うーやん★テレビドラマ

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カテゴリ: カテゴリ未分類
​■白山市博物館で2月から開催していた原峯水さんの作品展へ行った

2月29日にネットで作品展を知ったが
なんと3月1日から25日までコロナ感染で休館になっていた
それで今日自転車で出撃した

実は 原峯水さんは白山市の八田中に住んでいた
13年前に亡くなった母の里の縁者になる
ジジイも子供時、お盆になると父方の鶴来と母方の八田中に墓参りに行った
八田中はバスの乗って福増町で降りて、
田圃の中を30分ほど歩いた 遠かった記憶がある 


かみさんが車でやってきた、驚
入場料はJAF割引で100円だった

展示室(2)に15枚の作品が展示されていた
昭和53年から平成15年までで平成2年前後が多かった
布に染色して大きな絵のように描いている
藍から紫の作品が多かった

藍から紫は、静かで高貴だ 孤独で瞑瞑する
それが雲や霧のように、夢うつつに波打ち花咲く

そこに細い白や金色の線が
波となり羽となり木の芽となり
見えない不在の線画の塊を映し出す


それは集中でリアルで実在の世界なのだろうか

楽しんだ

そして原峯水先生の魂と苦闘を感じ入った

■略歴 簡単に 展示パネルから

1921年 白山市八田中に生まれる

1942年 フィリピンへで終戦
1946年 兄が他界し、農業に従事し染工芸を模索
1948年 木村雨山先生に師事
1953年 第9回石川現代美術展「七面鳥」初入選、以後連続入選
1960年 第3回新日展「夕映」初入選、以後連続入選 
      雨山先生より峯水
1969年 第55回光風会展「想」初入選、以後61回まで出品
1971年 第11回日本現代工業美術展「幻覚」初入選、以後連続入選
1975年 第7回改組日展「森」特候第1席
1976年 第8回改組日展「波に咲く」特選
1977年 第9回改組日展「北湖旅情」無審査出品
1978年 第10回改組日展「社の幻想」特選、石川県立美術館買い上げ
      第17回日本現代工芸美術審査委員に就任
1980年 第12回改組日展「満潮に咲く」委嘱出品、松任市買い上げ
1981年 第13回改組日展「遙かなる幻想」委嘱出品 松任市文化産業賞受賞
1982年 第14回改組日展審査員に就任
1983年 日展会員に就任
1985年 第17回改組日展「幾山河」会員賞受賞
1987年 第19回改組日展審査員に就任
1990年 第22回改組日展審査員に就任
1991年 第30回日本現代工芸美術宇展「月と陰」内閣総理大臣賞受賞
      第15回北国文化賞受賞
1992年 日展評議員に就任 石川県文化功労賞を受賞
      松任市立博物館において展覧会開催 現代工芸美術家協会理事に就任
1996年 「原峯水染作品集 野を行く」発刊、松任市博物館で展覧会
2005年 白山市立松任博物館において企画展「風音 原峯水作品展」を開催
2011年 1月21日逝去

現代染色工芸の重鎮のひとり、日展評議員、現代工芸美術協会顧問として活躍
伝統的な加賀友禅の手法に独自の染色技法と意匠を加えた
人間の情念の深奥にせまり、自然の発する光輝に、
星夜の瞑想の扉を開き、一人田園を行く如し
孤高の道を歩まれ原峯水の高潔な人柄を映し出して余りある

■ 最後に

八田中には原さんと高川さんがいた
高川さんが本当の里らしい(去年、原さんの身内の人に教えてもらった)
昔の農家で囲炉裏があった、そこに母は長く話し込んでいた
その家には多分脳性マヒ?の10歳ほど年上の女性がいた
足と言葉が少し不自由だった
障害というものを知ったが違和感はなかった

近くの原さんにも挨拶した
画家だと聞かされていたが静かな穏やかな人だった
母も一目置いていたのか喋りが少なかった

母は話し好きで親戚(正確な関係が不明?)のおばさんとよく喋った
その中で母は原さんが日展の作家さんになるために
苦労したことも喋っていた記憶がある

そしてジジイが若い頃に日展が金沢に来たときに
原峰水さんの作品を見に行った記憶がある
人が一杯だったが藍と紫の仏画のような静謐で高潔な絵だった








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Last updated  2020.03.27 22:41:25
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