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2006年01月03日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ということで今日は道楽者を増殖させるためのノーガキをひとつコカせて頂きます。
昨年ニッポンでドッカーン!と炸裂した建築設計偽装問題ですが、ひとつ気になるキーワードがあったので道楽者のプロから一言述べさせて頂きます。

問題の設計認可の審査にあたって担当者が語った「性善説」というこの一言が非常に気になります。
要は「一級建築士が作成したものだから」ということで、疑う審査ではなく、プロの作ったものは原則を守っているという前提の上で審査をしている、ということでした。
非常にもっともらしい言い訳ではありますが、よーく考えて見ましょう。

元々このような構造設計は専門職、プロの仕事しかないわけであり、審査に提出される書類はすべてプロの作成したものです。
となると、一般的にプロの行う仕事はすべて「性善説」にもとずいて規準が審査されるということになってしまいます。

では、プロでない一般人が公的な認可を得るための申請に対しては、「性悪説」で疑って審査するということになるのでしょうか。
非常に変な理屈ですね。

そしてそのような厳しい世界でプロになった方々は、全て世のため人のため社会的貢献を担う人材である、という素晴らしい哲学的期待で位置付けられております。これは素晴らしい理念であり理想ではありますが、仮にこの理念が現実に適応しているのであれば、何故人類に平和は訪れないのでしょう?

って、話がちょっと飛躍しすぎましたが、では、犯罪を取り締まるプロが犯罪を犯した場合、この性善説が適応されると一体どのようなことになるのでしょう。
警察という機構は「おまわりさんだから悪いことはしない」という性善説によって管理されているのでしょうか。
暴力団という機構は「ヤクザだから悪いことをする」という性悪説によって社会管理されているのでしょうか。
まだまだあります。
裁判官とか教育者とか、私達の周りには非常に沢山のレッテルが貼られた人々が混在して生活を営んでるわけです。
これはエリート意識という構造にはまっている結果ではないのでしょうか。

「性善説」ですべて片付くのならきっと世界はもっと住み易い世の中になっているはずですね。
ところが資本主義経済社会というソフトは現実世界で必ずしも「性善説」では稼動していません。

たとえば、「募金」とか「寄付金」とか「義捐金」とかを募る機構がありますが、果たして集められたお金が本当に救済に使われているかどうか、またODAという大義名分で国民の税金がアチコチの国へ流れていますが、これらの資金は本当に人々の役にたっているのでしょうか。

「性善説」に当てはめて結論を出せば、そういうことをする人々は皆善意の人たちだから役に立っているはずだ、と思っている、思わされているのではありませんか。

ニッポン人はそこまで立ち入ると「下賎な話」とか「セコイこというな」とか言って曖昧にしがちですが、一番肝心な部分を避けて通る「和をもって尊しとする」立派な精神に依存しすぎているように思えます。

だからといって人を疑ってかかれといっているのではありません。
もう少し世の中の出来事の裏側、社会の構造を見ることができれば、そう簡単に右へ倣えはしなくなるのではないでしょうか。
今現在、世の中は根本的に「お金」という血液で廻っています。
このシステムはそう簡単には変えることはできませんが、少しずつでも軌道修正は行っていけると思います。


発展途上国のインフラ整備は、潤っている国の「性善説」によって援助が行われています。では途上国のインフラ整備に当たる業者さんは誰なんでしょう?
道路を直したり、公共設備としての建物を建てたり、もちろんニッポンの高度な技術が役に立つのは言うまでもありません。
そんなもの無償援助で請け負う企業などあるはずがありません。
国のお金、税金は無償援助に近い形で流出していきますが、その援助資金が支払われる先は一体どこなのでしょうね。
「キックバック」という言葉を聞いたことはありませんか。
言いえて妙、まさに蹴り返されてくる援助資金は誰の利益になるのでしょう。

まあ、こんな話をしてもきりがないのでこれ以上しませんが、私が言いたいのは、このシステム自体が悪いといっているのではなく、苦しい人々のために役に立つことは「結果」であり「プロセス」に拘っていても始まりませんから、今は細かいことはさておき「結果」を見ていくようにしたいと思うだけです。
どういうことかというと、本当に苦しんでいる人々の望むものを与えることができているのだろうか、ということに目を向けるべきではないかということです。
誰も使わない山道に橋をかけたり、きちんとした配給システムもないところに食料や医薬品をどかんと落とすとか、裕福な国の自己満足でしかない援助や、結局は自身の利益の為に公共の財産を浪費するとかいったことに皆で目を向けていきましょう、という道楽者からのささやかな提案です。

話をもどすと、今回の建築設計偽装事件は大掛かりなシステムの上に成り立っているわけで、マスコミが言うほどそんな単純な構造ではありません。
マスコミも今や情報を自ら処理できる能力が無くなっていますから、なんとか単純な図式にして一般市民的フツーの人々を丸め込もうとしている構造が見えてきます。
それを見過ごしたというか、騙された一般市民的フツーの人々(つまり私たちですね)にも間違いなく責任があるわけですが、では一体どーすれば良いのかというと、それは目を開いて自身の目で見ていくことしかないわけです。

このままの状態では、ニッポンはいずれ情報を持つ人と持たない人の二層に分かれていき、良い情報、つまり利益を持つ情報は非常に狭いサーキットの中で廻っていくことになるでしょう。
人によってはインターネットやIT産業の発展を救世主のように崇め、これらの情報システムが人々に恩恵をもたらせると言っていますが、確かに可能性こそあれ、それでも万人に等しい恩恵をもたらせるとは限りません。
逆に、情報を処理する能力のない個人に向かって一方的に情報を垂れ流しているわけですから、情報の価値観と情報過多いうあらたな弊害も生まれてきています。

情報、情報といいますが、果たして私たちが人間として、社会としてどれだけ有効かつ価値のある情報を入手できることができるのでしょうか。

ということで本日の結論です。
今更、政治経済や社会の勉強を始めても手遅れです。
残された道は一般社会の提示する価値観をどんどん壊す、非生産的な活動を行っていくことです。今までの社会通念のウソや、企業によって生産効率を高める目的のためだけに洗脳されてきた一般常識を覆していきましょう。
時代のパラダイムはすでにシフトし始めています。
乗り遅れてはいけません。
私はもうすでに爺ですから今更先頭に立って暴れることはできませんが、これからニッポンを背負って立つ若い力のみなさんは、もっともっと世の中に疑問を持って下さい。
簡単に人から言われたことを真に受けず、自分の頭で考え、自分の目で見て判断しましょう。そのためには少々無謀なことでも色々な世界を見ることです。
どーらくを追求していくと必ず世の中の矛盾とか、人間の不合理性とかにぶち当たります。その時が勝負です。その時まで鋭気を養い、知識を身につけ、馬鹿なことを本気でやりましょう。

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最終更新日  2006年01月03日 09時35分57秒
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