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本日見かけた花と虫であります。(ホタルブクロ)<参考>ホタルブクロ・Wikipedia キキョウ科ホタルブクロ属の多年草。 子どもがこの袋状の花に蛍を入れて遊んだことから蛍袋という名になったらしいが、別名ではツリガネソウ、アメフリバナとも。 ホタルが登場する万葉歌は1首だけある。防人の妻が詠んだ歌とされる。 過去記事でも取り上げているが、再掲すると・・。この月は 君来きまさむと 大船おほぶねの 思ひ頼みて いつしかと 我あが待ち居をれば 黄葉もみちばの 過ぎて去いにきと 玉梓たまづさの 使ひの言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大地おほつちを 炎ほのほと踏みて 立ちて居ゐて 行くへも知らず 朝霧の 思ひ迷まとひて 丈つゑ足らず 八尺やさかの嘆き 嘆けども 験しるしをなみと いづくにか 君がまさむと 天雲あまくもの 行ゆきのまにまに 射いゆ鹿猪ししの 行ゆきも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 音ねのみし泣かゆ (万葉集巻13-3344)<今月は君が帰って来られると、(大船の)頼みに思って、いつかいつかと私が待っていると、(黄葉の)はかなく死んでしまったと、(玉梓の)使いの者が来て言うので、(蛍なす)ほのかにそれを聞いて、大地を炎の上を踏むように跳び上がり踏んで、立ったり座ったり、何処へ行けばいいかもわからず、(朝霧の)思い迷って、(丈足らず)八尺にも及ぶ長いため息をつき嘆いても、何の甲斐もないので、何処に君が居られるのだろうと、(天雲の)行くあとについて(射ゆ鹿猪の)行って死のうと思うけれど、道が分からないので、ひとり居て君を恋慕っていると、声に出して泣けてくる。><参考>墓参・虫も色々 2019.6.10.(同上) で、ホタルの写真と行きたいところであるが、上掲参考記事の時と同じく、手持ちの写真は今回もありません。 その代役でも勤めようとやって来たのか、セボシジョウカイボンが目の前に舞い降りて来ました。(セボシジョウカイボン)<参考>ジョウカイボン科・Wikipedia ジョウカイボン・Wikipedia ジョウカイボンという虫は、ホタル上科ジョウカイボン科の昆虫。 ホタルのように光らないが、ホタルの縁戚と言ってもよい虫であるから、まあ、ホタルの代役にならないこともないという次第。 ジョウカイボンというのは、漢字では「浄海坊」と書く。 浄海というのは、平清盛の戒名。 清盛は熱病で死ぬが、それは、このジョウカイボンとそっくりなカミキリモドキという虫の毒(カンタリジン)によるという説があったようで、カミキリモドキと取り違えて浄海坊という名がこの虫に付けられたということらしい。<参考>カミキリモドキ・Wikipedia 以上、虫と花と万葉集のお話でした。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011 万葉関連の過去記事はコチラ。
2024.06.09
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今日の囲碁例会はいつもより少し家を出るのが遅くなった所為もあって、公園に着いた頃には正午近くになっていました。 そんなことで公園内のコンビニでサンドイッチと珈琲を買い求め公園のベンチでランチタイムとしました。 今日の相棒の自転車はMTB(マウンテンバイク)。このところはMTBばかり乗っていて、CB(クロスバイク)の出番がない。後輪の空気が抜けていて、空気を入れるのをつい忘れてしまい、出かける段になって空気を入れるのも面倒とMTBを使ってしまうということの繰り返しになっているというだけの理由であるから、明日は、空気を入れてCBに乗ってみるか。 それはさて置き、ランチタイムとしたベンチから撮った写真です。(大阪城公園の森) 上は、ベンチ正面(東方向)の眺め。下は、右手(南)方向の眺め。(同上) そして、後方(西)方向の眺めはこれです。(同上) ズームアップで撮影しましたが、こんなユニークな格好のおじさんがいました。以前にも何度かお見掛けしているのだが、カメラを向けるのは初めてであります。まあ、後ろ姿ならいいだろうと考えた次第。 この花が派手にデコレーションされた帽子を被って居られるのと同じような花飾りを頭につけているトラのぬいぐるみがいつも一緒のようなので、一度目にすると忘れないというものである。 ハトやスズメにパンの欠片か何かを盛んに投げて居られますから、彼の前には鳥たちが群れているのでしょう。こちらからは、ベンチが邪魔してその光景は見えない。 ランチを終えて、このような森の小道を通り抜けて、梅田スカイビルへと向かいます。(同上) 梅田スカイビル到着は12時45分。 付属棟の5階の部屋に上がると平〇氏とほぼ同時の到着。 同氏と手合わせすべく準備して、打ち始めたところで、村〇氏がご来場です。その後ややあって福麻呂氏がご来場。村〇氏と福麻呂氏の対局が隣でも始まりました。 ヤカモチと平〇氏の対局は序盤で平〇氏の手抜きがあり、右上辺の大石が頓死して万事休す。ヤカモチの中押し勝ちとなりました。 隣の局面はまだ中盤といった段階であったので、ヤカモチは平〇氏ともう一番打つこととする。 今度は、ヤカモチの中押し負け。 メンバーチェンジし、ヤカモチの3局目の相手は村〇氏。 終盤までは、互角の勝負であったが、不用意に駄目を詰めたことで大石が頓死するという大失敗があって、これはヤカモチの負け。 4局目の相手は福麻呂氏。これはヤカモチの中押し勝ち。 ということで、今日の成績は2勝2敗。 今年に入ってからの成績は14勝7敗であります。 帰途は、往路でいつも小休止する滝川公園には立ち寄らずスルーしたので、同公園向かいの寺の門前の言葉やいかにとその前を通りかかると、今日のそれはこれでした。(今日の門前の言葉) 帰宅は午後5時半頃。 自宅への最後の坂道はいつになく足が疲れて、いっぱいいっぱいといった感じでの帰宅でありました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.06.05
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(承前) 6月1日の記事の続編です。 墓参の道の行き帰りに見かけた花と虫です。(ノビル) ノビルは春の若菜の一つで、その鱗茎と葉は食用とされた。 古事記(景行記)に、ヤマトタケルが足柄の坂本で食事をしている時に、坂の神の化身の白鹿に遭遇し、食べ残しの蒜の片端を投げてこれを打ち殺したという話が記載されているが、蒜にはその強い臭みによって神を打ち殺してしまうほどの呪力があると信じられていたのである。<参考>山河やまかはノ荒ぶる神等かみどもを平和やはし而て、還かへり上のぼり幸いでます時、足柄之坂本に到り、御粮みかりて食をす処ところ於に、其ノ坂ノ神白き鹿かに化なり而て来き立たちぬ。しかして、即ち其ノ咋くひ遺のこしたまへる蒜ひるノ片端かたはし以もちて待まち打うちたまへ者ば、其ノ目に中あたりて乃すなはち打ち殺したまひき。 (古事記・景行記) 以前の記事でも紹介したかと思うが、万葉集にもノビルの歌がある。醤酢(びしほす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛願ふ われにな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの) (長意吉麻呂(ながのおきまろ) 万葉集巻16-3829)<醤と酢に蒜をつき加えて、それをソースにして鯛を食べたいと願っている私に水葱のスープなんかは見えないでくれ> 長意吉麻呂さんは、宴会の席のその場で与えられた「お題」いくつかを折り込んだ即興歌を詠む名人だったようで、万葉集巻16には彼が詠んだその種の歌8首が掲載されているが、上の歌はその中の1首である。 この歌には、「酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠みし歌」との題詞が付されているから、この五つの物を折り込んだ歌を詠め、というリクエストが宴会の同席者の誰かからあったのだろう。 即座にこのような歌が詠めるとは、大した才能である。(同上) まあ、ノビルとしては、こ花の美しさ、可憐さを詠んだ歌で万葉集にデビューしたかったのではないかと思うが、それは叶わなかったようです。 次は、またまたヒメコバンソウであります。(ヒメコバンソウ)<参考>ヒメコバンソウ・Wikipedia 先月7日の銀輪散歩(ブログ記事では5月12日)で撮影したヒメコバンソウはまだ緑色であったが、今月1日の墓参で見かけたものは、もみぢするのは少し早過ぎるような気もするが、黄色く色づいていました。<参考>銀輪花散歩・桃の小道 2024.5.12. 次は、オオキンケイギク。 これも、何度か過去記事に登場している花であるが、墓参の途中の民家の庭先に咲いていたもの。<参考>墓参&花散歩 2023.7.4. 道路からは少し奥まったところに咲いていて距離があり、遠目にはキバナコスモスかと思ってカメラを向けたのであるが、ズームで撮った写真をよく見るとオオキンケイギクであったという次第。(オオキンケイギク)<参考>オオキンケイギク・Wikipedia オオキンケイギクは、「日本の侵略的外来種ワースト100」に選定されている特定外来生物で、カワラナデシコなど在来種に悪影響を与えるとして、現在は、「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(外来生物法)」により、その栽培、譲渡、販売、輸出入などが、原則禁止となっているのだが、これは庭先に勝手に生えて増えてしまったということなんだろうか。 菊つながりで、次はシロタエギク。 これも地中海原産の外来植物であるが、オオキンケイギクのように生態系への悪影響を与えるおそれのある植物ではない。(シロタエギク)<参考>シロタエギク・Wikipedia そして、これはヒベルティア・スカンデンス。 こんな舌を噛みそうな名前の花は知っている筈もなく、ネットで調べて行き着いた名前であります。(ヒベルティア・スカンデンス Hibertia scandens) 覚えにくい名前であるから、「へべれけは好かんでんす。」とでも覚えて置くか(笑)。 オーストラリア、ニュージーランド原産の蔓性の樹木とのこと。 西側窓を覆う形で西日を遮蔽するグリーンカーテンとしてこの植物を利用されているようです。 次は、お馴染みのヤマボウシ。(ヤマボウシ)<参考>ヤマボウシ・Wikipedia しかし、よく見かけるヤマボウシとは雰囲気が違う。 花のサイズがやや小ぶりなこと、花の色が黄色がかっていること、葉に光沢と厚みがあり常緑樹っぽい葉であること、などが、普通に見かけるヤマボウシとは異なる印象を与えるのだろう。 園芸品種として改良が加えられたヤマボウシではないかと思う。(同上) そして、これは「花」と言うべきか、「虫」というべきかが微妙な、エノキハトガリタマフシであります。 先月の墓参の折に目にしたエノキハトガリタマフシという虫こぶですが、その時は緑色であったものが、黄色、薄茶色へと変色し始めているようであったので、再度撮影してみました。<参考>墓参・ナガサキアゲハほか虫散歩 2024.5.4. エノキトガリタマバエという蝿がエノキの葉に卵を産み付けると、その卵または卵から孵化した幼虫が放つ何らかの物質に反応して、葉の細胞がこれを包み込むように分裂成長し、このような虫こぶを形成するのだろう。 この虫こぶをエノキハトガリタマフシといい、この虫こぶ形成の原因をなした蝿をエノキトガリタマバエという。 フシにはハが付き、ハエにはハが付かない、まことにややこしい。(エノキハトガリタマフシ)<参考>森林生物・エノキトガリタマバエ 虫散歩・虫こぶと繭 2022.5.3. 次は、正真正銘の虫、ナミテントウです。 ナナホシテントウと同じくナミテントウも肉食の虫ですから、益虫。(ナミテントウ)<参考>ナミテントウ・Wikipedia 最後は、モンシロチョウ。(モンシロチョウ)<参考>モンシロチョウ・Wikipedia 以上、二日遅れの花&虫散歩記事でありました。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.06.03
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今日から6月。 朝のうちに月例の墓参を済ませました。 墓参の道で見かけた植物ですが、これは何という植物なんでしょう。(名前不明) 何やら小さな豆がなっていますから、マメ科の蔓性の木のようですが、名前が分かりません。(同上) 全体の姿は上掲写真の通りです。 さて、今日はよく晴れた良いお天気で、墓への坂道を上って行くと、汗が出て、半袖Tシャツ1枚でも暑い位の気温。 墓地からの眺めは、こんな感じです。(墓地からの眺め・西方向) 色々な花を見つつの墓参道でありましたが、当記事ではそんな中の一つである、アメリカフウロとヤブジラミの写真を掲載して置きます。 アメリカフウロは、既に花の時期は過ぎていて、種子の季節となっていました。(アメリカフウロ)<参考>アメリカフウロ・Wikipedia(同上)(同上) アメリカフウロの花は姿を消していましたが、ヤブジラミの花は未だ咲いていました。(ヤブジラミ)<参考>ヤブジラミ・Wikipedia(同上) とても小さなはなであるが、カメラで撮って大きい画面で見ると、なかなかに可愛い花である。(同上) なのに、ヤブジラミなどという酷い名を付けられてしまったのは、その実の所為である。(同上・種子) これがヤブジラミの実というか種子である。(同上) 拡大してみると、このようにイガイガがあって、所謂「ひっつき虫、くっつき虫」の一種であるから、虱という有難くない名前を頂戴したのだろう。(同上) 今日の墓参で見かけたその他の花については、別途、後日の記事で取り上げることとします。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.06.01
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これは「ネコんでるネコ」であります。 呼びかけると薄目を開けて見返したものの、すぐにまた眠ってしまいましたので、ネコんでるネコであります(笑)。(茶トラのネコ) こちらはネコロンという名のネコ。(キジトラのネコロン) 彼女は、初対面の時に寝転んでいたので、ネコロンと名付けましたが、寝込んでいた訳ではないので、「ネコんでるネコ」という訳ではありませんでした。<参考>ヤカモチ的ネコ歩き 2020.4.27.(同上) さて、七文字駄洒落である「ネコんでるネコ」方式の言葉遊び・生き物編を少しばかり続けてみると・・。 豚 ブタれてるブタ、 牛 ウシろ向くウシ、 馬 ウマくやるウマ、 虎 トラえたらトラ、 鹿 シカたないシカ、 熊 クマってるクマ、 猿 ザルを持つサル、 犀 サイこうのサイ、 鳥 トリあえずトリ、 烏賊 イカ省略のイカ、 亀 カメもせぬカメ、 蟹 カニかくにカニ、 鷹 タカられたタカ、 貝 カイ手無いカイ、 鷺 サキに行くサギ、 鯛 タイがいのタイ、 鯉 コイしてるコイ、 鮎 アユみ出すアユ、 蜂 ハチ巻きのハチ、 河馬 カバン持つカバ、 蟻 アリがたいアリ、 蜘蛛 クモり空にクモ、 象 ゾウリ履くゾウ、 鰤 ブリっ子のブリ、 鯖 サバかれるサバ、 鷲 ワシも儂もワシ、 サバ威張るサバ、 鯔 ホラ吹きのボラ、 鮭 サケ呑みのサケ、 河豚 フク着てるフグ、 サケ避けるサケ、 鱈 タラい船のタラ、 鮒 フナれだがフナ、 獏 巨悪あバクバク、 切りが無いのでこの辺で止めて置きます。<参考>言葉遊び関連の過去記事はコチラ。 犬、猫関連の過去記事はコチラ。
2024.05.27
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(承前) 前頁の「群れ咲けば」の続きです。 前頁記事のニワホコリの写真の画面後方に写っているブタナの群生から始めることとします。(ブタナ)<参考>ブタナ・Wikipedia ブタナの原産地はフランス。 フランス語ではsaladede pore(豚のサラダ)と呼ばれることもあるそうだが、和名のブタナ(豚菜)はこれに由来するという。うまいねと 豚が言ったから 日本でも 26日は ブタナ記念日 (俵千智)(同上)(同上) ブタナは、名前の類似から時にブタクサと言い間違えることがあるヤカモチなので、ウイキペディアのブタクサに掲載の写真を参考までに掲載して置きます。これで言い間違えることもなくなるでしょう。 コチラは北アメリカ原産であるが、英語の俗名hogweed(豚の草)の直訳が和名になっている。<参考>ブタクサ・Wikipedia さて、豚から離れて、次はヒメスイバです。(ヒメスイバ)ヒメスイバ・Wikipedia(同上) 最後は、「群れ咲く」とは無関係ですが、上の写真に写っている樹木が桜なので、桜の実の写真を掲載します。 桜の果実は広い意味ではサクランボなんだろうが、一般にサクランボと言えば、セイヨウミザクラ(西洋実桜)の実のことを言うから、それとの混同を避けるため、単に「桜の実」と呼ぶこととしました。(桜の実)(同上)道の辺の 桜並木の 葉隠れに ここだもさはに 実のなるも見む (実家持)(同上) はい、最後は「実」のある話になったところで、「群れ咲けば」の銀輪花散歩終了であります。(完)<参考>花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.05.26
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ブログ更新ながらくサボってしまいましたが、元気にして居ります。 何と言って記事ネタもないので、「群れ咲く」をテーマに銀輪散歩で見かけた花をご紹介することとします。(シロツメクサ)<参考>シロツメクサ・Wikipedia 小さな花を接写して大きいサイズの画像で見るのも面白いが、このように群生している様を少し離れた距離から俯瞰すると、それが一つの景色となり、いいものである。 江戸時代にオランダから長崎に輸入されたガラス器を衝撃から保護するための緩衝材として使用されたことから、「詰草」という言葉が生まれ、白い花を咲かせることから「白詰草」と呼ばれるようになったとのこと。 別名は、クローバー、オランダゲンゲ、シロツメグサ、シロクローバー、シロレンゲ、ホワイトクローバー、ツメクサなど色々。 そんな群れの中に一つ、二つ赤い花を咲かせているものがあった。(タチオランダゲンゲ)<参考>タチオランダゲンゲ・ムラサキツメクサ・シロツメクサ よく目にするアカツメクサ(ムラサキツメクサ)とは、花の形やサイズが異なるので、何かとネットで調べると「タチオランダゲンゲ」という名の花に行き着いたのだが、よくは分からない。(コメツブウマゴヤシ)<参考>コメツブウマゴヤシ・Wikipedia コメツブツメクサかもしれないが、コメツブウマゴヤシはコメツブツメクサよりもひと回りサイズが大きいとのことなので、取り敢えずコメツブウマゴヤシということにして置きました。 両者の区別が今のところヤカモチには曖昧であります。 さらに、両者以外にクスダマツメクサなどというのもあって、益々ややこしいのであります。(シロバナマンテマ)<参考>マンテマ・Wikipedia マンテマがこのように群生しているのを見るのは初めて。 これは、シロバナマンテマという種類。 薄紅色のものと白色のものとがあるが、それらをひっくるめてシロバナマンテマと呼ぶようです。(同上)(同上) 普通のマンテマはコチラです。(マンテマ) マンテマは花ビラの形が丸みを帯びた幅広な形であるのに対してシロバナマンテマは細長い形をしています。花の色も白い縁取りがあって中央部分が赤色と見た目が全く異なるので一目瞭然、見間違うことはありません。 次は、チガヤ。 万葉集では浅茅(あさぢ)、茅花(ちばな、つばな)などとして登場する。 開花前の若い花穂はチバナ、ツバナといい、噛むと甘味があり、昔は子どもがよく食べたとのこと。(チガヤ)(同上) こんなに穂が育ってしまうと賞味期限切れという奴で食べることはできないが、大伴家持と紀女郎との相聞の戯れ歌が思い出される。戯奴わけがため わが手もすまに 春の野に 抜ける茅花ちばなそ 食をして肥えませ (紀女郎 万葉集巻8-1460)<お前のために、私の手も惜しまず春の野で抜いた茅花ですよ。召し上がってお太りなさいな。>わが君に 戯奴(わけ)は恋ふらし 賜(たば)りたる 茅花(ちばな)を喫(は)めど いや痩せに痩す (大伴家持 同巻8-1462)<わが君に私めは恋しているようです。いただいた茅花を食べても、ますます痩せてしまいます。>(同上)<参考>チガヤ・Wikipedia アト1ヶ月もすれば、これらの穂が銀色に輝くことになるのではないかと思うが、浅茅ヶ原が一番美しいのはその時期だろう。(同上) 次は、ニワゼキショウの群れ。(ニワゼキショウ)<参考>ニワゼキショウ・Wikipedia 葉がセキショウ(石菖)に似ていることから庭石菖という名で呼ばれるようになったとのことであるが、セキショウも葉がショウブ(菖蒲)に似ていることから石菖と呼ばれたのであるから、名前の上では、ニワゼキショウはショウブの孫ということになる。あやめ草の 孫にしあれば 庭石菖 咲きて来鳴くや 今ほととぎす (菖家持) そして、庭つながりで、次はニワホコリです。(ニワホコリ)ニワホコリ・Wikipedia カゼクサとニワホコリの違いはその背丈にあるかと思うので、これはニワホコリだろうと判断しました。 まあ、ホコリっぽい雰囲気をかもしているというのがその理由であるという素人判断ですから、その正確性については保証の限りではありません。(同上)(同上) もう少し、群れ咲く景色の銀輪散歩を続けますが、本日はここまでとします。(つづく)
2024.05.25
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友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました 毎春恒例の桜追っかけ旅であるが、今年は「桜前線異常あり」で、全国的に開花時期が早くなり、旅の計画変更を余儀なくされるというようなこともあったようです。 いずれにせよ、桜旅としては、今回が今年最後の旅ということになるのでしょう。 先ずは、同氏からの旅報告329です。 写真画面をクリックすると大きいサイズのフォト蔵写真の画面が別窓で開きますので、それにてご覧いただくと読みやすいかと存じます。〇旅・岬巡り報告329・富良野<桜旅> 以下は、旅報告329に添付の写真集です。〇329富良野5.7.〇329富良野5.8.〇329富良野5.9.〇329富良野5.10. これらの写真はメール送信添付でそれぞれに頂戴して居りますので、旅程に従い、以下順次紹介させていただきます。5月7日関西空港→新千歳空港→レンタカー(SUV車)→占冠→湯の沢温泉→金山ダム公園→南富良野町・樹海峠→富良野市・山部→麓郷街道→鳥沼公園→北の峰学園→富良野(3連泊) 旅の初日は本降りの雨。 生憎のお天気でしたが、ご覧のような満開の桜にも出会え、桜旅の面目も立って、何よりでありました。(湯の沢温泉) 湯の沢温泉の満開の桜は「想定外の喜び」であったとのこと。(金山ダム公園) 金山ダム公園は「落花盛ん」だったそうですが、まだ十分に楽しめる眺めであります。(富良野市・山部の桜) 富良野市の山部や麓郷街道などの桜は既にして葉桜。 これは、上の表現に倣うなら、「想定内」のことであった、と言うべきでしょうか。(麓郷街道)(北の峰学園) 岬麻呂氏の桜旅は「地酒を愉しむ旅」でもあるようですが、この夜のそれは、地酒・男山クールであったとか。 しかし、ヤカモチは根っからの下戸でありますので、酒についてはノーコメント、知らん顔してスルーであります(笑)。5月8日十勝岳温泉→凌雲閣→望岳台→白金温泉→美瑛・ピルケの森→大雪森のガーデン→大雪国道・層雲峡ロープウェー運休→名寄市・弥生公園→美瑛の丘 富良野市周辺は既にして葉桜。標高の高い所ならと十勝岳温泉を目指すも、標高が高過ぎましたか、冬景色にて視界も不良。(十勝岳温泉) 凌雲閣近辺は粉雪が舞い、白金温泉の桜は未だ蕾。(美瑛・ピルケの森) しかし、美瑛のピルケの森の桜は満開。(大雪森のガーデン) 大雪森のガーデンの桜はチラホラの咲き始め。(層雲峡・石狩川と桜) 層雲峡は石狩川畔の桜を愛で、廃屋と桜の景や良しと行くと、大雪国道の桜並木はほぼ満開でありました。(同上・桜と廃屋)(大雪国道)(層雲峡ロープウェイ) 「山頂駅付近には千島桜の群落があるが、積雪と霧氷の冬景色でロープウェー運休」ということで、千島桜は断念。 その結果、生まれた時間の余裕を利用して、高速道路で行ける北の名寄市・弥生公園に向かうことに。(名寄市・弥生公園)冬と春 ゆきつもどりつ 大雪たいせつの 山の辺の道 わが桜旅 (北桜旅人)これやこの 咲くも咲かぬも 花がまま 散るも散らぬも また桜旅 (同)(美瑛の丘) そして、この日の夕食の酒は、中富良野の地酒、法螺吹でありました。5月9日富良野→新得町→トムラウシ温泉→サホロ湖→狩勝峠→屈足湖→富良野・麓郷 この日は、トムラウシ温泉を目指して出発。 往復するルートの場合、往路と復路で同じ場所を通ることもあり、往路での撮影写真もあれば、復路での撮影写真もあることとなり、写真の撮影時刻で写真を並べてみても、それが正しい順路を表現しているとは必ずしも言えないこととなるが、地理不案内のヤカモチでありますから、単純に撮影時刻順の写真掲載としています。また、旅程順路もそれに沿った記載としていますので、何か不自然な記載になっていることもあるかと思いますが、これについては、ご容赦願います。(雲海と富良野岳)(新得町の畑)(トムラウシ温泉) トムラウシ温泉では、桜はまだ蕾状態であったようです。 トムラウシ東大雪荘では日帰り温泉の入浴も出来た筈のところ、「清掃中で果たせず」であったとのこと。残念でしたね。(サホロ湖畔) サホロ湖畔の桜は満開。(狩勝峠7合目) 狩勝峠の桜も満開。(屈足くったり湖) 屈足湖の桜も満開です。(麓郷の畑・遠景は夕張山地) 富良野に戻り、夕食では、日本は2回目だという一人旅の英国青年とたまたま隣席となり、日英交流があったようです。 青年の日本語は片言程度、岬麻呂氏は60年ぶりの英会話ということであったらしいですが、意気投合して長時間地酒を楽しまれたとのこと。5月10日ファーム富田→麓郷・東大演習林資料館→占冠・湯の沢温泉の桜再訪→新千歳空港→関西空港 最終日は、ファーム富田へ。(ファーム富田)(同上・ラベンダー温室)(麓郷・東大演習林資料館) そして、東大演習林資料館から湯の沢温泉を再訪。 冒頭の写真と同じアングルの写真ですが、前者は雲に覆われた白い空で、地面が雨に濡れて光っているのに対して、後者は明るい青空で、地面が乾いています。 「想定外の喜び」の桜を、青空の下にて今一度目に収めた上で帰阪の途につかんということでしょうが、再訪はもう「想定内の喜び」に過ぎないこととなるから、皮肉なことであります(笑)。(湯の沢温泉) まあ、なんにせよ素敵で有意義な桜旅でありました。桜旅 一人し行けど 酒酌めば 日英親善 民間外交 (日英旅人) 全1110kmの超ロングドライブお疲れ様でした。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.05.17
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(承前) 前頁の銀輪散歩のつづきです。(ヒナキキョウソウ)<参考>キキョウソウとヒナキキョウソウ ヒナギキョウ・Wikipedia ヒナギキョウの葉 ヒナギキョウ、キキョウソウ、ヒナキキョウソウとあって、ややこしいのであるが、これはヒナキキョウソウだと思われる。 ヒナギキョウがキキョウ科ヒナギキョウ属の植物であるのに対して、キキョウソウとヒナキキョウソウはキキョウ科キキョウソウ属の植物であるのだが、ヒナギキョウは花茎が細長く立ち上がり、葉は花茎のずっと下の方に付くのみで、葉の形状も異なるから、ヒナギキョウでないことは一目瞭然である。 キキョウソウとヒナキキョウソウとの違いは上記参考記事をご参照いただくと分かりますが、キキョウソウは下から順に花が咲き、同時に複数の花を咲かせているのが普通であるのに対して、ヒナキキョウソウは最上部の花一つのみが開花し、他の花は閉鎖花で開花しない、ということなので、ヒナキキョウソウであると判断した次第。(同上) 次はハクチョウゲ。(ハクチョウゲ)<参考>ハクチョウゲ・Wikipedia アカネ科ハクチョウゲ属の常緑広葉低木。 チョウジ(丁字)の花に似た花を付けることから白丁花という和名が付けられたとのこと。白鳥花とも表記されるが、これは当て字で白鳥とは無関係だそうです。 当て字なら白蝶花の方がいいかと思うが、これはガウラ(白蝶草)と紛らわしくなるから、NGですかね。(同上) ハクチョウゲの葉は揉むと悪臭を放つらしいが、試していないので、いかなる悪臭かは不明。今度、試してみるか。(同上) 次は、トベラ。 恩智川畔で見かけたものです。(トベラ)<参考>トベラ・Wikipedia トベラについては、その実は何度か記事にしているが、花についてはこれまでとり上げたことがないように思う・・とまで書いて、念の為と調べてみたら伊勢志摩銀輪散歩の記事で花の写真を掲載しているのでした。<参考>銀輪花逍遥(その4)・トベラとシャリンバイ 2010.12.21. 伊勢志摩銀輪散歩(その1) 2010.5.14.(同上) 花は咲き始めは白っぽい色であるが、日を経過すると黄色に変化してゆくようです。まあ、白い花は大抵がそうですが。 トベラも上のハクチョウゲと同じく、その枝葉は切ると悪臭を発するとのことであるが、これも未だ如何なる悪臭かは未体験。 悪臭であるから、試してみようと思いつつも余り気の進むものでもなく、ついつい先送りになってしまうというもののようです。(同上)(同上) 同じく、恩智川畔のシャリンバイです。 花園中央公園の桜広場にあるシャリンバイはピンク色の花であるが、これは白花である。まあ、白い花のシャリンバイの方がよく見かける。(シャリンバイ)<参考>シャリンバイ・Wikipedia バラ科シャリンバイ属の常緑広葉低木。 上のトベラと同様、よく見かける木なので、シャリンバイもこれまで何度も記事に登場している。<参考>銀輪花散歩・パンジーの人相と山茶花、辛夷、車輪梅 2015.12.16.(同上)(同上) 最後は、タンポポ。 今月の墓参の折に見つけたタンポポがすべて外来種の西洋タンポポであったので、在来種の日本タンポポも健在であることを示すため、以下に掲載するものであります。<参考>花散歩・墓参の道すがら 2024.5.6.(タンポポ)<参考>タンポポ・Wikipedia セイヨウタンポポ・Wikipedia(同上)(同上)(同上)(同上) 小さな蜂が花の褥でまどろんでいます。(同上) 以上、前頁記事の12種と当頁記事の5種、合せて全17種の銀輪花散歩終了であります。(完)<参考>花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.05.13
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ヤカモチの銀輪散歩の起点としている花園中央公園。 最近、このような新しいエリアが完成しました。 入口には「桃の花園」という石標があり、中に進むと「桃の小道」という石標もあるから、桃の木が植えられているエリアなんだろう。桜の広場の北側に隣接したブロックである。来春には桃の花が楽しめるかもしれない。(花園中央公園・桃の小道) さて、先ずはこの花園中央公園で見かけた花を紹介します。(ヒメコバンソウの霧の中に咲く花) 点々とヒメコバンソウが霧のように穂を散りばめる中に咲いているのは、オルレア(白い花)とヤグルマギク(青い花)とヒルザキツキミソウ(ピンクの花)。 ヒメコバンソウが自然に生えた結果の眺めなのか、意図してこのような眺めを現出するためにその種子を蒔いた結果の眺めなのか。 後者なら、なかなか粋でお洒落な演出である。(ヒメコバンソウ)<参考>ヒメコバンソウ・Wikipedia ヒメコバンソウを接写してみましたが、風に揺れるのでピンボケの写真になってしまいました。以前の記事に掲載した写真の方がもう少しましかもと思うので、その記事のリンクを貼って置きます。<参考>墓参・立夏、花散歩 2018.5.9. 次は、ヒルザキツキミソウ。(ヒルザキツキミソウ)<参考>ヒルザキツキミソウ・Wikipedia 北米原産の帰化植物らしいが、最近は野生化して道端などでもよく見かける花となっている。 そして、ヤグルマギク。(ヤグルマギク)<参考>ヤグルマギク・Wikipedia我妹子が 好きとふ花の 矢車菊 近頃余り 見なくあるかも (偐家持) この花、近ごろは余り目にしなくなった気がするが、気の所為か。 ヨーロッパ原産の雑草が園芸用に改良された花で、ドイツやフランスなどの国花にもされている花。日本に入って来たのは明治期。 この植物はかつてはヤグルマソウとも呼ばれていたそうで、ヤカモチもヤグルマソウと呼んだり、ヤグルマギクと呼んだりしていたのだが、ユキノシタ科のヤグルマソウという植物が別に存在することから、これとの混同を避けるため、現在はヤグルマギクという名で統一されているとのこと。 ヤカモチも今後は、ヤグルマギクに統一することにします。 次は、ムギセンノウ。(ムギセンノウ)<参考>ムギセンノウ・Wikipedia この花を初めて見た時の第一印象は、ムラサキカタバミのお化けというものでありましたが、それは、調べてみると7年前のことでありました。<参考>墓参・花散歩・ムギセンノウでありましたか 2017.6.10.(イモカタバミとネモフィラ)<参考>イモカタバミ・Wikipedia ネモフィラ・Wikipedia イモカタバミは、かつてはフシネハナカタバミの亜種とされていたが、現在は両者ひっくるめてフシネハナカタバミという名に一本化されていて、イモカタバミというのは園芸上の呼称だとのこと。 ネモフィラは、ムラサキ科ネモフィラ属の植物の総称で北米大陸に11種が分布しているとのこと。 園芸上ネモフィラと呼ばれる品種(英名five spotまたはbaby blue eyes)の和名はルリカラクサ。 次は、シャクヤク。 「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」のシャクヤク。 この言葉は美しい女性の姿の比喩として語られることもあるが、実際は婦人の生薬の用い方を示す漢方の言葉だとする説もある。即ち、イラ立ちやすい女性には芍薬の根を、坐りがちの女性には牡丹の根の皮をフラフラ歩く女性には百合の根を用いるとよいという意味なのである。(シャクヤク)<参考>シャクヤク・Wikipedia このシャクヤクはすっくと立って居らず、横に延びたり、傾いたりしている上、背丈も低いから「坐っているのに芍薬」の口であるか。 美人の比喩ともされるシャクヤクとは正反対のニワホコリという草。 カゼクサかと思ったが、随分と小型なのでニワホコリだろうというのがヤカモチの見解。(ニワホコリ?)<参考>ニワホコリ・Wikipedia そして、コメツブツメクサです。(コメツブツメクサ)<参考>コメツブツメクサ・Wikipedia コメツブウマゴヤシ・Wikipedia 往々にしてコメツブツメクサはコメツブウマゴヤシと間違えられるというから、ひょっとするとコメツブウマゴヤシであるかもしれない。 両者の違いは、コメツブウマゴヤシの方がコメツブツメクサより一回りサイズが大きいとのことだが、単独で観察している段にはサイズ感だけでは区別が難しい。(同上) 次は、シロバナマンテマ。(シロバナマンテマ)<参考>マンテマ・Wikipedia マンテマの花を初めて見たのは、富山を銀輪散歩していた時のこと。<参考>魚津から富山へ銀輪万葉(その2) 2011.5.23. この時は、花の名を知らなかったのですが、友人の小万知さんからマンテマだと教えていただいたのでした。その後、何度かこの花を記事に取り上げている。<参考>銀輪花散歩・水無き月の空の下にも 2017.6.1. 銀輪花散歩・白赤黄色 2019.5.27. 銀輪花散歩・クローバーやマンテマなど 2020.5.21.(同上)(同上) 最後は、ヘラオオバコ。(ヘラオオバコ)<参考>ヘラオオバコ・Wikipedia(同上) ヘラオオバコはヨーロッパ原産の帰化植物。江戸時代に日本に侵入。 河原や海岸べりなどでよく目にするが、最近は公園などでもよく見かけるようになった。(同上) もう少し、銀輪花散歩を続けますが、本日はここまでとします。 (つづく)<参考>花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.05.12
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第29回和郎女作品展 今日は和郎女さんの作品展であります。前回(3月30日)の若草読書会にお持ち下さった作品を撮影させていただいたものであります。(端午の節句とワンちゃん) 端午の節句は過ぎてしまいましたが、まだ5月ということで、お赦しいただきましょう。(端午の節句のミニタペストリー) 次は牡丹です。 撮影しながら「次はバラの花」と呟いたら、隣に居た和郎女さんから「牡丹です。」とNGを出されてしまいました。 確かに「葉の形状がバラとは違っている。」のでしたが、これは、口には出さなかったので、「花もバラとは違っているでしょ。」というNGを受けることはありませんでした(笑)。(牡丹)閻王の口や牡丹を吐かんとす (与謝蕪村)牡丹散てうちかさなりぬ二三片 (同上)牡丹の句百句作れば死ぬもよし (原石鼎)牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ (木下利玄) 次は、ミズバショウ。 水芭蕉で思い出すのは「夏の思い出」という歌。 ♪夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空・・(ミズバショウ)石狩の雨おほつぶに水芭蕉 (飯田蛇笏)山めぐる夜明の風や水芭蕉 (水原秋櫻子)水芭蕉しづかな時間通りけり (加藤秋邨) そして、朝顔と金魚。(朝顔と金魚)ありとても 頼むべきかは 世の中を 知らするものは あさがほの花 (和泉式部 後拾遺集317)朝顔の花の命や夏の雨 (正岡子規)朝顔やあしたはいくつ開くやら (同上)朝顔やあてありさうにのびる蔓 (同上)いつ死ぬる金魚と知らず美しき (高浜虚子)夜店の金魚 すくはるるときの かがやき (種田山頭火)やはらかに金魚は網にさからひぬ (中村汀女) 最後は、苺です。(苺)ほろほろと手をこぼれたるいちご哉 (正岡子規)玻璃盤に露のしたたる苺かな (夏目漱石)流水にたれて蟻ゐる苺かな (飯田蛇笏)葉のかげの蔓に見えゐる苺かな (原石鼎) そして、オマケはこれ。(ドラゴンズ) これは、恒郎女邸の玄関先に飾られていたのを撮影させていただいたもので、先日の読書会にお持ちいただいたものではありません。 しかし、同じく和郎女作品でありますので、友情出演です。 作品の性格から言えば、今年2月5日開催の第28回展で紹介させていただいた方が、よりマッチしたものになっていたかと。 なお、ドラゴンズというタイトルになっていますが、これらタイトルは編集の都合上、ヤカモチが勝手に付したものでありますので、作者の意向とは無関係。 さて、ドラゴンズというタイトルにしたのは、恒郎女さんが中日ドラゴンズのファンだということを意味してのものでは勿論ありません。恒郎女さんは根っからの阪神タイガースのファンなのであります(笑)。 以上、第29回和郎女作品展でありました。<参考>和郎女作品展の記事一覧はコチラ。 フォト蔵アルバム「和郎女作品集」はコチラ。
2024.05.09
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今日は囲碁例会の日。 前回は小雨の中の銀輪行となりましたが、今日は、朝のうちは所により俄か雨の可能性もあるという予報であったので、ザックには念のため雨具を入れて家を出ましたが、雨が降る気配はなく、梅田スカイビルに着いた頃にはご覧のような青空でした。(梅田スカイビルの中庭・ワンダースクエア) ところが、駐輪場が満車で駐輪できない。来る途中で昼食を済ませていたので、自転車・MTBを手押ししながら中庭・ワンダースクエアの奥にある喫煙所に行き、そこでタバコを喫いながら時間潰し。(同上) 再び、駐輪場近くまで戻って来ると、一人の男性が駐輪場に入って行くのが目に止まりました。急いで後を追うと、予想通りで一台の空きが生じました。無事、駐輪ができたのでやれやれです。会場の部屋へと向かう。 ヤカモチの一番乗り。少し遅れて平〇氏ご来場。 同氏と打ち始めたところで村〇氏がご来場。 平〇氏との碁は10目余のヤカモチの負け。 本来なら、勝者である平〇氏が村〇氏と碁を打つところであったが、同氏が「ちょっと休憩したいので・・」と仰るので、続けてヤカモチが打つことになる。村〇氏との碁は、終盤に入っても勝敗の行方が読めない拮抗した展開となったが、半目差でヤカモチが辛うじて勝利。 ということで、本日は1勝1敗。これで、ヤカモチの今年に入ってからの成績は12勝5敗。 最後は、村〇vs平〇戦であったが、これは平〇氏の中押し勝ちとなりました。(大阪城公園の銀杏並木・桃園付近) 今日は写真を4枚撮っただけ。 この頃は、自宅から梅田スカイビルまで直行直帰というのが続いているので、写真撮影もサボり勝ち。 横枕南公園でタバコ休憩をしていると、近くの工場からチャイムの音。 時刻を見ると午後5時。(横枕南公園) 写真の自転車がマイMTB。 この頃は、努力義務であるヘルメットを着用してMTBに乗っています。 帰宅は午後5時25分でした。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.05.08
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5月2日の墓参の道すがらに見かけた花たちです。(ウキツリボク)<参考>ウキツリボク・Wikipedia この植物については、アブチロン、別名チロリアンランプという風に漠然と記憶していたが、和名はウキツリボク(浮釣木)で、アブチロンというのは、英名ではtrailing abutilonとかbrazilian abutilonと呼ばれるように、その属名を指した言葉であるということなどを、今回知りました。(同上) これは、アメリカフウロ。 在来種のゲンノショウコと同じ仲間で、北アメリカ原産の帰化植物。 1932年に京都で発見されたそうだが、今は全国に広がり道端などでよく目にする植物である。(アメリカフウロ)<参考>アメリカフウロ・Wikipedia(同上) この写真、ちょっと気に入っています。道の辺の アメリカフウロ 今日もかも そひてたぐひて 二人しあらむ (偐家持) かたわらには、コマツヨイグサも咲いていました。(コマツヨイグサとアメリカフウロ) これは、墓地入口手前のお宅の石垣を覆い尽くすように生え広がっていたオボロヅキの花。(オボロヅキ<朧月>) オボロヅキというのは園芸植物としての呼び名かと思うが、グラプトペタルム・パラグアイエンセ(graptpetalum paraguayense)というのが品種名。 グラプトペタルム属の多肉植物で、昭和初期の園芸ブームの際に日本に入って来たものだそうだが、今や一般家庭で最も親しまれている多肉植物のひとつになっているとのこと。 その名の通り当初はパラグアイが原産地と考えられていたそうだが、実際はメキシコが原産地だとのこと。(同上) カラスノエンドウよりもスズメノエンドウの方がヤカモチには好ましく見える。どちらもはびこるが、カラスノエンドウほど図体が大きくないので、のさばっている感じがせず、つつましいものに見える所為かもしれない。 しかし、このような印象は相対的なものに過ぎないのだろう。 両者の中間位の大きさのカスマグサという同じ仲間の植物もあるのが愉快である。<参考>ヤハズエンドウ・Wikipedia スズメノエンドウ・Wikipedia カスマグサ・Wikipedia(スズメノエンドウ)(同上) カラスノエンドウは、農耕開始期の古代には作物として栽培されていたということが考古学的に証明されているようだが、若芽や若い豆果は食用になるとのこと。熟した豆も炒れば食べられるとのこと。 しかし、スズメノエンドウは小振り過ぎて食べ応えがないから、食用には不向きなんだろう。雀たちの食糧としてヒトは手出しをしないで置きましょう。(同上)(同上)(ツボミオオバコ)<参考>ツボミオオバコ・Wikipedia 在来のオオバコに比べて適応力、繁殖力が旺盛なのか、最近はこの北米原産のツボミオオバコやヨーロッパ原産のヘラオオバコなど帰化品種が幅をきかせていて、在来種は何やら日陰に追いやられている感じで影が薄くなっている気がする。 そしてテイカカズラ。(テイカカズラ)<参考>テイカカズラ・Wikipedia 万葉で「いはつな(石綱)」、「つた(都多)」として登場する植物は、このテイカカズラ(定家葛)のこととされている。 以前にも紹介したことがあると記憶しますが、その万葉歌を再掲載して置きます。石綱いはつなの また変若をちかへり あをによし 奈良の都を また見なむかも (万葉集巻6-1046)(岩に這う蔦のようにまた若返って、<あをによし>奈良の都をまた見るようになるだろうかなあ。)(同上)(同上) 次の花は、冒頭のウキツリボクの石垣のお宅の庭先に咲いていた花。 ネット検索で、トリトニア・パーヴァラ、和名はヒメアヤメという名前の花であることが分かりました。(トリトニア・パーヴァラ<ヒメアヤメ>) ハゴロモジャスミンは、墓地への坂道の上りかけたばかりのお宅の垣根に咲いていたもの。ジャスミンのような強過ぎる匂いを放つので、ヤカモチはどちらかと言えば苦手に属する花である。 上掲のテイカカズラもジャスミン系の香を放つが、かすかにそれと感じる程度なので問題はないが、ハゴロモさんは「過ぎたるは及ばざる」の香なのである。(ハゴロモジャスミン) 次は、ヒメツルソバ。(ヒメツルソバ)<参考>ヒメツルソバ・Wikipedia ヒマラヤ原産で、日本には明治期にロックガーデン用として導入されたとのことであるが、近ごろは雑草化して道端のあちこちによく見かける花である。 そして、ノゲシとクサイチゴとムラサキカタバミ。(ノゲシ)ノゲシ・Wikipedia(クサイチゴ<冬苺>)<参考>野いちごの仲間たち・いちご大学(同上)(ムラサキカタバミ)<参考>ムラサキカタバミ・Wikipedia(同上) 最後は、タンポポ。 もっとも、これはセイヨウタンポポ。 在来種のタンポポは花の基部を包んでいる緑の部分、総苞に反り返りがないが、写真のタンポポには総苞に反り返りが見られるから外来種のタンポポであることが分かる。 但し、在来種と外来種との交雑が進んで居り、交雑種のそれも反り返っているから、セイヨウタンポポなのか交雑種タンポポなのかは判別は難しい。(セイヨウタンポポ)<参考>タンポポ・Wikipedia セイヨウタンポポ・Wikipedia(同上)(同上) 以上、本日は花散歩記事でありました。<参考>花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.05.06
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一昨日(5月2日)は月例の墓参でした。(墓地) 恒例の門前の言葉は、この墓地への坂道を上って来る途中にある寺の門前に掲示されているのだが、未更新で前月のそれと同じものが掲示されたままであったので、撮影せずスルー。 往復の道すがら、目にとまった花などをいくつか撮影しましたが、それらは別途花散歩として記事にすることとしますので、当記事では虫散歩という形で記事にさせていただきます。 というのは、墓参の帰り道で、ナガサキアゲハという余り見かけない蝶を目にしたからであります。(ナガサキアゲハ♂) 遠目にはクロアゲハかと思われた蝶が飛んできて、休耕田の一角の小石などが敷き詰められた場所に着地しました。 かなり距離がありましたが、じっとしたままなので、慎重に背後から接近し、撮影。(同上) 一向に逃げようとしないので、更に接近して撮影。(同上) 更に、もう一枚撮影。(同上)<参考>ナガサキアゲハ・Wikipedia 撮影している時はクロアゲハを撮っているつもりでいましたが、撮った写真をよく見ると、アゲハチョウによく見られる、左右後翅の尾状突起がないことに気が付きました。で、調べるとナガサキアゲハという蝶のオスであることがわかりました。ヤカモチは初めて目にする蝶である。 南方系の蝶で、「1940年代には山口県西部や高知県南部、1960年代には淡路島へと徐々に北上し、21世紀初頭には福井県や神奈川県西部の太平洋側で越冬が確認されている」(Wikipedia)というから、今は近畿でも身近にみられる蝶なのかもしれない。しかし、ヤカモチが昆虫に関心を持ったのは小学生時代の一時期のことに過ぎないので、その頃の知識でストップ状態。 従って、これまで目にすることがあっても遠目のことなのでクロアゲハだと思っていたのかもしれない。 2009年には宮城県名取市でも成虫が確認されているらしいから、地球温暖化で成育圏を北へと広げているようで、温暖化の指標種として注目されているそうです。 この蝶だけでは、虫散歩とはならないので、他の虫も。(ヤブジラミとテントウムシ) ヤブジラミといっても虱の仲間ではなく、白い小さな花をつけた植物のことで、虫ではありませんので無視してください。 虫はテントウムシの方であります。 テントウムシはヤブジラミではなく手前側のカラスノエンドウの方にとまるつもりでいたのでしょう。 カラスノエンドウにはアブラムシがびっしりとつくことがあるので、これを餌とするテントウムシもよくやって来ます。 しかし、見たところ写真のカラスノエンドウにはアブラムシらしきものが見当たりません。で、ヤブジラミの方に迷い込んだのかも。こいうのはヤブから棒ではなく、ヤブヘビと言いますかな(笑)。 テントウムシの幼虫もいました。 (テントウムシの幼虫) そして・・。(キマダラカメムシ) こちらは、キマダラカメムシの成虫。 桜の木などでよく見かけるカメムシですが、これは草むらにいます。 まあ、虫も好みは色々でしょうから、それがどこであれ一定棲家ぞかしであります。 そして、最後は虫こぶ、虫癭であります。(虫こぶ エノキハトガリタマフシ) これは、エノキトガリタマバエによるエノキハトガリタマフシという虫こぶである。一昨年の5月の墓参の記事でもこれを取り上げて記事にしているので、再述はしません。コチラ(虫散歩・虫こぶと繭 2022.5.3.)をご覧ください。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。
2024.05.04
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今日は囲碁例会の日。小雨の降る中ではありましたが、雨具を着て梅田スカイビルまで銀輪散歩。(大阪城公園・噴水広場) はい、皆さんご覧のように傘をさして居られます。 しかし、大した雨ではない。(同上・雨で新緑が美しい) 雨に濡れた森の景色。新緑が雨で映える。 根方にはシランが咲いて・・彩りを添えています。 画像をクリックして大きいサイズの写真でご覧いただくとシランも見て取れます。 大阪城公園は通り抜けるだけ。 天満橋を渡った先の滝川公園で小休止。 この公園から向かいの寺の門前の言葉を撮るのが最近のパターン。(今日の言葉)あやまちは人生を決めないあやまちのあとが人生をきめる なるほど。なるほど。 たばこを一服。水分補給をして出発。 梅田スカイビルの駐輪場に自転車をとめて、地階への階段を下りて行くと、平〇氏の姿。もう食事は済まされたとのことなので、ヤカモチひとりで、例の全席喫煙席という喫茶店で昼食。 昼食を済ませて部屋に行くと、平〇氏が碁盤などを設営して、待っていて下さいました。 早速、同氏とお手合わせ。ヤカモチが先番の黒石。 序盤で左辺の黒石数目を取り込まれて、少し難しい立ち上がりとなりましたが、結果的にはそれを捨て石にして右辺、下辺に黒石のいい模様ができる。これを荒らすべく打ち込んで来た白石を攻め、結果的には大石となった一団の白石を殺すことができて、ヤカモチの中押し勝ち。 対局中に青◎氏がご来場。2局目の対戦相手は青◎氏。これも中押し勝ちとなり、ヤカモチは2戦2勝。 最後は、平〇vs青◎戦でしたが、これは平〇氏の勝利。 ということで、ヤカモチの今年に入ってからの成績は11勝4敗。好調を維持していますな。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.05.01
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(承前) 前頁記事の続きです。この日(4月23日)は、白山公園から信濃川沿いにふるさと村へと銀輪散歩であります。 白山公園で見かけたカラタチの花の写真から始めます。(カラタチ) カラタチの万葉歌と言えば・・。 「忌部首いむべのおびとの、数種くさぐさの物を詠みし歌一首」という題詞が付された、この歌が1首あるのみ。枳(からたち)の 茨(うばら)刈り除(そ)け 倉建てむ 屎(くそ)遠くまれ 櫛(くし)造る刀自(とじ) (忌部首 万葉集巻16-3832) 「カラタチの原を刈り上げて倉を建てよう。糞は遠くでなされよ、櫛造りのおかみさん」というナンセンスな戯れ歌であるが、これで万葉植物の仲間入りを果たしたカラタチとしては複雑な心境でしょうな(笑)。(同上) このように棘のある植物には邪を払う呪力があると考えられていたこともあり、かつては生垣などによく利用されたのだが、最近は殆ど見かけなくなった。(カラスノエンドウ) こちらは、何処にでも見かけるカラスノエンドウであるが、気の所為か大阪で目にするものより花が大きく色も濃いようです。(同上) 信濃川べりの、やすらぎ堤と呼ばれている土手道に上がると、チューリップとサトザクラが花の時期。(やすらぎ堤のサトザクラ) ソメイヨシノは散ってしまった後だが、八重のサトザクラが丁度満開の見頃である。(同上・サトザクラとチューリップ)(同上・チューリップ) こちらのチューリップの奥に見えている並木がソメイヨシノのそれであるが、ご覧の通り、咲き遅れた花がわずかにあるのみで、遠目では葉が目立つだけ。(同上)(同上)(同上・カモ) 信濃川の川面に居たカモ2羽が連れだって飛び立ち、こちら岸の緑地の中ほどに着陸。そこからヒョコヒョコと歩いてチューリップが植えられている近くまでやって来た。何かをついばんでいる。 驚かせないように気配を殺してゆっくりと接近すると・・。(同上) ミミナグサか何か、草を盛んについばんでいます。 カモは水草などを食べているのかと思っていましたが、陸上の植物なども食べるのですな。 しばらくすると、1羽のカラスが飛来。 その気配をいち早く察知、カモ2羽は川面へと避難。 カラスのカモにされてはかなわん、ということか。 サギのカモになっているヒトが多いこの頃、ヒトもカモを見習うべし。(JR越後線) やすらぎ堤から越後線白山駅の方へと渡れる、線路に沿った陸橋の道があったので、そちら方向へ寄り道。 すると、白山駅を出た列車がやって来たので、去って行く列車を追っかけ撮影。すぐにカメラを取り出したのだが、シャッターを押せた時には走り去って行く列車の後ろ姿になっていました。 列車は、間もなく信濃川に架かる鉄橋を渡り新潟駅に行くのだろう。 白山駅の手前にはヤマザクラでしょうか、桜が咲いていました。(白山駅近くの線路沿いの桜)(同上) そしてサツキツツジも満開。(白山駅近くのツツジ) やすらぎ堤に戻り、ふるさと村へと向かうことに。 信濃川左岸の道は、本川大橋のところで、関屋分水路に架かる関屋大橋に回り込み、これを渡って、上流へというのがそのルートになる。(関屋大橋の上から信濃川上流を望む。) 画像の右手が左岸。 左岸の土手道を上流へと向かうと、ふるさと村である。 画像の左手方向が水門を備えた本川大橋で、信濃川本流は左手へと流れて海へと至る。画像の手前側が関屋分水路で、信濃川の水量が増大した場合などは水門を閉じて、この関屋分水路により、ショートカットで海へと川水を逃がすのであろう。 さて、ふるさと村までは大した距離ではないので、すぐに到着である。 丁度、チューリップの季節とあって、ふるさと村の花壇はチューリップ一色でありました。(ふるさと村のチューリップ)<参考>道の駅・新潟ふるさと村(同上) 奥に見える青屋根の建物が野菜や果物、海産物など新潟の物産を販売する店や食事処のある施設である。(同上)(同上)(同上) ふるさと村を出て、来た道を引き返します。 チューリップの花を見過ぎた目には、このような葦の色彩に乏しい景色が却って好ましいものに見える。(やすらぎ堤の葦) 翌4月24日は雨で銀輪散歩はお休み。 25日は竹内式部めぐりの銀輪散歩でありましたが、これは前頁記事で紹介済みです。 ということで、新潟銀輪散歩終了。26日空路で帰阪です。 帰路の飛行機でウトウトしていたら、急降下があったのか、ガクンというかバタンというか大きな衝撃があって目が覚めました。 窓の外を見やると雲の中にて何も見えず。 やがて雲の下へと降下して、奈良盆地上空に入ったようで、眼下に見覚えのある箸墓古墳が見えて来ました。(上空から箸墓古墳 左下部) 左下部に写っている大きな古墳が箸墓古墳。 その上部左手中ほどから右下隅にかけて流れている川が大和川。 上流部分は三輪川、初瀬川(泊瀬川)などとも呼ばれる。 そして、金剛山と葛城山。(上空から金剛山<奥>と葛城山<手前>) 生駒山系高安山上空から大阪府上空に入り、さらに高度を下げて、大阪城公園付近の上空へとさしかかる。(上空から大阪城公園) はい、間もなく伊丹空港に着陸です。(完)<参考>銀輪万葉・新潟県・長野県篇
2024.04.30
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(承前) 前頁記事の竹内式部めぐりの途中、NSG美術館の前の道を東に進み、広い通りに出た左側角にあったのが砂丘館。旧日本銀行新潟支店長役宅だとのことだが、何やら書展が開催されているようなので立ち寄ってみた。(砂丘館・旧日本銀行新潟支店長役宅)(同上)(同上・パンフレット1)※パンフレットは、画像をクリックして大きいサイズのフォト蔵写真でお読みいただくのがいいかと思います。(同上・パンフレット2) 砂丘館は、旧日本銀行新潟支店長役宅の通称。昭和8年(1933)建設で、戦前の日本銀行の役宅として現存するのは新潟と福島(昭和2年建設)の二つだけとのこと。 当初は西堀前通り六番町にあったが、柾谷小路の拡幅にかかり、現在地に移転。平成11年10月まで、8代から37代までの30人の支店長が居住。 平成11年日本銀行が新潟市に売却。平成12年6月から一般公開されてきた。平成17年指定管理者の公募が行われ、7月から芸術・文化施設として新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体による管理・運営に移行している。(砂丘館の庭から) 砂丘館という名称は、新潟砂丘の上に立地していることに由来するのだろう。 さて、開催されていた書展というのは、新潟県下田村(現三条市)出身の書家、横山蒼鳳氏(1934年~2012年)の書展でありました。 同氏のことは何も存じ上げないが、通りがかったのも何かのご縁。入館無料でもあれば、建物内の見学も兼ねて書展も見せていただくことに。(横山蒼鳳展) 玄関の戸を開けると、「出杭人生」という大きな書が目の前に。(横山蒼鳳展1)(横山蒼鳳展2)(横山蒼鳳展3) 部屋や廊下などにさりげない形で書が展示されている。 「私は日本人として日本人にわかる文字で、しかも自分の言葉で書かないと、自分が書いたことにならない。そういう思いが念頭を去らない。」というのが同氏の書ということなんだろう。(横山蒼鳳氏プロフィール) 奥の土蔵が砂丘館ギャラリーになっていて、そこが主たる作品の展示会場になっている。 同氏プロフィールによると「青年期、會津八一の薫陶を受け、」とあるから、竹内式部めぐりのかたわら、會津八一の歌碑や墓にも立ち寄った今回の銀輪散歩ということで、少しはつながりもあるということになるか。(横山蒼鳳展4) はい、蔵に足を踏み入れるとこんな感じで作品が展示されているのでありました。(横山蒼鳳展5)(横山蒼鳳展6) 蔵の2階にも作品が展示されている。2階に上がってみる。(横山蒼鳳展7)(横山蒼鳳展8 同氏の著作) はい、1階に戻りました。(横山蒼鳳展9) 「長命は最高の芸術」でありますか。 「長生きも芸のうち」という言葉もありますが、超高齢化社会となった現在の日本、最高の芸術家、芸達者が多数を占めているということになりますな(笑)。我が国最初の芸術家とも言われるのが大伴家持。1306歳の偐家持ともなると超最高の芸術家と言うべきであります(笑)。(横山蒼鳳展パンフレット)(同上) 砂丘館を出て、白山神社へ。(白山神社)<参考>白山神社(新潟市中央区一番堀通町)・Wikipedia(同上・随神門)(同上・拝殿)(同上・境内図) 戦国時代の一時期、白山神社・白山公園内には新潟城があったとのこと。(同上・幻の新潟城) 日付は前後しますが、下編は信濃川沿いをふるさと村まで銀輪散歩いたします。(つづく)<参考>銀輪万葉・新潟県・長野県篇
2024.04.29
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先日(4月25日)、新潟まで銀輪散歩に出掛け、竹内式部にゆかりの場所を巡って来ました。 2018年6月10日の記事で、白山公園の竹内式部顕彰碑の写真を掲載したことがありました。その折に竹内式部という人物のことや宝暦事件のことを初めて知り、いずれは彼にゆかりの場所を回ってみようと思っていたのでしたが、いつの間にか忘れてしまっていました。 そんな折、ブロ友・MoMo太郎氏の昨年10月31日の記事で、東京都葛飾区の宝蔵院の本尊・木造薬師如来立像が竹内式部の菩提を弔うために安置されたものであるということを知り、竹内式部のことを思い出したという次第。 <参考>竹内式部 2018.6.10. 金町からたどる下町歩き(その9)宝蔵院 2023.10.31. ということで、かつて海岸沿いの自転車道を銀輪散歩した際に日和山付近で目にしたと記憶する竹内式部の墓を目指す。 万代橋を渡り、寄居町交差点から北に入り、西大畑公園経由、市立美術館の西側の道を北進。しかし、遠い記憶だけが頼りとあっては心もとない限りで、なかなか見つからない。そこで、海岸べりの自転車道に出てみることにすると、どうやら行き過ぎていたようで、自転車道を南へと戻る。 記憶では海べりの白い展望台付近で、「←竹内式部墓」の案内表示板があった筈。果たして、展望台から少し南に行ったところにそれがありました。 案内表示板の「←」に従い、東に入り、坂道を下って行くと竹内式部の墓がありました。(竹内式部墓)(同上・副碑) 時計を見ると正午になっていたので、市立美術館まで戻り、館内にある喫茶店、こかげカフェで昼食とする。 昼食後、二葉公園にあるという竹内式部の銅像へと向かう。 この銅像も以前目にしているのだが、その場所の記憶が曖昧。二葉公園だろうと思われる場所を目指し行くと、運よくそれが的中。(竹内式部像・二葉公園)(同上) 銅像の台座には至誠奉公の銘が刻されている。(同上)(同上)(同上・副碑) 副碑全文は次の通り。 竹内式部(1712~67) 當地の医家に生る。青年の日、上洛して徳大寺家に仕え、儒学、神道を修め、後、家塾を開く。説くところ、神道に基づく尊王思想なり。少壮の公卿多く師事してその感化により朝廷の権威回復を志し、為に宝暦九年(1763)京都を追わる。宝暦事件と云い、尊王論者処罪の最初の事件とす。後、友人藤井右門、明和三年(1776※)を起こすや、累式部に及び、翌四年八丈島へ流罪の途中十二月五日寄港地三宅島にて病没す。※1766の誤り 遺蹟 墓 共同墓地 碑 白山公園 生地跡 本町九 祠堂 本覚寺 碑 入船地蔵 竹内式部や宝暦事件、明和事件の詳細については、下記<参考>をご参照ください。<参考>竹内敬持・Wikipedia 宝暦事件・Wikipedia 明和事件・Wikipedia 二葉公園は椿の木が沢山植えられていて、公園東側の道路は「椿の道」と名付けられているようだ。竹内式部像の近くにも椿の木が沢山あって、白い花、赤い花、ピンクの花が、盛りの時期は既に過ぎているようだが、それでもまだ沢山の花が咲いていた。前回立ち寄った際は椿の花の時期ではなかったようで、椿の花の印象はない。何やら薄暗い一角にひっそりと場違いにそれがあったという印象の記憶は、背の高い椿の木々が取り囲んでいたことによって醸されたその場の空気の所為であったのだろう。 誰かが植えたのか、それとも棄てられた球根が芽を出したのか、黄色と赤が混じった大きなチューリップの花が一輪、木の根元に咲いていました。 椿の木の背後の大きな木が枝を横に広げ、椿の葉が繁る背後からこれを突き破る形でこちらに飛び出した枝に樫や椎の花に似たものをつけていました。(ヤマグワの雄花であるか?) 葉を見ると、樫や椎のそれのように厚いものではなく、落葉樹のような薄い葉である。ということで、ヤマグワの雄花ではないかと推定したが、確証がないので、「?」付きで掲載して置きます。(同上) 二葉公園の東側の道、椿の道を南に辿ると、以前は會津八一記念館であったNSG美術館の前に出る。(NSG美術館) 會津八一記念館は現在は新潟市中央区万代3-1-1メディアシップ5階に移転しているが、會津八一記念館であった頃の名残が美術館前の歌碑である。(會津八一歌碑)(同上・副碑)於りたては なつなほあさき しほ可せの すそふきかへす ふるさとのはま (會津八一「寒燈集」)<参考>會津八一記念館であった頃に此処を訪ねた記事 長岡 2008.5.20. ヤカモチには「ふるさとの浜」ではないが、日本海、新潟の海岸を、西海岸公園越しに眺めてみることにします。(西海岸公園) この坂を下ると海岸である。海沿いには自転車道が通っているのだが、今回は一瞥のみ。 では、今回の銀輪散歩のそもそもの発端となった、白山公園の竹内式部顕彰碑を再訪してみることにしましょう。 寄居町交差点に戻り、東中通りを南に下ると新潟市役所前に出る。左折して東に行くと新潟地方裁判所である。(新潟地方裁判所) 裁判所の道路向かい南側が、白山神社、白山公園である。(竹内式部顕彰碑)(同上・副碑) 白山公園を出て、裁判所の東側の道、西堀前通りを北上すると、會津八一の墓があるという瑞光寺。 立ち寄ってみる。(會津八一墓・瑞光寺) 墓の隣に歌碑もある。(會津八一歌碑・瑞光寺)(同上・副碑)ふるさとの ふる江のや奈ぎ は可くれに ゆふべのふねの ものかしぐころ (會津八一「鹿鳴集」) 八一の墓の左隣には高浜虚子の句碑。(高浜虚子句碑・瑞光寺)三羽居し春の鴉の一羽居ず (虚子) 瑞光寺を出て、西堀前通りを北上。 本覚寺にあるという竹内式部の墓を目指すが、本覚寺がこの通りに面してあるのかどうかも不明。 途中に寺の名を列記した碑があったのでそれをのぞき込むと瑞光寺から四つ目か五つ目かに本覚寺があった。ところがこの碑の表示が現地の南北と逆になっていて、頭の中でこれをひっくり返して理解する必要があって、一瞬戸惑うという代物。幸い南端の瑞光寺から出て来て北へと進んでいたので、方角が逆だと気づいたのだが、これが中間位置の寺から出て来たのであったなら、反対方向に進んでしまったに違いない。 まあ、設置者の無神経に腹をたてても仕方がない。 本覚寺の場所が分かったのだからよしとするか。 本覚寺門前に到着(本覚寺・竹内式部先生菩提寺の碑) ぐるりと本堂裏の墓地を巡ってみたが、それらしき墓が見当たらない。 諦めて帰ろうかとしているところで、ご住職と思しきお方が運転の車が寺に入って来た。で、お尋ねすると、墓の場所まで案内してくださった。ご親切に感謝である。(竹内式部の墓・本覚寺)(同上) 本覚寺の墓については、事前にネットでこのような写真を目にしていたので、地面から直接にこのような形で建っているものと思い込んでしまった所為で、広い台座を備えた墓は除外して探していたものだから、すぐ近くを通っても、それとは気がつかなかったのだろう。(同上・左側面)(同上・裏面) 以上で、竹内式部めぐり終了とします。 本町通りには生地跡があるそうだが、本町通りが何処なのか分からないので、探索は諦める。同様に、入船地蔵にも何か関連の碑があるとのことだが、これも地理不案内でパス。今後の宿題とします。<参考>銀輪万葉・新潟県・長野県篇
2024.04.28
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中学時代の同級生である喜多麻呂君から引っ越した旨のメールを貰ったのは昨年の11月24日のこと。その時は単なる引っ越しと思っていたのだが、年賀状を書く段になって、その新住所をよく見ると介護サービス付きの高齢者向け住宅であることに気がつきました。 年が明けてからだと記憶するが、彼に電話して気候がよくなったら、銀輪散歩を兼ねて訪ねる旨を伝えていて、そのようなことをブログ記事か友人間のメールかの何処かに書いたのでもあったか、それに対してブロ友であり同じく同級生でもあるひろみちゃんから、「その折にはご一緒させていただきたいのでご一報ください。」というようなコメントを頂戴したのを記憶している。 尤も、過去記事を少し調べたが、そのような記事やコメントが発見できず、現時点では確認できていない。 それはともかく、先日彼に電話を入れ、4月19日に訪問したいが都合はどうかと尋ねたところ、OKだとのこと。 そこで、ひろみちゃんにも電話したら、彼女もOKとのことであったので、二人で彼を訪ねることとする。 ヤカモチはMTB(マウンテンバイク)かCB(クロスバイク)で銀輪散歩、彼女は車でドライブとなると、現地待ち合わせしかないこととなるので、折衷してヤカモチは軽量折りたたみ自転車のトレンクルに変更し、外環状道路六万寺交差点付近で落ち合い、そこでトレンクルを車に積み込み彼女の車で喜多麻呂君のもとへと向かうことに決定。 ということで、昨日(4月19日)は、喜多麻呂君を訪ねて来ました。 喜多麻呂君と会ったのは2022年5月16日の恩師井〇先生の墓参が最後であるから、それ以来ということで、ほぼ2年ぶりの再会になる。<参考>佐保川ウオーク 2019.3.31. 中学時代のクラスメイトと恩師墓へ 2022.5.17. 中学同期関係の過去記事はコチラ。 彼、喜多麻呂君は2019年3月の中学クラスメイトによる佐保川ウオークでも、足が痛くて長い距離は歩けないとかでウオーク後の宴席だけの参加であったのだが、22年から23年にかけて一層状況悪化が進んだようで、現在では要介護4レベルと認定される状況にあるとかで、しばらく会わないでいた間に車椅子生活となってしまっていたのでありました。 ヤカモチも最近は腰痛の所為で長距離の歩行は困難。身体のケアを怠ると要支援、要介護の状況に陥りかねないので、要注意ではあります。 それはさて置き、施設の彼の部屋に通していただき、彼とひろみちゃんとヤカモチでしばしのミニクラス会でありました。 午後1時過ぎから3時過ぎまでの2時間ほど、あれやこれやのとりとめもない雑談で旧交を温めました。 帰途は、大泉緑地を過ぎた野遠石原町交差点付近で車から降ろしていただき、ひろみちゃんとは別れてヤカモチは銀輪行に切り替えであります。 道は既に中央環状線に入っているので、これを進むだけ。道端でトレンクルを組み立て出発。 中央環状線美原ロータリーでそのまま東に直進すると外環状道路に至り、往路と同じコースを逆に辿ることとなったのだが、中央環状線は美原ロータリーで90度カーブして北向きに変わる。道なりに中央環状線を大和川まで進む。新明治橋を渡り、大和川右岸の自転車道に入り、これを上流へと走る。(大和川) 前方の橋は大正橋。橋の向こうには二上山。 新明治橋の上流側の橋が大正橋。何やら安易な名前の付け方のような気がする。もう少し近づいてみると。(同上) 大正橋から更に上流へと走ると、昭和橋、ではなく新大井橋。(同上) この新大井橋から外環状線を左に走ればいいのだが、そのまま上流へと土手道を進む。 新大井橋の上流側に橋に並行して送水管のようなパイプが2本、川に渡されていて、それが作る日陰が出来ていたので、しばらくそこで休憩。(同上) 前方には、国道旧170号が通る河内橋が見え、その向こうには、柏原市庁舎とリビエールホールの建物が見えている。 河内橋をやり過ごし直進、近鉄道明寺線の踏切を渡った先の安堂交差点脇にある、高橋虫麻呂の河内大橋の万葉歌碑に、久しぶりにご挨拶して行くことにする。(高橋虫麻呂歌碑) 安堂交差点から、近鉄安堂駅前経由、太平寺交差点から国道旧170号に入り、スーパー万代の角で西に入って恩智川沿いの、馴染みの銀輪散歩道を走ることに。 恩地の、元・喫茶ナナ、現在はスパイスなんとかというインド料理店の前を通過し、外環状線道路と合流する手前にある元パチンコ屋の敷地内でタバコ休憩。コロナ禍でパチンコ屋の倒産・廃業が増えているようで、我が家の近所でも知る限りで3店舗が姿を消しているが、このパチンコ屋さんもその類か。 タバコを喫いながらスマホを見ると、ひろみちゃんからラインメールが入っていました。自宅に到着した旨を知らせるメール。当方は未だ恩地付近である旨返信。ここから自宅までは、更に30~40分程度かかる見込み。 彼女は、その日のうちに今回の件をブログに記事アップされているので、そのリンクを貼って置きます。併せご覧ください。<参考>堺市へ中学の同級生を訪問 2024.4.19. ということで、帰路は2時間半程度の銀輪散歩を堪能できました。
2024.04.20
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今日は久々に岬麻呂旅便りの記事であります。 前回記事が2月27日ですから、ほぼ2ヶ月ぶりということになります。 今回は、例によっての桜旅。「桜前線が例年より早いと予測して計画したが、想定外の遅さで『桜なし』も覚悟で出発。ところが連日の異常高温で桜満開に巡り会えた一人旅」であったとのことであります。(旅・岬巡り報告328)※画像をクリックすると大きいサイズのフォト蔵写真が別窓で開きますので、それでお読みいただくと読みやすいかと思います。(添付写真1) (同2)(同3) (同4) 4月10日~13日の桜旅、我々も同行させていただきましょう。 鶴ヶ城、東山温泉、鶴岡公園、瀬波温泉、村上城址、荒川、加治川、新発田城址など、ヤカモチもかつて銀輪散歩で訪ねたことがある場所が色々あるので、懐かしく、楽しみであります。4月10日関西空港→新潟空港→磐越自動車道→会津若松・鶴ヶ城→飯盛山山麓・石部桜→東山温泉(泊)(東大阪上空) はい、旅の始めは東大阪上空の写真。 東大阪上空とありますが、左下に見える公園が大東市の深北緑地、右下に見えるのが大阪市の鶴見緑地で、遠く上部やや左寄りに見えるのが東大阪市の花園中央公園ですから、飛行機は、寝屋川市か守口市か淀川付近上空を西から東へと飛行しているところなんでしょう。 そして、いきなり鶴ヶ城であります。 新潟空港からレンタカーを利用して、磐越自動車道経由、早くも会津若松に到着であります。(鶴ヶ城) 鶴ヶ城の桜は満開。 因みに、満開とは八分咲き以上になった状態をいう、と何かに書いてあったかと記憶します。 そして、飯盛山山麓の石部桜。(石部桜) この日は、東山温泉に宿泊。 地酒を楽しまれて、鶴ヶ城の夜桜見物に。(鶴ヶ城の夜桜)夜桜を つばらにも見む 鶴ヶ城 家なる妹が 待ち問はむため (岬桜麻呂)(本歌)難波潟 潮干のなごり よく見てむ 家なる妹が 待ち問はむため (神社忌寸老麻呂 万葉集巻6-976)4月11日鶴ヶ城→会津高田・伊佐須美神社→宮川千本桜→喜多方・日中線枝垂桜→大峠越え→米沢・上杉神社→南陽市・烏帽子山公園→上山城・月岡公園→天童公園→倉津川→天童温泉(泊) 先ず、鶴ヶ城にご挨拶して、二日目の旅を始めます。(朝の鶴ヶ城) 鶴ヶ城から国道118を少し南下し、国道401号を西へ進むと阿賀川を渡ることになるが、更に西進すると阿賀川の支流である宮川という川に出くわします。この宮川にも桜並木のビュースポットがあり、宮川千本桜と呼ばれているようです。(会津高田・宮川千本桜 遠く磐梯山が見えています。) 宮川千本桜は八分咲きだったそうですが、宮川を上流方向1.5kmほどの地点にある伊佐須美神社の薄墨桜は満開だったそうです。(同・伊佐須美神社) 会津高田からとって返して北上、喜多方へと向かいます。 喜多方と日中温泉を結んでいた鉄道廃線跡の線路敷の枝垂れ桜が、日中線枝垂桜。 廃線跡と聞いたり、前掲の宮川河川敷道の写真などを目にしたりすると自転車で走りたくなるのが、ヤカモチの病気。(日中線枝垂桜) 更に北上して、大峠越えで山形県米沢市へ。 大峠越えでは道路脇に残雪多しとのことですが、旧道は一般車両の通行が禁止されているそうですから、新道である国道121号の大峠トンネル越えで山形県に入られたのでしょう。 大峠という名称で思い浮かんだのが大彦命(古事記では大毗古命)。 大彦は四道将軍の一人で北陸道に派遣された人物。東海道に派遣された将軍は武渟川別(たけぬなかはわけ、古事記では建沼河別)で、大彦の息子。 二人は「相津に往き遇ひき。故、其地を相津ト謂ふ。」という古事記・崇神記に記された、会津の地名説話から、大峠という名称はひょっとして大彦に因んで名づけられたものではないのかと思ったりもしたが・・。 それはともかく、岬麻呂氏は米沢市に入り、上杉神社へ。(上杉神社) 上杉神社は開花直前にて、花は無し。 これでは、予定にしていた長井最上川堤の桜も見込みなかろうと諦め、東隣の南陽市・烏帽子山公園は通り道に当たるので立ち寄って見ると、想定外の満開であったとのことであります。(烏帽子山公園) 上山城(月岡公園)、天童公園の桜も先ず先ずの見頃。(上山城・月岡公園)(天童公園・人間将棋予行演習) 天童公園では、人間将棋の予行演習をされていました。(天童温泉・倉津川) この日は天童温泉に宿泊。 この日も夜桜見物。ここは観光客に人気のスポットだそうです。(同上・夜桜)4月12日白水川→堂の前公園→東沢バラ園→東北中央自動車道→最上公園・新庄城址→酒田・日和山公園→鶴岡市・大山公園・鶴岡公園→あつみ温泉→笹川流れ→村上城址→瀬波温泉(泊) この日は、白水川の桜から。(白水川堤)(堂ノ前公園) 堂ノ前公園、東沢バラ園、最上公園と巡り、最上川沿いの酒田・日和山公園へ。チラホラ咲き、八分咲き、満開と咲き方はそれぞれなるも、桜旅が続きます。(最上公園・新庄城址)(酒田・日和山公園)(鳥海山<酒田・山居倉庫前から撮影>) 雪の鳥海山を遠望。 酒田から南下して鶴岡市・大山公園、鶴岡公園へと桜巡りを続けます。(大山公園<背後の山は月山>) 鶴岡市内は何処も満開の桜。<参考>鶴岡銀輪散歩(6)・鶴岡市街 2013.5.29. 鶴岡銀輪散歩(7)・鶴岡市街2 2013.5.30.(鶴岡公園) さらに南下して、あつみ温泉へ。(あつみ温泉) 新潟県に入り、笹川流れ。(笹川流れ) 三面川を渡り、村上城址へ。(村上城址) この日の宿は瀬波温泉。(瀬波の夕日) 瀬波の海岸の沖合にある島が粟島。 西方浄土の入口が粟島だという話は、このような夕日を見て西方浄土の入口が粟島にあるというような想念が生まれたのだろう。<参考>粟島 2009.6.19.4月13日荒川→胎内観音→加治川→新発田城址→新潟空港→関西空港 最終日は、荒川の土手の桜並木から。(荒川) この土手道を荒川上流へと銀輪散歩したことがあったが、それはいつのことであったやら。(胎内川) 胎内川も加治川も桜、桜、満開の桜であります。(加治川右岸)(加治川左岸) 最後は加治川を上流へと向かい、新発田城址の桜。(新発田城址)<参考>新発田城跡銀輪散歩 2018.5.17. 全682kmの桜旅ドライブ。 桜を堪能させていただきました。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.04.18
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昨日(4月10日)は囲碁例会の日。 天気もよしで、例によってMTB(マウンテンバイク)で、会場の梅田スカイビルへ。 前々日から前日朝にかけての雨で、桜も散ってしまったかと思いましたが、さにあらずで、まだ十分にお花見が楽しめる状態。(大阪城公園・森ノ宮入口) はい、ご覧のような桜の状態です。 そして、ヤカモチお気に入りのアングルの写真。(同上・お気に入りスポット) 帰り道も同じコースを走りましたが、朝とは打って変わって、沢山のお花見の人たちが花の下それぞれのお気に入りの場所にシートを敷いて、花見を楽しんで居られました。 大阪城公園を通り抜けて、天満橋を渡ろうとすると、造幣局の桜の通り抜けに向かう人の群れに遭遇。自転車を降りて手押しで歩くしかない。人の群れを通り抜けて滝川公園へ。(滝川公園の桜) 滝川公園の桜を眺めながら、煙草を一服、小休止であります。 この公園の西側のお寺の、今日の門前の言葉はこれ。(今日の言葉)あいさつは 心のまどの 通い道 梅田スカイビル到着。 ところが、駐輪場が満杯で駐輪する場所がない。 自転車を押しながら、中庭・ワンダースクエアを通り抜けて、片隅にある喫煙スペースへ。(梅田スカイビル・中庭から見上げると・・) 煙草を一服してから再度駐輪場に行ってみるが、まだ満杯。 仕方がないので、お弁当を買って、ベンチで食事。食事が終わったところで、ようやく駐輪場に空きが出たようで、駐輪可能となる。 これで、ひと安心。例の全席喫煙可能という喫茶店で食後の珈琲休憩。 ガーデンファイブ棟の部屋に行くと、ヤカモチが一番乗り。 ほどなく村〇氏が来られ、同氏と対局。対局中に平〇氏が来られ、この日の出席者は3名のみ。 村〇氏に勝ち、続く平〇氏にも勝ち、ヤカモチは2戦2勝。これで、今年になってからの成績は9勝4敗。 最後は、村〇vs平〇戦で、ヤカモチは観戦であります。 来月1日は、村〇氏、福麻呂氏がご欠席とのことなので、青◎氏もご欠席なら、平〇氏とヤカモチの二人だけになりそうです。 帰途の写真はありませんので、4月8日に撮影の花園中央公園の桜の写真を掲載して置くこととします。 帰途のエピソードとしては、難波橋北詰の交差点で信号待ちをしていたら、突然、左ふくらはぎがこむら返り。痛タタ・・と自転車から降りようとしたら、右ふくらはぎもこむら返り。痛いのを何とかこらえて転倒することなく自転車から無事に降りて、川沿いの緑地通路に避難。遅ればせのストレッチをしたりして、暫し休憩。 両足同時のこむら返りというのは、2回目。 前回は3年前、2021年3月29日のことで、それ以来ですから、3年ぶりということになる。<参考>亀岡・京北銀輪桜旅(その2) 2021.4.1. 前回も桜絡みの銀輪でありましたから、どうやら桜絡みの銀輪行はことヤカモチに限っては要注意のようです(笑)。 前回は、友人偐山頭火氏との銀輪旅でありましたが、今回はヤカモチの単独行。偐山頭火絡みは要注意ではないようであります(笑)。 はい、以下が4月8日の花園中央公園の桜です。(花園中央公園の桜)(同上)(同上)<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.04.11
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偐万葉・どち篇(その12) 今日は偐万葉シリーズ記事第340弾、偐万葉・どち篇(その12)であります。1.健人会関係 健人会の集ひに寄せて詠める歌2首また花の ときにぞ逢はむ 思ふどち みなすこやかに あれと願ひつ (偐家持)桜花 咲ける盛りに 逢はむとて 雨は降るとも われ参り来し (偐家持) (20240404健人会・瀬田川畔の桜)2.岬麻呂氏関係 岬麻呂に贈りて詠める歌20首 岬麻呂の旅に寄せて詠める歌18首寄する波 吹き来る風の 音清(おときよ)み 遊べ海にと 我誘ふらし (浜家持)恋ひ来れば イダの浜木綿(はまゆふ) 花咲きて われに語らく またも来(こ)しかと (浜家持)(本歌)み熊野の 浦の浜木綿(はまゆふ) 百重(ももへ)なす 心は思(も)へど 直(ただ)に逢はぬかも (柿本人麻呂 万葉集巻4-496) (20230919イダの浜とハマユウ)降(お)り立ちて 雨降(ふ)り止むは 晴れをとめ 半端(はんぱ)に非ず 岬のをとめ (岬家持)もみぢ旅に あれど始めに 求めしは いのちの水の 余市なりけり (偐酒持) (20231009余市ニッカウヰスキーの貯蔵庫)小樽運河 酒樽運河と 見つつ行く 堺も酒井 酒人われは (偐酒持) (20231009小樽運河)さ夜更けて 響き懐かし きたぐにに あれば地酒を 飲むべくあるらし (偐酒持) (20231009ニングルテラス)あどけなき 姿刹那に のこしつつ エゾシマリスの 駆け去り行きぬ (偐栗鼠持) (20231009エゾシマリス)しかたなく しかもするらし 雨宿り 紅葉の谷に 小雨の降れば (偐鹿持) (20231009雨宿りのエゾシカ)青空に 照る山もみぢと まいらねば いまいちなれど それなりの秋 (偐紅葉持) (20231009旭岳1400m付近)この月の 月は満月 次なるは 七年(ななとせ)のちの 月の月なり (偐月持)(本歌)月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月 (作者不詳) (20231009中秋の名月in富良野)寄す波も 海の青さも かなしとぞ マムヤの恋の 東平安名崎(あがりへんなさき) (偐家持) (20231130東平安名崎)なまよみの 甲斐の国にし 参り来て い群れてどちと あるは嬉しも (偐岬麻呂)(注)なまよみの=「甲斐」にかかる枕詞 (20231202甲府の夜景)火の色に 咲く花見むと わが来れば 火の鳥はばたく マンホールのふた (蓋家持) (20231009アカショウビン図柄のマンホール)石垣の 島に春咲く カエンボク つぎて見まくの 欲しき花かも (岬郎女)流氷の 旅にしあれど 岬麻呂 先に訪ねな 能取の岬 (岬家持) (20240227能取岬)我はもや 流氷に乗りぬ 知床の 宇登呂の海の 流氷に乗りぬ (流氷家持)さ夜更けて 軋む音すなり 流氷の 宇登呂の海に 軋む音すなり (流氷家持) (20240227宇登呂の流氷)流氷の 寄せ来る夜は 海が鳴く 泣けとや鳴くか 網走宇登呂 (流氷家持) 岬麻呂氏の旅報告終了の報ありたるを受けて詠める歌1首幾(いく)十年(ととせ) 旅ゆきゆきて 今をかも 立ち別れまく 惜しき夕(よひ)かも (偐家持)(本歌)しなざかる 越に五年(いつとせ) 住み住みて 立ち別れまく 惜しき夕(よひ)かも (大伴家持 万葉集巻19-4250) 岬麻呂氏宛て返信メールに添えたる歌1首松が枝の 色は変らじ 八千代にも いませ我が背子 思ひつつぞ居り (偐家持)(本歌)紫陽花(あぢさゐ)の 八重咲く如く やつ代(よ)にを いませわが背子 見つつ思(しの)はむ (橘諸兄 万葉集巻20-4448)3.オガクニマン氏関係 クニ麻呂に贈りて詠める歌1首君がため 一局のみと なりぬれど 勝ちてうれしき 囲碁事始め (碁家持)4.野〇氏関係 野麻呂に贈りて詠める歌1首思ふどち まさきくもあれ 常磐なる 松のさ枝を 結び願はな (松家持)<参考>偐万葉・どち篇の過去記事はコチラ。
2024.04.07
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昨日(4月3日)は健人会の集まり。囲碁例会と重なってしまったのだが、囲碁の方は欠席させて貰って健人会の方に出席することに。 生憎の雨であったが、大津市、石山寺近くにある料亭新月へと向かう。 いつの頃よりか、健人会の集まりは料亭・新月でというのが定番となっている。 料亭新月のJR最寄り駅は石山駅。 石山駅前に料亭からの送迎バスが来てくれるので、これを利用する参加者は11時55分までに石山駅に行けばいいという次第。 ヤカモチの場合、路線検索で調べると、自宅最寄り駅の近鉄枚岡駅10時14分発の電車に乗れば、大和西大寺駅・JR京都駅乗り換えで11時36分または11時51分に石山駅に到着できることになっている。 ところが、家人が5月3~5日に関東方面を旅行する予定があり、新幹線の切符を途中のJR京都駅で購入してくれないか、という依頼を受けたので、時間に余裕をみて、早めに家を出ることとした。 1時間半ほども早く家を出たものだから、京都駅みどりの窓口での切符購入の人々の列に並んで30~40分の時間を費やしても、石山駅到着は1時間余も早い到着となってしまった。 京阪電車側改札口近くの喫茶店に入って時間を潰すことにする。 珈琲を注文していると、平〇氏の姿が目に入る。同氏は「1時間、時間を勘違いして早く来てしまった」とのこと。 ということで、同氏と珈琲しながらの二人しての時間潰しでありましたが、あれやこれやの雑談でそれと気づかぬうちに時間は愉快に経過。 11時50分近くになったので、店を出てJR側の改札口前に向かう。 すると、参加者皆さんが既に全員到着されていて、最も早くに着いた我々二人が最も遅い集合ということになってしまったのでありました。 送迎バスで料亭新月に到着。(料亭・新月 今年3月19日記事掲載写真の再掲載) この日は本降りの雨。 上掲の写真は3月15日にJR石山駅から瀬田川・宇治川沿いにJR宇治駅まで銀輪散歩で走った時に撮影のものです。 健人会の新月での集まりは昨年10月18日以来でありましたからほぼ半年ぶりということになるが、ヤカモチは、19日前にこの新月の前を自転車で走ったばかりなのでありました。 さて、この日の参加者は、杉〇氏、只麻呂氏、平〇氏、草麻呂氏、岡〇氏、今〇氏、徳〇氏、北〇氏、竹〇氏、森〇氏、平〇Jr氏、生〇氏、正〇氏、〇庭氏とヤカモチの15名。 世話役の草麻呂氏の開会の挨拶と先頃杉〇氏の奥方がご逝去されたことからそのご冥福、哀悼の意を表しての献杯、続いて岡〇氏のご発声による乾杯で12時15分宴席開始となりました。 杉〇氏、只麻呂氏、正〇氏、今〇氏、竹〇氏などの近況その他の報告があったほか、ワイワイガヤガヤの例によって例の如くの気の置けない、いつもの宴会であります。(玉手箱?) 乾杯の後、運ばれて来たのは玉手箱・・? 女将から「石山寺のナントカカントカ」という説明があったが、よく聴いていなかったので、ヤカモチはその内容を思い出せない。 玉手箱を開けてみると・・前菜。(前菜) と、ここまで書いて、食レポは「吾事ニ非ズ」のヤカモチ。その柄でもないということに気付き、方向転換であります。 次々と運ばれて来る料理を次々と平らげ、さて、何を食ったのかも記憶が曖昧。窓の外の桜でも撮ってみるか。(瀬田川畔の桜)(同上) はい、ご覧のように外は雨、花見もままならないのでありますが、部屋の内からの、遠目の花見であります。 ほぼ五分咲き、満開前ではありますが、十分に楽しめる程度の咲きっぷりであります。 昨年10月の健人会の折に、次回会合の日が4月3日と決まったことから、その日のブログ記事で「また花の ときにぞ逢はむ 思ふどち みなすこやかに あれと願ひつ」と詠んだヤカモチでありましたが、他用でご欠席のお方も含め、多少の病気の危機も一部にはあったようですが、それも乗り越えて、皆さんそれなりにお元気で、再会を果たせたことは、めでたしめでたしでありました。桜花 咲ける盛りに 逢はむとて 雨は降るとも われ参り来し (偐家持)<参考>健人会・新月にあふみの人と過ごしける 2023.10.18. 午後3時少し前、次回の会日を8月5日と決めて散会となりました。 帰り際に、お土産として料亭から頂戴したのが、新月監修の「大納言小豆粥」。このお土産は昨年2月15日の健人会新年会の折にも新月さんから頂戴していることが、過去記事から判明しました。<参考>健人会・遅ればせの新年会 2023.2.16. その過去記事では、この小豆粥について「委細は承知せず」と記載しているのみでありましたので、今回は委細を紹介して置くこととします。(大納言小豆粥) と言っても、同封の説明パンフレットの写真を掲載するだけのこと。(同上・説明パンフレット)(同上) 写真では字が小さ過ぎて読めないというお方は、画像をクリックしていただくと、大きいサイズのフォト蔵写真が別窓で開きますので、それでお読みいただければ、と思います。 要するに龍谷大学と料亭・新月との「産学協同」によって生まれたのがこの小豆粥であるということであります。(同上) 龍谷大学農学部は瀬田川を渡った先にあるので、料亭新月とは川向のお隣さんみたいなものでありますから、お隣さん同士の協力で生まれた商品という訳であります。<参考>健人会関係過去記事はコチラ。
2024.04.04
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今日は月例の墓参。墓地へと向かう坂道にとりかかると、こんな花が目にとまりました。(ロンギカリウス) 帰宅してネットで調べるとシソ科の植物らしいが、ロンギカリウスとかクリーピングタイムというのがこの花の名前のようです。 グランドカバーとしてよく使われる植物だそうです。未だ蕾のようですが接近して撮るとこんな感じです。(同上) 少し上った先にあるお寺のいつもの門前の言葉ですが、今日のそれは、司馬遼太郎氏の言葉でありました。(今日の門前の言葉)人間は助けあって生きているのである――司馬遼太郎 さらに坂道を上り墓地への入口近くの、いつもお花がいっぱいのお宅の庭には、チューリップの花。(チューリップ) 墓地に到着。墓参を済ませて眼下の大阪平野を見下ろすと・・。(墓地からの眺め) 上の写真の左端の赤い矢印(↓)の所が、先日の若草読書会の花見散歩の折に見た、恩智川のセイヨウカラシナの花が帯状に群れ咲いている場所であります。 その場所に焦点を当ててズームアップで撮影したのが下掲の写真。(同上 手前の屋根が瓢箪山駅、奥の右手が東花園駅) 生駒の叔母の連れ合いである叔父が眠る墓が我が家の墓がある墓地区画に接して北側区画の墓地にあるので、それにもお参り。 叔母の家の墓から出たところでめにとまったのも菜の花でありました。(菜の花)(同上) 坂道を少し下ったところの畑地にはレンゲソウが咲き始めていました。 今年の桜は例年になく遅い開花であったようですが、レンゲソウは例年より随分早い開花なのではないかと思う。(レンゲソウ)(同上) まだ咲き始めというレベルのようで、一面のレンゲ畑といった咲き方ではありません。(同上)(同上) このレンゲ畑から少し下ったところで、道路の反対側・左手下方に目をやると、一面に咲き群れているレンゲ畑が目に入りました。 遠目にはレンゲ畑と見えたのであったが、近づいてみると、レンゲソウではなくホトケノザが群れ咲いているのでありました。(ホトケノザの群生) ホトケノザがこのように群生して咲いているのを目にするのは珍しい。 そして、これは緋寒桜なのか、種類は何とも分かり兼ねるが、桜と思しき花が咲いていたので撮りました。(桜花) 今日撮影の写真ではありませんが、花ついでということで、3月26日撮影のサンシュユの写真も掲載して置きます。(サンシュユ<山茱萸>) 今日は、墓参&花散歩でありました。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.04.02
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今日から新年度となる4月1日であるが、昨日(3月31日)の記事が未アップなので、遅ればせですが今日はその記事とさせていただきます。 日本基督教団小阪教会でのイースター特別礼拝は一昨年、昨年に続き3年連続しての出席となりました。 前日の30日が若草読書会の例会であったので、若草ホールへは二日続けての立ち寄りとなりますが、めぐの郎女さんがお母上の恒郎女さんを小阪教会まで車で送迎されるというので、ヤカモチもそれに同乗させていただくこととし、MTB(マウンテンバイク)で若草ホールに向かう。 ヤカモチとしては、小阪教会へはMTBで30分程度の距離なので、これで銀輪散歩も兼ねて出掛ける心算でいたのだが、はびきの中央霊園の小阪教会共同墓地の前で執り行われる午後からの墓前礼拝のことを考慮すると、車同乗の方が便利なので、恒郎女さんからのご提案に乗ることにしたもの。(小阪教会) 小阪教会到着は午前10時少し前。 礼拝は10時15分から。 上及び下の写真は礼拝終了後に撮ったものです。(同上)(イースター特別礼拝式次第) 礼拝終了後、教会の前庭の花を少しばかり撮影。(同上・会堂前の桃の木)(同上・庭のノボロギク)(同上・庭のノボロギク2) 花と言っても、花壇のそれでなく、普通は見向きもされない草たちの花であるというのがヤカモチ流。(同上・庭のミミナグサ) イースター礼拝後、はびきの中央霊園内にある小阪教会共同墓地に於いて午後3時から墓前礼拝が執り行われることになっている。 故智麻呂氏も同墓地に眠って居られるので、ヤカモチもこれに参列することにし、めぐの郎女さん運転の車で恒郎女さんと現地へと向かう。 途中、近鉄大阪線河内国分駅近くにあるうどん山川柏原国分店に立ち寄り昼食。この店での昼食は、2022年4月17日の故智麻呂氏の納骨式以来のことである。前回は、ひろみの郎女さん、リチ女さんらとご一緒でした。<参考>故智麻呂氏の納骨式 2022.4.18. はびきの中央霊園には午後1時過ぎの早過ぎる到着。 お墓の掃除をしたり、恒郎女さん、めぐの郎女さんたちと雑談したり、心地よい春風に吹かれながら眼下の大阪平野一望の眺めを楽しんだりしながら、小阪教会からの皆さんの到着を待つ。(はびきの中央霊園からの眺め)(同上) ここを訪れるのは今年の2月12日以来。<参考>故智麻呂氏の墓参 2024.2.12.(小阪教会共同墓地) そうこうしているうちに、牧師さんを始め小阪教会からの参列者の皆さんが到着。午後3時になり、墓前礼拝が始まりました。(墓前礼拝式次第)(墓前礼拝) 最後に献花をして墓前礼拝つつがなく終了であります。(同上)君に逢ふ たづき知らねば 鉢伏の 山にしわれは またも来にける (偐家持)鉢伏の 山にし吹ける 春風に 咲きそむ花は 君が笑みかも (偐家持)(鉢伏山)<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2024.04.01
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今日(3月30日)は若草読書会のお花見会の日。当初の大阪の開花予想日は3月23日であったのだが、25日に延び、今日ようやく開花宣言となったようです。そんな次第で、お花見会は完全に大外れの設定日となってしまいましたが、予定通りに実施でありました。 と言うのも、毎回前年の12月上旬頃までには、メンバー各位の日程調整をし開催日を決定し、東京方面の遠方からの参加者もある関係で、雨が降ろうが、花が咲いていまいが、予定通りに実施するというのが、我々若草のお花見という訳なのである。 兼好さんは「月は隈なきを、花は盛りをのみ見るものかは」と言って居られますが、さすがの彼も呆れる「花の咲かぬを見る」今日の我々のお花見には「もの好きにもほどがある」と言うのほかないのかも(笑)。 それを予想してか、若草ホールの主である恒郎女さんから、凡鬼さんに何か俳句に因んだお話をしてもらえないかという要望が出され、それをヤカモチから同氏にお伝えしたところ、快くお引き受けくださいました。 ということで、今日午前11時若草ホール集合にて、先ず凡鬼さんの「俳句よもやま話」というタイトルの講話で会が始まりました。 参加者は、恒郎女さんとそのお嬢さんのめぐの郎女さん、凡鬼さんとその夫人景郎女さん、祥麻呂さん(千葉県からのご参加)、槇麻呂さん、利衣郎女さん(今回初参加)、和郎女さん、偐山頭火さん、そしてヤカモチの10名。 俳句の三大季語、雪、月、花について、芭蕉、蕪村、夏目漱石、飯田龍太、永井荷風、中村草田男、大石悦子などの句を解説しつつ、さらりとした紹介があり、「文人と俳句」という今日の主テーマ、「俳句を本業としていない芸術家、文化人、政治家などの俳句」をとりあげて、解説をいただきました。 そのうちのいくつかの句を紹介・列記すると、以下の通り。 久保田万太郎 秋風のふきぬけゆくや人の中 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 夏目漱石 菫程な小さき人にうまれたし 叩かれて昼の蚊をはく木魚かな 寺田寅彦 徒に凍る硯の水悲し 哲学も科学も寒き嚔哉 芥川龍之介 凩や目刺しに残る海の色 あお蛙おまえもペンキぬりたてか 永井荷風 行春やゆるむ鼻緒の日和下駄 色町や真昼しづかに恋の猫 竹久夢二 指がまづそれと気のつく春の土 人妻となりたる君におぼろ月 平塚らいてう 川面吹き青田吹き袖にみつ みどり児の眠る真昼や合歓の花 中村吉右衛門(初代) 道かへて櫻の道を歌舞伎座へ 温泉の町に銀座もありて目刺し売る 佐藤春夫 影ふかくすみれ色なるおへそかな 千枚の青田渚になだれ入る 吉屋信子 稲妻や将棋盤には桂馬飛ぶ 東海道松の並木に懸大根 宮沢賢治 秋便り菊の隠密はひり候 斑猫は二席の菊に眠りけり 三好達治 菜の花や渡しに近き草野球 千住の化け煙突や雷きざす 五所平之助 永き日や波のなかなる波の色 あまぎ嶺の虹に妻呼び妻と見る 大久保橙青 黄金と呼ぶ礁あり春の海 国会をぬけて涼しき句会かな 松本清張 障子洗ふ上を人声とおりけり 子に教え自らも噛む木の芽かな 檀一雄 姫うつぎ見つつ祝ぐ子の盛り 地の果てに立つや虚空の石の色 藤沢周平 汝を帰す胸に木枯鳴りとよむ 桐咲くや田を売る話多きむら 正午過ぎに講話終了。 お花見会は弁当、飲み物各自持参が恒例。 ということで、各自持参のお弁当で昼食。恒郎女さんとめぐの郎女さんがご用意くださったお味噌汁をいただきながらの、雑談&お弁当タイムでありました。 第2部はたこ焼きパーテイであるが、その前に、桜花は期待できないものの、お花見会である以上、「長門川の桜の花はいかにかあらむ」と花見散歩に出かけることに。 偐山頭火さんは、散歩には参加せず、長門川畔まで我々を見送っての早退でありましたので、たこ焼きパーテイは欠席であります。<参考>若草読書会4年ぶりのお花見 2024.4.1. さて、実は、ヤカモチは、若草ホールに着いたのが10時半であったので、会が始まる前にと、長門川畔の桜を下見していたのでした。(長門川畔の桜並木) 昨年は4月1日がお花見会でありましたが、花吹雪が舞うほどの花の盛りでありました。それに比べると何ともはや、の状態であります。 それでも、よく見ると数輪咲いている木もあるにはあるのでありました。(同上・開花宣言をしてもいい程度の咲き具合) ということで、ともかく皆うち揃って散歩に出かけることに。 めぐの郎女さんは留守番で残ることに。(同上・ズームアップ) まあ、一応は咲いているので、こんな風にそこだけを切り取れば、十分に「花の盛り」であります。 しかし、「霞か雲か匂ひぞ出づる」と参らねば、他の花を花見することもよかろうと、色々な花を撮影してみました。(スミレ) はい、先ずはスミレであります。(カリン<花梨>) そしてカリンの愛らしき花。 この木はまだ若木にて、背丈も人間の背丈よりも少し高いだけ。(同上)(オオキバナカタバミ) オキザリスの仲間。景郎女さんに何の花と問われて、オオキバナオキザリスと和洋折衷のような名前を申し上げてしまいましたが、オキザリスはカタバミのことですから、正しくはオオキバナカタバミであります。(トウグミ<唐茱萸>) ナツグミとも言うそうですが、要するにグミであります。(ラッパスイセン) 他にも、ハナニラ、ムスカリ、ノボロギク、ヒメオドリコソウ、ホトケノザなどなど色々な花の、花見散歩。 そして、今年もセイヨウカラシナの黄色い帯。(恩智川畔のセイヨウカラシナ) 長門川は恩智川の支流、東から流れ込む御神田川と南から流れ込む長門川が新若草橋の下付近で恩智川に合流しているのである。 とまあ、色々な花の花見をして、鯉の群れ泳ぐ姿や鴨は羽を羽ばたかせて水浴びをする姿などを見つつ、たわわに実を付けた金柑が日に照り映える様を愛でたりの、しばしの散策でありました。(長門川畔のモニュメント・よみがえる魚たち)(同上・副碑) そして、若草ホール前の小さな公園の一角にある葉を落とした銀杏の木と飛行機雲。これは、例により早々と昼食を済ませたヤカモチが食後の一服と外に出て、タバコを喫いながら撮った食後の空であります。 花見散歩に出かける2時間近く前の撮影であります。(銀杏の木と飛行機雲) 散歩から若草ホールに戻ると、めぐの郎女さんが、たこ焼きパーテイを始めるべく、たこ焼きを焼き始めて居られました。 30分か40分程度の散歩ではお腹が空く筈もなく、しかし、一応は別腹ということで、皆さん数個は食されました。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。
2024.03.30
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(承前) 前記事の続編です。曽束大橋を渡って対岸の道に入ったところで、前記事が終わりましたので、そこから始めます。<参考>曽束大橋を渡った左岸の道から天ケ瀬ダムまでの記事 瀬田川・宇治川銀輪散歩(わが庵は都のたつみ) 2014.3.13. 地図で見ると曽束大橋手前1kmほどの地点から喜撰山大橋の手前800mほどの地点までは、瀬田川が滋賀県と京都府との境界になっているようです。 従って、曽束大橋は右岸京都府と左岸滋賀県との間をつないでいる橋ということになります。右岸の道は曽束大橋を渡る手前1km付近から京都府の府道3号になっていて、橋を渡った先の左岸の道は再び滋賀県の県道3号ということになる。 曽束大橋を渡ってしばらく行くと、上の<参考>記事に掲載の写真にあるように、眼を射るような鮮やかな黄色のトラトラの道が展開するのであったが、それは10年前のことで、今回目にしたのは、それらの塗装が褪色して目立たぬくすんだ色に変化し、加えて所々摩耗したり剥がれたりもしているという、何ということもない道になってしまっていました。 写真に撮って現在の姿と10年前の光景とを比較してみれば面白かったかもしれないのだが、撮影せぬままやり過ごしてしまったので、後の祭りであります。(瀬田川左岸の道) 宇治11km、天ケ瀬ダム9kmという標識のある地点までやって来ました。この先喜撰山大橋の先から、瀬田川は宇治川と名を変えるようです。(コース地図4・喜撰山大橋からJR宇治駅まで) 喜撰山というのは、喜撰法師に由来する名称。 喜撰法師は六歌仙の一人とされるが、伝記など不詳の御仁。 紀貫之の変名という説などもあり、正体不明。 古今集仮名序に「宇治山の僧喜撰は、ことばかすかにしてはじめをはりたしかならず。いはば、秋の月を見るに暁の雲にあへるがごとし」とその歌風が評されている歌人であるが、紀貫之の変名であるなら自分で自分を評したことになり、愉快と言うほかない。わが庵いほは 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり (喜撰法師 古今集983、小倉百人一首8)<参考>喜撰・Wikipedia しかし、喜撰山大橋もその下流側にある吊り橋、大峰橋も今回は撮影していない。上記<参考>の10年前の記事に写真を掲載していますので、ご参照ください。 ということで、次の写真は、宇治川に左側から流れ込んでいる田原川に架かる宵待橋になります。(宵待橋) 宵待橋を渡ったところで振り返って撮ったのが上の写真。 宇治川左岸の道からこの田原川の道に入り、つまり上の写真に即して言うと、画面の奥・左手からこの橋にやって来て、こちら岸の道を画面左手に進み、再び宇治川左岸を川下へと進むのが正しいコース。 ここで、タバコ休憩をしていると、右手から例のカナダ人二人組が現れたのである。 この橋をこちらに渡り右折して、写真画面左手に行くべきところ、彼らは左折して、写真画面右手に、つまり反対方向に進んでしまったようです。 こちら岸の道は、この橋から左が府道3号、右が府道62号。彼らは府道62号を田原川沿いに上流へと進んでしまったようです。府道62号は国道307号に突き当たり、国道307号は京田辺から枚方方面へと通じている道である。どの付近で道を間違えたと気づいたのだろう。 少しばかり言葉を交わし、彼らを見送ってからゆっくりとヤカモチも出発であります。(天ケ瀬ダム) ほどなく、天ケ瀬ダムが見えて来ました。 10年前はダムを見学しましたが、今回はパスして、坂道を走り下る。 宇治の市街へと入ったところで、源氏物語宇治十帖宿木之古蹟という碑がありました。この碑については前回10年前の銀輪散歩の折にこれを撮影した記憶があったので、今回は撮影しないで置きました。帰宅後調べてみると確かにその写真がPCに残っていました。 ということで、その10年前の写真を掲載して置きます。(源氏物語・宇治十帖・宿木之古蹟)(同上・副碑) 近くにあったマンホールは撮影しましたが、この図柄のマンホールは既にマンホールシリーズ記事にて紹介済みでありました。(宇治市のマンホール) マンホールのことはさて置き、宇治十帖古蹟の碑は10年前に撮影したものが他にもあるので、ついでに掲載して置きます。(源氏物語・宇治十帖・総角之古蹟)(同上・早蕨之古蹟)(同上・椎本之古蹟)(同上・副碑)<参考>宇治十帖・Wikipedia 全10ヶ所が揃ったところで記事にアップしようとでも考えて、これまでブログに掲載しないまま、写真を保存していたものと思われるが、10年を経過しても一向に進展しなかったということは、その気にならなかったということでしょうから、現状あるままの在庫で記事掲載ということにいたします。<参考>蛍塚から宇治神社までの記事 瀬田川・宇治川銀輪散歩(もののふの八十宇治川の) 2014.3.14.(宇治散策案内図) はい、宇治川の中洲の島、塔の島に架かる喜撰橋の前に出ました。 中洲の島は二つあって上流側が塔の島、下流側が橘島である。 塔の島は喜撰橋によって左岸とつながり、橘島は橘橋によって左岸と、朝霧橋によって右岸とつながっている。(喜撰橋) この辺りから10年前の銀輪散歩とは異なるコース取りとなります。 前回は、橘橋を渡って、中洲の島・橘島に渡り、宇治神社、宇治上神社を経て仏徳山(大吉山)展望台まで登り、下山して宇治彼方神社、菟道稚郎子墓、下居神社と巡ってJR宇治駅ゴールというコース取りであったが、今回は島には渡らず、宇治川左岸の土手道を直進でありました。<参考>宇治上神社からJR宇治駅までの記事 瀬田川・宇治川銀輪散歩(秋の野のみ草刈り葺き) 2014.3.15. 前回は、宇治の万葉歌碑を巡るというテーマがあっての散策でしたが、今回はそういったものはなく、平等院も時刻からみて入場できる筈もないので、何という当てもないそぞろ歩きである。(宇治川 対岸左手の山が仏徳山<大吉山>である。) 土手道から細い路地を抜けて、平等院参道に出る。 さすがに参道は大勢の観光客。店の前の空間に椅子席やテーブル席を備えた店が目にとまる。ここなら押して歩いている愛車トレンクルを駐輪する場所もある。そこで抹茶ソフトを食べている観光客の姿につられでもしたか、ヤカモチもこれを買い求め、店先の椅子席でこれをいただくこととする。 参道を出ると宇治橋。 その一角は、宇治十帖に因み「夢浮橋ひろば」と名付けられているようです。(夢浮橋ひろば) そこにあるのが紫式部の像。(紫式部像)(同上・副碑) そして、夢浮橋之古蹟の碑。(源氏物語・宇治十帖・夢浮橋之古蹟)(同上・副碑) 以上、紫式部、夢浮橋之古蹟碑、宇治橋の3点セットの写真がこれであります。(3点セット写真)(明治天皇御駐輦之地碑) 紫式部像や夢浮橋之古蹟碑に取り囲まれる形で、これらとはいかにも不似合いな感じで明治天皇御駐輦之地碑が建っている。この碑が先にあって、源氏物語関係の像や碑がその後に設置されたということなんだろう。(宇治橋)(同上・説明碑) 宇治橋を渡り、右岸へ。 宇治橋を渡る頃には、もう午後5時になろうかという時刻。(宇治橋から橘島に架かる朝霧橋<左>、橘橋<右>を望む) 京阪宇治駅の左奥にあるのが、大河ドラマ館。 入館料などは必要とせず自由に入館できる施設のようだが、既に午後5時を過ぎていて、営業終了、閉館していました。(光る君へ・大河ドラマ館) 大河ドラマ館の裏手にあるのが、菟道稚郎子の墓。 彼は、応神天皇の皇子。仁徳天皇の異母弟である。 応神天皇没後の、菟道稚郎子・仁徳天皇・大山守三者の関係などは、上記<参考>の過去記事「瀬田川・宇治川銀輪散歩(秋の野のみ草刈り葺き)」または下記<参考>の「菟道稚郎子・Wikipedia」をご覧ください。(菟道稚郎子尊宇治墓)<参考>菟道稚郎子・Wikipedia妹らがり 今木(いまき)の嶺に 茂り立つ 妻松(つままつ)の木は 古人(ふるひと)見けむ (柿本人麻呂歌集 万葉集巻9-1795)(<妹らがり>今木の嶺に茂り立つ妻を待つという松の木は、昔の人も見たであろう。)(注)古人=今は亡き菟道稚郎子を指す。 これは、「宇治若郎子の宮所の歌一首」という題詞と共に万葉集巻九の挽歌の部に収められている歌であるが、この歌の歌碑は、宇治神社の背後の山、仏徳山(大吉山)の展望台にある。今回はとても展望台まで登る元気も時間的余裕もないのであるが、上記<参考>過去記事にはその歌碑の写真も掲載していますので、ご覧ください。(同上) 菟道稚郎子墓に隣接する場所に浮舟宮跡という石碑が建てられている。 源氏物語・宇治十帖の浮舟の君を祀った古社が、かつてこの付近にあったらしい。(浮舟宮跡碑)(同上)(史跡 宇治川太閤堤跡碑) 宇治川太閤堤跡の碑と大河ドラマ館の間をトレンクルで走り抜けて宇治橋に戻り、JR宇治駅へと向かう。(JR宇治駅前、茶壷型の郵便ポスト) はい、JR宇治駅前広場のユニークな茶壷型郵便ポストに迎えられて、今回の銀輪散歩は終了であります。(完)<参考>過去の銀輪万葉・京都府・滋賀県篇は下記参照 銀輪万葉・京都府・滋賀県篇(その1) 2007年7月~2019年3月銀輪万葉・京都府・滋賀県篇(その2) 2019年7月~
2024.03.21
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先日(3月15日)、10年ぶりに石山から宇治まで持参のトレンクルで銀輪散歩して参りました。 ところが、トレンクルで走り出すと何やらペダルが重い。後輪のタイヤがペチャンコになっている。パンクなのか虫ゴムの劣化による空気漏れなのか、何れにせよ自転車屋を探さなくてはならない。 地元の人に教えていただいた自転車屋さんにトレンクルを持ち込むと、パンクではなく虫ゴムの破損による空気漏れであったよう。 これでは自転車屋さんも商売にならないだろうと、自転車用のヘルメットを購入することとしました。 それが、下掲写真のヘルメットであります。(ヘルメット) 自転車についてもヘルメット着用が法的義務とされたが、当面は罰則なしの努力義務というのが法律上の取り扱い。 そんなことで、いずれは買おうと思っていたものの、これを先送りし、ヘルメットを着用せずに自転車に乗っていたヤカモチでありましたので、いい機会でもあるかと、店頭に展示されていたいくつかの中から選んで買い求めたという次第。 早速にこれを着用し、いざ出発であります。 既に正午をかなり過ぎてしまっていたので、JR石山駅近くの食堂で昼食を済ませることにする。食堂を出て、銀輪散歩の態勢に入ったのは午後1時を過ぎてしまっていたかと思う。(コース地図1・JR石山駅から瀬田川洗堰手前まで) 京阪唐橋駅前から瀬田川沿いの道を南へ。(京阪・石山寺駅) 石山寺駅前、瀬田川畔の蛍谷公園の入口に紫式部のレリーフが入ったオブジェが設置された噴水ひろばがあったが、奥のベンチに年配のご夫婦らしきお二人が坐って居られ、このオブジェを撮ろうとすると、背後にお二人が入ってしまうアングル。撮影は諦め、振り返って撮ったのが上掲の駅の写真。 百人一首の紫式部の絵札のそれのような、彼女の姿の絵が遠目ながら目に入りました。めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半よはの月かな (紫式部 新古今集1497、小倉百人一首57) 今年の大河ドラマが紫式部が主人公となっていることから、紫式部が源氏物語の宇治十帖を執筆した場所と伝えられる石山寺は観光客の注目を集めることとなるのだろう。(ミツマタ) そして迎えてくれたのは、ミツマタの花。春されば まず三枝さきくさの 幸さきくあらば 後にも逢はむ な恋ひそ吾妹わぎも (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-1895) 「さきくさ」は未詳植物で、ジンチョウゲ、ヤマゴボウ、フクジュソウなど諸説あるが、ミツマタのこととするのが有力説である。 このミツマタの花から少し南に下ったところにあるのが料亭・新月。 ヤカモチが属する友人グループ「健人会」の会合はこのところ専らこの料亭でお世話願っているが、来月3日にも昼の宴席が予定されていて、近々またこちらまで出かけて来ることになる。<参考>健人会関係の記事はコチラ。(料亭・新月) 料亭・新月から石山寺東大門前までは200mくらい。(石山寺の東大門) 石山寺の門前には、ご当地ゆるキャラの「おおつ光ルくん」が観光客に愛嬌を振りまいていましたが、いつの間にか姿が見えなくなっていました。 上の写真では、東大門の前に彼が写っています。21世紀版光源氏だそうですから、今年の大河ドラマのこともあり、彼にも注目であります。 石山寺名物という石餅とお茶のセットを注文、上掲写真の一番手前に写っている床几に腰掛けてこれをいただきました。 写真には写っていませんが左手の店で販売しているもので、店の中のテーブル席で食べることもできるのだが、外の方が気分がよかろうと、自転車を身近に停めても置けるので、床几を選んだ次第。 石山寺はこれまでに何度も訪ねて居り、過去記事にも掲載しているので、今回はパスです。自転車のトラブルがなければ少し立ち寄ってみてもよかったのだが、先を急ぐこととする。<参考>石山寺 2008.10.25. 石山寺散策 2015.9.3. 石山寺散策(続) 2015.9.4. 石山寺散策(続々) 2015.9.5. 石山寺の駐車場を通り抜け、瀬田川沿いの国道422号に出てこれを川下へと走る。(コース地図2・瀬田川洗堰から立木観音手前、鹿跳峡付近まで) 瀬田川洗堰の手前にあったのが皇后陛下行啓記念碑。(皇后陛下行啓記念碑)<参考>貞明皇后・Wikipedia 裏面には、大正11年11月12日の文字が読み取れるから、大正天皇の皇后であり、昭和天皇の母である貞明皇后の行啓を記念した碑であるようだ。 上の写真の碑の左背後に写っているのが、今日の相棒、ヤカモチのトレンクルであります。(瀬田川洗堰) 瀬田川洗堰から1kmほど下った付近で、国道422号とお別れし、県道3号に入る。県道3号を数百メートル進んだ付近にあったのが、「滋賀県指定自然記念物・鹿跳峡の甌穴(米かし岩)」と書かれた説明板。 川岸の木立に紛れて見落としてもおかしくない目立たぬ説明板であったが、たまたま目に止まり、自転車を一時停止。(鹿跳峡の甌穴) 見ると、河原に下りることができる、道とは言えないが何度も人が下りているうちに自然に出来たと思われる通路らしきものができているので、河原に下りてみた。説明板に掲載されている「米かし岩」はどれとも特定できなかったが、岩がゴロゴロとあって、甌穴らしきものが散見される眺めでありました。(同上) 川の淀みの中にわずかに頭を見せている岩が「米かし岩」なのかもしれないが、足場が心もとないので接近しての確認はせず、遠くからの撮影で済ませました。 そして、ほどなく立木観音です。(立木観音・参道登り口) 本堂までは延々と石段を登らなければならないので、ここもパスです。(同上・説明板) 冒頭でこのコースを走るのは10年ぶりと書いたが、2014年3月11日にこれを走っているので、その折の記事も適宜貼り付けて置きますので、併せご覧ください。 前回は、自転車を肩に担ぎ、この石段を登って、本堂まで行って居りますので、下記参考記事をご参照願います。<参考>JR石山駅から曽束大橋までの記事 瀬田川・宇治川銀輪散歩(獺の祭見て来よ瀬田の奥)2014.3.12.(コース地図3・立木観音から曽束大橋、喜撰山大橋) 立木観音から南に400mほど下ると鹿跳橋。(鹿跳橋西詰)(鹿跳橋の上からの眺め) 瀬田川は鹿跳橋の下流で大きく西向きに流れを変え、県道3号も西方向に向きを変える。 西に800mほど行くと石山瀬田川浄苑という霊園の入口がある。 その付近を走っている時に、後ろからクロスバイクで走って来た外国人二人組に追い抜かれる。「コンニチワ」と言うので、「どちらから?」と尋ねると、カナダだという。カナダ人男性の二人組である。宇治まで走るのだと言う。目的地は同じであるから一緒にと言いたいところであるが、こちらは変速機のついていない小型折りたたみ自転車であるトレンクル。彼らは変速機のあるクロスバイクであるから、出せる速度に格段の違い。とてもついてはいけない。「お先にどうぞ」であります(笑)。 ところが、先に行った筈の彼らが自転車を道の両サイドに停めてスマホか何かを見ている。道が不案内な様子。大声で、次の橋、曽束大橋を渡るのだと教えつつ、彼らを追い抜いて行く。しかし、すぐに追いつかれて再び置いて行かれる。 そして、その曽束大橋を渡って、ヤカモチも対岸の道へ入る。(曽束大橋) 本日はここまでの記事とします。(つづく)
2024.03.19
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今日は、大腸の内視鏡検査の日でありました。 昨年の検診でも便潜血が認められたということでこの検査を受けたのであるが、今年も同じ健診結果であったので、内視鏡検査を受けることにしたもの。 検査日前日となる昨日からは、大腸検査食エニマクリン(3食+間食セット)のみを食し、午後8時に下剤を飲み、腸内洗浄の準備に入る。午後9時以降は絶食。 因みに、エニマクリンの内容は、朝食が鯛がゆ。昼食が和風ハンバーグ+白がゆ。間食がゼリーミール+ビスコ。夕食がコーンポタージュ。 食に関しては余り頓着しないヤカモチであるが、これには参りました。殆ど苦痛と言ってよい食事でありました。去年も同じものを食しているので、経験済みなのであるが、そのことについての記憶が曖昧になっていたので、苦痛を新たにしたという次第。 そして、検査当日の今日は、午前8時に、先ず吐き気防止などのための錠剤を飲んだ後、経口腸管洗浄剤モビレップ配合内用剤を2リットルの水に溶かして、200㏄ずつを1杯とし、これを2杯20分~30分かけてゆっくりと飲み、次にお茶または水を1杯飲む。これを1セットとして、5セットを繰り返すというもの。 これは、更なる苦行にて、吐き気を我慢しつつ朝8時過ぎから、10時過ぎまで飲み続ける。その間に何度もトイレに駆け込み排便を繰り返し、最後は殆ど色のない透明な水だけというような排泄物となったところで、飲むことを中止としました。今回のヤカモチは4セット完了時点でそのような状態となったので、最後の5セット目を残し、全部は飲み切らずに済みました。 検査に際しては眠くなる薬を点滴にて投与するので、車や自転車での来院はしないでください、というのが病院側の注意事項。昨年の検査ではこれに従い、電車で出かけたのであるが、今回は自転車(MTB)で出かけました。検査開始前の「この後、車や自転車を運転する予定はありませんね。」という医者の質問には「はい、ありません。」という虚偽の回答をしてのことでしたが、眠気やふらつき感が残るようなら、自転車を押して歩けばいいというヤカモチなりの安全対策を予定してのことでありました。 昨年がどうであったかは記憶にないのであるが、今回は、検査中もその後もずっと眠くなることも、身体がふらつくということもなく検査終了となりました。検査後1時間の病院内安静という措置もなかったので、今回は麻酔もなかったのだろうと思う。 切除されたポリープ2個についての組織検査の結果は、4月1日以降の主治医の外来診察日にお越しください、とのことであるから、それまでは何とも言えないのであるが、多分今回もガンとは認められず、異常なしということなんだろうと思う。 会計を済ませて病院を出たのは午後4時前後。 道路向かいの馴染みの喫茶店・ペリカンの家にてサンドイッチ&珈琲で今日初めての食事。 30分ほどで店を出て恩智川べりを走って、帰宅。(恩智川畔のユキヤナギ)(同上・セイヨウカラシナ) 恩智川畔にはユキヤナギとセイヨウカラシナが咲き始めていました。 上は、デジカメを家に忘れたままであったので、スマホで撮影。 セイヨウカラシナの写真は、気づかずに動画で撮影していたようなので、これを静止画にエクスポートしての掲載であるため、やや不鮮明です。 以下は、今日の写真ではありませんが、花ついでに、14日の銀輪散歩で撮影したオオイヌノフグリとタンポポの写真を掲載して置きます。 桜の開花(開花予想日23日)も間近、いよいよ春本番であります。(オオイヌノフグリ)(同上)(タンポポ)<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.03.18
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今日は囲碁例会の日。 囲碁例会は、毎月第1、第2水曜日(但し、祝休日の場合は休会)に開催されることになっている。会場は、梅田スカイビルの付属棟であるガーデンファイブ棟の5階にある部屋である。2012年3月までは、スカイビルのタワーイーストの21階の部屋で行っていたが、同年4月から現在の場所に部屋が移転し、以来12年間現在の部屋で活動を続けていることになる。部屋からの眺望は些か悪くなったが、囲碁をする段には「眺望」はどうでもいいので、問題はないという次第(笑)。 今日も、雨の心配はなさそうなので、愛車MTB(マウンテンバイク)で梅田スカイビルへと向かう。囲碁も楽しみであるが、自宅から梅田までの銀輪散歩もそれに劣らぬ楽しみなのである。 かつては、朝早くに家を出て、遠回りの寄り道をしたり、色々と走るコースを変えてみたりということがよくあったが、最近は最短ルートを直行直帰というが多くなっている。これも年齢による体力、気力の衰えという奴かもしれない。 今日もその直行直帰でありましたが、今日はちょっとした想定外のハプニングもありました。 最短ルートは花園公園から中央大通り経由、大阪城公園通り抜け、国道1号・2号経由、梅田ランプ西交差点から梅田スカイビルというコースになるが、今日も概ねこのコースでありました。 先週の例会の記事で紹介した大阪城公園のベニスモモの花であるが、1週間経過後の今日は更に開花が進んで、一層華やかになっていました。(ベニスモモ) ベニスモモはベニバスモモとも呼ぶようで、或る木に掛けられた名札には、「ベニバスモモ(ベニスモモ)」と書かれていました。 これをパノラマ撮影モードで撮った写真が下掲の写真です。(同上) 大阪城公園ではこの2枚を撮影したのみでノンストップ通り抜け、天満橋を渡り、少し西に入った処にある滝川公園で小休止。 藤棚下のベンチで煙草を一服して、また走り出し、大阪天満宮前から国道1号線、梅新交差点からは国道2号線となり、桜橋交差点経由、出入橋交差点から北に入り、JR線ガード下を潜った先の梅田ランプ西交差点まで来たところで、この交差点の風景を撮影しようとウェストポーチからカメラを取り出し・・ところがカメラがない。 ここで、初めて気が付いたのでした。 小休止した滝川公園のベンチにカメラを置き忘れたのでした。 ウェストポーチにはスマホ、カメラ、財布その他のものをごちゃごちゃと入れているのであるが、スマホを取り出そうとして、カメラが邪魔になったので、これを先ず取り出しベンチ脇に置き、スマホを取り出したのでありました。スマホはウェストポーチに戻したものの、脇に置いたカメラをそのままに、その場を立ち去ってしまったことに、気が付いたという訳であります。急いで引き返す。 置き忘れた状態のまま、そこにあることを願いつつ・・。 果たして、おそらく滝川公園から梅田ランプ西交差点の往復であるから30分以上の時間が経過していたかと思うが、それは置いたままの状態でヤカモチを待ってくれていました。やれやれです。 ということで、余分な往復がありましたので、梅田スカイビル到着は11時57分。今日はいつもより少しばかり早めに家を出たのに、到着はいつもより15分程度遅くなってしまったという次第。 全席喫煙可の喫茶店で昼食。 昼食後、会場の部屋へ。それでもヤカモチが一番乗り。 少し遅れて平〇氏がご来場。 同氏と対局。これは、ヤカモチの完敗。 続いて、村〇氏と対局。これは、村〇氏が終盤で大きな見落としというか勘違いがあった所為でヤカモチの勝ち。 最後に村〇氏と平〇氏が対局。 これは、終盤で大石が頓死して、平〇氏がギブアップとなり、村〇氏の中押し勝ち。(村〇氏<白>vs平〇氏<黒>戦の最終盤面図) かくして、全員が1勝1敗。今日は出席者は3名のみでした。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.03.13
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昨日(3月8日)は、朝のうちは家でゴロゴロしていたが、昼食後タバコが切れたので、タバコ屋さんへ。 喫煙という悪癖から未だ脱せずにいるヤカモチであるが、タバコの購入は近所のタバコ屋さんで2カートン(20箱)をまとめ買いするのを原則としている。で、近所の駄菓子屋さんM商店併設のタバコ屋さんへこれを買い求めに外出。 そのついでに、馴染みの喫茶店「ペリカンの家」への届け物があったので、これを届けることとする。更に、そのついでのついでに、少しばかり銀輪散歩をしてみようというもの。 さて、その届け物というのは、今回の能登半島地震とその際の火災によって甚大な被害を受けた輪島の朝市通りの復興を願って、40年前に出版されたものの復刊として、福音館書店から今月出版された「あさいち」という絵本。 若草読書会のメンバーの一人であり、長年にわたり子どもたちへの本の読み聞かせ活動をされている景郎女さんから、メンバー宛メールでこの絵本の復刊のことをお知らせくださったのがその発端。 早速、ネット注文でこれを1冊買い求め、一読後、「まちかどライブラリー」をされている喫茶店「ペリカンの家」さんにこれを寄贈しようと思いついたという次第。 ペリカンの家へは、自転車で往路は10分余、復路は15分位の距離。往路と復路との差は、自宅が坂の上にあるため、往路は下り、復路は上りということになるためである。<参考>輪島朝市通りの火災は1か所から拡大した・NHK 朝市。 ☆もも☆どんぶらこ☆の日記あさいちの 絵本とどけむ ペリカンの 家へごごいち 銀輪駆けて (輪島家持) 珈琲しつつ、ペリカンの家・店主、ももの郎女さんと暫しのお喋り。 店を出て、近隣の公園などをMTB(マウンテンバイク)で巡ったアト、最後は花園中央公園へ。(クロガネモチ) すっかり葉を落としてしまったクロガネモチの木に鈴なりの赤き実。(同上)銀輪の 道まだ寒かれ 日の射せば くろがねもちの 実の照るも見む (実家持)(本歌) この雪の 消け残る時に いざ行ゆかな 山橘やまたちばなの 実の照るも見む (大伴家持 万葉集巻19-4226)(注)山橘=ヤブコウジ(同上) 時々、このように葉を落としてしまったクロガネモチの木を目にすることがあるが、本来は常緑広葉樹であるから、普通は下掲の写真のように葉は常にある筈のもの。これでは、ウメモドキみたいではないかと思ったりしたが(これで、実はウメモドキであったなら、とんだお笑いぐさ)、同じくクロガネモチなんだろうと思う。うめもどきの ごとにやあらむ 赤き実の 葉は落ちぶれの われくろがねもち (我家持) これはすぐ近くにあった別のクロガネモチの木。(同上) 通常はこういう姿なのがクロガネモチであるが、落葉樹のようにすっかり葉を落としてしまうクロガネモチというのは、品種が別なのか、単なる個体差なのか。 上掲写真の右奥に写っているのはサンシュユの木。(サンシュユ) 接近して撮ると・・。(同上) 昨日、3月8日は国際女性デーでありました。 この日はイタリアでは男性が女性にミモザの花束を贈る日とされているようで「ミモザの日」とされている。この習慣は、日本にも一部上陸しているようですが、まだ定着という状況ではなさそうなのは、日本男子としては有難いこと。 有難いと言えばサンキューであるから、今日3月9日は感謝の日。 まあ、これは日本でしか成立しない駄洒落であります。 その感謝の日でもあれば、イタリア男子でもないヤカモチは、ミモザの日の翌日ということで、同じ黄色のサンシュユの花の写真を掲載して感謝の意を表することとします。(東大阪市の市の木・クスノキ) 公園の桜広場の一角にあったのが、東大阪市制20周年記念植樹のクスノキの木。(同上副碑) 昭和63年(1988年)3月1日に市制20周年記念として植樹されたものであることが、この碑から見て取れる。ということは、枚岡市、河内市、布施市の三市合併により東大阪市が誕生したのは、昭和43年(1968年)3月、今から53年前ということになる。<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.03.09
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今日は囲碁サークルの例会の日。 お天気の方が心配であったが、朝方の雨は止み、昼前後には所により一時的な雨があるものの、午後は回復に向かうという予報であったので、自転車(MTB)で出かけることとしました。 コースはいつものお決まりコース。中央大通りから大阪城公園通り抜け、土佐堀通りから天満橋を渡り、滝川公園で小休止。大阪天満宮の前を通り、国道1号線、2号線から新出入り橋交差点、梅田ランプ西交差点経由で梅田スカイビルまで、というコース。 大阪城公園の森之宮入口広場には何本かのベニスモモ(紅李)の木があり、花を咲かせていました。(ベニスモモ) 遠目にはうっすらと紅がかった色に見えるが、接近して写真に撮ると殆ど白色である。(同上・接写) 噴水広場を通り抜け、太陽の広場、大阪城ホールを右に見て、少し行ったところにあるのが桃園。 桃の花も咲き出しています。(ハナモモ)(同上・接写) モモはやはり桃色がモモらしくていいと思うのだが、スモモのような白い花のモモもある。(ハナモモ・関白) このハナモモはカンパク(関白)という品種名らしい。その旨の名札が脇に立っていました。(同上・接写) 天満橋を渡った先の滝川公園で小休止。 道路向かいのお寺の今日の門前の言葉はこれ。(今日の門前の言葉) 何やらヤカモチの「へぼ碁」のことを言われているような気も(笑)。 梅田スカイビル到着は11時40分頃。 昼食は、CAFFE PIAZZA DEL POPOLOという喫茶店で。 全席喫煙可という今時珍しい店であるが、愛煙家には嬉しい店。 禁煙・分煙という時代の流れに逆行していることになるが、そういう店が圧倒的に多いことから、逆にそのことで結構「はやって」いるようにも思われるから面白い。 12時15分に会場の部屋へ。 勿論、ヤカモチが一番乗りである。 待つこと20分程度。平〇氏がご来場。 彼と対局している間に、村〇氏、福麻呂氏が来られ、隣で両者が対局。 結果は、平〇氏と村〇氏が勝ち、ヤカモチと福麻呂氏が負け。 メンバーチェンジし、勝ち組同士、負け組同士で対局。 ということで、ヤカモチは福麻呂氏と対局し、平〇氏は村〇氏と対局。 2局目もヤカモチが中押しで負け。連敗である。 隣は、と見ると未だ中盤の戦い。 福麻呂氏は歯医者の予約がこの後あるとかで、早めに帰るとのことなので、平〇・村〇戦の決着を待って、再度メンバーチェンジしての対局は無理という訳で、ヤカモチともう一局打つこととする。 福麻呂氏とヤカモチは早打ちなので、勝負が早いのである。 今度は、ヤカモチの勝ち。 ヤカモチは1勝2敗。福麻呂氏も1勝2敗。 我々の2局目の勝敗が決着したのに、隣の両者は未だ終盤戦の状態。 結果は、平〇氏の半目勝ち。平〇氏2勝、村〇氏1勝1敗。 これが本日の皆さんの成績。 結局、時間切れでヤカモチは村〇氏とは対局出来ずでありました。 平〇氏とヤカモチは時間に余裕があり、煙草休憩を「全席喫煙可」の喫茶店で暫時過ごすこととする。 帰途もほぼ同様のコース取りで自宅へ。 途中、中央大通りを横枕西交差点まで来たところで、満開のミモザの木があったので、撮影。(ミモザ) ミモザの和名は銀葉アカシアであったかと記憶するが、ミゴトな咲きっぷりです。同交差点近くの横枕南公園で小休止、花園中央公園でも小休止して、帰宅は午後5時15分でありました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~ 花関連の過去記事は下記参照 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.03.06
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今日は、久しぶりに小阪教会の礼拝に出席して参りました。 というのも、小阪教会創立97周年記念礼拝という特別な礼拝であったことに加え、礼拝後の祝会で、故智麻呂氏のご息女の今日郎女さんがメンバーとなって居られるジャズ・バンドの「Small Planets」によるコンサートが予定されていたからであります。 自宅から小阪教会までは自転車で30分もあれば行ける距離なので、例によって例の如く、MTB(マウンテンバイク)で出かけることとしました。 近鉄・河内小阪駅を少し南へ行った付近で、同じく礼拝に出るべしで前を歩いて居られた槇麻呂氏と利衣郎女さんに出会い、そこからは自転車を降りて一緒に歩くこととしました。 教会到着は、9時55分。(日本基督教団小阪教会) 教会の敷地に入ると、入り口右手にこんな案内看板。(同上・創立97周年記念礼拝の案内板) 下は創立90周年の時に作成された記念ロゴのようですが、本日のプログラムや週報にこれが掲載されていました(但し、カラーではなくモノクロ)ので、同教会のホームページからカラー版のものを転載して置きます。<参考>小阪教会ホームページ(同上・創立90周年記念ロゴ) 午前10時15分。定刻となり、礼拝開始。 (同上・週報より転載) 礼拝終了後、教会でご用意くださった、ハヤシライスで昼食&珈琲タイムを取り、午後からのコンサートタイムとなる。<参考>Small Planetsホームページ バンドのメンバーの皆さんを撮影した演奏中の写真をそのままブログにアップしてもいいのかどうか迷いましたが、上記のホームページなどを拝見すると、氏名も演奏画像などもネットに公開されていますから、顔部分を隠すなどの修正を加えずに掲載しても問題ないと判断されるので、そのまま掲載させていただきます。(Small Planetsの演奏風景)(同上) (同上)(同上) (同上)(同上)(同上) 祝会終了後、凡鬼さん、槇麻呂さん、和郎女さんら若草読書会のメンバーと利衣郎女さんたちと小阪駅近くの喫茶店で暫し閑談。3時半頃に店を出て、駅前で皆さんと別れてヤカモチは家路に。午後4時過ぎの帰宅でありました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2024.03.03
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今日から3月でありますが、本日の記事は4日前のことになりますから、2月26日の記事ということになります。 この日は予約を入れて置いた整体院で施術を受けた後、1月に健診を受けた石切生喜病院へ、健診結果を受領するため立ち寄ることにしました。 肺がん検診は指摘事項なし。大腸がん検診については、便潜血が認められるので要精密検査という昨年と同じ指摘。その他については、高血圧であること(これについては、既に循環器内科で降圧剤を処方して貰い、それを服用しているので、改善しつつあります。)と血糖値が基準値をわずかばかりオーバーしていることから、「生活習慣を改善し、折をみて再検査を受けてください。脂質代謝でわずかに異常を認めますが、日常生活に支障ないと考えます。」という指摘でありました。 これは、一昨年あたりから、足底筋膜炎ではないかと思われる足裏の痛みと腰痛から長距離を歩くということが出来なくなり、運動量が減少していることが関係していると思われる。 長距離ウオークは無理でも、自転車は長距離でも大丈夫なので、銀輪散歩に精を出しますかな。 だからという訳でもありませんが、病院の向かいの馴染みの喫茶店・ペリカンの家で少し早めの昼食を済ませると、ブラブラと何処というあてもない銀輪散歩を続けることとしました。 北隣の大東市に入り、JR住道駅と鴻池新田駅との中間付近で寝屋川にぶつかり、川を渡るか川沿いを走るか迷ったが、川は渡らずに左岸沿いの道を選択することとする。しかし、これは一方通行の道で、これを逆走する形となる上、右手は寝屋川のコンクリート壁が延々と続くという、何とも楽しくない道。 そこで、鴻池新田駅の少し手前で、左手に並行して走っているJR片町線(学研都市線)の高架下を潜って、左手・南に方向転換。 そこから先は、どう走ったのか定かではないのであるが、時々、生駒山の見える方角を確認しつつ走る。 そろそろ引き返す頃合いかと東に方向転。 そんな、でたらめに走っている中で出くわしたのが宇波神社。(宇波神社) ここは、初訪問の神社だろうと、ブログネタついでにご挨拶して行くこととする。 ところが、帰宅して調べてみると、2010年4月28日の記事でこの神社のことが紹介されているのでした。 しかし、この記事では、小さな写真2枚と由来の碑文の一部の転記が紹介されているだけなので、今回撮った写真を没にするのも忍び難くありますれば(笑)、これを補足するという形で記事にすることといたします。<参考>河内街道銀輪散歩 2010.4.28.(同上・拝殿)(同上・由来などの碑) 上の石碑の碑文については、前記<参考>記事に転記した文章が掲載されていますので、それをご参照ください。画像をクリックしていただいて、フォト蔵に収録の大きいサイズの写真でご覧いただき、石碑から直接これを読み取ることも勿論可能です。 それによると、元々は、宇婆神社と称していたようだから「ウバ」神社と発音していたと推測される。「宇婆」は仮名表記だと、濁点が省略されて「うは」と表記されることも多いから、「ウハ」から「宇波」となり、発音も「ウハ」→「ウワ」と変化したのかも。 或いは、「婆」の「女」が省略され、「宇波」となった結果、「ウハ」→「ウワ」と変化したのかも。 「宇婆」から「宇波」に社号が改称されたのは、明治8年(1875年)4月28日のことで、今から149年前のことに過ぎないから、地元出身の方のブログ記事でも子どもの頃「ウバ神社」と呼んでいたと記されているように、今でも「ウバ神社」と発音する人がいるようにも思われる。 「宇婆」からは「優婆夷、優婆塞」という仏教の在家信者を表す言葉やバラモン教の聖典・ヴェーダの最終章「ウパニシャッド」とこれに基づく「ウパニシャッド哲学」なども連想したりできるが、関係はないのだろう。 尤も、ウパニシャッドの語源は「近くに坐す」という意味らしいから、村の鎮守の神様には相応しい名称と言えるかも(笑)。<参考>在家・Wikipedia ウパニシャッド・Wikipedia(同上・宇波神社の秋祭りの碑) 碑の全文を転記すると下記の通りです。宇波神社の祭神は埴安姫命(はにやすひめのみこと)で字(あざ)瓦(かわら)口(ぐち)に鎮座しています。延喜式内社で神名帳によれば、従三位を授けられています。(大阪府全誌)神社の周辺は、まわりより少し高くなった所で、古代は水辺であったようで、この付近を白肩(しらかた)の津と呼び、船が停まれるような深さをもっていた所であったようです。加納の北西部に小字名で「シカタ」という処があることからも推定されますが、波打ち際に祀られた神社であったようです。この神社では、秋祭りになると獅子舞が各家を回ります。昭和45年頃までは、中地区の北部の各地で舞われていましたが、最近では、宇波神社に見られる郷土芸能として、貴重な伝統行事になりました。獅子舞は獅子の面の人と天狗の面をかぶり、ササラを持つ人が踊り、囃しは笛を使います。以前は十数種の踊りと吹き方を伝えていました。各家を訪ね五穀豊穣と家内安全を願って祓って歩くのです。平成13年9月東大阪市 境内の石碑によると、秋祭りは毎年10月16日のようだから、覚えていたら、今年の秋には祭りを見に再訪してみるか。(同上・神武天皇遙拝所) 境内には神武天皇遙拝所があるが、西向きに遙拝する位置にそれがあるので、橿原神宮の方向(南東方向)ではなく、日向の方向を意識したものかもしれない。(同上・道路向かいに建立された新しい社殿) 拝殿を背に鳥居の前から南方向を見やると、鳥居前の東西道と鳥居正面を南方向に伸びている南北道とが鳥居の前でT字交差している。この南北道はこの宇波神社の参道ということになるのだろう。 この参道の起点の左手(東側)には、拝殿・本殿のある境内地と東西道を挟んで向き合う形で、まだ新しい社殿が建立されている。 では、この参道を南(奥)へと下って参りましょう。(おかげ灯籠) 南へ100mほど下ったところにあったのが、おかげ灯籠。(おかげ灯籠と河内街道の碑) 上掲写真の説明碑文の全文は下記の通りです。伊勢神宮の遷宮(神殿の建替)の行われる年は「おかげ年」といわれ、この年に参宮すると、平年より一層のご利益があるということから、集団となって伊勢神宮参詣が行われました。江戸時代の後半の明和8年(1771)には、200万人以上の参詣があったと記録されています。宝永2年(1705)、文政13年(1830)のおかげ参りも大規模なものでした。文政十三年庚寅の年号のあるこの燈籠も、おかげ参りをした加納の人たちが、記念して常夜燈として建てたものです。この前の道は、宇波神社の参道で、河内街道に先立つ古い道でもあります。西方を南北に通る河内街道は、大正11年(1922)刊行の「大阪府全誌」に、当時の主たる街道の一つとして、枚方市伊加賀で国道1号線(京街道)から寝屋川、四條畷、大東、東大阪市を経て、JR関西線八尾駅までの道としてのせられています。江戸時代の古図には、“河内街道”という名称はありませんが、伊加賀から河内平野の中央部を南北に通り、旧村各地を結ぶ古い道として、大切な役割を果たしていました。平成5年1月東大阪市 更に100mほど行くと、吉野神社跡地という碑がありました。 宇波神社の由来などを記した石碑に、「末社には吉野神社、水分神社を有す」とあるから、この付近一帯までが宇波神社の境内地であったのかもしれない。(吉野神社跡地の碑) 裏面を見ると平成2年2月の建立とあるから、1990年の建立。 34年前であるから、未だ新しい。 道路向かいの宇波神社の新しい社殿の建立の祭にこの碑も建立されたのかもしれない。だとすれば、宇波神社新社殿の建立も1990年2月ということになるが、この点は未確認であります。(同上・裏面)(宇波神社などの位置図) 参考までに宇波神社などの位置図を示して置きました。 緩衝緑地公園を経て、中央大通りから、花園中央公園へ。(花園中央公園のモミジバフウ) 花園中央公園のモミジバフウはすっかり葉を落とした中、点々と実が沢山なっていて、地面にも落下した実があちこちに。(同上) 上の写真では、鳥の巣らしきものがあったことが見て取れます。 以上で、銀輪散歩終了、帰宅であります。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2024.03.01
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友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今回からはハガキに印刷した「旅報告」の郵送に代えて、印刷前の「旅報告」を電子メールに添付という方法で送っていただくことができました。 写真については、かなり前からメール添付で送っていただいていますので、これで全てのプロセスが電子化されたことになります。 かつては写真も紙に焼き付けたものを送っていただいていて、それをヤカモチがデジカメで撮影し、その画像をPCに取り込んでいたのですが、写真を撮影した画像なので、鮮明さに欠けるという難点がありました。メール添付による送信で、岬麻呂氏撮影の元画像がそのまま入手でき、この問題は解消しました。 残るは、紙で送られて来る「旅報告」と「写真説明」でありましたが、これも、今回からは、ヤカモチが撮影してPCに取り込む必要もなく、メール添付のそれをPCに取り込めばいいだけとなりました。 さて、今回の旅は、網走・流氷の旅であります。 流氷の旅は毎年恒例にされているようでありますが、今回はご長男、そのご長男(つまり、岬麻呂氏のお孫さん)、岬麻呂ご夫妻の4人旅でありました。 では、メール添付で送られて来たという旅報告と写真説明を先ずご紹介申し上げます。(旅・岬巡り報告327)(同写真説明)※画像をクリックしてフォト蔵の大きいサイズの画像でご覧いただくこともできます。 では、八日遅れとなりますが、流氷の旅に私たちもお相伴させていただきましょう。2月19日関西空港→新千歳空港→女満別空港→レンタカー→能取湖南岸→能取岬→網走セントラルホテル(3連泊) 関西空港からの女満別空港直行便がなくなったそうで、新千歳空港での乗り継ぎで女満別空港へと向かいます。(岩木山・機上から) 津軽上空から見る岩木山です。 飛行機の窓からの撮影ですが、綺麗に撮れています。(函館山・機上から) そして、函館山です。 海に突き出した半島の先に函館山が一望です。 飛行機の窓からの写真が続きます。(富良野盆地・機上から) これは、新千歳から女満別への飛行機から撮影の富良野盆地。 昨年ご逝去されたfurano-craftさんのことなどが思われます。(十勝連山・機上から) 同じく、雪の十勝連山です。(サロマ湖・機上から) 女満別空港へと高度を下げて行く機上からのサロマ湖です。 すっかり凍結して白い雪原となっているサロマ湖であります。(能取湖・機上から) 女満別空港への着陸は、いったん海上まで出て旋回し、北側から着陸するという飛行ルートになるのでしょうか。 この日は南寄りの西風が吹いていて、北からの着陸ルートということになったのでしょう、多分。となると、流氷は沖合に離れ去ってしまうこととなり、流氷観光としては問題あり、である。 それはともかく、能取湖上空から女満別空港へと着陸態勢に入ったようであります。 女満別空港でレンタカーを利用して、向かわれたのは能取岬。(能取岬)流氷の 旅にしあれど 岬麻呂 先に訪ねな 能取の岬 (岬家持) ということで、今回の旅の宿、網走セントラルホテル到着であります。 夕食では、「地酒を楽しんだ」というのが定番の岬麻呂氏でありますが、今回はお孫さんとご一緒ということで、そちらに気が向かわれていたのでしょう、「夕食は近隣の食事処で、孫は珍しいものばかり注文、特にエゾシカの刺身が大変気に入った様子で・・」とお孫さんのことを書いて居られますな。 食であれ、何であれ、好奇心旺盛なのは、おじいちゃん譲りと言うべきかもしれませんが、いいことであります(笑)。 流氷観光船、ガリンコ号を予約されていたのでしょうが、その夜、明日のガリンコ号は欠航する旨のメールが入ったとのこと。2月20日涛沸湖・白鳥公園→斜里町・宇登呂→オシンコシンの滝→エゾシカ牧場→天に続く道(R334)→網走監獄博物館 ガリンコ号が欠航とあっては是非もなし。 宇登呂まで行けば、流氷が見られるだろうという岬麻呂氏の見込みに従い、宇登呂へと向かうことに。(流氷下への潜水) はい、その見込み的中。宇登呂の流氷です。 知床半島が流氷をせきとめる役割をしているのですな。びっしりと接岸しています。 この流氷の下へ潜水しようとする人も居るようです。(宇登呂の流氷) 岬麻呂氏のご長男とお孫さんは、接岸している流氷の上に乗ってご満足であったとか。我はもや 流氷に乗りぬ 知床の 宇登呂の海の 流氷に乗りぬ (流氷家持) こんなにも流氷が混み合っていると、夜更けには、互いにぶつかり、こすれ合って軋む音がするのだろうか。さ夜更けて 軋む音すなり 流氷の 宇登呂の海に 軋む音すなり (流氷家持)(同上)(オシンコシンの滝)(エゾシカ牧場) エゾシカ牧場は「宇登呂の国道沿いにある」とのことですから、R344沿いということですな。 そのR344の直線道路部分全長28.1kmが「天に続く道」。 視界が悪く、天に続いているようには見えないこの日でありました。(天に続く道)2月21日美幌→津別相生・交通博物館→阿寒湖→鶴居村・鶴見台→摩周湖→屈斜路湖→弟子屈湖→美幌峠 網走に戻るも、こちらには流氷がないのでは、仕方がないと予約していたガリンコ号乗船をキャンセル。津別相生の交通博物館へ。(津別相生駅・ラッセル車) そして阿寒湖へ。 阿寒湖は完全に凍結していて、湖面が駐車場になっている。 「ダンプカーも走れるらしいです」とのことだが、過去には90cm以上もあった氷の厚さが温暖化で年々薄くなってきているだという。(阿寒湖・雄阿寒岳遠望) そして、鶴居村の鶴見台へタンチョウを見に。(丹頂 鶴居村・鶴見台)(同上)(同上) 次は、「霧の摩周湖」ならぬ「吹雪の摩周湖」。 霧であれ吹雪であれ、視界が悪くて見えないのであれば、どちらでも同じこと、の摩周湖であります。(摩周湖) 屈斜路湖は、湖岸から温泉が湧出していて、その部分が凍結を免れているので、白鳥たちが集まってくるのだそうです。(屈斜路湖の白鳥) これは美幌峠から眺めた屈斜路湖。 中央の小島は中島。(美幌峠) 岬麻呂氏「『君の名は』の有名な場所の一つ」とのことだが、ヤカモチは知らない。「佐多啓二と岸恵子の映画は若者は知らない。同名の漫画が有名で知っている。」とのことだが、中途半端なヤカモチはと言うべきか、超高齢過ぎて認知機能が衰えたからと言うべきか、何れにせよ、その映画の題名は記憶するものの、内容の詳細は知らないので、「ああ」とも「そうそう」とも申し上げ兼ねるのであります(笑)。2月22日サロマ湖・ワッカ原生花園→R238→湧別→網走・オホーツク流氷館→女満別空港→新千歳空港→関西空港 旅の最終日は、サロマ湖へ。(サロマ湖・地吹雪) 上の写真撮影直後に、右方向から猛吹雪が襲来したとのことですが、国道238で湧別まで、お孫さんに雪道運転の練習ということで「吹雪と地吹雪を体験させる」ということをなさったとか。 いいおじいちゃまですね。(サロマ湖) 着陸の際に上空から眺めたサロマ湖ですが、ワッカ原生花園もサロマ湖も当然のことながら、雪に埋もれていて、ただの雪原。(同上)(網走湖・オホーツク流氷館屋上から) まあ、何にしても楽しそうな家族旅行でありましたね。 全743kmのドライブ旅お疲れさまでした。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.02.27
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昨日(2月17日)は若い頃からの親友の一人である野〇氏邸を訪問して来ました。 発端は昨年12月14日の彼からの電話。 久しぶりの電話であったが、それによると肺に水がたまって呼吸困難になるという重大事態に陥り、救急車で搬送されるということがあり、それは適切な救急医療の措置により、軽快したのであるが、その際の検査で小腸から大腸への連結部にガンが見つかり、その摘出手術を受けることになったとのこと。 7時間にも及ぶ手術だったそうだが、幸いその手術もうまく行き、他への転移も今のところは認められないということで、術後の経過観察は適時に要するものの、無事に退院でき、現在は自宅に帰っているという話であった。 彼と直近に会ったのは一昨年の12月のことであったので、そんな大変なことになっていたとは露知らずで、大変驚きました。 すぐにも見舞に行くと言ったが、もう年末でもあるから、年が明けたらまたこちらから連絡するので、食事でも一緒にしようというのが、彼の言でありました。 で、年が明けて日程を調整する中で、彼が指定して来たのが昨日の2月17日であったという次第。 そして、彼のご自宅にお伺いして、一緒に鍋でも囲んで食事を、ということになったという訳である。(大阪市西区役所) 午後3時の待ち合わせであったが、早くに最寄り駅に到着してしまったので、土佐稲荷神社に立ち寄ったり、近くの喫茶店に入ったりして時間調整をして・・。(土佐稲荷神社)(同上) 思えば、一昨年の12月に彼の自宅に招かれて食事を一緒した時にも、土佐稲荷神社に立ち寄って時間調整しているのでした。<参考>囲碁例会・銀杏散る道 2022.12.7. 土佐稲荷神社 2013.6.9. 若い頃は、年に一度ヤカモチの方が彼を自宅に招き、食事をするということが続いていたが、いつの頃からかそれが途絶え、一昨年12月と今回と、ここ2回は、彼の方が自宅に招くということが続いていることになる。 さて、時間調整するも、少しくらい早くても許容される範囲だろうと、約束の時間よりも15分ほど早い時間に、彼のマンションの玄関チャイムを押すこととなりました(笑)。 迎えてくれた彼には、病やつれなどの感じはなく、お元気そうな様子であったので、先ずはひと安心です。 昔のことのあれやこれや、最近の出来事のあれやこれや、共通の友人、知人のことのあれやこれやを、酒の肴にしての、とりとめもないお喋り(と言っても下戸のヤカモチですから、アルコールは最初の乾杯の一杯だけで、後は専らウーロン茶でしたが・・)。 美味しいお料理と奥様の行き届いたおもてなしも受けて、愉快で楽しいひとときを過ごさせていただきました。ヤカモチとしては、病気見舞いのつもりでお伺いしたのであったが、まるで快気祝いみたいで、こちらが元気をもらったような感じで、時間は瞬く間に過ぎ、午後7時近くになったので、おいとまをすることとなりました。思ふどち まさきくもあれ 常磐なる 松のさ枝を 結び願はな (松家持) 野〇氏のご健勝を心からお祈りします。
2024.02.18
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友人・岬麻呂氏からの旅便りであります。 今年2回目となる石垣島へのご夫婦旅ですが、今年1月11日~14日に行かれた石垣島旅行で、カエンボクの花を「もしも見そびれたらと考え予約しておいた」ということですから、今回の旅は予備としてご計画されていたもののようです。 前回の旅でもカエンボクの花の写真を撮影されていますから、「見そびれた」というような事情ではなかったかと思われるので、ならばキャンセルしてもよかったのでしょうが、カエンボクの花の咲き具合に満足されなかったのか、それとも何度でも見たくなるのがカエンボクの花ということで、キャンセルは勿体ないと決行されたのか、その辺のところはよく分かりませんが、前回から22日後にしかならない時期にまたしても石垣島への旅でありました。 (旅・岬巡り報告326 石垣島)2月5日関西空港→石垣空港→レンタカー→玉取崎展望台→平久保埼灯台→野底海岸→吹通川マングローブ林→米原ヤエヤマヤシ群落→川平湾→御神埼灯台→唐人墓→バンナ公園→南の美ら島ホテルミヤヒラ(3連泊) 関空の早朝便で石垣島へ。 しかし、本降りの雨。想定内とはいえ残念、とは岬麻呂氏の言。 それでも平久保埼灯台では、時々小雨の曇りに回復。 同じく岬麻呂氏の言、これは「想定外」であったとか(笑)。(平久保埼灯台) 野底海岸では、前回はマリンスポーツの若者たちで大賑わいであったのが、この日は岬麻呂氏ご夫妻のみという超閑散であったとのこと。 そこの瀟洒なカフェで昼食を楽しまれました。 大人のお子様ランチ、とはいかなるものか。お子様ランチの大盛に小鉢が三つとスープ付き、というのがその正体らしいですが、三分の一を食べるのがやっとで、そこでギブアップされたというから、楽しまれたのか苦しまれたのか、微妙でありますな(笑)。(寒緋桜とヤシの木) バンナ公園のカエンボクは満開だったようです。(カエンボク) これが、そのバンナ公園のカエンボクの花かと思われますが、今回の旅の目的はカエンボクの花でありますから、先ずは目的達成であります。 とここで気づいたのですが、カエンボクの花を重ねて見たいと仰ったのは岬麻呂氏ではなく夫人の方であったのではあるまいか。 そこで、岬麻呂氏は予備的に準備していた旅の計画を実行せざるを得なくなった。 であるなら、岬郎女様に成り代わって歌でも1首詠んでみますか(笑)。石垣の 島に春咲く カエンボク つぎて見まくの 欲しき花かも (岬郎女) 「見まく」とは「見む」+形式体言「あく」がくっついた語で「見むこと」という意味になります。 同じような用例は万葉にも多くあり、 「見る」+「あく」で「見らくしよしも」とか、 「降らむ」+「あく」で「降らまくはのち」とか、 「恋ふる」+「あく」で「恋ふらくは」とか・・。(クルーズ船遠望) 今回も石垣港には巨大クルーズ船が寄港していたようです。 船影から判断するに、前回と同じMSCベリッシマ号のようです。 ホテルのレストラン「ひるぎ」での夕食時、「先月キープした泡盛の飲み残しボトルが先に出て来たのには驚かされた」とか。店員さんが覚えていて下さったのですね。 こういうことも旅先ではうれしいこと。よかった、よかった。2月6日島を右回りに一周→観音埼灯台 気温23℃。島を右回り。一瞬の晴れ間に恵まれる。 この日の情報はこれだけですから、いかなヤカモチもお手上げ(笑)。(観音埼灯台) まあ、観音埼灯台が青空に白く映えていますので、これも、よかった、よかった、であります(笑)。 学生時代、犬養先生の万葉集の講義での余談で「人は、本当に喜んでいる時は、嬉しいな、嬉しいな、と2回重ねて言うものだ」と仰っていたのを思い出しましたので、ヤカモチも2回重ねて、よかった、よかったであります。(石垣の海)2月7日白保海岸→御神埼灯台→平久保崎→川平湾→底地ビーチ この日は、曇り時々小雨、気温21℃。今度は島を左回りに。 カエンボクの花を堪能であります。(カエンボク<赤>)(同上<オレンジ色>)(同上<オレンジ色・接写>) 白保海岸は、島の東部にありサンゴ礁が大きくて有名らしいですが、そこにある白保食堂で昼食。 女将さんとはすっかり顔なじみになっておられるようで、「また来たの」というのが女将さんの言。 大海老4本、サラダ山盛りというエビフライ定食を注文し、山盛りご飯は半分にしてもらったそうだが、食べ残してしまわれたとのこと。 「お歳ですかね、食が細りましたね。」これも女将さんの言。 「元から盛りが多すぎる。」これは岬麻呂氏の言。(寒緋桜) 盛りが多すぎる昼食に苦闘された岬麻呂氏でありましたが、午後は、寒緋桜を楽しみ、御神埼灯台へ。(御神埼灯台) 平久保崎、川平湾、底地ビーチと巡って、午後4時にホテルに帰着。 その直後に豪雨。 早めの帰着で、これも、よかった、よかった。2月8日右回りドライブ→石垣港→石垣空港→関西空港 旅の最終日のこの日も、曇り時々小雨。寒波の影響で気温は19℃。 右回りにドライブ。 石垣港で、巡視船あさづきを撮って、巨大クルーズ船の近くへ。(海上保安庁 巡視船 あさづき) 巨大クルーズ船・MSCベリッシマ号。 巨大なビル、大型マンションが船に化けたような圧倒感がありますね。 前回、この船を近くで見ようとされるも、その前夜に出航してしまっていて果たせずでありましたが、今回は間近くで見ることができました。 と言っても、巨大過ぎて、かなりの距離を取らないとその全体がカメラには収まらないので、痛し痒しですな(クルーズ船) 夕刻便で関西空港に帰還。 全581kmの島内ドライブの旅完結、お疲れ様でした。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。(追記:2024.2.16. 10:24)巨大クルーズ船を間近に見るというくだりのところで「前回たのでしたが」という意味不明の文章になっていたので、加筆訂正しました。これは打ち込んだ筈の文章がPC操作の具合で一部が消えてしまったことによるものです。
2024.02.15
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今日は囲碁例会。自宅をMTB(マウンテンバイク)で出発。中央大通りから大阪城公園を通り抜け、天満橋を渡り、滝川公園で小休止。(滝川公園で見かけた保育園児たち) 滝川公園では、保育園児たちのお散歩タイムであったようです。 振り返ると、こちらでも保育園児たちの集団。(同上) 子どもたちの可愛い仕草に心和まされつつ、ヤカモチ爺さんは楽しそうに藤棚の下でタバコをぷかりぷかりでありました(笑)。 梅田スカイビル到着は11時45分。 前回、地階・滝見小路で見つけた「全席喫煙席」という店に自然に足が向かっていました。そこで昼食&珈琲。(CAFFE PIAZZA DEL POPOLO) 昼食を済ませて地上に上がると、丁度ポールから放水が始まっていましたが、地階の廊下や店内からこの水が滝のように見えることから、滝見小路という名付けになっているようでありますので、その写真を撮ってみました。(梅田スカイビルの滝) 付属棟のガーデンファイブ棟の5階の部屋に行くと、今日もヤカモチが一番乗り。 碁盤と碁笥の設営をして他の出席者の来場を待つ。 部屋の窓から外を眺めてみると・・こんな眺め。(中自然の森) 写真右手にその一部が見えているのが、先ほどまで放水をしていた滝のポールであります。地階に設けられた中庭・中自然の森を取り囲む水路へと滝の水が落ちることとなるので、地階にある店の窓から、滝が眺められるという次第。日に何回か放水されるのだろうと思うが、何分間かの短い時間であるから、滝が見られるのはわずかな限られた時間帯だけのことである。(同上) 中自然の森の向こう側に見える建物は大阪ウエスティンホテル。 梅田スカイビルと大阪ウエスティンホテルとを総称して新梅田シティと呼ばれているという次第。 待つ事10分余。平〇氏がご来場。 同氏と対局。これは、終始優勢の展開でヤカモチの中押し勝ち。 少し遅れてご来場の村〇氏と次に対局。これはほぼ互角の展開であったが、寄せでうまくやられてしまった感じで、ヤカモチの数目負け。 最後に村〇氏と平〇氏が対局。これは平〇氏の中押し勝ち。 ということで、今日は全員1勝1敗ということになりました。 これで、ヤカモチの今年に入っての成績は5勝1敗。 例会終了後、平〇氏とヤカモチの両名は、全席喫煙席の店に行き、しばし談笑でありました。 帰途は、花園ラグビー場経由で帰宅。(花園ラグビー場)<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.02.14
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智麻呂氏がお亡くなりになって、この15日で、はや2年になる。 そのご命日を控えての今日(12日)、ご家族で、はびきの中央霊園にある故智麻呂氏のお墓参りをされることとなり、夫人の恒郎女さんからお誘いをいただき、ヤカモチもその一員に加えさせていただくこととなった。 ということで、MTBで恒郎女邸・若草ホールに向かう。長女の今日郎女さんと恒郎女さんとヤカモチは、今日郎女さんのご主人が運転されるお車に同乗して、10時30分を少し過ぎた時刻に若草ホールを出発して、はびきの中央霊園に向かいました。次女のめぐの郎女さん、三女のかほりの郎女さんは、めぐの郎女さんのご主人が運転されるお車に同乗されて、奈良県側から、現地11時集合で向かわれる手筈になっているとのこと。 15分弱の遅れで現地に到着。奈良県組は既に到着済で、お墓の掃除などを済ませ、我々の到着を待って居られたようであります。 めぐの郎女さんのお嬢さんのナナちゃんも来ておられましたので、墓参の参列者は全8名でありました。(智麻呂氏が眠る日本基督教団小阪教会墓地)(同上) お墓の前で、讃美歌「うるわしの白百合」(この曲は智麻呂氏が特にお好きだったという讃美歌である。)と讃美歌「神ともにいまして」(この曲は若草読書会の例会を終えて若草ホールをおいとまする際によく歌ったものである。)とを、皆で合唱。そして黙祷を捧げ、皆の集合写真を撮影の後、お墓を後にしました。(墓地背後の鉢伏山)われはまた 鉢伏の山 訪ね来む 見まくの欲しき 君にしあれば (偐家持)(はびきの中央霊園) 墓参後、太子町から竹之内街道(国道166号)経由で奈良県葛城市に向かい、「魚菜食房すしぜん」(葛城市太田)へ。そこで昼食ということになりました。お勘定は恒郎女さん持ちということで、すっかりご馳走になってしまいました。(「魚菜食房すしぜん」の道路向かいの白梅の木) 昼食が始まる前に、三人のお嬢様からとバレンタインチョコまでいただいてしまいました。 昼食時の会話の中で驚かされたのは、ナナちゃんの記憶力の卓越さでありました。ナナちゃんは智麻呂氏のお孫さんであることは、智麻呂絵画展の記事などをご覧になっているお方は夙にご承知かと思いますが、彼女にとってのおじいちゃんである智麻呂氏が入院された日や退院された日などの日付を鮮明に記憶されていて、即座に何年何月何日と言い当てることがお出来になったことでした。(バレンタインチョコ) たらふくご馳走になり、再び、今日郎女さんのご主人のお車に同乗させていただき、若草ホールへの帰途に。 途中、立ち寄った「道の駅葛城」の前では、お猿さんの曲芸が披露されていました。(お猿さんの曲芸) 宙返りの瞬間をカメラに収めようと待ち構えていましたが、曲芸師とお呼びするのか猿回し師とお呼びするのがいいのか存じ上げませんが、彼の前口上が長過ぎたようで、宙返りで飛んだ瞬間に画面が暗転してシャットダウンしてしまい、撮影に失敗でありました。(同上) 若草ホール帰着は午後3時ちょっと前。 珈琲をご馳走になってから、ヤカモチは今日郎女さんたちとはひと足早く、MTB(マウンテンバイク)で家路につきました。 恒郎女さん、そしてご家族の皆さん、今日は家族でもないヤカモチをその一員に加えさせていただき、本当にありがとうございました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2024.02.12
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日付が前後しますが、一昨日(2月6日)は月例の墓参でありました。 月例と言ってはいますが、1月については、年末に墓参することでもあり、毎年割愛していますから、2月がその年の最初の墓参ということになる。 我が家の墓地は生駒山地の西麓の高みにあるので、かなりの急坂もある坂道を上らなければならない。そして、途中にあるお寺の門前の言葉を見て行くというのが、お決まりのパターン。 この日の門前の言葉はこれ。(門前の言葉) ”そのうちに”なんて 当てにならないな いまがその時さ -トーベ・ヤンソン-<参考>トーベ・ヤンソン・Wikipedia ムーミン・Wikipedia はい、墓地の入口付近です。(墓地への道) この奥が墓地。 墓地から西方向を望むと、大阪平野が一望である。(墓地からの眺め) ワイドに撮ると・・。(同上2) 更にワイドに撮ると・・。(同上3) 花を取り替え、線香を手向け、礼拝。 墓参を済ませるとそのまま直帰ということが多いのであるが、この日は山沿いの細道を辿り、枚岡梅林まで散策。(センダンの木) 遠くに実をいっぱいにつけたセンダンの木が、遠目には花を咲かせたように、ひと際目立っていました。 はい、ズームアップして撮影してみると、間違いなく実であります。(同上)(山沿いの道) トンネルのようになっている左側の道は、下の畑への通路でありますので、右側の道を行きます。(同上) こんな細道をしばらく歩き、やがて人家もある広い道に出て、枚岡梅林である。(枚岡梅林の梅1) 枚岡梅林は、2016年に梅の木がプラムポックスウイルス(ウメ輪紋ウイルス)に感染していることが判明し、2017年1月に全ての梅ノ木が根こそぎ伐採除去され、全滅した。このウイルスに感染すると除去後4年は梅の木を植えてはならないらしく、4年の空白後の2021年1月31日から、梅の若木が植樹され、梅林復活事業が開始された。<参考>枚岡梅林の復活へ、植樹が始まっています。 2021.1.31. 墓参・花散歩・枚岡梅林 2016.3.5. ということで、現在の梅の木は植樹後まだ3年しか経っていないので、人の背丈よりも高い木はごく少数で、多くは人の背丈程度かそれ以下の背の低い若木である。 それでも季節めぐるごとに花を咲かせ、春の到来を告げてくれる。(同上2) 上の白梅は玉ナントカという品種名の書かれた名札が掛けられていたが、思い出せない。 下の紅梅は、鹿児島紅(かごしまこう)という品種名の名札でした。(同上3)(同上4) 最後は、枚岡梅林の水仙です。(枚岡梅林の水仙1)(同上2) 墓参&近隣散歩の記事でありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2024.02.08
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今日は囲碁例会の日。いつもの如くMTB(マウンテンバイク)で、梅田スカイビルまで銀輪散歩であります。 中央大通りを西へと走り、森ノ宮駅前から大阪城公園を通り抜けるというお決まりのコース。(大阪城公園)(同上・天王寺商業高校同窓会の梅の木) この梅の木を撮影しようとしたら、次々に色んな人がこの木に近づき、梅の花の写真を撮ったり、梅の木を背景にして記念撮影をしたり、ということで、かなり時間待ちさせられました。三叉路になっている真ん中に植樹されているので、目立つのであろう。それほど背丈が高くない木であるが、カメラを低くして空を見上げるような角度で撮影したので実物よりも高木に見える。 天満橋を渡った先の滝川公園で小休止。 この公園で休憩した場合に必ず撮るのが、道路向かいにあるお寺の門前の言葉。今日の言葉はこれでした。(今日の門前の言葉) 去年 わからなかったことが 今年 わかることがある 老いもまた楽し 同感です(笑)。 もう一つは、 ていねいに 生きよう まあ、人生の残高がどんどん少なくなっている我が身でありますから、ていねいに生きなくては勿体ないというもの。これも同感でありますが、ていねいに生きているということが実際にできているかどうかはまた別問題ではあります(笑)。(梅田スカイビル) 梅田スカイビル到着は11時33分。 ガーデン・ファイブ棟1階のいつもの店は今回も「CLOSE」の表示。 イースト・タワー1階の喫茶店に行ってみると、改装工事中でお休み。 仕方なく、地下の滝見小路の飲食店街に下りる。 すると、全席喫煙席という珍しい店があったので、ここで昼食と決めました。喫煙者は、肩身が狭くなるばかりであるが、全席喫煙とは、喫煙者には有り難い店である。(CAFFE PIAZZA DEL POPOLO) ランチ&珈琲&煙草でゆっくりしてから、会場のガーデンファイブ棟5階の部屋へ。ヤカモチの一番乗り。 美術部の人たちが数人来て居られ、しばし彼らと雑談。 そこへ、平〇氏と村〇氏がご来場。少し遅れて福麻呂氏がご来場。 本日の出席者はヤカモチを含め、全4名でありました。 ヤカモチは先ず、平〇氏と対局。村〇氏は福麻呂氏と対局。 ヤカモチの初戦は中押し勝ち。上辺の大石が頓死して万事休すとなり、平〇氏が投げられました。村〇氏と福麻呂氏との対局は福麻呂氏の勝利。 メンバーチェンジして、2局目は、福麻呂氏と対戦。 これは、結構の大差にてヤカモチの勝ち。 隣の村〇vs平〇戦は未だ中盤戦の進行状況。 ということで、福麻呂氏ともう1局打つこととする。 今度は僅差かと思われたが、20余目の大差でこれもヤカモチの勝ち。 ということで、今日は3戦全勝でした。 ここで、時間切れとなり、村〇氏とはお手合わせせぬまま、解散となりました。 帰途は、少し雨に降られましたが、濡れるほどではなく、午後5時半頃の帰宅となりました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.02.07
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第28回和郎女作品展 昨年の2月以来の和郎女作品展であります。 今回は、若草読書会の新年会に向けて、多数の作品を宅配便で若草ホールにお届けくださり、ヤカモチほかの出席者がそれらを頂戴して持ち帰りましたが、肝心の和郎女さんご本人は他用で急遽ご欠席となり、残念なことでありました。 当日、若草ホールにて、その作品の一部を撮影しましたので、これを以って和郎女作品展を開催させていただくこととしました。 毎年、干支に因む作品を作成くださいますが、今年は辰年ということで、辰に因む作品からご紹介します。(辰1) 竜の万葉歌で思い浮かぶのが大伴旅人のこの歌。竜(たつ)の馬(ま)も 今も得(え)てしか あをによし 奈良の都に 行きて来(こ)むため (大伴旅人 万葉集巻5-806)<竜の馬が今すぐにでも欲しい。(あをによし)奈良の都に行って戻って来るために。> 大宰府の帥であった大伴旅人のこの歌に答えて奈良の都に居た何某が詠んだ歌がこれ。竜(たつ)の馬(ま)を 我(あれ)は求めむ あをによし 奈良の都に 来(こ)む人のたに (作者不詳 万葉集巻5-808)<竜の馬を探してみましょう。(あをによし)奈良の都に来ようとする人のために>(注)「来む人のたに」の「た」は「ため」と同じ。(辰2) 万葉集にはこんな歌もある。虎(とら)に乗り 古屋(ふるや)を越えて 青淵(あをぶち)に 蛟竜(みつち)捕(と)り来(こ)む 剣(つるぎ)大刀(たち)もが (境部王 万葉集巻16-3833)<虎にまたがり古い家屋を越えて、青淵で蛟竜を捕って来られるような剣大刀が欲しいものだ>(辰3) 同じデザインの作品を重複して撮影してしまったようですが、没にするのもどうかと思うので、「3’」として掲載して置きます。(辰3’)(辰4)(辰5) なお、作品のタイトルはヤカモチが勝手に付けたものであります。(エコバッグ) こんな手芸作品も。 作品を持ち帰る便宜も考慮してのものでしょうか。(ひな祭り1) ひな祭り、というタイトルで合っているのかどうか分かりませんが、ひな祭りも近いことであり、そんなイメージがしました。(ひな祭り2) これはヒラメですかね。(ヒラメ) 赤い草履を汚したくないと、裸足になって水たまりを歩く少女。(少女と水たまり)(桜美人)この花の 一枝ひとよのうちは 百種ももくさの 言こと持ちかねて 折をらえけらずや (娘子 万葉集巻8-1457)<この花の一枝の中に沢山の言葉を持ち切れなくて、折れたのではありませんか。>(節分と梅)(梅) これも前掲の「節分と梅」右側の作品と同じデザインの作品でした。(バラと辰) これも右側の辰は、前掲の「辰4」と同じデザインの作品でありました。(鶴と松と少女)(七夕) 七夕はさすがに少し早過ぎますが、まあいいでしょう。天の川 梶の音(と)聞こゆ 彦星と 織女(たなばたつめ)と 今夜(こよひ)逢ふらしも (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-2029)<天の川に櫂の音が聞こえる。彦星と織女星が今夜逢うらしい。>(三日月と梟) 三日月の万葉歌と言えばこれでしょうか。月立ちて ただ三日月(みかづき)の 眉根(まよね)掻(か)き 日(け)長く恋ひし 君に逢へるかも (大伴坂上郎女 万葉集巻6-993)<新しい月が立って、わずか三日目の月のような細い眉を掻きながら日々長く恋してきたあなたに逢うことができました。>振り放(さ)けて 三日月見れば 一目(ひとめ)見し 人の眉引(まよび)き 思ほゆるかも (大伴家持 万葉集巻6-994)<振り仰いで三日月を見ると、一目見たあの人の引いた眉の形が思い出される。> 帰りがけにバタバタと撮影したので、3作品について同じデザインのものが重複してしまいましたが、これはヤカモチ館長の手落ちにて、お詫び申し上げます。また、ごく限られた数の作品しか撮影できなかったことについてもお詫び申し上げます。<参考>和郎女作品展の記事一覧はコチラ。 フォト蔵アルバム「和郎女作品集」はコチラ。
2024.02.05
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友人・岬麻呂氏からの旅便りであります。 今回は「日本で一番早いお花見(寒緋桜)が目的の夫婦旅」とのこと。(旅・岬巡り報告325 沖縄 寒緋桜)1月23日関西空港→那覇空港→(レンタカー)→具志川城址→喜屋武埼灯台→知念岬→ニライカナイ橋→残波岬・ホテル日航アルビラ(3連泊) 先ず、沖縄本島最南端にある具志川城址に向かう。(具志川城址)<参考>具志川城(糸満市)・Wikipedia 沖縄ラボ・沖縄本島最南端の城跡「具志川城跡」みどころ紹介 おきなわ物語・具志川城跡(糸満)・国指定史跡 喜屋武埼灯台に立ち寄り、南東端の知念岬へと向かいます。<参考>喜屋武岬・Wikipedia 琉球おきなわ説話・喜屋武岬と灯台 その途中で撮影されたのでもあるか、旧・玉城村(現・南城市)のマンホールの写真です。(南城市<旧玉城村>のマンホール) 城(ぐすく)の石垣と湧水をデザインした図柄だそうですが、旧・玉城村の村章があしらわれています。 南東端の知念岬です。(知念岬)<参考>沖縄本島のおすすめ観光スポット情報・知念岬公園 そして、ニライカナイ橋。(ニライカナイ橋)<参考>Okinawa Hip Hop Bus・ニライカナイ橋 ニライカナイとは「はるか彼方」という意味。海のはるか彼方に理想郷があり、そこから神がやって来て、人の世を創ったというのが沖縄の伝説。 2002年開通以来、その景観の良さから沖縄県南部のドライブスポットとして定着。全長660m、高さ80m。歩道が整備されているので、散歩にも適しているとのこと。1月24日本部半島八重岳→今帰仁城→運天港→古宇利島→名護城址 この日は、いよいよ目的の寒緋桜のお花見でありますが、その前に国頭郡恩納村のマンホールであります。(沖縄県国頭郡恩納村のマンホール) ヨット、恩納岳、万座毛(象の鼻の形をした奇岩がある海食崖)、村の花ユウナ(オオハマボウ)の図柄。 桜の前にツツジ。 ヤエヤマツツジです。 「栄えをとめ」の桜の前に、「にほえをとめ」のツツジを持って来るのは、万葉集の歌にもかなっています。(ヤエヤマツツジ)<参考>物思(ものも)はず 道行(ゆ)く行くも 青山を 振り放(さ)け見れば つつじ花(はな) にほえ娘子(をとめ) 桜花(さくらばな) 栄(さか)え娘子(をとめ) 汝(なれ)をぞも 我(われ)に寄すといふ 我をぞも 汝(なれ)に寄すといふ 汝(な)はいかに思(おも)ふや思へこそ 年の八年(やとせ)を 切り髪(かみ)の よち子を過ぎ 橘(たちばな)の ほつ枝(え)を過ぐり この川の 下(した)にも長く 汝(な)が心待て (柿本人麻呂歌集 万葉集巻13-3309)<物思いもなしに道を行きながら、青山を振り仰いで見ると、ツツジの花のように色美しい娘子、桜花のように真っ盛りの娘子。おまえのことを私といい仲だと人は言い寄せるそうだ。私のこともおまえといい仲だと言い寄せるそうだ。おまえはどう思っているのか。あなたを思えばこそ、八年という年月、切り髪の少女の頃を過ごし、橘の梢が伸びてゆく時を経て、この川の下水(したみず)のように長く、ずっとあなたの心を待っているのです。> さて、旅の目的たる、本部半島八重岳の寒緋桜、栄え娘子やいかに。(八重岳・寒緋桜) 「例年20日過ぎには頂上付近が満開なのだが、今年は天候不順で花が無い(咲いた様子が見られず)。」とのこと。 時々、小雨が降るという生憎のお天気ではありましたが、中腹付近は八分咲きにて、今年も「栄え娘子」と無事接見を果たされました。お花見の目的達成、何よりでありました。(同上) 今帰仁城、運天港、屋我地島、古宇利島、名護城址と巡り・・。(今帰仁城址)<参考>今帰仁城・Wikipedia(古宇利大橋・屋我地島から撮影)<参考>屋我地島・Wikipedia(同上・古宇利島から撮影)<参考>古宇利島・Wikipedia(名護城址の寒緋桜)<参考>名護城・Wikipedia 桜の方は、今帰仁城では三分咲き、名護城址では咲き始めといった具合であったとのこと。1月25日辺戸岬→オクマビーチ この日は、最北端の辺戸岬を目指します。(辺戸岬・祖国復帰闘争碑) 東シナ海前に見て、わしらが生きた土地がある♪ 沖縄返還運動で歌われた「沖縄を返せ」の歌が思い出されます。 石碑の左側奥に、鹿児島県の最南端、与論島がかすかに写っています。 画像をクリックして大きいサイズのフォト蔵写真でご確認ください。(同上・北西方向)<参考>辺戸岬・Wikipedia 同じく、大きいサイズの写真でご覧いただくと、水平線上に伊平屋島、伊是名島の島影がかすかに見てとれます。(同上・東方向)1月26日八重岳→今帰仁城→古宇利島→うるま市・勝連城跡→海中道路→平安座島→那覇空港→関西空港 最終日、八重岳の桜再訪問。(再び、八重岳・寒緋桜)(今帰仁城址を背に北方向の海と寒緋桜) 三分咲きという今帰仁城の桜も再訪問。(同上・寒緋桜<ズームアップ>)(ワルミ大橋から左奥の運天港を遠望) さて、古宇利島で昼食に食されたという青いカレーがこれ。 岬麻呂氏も初めて食されたそうですが、味は普通のカレーのそれであるが、盛り付けのデザインの意味が分からなかったということで、24日の昼食に続き、26日の昼食でも再挑戦されたようです。(青いカレー) 岬麻呂氏の旺盛なる好奇心には感心するのほかありませんが、白いご飯が古宇利島、青いカレーが海、中央の細い棒状のパンが古宇利大橋を表現しているとのことであります。 以上、青いカレーの謎も解け、沖縄本島桜旅も無事完了であります。 全683kmドライブ旅でありました。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.02.04
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先日(1月18日)、喫茶・ペリカンの家のお客さんからお聞きした、幸運のオリーブの葉というのは、こういう葉なんだろうか。 その話のことは、下記<参考>の記事をご参照ください。<参考>健康診断&ペリカンの家で遅い朝食 2024.1.18.(ハート型のオリーブの葉) これは、ペリカンの家の前にあるオリーブの木のものではなく、別の場所にあったオリーブの木でたまたま見つけたものである。 その日にお聞きした話のことを思い出し、通りがかりの道端で目にしたオリーブの木を、それほど熱心にというのではなく、冷やかし半分で枝先の葉を試しに見ていたら、ほんの数秒でこの葉に気が付きました。 これは、多分、葉先の先端、中央を、虫に齧られたか何かで少し欠損した結果、このようなハート型になったものと推測される。(同上) もっと大きく齧られたら、もっとハート型らしくなったかもしれないのだが、要は、葉先中央、左右均等に欠損する必要があり、そうでないと左右対称とはならず、ハート型を形成しない。こういう偶然はそうはないだろうから、稀有な葉の形ということになるのだろう。 普通、虫の齧った葉は、もっと乱雑、不定形で、こういう形になることはない。 さて、幸運の葉であるのかどうか、そういうことには、余り頓着するヤカモチではないので、写真撮影が済むとすぐに行方不明となってしまったから、幸運の葉であったとしても、その幸運はヤカモチのもとをすりぬけてしまうことでしょう(笑)。(通常のオリーブの葉)(追記2024.1.31.)通常の形の葉の写真も比較のため追加掲載しました。
2024.01.30
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今日はヤカモチの誕生日であります。 めでたく1306歳を迎えることとなりました。 毎年この日に先ず行うことは、ブログのプロフィールに記載の年齢を一つ多い数字に書き換えること。 そして、〇〇歳になりました、という記事を書くこと。 まあ、それだけであります(笑)。 謡曲「鶴亀」の「亀は萬年乃齢を経て、鶴も千代をや重ぬらん」ではないが、鶴の年齢を超えてしまってはや306年、どこまで生きながらえるというのであるか。 亀の万年には届きそうになく、そろそろその時でもあり、それは明日のことかも知れないから、メメント・モリ(memento mori)を肝に銘じて、残余の命を生きることといたしましょう。<参考>メメント・モリ-Wikipedia(祝誕生日の花) これは、一昨日の若草読書会の新年会でヤカモチが誕生日のお祝いとして贈呈を受けたお花であります。をのこしも うれしかるらむ 生(あ)れし日の 祝(いは)ひと花を 受くるのあるは (偐家持)(本歌)士をのこやも 空しかるべき 万代(よろづよ)に 語り継ぐべき 名は立てずして (山上憶良 万葉集巻6-978)<参考>関連過去記事〇ヤカモチ1305歳 2023.1.29.〇ヤカモチ1304歳 2022.1.29.〇1303歳になりました。 2021.1.29.〇1302歳になりました。 2020.1.29.〇1301歳になりました。 2019.1.29.〇1300歳になりました 2018.1.29.〇1299歳になりました・若草読書会新年会 2017.1.29.〇1298歳です 2016.1.29.〇1297歳になりました。 2015.1.30.〇1296歳になりました。 2014.1.29.〇ヤカモチ1295歳・健人会の新年会 2013.1.29.〇偐万葉・ひろろ篇(その3) 2010.1.29.
2024.01.29
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昨日(27日)は若草読書会の新年会でありました。 昨年は若草読書会の公式行事としては、1月29日の新年会と4月1日の花見会の2回が開催されただけでありましたので、今回の新年会が久々の例会ということになりました。 昨年の新年会では凡鬼さんに講師をお願いしてヤカモチは万葉の話をせずに済んだのですが、その代わりということで、お花見会で万葉の話をさせられる羽目となりました。 もう長らく、新年会はヤカモチの万葉の話というのが恒例になっていたので、今年もその例にならいヤカモチによる山上憶良の話ということになりました。(万葉講話・山上憶良のレジメ 全21頁) 今年の参加者は、凡鬼さん、恒郎女さん、めぐの郎女さん、小万知さん、槇麻呂さん、リチ女さん、偐山頭火さんとヤカモチの全8名。 常連の、景郎女さん、祥麻呂さん、和郎女さんは都合が悪くなり欠席でした。恒郎女さんのお嬢さんである、めぐの郎女さんは今回が初参加であります。 午前11時開会のところ、10分遅れの11時10分からの講話開始となり、予定よりこれも10分遅れの12時10分終了で、きっちり1時間のお話をさせていただいたことになる。 年表に基づき山上憶良の生涯を概観した上、彼の歌をいくつか取り上げ鑑賞することとしました。 先ず、貧窮問答歌を取り上げ、その他比較的有名な歌をいくつか鑑賞しましたが、それらの歌は下記の通りです。●貧窮問答歌風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜は 術もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげかき撫でて 吾(あれ)を除(お)きて 人は在らじと 誇(ほこ)ろへど 寒くしあれば 麻ぶすま 引き被(かがふ)り 布肩衣(ぬのかたぎぬ) 有りのことごと 着襲(きそ)へども 寒き夜すらを 吾(われ)よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ 妻子(めこ)どもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝(な)が世は渡る 天地(あめつち)は 広しといへど 吾(あ)がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は 明(あか)しといへど 吾(あ)がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾(あ)のみや然(しか)る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾(あれ)も作(な)れるを 綿もなき 布肩衣(ぬのかたぎぬ)の 海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち懸け 伏(ふせ)いほの 曲(まげ)いほの内に 直土(ひたつち)に 藁解き敷きて 父母は 枕の方(かた)に 妻子(めこ)どもは 足(あと)の方に 囲(かく)みゐて 憂へ吟(さまよ)ひ かまどには 火気(ほけ)ふき立てず こしきには 蜘蛛の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く 事も忘れて 奴延鳥(ぬえどり)の のどよひをるに いとのきて 短き物を 端(はし)きると いへるがごとく しもと取る 里長(さとをさ)が声は 寝屋處(ねやど)まで 来(き)立ち呼ばひぬ かくばかり 術(すべ)無きものか 世間(よのなか)の道 (巻5-892)<風に交じって雨の降る夜、雨に交じって雪の降る夜は、どうしようもないほど寒くてたまらないので、焼き固めた堅い塩をちびちび食べては、湯に溶いた酒粕をすすりすすり、何度も咳き込み、びしびしと鼻汁を啜りながら、ろくに生えてもいない髭をかき撫でて、俺以外に人はあるまいと威張ってはみるものの、寒くてたまらないので、麻の夜具を引きかぶり、布製の丈の短い袖なしをあるだけ全部重ね着ても、なお寒い夜でさえあるのに、私よりも貧しい人の父母は飢え凍えているだろう、妻子たちは食べ物をせがんで泣いているだろう、こんな時はどのようにしてあなたは世を渡っているのだろうか。天地は広いというが、私に対しては狭くなったのか、日月は明るいというが、私の為にはてってくださらないのか、人みながこうなのか、私だけこうなのか、たまたま人として生まれたのに、また人並みに生まれついたのに、綿もない粗末な肩衣の、海松(みる)のように裂けて垂れ下がったぼろ切れだけを肩に掛け、屋根を伏せ覆った庵の、傾いた庵の内に、地面直接に藁を解き敷いて、父母は私の枕元に、妻子たちは足の方に、互いに身を寄せ合って悲しみ呻き、竈(かまど)には煙も吹き立てず、甑(こしき)には蜘蛛が巣を掛け、飯を炊くことも忘れ、トラツグミのように細々と力ない声で呻吟している時に、とりわけ短い物を更に端を切り詰めるというかの如く、鞭を手にした里長の声は、寝床まで来てわめき立てる。こんなにもやるせないものであるのか世の中の道理というのは。> 反歌世間(よのなか)を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば (巻5-893)<世の中を厭わしい、生きているのも恥ずかしいと思っても、飛んで行くこともできない、鳥ではないので。>●日本挽歌1首(柩を挽く者が詠うという意の「挽歌」を日本語で詠ったもの)大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひの 筑紫(つくし)の国に 泣く子なす 慕(した)ひ来まして 息(いき)だにも いまだ休(やす)めず 年月(としつき)も いまだあらねば 心ゆも 思(おも)はぬ間(あひだ)に うちなびき 臥(こ)やしぬれ 言はむすべ せむすべ知らに 石木(いはき)をも 問ひ放(さ)け知らず 家ならば かたちはあらむを 恨(うら)めしき 妹(いも)の命(みこと)の 我(あれ)をばも いかにせよとか にほ鳥の 二人(ふたり)並び居(ゐ) 語らひし 心そむきて 家離(いへざか)りいます(巻5-794)<大君の遠い政庁として、(しらぬひの)筑紫の国に(泣く子なす)慕ってやって来られ、息を整えるいとまさえ未だなく、年月もまだ経っていないのに、思いもかけず力なく横たわってしまったので、何と言ってよいのか、何をしてよいのか分からず、岩や木に問うてみても仕方がない。家に居たのなら、姿かたちはもとのままでいただろうに、恨めしいわが妻の君は、この私にどうせよと言うのか。カイツブリのように二人寄り添って語り合った、その約束にそむいて、家を離れていってしまわれる。> 反歌5首家に行きて いかにか我(あ)がせむ 枕づく つま屋さぶしく 思ほゆべしも(巻5-795)<家に帰って、私はどうすればよいのか。(枕づく)つま屋は寂しく思われるに違いない。>はしきよし かくのみからに 慕ひ来(こ)し 妹が心の すべもすべなさ(巻5-796)<ああ、いとしいことだ。こんなことになるだけだったのに、私を慕ってやって来た妻の心がやるせない。>悔しかも かく知らませば あをによし 国内(くぬち)ことごと 見せましものを(巻5-797)<後悔するばかりだ。こんなことになると知っていたら(あをによし)国中ことごとく見せておくのだった。>妹が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし 我(わ)が泣く涙 いまだ干(ひ)なくに(巻5-798)<妻が見た楝の花は散ってしまうだろう。私の流す涙が未だ乾かないのに。>大野山(おほのやま) 霧立ちわたる 我(わ)が嘆く おきその風に 霧立ちわたる(巻5-799)<大野山に霧が立ち込めている。私が嘆くため息の風によって霧が立ち込めているのだ。>●瓜食(は)めば 子等(こども)おもほゆ 栗食めば ましてしのはゆ いづくより 来たりしものぞ まなかひに もとな懸りて 安眠やすいし寐なさぬ(巻5-802)<瓜を食べると子どものことが思われる。栗を食べるとまして偲ばれる。いったい何処からやって来たのか、面影が目の前にちらついて、安らかに眠らせてくれない。>●銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子に如(し)かめやも(巻5-803)<銀も金も珠玉も何であると言うのか。素晴らしい宝である子どもに及ぶだろうか。>●春されば まづ咲く宿の 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ(巻5-818)<春になるとまず咲く庭の梅の花をひとり眺めて春の日を過ごそうというのか。>●いざ子ども はやく日本やまとへ 大伴の 御津みつの浜松 待ち恋ひぬらむ(巻1-63)<さあ皆の者、はやく大和の国に帰ろう。大伴の御津の浜松が待ちわびているだろう。>●憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ それ彼(そ)の母も 吾(わ)を待つらむそ(巻3-337)<憶良めはここで失礼いたしましょう。子供が泣いているでしょう。その母親も私をまっていることでしょう。> ●松浦佐用姫の歌海原(うなはら)の 沖行く船を 帰れとか 領巾(ひれ)振らしけむ 松浦佐用姫(まつらさよひめ)(巻5-874)<海原の沖を行く船に向かって、帰って来てと、領巾をお振りになったのか、松浦佐用姫は。>行く船を 振り留みかね いかばかり 恋しくありけむ 松浦佐用姫(巻5-875)<行く船を、領巾を振っても留めることができず、どれほど恋しかったであろうか、松浦佐用姫は。>●秋の七種の花の歌秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種ななくさの花(巻8-1537)萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝がほの花(巻8-1538)●七夕の歌彦星(ひこほし)し 妻迎へ船 漕ぎ出(づ)らし 天の川原に 霧の立てるは(巻8-1527)<彦星が妻を迎える舟を出したらしい。天の川の川原に霧が立っているのは。><参考> 織女たなばたし 船乗りすらし まそ鏡 清き月夜つくよに 雲立ち渡る(巻17-3900 大伴家持) 天の川 梶の音(と)聞こゆ 彦星と 織女(たなばたつめ)と 今夜(こよひ)逢ふらしも(巻10-2029 柿本人麻呂歌集)●士(をのこ)やも 空しかるべき 万代(よろづよ)に 語り継ぐべき 名は立てずして(巻6-978)<男と生まれた身として無為に終わってよいものだろうか。後世に語り継がれるに足る名声をうち立てることもなく。>(若草ホール前から高安山遠望) お昼は出前の寿司と恒郎女さんがご用意くださったお味噌汁で昼食。 第二部は歌留多会。 百人一首の部は、恒郎女さんが優勝で、偐家持賞が凡鬼さん。 坊主めくりの部は、小万知さんが優勝、偐家持賞は恒郎女さん。 第三部は喫茶「若草」。 珈琲、クリームソーダ、お菓子などで、暫しの歓談。 最後に、今回ご欠席の和郎女さんが、前以って若草ホール宛てに送っていただいた多数の押絵作品(その一部については写真撮影しましたので、後日紹介させていただきます。)を希望者が頂戴して帰ることに。 なお、席上、二日後に誕生日を迎えるヤカモチは小万知さんが手配下さった花束とハッピーバースデイの歌を頂戴し感謝でありました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。(若草ホール前の小公園の空)
2024.01.28
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昨日(22日)、若草読書会の新年会でヤカモチが担当する万葉講話に使用するレジメを印刷しようとしたら、コピー用紙が足らないことが判明。 これを買い求めるため、石切にあるホームセンター、コーナンまでMTBで出かけることとした。 ついでに先日の健康診断の肺がん検診のために採取した痰を石切生喜病院の検診センターまで届ける。 少し早い時刻であったが、病院向かいの喫茶店・ペリカンの家で昼食を済ませ、付近を少し銀輪散歩することにした。 恩智川沿いに北へと走り、加納緑地を過ぎて大東市に入ってすぐのところに御供田公園という公園がある。 地元の人たちがその公園のグラウンドでゲートボールを始めようとされているところでありました。 公園を北へと通り抜けて少し西に入ったところに、八幡神社があったので立ち寄ってみた。(御供田八幡神社) 鳥居には八幡神社という扁額が架かっているだけなので、ナニ八幡神社であるのかは不明であるが、この地区の地名が「御供田」であるから、先ほどの公園にならって「御供田八幡神社」として置く。(同上・拝殿と本殿)(同上・拝殿内風景) 拝殿のガラス窓越しにカメラを向けると、奥に本殿が見えています。(同上・由緒) 拝殿脇に掲示されている「八幡神社縁起」によると、1655年頃に石清水八幡より分霊を勧請したものであるとのこと。 この地域は、昔は岡野村という呼称であったが、その岡野家所蔵の古文書には、次のように記載されているという。「河内国讃良郡御供田村いにしへは岡野村と号す。石清水八幡宮の社領となりしより御供田村と名を改む。岡野浄忍入道、性は紀氏なるが故に八幡宮を勧請し、一村の氏神とす(中略)七十代後冷泉院の御宇、八幡太郎源義家奥州の朝敵を誅し上洛の後、石清水八幡宮へ御供田村を寄附したまふ。よって村名となる事しかり」 大阪府史によれば、当地は鵠森神社の社領であったと誌されているが、いつ頃の時代かは定かではない、とのこと。 御供田とは、神仏にそなえる米を作る田のことであるが、これが地名となっている地は各地にあるようです。また、人名(名字)にもなっていますが、読み方は「ごくうでん、ごくでん、ごくだ、おともだ、おくだ」など色々のようです。大東市の此処では「ごくでん」と読みます。(同上・旧鳥居の石柱の一部) 現在の鳥居の左脇には旧の鳥居の一部が残されていますが、旧の鳥居は、明治4年(1871年)に恩智・秋岡両家によって奉献されたとあり、現在の鳥居は平成26年(2014年)3月に建立されていますから、143年の寿命であったことになる。耐震設計上何らかの危惧があったのかもしれない。 参考までに、この八幡神社の所在位置を地図で示して置きます。(同上・位置図) それほど広くはない境内であるが、大東市が保護樹木に指定している樹木が3本存在している。(同上・保護樹木、ムクノキ第35号) これは、神社・社務所の南隣にある木。 もう一本のムクノキは境内南西隅にある。(同上・保護樹木、ムクノキ第5号) もう一本の木はイチョウで、本殿北西脇にある。(同上・保護樹木、イチョウ第24号) 帰宅後、レジメの印刷を完了し、新年会の講話の下準備は、一応できました。もっとも、どんな話の展開とするかは、未だ決めていないので、当日の成り行きに任せることとします(笑)。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2024.01.23
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前回の「岬麻呂旅便り」記事で、「最終回」とさせていただきましたが、多くのご友人から「何らかの形で継続せよ」とのお便りを頂戴されたようで、旅報告の休止は取り止めとなり、いささかのスタイル変更を加えて継続されることとなりました。 よって、この「岬麻呂旅便り」シリーズ記事も、従前通り継続することといたします。 ということで、今年の初旅となる石垣島旅行の旅便りを以って2024年の幕明けとさせていただきます。(旅・岬巡り報告324・石垣島) 今回は、1月11日~14日の3泊4日のご夫婦旅でありますが、昨年末に奥様が腰痛を発症され、長い距離の歩行が困難になってしまわれたとかで、恒例の西表島や竹富島など高速船利用の離島には行けず、石垣島・島内ドライブのみになってしまったとのこと。奥様の腰痛が一日も早く軽快されることをお祈り申し上げます。1月11日関西空港→新石垣空港→(レンタカー)→ホテルミヤヒラ(3連泊) 午後便による出発ということで、旅初日はホテルレストランで夕食時に泡盛を楽しむなど、ごゆっくりされたようで、この日の写真はありません。 なお、石垣島の日没は大阪よりも90分ほど遅いとのこと。1月12日島内右回りドライブ→バンナ公園→石垣港に巨大クルーズ船遠望→観音崎灯台→唐人墓→御神埼灯台→川平湾→底地ビーチ→富野小学校→平久保埼灯台→玉取崎展望台→ホテルミヤヒラ15時帰着(一周約120km) この日から観光開始。島内右回りでドライブ。 先ずは、世界三大花木の一つ、カエンボクを見に、バンナ公園へ。(カエンボク)(カエンボクの樹) トックリキワタの花が満開になるのは11月とのことですから、これは季節外れに咲く「ときじくの」花ということになるか。(トックリキワタ) 黄色と言うべきか、オレンジ色と言うべきか、こんな色のカエンボクの花も咲いていました。(花がオレンジ色のカエンボク) 石垣港には、巨大なクルーズ船が停泊中。(石垣港遠望) 船名は、MSCベリッシマ。総トン数167,600トン、全長315m、 就航2018年6月、乗客定員5714名、乗組員数1536名、だそうです。 翌13日にこの船を間近に見てみようと港へと向かわれたようですが、この日の夜のうちに、つまり前夜に出航してしまっていたとのこと。 まさに「夜半に出航のあらぬものかは・・」であります(笑)。 石垣島最北端の平久保崎へと向かいます。(平久保崎の海・東方向)(同上・南東方向) 岬の先端にある平久保埼灯台の写真は、13日撮影のものを、13日の項に掲載しています。 そして、県道206号を南へと、とって返して玉取崎展望台へ。(玉取崎・北方向) 玉取崎展望台は金武岳東麓の高みにあり、平久保崎のある半島が東シナ海と太平洋を切り裂くように突き出している様が一望できるビューポイントになっている。 写真中央奥に見える三角形の山は、はんな岳。 左側の海が東シナ海、右側の海が太平洋。 少し東寄りにカメラの向きを変えると、こんな眺め。(同上・北東方向)1月13日島内左回りドライブ→八島人工島→平久保崎→野底海岸→吹通川マングローブ林→川平湾→ホテルミヤヒラ この日の最初の写真は、マンホール。(石垣市のマンホール) アカショウビンが羽ばたいている図柄のマンホールです。 リュウキュウアカショウビンは火の鳥とも呼ばれる赤い色が特徴の鳥。 カエンボクを先ず見に行かれた岬麻呂氏がこの図柄のマンホールに遭遇されたのも「火の色」つながりの縁ということであるか。火の色に 咲く花見むと わが来れば 火の鳥はばたく マンホールのふた (蓋家持) この鳥は、春に南から飛来し、石垣島で繁殖し、秋に南へ帰る渡り鳥。 島の大浜小学校のマスコットキャラクター「オカピー」のモチーフになっている鳥だそうです。 旅の三日目。 この日は、島内左回りのドライブであります。 巨大クルーズ船ベリッシマが前夜に出航してしまっていて、空振りとなったことは、既に述べました。(玉取崎・南方向の風景) 先ず、玉取崎展望台にて、赤いハイビスカスの花を愛で・・。 これも火の色であるか。(ハイビスカス) 黄色のハイビスカスも愛でて・・・。(同上)(同上) 最北端の平久保埼灯台に立ち寄り・・。 灯台の沖合の小さな島は、地図によると大地離島という名のようです。(平久保埼灯台) 最北端というと、宗谷岬やスコトン岬が思い浮かぶが、南の島の最北端とあっては、何やら「果て」感がイマイチであります(笑)。 野底海岸へと回ります。(野底海岸) 此処は、観光客などは余り来ない場所であるとか。 ヤカモチ的には、その方が好ましい場所でありますな。(同上) 一方、こちらは代表的な観光地である川平湾。(川平湾・展望台から)(同上・グラスボート乗り場の上から)1月14日真栄里ビーチ→白保海岸→平久保崎→石垣サンセットビーチ→米原ヤエヤマヤシ群落→底原ダム→新石垣空港→関西空港 いよいよ旅の最終日。 バウヒニアの花。 これは初めて目にする花のような気がします。勿論、名前も初耳。(バウヒニアの花) 川平湾のグラスボート乗り場を湾の対岸から眺めた写真です。(川平湾遠望) 写真奥左手に見えるのが展望台建物。 13日の「川平湾・展望台から」の写真は、この展望台から撮影されたようです。その次の「グラスボート乗り場の上から」というのは、展望台から少し右に寄った位置から撮影されたのでしょう。 全走行距離413kmの島内ドライブ旅、完結です。 島一周が120km程度ですから、4日間で島3周半に相当する距離を走行されたことになるか。 さて、余談ですが、今回の岬麻呂氏の「旅報告」は、本文記載のハガキと以下の紙焼き写真とを封筒に同封して送られて参りました。 ヤカモチに関しては、別途メールで写真が電送されて参りますので、これら紙焼き写真は不要でありますが、折角に同封されていますので、重複するものの紹介して置きます。 今後は、ヤカモチ宛てには本文ハガキだけご送付いただければ十分かと存じます。(同封写真)(同上)(同上)<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2024.01.21
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本日(1月19日)午後7時過ぎ、当ブログへの累計アクセス数が450万に達したようです。(450万アクセス) このアクセス数というのは、どのようにカウントされているのだろう。 Aさんという人が、当ブログのホームページ(表題ページ)を閲覧し、次に最新記事タイトルをクリックしてその記事の個別記事ページを開き、更に記載コメントを見ようとしてコメントページを開いたとして、この場合はホームページのPV1件、個別記事ページのPV1件、コメントページのPV1件で計3件のアクセスとカウントするのか、それともこれら一連の訪問を1件のアクセスとしてカウントするのだろうか。 まあ、数え方はどうあれ、50万アクセスごとに節目の記録をすることとしているので、継続性の原則にて、今回も一応記録して置きます。<参考>総アクセス数の推移 2007年 4月29日 ブログ開設 2015年10月11日 50万 2016年11月16日 100万 2018年 2月 9日 150万 2019年 3月21日 200万 2020年 1月21日 250万 2020年11月28日 300万 2021年10月28日 350万 2022年 8月11日 400万 2024年 1月19日 450万 ところで、当ブログ内の個々の記事ページについて、閲覧数(PV)の多い記事トップ10はどうなっているかというと、次の通りであります。○個別記事別アクセス(PV数)ランキング(2024.1.19.現在) 9308 白いキノコと白い花 2011年9月8日 9142 新年向けの万葉歌 2012年12月28日 8105 微小血管狭心症 2018年3月11日 3918 ウリカワなのかオモダカなのか 2015年10月19日 3890 アメリカデイゴの実とクチナシの実 2009年9月30日 3600 花逍遥・ウツギ、シャガ、マムシグサ 2012年5月18日 2994 星の花? 2008年4月16日 2952 言葉遊び(動物篇・魚篇・虫篇・その他篇・地名篇) 2013年2月8日 2940 甲子園と葛の花 2009年9月11日 2741 ノゲシとノボロギクそしてハルジオン 2020年4月18日<参考>PV(ページビュー)とは カテゴリ「万葉」の記事が2位にあるのはよしとしても、当ブログのメイン記事であるカテゴリ「銀輪万葉」の記事が上位10に一つも入っていないというのは、少し残念な気もします(笑)。<参考>当ブログの歩み過去記事一覧はコチラ。
2024.01.19
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今日は健康診断の日。前日夜から絶食で朝9時半までに病院に来てくださいということであったが、朝8時40分頃にMTB(マウンテンバイク)で病院に向かう。 既に雨がパラつき始めていたが、濡れるほどではないので雨具は着用せず、そのまま出かける。但し、傘と雨着・帽子はザックに入れて。 9時前に病院に到着。血圧、体温測定、採血、身長・体重測定、検尿提出と進み、肺のX線撮影。大腸検診は予め採取した便を提出済みであるから、この日にすべきことはない。肺ガン検診は喀痰検査であるが、これは3日連続採痰用の喀痰容器を今日受け取ったので、後日これを提出することとなる。 以上で検査は終了。胃は、先日、胃カメラで検査して貰ったばかりなので、今回は割愛です。 最後は血液検査の結果が出てからの診察であるが、1時間ほどで結果が出るということなので、待つことにする。 診察では、血糖値が少し高めになっているが、問題視するほどの数値ではないようで、その他の点についても特段指摘することはないとのこと。 全て、終了したのが9時50分を少し過ぎた時刻。 病院の向かいにある喫茶・ペリカンの家で遅い朝食とする。(喫茶・ペリカンの家から病院を望む) 病院は、石切生喜病院でありました。 奥が外来診療棟で、手前の建物が入院病棟。 喫茶店は、入院病棟と道路を挟んでほぼ向き合う位置にある。前ページ記事に掲載の、梅一輪の写真は、この入院病棟の西側庭の梅の木のそれでありました。 今日は開花した花の数も随分と増えて、「今盛りなり」とは行かないまでも、そこそこの眺めになっているのでありました。(梅、三分咲き位でしょうか。) 喫茶・ペリカンの家のママさんは「ももの郎女」さん。 そして、今日のスタッフは「さとみの郎女」さん。 ヤカモチはもう長らく馴染みにしている喫茶店である。 店内は禁煙であるが、店の外側壁際、シマトネリコの木陰にベンチが据えられている。そこが喫煙コーナーとなっていて、灰皿が用意されている。 ヤカモチは、店に入ると、先ずそこで一服というのがお決まりとなっているのである。 そこで一服する傍ら、店の前庭に咲いていたヒヤシンスの花を撮影していたら、男性客のお一人が出て来られて、電子タバコを喫い始められました。 その方からお聞きしたことであるが、オリーブの枝先の若葉でごくごく希にハート型になるものがあるらしい。それを見つけるとその人に何か幸運が訪れるのだという。初めて耳にする話であったが、その男性もどなたかに教えてもらった話だと仰っていましたから、真偽のほどは不明である。 店の前の左側に植えられているのがシマトネリコの木で、それとは反対側の右側に植えられているのがオリーブの木であったことから、このような会話となった次第。(ペリカンの家のヒヤシンス) さて、そのヒヤシンスの写真がこれ。 三色が寄せ植えされている。 ヒヤシンスについては、ギリシャ神話がその名の起源である。 ゼフィランサスやスイセンなどギリシャ神話に因む花は結構あるようですが、ヒヤシンスに因む話は、概略、次のようなものです。ヒヤシンスの名は、ギリシャ神話の美青年ヒュアキントスに由来する。同性愛者であった彼は、愛する医学の神アポロン(彼は両性愛者であった)と一緒に円盤投げに興じていた(古代ギリシャでは同性愛は普通に行われ、むしろ美徳とされていた)。しかし、その楽しそうな様子を見ていた西風の神ゼピュロス(彼もヒュアキントスを愛していた)は、やきもちを焼いて、意地悪な風を起こした。その風によってアポロンが投げた円盤の軌道が変わり、ヒュアキントスの額を直撃してしまった。アポロンは医学の神の力をもって懸命に治療するが、その甲斐なくヒュアキントスは大量の血を流して死んでしまった。ヒヤシンスはこの時に流れた大量の血から生まれたとされる。このエピソードから、花言葉は「悲しみを超えた愛」となっている。(以上、Wikipediaより引用) 遅い朝食を済ませて、ペリカンの家を出ると、雨がそこそこ降り出していたので、上衣だけ雨着をはおり、病院の駐輪場に向かう。 MTBを取り出し走り始めたが、帽子を着用していなかったので、途中からこれを着用し、雨着のフードを被り、雨対策を強化。 それほど、強い雨にはならず、無事帰宅でありました。<参考>ペリカンの家関係記事はコチラ。
2024.01.18
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