時と水分を取りすぎた時に余計に腫れるのは、健康な人でも同じだと思います。 後半は四国へお遍路へ行きました。車で巡ったとはいえ、毎日12時間ぐらい活動するのだから体力には全く不安がなくなりました。毎朝6時には起きて、車を拭いてから出発。納経所が開いている7時から17時まで出来るだけ巡って、次のお寺の近くに宿泊して、会計と記録の整理をしました。時間がたつのは早く、ゆっくり巡ったつもりだけど、十分に味わう時間がなくて今から思えば残念でした。 旅行中食べれなかったらつまらなかったけど、ご当地の名物はおいしくいただきました。昼は讃岐うどんか徳島ラーメン(中華ソバという)だったし、バラ寿司や甘い物をおやつにして満足でした。 戻った翌日に外来診察へ行って、栄養状態が良くなっている事が血液検査の結果からわかりました。今まで1年半以上飲み続けたゾビラックス(抗細菌剤)もやめる事になり、薬はすべてなくなりました。今まで信じられない量の痛み止めや抗生物質等を使ってきたおかげで治ったのだと感謝しています。使わなくても生きていけるほど回復した身体をこれからは大切にしようと思います。【体重と食事】1月24日 54.5kg 外食は味が濃くて食べれない2月24日 58.3kg 半人前がちょうどいい 食べる意欲が出る3月24日 59.3kg 無理すれば1人前食べれる 空腹を感じるようになった4月24日 61.0kg 1人前を食べている 辛さに少しずつなれた5月24日 62.2kg なんでもおいしくたべられる。外食で美味しいものを食べに行く6月24日 61.3kg のどが痛くて食べられない。フルーツを毎食摂った7月24日 61.6kg 食欲はある。食べ方がのろいので少しずつ何回かに分けて食べている8月24日 59.8kg 食欲が痛みに負ける。飲み込み時激痛。9月24日 58.2kg 9月16日57.6kgが底 痛み減少。味がわからない10月24日 59.0kg 水が甘く感じる味覚障害。唾液少ないが食欲は爆発【最後に】 四国へお遍路に行ってきました。まだ記録を整理しただけで何も考えていません。せっかくなので感想を書き記しておこうと思います。 八十八ヶ所を巡ろうと思ったきっかけは、入院中にお遍路が出来るようなら社会復帰は可能だと考えたからです。特別崇高な気持ちはなく、どうせならいろいろお願いしちゃおうかなという軽い気持ちでした。 無事に八十八ヶ所と高野山の奥の院を巡って来てから、いままでの自分の辿ってきた道をふり返ってみたました。この旅は意識していなかったのに、必然だったのかもと考えるようになりました。私は学生時代から中国やインドへ行き仏蹟を巡ってきていました。玄奘三蔵の大唐西域記にしるされたシルクロードへも楼蘭をのぞいてほとんど行きましたし、仏陀の四大仏蹟といわれる。ルンビニー,ブッタガヤ,サルナート,クシナガラもカトマンズで買った曼荼羅を持って巡りました。特別仏教を勉強したわけでもないけど、よく考えてみると仏縁があったことに驚きました。 車遍路といいながら、修行には変わりなく様々な試練が待っています。近道しようとすると崖崩れで通行止めだったりします。また山門からは歩かなければならず、身体が丈夫じゃないととても急な石段はあがれません。狭い道でお見合いをせずに、間一髪ですれ違ったり、田んぼに脱輪しそうになったりします。 結局事故も起こさず無事に巡れました。なんか導かれているとしか考えられないほどラッキーでした。 仏様にあれこれ欲張ってお願いしても笑われそうだったので、仏様の得意分野にあわせてそれぞれお願いを変えていました。八十八ヶ所のお寺さんのご本尊で、一番多いのは薬師如来です。薬師如来に病気平癒をお願いすると、持っている薬壺で、病気を治してくれる仏様です。私は病気平癒をお願いしていました。すると自宅に戻ってきたら薬を飲まなくてもよくなっていたのです。そういう時期(タイミング)だったとは思いますが、私はご利益とありがたく受け止めました。 私はひねくれているので順ではなく、初めてなのに逆に巡りました。うるう年に逆に巡るとご利益が3倍とかお大師さまに会えると言われています。信じていたわけではありませんが、話に艱難に乗っていました。 台湾のお寺に2ヶ月ほど修行した経験を持つ連れは、お大師さまに会えたそうです。私は信心が足りないので会えませんでしたが、いろいろな人に姿を変えて現れたのではなかったのか?と…私にかかわるすべての人が何か試してきているように思えていました。ありがたいことも、不満もたくさんあってこれが3倍のご利益だと思いました。 この旅には続きがあって、今度はチベットのカイラスに行きたいです。以前計画を立てラサや途中まで行ったのですが失敗していました。完全な陸の孤島で不便な所だし、衛生状態は決してよくないし、ジープで往復2週間という旅ですが、ぜひ実現できるような気がしています。2004年10月24日
2004年10月24日
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お遍路の間中、お天気に恵まれていた。高野山の奥の院は大雨だったが、杉の巨木と境内の雰囲気にあっていて感慨深かった。 台風23号は、私達がお参りを終えるのを待っていたかのように私達の後を追ってきた。室戸岬では『なんて高い堤防なのか』とあきれたが、それも台風の波は越えて、死者まで出てしまったとは驚いてしまった。四国を反時計回りに回ったので、通ってきた街の名を聞くたびに胸が痛んだ。 帰りの高速道路も通過してから1時間後に通行止めになってしまった。風や雨はすごかったが、予想通り無事に帰ってこれた。お大師さまのお力以外の何ものでもない。
2004年10月20日
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無事に八十八ヶ所まわりました。フェリーで和歌山に来て、明日は高野山にお参りして行きます。こんばんも良い温泉でゆっくりできました。台風に追いかけられるように帰ります。
2004年10月19日
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2004年10月18日
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室戸岬で寄り道して海藻採集しようとしたけど、波がすごくてあきらめた。海岸線をロングドライブ。
2004年10月17日
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毎日行ける所迄いく感じで、行き当たりばったりだった。昨日は半分も過ぎたことだし、時間配分もわかってきたので予定をたててみた。早さを競っているわけではないので、先人の記録は参考程度に使って検討してみた。 今日は牧野植物園が五台山にあるので必ず寄りたかった。なかなか来れないのだから1日一つは観光していこうと思っている。参拝は心を込めて手を抜けないので、平均7~8日で回れるのに、あと3日はかかりそうだ。 お遍路は愚痴も悪口も言ってはいけないのだが今日は言わせてもらう。昨日まで3日間民宿に泊まった。料理の心のこもって無いこと、部屋が汚いこと、トイレもお風呂も共同で二人で一万三千円。きまりなので仕方ないが、かなりがっかりした。ガイドブックは電話番号しか載っていないので、適当に連絡して、後は運に任せるしか無い。 今日の昼にこぎれいな海のレストランで食事をした。高知市内を抜けた町の泊まるところを聞いたら、温泉付きの新しいビジネスホテルを紹介してもらった。お風呂はサウナ付きの日帰り温泉もやっている。ホテルは出来たばかりで新しい。食事は隣に焼肉屋があって、肉に飢えていた私はそうそうに食べに行った。二人でアルコールないのに五千円ぶん食べた。 ビジネスホテルはツイン1部屋九千円食事あわせて1万4千円。プライバシーが守られていてゆっくり休めるし、サウナ付き温泉にも入れてネットもやれるし、最高の環境だ。精神的にも体力的にも充実している。
2004年10月16日
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お遍路を始めて六日目。いよいよ高知県に入った。お寺では手を洗い、口をすすぐのだが、四国の水はやわらかくて少し甘いと思っていた。お店の水も水道水がコップにつがれて出て来るのだが、甘くてまろやかに感じていた。結局私の味覚が少し甘く感じているようだ。これも味覚障害だ。南予の西海町で水中展望船に乗った。船は二年ぶりなのに久しぶりの感じがしなかった。船底から水中がのぞけ、珊瑚が見れた。お許しが出れば、すぐにでも潜りたい。体力にはまったく不安がない。
2004年10月15日
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四国八十八ヶ所のちょうど半分を巡った。ゆっくりしながら五日かかった。お遍路を逆にまわると、お寺の数は半分でも移動距離は三分の一なので、まわる効率は悪いらしい。車の移動が長くなると、運転中なんか眠くなる。歩いてお遍路は別格だが、車のお遍路も大変だ。岩屋寺は駐車場から階段を二十分くらい上がらないと、本堂へ行けず十分修行になっいると思う。ちょっと甘いかな?朝一番は道後温泉で身を清めた。づっと休んでいたかった。
2004年10月14日
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四国の瀬戸内海側はため池が多い。よってやぶ蚊が多くてお遍路中にもさしてくる。お遍路中は殺生を禁止されているのを知っているようだ。しかも首や足がはれるほど根性の入ったやぶ蚊ばかりでかゆくてしょうがない。 私の血を吸った蚊はがんになって死んでしまうだろう。哀れやぶ蚊よ。南無阿弥陀仏。 他にも長々とせっかく打ち込んだのに消えてしまった。頭にきたので寝る。
2004年10月13日
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お遍路は、車イスではお参り出来ないお寺さんもある。自分の力で行かなければならないらしい。3日目で車の移動も疲れる事がわかった。朝7時から夕方5時まで10時間は動き回った。たまに歩いたりすると十分疲労する。お遍路の作法にも慣れてきた。人間かーなびの連れも、学習機能がはたらいて、優秀になってきた。お遍路の道は元々狭いのに、台風二十号の影響と今回の大雨で崖くずれが道をふさいで通行止めになっていた。実際に土砂で埋まった。自然の猛威になにもできなかったろう。
2004年10月12日
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早朝7時前に山の中の道端に20台以上も車が止まっていてどうしたのかと思った。赤松林だったので、松茸狩りだとすぐわかった。台風が通り過ぎ、気温が下がって来ると松茸が出て来るそうだ。まさにベストタイミングだった。お遍路は、迷いやすく標識があっても油断出来ない。気がつくと田んぼの中の一本道を走っていたりする。ある集落の一角にうどんの文字のち看板と人だかりがみえた。立ち寄ってみたら「がもう」という有名なお店だった。かけも冷やしも一玉百円と安くておいしかった。昨晩はチェーン店でも満足していた。そして昼は釜あげと冷やしの専門店で食べた。そこでもゆで汁そのものが美味しかった。讃岐うどんはごはんの代わりになるくらい食べていたい。
2004年10月11日
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雲一つない天高い青空は私達の出発を祝うかのようだった。前山お遍路ふれあいサロンに立ち寄ったら早速、メロンパンとお茶の接待を受けた。いきなりで驚いたがうれしかった。お寺を巡る時御札を納める。一日にどれくらいまわれるか、予想がたてにくいので何枚用意していいのかわからない。とりあえず適当に書いておいた。夕方五時までの参拝時間内に今日の最後の根来寺で、ぴったりなくなったと連れに自慢した。「私もぴったり」と聞いた時二人でゾッとした。
2004年10月10日
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台風二十二号が近付く神奈川県を八時に出発して、四国香川にやってきました。車でいっきに一周します。お遍路さんは病気になる前から、いつかはやろうと思っていました。私と連れは逆に回ります。弘法大師に会えるとか、御利益が3倍と言われていて、ついその気になりました。夕方白衣や納経帳などを買い揃え、明日からお寺を巡ります。夕食に出だしのお祝いで赤飯を頂きました。早速ステキなもてなしを受けました。家を出る時から全てがうまく運ぶので、不思議な力を感じます。
2004年10月09日
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あいかわらずあごの下は膨れている。たぷたぷには慣れてしまった。あごの下だけではなく、奥歯のあたりも一時はれたがそれは取れた。全体的にははれぼったい顔をしたおじさんって感じだ。 最近のどの痛みはないので食事の量も増えた。少ししょっぱい物も大丈夫だ。トマトは食べれたが2口目は手が出なかった。今まですっぱくて食べれなかったヨーグルトは、メープルシロップをたっぷり入れておいしく食べた。 飲み込みは、あいかわらず唾液が出なくて、水分を含ませて飲み込んでいる。あたるところはなく。ぬるぬるの食べ物をスプーンで食べなくても問題ない。食事のスピードはゆっくりだから食べ過ぎる事がなく、贅肉がつかなくて調子良い。
2004年10月03日
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