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祭りの季節がやってきました。 7月の26日、27日と辻堂は夏祭りでした。諏訪神社の例大祭です。このお祭り、毎年、同じ日に行われるようです。今から850年前(1159年・平治年間)、長野県上諏訪・下諏訪の両大社の分神を祀り、創建されたのが辻堂諏訪神社です。町には山車が練り歩き、子供たちがお囃子に興じていました。駅前町内会 posted by (C)xmod60人形山車 posted by (C)xmod60東西南北勢揃い posted by (C)xmod60お神輿も参入、人形山車と競演です。神輿も参入 posted by (C)xmod60普段は静かな住宅街で昔風の銭湯もありました。こういう風呂屋に行ってみたいですね。住宅街の屋台 posted by (C)xmod60昔風銭湯 posted by (C)xmod60
2013.07.27
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最近、大雨は降らないが、蒸し暑い日が続いています。今年も、藤の花の2度咲きを見ました。藤の花は藤沢だけあって、あちこち公園には藤棚があります。今は、藤の実がひょうたんのようになっていますが、たまに、2度咲きの花が見つかります。良寛さんも2度咲きしたのでしょうか?うらを見せおもてを見せてちるもみぢこれは、良寛さんの辞世の句といわれていますが散る桜 残る桜も 散る桜も、ウェブに辞世の句とありました。特攻隊の歌とよくありますが
2013.07.23
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久しぶりに、名画を見ました。辻堂図書館で、無料で冷房も効いており快適でした。栗原小巻も可愛かった。この映画、三浦哲郎原作で監督は熊井啓、主演は最初、吉永小百合の予定であったが実現しなかったそうです。Webには、中国で翻訳したのか、全篇が出ていました。下記です。中国語の字幕がでます。 http://www.tudou.com/programs/view/m6WWRzQkPpE/ ウェブから概要 「哲郎と志乃は料亭"忍ぶ川"で知りあった。志乃は"忍ぶ川"の看板娘だった。哲郎は初めての出合いから、彼女にひかれて、"忍ぶ川"に通った。ある夜、話が深川のことに及んだ時、志乃は、私の生まれた土地で、もう8年も行っていないと言う。哲郎は志乃を誘い、薮入りの日に深川を案内することになった。志乃は洲崎パラダイスにある射的屋の娘で、父はくるわでは"当り矢のせんせ"と呼ばれていた。志乃が12歳の時、戦争で一家は栃木へ移住、弟や妹たちをおいて、志乃は東京に働きに出ていたのである。深川から帰った夜、哲郎は志乃に手紙を書いた。〈今日、深川で言いそびれた私の兄弟のことを、ここにしるします。私は六人兄弟の末っ子です〉兄が二人、姉が三人いて、上の姉二人が自殺、長兄が失踪、次兄はしっかりものだったが、私を大学へ入れてくれたのも、深川にいたのもこの兄なのだが、3年前に自分で木材会社を設立するという名目で逐電した。そのショックで父は脳溢血で倒れた。一番最初に次姉が自殺した日が、よりによって私の6才の誕生日のときでそれ以来私は誕生日を祝ったことがない。あくる日、志乃から返事がもどって来た。〈来月の誕生日には私にお祝いさせて下さい。〉7月末、志乃に婚約者がいることを知らされた。志乃に問いただすと、婚約はしたけれど、気はすすまず、栃木の父も反対しているという。哲郎は志乃に、その人のことは破談にしてくれ、そして、お父さんにあんたの好みにあいそうな結婚の相手ができたと、いってやってくれと言うのだった。秋のおわり、志乃の父の容態が急変した。志乃は、ひと目、父にあってくれとことづけして栃木の父のもとへ--。哲郎は、志乃のあとを追って行った。「いたらぬものですが、志乃のことはなにぶんよろしゅうお願い申します」といい残し志乃の父は死んだ。その年の大晦日、哲郎は志乃をつれ、夜行列車で上野を発ち、ふるさとへ--。駅には哲郎の母が出迎え、家の前には体が悪いのに雪かきをして、父も待っていた。目の不自由な姉香代も志乃を気に入ってくれた。あくる二日、哲郎の家族だけで哲郎と志乃の結婚式があげられた。初夜。馬橇の鈴のさえた音に、二人は裸のまま、一枚の丹前にくるまり部屋をぬけでて、雨戸をほそ目にあけ、馬橇の通りすぎるのをいつまでも見ていた......。翌朝、新婚旅行に近くの温泉へ出かけることになった。汽車の中から志乃は「見える、見える、あたしのうち!」と子供のようにはしゃぐのだった。」
2013.07.21
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今日は、先日の「藤沢の地名を読み訪ねる会」の続きです。右を行くと、大山道です。 「富士山のような三角形の美しい山容から、古くから庶民の山岳信仰の対象とされた(大山信仰)。信仰登山は宝暦年間(1751年 - 1764年)から行われ、大山講と呼ばれた。各地から通じる道は「大山道」と呼ばれた。この名は現在の国道246号の別称「大山街道」などとして残っている。江戸の庶民にとっては、大山詣と江ノ島詣のセットが娯楽の一つでもあった。古典落語の演題にも『大山詣り』がある。」四谷不動と一の鳥居 posted by (C)xmod60大山道標 posted by (C)xmod60 鳥居の上のほうに天狗が見えます。面白い天狗伝説があります。大山の天狗「むかし、大山のふもとの村にきこりがおった。ある日、山に入って木を切っていたら、木のそばに天狗が出てきて、きこりの仕事をじっと見ていた。 きこりは「これが大山の天狗か。話には聞いたが見るのは初めてだ。何とか生け捕りできんもんだらあか」と考えながら何くわぬ顔で仕事をしていると、天狗は「お前は今、わしを生け捕りしよう、と思うとるだろう」と心の中を見透かすように言った。 木こりがいろいろ心の中で思うことを天狗がすぐに当ててしまうので、きこりは驚き、天狗には人間の心の動きがみな解ってしまうことを知って、それから後は無心に木を切っていた。天狗も面白そうに仕事を見ていたが、きこりが切った木っぱが飛び散って、思いがけず天狗の自慢の鼻に当たった。今度は天狗が仰天して、「いやぁ、人間は心で考えんことをしてみせるけんきょとゃ」と言って山の中へ逃げ帰ったという 」 カラス天狗 posted by (C)xmod60 玉眼の不動さんが世の中を見てます。四谷不動尊 posted by (C)xmod60
2013.07.13
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今日も、猛暑日藤沢の地名を読み訪ねる会に参加し歴史の勉強でした。耕余塾は明治5年に、羽鳥村名主三觜八朗右衛門により作られました。先生として小笠原東陽が初代です。 耕余塾は1897年(明治30年)まで続きましたが、明治から昭和にかけて活躍した多くの塾生が巣立っています。後の首相、吉田茂もこの耕余塾で学びました。また、「味の素」創業者鈴木三郎助もそうです。耕余塾の教育趣旨は「農家ノ子弟耕転収穫ノ余力ヲ以テ五学科ヲ研究セシム」学年ーーー第1学年から第4学年、期間は各6ヶ月学科ーーー 5学科、明治18年頃から英語、洋学年令ーーー原則として14歳以上で男子。特例で女子も学んでいた。塾生費用ーーー入門費 金50銭、 毎月在籍料 金2円80銭耕余塾跡ー2 posted by (C)xmod60 全寮制の模様、校舎は2階建て、食堂もあります。耕余塾模型 posted by (C)xmod60 名主、三觜八郎右衛門の屋敷三觜八郎右衛門邸 posted by (C)xmod60 座敷には上のほうに、こんな珍しい文様もありました。富士山の模様 posted by (C)xmod60小笠原東陽のお墓のところに、こんな珍しいお墓もありました。和洋折衷の墓 posted by (C)xmod60
2013.07.10
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毎日、暑いです。アーティチョークの花を引地川のふもとで見つけて以来、辻堂の駅前の花壇にもありました。この定点観測を紹介します。最初に撮ったのが6月28日で、最後が7月9日です。ほぼ2週間ですね。このあたりからも日本の古来の24季節が窺われます。アーティチョークー1 posted by (C)xmod60アーティチョークー2 posted by (C)xmod60アーティチョークー3 posted by (C)xmod60
2013.07.09
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今日も、暑いいうまいと思えど今日の暑さかな 最近、あまり見ない気がします。近くの団地の花壇にひっそりと咲いていましたおしろい花赤でも、黄色でもおしろい花とは?オシロイ花(赤) posted by (C)xmod60オシロイ花(黄色) posted by (C)xmod60オシロイ花(白) posted by (C)xmod60
2013.07.08
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梅雨明けで、雲の色も夏雲で違いますね。今日は、辻堂から旧東海道(国道1号)を下って平塚まで行きました(江戸時代的には上ってですね)。ところどころの名所、旧跡を見ながらゆっくりと歩いて行きました。歩いている人はいませんでしたが、戸塚から自転車で平塚の七夕を見に行くという人もいました。東海道 posted by (C)xmod60 旧跡 posted by (C)xmod60 上の写真の右上、ここで安藤広重は、東海道五十三次名所絵図で左富士の絵を描いています。ぶらぶらと随分と歩き、結局、2時ごろに平塚の七夕まつりの会場につきました。4時間はゆうに歩きました。時代を趨勢して、富士山世界遺産、長島、松井国民栄誉賞、八重の桜などの飾りがありました。平塚七夕祭り posted by (C)xmod60
2013.07.07
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空を見るとひょうたん雲がぽっかりと浮かんでいます。梅雨が明けたかな?今日は、遠藤にある慶應大学の七夕祭りに出かけました。ひょうたん雲 posted by (C)xmod60藤沢慶應大玄関 posted by (C)xmod60階段にもお星様が、この正面玄関をはいると多くの浴衣姿の学生さんがいます。七夕祭りで皆浴衣を着てますね。ステージでは音楽のライブがありました、ロック、ジャズ、、また、漫才などのお笑いライブもあり、面白かったです。楽団 posted by (C)xmod60出店 posted by (C)xmod60 校内には鴨池があり、オブジェもあり、まさに鴨もすいすいと泳いでいました。この池のふもとで屋台の焼きそばを買って食べるとこれまた美味しかったです。プログラムを仔細にみるとピアノコンサートもあるようでこれを聞きにいきました。会場内は冷房がよく効いておりさわやかな演奏とともに天の川にいるようでした。オブジェ posted by (C)xmod60 こんな珍しい短冊もありました。恋愛成就かな?願い事 posted by (C)xmod60
2013.07.06
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近くを散歩していると、大きな家の庭にまるで花さか爺さんでないが綿帽子のような花が咲いていました。これは何の木なのか分かりません。樹木の花 posted by (C)xmod60もうひとつ、別な家のこれも一戸住宅で、比較的新しいお家です。玄関のところにこれまた珍しい樹花が咲いていました。家人が居りましたので聞いてみると「シマトネリコの木」と言われました。 本人は花と思ってないようですが。シマトネリコ posted by (C)xmod60帰ってウェブで調べると、シンボルツリーとして使われるそうです。「最近新築のシンボルツリーとして良く見られる、シマトネリコ。洋風によく合う、生育旺盛で丈夫な常緑樹で人気の高い観葉植物です。 熱帯育ちですが、寒さには比較的強く、関東から南では庭植えで越冬が可能です。株元の枝は1本より3本以上あった方が葉が密集して見ごたえがあっていいです。 花は白い小さな花が春に咲きます。」
2013.07.05
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今日は、昨日の続きです。引地川沿いには、大きな木が沢山あり、綺麗な花を咲かせています。これ、楠の花ですかね。樹花 posted by (C)xmod60くすのきの花 posted by (C)xmod60川には、いかだのようなものに乗って遊んでいる人がいました。いかだのり posted by (C)xmod60 異国風建物 posted by (C)xmod60異国風アパート posted by (C)xmod60 江ノ島海岸には、異国風の建物がありました。まるで、ウルグアイにいたと時のランブラ海岸通りを歩いている錯覚に陥りました。もう、そろそろ3年になります。スペイン語の名前もあります。「片瀬江ノ島マリンテラス第9アパート」かな?これは、絵馬の類ですかね、恋人たちの祈願ですね。面白鍵(祈願) posted by (C)xmod60江ノ島色々 posted by (C)xmod60まだ、茅の輪がありました。夏越の祓えをしてきました。
2013.07.04
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曇りでしたが、湿度はあまり高くなく引地川沿いを散歩しながら江ノ島までいきました。もう稲もだいぶ大きくなりました。川沿いの遊歩道に面した大きなお家の庭先にはアガパンサス、ムクゲ、夾竹桃、、、と夏の花が綺麗に咲いています。なかでも、エンジェルトランペット、ねむの木の花などもありました。稲も大きくなった posted by (C)xmod60アガパンサス posted by (C)xmod60夾竹桃白 posted by (C)xmod60白むくげ posted by (C)xmod60エンジェルトランペット posted by (C)xmod60ねむの木 posted by (C)xmod60ねむの木というとねむの木学園の宮城まりこさんが思い浮かびますね。今頃、どうしていますかね?
2013.07.03
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