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2011/07/20
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カテゴリ: 櫻井秀勲の目
早朝の博多祇園山笠を走ったその日、加藤清正公の居城であった熊本城を見学に行った。加藤清正といえば、豊臣秀吉の一の側近だった。

武将としても秀れていたが、同時に国を治める名君であり、さらにその上、城造りの天才でもあった。いまでいえば、総務、経済産業、国土交通の3大臣を兼務できるほどの実力をもっていた。

秀吉が亡くなったあと、その子秀頼の傅り役(もりやく)となったが、徳川家康と戦いになったときは、熊本城に秀頼を迎えようと、豪華な「昭君の間」をつくっている。

昭君と将軍を引っかけた言葉といわれているが、この昭君の間から城外に脱出できるカラクリも施されていたという話も残っている。

清正は築城に際して、将兵たちの飲み水を大事にし、多くの井戸を城内に掘らせている。城ではないが、現在、明治神宮に清正公のつくった「清正井」(せいしょうい)が残されている。パワースポットとして有名なので、あなたも知っているのではないか?

また土壁に塩を混ぜたり、するめを塗り込めている。いざ籠城で食料が尽きたとき、この塩分をなめ、するめをかじれば数日は命が保てる、と考えたようだ。

築城の名人だけあって、単に城の形だけ美しくしたのではなかった。あくまでも敵の手に陥ちない工夫がこらされていたのだった。

その証拠に、西南の役では、西郷隆盛の大軍を迎えて、政府軍の谷干城は少ない将兵で城を防ぎ切っている。

そんな熊本城の歴史を、この目で見たかったのだ。





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最終更新日  2011/07/20 12:09:24 PM
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