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本当にお久しぶりの楽天日記です!ここには、2007年6月当時在職していた大学を退職。2008年7月からイギリスに1年間インターンにでかけ帰国後20011年厚木市に引っ越し。2013年3月にセルラスのコーディネーターになってその4月まで。私の日々が綴られています。 無職になって自分の存在を何かで発信せずにはいられず始めたブログでした。自分を生かす仕事はないかと探し続けた、迷い続けた日々でもありました。ブログを書く以外は一日中家に引きこもって、パジャマのままパソコンの前で過ごした日も何日あるかしれません。 このブログに書かれた最後の一か月。セルラスのコーディネーターになり、厚木ピアザのメンバーとことばを育てあう日々が始まりました。現実の生活に手ごたえを感じ充実した仕事と豊かな交流ができる人間関係を持つことができました。すると同時にブログを書く手が全く止まってしまいました。自分の存在をネットで示す必要がなくなった。現実に存在する親しい人たちに語り掛けることで十分満たされたからでした。 4年が経ちました。充実した毎日です。沢山の発見があり、気が付けば私はずいぶん変化していました。ことば(多言語)に持っていた壁がどんどん低くなり、相手がどの国の人でも、どんな年齢、どんな背景を持った人でも、心を開いて話を聞き、また伝えることができるようになりました。楽しいことがたくさんあり、自分が生きていること、ここに存在していることを素直に認められるようになりました。特別な価値を身に着ける必要がないこと。価値など探さなくても誰にでも本来あるものだと思えるようになりました。 すると自分の発見や変化が楽しいものであればあるほど、もう一度ブログを書きたくなったのです。ブログは場所を変えて発信することにします。このブログはこのままここに残します。これからの新しい日々をまた覗きに来てください。 新しいブログです。 http://profile.ameba.jp/shigechan4child
2015.09.01
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4月になってもう一週間以上が過ぎました。暖かい日が続いたかと思うと、急に冷え込んだり、暴風雨になったりと、「春の天気は変わりやすい」を絵に描いたようですね。皆さんがお変わりなくお過ごしですか。春を迎えた我が家には、楽しい出来事がたくさんありました。夫は野菜の植え付けや種まきに精を出しています。畑もきれいに耕され、野菜が育つのを待つばかり。庭も随分きれいになり、込み合っていた竹やぶの竹を切って日当たりも良くなりました。竹やぶに被われていた庭の一部から、紅白の梅の木や大輪の花をつけた椿の木、そして柿木が顔を出してきました。夫に剪定されて、まるで息を吹き返したように花が咲き、今は新緑の葉を芽吹かせています。毎日農作業や庭の手入れをする夫がどれだけ幸せか、彼がふと漏らした言葉で知りました。夕食終わって次の日にやることを計画している時、夫の口から思わずもれるのを何度も聞きました。「早く明日にならないかなあ」遠足の前の子どもみたいでしょ!お日様のある間しかできない仕事だから、明日また日が昇るのが待ち遠しいんです!幸せなことですね~。竹やぶには、思いがけずたくさんの竹の子が顔を出し、毎日のように掘っては、茹でてご近所に差し上げたり、我が家で煮たり炊き込みご飯で楽しんでいます。何しろこの家で迎える初めての春なので、竹の子が生えることも知りませんでした。竹の子って人を呼ぶんですねえ。今週と来週の週末には、都内の友人達が来て竹の子パーティーをすることになりました。ところでその竹の子、今朝は思いがけない珍客を呼んでしまいました。なんと猿の群れが大挙して竹の子を食べに来たのです!外側の皮だけを残し、中の穂先の柔らかいところだけを上手に食べてあり、なんだか感心してしまいました。友達が来たときに竹の子が残っているといいのですが……。思いがけないお客様と言えば、先週5日金曜日に、ソン君とシカちゃんという二人の中国人留学生が、厚木ピアザと我が家に遊びに来てくれました。ソン君は我が家が2度目、厚木ピアザは3回目でした。シカちゃんはどちらも初めてですが、セルラスの新宿ピアザに毎週参加している、日本にとても興味を持っている素敵な留学生でした。厚木ピアザは都内の他のピアザから離れているから、交流が難しいだろうと思っていました。そんな当初の予測を裏切って、毎回お客様を迎えています。1回目の3月15日には、タイ出身のミントちゃんと中国上海出身のレイちゃん。3月22日には、神戸三宮ピアザのマッピーと横浜ピアザのゆいちゃん、ともに小6(当時)。3月29日には、新宿ピアザのこうちゃんとはらしょ。大人の女性です。そして4回目だった4月5日には、中国山東省出身のソン君と新疆ウイグル自治区出身のシカちゃん。なんとありがたいことでしょう。そして、留学生を迎える子どもたちの喜びようも、想像以上でした。素直にまっすぐ留学生に向かい、あっという間に仲良くなってしまいます。そして留学生の話しを真剣に聞き、彼らが母語を話す時も興味津津で見つめています!シカちゃんは5日、研究室の先生との面談が長引き、ピアザが終わる7時過ぎまで会場に来ることができませんでした。ピアザが終わる頃会場に到着したシカちゃんを私とソン君が待っていると、子どもたちも帰ろうとせずロビーで一緒に待っていました。「みんなは、シカちゃんに前に会ったことあるの?」既に知り合いだから待っているのかと思い、と子どもたちに聞きました。「会ったことないから、会いたいんだよ。友達になりたいから」という答えでした。会ったこともない留学生の到着を、今かいまかと待っているのです!しかも友達になろうとして!子どもたちってすごいですね~。この子たちには、人との間に壁なんてないんですね。たとえそれが外国の人であっても!シカちゃんとソン君はそのまま我が家に一泊ホームステイしましたが、シカちゃんはゲストルームより和室を寝室に選びました。畳に布団を敷いて寝る、襖と障子で囲まれた床の間のある部屋の方が、シカちゃんは寝てみたかったようです。日本の家庭に泊まるのは初めてだったので、何でも感動していました。夕食から二人と話し始めて、寝室に引きあげようと腰をあげたのは、既に深夜2時近くでした。二人の話はとても興味深く、私の知らないことばかりだったので、放っておいたら一晩中でも話し続けたかもしれません。ところで表題の「人生で一番の大仕事」についてですが、一体なんだと思われますか?実は私の一番の大仕事は「自分を好きになること」でした。人と比べて劣等感に苛まれたり、遥かな理想の自分を目指して、今の自分を「駄目だ」と否定したり。長いことそうし続けてきたので、ありのままの自分に価値を認め、まるごと好きになることは、ずっと大きな課題だったのです。ところが、です!このごろ、毎日本当に楽しくて、感謝することばかりが起こり、一瞬「辛い」「大変」と思うことがあっても結果はきっと良い風になっていくと、自然と思えるようになりました。そのせいか、人の機嫌を気にしたり、自分の見てくれや評価を気にしたりということがとても少なくなりました。そして人の怒りの感情に接しても、相手が選ぶ感情を自分のせいだと思ったり、何とかして変えようという思いが起こらなくなりました。相手の感情は相手にお任せして、たとえその怒りの原因が自分にあったとしても、その感情に振り回されない。謝るなどの自分にできることはするけど、相手の感情を変えようとしなくなったのです。これは私にとって画期的なことです。また現在体重が5キロ程増えているのですが、運動すると身体が動かしにくいからウエイトを落とした方が良いと思うだけなのです。こんなに太ってみっともないとか、恥ずかしいとか、何を着ても似合わないとか、思って落ち込んだりしません。これにも驚いています。どんな状態の自分もただ受け入れられるって、なんて楽なのでしょう。ということで、人生最大の大仕事も少しずつできてきたかなと思うのでした。
2013.04.09
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本日午前中は横浜ピアザに参加。横浜午前ピアザのメンバーは大人ばかりです。大人の良さは、色んな発見をどんどん言葉にして共有していけることでしょうか。今日も素敵なアイデアのシェアがありました。多言語習得のために、なぜ日本語ロールプレイをするのだろうか。その答えの一つを見つけたのです。日本語ロールプレイが身体に沁み込むと、同じストーリーの多言語CDを聞いたり、シャドウイングした時不思議なことが起きるんです。たとえそれが初めて聞く言語(外国語)でも、なんとなく言ってることが分かるんです。日本語の対訳を覚えているからだと思うかもしれませんが、対訳を読んで(暗記して?)外国語のストーリーを聞いても、同じことは起こりません。その場面の中で、誰かの役割を演じることを通して、その場の風景を自分の目で見、感情を感じ、言葉を発して相手の表情が動き、そして言葉が返ってくるのを経験したからこそ、ストーリーのイメージが立体的に立ち上がるのです。この状態が、日本語ロールプレイが身体に沁み込んだ状態です。すると、韓国語やスペイン語でストーリーの音声を聞いたとき、誰が何を言っているのかが、置かれている状況とともにわかるのです。何語で言われても、なんとなくわかる。これは、その外国語がそのまま「わかる」状態で、翻訳でもなければ、日本語への置き換えでもありません。実は私は、イギリスでこれと似たようなことを経験しました。強く印象に残っているホストファミリーとのやりとりは、何度思い出しても、ジュディとジェフの言った言葉が日本語で記憶されているのです。ホストファミリーのご夫婦、ジュディとジェフの二人は、一言も日本語を話せません。私も二人に日本語で話しかけたことはありません。にもかかわらず、心に染みたあの場面や、思わず噴き出してしまうあの場面で交わされた二人との会話はまるでジュディとジェフが日本語で話していたかのように、記憶に残っているのです。常々不思議に思っていたのですが、今やっている日本語ロールプレイを沁み込ませることに通じることがあるかもしれないと思い始めました。言葉は、場面や状況や体感や感情がその深部にあって、それが音を伴って外に出た時、日本語になったり、英語になったり、スペイン語になったりするだけなのではないか。共通の核になる部分は、何語で表出しようとも、同じなのではないか。まだまだ、どんな答えに行きつくかはわかりませんが、言葉には尽きせぬ興味が湧いてきます。この日横浜ピアザの後、本厚木駅まで帰って来てから、駅の近くの中央図書館に寄りました。予約していた本を取りに行ったのです。借りる本は児童文学だったので、3階の児童書フロアーに行くと、なんだか見覚えのある女の子と目が合いました。厚木ピアザに来ている小学校2年生のみーたんでした!みーたんは嬉しそうに、一緒に来ていたお母さんとお兄ちゃんを呼びました。思いがけず会えたので、お母さんと話が弾み、すっかり座り込んで話してしまいました。そして用事で近くに来ていたお父さんも合流し、期せずしてご家族皆さんとお会いすることができました。地元で活動するってこういうことがあるんですね。嬉しくなりました。家が近所なので、帰り道、車で一緒に送っていただきました。雨も振っていましたから、バスを待たずに済んで本当にありがたかったです。車の後部座席に、お母さんとみーたんに挟まれて座り、引き続きメンバーであるお母さんと話し続けていました。すると反対側の隣に座っていたみーたんが、私に声をかけました。「見て!ピアザって書いた」見ると、ピアザ、という文字が蒸気で曇ったガラス窓に書かれていました。「あら、ありがとう。ピアザ好きなの?」うん、と頷くみーたんに微笑んで、またお母さんとの話に戻りました。するとまたみーたんから声がかかりました。「厚木ピアザって書いたよ!」窓を見ると、今度は「厚木ピアザ」の文字が、窓にいくつも踊っていました。一瞬、その文字を見て言葉を無くしました。そしてみーたんに言いました。「そんなに厚木ピアザ好きなの?!」にっこり頷くみーたんを思わず抱きしめてしまいました。「ありがとう、みーたん!みーたんが厚木ピアザに来てくれて本当にうれしいよ!」こんな素敵な贈り物をもらえるなんて、私はなんて幸せ者なのでしょう。あの時のみーたんの笑顔を思い出すたびに、可愛くてたまらなくなります。神様、素敵な出会いをありがとうございました。
2013.04.02
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あと数分で4月、新年度の始まりです。今年は、卒業、進学、そして就職のニュースに接する機会がとても多かったです。明日から新生活を始める人がたくさんいるんですね。ところで、今日は三月最終日。今月の投稿は1日にして以来2回目になります。4月から新生活が始まる前に、3月のまとめをしておきましょう。実際、三月が始まった時には、こんな幸せな日々になるとは思いもよりませんでした。3月3日(日)と7日(木)には、多文化教育セミナー参加者で希望する方に、無料のピアザ体験会を開催し、ピアザでの活動を体験してもらいました。沢山の方がご両親とお子さんたちの家族みんなで参加してくれました。この体験会は、セルラスの都内や横浜のコーディネーター達、メンバー達、そして留学生達がみんなで作った体験会でした。現在セルラスを挙げて取り組んでいる、日本語ロールプレイの意味とそのやりかた。シャドウイングとは、どんな風にするのが良く、またその効果はどんなことなのか。セルラスの多言語習得の三原則。「人と一緒に」を前提とした、「音声から」「想像力と創造力」「必然性」。多言語習得活動を主軸にした多文化共生社会推進事業や国際交流事業、異文化体験ホームステイプログラムなどの事業の説明。それらがなぜ、コミュニケーション能力や共感力を育て、世界に通じる人材の育成ができるのか。参加して下さった方達に、分かりやすく、丁寧に伝え、体感してもらう。そして参加者からの質問や疑問に、メンバーのみんなが、自分の体験から応えてくれていました。そのおかげで、ありがたいことに5家族18人のメンバーと一緒に厚木ピアザをスタートすることができました。出会いに感謝と言う言葉では言い表せないくらい、素敵な人達が集まってくれました。子どもたちもやる気満々。体験会の時から、ストーリーの日本語が全部頭に入っている子が続出。ロールプレイするのも、とても楽しそうでした。これには、心底驚きました。3月15日(金)から毎週5時半から7時の一時間半、厚木ピアザを開催しています。と言っても、一昨日含めて、3回のピアザ開催ですが、既に大きな変化が表れています。子どもたちは、日本語のみならず、韓国語のストーリーもほとんど言える子が何人か出てきました。あまりの進歩の速さに、一緒に来ているお母さん達が「ついていけない」と漏らすほど。もちろん、意味が分かって、本当に使える言葉になるためには、日本語ロールプレイが身体にしみこんでいること。そしてシャドウイングの音がロールプレイで体感した意味や情景に乗り、その情景が浮かぶと思わず口に出る言葉になっていきます。大人はもちろん、12人いる子どもたち(5歳から16歳)からは「やらない」「できない」という言葉が、まだ出てきません。一番台詞の多い主人公の役を、5歳のKちゃんや7歳のCちゃんが「やりたい!」と手を挙げます。またメンバーみんなが、ピアザ運営について「何かできることはないか」という姿勢なのです。早めに来て準備から手伝ってくれるので、ありがたいだけでなく、とても励まされます。先日の3月最後のピアザでは、4月3日にお誕生日を迎えるメンバーのためにサプライズのお誕生会をしました。どんな会をしようか相談すると、メンバーから様々なアイディアが出てきました。お花とカード。ケーキの代わりにシュークリームにろうそくを一本立て、バースデーのマジパンの飾りのプレートをつけました。花やケーキのプレゼンターは子どもたちが買って出てくれました。この日お休みのご家族は、5歳と7歳のお子さんがそれぞれ書いたお祝いのお手紙とお母さんがメッセージを添えて、当日ピアザの前に持ってきてくれました。これら全て、頼んだことなど一つもなく、全てみんなの自由な発想と行動なんです。(泣)お祝いをされたお母さんは、「家族の誕生をを祝うのは一生懸命するけれど、自分のお祝いはいつも簡単にしていました」「花なんてもらったのは、何年振りだろう」と思いがけない誕生祝いをとても喜んでくれました。そしてこれからの厚木ピアザの中心に据えたいような、決意を話してくれました。「これまでは、子どもたちのためにセルラスの活動に参加していると思っていました」「でもこれからは、自分がどんどん楽しもうと、心を決めました」そうなんです。自分が楽しむ気持がなければ、この活動は続かないし、実も結ばないのです。言葉の芽は、能動的な姿勢、楽しむ姿勢の中で育ちます。面白がって笑い転げるような気分でアイデアをどんどん出して楽しむうちに、言葉が皆の中で育って行くのです。「自分がどんどん楽しむと心を決めました」これは、ピアザのメンバー、一人ひとりが持ってほしい気持ちです。私自身が一番大切にしたい思いでもあります。ピアザが始まって以来、ずっと楽しくて、毎朝幸せな気持ちで目覚めます。子どもたちの言ったことや表情を思い出すたびに、自然と顔がほころんでしまいます。そして、次のピアザでは、あれもやってみたい、これも試したいとアイデアが次々と湧いてきます。それを相談できるメンバーがいてくれるおかげで、アイデアがどんどん形になっていきます。ストーリーの役を名札に名前を書いてそれぞれ首にかけてロールプレイしていたのですがそれではイメージが湧かないという意見を相談したら、あっという間に、みんなが役割名札に、絵を描いてくることになりました。子どもたちが「赤ちゃんにはおしゃぶりとミルク!」「お父さんはタバコ!」「髭剃り!」と口々にアイディアを言い、絵を描く役割札をどんどん持って帰りました。来週どんな役割札が出来上がってくるのか、本当に楽しみです。歩き始めた時から、積極的、能動的な厚木ピアザ。本当に幸せな三月でした。
2013.03.31
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3月になりました。温かい風が吹いて、季節が一気に変わりましたね。私も朝から家中の窓を開けて、しばらく滞っていた掃除をして、気分が一新しました。2月のカレンダーを破って3月をめくっていたら、夫が私に声をかけました。「激動の一か月だったね」昨年末からセミナー開催まで、夫は随分いろんなことを手伝ってくれました。公共機関にセミナーのポスター掲出やチラシの配布をお願いに行く時、何度も運転手を買って出て、一緒に回ってくれました。時々大変になって「もう今日はおしまいにして帰ろう」などと私が言うと、「福祉センターにも行った方がいいよ」などと彼の方が粘り強かったり。マンションのポスティングをしようと前日遅くまで準備していたら「そんな睡眠不足のままで一日運転なんてさせられない」と私とセルラスのスタッフを車に乗せて一日運転手をしてくれたり。最近は掃除や洗濯、食事作りに手が回らなくなり、随分替りにやってくれました。良く応援してくれました。本当にありがたかったです。2月最終日の28日、セミナーを受けて初めてのピアザ体験会を開催しました。ピアザを開設できるかどうかは、この体験会を楽しんでいただけるかどうかにかかっていると、初めてのことにドキドキしながら1時間半の体験会を実施しました。体験会まで足を運んでくださる方って、やはりお話ししていて共感するところがとても多いと感じました。こんなに気持ちの通じる人が、自分の住んでいる地域にいることが分かっただけで、厚木のことがもっと好きになりました。全ては出会いが決めていく、そう感じます。意味のない出会いなどないのでしょう。そして初めての体験入会の方を迎えることができました。その方と一緒に来てくれたお嬢さんの笑顔を見た時、本当にうれしかったです。今までセルラスのコーディネーターに“なる”と思っていましたが、全くの思い違いでした。セルラスのコーディネーターは、参加するメンバーの方に“してもらう”もので、自分でなるものではなかったんですね。一緒に活動したいと思ってくださる方がいて初めて、私はコーディネーターとして、そのピアザを言葉を育てる場にするお手伝いができるんです。セミナーも体験会も、たくさんの人の協力がなければできません。それは、ピアザ開設も同じです。この一カ月、特にここ何週間かは毎日のように、たくさんの方から有形無形の応援をいただきどれほど多くの人に支えられているか、改めて感じました。自分が何かにチャレンジする時、いろんな人の大きさ、一生懸命さ、粘り強さ、聡明さ、偉大さが見えてきます。応援のメッセージに、笑顔に、差し出された手に、何度涙が出そうになったか知れません。激動の2月は、自分の小ささを心底思い知った時期でもありました。徹底的に自信を失い自分が何も持っていないことに気付きました。セルラスのコーディネーターに“なる”ことがこんなに大変だとは、正直思っていませんでした。作業が大変なのではありません。それは色々しなければならない実務的なこともありますが何より大変だったのは、自分がコーディネーターにふさわしいとは思えなくなったことでした。今までは、いちメンバーとして見ていたコーディネーター。毎週のピアザを主宰し、アクティビティーの内容を提案しながら一緒に考え、セルラス全体の理念や取り組みを紹介し、参加を促していく。自分にもできるつもりでいたのです。それどころか、自分なら結構うまくやれるくらいに思っていたのです!ところが、いざセミナーの準備を始めて見ると私は司会進行の中でする、短い多言語の挨拶一つまともにはできませんでした。今まで他のコーディネーターの方達が、会の冒頭、いくつかの言語でさらっと挨拶するのを何という思いもなく見ていました。でも自分でしようとした時、暗記して言えると思っているフレーズが、全く自分の言葉になっていませんでした。中身を理解していないから、感情もこめられず、ただ意味のわからない呪文を唱えているかのようだったのです。それいに気付いた時の焦りたるや!10年もメンバーをやっていて、挨拶もまともにできないのかと愕然としました。シャドウイングして暗記するだけでは、その言葉は使える言葉にはなりません。だから今セルラスでは、多言語のシャドウイングやロールプレイの前に徹底した日本語でのロールプレイをして、状況をイメージし、感情を味わい表情豊かに日本語で表現することに取り組んでいます。多言語習得に日本語ロールプレイは結びつかないようですが言葉はそれが機能する状況の体験と、その時の活き活きした感情そして相手との温かい交流の中で初めて定着するのだと、今では確信しています。日本語ロールプレイの取り組みはセルラスでもここ2年ほど集中して取り組むようになりました。それ以前に私が覚えた多言語のストーリーや会話は、残念ながらまるで歌のようですぐに使える言葉にはなっていなかったのです。それに気が着いた時は本当に愕然として、コーディネーターなんてできないと思いました。できない自分が恥ずかしくてはずかしくて、逃げ出したい気持になりました。その恥ずかしさ、情けなさを味わいつくした後、どんなにできなくても、そこから始めるしかないと思うまで、かなり時間がかかりました。できると思われたい、かっこつけていたいという虚栄心を手放すのは辛いことでした。ところがひとたび、自分のできなさを認めると、周囲がまるで違って見えてきました。セルラスのコーディネーターをしている人達は、子育て中のお母さんだったり、仕事を持っていたり、私など比べ物にならないくらい忙しい人達です。家事や育児に責任を負い、学校行事や地域の自治会などの仕事もこなし他に仕事も持っていて、なおかつピアザを主催してたくさんの家族と言葉を育てています。セミナーや体験会の主催も毎年のようにしています。そして自分の研鑽のために、毎日Skypeでシャドウイングをしあったり家族でロールプレイするのを習慣にしていたりしているのです!忙しくなると、家事ができなくなって、夫が代わりにしてくれる私とはその持っている責任、果たしている役割が天と地ほど違うのです。それなのに、みんな生きいきと、楽しんで活動しているのです!本当にすごい人達です。尊敬しかありません。そんなすごさに、私は今まで気が付いていませんでした。自分も(または自分の方が?!)できるなんて、なんという傲慢!なんという慢心!!自分がその立場にならないと、本当のことは分かりませんでした。自分のできなさを認めたら、みんなの偉さが初めて見えてきました。そうすると不思議なことに、いろんな人から励ましや応援、そして心にしみるようなアドバイスをいただくようになりました。それがどれほど助けになったかわかりません。きっと周囲のみんなは変わっていないのでしょう。でも慢心した私には、そういう言葉は響かなかったし、沁みいる余地がなかったのでしょう。あらゆる意味で激動の一カ月を越えて、ようやく温かな春が始まろうとしています。あのまま、いつまでもできるふりを続けていたら、自分の作った嘘の自分を演じ続けていたら。そう思うと、本当に怖い。歯が立たない程のチャレンジは、私を裸にしてくれました。失うものなど何もないことに気づかせてくれたのです。ありがとうございました。チャレンジして本当に良かったです。
2013.03.01
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今日初めてのピアザ体験会を開催しました。2月20日の海老名を皮切りに、25日(月)そして昨日27日(水)の厚木での「多文化教育セミナー」が無事終わりました。そしてNPO多言語広場CELULASの多言語習得の活動を主軸にした、コミュニケーション力、人間力を育てる活動に興味を持って下さった方のために、今日から体験会を開催しています。これまでの一連の流れの中で、今日は一番大切なところと思っていましたが、やってみたら、一番楽しいところでもありました。やはり人と会うのは楽しい。それが自分が大切だと思っていることに共感してくれる人との出会いは、なおさら楽しいものですね。今日はそんな出会いがありました。そういう意味でとても楽しい一日でしたが、これまでの緊張と疲れがピークに達したのか、夕食後頭痛でソファーに横になってしまい、しばらく起きられませんでした。今日こそは、早く眠りたいと(もう12時過ぎましたが!)思います。でもどうしても書きとめておきたいことがあって、感動の冷めないうちに書いておきます。それは、私が厚木にセルラスのピアザを開設するために、たくさんのセルラスのメンバーがセミナーや体験会の会場に足を運んで応援してくれたことです。運営を手伝ってくれた方、セミナーの中で体験談を話してくれた方、留学生も手伝いに来てくれました。関西のメンバーからも、いろんなメッセージや参考になる資料をいただきました。厚木でコーディネーターをするのは、私一人ですが、でも私一人で厚木ピアザはできません。大勢の仲間が、応援して手伝ってくれるから、私でもなんとかセミナー開催や体験会を開くことができたのです。感謝でいっぱいです。全ての人に感謝していますが、体験談を話しに来てくれた二人のメンバーの方のことを、今日はどうしても書きとめておきたいと思います。一人は25日に、もうお一人は27日に、それぞれ「今、お子さんと一緒にセルラスに参加して感じていること」を話しててくれました。セルラスのユニークなところは、お子さんだけの習い事ではないところです。親子で一緒に活動に参加しているので、家で親子だけで向き合っている時とは違う親子関係が活動の中で築かれているようです。お一人は、小学校3年生のお嬢さんが、毎晩夜寝る前に一緒にロールプレイをするのを楽しみにしているというお母さん。お子さんに言われてはっとしたことを話してくれました。セルラスには先生はいません。みんなでストーリーのCDを使って、日本語のストーリーをロールプレイしたりシャドウイングを毎日15分続けたり、ピアザでシャドウイングしながらのロールプレイやCDなしでロールプレイをしたりしながら、一緒に言葉を育て身につけていきます。そうはいっても、長年「語学」「勉強」という感覚が身についてしまった大人には「正確な発音や意味が聞きたい」「正しい答えを教えてほしい」「早く喋れるようにしてほしい」というような気持が、なかなか消えません。ある時このお母さんが、なかなか聞き取れない部分を他の人に教えてもらって、家で小3のお嬢さんに得意になって教えてあげたそうです。「あのストーリーのあの部分は、○○○って言ってるんだってよ」するとお嬢さんは、とても迷惑そうな顔をして「なんで大人はそんなに発音とかどう言ってるかばっかり気にするの?私はそんなのいいから」あたかも自分は教えてもらう必要なんかない、自分で見つけると言っているようだったそうです。セルラスでは言葉は能動的に学ぶ中でしか身に着かないと考えますが、お母さんはこのお嬢さんの言葉から、「自分で探したい、見つけたい」という強い意志を感じたそうです。いつの間にかお嬢さんの中に能動的に学ぶ姿勢が育ってきているのかもしれないと話していらっしゃいました。親子の間でこんな風にお互いを見つめあうことって、なかなか難しいのではないでしょうか。親は圧倒的に子どもより経験値が高いし、世話をしているし、教えたり躾けなければならない立場です。でも言葉を育て見つける活動を一緒にすると、普段の親子関係とは違った関係が生まれるのではと、このお話を聞いて思いました。一人の人間としてお子さんを見て、その成長や変化に気づく時、お子さんに対して尊敬にも似た気持ちで接しているように思えたのです。もう一人の方も、小学校2年生のお嬢さんの変化を話していらっしゃいました。お子さんはそれまでとても内気で、人と話す時に「お母さん代わりに話して」というようなお子さんだったそうです。そんなお嬢さんが、ピアザの中でプレゼンテーションをして話した内容を言ってくれました。こんな内容だったそうです。セルラスの活動の中では、いつも「○○ちゃんはどう思った?」「○○ちゃんはどうしたい?」といつもコーディネーターから、自分の意見を聞かれる。そして意見を言うと、取り上げられて活動が変わっていく。そのうちに、今まで避けてきた苦手なことや失敗するかもしれないことがやればできるんじゃないか、やってみたいと思うようになった。それで苦手だった跳び箱を、先生から「6段を飛んでみましょう」と言われた時、やってみようと思い、やったら、飛ぶことができた。跳び箱とセルラス、一見関係ないようですが、このお嬢さんの中ではしっかりつながっていたのです。お嬢さんはセルラスのことを「セルラスは私のチャレンジの場だから辞めない。」と言っているそうです。内気だったというお嬢さんは、昨年末のセルラスのクリスマスパーティーでは、大学院生の留学生とペアで司会まで務めました。チャレンジして、そのチャレンジしたことをみんなに褒められて、どんどん自信をつけていったのでしょう。お母さんはご自分の変化にも触れて、以前は言葉をゲットするという感覚だったのが今は日本語ロールプレイでも、ただ楽しんでいいんだと思えるようになったそうです。日本語ロールプレイでみんなと遊べるようになってからの方が以前より断然韓国語が聞こえるようになり、言えるようになっていると自分の変化に驚いていました。ただ楽しむ。大人になるととても難しいことではないでしょうか。それをする意義や目に見える成果を求めがちで、楽しむことが目的ということってあまりない。けれど楽しんだ中にこそ、変化や学びがあるのではないでしょうか。楽しいという気持ちでしたこと以外は、身に着かないとさえ思えます。お二人の話しは、セルラスの活動の核となる部分「能動的な学び」「遊びの中に、楽しさの中でこそ身に着く言葉」がありました。その核を、ご自分とお子さんの体験から見つけ、それを言葉にしてくれました。こんな素敵な方達を仲間に持てた幸せ。そしてその人がはるばる都内から応援に駆けつけてくれたのですから、感激もひとしおです。やはり、新しいことへのチャレンジは、有形無形の様々な恵みを私に与えてくれ既にどれほどの宝を持っているかに気づかせてくれました。あの、一番苦しかった時の予感「やったことのないことにチャレンジできる機会があるのは幸せなことだ」と湧きあがってきた思いは、本物でした。チャレンジして本当に良かったです。こんな素晴らしい機会を与えてくれたセルラスに、そしてセルラスを作っている仲間のみんなに感謝でいっぱいです。ありがとうございました。
2013.02.28
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多文化教育セミナー「世界に通じる力を育てる」本日、厚木市文化会館にて無事、成功裏に開催されました!ここまで協力支援してくださった皆さんに心からお礼を申し上げます。昨日、準備を終えて眠る時心に湧きあがってきた思いはセミナーを楽しい時間にしたい。いらして下さった方に、楽しかった、面白かったと感じてもらいたい。そのためには、私が一番にセミナーを楽しもう。という思いでした。初めてのセミナー開催を前に、多言語での司会の挨拶がうまくできないとか限られた時間に必要なことをきちんとお伝えできないのではとずいぶん心配をしてきました。失敗することの恥ずかしさ。その恐怖から一歩も前に進めないような気持にもなりました。そこから抜け出ることができたのは、20日の海老名でのセミナーを終え自分の今のありったけでするしかないんだと、腹をくくった時から。すると今度は、挑戦することの楽しさが湧きあがってきたのです。いくつになっても、自分がしたことのないことにチャレンジできるのは幸せなことです。何よりこれからの人生を夫と暮らす、終の棲家と決めた厚木で『ことばと心の扉を開いて』(セルラスのオリジナルCDのストーリーの題ですが)語り合い活動していける仲間と出会えるかもしれないという期待が失敗への恐怖を超えました。今は必ず出会えるという確信に変わってきています。セルラスはこれまで都内や横浜、関西でも大阪、神戸など都市部で活動してきました。身近に、地方都市である厚木との地域性の違いを危ぶむ人もいました。多言語の習得活動を主軸にした、コミュニケーション力、人間力を育てるセルラスの活動は「違いは宝物」を合言葉に、誰とでも向き合える、どんな言葉にも耳を傾けることのできる人を育てるための環境づくりを目的にしています。この目的は、問いかければきっと響いてくれる人がいるに違いないと思いました。何より自分が楽しいと思い、活動を通して自分が変化し、新しい自分を発見したことに喜びを感じていれば、その気持ちは必ず届くのではないかと。セミナーが終わって、それは確信に変わりました。参加された多くの方が、セミナーの内容に共感したという感想を伝えてくださいました。28日(木)3月3日(日)7日(木)に開催する無料体験会にも申し込みをいただき思いが届いた手ごたえを感じました。残す最後の27日(水)の厚木市文化会館でのセミナーを終えると、そこから毎週の地域での活動厚木ピアザが始まります。(ピアザは広場の意味で、グループでの活動のことです。)何もないところに、小さな一歩でも、何かを始められること。どんなに大きな夢や希望を持っていても、何も始めなかった昨日の私からの大きな、おおきな変化であり、前進です。そして初めて自分で考えて中身を作る「仕事」を持つことになります。私はこれまで雇われて働いた経験しかありません。自由と責任の両方を負う働き方は、私にとってまた大きな挑戦です。まだまだ始まったばかりの赤ちゃんの歩みですが、それでも一歩だけ前に進むことができた気がします。挑戦の場を与えられた幸運に、そして全てのことに感謝しています。
2013.02.25
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つづくと書いたブログですが、本日は短めにいたします。というのも、明日は「多文化教育セミナー 世界に通じる力を育てる」を午前10時から厚木市文化会館で開催するからです。私は司会を務めるので、今日は一日中、司会の練習をしていたのですが内容に過不足なく、短い時間で語り、場面ばめんをつないでいく司会の役割というのはスピーチとはまた違った難しさがありますね。ストップウォッチをにらみながら練習していると、どうしても時間超過。相変わらず、「あー」とか「えーと」とか出てしまいますし。やっと前向きに練習できるようになったのは(遅すぎですが)20日の最初のセミナーが終わってから。それまでは、できないくせに、練習や準備に手がつかないという、困った精神状態でした。少しやると、「なんてできないんだ!」と怖れをなしてしまうんですね。今はやっと、どんなにできなくても、そこから始めるしかないし、少しでも練習して一歩でも半歩でも、前に進もうと思えるようになりました。もう後がない状態ですが……。明日と27日(水)は、同じ10時から12時に会場も同じ厚木市文化会館4階集会室でセミナーを開催します。NPO法人多言語広場CELULASが取り組む、多言語習得活動を軸にした、青少年育成、多文化共生社会の実現を可能にする環境作りについてお話します。私の住む町厚木でこのテーマに共感してくれる人達と出会えることが、本当に楽しみです。明日はどんな方達にお会いできるのでしょう。さて、今日は日付の変わる前に休むことにしたいと思います。新しいことに挑戦できる幸せをかみしめつつ……。
2013.02.24
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ちょうど先月の22日にブログに投稿したのを最後に、更新が途絶えておりました。発信ということの意味を感じて、毎日何かしら発信し続けようと思った矢先に、更新が途絶えると言う……。まあ、私らしいといえば、とてもわたしらしい。何かしようと決めると、肩に力が入ってどこかで無理してしまうんですね。そして自分の中に「理想の」自分を描いて、それに向かって進もうと自分に叱咤激励。返す刀で、現実の自分を「不足」「未熟」「このままじゃダメ」と否定してしまうのであっという間に苦しくなって息が切れてしまう・・・。何度同じことを繰り返してきたでしょう。学ばない人間です。自分の駄目さ加減がわかるほど、周りの素晴らしい人達に目が行きます。またこの素晴らしい人達が、私の周りにはたくさんいるんです。ありがたいことに!啄木ではないけれど「人がみな、我より偉く見える日ぞ」という気持になってしまいます。すると発信しようとすること全部が、自分を良く見せようとする偽りに感じ、発信できなくなる。この流れ、悪循環をこれまでずっと繰り返してきました。またかと思いましたが、今回はなんだかいつもと様子が違います。今までと違うことが起きました。一番苦しかった時に今まで聞いたことのない声が聞こえてきたのです。それはこんな声でした。「自信を失い自分を見つめなおすチャンスがあるなんて、私は恵まれているなあ」「やったことのないことにチャレンジするから不安なんだ。新しいことに挑戦できるなんて幸運な人生だ」不思議な感覚でした。一方で苦しい気持ちを味わいながら、どこかでそれをありがたいと感じていたのです。何に挑戦していたのか。NPO多言語広場CELULAS主催の多文化教育セミナーを私の住む地元で開催するという挑戦でした。初めてのセミナーは、2月20日(水)海老名市文化会館で開催されました。昨年秋から開催準備を始め、直前まで、結構うまくやれそうな気がしていたのです。まさか自分がこんなに自信をなくして、眠れない日々を過ごすとは思っても見ませんでした。つづく
2013.02.22
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【イベント情報】 渋谷大盛堂書店にて、2/1(金)19:00 ~ 『ステキな外国人に恋したら、英語がペラペラになりました』総合法令出版 出版記念イベント(無料)→ http://taiseido.co.jp/sbd20130201.html 本のソムリエ団長とヨーク水砂子・出版記念トークショー&サイン会(無料) *タイトルはぶっ飛んでいますが、初心者の方もすぐに使っていただける 実用的な例文満載。マンガで楽しくフレーズのニュアンスをつかんでいただけます。 また、会話の壁になりがちな慣習の違い、考え方の違いもコラムにて解説。 マンガで楽しく、コラムで納得の「コミュニケーション」のための英語本です。 トークショーでは皆さんが英語と楽しくつきあっていただけるヒントをお伝えする予定。 【参加者にもれなくプレゼント】 ご参加いただいた方には、すぐに使える自然な英語例文を たっぷり集めた小冊子をプレゼントさせていただきます。 お誕生日の一言、お礼の一言、励ましに使える名言集など、 Twitter や Facebook、その他 SNS、英文メールなどにご活用ください! 無料イベント詳細はこちらからから→ http://taiseido.co.jp/sbd20130201.html
2013.01.22
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こんなささやかなブログでも、書いているってことは、何かを発信していることです。考えているだけ、周囲に語っているだけと、公に何かを発信するのとは大きな違いがあると思います。発信したことは、その時点で私の手を離れます。一人歩きを始めるのです。良かれ悪しかれ、その後のことは、受け取る人にお任せするしかありません。 直接反応が返ってくることもあれば誰かの目に届いても、そのまま通り抜けることもあるでしょう。心に留めてくれる人もいるし、何も残らない人もいるでしょう。その結果をコントロールすることはできません。思いがけない好意的な反応が返ってきたときには、心躍る思いもします。どんなに気をつけても、快くない思いをさせてしまったら、お詫びするしかありません。発信することには、責任が伴います。 でもささやかでも続けることが、確実に何か変化を起こしている気がします。自分の内面にも、そして人とのつながりにも。変化は面白いです。さきが読めないほど、なんだかわくわくします。人生に起きる変化を楽しみながらささやかな発信を続けていきたいと思います。
2013.01.16
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厚木では、雪はほとんど積もらなかったので、通常の時間に家を出ました。定例の火曜午前の横浜ピアザの日だったので、横浜駅近くの会場で10時半からピアザが始まります。朝冷え込んだせいで、日陰は道がツルツルに凍っていて歩くのに注意が必要でした。バス停に着くと、いつもより大勢の人が待っていました。家から15分くらいのバス停ですが、平日の朝は5分おきにバスがくるので、いつも利用しています。ところがこの日は待てど暮らせどバスは来ず・・・。結局40分以上待ってやっと一台やってきました。道路状況が大混乱していることが、バスの運転手さんのアナウンスでわかりました。そのときはバスに乗りさえすれば、駅までは通常の時間でいけると思っていました。けれど、15分ほど走った後、バスは渋滞で止まってしまい、全く動かなくなりました。バスの中からメールで「バスが動かず大幅に遅れますが、なんとか会場までは行くつもりでいます」と連絡しました。 何人もの人がバスを降りて、歩き始めました。止まっていたのは、駅までは歩いて30分近くある場所でした。動くかもしれないと思うと、なかなかあきらめ切れませんでしたが、一時間近く止まったまま全く動く気配がなかったので、私も降りて歩くことにしました。その時点ではもしも電車に乗ったとしても、横浜に着くのは終了まで30分くらいしかなかったと思います。メールでの連絡に、コーディネーターのちーちゃんから「今日は無理しないでね。他にもお休みの人がいますよ」の返事。夫からは、「今日は横浜はやめて、教育委員会にセミナーのちらしを持って行く用事を先に済ませたら」というメールも入りました。この日午後に教育委員会にアポを取ってあって、小学校配布用のセミナーちらしを持っていくことになっていたのです。市役所まではそこから15分ほど。そこから歩いて家に引き返せば1時間はかかります。そこで市役所に行き、夫がちらしを積んで車で迎えに来てくれるのを待つことにしました。程なくして、夫が到着。道を選んだので、そんなに混まなかったようでした。12時を少し過ぎましたが、教育委員会の方に無事ちらしを受け取ってもらうことができました。帰宅途中で、ランチを食べようと、ギャラリーカフェ「ゆい」に寄りました。手工芸や絵、陶芸など、色々な作家さんの作品を展示即売しているカフェです。ステンドグラス教室や落語などのイベントも時々開催しています。ここのランチは家庭的で、お野菜たっぷり、デザートとコーヒーがついて千円でお得なのです。ゆいの女主人のOさんは、夫の中学の同級生です。地元の知り合いがこんなにおしゃれなカフェをしているので、夫は最初びっくりしていました。Oさんがはの顔を見ると「もう『市民かわら版』に講演会の告知記事を頼んだの?」と聞いてきました。ここの常連の従兄弟の奥さんYさんが、私がセミナーの準備をしていて、告知記事を載せる広報媒体を探していると聞いたのだそうです。月1回発行の『市民かわら版』は、無料のイベント告知欄があるのでYさんからも勧められていました。「まだなんです。今日にも依頼の電話をしてみようと思っています」するとOさんは「私も今イベントの告知を一件電話で頼むから、一緒に頼んであげるわよ」と編集長に電話をかけてくれました。Oさんは年に2回広告も出しているので、イベント告知は無料でできるのです。そしてありがたいことに、私のセミナー情報も掲載をお願いできました。 雪の影響で予定外の展開になったこの日。人の縁のつながりで、告知記事の掲載をお願いすることが出来ました。私の周囲には、なんと優しい人たちが沢山いるのでしょう。ありがたい縁がつながっています。自分のやろうとしていることに、応援をもらったような気がしました。
2013.01.15
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14日の成人の日は、夫の高校の同級生6人が我が家に来てくれました。最近38年ぶりに高校の同窓会をしたばかりの夫たち。なんと卒業以来一度も同窓会をしていなかったそうで、38年ぶりの再会だったとは驚きました。ちょうど地元に帰ってきた年にその同窓会があったのは幸運でした。常々夫は運の良い人だと思うのですが、たくさんの地元の友達と会い旧交を温める良い機会になったようです。 ところでこの地域では、家を新築すると「家見(いえみ)」と言って、家に人を呼びご馳走を振舞う習慣があります。同窓会のとき「いつ家見に呼んでくれるんだ?」と友達から言われそれではと、皆さんを我が家に招待することにしたのでした。皆さんに声をかけて取りまとめてくれたのは、建築事務所を開いているSさんでした。建築士のSさんは、実は我が家のリフォームを依頼する候補として、提案をいただいた3社のうちのお一人でした。最終的にSさんにはお願いしなかったのですが、今でも夫がこの地域に馴染めるよう、何かと気にかけてくださいます。 そのSさんが同窓生に声をかけてくれて、この日6人もの友達が我が家に集まってくれたのでした。みんな地元に根を張って第一線で活躍している経営者や歯科医など多様な職業の方達なので、話しも多様で面白かったです。 Sさんはこの日、お知り合いのご夫婦にも声をかけてくれて、親しく付き合ったらいいよ、と紹介してくれました。奥様はイタリア留学して声楽を習い、ご主人も一緒にイタリアに数ヶ月滞在したことがあるという仲の良いご夫婦でした。イタリア人留学生が家にホームステイしたこともあり、その子の結婚式に参列しにイタリアまで出かけたそうです。Sさんは、私に会わせようとこちらのご夫婦を連れてきてくれたのだとか。 夫は地元だから良いけれど、私が友達がいなくて寂しいのではと心配してくれたのでした。「彼らは都内にも美味しいものを食べによく行くから、誘い合って出かけたら」と、なんとも優しい心遣いでした。夫は「その心配は要らないよ。都内には、一人でいくらでも出かけてるから」と笑っていましたが。 この日のワイン、ビール、日本酒そしてシャンパンもSさんが用意してくれました。シャンパン、ワイン、ビールはほぼ完売。用意したお料理もほとんど平らげてくれて、気持ちよかったです。降りだした雪にもかかわらず、5時間以上、話に花が咲き、盛り上がりました。総勢8人の食事会でしたが、お酒も食事もおしゃべりも楽しく、良い同窓会になりました。お客様がいらっしゃるのを、なんだか我が家も喜んでいるような気がします。
2013.01.14
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13日(日)午後4時から、自治会のどんど焼きがありました。私もお団子を作って、正月飾りとともに焼くために、会場に持って行きました。 お団子は米粉で作ります。先日近所の伯母が米粉を挽いたのを持ってきてくれて、どんど焼きのことや、お団子の作り方を教えてくれました。お正月で89歳になった伯母はとても元気で、畑仕事に精を出し、一年中食べる野菜を全部作っています。手作りのこんにゃくや切干大根、梅干などの保存食、落花生や胡麻など、いつも我が家に届けてくれます。伯母のおかげでどれだけ我が家の食卓が豊かになっているか。家で作っていない野菜の里芋や大根もたくさんもらいました。 一昨日、伯母が「だんごをつくりなさい」と米粉を持ってきてくれたとき私が作ったことがないというと、一緒に台所に立って作りかたを教えてくれたのです。3カップくらいの粉に熱湯を入れて、最初は菜ばしで混ぜ、ある程度になったら手でこねて、まとまったらお団子を作るだけなのですが蒸かしたてのお団子の甘いこと!砂糖は全く入っていないのに、甘くて美味しいんです。蒸かした手のお団子を伯母と一緒に食べながら、この地域の昔の話をいろいろ聞きました。まるで日本の歴史をカラー写真で見せられているような気がしました。13日は4時から近くの田んぼでどんど焼きがあると回覧板のお知らせが回っていたので自治会の催しは全て出る我が家では、夫と2人お団子を持って焼きに行きました。 結構な人が集まっていて、自治会からお菓子やみかんのお振る舞いもあり賑やかでした。竹のさおの先に金属製の網のかごをつけてお団子を焼く人たちもいて子ども達も沢山来て、楽しそうに焼けるのを待っていました。夫は庭先から切り出した竹の先に針金をつけ、それにお団子を刺してどんど焼きの火にかざして焼きました。蒸かしたお団子も美味しいけれど、焼いた団子はまた別の美味しさがあり2人で香ばしく焼けたお団子をあっという間に食べてしまいました。 「しばらく会わなかったわね」盆踊りやお祭りの時顔見知りになったおばさんたちが声をかけてくれました。お正月の行事や家でするお供えやお飾りのことなど、それぞれの家の様子を話してくれて、興味深かったです。あるお家では、お正月は神様を祭るそうで、三が日は神棚にお雑煮を備え、七日は餅入りの七草粥を、鏡開きの11日には、お餅入ったお汁粉を供えるそうです。「それでお正月は終わりなのよ」嫁いできてから何十年と繰り返しているお正月のしきたりなのでしょう。 こんな暮らしが生きている土地に住むことができて、それを大切にしている人と話すことが出来るのは日本を知る上でも、とても幸運なことだと思います。私はそれを子どもたちに伝える役目なのかなと思うようになりました。
2013.01.13
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ブログの名前を変えました。 子どもの頃から、ことばが大好きで、読むこと、書くこと、話すこと、そして聞くことを楽しんできました。セルラスで多言語を学びながら、ことばの芽を仲間の中でそだてる活動をしています。カプラン(現フォワード)では発信力のある英語を身に着けたいと願うようになりハピネス心理学では、誰もが勇気づけることば、励ましのことばを望んでいることを学びそんなことばを伝えられる人になりたいと思うようになりました。 ことばがつたえるもの。ことばがつなぐもの。ことばがひらくもの。そして、ことばがはぐくむもの。 ことばには不思議な力があり、尽きせぬ魅力があります。ことばの力を見つけたい。育て、そして伝えたい。ことばとともに生きていきたい。昨年から、自分のミッションとして強く意識するようになりました。 昨年10月から、日本児童文学者協会主催の「創作教室」に参加しています。月2回、隔週土曜日の創作教室では、参加者が自分の書いた作品を持ち寄り作家の先生が講師として一人加わり、提出された作品の合評をします。12日(土)も午後2時からこの創作教室が神楽坂の児童文学者協会のオフィスでありました。第一回目を休んだので(それはカプランのレシテーションコンテストの日でした)今回が6回目の参加でした。児童文学を書きたいというのは子どもの頃からの夢でしたが、今まで作品を書いたことはありません。投稿したことどころか、一度も作品を完成させたことがありません。書くのが怖かったのです。書けないことがわかるのが、書いても全然ダメだとわかるのが怖かったのだと思います。でもこの教室に出て初めて、自分の作品を完成して提出することが出来ました。作品などとはとても言えないような、原稿用紙にして10枚程度に、私の子どもの頃の思い出を書いただけ。12日には創作教室に三回目の作品を提出し、みなさんの感想を聞くことが出来ました。酷評あり、好意的な感想あり。どちらにしても、人に読んでもらえるのはありがたいことです。 うれしかったのは、1回目よりも確実に作品が良くなっていると言われたことでした。「やっぱり書くことなんだね。最初からしたら、随分良くなった」と言われました。 やっぱり書くことなんですね。書かないで「できない」「怖い」「私なんか・・・・・・・」と言っていても、何も変わりません。書くことでしか、書けるようにはならないのです。そして講師として参加されている作家の先生のことばが、心に残りました。「うまい文章を書こうとか、構成がどうとかは、後でいいのです。まずは、何を書くかが一番大事。児童文学は、どんな困難な状況の中にいる子どもでも、希望を持って生きられる。子どもたちへの励ましのメッセージだと私は思っています。何を子どもたちに伝えたいのか。手に負えないほどのテーマを選んでいいのです。何年もかかって一つの作品にするのでもかまいません。本当に書きたいことを選べば、技術は後からついてきます」 本当に書きたいことを見つけて、それが子どもたちへの応援メッセージになれば。願いを形にしたいと思います。ことばとともに。
2013.01.12
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厚木市の広報、1月15日号のイベント告知欄、「まちかど伝言板」に25日(月)と27日(水)開催の「多文化教育セミナー 世界に通じる力を育てる」の告知が掲載されました。イベント名、場所、時間だけの内容でしたが、ありがたいことにこの日お二人の方がセミナー参加申し込みの電話をくださいました。一人の方は事務所の留守番電話にメッセージを残してくださったので私の方から折り返しの電話をし、直接お話しました。「世界に通じる力を育てる」という内容に興味を持ってくださったその女性はご友人も誘ってみると言ってくださいました。お礼と詳細をお知らせするためにちらしをお送りするとお伝えし、受話器を置いた後リビングを飛び跳ねながら「ヤッター、ヤッター!」と叫んでしまいました。申し込み第一号ってこんなにうれしいものなんですね。この感動は一生忘れないと思います。飛び跳ねている私を見て、夫が笑っていました。たった一人でも興味を持ってきてくださる方がいるのです!誰も来ないかもしれない、という不安はひとまず消えました。来ていただいた方の期待に応えられる内容をお伝えしたい。今度はそちらの気持ちがぐっと強まりました。一つひとつ、経験するごとに、違った感情を味わいます。これからどんな気持ちになっていくのか、自分のことながら楽しみです。
2013.01.11
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「多文化教育セミナー 世界に通じる力を育てる」を海老名市と厚木市で開催する準備をしています。10日(木)この日は、一日セルラス事務所に行き、広報のための依頼状送付作業をしていました。依頼状の送り先は、海老名市、厚木市両市の幼稚園と学童保育。セミナーのちらしと、施設内での配布ポスター掲示など依頼しました。簡単に終わるかと思った事務作業、結局夕方までかかってしまい郵送が終わったのは午後6時近くでした。来週は各園に電話をかけて、依頼状のフォローをする予定です。他のコーディネーターの方や事務所のスタッフの方も一緒にやってくれるので、ありがたいです。 新宿の事務所で一日働いたので、この日の帰りは久々に9時近くになってしまいました。帰宅時の電車でちょっと疲れを感じたので、みんなもそうだったのかなと思い昨年7月からピアザを開設した芦屋の先輩コーディネーターにラインでメッセージを送りました。するとその返信で「お疲れ様です。準備大変ですよね。私もあの時は記憶が飛んでしまうほど大変でしたが、おかげでよい出会いに恵まれ今は良い仲間とピアザの活動を楽しんでいます。」とのこと。記憶が飛ぶほど、と聞いてびっくりしました!だったら私なんてまだまだ余裕です。芦屋ピアザは、昨年訪問しましたが、本当に楽しいピアザでした。お母さんと子どもたちがみんなやる気いっぱいで、自分たちで活動を作っているのが感じられました。あんなピアザが作りたいと思っていたけれどそのためには、相当の事前準備をしていたのですね。人事を尽くして天命を待つ、といえるように、できることはやり、悔いなくセミナー当日を迎えたいです。
2013.01.10
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「多文化教育セミナー 世界に通じる力を育てる」を海老名市と厚木市で開催する準備をしています。9日(水)、この日は、海老名市のコミュニティーセンターなどを回りポスターの掲示とちらしを置いていただけるよう、依頼してきました。両市とも教育委員会から後援をいただいていますが、応対はそれぞれでした。厚木市では市の交換便を利用して全公民館、児童館にポスターとちらしを配布していただけました。海老名市では、自分で直接コミュニティーセンターに持ち込んで依頼するようにという指示でした。それでこの日、地図を見ながら市内に12あるコミュニティーセンターと市民活動サポートセンターや図書館など、他の公共施設にポスターとちらしを持って出かけました。依頼文書の作成やポスター作りなどは自分ひとりでも出来ましたが公共施設の場所を探しながら車を運転し、依頼して回るのは一人では大変なので夫に頼んだら、彼が車の運転を引き受けてくれました。ナビゲーションシステムってありがたいですねえ。彼がそれぞれのコミュニティーセンターの住所をナビに入力し運転して探し当て、私が受付にポスター掲示の依頼に行っている間に夫は駐車場で次の住所をナビに入力し行き方を確認していました。二人で回っても半日以上かかりましたから、一人だったら一日では終わらなかったでしょう。今回のセミナー開催とピアザ開設準備に、夫は驚くほど協力的で、どちらかと言うとお尻を叩いてくれています。昨年暮れには、厚木市の公民館、児童館以外の公共施設を回ったのですが疲れてくると「もうこのくらいでいいかな。」と挫けそうになる私に「出来るところは全部回ったほうがいいよ。」と夫の方がねばり腰でした。夫の協力のおかげで、両市の公共施設への告知依頼は、ほぼ終了しました。夫がこんなに協力してくれると、逆にもう後には引けない気持ちになります。(笑)家族の理解と実質的な協力が、活動を始める前から得られていることはこれからピアザを運営して行く上でも心強い限りです。 是非成功させて、この協力に報いたいです。
2013.01.09
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暮れに我が家に泊まっていたやんやんに私のスティーブ ジョブスのスピーチの暗唱をきいてもらいました。やんやんは、英語も良くできます。「四月に聞かせてもらった時より、ずっと良くなりましたね」「スティーブ ジョブスになったみたいに、楽しそうにスピーチしてますね」とやんやん。英語の発音も大分良くなりました、と前置きした後、面白いアドバイスをもらいました。舌が緊張している、というのです。私はRやL、THの発音に苦手意識がありその発音を意識するあまり、SをTHと発音したりLをRと発音してしまうことがあります。確かに苦手な発音のところで、舌が緊張しています!中国語にも日本語にない発音があるそうで日本人はそれを意識するあまり、その発音に近い音を全部できるようになった中国語の発音に変えてしまうことがよくあるのだそうです。 やんやんのアドバイスは「舌をだらだらに緩めてリラックスする」でした。舌に力が入るのを意識して、だらだらに緩めてみると、不思議なことに意識しすぎての発音間違いがあまり出なくなりました。 カプラン在学中にネイティブの先生に発音のことを相談したことがあります。どうしたらL と R の音が間違いなく発音できるようになるだろうと。「意識しなくて出来るようになること。例えば靴紐を結ぶとき、誰もどうやって結ぼうかと考えないでしょう。」これもハッとするアドバイスでした。意識しなくてもできるようになるためには、数多く練習し考えなくてもその動きができるようにしなければなりません。 緊張しない。意識して力を入れすぎない。発音だけではなく、あらゆることに有効な考え方の気がします。 リラックスは、今年のキーワードかもしれません。
2013.01.08
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7日(月)はセルラスの新年初のコーディネーターミーティングでした。私はまだピアザを持っていないので正式なコーディネーターではありませんが今年一年セルラスがどんな活動をしていくのか話し合う機会に参加できコーディネーターとして自分もピアザを作り活動をしていく自覚が高まりました。 地域にピアザを作って活動していく。それはセルラスで「ことば」を育て、それを通じて「人」を育てる事業の一翼を担うことです。 セルラス全体がこれから何を目指し、そのために何をするのか理解しなければ地域での活動は糸の切れたたこのようになってしまいます。 新年最初のコーディネーターミーティングは、それを理解する場になりました。 では、今年何をしていくのか。今年も、希望するメンバーとコーディネーター全員による拡大コーディネーター研修が関東、関西のセルラス全体で一斉に行われます。取り組むストーリーは、韓国語の『犬と赤ちゃんとともに』今までのシャドウイングやシャドウイングロールプレイ、韓国語でのロールプレイに加えてこのストーリーの日本語でのロールプレイを徹底的にします。そしてこれまでは、研修会と各ピアザでの活動は連動しませんでしたが今年は関東も関西も全てのピアザが、研修と同じストーリーに一緒に取り組みます。ですからこの期間は、全国どこのピアザを訪問しても、すぐ活動に参加できるのです。 私が所属している横浜ピアザでは、「芦屋ピアザに行って見たい!」という声も出ています。 なぜ日本語ロールプレイを徹底的にするのか。 それは、あることばなりフレーズが使えるようになる時にはそのことばが機能した場面とそこから生まれる感情がありありと共有されています。ご飯を食べて「美味しいねえ!」と言ったり、どこかに足をぶつけて「痛い!」といったりするのはわかり易い例です。 知らなかったことばがすとんと腑に落ち、自分も使おうと思うとき、この場面と感情の共有が、必ず起きています。私の経験でも、同じようなことがありました。遊びに来るはずだった友達が熱を出して来られなくなり、それをホストファミリーに伝えたときいかにも残念そうに 「It's a shame!」といわれたことがありました。そのときの相手の残念そうな表情とその言い方は、とても印象的で以来期待していたことが叶わないような残念な場面では、すぐにこの「It's a shame!」 を、その時聞いたのと同じ言い方で言うようになりました。 日本語ロールプレイを徹底的にして、その後韓国語のシャドウイングやロールプレイで場面と感情に韓国語の音が乗った時、同じ現象が起きるのではないか。この実験はそれをピアザの中で起こそうとするものなのです。決して韓国語と日本語を対訳で覚えるためではありません。 そしてもうひとつ、実験で目指すのは、一緒にロールプレイすることで場面や感情を共有しできる人間関係作りです。同じ体験、そこから感じた感情とそこで発することばを共有することでピアザの仲間ともっと深く知り合い、心を開き、共有したことばが自然に使いあえる。これがセルラスが目指している言語場作りです。ピアザをこういう言語場にしていきたい。理事長はミーティングの中で「日本語ロールプレイを単なる言語習得の技術論にしない」といいました。ピアザがどんな外国語も自由に自然に使い合える場になるための今回の研修であり、実験なのだと確認しあいました。 外国語を使えるようになるために、日本語ロールプレイという前代未聞の発想。これがどんな結果を生むのか、かなりわくわくしています。地域の人たちに、セルラスの活動を知ってもらうための多文化教育セミナー「世界に通じる力を育てる」というテーマの講演会を海老名市文化会館で2月20日(水)、厚木市文化会館では2月25日(月)、27日(水)に予定しています。 講演に共感してくれた方が活動に参加してくれるようになれば、私がコーディネートするピアザが3月から始まります。この実験に一緒に取り組む仲間が出来たら、と思うと胸が弾みます。 楽しみな、たのしみな、セルラス新年事始めになりました。
2013.01.07
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昨日は朝9時半に下田の実家を出たのに、湯河原の有料道路が大渋滞で全く動かず結局車中に7時間余りで、帰宅は5時半近くになりました。3日の夕方帰省したときは、一般道だけを使っても3時間で下田に着いたので帰りも大丈夫だろうと、高速を使わなかったのが間違いでした。連休最後の土曜日の朝、9時半に下田を出るのでは遅すぎたようです。20年も車を持たない生活をしたので、すっかり勘が鈍っていました。 帰宅後すぐに、歩いて15分のお寺に義母のお墓参りにいきました。義母の4回目の命日でした。親戚の叔母がお参りしてくれたようで、新しいお花が上がっていました。平塚に住むこの叔母は、仏事にとても熱心な人で実家である夫の家(本家)の家族の命日に、欠かさずお参りしてくれます。12月21日の義兄の命日にも、お参りし我が家を訪ねてくれました。 今回はそれもあったので、叔母が来るであろう5日の午後に帰宅しようとしたのですが、渋滞に阻まれました。 こういう風に当初意図していたことが出来なかったとき以前なら叔母の期待に応えられなかったことを、長く悔やんだものですが最近は「そうなることになっていたんだ」と思うようしています。いくら努力しても変え様のない、目に見えない流れのようなものがあって思いがけずスムーズにことが運ぶこともあればなんとしても、意図した通りにはことが進まないこともあります。 人はそれを運命と言うのでしょう。人の手には負えないことです。だから結果がどうあれ、それしかなかったんだと思うようになりました。結果は悔やんでも変えられないので、そのまま受け入れることにしたのです。 とは言っても、長いこと「人の期待」に応えることでなんとか、自分に価値を見出してきたので応えられない「ダメな自分」をすぐ責め始めます。そしてしばらく苦しんで、ふと我に返ります。「ところで誰が期待してるんだっけ?」そして自分が作っただけだと気づくのです。 暗誦の練習に取り組んでいるスティーブ・ジョブスのスピーチにも「他者からの期待のために生きるのではなく、自分の心の声に従おう」というフレーズが、何度も繰り返し出てきます。洋の東西を問わず、人は期待に応えたいと願うものなのですね。「人の期待」に注意を集中してしまうと、そのために自分を偽るようになり応えたい相手の顔色を伺い、自分に心の声があることなど忘れてしまいます。 随分長いこと人の期待に応えようと生きてきました。そろそろ心の声に耳を傾けないと、声を忘れてしまいます。悔やんだり、自分を責めたくなったら立ち止まって心の声を聞く練習を始めようと思います。 まだなかなかうまく聞こえませんが、起きることを素直に受け入れることが、大切な練習です。
2013.01.06
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今母の家を後にして来ました。 これは昨日の朝散歩した鍋田浜。厚い雲から日がさして、幻想的でした。 こちらは、今朝帰宅途中の伊豆白浜海岸。 風が強く、寒かったですが、空気は冴え渡り、伊豆七島が全て見えました。 珍しいことで、私も初めてかもしれません。 それよりもっと珍しかったのは、出がけの母のことば。 「私ができないことをやってもらって、本当に嬉しかった。ありがとう」 昨日夫は、伸び放題の庭木を剪定しました。 私は母に頼まれて、カーテンを洗いました。 母の部屋のカーテンを外した時、窓際にうず高くつまれた、畳んだ段ボールに気がつきました。 ゴミの収集に出せず、溜まりにたまってしまったのでしょう。 夫に話すと、「いつか使えると思って捨てられないかもしれないから、使うからもらいたい、と言ってごらん。持って帰って出せばいいから。」 このことば、すごい効果を発揮しました。 母は朝私が取りに行く前に、部屋にあった段ボールをまとめて出してありました。 本当は、出したかったんだなあと思いました。 私が車に積むように玄関に持って行ったら、知らないうちに台所にあった段ボールも、一緒に出されてました。笑! そして、夫と二人で、ご馳走のお礼と挨拶をして帰ろうとした時、その言葉が舞い降りて来たのです。 「私ができないことをやってもらって、本当に嬉しかった。ありがとう」 私たちが掃除や庭仕事をすると、いつも 「休みに来たのに、そんなことしないでいいのに」 と不満そうな母でした。 人はいくつになっても、変わるんですね! 今までもらったなかで、一番嬉しいお年玉でした。
2013.01.05
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昨夜から下田の実家に帰省しています。 と言っても、明日朝には帰宅します。 今回の帰省は、二泊三日。 それも三日の夜着いて、五日の朝には帰宅します。 なぜこんなに滞在が短いかというと 今年が夫の実家で迎える最初のお正月なので 本家ということもあり、三が日は来客があるかもしれない。 また、五日は義母の命日なので 家にいた方が良いだろうというのが夫の意見でした。 これが表向きの理由。 本当は、いつもあまりにも片付いていない私の実家が、居心地悪いのだと思います。 独身で糖尿病のある62歳の兄と、88歳の母が二人で暮らす実家には 残念ながら片付けや掃除をする人はいまはせん。 だから行くと一日は掃除をすることになります。 そうしないと、眠る場所も確保できません。 庭木の剪定も兄は全くやらないので 夫は今回、ノコギリなとの道具を一式持って来ました。 今年も帰省したのは、6人いる兄弟の中で、私たち夫婦だけ。 母も兄も寂しいこととは思いますが、 まさか片付いていないことがみんなの足を遠ざけているとは 夢にも思っていないでしょう。 不用品であふれていても、埃が厚く積もっていても 長くその中で暮らしていると、なんとも思わなくなるものです。 母は料理が大好きです。 金目やマグロの刺身、アワビに似たトコブシや伊勢海老の煮付けも お節料理も美味しく、たくさん作ってくれました。 女性は、料理か、掃除のどちらかが得意だそうですが 母は圧倒的に料理です。 厚木に越して、都内からよりずっと近くなったのに 11月からは仕事も辞めて時間もできたのに 私もなかなか足が向きませんでした。 でも来ると、もっと片付けを助けてあげたいと本当に思います。 少しでも楽に心地よく過ごしてもらいたいと。 幸いこれからは、私ひとりでも、運転して帰ることができます。 これからは月一回は来ようと決心しました。 新年の抱負ですね。
2013.01.05
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生まれた国や話す言葉、年齢や育った環境が違う人と、友達になるのはなぜなのでしょう。 先日来、メールのやりとりをしているイボンヌは、メールの中でこんなことを言っていました。 「私は日本の伝統的な食文化や仏教の瞑想(座禅?)にも、とても興味があります。 でもこんなことを話せる人は、身近には誰もいません。 周囲はライフスタイルについて、強い固定観念があり、私がこんなことに興味を持っていることを変に思うでしよう。」 彼女はチリの私学の英語の先生です。 社会の一員として相応の役割を果たし、生活を楽しみながらも、どこか心の底に満たされないものを持っているのでしょうか。 考えてみれば、私が親しくなる留学生たちも、自分の国から飛び出して、違う環境、言語や文化から多くのものを学んでいます。 彼らは、世界のどこに行っても通用する力を持ち、同時に自分の国を深く愛しています。 自分が持っている、または始めからあるもだけに満足せず、違う世界、言葉や文化に惹かれる。 私が友達になるのは、そういう人たちなのだと思います。 外見や立場、条件が、どんなにちがっていても、どこか同じ興味や好奇心を持っている。 出会って数分で意気投合し、また昔からの知り合いのようになってしまう。 魂の近さを感じます。 出会いの妙、縁の不思議です。
2013.01.04
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やんやんは、午後帰って行きました。明日から広島旅行だそうです。子どもの居ない我が家にとって、お正月はいつでも2人で過ごすか、実家に帰るものでした。やんやんが来てくれて、年の瀬とお正月を一緒に過ごすことができ、若い人が一緒にいる幸せを初めて味わいました。夫もとても幸せそうでした。やんやんは話をよく聞いてくれるので、私に話すより、ずっとうれしかったろうと思います。駅まで送って行ってさよならをする時に「いつでもまた帰っておいで」と言っていました。人の出会いって不思議だと、つくづく思います。生まれ育った国も違い、年齢も親子ほど違うのに、何か大切なものを共有できる友人。ありがたいことに、私はそういう縁に恵まれています。そういう出会いがまた、新しい世界に自分を向かわせてくれるきっかけや原動力にもなっています。 25日のクリスマスの日、新しく友人になった女性がいます。といっても実際に会ったことはなく、私と同じイギリスのホストファミリーの家に、以前滞在したことのあるチリ人の英語の先生なのです。写真を見せてくれたり、クリスマスカードが来ていたので、彼女、イボンヌのことは以前から知ってはいました。ところが先日facebookでホストファミリー2人との京都旅行の写真にコメントしていました。それで友達申請をしたら、日本に以前から興味があったということで、日本人と英語で話し合えることをとても喜んでくれました。 「あなたは、今年一番のクリスマスプレゼント」そういって喜んでくれたのですが、それ以来facubookのコメントを英語で書いてねとの催促が来るので、日本語と英語でコメントするようになりました。小さなことですが、英語で自分の日常を発信するのは、面白いです。反応もいろんな人から帰ってくるようになりました。 小さな出会いが、少しずつ人生を広げ、変えて生きます。そんな出会いや縁を感謝しつつ、楽しんでいきたいと思います。
2013.01.02
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初めて迎える厚木での新年。暮れからやんやんが泊まりに来ています。やんやんはこの4月まで大学で研究をしていましたが、春から法律事務所で働いています。日本では年末年始の連休ですが、中国は旧正月を祝うので、年末年始は帰国しないそうです。やんやんが我が家で年越し、お正月を一緒に過ごすことにした理由はこうです。私たち夫婦にとっても今回の暮れと正月は厚木の実家で迎える初めてのお正月です。当初はやんやんと一緒に旅行でもしようかと言っていたのですが実家で迎える初めての正月なので、三が日はどこにも出かけないことにしたため やんやんに我が家に来るか聞いたところ、彼女も泊まりに来たいということで年末年始を一緒に過ごすことになりました。 やんやんは、私とおせち料理を作るのを楽しみにそして初めて日本の家庭でお正月を迎えるのを楽しみにしていました。 私はやんやんと春節の春巻きや野菜肉まんを一緒に作るのを楽しみにし娘が実家に帰省するのを待つ親のような気持ちで、お正月を迎えました。 やんやんが「喜んでくれるといいな」とおせち料理を作っていると、本当に幸せで私の母も毎年こんな気持ちで私を待っていたのだろうかと思いました。 昨日はやんやんが作ってくれた春巻きを、近所の伯母の家や従兄弟の家族のところに届けました。88歳の伯母に夫が春巻きを持っていくと「その人は日本語わかるの?」「中国の人はみんな春巻きを自分で作るの?」などと、驚いて聞いていたそうです。なんともほほえましい。その後「とても美味しかったから、留学生の方にお礼を伝えて欲しい」と、わざわざ電話までかけてきました。 随分感激してくれたようです。春巻き本当に美味しかったので、伯母の気持ちが良くわかりました。 娘のようなやんやんが一緒に過ごしてくれたおかげで、新年を心楽しく穏やかに迎えることができました。 今年の抱負は Think global, act local 昨年引っ越した後、今はフォワードと名前を変えた英語学校の代表である石渡先生から、こんなスローガンをいただいたことがありました。New Place, New Life本当にその通りになったなと思います。厚木で、夫が育った実家や地域で暮らすことは、今までの価値観や行動様式を変えました。都心の暮らしで、たくさんの素晴らしい人や情報に接し、そこから多くのものを学んできました。 でもいつもバランスが悪かったのは、取り入れることにばかり偏り自ら情報を発信したり、何かの創り手になるということがなかったから。 こころよく 我に働く仕事あれ それをし遂げて 死なむと思うと謳ったのは石川啄木ですが、私もずっとそれを探してきました。でもどんなに壮大な夢や希望を持っていても、それを叶える初めの一歩をなかなか踏み出すことが出来ませんでした。小さなこと、すぐに出来ること、身近な人と始められることよりも大きな夢、遥かな目標、そして世界に認められるような活躍をしたいと思っていたのかもしれません。文字に書くと本当に恥ずかしいです。引っ越して、自然豊かな地域で、実り豊かな作物を生み出す土地に暮らし周囲の人たちから、漬物の漬け方や保存食の作り方など、教えてもらいました。みんなが営々と続けてきた暮らしの堅実さ、家を守る責任感、人をもてなす思いやりを深く感じます。 ここで、ことばを育てる活動の芽を、どんなに小さくても作り、育てて行きたい。家族や身近な人たちとの暮らしを大切にしながら。これまで自分が学び、取り入れてきたたくさんの素晴らしいことを分かち合い、育てあうことが出来る人とつながっていきたい。 だから新年の抱負は Think Global, Act Local です。身近な場所で、小さなことから動いて、人ととつながることで、新しい道も出来、世界も開けていくでしょう。まずは第一歩から動き始めます。Think global, act local
2013.01.01
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その時私が思ったのは、2つのことでした。ひとつは夫の苛立ちの理由。もうひとつは、セルラスのコーディネーターをする責任でした。 私がイギリスに滞在中は、夫は長年勤めた会社で社員として働いていました。夫は昨年10月から、2年間の退職を前提とした長期休暇に入りましたが9月末からイギリスのホストファミリーが2週間来日し、一緒に日本縦断旅行をしました。ホストファミリーの帰国後は、夫は実家のリフォームに夢中になりました。リフォームの本を沢山読み、建築士さんや大工さんと何度も設計検討の話し合いをし週に2、3回は現場に出かけて進捗を確認し、写真を撮ってきて私に見せました。引っ越すまでは夫も毎日のように厚木に出かけ、大工さんたち話すのを楽しんでいました。ところが引っ越してからは、畑仕事も家のことも、一人でやらなければなりません。私は毎日、朝早くから夜遅くまで家にいず、彼のやっていることを知ろうともしませんでした。自分のことだけで精一杯だったため、彼が庭のことや畑のことを言うと、自分が何もしないのを責められているように感じてしまったのでした。まるで出産で会社を辞めた女性が、残業続きで話を聞いてくれない夫に不満を募らせるのと似た状況に思えました。会社で集団の一員だった人が、急に一人、家の中で孤独に赤ちゃんと向き合い子育ての喜びや悩みを唯一共有できるはずの夫は、家にほとんどいない。自宅で農業に取り組み始めた夫は、まさにこの女性の心境なのではないか、と思いました。夫は私に畑仕事を手伝って欲しいわけではなく、話を聞いて欲しい、関心を持って欲しいのではないか。そう思いました。 もうひとつ、セルラスのコーディネーターの責任。私は10年もセルラスのメンバーをしています。多言語習得活動として、英語以外に韓国語、スペイン語、中国語にも取り組んでいます。けれど英語のように話せるようになった言語は、まだ他にありません。 言語を「音から」、「人と一緒に」、それを話す「必然性」を作って習得していく。それは誰もがことばを話せるようになる方法だと、人にも言い、自分もきっとそうに違いないと思っています。けれど、まだ私は話せないのです。シャドウイングやロールプレイも、「みんなと楽しむ日本語ロールプレイ」も、本当に徹底的取り組んだことがあっだろうか。セルラスの活動に正面から取り組まず、英会話のレッスンや渡英、カプランに逃げていたのではないか。 そんな私がコーディネーターになって、地域の人に一緒にピアザを作ってことばを育てていきましょうと言っても説得力がない。 「カプランでしていることを、セルラスですることは出来ないの? 」あるコーディネーターから質問されたことがあります。もし、セルラスの外で勉強を続け、「ちゃんと勉強しなければことばはできるようにならない」と思っているなら、他の人にセルラスの活動を勧めることはできないのではないか。カプランで自分が学んだ素晴らしいことを、セルラスの中でどうしたらみんなと共有できるのか。それに真剣に取り組まなければ、セルラスのコーディネーターはできないし、無責任になる。 この二つのことを考えたとき、私は都心での活動を整理すること。家にいる時間を増やし、夫の話を聞くこと。作物ができたら、保存食も含めて、ありがたく調理すること。地域に「いる」ということをもっと大事にしていこうと思ったのです。そしてセルラスの提唱することばを育てる活動に、セルラスの仲間と一緒に、真剣に取り組んでいきたい。まだわかっていない部分も多く、自分たちで日々見つけていくこの活動を、仲間と育てていくこと。そのために、カプランやそこの仲間がどんなに魅力的で、楽しくて、居心地がよくてもまだ見ぬ舗装されていない道を進もうと思いました。 もうすぐ年が明けます。私の2012年は、大きな変化もあり、喪失もありました。失ってみて始めて、既にどれほど豊かなものが自分に与えられていたか、気づいたこともありました。 2013年はもっと変化が加速するでしょう。チャレンジできる幸福を、日々味わいながら進んで行きます。ありがとうございました。
2012.12.30
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セルラスのセミナリオ、カプランのイングリッシュフェスティバルは、ともに4月末にありました。住まいの引越しは、5月末。引っ越すまでは、フェスティバル前と変わらない生活でした。カプランに週に5日以上通い、週一回火曜日はセルラスのピアザや野口体操。他に月2回土曜日のハピネス心理学講座や月1回土曜日の児童文学の読書会。これに5月末からはセルラスのインターナショナルキャンプに向けた、留学生たちとの準備会が加わりました。 ですからこの頃は、ほぼ毎日出かけていました。 その頃、カプランで英語を学び続けることと、セルラスでコーディネーターになることは、私の中では何も矛盾しませんでした。どちらも「ことば」にかかわる活動で、セルラスでは多言語でのコミュニケーション力を獲得し、カプランでは英語での発信力を身につける。私の中では、そんな風に目的を分けて考えていたのでした。 厚木市に引っ越してからは、事情が一変しました。都心に出るのに、バスを含めると片道2時間かかることはわかっていました。ところが毎日のように都心にでかける私に、夫が苛立ちを募らせたことは予想外でした。 夫を置いて1年間独りでイギリスに行っていた私です。夫はそのときも渡英に賛成し、日本から何度も荷物を送ってくれるほど協力的でした。それに比べたら、たかが厚木から都心に出かけるくらいで夫が苛立つなんて、想像もしていませんでした。頃は初夏から盛夏に向かう時期。庭の雑草は毎日すごい勢いで伸びていました。夫は畑の整備と作物の世話で手一杯で、庭や家の中のことには手が回りません。また夏野菜のトマトやきゅうり、茄子やピーマンが毎日食べきれないほど出来るのに私は朝早くから夕方遅くまで出かけていて、作物の収穫どころか、何がどこに植わっているかも知らない。夕食も簡単なものばかりで、夫が収穫してくる野菜を工夫して料理する気持ちがない。夜8時ころ帰宅すると、夫はご飯も炊かずに待っていて一言「お腹すいた」。彼は料理出来る人ですが、その頃は決して夕食を作ろうとしませんでした。そんな日の夕食は9時過ぎからでした・・・・・・。 そして7月末から10月一杯まで、カプランにある子ども英語教室「リトルステップス」でパートで働かせていただきました。カプランへの交通費や毎月の月謝の助けにと、石渡先生が親切に提案してくださったのでした。2歳からのこどもたちが英語を学ぶ様子は、驚きに満ちていてその場にいるだけで、楽しくて仕方ありませんでした。水、木、金の週3日、午前10時から午後6時半のパートでした。交通費もいただけ、プロジェクトワークなどの必修授業にも仕事を休んで出させてもらいました。大変良い条件の職場で、普通こんな働き口はそうそうありません。その上私がうれしかったのは、学校の中では英語を使って働くことが出来ることでした。 夫は仕事を始めることに賛成でしたが、「出かけるのはパートを含め週4日が上限」というのがその条件でした。でもキャンプの準備会や土曜日の読書会、フェスティバルでの発表に向けた特別練習などなど、条件を守れないことが続きました。その上プロジェクトワーク前夜に台本を書いて徹夜をしたり、溜まった家事(掃除や洗濯物の片付け)を深夜にして、睡眠不足が続いたことも夫の苛立ちを強めました。度重なる話し合いの結果、夫は私に更なる条件を出しました。セルラスのコーディネーターになるか、カプランを続けるかどちらかを選ぶこと。両方やっていたら家のことなどできないし、折角越してきたのに夫婦で暮らしを楽しむことができないから。 辛い選択でした。自分のやりたいことを夫に制限されたの始めてだったので、理由がわからず苦しみました。イギリスのホストファミリーのジュディやセルラスのコーディネーターの友人にも相談しました。 誰も「こちらを選ぶべき」とは言いませんでした。けれど人に相談して、自分の悩みや状況をことばにしたことで、気づいたことがありました。つづく
2012.12.29
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NPO法人多言語広場CELULAS(セルラス)は、多言語を習得する活動を通して、人間力、コミュニケーション力を高め、世界に通じる人材育成に取り組んでいます。なんで多言語習得で人材育成?そう思う人も多いと思います。私も10年もこの活動をしていて、最近ようやく「こういうことだったのか!」と、わかってきたところです。日常的に、多言語を「音から・ピアザの仲間と一緒に・、シャドウイングやロールプレイをしながら」使えるように、わかるようになっていく。私たちが従来持っていた「語学」という枠組みや、ことばの習得方法とは全く違うこの方法。最初は戸惑うし、疑問に感じたり、成果がすぐに感じられないと焦る人も多いです。私もそうでした。 私も長い間、セルラスは留学生と交流する場で、言語の習得は別の場所でと考えていたものです。英会話のレッスンにもずっと通い続けていましたし。そんな私が、初めてセルラスの多言語習得活動の意味やそこで起きている自身の変化に気づいたのは、4年前イギリスに行ってからでした。ネイティブの中で暮らし、英語以外の言葉を聞くことも、話すことも、読むこともなくなったとき初めて自分が相手のことばと向き合う態度が明らかにそれ以前と違いそれを理解し、自分もすぐ使うようになる道筋が自分の中に出来ているのを感じました。ネイティブが一斉に会話を交しているテープルに一緒に座っているときも聞き取れないことを苦痛に感じず、わかることばにすぐ反応してしまう私がいました。結果的に、会話の中に入ることができ、初対面からすぐ友達になることもよくありました。 韓国語やスペイン語、中国語などどんな言語も、まずは音から聞いてシャドウイングする。文法や文字を習うより先に、これを繰り返してきたことが、聞き取れない恐怖をなくし相手のことを無心に聞き、わかるところに反応する態度を作ったのだと思います。これはカプランに行くようになって気づいた、私の強みとも重なりました。 ところが、そんな私もそうして聞けるようになった、またはシャドウイングやロールプレイできるようになった多言語を、使えるようにはなっていませんでした。 セルラスでは毎年、毎週のピアザとは別に、1月から4月にかけて拡大コーディネーター研修にテーマを決めて取り組みます。各ピアザを主催するコーディネーターの研修を拡大して、一般のメンバーも参加する、一台実験の場です。昨年は、一日15分の中国語のシャドウイングに3ヶ月毎日取り組む実験で、多くの人が、シャドウイングの効果を感じ、驚きのリポートをしました。私は、シャドウイングで脳に、日本語とは別の新しい言語回路が出来るような気がしました。そしてこの4月、今度の研修テーマは「ことばの壁を崩す」取り上げたのは、国民的トラウマ言語の英語。実験は、なんと英語のストーリーの内容の日本語を、徹底的にロールプレイする。その後、英語のシャドウイングロールプレイ、CDなしのロールプレイに取り組むというものでした。 英語が出来るようになるために、日本語ロールプレイ????英語を英語でわかるようになるために、日本語ロールプレイ?????実験ですから、やる前から疑問にとらわれ、やらないのは論外です。やってみて体験したことだけが、力になっていくのを嫌というほど経験しているので、3ヶ月間取り組んでみました。結果起きたこと。英語のストーリーを日本語ロールプレイして、言っている人の周りの情景、そこで起きたこと、自分が感じた感情を活き活きと感じる。するとストーリーの英語を言うとき、感情がこもり、その場の情景が浮かぶようになります。それだけなら想像の範囲でした。想像をはるかに超えていたのは、ロールプレイでの動作をしたり、フレーズを口にすると一緒にロールプレイした人なら、いつでもどこでもその時の英語のフレーズが、間髪なく出てくるようになったのです。 一緒にロールプレイをした人は、一緒に情景や感情を共有した人たちです。 そしてもっと不思議なのは、その時、英語は英語のまま出てくる。日本語で考えたり、翻訳の言語を通さず、英語のフレーズがダイレクトに出て来るようになりました。関東だけでなく、関西のセルラスも同時に取り組んだこの大実験。4月末に東京で行われた、関東セルラスのセミナリオには、関西からもたくさんのメンバーやコーディネーターが参加してくれました。関西のメンバーを向かえてのセミナリオで感じたことは、これまでの私の言語観を覆しました。同じストーリーを共有している関西のメンバー。みんな初対面の人たちです。けれど彼らは同じ感情、体験を共有していたのです。そして彼らとも、ほんの少しの動作や台詞を言うと、ストーリーの中の英語のフレーズがまるで合言葉のように出てきたのです。それはまるで、外国で母語を話す同胞に出会ったような、そんな瞬間でした。それまで人が外国語、特に英語を話すというと「この人、どのくらいできるんだろう?」なんて、すぐ自分と比べる私でした。ところが、ロールプレイを共有した関西メンバーには、そんな感情は全く感じませんでした。それは私にとって、ことばが「人と比べるもの」から「人とつながるもの」になった瞬間でした。セルラスの実験は、私の言語観を、また大きくゆさぶり、変えました。そして私もセルラスのコーディネーターになろうと、決めたのでした。 つづく
2012.12.28
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何のために英語を学ぶのか。カプランに通っている間、何度も自分に問いました。ただ話せるだけではなく、自分の表現したい思いや発信したいことを、スピーチやまとまった形で文章にできるようになりたい。これは、後からきれいに形にした目標です。(笑) 英語を使う場どころか仕事さえしていない、今年で50歳になる私が何故そんな望みを持ったのか。それは、そんな自分を変えたかったからです。何をどうしたら良いかわからいけれど、どうしても何かを変えたかったのです。そんな時カプラン代表の石渡誠先生のブログで「日本人はなぜ英語ができるようにならないか」という、連載を読みました。その中で先生は「英語学習法の間違いも確かにあるけれど、それ以前に精神的な問題が大きい」と書かれていました。精神的な問題とは、現状を変えることから逃げる、「言い訳の嵐」。「時間がないから」「お金がないから」「必要性がないから」「今はもっと優先順位の高いものがあるから」英語を学ぼうと思った後、誰もがつぶやくこの「言い訳」結局「英語」を学ぶことは、永遠に後回しにしてしまう。現状を変えるのは、実は怖いのです。石渡先生はそれを、「偽のコンフォートゾーン」ということばで表していました。変えるのは冒険で怖いから、今のままでいる方が安心でコンフォート、心地よく感じてしまうのです。 その心地よさや安心は、くすぶり続ける「現状への不満」から逃げるための口実です。だから「偽のコンフォートゾーン」なのです。決して真の心地よさではありません。 私もそうでした。だから変えたかった。何かを始めることで、変えるための起爆剤が欲しかったのです。それが、「英語」でした。具体的な目標も必要性も何もなくても、ただ始めることで何かを変えたかったのです。 カプランは表参道にあり、プロジェクトワークを必修にするなど非常にユニークな学校でした。受身な姿勢では、プロジェクトワークはできません。だからそこに集まる生徒たちはモチベーションが高く、積極的で魅力的な人ばかりでした。 多くのことを彼らから学びました。英語を学んだことで、人生のステージを変えることを決めた人にもたくさん出合いました。安定した職を辞めて、自分の本当に学びたいこと、やりたいことをするために、海外に留学していく人も何人もいました。最初は「仕事のためになれば」と始めた英語の学習で、人生や自分と本気で向き合い、その結果大きく人生を変えていく人たち。カプランで学んで一年にも満たないうちに、英語圏の大学に合格するほどの力を身につけた人の話を聞きました。彼女はフルタイムの専門的な仕事を持ち、カプランでのプロジェクトワークやフェスティバルでの発表に精一杯取組みつつ、その上で留学のための勉強もしていました。それらは並列の関係ではなく、全てが有機的に結びつき、相乗的な効果をもたらしたそうです。彼女のプロジェクトワークは「プレゼンテーション」でした。フェスティバルでの発表のテーマ「ゲームは世界を変え得るか」で、いかにゲーム的手法が学習に役立つかを、自分の留学の試験勉強で試してみたそうです。それが試験勉強とプレゼンテーションの発表の双方によりよい結果をもたらしたのでした。また、暗誦練習で取り組んだスティーブ・ジョブスのスピーチにも触発されたと言っていました。それらの相乗効果が、学習を始めた一年前には考えられなかった結果を生み出したのでした。 彼らを間近で見、話を聞いて、私も彼らのようになりたいと思いました。今の自分からは「考えられないようなどんな大きな目標成果も、望むことを許したいと。今の条件がどうあれ、人生の選択肢を制限する必要はないと思ったのです。 そんな風に思い始めのと同じ頃に、また、全く違う方向からなぜ「ことば」を学ぶのかを、深く考える機会がありました。それは4月末に行われたセルラスの10周年記念のセミナリオでした。セルラスで12月末から取り組んだ拡大コーディネーター研修の成果を、セミナリオで発表したのでした。今年の研修のテーマは「ことばの壁を崩す」で取り組んだのは英語でした。 カプランで英語を学ぶことで私が持ったのがある意味の上昇志向だったとするとセルラスのセミナリオで感じたのは、「ことば」が持つ人とひとを平らにつなげる力でした。つづく
2012.12.28
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カプラン表参道校で学んだのは、自分は何者で、何をしたいのかということだったと書きました。カプランに入学して、にわかに英語漬けの環境になって気づいたのは、自分の強みと弱み、そして何より英語を話す楽しさでした。弱みは、今までも感じていましたが、発音の問題が多々あり、文法的な間違いが多いことでした。またカプランで学ぶ人の多くが、社会的に活躍している方達や優秀な学生さん達なので良い刺激をたくさん受ける一方、自分が仕事を持っていないことにコンプレックスも感じました。「英語を使う具体的な目標も場もないのに、何のために高いお金を払って英語を学ぶのか」と、何度も自問しました。 答えは出ませんでしたが、「学んでいればいつか、英語が必要な場や機会がやって来る(様な気がする。)」でした。 今思えば、好きな英語をなんとか世の中で通用するレベルにすることで、停滞していた現状を変えたかったのです。 そんな気持ちに、カプランの代表であった石渡先生のブログの「コンフォートゾーンを出なければ、英語はものにできない。やらない言い訳をするのをやめて、一歩を踏み出そう」というメッセージは、とりわけ強く響いたものでした。 そして私の強みは、誰とでも臆することなく英語で話せるし、話すのも聞くのも大好きなこと。きっと人間が好きなんだと思います。スピーチの暗誦やドラマの台詞の練習をしていて気がついたのは話の全体の内容や意味を掴むのが早く、また抑揚やリズム、メロディーを再現するのが得意。そして全体を丸ごと覚えるのも早いようです。カプランで英語に取り組んで、これらの強みを自分が既に持っていたことに気づきました。これは、長年セルラスでやってきた、外国語を文字や文法からでなく、音声から捉えシャドウイングを繰り返し、そのまま丸ごと言えるようになる過程で、意味も掴んできた経験が大きかったのだと思います。よく人から、「長い台詞を暗記するの大変でしょう。」と言われたものですが実は私は台詞を暗記しようとしたことはありません。ただ音声を聞いてシャドウイングを繰り返していると、いつのまにか頭に入ってしまうのです。カプランで学んで、改めて、音から「ことば」を捉え、シャドウイングを続けてきたことで培われていた、力に気づくことができました。 どんな「ことば」も、使わなければ出来るようにはなりません。人とコミュニケーションを取って始めて、自分の強みや弱み、つまり自分らしさに気づくことが出来るのだと思います。 英語を話しているときは、自分がオープンになり解放される気がすることにも気づきました。英語を話すと、日本語を話している時より(?!)もっと明るく積極的になります。 つくづく思うのは、「ことば」は受動的に習うのではなく、自分から積極的に伝えようとするから出来るようになるのだなあということです。その意味でカプランでプロジェクトワークが必修だったことは、幸いでした。必死になって伝え、相手のことばを理解しようと受け止める。ひとつのものを一緒に作り上げる過程での、ディスカッションや芝居の練習。facebookでのメッセージのやり取りや、衣装、大道具小道具作り。歌の練習、音楽や照明等々、発表のために取り組んだ全ての場面で、気がつけば英語で熱く語り合っていたのです。「ことば」はフレーズを一人で黙々と暗記して身につけるものではなく、仲間や親しい人たちとのコミュニケーションの中でこそ、初めて身につくのだと思います。特に同じ感動を共有した仲間とのやり取りは、まるで泉がほとばしるように「ことば」が出てくる経験もしました。コミュニケーションは、等質の感動を共有することではないかと、その時思いました。4月末には始めてのイングリッシュフェスティバルという発表の場を経験。カプランのプロジェクトワークに取り組む全クラスがそれぞれのプレゼンテーションを発表します。ドラマ、プレゼンテーション、ドラマティックディベート。それぞれのプロジェクトが半年掛けて準備するプレゼンテーションは、まさに真剣勝負。ドラマの演技や歌、ダンスは言うに及ばず、プレゼンテーションの内容もディベートでの議論も、本当に鑑(魅!)せます。この発表のために、どのクラスも、クラス以外に何時間も集まって練習し、議論し、準備を重ねてきます。みんなフルタイムの仕事を持ち、学生も専門の勉強や研究に忙しい人たちなのに、誰も忙しいことを言い訳にしません。それどころか、如何に大変な仕事をしていようが、経営者であろうが学生であろうが、対等なプロジェクトのメンバーとして発表に取り組むのです。我がドラマクラスは、4月末に『フォーチュンクッキー』を演じ、10月初めには、『電車男』を演じました。年齢も職業も英語のレベルも関係なく、時には議論を戦わせ、うまく行かなくて悔し涙を流したりしながら、一つのドラマを作り上げていく。メンバーは特技や才能のある人が多く、ドラマ作りの過程で、みんながそれぞれの優れたところをどんどん発揮してくるのも感動的でした。 そしてクラスメートはもちろんのこと、全てのカプラン生に尊敬と親しみを覚えました。どの発表も素晴らしかったし、発表までの過程のみんなの努力が素晴らしかったから。 当初5月末の厚木への引越しまでカプランで学ぼうと考えていましたが楽しくてたのしくて、虜になってしまい、引越した後も通学続けることにしたのでした。 つづく
2012.12.13
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「片付けとは、過去に片をつけること」、とは、近藤麻理恵さん(略してこんまりさん)の『人生がときめく片付けの魔法』(サンマーク出版)の中で出てきたことばです。彼女は片付けるとき、自分の持っているものを全て出して並べて、一個いっこ手にとってみて、ときめくものだけを残し、他は処分するという「二度とリバウンドしない画期的な片付け方法」を世に広めています。で、私がしたいのはお部屋の片付けの話ではなくて、自分の持っている「思い」「イメージ」「気分」と言った、目に見えないものの片付けです。目には見えないけれど、この影響力は計り知れません。特に「気分」や自分に対して持っている「イメージ」。この二つは、何をやるにも、その持ち様で、大きく結果を左右するくらいの力を持っています。 ブログを書けなかったのは、facebookという居心地の良い場所に逃避していたせいでもあります。(SNS依存症?)そんなことをしている間に、2012年が終わってしまいます。だからいつまでも逃げていないで、片付けられない「思い」をなんとか全部出して見て一つひとつ手にとって、ときめくものだけ残し、気持ちが暗くなるものは片付けていこうと思います。 今年始めたことで、一番大きな気づきにつながり、大きく自分を変えたのはカプラン表参道校という英語の学校に、1月10日から11月初めまで通ったことでした。たかが英語を学ぶくらいで、何がそんなに変わるのかと思うでしょう。でも私がここで学んだことは、英語だけではありませんでした。英語をここで出会った素晴らしい生徒さんたちと学ぶことを通じて私とは何者なのか、何をしたいのかということに、だんだん気づいていったのです。 この学校の特徴は、英語で英語を学ぶこと。そして自分たちで自主的、能動的に学ぶことでした。学校の中の会話も、生徒や先生との連絡ので使うFacebookでのコメントも、全て英語。カリキュラムは講義中心ではなく、プロジェクトワークが必修でした。プロジェクトワークでは、半年に一度のフェスティバルに向けて、クラスメートとプレゼンテーションを作り上げていきます。私はドラマのプロジェクトワークを取り、毎週のクラスでのディスカッションや練習も、家で脚本を書いたり・・・も全部英語。日本に帰国して以来、こんなに英語を話し日常的に考え、相手に伝えようと一生懸命になったことはありませんでした。 そしてまさにこのことが、私がこの学校に通った理由でした。大好きな歴史(近代史)の授業も週に一度取りましたが、それも英語で学びました。アメリカに留学するよりも安い費用で、日本にいながらにして留学状態を経験する。それが入学を決めた理由でしたが、それは実現したと思います。 これは夫にとても感謝していることなのですが、入学に当たって彼が出した条件がありました。「月謝の元が取れるように、できるだけ多くの授業を取ること。交通費を節約するため五反田、渋谷間の定期を買って、定期代の元を取れるよう、週5日は最低通うこと。」お金を出す彼からの条件提示だったので、引っ越すまでの5ヶ月間は、この条件を守りました。 カプランには、必修のプロジェクトワーク(週一2時間)や隔週の英語とスピーチの授業MIS(隔週2時間)のほかにALL (アクティブ・ラーニング&リスニング)という暗誦と発音などのチェックを受ける授業があり、このALLは開講している限り無制限に取ることが可能でした。そしてこれも私にとって大変幸運なことでしたが、入学の際、代表の石渡先生と面接をしプロジェクトワークや選択授業、ALLの課題を決めるのですが、ALLの課題として石渡先生から提示されたのが、スティーブ・ジョブスの2005年スタンフォード大学卒業式でのスピーチでした。私が退職とイギリス行きを決めたきっかけになった、ジョブスのスピーチを、私が暗誦できるようになるかもしれない。それは、涙が出るほどうれしいことで、ここで学ぶ大きなモチベーションになりました。 13日から書き始めた内容ですが、まだまだ終わりそうにありません。なぜ私がその学校を11月初めに退校したかに至るには、もう2、3回に分けて書くことにします。続きます。
2012.12.13
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今年は本当に大きな変化の年になりました。思えば、2003年の9月に仕事を辞めたのと同時に楽天日記を始めたのですから今年は10年目に突入していたのです。これほど大きな変化の年ですから、ブログに書きたいことが沢山あるのですが10月から筆が止まって書けなくなってしまいました。大きな変化に伴う様々な思いを消化しきれず、言葉にすることができなかったのです。そうこうする内に年の瀬も近づき、少しずつ霧が晴れるように自分のことが見えてきました。消化し切れなかったのは、恥ずかしさと罪悪感でした。 自分の想像で作り上げた、人の期待。それに応えられなかった自分を恥じ、期待を裏切ったという罪悪感に苦しんでいたのだと。その思いを正面から見られず、言葉にすることもできませんでした。 罪悪感は、私が一人で作り出した幻想でした。気づくのに、時間がかかりましたが。 引越しに伴う生活の変化で、沢山の物やこれまでしてきたことを手放しましたが罪悪感や人の期待に応えたい思い、働いていないことへの引け目などなど不要な思い込みはまだ沢山残っていたようです。 12年12月12日、おめでとう! 今は故人となった友人のお嬢さんで、ハワイに住んでいるセイシェルさんから、今朝もらった挨拶です。 今日は亡くなった彼女のお母さんの誕生日でした。それを見て、涙が出そうになりました。 彼女は今日の覚書として、facebookにこんな美しい文章を書いていました。(ここから引用。訳が心もとないのですが・・・。)新年のための覚書:心を決める今まで着ていた洋服を片付ける これまで生きてこられたことを祝いましょう気をつけて、あなたにとって必要なたった一つの権威、それはあなた自身心の声を聞きその呼びかける声に応える新年に向けた私たちの足取りは一層満たされ、より聡明で、もっと豊かなものになるでしょう私たちの魂においてあなたは愛されています(引用ここまで) 今日は、新しい言葉をしるすのにふさわしい日のようです。ブログを再開し、今年を振り返りながら、少しずつ今の思いをまとめていこうと決めました。年が変わるまでに、心を決め、心の声を聞き、そして新しい年の準備をするために。 セイシェルちゃん、素敵な言葉をありがとう。あなたのお母さんのこと、いつも想っています。
2012.12.12
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この日は午前中、セルラスの横浜ピアザに初参加してきました。5月末の引越しまでは、私は火曜日午後7時からの新宿ピアザのメンバーでした。でも新宿ピアザの終了時間は8時半。すると帰宅が11時過ぎになってしまいます。そこで6月からは同じく火曜日の午後4時10分から始まる、浜田山ピアザに参加しました。午前中下落合で野口体操の教室に出て、お昼を食べて渋谷に移動。2時から3時までカプランで暗誦の授業を取り、そして4時10分からの浜田山ピアザ会場に井の頭線で移動。 これが9月いっぱいまで続けた火曜日の日課でした。 社会人メンバーが集まる新宿ピアザで活動していた私には、幼稚園児や小学生の子どもたちが参加している浜田山ピアザは新鮮でした。6月始めに出会った頃から思うと、子どもたちの変化、成長ぶりはすごいです。何より感動したのは、子どもが自分で見つけていく力。自分でやりたい、やると決めたことに、子どもたちは驚くほどの力を発揮します。 (大人だって同じですよね。)子どもたちのいるピアザに参加して、その感動を味わえたことは幸せでした。 9月最後の浜田山ピアザで、子どもたちの発案で私の送別会をしてくれました。その時子どもたちからもらったメッセージは、とても心に残るものでした。子どもたちがそれぞれのメッセージの中で、私に「ありがとう」といってくれたんです。そのとき私は、彼らの仲間になれたと感じました。 他の大人はみんな誰かのお母さんですが、私は彼らにとって見知らぬ大人だったと思います。そんな私に「ありがとう」と対等な言葉をかけてくれる子どもたち。仲間の一人になれたと感じた瞬間でした。こちらこそ、本当にありがとうございました。 そして10月から、私は所属ピアザを火曜日午前10時半からの、横浜ピアザに変えました。横浜ピアザは家から一時間ほど、同じ神奈川県内にある唯一のピアザです。誕生日のブログにも書いたように、ピアザの所属を変えたのは、生活の基盤を地元に移すことの一環です。(都内のピアザはみな、家から2時間ほどかかるのです。) 横浜ピアザの会場は、横浜駅から徒歩5分の神奈川県民センター。何度か訪ねたこともあり、よく知っているつもりでした。相鉄線で横浜駅について出口に向かう時、いつもと違う階で降りたせいかすっかり道に迷ってしまいました。行けどもいけども、見覚えのある通りに出ず、県の社会福祉センターに着いてしまい道を間違ったことに気づき、もう一度駅に戻りました。すると横浜ピアザのメンバー が会場の外に出て待っていてくれました。そのメンバーは、初参加のシンガポールの留学生をピックアップしようと待っていたとのことでしたが、おかげで会場に行き着くことができました。すっかり遅れてしまいましたが、シンガポール留学生が通学していた料理の専門学校での経験を聞き、彼女が感じた日本の異文化の数々の話を、興味深く聞きました。そしてこの日は残念ながら途中で中座して、渋谷に。14日に迫った英語学校カプランのプレゼンテーションフェスティバルに向けて、授業以外の特別練習をすることを、水曜ドラマクラスのメンバーと申し合わせていたからです。 4月に初めて経験し、2回目となるカプランのプレゼンテーションフェスティバルですが、残念ながら、こちらも今回で卒業することを決めました。フェスティバル後は、地元でのセルラス活動の立ち上げに向けて力を集中させていくためです。 これまで半年かけて仲間と作ってきた英語のドラマ(プレゼンテーション)も、今回が最後だと思うと、経験できることは全てやっておきたい気持ちになります。今回選んだドラマは、『電車男』。映画やドラマ、舞台化されたビデオも見、英訳された本も読み、そこから面白い(ジーンと来る)英語表現を沢山見つけ、台本を書くという経験もしました。たとえ始めての経験で未熟であったとしても、一度やったことは、全くやったことのないこととは、全然違うものになります。英語でドラマの台本を書くことが(採用されなかったとしても) こんなに楽しいことだとは、思ってもみませんでした。毎週まいしゅう、クラスメートと集まってドラマを作っていく。その全過程を英語で進めて行くことは、日本にいながらにして、英語を使う必然性を作ります。英語で自分の考えを伝え、相手の意見を聞き、それを文章にまとめ、メールを送信し、また翌週ディスカッションをする。舞台練習をしながら、それぞれの場面について、もっと面白くするアイデアを出し合いながら、また台本を書き換えていく。それは本当に楽しくやりがいのある場でした。今回は、私の台詞はわずかですが、舞台づくりをフルに楽しむ(つまり苦労する!)ことができそうです。そして練習が終わっての帰り、電車の中では眠くてねむくて堪らず、立っているのに、がくっ、がくっと膝が折れそうになる状態でした。電車の到着時刻から、丁度自宅近くに行く、循環バスに乗れそうな時間だったので、急いでバスセンターの循環バスの乗り場へ行きました。するとバスがすぐに来たので、中に乗り込み、始発停留所なので座ることができました。 少し前に、バスの中で眠ってしまい、降りるべき停留所を乗り過ごしたことがあるので、今回は寝過ごさないようにしようと思ったのです ・・・。ところがまた、いつの間にか眠ってしまい「終点ですよ。」という運転手さんの声で、ハッとして目を覚ましました。「終点?ここどこですか?」と寝ぼけて聞く私に、運転手さんが応えたのは、全く予期せぬ停留所の名前でした。なんと、私は乗るバスを間違えたのです!私の乗るバスは、循環バスのため、終点だったらまた駅に戻るはずでした。仕方なく料金を払ってバスを降り、夫に電話をかけましたが、夫もその場所がよくわからないようでした。住宅街の真ん中だったので、歩いて大きなバス通りに出て、近くのバスの停留所の名前を読み上げましたが、迎えに来てくれた夫は私が見つけられず、電話をかけてきました。 そこで、道路標識が見える場所まで歩き、「県道○○号線の○○方面と××方面の分かれ道」 だと伝え、迎えを待ちました。ナビゲーションシステムを使って、やっとたどり着いた夫は、「歩いたら我が家まで2時間はかかる場所だよ。どうしてバスの行き先も見ずに乗ったの? 」と、信じられない面持ちでした。どうしてなのか、私にもわかりません。自分では大丈夫だと思っていても、疲れがたまっているのでしょうか。この日は、道に迷ってばかりの一日でした。
2012.10.02
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台風一過の今朝、夫が家の周りを見回ると、竹が畑に張った鹿よけのネットに倒れ、傾いていた以外には、特段の被害もなかったということでした。我が家の周りは、鹿や猿、猪、ハクビシンなどが出て、畑の作物を食べてしまうので、防虫ならぬ防獣のネットが必要なのです。敷地内で営業している花屋さんにお花を買いに行ったら、「昨夜は木のぶつかり合う音が怖くなかったですか?」と心配してくれました。大丈夫だったと伝えると「こちらに来て始めての台風でしたね。なんでも新鮮ですね。」というので、私も一緒に笑ってしまいました。 夫と朝食を取っているとき、私が昨日近所を歩いているときに見つけた、不思議な細道のことを思い出して話しました。それは従兄弟のTさんの家に行く途中の坂道から入っていく、片側にきれいな石積みが続いていて、もう一方にはきれいに剪定された背の低い潅木が道に沿って植わっている細い道でした。どこかのお宅に続く私道なのか、それとも山に抜ける公道なのかわかりませんでしたが、とてもきれいな道でした。「なんだか不思議な静けさがあって、まるでイギリスの田舎町にいるような気分になった。」と夫に話すと、夫はその道なら知っていると応えました。「その石垣は古くからのお大尽(お金持ち)の家のもので、そうとう大きな敷地を囲っているけど、その道は公道で入っていくことができるんだよ。」とのこと。そのお宅の敷地の中を、公道が通っていて、その周囲も庭の一部として、きれいに手入れされているのだとか。なんだかファンタジーの舞台の入り口になりそうな道だと思い、私が憧れに満ちた目で話を聞いていると、「じゃあ、散歩に行こうか。」と夫から言いだしました。そして昼食を歩いて20分くらいのギャラリーカフェで取ることにして、近所のお散歩ツアーに出かけました。まず最初に、引っ越す前から度々訪れていたカフェに行ってランチをいただき、絶品の手作りデザートの栗の渋皮煮に舌鼓を打ちました。カフェを出て、我が家の畑のあるあたりを歩きながら、サツマイモや落花生の様子を見ていると、水道工事屋さんの従兄弟が車で通りかかりました。従兄弟は我が家の下水道工事など全部やってくれ、庭にあった廃材も随分片付けてくれました。近所の運動公園で毎日一時間以上ウォーキングしている話などして、ニコニコとまた仕事に帰っていきました。そこから歩いて、昨日見つけた細道に到着。公道とはいえ、片側はお屋敷に続く石垣、片側は川岸まで手入れされた庭になっていて、まるで回遊庭園を散歩しているようでした。道を登っていくと山に入り、従兄弟のTさんたちが子どもの頃育った家の跡地に到着しました。今はもっと山の下のほうに引っ越していますが、夫が小さかったころは、山の上にあるこの家でよく遊んだのだと話していました。その近所には沢山栗の木が植えられていて、小学生だった夫が落ちている栗と思って沢山拾って帰り、お母さんが後で謝りに行き、お金を払った話は、何度も聞いたことがあります。その山の上からは我が家も見え、向かい側には檀家になっているお寺や墓地も見えます。私たちは両側を山に囲まれた谷間に住んでいるんだなと、その景色をみて思いました。こうしてゆっくり散歩してみると、この土地の美しさや家々の良く手入れされた様子がよくわかります。山から自分たちが住んでいる場所を見下ろしながら、こんなに美しい場所に住むことができて幸せだなと思いました。山の向こうには、台風一過の青空が続いていました。
2012.10.01
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29日の夜は、近所に住む従兄弟の家族が揃って我が家に来てくれました。ご夫婦と大学生の息子さん2人のご家族4人と私たち夫婦との夕食会でした。大学4年生のご長男は、最近大学院の試験に合格したとのことで、そのお祝いもかねまた私は誕生日だったので一緒にお祝いすることに。だんな様のTさんは、夫の2歳年下の従兄弟で、母方の実家(本家)の次男坊。幼馴染でもあります。Tさんも奥さんのYさんも、私たちの引越し前から、何くれとなく気にかけてくれて、情報やアドバイスをくださったりして、随分助けられました。そのお礼がしたくて、引越してからずっと「夕食会をしましょう。」と言っていたのですが、やっと両家の都合があい、実現しました。 夕食会は5時からでしたが、午後には夫が掃除機を掛けてくれ、テーブルセッティングをしてくれました。料理のほうは、スペアリブが焼くばかりにつけ置いてあり、ビーフシチューは先週の集まり用に作ってあったので、後はサラダ2種と簡単なオードブル、チキンの田舎煮(ジャガイモと鳥肉のミルク煮)だけを新たに作りました。 だいぶお客様を迎えるのも慣れてきて、夫も手馴れた様子で準備を手伝ってくれるようになりました。前の週は金曜日から社会人一年生のミンリーが泊まりに来ていて、23日の日曜日には都内の友人が6人、車2台で持ち寄りパーティーに集まってくれました。総勢9人の集まりでしたが、みんなの持ってきてくれたお料理もデザートも美味しくて、話の尽きない和やかな会になりました。やはり、スペースの持つ力は偉大です。たくさんの人がそれぞれ持ってきたお料理を台所で少し手を加えたり、盛り付けするのも楽にできるので、安心してお任せできました。昨年の今頃、イギリスのホストファミリーの歓迎会を戸越銀座のマンションで開いたときは、段取りが全然できず、料理が間に合わなくなり、早く来たお客様にほとんど作ってもらったこともありました。折角の歓迎会が、お客様が到着する頃には、自分はぐったりしていて、楽しめないだけでなく、お客様にも気を使わせてしまったと思います。 あれからわずか一年ですが、妹たち家族など、何組かのお客様を招く経験もでき、そのたびに、テーブルセッティングやお料理に手馴れてきました。親しい友達が来てくれて一緒に食卓を囲めるのは、楽しく幸せなことだとしみじみ思います。今ではお客様と一緒に寛いで食事会を楽しめるようになったからでしょう。 この日いらした従兄弟のTさん家族はとても仲がよいご家族でした。大学4年生のご長男はこれからの研究や将来のこと、1年生のご次男はバックパックで東南アジアやインドなどを旅行したいと思っていることなど話してくれて2人とも若者らしい良さがいっぱいでした。従兄弟のご夫婦が築いている家庭が落ち着いたよい家庭なんだということが、二人の息子さんたちからよく伝わってきました。 お客様をするたびに思うのは、親しい人たちから色々な話を聞くことの楽しさです。そしてみんなの笑顔に出会い、話を聞けるのを、なんだか、この家も喜んでいるような気がします。おもてなしをするたびに、我が家が喜んで、もっと居心地欲なるような気がするからです。お客様は、我が家に幸せを運んできてくれます。これからも沢山のお客様をもてなすことが出来たらいいな、と思います。
2012.09.30
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おはようございます。そしてありがとうございます。おかげさまで今日、50歳の誕生日を元気に迎えることができました。毎朝目が覚めるだけでも奇跡だと言いますが、こうして50回目の誕生日を無事に元気に迎えられたのは、本当にいろんなご縁と幸運のおかげです。今朝目覚めた時、自然と「ありがとうございます。」という言葉が口をついて出てきました。ブログを書かなかったこの2ヶ月の間は、私にとって人生のターニングポイントでした。今、なんとかその舵を切り終えたと感じています。けれど今までの流れを大きく変える舵取りは、とても重く、切り替えるには、多くの時間とエネルギーが必要でした。大切にしていたもの、大好きなことや人たちに、「またいつか会いましょう。」と別れを告げるのは、やはりとても寂しいことでした。何の枠組みも既定の路線もない不確かなことを始めようと決心するのはとても怖くて、不安なことでした。それでも、これまでの流れをいったん止めて、違う流れに向かって行くことを決めました。まだ舵を切っただけなので、この先何が待ち受けているかはわかりません。けれど、今は、これでよかったのだと思えます。それは、なんとなくわくわくする気持ちが自然と湧いてくるからです。 不本意なことをしている時は、こんな感じは決して湧いてきません。だからわくわくする気持ちは、このまま進んでいいよというメッセージだと思っています。(例え辛い気持ちを味わったとしても、最後に残る感じが大事だと思っています。) この2ヶ月でわかったこと。私は、人が好き。特に変化成長する人と出会い、何かを共有できることにとても幸せを感じる。相手が子どもだとなおのこと!そう、私は子どもが大好き。彼らは一瞬も目を離せないくらい、素晴らしい変化の過程にあって、いつもミラクルを見せてくれるから。 人が大きな力を発揮するとき、それはその瞬間を心から楽しんでいるとき。優れた人ほど、なんの先入観も思い込みもなく、素直に心からその場や瞬間を精一杯楽しんでいる。素直な人、何事にも取り組んでみようとする人は、本当に伸びる。才能は、大好きなことを楽しんでしていると、顕われてくる。 これらは、セルラスのサマーキャンプで大勢の子どもたちや留学生リーダーたちと出会って感じたことでもありまた、この8月から、リトルステップスという子どもの英語教室で働く機会をいただき、2歳児たちのことばの発達の素晴らしさに接して、強く感じたことでした。 また引越しを機会に移り住んだ夫の故郷では、長い間「家」を守り、地域の伝統を守りながら、豊かに楽しく暮らしている多くの人生の先輩たちにお会いすることができました。 何代も続く家を守るお母さんたちは、伝統食を昔ながらの方法で作ったりお姑さんの代から続く糠床で、おいしい漬物を漬けていたり季節の行事には、親族一同が何十人と集まるのをもてなしたりそういうことを、当たり前のこととして、そしていつも丁寧に心をこめてされているのです。忘れていた日本がここにあると思いました。ここで学びたいことが沢山あります。 家に来た留学生が、その方達の何気ない話に感動するのをみて 改めてこちらの暮らしの価値を知りました。 また色々なゲストを我が家に迎えるたびに、(香港を皮切りに、5人のゲストが泊まっていってくれました。)お客様の目や言葉を通して、我が家を見直し、もっと寛げる心地よい家にしていきたいと思うようになりました。これからも沢山の方に来ていただける、居心地良い場所にしたいです。私は今まで沢山のことを学んできましたが、その場は、いつも東京にありました。日本に一つしかない教室、学校に出会い、そこに来るモチベーションの高い人たちと出会い、共に学ぶことができたことは、幸いでした。でもこれからは、名実共に生活の拠点を厚木に移し、これまで私が得たことを、セルラスの活動を通じて新しい仲間を作り、その人たちと一緒に形にしていこうと思います。この地で農業を始めた夫は、その思いのほかの大変さとやることの多さに、困難に直面しています。 具体的に作業を手伝うというより、話を聞いてほしい、関心をもって見守ってほしいという気持ちが強くなっています。そういう時、私の関心がひたすら家の外にあり、住まいから遠く離れたところでの自分のためだけの活動にあったため、一層孤独を感じたようです。今まで私の人生が大きな変化を迎えたとき、20代後半の転職、40代初めの退職、そして半ばでの再就職。47歳での渡英と現地小学校で日本語を教えるインターンへの挑戦。夫はいつの時も全面的に協力し応援してくれました。今度は彼の人生の大きな変化にあたって、私に共にあることを望んでいます。それも、名実共に厚木での暮らしを大切にしようと思った大きな理由です。私にとって、本当に大きな節目の誕生日になりました。元気で健康で、これから始めることにわくわくする気持ちを持って誕生日を迎えられたことは、本当に幸せです。新しい場所で、知らない人たちと、新しいことを、楽しい気持ちで始められる幸せ。とてもわくわくする50代の始まりになりました。 全てのことに感謝しています。ありがとうございます。
2012.09.29
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このところ、7月の出来事をブログにアップしようとしていますが、変化があまりに激しくて、追いつかないうちに、7月も終わりそうです。昨日は自治会の盆踊りで、無事自治会行事デビューを果たしました。また先週水曜日から、英語を学びに通っているカプランで、思いがけず事務のパートの仕事を始めました。週3日(水、木、金の日中です。)平行して今月半ばからは、今秋セルラスのコーディネーターとして新しいピアザを地元で始めるための、セミナー準備が始まりました。市内の公共施設の利用申し込みをしたり、市の広報課や教育委員会に出向いて、セミナー(セルラス主催の教育講演会)を実施する際の協力依頼もしてきました。8月に行われるセルラスの異文化体験サマーキャンプの留学生リーダーたちとの打ち合わせも始まりました。キャンプ(8月19日から22日)の後、青山の国連大学で開かれる、アジア児童文学学会(23日、24日)にも参加します。何人か、我が家に泊まりに来てくれた友達もいて、「ここにいるだけで癒される。」といってくれた人もいました。彼らからも暮らしを見つめる多くの視点をもらい、刺激を受けています。 夫とともにカントリーライフを楽しみ、できれば不定期のB&Bなどやって、世界中から人が泊まりに来られる宿にしたい・・・。なんて夢見ていたのに、都会での活動の量がどんどん増え、家にいる時間が加速度的に減っています。変化は思いがけず急で、大きな振幅もあり、正直戸惑っています。 明確な目標もなく、実現しようとする計画もない、来たものに乗るような受身な態度。渡りに船というには、その進む方向は全く予想できず、大海に漕ぎ出す小さな筏のような気分です。 荒波に翻弄されつつも、起こることにはそれなりの必然性があるのだろうし、いつかこのバラバラな点が、つながった線だったと思える日が来るのかもしれない。今は来るもの拒まずで、何でも経験してみようと、少し腹をくくりました。出来なかったら撤退することも選べますが、する前から「できない」と手を引っ込めてしまうことは、したくないのです。無責任といわれるかもしれませんが。そんな心境で、毎日何が起きるのかわからない人生を、目を凝らすように見ているところです。そして盆踊りがあけた今日は、都内で一泊の同窓会に出かけます。集まるのは6人で大学の時の寮の同級生です。広島、福岡、群馬、川崎、そして被災地の釜石からも一人。都内のホテルを取って、無事を祝い、旧交を温めたいと思います。7月駆け足でブログを更新しましたが、まだまだ書きたいことがいっぱいあります。これからは、少し現実の速度に追いついてブログ更新をしていきたいと思っています。
2012.07.29
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ブログの更新がさっぱり途絶えてしまい、ご心配をおかけしています。ご無沙汰しておりますが、私はとても元気で、毎日を精一杯送っています。引越しから2ヶ月近くがたとうとしていますが、本当に学ぶことの多い日々です。引越しとそれに伴う生活の大きな変化の中で、一日いちにちが、これまでの一ヶ月にも等しいような濃さに感じています。環境の変化とは、かくも大きな影響を人生に及ぼすのだと、毎日驚きをもって自分を見つめています。変化のスピードも速く、出会う人も印象深い人ばかりで、音をたてて流れる奔流に乗っているかの様な気分です。 まるで落ち着いてブログに向き合えなかった言い訳のようですが・・・。 6月末からこの7月にかけての出来事と、そこで感じた思いを、これからさかのぼってブログにアップしていきます。ようやく言葉にする気持ちになりました。 自らの記録のために続けてきたこのブログですが、読み返すと自分自身が励まされることも多く、いつも気にかけ、遠くから見守ってくれる、友達の優しさを伝えてくれるブログでした。 改めて、このブログがいかに自分にとって大切なのかを感じています。 もしも経験するということが人生の目的なら、それを自分の言葉にするという行為は、経験をより深く味わうための、大きな助けになると思います。しばらくここ一ヶ月の間の過去日記にお付き合いください。 ブログ再開の宣言のようになってしまいました。 よろしくお願いします。
2012.07.23
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この日は、自治会の盆踊り大会の準備の日でした。本番は28日(土)ですが、前の週の土曜日に、自治総出でやぐらを組んだり飾り付けをしたりの、準備をするのだそうです。 男性は朝8時半から、女性は9時から神社の集会場に集まって、やぐらを組むのが男性、その飾り付けの花を作るのが女性の仕事でした。神社の周りの草を刈るのも男性のお仕事。夫含め、男性はみんな草刈り鎌持参でした。初めての自治会行事だったので、事前に近所の従兄弟の奥さんに色々聞いてはいたものの、少々緊張して出かけました。 昨年は震災のため自粛になったという盆踊りが、今年は開催できるということで、みんな張り切っているようでした。9時に集会室に行くと、作業はもう始まっていて、みんな三々五々親しい人同士集まって話しながら、花作りをしていました。大勢で作業しているせいか、作業はものの一時間もせずに終わり、後はみんなで役員の方が差し入れてくれたアイスを食べながら歓談でした。きっと作業そのものより、この歓談の方が意味があるんだと思います。(笑) 私が一緒にお話の仲間に入れていただいたのは、60代から70代のお母さんたちの集まり。中のお一人が、昨年の自治会長さんの奥様で、夫が色々な証明書をいただくのに自宅に挨拶とお願いに出向いたのを、覚えていてくださいました。みなさん、夫の名前を言うと、家の屋号をつけて、○○ちゃんのお嫁さん、と私を紹介してくれます。自治会には70数件があり、地域のほぼ全てが、市街化調整区域という農業に特化した土地のため、農地を宅地にして売り出すことがないため、先祖代々の本家かその分家の人しか住んでいない土地柄です。農地は宅地にして自由に建造物を建てられないけれど、家族が住居を建てるために分け与えるのは許されているからです。その輪の中には、夫と同級生の息子さんを持つお母さんもいました。小さいころは夫もよく遊びに来たと言っていました。みんなから、「こちらの暮らしはどう?」とか、「不便でしょう。」と聞かれました。私は、空気も水もきれいなこちらの暮らしで、夜の静けさもとてもうれしいこと。夫も野菜作りをとても楽しんでいること。2人とも都会に戻りたいとは全く思わないと話すと、とても喜んでくれました。我が家で、使っていなかった井戸を復活させ、井戸水を使えるようにしたと話すと、多くのお宅が井戸水を使っていて、お茶を淹れると美味しいのだと話していました。保健所での水質検査のことも教えてくれました。 そして夫の同級生のお母さんは、「昼間はいつでも家にいるから、寄って下さいね。」と言ってくれました。夫がこちらの出身で、幼い頃からみんなから知られているおかげで、私のこともこんなに受け入れてくれるのだと思います。もし夫婦ともに都会からの移住者だったら、自治会の行事のお誘いもすぐに来ないかもしれませんし、馴染むのが難しいこともあったろうと思うと、私はやはり恵まれていると思います。 作業をしている最中に、近くに隣の奥さん(Kさん)がいるのに気づきました。Kさんは、以前我が家のリフォームの様子を見たいと言っていたので、「この後家に来ませんか。」とお誘いしました。こちらの地域では、家を新築すると、「家見(いえみ)」といって、近所の人を招いて家の中を見せるということが行われているようです。うちはそれをしなかったので、いつか見に行きたいと、引越しの挨拶に伺ったときに言われていたのでした。Kさんは快諾してくれて、お昼の後シュークリームを持って我が家にやってきました。お隣も大きなお家で、もちろん本家の長男す。お嬢さんが結婚するときに、家の裏の畑の土地に家を建てても良いと言ったら 「こんな田舎には絶対に住みたくない。」と断られたと、笑いながら話していました。自分たち50代の主婦は、(つまりみんな本家の長男のお嫁さん)もしも夫が亡くなったら、家を処分してどこかマンションにでも暮らしたいと、みんな思っているんです、と笑って仰るのには驚きました。田舎暮らしには、何がしかの閉塞感が付きまとうのかも知れません。 我が家のリフォームの様子を熱心に見ていかれた様子から、ご自分も何か参考にしたいと思っているようにも見受けられました。自治会行事に参加すると、一度に顔見知りが増え、ご近所とも親しくなれます。 ハピネス心理学の講座で宮崎先生に引越しで感じたことをお話したときたった一人(伯母)に伝えた私の週間予定を、近所の人や親戚がみんな知っていて「今日は火曜日だからお出かけ?」とか「金曜日なのにいるの?」などと声をかけられるとその情報網のすごさに驚いているとお話したことがありました。すると先生は、「近所のおばあさんたちは、あなたに何を期待しているかわかりますか?何十年も知っている人ばかりの中で変わらずに暮らしてきた人からすればあなたのように、全く外から来た人が、自分たちの暮らしをどう見るのか、聞きたいのです。みんな、あなたから評価されたいのですよ。」 と言われたことがあり、なるほどと思いました。みんなのことも、地域のことも何も知らない私ができること。それは、私の感じるここの良さ、人々の親切なことなど、私の感謝を伝えることだったのです。人には誰でもその人なりの役割があるのだと思い、役割があるありがたさを思いました。 こちらの人は、みんな優しくて、心を開いてくれるので、ありがたいです。これからも、私らしく、ここで生きていけそうな気がしています。
2012.07.22
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この日は七夕でしたが、私の願いは叶いませんでした。前日6日、母を我が家に迎えようと、夫の運転で、下田の実家まで行きましたが、母は「私はこの家から泊りがけで出ることはもう出来ない。」と言い張り、説得3時間も虚しく、とうとう気持ちを変えてはもらえませんでした。 6月初めに帰省したときは、「引越しの片づけが落ち着いたら、家に来てゆっくり泊まっていってほしい。」というと、まんざらでもないような返事をしていたのです。それでてっきり、招待を喜んでくれているものと思い、加えて今年米寿を迎える母のお祝いに、色々思いを巡らしていました。新しくリフォームした我が家に滞在すれば、掃除もままならない下田の自宅より、きっと寛いでもらえるはずだ、とか。母がこちらに滞在している間に、兄弟からの米寿のプレゼントとして、不用品でいっぱいの、痛みの激しい母の台所を片付け、簡単にリフォームしてあげたらどうか、など。兄妹達(私を含め6人!)に私のアイデアを電話やメールで伝え、いろいろ夢を広げていました。 しかし、夫と私が家に着いたとき、母はいつものように私たちの昼食を用意して待っていて、旅行に出かける気配さえありませんでした。あまつさえ、私たちがこれから下田に泊まっていくように、今夜作る夕飯のことを話題にする始末。 「私たちは泊まっていかないよ。一緒に家に来てほしい。」 と頼んでも、「仏さんを置いて、どこかに行くなんてしたくない。」と言い張るのでした。母は毎朝、亡くなった父の祭られている仏壇に、お茶とご飯を上げるのが日課です。 母が我が家に行くことはできないとしてあげた理由は、私にとって思いがけないものもありました。曰く、自宅で自由に思い通りにしているから、なんとか健康を維持しているので、外泊したら、きっと変調をきたす。曰く、母が私の家だけに泊りがけで出かけたら、他の兄弟がやきもちを焼く。米子の姉の出産の時には1ヶ月以上滞在したことがあるけれど、ただ遊びにいくのは、理由にならない。曰く、料理も家事も、保存食作りなどの仕事も、これからは夫の実家の近所の人や家族に聞いてやっていくべきで、実家の母に頼ってはいけない。テレビ番組でも色々紹介している。(料理や野菜の保存食作りを、家に来て教えてと頼んだのに対して。)曰く、娘は嫁いだら、嫁ぎ先のことだけに専念しなければならず、実家の親など世話しようとしてはいけない。母は「折角来てくれたのにごめんなさいね。許してね。でも行くことはできない。勘弁して。」と何度も言うのでした。その場から、米子の姉や同居している兄にも電話して、家に来るよう言ってほしいと頼み、母と話してもらっても最後まで「私は行かない。」と考えを変えてはくれませんでした。 1時過ぎから5時近くまで話しましたが、この日はあきらめて2人で帰ることにしました。 母の挙げた理由の中で最も思いがけなかったのが、「お前だけがそんなことをしたら、他の兄弟がやっかむから行きたくない。」 というものでした。母に「そんなことはないよ。みんなこのことは知っているし、お母さんのお世話よろしくって言ってくれてるよ。」というと、「じゃあ今からみんなに電話して、私は行かないって言いなさい。」 とまで言うのです。母はかなり本気で心配していたようです。 そんなことがあるはずない、と思っていましたが、横浜の長姉にこの件をメールすると「年寄りは環境が変わることが不安だし、恐怖を感じからね。泊りがけで誘うより、お母さんのところに兄弟みんなで行くほうがいいんだろうね。米寿のお祝いは、またみんなで集まって考えよう。今回はお疲れ様でした。気を落とさないでね。」と優しいメールの返信がありました。彼女は在宅介護の仕事をしています。実は長姉とはここ10年来、年賀状のやり取りだけで、会うこともなかったのです。 今思うと、やはり母は不安だったのだと思います。住み慣れた家で、毎日変わらぬ日課で過ごし、長兄のご飯を三度さんど作る暮らし。その環境から離れ、見知らぬ場所で寝泊りするなんて、大変な負担と感じたのでしょう。88歳の母には、環境の変化を楽しむより、変わらないことこそが、安心で安全なことだったのでしょう。加えて母は、私が母に来てほしいという気持ちの中に、母の暮らしをよしとせず、自分の所のほうがきれいで暮らしやすいと思っていることを感じプライドを傷つけられたのかもしれません。私の「上から目線」に反発したのではないかと、後からだんだん思うようになりました。話し合いは、お互い声を荒げることもなく、泣いたり感情的な言葉もなく、穏やかなものでした。それどころか頑固な母が繰り出す「行けない理由」の数々に、思わず笑ってしまうこともありました。同時に母が何度も言っていた、「私は、子どもたちみんなに、私のところに来てほしい。」 という言葉の中に、母親として尊敬してほしい思いも感じました。 私も思い上がっていたかなあ、と思いました。母に何かしてあげたいとか、何か上げたいと考えるのは、私の自己満足だったのかなと思います。母はそれよりも、母が生きている丸ごとに対して、批判せず、敬意を持って受け入れてほしかったのだと思いました。母を我が家に連れてきて、喜んでもらおうと思ったつもりでしたが実は母にそうしてあげられる自分に満足したかったのであって、母のためではなかったのかもしれません。昔、結婚の挨拶に来た夫に母はこういいました。「この娘はお嫁にいけるようには育てていませんが、それでも良ければ、よろしくお願いします。」それは、嫁いで相手の家に入って舅、姑に仕えるようなことはできない娘だ、と言う意味だったのですが、母は今回の引越しを、あたかも私が夫の実家に入ったように考えていることもわかりました。親っていつまでたっても、親で、そんな風に私のことを心配してくれているのです。もっと素直に、何も気兼ねすることなく、私たちの生活を一緒に楽しんでほしいと思ったけれど母には母の言い分もあり、親としての自負もあったのでしょう。本当に沢山のことを学んでいます。親子関係からの学びには、終わりはないようです。
2012.07.07
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この日は木曜日でしたが、英語を(で)学んでいるカプラン表参道校に夕方5時から行ってきました。(カプランには通常、火、水、金で通っています。)7月15日に発表する、ドラマのミニプレゼンテーションに向けた、特別練習日を設定していたからです。 カプランでは半年に一度、各プロジェクトワーク(ドラマ、プレゼンテーション、ディベート)クラスがそれぞれの成果を発表する、プレゼンテーションフェスティバルがありますが、ミニプレゼンテーションは、その中間版。各クラス5分で、プレゼンテーションの予告編を発表します。ミニといっても本格的で、会場はアイビーホールですし、各クラスこの発表に向けて、衣装を揃え、台本を作り、授業以外に特別練習もして取り組みます。そのための、特別練習をクラス仲間の一番参加できる時間帯に設定したら、木曜日の午後5時からになったのでした。 引っ越してから、私の週間スケジュールはこんな風になりました。月曜日:予定なし(在宅)火曜日:午前 野口体操(下落合) 午後2時からカプランで授業(渋谷) 午後4時15分からセルラスのピアザ(浜田山)午後5時半終了で帰宅水曜日:午後2時からカプラン(ドラマのクラス)の後、 英語暗誦のクラスを取り午後4時35分終了帰宅木曜日:予定なし(在宅)金曜日:午前10時20分からカプラン近代史の授業 12時10分から隔週でスピーチや暗誦など英語全般のクラス 午後2時から暗誦のクラスで2時45分終了後帰宅週末はフリー ということでこれに片道2時間の電車とバスの通学が加わります。 夫は最初、「都内に出るのは週2日までにして、こちらでの生活を大事にしてほしい。」という希望でした。4月29日のカプランでの発表会『イングリッシュプレゼンテーションフェスティバル』が終わったら、カプランはやめるかプロジェクトワークだけでも止めて、家のことに専念してほしかったのです。田舎で庭や畑のある家に暮らすというのは、都会のマンション暮らしからは考えられないくらい、やることがあります。また、やりたいことも色々出てきます。庭づくりも、目の前の雑草を抜くのに終われ、まだ手付かずです。夫が作る野菜も随分出来るようになりました。丹精して作ったものだと思うと、やはり無駄にはできません。ですが毎日10本以上のきゅうりやトマトも5個、6個、茄子やピーマンも食べきれないほど取れます。毎日食べても、消化し切れません。それで通販で糠みそのセットを買い、漬物を始めました。 自宅でパンも焼いてみたいと思い、イーストのように使える顆粒の天然酵母を買いました。ガスオーブンを使うようになったので、トライしたいと思ったのです。もちろんお掃除も、広い分、時間がかかるようになりました。家事に専念したとしても、今までの何倍も、時間とエネルギーがかかります。 ところが、カプランやセルラス、児童文学の読書会などもろもろの活動は、色々イレギュラーなイベントもあったり、集中して取り組まなければならないことも出てきます。そして、今回の特別練習のようなことが入ると、あっという間に毎日都内に行くことになります。それは仕方ないと思っていました。それで、「木曜日も出かけます。」とスケジュール変更を夫に告げたとき、彼からこういわれました。 「基本的に週3日以上は、出かけないという気持ちがあるの?どうして木曜日や月曜日に予定を入れるの?そこは空いている日じゃなくて、家のことをする日なんだよ。その自覚がある?」これを聞いたとき、最初に感じたのは反発でした。予定が入るのは仕方ないんだから、家のことをやれなんて言って、私の行動を拘束しないでほしい。そう思ったのです。 でも話し合っていくうちに、私の考え方の問題が見えてきました。私は自分のことを、「無職の専業主婦だから、時間も予定も何とでもなる。忙しいみんなの都合を優先して、自分はみんなに合わせよう。」と考えて、スケジュールの調整の度に、何の主張もせず「いつでもいいよ。」と言い、どんな予定になっても、それに合わせようと思っていました。仕事を持たず、学生でもない自分を、みんなの調整弁のように考えていたことに気づいたのです。夫の一言はかなりの苦言でしたが、私が自分のことをどう考え、どう取り扱っているか、気がつくことができました。いつのまにか、無職の自分には、都合を主張する権利もなく、他の人の条件を常に優先させなければいけないと考えていたのです。 私は「無職」であることに、こんなにも劣等感を持っていました。それに気づけたのは幸いでした。今まで無意識にやっていたことを、意識できるからです。「無職」は私が積極的に選んだ状態で、私は不況の被害者でもなければ、怠け者であるわけでもありません。劣等感など持つ必要はありませんでした。もっと自分を大切にしなければいけないし、「家のことをする」ことを仕事や学校の下位に位置づけるような考えは、変えていきたいです。私はという人間は、反発や怒りを感じたときに逆に自省ができ、それまでの考え方の枠に気づくことが多い気がします。今回もそうでした。 少しずつ気づきながら、少しずつ変わっていきたいです。
2012.07.05
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Sad news と題するメールが、イギリスのホストファミリーのジュディから送られてきました。サッドニュースとは、訃報です。私がイギリス滞在中に、義母が亡くなり、葬儀に帰国するのを勤務先に報告するメールをジュディが文案を作って手伝ってくれたときに、教えてもらいました。ジュディのお母さんのシーが、6月20日で84歳の誕生日を迎えたばかりでしたが、7月1日に天に召されたのでした。3年前私が彼らのところに滞在中、ジュディとジェフは何度もシーラの住むヨークを訪れ私も一緒に連れて行ってくれたので、シーラやジュディの家族と親しくなりました。シーラはケアつきのフラット(老人用の集合住宅)に住み週に一度、近所に住んでいるジュディの妹のアリソンが掃除や洗濯、買い物などを手伝っていました。脳梗塞の後遺症で、足が不自由になり、車椅子での生活でした。 大変な読書家で、編み物が上手で、そして少し(?)頑固で、自分の考えや生活スタイルを頑なに変えないので、娘や息子たちに手を焼かせることも、よくありました。私の名前の「しげこ」が発音できず、何度も練習したのに「シュガーキューブ」と覚えてしまった人でした。私を呼ぶ「シュガーキューブ!」という声を懐かしく思い出します。シーラは教育熱心でした。子どもたちを良い学校に入れるため、長距離トラックの運転手だったお父さんの収入だけでは足りないと、自分もずっと働き続けたそうです。 そのためジュディも、お兄さんのボブも妹のアリソンも、小さいころから家のことや牛乳配達の手伝いをして家事や家計を助けたそうです。ジュディは大学教育を受け、教員になり、ジェフと結婚後は、2人の子どもたちを大学まで出しました。シーラは非常に厳しいお母さんであり、また愛情表現が乏しい人だったと、ジュディの母親に対する複雑な思いを、何度か聞いたことがあります。イギリス人同士の挨拶でよく見かける、ハグやキスも、ジュディはジェフと出会い、彼の家族と付き合うようになるまで、自分の母親とはしたことがなかったそうです。愛情表現が下手で、厳しい母親という話を聞き、私の母と重なるところが多く、帰国してからも、お互いの母親とのやり取りや、扱いの難しいことなど、よくメールで伝え合ってきました。シーラの訃報のメールを読んだ時は、しばらく涙が止まりませんでした。もちろんシーラの死を悼む気持ちですが、残されたジュディやアリソンの心情を思う涙でもありました。もしも2人が、最後まで何かわだかまりを残したままだったら、ジュディの胸中はどんなだろうと思ったのです。 ジュディへの返信には、シーラが私に私にとても優しくしてくれたこと私が訪ねると、いつもとても喜んでくれたことなど、懐かしい思い出を書きました。それに続けて「若い頃大変だったシーラの人生は晩年とても豊かで実り多かったと思う。3人の子どもと7人の孫、そして4人のひ孫に恵まれて、みんなに愛されたのだからと。」ジュディからは、「長く悲しみすぎないで。どうぞ母の死を祝ってあげてください。母の人生は良い人生でした。」という返事が来ました。「良い人生でした。」万感のこもる一行でした。「私も、彼女が良い人生を送れたことをお祝いしなくてはいけませんね。」と書いたあと、こう続けました。「大切なことに気づくことができました。私も母との時間をもっともっと大切にしなくてはいけないということ。この時間はいつか終わるということ、だからこそ、今母と良い時間を心して過ごさなければと思いました。10日には88歳の誕生日を迎える母を、私たちの新居に招いて、滞在してもらおうと思っています。」と書きました。ジュディからは、「あなたのお母さんは、この世にたった一人なんだから、できるだけ沢山の時間を一緒に過ごしてあげて。」と返事がありました。医師から告げられたお母さんの死因についても触れ、「大きな脳梗塞の再発が直接の死因だったと医師から説明を受けました。母はこれ以上の障害を負うことをとても恐れていたので、すぐに死が訪れたことは、母にとっても幸いだったと思います。私たち家族は、お互いのことを支えあい、励ましあい、思いを分かち合っています。 どうぞあなたも、お母さんと楽しい時間を過ごしてください。」とメールが結ばれていました。 ジュディのお母さんの訃報に触れ、その悲しみや家族の思いを分かち合ってくれたジュディ。それは、今も私を家族の一員として考えてくれているというメッセージに思えました。同時に、お互い高齢の母を持つ娘同士として、分かり合えること、分かち合える思いがたくさんあったことも、ありがたく感じました。親子という深い縁、それぞれの人生がそれぞれに与えるものは、計り知れません。それを親子の間だけで閉じてしまうのではなく、こうして海を隔てた人とさえ、思いを伝え合い、悲しみや喜びを分かち合えることは、とても力を与えてくれます。ジュディたち家族と出会えたことに、一層感謝しました。
2012.07.02
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6月30日(土)は新松戸で、ハピネス心理学講座の5回目(最終回)がありました。3月から通い始めた講座、ハピネス心理学の、リバースプログラムの講座でした。 ハピネス心理学というのは、宮崎英二先生が構築し、日本全国及びフランスでも講座を開講していらっしゃいます。ハピネス心理学というと、なんだかポップな名前で、中身が想像しにくいかもしれませんが、人間関係を円滑にし、自分の人生の目的を知るためにも、とても役に立つ、奥深い講座でした。私が最初にこの講座に参加して、一番心に響いたメッセージは、これでした。以下テキストより引用:人はみんな「認めてほしい」「ほめてほしい」「勇気づけがほしい」と願っています。その思いに焦点をあわせて、的確なことばで表現すると、どんな人でも「やる気と勇気」がわき上がってきます。(中略)(前略)欲求を簡単なことばで表現すると「ほめられたい」「認められたい」「勇気づけをしてほしい」の3つの欲求に集約されます。これは、万人に共通するもので、そのルーツは受胎時に始まって終生消えることはありません。あらゆる人々がこれを求めていることがわかれば、それを実行すればいいのだが、何故できないのでしょう。それは、ほとんどの人が「ほめられたことがない」「勇気づけられたことがない」・・・それどころか「批判と非難」に加えて勇気くじきのことばを浴びせられ続けてきたからです。(後略) ここまで引用 ハピネス心理学で言う「勇気」とは、困難に立ち向かう力・失敗を恐れない力・行動を起こす決心の心を持つことであり目の前の課題につねに挑戦する成長の力のことです。そして勇気づけとは、人生の課題に立ち向かい、解決していくという自信を持てるように援助することなのだそうです。 誰もが求めているのに、「認める」「ほめる」ことは、案外難しく、ともすれば、相手の勇気をくじくようなことばを発してしまいがちです。それは、私たちが、これまであまりほめられたり認められたりしてこなかったので、そのようなことばが心のうちに育っていないからなのです。そして誰よりも、ほめてほしい、認めてほしい相手は母親なのですが、母親自身が認められてこなかったために、自分がほめられたい、認められたいという強い欲求を持っていることがあり、すると子どもをほめたり認めたりできないのです。これでは双方が求めても得られず、欲求不満のまま相手を責めてしまうのではないでしょうか。 そんな親子の関係を大きく変える方法が、自分の母親に勇気づけのことばを送ることなのだと聞いたとき、何かが私の中で変化しました。求めても得られないと嘆くより、まず自分の方からほめて勇気づけることばを贈ればよかったのです。 自分に自信がないのを母のせいのように思ってきたけれど、母こそ、家族のために努力し、尽くし続けてきても、それをほめられたことも感謝されたこともなく、逆に不足を言われ続けてきたのではないでしょうか。母は、小学生になるかならないかで10人の弟妹を含む大家族の食事作りを担い、12歳から子守奉公に出され、嫁いでからも、困窮と病苦の中で6人もの子どもを授かり、40代始めに父を亡くした後は、一人で農業と子育てをしてきたのでした。それを認められ、ほめられたことや、感謝のことばを受け取ったことは、おそらく母には一度もなかったでしょう。やって当たり前、できて当たり前のことと、本人も、私たち子どもを含む周囲も考えてきたのです。 母が受け取ったことのない「勇気づけのことば」を、子どもに対して口にしたことがないのは、無理のないことだったとつくづく思いました。そう気がついたら、私の中で何かがゆっくりと変化していきました。感謝は私のほうから、ことばで伝えたらいいんだ。ことばにするだけでなく、贈り物やカードのように目に見える形にして、ことあるごとに伝えよう。 そう思い、そして実行しました。行動することは、変化を加速します。 つくづく、ことばというのは大変な力を持っていると思います。 母がしてくれたことに感謝を伝え、また母の苦労や努力に、「よくやってきたよね。」「大変だったよね。」「誰でも出来ることじゃないよ。」と労いと賛嘆の気持ちを伝えると、私の中の母親像が変わってくるのです。掛け値なしの尊敬や愛しいという気持ちが、どんどん湧き上がってきました。そういう目で見るとこれまで見えなかった、母の偉大さ、立派さ、けなげさが、どんどん見えてきます。88歳の今も、三度さんど食事を作っているし、テレビの料理番組を見ては、新しい料理に挑戦しているのも、すごい。食事や色々な生活習慣を自分なりに気をつけて、健康を維持していることも立派です。 「ほめる」ハードルは一度越えてしまうと、どんどん低くなります。(笑)本当に何でもほめたくなるし、感謝できるようになるのです。「ほめる」ことの持つ力は、なんとパワフルなのでしょう。 ハピネス心理学は、私にこんな変化をもたらしてくれました。講師の宮崎先生や、一緒に講座に参加していたみなさんもとても魅力的で尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。人は必要なときに、必要な人に会い、必要なものを受け取るのでしょう。人をほめて認めることで、自分の体質を変え、人間関係を劇的に変えていくことができるとは、本当にありがたいことです。あらゆる人間関係を、「尊敬」と「信頼」と「感謝」に満ちたものにする。 それは決して夢ではないように感じています。
2012.06.30
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5月24日木曜日に、品川のマンションを引き払い、夫の実家に引っ越してきました。それから2週間以上がたちましたが、その間ブログの更新が全く出来ませんでした。(それくらい大変でした。)引越しはある種の清算行為にも似ています。ひとつの暮らしを閉じ、新しい暮らしを始めるために、古いものを新しい入れ物に移し変えるのです。新しい入れ物は、リフォームした夫の実家、無垢材のフローリングと漆喰の壁で出来た、断熱材まで天然素材にこだわった家です。実は、品川での引越しの荷造り、最後は時間切れで、不用品の処分や自分たちの持ち物の見直しが、思ったほどには出来ませんでした。ですから、引越屋さんに、荷物を運び込んでいただいたときに、「これはどこに置きますか?」と聞かれて、置く場所が決まっていないものがたくさんありました。「とりあえず、そこに・・・。」何度、力なくそのコトバを繰り返したことでしょう。私たちは、新しい暮らしを、どんな風にしていくのか、どの部屋に何を置いてどう使っていくのか、明確なイメージのないまま、引っ越してきてしまったのでした。 (まあ、荷造りが終わったのが当日の午前3時半でしたから、何おかいわんや、ですが。) この「とりあえず」は、後で何倍にもなって、負担となって返って来ました。(先延ばしは、負担を増大させます。) 引越し後3日間、夫は都内に外出する用事が続き、私はダンボールの海に、ひとり残りました。ダンボールをあける毎に、私が「処分しよう」と言い、夫が「残して持っていく」と応えた物たち本、食器、衣類、その他雑多なものが出てきて、そのたびに残念な思いがわき、遅々として荷解きが進みませんでした。一度しまってしまったら、もう処分する機会は来ないし、自由なスペースが物で埋まってしまうことへの嫌悪感が、私の動きを止めてしまいました。そのときの私は「悔い」でいっぱいでした。自分も引越しギリギリまで、毎日のようにカプランに行き、セルラスの集まりにも出、友達とも会い続け、本気で片付けに向き合わなかったのです。夫婦できちんと物と向き合いながら話し合うこともせず、考え方の違いもそのまま持ち越してしまいました。私が外出している間に、夫はほとんどの本と食器、そのほか様々な品物を荷詰めしてくれたのです。そういう「持ち越し」たことや「向き合わなかった」こと、「話し合わなかった」ことが、新しい家に全部持ち込まれて、表面に出てきました。荷解きの大変さは、肉体的な負担よりも、そういう精神的な負担の方が大きかったです。加えて、すぐ近くに住む親戚や近所の人たちが、「家を見せて」とやって来ます。この散らかり放題の様子を見て、みんな気の毒そうな表情をして帰っていくように、私には見えました。 特に近所の85歳になる伯母が言った「これじゃあ○○子さんは、しばらくどこにも出られないねえ。」という言葉が重かった。 引越し後、私も都内への外出が続き、片付けの終わっていない家に鍵をかけて日中外出していることに、強い罪悪感を感じました。 私は「近所の目」を意識し、「良い主婦」像に程遠い自分を責め続けました。またぞろ、『人に良く見られらたい』という意識が頭をもたげて、自分で苦しみを作ったのでした。カプラン(英語の学校)やセルラスのピアザに出るために渋谷や新宿に行くと、片道2時間の道のりですが、往きは家のことが気になり、疲れでぐったりしているのに帰りは何ヶ国語かのシャドウイングをしたり、スピーチの暗誦をしたりできるくらい元気になっている自分も発見しました。田舎での新生活と、これまで都内で続けてきた色々な活動のバランスをどうとっていくのか、そもそも続けていくのが『正しい』選択なのか考え続けましたが、正しいかどうかはともかく、やはり『楽しい」ということは確かだと感じました。ものには全てタイミングがありますね。都内で全部の片づけが終わらなかったのも、夫と物に対する意識が違ったままでこちらに来たのも、それはそれで意味があったようです。私たちが向き合う荷物は、品川で使っていたものだけではなく、昨年の夏片付けた、夫の実家のものたちもありました。品川の荷物は、私たちのこれまでの人生を象徴していますが、実家の荷物は夫の育った家や家族を象徴しています。ただでさえ物を捨てることに抵抗のある夫です。実家の荷物と向き合うのは、かなり辛く、最後まで押入れの中にしまったものをあけて見ることさえしませんでした。 その夫が、ほとんど片付けの終わった家の中で、最後まで手付かずで残っていたその押入れを、とうとう開けました。そして自分で中身をみて、いるもの、いらないもの、まだ決められないものに分類し始めたのです。この作業は私には手出しも口出しもできません。夫にとっては、ある種神聖な行為なのかもしれない、とそばで手伝いながら思っていました。私の方は、納戸部屋を自分の書斎にして、勉強道具や趣味の道具を運び込んだら、すごく楽しくなりました。片づけが終盤にかかってくると、都内での活動で出会う人や新たな情報が、今の私にとってどれほど大切なことかわかります。自分のこれから進んでいく方向を考える上で、絶えず良い刺激を与えてもらっているのです。自宅に帰って得られる、静寂、鳥のさえずりや梢を抜ける風の音という自然音しかない生活が、どれほど心を癒すか。そして広々としたスペースと白い壁、木の床に囲まれた部屋が、心まで深呼吸させてくれるのを感じています。もう都内の暮らしに戻りたいとは、全く思いません。引越しとその後の片付け、これまでの暮らしと新しい暮らしの調整を通して、人生の大きな通過儀礼を終えたような気がします。全部必要なことだったのでしょう。先日カプランで3分間スピーチをした際、引越しのことを語ったら、石渡先生がキャッチフレーズを作ってくれました。いわく、「ニュープレイス、ニューライフ」!新しい土地に暮らし始めることは、同時に新しい人生の始まりなのです。ニュープレイス、ニューライフなんだかわくわくしてきます。
2012.06.09
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今日はこれから新しい家に行って、明日のカーテンの取り付けや引越し前のお掃除等々、色々準備をしてきます。新しい家には、まだ家具も何も入っていません。引越し前ですから当たり前ですが、何も置いていない家って、本当に広々して気持ち良いいんです!このまま何も置くことなく、暮らしたいって思うくらいです!!!スペースって広々していると、それだけで人を幸せにしてくれるし、想像力も大いに広がります。そこには、これから何をしても、何を置いてもいいという、自由が満ちているから。自由は人を幸せにするんですね。 何もないって、いいんですよ、本当に!これって、人生にも当てはまるじゃないかと思います。 今、何も持っていなくても、財産とか仕事の実績とか定収入とか、明確な人生の目標とか、それに到達するための戦略とか計画とか、何もなくても、ただ自由に、夢ややりたいことが思い描ける開かれたスペースがあっていらなくなったものはどんどん流れていく、開かれた道(出入り口)があればそれだけで、人は十分幸せになれるんじゃないかと思います。来るもの拒まず、去るものは追わず。成果を焦ることなく、手に入れたものに執着しない。必要とあらば、いつでも他に入用な人に手渡すことができる。そんな軽い心持で、空いたスペースいっぱい、大きな夢を描いてみたい。誰の目も気にすることなく、自分で自分を制限することなく。そんな風に生きられたら、本当に幸せだろうと思います。 さて、まずその事始めに、空いたスペースのお掃除をしに行ってきます!夢は身体を動かして初めて、活き活きしてくるのかもしれませんね。
2012.05.21
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もうすぐ日食の始まる時間となってしまいました。なかなか落ち着いて日記が書けないうちに、あっという間に引越しはもう3日後です。19日の土曜日、目黒区の友達が我が家を見たいというので、彼女の車で送ってもらって一緒に家を見に行きました。この土日は、我が家を作ってくれた、木の住まい舎の佐藤さんが、現地見学会を開いていました。我が家をモデルハウスにして、何人かの方に彼の建築のコンセプトなどを説明したとのこと。午後私たちが到着した時にも、お客様が一人見えていました。またこの日は設計をしてくれた、建築士の湊さんも奥様と小学生のお嬢さん2人を連れて観に来てくれ、みんなでお茶をいただきながら楽しい時間をすごしました。この日一緒に行った友達は建築にとても興味があり、これからの家具の配置や庭の造作などについて、色々なアドバイスをしてくれました。友達曰く、「東名厚木インターから15分なんて近いよ。」とのことで、これからも農産物などもらいがてら、ちょくちょく訪問してくれるとのことでした。 夫は彼女に家の中を案内するのが本当にうれしそうでした。レイアウトの検討をしていた頃から、自分で案を考え、図面を描いて提案し、建築士さんや大工さんと何度も打ち合わせをしてきたのは夫です。工事が始まってからは、現場に足しげく通い、大工さんたちにお菓子を差し入れつつ、いろんな話をしてきてくれました。おかげで、リフォームは予想以上に良い仕上りになり、夫は本当にうれしそうです。私もうれしいですが、夫の幸せそうなのを見ていると一層うれしくなります。この家は夫の実家ですし、彼が育った家でもあり、また江戸時代から続く本家のこの家には、彼は特別な思い入れがあったようです。亡くなった長兄の病気が不治のものだと知ったときから、夫は何がしかの覚悟を持っていたようです。残念なことに、思いがけなく早くに義兄が亡くなり、彼はここに住んで家を守るという覚悟を実現しなければなりませんでした。冬は寒くて家の中で氷が張るほどだったという彼の実家に住むのなら、断熱材ひとつとっても、リフォームは必要欠くべからざるものでした。早期退職前提の長期休暇に入ったのを機に、まるで仕事であるかのように、家のリフォームに取り組んできた夫です。私はなんとなく一歩引いて、彼が一番良いようにしていたら、間違いないという思いもあり、引き続き、セルラスの活動やカプランで英語を使ってする様々なワークに夢中で取り組んできました。転居後、一気に生活の軸足を実家と農業に移す夫に比べて、私は今後も児童文学関連の読書会などにも、引き続き都内に出かける予定です。「ほとんど家にいないんじゃない?」とあきれつつ夫は笑っています。その笑顔に救われつつ、これからの新生活を2人で作っていくことでしょう。夫が幸せだと、私はなおのこと自由になるようです。世の中には色々な夫婦がいるのでしょうが、私たち夫婦も、つくづく面白い組み合わせだと思います。 幸せな夫は、ありがたい存在です。
2012.05.20
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今日は夫が一人で、リフォーム中の我が家に出向き、カーテンの採寸に立ち会っています。午前中は、畑の草刈り。(道路から見えるところの畑で、我が家のところだけ草ぼうぼうでした!)お昼の後、市役所の方と、昨年度末の道路工事の影響で、トラクターが入れなくなってしまった畑の通路の確認。そしてカーテンを作っていただくための、採寸立会いと、一人ですごい働きっぷりです。 私は、今日は家で引越しのための片付けをするという約束です。(こうしてブログ書いてますが。)家の完成は18日(金)で、この日が引渡し。21日(月)に引越しをしようと、引越し会社の予約を取ってありました。ところがさっき夫から電話がかかってきて、大工さんから、引越し日を変更したほうが良いとアドバイスされたとのことでした。21日は仏滅なのだそうです。リフォーム工事が長引いて引渡しが出来ないからかと思いましたが、完成は予定通り18日だとのこと。私たち夫婦は、仏滅について全く気にしていませんでしたが、大工さんは、「仏滅の引越しは止めたほうが良い。」と、強く変更を勧めているとのことでした。 そこで引越し会社とも話し合って、24日(木)の先勝の日にすることにしました。なんでも先勝は、大安の次に良い日だそうです。一生懸命家を作ってくれている大工さんが、気にしたほうが良いというのですから、何か聞くべきものがあるのでしょう。大工の佐藤さんは、我が家のリフォーム工事に当たって、気の流れとか、方位とか北側の部屋を明るくする(天窓を作りました。)など、目に見えない部分も大事に考えてくださっていました。着工前には、家の重要な方角や、トイレ台所、玄関など大事な場所に、塩と酒をまいて、お清めの儀式をし、着工の安全をお祈りしました。軒下から出てきた、ミイラ化した猫の屍骸も丁重に埋葬してくれましたし、亡くなった母の寝室の場所に来たときは「ここは誰か長く寝ていられましたか?」と私たちに聞き、母のことを伝えると、そこも塩と酒でお清めしていました。 また軒下の地面は、セメントを流してしまういわゆる"ベタ基礎”という手法だと気の流れを止めてしまうとして 炭を一面に敷き詰めて、湿気対策を施してくれた、見えないところに手を掛けてくれていると感じました。夫もそんな佐藤さんに全幅の信頼を置いているので、佐藤さんがそういうならと、引越し日を変更したようです。 あちらに引っ越すと、都心に出るのに最寄り駅までバス利用すると、片道約2時間かかるようになります。 昨年までは、引越しを機に、都心で活動しているあらゆることをいったんやめて、生活の拠点を全て引っ越し先の地域に移す積もりでした。夫の畑仕事を手伝ったり、庭造りをしたり、お料理や保存食作りなどしながら、ゆったり暮らしを楽しもうと思ったからです。ところがここに来て、セルラスで所属している新宿ピアザの活動(毎週火曜、夜7時から8時半)や、カプラン表参道校で、仲間と英語で英語を学ぶこと。(週2回は必修の授業があります。)またずっと続けている野口体操(火曜10時から下落合)もますます面白くなってきて、しばらく続けたいと思うようになりました。 これに加えて、この3月から8月まで「ハピネス心理学」の講座に月1回参加していますし8月19日から22日のセルラスの国際交流キャンプにも出たい。(準備にもかかわることになるでしょう。)そして8月23日、24日には、アジア児童文学学会が、今年は青山の国連大学で開催され、知り合いが事務局をしているので、すでに申し込みを済ませています。そんなこんなで、しばらく週に2,3回は都心に出てくる生活がやめられそうもありません。 にもかかわらず引越し先の新しい家でも、やりたいことが沢山あります。まずは、家を建ててくれた建築士さんや大工さん、左官屋さんなど様々な職人さんたちに「家見せ」という食事会を開きたいですし、あちらでお世話になる義姉や従兄弟の家族もお招きしたい。9月にはセルラスの新しいピアザを立ち上げるためのセミナーをするので、その準備も始まるでしょう。一体回っていくんだろうかという不安をよそに、やりたいことばかりが、次からつぎへと浮かんできます。 始める前から、出来るか出来ないかを心配しない。やってみないことは、決してできない。やったことしか出来るようにはならないし、失敗しても失うものはない。 なんてことを考えて、頭をもたげる不安な気持ちを撫でさすって落ち着かせあんまり最初にブレーキを踏んだり、制限してしまわずにチャンスがあれば、できることをやりつつ、暮らしのペースを作っていこうと思います。 今回の家のリフォームは、夫が本当によくやってくれました。その甲斐あって「良い家になったね。全く以前の家とは違うよね。」と、ニコニコしながら喜んでいます。そして毎回写真を撮って、一緒に行かなかったときは、私に見せてくれます。既に畑に夏野菜も植えていて、引っ越し次第やりたい農作業も沢山あるようです。 夫が幸せそうなのが、今回のリフォームと引越しの何よりの収穫です。今まで(いえ、今もですが)夫は私に尽くすばかりだったような気がしますが、今回は本当に自分の好きなことが出来たのではないでしょうか。夫婦ともに、自分のやりたいことが出来るなんて、本当にありがたいことです。新たな生活を、2人で幸せな気持ちで始められそうです。
2012.05.10
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今日の内容に入る前に、4月中の日記を2件アップしましたのでお知らせします。4月22日 セルラス セミナリオの報告4月29日 イングリッシュ・フェスティバルカプラン表参道校 では、本日の本題に・・・。今日も工事中の新居に行ってきました。私は庭の草刈りや片付け、夫は畑や竹やぶの手入れをしようと思っていたのですが生憎の天気のため、ほとんど一日リフォーム工事中の家の中で過ごしました。 今回我が家のリフォームをしてくれたのは、樹の住まい舎の佐藤良則さん。 一人で家を一件建てることのできる技術を持ち、建築に新建材や合板、化学物質の入ったものは極力使わず、なるべく地域の木材から作った天然無垢材を使って家を建ててくれる、頼りがいのある大工さんです。他に協力してくれた大工さんが二人、左官屋さん、屋根職人さん、タイル職人さん、電気屋さん等々、みんな佐藤さんの縁で一緒に仕事をしている方達で、いずれ劣らぬ技術の持ち主。丁寧な仕事をしてくれています。 今日は玄関のテラコッタタイルを貼りに、タイル職人さんが来ていました。テラコッタタイルの正方形に合わせて、こねたセメントを少しずつ四角の枠から埋めて行きまるでケーキの台の上の生クリームのようにした上に、タイルを置いて貼っていくのです。セメントを置いていく様子が、まるで砂浜で、砂のお城でも作っているようで、楽しいのです。思わずそう言ってしまって、慌てて口を押さえました。するとタイル職人さんが、笑って「僕は子どもの頃砂場遊びの達人でしたよ。親が面倒見るのがとても楽だったと言ってました。砂場にさえ連れて行けば、一日中だって集中して、砂で遊んでいる子どもだったから。」砂場遊びの達人が、そのまま職業になってしまうなんて、何て幸福な仕事との出会いなんでしょう。 今日来ていたもう一人の大工さんのAさんは、お昼休みのとき、アイパットに入れてある自宅の写真を見せてくれました。3年を掛けて、頂き物の廃材などを使いながら、板材を磨き色を塗り整形して作ったその家は、北米風のカントリー調の家で、新築とは思えない風合いを出していました。「自分の家だからやったけど、普通だったら人工(にんく)がかかりすぎて、絶対出来ない仕事だよ。」と笑っていました。廃材の木材を使うと一言で言っても、釘を抜き、表面にヤスリをかけ、整形し、その後ペイント材を調合して色を塗るまで、全て自分でやったのだそうです。色はくすんだブルーですが、古びた感じを出すようないろんな色合いに作ってあり家具も小物入れなどの小さなものも、全部一人で作っているのです。作る過程そのものを、心から楽しんだことが伝わってくる、とても素敵な家でした。 佐藤さんもそうですが、ここに来ている職人さんたちは、みんなとても明るいのです。仕事も人生の楽しみで、楽しむことに真剣だから、こんなに明るくて楽しそうなのかなと思います。好きなことを仕事にして、精進を続け、精進することさえ究極の楽しみ。それが職人さんなのでしょうか。 こんなにハッピーな職人さんに家を作ってもらって、私たち夫婦も、本当に幸せ者です。
2012.05.04
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4月の最終日は、とても穏やかな一日でした。思えば私は、今年の初めからずっと走り続けてきたような気がします。それは、とても楽しい走りでした。走るにつれ、周囲を流れる景色はどんどん変わって行き、それはそれは、刺激的な経験でした。 夫はいつも応援してくれました。たとえ最初は、戸惑いや疑問を呈していても私が本気で取り組んでいるのがわかると、一番良い方法を一緒に考えてくれて最後は「やって良かったね。」と全面支援に変わってしまっています。 人って面白い。変化って不思議です。いろんな状況、人間関係、そして制限を伴う条件や、何かに対する人の感情。変わりそうもないと思っていること、変わるなんて考えられないと思っているようなことでも時間とともに、または何か新しいことを体験して実感が変わるとともに、気がつくと驚くほど変わっているのです。 4月はそんなことがたくさんありました。 昨日は、売りに出している我が家を見に、初めて一組のご家族がいらっしゃいました。11時頃のお約束だったので、朝から二人で掃除をして、不動産屋さんが案内していらっしゃるご家族を待ちました。掃除しながらいろんなことを話しました。私たちが20年近く前、今の場所に引っ越してくるために、マンションを見て回っていた頃のこと。売ることが不本意だという気持ちがにじみ出ている方や、物があふれていて、この部屋は見せられない、というお家もあったことを思い出し自分たちが今、同じように家を売りに出しているけれど二人とも住まいに愛情を感じ、二人で息を合わせて掃除したり片付けたりできること。 良い縁があって、買ってくれたご家族が、幸せに暮らしていってほしいと願えることの幸せを思いました。今住んでいるマンションにも、引越し先の彼の実家にも、二人が同じ思いと愛情を持って暮らしていけると感じます。これも本当にありがたい変化です。 物は少ないほうが良い。家具も含めてなるべくものを置かないことが、掃除を含めて、心地よく暮らし続けるのを助けてくれる。今では夫の口から、この言葉が出てきます!(笑) 昨日のカプランのイングリッシュ・フェスティバルも見に来てくれて「君が選んだ方向は良かったんじゃない。」と、私が一月に入学を決めてからのことを評価してくれました。最初は引越しまでの3ヶ月だけと言っていたのに、今では引越し後も続けることに同意し、応援してくれています。 うれしい変化が続いています。それはお互い、生活が変化し、新しいことに挑戦し、体験を通して積み上げた実感があるからでしょう。これからも変化は続き、益々加速していくかもしれません。二人でずっと、変化を楽しんでいけたらいいな、と思います。変化への期待とこれまでへの感謝を、四月の終わりにひとしお感じています。
2012.04.30
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