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2006年03月29日
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ということで、今日はこのFeeling Goodなままノスタルジックに昔を振り返ってみたいと思います。
そういえばこのブログを始めたきっかけも、昔話だったんですよね。
どうも書いているうちに自分自身で悦に入っちゃった感じで、後半は懺悔録みたいになりましたが、おかげで私の人生は見事不死鳥のように甦ることが出来たのです。(って、相変わらずお調子者丸出しです)

さて、その昔、不良少年の如何わしい夜の遊び場といえばなんといっても「踊り場」だったわけですが、この「踊り場」という語感が当時は非常にスノッブ的な、一種独自な雰囲気を醸し出しておりました。
しかし今にして思えばこの表現、そのまんまというかセンスのかけらもありませんね。
ただ、この表現には一応カテゴライズされた業種が含まれていたような気が致します。

生バンドが出ていて、酒飲むことがメインで、寄った勢いで踊る場所が用意されている、そんなトコは「コンパ」とか呼ばれていて「踊り場」とは原則的に区別されていました。
さらに大きなホールで、やはり酒飲むことがメインのダンスホールみたいな場所は「パブ」とか呼ばれていたし、サイケデリックみたいなヒッピーの系列でハードロックぎんぎんみたいな店は「ゴーゴー」とか「ゴーゴーハウス」なんて言われてました。


まず当時の主流はなんといってもコンポラスーツ。
コンテンポラリースーツ、略してコンポラ。
当時の主流は玉虫生地の細身のスーツで、衿も細くズボンも細い。そのほとんどは仕立てで、くるみボタンでおがみひとつボタン、サイドベントは短く、ポケットはナナメ、ズボンはハイウェスト・ベルトレスで平均5センチ、くるみボタン2つで横留め、裾は踝に掛かるか掛からないかのギリギリで、ソックスはナイロンのストッキング、靴は細身のスリッポンでナイロンの靴下が見えるところに「粋」があった。
シャツは仕立てのタブカラーか市販されているピンホールシャツ。
もちろんカラーは低く、ネクタイも上着の襟に合わせて細身の一色。
ちょっと生意気な奴らは裏地に凝ったりして、東洋系の柄の入った裏地などで競い合ったりした。

中には襟のデザインにこだわる奴らも出てきて、ショールカラーやカラス衿(いわゆる上が大きな衿)、逆に下を大きくしたものや、ショールの部分にサテンを縫いこんでタキシード風にしたものもあった。
生地も段々とエスカレートしてゆき、アムンゼンやタキシードクロス、格子柄の玉虫とか、とにかく「粋さ」を競ったファッション遊びだった。

頭髪はもちろんリーゼント。前髪はチョイパーマで膨らませて、サイドはポマードで艶出ししてきちんと止める。これは踊りを踊ってもカタが乱れないようにチック系などで固定するヤツも多かった。汗にまみれて柳屋のポマードや、MG5の臭いが踊り場に充満したりして、この匂いも踊り場の特徴である。(ほんとかよ)
更に小道具もそれなりに凝っていて、財布も布地の縦型や本牛革などオヤジの品を持ち出してきて見栄を張るやつもいたが、大抵中味は5千円以下、下手すると五百円札と千円札しか入っていなかった。中には何を間違えたか、浮世絵四十八手がデザインされている布地の財布を持ち歩いているヤツもいた。
タバコはショートホープが渋いとされていたが、ハイライトも沢山いた。

(どうせオヤジのモノか、どこかで万引きしてきたモノだろう)

まあ概ねこんな感じのファッションを適度にアレンジした不良たちが「踊り場」の主流だったが、女の子たちはどうだったかというと、これが案外いわゆるアイビー系が多く、ボタンダウンのシャツ(ブラウス)にスポルディングのカーディガンなど羽織って、膝丈のタイトスカートにパンプスみたいなオーソドックスなスタイルが多かった。
ただコンポラ野郎達が血眼になって追っかけたのは、やはりミニのタイトスカートに黒のストッキング、ミニのチャイナドレスなどを着込んだ不良ねーちゃんたちだった。
どっちにしろ目一杯背伸びして早く大人になろうとしたバカだったことには間違いない。

あとは私の時代はファーラーと呼ばれたニットのフレアーパンツにアロハとか、この頃から「ヤンキー」などという名称で呼ばれるようになったファッションも出始めていた。


根本的に「踊り場」は踊りがメインなので、コンポラ系不良少年はあまり格闘技は好みではなかったが、いつの時代も時代の先端を競うところにはかならずいざこざがあるもので、そのうち用心棒代わりに腕の立つやつなどが出入りするようになっていったあたりから、「踊り場」にあらたな伝説が生まれていった。(ふ~ん)

そして極めつけ「踊り場」の憲法とも言える原則中の原則、それが「ステップ」だった。
まずは、このステップを覚えなければ遊ぶこともままならず、このシキタリこそが「踊り場」というブランドのすべてであった。
そしてこのステップを巧みにこなすツワモノだけが「踊り場」のリーダーとして君臨できる栄誉を与えられたのである。(おおっ~!)

かくしてこの「踊り場」が不良少年達の間で神格化されていった最大のポイントは、やはり踊り、ステップでした。
今にして思えば「盆踊り」的なもので、皆で同じ踊りを踊ったわけですが、当時はこの連帯感とか、自分たちだけの特権意識みたいなものがとてつもなく価値のあるものだったんですね。まあ、盆踊りは大げさかもしれませんが、スクールメイツとかモダンダンスとかの振り付けで皆で同じ踊りを踊るってのは、めくるめく快感であったわけです。
さらに付け足すならば、そんな場所で遊んでいる自分が非常にカッコよかったと思えた時代でもありました。まさしくアンダーグラウンドの魅力だったわけです。
これがオーバーグラウンドしてディスコになっていくのですが、あの薄暗くて危ない雰囲気とR&Bが醸し出す退廃的ムードは不良にとってのこの上ない快感だったわけです。





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最終更新日  2006年03月29日 09時11分22秒
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