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友人・岬麻呂氏からの旅便りです。前回の北東北の紅葉の旅に続き、今回は宮城県、福島県、山形県の紅葉を巡る南東北一人旅であります。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。(旅・岬巡り報告334・南東北の紅葉)※画像をクリックすると大きいサイズのフォト蔵写真が別窓で開きますので、それでお読みください。(同上・添付写真1)(同上・添付写真2)(同上・添付写真3)(同上・添付写真4) 上掲の添付写真については、いくつかのその他写真も含めて、別途Eメールでそれぞれの写真を送っていただいて居りますので、以下、旅程に従いこれらをご紹介させていただきます。11月12日関西空港→仙台空港・レンタカー→秋保温泉(泊) 関西空港を午後遅めの便で発たれたのでしょうか、宿泊のホテルに直行されたのみと見え、この日の写真はありません。11月13日岳温泉→(あだたら高原)→裏磐梯五色沼→猪苗代町・土津神社→会津若松市滝沢浄水場→会津松平氏庭園(御薬園)→鶴ヶ城→東山温泉(泊) この日は、先ず福島県は二本松市、安達太良山の麓に広がる温泉郷「岳温泉」へと向かいます。(岳温泉・鏡池)<参考>岳温泉・Wikipedia 鏡池というと、東大寺大仏殿前の鏡池や大伴家持伝説が伝えられる新潟県は松之山温泉の鏡ヶ池などが思い浮かぶヤカモチであるが、各地に色んな鏡池があるのでしょうね。(裏磐梯五色沼・毘沙門沼) そして、裏磐梯は五色沼の紅葉であります。 毘沙門沼のもみじ綺麗ですね。雁がねの 声聞くなへに 裏磐梯 五色の沼は かくぞもみてる (偐家持)<雁の鳴き声を聞いたのに合わせて、裏磐梯の五色沼はこんなにも紅葉したよ。>(本歌)雁がねの 来鳴きしなへに 韓衣からころも 立田の山は もみち始そめたり(万葉集巻10-2194) <雁が来て鳴いたのと時を同じくして、(韓衣)竜田の山は黄葉したよ。> 先日の若草読書会でヤカモチは「もみぢの万葉歌」と題して講話したばかりであり、その中でも触れたことであるが、万葉人は雁の鳴く声が木の葉を色づかせると考えていたようです。(同上・柳沼1)(同上・柳沼2)<追記注:2024年11月23日> 2024年11月21日フォト蔵スタッフからのメールにより、この柳沼2の写真が「フォト蔵ピックアップ写真」の一つに選定されたということを知りました。 その旨を岬麻呂氏にメールでご報告すると、この沼は柳沼のすぐ近くにある小さな沼で、母沼という名前の沼だという、同氏からの返信メールがありました。 写真のキャプションを変更することも考えましたが、これは行わないこととし、この<追記注>の説明で済ませることとします。 フォト蔵写真の方の写真説明欄にもその旨の説明を記載するにとどめ、写真タイトルの変更は行っていません。 裏磐梯から猪苗代町へ。 土津神社に立ち寄ります。(土津神社)<参考>土津神社・Wikipedia 土津神社の参道脇の紅葉でしょうか。 こういう紅葉には、この歌が似合いかも(笑)。我背子(わがせこ)が 白たへ衣(ころも) 往き触(ふ)れば 染(にほ)ひぬべくも もみつ山かも (万葉集巻10-2192)<我が夫の白い着物が通って触れたら、染まってしまうばかりに色づいている山であることだ。> 磐梯山遠望。 もみじの赤っぽい画像が続いたので、この写真は何やらホッとする清涼感がありますな(笑)。 (磐梯山) 少し青っぽい画像で気分を一新したところで、再び紅葉であります。 会津若松市内に入り、国指定名勝会津松平氏庭園(御薬園)の紅葉を見て来ようであります。(御薬園)<参考>国指定名勝会津松平氏庭園・御薬園 此処の紅葉も見頃です。 池の水面に映る紅葉もいい風情。 大伴家持の歌で、水に映った藤の花影が水底にあるかのように見えることを詠んだ歌は、「藤波(ふぢなみ)の影なす海(うみ)の底清(きよ)み沈(しづ)く石をも玉とそ我(あ)が見る(万葉集巻19-4199)」であるが、水面に映ったもみぢ葉の影もこれに劣らないだろうと思われるから、前三句を「もみち葉の影なす池の底清み・・」と言い換えてもよいのではないか。(同上) なお、会津松平氏庭園に先立ち、滝沢浄水場を訪ねて居られますが、これはこの4月の「桜旅」の際に、車が脱輪するというアクシデントに遭遇、この折に手助け下さったお方が、此処の職員のお方であったということで、あらためて感謝の意を伝えるために立ち寄られたとのこと。まあ、こういう気遣いも岬麻呂氏のお人柄というものですな。 そして、鶴ヶ城へ。(鶴ヶ城・麟閣<茶室>)<参考>茶室麟閣・鶴ヶ城・一般財団法人会津若松観光ビューロー この日の宿は、東山温泉。 夕食には、例によって「地酒・栄川を楽しむ。」とあります。11月14日塔のへつり→大内宿→喜多方市・新宮熊野神社→米沢市・上杉神社→蔵王温泉(泊) この日は、塔のへつり、大内宿、喜多方の新宮熊野神社、米沢の上杉神社を巡って蔵王温泉に宿泊であります。(塔のへつり)<参考>塔のへつり・Wikipedia 「へつり」はさて置き、紅葉旅にしあれば、その駐車場の紅葉美しく、これで十分に目的達成であります。「へつり」へ行くまでもない(笑)。(同上・駐車場) そして、大内宿。(大内宿) 大内宿から北上に転じ、喜多方市の新宮熊野神社へ。(新宮熊野神社・長床) 山形県に入り、米沢の上杉神社です。(上杉神社) それにしても長い参道ですな。 1306歳の超々高齢者にして腰痛持ちヤカモチ、腰に応えそうな参道であります。 「はよ、切り上げて蔵王へ行こ。」と呟くヤカモチであります(笑)。 しかし、蔵王は紅葉が終わっていて、ロープウェイで紅葉を楽しもうという目論見は当て外れと相成りました。11月15日山形城址→天童公園→立石寺・芭蕉記念館→仙台空港→関西空港 旅の最終日は、山形城址、天童公園、山寺・立石寺(芭蕉記念館)などを訪問されました。(山形城址)(天童公園)(山寺・立石寺遠望) 仙台空港に立ち戻り、午後の便で帰阪。 紅葉堪能の全596kmのドライブ旅でありました。 素晴らしい紅葉の写真、ありがとうございました。
2024.11.20
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昨日(11月17日)は、久しぶりに若草読書会の集まりがありました。 前回が7月1日の開催でありましたから、4ヶ月半ぶりの開催ということになります。 講話をしていただくお方を募りましたが、どなたも名乗り出ていただけなかったので、ヤカモチが不承不承これを引き受けることとし、万葉関連のお話をすることとさせていただきました。 この読書会の開催の案内は、以前は凡鬼さんが案内葉書によってご連絡くださっていたのですが、いつからか偐山頭火さんがこれを引き継ぎ、Eメールで連絡するという形に変わりました。その後、これもいつの頃であったか判然としませんが、偐山頭火さんが入院されたか何かがあって、ヤカモチがこれを代行するというようなことがありました。 偐山頭火さんはその後お元気になられたものの、ヤカモチの代行はそのまま継続となり、最近はヤカモチがこれを行うのが当然というような運びとなってしまって、現在に至っているのですが、ズボラのヤカモチ、前回開催の7月1日から2ヶ月以上も経過した9月12日になって、次回開催日の日程調整のメールを発信、9月30日になってようやく11月17日開催と決定したのでありました。 この日、9月30日までに、予想されたことではありましたが、どなたからも講話を引き受けるというお申し出がなく、ヤカモチの講話となったという次第。 今回は、さして日数も余りなく、万葉関連の故地を訪ねて、現地取材をして、話をするというようなことも出来かねるということで、当ブログの過去記事から何か題材のヒントを得ようとしたところ、下掲の記事が目にとまりました。<参考>もみぢの万葉歌 2013.11.25. 続・もみぢの万葉歌 2013.11.26. もみじの万葉歌を万葉集から抜き書きした記事があったのでした。(大阪城公園の銀杏・2010.12.1.記事掲載写真の再掲載) もみじなら季節的にも合致しているから好都合。それにレジメを作るのも、この記事をコピーして貼り付ければいい。残念ながらその記事では、現代語訳を付けていなかったので、これを書き加えるという作業が必要となるものの、さしたる作業ではない。 加えて下掲の過去記事もこれをコピーして参考資料として使うことができると判断しました。<参考>若かへるでのもみつまで 2020.5.7. そんなことで、レジメ作りは簡単に出来てしまいました。(レジメの一部)(同上) かくして、もみじの万葉歌を鑑賞することとし、レジメ掲載の全71首の歌からその場の思い付きで適当な歌10数首ほどについて、思いつく話をすればよかろうと考えた次第。取り上げる歌の数によって話す時間の調節も自在であるから、気が楽というもの。(もみぢ葉流る) この日の参加者は、凡鬼・景郎女ご夫妻、恒郎女さん、めぐの郎女さん、槇麻呂氏、利衣郎女さんとヤカモチの7名。 午後1時開会のところ、定刻20分前には珍しく全員が集合。12時45分から講話を開始。3時頃まで講話。(エノキ) 柿本人麻呂の泣血哀慟歌の短歌2首を始めとして、レジメ記載の71首の万葉歌の中から、適宜に目にとまった歌を取り上げて、解説することとしました。(カエデ) カエデとかへるでのことや紅葉と黄葉のことなど当ブログの過去記事でも何度か触れている事柄や「らむ」と「らし」との語の使い方の違いとか、「見まく欲りせむ」や「散らまく惜しも」などの、形式体言「アク」と結合した、万葉歌によく登場する用語法の説明など思いつくままに解説。 紅葉と黄葉については、既に下掲記事でも触れているのでご参照ください。この日の説明も概ね似たような内容であったかと。<参考>もみぢめでつつ 2019.11.22. なお、上記の「もみぢめでつつ」の記事で作家・五木寛之氏が「黄葉はクォウヨウで・・」と記されているのは、この本です。(五木寛之「百寺巡礼第四巻」・講談社文庫) 講話終了後は、茶菓子などをいただきながら珈琲&雑談タイム。 槇麻呂さんは、ヨーロッパ旅行のツアーでご一緒されご昵懇になられたという岡山総社市ご在住のご夫妻からのお招きで、先般、備中松山城や鬼ノ城など吉備をご旅行されたようで、そのご紹介話もあったりしました。 鬼ノ城などはヤカモチも銀輪散歩で立ち寄ったことがあるので、懐かしいことでありました。<参考>吉備路自転車散歩・鬼ノ城へ 2013.10.31. 吉備路自転車散歩・鬼ノ城 2013.11.1. 最後にはクリームソーダも出てきたりと喫茶「若草」(?)のおもてなしを受け、楽しい座談でありましたが、午後4時を過ぎたので解散することとなりました。 (余談) 帰宅後、加熱式タバコ(最近は普通のタバコと併用している。)を喫わんとするも、スティックが見当たらない。(加熱式タバコ・IQOS ILUMA ONE スマートコアスティック) 最後に使った場面は・・と思い返すと読書会解散時のことであったことを思い出す。 若草ホールの道路を挟んでの向かいにあるポケットパークに置き忘れたに違いないと、恒郎女さんにお電話で、そこに置き忘れがないか見て貰ったところ、そこに「ありました」とのこと。 「明日、受取りに伺いますので」とヤカモチ。 ということで、本日(18日)これを受け取るため、恒郎女邸再訪問でありました。(ポケットパークのベンチ) 忘れ物をしたのは、右側のベンチです。 若草読書会の折に喫煙場所としてヤカモチが利用しているのがこの場所であります。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。
2024.11.18
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毎月第一、第二水曜日が囲碁例会の日となっている。ということで、昨日(11/13)はこれに出席すべく、自宅から片道20km余の梅田スカイビルまでCB(クロスバイク)で銀輪散歩を兼ねて走って来ました。 午前10時に自宅を出発。 未だ努力義務で罰則はないということですが、最近はヤカモチもヘルメット着用で自転車に乗っています。 中央大通りを西に向かって走っていて、横枕西交差点に差し掛かった時に信号が青から赤に変わってしまったので、スグ「横」の、囲碁例会の帰途に小休止でよく立ち寄ることのある横枕南公園を覗いてみた。(横枕南公園) 公園では、保母さんに伴われた保育園児たちがブランコ遊びなど、元気に遊んでいました。 大阪環状線森ノ宮駅前で、中央大通りから大阪城公園に入ります。(大阪城公園・森ノ宮入口) 噴水広場を横切り進んで行くと、またまたちびっ子の行列に遭遇。(同上・ちびっ子たちの行列) 行列をとめて道を空けてくれたので、進みます。 銀杏並木も先週よりも少し黄葉が進んだように見えます。(同上・銀杏並木) 北外堀の石垣の紅葉です。(同上・北外堀の石垣の紅葉) 公園を通り抜け、大川(旧淀川)に架かる天満橋を渡り、滝川公園へ。 ここで、小休止。水分補給とタバコ一服。 滝川公園でもお母さんや保母さんに付き添われたちびっ子たちの姿をよく見かけるが、この日は人影もなし、でありました。(滝川公園) 桜の木が紅葉し始めています。 滝川公園ではちびっ子の姿を見かけなかったなあと思いながらCBで走り出すと、こちらに向かって3人の保母さんに連れられてちびっ子が数人やって来る。 多分滝川公園で遊ぶつもりなんだろう。 四つ角を渡る時、「道を渡る時は手を上げましょう。」と保母さん。 保母さん3人は大きく片手を上げていましたが、それにならって手を上げているちびっ子が一人もいないのが面白い。 それにしても、この日はよくちびっ子たちに出会う日でありました。 梅田スカイビル到着は11時45分前後。 駐輪場、精算機に近い82番のケージに駐輪。 先ず、昼食です。 全席喫煙席という店、CAFFE PIAZZA POPOLOへ。 店先にプラスチックの折に入った各種お弁当が並べられている。プラスチック製カップの味噌汁付きで500円ワンコインを代金箱に投入することで、これを買い求めることができるという無人販売システムである。 これを購入して店内に持ち込み、店内の席でこれを食べることができるようになっている。 前々回にこの店で昼食をとった時に、パスタランチを食しながら店内を見渡すと何人かの客がこのお弁当を店内で食べている光景を目撃したのでありました。なるほど、この店はこういう方式も可能なのだと知り、早速この日はヤカモチもそれを真似してみたのでした。 珈琲、紅茶、ジュース、コーラなど飲み物を別途注文することが必要であるが、お弁当はレンジで温めてくれるし、味噌汁もお湯を注いで飲めるようにしてくれるから大いに助かる。 加えて食後のタバコが喫えるというのは有難いこと。梅田スカイビルの喫煙コーナーや喫煙室は立ったままで済ませなければならないので、腰痛持ちのヤカモチとしては、ゆっくり坐って一服と参りたいという次第。 昼食を済ませて、囲碁会場に使っている部屋に行くと、ヤカモチの一番乗り。碁盤、碁笥の設営をして待つこと10分位か、平〇氏と村〇氏が一緒に入室して来られました。 最初の1局は、平〇氏vsヤカモチで、村〇氏は観戦に回るということになりました。 これは序盤で平〇氏に悪手ありで無理筋の手が連続し、云わば自滅の形で投了、ヤカモチの中押し勝ち。 次は村〇vsヤカモチ戦。平〇氏は観戦。 これは当初はやや優勢にヤカモチが打てていたかと思うが、勝負所の中盤の急場で、白石5子を当たりにして取って置けばよかったのに、それをせず、右上隅の白石6子を手を抜くと取るぞと上辺に圧力をかける。上辺から盛り上がった白の模様が大きくなることを危惧して打った手であったが、これが甘かったようで、手抜きをされて、その5子と白2子とをつながれてしまった上、上辺での戦いにも敗れて、結果として白の地を却って大きくしてしまうこととなり、10目余の差でヤカモチの負け。この日は1勝1敗に終わりました。 最後は、平〇vs村〇戦。ヤカモチは観戦。 これは、村〇氏の中押し勝ち。 2連敗のままでは終われないと思われたのかどうか存じ上げないが、平〇氏はもう1局村〇氏とやりたいと仰って、両者の再対局が始まることとなりました。しかし、ヤカモチは観戦を切り上げ、退室、帰途につきましたので、勝負の結果は存じ上げずであります。(大阪城公園の銀杏並木・復路) これは帰途に撮影の銀杏並木。前掲の銀杏並木の写真は往路に撮ったもので、上掲の写真の奥の方からコチラ向きに撮った写真です。 大阪城公園を通り抜け、森ノ宮駅前から中央大通りを東上、途中JR大阪東線の高井田中央駅裏の公園で小休止後、花園中央公園経由で午後4時半頃の帰宅でありました。(花園中央公園の夕照)<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.11.14
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(承前) 飛鳥川銀輪散歩二日目は、八木駅前から長谷寺方面へ走るということも考えていたのだが、天気予報で午後から雨となっていたことから、これを取り止め飛鳥川沿いを下流に向かって走ることとする。 先ずは。多神社にご挨拶。(多神社) この神社は、これまでにも何度か立ち寄っているが、2012年4月28日、友人・偐山頭火氏との銀輪散歩の折に訪ねたのがその最初である。<参考>田原本から桜井・忍坂へ銀輪散歩(その1) 2012.4.29. 三輪山登拝・大神神社から多神社まで 2018.3.27. 多神社というのは通称で、多坐弥志理都比古神社というのが正式名称。(同上・由緒)(同上・説明碑)(同上・鳥居)(同上・拝殿)(同上・手水舎)(古事記献上1300年記念碑)(同上・小社神社) 太安万侶を祭神として祀っているのが、この小社神社の祠である。(同上・多皇子神命神社)(同上・多皇子神命神社説明碑) 太安万侶の墓がこの近くにあった筈とその探索を開始したが、見つけられず諦めることにしました。 それもその筈、下調べもせずにやって来たので、飛鳥川畔と思い込んだのが間違いで、一つ東側を流れている寺川畔にそれはあるのでした。帰宅して過去記事を調べた結果、判明しました。<参考>太安万侶の墓(松の下古墳) 2012.5.1. 参考までに同記事掲載の写真を再掲載して置きます。(太安万侶墓 中央の丸い塚がそれです。撮影者:友人の偐山頭火氏) 12年も前の写真ですから、現在どんな風になっているのか確かめたかったのですが、残念。まあ、元々、多神社を訪ねる予定ではなかったので、下調べなしということで止むを得ません。(二上山遠望) 二上山を遠望して、飛鳥川銀輪散歩再開ですが、ひとまず多駐輪休憩所でタバコ休憩であります。 この休憩所の写真は撮っていませんが、過去記事に掲載していた筈と調べてみると、果たしてありました。現在と少し様子が変わっていますが、再掲載して置きます。(多駐輪休憩所※)※上掲は、2018.3.21.記事「飛鳥から結崎まで(ペリカンの家小旅行番外編)」に掲載の写真の再掲載です。 飛鳥川下流へと走ります。(飛鳥川) カンナが咲いていました。(飛鳥川畔のカンナ)(同上) アキノノゲシは綿帽子、絮となっていました。(飛鳥川畔のアキノノゲシ)(同上) そして、柿がたわわになって・・。 その手前の畑ではホウセンカが咲いていました。(飛鳥川畔の柿) 上掲の柿と鳳仙花は、正確には飛鳥川畔の畑地の柿と鳳仙花であります。(飛鳥川畔のホウセンカ) そして、こちらは間違いなく飛鳥川畔の花と茸であります。(飛鳥川畔のタマスダレ)(飛鳥川畔のカラカサタケ) これは勿論、毒キノコであります。(同上) 遠目には、古墳か何かのように見えた公園らしきものが目に入りましたので、立ち寄ってみました。 やすらぎ公園と、銘板にはありました。(やすらぎ公園) 隣接する建物は田原本町やすらぎ体育館。町立の体育館を建設するに当たり、その隣接地を整備して公園としたのでしょう。 ここで、小休止しているうちに、ポツリ、ポツリと雨の降り出す気配。進むか引き返すか迷ったが、昼食のことやトレンクルを宅配便で送り返すことなどを考慮すると、大和八木駅前に引き返した方が都合よかろうと、銀輪散歩を切り上げて、引き返すこととしました。 ということで、不本意ながらこれにて銀輪散歩切り上げであります。 駅前到着まで本降りになることもなかったのは幸いでした。(完)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記をご覧ください。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2024.11.11
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先日(10月31日~11月1日)久しぶりに飛鳥川畔を銀輪散歩しましたので、遅ればせですがこれを記事アップします。大和八木駅前の「宮廷飯店」という店でラーメン&餃子で昼食を済ませ、軽量小型折りたたみ自転車・トレンクルにて出発であります。 耳成山公園から醍醐池へと向かいます。(醍醐池)(醍醐池西側のコスモス) 醍醐池に向かったのはコスモスが目当てであったのだが、もう花の盛りは過ぎていたようで、咲き残っている花は僅かでありました。 コスモス畑の後方の畦道に植わっている木の一つにヤドリギが見てとれましたので、ズーム撮影。(ヤドリギ) 同じ木であるのかどうかは不明であるが、3年半ほど前の飛鳥川銀輪散歩の記事にヤドリギの写真が掲載されていることが過去記事を調べてみて判明しましたので、再掲載して置きます。 両者が同じ木であるとすれば、上掲の写真は南側から撮影しているのに対して、下掲の再掲載写真は多分北側から撮影していることになるかと思う。(2021年4月12日記事に掲載写真の再掲載) 3年半で木がどの程度成長するものなのか、よくは存じ上げないが、両者の違いは、再掲載写真のヤドリギは高い枝の辺りに存在するのに対して、今回撮影の写真ではそれほどでもない高さの枝に取り付いているように見える。 3年半で木の枝が高く成長したのであれば、以前は高い位置であった枝部分に寄生したヤドリギも相対的に低い位置に見えるから、同じヤドリギであるとも考えられるのだが、再掲載写真のそれが撮影された場所についての明確な記述がないので、何とも言えない。しかし、多分同じヤドリギなのではないかという気がしています。 ヤドリギは万葉では「ほよ(保与・寄生)」と呼ばれる。あしひきの 山の木末こぬれの 寄生ほよ取りて 插頭かざしつらくは 千歳ちとせ寿ほぐとぞ (大伴家持4136) 大伴家持のこの歌や万葉では「ほよ」と呼ぶことなどは2021年4月12日の記事に記載しているので、これをご参照ください。 醍醐池から飛鳥川畔の道に出るべく、醍醐池と藤原宮跡との間を東西に通っている道を西方向へと向かう。 この道を、道なりに突き当りまで行き、左折すると飛鳥川沿いの自転車道に出られるのだが、その突き当り少し手前におふさ観音がある。おふさ観音の所在地は橿原市小房町であるから、漢字では「小房観音」と書くのだろうが、おふさ観音と平仮名表記するのが通例のよう。 さて、そのおふさ観音の門前東側、ヤカモチの目下の走行方向から言えば門に至る少し手前に「さなぶりや」という店がある。通りかかったのも何かのご縁と「さなぶり餅」を買い求めることとする。 この店は、2018年9月16日に実施したペリカンの家サイクリングの際に立ち寄って以来であるから6年ぶりということになる。(さなぶりや 2018.8.27.記事掲載写真の再掲載) 上の2018年8月27日の「ペリカンの家サイクリング下見」の記事でも、2018年9月16日の「ペリカンの家サイクリング・明日香篇本番」の記事でも、ヤカモチ自身がさなぶり餅を買い求めたという記述はないので、多分初めてこれを買い求めたということかも知れないのだが、何となく食したという記憶もあるので、ひょっとすると本番ではヤカモチも買い求めたのかもしれない。<参考>さなぶり餅―奈良の食文化研究会 店先で「ごめんください」と言うも店の人が出て来る気配がない。 もう一度、今度はかなり大きい声で繰り返すと、ようやく店の奥で人の動く気配があり「は~い」という声。 「コスモスを見て来られましたか」と店の人。 どうやら、この道は、おふさ観音と醍醐池とを結ぶ通行路で、コスモスを見た帰りかコスモスを見に行く前かに、お客さんが立ち寄ってさなぶり餅を買い求めるのだろうと、その言葉から推測されました。 おふさ観音にもご挨拶して行く。(おふさ観音)<参考>おふさ観音 おふさ観音の門前にて頂戴したミニパンフレットです。 今は、丁度、提灯まつりと秋のバラまつりのシーズン。(同上・ミニパンフレット)(同上) 飛鳥川沿いの道に出て、これを上流に向かって走ります。 この道はこれまでに何度も走っているので過去記事にも何度も登場済みかと思う。 囲碁例会で梅田スカイビルへと自転車で行く途中には毎日新聞社ビルの前をよく通るのであるが、かつてはこのビルの1階の喫茶店で昼食をとったりしたもの。随分以前のことになるが、その折に言葉を交わした男性客(毎日新聞社の社員だろうとその時は思ったのだが、実のところは不明)が、毎年大阪マラソンに出場されていて、この飛鳥川沿いの道でランニングをして体を鍛えているというようなことを話されていたことを思い出す。(飛鳥川) コサギであるか、白鷺と鴨と亀が仲良く集まっていたので、写真に収めましたが、近づくとサギは飛び去り、カメは水中に隠れてしまいましたが、鴨は何事もなかった風にのんびりとしています。人の動きに対する動物の反応も様々である。(同上・甘樫丘付近) 甘樫丘の前までやって来ました。さなぶりやで買い求めたさなぶり餅を食べたりしながら、水分・煙分補給のため麓の休憩所で小休止です。 今回、飛鳥川畔を走って来たのは、奈良県立万葉文化館に入館するのが目的の一つ。甘樫丘を背に飛鳥川を渡り、飛鳥寺の前を通過、万葉文化館へと向かいます。(奈良県立万葉文化館)(同上・案内パンフレット)(同上)(同上・一般展示)(同上)(同上・令和6年度展覧会・行事のご案内パンフレット) このパンフレット記載の「特別展・天武天皇と<飛鳥・藤原>の文化」を見学してみようというのが目的でやって来たのでありました。(同上)(天武天皇と<飛鳥・藤原>の文化特別展パンフレット)(同上)(同上・入場券) 展覧会会場内は撮影禁止で展示物の写真は撮れないので紹介はできませんが、飛鳥池工房遺跡出土の富本銭は勿論、お馴染みの飛鳥大仏頭部や山田寺仏頭や猿石の複製原寸大レプリカ、伝田道間守像、大伯皇女木簡、大津皇子木簡など興味深い展示物が多くありました。 特別展示の方は有料であるが、一般展示の方は無料。従って、入館料は必要なく、一般展示だけを見て帰るのであれば、無料で出入り自由ということである。 時間があれば、飛鳥寺も久しぶりに拝観してみようかと考えていましたが、万葉文化館での小一時間の見学だけで、腰の疲れが限界。飛鳥寺はスルー。寺の北側の路地を抜け、寺の西側にある蘇我入鹿の首塚にだけご挨拶して、飛鳥川沿いを引き返すこととしました。(蘇我入鹿首塚) 背後の丘が甘樫丘です。 車が走っている道が県道209号でその後ろを飛鳥川が流れている。くびつかを 見つつかへらむ 腰痛を かばひてわれは あすかがはくだる (腰痛家持) この日は大和八木駅前にホテルをとっていたのでここで宿泊、翌日は駅前より飛鳥川を反対方向の下流側へと走る予定。(つづく)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記をご覧ください。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2024.11.10
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昨日7日が立冬ということで暦の上では冬となりましたが、今日は月例の墓参でありました。 最近は腰痛の所為で「歩行」が困難と言うか「苦行」になっています。 ということで、自転車(クロスバイク)で出かけることとしました。 我が家の墓地は生駒山地の西麓の高みにありますので、かなりの急坂を上って行かなければなりません。従って、漕いで上り切ることは無理で、途中から自転車を手押しで上ることになるのですが、手ぶらで歩くよりも、自転車を押して歩く姿勢が前かがみになるので腰への負担が軽減され、また、自転車が杖替わりにもなるようで、ずっと楽に歩けるという次第。 いつもの門前の言葉を撮影するお寺の前まで漕いで上がって、ここでギブアップ。自転車を降りて押して歩きます。(今日の門前の言葉) 困難は機会の別の顔である ――アルベルト・アインシュタイン まあ、ピンチはチャンスということですな。 この論で行くと、わが腰痛もチャンスということになりますが、これをどう乗り越えるかが問われているということでしょうね(笑)。 何であれ物事は二つ以上の顔を持って立ち現れるのであるから、要はどの顔に目を向けるかで自身の対処の仕方や考え方も変わって来るというもの。 顔はさて置き、痛いのは腰、それも背面側でありますから、目の向けようもないと、自転車を押しながらぶつくさ呟いているヤカモチであります。 お寺を過ぎて一つ南側の坂道に移り、これを上って行くとテニスクラブの建物。この前の坂を少し上った道向かいの民家の門前に咲いていたのは朝顔のような白い花。 帰宅してネットで調べると、キョウチクトウ科のマンデビラという中南米原産のつる性の熱帯植物だそうです。(マンデビラの花) 冬立つ朝に熱帯植物の花とはこれいかにでありますが、初対面の花でありましたので、丁重にご挨拶申し上げたという次第。 更にも急登となる坂を上り墓地の入口にさしかかったところで見上げたのはススキ、尾花であります。(ススキ) 墓石などが極力入らぬよう空に向けてカメラの角度を調整して撮ったのが上掲の写真であります。 はい、我が家の墓地の前に到着であります。(墓地からの眺め)(同上) 庭も柱も乾いている 今日は好い天気だ・・ クモの巣は見当たりませんでしたが、墓参を済ませて帰ることとします。 帰途はマイCBで急坂を一気に駆け下るという訳で、行きはあへあへ、帰りは爽快の墓参でありました。 で、帰宅して思い出したのは、先月の墓参の折に目にした墓地に生っていた西瓜のことでありました。 目に入らなかったのか、既に刈り取られて痕跡が消えていたので気が付かなかったのか、どちらとも今となっては判定しようもありませんが、西瓜の件はすっかり忘れていて現場検証をしないままに帰って来てしまいました。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.11.08
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今日は囲碁例会の日。午前11時頃にマイCB(クロスバイク)で自宅を出て、梅田スカイビルへと向かう。 大阪城公園到着は午前11時40分頃。(大阪城公園・噴水広場) 公園内のコンビニでサンドイッチとコーヒーを購入し、公園のベンチでランチとする。 ランチの場所としたベンチは噴水広場が望める位置にある。噴水広場の前が公園内を周遊するロードトレインの乗り場となっていて、ベンチからは今まさに走り出そうとするロードトレインが見えました。 ロードトレインは時速10~15km程度か、自転車よりもかなり遅い速度でゆっくりと公園内を周遊します。(ロードトレイン) 今日はいつもより3~40分遅い出発であったので、梅田スカイビル到着は12時半頃と見込まれることから、大阪城公園でランチを済ませることにしたもの。 そんなことで、いつもは小休止する天満橋の先の滝川公園はスルーしましたが、公園向かいの寺の門前の言葉だけは撮影して置きました。(門前の言葉) 梅田スカイビル到着は12時28分。 囲碁会場としている部屋に行くと未だどなたも来られてなくて、ヤカモチの一番乗りでありました。 碁盤、碁笥の設営を済ませて待つこと数分、村〇氏がお見えになったので、同氏とお手合わせ。これは中押しでヤカモチの負け。 対局中に平〇氏が来られ観戦して居られましたが、程なく福麻呂氏が来られたので、隣で福麻呂vs平〇戦の対局が始まる。 そこへ、久しぶりに青◎氏がお見えになったので、負けたヤカモチに替わって青◎氏が村〇氏と対局。 ヤカモチの2局目のお相手は平〇氏。終盤までやや優勢の展開であったが、左辺の戦いで受けミスがあって石が頓死。結局これが敗因となり、ヤカモチの負け。 3局目は福麻呂氏がお相手。これは僅差でヤカモチの勝ちとなり、前回に続き、この日も1勝2敗。調子がイマイチです。 青◎氏は、何か所用があるとかで早くに退席されたので、同氏とは対局できませんでした。 平〇氏と村〇氏との対局中で勝負の結着はついていませんでしたが、福麻呂氏も所用ありとかでお帰りになるのに合わせ、ヤカモチも帰途につくこととしました。(シンフォニーホール) 帰途はシンフォニーホールの前の公園でタバコ休憩をして・・。 なにわ筋から国道2号線に出て・・大阪城公園へ。(大阪城公園の銀杏並木) 大阪城公園では銀杏並木が黄葉し始めています。 この道を直進すると突き当りが噴水広場です。 大阪城公園を通り抜け、中央大通りを東上。 いつもの横枕南公園で、水分補給と煙分補給の小休止後、花園中央公園経由で午後5時過ぎの帰宅でありました。 直行直帰の寄り道なしにて、今日もこれといったエピソードもない囲碁例会銀輪散歩となりました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.11.06
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ブログの更新をサボっているうちに11月になってしまいました。 11月最初の記事は、友人・岬麻呂氏からの旅便りです。 氏にとっては毎年恒例となっている紅葉巡りの旅ですが、前回、前々回の北海道に続き、今回は北東北の紅葉を訪ねる「みちのく一人旅」であります。(旅・岬巡り報告333・北東北の紅葉)(同・添付写真1)(同・添付写真2)(同・添付写真3)(同・添付写真4) 上掲の報告及び写真は画像をクリックしていただくと別窓で大きいサイズのフォト蔵写真画面が開きますので、それでご覧いただくと見やすいかと存じます。 それぞれの写真は、Eメール添付で送信いただいていますので、以下、旅程に従い、順次ご紹介させていただきます。10月22日伊丹空港→青森空港→レンタカー→八甲田ロープウェイ山麓駅→同・山頂駅→城ヶ倉大橋→地獄沼→笠松峠→睡蓮沼→田代平→谷地温泉(泊) 青森空港でレンタカー借りて出発。八甲田ロープウェイ山麓駅へ。 山麓駅周辺は紅葉の終盤を迎えていました。 60分待ちの乗車で山頂駅へと向かうが、そこは既にして冬景色。 すぐにも下山するつもりが、これも60分待ちで、外国人観光客の喧騒にうんざりされたとのこと。(城ヶ倉大橋) 紅葉の撮影スポットのようですが城ヶ倉大橋も紅葉の終盤を迎えていました。それでも十分に「いい眺め」です。<参考>城ヶ倉大橋・地図(地獄沼) 酸ヶ湯温泉から徒歩10分程度の距離にあるのが、地獄沼。 約800年前の八甲田山の爆発による爆裂火口跡に湧き出た温泉が溜まってできた面積4500㎡の沼で、立ち昇る湯気と硫黄臭からこの名が付いたとのこと。<参考>地獄沼・るるぶ&more(八甲田山麓) 八甲田山麓の美しい紅葉の道です。 この日の宿は、日本三秘湯の一つに数えられる谷地温泉。 「夕食時に岩魚の骨酒を楽しむ」は岬麻呂氏のいつものパターンです。 かくて旅の初日の夜は更けて行きます。10月23日奥入瀬渓流→十和田湖→タイヤパンクのアクシデント(33km先の鹿角まで搬送・ロスタイム約3時間)→八幡平→玉川温泉→乳頭温泉→田沢湖→角館武家屋敷通り→角館温泉(泊) 宿泊された谷地温泉の宿の外観です。 この日の朝、宿を後にされるに際して撮られた写真です。(谷地温泉・宿の外観) 同じく、宿への進入道路を振り返り撮影されたのが、下掲の写真。 美しい紅葉に見送られての旅の二日目が始まります。(同・宿への進入道路の紅葉) この日は奥入瀬渓流へと向かいます。(奥入瀬渓流) 奥入瀬渓流では「紅葉始まる」とのことで、これからがシーズンのようです。十和田湖は「見頃」のようでしたが、八幡平へと向かう途中、土砂降りの中でタイヤがパンクするというアクシデントに見舞われた所為か、単に雨の所為でいい写真が撮れなかったという理由によるのか、定かではありませんが、十和田湖畔での写真はありません。※2024.11.4.10:41追記追加で十和田湖の紅葉写真を送っていただいたので追記させていただきます。(十和田湖の紅葉)岬麻呂氏説明文「土砂降りで身動き取れず、少ない写真の一枚です。左奥が十和田湖、右約100mがR103です。パンクした車の駐車している位置から撮影」 JAFに連絡し33kmも先の鹿角まで車を搬送・修理をして貰ったそうですが、この所為で3時間ものタイムロス。 上掲の奥入瀬渓流の写真が朝8時39分の撮影で、下掲の八幡平アスピーテラインの写真が午後1時26分の撮影でありますから、この両写真の間にパンクよるタイムロスがあったということなんでしょう。(八幡平アスピーテライン) 気を取り直して、紅葉旅再開であります。 八幡平高度の低い場所は見頃、そして玉川温泉も乳頭温泉も見頃。(玉川温泉・新玉川大橋)春はただ 花のひとへに 咲くばかり もののあはれは 秋ぞまされる (拾遺集・雑下)(乳頭温泉・鶴の湯) この日の宿は角館温泉ということで、角館に向かいます。 武家屋敷通りの紅葉はこれからのようです。(角館・武家屋敷通り) 角館温泉では、「秋田の地酒楽しむ」とのこと。10月24日男鹿半島・寒風山(回転展望台)→なまはげ館・真山神社→入道崎灯台→R101北上→白神山地・十二湖→艫作崎・黄金崎不老不死温泉(泊) 旅の三日目は、男鹿半島に向かいます。(なまはげ館) なまはげ館に立ち寄り、入道埼灯台へ。(入道埼灯台) 岬巡りの君としては、灯台の写真も欠かせない(笑)。(白神山地・十二湖) そして、白神山地の十二湖へ。見頃の紅葉、美しい写真です。 「有名な青池は光線不足で青色が不十分」ということで、青池の写真はなしであります。※2024.11.4.10:41追記青池の写真も追加で送っていただきましたので追記します。(青池)岬麻呂氏説明文「ここでも近隣外国人の団体さんが居て、いなくなるまで撮影を待ちました」 この日の宿は、黄金崎不老不死温泉。午後3時35分に到着。 露天風呂の入浴可能時刻である4時30分までは待てず、先ず露天風呂に直行。寄せ来る波のしぶきを時々かぶりつつの入浴であります。(不老不死温泉・露天風呂) 日没まで待って、その光景を撮影しようとの目論見であったのかも知れませんが、長湯のし過ぎで「ゆでダコ状態」に。ということで、日没までは待てずに退散であったようです。(同上・日没前の露天風呂) これで夕食がタコ料理であったら面白かったのにというのは、外野席のヤカモチの感想(笑)。 酒の肴が何であったかは存じ上げませんが、青森の地酒を楽しまれたとのことで、目出度し、目出度しであります。10月25日R101北上→千畳敷→北金ヶ沢(日本一の大銀杏)→鯵ヶ沢・海の駅「わんど」→津軽岩木スカイライン69曲がり→岩木山神社→弘前城公園→青森空港→伊丹空港 最終日は千畳敷から北金ヶ沢の大銀杏へと向かいます。(北金ヶ沢・日本一の大銀杏) 部分的に黄色く色づいている葉もありますが、全体としては未だ緑色。 全体が黄色くなったら見事な眺めでしょうね。(津軽岩木スカイライン入口) 上は、津軽岩木スカイラインの入口だそうですが、この先の69曲がりは標高も高く視界不良、雲の中だったそうです。視界不良のS字カーブの連続などという道路での車の運転は御免蒙りたいが、運転好きの岬麻呂氏にとっては、それも亦楽しからずやであったのでしょうか。(岩木山神社)(岩木山神社右隣の川筋から見た岩木山) 確かに岩木山は雲の中にあります。 最後は弘前城公園です。紅葉の盛りはこれからのようです。(弘前城・東堀) 今回は、タイヤパンクというトラブルに見舞われるという思わぬアクシデントがありましたが、無事に旅を完了されなによりでありました。 そのアクシデントの後処理もあったので、早めに青森空港に戻られたようですが、自走634km(搬送の33kmを合算すると677km)のロングドライブ旅お疲れ様でした。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.11.03
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若草読書会の友人であるリチ女さん(東京在住)からメールが届いた。 それによると、東京は谷中で開催されたワークショップで後鳥羽院の歌に返歌を詠むという企画があり、それに参加したところ、下掲のようなポスターとなって、隠岐島の菱浦港フェリーターミナルで展示されているということのようです。 返歌応募作全てなのか選ばれた歌のみが展示されるのかは不明であるが、彼女によると、若草読書会で参加者が自作の歌を持ち寄って鑑賞し合うというか、批評し合うというか、そういう企画をかつてはよくしたもので、そのことを思い出しながら、久々に歌を詠んでみたとのこと。 我々は、これを若草歌壇と称して楽しんでいたのであるが、いつしかこの企画は途絶え、最近はやらなくなってしまっている。 次の若草読書会は来月17日(日)の予定でヤカモチが万葉関連の話をすることになっているが、来年の読書会新年会では、万葉集や古今集などの歌を数首選定し、それに返歌または追和する歌を詠むというような企画をしてみるのも面白いかもしれない。 前置きが長くなりました。 彼女からのメールに添付されていたのは下掲の3点の写真であります。(メール添付写真1)(メール添付写真2)夕立の晴れ行く空の雲間より入日涼しき露の玉笹 (後鳥羽院) 返しギラギラと焼けつく日々のそのかなたごとばんさんは金色の波 (リチ女) 「ごとばんさん」というのは後鳥羽院のこと。 隠岐に流され都へ帰ること叶わぬまま島で生涯を閉じられた後鳥羽院を、隠岐の島民は親しみを込めて「ごとばんさん」と呼んでいるとのこと。<参考>ごとばんさん/ないものはない海士町公式note ヤカモチも追和して歌を詠んでみるか。我こそはにせ家持よ君に和す返しの歌は心して詠め (偐家持)(本歌)我こそは新じま守よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ (後鳥羽院)銀輪の旅もいつしか秋なかば消えゆく露にも月さやに照れ (偐家持)(本歌)旅の空秋のなかばをかぞふれば答へ顔にも月ぞさやけき (後鳥羽院)(メール添付写真3・菱浦港フェリーターミナル内展示風景) 「ごとばんさん芸術文化祭」については下記サイトをご参照ください。<参考>2024年ごとばんさん芸術文化祭 後鳥羽院の生涯については、上記サイトの「about」をクリックしていただくと詳しく紹介されています。 なお、後鳥羽院の歌についての評論では下掲の本がお薦めです。 50年以上も前(1973年4月出版)の著作ですが、その30年後の2004年9月に三篇からなる第二部を加えた「後鳥羽院第二版」が出版されている。更にその9年後の2013年3月に文庫版が出版されているが、この文庫版をヤカモチは読んだのであるから、それは11年前ということになる。(丸谷才一「後鳥羽院」<ちくま学芸文庫>)<追記訂正:2024.10.26.12:56>上記後鳥羽院の歌の「秋の」が重複していましたので二字削除訂正しました。
2024.10.25
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先月(9月)上旬に新潟に出掛けたついでに少しばかり銀輪散歩をしましたが、その折の写真です。 ヤカモチは現役であった頃から自転車が趣味で、出張などの折で前後が休日などという状況の時は自己負担でホテルに前泊または後泊することとし、宅配便でホテルに送って置いたトレンクル(小型折りたたみ自転車)を利用して、フリーとなった時間に銀輪散歩を楽しんだりしたものであるが、退職後の私的な旅に於いてもこのスタイルを続けている。 今回の銀輪散歩もその口である。(日和山浜海水浴場の大階段) 今回は、信濃川沿いの遊歩道から海沿いの自転車道に入り、これを銀輪散歩したのであるが、この時に撮った写真は上掲と下掲の2点だけであったので、銀輪散歩の記事にはなるまいと放置していましたが、ネットからの借用写真も加えて、記事にしてみます。 海沿いの自転車・歩行者専用道を日和山浜海水浴場付近まで走って来ると、多くの子どもたちが大階段に群がって、ペンキと刷毛や筆を手に何やら盛んに塗っているのに出くわしました。(同上・階段下から撮影) 何の絵を描いているのかと、階段下に下りて見上げたのが上の写真。 ファインダーから覗いた限りでは何とも分からなかったのだが、写真画像を見ると鯨の絵のように見えますな。(以下3点の写真と地図は、「日和山浜魅力創出事業~ハマベリング!!!~」からの借用です。)(日和山浜海水浴場ドローン写真 ※赤線ーは筆者追記) ヤカモチは上の写真ではー線の道を右から左へとやって来たのですが、写真中央の大階段が、その現場であります。 大階段部分のズームアップ写真が下の写真。(同上) これは、上記の日和山浜魅力創出事業云々のネット記事を見て初めて知りましたが、沖合に向かって、このような遊歩道が設けられているのですね。 ハマベリングというのが、その名のようです。(同上・ハマベリング) 上記の、日和山浜魅力創出事業云々の記事と子どもたちのペンキ塗りとの関係があるのかないのか不明であるが、皆さんとても楽しそうにやっていました。 下掲の地図に日和山小学校という文字が見えるが、この小学校の児童たちだろうか。<追記:2024.10.24.> 日和山小学校のブログを覗いてみると、やはりこの学校の児童たちによるものでありましたので、ご参考までに追記して置きます。 ハマベリング!!!大階段アート・日和山小学校ブログ(日和山浜位置図 赤線ーと青文字は筆者追記) 銀輪散歩はみなとトンネル(海底トンネル)方向に進み、トンネル途中、正確には対岸には向かわずトンネルに入ってすぐのところの入船タワーで地上に出て信濃川左岸に沿って万代橋方向へと走り、短い銀輪散歩で切り上げました。<参考>銀輪万葉・新潟県・長野県篇
2024.10.22
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昨日(10月18日)は旧友、西〇氏、平◎氏、健麻呂氏との会食会で難波まで出かけました。 お天気に問題なしと見込まれたので、例によってマイCB・クロスバイクをお供に難波まで銀輪散歩というヤカモチスタイルでのお出掛けでありました。 西〇氏からの声掛けによる集まりであるが、会社勤めであった頃は当然に夜の会食会であったが、退職してからは昼間の会食会が専らとなっている。 コロナ禍で、この会も長らく中断していたが、久々に開催である。 直近の開催は2019年7月17日でしたから、5年ぶりということになる。<参考>旧友との昼食会で難波まで銀輪散歩 2019.7.18. 上記<参考>記事によれば、前回はMTB・マウンテンバイクをお供にしたようだが、今回はCBでありました。 がんこ難波本店に正午集合ということで、それに合わせ且つ自転車の駐輪場所探しに手間取るかもしれないということも加味して、少し早めにと朝10時になるかならない位に自宅を出発、花園中央公園北側の道を西へと走ります。(銀輪コース地図)※赤線ー:往路 青線ー:今里交差点までの復路、その先は往路と同じ ところが、五叉路になっている今里交差点で、左側のJR鶴橋駅前に通じる道を行くべきところ、何を勘違いしたか右側のJR玉造駅前に通じている道の方に進んでしまった。暫くしてそのことに気が付いたが時間には余裕があるので、そのまま直進し、御堂筋に出る。 御堂筋は歩道の拡張工事が進んでいて、歩道・自転車道スペースが随分広くなり、見違える景色になっていました。 突き当りの高島屋・南海難波駅前のなんば広場に到着。(なんば広場・大阪フリンジフェスティバル) このスペースの名称が分からなかったので、ネットで調べると「なんば広場」とありましたが、何やらバンドのライブ演奏中で、多くの人が集まっていました。(なんば広場)※これはネットからの借用です。 此処は歩行者天国、自転車も乗り入れ禁止。手押しで歩きながら通り抜ける。未だ11時を少し過ぎたばかりなので、時間はある。適当な駐輪場所を探すべく、がんこ難波本店のあるなんば南海通りへと入って行く。 観光の外国人の姿がやたら目につくが、多くの人が行き交っている。(なんば南海通) 前回の2019年7月の時は、道向かいのパチンコ屋の駐輪場に駐輪させていただいたが、今回もと行ってみるも様子が変わっていて、そのパチンコ屋の両サイドは他の建物がくっつくように建っていて駐輪スペースなどは存在しない。で、ぐるぐると周辺を物色するも長時間駐輪できそうな場所は見つからない。 そこで、店からは少し距離があるのだが、戎橋筋商店街を千日前通りまで引き返し、道路沿いに設けられている有料の無人機械式駐輪場を当たることとする。 殆ど満車の状態であったが、運よく1台の空きが見つかりました。無事駐輪することができ、やれやれです。 再び戎橋筋商店街を南海通り方向に戻る。商店街の出口・右(西)側にあるのが映画館「東宝シネマなんば」の建物。この建物1階エレベータホールの壁面に「映画興行発祥の地」碑の銅板があるということを、グーグル地図で見た記憶があったので、入ってみた。(東宝シネマなんば・エレベーター乗り場) はい、一番奥のエレベーターの右壁面にそれはありました。(映画興行発祥の地碑) 碑の全文は下記の通りです。 私はこの南街會館を建てるに際し 偶然この地が日本に於ける映画興行の 發祥の地である事を或る文献によって 知る事を得た 即ち京都の稲畑商店が明治三十年 二月十五日(一八九七年)より一週間當時 此處に在った南地演舞場でフランス人オウギュスト・ リュミエールの發明にかゝるシネマトグラフを初め て日本で公開興行したのである 日本で最初にスクリーンに映された映画が 人々の眼にふれたのは實に此の場所であった 五十七年前のこの事實を私は知らずして 南街會館建設を企画したのである 誠に奇しき因縁と思ってゐる 一九五三年十一月 小林一三 がんこ難波本店の前に戻るが、未だ11時30分にもならない。 店の東側の路地を入って行くと、商店街従業員用の駐輪場がその奥にありました。自販機の脇にベンチとテーブルが置かれていて灰皿も置かれている。此処で煙草を一服つけて休憩。11時40分前後に店に入る。 案内されたのは2階の部屋。 ヤカモチの一番乗りでありました。(がんこ難波本店) 待つこと数分、健麻呂氏がお見えになりました。 彼は5人組ウオークのメンバーの一人であるが、コロナ禍に加えてヤカモチの腰痛悪化で長距離歩行が困難となった結果、2020年3月の滋賀県太郎坊宮ウオークを最後に実施を見合わせているから、彼とはそれ以来ということで、4年半ぶりの再会である。 この会への彼の参加は初めてであるが、五人組ウオークが休止となっている中であるから、嬉しい再会である。<参考>五人組ウオーク2020春編(その1) 2020.3.7. 五人組ウオークほかの記事はコチラ。 彼と腰痛のことなどを話していると、平◎氏がご到着。 平◎氏は囲碁の会のメンバー(ヤカモチが声掛けして参加いただいた)でもあるが、同氏は、2022年7月13日の囲碁例会出席を最後に長らくご欠席されているから、2年3ヶ月ぶりの再会ということになる。<参考>囲碁例会・コロナ再拡大が心配ですが 2022.7.13. 囲碁関連の記事では、メンバーに平〇氏という方が既に居られた関係で平◎氏と呼ばせていただいているが、友人としての古さは平◎氏の方がずっと先であるから、今後は平麻呂氏とお呼びすることで、平〇氏との区別をしますかね。 なお、前回のこの会はこの平麻呂氏と西〇氏(同様に以後は西麻呂氏とお呼びすることにしましょう。)との3人での会食であったから、この会で言えば5年ぶりの再会ということになる。 この会は何となく4名で会食というのが過去来の習いとなっていて、西麻呂氏とヤカモチは固定で、他の二人は時によって変化したりする。 5年前の前回のもう一人は山〇君を予定していて、4人で会食の段取りであったが、急用が生じたとかでドタキャンとなり、山〇君抜きの3人での会食となったのである。 その後、山〇君はコロナに感染、重症化して、2021年2月28日に帰らぬ人となってしまわれたのは痛恨の極みでありました。<参考>till we meet again 2021.3.5. 山〇君追悼記念式・うつそみの人なるわれや 2022.3.26. 最後に西〇氏改め西麻呂氏がご到着。 西麻呂氏はヤカモチが入社して間もない頃に会社と取引関係にあった印刷会社の営業マンであった人物。仕事上のお付き合いは勿論であるが、入社して間もない頃から、ヤカモチと人事部配属で同期入社の下〇君と二人で立ち上げた読書会兼勉強会にも参加されて、判例などの法律問題や歴史や宗教や文学など雑多なテーマを取り上げてのアフター5の勉強会を共にした仲間でもある。 正式な社員サークルというのではなく、会社への届け出などは何もない、若手社員による任意の集まりであったが、この頃の会社には自由闊達な空気があり、会社事務所内の会議室を利用しての社員有志の集まりに取引先会社の営業社員が参加するということも抵抗なく行われていたのである。 今では、個人情報、企業情報の管理上の問題から、他社の人間が事務所内にこのような形で入室するということは考えにくいのであるが、当時は普通のことであったかと思う。 それはさて置き、そんなことで西麻呂氏とも長い友達付き合いになる。 そんな西麻呂氏であるが、前回以来であるから、直に顔を合わせるのは5年ぶりであります。 全員が揃ったので、再会を祝し乾杯。 この年齢になるとこうして元気に再会できたことそれだけで十分に嬉しく喜ぶべきことと言わなくてはなりますまい(笑)。 あれやこれやの思い出話や親しい友人たちの消息話などで2時間余はまたたく間に過ぎ、またの再会を約してお開き、解散となりました。 帰途は、千日前通りを東上、途中、生国魂神社で小休止などしましたが、今里交差点で往路の道に入り、これを東上。 花園中央公園に入り、花園ラグビー場前の喫煙所で一服して、帰宅でありました。
2024.10.19
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友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 前回の旅は、奥様が体調を崩されていたとかで、岬麻呂氏のお一人旅でしたが、体調もご回復されたのでしょう、今回は奥様とご一緒の旅であります。 奥様の方から「富良野の紅葉が見たい」とのご希望があり、急遽計画を立てられての富良野方面への旅行となったそうですが、それは多分に岬麻呂氏の前回旅の土産話が奥様の旅心に火を点けてしまったということではないかと推察します。 お嬢様もご同伴されることになったとのことですが、これは奥様のお身体のことをご心配されてのことでしょうね。 それはともかく、今回は三人旅ということであります。(旅・岬巡り報告332・富良野の紅葉)※画像をクリックして大きいサイズの写真でお読みください。 以下は、旅報告に添付の写真になります。(添付写真1)(添付写真2)(添付写真3)(添付写真4) 上の添付写真は、岬麻呂氏のご友人向けの印刷用に、同氏が編集作成されたものでありますが、ヤカモチ宛てにはペーパーレス、Eメール添付で個々の写真を送信下さっていますので、それぞれ旅程に従って、順次ご紹介させていただきます。 ヤカモチ宛てメールで写真に付された岬麻呂氏の説明コメントのある写真については、参考までにそれを付記させていただきました。10月8日関西空港→新千歳空港→(レンタカー)→占冠経由→麓郷展望台→布礼別・男山神社→富良野・鳥沼公園→藤林氏訪問→新富良野プリンスホテル(3連泊) 千歳空港に降り立ってレンタカーを借りて移動というのは、いつものスタイルですが、ハンドルを握ると暖かい。北国仕様、ハンドルもヒーター付きになっているのでした。タイヤも冬用タイヤになっていたとのことですから、北海道ではレンタカーも10月からは冬仕様になるようです。 占冠経由で麓郷の森、東大演習林資料館、麓郷展望台へ。 そして、岬麻呂的紅葉マイ標準木のある鳥沼公園にお立ち寄りであります。(麓郷・東大演習林資料館)岬麻呂氏「入館は無料です」(麓郷展望台)岬麻呂氏「午後で逆光の写真です」(麓郷の秋)岬麻呂氏「展望台を下って来たところにある麦畑です」(鳥沼公園)岬麻呂氏「秋がかなり進んでいます」 上掲写真左手奥に見えるやや小ぶりのナナカマドの木がそのマイ標準木とのことであります。 そして、こちら方面への旅では定宿とされている新富良野プリンスホテルへと向かわれます(3連泊)。 「夕食時地酒楽しむ」は、いつもの岬麻呂パターンですが、お嬢様は富良野ワインであったとか。10月9日ファーム富田→層雲峡・黒岳→同・紅葉谷→同・銀河の滝、流星の滝→大雪森のガーデン→ホテル併設・ニングルテラス 二日目は、雲海と日の出によって一日が始まります。(富良野盆地の雲海と日の出)岬麻呂氏「右端雲間に日の出」 新富良野プリンスホテルは山麓の高い場所に位置するので、早朝にはこのようにホテルの窓から雲海が望めるもののようです。(富良野盆地の雲海と紅葉)岬麻呂氏「(日の出の)写真もホテルの窓から、10月10日の日の出も同じアングル」 ホテルから下って、ファーム富田に立ち寄り、層雲峡へと向かいます。(ファーム富田)岬麻呂氏「奥の白樺が黄葉しています」 手前はラベンダー畑ですかね。なら、花の時期は夏ですから、花が刈り取られたアトの景色ですな。 黒岳ロープウェーです。(層雲峡・黒岳ロープウェー) そして、紅葉谷。 風の音(と)秋は葉ぞ匂ふ 黄葉、紅葉、もみじ、もみぢ、もみち。 万葉仮名だと、毛美知、母美知。 秋です。(層雲峡・紅葉谷) 紅葉谷は紅葉の見頃。夜はライトアップの紅葉祭が開催中とのこと。 前回の岬麻呂旅便り331の記事の旅とほぼ同じコースを回って居られますから、前回の一人旅は、はからずも今回の旅の下見の役割を果たしたことになります。まあ、富良野方面は毎年の如くもう数え切れぬ位に度々ご夫妻でお越しになっていますから、下見の必要もないのではありますが・・。 次は、大雪森のガーデンです。 秋の花が見頃です。(大雪森のガーデン) ホテルに戻って、ニングルテラス。 地酒とワインの夜は更けて・・(笑)。(ニングルテラス)10月10日旭岳ロープウェー山麓駅→同・姿見駅→遊歩道散策→美瑛・北西の丘→望岳台→十勝岳温泉→同・安政火口 旅の三日目。 この日は快晴。雲海も発生せず、静かに朝日が昇り、夜が明けます。(富良野の日の出)岬麻呂氏「この日は快晴で雲海はありません」 前掲9日の写真「富良野盆地の雲海と日の出」はこの写真と同じアングルで、ホテルの窓から撮影されたとのことですから、見比べてみてください。 この日は、旭岳ロープウェーで山麓駅から姿見駅まで行き、遊歩道散策に挑戦であります。 山麓駅駐車場では前回の混雑が嘘のように閑散としていたのは、旭岳の紅葉はもう終わってしまっていたからなんでしょう。 それでも、「妻は体調を崩していた直後なので直ぐに引き返すと想定していたが、高低差70mのコースを巡ると言うので娘ともども驚く」と岬麻呂氏が書いて居られますが、奥様はお元気にコースを周遊されたようで何よりです。(旭岳・姿見の池)岬麻呂氏「標高1670m地点、旭岳が池に写るので池の名前がついている」(同上・すり鉢池)岬麻呂氏「この池にも旭岳の一部が写る」(同上・ロープウェー姿見駅)岬麻呂氏「気温表示は正午頃で、到着時からは0.8℃上昇している」 美瑛の丘を巡り、望岳台へ。(美瑛・北西の丘)(望岳台)岬麻呂氏「背後の山は十勝岳、左は美瑛岳) 望岳台は紅葉が見頃です。(十勝岳温泉・カミホロ荘)岬麻呂氏「ホテルの屋根だけが写っている」 十勝岳温泉、安政火口付近は紅葉が終わり初冬の風景でしたが、少し標高の低いカミホロ荘付近は見頃の紅葉です。10月11日ホテル併設・風のガーデン→富良野ロープウェー→千望峠→日の出公園→新千歳空港→関西空港 最終日は富良野ロープウェーで富良野盆地一望の景色を楽しみ、前回の千望峠を再訪です。 一望から千望ですな(笑)。(風のガーデン)岬麻呂氏「建物の前の赤いのは落葉したナナカマドの実」(富良野ロープウェー)岬麻呂氏「富良野盆地が遠望できる。」岬麻呂氏「山麓駅横の白い建物が新富良野プリンスホテル」(千望峠)岬麻呂氏「331報告の写真撮影場所と同じ位置」岬麻呂「今回は麦の成長が分かる」 千望峠再訪の趣旨は、「麦の成長」を見るためとのことですが、ご同行のお二人にとっては、「失望」ではないまでも、「?」ではなかったでしょうか(笑)。(日の出公園)岬麻呂氏「ラベンダーの名所、花が刈り取られて玉仕立てになっている」 夕刻便で新千歳空港から関西空港に戻り、今回の旅は無事終了。 前回同様今回も800kmのロングドライブ旅でありました。 今回も、美しい風景の写真、秋の紅葉を楽しませていただきました。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.10.17
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昨日(10月11日)は、堺市在住の友人を訪ねての銀輪散歩。 友人・喜多麻呂君(中学時代の同級生)から暑中見舞いのメールを頂戴したのは、8月10日のことであったが、その折の彼との電話で「涼しくなったらまた訪ねる」と約束したのでありました。しかし、9月になってもなかなか涼しくならず、訪問が延び延びになっていました。 10月に入って暑さも落ち着いて来たので、天気予報の状況を確認の上、彼に電話を入れ、「11日午後1時頃に訪ねる」旨を伝えたのでありました。 彼を訪ねるのは、今年の4月19日以来であるから、ほぼ半年ぶりの再会であります。 前回は、同じく同級生のひろみの郎女さんと一緒に彼女の車に同乗しての訪問で、帰途のみ、途中で車から降ろしていただき、積み込んで置いた小型折りたたみ自転車トレンクルでの銀輪散歩というスタイルでありましたが、今回はヤカモチ単独で堺市まで往復というフルスペックの銀輪散歩であります。ということで、車に積み込む必要もないので、トレンクルではなく、CB(クロスバイク)で出かけることとしました。<参考>喜多麻呂君を訪ねて堺市まで 2024.4.20. コースは、花園中央公園から近鉄奈良線・東花園駅前で線路南側の道に出て、これを西へ。瓜生堂西交差点で中央環状道路を南へ。美原ロータリーで西に進み、仁徳天皇陵を左に見て、堺区安井町交差点で国道26号を南に進み、浜寺石津町東2丁交差点の一つ先の路地を左に入った付近が目指す目的地である。片道40km程度の距離であります。(第二寝屋川・巨摩橋東交差点北側付近) 瓜生堂西交差点からは国道26号にぶつかる堺区安井町交差点まで、中央環状道路を走るだけであるから、コースは単純の筈。 先ず、第二寝屋川を渡ります。この川は、恩智川から分岐し、東大阪市と八尾市の市境を西に流れ、中央環状道路を越える付近から北西に向きを変えて東大阪市、大阪市域を流れ、大阪城公園の北側で寝屋川に合流している川である。寝屋川市域を一度も通過しないのに第二寝屋川という名で呼ばれるのは、寝屋川、恩智川の水害対策として開削された川だからなんだろう。 起点は恩智川であるから、第二恩智川と命名することもあり得たかと思うが、終点側からみて第二寝屋川と命名されたのだろう。まあ、恩智川も寝屋川に合流しているから、恩智川と分かれて第二寝屋川の水となった水も、そうならず恩智川の水のまま流れていった水も、共に寝屋川の水となって再会するという次第。(久宝寺緑地) 久宝寺緑地で小休止。 JR関西本線を跨線橋で越えます。 自転車でも押して上れるスロープがあるので、問題なしです。(JR関西本線・久宝寺駅西側跨線橋から西方向を望む) 長吉長原東交差点は横断歩道がなく、ご覧のような歩道橋が設置されていて、これを利用しなければならない。(出戸歩道橋) 自転車でも利用できるようにスロープがあるので、面倒ではあるが、それを別にすれば、通行に問題なしであります。 そして、新明治橋で大和川を渡ります。(大和川・新明治橋から下流側を望む) 大和川を渡った先が、近畿自動車道と西名阪自動車道とが交差合流する松原JCTとなっているので、歩道部分も自動車道のそれに従ってカーブしていることや高架橋梁が視界を遮ることもあって、ぼんやりしていると方角を間違い道に迷うことになるので要注意である。(池のフェンスに鷺) 中央環状道路を、松原JCTから南へ500mほど行ったところに三角形の大きな池があり、環状道路側には人の背丈ほどの高さの金属製の白いネットフェンスが設置されているのだが、それにアオサギがとまって、池の水面を見つめているのでありました。 そして、難題の近鉄南大阪線の跨線橋ですが、急な階段を上る構造になっているので自転車を押して上がることは出来ない。大きく東側(左手側)に回り込んで踏切を渡る必要があるのだが、ズボラをして自転車を担いで上ることにする。 しかし、これは失敗。かなりの労働である。 7~8分目位まで上って来たところで、上から階段を下りようとしている女性と鉢合わせ。危険なので、自転車を抱えたまま一時静止。先に彼女を通すべく道を空けて「お先にどうぞ」と声を掛ける。「手伝いましょうか」という彼女のご親切なお申し出は丁重に、勿論、ご辞退申し上げました。(近鉄南大阪線・中央環状道路跨線橋から西方向を望む) 跨線橋に上り切ったところで小休止。 写真をパチリ1枚は休憩を兼ねてのものでありました。 往路の写真はここまで。 途中で昼食を済ませ、手土産の買い物などで時間調整をし、12時30分到着でありました。 半年ぶりの再会でしたが、喜多麻呂君はそれなりにお元気な様子で何よりであります。 1時間余の雑談で旧交を温め、午後1時40分頃においとまする。 帰路は再び銀輪散歩であります。 先ず、仁徳天皇陵にご挨拶。(仁徳天皇陵・拝所) 近づいてみると、正面鳥居右側のお堀脇に鷺が一羽。(御陵に鷺) 御陵(みささぎ)にサギとはこれいかに。 これは別のアオサギでしょうが、さながら墓守でもしているつもりであるか。こちらを見ているのか、堀の小魚を見ているのか。 中央環状道路に出るべく、仁徳天皇陵に沿って北へと向かうと、その陪冢だという銅亀山古墳というのに出くわした。(銅亀山古墳)(同上・説明碑) 中央環状道路沿いの大泉緑地に入ってぐるりひと回りして、再び環状道路に戻る。(大泉緑地) 帰途は、近鉄南大阪線の跨線橋は遠慮し、踏切を迂回するコースを選択。 そう言えば、前回の帰途もこの踏切を迂回するコースを取ったのでした。 往路では、そのことを忘れていて、急階段を自転車を抱えて上るなどという無茶をしてしまったのでありました。 大和川を渡り、今度は上流側を撮影。(大和川・新明治橋から上流側を望む) 前回は、大和川の右岸堤防道を上流へと走ったのだが、今回は中央環状道路を直進します。(JR関西本線・久宝寺駅) しかし、JR関西本線を越える段になって、近鉄南大阪線の場合と同様に、跨線橋ではなく、踏切を渡ろうと考えて、久宝寺駅の方にと向かう。 ところが、次の八尾駅前まで、踏切が一つもないのである。 八尾駅前、西側の踏切を渡り、アトは方角だけを頼りにジグザグに走っていて、出くわしたのが、この神社。(御野縣主神社)(同上・由緒) 由緒を見ると、祭神が天ノ湯川田奈命とある。 アマノユカワタナと言えば、柏原市の天湯川田神社のことが思い出されたので、立ち寄ってみました。 彼の逸話については、下記<参考>記事をご参照ください。<参考>天湯川田神社 2018.6.7.(同上・拝殿) この神社の拝殿背後には旧大和川の堤防跡が残っているとのこと。(同上・旧大和川の堤防跡の碑) 以上、友人訪問兼銀輪散歩走り書きでありました。
2024.10.12
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今日は囲碁例会の日。 朝方の雨も上がったので、自転車で出かけることとします。 このところ、MTB(マウンテンバイク)を利用していましたが、今日はクロスバイク(CB)で出かけることとしました。 今回も特段の立ち寄り先がなく、会場の部屋がある梅田スカイビルまでの直行直帰でありましたが、大阪城公園を通り抜ける往路コースについては、久しぶりに、かつてはよく走った公園南側の坂道を上るコースを選択してみました。 坂の途中から大阪城公園に入り、南外堀沿いの道を走ります。(大阪城・南外堀)(同上・説明碑) かつては、公園に入らず、南側に沿う坂道を上り切り、上町筋を北に入り、大手前交差点で高麗橋通りを西に向かうという、公園外周道路を走るということがよくありましたが、この上町筋までの上り坂が結構きついので、最近はこれを回避して、森ノ宮入口から公園に入って、東外堀、北外堀沿いの道によって、これを通り抜けるというコースを選択することが多くなっています。(大阪城公園通り抜けコース地図)(注)赤線――今日のコース 青線――最近の通常通り抜けコース ということで、久しぶりに大手門の前を通過。(大手門) 梅田スカイビル到着が午前11時5分。家を出たのが9時30分。 1時間35分かかったことになる。 今回も駐輪場が満車。入口前にマイCBを停め、係員の人の「空きが出たら駐輪して置く」というご親切な言葉に甘えて、ヤカモチは地下のカフェレストランへ。少し早いが昼食を済ませることとする。 昼食を終えて、駐輪場に戻ると、23番が空いたとかで、そこに運んで駐輪して下さっていました。お礼を申し上げて、会場となっている部屋があるガーデンファイブ棟5階に上がる。 まだ、どなたもお見えではない。碁盤、碁笥を設営して待つ事、30分足らず、平〇氏がご来場。 同氏と対局。ほぼ終わりかかった頃に、村〇氏と福麻呂氏がご来場。 平〇氏との対局はヤカモチの3目半の勝ち。 メンバーチェンジして、ヤカモチは福麻呂氏と対局。これはヤカモチが投了して中押しで負け。 続く3戦目は村〇氏との対局であったが、これも中央の戦いで破綻が生じ、大差で完敗。 ということで今日も1勝2敗とイマイチの成績。 これで今年に入ってからの成績は21勝22敗。 今年初めて5割を割り込み、負けが先行する形となってしまいました。 残すところ、アト11月と12月の4回だけ。うち12月の1回目は他用で欠席の予定であるから、出席できるのは3回だけ。何とか負け越しとならぬよう、頑張らなくては(笑)。 帰途は、横枕南公園と花園中央公園で小休止しての帰宅でありました。(横枕南公園&マイCB)(花園中央公園&マイCB)<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.10.09
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友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今回は、この時期、毎年恒例となっている、北海道・大雪山系の紅葉を訪ねての旅であります。(旅・岬巡り報告331・大雪山系の紅葉)※画像をクリックして大きいサイズの写真でお読み下さい。 以下は、旅報告に添付の写真ですが、別途Eメールで個々の写真を送信下さっているので、旅程に従い、順次ご紹介させていただきます。(331報告添付写真1)(同上2)(同上3) 日本の秋は此処より始まるとされる大雪山系の紅葉。 その紅葉を求めての一人旅とのことですが、我々もブログにて同行させていただきましょう。 とは言え、地理不案内なヤカモチ、写真を並べるだけのことになりそうではありますが。9月24日関西空港→新千歳空港→(レンタカー)→富良野(藤林氏訪問)→美瑛町・白金温泉・パークヒルズ(3連泊) 今回は、美瑛町の白金温泉パークヒルズに3連泊しての3泊4日の旅でありますが、ここをベース基地として旭岳ほかの紅葉巡りをされるようです。 夕食には「ジャガイモ焼酎楽しむ」と書かれていますが、芋焼酎の原料はサツマイモだけかと思っていたら、ジャガイモの焼酎もあるのですな。 まあ、麦であれ、米であれ、芋であれ、下戸ヤカモチにはかかわりのないことにござんす(笑)。9月25日旭岳ロープウェイ山麓駅→同・姿見駅→姿見池展望台(遊歩道散策)→美瑛の丘巡り(北西の丘・新栄の丘・四季彩の丘)→上富良野・千望峠展望台→日の出公園→十勝岳温泉・十勝岳安政火口→望岳台→白髭の滝 先ずは旭岳ロープウェイ山麓駅へと向かいます。 到着は朝8時。早めに宿を出たのも駐車場が満車になってしまうことを危惧されてのことであったようですが、朝8時にしてほぼ満車状態。 幸い、岬麻呂氏の車は駐車できたようですから、これよりロープウェイにて山麓駅(標高1100m)から姿見駅へと向かいます。(旭岳) 姿見駅に降り立ち、旭岳の雄姿を望みつつの遊歩道散策であります。(同上・遊歩道) しかし、姿見駅(標高1600m)から姿見池展望台(標高1670m)までの遊歩道は、既に「紅葉は終わっていた」とのこと。 それでも、下掲の湖沼群の眺めなどはまこと雄大にして、額田王ならずとも「秋山そ我は」である。(同上・湖沼群) この「すり鉢池」は隣にある「鏡池」と合せて「夫婦池」とも呼ばれるそうだが・・。(同上・すり鉢池) ロープウェイで山を下ります。紅葉愛でつつ・・。(旭岳ロープウェイ) 次は、美瑛の丘巡り。(美瑛・四季彩の丘) 上富良野の千望峠展望台から日の出公園へ。 この辺りになると、それがどの辺りなのかがもう分からない。(千望峠)(日の出公園) そして、望岳台から十勝岳を望み、十勝岳温泉、安政火口、白髭の滝と巡ります。(十勝岳)(十勝岳温泉) 十勝岳温泉、同安政火口付近の紅葉は丁度見頃であったようです。(十勝岳・安政火口)(白髭の滝)9月26日黒岳ロープウェイ→黒岳7合目へのリフト→層雲峡・紅葉谷→大函→銀河・流星の滝→石北峠→三国峠→大雪高原・森のガーデン この日は黒岳へと向かいます。 リフトに乗って眼下の紅葉を楽しもうという次第。 しかし、黒岳は宿からは約95kmも先。 駐車場の心配もあり、早朝に出発。 予想通り、ほぼ満車であったが、何とか駐車場所を確保。(黒岳・7合目リフト)(同上・6合目) 美しい、紅葉、黄葉であります。 因みに、「もみじ(旧仮名遣いでは、もみぢ)」は「紅葉、黄葉」の二通りの漢字表記があるが、現在は「紅葉」が一般的で「黄葉」と書くことは希である。 一方、万葉では「黄葉」と表記するのが普通で、「紅葉」と表記するのは、下掲の歌1首のみである。妹がりと 馬に鞍置きて 生駒山 うち越え来れば 紅葉(もみち)散りつつ (万葉集巻10-2201)<妻のもとへと馬に鞍を置いて生駒山を越えて来ると、もみじ葉が散っている。>(同上・7合目展望台) 黒岳の紅葉を十分に楽しみ、層雲峡へと向かいます。(層雲峡・紅葉谷) 層雲峡の紅葉はまだ。 石北峠、三国峠の紅葉もまだ先のようです。(三国峠) 大雪高原森のガーデンに立ち寄って行く。(大雪高原森のガーデン)9月27日しろがねダム→富良野・鳥沼公園→金山ダム公園→新千歳空港→関西空港 旅の最終日は、やはり、岬麻呂氏が「紅葉のマイ標準木」とされている木のある、富良野の鳥沼公園であります。(鳥沼公園) 写真左寄り奥に見える赤く紅葉している木が「マイ標準木」です。 朝霧と紅葉。いい雰囲気です。 そして、金山ダム公園です。(金山ダム公園) 以上、全794kmのロングドライブ旅でありました。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.10.07
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今日は月例の墓参。 朝方の雨も小止みとなったので、墓参に出掛けることに。 坂道を少し上ったところにある寺の門前の言葉は先月のものと変わっていなかったので撮影せずスルー。寺の門前を通り過ぎ、一つ南側の坂道に移り、これを上って行く。(ギンナン) 道にギンナンが落ちている。途中にあるテニスクラブの敷地内の銀杏の木から落ちた実である。 道の中央部に近い辺りに落ちたギンナンは車に轢かれて潰されたのであろう。点々と黄色いシミになって、あの特有の臭いを漂わせている。 上の写真は、塀際、道路の端っこに落ちている実である。 この付近から坂道は急こう配となる。 ギンナンから少し上った道の右側にはムクロジの大木があり、道の左側の空き地にはチョウセンアサガオがはびこっている。(ムクロジの木)(チョウセンアサガオの実) チョウセンアサガオの実の中には黒い小さな種子がびっしりと詰まっているので、その繁殖力の強さが想像される。 この小さな空き地は、このチョウセンアサガオにほぼ占領されかかっていますが、このまま放置されたなら、来年にはこの草で埋め尽くされることになるのだろう。 更に上ると、ヒガンバナが目に入りました。 そして、クズの花も。(ヒガンバナ)道の辺(へ)の 壱師(いちし)の花の いちしろく 人皆(みな)知りぬ 我(あ)が恋妻を (巻11-2480)(クズ)真葛原(まくずはら) なびく秋風 吹くごとに 阿(あ)太(だ)の大野(おほの)の 萩の花散る (巻10-2096) クズもヒガンバナも万葉植物であるが、クズの花はさて置き、9月に入っても今年は真夏のような暑さが続いたので、ヒガンバナも咲く時期を測りかねたか、開花が随分と遅くなりました。 墓参する前に、もう少し花の写真をと、我が家の墓を横目に通り過ぎて更に坂道を上って行くと・・。墓地を過ぎた辺りにもヒガンバナが咲いていました。(ヒガンバナ咲く道の辺に・・) この道の奥に咲いていたのはタデの花。(イヌタデ)わがやどの 穂(ほ)蓼(たで)古幹(ふるから) 摘(つ)み生(お)ほし 実になるまでに 君をし待たむ (巻2-2759) 視線を上げると、少し離れたところにクサギの花が目に入った。 近づいて撮影してみようと草むらに分け入って行く。(クサギ1)(クサギ2) しかし、これが間違いのもと。 草むらから道に戻ると、ズボンの両ひざから下の部分やスニーカーにびっしりとヌスビトハギの実がくっついていたのでした。 これを取り除くのにひと苦労。(墓地のクスノキ) 我が家の墓へと戻ります。(墓地からの眺め) 墓参を済ませて、来た道を戻ります。(墓地に西瓜) 空き区画なのか、墓石などが建てられていない区画に西瓜が一つなっていました。勝手に生える訳がないから誰かが植えたのだろうか。 何とも妙な光景です。(カリンの実) こちらは墓地ではなく、墓から少し坂道を下った、空き家となっている民家の庭に生えているカリンの木です。 墓地にスイカ、空き家にカリン。 そして、石垣にニラ。(ニラ)伎波都久(きはつく)の 岡の茎韮(くくみら) 我(われ)摘(つ)めど 籠(こ)にものたなふ 背(せ)なと摘まさね (巻14-3444) 正確には、石垣の前にニラ、であります。(同上) そして、タマスダレ。 この花は、別名・レイン・リリーとも呼ばれるから、雨には相性がいいのだろう。雨露を帯びた姿には風情がある。(タマスダレ) 以上、墓参兼花散歩でありました。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.10.04
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今日は囲碁例会の日。 お天気に問題はなさそうなので銀輪散歩を兼ねてMTBで出かける。(横枕南公園・マイMTB<マウンテンバイク>) 帰路では水分補給などでよく休憩するのが横枕南公園であるが、今日は往路で一時休憩。藤棚の下のベンチがお決まりの休憩場所であるが、ここで水分補給をして一息入れました。 そして、大阪城公園までノンストップ走行(信号待ちの一時停止は別として)であります。(大阪城公園・森ノ宮入口)(同上・お堀端) 大阪城公園は休憩せずに通り抜け。(天満橋から大川上流を望む) 天満橋を渡り、滝川公園での休憩も省いて梅田スカイビルへと向かう。(今日の門前の言葉) 公園はパスしたが、道路向かいのお寺の門前の言葉だけは撮影して置きます。 梅田スカイビル到着は11時45分位であったかと思うが、今回も駐輪場が満車。しばらく入口前で待つこととしたが、顔なじみ係員の人が、「空きが出たら駐輪して置くから、キーだけ施錠して置いてください。」と言ってくれたので、入り口前に駐輪して彼に委ねることに。 地下の滝見小路に向かい、先ず昼食。全席喫煙席というカフェレストランで昼食済ませて、駐輪場に戻ると、係員さんが、「128番が空いたのでそこに停めて置きました」とのこと。 ハンドルに括り付けたままにしていたペットボトルケースを取り外して、駐輪場から、中庭(ワンダースクエア)を通り抜けて里山の方へと向かう。(梅田スカイビル)(梅田の里山) 梅田の里山には足を踏み入れず、パノラマ撮影で写真を1枚だけ撮影。 パノラマ撮影なので、画像が不自然に歪んでいます。 会場の部屋になっているガーデンファイブ棟5階の部屋に行くと、既に平〇氏が来て居られましたので、彼と先ず一局。 中盤の戦いで、コウ争いとなり、コウ立てに失敗してコウに負け、ガタガタとなり、中押しで負け。 終盤となった頃に、福麻呂氏、村〇氏がご来場。 ヤカモチの2局目は村〇氏、3局目は福麻呂氏と。何れも不注意な見落としがあってヤカモチの負け。平〇氏と再度対局するもこれも負けて、今日は4戦全敗。見落とし、勘違いなどの不注意ミスが重なって、今日は散々な碁となりました。これで今年の成績は20勝20敗となり、勝ち越しにも赤信号が灯る微妙な状況となりました。(梅北公園・うめきた広場) 帰途は、最近オープンしたという梅北公園を見て行くこととする。(同上) すっかり景色が変わってしまっているので、道に迷いそうです。 大阪城公園、横枕南公園で一時休憩して、帰宅は午後5時過ぎ。 今日も汗だくの一日となりました。(大阪城公園・噴水広場)(横枕南公園とマイMTB<復路>)<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.10.02
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タンデム自転車初体験のことは、7月18日の記事で紹介しましたが、今日は2回目のタンデム乗車でありました。<参考>タンデム自転車初体験 2024.7.18. 今回も利衣郎女さんからのお誘いによるものでありました。 第3回大阪サイクルピクニックというイベントに参加申し込みをしたので、お付き合い願えるかというメールが、友人の偐山頭火君とヤカモチの両名宛てにありました。 偐山頭火君は左ひざを痛めていて、参加を辞退されたので、ヤカモチだけ参加させていただくことに。 午前9時55分地下鉄御堂筋線淀屋橋駅改札口前での待ち合わせということで出かけましたが、予定より2便早い時刻の電車に乗ったので、淀屋橋駅には9時30分に到着。利衣郎女さんも予定よりも早く9時45分前後には到着。<参考>第3回大阪サイクルピクニック(開催概要) 大阪サイクルピクニックについては初めての参加で、何の知識の持ち合わせもないのであるが、中之島公園の中央公会堂前の水上広場を起点に御堂筋を南に走り、本町通りで左折・東に進み、大阪城公園前・馬場町交差点を左折・上町筋を北に入り、大手前交差点で左折・高麗橋通りを西に進み、堺筋から三つ西の三休橋筋で右折・北に進み、北浜2丁目交差点で土佐堀通りを越えて、栴檀木橋で土佐堀川を渡り、中央公会堂前に戻って来るというコースをアピール走行するという催しらしい。 前回お世話になったあおぞら財団の方々や自転車愛好家の方々で組織された自転車文化タウンづくりの会主催、御堂筋サイクルピクニッククラブの企画・運営によるイベントとのこと。(第3回大阪サイクルピクニック・アピール走行前の様子1)(同上2) 会場に着き、受付を済ませるも段取りがよく分からない。 利衣郎女さんがレンタルを申し込んだタンデム自転車はどれなのかと、タンデムが駐輪してある場所に行くが誰も居ないので、どれとも分からない。 適当にピックアップして持ち出せばいいのかと、そのうちの1台を持ち出そうとしていると、あおぞら財団の人が来られて、割り当て機種が決まっているのでと示されたのは大型の赤いタンデム。 アピール走行は10時30分スタートであるが、AからIまでの9組のグループに分かれて走行をするとのこと。各グループのリーダーが先頭を走り、メンバーはその後ろについて走るというもの。<追記注:2024.9.24.10:33>冒頭の写真を見ると「J」のカードを掲げた人物が写っていますので、グループは10組あったようです。 ヤカモチたちはIグループということで、一番最後のグループ。 各自、自身愛用のスポーツタイプの自転車を持ち込んでのアピール走行への参加のようですが、中にはママチャリで参加という人もいる。 Iグループは、一部普通の自転車の人もいたが、殆どの皆さんはタンデムであるから、レンタル組であるのだろう。 利衣郎女・ヤカモチが割り当てを受けたのは大型の赤いタンデム自転車であるが、いざ出発と走り出したものの、前ペダルと後ペダルの高さが同調していなくてチグハグ。うまく走り出せない。その旨申し出ると直ぐに代車を用意して下さり、ひと回り小型の赤いタンデムに乗り換えての出発となりました。(同上・コース図 ――線:走行コース) 途中、赤信号の度に停車することが多くあって、余り快適とは言えない走行でありましたが、無事11時40分前後にゴールイン。 走行距離は6km余であるから、度々の信号待ちを考慮に入れても、かなりゆっくり目の走りであったことになる。 ゴールイン後、各グループごとに集合記念写真を撮っていただいたが、この第3回大阪サイクルピクニック関連のSNSでその写真を目にするというようなことがあるのだろうか。(同上チラシ) 終了後、淀屋橋駅前の喫茶店で利衣郎女さんと昼食。この勘定は持たせてくれとの利衣郎女さんのお申し出にあやかり、ご馳走になってしまったヤカモチでありました。 利衣郎女さんとは淀屋橋駅改札口前で別れ、午後1時40分頃の帰宅。<参考>自転車関連の過去記事はコチラ。
2024.09.23
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今宵は中秋の名月。 旧暦8月15日の月が中秋の名月。今年の中秋の名月は満月ではなく、満月になるのは、明日の夜とのことですが、こんな風でありました。(2024年9月17日・中秋の名月1)(同上2)(同上3)(同上4)(同上5) 名月や池をめぐりて夜もすがら (芭蕉) <名月が映る池の周囲を回りながら夜通し過ごすことだ> 名月はふたつ過ても瀬田の月 (芭蕉) <二度の名月が過ぎた後でも、瀬田の月は見飽きることがない> 月の万葉歌は下記<参考>の過去記事に掲載していますので、割愛しました。<参考>中秋の名月 2013.9.19.
2024.09.17
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今日は囲碁例会の日。 例会は月2回、毎月第一、第二水曜日開催と決まっているが、8月は第二水曜日が14日、お盆で休会。そして前回例会の9月4日は欠席したので、ヤカモチにとっては35日ぶりの囲碁例会ということで、久々の囲碁でありました。 ヤカモチにとっては、囲碁も楽しみ、囲碁会場への銀輪散歩も楽しもうという一石二鳥の楽しみなのであるが、最近は自宅と会場の梅田スカイビル(新梅田シティ)を往復するだけで、遠回りしたり、寄り道したりということが殆どなくなっているので、銀輪散歩もほぼ同じコースの繰り返しになっている。 これも年齢の所為であるか。 そんなことで、ブログ記事としてはこれといった話題の提供もないものになってしまっているのであるが、もう少し涼しい気候になったら、かつてのように遠回りや寄り道を再開したいものであります。 ということで、今回も大阪城公園森ノ宮入口から大阪城公園通り抜けであります。(大阪城公園森ノ宮入口) 大阪城公園を通り抜け、天満橋を渡った先の滝川公園で小休止するのが最近のパターン。 その公園の西側道路向かいのお寺の門前の言葉、本日はこれ。(今日の門前の言葉) 梅田スカイビル到着が11時45分頃。今日も満車で、入れない。 係員の方の話だと最近はずっとこのような状態が続いているとのこと。 ヤカモチが到着した時には、ママチャリの女性が先客で待って居られて、一台の自転車が出て行くところで、程なく彼女が入場、駐輪されました。 ヤカモチも彼女に倣い、入場口前の路上にMTB(マウンテンバイク)を停めて、空きを待つことにする。 しばらくして、一人の男性が駐輪場の西側入口の前で何やら携帯電話で長話をされているのが視界に入る。雰囲気的に彼は駐輪場に自転車を停めているような感じがしたので、様子を見つつ待つことに。3分程度で電話が終わったようで、予想通りに彼は駐輪場に入って来た。 12時を1~2分過ぎた位で、ヤカモチも無事駐輪することができました。(梅田スカイビルの駐輪場) 上の写真は、電話しながら男性が立っていた西側入口近くから撮影したもので、自転車での入場口は、右手に白く写っている料金精算機のある右側になっていて、そこから入場することになっている。 自転車を取り出そうとする人は、西側の入口から入って来るのが普通。 自転車を取り出しての出口は、写真奥、突き当りの右手に設けられている。 なお、写真は、到着時のものではなく、囲碁例会を終えての帰路に撮影したものである。 先ずは、昼食である。(CAFFE PIAZZA POPOLO店内) 昼食は全席喫煙席というカフェレストランで。 写真は客の姿が写らぬように天井に向けて撮影したので、何やら訳の分からぬ写真になっている。 昼食を済ませて、会場の部屋に行くと、既に平〇氏が来て居られた。 早速に同氏とお手合わせ。 序盤で右下の大石を取り込んだことで、楽な展開に。劣勢を挽回するための無理筋な手が一層形勢を悪くするという形となり平〇氏の投了。ヤカモチの中押し勝ちとなりました。 しかし、続く福麻呂氏には10目余の負け、村〇氏には中押し負けとなり、本日は1勝2敗とイマイチの成績でありました。(囲碁の部屋からの窓外の眺め)<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.09.11
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長らくブログを休んでしまいましたが、久々に記事を更新します。 と言っても、特段の話題もなく、月例の墓参の記事であります。 9月と言うのに真夏のような暑さの中のお墓参りでありました。(門前の言葉) 今日の門前の言葉は、 老いが 病いが 死が 私の生を 問いかけている ―二階堂行邦― という、何やら身につまされる言葉でありました(笑)。 墓地への坂道を上って行き、先ず目にとまったのは棗の木。(ナツメ) ナツメの実が少し色づき始めています。 ツクツクボウシが鳴く坂道を上って行きます。そして、住宅が取り壊された空き地に勢力を張っていたのは、チョウセンアサガオ。(シロバナチョウセンアサガオ)(同上)<参考>チョウセンアサガオ・Wikipedia 熱帯アメリカ原産の一年生草本で、日本へは明治初期に渡来した帰化植物とのことだが、草全体に有毒成分を含むそうだから、葉や茎を素手で触ってその汁が付着した手で目をこすったりしないことが肝要。 ということで、ヤカモチも眺めて行くだけ。写真を撮るだけ。(クズ) 墓地の入口近くの池の畔に生えているアキニレの木を覆い隠さんばかりにクズが這い広がり、花をつけてもいる。 クズの花は「萩の花尾花葛花撫子の花・・」の万葉歌に詠まれた「秋の七種」の一つであるから、秋を感じ取るべきなんだろうが、滴る汗がそれを裏切っています。(墓地からの眺め<西方向>)(同上<東方向>) 墓地に到着。(クスノキ) 墓地のランドマークであったクスノキの大木も、今は一部が辛うじて生きているのみで、主要な部分は伐採されて見る影もなしであります。 前頁の記事が「お盆のお墓参り」でありますので、墓参の記事が連続してしまうこととなり、いささか不本意のこととなりましたが、ヤカモチが無事に生きていることのご報告も兼ねての記事でもありますれば、ご容赦のほどを(笑)。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。
2024.09.07
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昨日13日はお盆のお墓参りでした。 今月2日に月例の墓参をしたばかりであるが、お盆と年末には重ねて墓参をするというのが、ヤカモチの習慣となっているのである。 シャンシャンとクマゼミの鳴く坂道を自転車のMTBで上って行きます。 と言っても途中にある寺の辺りまでで、アトは押して上がります。急な勾配の坂道なので、漕いで上がる元気はもうありません。 腰痛の所為でヤカモチにとって歩行はいささかの苦痛が伴う動作となるのであるが、自転車に乗っての移動は何の問題もなく、また自転車を押して歩くという動作も、只歩いているという動作よりも、やや前かがみになってという姿勢のゆえか苦痛がずっと軽減され楽に歩けるのである。 寺の門前の言葉も、先月5日の墓参の時に見たものがそのままで、更新されていなかったので、前回に続きスルーであります。 寺の前の道端にはアブラゼミの死骸が一つ転がっていました。 蝉と言えば、今月10日(土)に散髪に行った帰りに枚岡梅林に立ち寄った際、ミンミンゼミとツクツクボウシが同時に鳴いているのを耳にしました。前者は真夏の蝉の声、後者は過ぎ行く夏と言うか、夏の終わりの蝉の声というイメージである。 夏を押しとどめようと鳴くミンミンゼミと「秋よ来い」と鳴くツクツクボウシがせめぎあっている、そんな気がしたものであるが、どうやらミンミンゼミがせめぎあいに勝ったみたいで、昨日も今日も真夏のそれの猛暑である。 ということで、蝉の写真でも掲載して置きます。(クマゼミ) と言っても、その折のミンミンゼミとツクツクボウシの写真を撮った訳ではありませんので、先月22日に喫茶・ペリカンの家に立ち寄った際、店の前の喫煙ベンチのかたわらに植えられているシマトネリコの木にとまっていたクマゼミの写真であります。 墓地に到着、花を取り替え、線香を手向け、合掌礼拝。 墓参を済ませてから、墓地への坂道の一つ北側の坂道に移り、そこにある市杵島姫神社の木陰で一休み。水分補給とタバコ一服をしながら気がついたのは、今回の墓参に関連する写真を1枚も撮っていないということでした。 それで、撮ったのが次の写真2枚。(大阪一望) 右手の大型マンションの背後に写っているのが花園ラグビー場のスタジアム。その後方右端に見える茶色のビルが東大阪市庁舎。 写真で見ると距離感が違って見えるが、東大阪市庁舎は花園ラグビー場の西北西方向約2.5kmの位置にある。 カメラの角度を下げて、手前側を撮ったのがこの写真。(坂道) この坂道は一つ北側のそれであるが、墓地への坂道もこれと同じような坂道でありますので、これを自転車で漕いで上るのは、電動アシスト付きなら別であるが、普通の自転車ではとても上り切れないのであります。 それでも、上りは貯金のようなもの。帰途はこの貯金を取り崩して一気に走り下ることになる。要するにプラマイゼロということであります。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。
2024.08.14
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(承前) 前頁の続きです。7月30日の西ノ京四ヶ寺巡礼銀輪散歩は、西大寺、喜光寺、唐招提寺まででタイムアウトとなりましたので、翌31日に残る薬師寺を拝観すべく出かけてまいりました。 銀輪散歩を、とも考えましたが、猛暑の中でもあり、西ノ京駅前の薬師寺のみの拝観なので、トレンクルの持参は取り止め、電車で出かけることとしました。 近鉄奈良線・大和西大寺駅で橿原線に乗り換えて、二つ目の駅・西ノ京駅で下車します。 西ノ京駅は改札口が地下1階になっているので、ホームから地下改札口に行き、再び地上に戻るという面倒な導線になっている。 地上に出て正面を進むと、先ず目に入ったのがこの薬師寺伽藍図。(薬師寺伽藍図) はい、只今、駅前、遊歩道を少し東に入った場所「現在地」に居ます。 こういう写真は、現在地の説明が一目瞭然なので、説明不要ですな。 広い通り、参道に出て右折、南へ、與楽門へと向かいますが、時刻が既に正午近くになっていたので、喫茶店にでも入って軽く昼食を済ませることにします。 與楽門から少し西に入ったところに”PAS Á PAS”というベーカリーカフェがあったので、そこで昼食&珈琲としました。 ランチも済ませたので薬師寺に向かいます。(薬師寺縁起・パンフレットより) このパンフレットを開くとこんな風になります。(同上 ※画像をクリックして大きいサイズの写真でご覧ください。) 上の写真には青線――で巡回コースを書き加えていますが、それでお分かりの通り、この日の拝観は南側の白鳳伽藍エリアのみであります。 與楽門より入山し、北拝観受付で拝観受付を済ませます。 先ず目に入る正面の建物が食堂(じきどう)。 薬師寺の正門は南門であるから、その反対側である北側にある與楽門は言わば裏門である。裏口から入るのがヤカモチ流であるから、これでいいのである。 裏口から入ったのだからいきなり食堂の建物ということになるのも仕方がないが、昼食を済ませたばかりのヤカモチであるから、これには入らず建物に沿って北側の空間を東へと回り込んで、伽藍の中心部に行こうと歩いていると、目にとまったのがこの石標。(十字廊と周辺の遺構) かつては食堂の北側に接して十字形の間取りをした食殿(じきでん)という建物があったということのようである。食堂に付帯する何らかの機能を受け持つ建物であったのだろう。 まあ、食堂(じきどう)とは言っても、食事を提供する場所というのではなく、今は参拝者向けの土産物など諸グッズの売り場兼休憩所といった機能を果たしています。 さて、食堂とこれに続く東僧房の建物に沿って歩き、これを東に回り込んだところにあるのが鐘楼。 鐘楼越しに東塔を撮ってみる。(鐘楼と東塔) 鐘楼の前には、蓮鉢が沢山並べられている。(蓮と東塔) 今回の拝観は蓮の花がキーワードであるから、蓮の花越しに塔を撮ってみます。 ハスは万葉では「はちす」というが、これはその実となる部分の形状が蜂の巣の形状に似ているからである。 もともと日本に自生していたとする説と、大昔に中国から渡来したとする説があるらしいが、インドが原産とされているようだから、有史前のいつの頃からか日本にやって来たのだろう。インドでも地中海沿岸でもハスは永遠の花として尊ばれた。ハスと仏像とは深く結びついているが、仏教で尊重される花であることは今も万葉の昔も変わらない。 遅ればせであるが、蓮の万葉歌を紹介して置きます。み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に 溜(た)まれる水の 行くへなみ 我(あ)がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寝(い)ねそと 母聞(き)こせども 我(あ)が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我(あれ)は忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに (万葉集巻13-3289)(<み佩かしを>剣の池の蓮の葉に溜まっている水のように、行く方もなく私が思い悩んでいる時に、是非逢おうと言って逢ってくれたあなたのことを、共寝してはいけないと母は仰るけれど、<我が心>清隅の池の、池の底のように深く私は忘れまい。じかにお逢いするまでは。)蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が 家なるものは 芋(うも)の葉にあらし (長意吉麻呂 万葉集巻16-3826)(蓮の葉とはこのようにこそあるもの。意吉麻呂の家にある蓮の葉は芋の葉のようです。)勝間田(かつまた)の 池はわれ知る 蓮(はちす)無し 然(しか)言ふ君が 髭(ひげ)無き如し (婦人 万葉集巻16-3835)(勝間田の池は私は知って居ります。蓮などありません。そう言うあなたに髭が無いのと同じです。)※この歌についての解説はコチラの過去記事に記載しています。ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉(はちすば)に 溜(た)まれる水の 玉に似る見む (右兵衛 万葉集巻16-3837)(<ひさかたの>雨でも降らないかなあ。蓮の葉に溜まる水が、玉にそっくりなのを見よう。)(同上)(東塔と中門と金堂) 回廊の方に進み、東方向から、東塔、金堂、西塔を撮ってみよう。(東塔と西塔と金堂) はい、東側回廊から眺めた金堂と塔の景色です。 もう少し歩を進めて、東塔の左裏手から撮ったのが次の写真です。(東塔と西塔) 中門内側から撮った東塔です。(東塔)(東塔縁起) 東塔と西塔の間を行ったり来たり・・。(東塔・北側からの撮影) これは、ひとめぐりして、講堂脇で一休みしている時に撮った真北側からの東塔の写真ですから、この日、薬師寺境内で撮った最後の写真ということになります。 前後しましたが、西塔です。(西塔)(西塔縁起) 中門を出て、南門の近くまで行って撮った中門の写真です。(中門) 東西の塔を背景に中門を撮ってみようとしたのですが距離が不足で塔が入りませんでした。南門の中まで行けば入ったのかも知れませんが、塔の一部が入った距離で妥協であります。 中途半端でありますが、中門の写真の注文を受けた訳でもなければ、これでいいのだ。もっとも、これを「なかもん」と発音するのであれば上の駄洒落は不成立。「無かもん」としてつかわさい。 中門に戻り、金堂へ。 金堂内を拝観する前に、西塔の北側にある佐々木信綱の歌碑と会津八一の歌碑を撮って置きます。(歌碑) 左側が佐々木信綱歌碑。右が会津八一歌碑です。ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲 (佐々木信綱)すゐえんの あまつをとめが ころもでの ひまにもすめる あきのそらかな (会津八一) ヤカモチは「ゆく夏の大和の国の薬師寺の堂の壁なる一匹の蜘蛛」という戯れ歌を思いついたりもしましたが、イマイチなので偐万葉には不採用とします(笑)。 水煙の「あまつをとめのころもで」や如何にと、東塔の水煙を撮ってみましたが・・。(東塔の水煙) では、金堂に参ります。(金堂)(金堂縁起) 金堂から大講堂へ。(大講堂)(大講堂縁起) 食堂(じきどう)の、涼しい風が当たる一角で暫し休憩して、與楽門から退出であります。裏門の與楽門から入ったのなら表門の南門から退出するのがヤカモチ流なのでありますが、南門から出ると駅が遠くなるので、今回は裏から裏へということにして置きます。 最近は腰痛が酷くなっていて長歩きは身にこたえるのであります。 南門を出て薬師寺の八幡宮である休ヶ岡八幡宮を回り、前述の蓮の万葉歌に記載の勝間田の池とされる大池に足を延ばして、その畔から薬師寺の塔を眺めるというようなコース取りも考えられたのですが、今回は不採用であります。 大池や休ヶ岡八幡宮の写真掲載の過去記事がありますので、これを貼って置くこととします。ご希望のお方はその記事でご散歩ください。<参考>若草歌壇2011花園篇公開ほか 2011.4.30. 大池の写真だけ貼り付けて置きますかね。(大池から見る薬師寺) また、15年も昔のことになるが、薬師寺の回廊に沢山のオオヤマレンゲの鉢が並べられているのに、出くわしたことがある。そのことも懐かしく思い出したので、その折の記事も下記に貼り付けて置きます。<参考>奈良銀輪散歩(その3) 2009.5.23. 薬師寺をアトにしたヤカモチは、ランチ&コーヒーをした先ほどのベーカリーカフェ”PAS Á PAS"に再び入り、抹茶ソフトで暫し休憩。 そして、西ノ京駅へと向かう。(近鉄橿原線・西ノ京駅<ホーム待合室の中から撮影>) ホームで待っているのも暑く、冷房のきいた待合室へ。 待合室は満員です。 待つこと10分足らずで大和西大寺行き電車が来ました。 これにて、西ノ京四ヶ寺巡礼完結であります。(完)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記をご覧ください。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)(追記注:2024.8.14.21:43)勝間田池の万葉歌についての解説を記載した過去記事のリンクを追記しました。
2024.08.12
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(承前) 前頁からの続きです。 喜光寺を出て、垂仁天皇陵の前を通過、唐招提寺へと向かいます。 垂仁天皇陵の写真は今回撮っていないので、下記過去記事をご参照ください。<参考>大和西大寺駅から矢田寺経由富雄駅まで(その2) 2010.3.6. 第2回ペリカンの家サイクリング下見 2019.8.25. 中学時代の恩師のお墓参り 2023.1.8. 唐招提寺の門前に着いたのは午後3時少し前。(唐招提寺・金堂)(同・境内案内図)(同・境内略図<パンフレットより>) 遅い出発となったため、最初の西大寺に着いたのが午後1時を過ぎていたので止むを得ないが、次の薬師寺の入山刻限が午後4時半であるから、どうやら今日は、ここ唐招提寺までで、薬師寺拝観は後日に回すしかなさそうです。(同・パンフレットから撮影)※画像をクリックして大きいサイズの画像でお読みください。 今日のテーマは蓮の花であるが、境内の萩の花も撮って置きましょう。(同・境内の萩の花)さ男鹿の 朝立つ野辺の 秋萩に 珠と見るまで 置ける白露 (大伴家持 万葉集巻8-1598)(さ男鹿が朝に立つ野辺の秋萩に、珠かと思われるほどに輝いて置いている白露よ。) まあ、萩は何と言っても万葉を代表する花であるから、目にしたからには撮らざるを得ません(笑)。 では、金堂の右手にある売店裏手の蓮池の方へと参りますが、その前に金堂脇に置かれた蓮鉢の花であります。(同・蓮の花<1>) 蓮池です。 蓮池という名かどうかは存じ上げぬが、弁天堂の前にある池で、蓮が池全体に繁茂しているから、蓮池でいいのだろう。(同・蓮池<1>)(同・蓮池<2>) 蓮はそこそこに冷房の効いた売店に入る。売店内に置かれた扇風機の風に当たって、暫くの間、火照った身体を冷やします。 その売店の奥隣に喫煙所がある。扇風機の風は名残惜しいが、タバコも喫いたい(笑)。売店を出て、喫煙所で一服です。 その喫煙所近くに並んでいた蓮鉢の蓮の花がこれ。(同・蓮の花<2>)(同・蓮の花<3>) 金堂を拝観し、講堂へと回る。 金堂の裏階段の最上段に上って講堂を撮影しましたが、距離がもう少し必要であったようで、屋根の両サイドが入り切りません。(同・講堂) 講堂から開山堂へ。(同・開山堂前の芭蕉句碑) 若葉して御目の雫ぬぐはばや (松尾芭蕉 「笈の小文」) この句碑の写真は下記<参考>の過去記事にも掲載済みであるが、今回も撮影したので掲載して置きます。 芭蕉句碑についての説明も同記事に記載済みなので割愛することとし、ヤカモチも一句仕り候。 蝉しぐれ額の汗をぬぐはばや (筆蕪蕉「老いの小文」)<参考>見まくの欲しき瓊花そして墓参 2016.5.2. 開山堂から鑑真和上御廟に向かいます。(同・鑑真和上御廟の門) 鑑真和上御廟は境内の北東隅の一番奥まった場所にある。 上掲写真の門が御廟への入口である。 門を潜ると、一面の苔。(同・鑑真和上御廟参道脇の苔)(同上) 一面の苔に覆われた木立の中の参道を進むと、正面に和上の御廟。(同・鑑真和上御廟)(同上) 御廟を出て、来た道を引き返すと、目に入ったのは北原白秋の歌碑。(同・北原白秋歌碑)水楢みづならの 柔やはき嫩葉わかばは み眼にして 花よりもなほや 白う匂はむ (北原白秋) 白秋は52歳の時に眼底出血を起こし徐々に視力が低下、失明してしまうのであるが、そのような事情もあってか、鑑真和上のことを思って詠んだ歌がいくつかあり、この歌はそんな中の1首である。 他の関連歌を列記すると以下の通りです。 目の盲(し)ひて 幽(かす)かに坐(ま)しし 仏像(みすがた)に 日なか風ありて 觸(さや)りつつありき 盲しひはてて なほし柔やはらと ます目見まみに 聖ひじりなにをか 宿したまひし 唐寺からでらの 日なかの照りに 物思ものもはず 勢きほひし夏は 眼も清すみにけり み眼は閉ぢて おはししかなや 面おももちの なにか湛たたへて 匂にほへる笑ゑみを この歌碑は御影堂の前にあるが、御影堂は非公開にて門前から望見するのみである。 御影堂の供華園には瓊花の木がある。春の終わり頃から初夏にかけて、この木はガクアジサイに似た白い花を咲かせる。その供華園は瓊花の咲く時期限定で毎年一般公開されるようだが、以前一度だけその瓊花を見に入山したことがある。 瓊花は鑑真和上の故郷、中国揚州の花である。 昭和38年(1963年)に、和上1200年忌を記念して中国仏教協会から唐招提寺に贈られたものであるという。 御影堂から少し西へ行ったところの僧房か何かの建物の庭に立ち入り、日陰になっている石に腰掛けて暫しの休憩、水分補給であります。立ち入ってもよいのか定かではなかったが、立ち入り禁止の結界もなく、蓮鉢が並べられていたから、多分大丈夫なんだろうと思った次第。(同・会津八一歌碑)おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ この歌碑は下記<参考>記事にも掲載していますので、再掲載ということになります。<参考>青雲塾第2回万葉ウオーク 2011.6.5. 唐招提寺を退出したのは午後4時頃。 南門の道路向かいの駐車場に駐輪して置いたトレンクルへと向かうが、その敷地内にあった土産物店兼喫茶店に入る。かき氷を注文する。店内でも食べることができるというので、閉店時刻の午後4時半まで余り時間もないのであるが、冷房のきいた店内の喫茶コーナーで食べさせていただく。 店の営業時間は、唐招提寺の入山受付時間である午前8時~午後4時半というのに合わせているようだ。 20分ほどで店を出て、トレンクルに乗車。駐車場出口の脇には栗の木があって、早くもイガグリの実が沢山なっているのが見られました。 トレンクルで秋篠川自転車道に向かう。 これを北に向かって走る。 自転車道に入ってスグのところにある大伴旅人の万葉歌碑を見て行く。(大伴旅人万葉歌碑)沫雪の ほどろほどろに 降りしけば 奈良の都し 思ほゆるかも (大伴旅人 万葉集巻8-1639)(泡のような雪がはらはらと降り続くと奈良の都のことが思い出される。) この歌碑は、秋篠川沿いの自転車道を走る際には何度となく目にして居り、この歌碑の前で歌を解説したという記憶も一度ならずあるのだが、そういう際の記事写真としての掲載は見当たらず、意外にも下記の<参考>記事の写真としての掲載があるのみでありました。<参考>若草読書会・万葉集から聞こえて来る音 2019.2.4. 秋篠川自転車道から平城宮趾公園を縦断。 大極殿の門である大極門の前を抜けて、朱雀門へと向かう。(大極門) 上の写真は今回撮影のものではなく、2022年3月に撮影したものであるが、この前を通り抜けたので、この写真を貼って置きます。 朱雀門へ向かうには、公園内を通っている近鉄奈良線の踏切を渡らなければならないのであるが、この踏切は午後5時を以って通行止めとなり、踏切手前の柵が閉じられてしまう。 やって来たのは丁度5時になる頃。係員の人が早く来いと手招きして下さり、ギリギリで通過。無事踏切を渡れました。 これが閉鎖されると、西側か東側の一般道路に出て、そこの踏切を利用しなければならないので、少し遠回りしなければならないことになる。 朱雀門から大宮通りに出て、これを左折、東へと走る。 新大宮駅の少し手前に奈良市役所庁舎があるのだが、道路を走りながら眺めると、庁舎の前に何やら歌碑らしきものが見える。近づいてみると、果たして万葉歌碑でありました。(遣新羅使人万葉歌碑)あをによし 奈良の都に たなびける 天の白雲 見れど飽かぬかも (万葉集巻15-3602)(<あをによし>奈良の都にたなびいている天の白雲は、見ても見飽きないものだなあ。) 万葉集巻15の冒頭145首は遣新羅使一行の人々が詠んだ歌である。 その中の1首がこの歌碑の歌という訳である。 天平8年(736年)6月に新羅へ派遣された遣新羅使であるが、暴風に遭って漂流したり、疫病のため使人が死去したり、と苦難の旅であったことが万葉集の歌からうかがい知れる。 この使節はその前年の735年に来朝した新羅使節団を追い返したことから、その外交的影響について相手方に探りを入れるというものであったようだが、今度は新羅の方が相手にしなかったもののようで、交渉には失敗、これといった外交的成果もなく、翌年(737年)1月に帰京している。 午後5時20分頃に近鉄奈良駅前に到着。 この日拝観できなかった薬師寺は翌日に訪ねることとし、この日の銀輪散歩はひとまず終了です。(つづく)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記をご覧ください。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2024.08.11
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西大寺、喜光寺、唐招提寺、薬師寺の西ノ京4ヶ寺共通拝観券を入手したので、久しぶりに西ノ京を巡る銀輪散歩をして来ました。 このコースはこれまでに何度となく歩いたり、サイクリングしたりしているお馴染みの道である。 今回の共通拝観券のキーワードは「奈良・西ノ京ロータスロード(Nara Lotus Road)」ということで、蓮の花である。 共通拝観券に記載の各寺のプロフィールは下記の通りです。●真言律宗総本山 西大寺 (奈良市西大寺芝町1-1-5 TEL.0742-45₋4700) 西大寺は称徳女帝の鎮護国家の勅願により天平神護元年(765)に創建された南都七大寺の一つです。鎌倉時代に稀代の名僧・興正菩薩叡尊上人によって真言律の根本道場として再興され、その法燈を現代に伝えます。●法相宗別格本山 喜光寺 (奈良市菅原町508 TEL.0742-45-4630) 喜光寺は行基菩薩が養老5年(721)に開創。平城京での布教や東大寺大仏造立の活動拠点とされました。天平21年(749)、行基菩薩は喜光寺で入滅。現在は、いろは歌を書写する「いろは写経」の体験が人気です。●律宗総本山 唐招提寺 (奈良市五条町13-46 TEL.0742-33-7900) 唐招提寺は唐の高僧・鑑真大和上が奈良時代に創建した寺院。和上が来朝された時に蓮根をもたらしたことから、開創以来、蓮を大切に栽培してきました。和上伝来の品種は「唐招提寺蓮」「唐招提寺青蓮」「奈良蓮」。●法相宗大本山 薬師寺 (奈良市西ノ京町457 TEL.0742-33-6001) 薬師寺は天武天皇により発願、持統天皇によって本尊開眼されました。その後は平城遷都に伴い、藤原京より平城京に移り今に至ります。 先ず西大寺へ。 なお、この記事は本日のそれではなく、7月30日のことなので、10日遅れのご報告ということになります。(西大寺境内図) 西大寺はこれまで何度となく立ち寄っているが、堂内に上がり仏像などを拝観するのは多分今回が初めて。 どことも堂内の撮影は禁止されているが、その影響もあってか、撮影が許されているお堂の外観写真なども撮影せぬまま境内を出てしまい、愛染堂裏の蓮苑でハスの花の写真を撮ったのみであることに、西大寺を後にしてから気が付きました。 そんなことで、拝観の際に頂戴した各お堂のパンフレットを撮影した写真でその穴埋めといたします。 先ず、本堂です。 本堂は本尊の釈迦如来立像、弥勒菩薩坐像、文殊菩薩騎獅像などが安置されている。(西大寺・本堂<1>)(同・本堂<2>) 次に愛染堂。 愛染堂には、愛染明王と興正菩薩(叡尊上人)が祀られている。(同・愛染堂<1>)(同・愛染堂<2>) 愛染堂内では叡尊像に初の対面。 西大寺中興の祖とされる叡尊の名は夙に承知していたものの、その像を拝するのは初めてで、何となくイメージしていたお姿とは異なっていたので、何やら妙な気分でありました。 愛染堂の裏に蓮苑があり、今回の拝観券のキーワードは「蓮の花」なので、これを撮影することに。 蓮苑の入口近くに鎮座ましますのは、平和観音像。(同・平和観音像) そして、ハスの花です。(同・蓮苑<1>)(同・蓮苑<2>)(同・蓮苑<3>と平和観音像)(同・蓮苑<4>)(同・蓮苑<5>)(同・蓮苑<6>) 愛染堂を出て、四王堂へと向かいます。 四王堂には、十一面観音菩薩像、四天王像、行基菩薩像、道鏡禅師像、百万塔陀羅尼などが安置されている。(同・四王堂<1>)(同・四王堂<2>) そして、今回は立ち寄らなかった奥の院・叡尊上人御廟ですが、西大寺境内から西へ600mほど行ったところにあるのがそれ。(同・奥の院叡尊上人御廟) ここは、2017年8月29日に訪ねているので、その折の記事を下記に貼って置きます。<参考>叡尊墓と北山十八間戸 2017.8.29. また、これまでに西大寺を訪問した折の過去記事も参考までに掲載して置きます。<参考>大和西大寺駅から矢田寺経由富雄駅まで 2010.3.5. 青雲塾第2回万葉ウオーク 2011.6.5. 第2回ペリカンの家サイクリング下見 2019.8.25. 西大寺を出て喜光寺へと向かいます。(喜光寺・本堂) 蓮鉢は250鉢あるそうな。(同・蓮の花<1>) 喜光寺の蓮の花はこんな感じです。(同・蓮の花<2>)(同・蓮の花<3>) 弁天堂へと向かう通路脇の溝に咲いていたのはミズアオイ。(同・ミズアオイ<1>)<参考>ミズアオイ・Wikipedia ミズアオイは万葉では「水葱(なぎ)」と呼ばれる。 ということで、ミズアオイも万葉植物である。醤ひしほ酢すに 蒜ひる搗つき合てて 鯛願ふ われにな見えそ 水葱なぎの羹あつもの (長意吉麻呂ながのおきまろ 万葉集巻16-3829) <醤と酢に蒜をまぜ合わせて鯛を食べたいと思っているのに、水葱の 羹なんぞ俺に見せるな。>(同・ミズアオイ<2>) 同じミズアオイ科の植物で、ミズアオイよりひと回り小さい花を咲かせるコナギというのもあり、両者は共に、ナギ(菜葱)、ミズナギ(水葱)という共通の別名で呼ばれることもあるので、万葉の「ナギ」や「コナギ」がミズアオイをさすのか、コナギをさすのかは定かではない。 まあ、万葉人は植物学者ではないのだから、両者を厳密に区別していなかったということは十分考えられるから、どちらかというのではなく、両方を含んだ総称と考えるのが相当かもしれない。<参考>コナギ・Wikipedia(同・ミズアオイ<3>) 万葉で歌われているように、古代の人は、ミズアオイやコナギの若葉を汁にしたり、塩茹でにしたり、漬物にしたりして食べたのであろう。 また、次の歌からは、その花を摺り染めの染料としていたこともうかがえる。苗代(なはしろ)の 小水葱(こなぎ)が花を 衣(きぬ)に摺(す)り 馴(な)るるまにまに あぜかかなしけ (万葉集巻14-3576)(苗代に咲いている小水葱の花を、衣に摺り付け、着なれるにつれて、どうしてこんなにも愛しいのだろう。)(同・弁天堂)(同・弁天堂 御神影 宇賀神像) 喜光寺にある万葉歌碑はこれ。(同・万葉歌碑)大き海の 水底みなそこ深く 思ひつつ 裳引き平ならしし 菅原の里 (巻20-4491 石川女郎)(大海の水底のように深く思いながら、裳を引いて地面を平にした菅原の里よ。) この歌碑については、過去記事でも紹介しているので、下記をご参照ください。<参考>青雲塾第2回万葉ウオーク 2011.6.5. 会津八一の歌碑も境内にあるが、今回は撮影し忘れたよう。 上掲の「同・蓮の花<1>」の写真の右隅奥に写っている石碑がその歌碑であります。 上記2011年6月の参考記事には、その歌碑の写真も掲載されていますので、ご参照ください。 本日はここまでとします。(つづく)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記をご覧ください。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2024.08.09
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今日は囲碁例会の日。 今日から立秋に入りましたので、暦の上では秋ということになりますが、大阪の最高気温は36度。まだまだ残暑と言うようなものとは程遠く、夏本番が当分続く気配であります。 熱中症警戒アラートが出る中でも、囲碁例会の日とあっては、銀輪散歩を兼ねて自転車で出かけるというのがヤカモチ・スタイルでありますので、今日も梅田までMTB(マウンテンバイク)でひとっ走りであります。 熱中症対策として、花園中央公園近くのコンビニで凍結したスポーツドリンクとそうでないスポーツドリンク各1本を購入していると、メンバーの一人である平〇氏より電話着信。「体調に自信がないので、欠席させていただく。」というのが電話の内容。前日には、青◎氏からも欠席する旨のメールを頂戴していたので、どうやら今日の出席者は、福麻呂氏と村〇氏、それにヤカモチの3名のみになりそうだと見込まれました。(大阪城公園) いつもの通り大阪城公園を通り抜け、天満橋を渡った先の滝川公園で水分補給とタバコ一服の小休止をして、梅田スカイビル到着は11時38分。 駐輪場係員に梅田スカイビル近くのコンビニで買い求めたアイスバーと凍結スポーツドリンク1本を差し入れ。猛暑の中を銀輪で走って来た汗だくヤカモチには炎天下での係員のご苦労もよく分かるので、この時期はこうした差し入れをして心ばかりの応援をさせていただくというのがヤカモチ流でもあります(笑)。 今回も駐輪場は満杯で入口には進入禁止を示すポールが立てられていましたが、丁度一台の自転車が退出するところであったので、運よくすぐに駐輪することが出来ました。 全席喫煙席というカフェ・レストラン「CAFFE PIAZZA POPOLO」で昼食&珈琲。 昼食後、5階の部屋に行くとヤカモチの一番乗り。 汗に濡れたTシャツを持参の新しいTシャツに着替えて、待つこと30分ほどで、福麻呂氏がご来場。少し遅れて村〇氏がご来場。 予想通り、今日の出席者はこの3名のみでありました。 到着順ということで、先ず福麻呂氏とヤカモチが対局することに。 少し優勢かと思われたが、終盤で受け間違いをしてしまい、黒五子をもぎ取られるミス。3目半の負けとなりました。 2局目の相手は村〇氏。こちらは不利な展開でしたが、終盤で村〇氏の不用意なハネ継ぎから左辺隅の大石が死んでしまうという村〇氏のミスがあって、ヤカモチの中押し勝ち。 ということで、今日のヤカモチの成績は1勝1敗。 最後は、福麻呂氏と村〇氏の対局。ヤカモチは観戦。 両者の対局が終了したところで、解散。午後3時少し前といういつにない早い解散でありましたが、大阪城公園、横枕南公園などの木陰で水分補給をしたり、アイスを食べて身体を冷やすなど休憩時間をたっぷり取った所為で、帰宅は午後5時20分頃と、帰途は2時間以上もの時間を要してしまいました。まあ、これも熱中症対策の上では必要不可欠なことであります。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.08.07
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今日は健人会の例会。 自宅最寄り駅の近鉄奈良線枚岡駅発9時46分の各駅停車に乗って、大和西大寺駅で乗り換え、近鉄京都線西大寺発10時27分の特急に乗車。京都駅着11時。JR琵琶湖線米原行き普通電車に乗車。石山駅11時21分着。 会場は例によって石山寺近くの料亭・新月というのがここ何年間のお決まりとなっていて、料亭からの送迎バス発車時刻が11時55分なので、30分以上も早い到着でありました。 2階改札口を出たところには何人かのメンバーが既に到着され集まって居られましたが、挨拶もそこそこにヤカモチは、先ずタバコを一服すべく、1階北口の駅前広場へ。(JR石山駅とサルスベリの花) 北口の駅前広場のサルスベリの木陰のベンチでタバコを一服。 そこで目の前にあるガス灯の存在に気が付きました。(駅前のガス灯) 電灯だと思っていたので、これまで気にも留めなかったのですが、その台座の銘板を見て、ガス灯であることに気付いたという次第。(ガス灯の台座銘板) やがて、料亭からの送迎バスも到着、乗車予定の皆さん全員が揃われたので、いざ出発であります。 今回の出席者は、杉〇氏、只麻呂氏、平〇氏、鯨麻呂氏、岡〇氏、森〇氏、徳〇氏、今〇氏、草麻呂氏、竹〇氏、正〇氏、生〇氏、〇庭氏、北〇氏とヤカモチの全15名。 いつもは、2階の部屋であったが今日は3階の部屋に案内される。 世話係の草麻呂氏の司会で開会。最年長の杉〇氏のご発声による乾杯で宴会が始まりました。 平〇氏から座席の順に時計回りで、各自近況報告のショートスピーチという草麻呂氏からの振りがあり、皆さんの愉快なスピーチが続きます。 スピーチの合間に色々と脱線おかまいなしの茶々が入るのもこの会の恒例で、それが爆笑を誘い、座が一層盛り上がるというのでもありました。 まあ、何にしても愉快な仲間たちであります。 5番目か6番目かに順番が回って来たので、ヤカモチも一応の近況報告をして置きましたが、通り一辺な感じに終わりそうなので、何か短歌で締めくくろうと作ったのが、下記の歌。石山の 瀬田のほとりに 我らみな つどひて今日も 楽しきを積め (偐家持) これを、犬養節で朗唱したのでしたが、この会で犬養節で歌を朗唱したのは、初めてのことであったようで、同じ職場で長らく一緒に仕事をした草麻呂氏などは別として、多くの人からヤカモチの歌の朗唱は初めて耳にしたと言われました。 会をお開きとするに当たって、皆で集合写真を撮ろうということになって、珍しく撮ったのが下の写真であります。(健人会参加者全15名) 別ルートでお帰りになる岡〇氏と鯨麻呂氏のお二人を残し、13名は、送迎バスでJR石山駅へと向かいます。(料亭・新月と送迎バス)(京阪・石山坂本線唐橋前駅) 京阪・石山坂本線の石山寺駅の少し南側に位置するのが料亭・新月。 従って、京阪電車だと石山寺駅→唐橋前駅→京阪石山駅(京阪石山駅とJR石山駅は隣接している。)ということになるが、我々は送迎バスなので、直行でJR石山駅到着であります。 大阪方面行きの面々は新快速姫路行きに乗車。徳〇氏、竹〇氏、ヤカモチの3人は京都で下車。何処やらに立ち寄って行くという竹〇氏と別れて、徳〇氏とヤカモチは近鉄電車で西大寺へ。そこで奈良線に乗り換え、学園前駅が最寄り駅の徳〇氏と別れてヤカモチは枚岡駅下車。帰宅は午後5時少し前でありました。<参考>健人会関係過去記事はコチラ。
2024.08.05
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記事が前後しますが、先月29日にあべのハルカス美術館開館10周年記念として開催されている「広重―摺の極―」に行って参りました。 こういう美術展は出品作品の撮影は禁止というのが普通であるが、その一部については、撮影が許されているというので、ブログ記事にもなるかと、出かけたついでに、涼みがてら立ち寄ってみた次第。(入館券)<参考>歌川広重・Wikipedia 前期と後期の2回に分けての開催。 前期 7月6日(土)~8月4日(日) 後期 8月6日(火)~9月1日(日) 前期のみの出品作品は169作品、後期のみの出品作品は166作品、前後期共通の出品作品は3作品、総出品作品は338作品である。 このうち、撮影が許されているのは、前・後期各11作品の全22作品。 撮影の許された前期分・全11作品を撮影しましたが、3作品についてはピンボケ写真となってしまっているので没とし、さほどでもない8作品についての写真を以下に掲載して置きます。(金澤八景 瀬戸秋月) 天保6~7年<1835~36>(金澤八景 称名晩鐘) 天保6~7年<1835~36>(木曽海道六拾九次之内 高崎) 天保7年<1836>(木曽海道六拾九次之内 あし田) 天保7~8年<1836~37>(木曽海道六拾九次之内 洗馬) 天保7~8年<1836~37>(木曽海道六拾九次之内 上ヶ松) 天保7~8年<1836~37>(木曽海道六拾九次之内 中津川) 天保7~8年<1836~37>(木曽海道六拾九次之内 大久手) 天保7~8年<1836~37><参考>絵画展などの過去記事はコチラ。
2024.08.03
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今日は月例の墓参。熱中症警戒アラートが出る猛暑の中、山麓の高みにある墓地への坂道を上って行きます。 家を出てスグのところの民家の塀にとまって出迎えてくれたのはコシアキトンボのメスまたは未成熟のオス。(コシアキトンボ)<参考>コシアキトンボ・Wikipedia このトンボは、子どもの頃には「チョウチントンボ」と呼んでいたように思うが、腹部の付け根の白いのがオスで、メスと未成熟なオスはその部分が黄色である。 漢字では「腰空蜻蛉」と書くように、腰の部分が空いているように見えることからの命名である。腰部を電灯に見立てて「電気トンボ」と呼ぶ地方もあるらしいが、ヤカモチの子ども時代となると当然に「電気」などは存在しない未電化の時代であるから、「提灯トンボ」と呼んでいたのだろうと思う(笑)。 最近は腰痛に苦しむヤカモチであるが、コシイタヤカモチを出迎えてくれたのがコシアキトンボというのは、悪い冗談でありますな(笑)。 次に迎えてくれたのは、カンナ。(カンナ) 墓地への坂道の上り口近くに咲いてましたが、いかにも猛暑にお似合いの夏の花である。 坂道を上り始めるとサルスベリの花。(サルスベリ) これも夏の青空によく似合う花。 そして、いつもの寺の門前を通り過ぎるのだが、門前の言葉は更新されて居らず、先月のものと同じなので、スルーします。 坂道をほぼ上り切ったところに咲いていたのは、キバナコスモス。(キバナコスモス) キバナコスモスの花は開花して時日が経過すると黄色から赤みを帯びた色に変化して行くようです。 この花の色からそのことに初めて気がつきました。 墓地に到着。(墓地) 墓参を済ませて、中央奥右手の建屋で水分補給の休憩。 この建屋に水道蛇口があり、ポリバケツや柄杓が備置されていて、墓参の人はここで水を汲んで行くことになる。もう一ヶ所、坂を上り切ったところのクスノキの巨木(今はほぼ枯死して、その幹だけが残っている)の近くにも同じような建屋があるので、そちらで水を汲むこともできる。 ヤカモチの先祖代々墓は、上下建屋のほぼ中間付近にあるので、下の建屋の方で水を汲んで行くのが普通。 下の建屋から、クスノキの方向を見やったのが下の写真。(水汲み場の建屋から墓地を見る)(ほぼ枯死したクスノキ) まだ完全には枯死して居らず、右側の一部は生きているようで、そこから出た小枝には青い葉があるのが見てとれる。 出がけにコシアキトンボがとまっていた塀の近くの道端で目にとまったのがこの花。(トウバナ)トウバナ・Wikipedia 遠目にはマメグンバイナズナかと思ってカメラを向けましたが、トウバナでありました。 久々のブログ更新となる本日の記事は墓参と花のそれでありました。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.08.02
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昨日(7月20日)の同窓会・青雲会総会のアトの同期5人での喫茶店での寄り道雑談の中で、弁護士をやっている出〇君から同期の油野君が今年の1月26日に亡くなったということを知らされました。 母親の死後相続したアパートか貸家住宅かに関し、何やら法律的な相談を弁護士として受けていたとかで、そんな関係もあってか、出〇君は彼と電話連絡をとることが多くあったのだろう。そんな中で彼の死亡の情報もいちはやく知ることとなったのだと思われる。 油野君は、目のギョロリとしたやや太り気味の男であるが、学生時代の彼がどんなであったかは余り記憶がない。何となく気難しくとっつきにくい雰囲気を醸していたような気もするのだが、本当のところはどうであったのかは、よくは知らない。サークル活動やゼミなどでも接点がなく、これといった学生時代の彼についての記憶がないヤカモチでありましたが、同窓会総会や同期会の集まりなど、卒業後の交流の中で親しくさせて貰っているうちに、笑った顔が何やら人懐っこい表情で好感が持てるなど、幾分ぶっきらぼうなその口ぶりにも似ず、性格の良い、いい奴なんだという印象に切り換わって行ったのでありました。 もう12年以上も前のことになるが、彼が自費出版した詩集や歌集・句集の贈呈を受けたことがあり、そのことについてのブログ記事を書いたのも懐かしい思い出である。<参考>天元、煩悩、円空、青空 2011.12.1.(詩集 円空<平成19年9月30日発行>)(天元 油野勤歌集<平成23年9月1日発行 神谷書房>) 同期会開催の連絡などは電子メールで行うことになっているが、油野君はパソコンもやらず、スマホなど携帯電話も所有しないという完全アナログ派であるため、彼への連絡はヤカモチが彼の自宅の固定電話に架けてその内容を知らせるのが常のこととなっていた。 そんなことで、彼も同窓会や同期会のことに関しては、ヤカモチに電話を架けて来て、照会をするということがよくありました。(青空 油野勤句集<1997年12月20日発行 そうぶん社出版>)(煩悩 油野勤第二句集<2008年7月1日発行 そうぶん社出版>) 我々の同期会である「夕々の会」がコロナ禍の所為で長らく休会としていて、現在に至るも再開を果たしていないのであるが、昨年の春であったか、一昨年の秋であったか、記憶がはっきりしないのであるが、会の再開はどうなっているのかという電話を彼から貰ったことがある。思えばそれが彼と言葉を交わした最後であったということになる。 1月26日であるから、亡くなって既に半年が経過しようとしている時点での友人からの伝聞で知ったという事情にもよるのか、知ったのは昨日のことであったのではあるが、とても驚いたには驚いたとは言え、何やら実感が伴わないと言うか、現実感の乏しいもので、もうあの人懐っこい笑顔と逢うことも、あのぶっきらぼうな口調の声も耳にすることができないのだということが、イマイチピンと来ていなくて、想像力をめぐらすことによって漸くその寂しさが、思いと少し遅れで追っかけて来るというような感じで、その寂しさや残念さというものが感じられた、ということでありました。 遅ればせではありますが、同君の生前のあれこれを偲び、そのご冥福を謹んでお祈り申し上げます。在りし日の 背子が笑まひや あれこれを 思へば心 痛しも悲し (偐家持) 当ブログ記事で、油野君の名が登場する記事は、調べてみると、下記の通りでした。<参考>青雲会総会で梅田まで銀輪散歩 2021.10.3. 同期会・青雲塾万葉ウオーク・第8回ナナ万葉の会 2014.11.29. 夕々の会・2014.5.30. 2014.5.30. 夕々の会・2013.11. 2013.11.29. 夕々の会 2013.5.31. 大学の同期会 2012.5.25. 同窓会つづき 2011.11.27. 同期会NOV.2010. 2010.11.20.
2024.07.21
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今日(7月20日)は、大学の同窓会・青雲会の総会でありました。 ヤカモチは法学部に学びましたが、大学は各学部ごとに同窓会組織を結成していて、法学部の同窓会の名称が青雲会という次第。 今年は青雲会結成70周年に当たり、節目の総会であったことになる。 会場は大阪駅前の新阪急ホテル。 梅田界隈はヤカモチ的には銀輪散歩の範囲内ということになるのであるが、今回は電車で出向くこととしました。3年前か4年前かに自転車で出かけたことがあり、汗だくになってしまった経験に鑑み、また熱中症警戒アラートが出ていることでもあることから、自転車で出かけることは自重したという次第。 午前10時30分開会ということで、最寄り駅発9時15分発の電車に乗り、会場到着は10時20分頃。(青雲会総会・開会前風景) 今回は、同期の薮中君が講師となって講演をするということなので、同期諸兄も多く出席するのではないかと期待されたのであったが・・。(青雲会会報) 果たして、出席者全91名中、同期の出席者は黒〇君、出〇君、蝶〇君、永〇君とヤカモチの5名のみ。 まあ、昨年は佐〇君とヤカモチの2名であったことを思えば、倍増には違いないのであるが、常連の佐〇君の欠席も気になるし、もう少し多くの出席を期待していたので、少しばかりガッカリでありました。 総会議事終了後、第二部の講演。(同上・第二部講演) 第二部は薮中三十二氏による「激震の国際情勢と日本の針路」と題する講演でありましたが、ロシアによるウクライナ侵略、イスラエルのガザ攻撃、アメリカ大統領選挙、中国の海洋進出、台湾問題、北朝鮮問題など、現下の国際情勢を俯瞰しつつ、日本のとるべき外交戦略、外交的努力の重要性を力説されました。 講演終了後、隣の部屋に移動して、第三部の懇親会であります。(同上・懇親会会場) 懇親会は的〇氏によるご挨拶と乾杯のご発声で開会となりました。(同上・乾杯のご挨拶) 食事のメニューの紹介は面倒なので、ホテル側作成のメニューを撮影して済ませることとします。(同上・メニュー) 来賓・招待者の指定テーブルを除き、自由席となっているようなので、同期の出席者に声を掛け、Fテーブルにつく。 Fテーブルは、同期の黒〇君、出〇君、永〇君とヤカモチが陣取るも、9年先輩の安〇氏、4年後輩の山〇氏と中〇氏が先んじて席を占めてしまわれたので、遅れて来た蝶〇氏は別のテーブル席に。 安〇先輩は、ヤカモチと同じ資本系列の会社に勤務されていた関係で、若い頃から親交のあった御仁。山〇氏は元青雲会副会長で、幹事会などでも以前から顔なじみの御仁。山〇氏と同期の中〇氏はヤカモチとしては今回が多分初対面。(同上・現役学生も参加) 青雲会では、懸賞論文を募集し優秀論文には奨学金を贈与するという活動を古くから行っているが、その入選者なども総会に招待して、その受賞を祝福するなどのことを行っているが、写真はそのような若い学生たちであります。(同上) 順番に紹介され、壇上から自己紹介とショートスピーチ。(同上)(同上) 続いて、恒例のビンゴゲーム。 これは、青雲会会員有志や協賛企業などから提供された色んな賞品の中から自身が希望するものを、ビンゴを達成した者から順に貰って行くというゲーム。 今回は「団体戦」なるものもあって、各テーブルごとにそのテーブルのメンバーでビンゴした者が3名以上に達すると、そのテーブルのメンバーで未だ賞品を貰っていない、つまり未だビンゴを達成していない者も、その時点で未だ残っている賞品のうちから好きなもの1点を貰うことができるというものである。 ヤカモチは最後まで、ビンゴはならなかったのだが、この団体戦のお陰で、賞品をゲットすることが出来たという次第。 我がFテーブルでは、安〇氏、黒〇君、中〇氏がビンゴされたので、未だビンゴしていない他の4名も「みなしビンゴ達成」ということになったという訳である。 何やかやと楽しいあれこれがあって、いよいよ中締めの時間となりました。(山〇氏による中締め) もう何年も前から、中締めは山〇氏の担当というのが恒例になっている。 大阪締めで締めるのである。 「打~ちましょ」 チョン、チョン 「もひとつせぇ~」 チョン、チョン 「祝うて三度」 チョチョンがチョン 以上で、お開きとなり、解散であります。 講師をつとめた薮中君は他用で懇親会はスルーであったのは、残念なことであったが、我々同期5名は、喫茶店で珈琲休憩でもしてから帰ろうかということになり、ホテルを出て近くの喫茶店に向かうも満席で5名は無理。2軒目も一杯。少し離れたホテル阪急インターナショナルの中の喫茶店なら大丈夫だろうと行くと、空きがありました。そこで、しばし旧交を温める雑談、閑談でありました。<参考>過去の青雲会総会関連記事 青雲会総会2023 2023.7.15. 2022年青雲会総会 2022.7.16. 青雲会総会で梅田まで銀輪散歩 2021.10.3. 2019年青雲会総会 2019.7.20. 青雲会総会2018 2018.7.21. 2017青雲会総会 2017.7.15. 2016年青雲会総会 2016.7.16. 青雲会総会2015 2015.7.11. 青雲会60周年記念総会 2014.7.19. 青雲会総会2013 2013.7.13. 同窓会総会 2012.7.14. 同窓会総会 2011.7.10. 同窓会総会 2010.7.10. 同窓会総会 2009.7.11.
2024.07.20
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二人乗りの自転車については、映像か写真かで見知ってはいたが、それがタンデム自転車という名前であることは、今回初めて知りました。 若草読書会の新入りメンバーである利衣郎女さんから、6月9日(日)にタンデム自転車試乗会のイベントがあり、参加申し込みをしているので、ヤカモチさんの都合がつくなら、お付き合い願えないかというメールを頂戴した。 ヤカモチが自転車を趣味としていて、あちこちを銀輪散歩しているということを、どなたかからお聞きになってヤカモチへの声掛けになったのだろうと思うが、この日はヤカモチにもこれという予定はなく、同行を承諾したのでありました。そのイベントは、公益財団法人公害地域再生センター(通称、あおぞら財団)が開催しているもので、同財団は各地でこのようなイベントを主催したり、同種のイベントを支援協力しているもののようです。(タンデム自転車) そのタンデム自転車というのは、上掲の写真のような自転車で、前席と後席の二人でペダルを漕ぐというスタイルの自転車である。 前席の人をパイロットと呼び、ペダルを漕ぐのは当然のこととして、ハンドル操作、ブレーキ操作を担当する。後席の人はストーカーと呼び、専らペダルを漕ぎ、推進力を高める役割を担う。ここでいうストーカーというのは、stalker(忍び寄る人、密猟者)ではなく、stoker(汽車・汽船などの火夫、蒸気機関車に石炭をくべる人)という意味である。 前席に晴眼者が乗り、後席に視覚障がい者が乗って、自転車レースをするという、障がい者スポーツの種目もあるとのこと。<参考>知ってました?「パイロット」を「ストーカー」することでメダルを狙うスポーツがあるんです さて、そのイベント当日は雨の予報であったので、参加申し込みをキャンセル。イベントとは関係なくあおぞら財団に申し込めば個人的にタンデム自転車のレンタルもできるということなので、後日に再挑戦することとしました。そんな経緯を経て、ヤカモチから同じく若草読書会のメンバーにして輪友でもある偐山頭火氏に声を掛け、今回のタンデム試乗にトレンクル(軽量小型折りたたみ自転車)による伴走という形で付き合わないかとの提案を投げてみました。 OKの返事を貰ったので、7月1日開催の読書会で日程調整をすることとなり、その結果、7月7日(日)実施で合意。 ところが、あおぞら財団は、土日祝日はイベント優先として居り、スタッフもイベントなどで出払っていることが多く、対応が困難なため、個人的なレンタル申し込みは原則として受け付けないこととしていることが判明し、またも「お流れ」となってしまいました。 ということで、当初計画からは、1ヶ月以上も遅れた、昨日(7月17日)になって、漸く実施できる運びとなったのでありました。 当日、近鉄奈良線小阪駅までヤカモチがトレンクルで出向き、同駅前で偐山頭火氏運転の車に乗り込み、次にJR阪和線我孫子町駅前で利衣郎女さんをピックアップして、あおぞら財団がある国道2号線の歌島交差点に向かうこととしました。 歌島交差点近くで目にとまった「かごの屋」で昼食を済ませ、あおぞら財団に出向く。所定の「タンデム自転車借用申込書」に記入して申し込み手続き完了。 ということで、何台かあるタンデム自転車の中から、上掲の自転車をお借りしたという次第。 二人で乗り、二人で漕ぐということで、両者がペダルを漕ぐリズムやカーブの際の体重移動など息が上手く合わないと、バランスを崩して転倒しやすくなるなど、いくつかの留意点があるので、先ず、そのレクチャーを受けてから、走行開始であります。(タンデム自転車についてのレクチャーを受けている 撮影者:偐山頭火氏)(旧大野川緑陰道路 撮影者:偐山頭火氏) 走行する道は上掲写真のような道です。 淀川に並行して流れ、下流で淀川に流れ込んでいるのが旧大野川であるが、これを暗渠(多分)にして埋め立て、地上部に歩行者・自転車用の緑陰道路が設置されている。 茶色舗装の道は歩行者専用道(右側)。 青色舗装が自転車走行可能の道(左側)。(旧大野川緑陰道路走行中のタンデム自転車 撮影者:偐山頭火氏) タンデム自転車は初体験なので、走り始めた時は、少しふらつくような感じもあったが、何度か繰り返しているうちに利衣郎女さんとの息もあって来たか、段々にスムーズに走り出せるようになりました。 途中、阪神高速3号神戸線の下を通り抜けた先で緑陰道路から出て、南に下ると姫嶋神社がある。神社の西側は姫島公園になっている。 姫嶋神社境内に万葉歌碑があるからとやって来たのはもう12年近く前のことなので、記憶もかなりあやふやになっているが、久々に再訪問であります。<参考>囲碁例会・姫島万葉歌碑 2012.9.5.(姫嶋神社・鳥居)(同上・本殿) 姫嶋神社の祭神は、阿迦留比売(赤留比売)、住吉大神、神功皇后。<参考>阿加流比売神・Wikipedia 住吉三神・Wikipedia 神功皇后・Wikipedia(同上・由緒)<参考>姫嶋神社・Wikipedia 姫嶋神社公式サイト 姫嶋神社の主祭神であるアカルヒメは、夫であった新羅の王子・アメノヒボコの暴言に愛想をつかし、彼女の祖国である日本に逃げ帰ったという女性である。<参考>アメノヒボコ・Wikipedia 都怒我阿羅斯等・Wikipedia 古事記のアメノヒボコ伝説と日本書紀のツヌガアラシト伝説とはほぼ似た話であることから、アメノヒボコとツヌガアラシトは同一とみなされている。 まあ、何れであれ、夫から逃れて小舟に乗って日本に帰り、新しい生活を始めようとしたということで、この姫嶋神社は「やりなおし神社」とも呼ばれているらしい。(同上・境内案内図) やりなおし神社ということで、境内の神武天皇遙拝所の中に設けられているのが、はじまりの碑。(同上・はじまりの碑) はじまりの碑は、神武天皇が初代天皇ということで、その意味も込めてのものなんだろうが、決断することで新たな出発が順風満帆に進むよう祈願するのが、この場所だという。 この神社では、絵馬としてホタテ貝の貝殻を利用して居り、それはアカルヒメが小舟で海を渡ったことになぞらえてのものだとのこと。貝殻に願い事を書いて納めるのだという。ご覧のように絵馬として納められたホタテ貝がいっぱい吊るされていて、独特の景観を醸している。(同上・玉栄稲荷社) はじまりの碑・神武天皇遙拝所の左側奥にあるのが玉栄稲荷社。 はじまりの碑・神武天皇遙拝所の右側奥が金刀比羅宮。(同上・金刀比羅宮) 写真正面奥が金刀比羅宮である。 左手前が「感謝のおもい塚」で、今は使われなくなった古い狛犬などを積み重ねた塚である。その左奥、ジーパン姿の男性がお参りしているのが、元楯社、土地の鎮守の神様をお祀りしている祠である。(同上・万葉歌碑) そして、最後は本殿の西側にある万葉歌碑です。妹が名は 千代に流れむ 姫島の 小松が末うれに 苔生むすまでに (河辺宮人かはべのみやひと 万葉集巻2-228)(美しいおとめの評判は千代までも伝わるであろう、姫島の小松の梢に苔が生える後々の代まで。)(注)姫島については、淀川河口にあった島とのことであるが、此処西淀川区姫島説のほか、浪速区敷津西説、東淀川区南江口説、同北江口説などがある。歌碑の歌は上の通りだが、万葉集には、和銅4年(711年)に河辺宮人(経歴不詳)が姫島の松原で、娘子の屍を見て悲しみ嘆いて作った歌と題詞にあり、この歌の次にもう1首掲載されている。難波潟 潮干(しほひ)なありそね 沈みにし 妹が姿を 見まく苦しも (同上 万葉集巻2-229)(難波潟よ潮が引くことがあってくれるな。水に沈んだおとめの姿をみるのは辛い。) 再び、緑陰道路に戻り、タンデム自転車での走行開始であるが、戻ると石のベンチが目に入ったので、そこで腰掛け、水分補給をするなどして暫く休憩。こういうことも熱中症対策としては大事なこと。木陰を吹き抜ける風に涼みつつのクールダウンであります。 我々が涼んでいる前をママチャリで通り過ぎた年配の女性が少し先で転倒されました。すぐに駆け付けて助け起こしましたが、幸い怪我は無かったようで、よかった。 それを機に我々3人も銀輪走行再始動であります。 当初の予定では、淀川の河川敷にぶつかる手前の新淀川公園まで走り、そこから引き返して来るということにしていたのだが、国道43号と交差する地点で、何やら工事中らしく、大きく迂回しないと先へは進めないよう。 ということで、そこまでとして引き返すことに。上流側の八丁橋交差点までで緑陰道路は終わっていたので、そこからまた引き返して、出発地点の歌島交差点近くのあおぞら財団のビルまで戻り、今回の銀輪散歩を終えることとしました。 走行距離としては少し物足りないが、猛暑下でもあり、初めてのタンデム経験なので、これ位が丁度よかろうと切り上げた次第。 帰途は、先ず利衣郎女さんをJR我孫子町駅前まで送り、その後近鉄大阪線俊徳道駅前で、ヤカモチは偐山頭火氏の車から下車、そこで彼とは別れ、自宅まで約30分余の銀輪散歩。午後7時過ぎの帰宅となりました。<参考>自転車関連の過去記事はコチラ。 若草読書会関連の過去記事はコチラ。(追記注2024.7.19.)偐山頭火氏も今回の件を記事アップされましたのでリンクを貼って置きます。タンデム走行会at「若草読書会」 2024.7.19.
2024.07.18
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先日の会津若松プチ散策(2024.6.27.記事)にて、マメグンバイナズナを初めて目にしたと書きましたが、わが足元の花園中央公園でもこれを見つけました。(マメグンバイナズナ) 会津若松市内で見たそれのように立派な姿ではありませんでしたが、間違いなくマメグンバイナズナであります。 花の名を知ると、スグにその花に出くわすということがよくある。 これは、きっと名を知ったことでそれへの注意力が高くなり、通常なら目にしていてもそれと気づかず見過ごしてしまうというようなことが一定程度少なくなるからなんだろう。 今回も、いつもならナズナであると見過ごしていたであろうところ、実の形が異なるマメグンバイナズナという植物があるということを知ったからだろうが、少し印象が違うと感じられたので、自転車を停めて接近してよく見てみると、マメグンバイナズナであったのでした。 ナズナはこれまでにも何度かブログ記事にその写真を掲載しているので、参考までにその記事のリンクを貼って置きます。<参考>くれなゐにほふ桃の花・第11回ナナ万葉の会 2015.2.24. 銀輪花散歩・ホトケの顔も 2016.3.22. 墓参・花散歩―南天の露から苔の麦畑まで 2017.4.4. 銀輪花散歩・花は盛りをみるべかりける 2017.4.10. すみれつめくさからしななづな 2020.4.10.(同上) 上記参考記事に掲載の写真をご覧いただけば分かるが、ナズナの実は三味線のバチの先のような三角形に近い形をしている。 これに対して、マメグンバイナズナのそれは円形である。(同上) 同じく、花園中央公園で見かけた花です。(ヒメジョオンとアカバナユウゲショウ) 自転車で通り過ぎた瞬間の一瞥では、アカバナユウゲショウの赤花と白花が並んで咲いているように見えたので、引き返してみたのだが、白い方の花はヒメジョオンで、残念ながら白花のアカバナユウゲショウではありませんでした。 そして、公園の池に群れ咲いていたのはオオバナミズキンバイ。(オオバナミズキンバイ)<参考>オオバナミズキンバイ・Wikipedia 後方に見えているのは、花園ラグビー場です。(同上) 写真を撮っている時は昨年7月にもこの花のことを記事にしていることを忘れてしまっていたので、重複記事となりますが、折角撮った写真を没にするのも癪なので、写真だけは掲載することとします。 この花についてのあれこれは、下記参考記事をご参照ください。<参考>オオバナミズキンバイ 2023.7.9.(同上)(同上)(同上)(同上)(同上) 以上、銀輪花散歩記事でありました。<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.07.13
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昨日(7月10日)は、囲碁例会の日。例によって例の如く銀輪散歩を兼ねてMTB(マウンテンバイク)で梅田スカイビルへ。 猛暑の中の銀輪散歩、熱中症対策は不可欠。 先ず、コンビニに立ち寄り、凍結したスポーツドリンクを購入。これは或る程度まで解けないと飲めないので、もう1本凍結されていない普通のものを購入。 国道308号・中央大通りを概ね走るのであるが、大阪市内に入るまでは、これに沿った裏道を極力走行するようにしているので、その日の気分や成り行きでコース取りは一定ではない。 JR大阪環状線の森ノ宮駅の前で大阪城公園に入り、これを通り抜けて天満橋を渡った先の滝川公園で小休止というのが最近多いパターン。(オミナエシと大阪城) 森ノ宮駅側の入口から大阪城公園に進入すると入口前広場の花壇にオミナエシの花が咲いていました。 オミナエシは秋の七草の一つであり、万葉人も愛した花。ちょっと季節先取りという感じもしないではないが、旧暦だと7~9月が秋であるから、体感季節は別として暦の上では合致していると言うべきか。城を背に 今か咲くらむ 女郎花 秋来にけりと 云ふにしあるか (偐家持) オミナエシ(旧仮名遣いでは「をみなへし」)は、漢字では「女郎花」と書くように、女性のイメージを背負った花である。まあ、女性を花にたとえるのは男の常套手段であるから、花は全て女性のイメージを背負っていて、オミナエシに限ったことではないこととなり、実も蓋もないこととなってしまうが、漢字表記が直接に女性を示す花というのだから、やはり特別な花なんだろう。初蝉の 鳴くをし聞けば 女郎花 咲きたる見つつ 囲碁打ちに行く (碁八千島)(本歌)ひぐらしの 鳴きぬる時は 女郎花 咲きたる野辺を 行きつつ見べし (秦八千島 万葉集巻17-3951) そう言えば、前日(7月9日)今年初めてニイニイゼミの鳴く声を耳にしたのでありました。(滝川公園) 滝川公園で小休止。時計を見ると午前11時21分。 煙草一服と水分補給をして、再び自転車の人に。 梅田スカイビル到着は午前11時48分。 この日も、到着した時は駐輪場が満杯で、また前回のように里山でお弁当を食べながら駐輪場に空きが出るのを待つしかないと係の人と言葉を交わしていると、一人の女性が駐輪場に入って来て自転車を引き出そうするではないか。何とタイミングのよいことか。 駐輪も首尾よく果せたので、地階にある全席喫煙席というイタリアン・カフェレストラン、CAFFE PIAZZA DEL POPOLO(カフェ・ピアッツァ・デル・ポポロ)でランチ&珈琲とする。 昼食後、会場の部屋に行くとヤカモチの一番乗り。 汗で濡れてしまったTシャツを脱ぎ、体の汗を拭って、着替え用に持参の新しいTシャツに着替えて待つこと10分余。平〇氏が来られたので、彼と対局。 対局中に村〇氏、続いて福麻呂氏がご来場。隣で両氏の対局が始まる。 最後に青◎氏が来られて我々の対局を観戦。 平〇氏との対局はヤカモチの中押し勝ち。ヤカモチの2局目の相手は青◎氏であったが、これも中押し勝ち。連勝の好スタートであったが、続く村〇氏、福麻呂氏には負けて、結局2勝2敗に終わりました。 途中、平〇氏が「体の調子が悪いので・・」と早退されましたので、ちょっと心配でしたが、帰途に電話をすると無事ご帰宅でお元気そうな声であったこともあり、先ずはひと安心でありました。 帰途は、久しぶりに鵲森宮社に立ち寄ってみた。(鵲森宮・拝殿) この神社は2014年8月以来だから10年ぶりの立ち寄りである。<参考>鵲の森・SS会2014夏 2014.8.18. 鵲森宮公式ページ 鵲森宮、通称・森之宮神社というのがこの神社の名称。 創建は、崇峻天皇2年(589年)。 祭神は、用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子。 境内に大伴家持の歌碑があるというので訪ねたのが10年前のことであったが、今回行ってみるとその歌碑の場所が変わっていました。(大伴家持歌碑) 神社へと入るには、東側の玉造筋からの入口と西側の森之宮公園の方からの入口の二つがあるが、今回は森之宮公園側、つまり西側から入りました。 神社の拝殿は南向きであるが、拝殿に向かって左側つまり西側に、拝殿基壇の側壁を背に西向きに建てられていたと記憶するので、西側鳥居から入ると正面にその歌碑が見える筈。 しかし、そこに歌碑はない。振り返るとありました。 元の場所と通路を挟んで向き合う位置に、東向きに移設されているのでした。表側の入口と言ってよい玉造筋から境内に入って来るとこの歌碑が正面右手に自ずと目に入る位置になるので、歌碑に気が付かないということは先ずあり得ない。歌碑移設の理由は歌碑をより目立つようにするためということなのか。 10年前には無かった、「大伴家持歌碑」の銘と歌の文言を読み易い通常の文に変換したものを刻した副碑も設置されていた。(横枕南公園) 次の小休止は横枕南公園。帰途この公園で休憩というのも最近よくあるパターンです。 この公園で休憩している時に、早退された平〇氏に電話し、その後の体調のほどやいかにとお伺いしたのでしたが、正常に復されていたという次第。 そして、最後は花園中央公園で小休止して、無事帰宅。 ペットボトル3本を飲み干しての銀輪往復でありました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.07.11
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第30回和郎女作品展 今日は、5月9日以来となる和郎女作品展の記事であります。 このシリーズ記事は、友人の和郎女さんの作品をご紹介しているものでありますが、今回は、今月1日開催の若草読書会の折にお持ち下さった作品群をご紹介するものであります。(魚釣り) 各作品に付したタイトルはこの記事編集の便宜上、ヤカモチが勝手に付けたものでありますので、ご了承願います。 上の「魚釣り」と下の「トンボ捕り」は、木盤に設けられた穴に、男の子と女の子の背面に取り付けられた串状の木を差し込んで組み立てる方式になっています。 足元の釣り竿、籠、虫網などは、適当に盤上に置くだけとなっていますが、お薦めの飾り方を示した写真が印刷された紙が添えられていますので、これに従って組み立てなさいということです。 ヤカモチも写真を参考に組み立てた上で撮影したという次第。(トンボ捕り) 上の「魚釣り」も「トンボ捕り」も、下の「蛍狩り」も、子ども時代の記憶を思い出させてくれる、昔懐かしい、何やらホッとする作品であります。(蛍狩り) 蛍狩りなどは遠い記憶となりましたが、群舞するホタルを目にしたのは、今は亡き寿郎女さん・和麻呂君と共に、和郎女さん、リチ女さん、槇麻呂君、ヤカモチの総勢6人で熊野旅行をした2007年6月のことであるから、もう17年も前のことになる。 和郎女さんもこの熊野旅行で見た大井谷でのホタルの群舞が印象深くあったと見え、その思い出を語って居られましたが、この時にヤカモチが詠んだ歌が3首、当ブログにのこっているので、これを再録して置きます。恋ひ焦がる 魂かあくがれ 山かひの 闇に蛍の 舞ひ交はしゆく幽玄の 杉の林の 闇深く 人こそ知らね 蛍の舞ひしみ熊野の 大井の谷の 川の瀬に 蛍舞ひてし さ夜更けにけり ――熊野大井谷にて(蛍と団扇) 次は、梟。(フクロウのタペストリー) フクロウにも色々と種類があるようですが、アオバズクを詠んだ句を掲載して置きます。 これは、井浪立葉「夏椿」に掲載の句。 著者はヤカモチの中学時代の恩師のご夫人である。「夏椿」は、恩師が病に倒れ、その看病から最後の看取り、永遠の別れ、葬儀、そして夫亡き後に至る日々の中で詠まれた句を集めた句集である(平成16年6月発行)。 句集が発刊された際に彼女から贈呈を受けたその句集にアオバズクの句があった筈と、書棚の片隅から見つけ出しパラパラとめくってみると、ありました。 このような、幸せそうなフクロウの作品に添える句としては、場違いな気もするが、それも承知で敢えて掲載させていただきます。 夫眠る無音の刻を青葉木菟 青葉木菟あらはに熱の喉佛 青葉木菟祈りのこゑや夜が深む 別れのとき愛す愛すと青葉木菟 たはやすく愛すと言はね青葉木菟 骨となりても夫は夫青葉木菟 愛のうた語尾うつくしき青葉木菟(梟) 次はクマさんとワンちゃん。 上の梟や下のクマさん、ワンちゃん、写真がちょっとピンボケになっていますが、ご容赦ください。 読書会の隙間に慌ただしく撮影したので・・と弁解(汗)。(クマさんA)(同上B)(ワンちゃんA)(同上B) そして朝顔です。(朝顔) 今朝の銀輪散歩でも朝顔の花を見ましたが、毎日暑い日が続きます。 どうぞ、皆さま熱中症には十分お気をお付けください。 暑中お見舞い申し上げます。(朝顔のタペストリー) こんなエコバッグもお作りになりました。 若草読書会でのお土産の品やこれらの和郎女作品をいただいて帰る際にも便利だろうとお作りになったのでもあるか。 たたんで、クルクルと巻き、取り付けられたホックでポチッと留めるとコンパクトになり、携帯に便利です。(エコバッグ) そして、ストラップです。(ストラップ3種) ヤカモチは、左側のものを頂戴しました。そして、「フクロウのタペストリー」と掲載の「エコバッグ」とは柄違いのものを頂戴しました。 以上、和郎女作品展でありました。 本日もご覧いただき、ありがとうございました。<参考>和郎女作品展の記事一覧はコチラ。 フォト蔵アルバム「和郎女作品集」はコチラ。
2024.07.09
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一昨日(7月4日)の夕刻、友人のオガクニマン氏から電話があり、そちらに出掛けるので、久しぶりにランチでも一緒にという話。 ということで、6日(土)12時半に喫茶・ペリカンの家でランチということに決まったのだが、念のためとペリカンの家の店主、ももの郎女さんのブログを覗いてみると、7月2日から7日まで店は夏休みだとのこと。 翌5日朝にその旨を彼に電話連絡。喫茶・ペリカンの家の前付近で落ち合い、何処か別の店を探してランチにしようということとなる。 で、本日、愛車・トレンクル(折りたたみ小型自転車)で出かけることとし、喫茶・ペリカンの家近くのホームセンター、コーナン石切店に立ち寄ってスマホを見るとオガクニマン氏から4回も不在着信が入っていることに気付く。スマホがサイレントモードになっていることに気付かず、そのまま家を出たので着信に気が付かなかったのでありました。 すぐに折り返しの電話を入れると、彼も予定時刻よりも早くに着いたということなので、コーナンの前で落ち合い、近くにある「のらや石切店」でランチということに決め、のらやさんに向かう。しかし、沢山の人が並んで待っている状態であったので、その奥にあるカフェ・セルヴァでランチすることに変更。<参考>カフェ・セルヴァ・yahoo地図 カフェ・セルヴァ・食べログ カフェ・セルヴァはかなり以前に一度だけ入ったことがあり、のらやが一杯なら、こちらにしてもいいかと思ってもいたので、一応想定内の行動であります。 小洒落たパスタ・ランチを食べながら、半年ぶりの再会となる、あれやこれやの話で、愉快なひと時を過ごせました。 お勘定の段になって、当方の地元なので、こちらが持つ心算でいたのに、素早くオ氏が会計を済ませてしまったので、彼からのご馳走という形になってしまったのは「想定外」でありました。 また、お菓子の手土産まで頂戴した上、ペリカンの家の店主、ももの郎女さんへの手土産も用意されていて、帰り道、二人してペリカンの家に立ち寄り、夏休み中であったがご在宅であったので、それを彼女に手渡すことができました。 何にしても、オ氏のお心遣い恐悦至極、どうも有難うございました。<参考>オガクニマン氏のブログ ペリカンの家の前でオ氏とは別れ、花園中央公園に立ち寄ってから帰ることとする。 公園の花菖蒲の池の前のベンチに腰掛けて休憩している時に、指に小さな虫がとまった。体長2,3mm位の小さな虫なので、正体がよく分からない。 で、ジーンズのズボンの右太腿部分に指を持って行き、その布地に虫を這わせて、これを撮影することに。(クサカゲロウの幼虫)<参考>クサカゲロウ・Wikipedia 写真に撮って、大きいサイズで見てみると、クサカゲロウの幼虫のようです。 クサカゲロウも色々な種類のものがあり、どの種類のクサカゲロウであるかは不明であるが、上の写真のように、ゴミだの捕らえて餌にしたアブラムシの死骸だのを身体にまとい、天敵から身を守るというのが、この虫の習性らしい。(同上) ジーンズの布地の編み目のサイズとの比較によっても、この虫の小ささが分かるというものであるが、虫メガネなどがないと、肉眼では何ともよくは見えないサイズなのである。 ジーンズの上を右に左にと這い回っているうちに、ハラハラと身にまとったゴミが剥落し、幼虫の姿がよく見えるようになる。 クワガタムシのような大アゴを持っているのがよく見てとれる。(同上) 上の写真などは、さながら怪獣である。(同上) ほぼ正体が判明したので、ズボンからこの虫を払い落とす。 地面に落下すると、そこは蟻たちが動き回っている場所であるから、彼が生き延びることが出来るという保証はない。 少しでも安全な場所へ移そうと思ったものの、払い落とした瞬間に彼は行方不明。いくら探しても彼の姿を見出すことは出来なかったのでありました。是非もなし。 水分補給の後、帰宅の途につこうとしてトレンクルの後輪タイヤに目をやると、かなり摩耗が進んでいることに気が付いた。 ということで、馴染みの自転車屋さんに立ち寄り、後輪タイヤを新しいものに取り替えて貰うこととする。 合せて、後輪ブレーキの効きがイマイチよくないので、その調整もして貰って、無事帰宅でありました。 これでトレンクル君ももうひと踏ん張り頑張ってくれることだろう。
2024.07.06
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今日は月例墓参の日。と言っても決まった特定の日をそれとしている訳ではなく、毎月上旬のうちの都合の良い何れかの日に墓参をするというのが、ヤカモチ式月例墓参の日なのである。尤も、1月は前年の年末近くに月例墓参とは別に墓参をする関係上、月例墓参は省略・割愛となっているので、正確には毎月上旬ということにはならない。 我が家の先祖代々墓は、曾祖父が亡くなった時に祖父らが建立したものであるが、それはヤカモチが生まれる前のことであるから、曾祖父は写真によって知るのみ。曾祖母は、ヤカモチが3~4歳の頃に亡くなっているが、縁側で日向ぼっこをしている小柄なお婆さんという姿で彼女はヤカモチの幼い記憶の中にぼんやりと今も残っている。おそらく彼女に子守をしてもらいながら、彼女の隣にちょこんと座って二人で日向ぼっこをしていたのだろうと思われる。 この墓に眠っているのは、没した時期の早い順にこれを記すと、曾祖父、曾祖母、父の妹であるK叔母、ヤカモチの妹のT子、祖父、祖母、ヤカモチの長女であるY子、父、母の9名である。彼らの面影を一人ずつ思い浮かべながら合掌するというのが、ヤカモチの墓参である。(門前の言葉) 出会うということは 出会い続けていくこと ――宗 正元 さて、墓参は、墓地への坂道にとりかかったところにあるお寺の門前の言葉を眺めて行くというのが、お決まりになっている。毎月内容が更新されるようになっているのだろうと思うが、更新が遅れて前月のものが掲示されたままということもあるので、毎回新しい言葉に出会えるとは限らない。 まあ、それでも「出会うということは、出会い続けていくこと」なんだから、今後も墓参のたびに、門前の言葉には出会い続けて参りたいものであります(笑)。(墓地からの眺め) 墓地は、生駒山系の山並み西麓の高みにあるので、この時期、日の当たる坂道は、汗、汗、汗である。(墓地前の坂道の勾配) 坂道の勾配は、概ねこんな感じです。所々、もっと勾配のきつい急登もあるので、墓参も一仕事であります。 墓地の坂道を登り詰めたところに、昔からあるのが、シンボルツリーと言ってもよいクスノキの大木であるが、虫か菌にやられたのでもあるか、徐々に枯れ始め、ついにはこんな姿になり果ててしまいました。(墓地のクスノキの大木の現況) この木がまだ元気であった頃の写真が過去記事に掲載されていないかと探してみると・・。 ありました。2008年3月2日の記事にそれが掲載されていたので、比較のため、往時の姿の写真、再掲載させていただきます。(往時のクスノキの姿) まさに「昔の姿いまいづこ」「栄枯は移る世の姿」である。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。
2024.07.05
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昨日(7月3日)は、囲碁例会の日でありました。梅雨の晴れ間、雨が降る心配もなかったので、自宅から例によって銀輪散歩を兼ねてMTB(マウンテンバイク)で、会場の部屋がある梅田スカイビルまでひとっ走り、でありました。 この日の出席者は、福麻呂氏、平〇氏、村〇氏、青◎氏、ヤカモチの5名でありました。(対局風景) 上掲の写真は、奥が福麻呂vs青◎戦、手前が平〇vs村〇戦の対局風景であります。 ヤカモチは、青◎氏と平〇氏には勝ち、福麻呂氏と村〇氏には負け、2勝2敗と可もなし不可もなしの成績でありましたが、碁の内容は悪手も多く、不本意なものでありました。 さて、往路は、いつものコースで国道308号線(中央大通り)から大阪城公園を通り抜け、天満橋を渡った先の滝川公園で小休止。国道1号線から2号線に進み、出入橋交差点で右折、梅田2丁目西交差点、梅田ランプ西交差点経由、梅田スカイビルまでというもの。(大阪城公園)(滝川公園の道路向かいのお寺の門前の言葉) 梅田スカイビル到着は11時50分頃であったかと。 ところが、前回の例会の時と同様、駐輪場が満杯で駐輪ができない。 仕方がないので、出直すこととし、お弁当を購入し、梅田の里山の木陰のベンチで昼食を済ませることに。 自転車を手押ししながら中庭。ワンダースクエアを横切り、その奥にある里山の森へと入る。(梅田の里山)(同上) お弁当を食べながら撮った目前の眺めは上の2枚の写真のようなものでした。 お弁当を食べ終わった頃に巡回の警備員の若い男性が来られて、傍らに駐輪している我がMTBを目にとめて、「此処は駐輪禁止となっていますので・・」との御託宣。「駐輪場が満杯なので、空くのを待っているところです。」と申し上げて、了解を得る。 昼食後、自転車を押しながら森を通り抜ける時に目にとまったナツハゼの実を撮影。(ナツハゼの実)(同上) そのナツハゼの木というのは、下掲の写真です。(ナツハゼの木)<参考>ナツハゼ・Wikipedia ウイキペディアに掲載の写真の実の感じと何か違う感じがするのだが、それは気(木)の所為か(笑)。「ナツハゼ」という名札が掛けられているから、間違いないだろう。 ワンダースクエアの一角に設けられている喫煙所で煙草を一服してから、駐輪場へ行くと、幼児(男の子)連れの若いお母さんが、丁度自転車を引き出そうとされているところ。 そんなことで、無事駐輪が叶ったので、会場の部屋へと向かうことができました。 部屋に行くと、既に青◎氏が来られていたので、ヤカモチは彼と対局。 対局中に、平〇氏と村〇氏がご来場、隣で両者が対局。遅れて福麻呂氏が来場され、ヤカモチvs青◎戦が丁度終了したので、メンバーチェンジして福麻呂氏と青◎氏で打っていただくことに。 ということで、ヤカモチは観戦に回りましたので、その折に撮った写真が冒頭の写真という訳であります。 例会終了後、いつものベンチで平〇氏と煙草休憩の一服。 この日の帰途は、なにわ筋を南へと走りましたが、道頓堀川を渡ってスグの幸町1丁目交差点で左折、東に入るべきところ、うっかりして直進。 気が付くとJR大阪環状線・芦原橋駅東側まで来てしまっていました。 大阪環状線に沿う道を進み、JR今宮駅北側の道で東に向かうが、この付近は初めて走るので、見覚えのあるものはなく、まさに迷子の心境である。 地下鉄大国町駅入口のところで四ツ橋筋に入り、北へと方向を転じ、難波方向に戻ることとする。千日前通りの道に出たところで迷子の状態から解放され、OCATビルの前で小休止&水分補給。(OCATビル前の案内地図看板 N⇔S)※画像をクリックして大きいサイズの写真でご覧ください。 千日前通りを東へと走り、花園中央公園で小休止後、午後6時過ぎの帰宅でありました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.07.04
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昨日(7月1日)は、若草読書会の例会でした。 課題図書はこれ。(堀田善衛・加藤周一「ヨーロッパ二つの窓」朝日文芸文庫)<参考>堀田善衛・Wikipedia 加藤周一・Wikipedia この本は、堀田善衛と加藤周一との対談をまとめ、1986年12月にリブロポートという出版社から出版された対談集であり、後に、朝日文芸文庫として出版されたもの。 堀田善衛は、ヤカモチの好きな作家の一人で、その著作の多くを若い頃からよく読んでいたので、馴染みの作家である。若草読書会でも「スペイン断章」など、過去に取り上げたこともある作家。 一方の加藤周一は、ヤカモチはこれまでその著作を一冊も読んでなくて、その名前だけは承知しているという存在。読書会メンバーの凡鬼さんは、加藤周一「日本文学史序説」(1975年-1980年)を読まれたらしく、秀逸の著作であると仰っている。 堀田善衛、加藤周一という二人の知の巨人の目を通して眺めたヨーロッパ論というのがこの本。トレドとヴェネツィアという都市の在り様や歴史から見えて来るヨーロッパ論ということで、「二つの窓」というタイトルになっているのだろうが、「二つの窓」というのは、著者(対談者)二人の目や思考を通してヨーロッパを見るということをも意味しているのかも。 対談集なので会話体で書かれている。 そのため一見は読み易い本のように見えるが、両者の会話は縦横無尽、広範多岐にわたり、その話題の背景となる歴史や地理や文化や思想などについて、読む側に一定レベルの知識や理解がないと、ついていけない点もあったりもする。 お二人が「そうそう」と言っていることが、何が「そうそう」なのかがよく理解できていないのに、こちらも「そうそう」という気になって、読み飛ばすと言うか、やり過ごしてしまったりするのは、会話体というものの陥穽である。読み易いけれど、難解な本と言える。 しかし、細部に於いて色々な気付きもあり、示唆に富む本であるから、今読んでも十分に面白い本である。 ヤカモチは、この本のことは知らなかったので、今回が初読。 古い本なので、書店に行っても見つかるまいとネットで検索したら、ブックオフのサイトで中古本が見つかりましたので、ブックオフに会員登録をし、申し込むと直ぐ本が送られて来ました。 一読したる後、恒郎女さんに横流しでこれを贈呈。彼女に読んで貰うこととしました。 発表者・講師の槇麻呂氏は、若い頃から、ヨーロッパを何度も旅行されていて、トレドもヴェネツィアも複数回訪問されて、その足で現地を歩かれているので、話者としては適任であるかと思うが、彼はこの本をどんな風に料理するのだろうというのが、ヤカモチとしては興味津々というか、楽しみでありました(笑)。 それに、槇麻呂氏も堀田善衛の「ゴヤ」、「若き日の詩人たちの肖像」など堀田善衛の本を結構読まれていて、その流れから加藤周一の本にも出逢われたという経緯なので、些か共通する面もあるのでした。(トレド 前掲書掲載地図)<参考>トレド・Wikipedia(ヴェネツィア 前掲書掲載地図)<参考>ヴェネツィア・Wikipedia 本書は、38年前の対談の記録であるが、ロシアのウクライナ侵略とウクライナへの軍事支援をする西側諸国という構図が長期化する中で、フランスでの右翼政党の躍進などEU諸国にも心配な動きがあり、米国大統領選挙でもバイデンの失速、トランプの勢いが加速するなどの憂慮すべき動きが見えるなど、気がかりな展開となっているが、この二人の知の巨人が存命であったなら、現在のヨーロッパ情勢についてどのような論を展開されるのか、聞いてみたいものである。 午後1時開会で、今回の例会出席者は、恒郎女さん、凡鬼・景郎女ご夫妻、槇麻呂氏、偐山頭火氏、リチ女さん、和郎女さん、利衣郎女さん、ヤカモチの9名。 午後4時半頃まで、雑談、脱線話を交えつつ、楽しく愉快なひと時を過ごせました。 今回は、はるばる東京からリチ女さんがご参加。久々にお元気なお顔を見せて下さったのは嬉しいことでした。 また利衣郎女さんと偐山頭火氏とヤカモチとの間で、銀輪散歩の合意が成立し、今のところ雨でなければ、一応7日に実施することになっていますが、このような脱線話も適宜にというのが、この読書会であります。 また、例によって、和郎女さんは彼女制作の作品を多数お持ち下さいましたので、参加者でこれを分け合うというオマケもありました。 これらの作品はヤカモチのデジカメで撮影しましたので、追って、和郎女作品展という形で別途記事アップさせていただく予定です。(2024年7月1日若草ホールの前から高安山方向を遠望) 当日は、雨の予報で、出かける時には雨が降っていましたので、いつものMTBやCBの自転車ではなく、徒歩で若草ホールへと向かいました。 途中、郵便局に立ち寄り、大した金額ではありませんが、銀行振り込み扱いにしていない銘柄の株式配当金を受け取り、喫茶店で昼食を済ませた後、瓢箪山駅前の果物店で手土産の果物を買い求め、暑い中来られる皆さんへの差し入れにと、セブンイレブンに立ち寄ってアイス類を仕入れたりしたので、結構な距離を歩くこととなりました(この日の歩数計は9038歩)。 最近は腰痛が酷くなり、長歩きは腰に応えるので、できれば自転車で行きたいのだが、天気予報では大雨などという脅しもあったので、徒歩に切り換えた次第。結果論では雨がパラつく程度であったので、自転車での往復が可能でありましたから、選択を間違ったことになりました。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。<追記>参考までに、堀田善衛全集第16巻(筑摩書房)の中に「加藤周一君―『ウズベック・クロアチア・ケララ紀行』について」という一文が収められていましたので、その写真を掲載して置きます。(「加藤周一君」)(同上・つづき)
2024.07.02
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ブロ友のひろろさんの個展を拝見したことは、6月20日の記事に書きましたが、そのついでに付近をプチ散策しましたので、遅ればせですが、そのご報告記事であります。<参考>ひろろさんの個展に行って来ました 2024.6.20. 会津若松は、昨年11月以来であるが、この時は小出駅から会津若松駅まで只見線に乗ることと翌日会津柳津を散策するというのが目的の旅で、会津若松は宿泊地として利用しただけ。<参考>只見線・小出から会津若松へ 2023.11.12. また、2012年9月には、裏磐梯銀輪散歩の行き帰りに会津若松駅を通過しているが、乗り換え駅として利用しただけで、この折も市内散策などはしていない。<参考>裏磐梯銀輪散歩<1> 新潟から猪苗代まで 2012.9.28. 市内を散策したのは、2011年4月以来ということになる。<参考>越後・会津銀輪散歩 2011.4.23. もっと古くは、2001年6月に東山温泉に宿泊して、市内を銀輪散歩しているが、これはブログを始める以前のことで、ブログ記事が存在しないので、記憶を探るしかないのであるが、飯盛山で白虎隊をテーマにした詩吟のカセットレコーダーを大音量にして、剣舞を舞っていた人の姿を目撃したこととか、さざえ堂という不思議な構造の建物を見学したことが印象に残っている。 また、東山温泉では、浴衣姿に旅館の下駄という格好で夕食までの時間潰しに散歩に出て、温泉街の中の羽黒山神社とある石階段を登り始めたものの、延々とそれは続き、石段の区切りごとに石標が設置されている。九丁と記された石標であったか、9番目のそれを見届けたところでギブアップ、下駄履きでは無理と諦めてとって返したことなどを思い出す。 さて、今回は小雨降るお天気であったので、銀輪散歩は諦め、駅前からバスで個展会場に向かうこととする。駅前で昼食を済ませて、観光案内所で個展会場の鈴善漆器店へはどう行けばいいのか尋ねると、丁度よいバスがあると教えていただいたのが「ハイカラさん」という市内循環バス。バスに乗り込むと直ぐに発車。二つ目のバス停「大町二之町」で下車。 バス停の先の角を左に入って進むと、「←山内ヨネの家」と書かれた表示板が目に入る。(野口英世の初恋の女性、山内ヨネの家跡) 後刻、野口英世青春通りの道路脇に掲示されていた案内板によって、山内ヨネがいかなる人物であるかを知ることになるのだが、この時は気にもとめず通り過ぎたのでありました。 若き日の野口英世は彼女に熱を上げていたようだが、それは片思いで、彼女にとっては野口の気持ちや行動はむしろ迷惑なものと感じていたようであります。 それはともかく、野口英世の初恋の女性の実家跡だと知ったので、再び立ち戻って撮影したのが上掲の写真であります。 個展を見た後、道路向かいの喫茶店・焙煎屋珈琲店で珈琲休憩。 雨も小止みになったので、付近を少し歩いてみることに。 と言っても地理不案内の町。何と言うあてもなく歩いていて出くわしたのが清水屋旅館跡という石碑。(清水屋旅館跡)(同上・説明碑) 吉田松陰や土方歳三、新島襄夫妻などが投宿したこともある木造三階建ての旅館であったとのことですが、今は取り壊されて存在せず、跡地は大東銀行の店舗ビルとなっている。 道路向かいが白木屋とあるレトロな雰囲気の白木屋漆器店の建物。(白木屋・漆器陳列館) この通りを東へと進み、「昭和なつかし館」を過ぎたところで、「野口英世青春通り」と表示された通りに出た。これを右折して南へ。(野口英世青春通り)(同上・説明碑) この説明碑の前に来て、通りの名の由来を知ると共に、山内ヨネという女性が野口英世の初恋の相手であるということを初めて知ったのでした。 彼が山内ヨネと知り合ったのは若松栄町のキリスト教会であったとのことである。<参考>野口英世・Wikipedia 日本基督教団若松栄町教会・Wikipedia 野口英世というと、JR猪苗代駅前に「野口英世三体像」というのがあったことを記憶しているが、野口英世は福島県耶麻郡三ツ和村(現、猪苗代町)の生まれ(1876年11月6日)。<参考>裏磐梯銀輪散歩<1> 新潟から猪苗代まで 2012.9.28. 彼は1歳の時に囲炉裏に落ち左手を大火傷する。火傷の所為で左手指が動かなくなってしまうのであるが、猪苗代高等小学校在学の頃、左手の不自由を嘆いた彼の作文が、教師や同級生の同情を誘い、彼の左手を治すための手術費用捻出のための募金が行われ、アメリカ帰りの医師・渡辺鼎の下で手術を受け、不自由ながらも左手指が使えるようになる(1892年10月)。彼自身が医師を目指すようになったのは、この手術の成功に感激したからだという。(野口英世博士と旧会陽医院)<参考>會津壱番館・Wikipedia その渡辺鼎が経営していたのがこの会陽医院で、野口英世は、1893年3月猪苗代高等小学校卒業後、この会陽医院に書生として住み込みで働きながら約3年半医学の基礎を学ぶこととなる。 火傷と言えば、ヤカモチも2歳か3歳の頃、両足を火鉢に突っ込んでしまい、火傷を負ったことがある。椅子に腰かけ、火鉢のへりに足をのせて暖を取っていたのだろうと思うが、椅子から滑り落ちて足を火鉢に突っ込んでしまったという次第。勿論、当時の記憶はなく大きくなった後に両親から聞かされて形成された記憶であるから、他人事のような実感のない記憶である。 しかし、足指に火傷の痕跡が残っているから、事実であるのだろう。この火傷の治療のため足指を固定され、よちよち歩きの大切な時期に、一定期間歩行が制限されたことで、足指が不器用にしか動かないことになってしまったのではないかと思っているが、足指ジャンケンができない程度で、歩行その他で不自由を感じるようなことはなかったのは幸いでありました。 ということで、ヤカモチには医師を目指すキッカケがなかったという次第であります(笑)。 ところで、現在の千円札の肖像は、野口英世。 しかし、この7月3日からは新紙幣となり、北里柴三郎の肖像に切り換わることになるので、千円札の顔としての野口英世を目にするのももう暫く限りということになるのでしょうな。(千円札の野口英世・Wikipedia掲載写真から転載) 大町四ツ角札ノ辻の碑の背後に見えるのは、「会津出身の版画家 斎藤清作品他 常設開催中」の文字。(會津商人司簗田家屋敷跡・大町四ッ角旧札ノ辻碑) 昨年11月に会津柳津を散策した折に道の駅柳津に斎藤清美術館があったことなども思い出す。<参考>斎藤清美術館の写真が掲載されている当ブログの記事 会津柳津散策(中) 2023.11.15. 野口英世青春通りから国道118号に出て、これを北上。(ナズナ?) こんなナズナは初めて目にする。国道118号の歩道に植えられていたものだが、何やらお洒落な園芸植物のようにも見える。 これはいったいナニな?(追記:注2024.6.29.)友人小万知さんからのご教示ですが、これはマメグンバイナズナという北米原産の帰化植物でありました。<参考>マメグンバイナズナ・Wikipedia そして、タチアオイの花。(タチアオイ) タチアオイの花をよく目にすると思ったら、この花は会津若松市の市花であったのでした。 たまたま、目に止まった高厳寺というお寺で小休止。 上掲の「カワチ」という看板の店の右(東側)に隣接してある寺です。(浄土宗・高厳寺)<参考>高厳寺・浄土宗大辞典 高厳寺・蘆名盛高・蒲生忠郷の菩提所(同上・本堂) 大町中央公園を通り抜け、更に北上し、ホテルにチェックイン。 ホテルの部屋の窓から南方向を望むと、鶴ヶ城が見えていました。(鶴ヶ城遠望) 夕食に出掛けるついでに近くをブラブラ歩き。 その折に通りかかった、お菓子の蔵太郎庵というお店の前にあったのが、おけいの像。(おけいの像)(同上・説明副碑)<参考>お菓子の蔵太郎庵会津総本店 駅前方向に引き返し、何やら見覚えがあるような、ないような公園があったので立ち寄りましたが、それは以前(2011年4月)こちらにやって来た際に、新潟へと帰る高速バスの時間待ちに使った公園でありました。(大町白虎公園の石佛供養碑) 前回は気が付かなかった石佛供養碑がありました。 夕食を済ませてホテルに戻り、一夜明けての翌日はご覧のような好天気であります。しかし、朝10時発のバスで新潟に戻らなくてはならないので、市内銀輪散歩をする余裕はありません。残念。(会津若松駅)<参考>銀輪万葉・その他篇
2024.06.27
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ムシヒキアブと4年ぶりの再会。 前回のムシヒキアブは眼が緑色であったので、ムシヒキアブ科のアオメアブであったが、今回のそれは眼の色が黒いのでムシヒキアブ科のシオヤアブでありました。<参考>ムシヒキアブ・トンボとアブの中間みたいなアブ 2020.7.19.(シオヤアブ)<参考>ムシヒキアブ・Wikipedia シオヤアブ・Wikipedia シオヤアブ (同上) ムシヒキアブにも色々な種類があるが、シオヤアブやアオメアブは、スズメバチやオニヤンマを襲うこともあると言うから、昆虫界最強のハンターと言えるのかもしれない。 スズメバチやオニヤンマが相手では、逆襲にあって自分が食べられてしまう危険があるから背後から奇襲して背中に取り付くのだろうか。口針を一突き、獲物の体液を吸い取ってしまうということなんだろうが、そういう大きな獲物を襲う瞬間を一度見てみたいものである。(同上) ゆっくりと慎重に近づき撮影したが、不用意に手を動かした所為か、あっという間に飛び去ってしまった。どちら方向に飛び去ったのかも分からぬ忍者の如き早わざにて、一瞬のうちに姿がかき消えたのでありました。(同上) 参考までにアオメアブの写真も掲載して置きます。<参考1>シオヤアブと同じムシヒキアブの仲間のアオメアブの写真(アオメアブ 2020年7月19日記事掲載写真の再掲)<参考2>アオメアブ アオメアブ・緑色の目を持つ草地のハンター 今日は、ムシヒキアブ科のシオヤアブ(+アオメアブ)の記事でありました。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2024.06.22
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一昨日(6/18)ひろろさんの個展に行って参りました。(「磐梯(春)」) ひろろさんとは2009年5月以来のブロ友であるから、15年余のブログ上でのお付き合いになる。 どういういきさつでひろろさんのブログを知ることとなったのかは記憶が曖昧で定かではないが、2009年5月6日にひろろさんのブログにコメントを記入したことで、ブログでのお付き合いが始まったのだろう思う。 そのコメントに添えて、万葉歌の物真似のような歌を作って記入したりもしたものだが、そのような歌もいつのまにか340首を超えるに到っています。<参考> 偐万葉・ひろろ篇はコチラからどうぞ。 ひろろdecさんのブログはコチラからどうぞ。 そもそも、今回の個展のことを知ったのは下掲のブログ記事によってでありました。<参考>個展のおしらせ☆ June 9,2024 たまたま、近くに出掛ける予定があり、「おついでがありましたら、どうぞ・・」という同記事のお誘いの文言に該当することになりますので、「では、行かねばなるまい」という訳にて、個展にお邪魔したという次第であります。(個展風景1)(同上2) ブログ掲載の写真によって、ひろろさんの絵は多くを拝見していますが、その絵を直接に拝見するのは、2011年4月のネコちゃんの絵が最初で、それ以来のこととなり、このようにまとまった数の作品を一堂にして拝見させていただくのは初めてのことであります。<参考>越後・会津銀輪散歩 2011.4.23.(同上3) ブログで拝見した懐かしい絵もあり、「やあ・・!」という感じも。 素敵な絵を見させていただき、ありがとうございました。(同上4)(鈴善漆器店)<参考>会津若松:鈴善漆器問屋 文化遺産・鈴善店舗 個展会場となっているのは、鈴善漆器店の催事蔵建物。 下掲写真の一番奥の白壁の建物になります。(同上) ブロ友に過ぎませんので、これまで直接にお会いする機会もなく、お顔は存じ上げないのでありますが、もし会場にいらっしゃれば、千載一遇の機会ということになった筈のところ、県展か何か別用でひろろさんはご不在というようなことを係の人が仰っていました。というようなことで、ご尊顔を拝することは叶いませんでしたが、ひろろさんのご健勝と益々のご活躍をお祈り申し上げる次第であります。 この日は、生憎の雨であったので、銀輪散歩は諦め、付近を少しばかり散策して帰途につきました。
2024.06.20
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友人、岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今回は、「日南・南郷のジャカランダの森が目的の一人旅」とのこと。(旅・岬巡り報告330・宮崎)※画像をクリックするとフォト蔵の大きいサイズの写真画面が別窓で開きます。 文字などが小さ過ぎて読みづらい時は、フォト蔵写真でご覧下さい。(同上・添付写真集1)(同上2)(同上3)(同上4) 岬麻呂氏のご自宅庭にはジャカランダの庭木が3本もあり、このように花を咲かせているとのこと。(岬麻呂邸ご自宅庭のジャカランダ) その他に鉢植えのジャカランダが5鉢もあるそうですから、氏のこの花への愛着は特別なもののようです。(同上) では、我々もジャカランダの森への旅にご同行させて頂きましょう。6月4日関西空港→宮崎空港→レンタカー→青島熱帯植物園→青島温泉ホテル(3連泊) 午後便で宮崎空港着。 レンタカーで旅を始めます。 先ずは、青島熱帯植物園のジャカランダにご挨拶であります。(青島熱帯植物園のジャカランダ) デイゴの花にもご挨拶。(デイゴと青島) 奥に見えるのは青島。 夕されば潮満ち来らむ、で鬼の洗濯板も海面下に沈み・・。青島に 潮満ち来れば 潟を無み 洗濯板の 形もなくあり (海辺青鬼)(本歌)若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (山部赤人 万葉集巻6-919) 岬麻呂氏も青島温泉さして・・、ホテル到着であります。(青島・ホテルの窓から撮影) これまで何度もこのホテルに宿泊されていて、大女将さんとはご昵懇なんでしょう。学生時代の「宮崎の旅」のお話が大女将さんのお気に召したのかどうかはともかく、同ホテルの創業50周年記念ということでもあるか、彼女からは、「みなひとの得がてにすとふ」レアなお酒・芋焼酎「百年の孤独」1本をプレゼントしていただいたとのこと。 下戸のヤカモチすらもその名前だけは夙に存じ上げているお酒。 岬麻呂氏の「大感激」も分からぬではないが、やっぱり本当には分からんというのが正直なところであるか(笑)。6月5日堀切峠→ジャカランダの森→マンゴー生産農家の高山さん宅→都井岬灯台→かのやばら園→都城経由→ホテル帰着 旅の二日目の夜が明けます。(青島の日の出・ホテルの窓から撮影) 朝開きして、先ず向かうのは堀切峠。(堀切峠) 鬼の洗濯板を横目にジャカランダの森へ直行であります。(ジャカランダの森・国道入口付近) 今年は例年になく花の付きがよいらしく、ジャカランダの森は「今盛りなり」の圧巻の眺め。(同上) 多島海の青を背景に咲き誇るジャカランダの森。 素晴らしい眺めです。(同上・R448海側の丘)空の青 海の青にも 負けじとや 今か咲くらむ ジャカランダの花 (ジャカ麻呂) さて、今回もマンホールの写真を数枚送って下さいました。 先ずは、串間市のマンホール。(串間市のマンホール) これは、ポケットモンスターのデザイン。 「ポケふた」と呼ばれるマンホールです。 これより都井岬へと向かいます。(都井岬灯台・灯塔) 都井岬灯台に到着です。 青空の広がる好いお天気。 空の青さに誘われたか、久しぶりに灯塔を登られたとか。 ヤカモチは見上げているだけにして置きます(笑)。(同上・全景) 都井岬と言えば、御崎馬ですな。(御崎馬と都井岬南灯台) このサイズの写真では馬の後方奥に写っている灯台の判別は難しいかもしれません。 画像をクリックして大きいサイズの写真でご覧下さい。 都井岬南灯台が写っています。 県境を越えて、鹿児島県は、鹿屋市のかのやばら園まで足をのばします。(かのやばら園)(同上・イングリッシュガーデン) バラもさることながら、この時期はアジサイが見頃であったとか。 橘諸兄の歌にこんなのがある。紫陽花の八重咲く如くやつ代にをいませわが背子見つつしのはむ (万葉集巻20-4448) 鹿屋市と言うと思い浮かぶのが、大学同期の親友・八〇君。 彼は鹿屋高校の出身である。 そんなことで、かのやばら園のアジサイということから、上の万葉歌と共に彼のことを思い出したりもしたヤカモチであります。(同上・入口付近の赤い郵便ポスト) 上は、かのやばら園で見かけた郵便ポストですが、7日には黄色いポストと青いポストも撮影されているので、下に並べて置きます。 赤、黄、青で交通信号であります。(青島の黄色の郵便ポスト)(宮崎県総合農業試験場亜熱帯作物支場の青い郵便ポスト)6月6日人吉城址→山江村→相良村→五木村→多良木町→湯前町→西米良村・純木造橋→一ツ瀬ダム→西都原古墳群→ホテル帰着 旅の3日目は、県境を越えて熊本県へ。 人吉城址へと向かいます。(人吉城址) 山江村、相良村を経て五木村へ。(山江村のマンホール)(相良村のマンホール) 五木村です。(五木村と川辺川) 五木村は川辺ダム建設工事に伴い、村全体が高台に移転。真新しい家並みとなっている。(五木村のマンホール) 多良木町、湯前町を経て西米良村へ。(多良木町のマンホール)(湯前町のマンホール)(西米良村のマンホール) 西米良村の一ツ瀬川に架かる純木造のこの橋は記憶にあるものの名前が思い出せない。 過去記事を遡って調べると「かりこぼうず大橋」という名であることが判明しました。(西米良村の純木造の橋・かりこぼうず大橋)<参考>岬麻呂旅便り301・宮崎、熊本 2022.11.21. 一ツ瀬川沿いに下流方向へ。西都原古墳群を経て、青島のホテルへと戻りますが、途中では大雨に見舞われたとか。(西都原古墳群) ホテルに戻り、夕食。夕食後は大女将さんと民謡談義。宮崎民謡「いもがらぼくと」で盛り上がったとか。<参考>いもがらぼくと宮崎県民謡・村上三絃道6月7日道の駅・フェニックス→鵜戸神宮→飫肥城址→ジャカランダの森・トロピカルドーム→宮崎空港→関西空港 旅の最終日は、道の駅フェニックスでデイゴの花とジャカランダの花を愛で、鵜戸神宮へ。(鵜戸神宮)(日南市のマンホール<消火栓>) そして飫肥城址に立ち寄ります。(飫肥城址) 仕上げは、ジャカランダの森を再訪でありましたが、同森にあるトロピカルドームでは「お目当ての真紅のトケイソウは枯れて無し」であったそうで、いささか詰めの甘い仕上げとなったようであります(笑)。 それはともあれ、全739kmのロングドライブ旅、お疲れ様でした。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.06.15
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今日は自宅から梅田スカイビルまで自転車MTBで往復。 はい、囲碁例会の日でありました。(大阪城公園・森ノ宮側入り口付近) 大阪城公園を通り抜け、天満橋を渡った先の滝川公園で小休止し、梅田スカイビル到着は11時45分。 ところが、駐輪場が満車で、入場がシャットアウト。 係員の方に「昼食を済ませる間だけ」ということで、入り口前の路上に暫時、駐輪させていただく。地下の滝見小路にある「全席喫煙席」というカフェ・CAFFE PIAZZA DEL POPOLOで手早く昼食を済ませる。 昼食を済ませて駐輪場に戻ると、係員さんが「空きがでたので、107番に駐輪して置きました。」というご親切な対応。感謝の意を述べて、スカイビルの中庭へ。(梅田スカイビル中庭・ワンダースクエア)(同上) 中庭から空中庭園を見上げると、こんな眺め。 付属棟のビル、5階の部屋に上がると、ヤカモチの一番乗り。 程なく、平〇氏がご来場。 同氏とのお手合わせは、序盤で悪手を打ってしまい、それにこだわり過ぎて、一層苦しい展開となり、劣勢を挽回できず、ヤカモチの完敗。 対局中にご来場の福麻呂氏と交代し、ヤカモチは観戦に回る。 今日の出席者は、結局この3名のみ。 平〇氏vs福麻呂氏戦は、平〇氏の勝利。 福麻呂氏vsヤカモチ戦は、終盤でミスがあったヤカモチの負け。 ということで、今日のヤカモチは2戦2敗と振るいませんでした。 例会終了後、梅田スカイビルの木陰のベンチで、平〇氏と煙草を喫いながら暫し雑談・休憩。 帰途は、大阪城公園まで走り、ここで小休止。(大阪城公園・右奥後方がJR大阪環状線森ノ宮駅) 真夏日ということで、大阪の最高気温は31℃の暑さ。 日陰に入ると風もあって心地よい涼しさであるのだが、日の照る道の自転車での往復は汗、汗の汗だくで、結構疲れました。 横枕南公園、花園中央公園経由で午後4時50分帰宅。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.06.12
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本日見かけた花と虫であります。(ホタルブクロ)<参考>ホタルブクロ・Wikipedia キキョウ科ホタルブクロ属の多年草。 子どもがこの袋状の花に蛍を入れて遊んだことから蛍袋という名になったらしいが、別名ではツリガネソウ、アメフリバナとも。 ホタルが登場する万葉歌は1首だけある。防人の妻が詠んだ歌とされる。 過去記事でも取り上げているが、再掲すると・・。この月は 君来きまさむと 大船おほぶねの 思ひ頼みて いつしかと 我あが待ち居をれば 黄葉もみちばの 過ぎて去いにきと 玉梓たまづさの 使ひの言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大地おほつちを 炎ほのほと踏みて 立ちて居ゐて 行くへも知らず 朝霧の 思ひ迷まとひて 丈つゑ足らず 八尺やさかの嘆き 嘆けども 験しるしをなみと いづくにか 君がまさむと 天雲あまくもの 行ゆきのまにまに 射いゆ鹿猪ししの 行ゆきも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 音ねのみし泣かゆ (万葉集巻13-3344)<今月は君が帰って来られると、(大船の)頼みに思って、いつかいつかと私が待っていると、(黄葉の)はかなく死んでしまったと、(玉梓の)使いの者が来て言うので、(蛍なす)ほのかにそれを聞いて、大地を炎の上を踏むように跳び上がり踏んで、立ったり座ったり、何処へ行けばいいかもわからず、(朝霧の)思い迷って、(丈足らず)八尺にも及ぶ長いため息をつき嘆いても、何の甲斐もないので、何処に君が居られるのだろうと、(天雲の)行くあとについて(射ゆ鹿猪の)行って死のうと思うけれど、道が分からないので、ひとり居て君を恋慕っていると、声に出して泣けてくる。><参考>墓参・虫も色々 2019.6.10.(同上) で、ホタルの写真と行きたいところであるが、上掲参考記事の時と同じく、手持ちの写真は今回もありません。 その代役でも勤めようとやって来たのか、セボシジョウカイボンが目の前に舞い降りて来ました。(セボシジョウカイボン)<参考>ジョウカイボン科・Wikipedia ジョウカイボン・Wikipedia ジョウカイボンという虫は、ホタル上科ジョウカイボン科の昆虫。 ホタルのように光らないが、ホタルの縁戚と言ってもよい虫であるから、まあ、ホタルの代役にならないこともないという次第。 ジョウカイボンというのは、漢字では「浄海坊」と書く。 浄海というのは、平清盛の戒名。 清盛は熱病で死ぬが、それは、このジョウカイボンとそっくりなカミキリモドキという虫の毒(カンタリジン)によるという説があったようで、カミキリモドキと取り違えて浄海坊という名がこの虫に付けられたということらしい。<参考>カミキリモドキ・Wikipedia 以上、虫と花と万葉集のお話でした。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011 万葉関連の過去記事はコチラ。
2024.06.09
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今日の囲碁例会はいつもより少し家を出るのが遅くなった所為もあって、公園に着いた頃には正午近くになっていました。 そんなことで公園内のコンビニでサンドイッチと珈琲を買い求め公園のベンチでランチタイムとしました。 今日の相棒の自転車はMTB(マウンテンバイク)。このところはMTBばかり乗っていて、CB(クロスバイク)の出番がない。後輪の空気が抜けていて、空気を入れるのをつい忘れてしまい、出かける段になって空気を入れるのも面倒とMTBを使ってしまうということの繰り返しになっているというだけの理由であるから、明日は、空気を入れてCBに乗ってみるか。 それはさて置き、ランチタイムとしたベンチから撮った写真です。(大阪城公園の森) 上は、ベンチ正面(東方向)の眺め。下は、右手(南)方向の眺め。(同上) そして、後方(西)方向の眺めはこれです。(同上) ズームアップで撮影しましたが、こんなユニークな格好のおじさんがいました。以前にも何度かお見掛けしているのだが、カメラを向けるのは初めてであります。まあ、後ろ姿ならいいだろうと考えた次第。 この花が派手にデコレーションされた帽子を被って居られるのと同じような花飾りを頭につけているトラのぬいぐるみがいつも一緒のようなので、一度目にすると忘れないというものである。 ハトやスズメにパンの欠片か何かを盛んに投げて居られますから、彼の前には鳥たちが群れているのでしょう。こちらからは、ベンチが邪魔してその光景は見えない。 ランチを終えて、このような森の小道を通り抜けて、梅田スカイビルへと向かいます。(同上) 梅田スカイビル到着は12時45分。 付属棟の5階の部屋に上がると平〇氏とほぼ同時の到着。 同氏と手合わせすべく準備して、打ち始めたところで、村〇氏がご来場です。その後ややあって福麻呂氏がご来場。村〇氏と福麻呂氏の対局が隣でも始まりました。 ヤカモチと平〇氏の対局は序盤で平〇氏の手抜きがあり、右上辺の大石が頓死して万事休す。ヤカモチの中押し勝ちとなりました。 隣の局面はまだ中盤といった段階であったので、ヤカモチは平〇氏ともう一番打つこととする。 今度は、ヤカモチの中押し負け。 メンバーチェンジし、ヤカモチの3局目の相手は村〇氏。 終盤までは、互角の勝負であったが、不用意に駄目を詰めたことで大石が頓死するという大失敗があって、これはヤカモチの負け。 4局目の相手は福麻呂氏。これはヤカモチの中押し勝ち。 ということで、今日の成績は2勝2敗。 今年に入ってからの成績は14勝7敗であります。 帰途は、往路でいつも小休止する滝川公園には立ち寄らずスルーしたので、同公園向かいの寺の門前の言葉やいかにとその前を通りかかると、今日のそれはこれでした。(今日の門前の言葉) 帰宅は午後5時半頃。 自宅への最後の坂道はいつになく足が疲れて、いっぱいいっぱいといった感じでの帰宅でありました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.06.05
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(承前) 6月1日の記事の続編です。 墓参の道の行き帰りに見かけた花と虫です。(ノビル) ノビルは春の若菜の一つで、その鱗茎と葉は食用とされた。 古事記(景行記)に、ヤマトタケルが足柄の坂本で食事をしている時に、坂の神の化身の白鹿に遭遇し、食べ残しの蒜の片端を投げてこれを打ち殺したという話が記載されているが、蒜にはその強い臭みによって神を打ち殺してしまうほどの呪力があると信じられていたのである。<参考>山河やまかはノ荒ぶる神等かみどもを平和やはし而て、還かへり上のぼり幸いでます時、足柄之坂本に到り、御粮みかりて食をす処ところ於に、其ノ坂ノ神白き鹿かに化なり而て来き立たちぬ。しかして、即ち其ノ咋くひ遺のこしたまへる蒜ひるノ片端かたはし以もちて待まち打うちたまへ者ば、其ノ目に中あたりて乃すなはち打ち殺したまひき。 (古事記・景行記) 以前の記事でも紹介したかと思うが、万葉集にもノビルの歌がある。醤酢(びしほす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛願ふ われにな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの) (長意吉麻呂(ながのおきまろ) 万葉集巻16-3829)<醤と酢に蒜をつき加えて、それをソースにして鯛を食べたいと願っている私に水葱のスープなんかは見えないでくれ> 長意吉麻呂さんは、宴会の席のその場で与えられた「お題」いくつかを折り込んだ即興歌を詠む名人だったようで、万葉集巻16には彼が詠んだその種の歌8首が掲載されているが、上の歌はその中の1首である。 この歌には、「酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠みし歌」との題詞が付されているから、この五つの物を折り込んだ歌を詠め、というリクエストが宴会の同席者の誰かからあったのだろう。 即座にこのような歌が詠めるとは、大した才能である。(同上) まあ、ノビルとしては、こ花の美しさ、可憐さを詠んだ歌で万葉集にデビューしたかったのではないかと思うが、それは叶わなかったようです。 次は、またまたヒメコバンソウであります。(ヒメコバンソウ)<参考>ヒメコバンソウ・Wikipedia 先月7日の銀輪散歩(ブログ記事では5月12日)で撮影したヒメコバンソウはまだ緑色であったが、今月1日の墓参で見かけたものは、もみぢするのは少し早過ぎるような気もするが、黄色く色づいていました。<参考>銀輪花散歩・桃の小道 2024.5.12. 次は、オオキンケイギク。 これも、何度か過去記事に登場している花であるが、墓参の途中の民家の庭先に咲いていたもの。<参考>墓参&花散歩 2023.7.4. 道路からは少し奥まったところに咲いていて距離があり、遠目にはキバナコスモスかと思ってカメラを向けたのであるが、ズームで撮った写真をよく見るとオオキンケイギクであったという次第。(オオキンケイギク)<参考>オオキンケイギク・Wikipedia オオキンケイギクは、「日本の侵略的外来種ワースト100」に選定されている特定外来生物で、カワラナデシコなど在来種に悪影響を与えるとして、現在は、「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(外来生物法)」により、その栽培、譲渡、販売、輸出入などが、原則禁止となっているのだが、これは庭先に勝手に生えて増えてしまったということなんだろうか。 菊つながりで、次はシロタエギク。 これも地中海原産の外来植物であるが、オオキンケイギクのように生態系への悪影響を与えるおそれのある植物ではない。(シロタエギク)<参考>シロタエギク・Wikipedia そして、これはヒベルティア・スカンデンス。 こんな舌を噛みそうな名前の花は知っている筈もなく、ネットで調べて行き着いた名前であります。(ヒベルティア・スカンデンス Hibertia scandens) 覚えにくい名前であるから、「へべれけは好かんでんす。」とでも覚えて置くか(笑)。 オーストラリア、ニュージーランド原産の蔓性の樹木とのこと。 西側窓を覆う形で西日を遮蔽するグリーンカーテンとしてこの植物を利用されているようです。 次は、お馴染みのヤマボウシ。(ヤマボウシ)<参考>ヤマボウシ・Wikipedia しかし、よく見かけるヤマボウシとは雰囲気が違う。 花のサイズがやや小ぶりなこと、花の色が黄色がかっていること、葉に光沢と厚みがあり常緑樹っぽい葉であること、などが、普通に見かけるヤマボウシとは異なる印象を与えるのだろう。 園芸品種として改良が加えられたヤマボウシではないかと思う。(同上) そして、これは「花」と言うべきか、「虫」というべきかが微妙な、エノキハトガリタマフシであります。 先月の墓参の折に目にしたエノキハトガリタマフシという虫こぶですが、その時は緑色であったものが、黄色、薄茶色へと変色し始めているようであったので、再度撮影してみました。<参考>墓参・ナガサキアゲハほか虫散歩 2024.5.4. エノキトガリタマバエという蝿がエノキの葉に卵を産み付けると、その卵または卵から孵化した幼虫が放つ何らかの物質に反応して、葉の細胞がこれを包み込むように分裂成長し、このような虫こぶを形成するのだろう。 この虫こぶをエノキハトガリタマフシといい、この虫こぶ形成の原因をなした蝿をエノキトガリタマバエという。 フシにはハが付き、ハエにはハが付かない、まことにややこしい。(エノキハトガリタマフシ)<参考>森林生物・エノキトガリタマバエ 虫散歩・虫こぶと繭 2022.5.3. 次は、正真正銘の虫、ナミテントウです。 ナナホシテントウと同じくナミテントウも肉食の虫ですから、益虫。(ナミテントウ)<参考>ナミテントウ・Wikipedia 最後は、モンシロチョウ。(モンシロチョウ)<参考>モンシロチョウ・Wikipedia 以上、二日遅れの花&虫散歩記事でありました。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.06.03
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今日から6月。 朝のうちに月例の墓参を済ませました。 墓参の道で見かけた植物ですが、これは何という植物なんでしょう。(名前不明) 何やら小さな豆がなっていますから、マメ科の蔓性の木のようですが、名前が分かりません。(同上) 全体の姿は上掲写真の通りです。 さて、今日はよく晴れた良いお天気で、墓への坂道を上って行くと、汗が出て、半袖Tシャツ1枚でも暑い位の気温。 墓地からの眺めは、こんな感じです。(墓地からの眺め・西方向) 色々な花を見つつの墓参道でありましたが、当記事ではそんな中の一つである、アメリカフウロとヤブジラミの写真を掲載して置きます。 アメリカフウロは、既に花の時期は過ぎていて、種子の季節となっていました。(アメリカフウロ)<参考>アメリカフウロ・Wikipedia(同上)(同上) アメリカフウロの花は姿を消していましたが、ヤブジラミの花は未だ咲いていました。(ヤブジラミ)<参考>ヤブジラミ・Wikipedia(同上) とても小さなはなであるが、カメラで撮って大きい画面で見ると、なかなかに可愛い花である。(同上) なのに、ヤブジラミなどという酷い名を付けられてしまったのは、その実の所為である。(同上・種子) これがヤブジラミの実というか種子である。(同上) 拡大してみると、このようにイガイガがあって、所謂「ひっつき虫、くっつき虫」の一種であるから、虱という有難くない名前を頂戴したのだろう。(同上) 今日の墓参で見かけたその他の花については、別途、後日の記事で取り上げることとします。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.06.01
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これは「ネコんでるネコ」であります。 呼びかけると薄目を開けて見返したものの、すぐにまた眠ってしまいましたので、ネコんでるネコであります(笑)。(茶トラのネコ) こちらはネコロンという名のネコ。(キジトラのネコロン) 彼女は、初対面の時に寝転んでいたので、ネコロンと名付けましたが、寝込んでいた訳ではないので、「ネコんでるネコ」という訳ではありませんでした。<参考>ヤカモチ的ネコ歩き 2020.4.27.(同上) さて、七文字駄洒落である「ネコんでるネコ」方式の言葉遊び・生き物編を少しばかり続けてみると・・。 豚 ブタれてるブタ、 牛 ウシろ向くウシ、 馬 ウマくやるウマ、 虎 トラえたらトラ、 鹿 シカたないシカ、 熊 クマってるクマ、 猿 ザルを持つサル、 犀 サイこうのサイ、 鳥 トリあえずトリ、 烏賊 イカ省略のイカ、 亀 カメもせぬカメ、 蟹 カニかくにカニ、 鷹 タカられたタカ、 貝 カイ手無いカイ、 鷺 サキに行くサギ、 鯛 タイがいのタイ、 鯉 コイしてるコイ、 鮎 アユみ出すアユ、 蜂 ハチ巻きのハチ、 河馬 カバン持つカバ、 蟻 アリがたいアリ、 蜘蛛 クモり空にクモ、 象 ゾウリ履くゾウ、 鰤 ブリっ子のブリ、 鯖 サバかれるサバ、 鷲 ワシも儂もワシ、 サバ威張るサバ、 鯔 ホラ吹きのボラ、 鮭 サケ呑みのサケ、 河豚 フク着てるフグ、 サケ避けるサケ、 鱈 タラい船のタラ、 鮒 フナれだがフナ、 獏 巨悪あバクバク、 切りが無いのでこの辺で止めて置きます。<参考>言葉遊び関連の過去記事はコチラ。 犬、猫関連の過去記事はコチラ。
2024.05.27
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(承前) 前頁の「群れ咲けば」の続きです。 前頁記事のニワホコリの写真の画面後方に写っているブタナの群生から始めることとします。(ブタナ)<参考>ブタナ・Wikipedia ブタナの原産地はフランス。 フランス語ではsaladede pore(豚のサラダ)と呼ばれることもあるそうだが、和名のブタナ(豚菜)はこれに由来するという。うまいねと 豚が言ったから 日本でも 26日は ブタナ記念日 (俵千智)(同上)(同上) ブタナは、名前の類似から時にブタクサと言い間違えることがあるヤカモチなので、ウイキペディアのブタクサに掲載の写真を参考までに掲載して置きます。これで言い間違えることもなくなるでしょう。 コチラは北アメリカ原産であるが、英語の俗名hogweed(豚の草)の直訳が和名になっている。<参考>ブタクサ・Wikipedia さて、豚から離れて、次はヒメスイバです。(ヒメスイバ)ヒメスイバ・Wikipedia(同上) 最後は、「群れ咲く」とは無関係ですが、上の写真に写っている樹木が桜なので、桜の実の写真を掲載します。 桜の果実は広い意味ではサクランボなんだろうが、一般にサクランボと言えば、セイヨウミザクラ(西洋実桜)の実のことを言うから、それとの混同を避けるため、単に「桜の実」と呼ぶこととしました。(桜の実)(同上)道の辺の 桜並木の 葉隠れに ここだもさはに 実のなるも見む (実家持)(同上) はい、最後は「実」のある話になったところで、「群れ咲けば」の銀輪花散歩終了であります。(完)<参考>花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.05.26
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