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とてもとても信じがたいことですが、あのカリスマシェフの仁瓶利夫さんが、旅先のフランスでお亡くなりになったそうです。2014年 かわさきパン博🥖企画の講演会にて。奇しくも、今年の春先に、ようやくご自宅のある横浜を訪ね再会が叶いました。よくきてくださったと、大変喜んでくださり、たくさんたくさんお話しました。まだまだやりたいことだらけだと、意欲満々にこれからの夢を語っておられ、準備万端で用意してくださった焼きたてバゲットにハムにチーズにスープにシャンパンで心尽くしのおもてなしをして下さいました。なんと贅沢な時間だったのでしょう。自慢の自転車も見せてもらい、奥様とのなれそめや、ツーリングの思い出話まで。パン作りは日本酒作りにもよく似ているとも。究極の日本酒を見せてくださり、発酵談義。雨の中の帰り道には、最寄りの駅まで約15分、私のスーツケースをひいてずんずん一緒に歩いて送ってくださり、その健脚はさすがだと笑って、まだまだ尽きないお話はさよならの直前まで。その後のLINEでは、セルフタイマーで撮ったツーショットの写真を送ってくださったり、快晴となった翌日は、アトリエの窓から見えているという美しい富士山の写真が届きました。まさかこんなことになるなんて夢にも思わなかった。ずっと気になりながらご無沙汰が続き、やっと今年の春に思い切って訪問できたのも何かの知らせだったのか。アトリエを作られためじろ団地は、横浜市といえどなかなかに遠く、それは訪ね甲斐がありました。2023年2月11日仁瓶利夫さんのパンの資料室。桜の一枚板で特注したという団欒のテーブルのまわりには、フランスパンに関する書籍や資料がぎっしり。縁あって仁瓶さんの元にやってきたというドイツ製の釜。得難き良き相棒のごとく嬉しそうに紹介してくださった。師匠であるカルヴェル教授からの教えとリスペクトを盛り込んだ資料室の看板を大切そうに見せてくださった。突然の訃報を知るつい前日のこと、なぜかこの日のことが無性に思い出され、夏のご挨拶を兼ねて何か贈りたいと考えていた。。なんということ。何かの間違いであって欲しいと祈ったけど、ドンク財団のホームページに訃報が載っていたのを見つけてしまった。とても受け入れられません。https://youtu.be/Gpe0-IiOd0EこちらのYouTubeは、パン作りに携わる全ての人に見て欲しいと仁瓶さんが心から願われていた動画です。パン作る人じゃなくても、思わず見入ってしまうゴッドハンド。ぜひ見てください。仁瓶利夫さん、忘れません。たくさんの愛と学びをありがとうございました。
2023年07月07日
コロナ禍中、思うところあり、前々から興味のあった保育業界に足かけ2年飛び込んだ。エプロンや靴下の柄は迷わず、クレヨンしんちゃんを。どんなピンチでもユーモアを忘れず飄々と我が道を行き、仲間や家族をお助けする大好きなしんちゃんパワーにあやかりたくて。お遊戯会に運動会に芋掘り遠足。プールの引率に日々のバス送迎。合間に独自の習字教室までさせてもらい丸一年、保育園での全ての行事を、保育士としての様々な業務を経験することができた。畑違いの世界だったけど、ただ子供たちが好きというだけで、手探り見よう見まねで、自分の持てる術を全て駆使してやりきった。その道数十年の方達から見たら、呆れられるようなことも多かったと思う。けど、医療現場同様、保育業界も明らかに人手不足で、仕事は山程あった。昼夜の別なく、子供を預けて必死で働いてる親たちが大勢いる世の中。託された子を必死で守る人たちの仕事もまた尊く、苦しい。保育園での1年を終えた後は、福岡市内の繁華街で深夜まで営業している託児所でも働いてみた。ママと離れたくなくてこの世の終わりみたいに絶叫し、力の限り抵抗する子供達を必死で宥め、抱き、ご飯を食べさせたり、ひたすら揺らして撫でて寝かしつけたり、それはそれは想像を超える過酷な仕事だった。仕事を終えて帰宅してもずっと子供達の泣き声が耳から離れなくなった。一生忘れられない経験となった。令和生まれな、イマドキの子供達の名前にもたくさん触れることができた。みんな未来に希望を感じるよく考えられた素敵な名前をもらっていたな。会えば、あ、しんちゃん先生!と手を振ってくれる顔見知りの3歳〜6歳がたくさんできた。けっこうな話し相手でホントに楽しかったし可愛かった。さてさて、しんちゃん先生は、遂にマスクを捨てて、次のステップへ向かいます。やるかやらないか。これから先もしっかりと選び取って自分なりに人生を全うしよう。#クレヨンしんちゃん #保育士 #託児所 #保育園
2023年05月11日
上京の際、横須賀で仕事をしてる旧知の友が記念にプレゼントしてくれたスカジャン‼️リバーシブルです👍古くからの港町、基地のまち。駐留する米兵が母国へ日本らしいお土産を求めるために、精巧な和柄刺繍を施した横須賀ならではのスタジャン=スカジャン専門店がたくさんできたんだとか。興味本位で入ったお店でいろんな柄を見て、最初はこんな派手なのいつ着るん?と笑っていたけど、着てみたらまんざらでもなくて、特に内側の鶴と松がなんとも綺麗で、すっかり気に入ってしまった。友は、さらにド派手な虎柄を買って、翌日はずっと行ってみたかった葛飾柴又、帝釈天をスカジャン2人組で闊歩。さらにスカイツリーまで案内してもらって最高に楽しかった。帰って自慢してたら、意外にも中1だいちゃんが気に入って、遊びに着て行きたい!と試着。なかなかよく似合ってた。でもでもサテン生地に繊細な刺繍だから、乱暴な扱いしそうだからダーメ🙅♀️と取り返した。んで、その日のサザエさんは偶然にも、マスオさんが子供の頃着ていたという好きな野球チームのスタジャンをカツオがもらって、得意げに学校に行き、注目を浴びるってお話。温故知新。ストーリーあるものはやっぱりいいよねえ。#横須賀 #スカジャン #横須賀観光 #ドブ板通り #和柄 #japan#温故知新
2023年02月23日
新月に、初詣で手に入れた御守りを開封。財布につけました。さりげなくグッドデザイン👌昨年はまさに親交の年でしたが今年に入ってさらにいろんなご縁が広がっています。神社に行くと、いろんな授与品があり惹かれますが、私がいつも買うのは近所にある護国神社⛩100円の花みくじは、いつも私のことを見ているかのようにその時の心境にぴたりと来る言葉が並ぶので、迷う時、背中を押してもらいたいとき、ひきにいきます。子供の頃から戦争の話が恐ろしく無念の死を遂げた方々に心が痛くなりすぎる性分で。。英霊とか戦犯とかいろいろもめますが、結局、あの時代、情報操作され心を支配され、盲目的に戦いを強いられた人々の悲しい思いがあったからこその今であり、今はそれを教訓とさせてもらいますと感謝して手を合わせます。宿曜道ではきょうからが新年。ご縁繋がる皆様、引き続きよろしくお願いします#宿曜元旦#おまもり #水引 #縁結び #良縁祈願 #福岡県護国神社
2023年01月23日
このうずまき帖をもしかしたらむかーしから読んでくださっている奇特な方もいらっしゃるかもしれませんので、きょうはひとつ、勝手なつぶやきですうずまき=とは実は初めての育児に右往左往、あれこれ悩ましい心のうずまきと合わせ、30歳違いで生まれた謎の男子、マキくんとの日々、with makiの意味もあって、ほぼ私の子育て記録を中心にしたブログとしてスタートしました。ブログなんて言葉が世に出始めた2000年以降、本当に長いお付き合いとなりました楽天ブログ。マキくんはきょう20歳になりました。本当にいろんなことがありましたが今は大学生となり東京で一人暮らしをしています。私にとっても記念すべき20年なので、彼には私なりの気持ちで腕時計を贈りました。太陽の力で動き、電波で時刻合わせしてくれるやつです。電池要らず遅れ知らず、それだけで最高かと。いろいろ悩み多き年頃でしょうが、20歳からのこれからの時間を意識して大切に自分らしく楽しんで生きていってくれますように。周りの人を大切にできる人でありますように。願いはそれだけです。最近、映画ばかりみていますが、何を見ても泣けて仕方ない。まあヒューマンタッチな泣けるやつを知らず知らず選んでしまってるんでしょうが。。親愛なるミュージシャンの奥田民生さんが、泣いてしまうから映画は観ないと言っていたのもわかる気がする。50が近くなると、なにやら生きているだけで胸がいっぱいに、ちょっとした人の言葉や触れ合いに感情が揺さぶられることが多くなりました。昨年の話題作、素晴らしき世界を見てのこと。かあちゃんに会ったら、、お産の話を聞きたかね自分が生まれたときどうやったんか、母ちゃんしか知らんことやけん、ちゃんと聞いとかんといかんよと、母に会いたくても会うことができない中年男が若い青年に笑顔で言ってました。聞ける母がいる人もいない人も、母になれた人もなれなかった人も、それでも皆、母から生まれたのは間違いのない事実。生きてきた環境や社会的立場や年齢やいろんなことが違っても、たくさん話をして、いろいろ渦巻く想いを伝え合おうとするから人間なんですよね。命続く限り、母として人として頑張って生きようと思います。引き続き宜しくお願いいたします。
2022年03月10日
きのうのこと。たまたま天神に行く機会ができああそうだったと、前を通って気づいた。 イムズがきょうで閉まるそう。 32年前にオープンしたそう。 なんとその時私17歳。 たくさんのテレビカメラがいて、記念撮影の人だかり。 天神にくれば当たり前のようにそこにあると 思っていたのに。 最近は、時間があるときにふらっと寄る感じだった。 いつでも行けるからいつもは行かない。 けど行けば、馴染みの場所があり 濃い思い出が増えていく。 でも、それじゃあいかんやったね。 もっともっと行っておけばよかった。 いざなくなるとなると、途端に惜しくなる。 いつも行ってたわけじゃないのに 思い出が次々と溢れ出す。 数えればキリがないわ。 こんなにあったんだ、私とイムズがらみ。 吹き抜けを一目みあげておこうと 中に入ったけど、なんだか無性に 悲しくなって腹が立って 市役所へとすぐにすり抜けた。 そういえば社会人になって 初めてつくったのはイムズカードだった。 福岡の短大に通うため初めての一人暮らし。 初めてバイトしようとした キリンランチャン。 華やかすぎて勇気出なくて 結局、応募を断念したけど。 地下街からの入り口が閉ざされる水曜日は、ああそうだったと何度がっかりしたか。 甘い香りを漂わせるエリザベスマフィンは、酒飲みの私にとって、バジルポテトが実は ナンバーワンだった。 友達と屋上庭園でのお喋りの前に あるいは一人歩きで 小技の効いたフランスの雑貨やアクセが 並ぶウサギやオクタホテルに心躍らせ 何か面白いものがないかと ソニープラザをそぞろ歩いた。 TOKIOのフルーツ ドンクのカフェ 定番のピエトロ 色んな人と数えきれない程、 ここで待ち合わせして食事をした。 イムズホールの公演や アルティアムの展示で 非日常のカルチャーに浸り トゥモローランド、イエナ ベイブルックにスピックスパン ちょうどいい背伸びができる 品の良い大人ファッションブランドで 社会人を頑張った。 国際色を感じるレインボープラザの 掲示板をぼんやり眺めるのも好きだったし 弾き語りに憧れ、島村楽器で思い切って 手に入れたモーリスのギター トンボのハープ。 何を目指したか平日19時からの ピアノ教室まで通いました。 いやはや。 こんなにそばにいたのに まるで嘘みたい。。by lemon イムズがない天神なんて!! と今更ながら嘆いてみた。 亡くなってから あの人は素晴らしい人だったと 絶賛しはじめる わざとらしい追悼番組みたいだから もうやめておく。 ごめんねイムズ ありがとうイムズ さようならイムズ
2021年09月01日
FacebookやらTwitterやらInstagramやら いわゆるSNSというやつが台頭し始めてからなんとなく、その手軽さからそっちの方に引っ張られてきたけど、あらためて思うに、世界中から閲覧できるネット上に活字によって自分の想いを日々写真入りで記録できる、自分のための日記帳のようでいて、それだけに終わらないブログというツールとの出会いは画期的だった。 私のように物書きという職業にひそかに憧れを抱いていたものにとって、なんとなくプロのエッセイ集的なそれを意識したりしなかったり。恥ずかしながらそんな快感も味わえていたわけで。 ともすれば、ただ漠然と過ぎゆくばかりの育児の日々において、誰に頼まれたわけでもないのに、あれやこれやと自ら書き記していたものが、今もこうして普通に閲覧できることに今更ながら感無量である。 最初の記事は2004年の春 初めての子、まきが2歳になったばかりの三輪車の話。 あれからなんと17年。 まきは、19歳となりこの春から東京で一人暮らしを始めた大学生。 なんというドキュメンタリーなんだ。 これは。 放置していても、時々開いてみると 日に50〜100のアクセスがあっている。 いったいどなたが読んでくださっている? 不思議でならない。 いつこの世をあとにするかわからないが 私がいなくなっても、このブログは 生きていくのかね。 私は来年50歳です。 もう一度、うずまき帖を書いてみようか。 ちなみに うずまきとは、息子の名前maki にwithを足したわたしなりの造語。 どこに行くでも何をするでも 一緒だった、まきくんは ついに巣立ったけど、 渦巻く私の心は相変わらずです。
2021年08月10日
【想像力使おうよ。私は使い過ぎ?な話】きょうは出来る限り仕事場にこもろうと午前10時、ほっともっとに弁当を買いに。すでに外は焼けつくような日差し。にもかかわらず、後から店に入って来た若い母親は、前後に2〜3歳の子供を計2人乗せたままの状態の自転車をカンカン照りの舗道に放置。自分だけが涼しい店内で、のんびりダラダラと弁当を選んでいる。ガラス越しに自転車の様子は確認できるが、その間一度も後ろを振り返らない。先に注文を終えて弁当を待っていた私は自転車が倒れないか心配で心配で、椅子に座っていられなかった。2人の子供はさすがに帽子は被せてもらっていたが、前後で何かを話したり、手遊びのたび自転車は揺れる。それに何より本当に暑そう。わざわざ子供を降ろすのってとても面倒と思うし、店内をチョロチョロ走ると思うけど、そんなことよりこのご時世、想像力働かせ気をつけようや。せめて、それを気にして弁当を即注して自分も外に出て待とうや。あろうことか、その女は、子供用ドラえもん弁当のおまけが選べるシートをわざわざ外に持ち出し、ねぇーどれがいい?とか言いよった。なんでもいいって。何が大事か考えようや。注文してからもずっと、女はガラス越しの子供たちに、ニコニコ笑いながら手を振っていた。馬鹿ですか?それでも子供はひたすら親を信じて黙って待つものだ。余計なお世話だけど、たまらない。どうか罪のない子供たちにできるだけ不幸が訪れない世の中であってほしい。なんか書いていて涙が出て来た。帰り際、子供たちの顔よくみたら、鼻や頬に怪我した跡があった。大袈裟かもしれないけど、最近こんなことが気になって仕方ない。
2018年07月20日
体罰は反対だとずっと思ってきた。 上のものが下のものに向かって手をあげ、その痛みにより、事の善悪をわからせよう、反省を促そうという行為。 まるで動物の調教と同じではないか。私たちは人間であり、言葉や表情や涙や抱擁やまだまだいろいろな手段を持っている。伝え方は体の傷や痛みの記憶でなくてもよいのではないか。 子育て中はそれでも、分からず屋の小さな息子の手足や尻を軽くパチンと、または思い余って体を突いたり、したことはある。 とはいえそれは、四六時中一緒の母親なら程度をわかってのことであり、一方の男親が、ある時あんまり言うことを聞かないからと、その子の頬を強くはり、実際、身長1メートルちょっとの小さな体が、そのまま宙に舞うように薙ぎ倒されたその瞬間には、私はとっさに、激しい勢いで男に殴りかかっていた。 暴力断固反対。 子供が痛いと、同じようにこちらも痛い。 だから、あの、河川敷で裸で惨殺されたあの子の母の痛みはどれ程だろうかと毎日想像しては身悶えする。 けれども男は、少しぐらい痛みをもって学んだ方がよいとされている。現に男親も同じように、悪いことをすれば父親から叩かれて育ったという。なぜ叩かれるようなことをしたのか、その痛みをもって、二度とすまいと体で覚える方が良いという。 体罰、いわゆる愛のムチはやっぱり必要だ。 そんなふうに最近、無性に思うようになった。 実際のところ、女である私も、親から叩かれたことはないが、小学校、中学校では教師から頬を叩かれた経験が何度かある。 原因は、忘れ物やら、仕事を怠けたりやら、班の連帯責任というのもあった。 叩かれた瞬間、顔が何倍にも腫れ上がってしまったような錯覚に陥るほど、痛くて痛くて、なんともいえない気持ちになった。あの恐怖と痛みは忘れられない。 今だと大問題なのかもしれないが、それくらい教師も真剣だったし、教師自身も涙を流しながら、目の前の子供に正義を説こうと頑張っていた。 今の学校ではそうしたくてもできない環境にある。教師が子供の人間形成にどこまで関わるのか。とても難しい問題だ。叩かれたら痛いという体験も、もしかしたら皆無な中で子供たちは育っているのだろうか。 だから簡単に他人を傷つけ、その痛みも想像できない人間が育っているのだとしたら。 18歳にもなって、そんなこともわからない人間がまだまだ周りにウヨウヨいるのではと思うと身の毛がよだつ。 私たちはどうしたらよいのだろう。 ただただ暴力反対というだけでなくて、何をするべきなのか真剣に考えなければと思うこの頃。
2015年03月05日
世の中どーなっとるんだー!と波平風に叫びたい気持ち。朝のラッシュが少し落ち着いた先頃、赤坂から天神行きのバスに乗り込んだところ、後部座席一帯がなにやら迷惑顔。たまたまひとつだけ空いていた目の前の席に座ったのだけど、後ろから明らかに不快な騒音が聞こえてくる。よく聞くと、おそらく誰かがスマホでお笑い番組か何かを大音量で視聴しているというもの。弾丸のような早口な喋りと下品な笑い声がまざりあったジャラジャラした雑音。信号待ちのアイドリングストップ時にそれはますます車内に大きく響き、前のおばさんがわざとらしい溜息をついている。隣同士の見知らぬ人たちも、あーあ。あれはなんですかねぇ、うるさいですねぇとひそひそ話。降りる人は運転手に告げ口。うるさいからどうにかして下さい。。乗ったばかりで状況がまったくわからない私だったけど思わず誰がこんな迷惑行為を?と振り返ってみると最後列の長椅子にかたまってるのは、長男と同じくらいの年頃の坊主頭の男子3人組。卒業式が一足はやく終わって友達とはしゃいでいるようだ。「あのさーうるさいよー!それみんなに聞こえてるんよ。見るんやったらイヤホンせんとー」ごくごく自然に口をついて出た。だって息子にいうのとかわらんやん。男子たちはたちまち恥ずかしそうな顔になって、すみませんと小さくうなづいて、それからピタリとやんだ。たったこれだけのことをなんで、みんな知らん顔するんやろう。遠巻きに迷惑そうな顔で告げ口するくらいしかできないそこのおばちゃん。なんで隣にいて、それくらいのことを教えてやれんのかね。かまってほしい子供たちのこと、私は面倒くさがらず堂々と、煙たくてお節介な筑豊のおばちゃんでありたい。ここは九州一の大都会天神ですがね。
2014年03月13日
「天国にぶっ放せ!」本当に忘れちゃいけないのは心から感謝すべきだった3月10日。3月11日は忘れられるはずのない日…先日、そんな文章が書かれたそのチラシを手にした私はその場にしばし立ち尽くしてしまいました。まったく個人的なことですが、3月10日という日は10年前、奇しくも私が初めての子を生んだ日でもありました。だから余計にその文章が鮮烈に飛び込んできた。ここに書かれている3月10日は、もちろん、あの未曾有の大震災に見舞われる前日です。まさかその翌日にあのようなことが起きようと誰が想像したでしょうか。明日お別れすることになるとはつゆ知らず、愛していること、感謝していること伝えることはおろか実感すらなく、大切な人やモノを突然に奪われた人たちが大勢いるということ。あらためてかみしめ胸がしめつけられました。そのチラシを作ったスコップ団という方たちの活動も知りました。http://schop-dan.com/pg102.htmlあの日以来、自分たちでできることを必死で模索し助け合い、物資を集めたり津波被害にあった家の片付けを地道に行ってきた、真の尊い方たち。その活動の集大成にと、もうすぐやってくる3月11日亡くなってしまった方々の魂に供えようと、宮城県の泉岳という山の上から2万発の花火を打ち上げようと計画しているのだそうです。僕たちは元気だぜと天国に伝えるためにも、どうしても打ち上げたい!のだそうです。花火を打ち上げて何の意味があるのかという人もいるかもしれないそれよりももっと現実味のある支援を選んだほうが合理的なのかもしれないけれども、なんだか私も無性にその花火を見てみたいと思いました。ちょっとでも気持ちが晴れるきっかけになれるかもしれない。ぜひとも成功させてほしいなあと思い、わずかばかりですがお金を振り込んでみた次第。つい最近、陸前高田市の市長さんも九州に講演に来られたそうですが、九州にのほほんと暮らしている私、いったい何をやってきたのだろうとあらためて我が身を振り返る日々です。きょうもそれぞれの持ち場でガンバロウ!
2012年02月23日
これが欲しくて買った角川文庫。ピックアップされた中から一冊買うごとひとつもらえる。私が選んだのは、ゲゲゲの水木しげる伝。そして9種から手探りで、狙い通りの白熊ゲット。かわいい。だらーんと読書でもしたい。けど、なかなかそうもいかず。これ眺めてほっこり。こういうオマケにめっぽう弱い。
2011年08月03日
明日より39歳になります。三十代最後の年に突入するにあたり、前祝いをしてもらいました。振り返れば38の年は間違いなくこれまでの人生の中で一番辛く悲しく、忘れられない一年となりました。少しは成長できたでしょうか。2ヶ月後には39になる同齢の夫はフルーツいっぱいのケーキを(ろうそくなし)いつまでも縮まることのない年の差30、すでに9歳の長男は得意の絵をプレゼントしてくれました。相変わらず絵を描くのが大好きな息子、バースデーケーキにはご丁寧に39本のろうそくが灯っていたし、仕事道具の筆も踊っていたし本当にかわいらしい力作でした。端っこに小さくこの一年が楽しく笑顔でありますようにと書いてあるのを読んでちょっと泣きそうになりました。笑顔を忘れず、頑張らなくてはと思います
2011年05月31日
大変なことになりました。その時間、福岡の地下街で呑気に買い物をしていましたが帰宅してテレビを見て茫然。言葉になりません。ひとりでも多くの方のご無事を祈るばかりです。どうしても気になる方がひとり。前回のブログでも紹介させていただいた宮城県のSさん。石巻市にお住まいの方でした。7日に完成した作品をお送りしたばかりでした。お受け取りになられたかどうか。それ以前に、ご自宅は、ご家族は、ご本人はご無事でいらっしゃるのでしょうか。そればかり気になっています。どうかまたお話できますように。
2011年03月12日
東京に住む義妹の赤ちゃんが無事に生まれたそうです。ベビーカーを押しながら公園を散歩中に知らせを受けました。夏にうちに遊びにきたとき、早起きして夫婦仲良く手をつなぎ、この公園に散歩に出かけていたねやっとのことで秋の気配が漂ってきて、風が爽やかになりました。長男、そして去年の冬に生まれた次男をとても喜び可愛がってくれていた義妹夫婦の笑顔が目に浮かびました。良かったね!おめでとう!久々に明るいニュース。元気にいこう
2010年09月16日
いろいろと考えごとばかりの日々です。頭が飽和状態でこの蒸し暑いのに寒くて眠れない。ご心配ありがとうございます。元気になるまでしばらくお休みしようと思います。楽しい夏休みを!
2010年07月01日
2010年、早くも後半戦。昨年は年末から年明け三が日まで、まさかの入院生活を送ったこともあり、どうも新年を迎えた気がしなかった。誕生日のきょうが私にとって、まさに新年の幕開けという気分。謹んで新しい年を歓迎いたします!どんなサンジュウハチの年にいたしましょう育児家事に明け暮れつつも、なにか面白いことできたらいいなそんな風に思っていたら、ちょうどきょうという日指定で、たまたま、ある中学校で出前授業をというお話をいただき、誕生日だからと思い切ってお引き受けした次第。乳飲み子を数時間、実家の両親に預かってもらい、中学生百数人を前に、これまでの私の仕事、人の縁に支えられた職業体験談などなど…いろいろと楽しくお話させてもらいました。みんな静かに熱心に聞いてくれて、嬉しかった。きょうが誕生日ということもネタにしたのだけど、誰からともなく、お祝いの拍手が巻き起こり…感激でした。おかげでいいスタートがきれました。
2010年06月01日
さとうが切れたので買ってきました。いつも近所のスーパーでこれを買ってます。白砂糖より体によい感じがして砂糖は昔から三温糖派。これを見つけてからは買うたびに「かしこいかあさんになれますように」と願掛けしてます。家族の健康な食生活を生かすも殺すもかあさん次第。責任重大。がんばらねばと思います。
2010年03月03日
2010年明けましておめでとうございます。輝かしい新年をみなさまどのように迎えられましたか。私は思いがけず、生まれて初めて病院の一室での年越しでした。安産を喜び、母たちの助けを借りながら自宅にて順調に育児に励んでいたつもりだったのですが、いよいよ年末になって、明日から実家に帰省しようかという夜に、いきなり高熱と腹痛に襲われ、退院したはずの病院に逆戻り。しばらく安静と点滴が必要ということで三が日いっぱいまでは入院ということになってしまい…もうびっくりです!母乳が必要な赤ん坊は一緒ですが、せっかくのお正月に家族離れ離れ。寂しいカウントダウンでした。産後、ちょっと調子に乗って動きすぎたかしら。母たちはいつも私を気遣い、寝てなさい寝てなさいって言ってたけど…久しぶりの赤ちゃんとの生活に興奮しつつ、大切な長男がちゃんとお兄ちゃんになれるか、元気に学校に行けるか気になって仕方なくて落ち着いて寝ていられなかった。長男が楽しみにしていたクリスマスもちゃんとしてあげたかったし、サンタさんとの連絡も。赤ちゃんの誕生を自分のことのように喜び祝ってくれる人たちの気持ちにもこたえたかったし、買い物にも行きたい、美容院にも…年賀状はどうする?なんていろいろいろいろ想いは渦巻くばかり。「ええかっこしい」というのだろうか、けっこういっぱいいっぱいのくせに、あくまで平静を装いたい自分がいる。無理して笑って自力でなんとかしようとして…確かにそれでなんとかなる場合も多いんだけどな、今回は計算狂ったな結局は、余計に周りに迷惑をかけるハメになってしまい反省しきり。ゆったりのんびり素直に人に甘えて感謝して…入院してる産院は福岡では老舗の個人病院だけど、設備もきちんとしていて清潔で、ナースや助産師さんの数も多くて、みんな年末年始関係なく、笑顔でキビキビ気持ちよく働いていて頭が下がる。毎度の食事も充実していてうれしい。元日のお昼には、ブリやかつお菜の入った、料亭もびっくりの上品なお出汁でよそった正統派の博多雑煮とお重のお節が出た。大変だったけど、神様がくれた休日だと思ってのんびり誰にも気兼ねなく寝正月をって友人からのメール。たしかに、たまにはこんなお正月もいいかな。あとから忘れられない思い出話となることだろう。こんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願いします
2010年01月01日
身重…というコトバをつくづく噛みしめている毎日です。師走を前にみなさまいかがおすごしでしょうか私は、とにかく腹の内側からぐぐぐっと物凄い力が押し寄せてくるなんともいえない感じに悶えながら、あるときは微笑み、あるときは腹を立てつつ、しかし必ずや到達するであろうゴールの日をぼんやりとイメージしながら、日々を送っています。相変わらず、その日を迎えるまでに、いましておくべきことに重点をおいていますが、いよいよ体が重くて寝そべっていないと、どうにもこうにもな時間が増えはじめ、焦ってます。とりあえず、13日のお教室は無事に終了。オーダーをいただいている筆仕事もあと少しです。お兄ちゃんになる小2の息子の複雑な心境にもうまく寄り添って、なるべく一緒の時間をと気をつけて。この間の休日は、二人で冒険サイクリングに行ってきましたよ。臨月妊婦さんの自転車乗りなんて、なかなか貴重な光景です。我ながら笑いが出ますが、これが歩くより楽なんです。バランスに気をつけさえすればね。息子はニコニコ大喜び、気持ち良かったですよとはいえ、体調はほんとにその時々でバラバラ。一番気がかりだったのが、3月から飼い始めた柴犬マロンの毎朝の散歩でした。10キロに成長し、遊びたい盛りで、ぐいぐい引っ張るし、最初の頃は、無理やりでも、彼がいるから散歩できるし、運動不足解消なんて喜んでいたのだけど、だんだんとそれがプレッシャーとなり…なかなか満足に散歩に連れていってあげられなくなり悩んでました。そんなことならと先週、夫の実家の両親が救世主となって現れ、マロンをしばらく預かってくれることに。これには心底ほっとしました。息子は連れて行かないで~と寂しがったけど。これで私はどんなに気が楽になったことか。義父母には感謝の気持ちでいっぱい。マロンもその方がどんなに幸せかと思いました。マロンがいなくなって、ちょっと気抜けしたのもあって、しばらくダラダラしてました。さてさて。
2009年11月26日
しとしと雨音を聴きながら、久しぶりの更新。シルバーウィークは、予定していた京都旅行にも行けたし、リフレッシュできました。これから冬の大仕事に向け、着々と身辺整理をしていきます。書のオーダーもおかげさまでたくさんいただいておりますし、のんびりペースで申し訳ないのですがひとつひとつじっくりと筆をとらせていただきます。きのうは久しぶりにお花のお稽古にも行きました。リンドウに、ススキに、吾亦紅…さりげなくてかわいい秋のお花を賑やかに生け、楽しかったです。今週末は息子の運動会。お弁当何にしようかな写真はちゃんと撮れるかな…とか考えつつ毎日、毎日、ひたすら散歩を楽しみに待っているベランダのマロンくんのお世話も忘れちゃいけない。運動会の翌日は、8ヶ月検診。体重増加は大丈夫かしら。その翌日は、月に一度の筆文字教室。10月のテーマは引き続き、いろは歌です。みなさんいつも楽しみに待ってくださっています。頑張ってテキストも作らなきゃ!ちなみに明日は、西日本リビング新聞社より年賀状の新講座についてご提案をいただいたので、大きなお腹を抱えて、行ってきまーす。何か新しいご縁ができることを願って…とはいえ、12月になると、きっと身動きとれなくなるんだろうなその日はいったいいつやってくるのか。今年のお正月はどんなふうにすごしているのか。いまだに想像できない私。とにかく今!できることをやらねばと思っています。みなさまも秋の夜長を有効に。実り多き秋となりますように。
2009年09月29日
日々、着々と少なくなっていきます。息子のなつやすみ。そしてわたしがわたしとして外で働く時間。お腹がふくらんできて、その姿で公に立つことがだんだんと怖くなってきました。怖じ気づくというか、照れくさいというか。新型インフルエンザも心配。見るからによっこらしょというその風貌でいろんな方からねぎらいの言葉をかけていただくことも、なんだか余計な気を遣わせているようで、ちょっと申し訳なく思う。自分では普通にしているつもりだけど、やっぱりね。そろそろニンプさんらしくしなければ。残りの時間を悔いのないように勤めよう。あとは、じっくりと、家のこと体のことと向き合いながら顔見ぬ方々からのありがたい書のご注文を大切に、静かに座して筆をとっていたいと思います。お待たせしている皆様、もう少しで落ち着きますのでいましばらくお待ちいただけるよう、よろしくお願いいたします。
2009年08月20日
こちらのほうも大変な雨でした。まだすきっと晴れません。セミの大合唱は始まりましたが、梅雨明けはまだ。雨の影響でこのところ、真夏とは思えない涼やかな風が吹いています。息子が夏休みに入ったこともあり、なかなかゆっくりとパソコンに向かう時間もなくなり、ブログの更新も滞っています。いつも見ていただいている方、ありがとうございます。のんびりさせていただいています。お腹がだいぶん目立ってきましたが、長めのふんわりとしたブラウスなどを羽織って、TVレポーターのお仕事も続けさせていただいています。きのうも撮影でしたが、初対面の方たちからはまったく気づかれませんでした。そうと知っている人たちは、いつもニコニコと気遣ってくれ「大きくなってきたね」「座ったら」などと声をかけてくれます。ありがたいことです。きのうバスに乗って車窓からなんとなく、道行く老若男女を眺めていてふと思ったのですが、そこにいる人みーんなみんな、最初はこうやってお母さんのお腹の中に入っていたのだなぁと。どんなに格好つけて、威張っていたってそれを否定できる人は誰ひとりとしていないんだなぁと。そんな当たり前のことを考えて、なんだかしみじみと可笑しくなってきて、涼風がいっそう、爽やかに嬉しく感じられるのでした。
2009年07月30日
いよいよその呼び名にふさわしい年代に突入。きょうから37歳です。写真はきのう妹夫婦からもらった思いがけないバースデープレゼントのひとつ。妹の旦那さんは今では貴重な技術者となった宮大工さんです。仕事の合間に作ってくれたというこのブックスタンド。丈夫でシンプルなデザイン。とっても気にいりました。しかも、ヒノキで出来ているので、森林浴か桧風呂かというくらいものすごくいい香りがします。さっきからこのブックスタンドのそばで何度も深呼吸している私。きょうだいがいるっていいなとつくづく思うのです。夫にも二人の妹がいて、またそれぞれに旦那さまがいて、そういうつながりは、またいろんな話題や楽しみを増やしてくれ、楽しいですね。ということで、遅ればせながら、我が息子にも、ついにきょうだいが、生まれることになりました!まだまだ先の話ですが、そのせいで、ずっと体調を崩しています。なにしろ8年ぶりのことなので、体がびっくりしているのかも。いやいやしかし!同年の宮沢りえちゃんもお母さんになったことだし、いつだってスタートラインの気持でこれからも女性として人間として潤いのある人生を目指します。不調な日々の中、家族はもちろん、ありがたいことに、いろんな方々から大丈夫ですかと心優しい気遣いのお言葉を頂いてきました。ありがとうございます。気にかけて頂き本当に幸せなことと感じます。でも病気ではありませんので、様子をみながら、出来る範囲で、いろんなことを出来るだけ、いつも通りに頑張っていくつもりです。アラフォー万歳!
2009年06月01日
気持ちが上向いてきません。体も頭もやけに重い。風薫る5月。いい気候なはずなのに、いろんなことがあってそれらにひとつひとつ向き合っていくうちに、ちょっと息ぎれ。一生懸命、深呼吸をしながら日々を乗り切っています。こどものこと、ペットのこと、家のこと、学校のこと自分の体と仕事のこと…うんと身近な問題のなかに、清志郎さんが死んでしまったことへの、どうしようもない空しさまで入り混じっている。あんな声で、あんな歌を歌える人は、あとにも先にもあの人だけだろう。あれほどの人でもあっけなく死んでしまうんだなため息を深呼吸に変えて…さあ、なんとか明日もがんばろう。
2009年05月17日
梅がほころび始め、いい香りが漂ってくるようになりました。大きく深呼吸。毎日、やるべきことがいっぱいで、ふと胸が苦しくなることがあります。あれもこれも、やらなくちゃ・・・と焦る気持だけが空回りして、結局なにも手つかず。時間だけが無駄にすぎてゆく・・・そんな日もあります。心を空っぽにして、なぁんにもしなくていい時間を楽しみたいなぁと思ったりもするけど、結局わたしは、なにかやることがあるからこそうまく回っていけてるように思う。やることがなぁんにもなくなったら、誰からも必要とされなくなったら、きっと退屈で退屈でふさぎこむしかなくなることだろう。移動中のカーラジオから、ユーミンの春よ来い♪が流れてきました。そんな季節です。画像は今月から習うことにした生け花。良き先生に出会い、初めてのお稽古のあと、さっそく玄関に先生に言われたことを思い出しながら生けてみました。アンバランスなバランスを楽しむのが池の坊。花と花が語り合うように、風を通し、空間を形づくるのよ。チューリップに菜の花にネコヤナギ。
2009年02月11日
なんとかうまいこと乗りきれました。息子、1日で病から復活、元気に学校に行ってくれ、私も無事に仕事に行けました。息子よ偉い!神様ありがとう。感謝。こどもの病気はとても心配。とても仕事どころじゃない。だけどあくまでそれは私事であり、だからといって急遽、仕事を投げ出して人様に迷惑をかけるわけには・・・たまたま今回はなんとかなったけれど、なんともならずにどちらかを犠牲にして苦悩する、世の働く母はゴマンといることだろう。感謝したい。と、しみじみ謙虚なキモチでバスを降り、職場へ向かう通りすがり、ある教会の掲示板が目にとまる。活字フリークな私は、看板でもなんでも目に入る文字はとりあえず無意識のうちに読んでしまうクセがある。「わたしはぶどうの木。あなたがたはその枝である・・・云々」!!懐かしい。15年以上前に通っていた短大の礼拝で何度も聞かされた聖書の一節。別にクリスチャンではないのだが、毎日、強制的に参列させられたあの頃が懐かしい。といってもかなりサボりがちだったけど。今、あらためて、心して、かみしめよう。感謝。合掌。じゃなくてアーメン。
2009年01月28日
2009年スタートしました。特にゆく年を振り返ることもなく、くる年を迎えてしまいましたが、引き続きどうぞよろしくお願いします。日々の慌ただしさにかまけ、不義理を重ねたことを反省しつつ、今年はできるだけこまやかに心を配り、1日1日を大切に、関わる人々との縁を大事に、進んでいきたいと思っています。ただいま、雪化粧の雲仙岳を間近に眺めながら三が日を過ごしています。ご馳走たくさん頂いて、飲んで食べてのんべんだらり。始動までしっかりと充電します。みなさまも良きお正月を
2009年01月01日
懐かしい方に10数年ぶりにお会いすることになりました。オフィスを訪ねる際に、なにか手土産をと思い、行く途中にある、ちょっとおしゃれな花屋さんで小さなブーケでもと考えていました。一回り近く年上のその方の名はみどりさんといい、まさに花のように美しく緑のように潤い豊かな人。いつも自然体で柔らかく相手を包みこむ優しい雰囲気の漂う女性です。短大を卒業し、いよいよ社会に出ようという頃に出会い、働く女性としていかにあるべきか、たくさんのことを教わりました。時がすぎ、不義理を重ね、いつしかお会いする機会を逃したままになっていましたが、不思議とその方との思い出はずっと心に消えないままでいました。そして、ある日、何気なく地元のフリーペーパーをめくっていて、懐かしいお顔とさらなるご活躍の様子が掲載された記事に出会ったのです。自宅から歩いて行ける距離に、そのオフィスはありました。十数年ぶりの再会を喜び、お忙しい中、快く時間をさいてくださったことが嬉しくありがたく、何か心を伝える手土産を持っていきたくて・・・ふとベランダで大切に育てている、花や緑に目がとまり、そうだこれで手作りのブーケをと。花屋さんのが断然きれいだとは思ったのですが、私なりに心を伝えたくて、初めてそれらを摘みとり、束ねてみました。庭に咲いている花をさりげなく摘み、誰かに花束を贈るということにひそかに憧れていました。そう、ターシャおばあちゃんの暮らしのように。けれども私のガーデンはマンションの狭いベランダ。とても庭とはいえませんがそれでも、今の季節はベコニア、シクラメン、ビオラ、サフィニア、ケイトウと色とりどりに可愛い花を咲かせています。グリーンと組み合わせ、小さなささやかな花束。みどりさんならきっと、喜んでくださる気がして。久しぶりの再会でしたが、まるで昨日も会っていたかのように、自然な気持で積もる話ですっかり盛り上がってしまいました。持参した花束は笑顔で受け取ってもらえすぐに花瓶にさしてオフィスに飾ってくださいましたが、話の途中途中で、みどりさんは何度も立ち上がって、「なんか気になる」と花の位置をなおしています。あ、そうだった。出会った頃、福岡のテレビ局などで活躍するプロのメイクさんだったみどりさん。実に多才な方で、その前から生け花の先生としての顔もお持ちだったのでした!お花の先生に、こんな不格好な花束を・・・と思わず恥ずかしくなってしまったのですが・・・仕方ない。贈り物は気持とはいうけれど、今度はもうちょっと考えます。みどりさんへまたお会いできて本当に良かったです
2008年12月03日
漢検受験から早3週間がすぎました。結果は・・・40日後に送られてくるそうです。手応えは前回よりはかなりありました。二級はおそらく大丈夫だと思いますが、二回目の受験となった準一級は・・・やはり難しかった!まだまだ勉強が足りてないかも。合格への道は遠く険しいです。受験後くらいから、気が抜けたのか体調がおかしくなり、どっぷりと風邪をひいてしまいました。寒気と倦怠感と頭痛と咳、鼻水。フルコースでかなり苦しかったです。それでもたかが風邪、自然に治るさとなかなか病院に足が向きませんでしたが、あまりに辛くてだんだん不安になり、もしかして悪い病気かもなんて、どんどん気持ちが落ち込み・・・やっとのことで病院へ。大きなビタミン注射とお薬で、なんのことはないすぐに良くなりました。市販の風邪薬って手軽ですけど、あてになりませんね。やはり症状に合わせて病院で薬を処方してもらうほうが効率的だなぁと今更ですが。これからますます寒くなってきます。みなさまも風邪には十分お気をつけくださいね。ほんと健康はありがたい。病気の体では、なんにもする気がおきません。空の青さも恨めしく、寝てばかりの生活は、なんと悲しかったことか。普段、当たり前だと気にもとめていなかったことへの感謝。たまには病気になってみるものだとも思えます。
2008年11月07日
明日、2度目の漢検チャレンジです。前回、半分しか得点できなかった準1級に再度挑戦。そして今回は、満を持して2級も併願します。来る日も来る日も、暇さえあれば、問題集とにらめっこしておりましたがやってもやってもまだまだ足りない漢字…ではなく感じ。ふとした瞬間「これって漢字でどう書くんだっけ?」と考える癖がつきわからなければ、たちまち不安でいっぱいに。いざ寝ようと思って、目をつぶっても、瞼の裏に難読漢字の残照が浮かびあがる次第です。単なるよみかきだけでなく、部首や、類義語対義語、星の数ほどある四字熟語…いやはや本当に奥が深いのであります。付け焼きにせず、じっくりと身にしたいと思います。かなり追い込まれ気味ですが、勉強がしみじみと楽しい秋の夜長。とりあえず、残された時間、ひとつでも多くの知を肥やしその瞬間まで、精一杯やってみようと思います。点滴穿石を信じて只管に熟読玩味、満身創痍の末、欣喜雀躍のご報告ができますように。
2008年10月25日
忘れものを届けに小学校へ行ったら、体育館より「きゃ~たすけて~」というこどもの叫び声が繰り返し聞こえてきた。とはいえ、その声の集合体にはまったく緊迫した様子はなく、面白いほど一本調子でちょっと笑ってしまった。いやしかし笑いごとではない。そうか、きょうの一時間目は全校集会だったな。小学生を狙った物騒な事件が多いから、学校も気が気じゃないだろうと思う。校長先生らしき声が「絶対に・・・しない」などと強い口調でいろいろな注意事項を説明していた。いざというとき、果たして大きな声が出せるかどうか。わからない。こんな練習も必要なのかもしれない。学校の授業も自分が小学生の頃とは、ずいぶん変わってきている。運動会も終わり、きょうから10月。何事もなく平穏な日々が続きますように。
2008年10月01日
あれからずうっと気になっていた。 一報を耳にした瞬間、心のどこかでもしやと思ったのだが それを言葉にするのはとてもとても罪深いことのような気がして。 実は、そのことを夫にだけは言ってみた。 夫はすぐさま「まさか!だって一緒に探してって泣いていたらしいよ」 「そうよねそうよね。そんなこと言ったら悪いよね」 慌てて打ち消し、話題を変えた。 子育てに行き詰まって、自分を見失いそうになること そんなに珍しいことではない。 特に、やんちゃ盛りの小さな男の子が相手の場合… 調子づいて、何度も同じことを繰り返し、何度言いきかせても 言うことを聞かずに、ふざけまわる、うるさいうるさい。 思わずその口をどうしてくれようかと、永遠にふさいでしまおうかと それともとりあえず逃げてしまおうかと。 そんなふうに思うこと確かにあるよね でもやらんけどね ギリギリのところでやっぱりね やっぱりかわいいからね 仕方ないよね そのうちきっと落ち着くよね 同じような気持ちを知る人とのちょっとの会話があれば それは笑い話に変わる…はずではないのか。 テレビのニュースは途端に、孤独な育児を強いる社会の現状を なんとかせねばと言いはじめた。 「これは私達の問題でもあるわけです」 なんてコメンテーターが、困り顔で訴える。 「きっと深い深い事情があったのでしょう」 たしかにそうなんだろう。犯人であった母親に同情できないことは ないが、同じ世代の女として、とても腹が立つ。 いい大人なんだから、せっかく子供生んで、かわいい笑顔をここまで 育ててきたのに、どんなに辛くても、なんとか自分で突破せんかいと 悔しい。 19日、あの夕焼け空に、あなたの悲しみを 一生懸命想像して、心を痛めたひとりとして。 あなたのことを心配して、一緒になって探してくれた 公園の人たちだって、きっと。 「なんともかわいそうな、最悪の結末となりました」 よく知る近くの公園に、無差別にこどもを狙う 母親から離れた一瞬のうちに、小さなこどもを絞め殺してしまうような 大人が本当にいたのなら、それはもう最悪であった。 そんな大人がまだ近くにうろちょろしているかもしれないと これからどうやって子供を遊ばせればいいのかと悩み苦しむ私たちの 気分はまさに最悪。 最悪は逃れたというと、自分勝手か。 もうこんなニュースは勘弁してほしい。
2008年09月22日
昨日、仕事帰りの高速道路から見た空は異常なくらい赤く燃えていた。ところどころに黒い雲がまばらにたれこめ、それは美しいというよりはちょっと不気味な感じだった。台風が近づいているからね・・・同乗者と感嘆の声をあげながら、しばし見入った。よくよく見るとあちらこちらから幾機ものヘリコプターがずいぶんと速度をあげて、西のほうへ飛んでゆく。最初は、どこかの新聞社がこの不思議な夕焼け空を撮影に来たのかと思ったが、事態はそんな呑気なことではすまされなかった。西の空の下、よく知る公園の一角で小学校一年生の男の子が何者かに殺されたという。海に面し、広々とみどり豊かな公園に、家族で何度か遊びに行ったことがある。夫は釣りをし、私と息子は草むらのバッタを追いかけたり、サッカーボールを蹴ったりした。ちょっと待っててねと息子をひとり置いて、トイレにも行った。我が家と同じ小学一年生のひとり息子。汗びっしょりで運動会の練習、頑張って帰ってきて、夕飯までまだ時間あるからって、ふたりでお散歩がてら遊びに出かけたんだろう。学校から帰った息子をさらに遊びに連れ出してあげるなんて、なんていいお母さんなんだろう。迷子にならないようにGPS付の携帯電話を持たせていた。何より大事なかわいいかわいい息子。トイレに行ったわずかな間にいなくなるなんて、その一瞬でもう二度と会えなくなるなんて、誰が考える?赤く燃える空の下で、狂ったように泣き叫ぶ、私の友人のような、もしくは自分自身のようなその人が目に浮かぶ。トイレにさえ行かなければ。公園にさえ行かなければ。本当に悲しくて恐ろしくて昨日はあまり眠れなかった。
2008年09月19日
夏ですね。海いきますか?この年になって、強烈な日差しをあびて海水浴?なんておそろしや!!と思うには思うのですがつきあいで行けば、やっぱり楽しかったりする。ま、いいかと、波打ち際で思い切りこども以上にはしゃいでしまったりする。ぐぐぐっと引き寄せられ、あっけなく突き放され波に飲まれてぐしゃぐしゃになって、大笑い。私の中の野生児の血が騒ぐ。砂浜にできる不思議な波形の連続はいくら見ていても飽きることがない。海のない町に育ったから、たまに海を見ると釘付けになってしまう。今年は何回いけるだろうか。
2008年07月21日
このところブログ日記が滞っています。慌しく流れていく日々の中、書きたいことお伝えしたいことが山ほどあるのですがどうもうまく整理がつかない。「書き出し」にまず、つまずいてしまうのです。スランプ??もともと「文章を書く」ということが大好きでブログを書くにも、どこか第三者的な視点をとかひとりよがりにならないようなとか、どこかのコラムやエッセイ風にとか、そんなことを考えすぎてついつい力が入ってしまう。気にするほど誰も見ちゃいないだろうに。自意識過剰だ。完全に自己満足な世界であえいでいる。いやだいやだ。ああ、いやだ。しかも、最近不愉快なコメントがやたらとくっついてくる。げんなり。活字をつい追ってしまうタチなので読みたくなくてもつい読んでしまう。吐き気がする。あれはいったいなんなんだ。一銭にもならない戯言をバラマイテ。ほんとに大迷惑。そんなわけで、方針転換をいたします。こちらもこちらで自己満足な世界を貫くことにします。「はーいみなさんごきげんいかが?」的な人気DJ風完全なる勘違い文体で、気楽に日々の記録を綴ることにします。そう、誰も聞いていないとしても。架空のリスナーを想像しながら鏡に向かって喋るように…ねこわいか?でも本来ブログとはそういうもののようにも思える。不愉快なコメントくっつけてくる人たちも自分の部屋でずっとブツブツ言ってればいいのに。私はそこに行かなければいいだけだから許してあげられるのにね。双方向の公開コメントはずっと受け付けないことにします。いままでいろいろとあたたかいお声をかけてくださった方々本当にすみません。ありがとうございました。すごく嬉しかったし励みになりました。これからももちろんご意見ご感想があれば、ぜひぜひお聞かせください。そのときは、お手数ですが直にメールをくださいませ。楽しみにしています。それでは親愛なるみなさままだまだ寒い日が続きます。どうぞお元気で。see you!
2008年02月08日
今年の大濠公園の花火大会で息子がすくった金魚の金ちゃん。三匹いたのだけど金魚鉢にうつして数日後に二匹がすぐに死んでしまい金ちゃんだけがずっと元気で餌もよく食べて、体も倍近くに成長し、息子と毎日楽しみに観察していた。金魚鉢に近寄ると、遊ぼうよ~と言わんばかりに、くるくる二つの目でこちらを見つめ、踊るようにひらひら泳ぎ、本当に愛嬌のあるかわいいヤツだった。ひとりじゃ寂しいだろうから・・・と息子が先日、町の文化祭の出店で金魚すくいをして、全部で四匹になった。一匹は黒のデメキン、あとの二匹は紅白のツートンカラー。金ちゃんはオレンジ一色で周りより一際大きい自慢の体をひらひらさせて、仲間にすりよっていき、それは喜んでいるように見えた。けれどもやっぱり、数日のうちに新入りはバタバタと死んでいき、金ちゃんはまたひとりになった。しかも、ある日、いつもと変わらず元気いっぱいであるものの、よくよく見ると全身、粉をふいたように白い点だらけ。自慢のひらひらオレンジが台無しな憐れなルックスとなっていた。びっくりして調べると、金魚が一般的によくかかる白点病という伝染病らしい。あぁ、きっと新入りの誰かからもらってしまったのだろう・・・とたちまちに後悔したが時すでに遅し。とはいえ、比較的、家庭でも治療しやすい病気らしく温浴、塩水浴が最も効果的とあったので、さっそく昨夜試してみた。30℃くらいの温水に塩をとかして3%くらいの塩水をつくり、金魚を入れておくと、病をひきおこしている寄生虫がはがれて死滅するらしい。金ちゃん・・・ほんとうに大丈夫?祈るような思いで、金ちゃんを温塩水へ。最初はびっくりした金ちゃんだったけど、塩水に苦しんでいる様子もなく、穏やかに治療を受け入れた。本当はヒーターで温度管理をして、完治するまで、何度も塩水をかえなければならないらしいのだが、ひとまず一夜をこれですごし、今朝見ると・・・なんと体中の白い点が見事にきれいに消えていたのだ。そのかわり、水はかなり汚れていた。体から落ちた寄生虫の死骸が浮遊していた。見た目にはきれいになったとしても、すぐにまた感染してしまうので、数日間は水をこまめに変えて、温塩浴を続けることという情報にしたがって、今朝、息子を送り出したあと、さっそく温塩水づくり。引越しも近いし、仕事もいろいろとたまっているというのに、私は何をやっているのだろうと思いながらも・・・ひとつの小さな命のためにと、せっせと作業。きれいになった金ちゃん。一晩の塩水に耐えて、いつもの愛嬌顔で元気そう。よしよし・・・もうちょっと頑張って完治させようねと、新しい作った温塩水にうつす。手を洗って戻ってきたら、すでに金ちゃんは動かなくなっていた。最初は死んでいるなんて、全然きがつかなかった。だって水面にきちんと垂直に浮き、泳いでいるように見えたんだもの。蒼白しながら、覗きこむ。エラがぴったり閉ざされていた。きれいに広がったままのヒレ。おそらくショック死である死後硬直であるたぶん私が殺してしまったいや絶対にそうだ。塩水が濃すぎたか、温度が高すぎたか体のチカラがすうっと抜ける。たかがこんな金魚一匹と軽くながそうとしたけどどうにもムリで、しばらくの間呆然と、気がついたら誰もいないひとりの家で、バカバカしいくらいに金ちゃん金ちゃんと、呼びかけていた。金ちゃんはこっちを見ているようで見てくれない。ほんのさっきまで、そこにいたのに。本当に自分のガサツさがほとほと嫌になる。昔、好きだった男の人から、あんたのガサツさが生理的に受け入れられないと言われ、かなり落ち込んだが、でもそのことを自身でかみしめている今のほうが、ずっと辛い。 ごめんねでは済まされないね、金ちゃん。いままでありがとう。良かれと思ってやったことがアダになって、しかも取り返しのつかないことになってしまうことほど切ないことはないな。言い訳はやめよう。息子にも素直に謝るしかない。
2007年11月14日
その日まで、あと二週間。毎日少しずつ片づけ作業をすすめています。箱詰よりもまず、いるものといらないものの整理が何より大事。不要なものはなるべく新居に持ち込まず、今度こそ、すっきりした暮らしを!と思うのですが。これがなかなか難しい。今はいらないけどいつか使うかも、役立つかも・・・ととっておいているモノがなんと多いことか!実用性に思い出などもからまってますます大変。例えば・・・台所の引き出しの隅に転がっていた、七宝焼の灰皿。なんともいえないデザインだし、使ってるのも見たことないし、持ち主もきっとその存在を忘れているに違いない。迷わず不燃ゴミの袋へ・・・ところが持ち主が突如として現れて、実に楽しそうに学生時代に友人と行った中国旅行の話を始めた。怪しい土産モノやの親父につかまり、売りつけられた七宝焼。もしかしたらいいものかも・・・旅の記念にと思い込もうとしたのも束の間、先の通りで、同じものが半値以下で売られていたそうな。だから捨てないでとは決して言わないけれど、普段、口数が多いほうではない人の話には不思議なチカラがある。人の思い出を勝手に捨ててしまったことをなんとなく反省し、そっと袋から出して、また引き出しの隅に・・・こんなふうだから、なかなか進まない。困った困った。
2007年11月13日
あぁ~またやらかしてしまいました。いくら探しても、家のカギが見つからない!!いつもバタバタしていて、どこか抜けている私。どこかに落としてしまったのかしら。息子をバス停まで送らなくてはならない朝はとりあえず、ダッシュで出掛けてすぐ戻ってきた。カギをかけないで外出するなんて、このご時世おそろしいこと。だけどだけど…きょうは前々から楽しみにしていた日。大好きな料理研究家のケンタロウさんのトークショーが天神のデパートでお昼の2時から。限定200名の抽選に、往復はがきだして見事当たりどんな話がきけるのかなぁとわくわくしていたのに…なんてこと!なんとしてでも、お昼までにカギを探さなくちゃ!と家中ひっかきまわして探したけど…やっぱりない。時間は刻々とすぎ…とうとう、家から出られずじまいでした。あーあ がっかりです。そのかわり…午後2時をすぎた頃から、腹を決めてずっとやろうと思っていたことを集中してやりました。家出られないのなら、もうこれしかない!書作ももちろんですが、来月に友人が門司港にオープンさせる夢のお店。オープニングイベントのご紹介です。11月22日から24日に決定しました。詳細は こちら をぜひご覧下さい。ケンタロウさんのトークとひきかえにひとつの達成感です。たくさんの方々との出会いがありますように
2007年10月24日
6年前、ずっと務めていたテレビ局をやめて、ほんのひととき、地元の小さな雑誌社の編集部にいたことがある。雑誌づくりの仕事もずっとやってみたかったことのひとつで、実際には広告営業と兼任でかなりハードな日々だったけれど、ひとりであちこち取材に行って、写真を撮り記事を書き、レイアウトしながら紙面を作っていくのは、なかなか楽しかった。自分への転職祝いに、ずっと憧れだったNikonの一眼レフカメラを思い切って買った。その頃はまだデジタルカメラがやっと普及し始めた頃だったし、プロとして買うなら当然、一眼レフ!だと決めていた。でも完全マニュアル仕様はやっぱり怖いので、オートフォーカス機能のある入門機を。それでも、その頃のお給料の半分弱を占めるオネダンだった。結局は事情がかわって、その会社には半年もいなかったのだが、それでもこのカメラにポジフィルムを入れて、福岡に新しくオープンした店やイベントの紹介等けっこう活躍したものだ。その後、時は流れ・・・デジタルの手軽さに慣れ、重くてかさばる、このカメラはまったく出番なしで、ずっとしまいこんだままだった。いまはキムタクのCMでおなじみの通り、一眼レフもデジタルが主流。Nikonもついに、デジタルだけしか作らなくなった。もうすぐ息子の運動会。そして紅葉の季節。望遠のついた一眼のデジタル欲しいなぁ~やっぱり写真の深みがコンパクトカメラとは全然違うもんねぇ~欲しいなぁ欲しいなぁ~とこのところずっと思っていた。でもね、せっかく買ったあの一眼レフ。使ってあげないとかわいそう・・・よし!決断は早い私。週末にとびきりの望遠レンズを買った。デジタルにもつけられる兼用タイプ。70ミリ~300ミリのズームができ、見た目はかなりゴツいが、ファインダーをのぞくと、なんだかワクワクする。当たり前だけど、遠くのものが迫ってくる面白さ。しかも、狙ったものだけにピントをがあい、まわりはボヤけて、対象物が浮き上がってくる感じ。きのうは息子と自転車を走らせ、近くの公園へ試し撮りに出かけた。どんな写真ができてるかな。これからプリントをとりにいくところ。
2007年09月25日
日曜日、約束どおり行ってきました。福岡のレジャープールといえば、海の中道サンシャイン。ちなみに息子が言うとどう聞いても「審査員プール」に聞こえます(笑)いこういこう!しんさいんプール!人が多いのは覚悟の上で、あえて、芋洗い状態の流水プールも風物詩のひとつとして、楽しみましょう。めいめいの浮き輪もユニークで、それを眺めるだけでも面白かった。それにしても混雑を予想して朝一番に出かけたのに、開園と同時にこの賑わい。人気者の仮面ライダー電王もやってきて、さらに盛り上がりました。 さて、息子。特訓の成果あって、最初から自分の身長ほどの深さのプールを選び、やる気まんまん。潜る気まんまん。風呂での浮き体験が大きな自信になっているようで、はやく試してみたいとばかりに、プールに飛び込んでいきました。結果は・・・見事、大成功。上手に浮いて、自分なりに両手両足で水をかき、2、3メートルですが前進できるようになりました。とはいえ、息の続く限りですから、次の課題は息つぎかな。 それにしても大きな進歩です。去年とは格段に違う、息子の成長が素直に嬉しい夏です。一方で、海の中道といえば、去年のちょうど今頃、悲しい事故がありました。思いがけない交通事故で大切な三人のこどもたちを一気に亡くしてしまった、私と同世代のご夫婦が一周忌ということでニュースに出ていらっしゃいました。この一年、どんな思いで過ごしたのだろう。また巡ってきた夏をどんな思いで・・・想像するだけで胸がはりさけそうです。突然、暗い海に放り出された子供たちを何とか助けたいと何度も海に潜ったお母さんのことを、とても他人事とは思えませんでした。それでも生きていく意味を考えさせられます。想像を絶する苦しみの中で、ご夫婦はなんとか二人の絆をあたため抜いて、もう一度新しい命を授かりました。私と同じ年のお父さんが、六人家族のつもりで、頑張って生きていくと話していました。頭が下がる思いです。1日、1日を大切に、悔いのないように、過ごしていこうと思います。
2007年08月20日
久しぶりにスーツを買いました。麻混のぱりっとした少し光沢のある生地のパンツスーツです。色はダークパープル。かなり渋めな大人の色。そでを通すとひんやりと体にすいつくようなフィット感があり、とても着心地が良かったので、憧れのマックスマーラにて奮発しました。普段は楽チンカジュアル服が中心ですが、たまにはバシッと大人の女性らしく・・・ということで!この週末、東京で義妹の結婚式に出席します。ハレのお呼ばれの日に、何を着ていくかは、かなり悩むところ。実妹のときは、私も初めて黒の訪問着を着ましたが、今回は東京だし、レストランウェディングだし、ということで、流行のふわっとワンピースでもと、この一ヶ月ほどあちこち探しまわったのですが、なかなかこれ!というのに巡り合わず、気がつけば、その日目前!!だいたい、私くらいの年代の女性がハレの日に着るワンピースって、けっこう難しい。今年は特に、チュニック系のハイウエストなデザインのワンピースが大流行で、どこのお店にもあるわあるわ、ありすぎて、なんだかよくわからなくなってきて・・・イマドキな若い女の子風なのもなんだし、かといって、いかにもおばさんな感じになるのもも避けたいし。思い切って、レッドカーペットを優雅に歩くハリウッド女優風?なんて、一応、サンローランやディオールなんかも冷やかしてみたけど、そのお値段は気が遠くなるほど・・・しかもとてもとても着こせないことを痛感しつつ!ああでもないこうでもないと迷ったあげくに、行き着いたのが、シンプルだけど上質なパンツスーツだったのでした。あぁ、すっきり。写真はシンプルなスーツに合わせて、購入したキラキラパンプス。アクセントになればなぁ…とちょっと無理してヒール高め。ではでは、背筋のばして行ってきまーす。
2007年07月12日
きのう、人生初の美容外科へと足を踏み入れた。 外見から自分を変えたいと切望する女性(男性も多いとのこと)が 人知れず通う病院。そう、ちゃんとした病院なのであるが そこはどこか、秘密のベールに包まれたような不思議な空間であった。 不思議の国のアリスの世界のように、いくつも連なるドア。 すべて個室の診療室。丁寧なカウンセリングを受けたあと 小さな部屋の真ん中にぽつんと大きな椅子だけが置かれた処置室に入る。 椅子の脇には、なんだかよくわからない機器がいろいろ。 おとぎばなしに出てくるような銀色の装飾の手鏡が立てかけて あるのがとても印象的である。 ひととおりを終え、手鏡を受け取るときの心境を想像する。 ほら、これが新しいわたし。悩んでいたあの頃にはもう戻らないわ ぜったいに…!! で、私は何をしに行ったのかというと、35歳を記念して やってみようと思っていたことのひとつを実行しに!! こう書くとますます盛り上がってきそうですが、この辺にして。 なんのことはない、両耳にピアスの穴をあけてもらいに 行ったのでした。 ああ、ピアス。親からもらった体に穴をあけるとはケシカランを 免罪符に、でも単純に、あの串刺しの耳が痛そうで怖くて ずっと避けて通ってきたピアス。 でも本当は少し憧れていたピアス。 私の耳たぶはもともと薄くて、イヤリングがいつのまにかスルリと 抜け落ちる。20代の頃から、これまでにいったいいくつ失くして しまったことだろう。片方だけのイヤリングが溜まっていくうちに 嫌になって、イヤリングをまったくしなくなった。 でもこの間、仕事で宝石店に行ったとき、ダイアモンドが上品に 揺れるピアスに一目ぼれ。きれいだなぁ。こんなのつけてみたいなぁ と思い、35歳の記念に(ここがミソ)ピアスに挑戦することに したのだった。 実は、20代の頃にも一度、そんなふうに思って、薬局で ピアッサーを買ったことがある。ホッチキスみたいになっている 穴あけ機で、自分でパチンとやるあれだ。 でも結局、できなかった。根性なしである。 今回は、いい大人なんだし、ちゃんと病院を選択した。 皮膚科とかいろんなところでやってみらえるみたいだが なんとなく美容外科を選ぶ。 かくして、小さな処置室の真ん中の大きな椅子に座り 両脇に、青い手術着そのままのいでたちでキャップとマスクまで した完全防備な看護婦(士)さんが、二人立ち、なにやら準備中。 いざ、そのときを待つ時間。めちゃくちゃ緊張した。 まずは右耳から 丁寧に氷で冷やして、消毒して、「さぁ、いきますよ~」 「は、はい ひと思いにお願いします」 「では、いいですか」 「はい。いいですいいです」 願わくばこういうときの確認は一度であってほしいものだ。 ぱっちーん!! 耳元で何かが弾けた。一瞬どこが痛いのかよくわからなかったけど 誰かに突然頬をはじかれたような、ぱっちーんという音にふさわしい 痛みがあった。 「ちょっと痛かったですねぇ ごめんなさいね」 「は、はい。痛かったですけど。大丈夫です」 だって自分で決めたことだから。自分では絶対できないことだから。 看護婦さんは何にも悪くないよ。 続いて左耳も同じように「ぱっちーん!!」 ああ、何度聞いても慣れない嫌な音だ。 背筋がぞくっとする。 とにかく終わった。無事に串刺し。 一ヶ月間、このファーストピアスという医療用のやつを つけ続けて、穴を作っていくという。 憧れのダイアモンドが揺れるやつをつけられる日はそう遠くない。 いや、その前にあれを買わなくてはならない。 それがまた問題だ。 代金は消毒液も一緒に買って4200円。 想像していた金額よりも手頃だった。 レシートが一切出ない。秘密の会計システムに なっているらしい。 「せっかくですので、お肌のお悩みなどは?」と 優しく問われたので、気になっている頬の日焼けシミの ことを思わず打ち明けると 「それでしたら、レーザー治療で簡単に消すことが できます。お顔全体に当てますので、お肌が一気に 若々しく、蘇ります。一度、お試しになってみますか」 とすかさず魅惑的なご提案を頂戴する。 思わず「はい」といいそうになったが お試し価格1回36000円をチラリと見て、その言葉を 「いいですね 考えてみます」に変えた。 一度試して、良さそうなら、6回パックで18万円 でのご提供である。 高いか安いか。それでお肌の悩みが消えるのであれば… とつい考えこんでしまう。 いやいや女性とはやはり面倒くさい生き物であるよ。 。
2007年06月28日
ブログのデザインを変えてみました。UZUMAKI BOXをあらため、「うずまき帖」にして、筆文字ロゴなんか作ってみました。街を歩けば、いろんな筆文字の看板が目に飛び込んできます。ラーメン屋さん、定食屋さんに居酒屋さん…飲食店が多いでしょうか。なんだかそれだけで、とってもおいしそうに見えてくるから不思議です。薬屋さんや、お風呂屋さんなど、癒しのイメージにもよく使われますよね。私も、自分にしか書けない味が出せるといいなぁ~とりあえず、日々のうずまきに看板をかけてみました。更新がまちまちですが、なるべくこまめに日々の心のうずまきを記録していけたらと思います。思いがけずいろんな方が読んでくださっているようでとても嬉しくありがたく…そして気をひきしめて丁寧な暮らしを心がけたいです。よろしくお願いします。
2007年06月13日
きょうは朝から用があって天神の街を歩いてきました。いつもは楽なペタンコ靴を履いていますが、きょうはちょっとオシャレするかと、お気に入りのデニムのミニスカートに少しヒールのある皮の黒パンプスを素足ではきました。仕事のときなどに、たまにパンプスを履くと、コツコツと地をならす音に自然に気がひきしまりますが、普段履きにはなかなかできないパンプス。すぐに足が疲れてしまい・・・どうにも苦手なのです。 とはいえ天神の街を高いヒールで颯爽と歩く女性をみるたびに、かっこいいなぁと、ついつい真似したくなる始末。よせばいいのに、きょうはまさにそんな気分で、家を出たのでした。 最初は調子良かったのですが、だんだんと両方のかかとがやっぱり痛くなってきました。この革靴はまだ新しくて、かたいのです。履くうちにのびてくるからともともと少し小さめを買ったのです。ああ、でももうダメ。道のわきで見てみると、両の かかとの皮がすれて赤くなっていて、ヒリヒリします。 ちょうど、好きなインテリアショップの前だったので、足をひきずるようにして中に入りました。 とりあえずガマンして、商品を見てまわっているうちに、とても欲しかったものを見つけてしまいました。柄の長いホウキです。 掃除機をかけるまでもない普段のちょっとしたお掃除に、かわいい箒が欲しいなぁと思っていたのです。いつも使えるように出しておきたいので、ちょっとデザインのいいやつが。 値段も手頃だったし、これだと思い、買うことに。 でもこれを持って天神を歩くのもどうかなぁ。バスに乗ってしまえばなんてことないけど。それにしてもバス停までけっこうな距離があるし、おまけに足がとにかく痛い! さぁ、どうする? まぁ、箒を持って歩くのくらい、たいしたことない。問題は足であるという結論にたどりついた私は、その店の入り口付近に置かれたバスケットに無造作につっこまれて売られていた、ビーチサンダルに目をつけました。 ゴム製のシンプルなターコイズブルー。 かくして私は、その店でビーチサンダルに履き替えて、長い箒を手に、すがすがしい気持ちで帰ってきました。 予定外のビーチサンダルも、きっとこの夏、活躍してくれることでしょう。 どこまでも結果オーライな私でした。 あ、でも、これからは素足にパンプスはやめておくことにします。
2007年06月06日
6月に入り、無事に今年も一周まわってきました。35歳。キリのいい数字でもあるし、いつも以上に感慨深い気持ち。ここまできたかぁという感じ。35年もがんばってよく生きてきたなぁ…なんてけっこう嬉しかったりする。たぶん、40になっても50になってもその気持ちは変らない気がする。年がひとつずつ増えていくのはとても素敵なことだ。たとえ終わりに向かって歩いているのだとしても。泣いたり笑ったり怒ったりいろんな日々とつきあいながら、あと何周まわればゴールがくるのか知らないままに、ただ周る。とにかく一生懸命、周る。あなたはいま何周目?あらもう40周?すごーい!私よりも5周も多く走ってる。すごい。頑張ってるのね年長者への尊敬は、まずそこから始まるのだと思っている。女性は普通、年を隠したがるものじゃないのか?そんなことを言えるのも今のうちだけだとからかわれることもあるが、人に自分の年齢を告げるときのあの誇らしい気持ちは、たぶんずっと変らないだろう。だからこそ、人と親しくなるとき、相手の年齢もとても知りたくなってしまう。どんな年代に生まれ、どんな時代を歩んでこられたのかいま何周目を走ってるのか。この情報はとても大切。もちろん私だって、いつまでも若々しくありたい。35周目を走りながら、ぜいぜいはあはあ…ではなくとてもそうは見えないような、軽やかな身のこなしを心がけたいもの。がんばろう。
2007年06月03日
右手に怪我をしてから25日。利き手である右手の、親指と人差し指がまったく使えない状態がしばらく続いた。モノをつかんだりするのに、普段、親指と人差し指がどれだけ活躍しているのかをあらためて知る。何をやるにも最初はうまくいかず、愕然とするばかり。けれども何もしないわけにはいかない。最低限のことは、左手でもなんとかなったがだんだんと、残る右手の3本指と手のひらでバランスをとりながら、字を書いたり、歯を磨いたり包丁をつかったり、食器を洗ったり、細かい作業もできるようになってきた。慣れとはやはり、ありがたいもの。そして、必要は発明の母??例が適切ではないような気もするが、要するに、必要に迫られれば、なんとかなるというものだ。「なんにもしなくていい」状態であれば、きっといつまでも、できないことに胡坐をかいて、「痛い痛い」と愚痴ばっかり言っていることだろうと思う。傷が痛むたびに、白いバンの顔が浮かぶ。裂かれた皮膚の縫い目が日に日に、黒くガサガサに乾いてきて、見るにしのびないうらめしさ。気晴らしに「バンのバカ」と言ってみるも息子がすぐに聞きつけてきて「バンが悪いんじゃないよ」と言う。わかってるよ。誰も悪くない。むしろ私が、浅はかだったのだと、歯がゆいだけだ。いつもそう、私は…大抵そそっかしい。考えるより先に行動してしまうタイプだからだ。これを何とか治したいといつも思っているのだけれど今度こそは、これを機に…ぜったい無理と笑われていることだろうが、それでもいい。そんな気分だ。今回、つくづく、手のありがたさを知った。そして、人の優しさや、あたたかさも知った。人に甘えることが苦手な私であるが、そうしなければどうにもならない状況に置かれて初めてはにかみながらも、人の手に甘えさせてもらい「ありがとう」と「ごめんね」の言葉を何度繰り返したかわからない。やっぱりきっと痛みを持って何かを学べよとのことなんだろう。実際、後から考えても、背筋がぞくっとするような不思議なことが何度か起こった。怪我をしたその夜、何気なくテレビをつけた瞬間パート先の印刷工場で、輪転機に右手を巻き込まれ手首から下すべてを失った主婦のドキュメンタリーが始まった。事実を受け入れ、片手でてきぱきと家族のため頑張るあるお母さんの姿。片手と顎を使って、器用に洗濯物を干している様子に、思わず蒼然とし、言葉を失ってしまう。「なんでこんなタイミングで、これが始まるの」テレビをつけた私の母は、ひきつった笑顔だった。さらに、やっと抜糸の日を迎えた朝病院に向かって歩いていると前から、やはり右手がない青年が、左手だけでさっそうと自転車を走らせて通りすぎた。ドキッとした。しかも、抜糸を終えて、病院から出てきたところで再び、彼が前から走ってきた。ハンドルにビニール袋が下げられていた。どこかで買い物でもしてきたのだろう。何を意味するのか。うまく言葉にはできないが、なんとなくわかる。これまで以上に、毎日を丁寧に、大切にすごしたい。もっと穏やかに、人に優しくありたい。かさぶたとなった傷が、少しずつはがれ落ちその下に、ピンク色の皮膚がみえる。もう少しで、消えそうだ。この痛みを忘れずに、再生したい。
2007年05月20日
きょうも病院へ向かっています。ふわふわ綿帽子にしばし足をとめ、寄り道ばかりです
2007年05月03日
ファーストフードのカウンターでアイスティーを頼むとき、レモンをつけるかミルクにするか、とても迷う。爽やかすっきりを欲しているのか、それともまったりこっくりか。一瞬のうちに決めねばならない。辛い。ならば最初から決めておけばいいのに、どうしても直前までぼんやりとしてしまう。それどころか何を飲むかさえも決めてないことが圧倒的に多い。こういうところから日頃の計画性というものが試されているのだろう。なんとかしたいものだ。だけどきっと、そういいながらもずっとこのままなのだろう。ま、いいか!即断力を鍛えているのだと思うことにする。それにしても、ミルクとレモン。両方欲しいと思うことだってある。いわば厳しさと優しさみたいなもの。気合を入れつつ和みつつ。あぁ、そんな気分だ。なのに両者は決して溶け合えない。あぁどうしよう。いやはや面倒だ。どちらもいらない。きょうはストレートで。意外にいい選択だった。
2007年03月28日
不二家事件を皮切りに、出るわ出るわ 賞味期限切れ食品使用、発覚のニュース。 なじみのレストランや弁当店、ここもかしこも 使いまくりです。困ったものだ。 個人的は、あんまり賞味期限に神経質になりすぎるのも いかがなものかと正直思う。 まだ十分に食べられるものを、規則だからと ゴミ同然にバンバン廃棄していく、日本の外食産業。 年明けに聴いた、服部先生の食育講座でも触れられていた。 日本のコンビニやレストラン、ホテルなどから一日に出る 残飯の総量、ダントツで世界一なんだそうだ。 その中には、期限切れの弁当などの食品ももちろん含まれている。 とにかく作りすぎだし、作りっぱなしだし 食べ物をなんだと思っているのかという話であるよ。 ちゃんと必要量を計算して、できるだけ無駄のないように 作るという、最低限の努力を、ちゃんとやった上でのこと なんだろうかと腹立だしい。 かといって、期限切れの食品を平気で使っていた企業に 「もったいない」の心があったとはとても思えず。 単なる杜撰なだけだろう。 一方で、うちは、期限どおりに捨ててます。安全に配慮してますって ここぞとばかりに威張られる話でもない。 だいたい、その期限さえ本当かどうか 疑い始めればキリがない。ただの数字の羅列にすぎないし ミスプリだって、偽造だって、ないともいえないじゃないか。 なんて言い出したら、本当にもう何をどう信じていいのやら。 そう、こうなれば自分の五感を、鍛え上げるしかない。 視覚、嗅覚、味覚…をとぎすまし、本当に食べて安全かどうか 変な味がしないか、におってなめて、たしかめる。 我が家では、うっかり賞味期限を通り越してしまった食品も 五感で判断した上でなるべく頂くようにしている。 さすがに腐らせたりしてしまったものは、素直にごめんなさいだけど ナマモノだったら火を通したり、調理法や調味料を変えて 味わってみるのもオツなものだ。 腐る寸前の真っ黒バナナが一本、今週はあまり飲まれなかった 在庫ダブつき牛乳と、賞味期限は3週間ほどすぎているけど まだ色も香りもフツーな使いかけの無塩バターと いつもストックしている薄力粉。唯一の新鮮食品である卵を投入し 夕食後に、期限ギリギリバナナケーキを、久しぶりに。 このケーキは、リンゴのコンポートと並び、数少ない 私の定番手作りお菓子のひとつ。 ボールにどんどん入れて、ぐるぐる混ぜていくだけで簡単にでき 失敗なしの、小林カツ代母さんレシピで。 腐りかけたバナナがあると必ず作る。 これひとつで、朝食におやつに、しばらく楽しめ、好評だ。 自分でいうのもなんだけど、お店で買うものより バナナの風味がきいていて、自然な甘みで本当においしい。 賞味期限なんのそのである。 ホームメイドならではの技ではあるけど、さすがに不二家がやっては なりますまい。
2007年02月07日
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