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教壇に立ち、子どもたちに安心感を与えられる先生と、そうでない先生。その違いをずっと追い続けてきた私の、小さな旅が、気づけば10年以上にもなりました。そして先月、長い長いトンネルの先に、ようやく光を見つけたのです。「これだ」と思えるものを、ついに言葉にすることができました。その言葉を、新人の先生たちに伝えてみたところ──彼らの授業が、見る間に変わったのです。子どもたちの表情がやわらぎ、教室にあたたかな空気が流れはじめました。まるで魔法のように、「わかりやすい授業」を届けられる先生に育っていったのでした。これまでも、私は「わかりやすい授業」の条件を必死に探してきました。無意識のレベルで、いい先生たちがやっていることは、たとえば──・自然な笑顔で、白い歯をのぞかせること・先生自身が授業を心から楽しんでいること・子どもたちの呼吸に寄り添うように、話すリズムを合わせること・その場に応じて、問題を取捨選択し、意味づけること・「間(ま)」を大切にし、必要なところで言葉を飲み込むこと・演習と解説のバランスを意識した構成にすること──そんな細やかな心くばりの積み重ねが、必要条件なのだと思ってきました。それらをリストアップしてマニュアル化し、後輩たちに伝えてもきました。でも、今回たどり着いた言葉は、これらをすべて包み込むような、もっと深く、もっと根っこの部分にあるものでした。この10数年、私は考え続けました。現場に自ら立ち、子どもたちと向き合い、仲間たちと議論し、全国の先生たちの授業を見て、感じて、悩んで──ようやく、「これだ」と思えるものに、たどり着いたのです。それは、どの先生にも例外なく共通していた、ある無意識の「在り方」でした。それは、「子どもたちを、心から信じていること」──このたった一つのことでした。笑顔も、テンポも、間も、構成も、すべてはこの「信じる心」から自然ににじみ出ていたのです。子どもたちは、敏感です。目の前の大人が、自分たちをどう見ているか、すぐに感じ取ります。条件つきではない、まるごとの信頼を向けられたとき、子どもたちの心はふっとほぐれ、のびやかに学びはじめます。テクニックはもちろん大切です。でも、テクニックだけでは、安心感は生まれません。「あなたはできる」「あなたは大丈夫」そう心から思っている先生だけが、子どもたちに本物の安心感を届けられるのだと、今なら胸を張って言えます。言葉にしてしまえば、あまりにシンプルで、拍子抜けするかもしれません。でも、このシンプルな「信じる」ということを、教壇に立つたび、どれだけ純粋に持ち続けられるか。それが、先生としての本当の力量なのだと、私は思うのです。これからも、きっとまた悩む日がくるでしょう。迷うこともあるでしょう。でも、そんなときはこの小さな答えを胸に、また一歩ずつ、子どもたちと一緒に歩んでいこうと思います。
2013.11.17
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「管理する人がいるということは、管理される人がいるということ」そんな当たり前のようで、どこか引っかかる言葉が、ふと頭をよぎりました。私たちのまわりには、いつも“管理”という仕組みが存在しています。時間割に沿って動く学校、業務日報を出す会社、提出期限や評価システム――こうした仕組みがあることで、物事がスムーズに運ぶことも確かにあります。でも一方で、管理されている側に目を向けたとき、そこには少し違った風景が見えてくる気がするのです。「自分で考えるより先に、管理されることで動いている」「やらなければいけないからやる」そんな状態にいるとき、人は果たして、本来の力を発揮できているのでしょうか。もしかしたら、“管理されているからこそ”自分の持つ創造性や意欲、好奇心が抑え込まれてしまっている人もいるのではないでしょうか。たとえば、勉強もそうです。「〇時からこの教材をこのページまでやるように」と決められたら、効率よく学べる面もありますが、同時に、「なんでこれを学ぶんだろう?」という問いや、「自分は本当はどこに興味があるんだろう?」という心の声は、置き去りになりがちです。学ぶこと自体は、本当はもっと自由で、わくわくするものだったはず。でも、“管理”という枠の中で「やらされる勉強」になってしまったとき、その楽しさは一気に色あせてしまうのです。だからこそ、私は思うのです。教育と管理は、似ているようでまったく別のものだと。教育とは、「その人が自分で考え、自分で動けるようになる力を育てること」。決して、言われたとおりに動くよう“調教”することではないはずです。もちろん、時にはルールや枠が必要な場面もあるでしょう。でもそれは、あくまで“補助輪”のようなもの。いつか自分でバランスをとって自転車をこげるようになるための、通過点にすぎません。本当の教育は、「あなたならできる」「自分で考えてごらん」と、管理の手を少し緩めて、信じて待つところから始まるのかもしれません。そうやって自ら動き出したとき、人は本当の意味で、自分の可能性に気づくのではないでしょうか。誰かに管理されて動くのではなく、自分で目的地を決め、考え、歩いていける人が増える社会。そんな未来を、私は心から願っています。
2013.11.12
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「かっこいい」という言葉は、どこか外見的なものに使われがちです。モデルのように整った顔立ちや、颯爽と走るアスリート。華やかな舞台で光を浴びながら楽器を奏でる演奏者。私たちはつい、「見た目」や「結果」に目を奪われます。けれど私は、そういった表面的なこと以上に、人がひたむきに努力する姿こそが、何よりもかっこいいと思うのです。スポーツや音楽といった「わかりやすい努力」はもちろん素晴らしい。でもそれと同じように、黙々と机に向かい、自分と向き合いながら勉強に取り組む姿も、本当にかっこいいと私は思います。成績が急に上がったとか、難関校に合格したとか、そんな“わかりやすい成果”がなくても構わないんです。自分の弱さに気づきながらも、それを乗り越えようとする。昨日よりも少しだけ多くのことを覚えようとする。眠たい目をこすりながらも、ノートに向かう。そうした姿には、人の“生きる力”が宿っていて、私にはまぶしく見えるのです。だから私は、勉強に取り組む生徒たちに、「かっこいいね」と、心から伝えたくなります。何かに真剣になること。うまくいかなくてもあきらめないこと。そこに、目には見えない美しさがあると私は信じています。それはまるで、誰にも知られず朝早くから咲く一輪の花のよう。派手さはないけれど、静かに、確かに、心を打つ存在です。今、教室にはそんな“かっこいい塾生たち”が集まっています。定期テスト前という大事な時期。誰かに言われたからではなく、自分の意思で勉強に向かう子どもたちの姿が、今日も私に勇気をくれています。「かっこよさ」の定義は、人それぞれかもしれません。でも私はこれからも、こういう姿に、「本当のかっこよさ」を見出していきたいと思います。
2013.11.12
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ここ最近、志望校を上げる塾生が増えてきました。それは、ずっと心の中で決めていたことなのかもしれません。あるいは、口に出すことが恥ずかしくて、言葉にできなかっただけなのかもしれません。いずれにせよ、これまで憧れの存在でしかなかった学校を、自分の志望校として掲げることを決心した塾生たち。それは、着実に学力をつけ、成長してきた証であり、それを実際に口に出し、行動に移したその覚悟を目の当たりにすると、とても頼もしく感じます。でも、その一方で、まだどこか未熟な自分がいるのも事実です。なんとかして合格させたいという気持ちが、どうしても頭をもたげてしまいます。なぜなら、もし僕たちが無理に合格させてしまった場合、その後の子どもたちがどんな道を歩むのかを考えると、不安が残るからです。合格そのものよりも、その先に続く道こそが、僕たちの本当の関わりなのではないかと思うからです。今年度もまた、覚悟を決めた塾生たちを目の当たりにし、もう彼らは、僕たちの手を借りなくても、自分の力で合格を勝ち取ることができるそんな人たちが多くなってきたと感じています。その成長を見て、心から誇りに思うと同時に、少し寂しい気持ちもあります。だからこそ、僕たちができることが重要だと感じています。それは、単に合格させることではなく、一人ひとりの志を支え、彼らが自信を持って次のステップに進めるように導くことです。そのために、僕たちができることをしっかり見極めて、塾生たちにとって本当に意味のあるサポートをしていきたいと思っています。僕たちの仕事は、ただ結果を出すことだけにとどまりません。その先にある、彼らが成長していく過程を見守り、その一歩一歩を支え続けることだと感じています。
2013.11.09
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