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先日、太宰府天満宮へお参りに行ってまいりました。梅の香りがほのかに漂う境内には、春の気配が確かにあり、少し冷たい風すらも、心をしゃんとさせてくれるようでした。毎年訪れるこの場所は、まるで自分の内側と静かに向き合える、そんな不思議な空間です。毎年繰り返される物語の、その中に年が明け、受験や進路、そして新生活の準備に追われるこの時期。太宰府天満宮を訪れると、ふと足を止めて振り返るような時間が流れます。「毎年、毎年、繰り返される物語だけれども、 1ページ、1ページには、毎年違ったストーリーが綴られている。」これは、今回の参拝の中でふと浮かんだ言葉です。同じように見える日々のなかにも、昨日とは違う気づきや、去年とは異なる感情があります。たとえば、去年は「不安」でいっぱいだった気持ちが、今年は「感謝」に変わっている。そんな自分の変化に気づかせてくれるのが、この年に一度の参拝なのかもしれません。「消化する」という、やさしい生き方境内のベンチに腰を下ろしながら、ふと思い浮かんだことがあります。「今日の幸せは、今日のうちに、 味わい感謝しながら消化していく。 また明日の幸せを、ちゃんと消化できるように。」この「消化する」という言葉に、自分でも驚くほどしっくりときました。食べ物を消化するように、心も感情も、ちゃんとその日のうちに“消化”できたらいいのになと。どんなに美味しいごちそうも、食べ過ぎれば苦しくなるように、幸せも感謝も、無理に詰め込んでしまってはかえって見失ってしまうこともあるのだと思います。そして、こうも思いました。「このことは、思い通りにいかなかった日にもそう。 今日のストレスは、今日のうちに消化する。 明日の幸せを消化できるように。」つい溜め込んでしまう怒りや焦り、不安や悲しみ——それらも、できるだけその日のうちに手放して、軽やかに眠りにつく。そうすれば、明日やってくるかもしれない小さな幸せにも、素直に気づけるような気がするのです。今日というページを、静かにめくるように毎日が、新しい1ページ。完璧に書けなくてもいい。書き直しがあっても、余白が多くても、ちょっと折れ目がついていても。その1ページに、自分なりの思いや気づきを丁寧に刻めたなら、それで十分。そしてその積み重ねが、気づけば「今年」という一冊の物語になっていくのだと思います。さいごに忙しい日々の中で、どうしても私たちは「未来」ばかりに目を向けてしまいます。でも、今日の幸せも、今日のストレスも、ちゃんと味わって、そして優しく消化していくこと。それは、明日をより軽やかに、しなやかに生きるための土台になるのではないでしょうか。そんなことを感じた、太宰府での静かなひとときでした。
2013.02.27
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春を目前に、進路が決まりはじめた塾生たちの顔に、少しだけ自信の色がにじみ始めています。今年もまた、中学部では公立高校推薦入試の合格発表がありました。倍率は軒並み1.5倍以上。そんな中、7人の生徒が見事、内定を勝ち取りました。彼らの頑張りが報われた瞬間は、私たちにとってもかけがえのないものです。惜しくも今回は内定に届かなかった1名も、私立高校の「奨学特A」合格という立派な結果を出しています。公立一般入試でも十分に合格を狙える位置にあり、春はもう、すぐそこに見えています。受験が子どもを育てる瞬間私は、かねてから「合格だけを目的とする勉強」には、どこか抵抗を感じていました。それでもやはり、受験という大きな目標に向かって努力する過程には、子どもたちを大きく成長させる力があるのだと、年々感じています。プレッシャーに立ち向かい、自分の弱さと向き合い、試行錯誤しながら前に進む——そのプロセスが、内面の強さや粘り強さを育ててくれる。今年も、一人ひとりにドラマがありました。誰もが同じ問題に挑んでいるようで、歩んでいる道はひとりひとり違う。悔し涙の日もあれば、小さな成功に飛び跳ねる日もある。そんな日々の積み重ねが、合格発表という「節目」をより特別なものにしてくれるのだと思います。(追記)“なぜ?”を追う学びの時間ただ、ひとつ気がかりなのは、受験に特化した学びの中では「WHY(なぜ)」を追求する余白が、あまりにも少ないことです。学ぶことが「正解を当てること」になってしまうと、立ち止まって考える余裕が奪われてしまう。たとえば、葉っぱが緑なのはなぜ?昼の空は青く、夕方には赤くなるのはなぜ?(−1)×(−1)が1になるのはなぜ?心臓は、意識していないのに、なぜ動いているの?喜怒哀楽は、どこから生まれるの?なぜ赤ちゃんを見ると、みんな笑顔になるんだろう?なぜ、いじめはなくならないの?人は、どうして音楽に感動するの?神様って? サンタクロースって? 妖精って?時間って、本当に平等?なぜ“集合知”が、時に大きな間違いを犯すのか?なぜ、核はなくならないのか?そして……なぜ、自分は今ここにいるのか?こんな“なぜ?”を語り合う時間が、週に1度くらいあってもいいと思うのです。点数にはつながらないかもしれない。テストにも出ないかもしれない。けれど、こうした問いに向き合う時間が、子どもたちの中に「自分の頭で考える」という根を育てるのではないか。そう感じています。受験はゴールではなく、通過点塾の役割は、「合格させること」だけではないと、私は思います。それ以上に大切なのは、「学びは楽しい」「知るって面白い」と感じてもらうこと。そして、「問いを持ち続けていいんだ」と子どもたちに伝えることです。“なぜ”を問うことを諦めずに、自分のペースで学びと向き合っていく。そんな姿勢を受験勉強のなかにも、少しずつでも育てていけたら——それが、これからの教育に求められることなのかもしれません。今日も教室では、新しい「なぜ?」が芽吹いている気がします。合格のその先にある、本当の学びを、共に見つけていけたらと思います。
2013.02.18
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中学3年生たちが、いよいよ最後の追い込みに入っています。季節が少しずつ春へと向かう中、彼らの勉強にも熱が帯びてきました。今、教室には独特の空気があります。決して騒がしくはないのに、静かで、それでいて力強い。ひとりひとりがそれぞれのペースで、でも確かに「合格」というゴールに向かって歩んでいる。そんなエネルギーを感じます。私たちの塾では、公立高校入試に向けて、土曜日は特別な時間です。朝9時から夕方18時まで。5科目のテストと解説を、黙々と、何度も繰り返します。きっと、大人でも驚くようなハードな一日。でも、誰一人として「つらい」とは言いません。それは、目の前の試験が「誰かに課されたもの」ではなく、「自分が越えたい壁」になっているからだと思います。日曜日には、前日のテストのやり直し。間違えたところを放置せず、補助プリントを使って再確認していく作業が続きます。点数という結果だけに目を向けるのではなく、プロセスを丁寧に振り返ること——それが、受験という短期的な目標以上に、今後の学びにとって大きな意味をもつのです。毎週のテストでは、過去の先輩たちとの成績を比較しながら、合否判定を出しています。目安があるからこそ、1点の重みを真剣に受け止め、丁寧に取り組んでくれている姿があります。(追記)答案用紙の向こうに見えるもの採点作業は、私にとっての「発見の時間」でもあります。特に数学の答案用紙を見ていると、「あっ」と声が漏れる瞬間があります。模範解答よりも、もしかしたら洗練されているんじゃないか?というような解き方。センスというものが、紙の上に現れる。計算力や知識だけではない「考える力」を見つけると、なんとも言えない嬉しさが込み上げてきます。国語の作文もまた、楽しみのひとつです。模範解答のような整った文章でなくてもいい。心がこもっていて、その子なりの視点で世界を見ている文章に出会えたとき、「ああ、この子はちゃんと自分の言葉で考えているんだな」と感じられます。どの答案にも共通しているのは、「合格したい」という想い。点数を追いかけるための努力ではなく、「この春、自分の力で扉を開きたい」という純粋な気持ちが込められているのです。だからこそ、採点している私も自然と背筋が伸びます。「いい答案には、いい空気が流れている」——そんなふうに感じることすらあります。入試というと、どうしても結果に意識が集中してしまいますが、私はこの“過程”のなかにこそ、その子の本当の価値が表れると思っています。たとえ今すぐには結果が出なかったとしても、この数ヶ月の積み重ねは、必ずどこかでその子を助けてくれる。努力した日々は、裏切らない。それは、点数だけでは測れない「確かな証拠」として、その人の中に残っていくものだからです。—教室に響く鉛筆の音。うなずきながら解説を聞くまなざし。そして、答案用紙に書かれた、たった一行のメモ書き。そのどれもが、「今を生きる中学生」のリアルな姿です。これからも、そんな日々をそっと支えていける存在でありたいと思います。そして、彼らの答案用紙に込められた声なき声を、丁寧に拾い上げていきたい。今日もまた、そんなことを思いながら、採点に向かいます。
2013.02.17
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