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2014/10/17
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カテゴリ: 櫻井秀勲の目
つい先月のこと。ラーメン店で口論した客をなぐる、蹴るの暴行を働いたあと、悠然と酒を飲みラーメンセットを完食した男が現場で捕まった。「どうせ男は死ぬだろうから、最後の晩餐だ」と警官にいっていたというから、この男の残虐さには驚くほかない。

私たち人間はどこまで残虐になれるのだろうか? 一体、残虐さは人間の本能なのだろうか? 子どもは本能的に残虐だという。それは痛みというものを知らないからだ、と説明する学者もいるが、それは違う。子どもは痛みを知っているから、いじめで快感をもつのだ、という学者もいる。

私たちは大人になると、子どもの時期のいじめを忘れてしまう。自分はいじめなどしたことはないといっているけれど、実はいくらでもしているらしい。人によっては教育程度が上がれば残酷な行為はしない、というが、だったら朝日新聞の、日本人全体をおとしめたペンの残虐さを、どう説明するのだろう?

私たちは、もともと残酷、残虐性があるのだ、と思うほうが正しいのではあるまいか? 自分を大事にするあまり、敵対する人間を刃向かわせないよう、いろいろな刑罰を考えるのが人間なのではないだろうか?

昔から「虫も殺さない顔で心は鬼」という言葉があるが、どんなに優しい女性でも、口は残酷で心は冷たい。上位者ほど自分の手を下さないで、残酷な命令を下す。また誰でも自分の生活が追い詰められれば、残酷にもなりうるのだろう。

人によっては「人間は美しいもの。残酷な行為をする人は、人間の屑」というが、その屑に、自分でもなりかねないと思っているほうが正しいのではないだろうか? どうも自戒しなければならないような事件が、続発するような気がしてならない。





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最終更新日  2014/10/17 02:29:02 PM
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