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2005年10月07日
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1979年元旦は、米中が30年ぶり国交樹立のニュースが幕開けとなりました。
そして正月早々大阪市の三菱銀行北畠支店に猟銃男が強盗に入り、4人を射殺、行員と客40人を人質に篭城するという衝撃的な事件が起こりました。
犯人の梅川昭美は射殺されましたが、なんと彼の頭はアフロヘアでした。(だからってソウルマンじゃないよ)
後に高橋伴明監督、宇崎竜童主演で「TATOO(刺青)あり」という映画にもなりましたので、ご興味のある方は是非VIDEOでご覧下さい。(中々の秀作です)
映画といえば、この年は邦画が随分と健闘しました。
今村昌平監督の「復讐するは我にあり」緒方拳演じる連続殺人犯の話や、長谷川和彦監督沢田研二主演の「太陽を盗んだ男」、若山富三郎の「衝動殺人息子よ」などややピカレスク系ではありました。一方洋画では「エイリアン」や「スーパーマン」などのSF作品や、あの名作「ディア・ハンター」が公開されたのもこの年です。

また、78年から始まった「スペースインベーダー」の大ブームが日本国中を席巻しました。凄かったですね、このブームは。どこの喫茶店に行っても必ずありましたよね。
言ってみれば、ゲーム王国ニッポンの幕開けとも言える元祖テレビゲームの登場でした。
なんであんなに夢中になったのか今も不思議ですね。


一方対照的に第二次オイルショックから省エネが叫ばれ、ディスコの営業時間が短くなったりしました。東京中のネオンが制限されたり、一体あの騒動もなんだったんでしょうね。
省エネルックとか言って半そでのジャケットなんぞ着た政治家が偉そうにしてましたが、そんなら上着脱げばいいじゃんみたいな感じで、今にして思うとやってることが結構間抜けでしたね。

音楽アーティストで言うと、レゲエの王者ボブ・マーリー、スウィートソウルマン・マーヴィン・ゲイなどが初来日しました。
そしてこの年7月にソニーのウォークマン1号が発売されました。
サスーンのジーンズにウォークマン、ナイキのジョギングシューズといったファッションが最先端を行き、ウォークマンでディスコサウンドを聴きながらローラースケートを楽しむなんてのがちょいとした流行になりました。
そういえばローラーディスコなんてのもありましたっけ。委員長は行った事ありませんが、一瞬の出来事でしたね。一般大衆的に言えば、ディスコダンスさえまともに踊れないのに、ローラースケート履いて踊らせようったって無理と言うものです。
よく考えればわかりそうなもんですが、時代の先取りとか言って調子コイた資本主義の手先がいたんですね。馬鹿者、いや失礼、若者たちをたぶらかしてゼニ儲けしようったって、相手見てから考えましょうと言う教訓でした。

そんな時代のディスコの方ではマイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズがタッグを組んだアルバム「オフザウォール」が、空前絶後世界的超爆発的大ヒットを記録し、SOULブーム再来のきっかけとなりました。(ヤッターッ!)
そしてディスコの中心は新宿から六本木へと移って行ったのでした。
後のサーファー・ディスコと呼ばれる六本木キサナドゥがオープンしたのもこの年でした。

テレビでは武田鉄矢主演の「3年B組金八先生」が脚光を浴び、たのきんトリオが登場、この後しばらく金八ブームが続きました。

また、ギネスブックの日本版が刊行されベストセラーとなり、洋書ではもうひとつ有名な「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が、右肩上がりで上昇する日本経済を背負って立つ企業戦士の間でバイブルとなりました。
そしてこの年の日本レコード大賞は、なんと西条秀樹のYMCAでした。
まさに時代ですね、ディスコ歌謡の本命と言ったところでしょうか。
更に、覚えてますか「天中殺」?
「算命占星学入門」なる本が単行本セールス第一位となり、占いブームが巻き起こり、やたらと流行った言葉が「天中殺」でした。

委員長などはひょっとして生まれ付いての天中殺ではないかと思ったりしました。

ということで戦友ムラちゃん亡き後、委員長とジュリーのゴールデンコンビ(?)が復活し、後輩DJも入ってきてトゥモローUSAチームが出来上がっていきました。
新宿歌舞伎町界隈のディスコも、みな似たようにDJがグループというか派閥のようなものを形成し始めそれとなくDJ業界みたいなものになっていきました。
なんといっても当時はカンタベリー系の勢いが最高潮でしたから、オーティス中村氏を筆頭とした一大勢力(笑)みたいな感じでしたね。
一方、松本みつぐ氏やイサムちゃんなどもしっかりと第一線の古株となっていました。

更に全日本ディスコ協会もディスコDJ協会のようなものを組織しましたが、さすがにこれは地方中心で東京都内での加盟加入はほぼなかったのではないでしょうか。
このころのディスコ協会は色々なことに手を広げすぎたせいか、業界内での評価は大分と下り坂でした。そんな時期に、またも取ってつけたようなDJ協会の発足でしたから都内ではほとんどのDJが関わらなかったと思います。

結局は、仲間内でグループとか派閥みたいなものが自然に出来上がっていきました。
トゥモローUSAはもちろんジュリー一派というような感じでしたが、委員長自身は一匹狼を気取っていましたから、まだこの時点ではさほどジュリーとは行動を共にはしていませんでした。
それでも渡部氏がどんどん仕事を持ってきてくれて、自然に縦の関係が生まれつつありました。この時の委員長は次から次へと色んな仕事をよくやりましたね、まったく節操がありませんね。

怪僧ラスプーチンのコザックダンス・プロモーションなんてのもありました。
この仕事は渡部氏とジュリーから頼まれて、本当に義理でやったんですけど、もうこの頃は今で言うバラエティー系みたいに成り下がっていましたから、恥も外聞もなく何でもやりました。(ソウルマンの壊れ始めですね)
実は、この話はどーしょーもないプロモで、某レコード会社(言わなくても解りますね)の洋宣(洋楽宣伝)の某部長が、たまたまどこかのディスコでひっかっかって来たおねーちゃんをモノにしたいがために企んだプロモーションで、要はそのおねーちゃんをアイドルにしてやるかなんか言って連れまわしただけなんですけど、まさかズブの素人一人を会場で踊らせたってしゃれにもなりませんから、そこでプロのダンサー(笑)の出番となったわけです。
まあ、しかし良い歳コイた中年のオッサンがくだらねーことしやがって、みたいな馬鹿らしくも腹立たしい仕事でしたが、このおねーちゃんもおねーちゃんで、もう頭が暖かいっつーか弱いってか、きちんとした会話も満足にできないような娘でした。
(道楽者の馬鹿野郎にここまで言われるくらいですから解るでしょ)

なんだかロシア風のそれなりのファッションしてきて、結構マジでメイクとかしちゃったりして、隣では中年のオッサン部長が「大丈夫?あがってない?」とかワケわかんないこと言ったりして、おねーちゃんは「はい」とか良いお返事したりしてました。
でもって、オッサンはおねーちゃんに委員長を紹介してくれたりなんぞしまして、「こちらがロニーさん、今日のお仕事のお相手だからよろしくお願いしときなさい」かなんか言って励ましたりして、「よろしくおねがいしまーす」かなんか言われて頭の痛くなった委員長でした。USAのダンスフロアでは司会のジュリーが場を盛り上げてくれています。
更に正面席には渡部氏をはじめレコード会社各社の販促部員も見ております。
(要は横の繋がりでこの部長のヨイショしてたってだけです)

委員長はアフロ時代に福生でこしらえた豹柄衿の真っ白なスーツに、白毛糸のスキー帽を被り更に白ぶちのスキー用サングラスをかけ、ロシアンダンサーズ風ファッションに身を包みました。
出番間際に歯に黒海苔を幾つか貼り付け、いざ本番です。(本番もクソないよね、こんな企画)
フロアーはUSAお馴染みのセットアップで、お客さんが輪になって委員長とおねーちゃんを囲んで座り込んでいます。
委員長はムッツリとした顔でしっかりと腕組をして、かなり強面風に構えて立っておりました。さすがにギャラリーはオカマ風というかタケノコ風というか一般庶民的というか、そのような類の方々がなにやら勝手な期待をして見守っています。

ジャンジャガジャガジャガ~、ヘイッ、ヘイッ、ヘイッ!
ラスプーチンのイントロが始まった途端、委員長は大口開いて笑いながら首振って踊り出します。場内大爆笑!大うけ!渡部氏他業界の方々もゲラゲラ笑っております。
そんな状況をつかむどころの騒ぎではないおねーちゃんは、一生懸命何処で覚えてきたのかしりませんがコザックダンスを踊っております。

わ~かっくあっかるい~うたごえに~(ってこの曲ほんとに出だしがそっくりですよね)

ということで爆笑の渦の中「ラスプーチン」のプロモーションは恙無く終了いたしました。
楽屋で着替えている委員長の隣では、オッサンとおねーちゃんがその気になって話しておりました。

「よかったよ~、この調子で全国回るからね」

「ハイ」

おいおい、次は全国じゃなくてこの調子で新大久保だろ、ってことでしょーもないお仕事をひとつこなした委員長でしたが、この時のお歯黒ギャグが身内受けして、ますます調子付いていく委員長でありました。





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最終更新日  2005年10月22日 22時45分34秒
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