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2006年04月18日
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実はその昔、なんと私はレンタル・ビデオ・ショップをやっていたのです。(ええっ~!)
って別に驚くほどのことでもありませんが、ディスコ業界を引退した私はしばらくの間ゲームセンターで働いておりましたが、ちょっとしたきっかけからレンタルビデオのお店を任されることになったのでした。
まあ、ここで働いたことが後のサイパン行きの道筋を引いたことになるのですが、元々DJなどというマニアックな職業にいた私は、新しいモノ好きという性格も幸いしてか、マニア的要素のあるこの商売に結構のめり込んでしまいました。(映画も好きだったからね)

当時はようやくレンタル・レコードが定着し始めた頃でしたから、ビデオショップも後に続く商売としては急速に広がっていきました。
ただ、その頃はソニーと松下電器の確執と言うか対立と言うか、VHSとベータなる2種類のタイプがシェアを争っていたので、ひとつのソフトに二つのタイプのテープを用意しなければなりませんでした。
また、レンタルレコードが切り開いた著作権使用料の問題も、ビデオ業界が後追いする形となり、割と曖昧なまま市場が広がっていったのです。

ですから、当然仕入れのコストを抑えるためにVHSかベータのどちらかのマスターテープを購入してダビングするというパターンがレンタルショップの主流でした。
更にレーザーディスクも登場し、レーザーからビデオにコピーしたものなども出回り、コピーやり放題みたいなことになっていきました。


この当時はちょうどカラーコピー機なども登場して、ビデオデッキもステレオ・ハイファイ・4ヘッド(今じゃ当たり前ですけど)などの高級機種もダビングにはかなりの威力を発揮しました。更にレーザーディスクからテープへのコピーはさほど画像が劣化しなかったため、レーザーを買い込んでコピーを販売する闇の業者なども現れる始末でした。
もちろんこの展開には価格競争という熾烈な戦い(笑)があったわけですが、当時のビデオソフトはとにかく異常に高かったですからね。
映画で平均1本1万5千円から2万円、音楽モノで6千円から1万円前後が相場でした。
ということでレンタル代も1本800円~千円くらいが相場でした。
確かブランクテープが1本千円くらいしてましたから、さほど高いとも思いませんでしたし、デッキを持っているという優越感もあったというような時代です。

さてそんなところに登場した全品コピーのお店ではいきなりの500円均一とか、3本借りたら1本無料とかいうようになり、一気にビデオブームが巻き起こったのでした。
そりゃコストが全然違うもんね。
もちろん開業資金からして勝負アリですから、どうやったってかなうわけがありません。
そんな店が駅前の一等地で堂々と商売を始めたのですから、これをお上が放っておくわけがありません。
先ずは見せしめに店閉めさせられた事件が報道されます。
(くだらねー駄洒落言ってんじゃネェって・爆!)


ただ、レンタルレコードと違って、ビデオの場合はソフトの価格が高かったことと、ソフトの普及がハードの普及に比例するという発展期でもありましたから、レコード業界ほどには問題が拡散しませんでした。

だって、ビデオソフトの購入層のほとんどがレンタル店だったわけですから、あんまり法規制で著作権を追求していくと業界が萎縮してしまう恐れがあったわけです。
しかも2種類のタイプで未だシェア争いを行っていましたから、あまりきつく締め上げてしまうと普及が進まなくなるといった命題も抱え込んでおりました。

とまあ、そんな流れで優良店みたいなお墨付きをもらった店が生き残り、ゲリラ店は次第に潰れていったというわかりやすいお話です。
さて、私の店はどうなったかといいますと、そこはそれ道楽者の不良親爺ですから(ってまだこの頃は親爺にはなってませんね)、こんな高いソフト一体誰が買えるんじゃい、とか、そこまで言うならいっそコピーできないようなソフトを開発したらええやんけ、とか突っ張っておりました。(この後コピーガードなる技術が登場しました)


いつものパターンで、バカはバカを呼ぶってことで、この道楽者の匂いを嗅ぎ付けて、マニアックな道楽者がやってきたのでした。

おかっぱ長髪にビーチサンダル、独自のスタイルを貫くDJ仲間だったチェング宮内クンの登場です。

私の店は北区の東十条という駅前にあったのですが、偶然に電車で乗り合わせた昔馴染みのブルこと渡辺氏がチェングを伴って訪ねてきたのが始まりでした。
当時のチェングはバイリンガルが売り物で、千葉テレビのビデオジョッキーや来日アーティストの取材インタビューなどの傍ら、郊外のパブでDJをしながら細々と生き残っておりました。
数年ぶりの再会でお互い旬の過ぎた時代の生存者同志、漠然とした将来への不安などを語りあったわけですが、なんとこのチェングが私を訪ねてきた理由のひとつはビデオソフトをタダで借りたいという、非常に彼らしい打算的な目的があったのでした。

しかもビデオのコピー編集に異常なほど凝り固まっており、今で言うオタクそのものでありました。そう考えるとヤツこそ元祖オタクではなかったでしょうか。
しかも彼のコレクションは全てアニメ、それもテレビの連続番組をCM抜きして編集した非常にマニアックなものでありました。
変なヤツでしょ。もうこの時すでに30歳近かったんですから、私の驚きは彼との歌舞伎町の出会い「真冬のぞうり履き野郎」以来の衝撃でした。(笑)
つづく・・・・・・・





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最終更新日  2006年04月18日 08時41分13秒
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