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大晦日は、やはりずっと片付け。一部屋がほぼ片付いて、年が明けての風呂あがり。穂高、槍ヶ岳登山の番組を見ながらのワイン。時々、足が内側からすーっと寒くなる。やはり、高いところは怖い。気持ちと、気力と、体力か・・・無理をしない、引き返す勇気か・・今年は、テントを背負って登るのだ。怖いけれど、登りたい。(すでに年は明けた)
2009年12月31日
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やや自虐的・・・遊んでいるわけではないけれど、中々予定通りに進まない。ただ、1日で10項目も "to do"がこなせるはずはないのに、それでもそれをリストアップしてしまう・・・せめて、50%くらいに済チェックがつけば、まだ救われるけれど、10%未達では、どうにも・・・朝寝て、昼過ぎに起きる、ということがそもそもの敗因。今年は、毎年抱負のNO2にあげる「早寝早起き(12:00就寝6:00起床)」を達成できたのは、わずかに1日!自分に革命を起こすのだ、という気構えで、来年こそは。と大晦日の日に思う。もう2時過ぎているけど。それでも、懲りずに「来年こそは」「今年こそは」と今日と明日に思うのだ。「改まる」この雰囲気、気持ちが好きでしかたない。ところで、「坂の上の雲」は、第一部が終わって、第二部は、来年の年末なんだ・・・一年待ちか・・・「日本」「日本人」について考えさせられる。そして、また歴史に対する興味、歴史の中の人物、日本人の精神のルーツに対する興味がむくむくと沸いてくる。録画キーワードは、「歴史」「世界」「宇宙」「山」「脳」広がる感じ、深まる感じがいい。・・・このワイン、美味しい。「ラドワ」と。「ポマール」ほど知名度は高くないけれど、タイプは非常に良く似ているとな。あれ、ミディアムだった。もっぱらフルボディの「濃厚さ」を求めていたけれど、ミディアムは飲みやすい。もちろん2005。さてさてと。
2009年12月30日
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特に休みの日は一日の終わりに振り返りたい。一日一日を大切にするために。(なぜ、「だいじ」ですんなり変換されないのか?)仕事というより、それ以外のこと。今日は、早起きできなかったから、三文の得(徳)はなし。 得か、徳かはまだはっきりとした事はわかっていないらしい・・・。お金だから、得という説が有力とか。「我輩は猫」の終わりの方の「主人」の客たちの議論は、「死生論」と「女性論」。遠い未来の予言。「死」を自ら選ぶ人が増えることと、誰も「結婚」しなくなる・・「我輩は猫」にこんな事が書いてあるなんて、あまり知られていないと思う。「猫の目」から人間世界を「面白おかしく」って思われているのでは?それはともかく、「今日の収穫」女性、「女」の「性」について、つくづく、しみじみ、頭で考えても到底わからないと、あらためて痛感した、ということ。あまり考えないことにしようと思った。過去の人も、言い尽くしていることだし・・・
2009年12月29日
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休みに入って3日目。今のところ、いつものパターン。朝寝朝起き・・・早く軌道修正しなくては!今日は、病室でつきそいつつ、年賀状の「一言」書き。そして、近くの郵便局で手渡して、年末の一仕事は完了。父とは、「ありえない話」のつきあい。病院を引越し、日当りのいい広い、掃除の行き届いた部屋で、まあまあ快適。よかった。あとは、少々、無為な時間も過ごしたけれど、これはまあ、集中時間を生むためにも必要かと、あまり自分を責めないでおこう。でも、また6時に寝た。
2009年12月28日
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また比較。去年は、ドラムレッスンと、散髪と、部屋の片付け1日目。郵便物の整理で終わったようだ。ドラムレッスンは、今年の2月からずっとお休み。もうそんなになるんだ・・・昨年のレッスンは、「クリスマスプレゼント」で、4人の先生から生演奏をしてもらったんだった。今年は、「オフ」の時間が少なかった。今日、年賀状の表裏、完成。あとは「一言」。何時になるかな?あと、突然、「我輩は猫である」を読了。やっぱり、アイタッチだと、終わりの気配がわからない。読後感は、また、後日・・・少しだけ感じたことを。学生の頃は、「主人」を訪ねてくる個性的な人々の会話に新鮮さと、面白さを感じた。今は、実業家でも、政治家でも、軍人でもない、「芸術家」の自己主張と、死生観をあちこちで感じた。もっと維新から明治45年までの歴史を知って、「日本人」の根本について考えてみたい。根本は何も変わってないかもしれない。
2009年12月27日
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再び、去年との比較。去年の初日は、27日(土)だったけれど、年賀状書きの一日。11時に起きて、朝の6時まで、120枚。今年も出すべきか、やめるか、「一言」は何を書こうかの時間が一番長い。会社ですれ違っても挨拶くらいで、特に話をしない相手に年賀状で「一言」というのも、なんだか「形」のようで。でも書かないと、もっと儀礼的だし。社内儀礼は、どんどん減ってはきているけれど。メールでなくて、年賀状なのは、基本的に「写真」があるから。でも、今は写真も送れるから、なんだろう? 受け取る側とすると、特に昔懐かしい人たちからの年賀状は、やっぱり、写真より、手書きの「一言」に最初に目が行く。とすると、あれこれ凝った賀状より、心のこもった「一言」だろうなあ。今年の初日は、裏面のデザインだけで終了。
2009年12月26日
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グループの7割が年休(有給休暇)。そして、定時上がり(17:30)。なんでも着手が遅い自分は、片付けが済まずに、一人、二人と「よい年を!」と帰宅していくのを見送る。が、全てを片付けようとすると、明日になりそうなので、また、休み中、一度は顔を出すかと、帰る。去年も、ちょうど席と、資料キャビネットの引越しがあり、一日、オフィスに出て、台車でせっせと資料の移動をしていたなあ。それを日記に書いた記憶がある。よく、1年前の日記を読んで、比較する。この日記より、エクセル日記。たとえば、年末の片付け状況。寝た時間、起きた時間。去年の仕事納めの日をチェックしたら・・・朝は5時に起きて、夜は6時15分に寝ていた・・・逆でも、普通でない・・・もっとも、休みの初日は11時起きだ・・・抱負は、いつも「早寝早起き」だけど。
2009年12月25日
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なんでも頼まれると、「絶対に嫌だ」以外は、即諾するようになった。以前は、「するようにしよう」だったが。スピーチ、講演、役員、仲人・・・承諾の後悔より、断ったことの後悔の方が大きいので。人のやりたがらないことを率先してすることのメリットは大きい。ただ、「普通」から離れていく。いや、「普通」からもともと離れたいと思っていた。今日の「普通」はイヴの夜だった・・・まあ、それなりのイヴだったけど。会社は、あと1日。
2009年12月24日
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パスして、病院へ。うーん。複雑な気持ち。職場の忘年会は、仕事のようなものだし・・・あと今年も1週間余り。なんだか、色々あった1年だった。いつも予測不可。来年も予測不可としたら、一体、何があるのだろう?「予定」や「目標」を立て、コントロールする部分もなければ・・・
2009年12月23日
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言いたいことが溢れすぎて、きっと「マシンガン」になると思い、ぐっと堪えた。相手は重役だし、大勢だし・・・それに、否定的なことを言うと、何倍にもなって返ってきて、決して、自説を曲げないタイプだし・・・腹は膨れたけれど、後味の悪さも残らず。言葉の応酬で解決することは少ないから、やっぱり、口数は少ない方がいいかも。
2009年12月22日
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と、病院で言われた。たしかに、「あと2、3時間」と言われて、駆けつけた時は、酸素吸入中で、レントゲン写真でも片肺が真っ白。今は、きれいで、今日は、体に何もつけていなかった。食事も80%。数日前は30%だったのに。よくしゃべる。日本語で、文脈もしっかりしているけれど、何の話かわからない。今日は、「飛行機」だの「公園」という言葉が多く出てきた。奇妙な話だけに、聞いていて、面白くはあるが・・・あと、1,2年前の元気な頃、幻覚の話も聞いたけれど、これも、あとから思えば、「認知症」の典型的症状とか。普通に興味深く、静聴していたけれど、そういう「態度」は良かったようだ・・・父も、幻覚を悩むようすもなく、淡々と、話してくれた。『夜中に知らない子供たちが、となりの部屋にたくさん 来て、しゃべっていて、話しかけたら消えた』と・・昼間も、『あそこに赤い屋根の家が見える』となにもない方向を指差したり・・屋根はともかく、自分にそういう幻覚があったら、ちょっと怖い。
2009年12月21日
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土曜日?の5時に寝て、昼過ぎに起きる。今年は、年賀状が出せない、と思っていたけれど、なんとか書いて、出せそう。で、いつもより画期的に早く、着手した。といっても、「筆王」で、住所のチェックと、喪中の人のチェック、それを入力した。裏面のデザインを考え始めた。今年の年賀状は、体重の月平均をグラフにして、月毎のトピックスを写真つきで載せて、あとは背景に富士山の写真と、抱負。。。なんだか、ごちゃごちゃしたイメージだけれど、そうでもない。ただ、「グラフ」が何のグラフかわかった人は居なかった。縦軸を書かなかったけれど、ピークのところに「メタボ危機」と書いたので、わかると思ったのに・・・来年のは、もう少しヒントを書いてみようか。でも、昨年は、グラフを書くモチベーションがあったけど、今年は、ない。年末が「ピーク」になりそうなので・・昨年は「谷」だった。
2009年12月20日
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金曜日?の6時に寝て、昼過ぎに目が覚めた。外を歩こうと思ったが、歩かず、一日、家に居た。実家は、兄夫婦が行っているので、自分の時間を持つことができた。徹底的に?のんびりした。夜は、世界ふしぎを録画し、裏番組を見ていた。が、なぜか、今回は自動録画できてなかった。今年、初めて、世界ふしぎをみることができなかった。今は、世界ふしぎと、歴史秘話ヒストリアと、坂の上の雲。 これだけ。いや、サイエンスゼロも、「勝手に録画」してくれて、時々見る。これも、面白い。
2009年12月19日
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自分以外のことに関わりたくない人。自分が好きなことをするためには、他の不便や犠牲は厭わない人。他人に対しても要求や期待をしない人。一人、山に出かけたり、散歩をしたりする人。空を一日見ていても飽きない人。ちなみに自分自身、その傾向がなくはないが、それを徹底している人がいる。でも、どこかで支えてくれる人がいるから、そうしていられる。ということは気づいているのだろうか?もちろん気づいているのだと思う。本当に一人になってしまったら、どうなるんだろう?
2009年12月18日
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最近、よく言われる。「若手に伝えておいて欲しい」。完全に会社の立場。「技能」の部分は、どう伝授すればよいか、根気は必要かもしれないけれど、まだできると思う。「考え方」とか「発想方法」みたいなものは、どう伝えるというのだろう?しまいに、「頭を中のものを割って出して、みなが理解できるようにして欲しい」と・・・その場では、「なるほど」と思い、「わかりました」と返したけれど、それができるなら、今まで仕事を抱え込んだりしなかった。「自分にしかできない」というのは、非常に「愚」であり、おくびにも出してはいけないことはわかっている。でも、「発想」など、口に出したり、書いて伝えられるものでもないでしょう。まあ、「発想法」なるハウツーものも出ているけれど、読んで満足したことはない。「自慢話」か、「売るため」としか思えない。それでも、何度も言われるので、最近は、「興味」「好奇心」と答えるようにしている。それでは納得はしてもらえないけれど・・・「生まれつき」なんて、言ってみたら、どうなるだろう? 10%は生まれつき、90%は努力・・じゃあ、どんな努力をしたのか?頭が柔らかい頃、何もしないで、とにかくぼーっと一日じゅう、考え事をする日々が多くあった。。。考え事がいきづまると本を読む。本に飽きると、考える。これを2,3年は続けたと思う。ただ、そういう生活の前から、「変わりモノ」のレッテルを貼られていたから、やっぱり生来のものの比率が高いかも。よく、わからない。
2009年12月17日
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まあ、実家なんだけれど。病院ではなく、実家の六畳の和室で産まれた。そこへ、会社を休み、認知症の上、肺と腎臓と心臓を痛め、緊急入院した父の見舞いと、実家に居る同じく認知症の母の面倒を見るために行く。何度も繰り返される、そして、矛盾する話をひたすら聞く。瞬間に近い、短い期間のことと、遠い昔の記憶はある。数分前のことは忘れる。ただ、「物忘れがひどい」という自覚はある。日常の昔から行っている習慣行動はできる。医者は「典型的な」とおっしゃる。「型」に当てはめて安心?させる。「産まれた場所」に対する愛着は、大学生の時、「家を出たい」と思った時点で、消えた。高校の時、受験勉強に使った部屋は、机、椅子と本棚はそのまま。レコードやオーディオもそのまま。今は、父の部屋。となりのピアノの部屋は、調律を全くせぬまま、他のスペースは物置化している。僕はどちらかというと猫的ではなく、犬的で、場所ではなく、人かも。ただ、毎日、違う場所に居たいわけでもなく、落ち着ける場所は欲しい。
2009年12月16日
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最近、若い先生が多い気がする。子供の頃、かかった先生は、「老」先生というか、どしっとして威厳のあるイメージ。自分より若いし、カルテには日本語で書くし、先日、アメリカ人に付き添って行ったら、通訳してくれ、と言われるし、「どうしましょうか?」と言われるし、「しばらく様子を見ましょう」とかあいまいだし・・・医者は、まずは、「尊敬」できなければ。「気」で直らない。今回は、自分ではなく、認知症専門の先生。あまりに若くて、かわいい感じで、最初見た時はぎょっとした。話の内容は、まあまあだったけれど、やっぱり、参考書を何冊か読めば言えそうなことを言っているだけのような。ちょっと失礼かな?自分自身は、あまり医者にかかりたくない。自己診断して、薬さえもらえれば、と思ってしまう・・・
2009年12月15日
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富士の裾野で1時間半の会議をして、有楽町へちょっと寄り、東京の市ヶ谷で2時間ちょっとの会議をして、帰る。何度か、せっかくの東京へ行ってトンボ返りが多かった中、久しぶりの寄り道。といっても、銀座東急ハンズに寄っただけ。ワイン用品とステーショナリー。それだけだけれど、ちょっと良かった。往復中、たくさんのメールの処理ができた。「猫」も読めた。
2009年12月14日
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夏目漱石のイメージが、少々違うなあ、と。社交的で友人が多いのが正岡子規のイメージで、夏目漱石の少ない友人の一人が正岡子規、って感じなのに。漱石の処女作の「猫」は、今読んでいて、初めての小説で、かなりはじけて、「調子に乗って」書いている感じ。小説の中だから書ける。「猫」の中に、正岡子規の「実名」が出てくるけれど、新聞連載中は、すでに子規は亡き人だったんだなあ・・・TVドラマでは、漱石が「猫を主人公にした小説を書いてみようか」という一節が出てくる。これも、ちょっとイメージ違うなと。まあ、フィクションとしてみれば、面白い。少々、はしゃぎすぎではあるが・・・「戦争」が始まれば、締まるかも?
2009年12月13日
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例年この時期、書斎の散らかり状態は、ピークになり、文字通り、足の踏み場がなくなるけれど、今年は、一応、部屋の中を歩くことができる。雑誌の定期購読をやめたのと、こまめにダイレクトメールを処理したのと、あとは、多少、物欲を抑えた効果。いつもは、書斎だけの片付けで、年末年始の休みの3,4日は使ってしまう。2年続けて、年越し掃除をしていた。今回は、2,3日で済むかも。しかも、年末に6日も休みがあるから、「余裕」。と、今は思うけれど、どうだろう?狸の皮算用かも。
2009年12月12日
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感謝の気持ちを人に求めず、でも、人には感謝の気持ちをもつ。できるかな?感謝の気持ちを持つのだけれど、口に出せない。口に出さない時、相手にそれを求める気配を感じると、急にその気持ちがなくなってしまう。「言わなきゃわからない」「察して欲しい」愛する気持ちも同じ?「愛」はともかく、「感謝」を言葉でなくて、心の中で感じるだけでもなく、態度で表わせないか?まずは、心の底から感謝の気持ちを持てることだと思う。感謝の気持ちは誰でも、自然に湧くものでもない。普段の自分の心持ちだ。なんで、こんなことを?
2009年12月11日
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自由に再生スピードが変えられるCDプレーヤーで練習。今はー30%。なかなか便利なツール。耳コピーには必須。 もっともバンドスコアも買ってしまったけれど・・・バンドスコアは中々正確なのがないけれど、この曲は、結構、忠実だと思う。手はまあまあになってきた。足はまだまだ・・・バンド練習はなかなか再開できない。来年かな?
2009年12月10日
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やはり12月だ。でも、一つづつ片付いていくと、そのこと自体で満足感。こういうのが単純な達成感なんだろうなあ。明日の資料を書き終えて、少しだけワイン。その前の前にコーヒーで覚醒し、そのあと、カツジンなるドリンクで覚醒し、最後にこのワイン。胃腸が混乱するだろうと思いつつ、10分でいいから小さな達成感をかみしめたくて。明日、起きれるかなあ?睡眠時間が半端だ。
2009年12月09日
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人の気遣いや、やさしさを感じた。わずか「一言」なんだけれど・・・自分もそういう心遣いをしているのだろうか?コミュニケーションが大事だとか、毎日、面着で最低30分はメンバー全員と話し合う時間を作るべきだとか、色々「ルール」を作ろうとするけれど、「一言」で十分。心がこもっていれば。と思った。自分も、わずかだけれど、そういう気持ちが伝わる思いやりの心を、あらためて持たねばと思った。なんだか、高校生や大学生が書くようなことだなあ、と思いつつ・・・
2009年12月08日
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秋山好古の言葉。本当に言ったかどうかは?毎年、年末年始になると「単純明快」「シンプル」を目指したい、と思う。そういう時期、経験があっただけに、その「良さ」がわかる。じゃあ、どうして今できない?毎年、少しは努力する。雑誌や本を思い切って捨てる。クレジットカードの解約をする。がらくたを捨てる。着ていない服を捨てる。ビデオテープを捨てる。やめる、捨てる。でも、何か、根本的なものをやめたり、捨てたりしていないのだろうな。表面的である。それから、バックアップが欲しいと思う気持ち。スペアかもしれない。なくなった時に困る?だったら、なくなった時に買えばよい。また、年末年始、「節約」や「捨てる」「やめる」を楽しんでしまおう。
2009年12月07日
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昼過ぎ、13時に目覚めた。いや、10時に目覚め、TVをつけて、「増刊号」を見つつ、また寝ていた。不規則な生活が、体を重くする。去年の体重グラフはふた山で、年末に向けて下り坂。今年は、上っている。これはだめだと、久しぶりに10キロ強、歩いた。歩くと、色々なことを考えたり、感じたりする。だから音楽を聴きながら歩かない。あとは、せっせとDVDレコーダーからDVDへのダビング。「歴史秘話ヒストリア」がほとんど。そのなか、「唐招提寺1200年の謎」が録画されていて、それを、ついつい見てしまう。2時間強。もちろん、「見るため」に録画しているのだけれど・・・面白かった。これを見てから奈良へ行けばよかった。歴史は、本当に面白い。
2009年12月06日
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看護婦さん。看護婦『○○さ~ん。ここはどこだかわかるかな~?』チチ『う~ん、わからん』看護婦『病院ですよ~』チチ『何回も同じことを聞く』チチ『痛い』看護婦『どこが?どこも痛くしてないですよ~』チチ『ここ、ここ』看護婦『ああ、ここね、針を刺しているからね~、ごめんね~』なかなかニュアンスが伝えられないけれど、ちょうど幼稚園の先生が、子供をあやしているような感じ。僕も小学校4年の時に入院経験があるけれど、看護婦さんに対する、「ほのかな想い」の記憶。やさしさ、というより体を預けられる「頼もしさ」に近いかな?「母性」か・・・男はいつまでも子供か、老いると子供、さらに赤ちゃんに戻る、というのもうなづける。女性ならではの「特性」なんだろうか?ひたすら尊敬の念を感じた。僕も、ちょっと疲れ気味。あやされたい、いや、いやされたい。
2009年12月05日
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朝、会議が始まる前にかかってきた電話。今日は会議のあと、教育と、研修出張。最初の電話は「救急車」。まだそのときは、全てをキャンセルして実家に走る、という風に体は動かなかった。教育も受講し、出張もするつもりでいた。次の電話は、「あと2,3時間」片付けるべきことは片付けて、会社を出た。自宅に帰るのに、家を間違えた。落ち着いているつもりだったけれど、落ち着いていなかった。運転しつつ、色々なことが頭をめぐった。次男だから、電話をかけてきた長男ほど大変ではないけれど。病院に到着して、緊急病棟に入って様子を見たときは、かなり好転。 人工呼吸にして、脳死状態にしなくてよかったと。脳は働いていて、反応もできた。久しぶりの「病院」の消毒の独特のにおい。入院経験は2度あるが、もちろん極力避けたい場所。健康について、生き方について、また色々考えた。今は、ほっとして、日記をまとめて書いた。
2009年12月04日
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昨日の「歴史秘話ヒストリア」は正岡子規。初めて知ることが多く、非常によかった。特に夏目漱石との友情の話、そして、「柿くへば・・」の俳句の秘話。子規の話だけれど、漱石の人柄がよく伝わってきた。「我輩は猫」の中にも子規のモデルが居そうだけれど、「迷亭」ではないかと思い始めた。すでに各登場人物の「モデル」でさまざまな説がありそうだけれど・・・。秘話を見るまでは、子規はそういうイメージではなかった。俳人って、線の細い、繊細な感じ。でも、子規は病弱で、若死にではあったけれど、太い。そして社交的。大勢の友人。 逆に漱石は友人が少なく、子規が積極的に漱石に「アプローチ」したようなところがある。だから、逆に子規が結核を発病した以降、漱石は子規を思いやり、感染も恐れず、同居したり、励ましたりしている。「迷亭」が、「主人」のところを頻繁に訪問し、いろいろちょっかいをかけたり、からかったりしているが、それが子規と漱石だったような気がする。「柿くへば・・」のベースに漱石の俳句があった、という。盗作ではなく、子規から漱石への「メッセージ」かも。「坂の上の雲」にも、夏目漱石は登場するのだろうか?
2009年12月03日
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大学受験の時、夏休みの一日の勉強時間の目標。もっとも、達成した日は少なかった記憶。机には向かっているけれど、妄想にふけるとか・・今は、目標ではないけれど、一日の勤務時間。目標は、休み時間も含めて12時間にしたいのだけれど。9時出勤なら21時帰り。できれば7時出社の19時帰りを目指したいところ。15時間だと、帰ってバタン寝か、がんばってドラムとトレーニングをして、3時には寝るとか。それを今週は一日おきに繰り返している。家でも会社のメールチェック。これが標準なのか、異常なのか、実際のところはよくわからない。受験中も、家での勉強時間のサバ読みは多かった。やっていない、といいながら、みな結構やっていたと思う。仕事の場合は逆サバ?
2009年12月02日
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働けど、働けど・・・価値観を変えるしかない、と、こういうショックの時にいつも思う。体の痛みではなく、心の痛みのとき。心はコントロールできるのか?と、思春期の頃もよく考えた。考える事と、感じることは違う。頭で考え、ハートで感じる。ハート=心臓だけれど、でも、やっぱりハートも脳なんだろうか?ひとつの大きなテーマだったなあ。「どうやって心をコントロールするか?」マイナスの感じをプラスに転じるようにコントロールしたい時。考える事ではコントロールできない。動くことでコントロールできる、という「説」はあった。じゃあ、座禅とか、宗教的な教えは何だろう?と思った。あじゃりさんに問うたこともあった。そのときの答えを、詳しくは覚えていないけれど、「考えるのではなく、感じることだ」ということ。じゃあ、具体的にどうすればよいのか?という部分は、「自分で考えるしかない」いや、「自分で感じるしかない?」とますます迷路に入り込んだ。とりあえず、「動くこと」と仮の解決をした。「今」どうなんだろ?「価値観を変える」いきがい、やりがいを、「自己実現」にする?結局は、仕事に没頭するうち、「理屈」は消えていく。これは単に自分をごまかしているだけ、かもしれないけれど。うーむ。
2009年12月01日
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