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2006年04月01日
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日々盛り上がっております70年代の不良と「踊り場」のお話はまだまだ続きます。
なんせ爺の話はよく飛びますから、話しているうちにどんどん盛り上がっていってしまいますので、どこまで行くかわかりませんが、とにかく思いつくまま語らせて頂きます。
ということで、この話を書き始めた時から私が「踊り」にハマッていった頃のことをずーっと思い出そうとしているのですが、そのきっかけというか、どうして踊り場に通うようになっていったのかがどうもイマイチはっきりとしてきません。

ただ、「踊り」いわゆるステップを見た、あるいは体験したのは、昨日も書いたとおり「踊り場」ではなく、仲間が開いたパーティだったことは確かです。
当時はこういった仲間内のパーティってのが結構流行っていまして、喫茶店とかスナック、レストランとかを借りてバカが集うといった催し物でした。
パー券とか買わされるのですが、今の様にワープロとかパソコンなどない時代ですから、ガリ版印刷みたいなヤツとか、コピー(っていったって昔のは青っぽかった)とか、ヒデーのは手書きの券で、子供のお誕生会みたいな雰囲気でした。
まあ、会場だってなんのこたぁない、スナックとか喫茶店の営業前の時間を場所貸しするみたいな感じで、とってつけたようなオードブルにコーラやジュース飲んで、無理矢理作ったスペースで自分達の持ち寄ったレコード回して踊るってだけのものでした。いうなれば踊りがメインだったんですけどね。

それでもデカイものになると、ほんとに「踊り場」借り切って100名近い動員数があったりして、それはそれなりに胸ワクの楽しいものでした。

だから場所も結構ローカルっぽいトコもあったし、その地域、テリトリーで集まる不良の質も随分と差があり、それがまた不良のネットワークを作ったりしておりました。

私が顔を出していたのは、やはり渋谷、新宿、中野、ちょっと背伸びして青山ってな感じでした。ちょっと遠征して町田とかね。(笑)
この辺りになると、川崎、横浜、湘南方面からも集まってきますから、その不良のバリエーションも多彩で、会場は結構テンションが上がったりしました。
都内の場合はまず電車、バスなどの公共機関を通じて大人しく集まってきますが、町田あたりだとバイク、四輪など族関係者も大挙してやってきますので、必然的に騒々しくなるのは当たり前です。そうなるともう、踊りどころの騒ぎではなく、威嚇がメインになりますので、必ず場外乱闘などが始まったりして、かなり危険な宴会となります。

ところが根が馬鹿野郎の見本のような奴らばかりですから、こーゆー危険なパーティに参加することが男の勲章みたいに大勘違いする変な奴らも増えてきて、しまいには木刀や短刀、ヌンチャクやチェーンなどを隠し持って「力」を誇示するワケのわからない奴らも登場してきて、主催者を泣かせます。

ということで、こんな危険な場を取り仕切るために地元の有力者をお迎えするようになるのです。ローカル色豊かな地域ではこのような関係から構成員なる組織化が始まり、いつしかこの傘下に「族」関連の青少年たちが取り込まれていったわけですね。
(都下不良少年の変遷と歴史より・爆!)

私の地元も世田谷は武蔵野ですから、決して都会のシティボーイというほどには洗練された不良ではありませんでしたが、それでも都下の暴力的センスに比べればまだまだ品があったように思えます。
そんなパーティに顔を出しているうちに、当時の彼女が夢中になって踊る姿を見て、これはいかん、これじゃ男のメンツが潰れる、オレも良いカッコをしなければ、などと不良独自のミエが頭をもたげて来たのでした。
そこで、早速クラスのお調子者のツテを辿って、踊り上手を紹介してもらい、昼休みに特訓を受けたのでした。(なんせ千人近い生徒数ですから、どんなジャンルでも必ずエキスパートは見つかりました)

先生は東中野在住のSという飲み屋の息子とそのダチでした。

しかし、今までリズムアンドブルースなんてジャンルの音楽をマジで聴いたこともない私が、BGM無しでステップの手ほどきを受けたのですから、チンプンカンプン、ビートもなにもあったもんじゃありません。
ただ、先生二人の足先を追って動かすだけで、「めんどくせぇ~」ってことになり、結局この講習会は1回で終了しました。
(う~ん、思い出してきたぞ~)

そうです、きっかけらしききっかけはこれだったような気がします。
この時東中野のSが連れて来たステップ通のダチの態度にムカついたのが始まりでした。


彼の問いかけに答えられなかった私を見下した目で見るその態度に、ツッパリ根性がメラメラと燃え上がり「テメー、いつか見返してやるからなぁ」といったお馴染みのバカの闘志に火をつけたのでした。(これがベンキョーに生かされれば人生も変わったろうに)

さあこうなった不良バカは止まりません。
早速踊りの定番課題曲の収集です。
それまで家で聞いていた音楽ジャンルは、グランドファンク、サンタナ、ユーライヤヒープ、レッドツェッペリン、ディープパープル、キャロル、高倉健、藤純子、渡哲也、加山雄三(こらこらいいかげんにせんかい)といった私が、ジェームスブラウン、テンプテーションズ、シュープリームス、今まで聞いたこともないようなアーティストのレコードを探し始めたのです。まずは定番課題曲を調べ、ダチのコレクションから借りてきたり、所有レコードを売ったり交換したり、近所のレコード屋から万引きしたり(こらこら)、涙ぐましい努力でした。

そこそこレコードは集まったものの、さて肝心のステップを習う術が見つかりません。
そこで私は中学校のダチの下宿を訪れ、そこに住んでいる大学生の先輩方に相談したのでした。(この発想は我ながら上出来でしたね)
なにせ、不良のメンツをかけた挑戦ですから、彼女はもとより地元のダチや、クラスの仲間にも知られず、一気に派手なデビュー目論んでおりました。(やれやれ)
大学生の先輩方は同じガッコの後輩ということもあり、そんじゃとりあえず行ってみるかということで、連れて行かれたのは新宿歌舞伎町の妙なパブでした。(たぶんサントリー・パブってな店だったと思う)

「これって踊り場じゃねぇんじゃねぇの?」

私の質問にダチのAも「その辺のことはオレもよくわかんないけど・・・・」といった具合で、私の目指す「踊り」と彼らの理解する「踊り」の違いに一抹の不安を抱きつつも修行の第一歩は始まったのでした。

カウンター・バーに並んで腰かけて、当時おなじみのサントリーホワイトのボトルが登場、とりあえず水割りなんぞを飲みつつフロアを点検。
数人の大人(ってその歳の自分から見た感じですね)がジュークボックスの音楽で踊っています。どーみてもこれは踊り場のステップではない。いわゆるゴーゴーだ。などと心の中で呟きながらも、ブラックマジックウーマンにくねくねと体をゆする変な奴らをぼーっと見ておりました。
そうこうするうちにバンド登場。
なんか踊り場から次第に遠ざかっていくこの雰囲気に軽い眩暈を覚えた私でした。(笑)

バンドの演奏が始まるとチラホラと踊り場の人数が増えていきます。

STOP THE MUSIC!

おっと全員が手を前に出してストップモーションです。
おお、ステップだぁ~。と状況を理解できぬまま興奮するバカ。

「踊ってみれば~」先輩の声が掛かります。

そのうちフロアにはタコ踊りのにーちゃんねーちゃんに混じって、リーゼント野郎やポニーテール嬢などが紛れ込んでいることに気付いた私でした。

ワン、ツー、スリー、フォー! ンジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッー!
ゲロンパ! ゲロンライ!

やったぜ!これはセックスマシーン!
ようし覚えるぞ~、ってなもんで狭いフロアの後ろ、できるだけリーゼント野郎たちの背後に廻って踊りを盗み見ました。
ということで、よく思い出してみると私の踊りデビューはここらあたりだったようです。
でもこの時、このリーゼント野郎たちがジュークの前で陣取ってステップを踊る姿、更にその後で年配の兄ちゃん姉ちゃんがそのステップを必死コイテ真似する姿を見た不良少年は、遂に自分の進むべき道を見出したのでした。(あ~あ)





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最終更新日  2006年04月01日 08時31分28秒
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