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今週の月曜日に、会社の契約更新があった。韓国では日本のように終身雇用制ではないから、1年ごとに雇用契約を更新する。給料も年俸制なので、契約更新時に次年度の年俸も交渉する。とは言え、一般社員の場合は形式上書類にサインするだけで、仰々しい交渉事などは無いから、感覚的には日本の雇用形態とあまり変らないのかも知れない。僕の場合は実際に社長や重役達と会って、直接話をしないといけない。事前に業務査定やら何やら、人事とのやり取りはあるものの、最終決定は社長がする。結果は開発部長のタイトルと、給料も2割程上げてくれる事でケリがついた。仕事の範囲が広くなるので面白くはあれど、余計な会議なんかも増えるだろうから、トントンかも知れない。むしろ、日本人の下で働くのを快く思わない者も居るだろうから、気苦労が増えてくるだろう。少し気が重い。 (~-_-)~ ~(-_-~)韓国の会社での肩書きは、日本のそれとは若干重みが異なる。日本の場合、平均して係長まで7年から10年、課長までさらに10年というところではないかと思う。課長以降は年数よりも世渡りの上手如何に因るだろう。韓国の場合、日本の係長にあたる代理まで約5年、その上の課長までさらに3年から5年位で上がれる。但しこのタイトルは、必ずしも組織形態やマネジメント体制とは一致しないから、代理や課長は各部署に何人もいる。課長より上の肩書きはぐっと少ない。だから実質のマネジメントを担当するのは、次長以上ということになる。世渡り術は日本以上に必要だが、実力が伴わないと即座に飛ばされるから、総じて日本よりはシビアだ。現に先週まで僕のポストにいた朴部長は、管理部門に移動になる。たぶん近いうちに会社を辞めるだろう。 ♪└(・。・)┐~~~♪更新の翌日に告示が出たが、会う人会う人が皆「昇進おめでとうございます」と祝ってくれる。 本音を言えば一々対応するのが面倒なのだが、とりあえずお礼を言う。問題はその後だ。祝ってくれるのは良いが、二言目には必ず「奢ってください」が出てくる。あまつさえ「何時にしましょうか?私が店を予約しますから」とまで言う輩もいる。知っている人だけならまだ良いが、知らない人達からも皆そのようだから、どうもあんまり気分がよろしくない。韓国では年長者や目上の者が奢る決まりだ。奢ることは別に吝かでないのだが、至極当然のように「奢れ」と言われると何だか釈然としない。 ~(-_-~) (~-_-)~韓国では何か慶事があると、皆を家に招待したりして振舞う。結婚して新居を構えた時のお披露目に始まり、子供の1歳の誕生祝い、或いは親の還暦の祝いなどは、盛大に金をかける。日本でも都市部を除けば、似たような風習は各地にある。韓国と日本は文化的ベースが共通だから当然の事ではある。「施し」ではなく「振る舞い」だ。要するに慶事=「ハレ」の「気」を共有することで、地域集団の強化を図ったものだ。裏を返せば「抜け駆け」や「独り占め」の禁止と引き換えに、集団への帰属を承認するものと言えるだろう。 ┌(・。・)┘~~~♪何かの本で読んだ事には、役人や政治家が私腹を肥やしていたのが発覚すると、ケシカランと国民が憤る。この図式は一見正常なようで、実はその憤りは道義的見地からのものではなく、ほぼ確実に「ウラヤマシイ」という単純な妬みから来るものだそうだ。役人が不正をしたからといって、実際に自分自身が直接不利益を被った訳ではないのに、怒る道理が無いという事らしい。「血税」などという表現を良く見るが、税金は払った時点で自分の管理を離れているから、誰かがそれを着服しようとしまいと、直接には何ら変りはない。逆に考えれば「妬み」の感情は、その対象を「同じ所属集団の一員」として認めている場合に限られる。「同じ日本人」「同じ中流市民」「同じ民族」。。。要するに「ウリ」だ。論が証拠に、ビル・ゲイツが幾ら儲けようとも、フジテレビのシロウト女子アナの年収が1000万円と聞いたとき程には腹が立たないはずだ。このような「妬み」をベースにした「ウリ」意識は、日本人社会のほうが、韓国人よりもむしろ多い様に思う。韓国の場合は「妬み」よりも「恨み」なのだろうか。陰湿な感じはあまり無い。他人の足を引っ張る場合も、日本よりハデにやる。 ┌(・。・)┘♪~~~閑話休題。とまれ夕べは、忘年会を兼ねた宴会と相成った。知らない顔を含め、総勢30人位は居ただろう。総額32万ウォン也。あれだけ飲み食いしてこの値段だから安い。もっとも、この先何度もあるんだろうが。。。 ┌(-。-)┘~♪
2005年12月30日
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12月に入ってまたぞろ仕事が忙しくなってきた。日本では忘年会が盛りの頃だろうが、韓国ではクリスマス休暇も正月休みも無いに等しいから、あんまり日本に居た頃の「年の瀬」という雰囲気は感じない。それでも街中は至る所クリスマスデコレーションだらけだし、市庁前の広場には、巨大なイルミネーションが出現した。ココまでやられると、趣味の悪さも凌駕してしまうから大したものだ。 ┌(・。・)┘♪韓国では街中の教会の数が、日本では考えられないくらいに多い。尖がり屋根の上に十字架を乗っけた建物が、至る所にある。自社ビルを持てない教会は、そこいらの商街ビルの一角で営業していたりする。僕のアパートの道向に、20階建てほどのでっかいビルがある。今年の夏にオープンしたばかりだが、建設中はアパートかオフィスビルだとばかり思っていた。左に非ずこれが教会だった。正確にはキリスト教系宗教法人の本社ビルだ。聞けば此処韓国でも御多分に漏れず、宗教法人はなかなかオイシイ商売なのだとか。正確な数は知らないが、一説によれば、国民の3割程度が教会に通っているそうだ。昼時など会社の食堂でも、膳に箸をつける前に、テーブルの下で手を組んで祈る人が相当数居る。(もっとも胸の前で十字を切る時に、「上下左右」とやる人がたまに居るのはご愛嬌)然しながら、韓国がキリスト教国であるという事では当然無い。日本も然り、韓国でも宗教と言うに値するものは存在しない。個人的解釈だが、「政治の基盤」となり、社会的「倫理規範」や「価値判断」の基になるものは宗教足り得るが、それ以外は単に個人的「信仰」と言うべきであろう。そういう意味では、「ウリナラ最高」思想が宗教ジミていると言えなくも無い。 ~(-_-~) (~-_-)~日曜日に、市内まで用を足しに出かけた。何時ものように地下鉄で行った。車内はそれ程混んでいた訳ではないが、それでも空いている席が無い位には人が乗っていた。僕は運良く座れたのだが、座ってみると何だかとても窮屈だ。7人がけのシートにちょうど7人座っているから、何処かで誰かが、必要以上にユッタリ座っているに相違なかった。よく見れば案の定、僕の隣のアジョシが、1.5人分位のスペースを占領していた。韓国には、日本人が一般に考える「公共道徳」というものは存在しない。公共という概念その物が、もともと無いと言う方が的を得る。もともと無いのだから、公共道徳に悖ると文句を言ってもしょうがない。くだんのアジョシは、小さな本を赤鉛筆片手に熱心に読んでいる。見れば聖書である。日曜の午前の事とて、大方教会にでも行くか行って来たかしたのであろう。その聖書は赤鉛筆で真っ赤に下線が引いてあり、日頃から熱心に勉強しているようだ。しかし余程熱心なキリスト者だからといって、人格者であるという筈がない。聖書の律法も、この国に在っては只の念仏に過ぎないのかもしれない。 (~-_-)~ ~(-_-~)国民的英雄(だった)黄教授は、教会に行くのだろうか。確か旧約の最初の方に、「君達ウソついたらや~よ」と書いてある。でも、聖書に左手を置いて宣誓するアメリカの大統領でさえ、数多のウソをついて平然としているのだから、その程度のものなのだろう。どっちにしても黄教授が「ウリナラ教」に一撃食らわせた事は確かである。 ┌(・。-)┘~♪
2005年12月19日
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