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2006年03月31日
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しかし、当時学ランで堂々と「踊り場」に出入りしていた彼らのメンタリティには今でも頭が下がります。といってもこんな大胆な行動ができるのはやはり蛇腹の学ランしかなかったのでしょうね。まあ言ってみれば、蛇腹ブランドというか、代紋というか、この学ラン見て向かっていくのは北の学生くらいのものでしたね。
それにしてもボンタンに長靴ってファッションも凄かったですね。
ナガグツですよ。あのゴム製のながぐつ。
まあ、これも言ってみればブランドのひとつだったわけですが、戦闘隊員の証みたいな(笑)天下ゴメンの長靴でした。
蛇腹の学ランにダブダブのズボン、その上から長靴を履いたオールバックとか角刈りした童顔のおっちゃんみたいな奴らが、揃ってスクールメイツみたいな振り付けで踊る姿って想像つきますか?(まさに人生はジョークです)

でもそこに集う若者も皆似たり寄ったりで、時代を消化しきれていなかったというのが実際のところだったような気がします。
いろんなものがいっぺんに吹き出てきた時代みたいな感じでした。
アングラとかサイケとかヒッピーとか、長髪にベルボトムジーンズで髪振り乱して騒ぐハードロックと共にドラッグ(って当時はそんなカッコ良いものじゃなかったネ)でラリパッパなんてのが注目を集めたり、50年代からの系統でリーゼントにポマード塗ったくって不良を気取る奴ら、学ランの丈を長くしてみたり、ズボンの腿幅を広げて少年ヤクザみたいな道を走る奴らなどなど、とにかくいろんなものがごった煮的に登場してきた時代だったような気がします。


エンダンとかダンブとか呼ばれていましたが、当時の大学の応援団といえば、ヤクザも一目おくほどの硬派軍団でしたし、その恰好は長い学生服にやたら太いズボンという出で立ちで、ちょっと硬派がかった奴らには憧れのファッションでした。
そういえば「花の応援団」なんてマンガもありましたね。どおくまんプロの。
そんな大学の応援団ファッションが高校生の間で取り入れられるようになって、ボンタンや長ランなどのネオ高校生ファッションが生まれていったのですね。(笑)

そしてこの頃の高校生の私服のメインはジーンズでした。
全国的なブームで一気に盛り上がったスリムジーンズ。
BVDのTシャツにビッグジョンとかエドウィンとかの細身のジーンズというのが一般的な私服パターンでした。しかも腰まで落として履く妙な流行がありました。
(しかしリーバイスはやっぱ高かったから皆手が届かなかったのかなぁ~)
まだ当時の日本人はGパンを腰で履く体型ではありませんでしたから、異常に足が短く見えました。しかも腰のあたりからブリーフがはみ出します。ギャグですね(笑)
(これって最近流行ってる感性の先取りだったのかなぁ~)

女子もこの手のファッションが流行りました。
ピチピチのジーンズに白いビーチサンダル、紺色のスタジャンなんか着て厚化粧したズベ公みたいなんが人気でしたね。

白いビニールで細くて薄いサンダルが細いジーンズの足先で妙に色っぽかったなぁ。
(って足フェチじゃないよ)
まあ、当時の女の子で不良ってのは結構少なかったから、競争率も高かったですね。
このあたりが最近の子供たちとちょっと違ってたところかもしれませんね。
パンチ頭でボンタンに革ジャンみたいなガキ親爺のくせに、連れてる彼女が麻丘めぐみ(知ってるかなぁ)みたいだったとか、妙な取り合わせのカップルもけっこういました。


私も高校に入りたての頃は、先輩のファッションを真似するだけで精一杯、踊り場どころの話ではありませんでした。
ボンタン仕立てるっていったって、当時の金で3~4千円の高価なものですから、昼の弁当代コツコツ貯めたり、パチンコで一山当てるとか、麻雀でバカ勝ちするとかして頑張らなければ、中々に追いついてはいけない状況でした。
しかもリーゼントにはパーマもつきものですから、このパーマ代だってバカにはなりません。ボンビーの代表選手みたいな私にとっては、こんな不良修行の道は大変に険しかったですね。(笑)

さてそんな時代にいち早く「踊り場」体験をした私ですが、早速地元のバカが屯するサテンなどでストーリーを大幅に改ざんして吹きまくりました。

「そりゃ、スゲーとこでよぉ、もう女はみんなマブイしよぉ、こっちは国○舘の奴らに囲まれてて動けないしよぉ、Tと二人だったらソッコーで軟派してたぜ」

とにかく新宿の「踊り場」に行ったという事実だけで、バカ達の先手を行ったという自慢話に花咲いたってところでしょうか。
それでも私にとってみれば、ちょっと過激な不良の世界を垣間見たってなもんで、自分の住む世界とは別のことだと思っておりました。
新宿は新宿でも相変わらず週末は新宿の昭和館に出かけ、東映ヤクザ路線に埋没するバカな少年でありました。
ジュラルミンの摸擬刀なんか買ったりしてね。晒し捲いてボンタンに雪駄はいて近所を徘徊したりして、バカの典型でしたね。
そんな私のバカ人生にいよいよ春がやってきたのでした。
いかんせん私の通っていた高校は男子校で、1学年だけでも生徒数が千人近くいましたし、別学で女子生徒が100人ほどはいたものの、女ッ気はまったくなしの軍隊のようなところでしたから、万年女日照りともいうような状態でした。

そんなところに降って湧いたような「お見合い」の話が舞い込んできたのでした。
場所は新宿の喫茶店「ハイハ」でした。さすがにこーゆーことはしっかり覚えてますね。
同じクラスの不良バカ数人が「オレもオレも」と出張って行きました。
相手は新宿にあった関東女子学園、通称カンジョの生徒でした。
男子校と女子高のお見合いですから似たモノ同士ということで、向こうも男日照りに喘ぐ女生徒がやってくるだろうと期待に胸膨らませ一同は150円のコーヒーで3時間も争奪戦を繰り返したのでした。
この時の仲介者は当時のアイドル路線のようなカワイコちゃん系でしたが、彼女が連れてきたお見合い相手は長いスカートにコートの襟を立てた三人組でした。

「おおっ、不良だっ!やれる!」と誰もが心の中で叫んだのでした。

とまあ、そんなに世の中旨い話はあるわけないのですが、なんとこの中の小柄なねーちゃんの熱い視線を受けた私は一気に勝負に出たのでした。

「で、電話番号教えてくれよ」(なんじゃそりゃ、単なるバカしかやらない軟派じゃん)

「う~ん、じゃこっちから電話するからそっちの教えて」

普通はこれってお断りの合図ってことなんですけど、何故かこれがうまくハマってしまい、お付き合いをすることになったのでした。

ということで、こんな何処にでもあるくだらねー話は飛ばしますが、この付き合いがきっかけで各地のパーティにご招待される身分となったわけです。
当時は頻繁にこのようなパーティが開催されておりまして、背伸びした不良の集まりがそれなりに遊んだものですが、いかんせんガキの集まりですから、ちょっとイジケタ野郎なんぞが現れて大暴れしてパーティを台無しにされたりすることもあったのです。

「潰し」などと呼んでおりましたが、数人のツッパリ小僧が派手にケンカなどおっぱじめた日には、せっかくのお楽しみパーティもマッポの手入れを喰ったりして、悲惨なことにもなりかねません。
そんな事情から、パーティの主催者は必ずアベックを集めるということが鉄則でありました。
軟派目当てのにーちゃん、ねーちゃんもこの筋の紹介がなければ入れない、というようなルールがあったのでした。

ということで彼女との何度目かのデートがこのパーティだったのです。
新宿西口の一角にある喫茶店を借り切って、夕方の3時頃からパーティは始まりました。
パーティ初デビューの私はここで彼女が皆に混じって踊るその姿を見て、遂に東映路線からの脱却を試みたのでした。(っつーか、パーティでひとり浮いてただけだろ)

それにしても皆で楽しそうに踊っている彼女の姿は、なんとも表現し難いほどに私の不良心を揺さぶりました。(相変わらず大げさなやっちゃなぁ)
そうです、このパーティの一夜こそが私の人生の転機となった「踊り場」への入り口だったわけです。
まあ、正直言ってこの一回で急に目覚めたってわけでもないのですが、何度かこのような状況に遭遇していくうち気が付けば、彼女以上にムキになってステップを追っていたというのが実際のところでした。(いや~今日も長くなりましたね)





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最終更新日  2006年03月31日 08時59分40秒
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